2010年01月31日

講演会を終えて

昨日も今日も、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。


何よりも、みなさんが心で聞いてくれたのがわかるので、僕の魂が喜んでいます。



うまい言葉が見つかりませんが、どうもありがとうございました。  


Posted by Toshiro Abe at 17:51Comments(23)

2010年01月31日

1月31日の日記

どなたに会っても、初めて会ったような気がしないのが不思議です。

起きることが起きる。それ以外は決して起きない。

このシンプルな真実から見れば、会う人とは会うように定められているのだと思います。

僕は僕で、そしてあなたはあなたで、無数の出来事の組み合わせによって実際にお会いするのですから、まさに出会いは奇跡ですね。



最初のころ、講演が始まる前に、何を話したらいいのか、あれこれ考えた時期がありました。

しかし、いまはそのようなことがありません。



いつも始まる前に思うのは、今日もメッセージを流すための、中空の竹に成りきろうということです。

そして伝えたいことは、ただひとつ。

誰もがみな、神から愛され、守られているということ。

だから心配しなくても大丈夫だということ。


こうして文字にすると、まるで宗教家のような言い方になってしまいますが、流れてくるメッセージは、究極的にはそれだけのような気がします。


僕は宗教家ではなく、むしろ宗教を離れた立場から、本来宗教が担うべき真実の伝達を、やらせてもらっているのだと思っています。




いまから名古屋に向かいます。

今日も新しい出会いがあります。



日々是好日  


Posted by Toshiro Abe at 08:15Comments(18)

2010年01月30日

十牛図

自我君自身のことを知るためには、自我君のことを「あっ自我君だ!」って気づくことが必要です。

そうやって客観的に気づくことができたら、その時は自我君との自己同化から離れています。


今日は自我君を「私」と呼ぶことにします。

そのほうが直接的でわかりやすいかもしれません。

「私」とは通常感じている自分のことです。


深い瞑想状態や、何かの拍子に、「私」から離れることがあります。

もし離れることができたら、そこに新しい何かを発見します。


「あれ?いままで自分のことを「私」だと思っていたけど、その「私」を超えている私は、いったい誰だ?」

そう、それが「大いなる自分」の一瞥です。



これは禅の十牛図(じゅうぎゅうず)という、悟りの段階を表した10枚の絵の中では、3枚目の「見牛」にあたり、いわゆる見性体験です。

ちなみに最初の2枚では、悟り(大いなる自分)に興味を持ち、学び始める段階を表しています。


十牛図では、大いなる自分を牛に喩えているのです。

その時代、最もダイナミックなエネルギーを表すのに、牛が一番身近で解りやすい喩えだったのでしょう。



十牛図では、「見牛」の後、


「得牛」(また見失ってしまいそうな大いなる自分を、捕まえる段階)


「牧牛」(大いなる自分を自分自身として馴染ませていく段階)


「騎牛帰家」(私と大いなる自分がひとつに調和した段階)


「忘牛存人」(大いなる自分という概念さえ消えて、あるがままのあたりまえの存在になった段階)


と続きます。



興味深いのは「忘牛存人」において、大いなる自己という概念そのものを忘れるというもので、もし覚えていれば、まだあいかわらず「私」の他に「大いなる自分」が存在することになり、二元性の迷いに逆戻りしてしまうからです。


さらに次の段階では、「人牛倶忘」と言って、自分という存在そのものが消滅し、いわゆる空(くう)なるものが残ります。

そうなれば、悟りもなく、悟った人もなくなります。

もし「私は悟った」ということに固執すれば、そこにまた「私」が生じて、元のもくあみになる可能性があるからです。



さてこの十牛図は、本来「道教」のもので、その頃は8枚しかなかったんです。

「人牛倶忘」(空)で終わっていたんですね。



ここからが禅の凄いところで、廓庵禅師があと2枚付けたします。


ちなみに禅とは道教と仏教のあいのこで、中国思想とインド思想の大いなる合体です。

廓庵禅師は何を付け足したのでしょうか。



それは体感するものです。



こうして書くと、凄いことのように見えますが、実際には、ただあるがままに在るということで、もっともシンプルな状態に生まれ変わるという感じです。


それは僕たち本来の存在基盤で、実際にはいまも、僕たちは例外なくその上に生活しています。

ただ、余分なものをたくさん持ってしまっただけです。

その余分なものの結晶が「自我君」であり「私」なのです。


いまここ塾でも十牛図の話をしたことがありますが、つい僕たちは禅の世界を凄いこととして捉えてしまって、自分にはおぼつかないもののように感じてしまいがちです。

それは歴史的に男性社会の中で、何もかも権威付けてしまった後遺症のような気がします。



ほんとうは、一番あたりまえの世界なんです。


これからもこのブログや講演会などの機会に、そんな話をしていきたいと思っています。





いま、広島のホテルです。


実は今日の記事は、朝の6時から書き始め、何を書いても気に入らずに、結局は10時過ぎから書き始めたこの記事をアップします。



お疲れ様でした(笑)
  


