2011年03月31日

ストップ!

朝、眼が覚めた瞬間、その瞬間はとても大事だよ。

思考が蘇ってくる前のわずかな時間。


ほんの瞬間だけど、自分が誰なのか、ここがどこなのかわからない。


それは正しい認識だ。

自分は誰でもないし、ここは、いつだってここだから。


ところが次の瞬間、思考がやってきてすべてを説明してくれる。


あなたは○○という人物で、ここは○○の部屋のベッドで、これから○○は支度して会社に行って・・・

次にあれやこれやいろんな関係者の顔が浮かび、やらねばならない仕事が浮かび、もう気分はすっかり社会の一員だ。

ここから頭の中は、おなじみの堂々巡りの思考に支配され、心配や、不安や、不愉快な出来事の記憶や、許せない相手や、会いたくない人、やりたくない仕事、ゴチャゴチャゴチャゴチャ・・・

こうしてまた、夜眠りにつくまで、とりとめのない思考と感情に支配されて一日が終わる。


このような状態を、無明と呼ぶ。

身体は起きているのに、意識は眠ったまま、思考が織りなす夢の世界に浸かっている。



目覚めとは何か特別なことじゃなくて、雑念想念を断ち切って、いま目の前の現実と、リアルに関わることをいう。


僕のやり方はこうだ。


何をしている時でもいいから、気づいたらすべての行為をストップする。

デスクに向かっていても、歩いていても、その場で静止するんだ。


目は開けたまま、見るでもなく見ないでもなく。


そして耳を澄ます。

すると、さっきまで聞こえていなかった微かな音が聞こえてくる。

エアコンの振動音、表通りの車の音、鳥の声、遠くの人の話声・・・


その音は、いま存在している。


足の裏の大地、椅子の背もたれ、指に持ったままのペン、これらもいま存在している。


いまに存在する音や、いまに存在するものと一緒にいようとするんだ。

自分の頭の中以外は、すべて「いま」に存在しているから、見つけるのは簡単だよ。


そうやって静止したまま、いまと一緒に30秒間過ごしてみよう。


そして、その感覚のまま生活の中に入っていこう。


あいかわらず、やるべきことが続いていくが、そこには静寂がある。

この静寂を身につければ、心身はリフレッシュし、ストレスは緩和されていく。


何事も練習だ。



もしこの30秒間を、毎日6回以上思い出すことができたら、たったそれだけであなたの中にエネルギーがプールされ、あなたは輝き、人を惹きつける磁力を持っていく。

早い話が、異性からも同性からもモテだすだろう。


「モテだす」

おお、こんなにキャッチーなフレーズはない。



どう?少し試してみたくなった?


30秒を一日6回。

わずか3分間の、超短い瞑想法だよ。



  


Posted by Toshiro Abe at 09:07Comments(97)

2011年03月30日

一休み

今日は一休み。

僕の好きな歌を紹介します。


実は僕は、BUMP OF CHICKEN という和製ロックバンドが大好きです。




今日紹介するのは、聴くたびに僕が涙する曲です。

曲名は「K」


歌の中のフレーズ

「生まれて初めての優しさが、温もりが、まだ信じられなくて」


この部分が、若い頃の自分の姿とダブってしまい、なんとも切ない気持ちになります。


あはは、なんかセンチになってきたけど、興味持ってくれた人は聴いとくれ。



コチラから→「K」





   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(109)

