2019年06月30日

From TENKAWA

来てくれてありがとう。








ワークのたびに感じること。

神社の関係者も、民宿の人達も、そして参加者の皆さんも、ここには善意しかない。


そうするとみんなが気持ちがいいし、みんなが幸せな気持ちになる。

国中がこうだったら、世界中がこうだったらと、そんな妄想に浸ってしまいそうだ。



この地には、一人一人の中から、いままでにため込んでしまったマイナスエネルギーを吸い取ってくれる何かがある。

だから有史以前から、こんなに遠くまで多くの人が訪れたのだろう。

それが時代の中で、「禊ぎ払い」という神道に発展していったのだと思う。



僕はワークが好きだ。

人間がこんないも愛おしく思えるから。



誰一人ダメな人はいない。

なのに多くの人は心の奥で自分をダメだと思っている。


人生は自分を否定したくなる要素で満ちているのだろう。


でも自己否定は全部、誤解だ。


もし自分がダメな存在なら、宇宙全体がダメだということだ。


んなわきゃないだろ。




今朝の天河社



あと3日間、全身全霊で関わらせてもらいます。


それでは、ワークをしに神社に行ってきます。




かんながら たまちはえませ





よかったらクリックしてください。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(25)レコーディング

2019年06月29日

来てくれてありがとう。







こんなブログを書いていると、中には僕にファンタジーを持つ人もいて、自分よりアベッチのほうが凄いんじゃないかってね。


そこで今日はアベッチの日常を振り返ってみよう。


こんな感じです。



上手くいかない時もあるし

上手く行く時もある



優しくなれない時もあるし

優しい時もある



素直じゃない時もあるし

素直な時もある



正直になれない時もあるし

正直な時もある



かっこ悪い時もあるし

まあまあの時もある



仲良くなれない時もあるし

仲良しの時もある



もうオシマイダと思う時もあるし

これからだと思う時もある



やる気が出ない時もあるし

頑張る時もある



思考まみれの時もあるし

全体になっている時もある



そしてたいていは、ゴロンと横になっている




いろんな時がある


いつも言うように、この世にはあなた以上の人もいなければ、あなた以下の人もいない。

みんな、ただの人だ。


だからこれでいいのだ。


あなただっていろんな時があるでしょ?





あなたはクリックする時もあるし

クリックしない時もある。


いやだ!

クリックしてほしい。







  


Posted by Toshiro Abe at 10:50Comments(23)

2019年06月28日

かんながらブログの読み方

来てくれてありがとう。







ドンキホーテさん

あるメッセージが自分向けかどうやって判断すればいいんですか?

言葉の意味を平面的にせず、立体的にするって?よくわからないです。

正直、おれみたいなバカには阿部さんのブログは危険な気がしてきましたよ。

書いてあることをマジ受けしてたらだめなのか。怖いです。




ここがこのブログの限界です。

ただでさえ文字で伝えることは難しいのに、扱っているテーマが言葉では表せない世界のものだときています。


動画であれば、話し手の声のトーンや強弱や雰囲気など、言葉以外の情報も伝わるので誤解は減りますが、文字情報は読み手が読みたいように読むので、全ての判断は読み手に委ねなければなりません


とは言うものの、そんな条件下にあっても、このブログとの出会いによって意識がシフトしたり、楽になったと言ってくれる人もいて、少しは役に立てているようです。


>あるメッセージが自分向けかどうやって判断すればいいんですか?


それはあなたにしかわかりません。

しかしこの情報社会の中で、実際にあなたも膨大な量の情報を無意識に取捨選択しているわけで、自分向けかどうかも瞬時に判断しています。


それが何故このようなブログに限って、そのような戸惑いが出るのかには理由があります。

おそらくあなたは、ここに書かれた言葉に何かを感じ、自分の問題を解決してくれる可能性を見たのではないでしょうか。


そこで、すべての言葉を自分の人生に役立てたいと思ったのかもしれません。

でなければ、とっくにスルーしているはずです。


ところが現象界を超えたメッセージは、右は右、左は左、というわけにはいかず、記事によっては矛盾することもあります。

ある時は、僕の言葉を鵜のみするのが早道だと言うこともあれば、鵜のみにするなと言うこともあります。


それらはすべて文脈の中で起きることで、その言葉だけ抜きだしたら混乱するだけです。






「すべてのことはすでに決定されている」


「究極的には何も起きていない」


「時間も空間も存在していない」


「あなたはいない」


これらは全体意識から見た時の真実です。

個人目線で納得できることではありません


これを文字通り受け取って、いまの生活に当てはめようとすれば問題が起きることでしょうし、生きる意欲が削がれるかもしれません。


それでもこれらのメッセージは重要です。

なぜなら、すべての存在にとっての真実だからです。


これらの言葉をそのままいまの自分に当てはめた時、混乱する人がいる一方で、気が楽になる人もいます。


「すべては最初から決まっている」という言葉は、過去への罪悪感と後悔にさいなまれている人にとっては救いになる可能性がありますし、「究極的には何も起きていない」という言葉も同様です。

しかもこれは気休めではなく真実です。


その一方で「すべては最初から決まっている」という言葉は、ありがちな運命論のように受け止めてしまう人もいます。


運命論ではありません。

なぜなら運命論は、個人が存在するということが前提になっているからです。


何を言っているのか分かりますか?

これが立体的に理解するということです。



あなたがこのブログの言葉の中から、何を採用したらいいのかは、あなたがどう生きたいのかで変わってきます。


何を差し置いても、真理に向かいたいのか。

それとも、いまの生活を改善したいのか。


もし後者であれば、個人目線の情報だけに関心を向ければいいと思います。


このブログが全体目線と個人目線の両方から伝えていることは繰り返し述べてきましたが、まずはそのことをしっかり踏まえて読むようにしてください。



情報の取捨選択は、その人の心の奥にある価値観によって瞬時に実行されています。

このブログを見たとしても、目に入らない人も無数にいます。


もし継続して読んでいるとしたら、すでにジャンプする準備ができているということであり、その日は近いと言っておきます。



もしまた迷ったら、遠慮なくここに書き込んでくださいね。



いまから天河に行ってきます。

また新しい人達の再誕のお手伝いをしてきます。

人が過去の呪縛から自由になれば、その分だけ世の中が楽しくなると思って活動しています。




よければクリックで応援してください。





・・・・・・・・・・・


【お知らせ】

7月の瞑想伝授は博多と東京です。

詳細はコチラから




  


