2017年10月31日

生死を超えた次元

母の旧姓は阿部さんからの質問

質問です。
阿部さんは死を経験したことがありませんよね?
なのに何故、死んでも″それ″はあり続けると断言出来るのですか?


とてもいい質問ですね。

あなたの他にも同様の疑問を持っている人もいるかと思います。

でもこういうことってなぜか聞きにくいですよね。


僕がここに書いてきたことは知識ではありません。

自らの経験に基づいて書いています。

あなたが言うようにこの肉体が

「ご臨終です」

と言われたことはないのですが、

「あー、死ぬとはこういうことか」

という体験はあります。

ここが表現の難しさですが、その時それを体験している自分は消えていて、その次元の認識だけが存在しています。


その次元の存在は、生まれることも死ぬこともなく、永遠のいまの中に在り続けています。

しかもこともあろうに、その存在こそが本当の自分であることを、疑う余地なく確信するのです。

さらには、あらゆる生命体がその存在によって生かされていることも分かります。

当然、あなたもね。


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最初にその次元があらわになった時は、あまりの衝撃と、肉体を超えたエクスタシーで、特別な体験をしたような気がします。

しかしやがて、その次元が当たり前に定着しだすと、それを内側に携えながら、この夢の人生を生きることになります。


だからと言って完璧な人格になるわけでも、高い徳が身についているわけでもありません。

人格も徳も、人間が描く価値観であって、実際にはあるがままに、善から悪まで、あらゆる可能性を持った生身の人間として在り続けます。

これは誰もが同じです。

そもそも特別な人などいないのです。

自分を特別に見せたい人は多いですけどね。


さてこのよう話は、僕にとっては揺るぎない真実ですが、それを聞く者にとっては情報の一つであり仮説に過ぎません。

科学の発見であれば客観性があるので、一人が発見すればただちに世界中で共有できますが、内的な発見はどこまでいっても主観的、個的なものです。

ですから一人一人が内なる本当の自分を発見していくしかないのです。



このような文章を書くと、言葉尻を捕まえてあれこれ言いたがる人がいますが、そういうリアクションを想像して書くと、筆が進まなくなることがあります。

今日は一気に書かせてもらいました(^_^)


・・・・・・・・


【お知らせ】

禅サンガのお申し込みは今日までです。
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Posted by Toshiro Abe at 09:30Comments(39)

2017年10月30日

周りが若く見えてくる

今日も年齢ネタで恐縮です。

僕が昔から不思議に思っていることがあって、もしわかる人がいたら教えてください。


たとえばプロ野球の選手たち。

昔はみんなオジさんに見えたのに、最近は子供のように見える。


そりゃそうだろ、お前が歳とったんだから当然だと思うかもしれないけれど、自分の内側は変わっていないし、いつも鏡を見ているわけでもなく、自分の容姿だってイメージ上は若いまま。

それなのに、やたらとみんなが子供に見える。

昔の映画に出演している老俳優が、いま同じ映画を見てみるとけっこう若く見えたりして。


無意識に自分の年齢を自覚していると言うかもしれないけれど、僕自身はそういう気はしない。

何が変わっていくんだろう。

脳の情報処理機能かな。


たぶん、鏡も映像もなく、自分の顔を見る機会がゼロだったとしても、年齢と共に周囲が若く見えだすのだろう。



なぜだろう。



そんなこと考えたことありますか?

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Posted by Toshiro Abe at 09:53Comments(68)

2017年10月29日

生まれもしない、死にもしない

昨夜は、昔の歌を聞いてもらうためのささやかな音楽会を東京の自宅で開きました。

なんせ25人でいっぱいの会場。

40年近く前の歌を唄いながら、時の流れの不思議を感じました。

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昔取った杵柄とは言え、ギターの指が勝手に動いていく。

歌っている者は昔と何も変わらない。

違いがあるとすれば、頭の中の記憶が増えていることくらい。


このような経験の中で、自分が時間を超えて存在していること、自分の内側は歳を取っていないことを実感します。

この内的感覚は、幼少のころから持ち合わせていて、いまも変わらず内側にあって、この先何十年が経とうと、このまま変わらないのは明らかです。

実は赤ん坊の頃も、さらには胎内にいたころもこの感覚を持ち合わせていました。

もっと言えば、生まれる前から「これ」はあり続けています。

もちろん死んでからも、何一つ変わらず在り続けます。


それが本当の自分。


だから、「本当の自分は生まれもせず死にもしない」と言うのです。


名前や、生活態度や、社会的立場がどう変わろうと、何も変わらず自分として在り続けているもの。

その存在は外側の出来事や、内側の感覚に影響されることはありません。


しかもそれこそが本当の自分。

このことが分かれば、何があっても救われていることが分かりますよね。


だから昨日と同じことを言いますが、


心のままに思い切り生きて下さい。



・・・・・・・


【お知らせ】


禅サンガオープンキャンパスの公開は残り2日間。

お申し込みは明日までです。


今日は東京で雲黒斎君との阿雲の呼吸。

都合がつく方はいらして下さい。
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Posted by Toshiro Abe at 10:51Comments(24)

2017年10月27日

生の深み

今日は誕生日だから人生を振り返ってみようか。


若いころは、働き詰めの母を楽にしてあげようと頑張った。

当時はなぜ自分はハンデを持たされているのかと思ったけれど、そのおかげで頑張れて、ささやかな成功も手にすることが出来た。

人生は何が幸いするか分からないと思った。


そのうち、あんなに憧れて入った業界が急に色褪せて見え始め、虚無感に襲われた。

そんなある日、突然訪れた気づき。

「自分という主体」は思い込みだったと知った。

ことは自分がやっていたのではなく、「全体の力で、ただ起きていた」


流れに完全に任せてみようと思い立ったころ、天河神社を訪れた。

このまましばらく滞在したいと思っていたら、宮司がやってきて「しばらくここで手伝ってくれんか」と言ってくれた。

その日から今日まで生かされてきたのは、その底流に天河が流れていたからだと感じている。

理にあわない選択も、直感に従って行動してきた。

その勇気の背景にあったのは、神への信頼だったように思う。

振り返ってみれば出来過ぎの人生だった。


来月の特別神事は、熟慮して計画したわけではなく、ずっと大好きだった天河禊殿にまつわる不思議な話を聞いてから、あれよあれよで成っていった話。

こういうときこそ、その背後に大きな意味が隠されているというのは、長く生きてきた直感のようなもの。

ここからまた何かが動き出すような気がしている。


以上!