2011年03月29日

心配の中にいるあなたへ

昨日いただいたコメントに答える形で書いてみます。

XJさんからです。



>いつも拝読させてもらっています。

ありがとうございます。



>何か心に不安が顔を出すたびに「いまここ」の感触を思い出すようにして心から心配や不安を追い出すようにしています。


それは的確な態度です。

心配や不安は、混乱した思考が作り出しています。

そして思考には、心配や不安を解決する能力はありません。

考えは考えを生むだけです。



>ご存知のように東日本は・・今不安だらけです。
>原発に関しても政府のやり方や次々と明らかにされる事実に、愕然としてしまう日々。



経済至上主義の中で、企業が利益を追求するのは正義だという考え方が多くの問題を作り出してきました。

原発はその象徴です。

さらには、いままで積み上げられてきた政府やマスコミに対する不信感が、状況を複雑にしています。




>ここから逃げようと思う自分と、ここにいて今をいきようと思う自分。

>いまここ、に生きることは「事は起きる」それを「受け入れる」ことだと、私は理解しました。




それは違います。

いまに生きることは、必ずしも、いまを受け入れることではありません。


「受け入れる」とは、丸呑みして肯定するということです。

それでは感性も知性も無視してしまいます。


いまここに生きるというのは、事は起きているということを受け入れるのではなく、認めるということです。

騒いでみても、嘆いてみても、事実は変わりません。

事実を事実としてあるがままに見る、それがいまを生きる態度です。

その事実を受け入れるかどうかは、また別の話です。




>そこにあるだけで充分。
>命が自分。だから死なない。
>実感を伴う経験をしていないので、まだ目覚めることが出来ずいますが頭ではそう理解しています。



たしかに命は不滅です。

肉体が機能を停止しても、命は永遠の中に生き続けています。

そのことは内的経験により確信していますが、だからと言って死の危険を前にして何もしないわけではありません。

その瞬間の感応に従います。



>ここにいて
>受け入れて そのままで
>それだけでいいのでしょうか。

>難しいです、一寸の狂いもない出来事に、コントロールできない「事の起こり」にお任せして、全てを委ねればいいのでしょうか。



「事の起こり」の中には、自分に生ずる衝動や直感も含まれています。

頭で理解した言葉に縛られるのではなく、自分の直感を生きてください。

それが正しいかどうかはわかりません。

しかし、スローガンに身を任せるよりは、ずっとマシです。

あなたの人生はあなたの作品です。




最後にいまの僕がどう感じているかを書きます。


確かに政府や電力会社(大企業複合体)が、マスコミを通して我々に与えてきた情報は、あまりにもご都合主義によるものでした。

しかし、いま福島原発で起きていることの報道は、大部分で信じていいと思っています。

その理由は長くなるので割愛しますが、僕なりに人間の心理を分析した結果です。


その一方で、いまもなお前代未聞の状態が続いていて、その結末は誰にも予測不能です。


こればかりは、天にお任せするしかありません。


日本壊滅の状態が最悪のシナリオだとして、もしそうなったら、そこから始まっていくものがあります。

それくらい達観した気持ちを持ちながら、この事態が最小限の被害で終結することを祈っています。



被災された多くの方々の現実を目の当たりにし、新たな感性が湧き出してきた人も多いと思います。


世界中でいまなお続いている飢餓や貧困、そのほか数え切れない問題を抱えている地球に、新しい人類による新しい文明が花開くことを信じています。







   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:37Comments(69)

2011年03月28日

目覚め

昨夜は11時から爆睡。

朝8時近くまで眠っていた。


あー、よく眠った。


ぐっすり眠ると気持ちがいいね。



人生も同じで、現象界での眠りが深いほど、真理への目覚めは快感を伴う。

その快感はS○X(ソックスじゃない)の数万倍、いやそれ以上だ。

でも目覚めた後もS○X(ソックスじゃない)は好きだ。

いや、そんなことが言いたいんじゃない。



夜の眠りと、人生の眠りの違いはなんだろう。


それは、夜の眠り(睡眠)は、最も深い状態において無思考になり、あらゆるストレスから解放されるのに比べ、人生の眠り(無明)は、最も深い状態において思考が混乱の極致に陥り、大きな苦悩をもたらすことだ。


したがって朝の目覚めの爽快感は眠りによる心身回復のそれであり、人生の目覚めは、無明による苦悩からの解放による。


人生での苦しみが大きいほど、目覚めの快感が大きくなることを、みんな魂の奥底で知っていて、それで苦しんでいるような気がする。

そんなことを言うと苦しんでいる人に怒られそうだが、それは目覚めたときにわかる。



今日は久しぶりに沖縄に帰る。

嬉しいな。


沖縄好きだし。


ニャアニャが6人と、ワンワが一人、僕の帰りを待っている・・・おそらく忘れているだろう(笑)


そして沖縄のみんなも、帰りを待ってくれている・・・おそらく忘れていないだろう・・・そう願う(^o^;)





   


・・・・・・・・・・



明日は沖縄でいまここ塾

明後日は水曜の会があるよ。


最近は月一になってしまったけれど、その分、密度の濃い時間を過ごそうね。  


Posted by Toshiro Abe at 10:00Comments(63)

2011年03月27日

たわごと

欲しいものはなんでも手に入るし、やりたいことは何でもできる。

そうやって25年間生きてきた。


周りの人は僕をうらやむけど、そうなってみれば「だから何?」って感じ。

こんな僕を目指す人もいるけれど、ここまできても同じこと。

ただ同じように、いま起こることが起きているだけだ。


みんなが幸せだったらいいなと思う。

みんなが幸せなら楽だから(^o^)


でも幸せでなくてもいい。

その人が生きたいように生きることを邪魔する気はない。



僕にできること。

それは「こっちだよ」って手を振ること。


「こっちの水は甘いぞ」って歌うこと。



昨日、人生について久しぶりに考えてみた。

僕の人生はなんだろうって。



そして得た答え。



「人生ひまつぶし」


今日も薄着で笑っちゃう。




ここで一句。



ひまつぶし

今日は名古屋で

ひつまぶし



おそまつ。






   