Posted by Toshiro Abe at 10:57Comments(42)アセンション

2019年06月27日

希望

来てくれてありがとう。







今日は希望について書いてみます。


何事にも二つの面があります。

それは全体から見た面と、個人から見た面です。


たとえば全体から見た時の希望や欲望は未来に向かっていて、いまここを見失う罠でしかありません。

真理はいまここにあり、したがって見性するためには、未来に向かうあらゆる衝動、すなわち希望や欲望を捨てなければなりません。

仏教が無欲を強調するのはその為です。



ところが我々は個人を生きています。

個人にとって希望や欲望は必要です。

なぜなら、個人とは全体から分離した意識によってできていて、この分離感覚は例外なく何らかの不快感をもたらすので、それを解消したいと思うのです。


不快感の原因が、まさか全体からの分離だとは思わないので、不快感の原因を、いま足りないものや満たされていないものの中に見つけてしまいます。

もっと仕事がうまくいけばとか、もっと家族の仲が良ければとか、もっと自分に自信があればとか、この身体が健康であればとか・・・


たとえいまどんな状態であろうと、いまの状態を完全に受け入れて、いまと仲直りした時、そこに安らぎがあります。

これがサレンダーの意味することです。


たとえ自分が病に侵されていようと、その自分をそのまま認めてあげることができたら現実は変わっていきます。

これは病の人だけではなく、いまの自分ではダメだという思いを持ったすべての人に言えることです。


自分を改善しようとする前に、まずはあるがままのいまを認めること。

それが改善に繋がっていきます。


一方でいまの現実と闘おうとすれば、いまの現実は強調されていきます。

このジレンマに多くの人が陥っているように見えます。



一昨日お会いした女性も同じで、彼女を苦しめていたのは病だけではなく、そんな自分に対する絶望でした。


でも人は、存在しているだけで無上の価値を兼ね備えています。

だって自分を個人だと思っているだけで、全ての人は全体の現れだからです。


なぜ全体がそのように現れたのか、すべてに意味があると考えることも可能です。

彼女の場合なら、ここまでの苦しみは同じように苦しむ人へのサポートに繋がる可能性がありますし、そう考えれば、むやみにいまの状態を否定しなくて済むわけです。


自分は多くの人に貢献するために存在している。

そのためには、いままで起きたことの全てが必要だった。

そんな風に思えたら、現状が改善されていく可能性が出てきます。


個人にとっては、希望を持つことは大切なのです。






真理が、欲望や希望を捨てろと言っているからといって、いまの自分に当てはめようとしないことです。

このことだけでなく、ここに書かれた多くのメッセージも全体から出てきたものであり、それをむやみに自分に当てはめようとしてはいけません。

あらゆるメッセージは、そのメッセージを必要する段階の人に宛てられています。


このブログのように、全体目線と個人目線の両面からアプローチしている場合は、言葉の理解を平面的にせずに、立体的にとらえて使いこなしてもらえればと思います。



たくさんの人が彼女を応援してくれて嬉しかったです。

きっとご本人の励ましになっていると思います。






最後まで読んでくれてありがとう。







・・・・・・



【お知らせ】


※「The禅サンガ」へのお申し込みは明日までです。


※7月25日からの「引き寄せの法則 in天河」は残り2名です。


※天河に先立ち、7月21に東京で奥平亜美衣さんとのコラボ講演があります。天河に来られない人はもちろん、来られる人も予習としてご利用ください。後日お申込み受付を開始します。





  


Posted by Toshiro Abe at 09:46Comments(26)

2019年06月26日

トンネルのムコウ

来てくれてありがとう。







当然のことながら、僕は医者ではないので病は治せません。

それでは医者が病を治せるかと言えば、患部を切り取ったり、薬で症状を抑えたりすることはできますが、治すのは当人の中にある先天的な力(自然治癒力)ではないでしょうか。


であれば、どのようにして「その力」を高めるかということが、通常の医療に加えて大切なことだと思います。


「その力」は無限であり、いつも無条件に全ての存在を生かしています。

しかしそれを受ける側が、なんらかの理由によって「その力」を妨げていれば、力は発揮されません。



「その力」を妨げている原因の中に、間違った自己認識があります。


いつも言うように、そもそも自己という感覚はマインドが作りだした錯覚です。

こう言われてもピンとこない人もいますが、これは内なる経験として明らかなことであり、仏教が伝えてきた根本もそこにあります。


しかしこの世界を生きるためには「私」という主体が必要なので、誰もが私を作りだすのですが、その際に、育つ環境やその後の経験によって、誤った自己認識を持ってしまうことが多々あるのです。


この誤った自己認識が、誤った考え方を作り、その結果が病の発症につながるということはあると思っています。



自我は本当の自分ではなく、生き残るために後天的に作りだしたものです。


本当の自分という定義は難しいのですが、先天的に与えられたその人の生き方や役目を生きた時は、本当の自分を生きていると言えるでしょう。

そのように考えると、病は本当の自分を生きていないというシグナルのようなものかもしれません。



いままで講演会などで病についての質問を受けた時は、僕には答えられないと言ってきました。

その理由は、僕自身がこの歳になるまで、病気らしい病気をしたことがないので、その人の痛みや苦しみを同じようには分かってあげられてないと思ったからです。


しかしたとえ病の経験はなくても、僕なりの考えを伝えることはできるはずです。

その考えは間違っているかもしれませんが、当たっているかもしれません。

であれば、長く通院してきて改善が見られない人に、心理面からアプローチすることも無駄ではないと思います。





病気をしたことがない自分には、実際に病に苦しむ人にアドバイスする資格などないと思ってきましたが、何故自分が病むことなく生きてこられたのかは、そのことを人に知らしめるためだった可能性もあります。


たとえば、自分は自分だという態度で生きてきたこと。

人が何と言おうと、自分の心のままに生きてきたということ。

社会の常識や通念に惑わされることなく、生きたいように生きてきたということ。


だから身体が喜んでいるのだと思います。



まだまだ他にもありますが、この例一つとっても、お前にはできても自分には無理だと信じている人がたくさんいます。


そんな誤解を解いていくことは、やりがいがあります。














  


Posted by Toshiro Abe at 10:59Comments(29)

2019年06月25日

回復祈願

来てくれてありがとう。







昨日、一人の女性と長く話をしていました。

その人はたくさんの病に侵されてきた人で、いまも体調不良が続き、一日ほぼ24時間、ベッドに横たわったままの暮らしが続いています。

そんな彼女が病を押して僕に会いに来たのですから、それはある意味、命がけのことだったのかもしれません。



ご本人の許可を得て少しお話しします。


お会いしたきっかけは、二週間ほど前にこのブログで、「人はいかようにも変われる」と書いたところ、コメントに「病気を繰り返す自分も変われますか」とあったので、どういう状況なのか知りたくてメールをくれるように伝えました。