みじかっ。

60余年の人生も、言葉にすればこの程度のものだ。



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もしいま、人生のすべてをかけたメッセージをあなたに贈るとすると、



「心配するな なんとかなる!」



人は無難や安心を優先してしまいがちだけれど、そうやって長く生きながらえることが人生の成功だとは思わない。

そのようにして死を待つよりも、一瞬のきらめきのほうが生の深みを知ることができる。


生きるというのは危険を背負ってこそだということが分かるだろうか。



だから心のままに生きてごらん。


「心配するな なんとかなる!」


2017年10月27日

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Posted by Toshiro Abe at 11:26Comments(91)

2017年10月26日

眠っていると言われても・・・

このメッセージのジレンマは、目覚めへのどんな説明も、人は夢の中で受け取るということ。

しかも自分が夢を見ていることに気づいていない。


夢の中はおびただしい数の判断に満ち、信念があり、自分の意見もあります。

それらのすべてが夢であることを指摘しても、その指摘は一つの情報として夢の中で処理されます。


夢は議論が大好きで、争いさえも引き起こします。


争いとは、人と人との争いではなく、夢と夢との争い。

それぞれが自分の夢から見ているので、争いはどちらの人も正しいのです。


いつもこのブログに、異論も反論も要らないと言っているのはそういう意味です。


もうひとつ知っておきたいのは、「少し目覚めている」という状態はないということ。

人は眠っているか起きているかのどちらかです。


繰り返しますが眠っているのが悪いわけではないですよ。

いまという無上の至福は忘れてしまいますが、だからといってあなたの本質が何か失っているわけではありません。

最初からどこにも行っていないので、道に迷っている人も、遠回りしている人も、失敗している人もいません。


だから根本的には大丈夫なのです。


その上で、もう夢にうんざりした人や、夢を夢と認識し始めた人に語りかけてきました。

なぜなら夢の人生にはこれでいいというゴールがなく、結局は同じ輪を回っているだけだから。


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さて、いくつか質問が来ていました。

>真我(私はある)と無我(私はない)が同時に真理だとしたら、矛盾を起さないように説明して頂けないでしょうか?


真我の「我」と、無我の「我」は、指しているものが違います。

無我の我は、通常我々が自分だと思っている自己を指しています。

それは夢の中の登場人物であり実際には存在していません。

したがって真実は「無我です」


真我の「我」は、存在そのもの。

これ以外には存在していない、唯一絶対の存在のことであり、あなたの本質です。

この真我であるところの本質は、夢の我が無い時に現れています。

ゆえに

真我=無我となります。



似たような話として、10年前にこのブログで、「延命十句観音経」の中の「常楽我浄」という一句を解説したとき、地上目線と宇宙目線、それぞれの「我」についても触れました。

常楽我浄3

常楽我浄7



もうひとつ質問が来ていましたが、質問の意味がわからなかったので問合せ中です。

コメント欄かこの記事上でお答えできたらと思います。


本当はなんの解説も要らず、質疑応答も要らず、ただ潔く目を覚ますだけ。

思考を取っ払って、いまあるがままの「これ」になるだけ。

にもかかわらず「これ」について思考したくなるのが夢の宿命です。



・・・・・・・・・・・


【お知らせ】

禅サンガ5期へのお申込みありがとうございました。

締め切りは10月30日です。

お申し込みはオープンキャンパスから。



阿雲の呼吸でも伝えたいことは一つです。

2人が最初に出した講演CDも、タイトルは「アラームクロック(目覚まし時計)」


年内は東京と博多で阿雲講演があります。

東京 10月29日

博多 12月2日


2人でやっているブログも面白いですよ。

降参のススメ
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Posted by Toshiro Abe at 11:45Comments(25)

2017年10月24日

般若の智慧だなんて難しく言わなくても・・・

人は夢を見るために生まれてきたのかもしれない。

夢と言っても希望のことではなくて、夜に見る夢でもなくて、こうして生きていること自体を夢と言っている。


何のことかピンとこない人もいるだろうけど、本当のリアリティはいつもいまここにあって、それはいいとか悪いとか解釈する以前にただあるがままにあるわけ。

ところが人はそのあるがままを解釈し、そこに記憶を投影したり、想像したり、いろんな思いを持って物語を作りだして生きているわけです。

その思いの物語を夢と呼んでいる。


『いまここはどこにも向かっていないのに、物語の中の自分は未来に向かって生きているつもりでいます』


この言葉が腑に落ちるには、徹底的に「いまここ」を体験するしかない。

その体験は「いまを生きる」というのとは違う。

そんなものはちっとも「いま」じゃない。

時間としてのいま、夢の中のいまに過ぎないから。


言っていることわかる?


わからなくても話を先に進めるね。


本当は何も起きていないんだけど、思いの中ではいろんなことが起きている。

上手くいっているとかいないとか、幸せだとか不幸だとか、いつかああなりたいとか、誰それは自分よりも上等だとか劣っているとか、とにかくいろんなことが渦巻いていて、その思いの世界を少しでも向上させようとするのが大方の人生なわけ。


その全部を夢と言うわけです。


少し分かった?

えっ?分からない?


それはね、この情報も夢の中で読んでいるから。

すでに多くの判断が持ち込まれている。



で、話を戻すと、人は夢を見るために生まれてきた。

夢が悪いって言っているんじゃないよ。

ただ、夢を見ているという事実を指摘しているだけ。


だから思いきり夢を見ればいい。


たとえ一生夢を見たとしても、あなたは夢の中の登場人物の自分じゃなくて、夢を見ている何らかの存在だから。

その存在は、見ている夢がどんなに残酷でも、苦しくても、まったく影響されていない。


このことは夜見ている夢と同じこと。

どんな酷い夢でも、目が覚めてみればあなたは何も傷ついてないでしょ。

それと同じ。

楽しい夢も、悲しい夢も、覚めてみれば大して違いはない。夢は単に夢なのだから。

だからどんな人生も、本当は大して違いはないわけ。

夢の中では、大層な違いを感じるけどね。




そんな夢の中に釈迦みたいなのが出てきて、目覚めについて語りだす。

なぜかと言うと、夢はその特性として、やがては悪夢になるようにできているから。

その悪夢の中で人はみんな苦しみを抱えて生きているから。


たしかに楽しいこともあるけれど、その背後にあるのは一連の欠乏感や欲求不満。

そうなってしまう理由は、夢を見ているのがマインドだからだ。

マインドは判断や否定というメカニズムでできているから、幸せになんてなるはずがない。


もしあなたの隣で悪夢にうなされている人がいたら、起こしてあげたくなるでしょ?

それがブッダたちがやってきたこと。

慈愛だとか、菩薩行だとか、そんな大したことじゃなくて、ただシンプルに起こしてあげたくなる。



もう一度言うけれど、夢を見たまま死んだとしても何か失うわけじゃないし、失敗したわけでもない。

ただ言えるのは、もし目覚めたとしたら、目覚めないほうが良かったとは決して思わないってこと。

リアリティは、喜びと安堵でできているから。


昨日からオープンキャンパスを公開して、禅サンガにおいでよと言っているのは、禅サンガはあなたの夢に向かって、それは夢だと言い続けている会だから。

夢にとっては何の得もないけれど、こんな話に何かを感じるとしたら、目覚めの準備ができてきているってこと。

怖くないよ。

夢のほうがよっぽど怖い。

僕はすごい会だと思う。


オープンキャンパスで公開している動画の中で、特に最初の動画はつい先日のWeb講演の模様だけど、あれも何度も見てもらいたいコンテンツの一つです。

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サンガへのお申し込みは30日まで。

早く申し込んでくれた人には感謝の気持ちでプレゼントがあります。

と、最後は宣伝になってしまったけれど、今日一番言いたかったことはこの部分(笑)