Posted by Toshiro Abe at 10:49Comments(30)

2010年01月29日

隠居爺の独り言

いやあ、今日もよく来てくれました。

アタシも毎日暇してるもので、アンタみたいな若い人が訪ねてきてくれると、嬉しゅうてね。


そんじゃ今日も何かしゃべってみるとしましょうか。



毎日の生活の中で、嬉しいことが起きたり、いやなことが起きたりするでしょ。

状況はめまぐるしく変わっていきますね。

でもその間中、自分の中には何も変わらずに在り続けるものがあるんですよ。


それは静かで、安定していて、限りなく満たされた存在でね。

何を目指すでもなく、ただ「ありのままのいま」を見つめているんです。


いつだってそうですよ。

もちろん「いま」もね。

その自分と一緒にいることが、本当の満足を得る道でしてね。



自我君には、どうしてもそれが信じられませんのじゃ。

それもそのはず、自我君はその存在を見たことがないからね。

なぜかと言うと、その存在は、自我君が消えたときに残っているものだから。



自我君はね、周囲に幸せでない理由を見つけ出し、自分の力で幸せになろうとします。

しかし幸せになれないんですな、これが。


そこには決定的な理由があるんですよ。

その理由とは、自我君の特性は、批判し、否定し、拒絶し、いまではない何かを得ようとすることですからね。

もっと端的に言えば、不幸でいることが自我君の存在理由なんですよ。

そんな自我君の声に耳を傾けている限り、絶対に幸せになりませんよ。

そもそもそれは、幸せ用に作られていないんだから。


したがって、自我君の大きさが不幸の大きさであり、自我君が薄れた分だけ幸せと満足を感じることができます。

世の中に不幸が蔓延しているのは、この単純な事実を見逃しているからですね。



自我君は問題を見つける名人でね。

そして、自分の日常を、その問題を解決するために使おうとするんです。

アンタの人生は、一連の問題を解決するためのものになってしまっていませんか。



探している幸せや満足は、心の奥の静寂の中にあるんですよ。

それは表面的に生起する現象とは何の関係もなく、ただ「いまここ」に在り続けています。

でも静かゆえに、騒がしい自我君の声にかき消されてしまうんですな。



どうですか、お若いの。

また足を止めて、深呼吸でもしてみませんか。

終わってしまったことや、いま起きていることや、この先起きるかもしれないことを、考えるのはやめにしなされ。

考えは考えを生むだけですよ。


考えとは、自我君の道具なのです。

したがって、考えても幸せになれません。

幸せなときって、何も考えていないでしょ。

「ああ、なんて幸せなんだ、あーでもない、こーでもない・・・」なんて言っていないでしょ。



あはは、今日もまた、同じ話を繰り返してしまいましたな。

同じ話を、くどくどと、何度でも言い続ける、それが隠居爺の特徴でしてな。


ひざの上の猫でも撫でながら、熱いお茶を飲んで、今日も日向ぼっこをして暮らすとしよう。



また来なされよ。



おっほっほっほ・・・




・・・・・・・



ところで、話はいきなり変わりますが、3月20日に山川紘矢さんと山川亜希子さんと、東京で一緒に講演会をさせてもらいます。


昼の部が、山川紘矢さんと僕。

夜の部が、亜希子さんと僕。


どう?面白そうでしょ。



来週になったら詳細をお知らせしますね。

  


Posted by Toshiro Abe at 09:42Comments(36)

2010年01月28日

伝言

どんな生き方が正しいのか。

人生で何を成し遂げたらいいのか。

どんな自分になるべきか。

何を目指すのか。



昔は、そんなことを考えて生きていました。

そのことがとても重要だと思ったからです。


人は生きる指針のようなものを必要とします。

ある種の信条のようなものです。

あらゆる現実を、その信条を基準に生きようとします。


でもあるとき気づきました。

信条は固定されたものであり、それはすでに死んでいると。

もっと大切なのは、いまに対する生きた感応ではないかと。


そして、そこから自由になりました。

これが、昔の自分と、いまの自分の、もっとも大きな違いです。



現象を連続性の中で捉えないことです。


事は起きているのです。


言っていることわかりますか?