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【お知らせ】


向禅師との「いまここ塾 in 浜松」は受付を終了しました。

たくさんのお申込みありがとうございました。


今日の「阿雲の呼吸 in 名古屋」の当日券はありません。

ご注意ください。  


Posted by Toshiro Abe at 08:39Comments(109)

2011年03月26日

さとりの授業 番外編

昨日はこのブログサーバーのメンテナンスで、一時アクセスが中断していましたが、おかげでずいぶんスムーズにアクセスできるようになりました。

スタッフのみなさん、ありがとうございました。


さて今日も、ワンポイントアドバイスを送ります。

ブログや講演会に来てくれる人の中には、真剣にさとりを求めている人たちが多くいます。

今日のアドバイスは、そんな人たちに向けたものです。



さとりたいという願いは大切です。

人生の中に人生以上の何かが隠されていることへの直観がそれをさせます。

そしてそれは正解です。


人生とは一連の独りよがりな夢であり、それは空中に消えていく泡のようなものです。

しかし我々の存在は、泡ではありません。

永遠不滅の、大いなる命そのものです。


泡の中で、よりよい泡を目指すゲームは終わりました。

あとは彼方なるリアルワールドにジャンプするだけです。


それがさとりへの渇望です。


しかし、さとりを求めているのはいったい誰でしょう。

その正体は自我です。

もちろん最初の衝動は、大いなるものからの呼びかけだったりしますが、それを捉えて達成を試みるのは自我そのものです。


自我がさとりを妨げているのに、その自我がさとろうとするのです。


さとりが自我の消滅だと聞けば、自我は自我を落とそうとします。

さとりが愛に行き着くと聞けば、自我は愛のレッスンをします。

さとりが寛容さだと聞けば、自我は大きな心で人に接しようとします。



しかしさとりとは、いまあるがままの自分を100%受け入れ、その中に寛ぐことでしかありません。

聖人になることでもなければ、四六時中自我が消滅しているわけでもありません。

単に、あたりまえの普通の人です。


いまあるがままの自分を100%受け入れるだけなのに、さとろうとする思いは、いまではないもっと優れた自分を目指しています。

いまの自分でしかあり得ないのに、いま以上の自分を求めているのです。


いいですか、すでにあなたに足りないものも、余分なものもありません。


まさにあるがままのあなたで100%OKなのです。



するとまた自我が忠告します。

「いまの自分でOKなわけがない。隠している闇や、抑え込んでいる感情や、自信のなさや、歪んだ心が何ゆえにOKなのだ」


これが自我(思考)の策略です。

絶え間なく判断し、裁き、いまを否定します。



その声を聞かずに、ただただ自分に寛ぐこと。

自分と仲直りすること。

それが秘訣です。


そして、いまに戻ってきてください。

さとろうとする思いは未来に依存していることに気づいてください。

自分が立派になってからさとると思わないでください。


いまのあなたが、さとりそのものなのです。



下手なガイドですが、これからも方向を示し続けていきます。





   





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これから黒斎くんと福岡に向かいます。

今日は福岡、明日は名古屋です。

名古屋講演会に、若干の空席が出ました。

参加ご希望の方はコチラからお入りください。


3月29日(火)夜は沖縄いまここ塾があります。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(91)

2011年03月25日

いまここ

いま、いま、いまって、この数日間そんな話をしてきましたが、今日はとりあえずまとめてみます。


「いま」に100%戻ってくるとどんな感じがするのでしょう。

それは、すでにすべてを得ている感覚です。


安らぎ

幸福

楽しさ


あらゆる存在に命があること、この世は様々な波動によって成り立っている、エネルギーフィールドだと気がつきます。


それらはひとつに繋がっていて、すべてはひとつだと感じます。


すべてが自分であるがゆえに、そこに同朋意識と愛が芽生えます。


思考が止まっているので、あるがままの現実をあるがままに受け止めています。


そこに足りないものがないので、豊かさに包まれます。


いつかたくさん得たら豊かになるというのではなく、まさにいまここで豊かであるとわかります。


いま人生がどのような局面にあるかは、まったく関係ありません。


どんな状況に置かれていようと、いまを生きることが可能です。



そこに入るドアは、

リラックスすることです。


そのドアはいつだって目の前に開かれています。


僕たちが幸運なのは、どんなに長く「いま」を忘れていたとしても、「いま」はいつだって目の前にあるということです。

決してどこかに隠れたりしません。



さあ、力を抜いて。

深刻さは要りませんよ。



どこを目指しているんですか。

行先などどこにもありません。

人生とは、いまを生きることです。






   