また時間を見つけてオープンキャンパスに来てください。

見るたびに違った理解が起こるかも。


オープンキャンパス



・・・・・・・・・・・・


【お知らせ】

話は変わって、こちらはナマの阿部とナマの雲黒斎に会う機会。

言いたいことは一つだけれど、相棒が変わるとまた味が変わってくるから面白い。


10月29日

阿雲の呼吸(東京)

詳細とお申し込みはコチラから


二人でやっているブログも面白いですよ。

降参のススメ

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Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(49)

2017年10月22日

あなたへのギフト(オープンキャンパスを公開しました)

多くの人が勘違いしていることの中に「修行」があります。

修業とは、いまよりもっと上等な自分になるためとか、悟るためとか、何かになるために行うことだと思っているのです。


これは人のマインド(自我)が時間の中に存在しているから起きる発想です。


しかし実際には時間は存在せず、ただいつも「いま」だけが展開しています。

その「いま」を生きる態度を「修行」と呼ぶのです。


マインド(自我)の引力は強力で、うっかりするとすぐに頭の中の物語に吸いこまれてしまいます。

いつも頭の中を生きている人には、吸いこまれていることさえもピンときません。


思考が湧いたときに、それを思考だと見抜き、思考が作りだす物語に埋没することなく、いまここを生きることを「修行」と言うのです。

したがって幾多の禅師が言うように、修行そのものが悟りなのです。


そんな話を、つい一昨日に行った禅サンガのWeb講演の中でも向禅師と語り合っています。

その模様は禅サンガオープンキャンパスの冒頭に収録してあります。


そして4期の特別講師を務めてくれた、元Googleの人材開発責任者ピョートル・ジグバチさんとの対談。

このビデオはそのまま書籍にしてもいいようなとても貴重な内容となっています。

そして仏教学者の阿純章さんとの「般若心経談義」もノーカットで掲載しました。


これらの動画をオープンキャンパス開催中は一般公開していますので、この機会にご覧ください。


禅サンガはネット上で展開する魂の共同体ですが、会期中に数回、浜松の方広寺で実際の伝統禅に乗っ取った2泊3日の接心も行われます。(会員は参加費無料)

こちらの模様も10分程度のダイジェストビデオになっていて、実際の雰囲気を感じてもらえると思います。


向禅師とのコンビで始まった禅スクールは、発足して早20年になります。

禅と瞑想の普及は、不肖阿部のライフワークとしてこれからも続けていきます。

最終的に人の学びはここに集結すると確信するからです。


禅サンガオープンキャンパスはコチラからお入りになれます。



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弁財天は仏法を守る護法の神です。

白隠禅師が空海の言葉として、このことを紹介しています。

若き空海の修行場でもあった天河弁財天社に、禅サンガの発足をご報告してから早3年が過ぎようとしています。

その間、いくつかの試練もありましたが、またこうして無事に5期を迎えられたことを、11月のご神事の際に報告してきます。



本当の幸せのありかはここにあるよ。

苦しみの終焉はここににあるよ。

人生で発見した宝を、これからも分かち合っていくことを誓います。
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Posted by Toshiro Abe at 10:27Comments(29)

2017年10月21日

今日も元気に生きています

嵐の前なのか、少し風が出てきましたが、今日も沖縄は暑い(^^;)

断食瞑想中は毎日海に入るんだけど、今日は様子を見てからにします。


午前中はカリキュラムをこなして、午後からは沖縄の瞑想伝授があって、夕方以降に記事を書きます。

オープンサンガお待たせしていますが、今日中には準備が整うかと。

そんなわけで、また後ほど(^^)


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Posted by Toshiro Abe at 09:10Comments(23)

2017年10月20日

散文

昨日、寝る前にベッドの上で、すらすらと何やら書き始めました。

今朝起きてみて、あまりにストレートな文章だったので紹介します。


・・・・・・・・・


人はどこに向かっているんだろう。

どうしてそんなに急いでいるんだろう。

全ては「いま」にあると言うのに。


こんな言葉を虚しいくらい繰り返して来た。

その度あなたは言うんだ。

「わかっているよ、いまここなんだろ」



人はどこに向かっているんだろう。

まるでどこかに幸せが待っているかのようだ。

幸せとは、完全にいまにあることを言う。

それ以外の幸せは、空想上のイミテーションだ。


こんな単純な、しかも唯一の真実を、なぜ人は見落とすのか。

そこには強烈な催眠作用が働いているに違いない。



どこまでも動き続け、何かを成し遂げようとする周辺の自分。

どこにも動かず、すべての動きを見守る中心の自分。

誰もの中に、この二人が生きている。


それはちょうど車輪のようだ。

周辺の自分はいつまでも回り続ける。

しかし中心の自分は決して動くことはない。


周辺の自分は時間の中を生き、中心の自分は「いま」にいる。


「いま」こそが幸福への扉だ。

なのに人はいったいどこに向かっているのだろう。


立ち止まるアートを提唱しよう。

教えることなど何もない。

すでに「ここ」に答えの全てがあるのだから。

立ち止まるアートを瞑想と呼ぶ。



過去について考えることはない。

過ぎ去ったものは、去ったのだから。

未来について考えることはない。

未だ来ないものは、来ないのだから。


ないものを排除した時、在るものだけが残る。

そのリアリティの中にこそ幸福が息づいている。


人はいったいどこに向かっているのだろう。



・・・・・・・・・・


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禅サンガオープンキャンパスは準備ができ次第ご紹介します。

実はいま、断食瞑想中で、今日が3日目(^^)
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Posted by Toshiro Abe at 05:47Comments(35)

2017年10月19日

生き方を変えてみませんか

涼さんからのコメント

阿部さんに質問です。

禅サンガに参加すれば、悟ることができますか?

苦悩から解放されますか?

参加するとこうなるという何かがあるんですか?

教えて下さい。

特典で過去の動画がたくさん見られるとか、そんなことではなくて、 参加したらどうなるのか本音を聞きたいです。

どうにもならないならそれでもいいです。


こういう率直な質問は大好きです。

僕も率直に答えることができるから。


こういう会に入らないかって人様を誘う時、ついかっこつけてしまって、相手に失礼がないよう、無理強いしないよう、それでいて良さが伝わる言い方は何だろうって、そんなことを考えるとどんどん作りものになってしまう。

だから今日はズバリいきます。


禅サンガでは、阿部と向(老師)が、精魂込めて、自分たちが人生で得た宝の全てを分かち合っています。

以上!


それでもって、涼さんからの質問

>禅サンガに参加すれば、悟ることができますか?