すると、その方ではなく、他の方からメールが入ってきたのです。

その内容を読んだとき、僕は役に立てるのではないかと直感しました。


メール交換だけでは限界があるので、住所をお伺いすると都内だと言います。

だったらお会いしましょうとなったわけです。


もちろん仕事に就くこともできず、ほぼ寝たきりの生活が続いているそうで、170cm近い身長で、体重は40kgまで落ちています。

やっと生きている感じが伝わってきました。


でも話を進めているうちに、彼女の顔に光が差す瞬間が何度かあり、対話のエネルギーが急に変わっていきました。



そのやりとりで思ったのは、やはり病はいろいろなことに対する「考え方」が大きく影響しているということです。

彼女の話を聞いていると、これでは病気になるだろうなと思いました。


肉体と精神は繋がっていて、「心身」という一つのものだと思います。

だから精神のあり方というのは凄く重要なのです。



対話が続き、彼女から伝わった彼女の個性を活かして、新しい考え方を採用してもらいました。

さらにはその考え方が定着するように、行動レベルでの宿題をいくつか出させてもらいました。


3週間かけてその宿題をやった結果、ほんの少しでも変化の兆しが見られるとしたら、新しい方向で生きていく自信にもなると思います。







昨夜、ご本人からメールを頂きました。


本日はお時間を割いてセッションして下さいましてありがとうございました。

今、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

伺う直前まで体調どん底の状態で、しかもビビりなので最初、緊張のあまりクラクラしましたが、帰路、驚くほど軽やかな気持ちになっていました。

自分の虚弱体質や家庭環境のことを深刻に考えていましたけど、本当は何かもっと簡単というか、シンプルな生き方があるのかもしれないと思いました。


中略

寝たきりの体調について、まるで植物人間ではないかと思っていて、生きていたくない気持ちが湧き出てくることも正直ありました。

そんなタイミングで、私のメールを気に留めて下さり、救われました。


後略



メールの後半には、僕との対話で気づいたことや、その気づきを応用した新しい考え方や生き方が綴られていました。


もしこのことで、20年間苦しんできた彼女の身体が回復に向かうとしたら、僕の方向性もあながち間違っていないことになります。



自分の虚弱体質や家庭環境のことを深刻に考えていましたけど、本当は何かもっと簡単というか、シンプルな生き方があるのかもしれないと思いました。


まさにこういうこと。

実はものすごくシンプルなことなのです。



期せずして、これが僕の個人セッション第一号になりました。

瞑想やワークショップの規模が大きくなっているので、個人セッションは無理と決めていましたが、個人でしか伝えられないものもあり、これは大切なことだと考え始めています。



彼女の今後の経過を見守りつつ、またここでご報告します。


みなさんも彼女を応援してくださいね。















  


Posted by Toshiro Abe at 10:41Comments(50)

2019年06月24日

The禅サンガ

来てくれてありがとう。







今日は7月1日から始まるThe禅サンガ8期募集のお知らせです。

禅という言葉ばかりが目立ってしまいますが、このブログで伝え続けていることを立体的に理解してもらうのがサンガの目的です。

人生に巻き込まれやすい人には、いつもそばにいるガイドのような存在になります。





このブログに真実を感じ、大切に思ってくれている人には全員入ってもらいたいというのが正直な気持ちです。

参加費は月額3000円ですが、たとえば天河神社で行われるリトリートの割引分だけで半年間の月謝が賄えるようになっています。


今日は紹介文を書こうとあれこれ考えましたが、最近やったWeb講演の中で、なぜいま禅なのかということに言及していて、こちらのほうがストレートに伝わるので、今日から数日間の募集期間だけ一般公開させてもらいます。


やや過激ですが、ライブだということで(笑)







The禅サンガへのお申し込みは6月24日~27日まで。

コチラからお入りください。






サンガに入れる人も、入れない人も、これからも頑張れよと思ってくれる人はクリックしてください。








  


Posted by Toshiro Abe at 10:07Comments(15)

2019年06月23日

所有

来てくれてありがとう。







我々は

いかに多くを所有するか

いかに多くをコントロールするか

ということを教えられてきました。



でも所有できるのは物だけです。


家や車を所有することはできても、生きている人間を所有することはできません。


だから人は、相手を所有するために、相手を物に変えます。

物なら所有できるから。


女は「妻」になり


男は「夫」になります。


妻や夫とは、社会上の役割であり、役割は物質的なものです。

そうなれば所有が可能です。


ところが実際には、生きている人間を所有することはできません。

ここに多くの摩擦が生じています。


世の中が惨めなのは、人間を物に貶めているからです。




愛も所有できません。

なぜなら、愛は人間より大きなものだから。

人間にできるのは、愛を所有することではなく愛に所有されることです。


所有されることが、南無の精神、サレンダーです。


いったん降参(サレンダー)が起きれば、とてつもなく大きなエネルギーが発動します。

皮肉なことに、人は降参することによって無限の力と一つになるのです。


全体を所有しようとするのではなく、全体に所有されること。


愛を所有しようとするのではなく、愛に所有されること。


そうやって全体と一つになっていくのです。


すると、何かを成す時は、自分が成すのではなく全体が成していきます。

神の仕事は、このようにして起きていくのです。


自分がやっているのではありません。




また書きます。



よかったらクリックしてください。





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【お知らせ】


7月の瞑想伝授は、博多と東京です。

詳細はコチラから。


※明日から禅サンガの新規募集を始めます。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:32Comments(33)

2019年06月22日

南無の精神

来てくれてありがとう。








今日の記事は、自立の精神で頑張りすぎて、疲れを感じだした人に宛てています。

自力で問題を解決しようとしてきた人です。


抵抗があるかもしれませんが、自立の次の段階のキーワードは「信頼」です。



まず最初に伝えたいことは

「こうであってはいけない」という思いが、不幸を作り出しているということ。


わかりますか。


もしすべてに「これでいい」と思えたら、不幸は消えています。




さて、そもそも


「こうであってはいけない」と誰に言っているんでしょう。



現象を創り出している全体(神)にです。

全体(神)の現れに対して、こうあるべきだ、べきじゃないって対抗しているのです。



対抗しても勝ち目はありません。


部分が全体に勝ったなんて話は聞いたことがありません。

それでも人は諦めきれず、大抵の人の人生は、欲求不満と共に終りを迎えることになります。





いさぎよく対抗心を捨てること。


完全に負けきること。


それがサレンダー。


仏教語では「南無」


宇宙を動かす阿弥陀様に、完全に負けきるという宣言。



「南無阿弥陀仏」



ただ呪文のように言うのではなく、完全に委ねて負け切ったとき、大いなる救いが訪れます。


それが阿弥陀の救済です。



西洋の

「信じる者は救われる」

という言葉も同じことを言っていますが、東洋の南無は、より深く真理を突いています。



負けきって、完全に身を投げ打ったとしても、何一つ失うものはありません。


最初から持ち合わせていなかった「自分」というやつが消え去るだけです。


その「自分」と共に、そこにまとわりついていたストーリーも消え、人は初めてただあるがままのいまに寛ぐことが出来ます。


禅サンガで向禅師が毎朝唱える「南無阿弥陀仏」は、そんなことを意味しています。




今日は一日、南無の精神で生きてみましょう。


そしてその時その時、与えられた状況に対応していく。



人生はシンプルです。





よければクリックしt下さい。










  


Posted by Toshiro Abe at 09:40Comments(19)