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【お知らせ】


いまを生きるということは、知識ではなく感覚で学ぶことです。

4月10日(日)

浜松で向禅師と、読経や坐禅など、実践的な講演&ワークをします。

まさに「いま」を生きることだけに焦点を当てたワークです。

主催の(財)信行社さんは、明治のころヤマハ創業者ら財界人の協力によって作られた学び舎です。

ちなみに僕が生まれた家のすぐそばです。


「日時」

2011年4月10日(日) 

開場 12時30分 

開演 13時~17時00分(4時間)



「会場」

(財)浜松信行社

浜松市助信町8-43




浜松市助信町8-43

浜松駅からタクシーで6~7分。

遠州鉄道「八幡」駅から北へ「助信」駅へ向かって徒歩5分。
酒店・タバコ屋の北側。

090-7616-3551(袴田)


「参加費」

お一人様:3,000円(当日清算)


お申し込みはコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:38Comments(53)

2011年03月24日

さとりの連鎖

昨日コメ欄にあった質疑応答をこちらにも載せます。


隠れいまここさんから

>どうすれば「いまここ」の境地に達することができるのでしょうか・・・



終わってしまったことや、まだ起きていないことを考えるのではなく、当たり前の日常のひとつひとつに心を込めて、いま目の前の現実を生きるのです。

テーブルの手触り、足の裏の感触、いま見えるもの、いま聞こえる音、それらをしっかりと味わって生きるのです。


考えは過去か未来のことです。

考えをやめる練習をして、いまになりきってください。

それができれば悟りが訪れます。

それは、長い宇宙時間の中でも、もっとも喜ばしく、素晴らしい贈り物です。

いまがチャンスです。



・・・・・・・・・・・



いまを生きるというのと、自我のコントロールから自由になるというのと、思考が止むというのは、同じ現象です。

僕たちが「いまここ」にいれないのは、自我が執拗に邪魔するからであり、その先兵隊が思考です。

自我は「いまここ」では存在できないので、様々な仕掛けを駆使して邪魔をするのです。


思考が湧いたらすぐに、「これは過去のこと」「これは未来のこと」というようにラベルを張って手放してください。

たとえ一秒前でも過去、一秒後のことも未来です。

思考は「いまここ」には入れません。



そうやって思考を次々と捨てていきます。

捨てるとは無視するということです。


最初のうちは、思考が自分を幸せにしてくれる気がして、なかなか手放せないのですが、思い切ってください。


そしていま目の前のリアリティーと向き合うのです。

それはありふれた日常のヒトコマかもしれません。

とにかく目の前に徹底することです。




昨日、うれしいメールをもらいました。

比叡山天台宗大僧正の堀澤祖門さんからです。


祖門さんは、伝統宗教と民間の壁を取り去り、普遍的な「さとり」「真理」を顕わにしたいと活動されています。

そして、このブログを見て、すでに民間において「さとり」が情報化され、活発にやりとりしていることに注目しています。

本格的修行を積んだわけでもない一般の人間が、究極のさとりを理解していることへの敬意も持ってくれています。


こうしてお会いできたのは、とても幸運であるのと同時に、時代の必然も感じます。

いま急激に起ころうとしている人類規模での意識変革が、ますます現実のものになってきた証です。


昨日のメールに、すでに「さとりの体験」をした人が、民間にどれくらいいるのかという質問がありました。

また、僕や黒斎くんのように、そのことを伝える活動をしている人は他にいるかとのお尋ねです。


僕も興味があります。

このブログのコメント欄を見ても、明らかに何らかの体験があって、深く理解しているのがわかる人達がいます

自分のことだってわかる、そんなあなたのことです。


趣旨を理解してくれて、そういうことならという人は、僕にメールください。

面白い展開になりそうですね。



今週末から黒斎くんとのトークライブツアーが始まります。

彼も、あきらかに深い理解を持った人です。

彼との出会いも偶然ではなく、時代の必然です。


東京、大阪、名古屋は第一部、第二部共に売り切れですが、博多にはまだ空席があります。

どうぞいらしてください。


詳細はコチラから。





時代の変化の足音が、ますます大きくなってきました。


まさに僕たちはいま、大変化の真最中にいるのです。





   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:11Comments(75)