「これをすれば悟れます」なんて広告を見たら、なるべく早く遠ざかることです。

そもそも悟っている人など誰もいないのですから。

逆の言い方をすれば、全ての人は最初から悟っています。


その人が内側から消えた時、そこに悟りがあります。

悟りとは、個人の精神レベルのことではないのです。

個人という錯覚が消えた時、もともとあったありのままのリアリティーを悟りと言います。


したがって涼さんが悟ることは決してありません。

しかし涼さんを生かしている大元のエネルギーは、最初から悟っています。

それは無限の叡智を携えた、永遠なる命であり、純粋意識です。

すでにあなたはその存在を知っていますが、あまりにも近すぎて見失っています。


白隠禅師が言うように

たとえば水の中にいて、「喉が渇いたよ〜」と叫ぶのと同じです。


だからひとたび、悟りのことなど忘れることです。

そもそもなぜ悟りたいのか。

ひとかどの人物になりたいのでしょうか。

人生をスムーズに生きたいのでしょうか。


あなたの質問の中に、その答えが書かれています。

>苦悩から解放されますか?

そう、これこそがあなたが求めていることではないでしょうか。


苦悩とは、思考への反応として起こります。

起きている出来事や状況そのものに苦悩が含まれているのではなく、その現実に対する考えへの反応として、苦悩が生まれているのです。

それらの苦悩は、すでに起きてしまったこと、これから起きるかもしれないこと、あるいはいま起きていることに対する考えから湧いてきます。

その考えを信じれば信じるほど、苦しみは増していきます。

苦しみの量とは、その人の思いこみの強さに比例すると言ってもいいでしょう。


人は、自分の思考が作りだした物語を信じています。

それこそが苦悩の原因なのです。


こんなことを言葉で指摘されても苦悩は無くなりませんよね。

だってあらゆるアドバイスを理解しようとするのも思考だからです。

したがって思考の先に届くくらい、何度も話を聞いて、坐禅や瞑想の実践をし、物語に取り込まれそうになったときに気づくという練習をするしかありません。


禅サンガ自体にあなたを変える力はありませんが、あなたの生き方を変えるきっかけになることはできます。

やっていくのはあなたです。

やりかたは簡単で、「やる」と決めるだけのこと。


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(秋の方広寺の亀背橋)

禅サンガでは、様々なレクチャーの他に、毎週月曜から水曜までの早朝坐禅会、さらには月曜夜の坐禅会と法話をお届けしています。

リアルタイムで参加できない人も、その日の動画がすぐにアップされるので、時間差でいつでも参加可能です。

同じ禅会の動画を繰り返し見るのと、いつも更新される新しい禅会に参加するのとでは新鮮さがまるで違います。


まずは半年間、生き方を変えてみませんか。

できたら、会期中に2回開かれる、方広寺でのサンガ接心に参加することもお勧めします。

愛と気づきの3日間は、いつまでも心に残り続けることでしょう。

僕自身も、前回の接心の余韻がいまもなお残り続けています。


月謝は3000円。(最初の入会時のみ入会金がかかります)

明日から公開予定の禅サンガオープンキャンパスの中で、10月23日〜27日まで入会の受付をしています。

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Posted by Toshiro Abe at 10:27Comments(31)

2017年10月18日

神様ってなに?

国常立尊(くにとこたてのみこと)・・・

どこかで聞いたことがある名前だと思っていたら、大本教の出口なおさんの身体を通して喋り始めたという最高神の名前だった。

別名を、艮の金神(うしとらのこんじん)

大本の出口王仁三郎も、OSHO同様、拙書「随(かんながら)神」の物語の伏線になっていたので、ここにも不思議な偶然の一致を見ます。

あの物語は僕が書いたというより、書かされたと思うから。


すべてはひとつだという非二元(ワンネス)から見れば、どんな神様も究極的には一つであり、それは自分自身ということになります。

これは最も大切な真実と言えるでしょう。

その一方で、何らかの高い知性や、高い波動エネルギー帯があって、それを神と呼んできた向きもあります。


それは見る側の立ち位置によって変わるのでしょう。

すべては一つであるのと同時に、ひとつも同じものがない個性が現れている。

相矛盾する両者が同時に存在しているのが、この宇宙の神秘なのかもしれません。


かんながら月光編」にも書いたように、神としか思えない何らかの声が腹の底から響いたのも事実です。


『この不信心者め。この現実を誰が作っていると思っているのだ』


あれも国常立尊だったりして。

あの低い声は本当にそうかもしれない。


ということは、この現実を作っているのも・・・・?

あはは、今日はずいぶんオカルトチックになってしまった。



先日のブログで、

「神殿では、内なる神(本当の自分)に手を合わせよう」

と言ったけれど、それと同時に外なる神にも手を合わせて、天の扉を押し開き、神様にお出まし願いますか。

それはそれでワクワクする。


もし僕が、神事の途中で神懸って、

「世界のお建て替えぞよ」

なんて言いだしたらどうする?

あはは。


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神様か・・・

いったいこの宇宙の構造はどうなっているんだろうね。

とてもじゃないけれど、人間のちっぽけなマインドがすべてを理解することなんかできるはずがない。

ということは、知らないものを無理に知ろうとするのではなく、ましてや知ったような顔をするのでもなく、知らないものは知らないと認め、畏怖の念を持って手を合わせるのが一番のような気がする。


なにもかもが摩訶不思議。


それでいいのだ。



・・・・・・・・・・


【お知らせ】

宮司さんにお願いして、前日の11月18日にも、禊殿での特別神事と、本殿でのご祈祷神事をやって頂くことになりました。

これで、より多くの人に参列していただくことが可能になりました。

まずは、神事のキャンセル待ちをしている方たちにメールでご案内します。
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Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(32)

2017年10月17日

人生を超えて人生を生きる

自己を超えた次元に誘われたとき、人はそこで様々なことを感じます。

いままでの人生が夢のように消え失せ、代わりにいつも「いまここ」にあったにもかかわらず、すっかり忘れ去っていたリアリティーに目覚めます。

それを禅では見性といいます。


たとえば、先日頂いたカンナさんのコメント


悟りの瞬間、それら人生ストーリーが、自作自演だとわかって、大ゴケしました^_^

それがわかると、こんなすごいシナリオを書いていたのかと驚愕するし、共演者全てに感謝だし、ワクワクしたり、色んな心情を感じる個の自分が可愛くて愛しくてたまらないですね。


これは明らかに、自己を超えた境地からの声明です。

自作自演のストーリーを一生懸命に演じていた自分への可笑しさと憐みが湧いてきて、ずっと抱えてきた肩の荷を下ろすのです。


この経験を自らの手で作りだすことはできません。

忘れたころに突然起きるという人がほとんどです。

これはあなたからの作用ではなく、大いなるあなたからの作用なのですから。


このようなことを、ブログでは長年にわたってお伝えしてきました。

と同時に、より深く伝わるようにと「禅サンガ」を提供してきました。


禅サンガは20年前に向禅師と発足させた「禅スクール」のネット版です。

スタート時には、多くの試練と禊を経験しましたが、半年ごとに新規募集をして、今回で5期目になります。

いまは、このサンガを愛するスタッフのみで運営し、できるだけ参加しやすい条件で提供していますので、それぞれの人生の指針として役立ててもらえたらと思います。


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真実は極めてシンプルです。

シンプルすぎて見逃していると言ってもいいでしょう。

しかしこの真実だけが、人を根底から救うことが出来ます。

それが夢の終焉です。


人生で得たいものや、達成したいものが沢山あるかと思いますが、じつはあなたが最も望んでいるのは真実との出会いであり、苦しみや悩みからの解放なのです。







・・・・・・・・・・


【お知らせ】

※禅サンガを知っていただくために、10月20日からオープンキャンパスを公開する予定です。

新規入会お申し込みは10月23日から27日まで、オープンキャンパスの中で受付します。


ちなみに禅サンガが発足した2015年一月にも、天河神社でご報告の神事をさせてもらいましたが、あの時は玉串の奉納をする時だけ、しかも本殿の前だけに雪が降り注ぎ、とても不思議で美しい体験だったことを思い出しました。  続きを読む