事は起きているのです。

それはハプニングです。


たとえばいまも、急にあなたの携帯が鳴るかもしれません。

ふとトイレに行きたくなるかもしれません。

何かを思い出して、いやな気持ちになったり、幸せな気持ちになったりするかもしれません。

人生とは、そのようなハプニングの連続であり、その瞬間の解釈と反応によって作り出されています。

その反応を作り出すのが、いまの生きた感性なのか、それとも過去の死んだ信条なのか、その違いは大きいのです。


それが解ると、人生が圧倒的に気楽になります。

持ち運ぶ荷物がなくなるからです。


それが「いま」を生きるということです。


より精神的である必要もなく、真理を生きようとする必要もなく、ただその瞬間の自分でいればいいだけです。


それは一貫性がないように見えます。

でもそのように見るのはいったい誰でしょうか。

そうやって判断するのは、いったい誰でしょう。

それこそが固定化された自我ではないでしょうか。



いったい僕たちは誰になろうとしているのでしょう。

悟った人ですか。

正しい人ですか。


それはどちらも理想のイメージに過ぎません。

そしてそのイメージが荷物になるのです。



ああ、あるがままの自分を生きるとは、なんて清々しいものでしょう。



これからも刻々と事は起きていきます。

僕たちの思いや信条とは関係なく、起きることが起きていくことでしょう。



ただそれだけのことです。


秘訣は、正しく生きることではなく、より良く生きることではなく、リラックスして生きることです。


最良でなくていいんです。

最善でなくていいんです。


僕たちは「波」という現象ではなく、「海」そのものなのですから。

どんな波でもいいじゃないですか。

どの道、みんな同じ一つの海なんですから。



だから頑張っていい波を生きるのではなく、海になって波の形はお任せしましょう。




・・・・・・・・・・



週末は、広島と名古屋で講演させていただきます。

広島はまだ席があります。

詳しくはコチラから。  


Posted by Toshiro Abe at 09:04Comments(47)

2010年01月27日

夢の中で見た夢

先日アップした、黒斎クンとのコラボ講演会の模様、もうご覧になりましたか?

思いのほかご好評をいただいているので、再掲します。

これは僕自身の目覚めの経緯をお話したものですが、目覚めの瞬間と、そこに至る経緯は人の数だけあると思います。


僕の体験を、一つのケースとして参考にしていただけたら幸いです。



前半(10分)



後半(10分)





このYou Tube動画は『一瞬で幸せになる方法―「いまここ塾」の教え』の宣伝用に作ってくれたものですが、今回は2冊立て続けに本を出してもらえて、本当にラッキーだと思っています。

周到に計画したわけではありませんが、きっとそのような流れになっていたのでしょう。



3月には3冊目が刊行されます。

裏ブログの、「随(かんながら)神」です。

タイトルは「随神物語」(かんながらものがたり)になる予定で、いま全体の構成や細かい文章の手直しをしているところです。


この物語を書いた当初から、こうして書籍化されることを強く願っていました。

丸10年かかりましたが、実際に発売が決まって感慨深いものがあります。



今日は秘密をお話しましょう。

恥ずかしくて誰にも言ってこなかったのですが、このさい、シャレのつもりで聞いてください。


実はですね、僕が心に描いていたのは、単に本になって発売されることだけではないんです。

映画化されることや、外国語に翻訳されて世界中の人に読まれることまで想像していました。



いつそんな夢を描いたと思います?