2011年03月23日

466文字のつぶやき

ほんとうは、すごく簡単なことなんだよな。

それを宗教や伝説が凄いことみたいにしてしまったから、真理が僕らから遠のいてしまった。


こんなあたりまえな男が気づいたことを、みんなが気づけないわけがない。

真理は僕らに最初から与えられている、あまりにも身近な気づきだ。

その気づきを解説しようとして言葉を駆使するんだけど、言葉を使えば使うほど難しくなってしまう。



何か考えている暇があったら、いま坐っている椅子の感触を思い出したほうがいい。

それは「いまここ」にある。


鳥の鳴き声も、街のざわめきも、すべて「いまここ」にある。


いまここにあるものに意識を向けることで、いまここに帰ってくることが出来る。

いましている呼吸に意識を向けるのもいい。

肉体を内側から感じて、わずかな振動を感じようとするのもいい。


それはいま起きていることだから。


そこにすべての答えがある。

真理は隠されたことがない。

それどころか、いつだって目の前に顕わになっている。


あたりまえのことなんだよな。


堂々巡りの思考を止めてごらん。


そしていまここに戻っておいで。


僕が伝えたいのは、それだけだよ。






   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:35Comments(59)

2011年03月22日

目覚めの授業

今日の話は大切なので、時間がある時にゆっくり読んでください。



「目覚めるって、いったい何から目覚めるのか?」


それは、頭の中を絶え間なく流れる思考が作り出している、『人生』という夢から目覚めることです。


夢は、終わってしまったことの記憶、訪れていないことの想像、信条、概念、意見などによって創られています。


そして世の中の99.99%の人は夢の中に暮らしています。

しかし、自分が夢の中にいることに気づいていません。


皮肉なことに、自分が夢の中にいることに気づいたとき、夢から覚めることがあります。


夢の中で、「これは夢だ」と気づいたことがあるでしょ。

すると夢を見ている自分が急に自覚されて、それがきっかけで夢が終わります。


現実世界でも同じようなことが起きますが、それは稀です。

さきほど言ったように99.99%の人はまだ眠りの中にいます。


目覚めという言葉を夢の中で解釈し、自分はすでに夢から目覚めたという夢を見ている人もいます。


スピリチュアルな夢も、平凡な夢も、聖なる夢も、ズタズタな夢も、幸せな夢も、不幸な夢も、なんら変わりはありません。

夢は夢です。



夢の世界は人の数だけあって、その夢同士がバランスを取り合って人間関係を作っています。

でも相手がどんな夢を見ているのかを見通すことはできないので、相手に裏切られたとか、こんな人じゃなかったとか、そういう失望も生まれます。



その夢の中に一貫して登場する人物がいます。

「私・自分」です。

それが夢の世界の中心にあり、その中心を自我(エゴ)と言います。


自我は時間という幻想を駆使して、過去や未来を創りだし、その中を自分が生きていると感じています。

その自分を高め、安全を確保し、生き残るのが自分の仕事だと思っています。

それは結果の出ない、無意味な旅路です。

迷路にはまりこんで出口を見失っています。



時々、「もっと夢を見ていたい。目覚めなんかどうでもいい」という声を聞きますが、その人が使っている「夢」や「目覚め」という言葉も、夢の中で想像したものであり、目覚めが必要か否かは、目覚めてみないとわかりません。


いつもいまここにある真実に目覚めれば、それは極シンプルで、静かで、深い安心感の中にあります。

本当はみんなその中にいるのに、夢の世界での奮闘を選んでしまうのです




夢を一撃にして破ろうとする伝統があります。

それが「禅」です。

日本人と日本文化に多大な影響を与えてきた禅。

日本には、本来そんな目覚めが宿っています。






   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:56Comments(76)

2011年03月21日

朝だ朝だ~よ、朝日が昇る♪

「いいか、よく聞けよ。オレはお前なんだ」



いままで違いしか見えなかった他人の中に、自分と同じ存在が生きているという発見は衝撃的だった。

え?あいつもこいつも、内側の奥では同じ感覚を持って生きていたのか。



この世には強い人と弱い人がいると思っていたけれど、な~んだ、みんな同じか。

ということは、みんな臆病なのか。

だってオレ自身が臆病なんだから。


あいつはそう見えなかったよな。


昔、とある有名ヤクザがいて、彼は少人数で組織に殴り込みをかけたりして、命知らずの猛者として知られていたけど、晩年の手記で、「あのときは死ぬほど怖かった」と告白している。