Posted by Toshiro Abe at 16:16Comments(17)

2017年10月16日

あなたが「それ」

奉納させていただく大祓詞(祝詞)を奏上する楽曲「リーラ」は、次の歌詞から始まります。


私は地球です

いつもあなたの中にいるのです

一人が悲しくなったら

どうぞ私を思い出して


神様たちは歌い続ける

終わりはいつも始まりだから




「私は地球です」

このフレーズは、地球意識、宇宙意識と呼ばれるものを、そのまま表しました。

いま思えば、まさに国常立尊(くちとこたちのみこと)であり、この神事の歌のような気がしてきました。

この歌を作ったのは昭和63年ですが、初めてドンピシャの気持ちで歌えそうです。


さてここで大切なことがあります。

この歌の中では、「私である地球」が「あなた」の中にいるとしていますが、これは表現上のことであり、この二つは同じものです。

あなたが地球意識、宇宙意識なのです。

したがって国常立尊は、あなた自身でもあるということ。


人間の苦悩は、この大いなる存在との分離が引き起こしています。

たとえ神を崇めようと、神を自分の外側の存在としてイメージしていれば分離は無くなりません。


神を崇めるというのは、あなたの本当の存在を崇めることです。

いつも非難している自分自身の、本当の素晴らしさを認め、そのことに感謝することなのです。

参拝される方は、どうぞそんな気持ちで手を合わせてください。

ご神体である鏡が、ご神体の前に立つあなたが「それ」であることを教えてくれます。


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現象界の出来事に疲れてしまったときは思い出してください。

本当のあなたは偉大なる純粋意識として、どんな出来事にも汚れることなく、傷つくことなく、いまもここに在り続けているということを。


今日も2分間動画をお届けします。





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【お知らせ】

11月5日に名古屋で「瞑想セミナー」を行います。

未経験者の方も実践中の方も、瞑想への理解を、そして本当のあなたへの理解を深めにいらして下さい。

全員で瞑想を実践しましょう。

詳細とお申し込みはコチラから。


11月19日の天河神社特別神事は、一人でも多くの方が神事にご参加できるよう、様々な調整を考えています。

いま少しお待ちください。
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Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(33)

2017年10月14日

すべては、かんながら

起きる出来事と言うのは、個人の思惑を超えていて、いろんな要素が絡み合って全体として展開していきます。

よく歴史などでも、誰それが何々をしたからこうなったとかいう記述がありますよね。

信長だとか、家康だとか、竜馬だとか、たくさんの英雄伝があります。


でも事実は彼らが時代を作ったのではなく、時代が彼らを作ったのです。

違う言い方をすれば、個人が全体を動かしたのではなく、全体の動きの中で個人が動かされたということ。


そういうことって僕らの人生にも起きていて、自分の力で成功したとか、自分のせいで失敗したとか言うけれど、やったのは自分じゃなくて、全体がそのように動いたということです。

同じ行動をしても結果が違っていくこともあるわけで、やっぱりなにひとつ誰のせいでもなく、誰の功績でもないと思うのです。



さて、今回の天河神社のご神事。

もともと僕がこの時期に天河に行きたかったのは、さとうみつろう君とのユニット「絶対他力」のライブを天河神社でやってみたかったから。


そんな折に古文書の話を伝え聞いて、しかも僕がいつも気になっていた禊殿(みそぎでん)だというから身体の中からメラメラと燃えるものが。

国常立尊(くにとこたてのみこと)という神様にもすごく惹かれるものがあって、このタイミングも偶然じゃなくて、こうなることになっていたんだと思いました。

その思いを宮司さんに人を介して伝えてもらったら、とても喜んでくれたそうで、そういうことなら全力を傾けようって言ってくださって、宮司さんの普段の神事も半端ないけれど、そこに強い思いを乗せてくれたら、こりゃ凄いことになると、いまからワクワクしているわけです。


そうなると、もともとの意図だった「絶対他力」のライブが脇役になってしまった(笑)

で僕の最初の予想としては、なにせ天河というとても遠い場所だから、100〜200人くらいの人が来てくれたらいいと思っていたのが、ふたを開けてみたら、それをはるかに上回るお申し込みがあり、それはそれで嬉しいことだけど、問題もいくつか発生しています。


まずは宿の問題。

天河神社周辺だけでなく近隣の旅館も民宿も全て一杯。

洞川温泉までが、10数件ある旅館がすべて満室になってしまって、地元ではいったい何があるんだという声が上がっているそうです。

エグザイルのコンサートかもってね。

まさか「絶対他力」の練習ライブだとは思ってないだろう(笑)

恐るべし国常立尊パワー。


さらに困るのは車のこと。

駐車場は神社で用意できるのが最大50台。

中学校の駐車場もお借りできることになったけれど、そちらも最大50台。

早い話が最大でも100台しか駐車できません。

一般の参詣客もおられるでしょうから、全部こちらが押さえてしまっては申し訳ない。


以前、神社で大祭があったとき、路上に駐車する車がズラッと並んで警察に注意されたこともあったとのことなので、自家用車でいらっしゃるのは極力避けてください。

神社の大祭の時も、みなさんにそう呼びかけています。


それともうひとつ困っているのは、情報が間違って拡散していること。

この日は国常立尊の復活神事と、絶対他力のライブであって、最近ちまたでよく耳にする瀬織津姫の神事ではありません。

どちらも日本古来の神様で、地球の源なので、名前が違うだけで同じことだという考えもありますが、あくまでも国常立尊への祈りを捧げる日であり、瀬織津姫ではないので、あなたの周囲に勘違いしている人がいたら、くれぐれもそう伝えてください。

瀬織津姫にも興味はあるので、それはそれで瀬織津姫の神社で奉納演奏しようと、みつろう君とも話しています。


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宮司さんにいろいろお骨折りいただいて、参集殿で行うはずだった、19日の神事後の「絶対他力」のコンサートと、宮司さんとの対談は、近くの天川中学校の体育館をお借りできることになりました。

そうなると、音響などどう手配するかまた新たな問題が出てきますが、それはそれでまた考えてみます。

追記

そういうことでいろいろ動いてみた結果、やはり体育館でライブをするのは、音響的にも無理でした(^^;)