2019年06月21日

ミッション・インポシブル 3

来てくれてありがとう。








リゾートホテルと共にやりたいのは、天河にセミナールームとセミナー合宿のための施設を作ること。


いまはワークのたびに神社の参集殿をお借りして、宿泊は民宿を利用させてもらっていますが、できることならいつでも自由に使える施設を作り、宿泊も心配なくできたらと思います。



各部屋には通常の設備の他に瞑想スペースがあって、風と水と空気と星と木々の緑と一つになるような工夫がなされている。


自分に帰るスペースだから、基本はシングル使用。


セミナー室以外にも、広い瞑想スペースが解放されている。



そんな施設ができれば、天河で自分のワークを開催したい人もいるはずで、そのようなグループにも利用してもらえるのではと思います。


この計画はリゾートホテルの後と思っていましたが、もしかしたらこちらが先かもしれません。



そんなことも含めて、どうなるかはすべては決まっていると思います。

思った通りに事が運ばなくても、違う形で起こり始め、実際に願ったものよりもっといいものが引き寄せられるケースがほとんどです。


そうやって一歩ずつ進みながら、やがては壮大だと思っていたことがいつの間にか実現しているのです。





何かが始まる時って、まずは誰かの頭の中に構想が生まれて、その構想を共有する人が出てきて、いつのまにか必要なことが行われている。

一人のコントロール下で動くのではなく、自然と人が集まってきてスムーズに動き出す。


しかも実現することを心のどこかで知っている。


そして実現していく。




そのように見てみると、このプロセスに必要なのは、



1、全体が動き出すような願望を持つこと。


全体が動き出すような願望とは、個人的な願いで構いません。

ただそれをすることで、誰もがプラスの経験をするということが大切です。

それは禅の世界で「勝縁」と呼ばれているもので、引き寄せの法則の基本です。


そして高いレベルの願望を持つこと。

たとえば僕のケースなら、ホテルやセミナー施設を作りたいわけではなく、あの場所が人間の意識の進化を促すという本来の目的のために使われるようにしたいのです。



2、実現を疑わないこと。

疑わないと言うよりは、ことが成就することを知っているという感覚です。

まるで予知によって未来を見ていると感じることもあります。



これらは「やり方」ではありません。

むしろ「あり方」に影響されています。



ワクワクするのは当然で、そんな情熱がある一方、静かな理解がプロセス全体に浸透していて、あとはやる時にやることをやるだけです。


全体が全体を動かしながら、自然に事が成就していきます。



何を望むかは人によって違いますが、セオリーは同じ。



どうなるか一緒に見届けてください(^^)










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【お知らせ】

禅サンガへの新規加入お申し込みは、24日月曜日から始めます。






  


Posted by Toshiro Abe at 09:32Comments(20)

2019年06月20日

観自在

来てくれてありがとう。








ヨシタキさんの質問

仕事上で判断ミスを重ね、会社が大変な状況になってしまいました。

20年前にも同様の失敗の経験ありますが、その時はそれほど責任ある立場ではなかったので、今回よりはましだったように思います。

こういう時も「空」を感じ取り、無理に現実-色の世界ことを変えようとせず
リラックスして、今にくつろぐべきでしょうが、

頭で理解していたのみなので、ここしばらくは睡眠導入剤を飲まないと寝付けなくなってしまいました。

何かアドバイスを頂ければ、とてもありがたいと思います。



たいていのストーリーはこういう感じですよね。


1、いまこういうことが起きている


2、これは大変なことだ


3、解決しなければ


4、解決できないかもしれない



で、眠れなくなる。

ヨシタキさんはいま、夜も眠れないくらいの怖い映画を見ているようです。


最初に言えるのは、その現実(ヨシタキさんから見た現実)以外にも、違う見方で現実を捉えることもできたということ。


ヨシタキさんのこの件に関するストーリーの中には、いままでの自分の考え方や感じ方が満載されています。


そして自分とはこういう人間だというイメージと、将来への考え方、会社や他者への感じ方、それらがセットになってヨシタキさんの現実を作っているのです。


とは言うものの、その現実は完全に肌に密着して生々しく感じるので、違う見方ができるなどとは思えないことでしょう。



こういう時も「空」を感じ取り、無理に現実-色の世界ことを変えようとせず、リラックスして、今にくつろぐべきでしょうが。


寛いで何もするなとは言いません。

でももし寛ぐことができるなら、そうすることです。


瞑想習慣がある人は、現実と自分との間に空間を持つことができ、あまり現実に巻き込まれなくなります。


瞑想伝授後に一番多く聞かれるのがそのような感想です。


自分と現実との間にできた空間によって、自由な角度からものを観ることが可能になります。


反対に現実が自分に密着していると、自分が創り出したストーリー以外に逃げ場がなくなり、やがては不安やストレスに圧倒されてしまいます。



まずは気持ちの余裕を作り出し、そこから一番いいと思ったことを一つずつやっていくことです。


あとは起きることが起きていきますが、重要なのは起きる内容ではなく、いつもどんな自分で在るのかということ。



いま、どんな自分を創造しているのか。


それが人生の全てです。







素直な疑問さん


存在の秘密のすべてであり、真理のすべてである「いまここ」と、

昨日の記事に書かれてあった「とてつもない壮大な存在」「大きなエネルギー」とは、同じものなのですか?

もし同じものなら、ストップ瞑想で、「いまここ」に戻ると同時に、

「とてつもない壮大な存在」にも戻れるってことですか?




はい、同じものです。


「とてつもない」とか「大いなる」という言葉には、何かとの比較のようなニュアンスがありますが、実際この宇宙には「それ」しか存在せず、存在するもの全てということで「大いなる」と表現しています。


「大いなるそれ」はいつも「いまここ」にあります。


ここで最も重要なことは、「大いなるそれ」こそが本当のアナタだということ。


「汝それなり!」


これが空(くう)の体験です。















  


Posted by Toshiro Abe at 09:54Comments(17)

2019年06月19日

空(くう)へのジャンプ

来てくれてありがとう。








昨日の続きを書く前に、

色(しき)の世界の話が続いているので、今日はバランスを取るうえでも空(くう)の話をしましょう。


最近、瞑想や禅サンガで会う人からよく「ストップ瞑想」の話が出ます。


この技法は、色の世界にどっぷり浸かっている時(大抵の時間は浸かっています)、間髪入れずに空の世界を感じとるというものです。



これは理屈ではなく実践です。


「空とは何か」ということを何年間も勉強するのではなく、瞬時のうちにそこに帰る。



いつだってそれは、いまここにあります。


だからどんな時にも瞬時に帰ることが出来るのです。



瞬時というのは時間がかからないということ。


この世では何をやっても時間がかかりますが、いまここに帰ってくることだけは時間がかかりません。

言っていること分かりますか?