物語を書いたときじゃありません。

平成元年に、初めて天河神社を訪れたときです。


川合というバス停でバスを降りて、そばを流れる天川のほとりに腰を下ろしたとき、そこに2羽の大きなトンビが、翼を広げて悠々と空を飛んでいました。

その姿を見上げながら、ウォークマンで喜多朗の「シルクロードのテーマ」をかけたんです。


その瞬間です。

これから体験することが、いつか本となって、映画となって、ゆくゆくは世界中の人に読まれるようになるというビジョンが沸いたのです。


あまりに荒唐無稽な話なので、自分でも心の中で笑っていましたが、いまその一つが実現しようとしています。

そもそも僕が物語を書くということ自体が、当時としては考えられないことだったので、なぜそのようなビジョンが浮かんだのか、ちょっぴり不思議な感じです。


みなさんの中に、そんな体験をしたことがある人はいませんか。


思い描いたときは、あまりにも突飛な空想なのに、いつの間にかそれが実現していたってこと。


それって、いわゆる引き寄せの法則なのでしょうか。

それとも、すべての未来は決定されていて、それを何かの拍子に垣間見てしまうのでしょうか。


僕は後者のような気がしています。



もちろん全てが的中するわけではなく、映画化の話も、世界に翻訳される話もあり得ないかも知れませんが、いまも可能性はゼロではないような気がしています。


そう思うと人生は楽しいですね。

どの道、人生そのものが夢なのですから、どうせ見るなら楽しい夢にしましょう。




今日もここに来てくれてありがとうございました。  


Posted by Toshiro Abe at 09:13Comments(35)

2010年01月26日

懐疑的態度と、全面信頼は、どちらも重要です

昨日は久しぶりに息子と長時間話し合いました。

と言っても、いつだって僕が話したい内容は、この「いまここ塾」のブログで紹介しているようなことに尽きるわけで、それは相手が息子だろうと同じことです。

で、とことん話したわけです。



たとえば、僕たちの本質は決して死なないし、永遠不滅のものだということ。


すると息子が言いました。

「死んだことあるの?はっきり覚えているの?」


「いや、そうじゃなく、生死を越えた体験から確信したんだよ」


「それをどうやって証明するの?証拠は?」


「いや、だからそれは実感して初めて解ることで、証明はできない」


「悪いけど、僕は自分が実感するまでは、いかに親の話でも信じない」


ま、こんなやりとりでした。



僕は思いました。彼の態度はとても大切だと。

そうなんです。それくらいの慎重さがなければ真理を獲得することはできません。

あの人が言うからとか、この人が言うからとか、そのような態度では、あいまいな妄想や虚言さえも信じてしまうかもしれません。


このような懐疑的態度は、男性に多いように思います。

男性の存在センターは思考にあるからです。

思考は論理や証拠を重視し、疑うことで真理に近づこうとします。

それが科学の基本姿勢であり、科学は男性性が築き上げたと言ってもいいでしょう。




反対に女性の多くは、いきなり信頼する能力を持っています。

それを論理ではなく、直感という形で判断するのです。

さっき言ったことと矛盾しますが、こちらもとても重要な要素です。


どちらが真理に近づくのが早いかといえば女性です。

彼女たちは全身全霊で信頼することを知っているので、一度そのような感覚を持ってしまえば、真理が乾いたスポンジに浸透する水のごとく、あっと言う間に真髄を体得することができます。


だから古今東西、真理に興味を持って、そこに帰依しようとするのは女性のほうが多いのです。

その割合は、8:2だと言います。


おそらくこのブログも8割がた女性の読者でしょう。

それは僕の顔が可愛いからではなく(笑)、このような情報に興味を持つ人の割合です。

釈迦の時代から、変わらずにそうだったそうです。


それじゃ、なぜ名高い聖者や教祖たちは、みな男なのかという疑問が残ります。

これについても僕なりの答えを持っていますが、ここに書くと長くなるので、また別の機会にします。



で、今日は結局のところ何が言いたいのかと言うと・・・


何も言いたいことはありません。

こうして出会えたことに感謝します。

男性は男性なりに、女性は女性なりに、これからもよろしくお願いします。



どちらの性も、真理に到達するために必要なことが毎日起きています。

そんな展開を信頼して、あなたらしくあなた自身を生きてください。


あなたを応援しています。




さて、また新刊のAmazon予約が始まりました。

今度は2月22日発売の、「一瞬で幸せになる方法」(サンマーク出版)です。

中身は先日僕が個人出版した「いまここ塾」と同じです。

内容を評価してくれて、こうして全国発売に結び付けてくれたこと、関係者の皆様に心より感謝します。








ご注文はコチラから。



「いまここ」すべてがうまく流れ出す宇宙の絶対ルール(ダイヤモンド社)も、よろしくお願いします。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:19Comments(34)