ちゃんとした音を聴いてもらいたいので、予定通り参集殿で行います。

スミマセンでした。


でもキャンセル待ちしている人達に、何かできないかいま思案中なので、明日には報告できると思います。


「絶対他力」を天河神社でやってみたいという思いが、さまざな人を動かし、さまざまな偶然の一致が生じ、もうすでに僕の手を離れてしまっています。


ことはこのようにして起きていくのですね。

誰がやっているのでもなく、誰のせいでもなく、すべては


かんながら



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【お知らせ】

沖縄でのハートマントラ瞑想の伝授は10月21日に開催します。

直前の告知になってしまって申し訳ありません。

10月29日の東京のクラスは残り席わずかです。

詳細とお申し込みはコチラから。
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Posted by Toshiro Abe at 11:26Comments(44)

2017年10月13日

天の河

静かに目を閉じて静寂の中に佇んでいると、ただ当たり前の存在が当たり前にここに在ります。

外側で起きている様々なことが夢や幻のように淡くかすんできます。


この静寂の中には、なにひとつ対立はありません。

そこに思考がやってきて、自分というものが強固になってくると、自分と違う考えや、自分と違う生き方の者を、非難したりさげすんだりということが起きてきます。


対立は、全ての人が静寂を知る日まで続いていくことでしょう。



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一昨日に公表した天河特別神事。

すでに700名以上の方が参加を申し出てくれています。

ありがとうございます。


そして前夜の神事と坐禅会。

11月18日は奇しくも新月に当たり、天気がよければ天の河をはっきりと見ることが出来ることでしょう。


新月だといいなとは思っていましたが、本当にそうだと知ったのは昨日のこと。

しかも11月の新月は20時40分で、まさにみんなで瞑想に入っている時間です。


ありがたいめぐり合わせに、思わず手を合わせてしまいました。


この日は、どこにいても一緒に瞑想しましょうね。
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Posted by Toshiro Abe at 14:55Comments(20)

2017年10月12日

天河神社とOSHO

11月18、19日の天河神社特別神事は、すべて満員となり、お申し込みは締め切りとなりました。

文字通り、北は北海道から南は沖縄まで、当日の天河は日本中の人達で賑わいます。

この賑わいこそが、長く天河に眠っていた国常立尊のエネルギーを復活させるものと予感しています。


昨日FBにもこの情報を載せたところ、

「国常立尊が立ち上がると、人の中に神が目覚め、完全な配置にチューニングされる」

というコメントをもらいました。


内なる神の目覚め。

これこそが長年望んできたビジョンです。



僕が初めて天河を訪れたのは平成元年3月のことです。

240年ぶりに執り行われる遷宮祭の4か月前です。


当時僕の心は、いまは亡きインドの覚者OSHOと共にありました。

まさか建て替えられた本殿の地中に、OSHOから天河神社に贈られた宝物が埋まっていることなど夢にも知りませんでした。

その宝物を埋める地鎮祭の折り、OSHOから寄せられたメッセージは


古い時代は終わりを告げようとしている。

古い人々はことごとく失敗した。

いま新しい人々が地平線から朝日と共に現れようとしている。

古い国家、古い社会、古い政治、古い経済、古い宗教は崩れ去り、 新しい世界が立ち現れる。

日本はその魁(さきがけ)となり、世界の雛形となる役割がある。



というものでした。


OSHOはアメリカにおいてあまりに大きな影響力を持ったことで、強烈なネガティブキャンペーンに見舞われ、最後は命を奪われることになります。

彼に悪印象を持つ人もいますが、彼が残した無数の真理の言葉たちは、いまもいっさい色あせることなく輝き続けています。



奉公していた間にもOSHOから日本に送られたメッセージが天河神社に届き、そのFAXを社務所に取りに行くように頼まれた時は、あまりの巡り合わせに身体が震えました。

そして遷宮祭で喜納昌吉氏に出会い、そこで、「来月からインドのOSHOのもとに一緒に行かないか」と誘われたのですが、なにぶんお金がなく、あきらめました。


しかし奉公を終えて帰京してみると、たった1件だけ仕事が入っていて、その仕事とは

「喜納昌吉とインドに行ってほしい」

というものだったのです。


レコード会社を変わることになった喜納昌吉のプロデュースを頼みたいとのことでした。

このときも、いったい何が起きているのかと思いました。


そのとき僕は天河と同時に、OSHOに呼ばれていると直感しました。

今日はカミングアウトして初めて話しますが、いまの僕の活動もOSHOの遺志を受け継ぐものです。


彼の遺志とは

禅のパワーと、瞑想の普及により、日本人の精神の殻を打ち破り、立ち上がることによって、大国の暴力に支配されたこの世界に影響を与え、新しい人類の誕生に寄与すること。


彼は日本の禅が宗教の本質を携えていると説き、亡くなるまでの最後の1年間は、禅のことだけを話し続けました。


彼が死の直前に日本に向けて残したメッセージがあります。



日本は今や世界の超大国だ。

危機に満ちたこれからの時代、 アメリカの世界支配がつくりあげてきた物質的な欲望と暴力から人類を解放する唯一の希望を日本が担うだろう

代わって日本は、世界を平和と繁栄の黄金の未来へと導くことができる!

世界は日本に注目している。

日本はこの大いなる責任を引き受けて立ち上がるべきだ。

大悟した禅師たちという日本の黄金の過去こそが、 新しい夜明けと、世界を導く洞察、責任、慈悲を 日本に与えるだろう

全世界の遺産相続を生まれながらの権利として主張する「新しい人間」を創造する上で、日本において東洋と西洋が出会いうる。

日本に今必要なのは、創造性、自発性、反逆精神という、「本来の面目」を取り戻す21世紀の禅革命だ

日本人の精神は、不幸なことに、もっとも規律を課せられた 精神のひとつでありつづけている

そして、その規律のなかで、すべての自発性と創造性が死んでいる

日本の自殺率が世界でもっとも高いのは偶然ではない

緊張があまりにも強いので、圧力と緊張のもとで生きるよりは、 自殺する方がたやすいようだ

そして、この圧力と緊張はひじょうに尊ばれているので、それに反逆する者はひどい非難を受ける

だから、日本には反逆者が存在しない

反逆そのものが、日本ではまだ知られていない

日本に必要なのは「新しい人間」の誕生へと向けて人類を導くことができるよう、その創造性と反逆と意識を 再び開花させることだ



OSHOが言う反逆とは、世界への反逆とか、常識への反逆という意味ではありません。

そのような反逆は、世界や常識と同じ土俵で反発しているだけです。


彼が言う反逆とは、それらを超えることであり、マインドを超えて何物にも縛られない自由な精神を持ち、己の心に従って生きることです。

そのとき初めて「自灯明」が実現するのであり、それ以前ではありません。


OSHOが言うように反逆者をこの国で生きるのは並大抵のことではありません。

それでもそこを生きる勇気が、新しい時代の礎になっていきます。

そして初めて、生きるとは何なのかを知るのです。



天河の奉公が終わった最後の夜に、一人本殿の前で祈りを捧げました。

「この身体と命を自由にお使いください」


そしてたったひとつお願いをしました。

「正真正銘の禅僧と出会わせてください」


その後多くの僧侶との出会いがありましたが、ほどなくして向禅師と出会い、その願いは叶えられました。

彼はこの内なる真理を、すべて理解してくれた最初の人となりました。


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僕はいまでも、天河とOSHOによって生かされていると感じています。