強そうに見せている人間ほど、内側に弱さを抱えている。

だって、内側に弱さがなけりゃ、強く見せる必要がないから。




もっと象徴的な人物を見てみよう。

釈迦やキリストはどうだろう。


もちろん、彼らの中で生きていたのも、あなたの中であなたをやっているのと同じ存在だ。

宇宙にはそれしか存在していないのだから。


そう思って彼らを見てみると、おかしな幻想を挟まずに、正確に見てとることができる。

一昔前、まだ時代がぐっすり眠りこけていたころ、一足先に目を覚ました先達が彼らだ。


夜中の2時ころだったかもしれない。

みんな熟睡中だった。

そんなときに一人だけ目を覚ましたんだから、どんなだっただろう。




いまや夜明け間近で、あちこちのベッドから「やれやれよく眠った」という声が聞こえ出した。


目を覚ましたのは一人きりじゃない。

仲間が大勢いる。


そしてみんなで合唱を始めたんだ。




「お~い、起きろよ。もう朝だぞ!!!」




     


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(69)

2011年03月20日

夜明け前

昨日の続き


そうやって見逃し続けている、地球という感覚(本当の自分)。

あなたが見つけたとき、必ずこう言うだろう。



「な~んだ、この感覚知ってたよ。

知ってたどころか、ものすごく知っていた。

知ってい過ぎて、忘れていたんだ。」




その瞬間を、見性、さとり、目覚め、エンライトメントと呼んできた。




でもね、昨日のコメント欄を読んで思った。

ずいぶん多くの人が同じ体験をし始めたって。


やっぱり予感は本物だった。


すごいことになってきたね。





どんだけ~~!!!


(中途半端に古いのは分かっている。でも言いたいんだから許してほしい)






   




・・・・・・




4月東京いまここ塾は受付を終了しました。

お会いできるのを楽しみにしています。  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(75)

2011年03月19日

ちょっと変な話

地球は生きている。

その話は聞いたことがあるでしょ。

しかも人間をはるかに超えた知性を持って、とてつもない愛を携えながら、刻々と生きています。



会ってみたいと思わない?


実はもう会っていますよ。

というよりは、会っていないときなんかありません。

あなたの中であなたをやっている意識が、地球意識そのものです。


あなたが地球だったんです。


これ、言葉で言うと簡単だけど、実際にそのこと(自分が地球そのものだったこと)を体験すると、それまでの人生観や自分観が大爆発を起こして、まったく違う人間に生まれ変わってしまいます。



僕の中で25年前に起きたのがそれでした。

その瞬間、地球が僕の顔をして宇宙空間に浮かんでいました。


え?これが自分の本当の姿?


うひゃあ、驚いた!!!


なんてこったい、全部の全部が自分だったなんて!



さて、ここで言っている「自分」が何を指しているかが重要です。


この自分は、阿部敏郎なんかじゃありません。

名前も、年齢も、性別も、経歴も、社会的立場も、信条も、何もかも全部取っ払った後に、最終的に残るもの。

単に「存在している」というピュアな感覚。


その感覚は、一瞬たりとも自分から離れたことがないので、普段はそれが在ることを忘れています。

僕たちは無くしてみないと、在ったことに気づかないんです。


ただひとつ言えるのは、自分の中で一番馴染んでいる感覚です。

あまりにも自分だから、いちいち意識しないだけで。



その感覚をあなたの中で見つけることができたら、それは僕が持っているその感覚と同じものです。

すべての命は、その感覚が現れたものです。


木の中で木をやっているのも、魚の中で魚をやっているのも、あなたの中であなたをやっているのも、全部「それ」です。





今日の話は、ちょっと変だったかな。


実はこの話、25年前当時に、人を見つけると話していた内容です。

なんとか伝えなきゃと思ったから、一生懸命だった。

誰彼かまわず、片っ端から伝えなきゃって思った。

使命感まで持ってたから、始末に悪い。


「いいか、よく聞けよ。オレはお前だったんだ」


これでずいぶん友達無くした(笑)





今日は何でこんな話しているのかな。



なんとなくしてみたかった。





はやく暖かくなるといいなあ。





   





・・・・・・・・・・・・・・




4月24日東京いまここ塾の受付はあと少しです。

参加ご希望の方はコチラから。


  


Posted by Toshiro Abe at 09:26Comments(71)

2011年03月18日

循環

リラックスすることは、とても大切です。

いついかなるときも、リラックスしていることです。

そのリラックスの中にこそ、答えがあり、安らぎがあります。



究極のリラックスは、深い洞察と共に存在します。

通常においても、リラックスしている分だけ、知恵を携えています。

そこに緊張が入り込むと、心が収縮し、視野が狭くなり、選択が不正確になっていきます。



さあ、
大空に向かって胸を広げて、大きく呼吸してみましょう。



いまから全てが始まっていきます。


終わったことなんてどこにもありません。



いつだっていまがスタートです。




さ、それじゃあまず、いま、リラックスしましょう。
(一行目に戻る)






   
  


Posted by Toshiro Abe at 14:08Comments(33)