2010年01月25日

1月25日の記事

昨日は仙台で初めてのいまここ塾でした。

少し前なら、まったくトンチンカンにしか見られなかったメッセージに、多くの人たちが共感してくれる時代になったと感じています。


思考を超えたリアリティを、どのように思考に訴えるかが長年の課題でした。

しかしそれは、個々の内なる感性が発達することで、いつの間にか解決していました。



しかもこの変化は大きな波となって、地上全体に広がっていくという予感があります。


その予感は、日に日に強まるばかりです。


幸運にもこのような講演をやらせてもらっている現場の人間だからこそ感じることかもしれません。


僕は刻々と変わりゆく時代の証人の一人だと思っています。



今から沖縄に帰ります。



この地上に愛と理解の花が咲きますように。



・・・・・・



明日のいまここ塾は久しぶりの中城です。


沖縄の方は気軽にお出かけください。  


Posted by Toshiro Abe at 08:33Comments(29)

2010年01月23日

1月23日の日記

昨日、息子とコンビに買い物に行ったんです。

そしてレジに並んでいたら、年配の婦人が、凄い剣幕でレジの店員を叱責しています。

どうやら公共料金の支払い方法が納得いかなかったようです。


店員は20代の女性で、手続き上のことを繰り返し説明しているのですが、ご婦人は納得しません。

そのうち「手数料を取っているんだから責任取れ」となって「お金を払え」とまでエスカレートしていきました。


どうやら店員のミスというよりは、支払う側の思い込みといった感じのやり取りでした。

店員は不条理な抗議にもかかわらず、ただひたすら謝っていました。



僕たちが店を出てからも、中ではまだ大声が続いていたので、僕は息子に言いました。

「あの子、可哀想だね」


すると息子が言いました。

「あれはまだいいほうだよ。だってあの人本気で怒っていたもん」

「どういう意味?」

「もっと悪質なのは、単に言いがかりをつけにくる客さ。ストレスを吐き出しに来るんだ」


そうか、そういえばこの子は、高校生活の中で数ヶ月間コンビニのバイトをして頑張っていたんだっけ。

学校よりたくさん学べたって言ってたけど、いろいろ大変なことがあったんだな。


「客から小突かれたこともあったし、唾を吐きかけられたりもしたよ」

「なんで?!」

「カードにポイントを付けたんだけど、それを相手が見ていなくて、馬鹿にするのかって・・・」


「で、どうした?」


「謝ったよ」


「悔しかっただろ?」


「うん、でもそんなこと、しょっちゅうだったから」



僕はのほほんと好きなことをして、運よく生活ができているけど、世の中には苦しみや怒りが蔓延していて、それが弱いところに向かって吐き出されているんだと思いました。

それを受ける側のストレスはいかほどのものか。


さきほどの婦人が、しかめっ面で帰っていきました。

店の中をのぞくと、一方的に責められていた店員が、もう笑顔を浮かべて接客しています。



すごいなぁ。

みんな、すごいなぁ。



僕は以前、もし仕事が無くなって食べられなくなったら、コンビニのバイトでもやるさって言ったことがあったけど、あまりにも無知で、恥知らずな発言でした。


この僕に勤まるわけがない。

客の首根っこを掴んでいるのが落ちだろう。

それにコンビニ店員たちがこなす仕事の種類と量は半端じゃない。

若いころならともかく、今の僕にはどうにもならないだろう。

まるで人生がわかったようなことを言っているけれど、実際には何もできない自分がいるわけで、もっと謙虚に、もっと頭をたれて生きていかなきゃって思いました。



息子に言いました。

「バイトやって良かったね」

「うん、あれからどんなお店に入っても、店員さんに『ありがとう』って言うようになったよ。たしかにバイト料をもらっているけど、それ以上に客のためにやってあげていることが多いからね。そうか、やってもらっていたんだってことに気がついた」


そう言われてみれば、今着ている服も誰かが作ってくれたんだし、毎日食べているものだって、自分が畑で作ったわけじゃない。

僕たちは何から何まで「おかげさま」で生かされているんだ。




何から何まで、ぜんぶ「おかげさま」だったんだ。




そんな簡単なことに気づかされた、沖縄の夜の一コマでした。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(50)