今回の天河神社の特別神事も、流れの中で自然に起きたことです。

国常立尊が立つことが、日本人の内なる神の目覚めに繋がるのであれば、なんと素晴らしいことでしょう。


当日お越しになる方にも、来られないけれど関心を持ってくれた方にも、心から感謝申し上げます。



祓えたまい 清めたまへ


かんながら






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Posted by Toshiro Abe at 10:03Comments(59)

2017年10月11日

天河神社と出土した古文書(特別神事へのご案内)

昨日も書いた通り、人生の先が全く見えなくなって、しかも社会を生きることに辟易としていた頃に訪れたのが天河神社でした。

そこでは数々の不思議な現象や偶然の一致を経験するのですが、その中にOSHOのことがあります。

OSHOは、僕が感じたことを最も正確に伝えてくれていたインドの覚者で、4年間というもの、毎日彼の本を持ち歩いていました。

もし世界が破滅してしまっても、この本さえあれば生きられるというくらい大切にしていました。


天河でご奉公していた時も、時間さえあれば彼の本に触れ、そして瞑想を続けました。

そんなある日、天河神社とOSHOは並々ならぬ関係があることを知りビックリします。


そのことについてはまた明日触れるとして、今日は11月19日に行われる天河神社での特別神事のご案内をします。



近年になって天河神社を襲った洪水により出土した古文書。

その古文書により、天河神社禊殿に、国常立尊(くにのとこたちのみこと)が祀られていたことが判明しました。

実は禊殿には深い愛着があります。

というのも天河神社にご奉公していた当時、よく一人で禊殿のお掃除をさせてもらっていたからです。


そんなこともあってか、この半年間、禊殿が気になって仕方なかったころに古文書の話を聞きました。

宮司が一人で禊殿に足を運んでお祈りをしているという話も耳にし、もし多くの人の関心とエネルギーをそこに向けることができれば、国常立尊の復活が早まるのではと思うようになりました。


国常立尊は日本書紀によると、最初に日本に現れた神であり、国が常に立っている、日本の不滅を表した神でもあります。

そして天河神社は、神武天皇が「ひのもと」という言霊を得て、日本という国名ができたと伝えられる場所でもあり、国常立尊の出現は、ただひとつの神様としては捨て置けない大きな意味があるように感じました。


すると不思議なことに、次々と縁が成就し始め、多くの人の協力を得て今回の神事の運びとなりました。


このようなことを言いながらも、実は僕自身は神についてあまり詳しくありません。

その存在がいったいなんなのか、おそらくある種の高い波動エネルギーであろうと思っています。

が、こうして気になるということは、理屈を超えた何かを感じているということなのでしょう。


11月19日11時から、天河神社禊殿で特別神事が執り行われます。

その中でギターを奏でながら大祓詞(祝詞)を奏上させていただきます。
最大で300人しか参加することができないので、有志のみなさんに申し込んでもらうことにしました。


神事の後に、参集殿にて絶対他力(さとうみつろう&阿部敏郎)のライブと、柿坂宮司との対談講演を開催します。

すべて参加費は無料ですが、神社へのお心付けをお願いします。


当日は奈良交通が、近鉄下市口駅から、朝9時に臨時バスを3台出してくれます。

ご希望の方は9時までにバス乗り場に集まってください。

ちなみに8時45分の定期便もありますので、どちらかをご利用ください

帰りも同様に、15時25分の定期便の後に臨時バスが3台出ます。

参加ご希望の方はコチラからお入りください。


またその前日の18日の夜は、19時から本殿で御祈祷神事が執り行われます。

ここでも僕が祝詞を奏上します。

神事が終わった後、参集殿にて坐禅会を行います。

前夜から、さとうみつろう君と雲黒斎君も参加します。

参加ご希望の方はコチラに神事のお申し込みがあります)

(周辺民宿ならびに少し離れたところにある民宿・旅館はすべて満室です。車で15分程のところに洞川温泉がありますが、こちらも少なくなっていますのでお確かめください。




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Posted by Toshiro Abe at 12:33Comments(20)

2017年10月10日

天河神社

平成元年、神社に関心がなかった僕が、背中を押されるようにして天河神社に向かった。

正直に話せば、その時はこの社会で生きるのがほとほと嫌になっていた。

内側に大きな変化が生じてから4年が過ぎていて、その4年間は社会の中で活動しながらもいまと同じメッセージをことあるごとに人に伝えていた。

どうやったら「このメッセージ」を多くの人に届けられるかにしか関心がなく、バブル経済の真っただ中ということもあり投資してくれる人はいくらでもいて、そのお金を湯水のように使ってメッセージバンドを作ったんだけど、商業的には大失敗。


お金なんて所詮は人間界のものという考えは、現実面において通用しうるはずもなく、その責任としわ寄せが一気に襲い掛かってきていた。

自分のお金も使い果たし、明日をも知れぬ毎日が続いていたが、不思議と落ち着いていられたのは、やはり内なる気づきが大きかったと思う。

天河を訪れたのはそんなころだった。


山の中なのに、まるで海の底みたいで、いままでに感じたことがない静かなる優しい「気」を感じた。


できるだけ長く滞在したいと思ったら、宮司がやってきて

「アンタはここに縁がある人だから、4か月後にある240年ぶりの大祭の準備を手伝ってくれないか」

と言ってくれた。


どんな縁なのかは知る由もなかったが、当時から伝説的人物だった柿坂神酒之祐宮司からそう言ってもらえて何となくうれしかった。

なぜ宮司がそう思ったのかはいまも知らない。

きっと理由などなく、ただその時そう思ったのだろう。


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ある日突然、内側に生じた変化によって、我々を生かしている命はひとつのものだと確信していた。

そのひとつなる命を各自が「私の命」だと信じているということもわかった。

その命は同時に意識体でもあって、したがって各自が「私の意識」だと思っているものは、実際には大いなる意識の現れということだ。


したがってこの肉体が死を迎えても、命は消滅せず、意識も消滅せず、そのような意味から我々に死は存在しない。

だってそれまでも「私の命」「私の意識」だと思っていたものが、そのまま残るのだから。

失くすものは何もない。


いつも繰り返し

「大丈夫だよ」

と言い続けるのはこのことからきている。


そんな「大いなる命」、「大いなる意識」のことを、人は神として崇めてきたのだろう。

これが、僕が感じている神の概念だ。


にもかかわらず神社に行けば、そこにおわすであろう神に祈りを捧げるのは何故だろう。

自分の源に手を合わせているという説明もできるけれど、それでもそこに何かがいるような気がするのも事実だ。


それが何なのかは分からないけれど、それはとてつもなく大きな愛であり、無条件に全ての人を受け入れてくれるそんなエネルギーに満ちている。

人間界の善悪や判断を超えて、ただ優しさで迎えてくれる場所が僕にとっての天河だ。


行くたびに何かがリセットされて、そこから新しい人生が流れだす。


実際にいままでにも、不思議な巡り合わせが何度もあった。

いまの人生は天河から始まったと言っても過言ではない。


4か月間の奉公が終わり天河を下りる時、神殿に向かって

「この身体と命を、お好きなようにお使いください」

と祈念してから28年が過ぎた。


最近になって、また行ってみたいという思いが強くなり、なぜか禊殿(みそぎでん)が気になっていたところ、今回の特別神事の運びとなった。

やっぱり呼ばれたんだと思う。


この数年間、天河詣でをした人達から、

「宮司さんが阿部さんによろしくと言っていました」

という言葉を何回聞いたことだろう。


当日はどんな人が集まってくれるのかは知らないけれど、見えない仕組みの中で起きているこの流れを大切にしたいと思う。



禊殿での特別神事は11月19日11時。

前日の18日の夜には、本殿にて特別神事が執り行われます。


それも含めて、明日には詳細のご案内と先行予約が開始できる予定です。



かんながら
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Posted by Toshiro Abe at 12:38Comments(33)