2011年03月17日

徒然なるままに

今日書くことは反感を買うかもしれませんが、本意を汲み取ってくれたら幸いです。



まず、何か重大なことが起きると、必ず起こる風潮があります。

それは、正義がひとつに統一され、その正義に共感しない者は後ろめたく感じ始めるというものです。



たとえば、いま起きていることで言えば、この大災害がそうです。

このような現実を目にすれば、極端に心が歪んでいない限り、誰もが悲しい思いをします。

しかしその中にあっても、そのような出来事から何を感じ取るか、個人的な感じ方の違い、考え方の違い、表現の違いといったものがあるのです。


社会の風潮はそれを許しません。

誰もが同じように憐れみ、最大限の思いを向け、善意の行動に駆られるのが真の人間性であり、それを持てなければ人間ができていないというわけです。

たしかに思いやりが深く、親切で、愛にあふれる人もいます。


しかし、人間には性格のタイプがあり、同じ悲しい出来事を目の前にしても、同じようには反応しないのです。

そんな人に一種類の正義を押し付けると、その人は表面上正義を演じますが、一方で、そんな自分を愛のない人間と決めつけ罪悪感を持ちます。

これを読む人の中にも、心当たりがある人はいるはずです。


いいですか、絶対に罪悪感を持ってはいけませんよ。

もし罪悪感を感じるとしたら、それは誤解です。

あなたは何も悪くありません。



こんな調子で、人は自分を認めることが出来なかったり、自信が持てなかったり、自分を好きになれなかったりしています。

調べていけば、人が否定的に持つ自己イメージは、すべてがそんな誤解から来ています。




事は起きています。

それはこれからも起きていきます。


大切なのは何が起きているかではなく、自分がそれをどう解釈し、どう生きるかです。

そこに良い悪いはありません。

もっと自分の感じ方や考え方に自信を持ってください。

そのうえで、自分がいいと思ったことを精いっぱいやってください。

知的に募金が必要だと思ったら、それをしてください。

自分には愛がないなんて思わないでください。

愛は感情ではありません。


人生はあなたの作品なのですから、幸せに彩ってね。





大切なことわすれちゃダメですよ。


  


Posted by Toshiro Abe at 08:22Comments(131)

2011年03月16日

その力

今回の出来事は、たくさんの課題を僕たちに突き付けました。

人それぞれに、多くの学びや気づきがあったことと思います。


被災地の復興と、残された人たちのこれからの人生を応援しています。




さて、ここにきてもう一つ明らかになったことがあります。




原発はいらない。

いや、作ってはならない。



心ある人たちが20年以上も前から訴えてきたことが、こんな形で証明されたことは残念ではあるけれど、でも今度こそ、多くの人の目がそのことに向き始めました。



自然の猛威は人の想像を超えていて、過去のデーターや計測値からでは割り出せません。

人間はその時代の科学をフル活用して、一見合理的な社会を築いているつもりでいますが、自然に背を向けることは、とても危険なことなのです。


「その力」と人間の力とは、まったく比べ物にならない、圧倒的な違いがあることを認めなければいけません。



「その力」に謙虚になり、降参することは、社会においても、個人においても、とても必要なことです。


「神を怖れよ」

という言葉は、ある意味真実を伝えています。



しかしその一方で、「その力」は愛そのものです。

いや、愛以外のなにものでもありません。


僕たちは「その力」の中に生かされています。



神という言葉は使わず、「その力」という言葉で見つめなおしてみたら、これからの時代を生きる者たちに必要な要素が見えてくると思います。

それは宗教を超えた、新しい「21世紀型の宗教性」の様なものです。


この要素も、新しい文明にはなくてはならないものです。



新しい文明では、大昔の人がやったようなお祭りとか、祭祀とか、そんなムードが復活しているような気がします。

もっと自然に帰って、もっとシンプルに、楽しんで生きていると思います。




そこには、愛と信仰心があるのです。






   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:39Comments(103)

2011年03月14日

新しい文明

長い人類史の中で、幾多の文明が栄え、そして滅んできました。

そしていま欧米を中心とした経済至上主義文明が終わりをつげ、新しい文明が始まろうとしています。


新しい文明とはいったい何でしょう。

それはいまの文明の延長線上にあるのではありません。

それはまったく新しい文明です。



戦後日本は、自らの国民性や尊厳を否定し、欧米に追い付け追い越せ政策をひた走ってきました。

経済発展が何より優先され、競争をあおり、人心は荒廃しました。

でもその道すがら、このままでいいのだろうか、何かが間違っているのではないだろうかという戸惑いも、多くの人の心の底でうずいていました。


そのうずきは、すっかり忘れてしまった根源的知性からのものです。

圧倒的に蔓延する旧来の価値観の中で、その声はか細く消えかかっていました。



しかしいま、その知性が急速に復活しています。


根源的知性、それは個に属するものではなく、全体で共有している普遍的知性です。

僕たちは、心の底で、どうしたらいいのかを知っているのです。

人々が手をつなぎ、富める者は貧しい者を支配するのではなく手を差し伸べ、知る者は知らない者を利用するのではなく正しく教え、お互いの違いを認めあい、共に与え、共に支え、共に喜びを分かち合うそんな世の中です。