通常人間は、連続性の中で生きています。

行為も連続していますし、思考も連続しています。

内容は変わっていくのですが、途切れることはありません。

人は何かをしないではいられないのです。


一人でいる時も、スマホを覗いたり、本や新聞を手に取ったり、あるいはぼんやり考え事をしたり。


そして何もしなくなれば眠ってしまいます。



何もせずに、ただあなたの本質である純粋意識でいる時、存在の全てがあなたに開示されます。

このあるがままのいまこそが、存在の秘密の全てであり、真理の全てです。


すでにそれは我々の前に明らかなのですが、行為に憑りつかれたマインドによって見えなくなっています。



一日に少しの時間でもいいから、そのマインドを横に置いて、無為の中にとどまる。


これが瞑想であり坐禅です。



生きる上で最も大切なこの時間は、行為の次元から見れば無意味に見えます。

行為の次元(色)は、有意義に合理的に成果を出すことに目が向いているからです。


そんな世界から離れて、いきなり空の次元に帰ってみる。


すると、実際には何も起きていないことが分かります。




このストップ瞑想が実践できるようになるまでには、まずは通常の瞑想が必要かもしれません。

でないとストップした後で、いまここにピタリと留まることが難しいことでしょう。



空の次元こそが真実であり実存です。


空はいつも「いまここ」にあり、色は過去と未来の時間の中にあります。

したがって色の世界が空に出会うことは決してありません。



我々は、ただジャンプするだけ。

ストップ瞑想とは、色から空へのジャンプです。



ストップ!!



そうやってエネルギーを補充して、また活動の世界に入っていきましょう。




これはストレスを持ち運ばない生き方の秘訣です。















  


Posted by Toshiro Abe at 09:36Comments(19)

2019年06月18日

ミッション・インポシブル 2

来てくれてありがとう。







村の名前は天川村。

「川」の字を使います。


「天河」と表記する時は、天河神社を指すこともあれば、神社周辺の天川村坪内地区を指すこともあります。


天川村全体に神気が漂っていますが、天河と呼ばれる坪内地区はまさにご神域。

先日紹介した航空写真が坪内地区です。






天河は、吉野、熊野、高野という三大霊地を結ぶ三角形の重心に位置します。

標高は約600mで、気圧は母親の胎内と同じだと聞いたことがあります。


坪内全体が子宮のような形状をしていて、この地には火の鳥伝説があることから、たまたま見たNHKのEテレの番組で、天河は再誕の地として紹介されていました。



大昔から「呼ばれた人しか行けない場所」と言われてきたのは、険しい山の中に位置し、道なき道を歩まなければならないこともあったでしょうが、実際にそんな神の計らいがあるのではと思ったりもします。

いくら行きたくてもアクシデントに見舞われてしまう人がいる一方で、夢の中に天河が現れ、いてもたってもいられずにやってきたと言う人を何人も知っています。


天河を訪れる人には何らかの役目を持った人が多く、また天河で偶然出会った人との出会いにも意味があったりします。



そんな天河には昔から多くの宗教者や歴史的人物が参っています。


記録として残っているだけでも


空海、最澄、法然、親鸞、日蓮など各宗派の宗祖、さらには天神となった菅原道真。


なぜ彼らはそれぞれに、命がけで天河の地を目指したのか。

そこには単なる信仰心を超えた何かがあるのではないでしょうか。


それが何であるかは、これからも探っていきます。


太古の昔から天河は神域として崇められてきましたが、本殿を最初に建てたのは天武天皇で、南北朝時代は後醍醐天皇の南朝の御所が、本殿の東側にありました。


江戸時代までは神官100名、僧侶200名が常住する規模を誇っていましたが、明治の神仏分離令で解体され、近代になって天河が完全に忘れ去られていたころにも、松下幸之助を始めとする財界の大物たち、佐藤栄作など何人もの総理大臣が、何処で知ったのか訪れて祈りを捧げています。

当時は道も整備されていなかったので、いまの何倍もの時間がかかったはずです。




さて僕は、そもそも神が何なのかは知りません。

実はいまも不信心者で、正直言うとそれほど神道に関心があるわけではないのです。


ただ、あの場所は絶対に何かがあります。

言葉に表すことができないエネルギーが満ちていて、そういうことに鈍感な人も、何日か滞在すれば見えない何かを感じ始めます。

それは単なるエネルギーではなく、とてつもなく大きな存在で、しかも確かな意志を持っている。

やはり神としか呼びようのないものなのでしょう。


天河は長い歴史の中で、様々に姿を変えながらも、その霊力は衰えることなくいまに至っているのです。



僕がやりたいことは21世紀の天河を作ること。

訪れた人の意識変革をサポートする施設を作り、ゆくゆくは天河の地を、新しい人類による新しい文明のメッカにすることです。

それは祈りと瞑想の場になることでしょう。


その中心には天河神社がありますが、神社はそこのエネルギーと人を繋げるための完成されたひとつの仕掛けに過ぎません。

天河神社の神事には、ずば抜けた神秘性とインパクトがありますが、乱暴な言い方をすると、たとえ神社が無くても、あの地域自体が重要なのです。


宮司さんは言葉には出しませんが、心の底では僕と同じ考えだと思います。


柿坂神酒之祐さんは宗教を超えた宗教家だから、こんなに気が合うのだと思っています。


荒唐無稽な計画に思うかもしれませんが、どんな壮大なプロジェクトも最初は一人の人間の頭の中から生まれるのです。



まず初めに着手したいのは、いつまでもいたくなるようなリゾート風の一流ホテルの建設。

自然と一体となることがテーマで、プライバシーが守られ、居住性が高く美しいホテルです。


天河神社は一本一億円近い樹齢500年以上の吉野ヒノキを何十本も使って建てられました。

もう誰も建てられません。

そこまでの木が無いからです。


しかしホテルはホテルで、超一級の本殿にふさわしい建物にしたいと考えています。



これが僕の構想です。


もう少し宮司さんとも話を進めてから公表しようと思いましたが、何かに押されるようにして今日の記事に書かせてもらいました。


まだまだ話したいことがあるので、また書いてみます。




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Posted by Toshiro Abe at 09:18Comments(43)

2019年06月17日

ミッション・インポシブル

昨夜、滞在中のホテルに2人の若者とその中の一人のお母さんが訪ねてきました。

2人の若者は一瞥体験をしたことで人生が逆転してしまって、大手企業を辞めて放浪の道を選んで、生きる目的は人類の意識を向上させることだって。


なんだか昔の自分を見ているみたいです。

僕を親父のように慕ってくれて、僕のビジョンを手伝いたいと言う。


いきなり息子が二人増えてしまいました。


見性後に僕が生きた30年よりも、彼らはずっとスムーズに生きていける気がしました。


まずは向禅師のもとで境内の草むしりの修業から始めたいとのこと。

若いっていいなァ。


そんな僕に対して、人生の先輩たちは

「まだまだ若いんだから、何でもできるね」

なんてことを言う。


若さって単なる比較なんですね。

そんな先輩たちでさえ、100歳の老翁から見れば鼻たれ小僧なんでしょう。



だからでしょうか。

朝方、抑えきれない衝動が走りました。


機は熟した。

よし、GO!だって。


こういう時は即行動というのが昔からの流儀です。


そこで思いました。

どなたか、建物の完成予想図を描ける人はいますか。


見えない世界と繋がって、本当の自分に帰っていくための施設を創りたいのです。

日本だけではなく世界に紹介していけるような、妥協のない施設です。

大げさな言い方ですが、いたってマジ。


業者を探すこともできますが、まずはこのブログの読者に頼みたいと思いました。

できたら僕のメッセージに共感してくれる人と組みたいのです。


打ち合わせを重ねて、大まかな一枚の絵にしてもらえたらありがたいです。

あなたの力を貸してください。


協力してくれる人は

imacocoa@nifty.com

までメールをくれますか。








何だかわからなくても、応援してくれる人はクリックをお願いします。

あなたの一票が励みになります。






  