2010年01月22日

遠離一切顛倒夢想

外側の世界で何が起きていようと、表面的に自分が何を感じていようと、その背後には、いつも変わらず、ただ全てに安心して、満たされている自分がいるんです。

それは例外なく、全ての人の中にいます。

いっさいの信念や条件付けに影響されることなく、ただあるがままを受け入れ、すべてを慈しみ、愛を持って見つめています。

あるがままを受け入れているから、何の軋轢もなく、ただ静かに淡々と存在しているのです。



あまりに静かなので、そして何の問題も持っていないので、問題を見ることしかできない思考には、決してそれを見つけることはできません。


思考はあるがままの現実の中に問題を作り出し、さらにはその問題をどうしようかと考え始めます。

その考えは決して止むことがなく、いつまでも同じ回路をぐるぐると回り続けています。


もう何年くらいそれをやっているでしょう。

おそらくは物心ついてからずっとです。

でもその間中も、静かに全てを受け入れている存在は、一瞬も我々から離れることなく、いつも「いまここ」に在り続けていました。

それこそが本当の自分です。


本当の自分は、そうやって僕たちの心のずっと奥のほうで、僕たちのあらゆる過ちや愚かさを許しながら、いつの日か見つけ出されることをじっと待っているのです。



「見つけた!」


「見性!!!」




その時、あらゆることが逆転します。

下だと思ったものが上になり、上だと思ったものが下になります。



遠離一切顛倒夢想(おんりーいっさい てんどうむーそう)



よくもここまで勘違いの人生を生きていたものだと、その徹底したひたむきさに感心し、その愚かさを笑い出します。

思考が作り出したありもしない自分を、ありもしない周りから、必死になって守り続けていたなんて・・・


そんな大きな気づきが、あらゆる人の魂に最初から組み込まれています。

それが「いつ」なのかも含めて、完全にプログラムされているというのが、僕の経験からの感想です。



さて、その存在をはっきり見届けたとしたら、その先はどうなるのでしょう。

実際には、そこからまた新たなる旅が始まります。

いままでどおり、起きることが起きていきます。


見性すれば、悟れば、目覚めれば、問題が全部消えて無くなって、永遠の幸福が続くと思ったら、残念ながらそうはなりません。


実際には、目覚める前(悟る前)との違いが、ほとんど何も無いと言ってもいいかもしれません。



こんなことを言ったら、せっかく目覚めに関心を持ち始めた人を、失望させるかもしれませんね。


でもご安心ください。



問題が起きたとしても(勘違いにハマったとしても)、それはほんの僅かの期間で、すぐにまた本当のことを思い出します。


圧倒的に気持ちは楽になっています。


人の目という幻想から解放されて、自分を生き出します。


全ての現実がスムーズに流れ始めます。


いつもワクワクした気持ちに満たされています。



こんなところでいいですか(笑)






さて、昨日アップしてすぐに取りやめた講演会の動画です。

You Tubeになって登場です。


今度は簡単に見れると思いますので、時間がある時にでもお楽しみください。

黒斎クンの漫画顔が、彼の人柄を表していて、ほほえましいですね。



前編


後編  


Posted by Toshiro Abe at 08:31Comments(44)

2010年01月21日

新刊の発売を前に

さていよいよ、今月末発売になる本の、アマゾン予約受付が開始されました。

タイトルはズバリ

「いまここ」すべてがうまく流れ出す宇宙の絶対ルール(ダイヤモンド社)



まだ表紙がアップされていないので、こちらに載せておきます。






いまなら送料が無料のようです。

先行予約はコチラから。




さらに今日はプレゼントがあります。


初公開になりますが、講演会の模様を紹介します。

先月黒斎クンとやった、コラボ講演会の模様です。

黒斎クンの顔の画像処理が笑えますニコニコ


こちらは来月末発売になる『一瞬で幸せになる方法―「いまここ塾」の教え』(サンマーク出版)の宣伝用です。


この動画は、さっきまでアップしていたのですが、重かったのと、サイトにアクセスが集中してダウンしてしまう可能性が出てきたので、後日YOU TUBEにアップしなおすそうです。

それまでお待ちください。


・・・・・・・・



今月は、もう3ヶ所で講演させていただきます。


1月24日 仙台


1月30日 広島


1月31日 名古屋


詳細は都市名をクリックしてください。

(名古屋は満席のため受付を終了しています)



みなさんとお会いできるのを、楽しみにしています。  


Posted by Toshiro Abe at 09:02Comments(33)