自然と共生し、命をいつくしみ、シンプルに、そして心豊かに暮らす生活です。


僕はあなたであり、あなたは僕であり、僕たちは文字通り「ひとつなる命」に生かされている、「ひとつなる存在」だという気づきが根底にあります。

権威や既得権は消滅し、同等で、対等な関係の中で、社会秩序が形成されます。



このような世の中は、強力なリーダーのもとに形成されるのではなく、我々一人一人の意識変革によって生まれます。


多くの尊い犠牲の上に顕わになった、この根源的知性を見失ってはいけません。




新しい文明は日本から始まっていきます。

まさにいま始まっています。

やがては世界全体を席巻し、人類の長年の理想が実現されていくことでしょう。




新しい文明。

それはまったく新しい文明です。


僕たちの中に聞こえ出した大いなる知性に耳を傾け、その声を生きていきましょう。





か・ん・な・が・ら






   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:42Comments(129)

2011年03月13日

ネットの力

先日の比叡山講演会での僧侶の皆さんとのひとコマ。


僧侶Aさん

「阿部さんはインターネットによって、真理に関心を持つ者たちが瞬時にして集うことができると言うが、ネットで何人が自殺したことか。また自殺をしあったことか。
だから私はインターネットが大嫌いだ。
私は携帯電話さえ持つ気がない」


阿部

「リンゴの皮をむくとき、ナイフはとても役に立ちます。
しかし同時に、人を刺し殺すこともできます。
あなたが言っているのは、人を殺せるからリンゴの皮をむくナイフは持たないということだ」



今回のような非常時にこそ、ネットの使い方が試されています。

心を一つにしようとするのか、それとも対立して非難し合うのか。



このような時は、怪情報、デマ、陰謀説などが多く飛び出しやすくなります。

匿名性が高く、しかも瞬時に情報が行きかうネット社会では、特に注意しなければなりません。

まさに人を殺す能力も持っているのです。

ネットの存在が、被災者や、その家族の皆さんに貢献することを信じています。


(余談ですが、僧侶Aさんとはすっかり打ち解けあい、将来は僕の手伝いをするかもしれないとまで言ってくれました。ちなみに彼は、先ごろベストセラーになった後藤組組長の「憚りながら」に十数ページに渡って登場する刺青坊主です。お互い正直に心を開いて接すれば、どんなギャップも埋められる、そんな力を人間は備えていると思います)



いまは官民一体となって、冷静にことに当たるときです。

いざとなった時の人間の底力を信じましょう。


突発的な非常時には、普段の生き様が露出してきます。

思考に巻き込まれていれば、ますます混乱し、思考を観察する力を持てば、さらに中心が定まります。

冷静さは、どんな感情的衝動よりも正確な判断が可能になるのです。





救助を待つ人たちが一人でも多く助かりますように。

人の善意が健全に発揮され、救援能力が最大限に機能しますように。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:31Comments(69)

2011年03月12日

みなさんへ

思考や感情に巻き込まれることなく、落ち着いていまここを生きてください。

前後裁断して、目の前の現実に取り組んでください。


意識の中心を頭から腹におろすのです。

呼吸を少し深めに緩やかにしてみましょう。


そしていま必要だと思うことに、落ち着いて取り組んでください。

人間が一度にできるのはひとつだけです。


まさにこんな時こそ、いまここを生きてください。



被災された方たちに、心よりお見舞い申し上げます。
  


Posted by Toshiro Abe at 07:27Comments(106)

2011年03月11日

時代の足音

いま、博多に向かう新幹線の中です。

ブログをアップしようとPCを開いてみたら、祖門師から嬉しいメールが届いていました。


こうして心が通い合うこと以上に素晴らしいことがあるでしょうか。

この幸運の出会いは、僕だけではなく、末永く皆さんと共有していけるものと思います。


新しい時代の足音が聞こえてきた。

そんな確かな実感に包まれています。




   




・・・・・・・


4月24日(日)の、東京いまここ塾(ソロ講演会)の受付を開始します。

詳細はコチラから。


3月13日(日)に博多で行われる、向禅師とのコラボ講演会は、第二部に若干の空席があります。

詳細はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 12:51Comments(48)