Posted by Toshiro Abe at 09:03Comments(28)

2019年06月16日

長屋の隠居のお説教

来てくれてありがとう。







朝から晩まで、人に好かれようとしてやっていることは幾つくらいあるでしょうか。


たとえば、お愛相笑いとか、思ってもいないことを言うとか。

気づいていないだけで、一日中やっているのかもしれません。


人はどうやって愛されるかということをテーマに自分を作り出してきたように思います。

楽しい人をやったり、親切を売りにしたり、強い自分でいようとしたり、成功を追い求めたり、正しくまじめに生きようとしたり、幼少のころから人それぞれのやり方で愛を得ようとしてきました。


なんとか上手くいってきた人は、いまだにそのやり方で生きていることでしょう。


反対に上手くいかなかった人は、やがて自分のほうから人を避けるようになり、引きこもりに入ったりもします。

あるいはわざと問題を起こして、自分に注目が集まるようにする場合もあります。


現れ方は違っていても、その根っこにある衝動はみんな同じようなものです。


そもそも好かれようとしなくてもいいということに気づくと、一日の質がずいぶん変わってきます。

余計なサービスをしなくてもよくなって、自分に寛ぎ始めるのです。

そしてそこから本来の自分が現れてきたりもします。


昨日は物事に対する自分の反応を変えるために、なりたい人を演じてみる話をしましたが、あるがままの自分をイキイキ生きるに越したことはありません。


中には他者という鏡の中で、すっかり自分を忘れてしまった人もいて、やっぱり瞑想は大切だと思います。


昨日から大阪で経験者のための瞑想伝授をしていますが、多くの人から人生が変わったという報告を聞けて嬉しく思いました。


人が喜んでくれると嬉しいですが、それは喜ばそうとして自分を演じたのとは違います。


好かれようとするのではなく、ただ与えること。

これがもう一つの生きる極意だと思います。


こんなことを言えるようになったのは自分が歳を取ったからでしょう。

長く生きてわかることって結構あるんですよ。


そうやってまたひとつ楽になっていくのだから、歳をとるのもまんざらじゃありません。


最近は長屋のご隠居さんになった気分です。

秋からは個人的な相談にも乗っていこうと思っています。






イカ天さんの質問


以前の記事で阿部さんは、天河神社にある聖天さんと韋駄天さんをつなぐ道を造りたいと書いていましたね。

その道ができたら天河神社に行こうかな?と考えています。



よく覚えていてくれましたね。

実は着々と進んでいます。


すでに聖天さんに上がる道が新しくなり、年末には韋駄天さんの祠が新しくなってご遷宮をします。

その後、聖天から韋駄天に続く遊歩道が整備されていく予定です。


なぜ聖天と韋駄天なのかと言うと、この二人はインドの最高神シヴァの長男と次男で、二人のパワーが合体することで、個人レベルでは願いが早く叶うようになり、全体レベルでは愛が地上に広まっていくと言われているからです。

ほとんど忘れ去られようとしていた韋駄天さんが、大河ドラマのタイトルになったことで、名前だけは知られるようになりましたね。

これもご神意だと思っています。


今回の「引き寄せの法則 in天河」でも、この二つの神様をみんなでお参りしたいと考えています。


弁天、聖天、韋駄天

時代を貫いて天川村の坪内地区に漂う神気を、21世紀を生きる人達にどう活用していくか、これが人生最後のお仕事のような気がしています。



クリックして拡大



クリックして拡大・宮下富美夫作





最後まで読んでくれてありがとう。












  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(24)

2019年06月15日

フリを生きる

来てくれてありがとう。







今日は子供にも分かるけれど、大人になったいまでも使える簡単な生き方メソッドの話。


たとえば仕事が上手く行かなくて、不安で夜も寝られないなんて人がいたとします。

ところがその一方で、同じような状況が起きていても、それを前向きな課題ととらえ、むしろイキイキしだす人もいます。


仕事が思ったような成果を生まないという現実は同じでも、その出来事に対する感じ方は全く違ってきます。


どっちがいいですか?

起きている出来事自体は変わらなくても、その出来事に対してどんな反応をするのかは、その気になれば変えることができるのです。


じゃ、どうやって変えたらいいんでしょう。


反応を直接変えようとしても難しい。



そこで一つのやり方ですが・・・


もし不安にさいなまれている自分を変えたいのであれば、まずはどう変わりたいのかを決めます。

たとえば、どんなことにも動じないで、しっかりいまを生きているような人物でいたいとか。


次に、そのように生きているモデルを探すのです。

それは歴史上の人物でもいいし、あなたの周りにいる憧れの人でもいいし、あるいは架空のヒーローでも構いません。

単にイメージをお借りするだけだから。


次に、もしその人だったら、いまのこの現状をどうのように感じ、どのように生きていくのかを想像します。


もし自分を小さな人間だと思っているなら、まったく反対のキャラを思い描きます。


そしてその人になったフリをして、生き始めるのです。

立ち振る舞いや、他人に対する態度、声のトーンや雰囲気までも。


もちろん演技です。


そんなもの偽物じゃないかと思うかもしれませんが、実はいまも、あなたは自分というキャラを無意識に演じているのに、すっかりその演技と同化して気づかないだけです。



新しいキャラを演じるのは最初のうちはぎこちなく、やや白々しい感じがするかもしれませんが、何ごとも練習で、そのうちそんなキャラとの自己同化が始まっていきます。


すると時間の問題で、たとえば仕事が上手く行かないときに出てくる感情や考え方が変わってくるのです。


一日中そんな新しい自分でいるように実践してみてください。

周囲の人は、まったくと言っていいほど、あなたの新しい試みに気づきません。

と言うのも人は他者の変化よりも、自分のことで精いっぱいで、思っているほどあなたの変化に関心があるわけではないからです。



あなたはどんな人のフリをしますか。





このやり方は昔よく使いましたが、結構役に立ちますよ。

感じ方や考え方まで影響してくるのだから、長く停滞した気運を変えるためにもやらない手はないですね。



「変わるわよ」

の一言で、不安や心配から遠ざかるあなたを生きてください。


昨日も伝えたように、人生は考え方次第でいかようにもなることを忘れないでね。





何かを感じたらクリックしてください。








  


Posted by Toshiro Abe at 08:45Comments(24)