2010年01月20日

終わりと始まり

今までに、多くの人たちが、「今年は変化の年だ。大きな幕開けだ」と言ってきました。

僕自身はその言葉を聞いても、あまりピンと来ることはありませんでした。

変化は毎年のように起きているのだから、ことさら騒ぐことでもないだろうと思っていました。



その僕が、2010年は大きな幕開けだと言い始めています。

この幕開けが、僕個人のことなのか、社会のことなのか、あるいは地球全体のことなのか、それはわかりません。

もしかしたら全部が繋がっていて、同時に起きているのかもしれません。


いずれにせよ、僕自身はそのように言いたくなるくらい、何かの前兆を感じ取っています。



今年は、多くの人の目覚めが始まっていく。

本当の自分に目覚める人が次々に現れる。


今年は「目覚め元年」。




「私が私だと思っていたものは私じゃなくて、本当の私は真理であり、全体だったんだ」



はいそのとおりです。



おかえりなさい(^o^)



今年は、いままでの「私」の終わりで、本当の「私」の始まりです。  


Posted by Toshiro Abe at 09:32Comments(27)

2010年01月19日

もう目の前に

昨日書いたのは、この世には何一つ偶然なんかありませんよということ。


そのことを完璧に知るのは、本来の面目(本当の自分・大いなる自己)を、再発見したときです。


その時、人はもう一つの大きな事実を知ります。

自分の存在も偶然ではなく、自分が宇宙からの使命を持ってこの地上にやってきたことを思い出します。

その時体感するのは、限りない歓喜です。



これは僕のことを言っているのではないですよ。

「あなた」のことです。


これがあなたの宿命です。

この発見は、生死を繰り返しながら、いつの日か確実に起こる唯一のことです。



それがいまや、すぐ目の前にあるのだから、凄くない?(若者風に)




・・・・・・・



今日から、3月東京いまここ塾(3月21日)の受付を開始します。

詳しくはコチラから。




今夜の沖縄いまここ塾、明晩の水曜の会は、那覇市てぃるる、19時半です。

予約は要りませんのでお気軽にいらしてください。  


Posted by Toshiro Abe at 10:03Comments(29)

2010年01月18日

1月18日の記事

やっぱり決まっていると思います。

人との出会いも、そのタイミングも、何もかもが決まっていると思います。



もし、全体のプロセスを見て取れるような視点が持てれば、全てが決定されていることが判ります。


いまこの瞬間、あなたがどこにいて、どんな気持ちでこれを読んで、どれくらい受けとったかも全部決まっているわけです。


それってつまらないと思うかも知れませんが、でもこうして僕たちの出会いが、あらかじめ決められていたとしたら、ちょっと嬉しくないですか。


嬉しい人も、嬉しくない人も、そうなるように決められていました(笑)



あなたとの出会いに感謝します。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:22Comments(56)

2010年01月16日

1月16日の記事

いま博多です。

気温は、タイの冷蔵庫より少し低めに設定されているみたいです。



サブ。



まだ頭と心は帰国していないみたいで、都会の喧騒が映画みたいに見えます。



それにしても飛行機の窓から見えた夜明けの神々しかったこと。

深夜は機内の明かりが消えているので、満天の星が見てとれるのですが、ほんの少しの間に、明けの明星とオレンジ色の水平線だけに変わります。


そんな壮大な景観に見とれていると、一部が金色に輝き、そこから、あのお方様がお出ましになるのです。


毎日のことながら不思議ですね。



結局一睡もせずに朝を迎えました。



これから初の大分。



今日一日がどんな日になるのか、とても楽しみです。




ブログを訪れてくれる皆さん、今日からまた宜しくお願いします。  


Posted by Toshiro Abe at 10:10Comments(32)