2017年10月09日

究極の話

「個の私」という錯覚は、骨の髄まで浸透しているので、おいそれとは消えてくれません。

自分はいないということを自分に言い聞かせたとしても、どうにもならない。


でもね、本当にいないんですよ。


外側の現象は刻々と移り変わって、次々に思考がわいて、感情が訪れ、そのつど感覚が生じて、そういう全てのことがただ起き続けているだけです。

それらを経験している個としての自分がいるような気がしてしまった。

でもその個としての自分自体が思考が作り出した作品なんです。


まず最初に自分という思考が生まれ、次にその自分が他の思考を作り出していると思っているわけです。

この基本的な勘違いも含めて、全てはただ起き続けています。


でも、これら全てが起きているということを認識している存在があります。

その認識がなければ、何一つ存在することはできません。

存在は存在を認識するものがあって、初めて存在できるのです。

難しく考えなくてもわかりますよね。


その認識をしているものが本当のあなたです。


そして最後のだめ押しですが、

存在を認識しているものという言い方は、存在と認識するものを分けてしまいますが、実際には存在自体に認識があります。

というわけで結論を言えば、あなたはこの存在自体なのです。


何が何だか分からないという人もいることでしょう。

ただ分からないということが起きているだけで、分からなくていいんです。

この話は忘れてください。



( ̄  ̄;) じゃ最初から言うなよ!

一人ツッコミ


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とはいうものの、こうして個としての自分を生きているのも事実なわけで、メッセンジャーを気取るなら、個としての自分の人生をいかにスムーズに生きていくかというアドバイスも送りたいと思っています。

そういうつもりで今日の記事を書き始めたのに、結局こういう話になってしまうのは、苦悩が道づれのこの人生から根本的に救い出すことができるのは、究極のメッセージしかないと思うから。

だから今日の文章は、何度も自分の奥に落とし込んでほしいのです。


明日は天河の話を書こうかな。

なんでこんなに天河に惹かれるのか、自分でもよくわかっていない。

早い話、現象界で起きることは分からないことだらけだ。


しんちゃんとなっちゃんの不思議な話も、ここからが本題だし、書きたいことは山ほどあるなァ。


・・・・・・・・・


【お知らせ】


なんやかんやある中で、ひとつ言えるのは瞑想を実践することの大切さ。

心身の調整のためにも、真実の自己に近づくためにも、この瞑想はとても効果的です。


直近の瞑想伝授とご指導

東京10月29日11時

名古屋11月4日11時30分(残り席わずか)


NIKE瞑想HP





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Posted by Toshiro Abe at 11:24Comments(34)

2017年10月07日

天河に呼ばれている

僕の周囲で何かが起き始めています。


みなさん、国常立尊(くにのとこたちのみこと)って知っていますか。

日本書紀に、日本が誕生した時の最初の神と記されている神様です。

名前の由来は、「日本国が永久に立ち続ける」というところから来ているそうです。


近年、天河神社が洪水に見舞われたとき、天河の禊殿(みそぎでん)から古文書が発見されました。

その古文書によって、禊殿のすぐ裏にある高倉山に国常立尊が祀られたまま忘れ去られていることが分かり、その復活のために最近になって宮司が禊殿に参ることがめっきり増えたと聞きました。


ちなみに天河は日本誕生に関わる神社で、伊勢神宮よりさらに歴史は古く、神武天皇が天河の磐座に額づいて祈りを捧げたとき

「ひのもと」

という言霊を得て、それが日本という国名になったと伝えられています。


僕は国常立尊の話を聞く前から、禊殿が気になってしかたありませんでした。

もともと霊能者タイプではありませんが、何の因果か天河と縁を持ち、特に禊殿は、天河に奉公しているころ、一人で掃除したり床を磨いていたりしたので、人一倍思いが強いのかもしれません。


まさにいま、この国際情勢の中で、天河から国常立尊にお出まし願う時だという気がして、宮司だけではなく多くの人の「気」を向けることが大切だと思っていました。


そんな折、今年の11月19日に、天河で特別神事が執り行なわれることになりました。

これも神縁なのでしょうか、僕が禊殿で大祓詞(祝詞)の歌を捧げます。

宮司はこの特別神事にエネルギーを傾けるとおっしゃっているそうです。


天河は呼ばれた人しか行けないと言われていますが、呼ばれるというのは、その情報に出会い、自らも行きたいという意志を持つということです。

その情報に触れる縁と、彼方から湧いてくる意志の両方が「呼ばれる」ということです。

その情報は夢として現れることもあれば、誰かから話を聞くということもあります。


ところが天河には古くから言い伝えがあって、行きたいと思っても呼ばれていない人は何かの事情で行けなくなるとのことです。

したがって、実際にその地に足を踏みいれた時点で呼ばれたということになります。

別に呼ばれなくてもどうってことないけど(笑)


禊殿に集まれる人数は最大300名なので、来週になったら有志を募集します。

とりあえずは、ご報告まで。


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正直言って、僕は神という存在が何なのかは分かりません。

ただ一つ言えるのは、少なくとも僕の人生は天河の流れの中で起きてきたということ。

天河に行ったタイミングと、そこで出会った人の縁によって、いまの人生があることは疑いようのないことです。


この世界の大元はたった一つであり、それは他でもないあなた自身なのですが、その根源エネルギーが様々な次元の作用としてこの世に現れ、森羅万象と共に、一人一人の人生が作られているのかもしれません。

僕たちは大きな仕組みの中で、それぞれがそれぞれの役目を担い、何一つ偶然も無駄もなく、今日もこうして命が営まれているのだと思います。



さて、いまから大阪に向かいます。

盟友の雲黒斎くんとのトークライブがあるからです。

今回のツアーでは、黒斎くんが雲さんとコンタクトを取る時なにが起きているのか、そしてひた隠しにしてきた雲さんという存在について披露してくれるそうです。

これは最近始めた二人の往復書簡によるブログの流れでそうなったことです。


何ごとも起きる時に起きることが起きる。


今日の大阪、明日の名古屋、まだお入りになれるので、このタイミングで急に来たくなった人はいらしてください。


それって、呼ばれた?(笑)

詳細はコチラから
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Posted by Toshiro Abe at 10:47Comments(41)