2019年06月14日

生き方

来てくれてありがとう。







人は自分の意志で、人生をいかようにも創り出していける。

その一方で起きることは全て決まっていて、起きることしか起きない。


この二つの真実が同時に起きているのが、人生の不思議なところだと思います。

相矛盾する二つの真実を何度か解説してきましたが、結局はどちらも真実なのだから、時と場合に合わせて使い分ければいいだけの話です。


前者はこれから先の人生に役立つし、後者は終わってしまったことへの完了として役立ちます。



かくいう僕も、何度も生き方を変えてきましたし、その時の直観に従って活動内容も変えてきました。

というより、その時一番やりたいことをやってきたという感じです。


リスクを覚悟し、他者から批判されても動じない性格のおかげか、それなりの成功を積んできました。


この先、大きなプロジェクトにチャレンジしますが、正直言うとちょっと怖い(^^;)

でもこれは新しいことにチャレンジするときに必ず出てくる感情なので慣れています。


どうやって不安を克服するかと言うと、実は克服していません。

不安を抱えたまま、一歩足を踏み出すだけです。


新しいことにチャレンジする時は、不安がある人と無い人がいるのではなく、不安でも前に進む人と、不安だからやめてしまう人がいるだけではないでしょうか。



怖れと不安を両脇に抱えて

えいっ!!


人生はシンプルだと思います。



話は変わりますが、時々テレビでIQを調べるクイズ番組みたいなのがありますよね。

あれをやってみて分かるのは、僕のIQはかなり低いということ。


しかも努力が嫌いで、面倒なこともお断りです。


子供のころから勉強は苦手で、しかも運動神経も人並み以下。

文武両ダメです。


なのに何がうまくいってきたのか。


顔が可愛かったからだろうか。

(ここ笑うとこ)


いやそうじゃなく、たぶん根拠のない自信が心の底に流れていて、それが功を奏したような気がします。







人生は考え方次第です。


自分自身への考え方


起きた出来事への考え方


社会への考え方


正しさへの考え方




とここまで書いてきて、いまメールが来ました。


数日前に

「病を繰り返しているけれど、治すことはできるか」

と質問した人がいましたね。


僕はその時、「個人的にメールください」と返事を書きました。


すると、その人ではなく、同じような悩みを持つ他の人からメールがきました。

そこからメールのやり取りが始まり、いま僕の中ではその方の希望をかなえてあげられる確信が芽生えてきています。


この確信には根拠があります。

人生は考え方次第だということを証明してみようと思います。


ご本人の許可が得られたら、この先のプロセスを紹介していきますね。



いまから瞑想伝授で大阪に向かいます。


今回も早々の満席、ありがとうございます。

お一人お一人との出会いを心から感謝しています。


そしてこの人生の流れにも感謝です。



あなたの心が今日も安らかでありますように。



よかったらクリックしてください。






・・・・・・・・・・・・


【お知らせ】


奥平亜美衣さんと、天河で引き寄せの合宿をします。

7月25日から3泊4日間です。

30年前に神前で感得したあの感覚こそが引き寄せの法則の奥義なのだと思っています。

本にも書きましたが、あの時は不可能に見えたことが2か月以内にすべて実現しました。


それはともかく、参加希望の方はコチラからお入りください。

引き寄せの重要ポイントを、奥平さんとショート動画で話しています。




  


Posted by Toshiro Abe at 10:15Comments(26)

2019年06月13日

変わるわよ 2

来てくれてありがとう。






冒頭に付け足しです。

同じような疑問を持つ人もいるでしょうから、書き加えておきます。

ついいましがた、メールで次のような質問が届きました。


いつもブログを楽しみに拝見させて頂いています。有難うございます。

そこでお聞きしたいのですが、ここ最近自分で向かう所を決める! と言う様な内容の事を書かれている様に思うのですが? 

自分で出来る事は何も無く 事は縁によって起こって来る! 起きる事しか起きない! 自由意志は無い! のではなかったのでしょうか?

出来ましたらこの辺りの事を教えて頂けると幸いです。



究極の真実から言えばその通りです。

そもそも、いまここの空(くう)の次元から見れば何も起きていません。

色(しき)と呼ばれる現象界は、イリュージョンのようなものなのです。


なぜ究極のメッセージを送ってきたかと言えば、罪悪感や後悔にさいなまれている人が多くいるからです。

そのような人には、何も変えられないし、起きることしか起きなかったという真実は気を楽にしてくれますし、役に立ちます。


と同時に、いまあなたはその気になれば深呼吸をすることもできるし、走りだすこともできるはずです。

もちろん、あなたの意志でそうしたとしても、それさえも起こるべくして起こることにすぎませんが、自分がやったという気にはなれます。


空の真実を知った後で、色の世界をどう生きるか。

これが今年の活動のテーマです。

もちろんこの活動さえも、そうなることになっていたということですが・・・



さてそんなことを踏まえながらも、今日の記事を自分自身を調べ直す手がかりにしてみてください。



昨日、自分が抱えている自己イメージは、いかようにでも変えることができると言いました。


その一方で、生まれながらの気質は変わる事がありません。

気質は個性の基礎となるものであり、変える必要もなく、どの気質も宝になりえますし、同じ気質が手に負えない状態を作り出すこともあります。


例えば正しくまっすぐに生きようとする人は、それによって豊かな人生を作り出すことができますが、その性質が強く出すぎてしまうと、内側に怒りを溜めやすく、やがては鬱と呼ばれる症状に陥ることもあります。


あるいは生まれつき親切な人は、多くの人から好かれることができても、それが行き過ぎてしまうと、おせっかいになったり、八方美人と言われかねません。


生まれつき積極的な人は、うっかりすればでしゃばりになってしまいますし、消極的な性格の人は慎重にものを考える一方で、考えすぎて行動が止まりがちです。


このように人の欠点というのは、その人の良さが出すぎてしまった場合に出てきます。


ここも大切なポイントなので、ビジョンに向かって新しい自分を作り上げていく上で知っておくべきものです。



たとえ気質を変えることができなくても、行動は変えることができます。

消極的な人が積極的に生きたいのであれば、消極的な気質を抱えながら積極的に生きればいいだけの話です。


そもそも、積極的が良くて消極的が悪いと言うのも刷り込まれた観念であって、一概に決めつけることはできません。






ビジョンに向かって新しい自己イメージを構築していく時、何を変えて何を変えなくていいのかは誰もが心の底で知っています。

ただこの点が、半生の中で誤解とともに混乱してしまっているので、まずはその混乱を整えていくことが先決となります。


変えていくべきは、出来事を解釈するときの前提となっている人生観や自分観のようなものです。

それによってビジョンに向かうのがたやすくなり、人生で得られるものや感じる価値が大きく変わり始めます。


人それぞれにどう生きたら幸せかという独自の生き方があり、それを探し出すことなのです。


ところが多くの場合、与えられた環境や経験によって、間違った信念や観念を作り出してしまい、それを抱えたままいくら努力しても思うような人生が生きられないでいるのです。


したがって与えられた気質の良さをうまく使いながら、変えるべきところは変えていくということになります。




チエさんからもらいました。


質問です。

病気とか繰り返すのも、自分が作りあげたものですか?

これも、かえられますか?


その可能性は大きいです。

執拗な思い込みや人生観のズレが、病に繋がっていることはあり得ます。


これについては個人的に扱っていくことなので、もしよければメールをください。





それではもう一度


イヤよ、イヤよ、イヤよ見つめちゃイヤ!

変わるわよ!!








普段クリックしないあなたに変わってほしい







  


Posted by Toshiro Abe at 08:28Comments(27)

2019年06月12日

変わるわよ

来てくれてありがとう。







みんな難しく考えすぎているんじゃないだろうか。

もしいまの自分が嫌なら、違う自分になればいい。


あなたは元々どんな自分でもないから、どんな自分にもなれる。

「そうなる」って決めるだけだ。


え?そんな簡単な話だったら苦労はしないって?


どうして苦労するの?

ただ決めるだけなのに。



阿部の話をたくさん聞いて、阿部の本もたくさん読んで、そもそも「自分」なんてものは単なる思考の産物だって分かってきたでしょ。


腹から分からなくてもいいんだ。

そもそも分かるようなことじゃないし。


完全に分かったとしたら、それは間違っていると思った方がいい(笑)

自分はいないというのは、そういう話だ。



話を戻すと

自分なんてものは単に思考がこしらえたイメージに過ぎない。


ここまでは分かったね。

分からなくても鵜呑みにすればいい。


そうすれば、

思考がこしらえた「自分」なら、こしらえ直せるって思えるから。



もしこの前提がないと、

「このリアルな自分を、どうやって変えると言うんだ」

って、頑なになってしまう。


自分なんて少しもリアルなものじゃないのにね。



くどいようだけど、「自分」というイメージは、ただの思い込み。

その思い込みを物心ついてからずっと繰り返してきたから、まるで実体のように感じているんだ。


だからその思い込みを、違う思い込みに変えてあげる。

すると言動が変わり始め、結果が変わっていく。



そう言う僕も、どんどん変わっているんだよ。


欲しいものや、やりたいことが出てくるたびに、それを実現するための自分になってきた。

だからほとんどのことが実現したのだと思う。



しかもこの歳になって、人生で最も大きなプロジェクトに挑もうとしている。

もちろん実現するよ。


だって僕は、僕の一番の生徒だから。





イヤよ、イヤよ、イヤよ見つめちゃイヤ!

変わるわよ!!









言いたいこともあるでしょうが、とりあえずクリックしてください。









  


Posted by Toshiro Abe at 10:36Comments(38)

2019年06月11日

敵についての考察

来てくれてありがとう。







全ての人が敵に見えるという昨日した話は、

僕だけのことではなく、

自己という分離幻想が強まれば誰にでも訪れる傾向であり、

まるで自分のことを言われているような気がした人もいたことでしょう。


そんな昨日のコメント欄に、「いまは敵がいなくなったのか?」という僕への質問がありました。


答えを言えばその通りで、敵はいません。

ただし知らない所で誰かが、こちらを敵だと決めていることはあるかもしれません。



敵がいなくなった理由は幾つかありますが、その一つは、人間というものを理解できたことが大きいと思います。


人は自らの思考によって、自分自身と世界を作り出しています。

自分と世界を分けていること自体が錯覚なのですが、ほとんどの人はそのことに気づきません。



そうやって作り出された世界の存在理由はただ一つです。


それは自分のためにあるということ。

誰にとっても、世界は自分のためにあるのです。

それが分離幻想の特徴です。



いいですか、ここはとても重要です。


人が暮らす各々の世界は、徹頭徹尾自分のためにあるということ。

自分の幸せのためであり、自分の成長のためであり、自分の満足のために世界は存在しているのです。


慈善行為で世を救う人も、根っこには同じ動機がありますが、それでいいのです。



他の言い方をすれば、誰にとっても世界で一番重要なのは自分自身だということ。

自分に比べたらその他の人は、脇役でありエキストラに過ぎません。


全ての人がそのようにしているのですから、人同士の利益がぶつかることもあるでしょうし、どちらが正しいとか、どちらが優れているとかの競争も各々の世界の中で繰り広げられています。


敵というのは、互いに利害関係を一歩も譲らず、相手が悪いとして、それぞれの正しさがぶつかり合っている状態です。


このように誰もが自分自身のために生きているということがわかれば、大抵の事は許せるようになります。

と言うより、怒っても仕方がないことが解るのです。



相手から見れば、こちらは端役に過ぎず、一方でその本人は紛れもなく主役であり重要性があまりにも違うのです。


したがってその人の世界の中で、こちらが軽く扱われようと、悪者扱いされようと、それは仕方のないことです。


敵だと思うその人から見れば、あなたはしがない端役、しかも邪魔な端役なのだから。





最後に、摩擦なく生きるためのヒントですが、あなたに何かをした人間に復讐を考えるのはお勧めできません。

なぜなら、そのような復讐心によってダメージを受けるのは他ならぬあなた自身だからです。


もしあなたに理不尽な言動を投げかけた人がいたとしたら、その人は他の場面でも同じようなことをしています。

したがってその分だけ生きにくくなりますし、その代償はどこかで払わなければなりません。

そのプロセスに任せることです。



前にも解説しましたが、

新約聖書に

「復讐するは我にあり」

という言葉があります。


この言葉の「我」とは「大我」のことで、神(全体)を指しています。


これは、お前が復習しなくても全体がそれをやるから、お前は矛先を納めて気を楽にしなさいという教えです。

僕はこの言葉が好きですし、本当のことだと思います。



敵がいなくなり、復讐心などの心が癒されていくと、その分だけ人生はスムーズになり、望みが次々と叶いだします。


もともとそんな能力を、あらゆる人が持っているのです。

だってあなたは、全てを作り出している張本人なのだから。



皮肉なことに、あなたを傷つけた人への最大の復讐は、あなたが幸せであることです。


あらゆる恨みつらみは、視点を変えてみれば、前に進むための推進力のようなものだったことが解ります。

そんなメッセージを長く伝えてきました。



このような生き方をする人が増えれば、この世はもっと明るく楽しくなると思っています。


そうなってほしいと望むのは自分であって、結局は自分のためですけど(^^)





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・・・・・・・・・・・



【お知らせ】


※禅サンガ8期のメンバー募集は、遅くとも来週末には開始する予定です。

いま少しお待ちください。


※引き寄せの法則の奥平亜美衣さんも天河に関心を持っていて、7月25日から4日間、引き寄せ合宿をすることになりました。

ソース(源)に繋がることが、引き寄せの最も大切な前提であり、天河はまたとないフィールドだと思います。

詳細が決まったらご紹介します。


※6月29日からの「再誕と新生のワーク in天河」に、お一人分の空席ができました。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:37Comments(25)