2010年01月14日

昨日は何も書くことができませんでした。

僕の中で何か不思議なことが起きています。

しかしそれを言葉にすると、まるで超現象のような、サイキックのような、いずれにせよ僕の好みではない世界を表現することになります。

起きているプロセスは単に起きているのであって、説明はいらないのかもしれませんね。

ただ淡々と見届ければ、それでいいのでしょう。



人それぞれに、大きな河があります。

僕たちはその河に船を浮かべて、上流に漕いだり、右や左と舵を取り、それを人生と呼んでいます。

まるで船頭が独自のゴールを知っているかのようです。


しかし実際には船頭は何一つ知りません。

彼にできることは、心配すること、混乱すること、恐れることくらいです。

気まぐれで偶発的な感情と共に、船首はあっちこっちと向きを変え続けます。

それはさらなる混乱を生むのですが、船頭は自分の注意力や努力が足りないからそうなるのだと信じています。


実際にはそんな努力も頑張りも要りません。

最も賢い生き方は、船頭に引退してもらって、船のオールを手放すことです。


かと言って、それは何もしないで寝ているわけではありません。

目の前の景色(現実)に、心をこめて対応していきます。

ただし、こうなるべきだという期待や、自分本位の結果は手放しています。

「いま」を生きるのです。


すると船は然るべき流れに乗って、下流へと進み始めます。

思わぬ方向に流れたり、居心地の悪い景色を通り過ぎることもあります。

しかしたいていの場合、力が抜けてリラックスしている分だけ、流れはスムーズになっていきます。

そして、どんな流れも必ず海にたどり着くのです。


その流れを信頼すること。

僕たちが信頼すべきは、この一点だけです。

他のものは諸行無常で、何もかも移り変わっていきます。


信頼とは、「流れを信頼すること」以外にはないのです。

流れだけがゴールを知っています。



いいですか、何度でも繰り返して伝えておきます。

人生を信頼して下さい。

たとえいま、どんな気持ちのあなたでも、たとえいま、どんな現状を生きていようと、それは流れの中で必要だから起きています。


人生に何一つ無駄はありません。

いまはそう思えない人がいたとしても、いつか必ず知る日が来ます。

あなたの人生も、あなた自身も、あなたを取り巻く大いなる宇宙も、完璧だったということを。



僕の中で起きているのは、それまで自分個人の流れだと思っていたものが、実は巨大な全体の流れそのものだったという実感です。

それは言葉では言い尽くせない喜びです。


実際には全ての人の流れは、僕と同じく、全体の流れそのものです。

それを知るのが、個としての人生の目的なのかもしれません。



・・・・・・・・・・・



明日の夜、帰路につきます。


土曜日の朝、福岡空港に降り、そのまま大分市で講演させてもらい、日曜は東京です。

お話したいことがたくさんあって、身体から溢れ出しそうです。


大分市はまだ席がありますので、お近くの方はいらして下さい。

(次回の九州いまここ塾は、4月11日・博多、東京いまここ塾は2月13日です)  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(65)

2010年01月12日

お元気ですか

みなさんのコメントで、レスしたいものがたくさんあります。

実は、ここはネット環境が決して良いとは言えず、持参したパソコンの不具合も生じたりと、日本にいるときのようなテンポで対応することができません。

しかも僕自身の意識が、まだ半分違う世界にいるときています。


何度もフリーズしてしまう画面に向かいつつ、今日もできるだけのことをしてみます。



SSさんのコメント

目覚めを望むことで、目覚めが逃げないか?
というのが、「目覚めを求めなさい」と聞いたときによぎる、私の思考による不安です。
このような質問、おそらく過去にも幾度となくされていると思いますが、いかがでしょう?
でも、求めることで、どんどん近づいている感覚もあるんです。



これは道を歩むうえで必ずと言っていいほどぶち当たるジレンマです。

おっしゃるように、悟ろうと思えば悟れません。

なぜなら、悟りとは「いまここ」のあるがままの自分に目覚めることなのに、悟りたいという思いは、いまとは違う別の自分になろうとすることだからです。

いまここにあるものを、将来に求めているのです。


さらには、悟りたいと言っている自分は誰かという問題も残ります。

それが、いつもお馴染みの、表面的に捉えている自己の欲求だとしたら、不可能です。

と言うのも、悟り(目覚め)とは、その自己が消滅した時に残るものであり、自己の欲求が叶った結果ではないからです。


今日の僕は、ほぼ思考停止状態で、うまく言えている自信がないのですが、何となくわかってくれますか。


以上のような理由から、「目覚めを望むことで、目覚めが逃げる」というのは事実です。

しかし一方で、そのことを強く望むことが、目覚めへの道を開いていきます。

あきらかに矛盾していますね。

営さんが言うように、「強く求めて執着しない」ということが、わかりやすい態度かもしれません。



言葉というのは、本当に不完全なものですね。

その時の意図に従って何かを書けば、他のタイミングで伝えた内容とズレが生じてしまうことがあります。

頭が冴えわたっている時ならば、思考を縦横無尽に駆使して、このようなことも難なく説明できるのですが、どうやら今日はこれが限界のようです。

意識は冴えているのですが、頭がどうも・・・


ま、こんな日もあるということで、これに懲りずにまたここにいらして下さい。



先ほど、満天の星空を見上げていたら、その不思議さに圧倒されてしまいました。

僕たちがここで生きていることは、奇跡の中の奇跡ですね。

人間は実際には何一つ知らないのに、わかったような気になって日々の生活を送っています。

ところが、何一つ知らないということを認めたとき、すべてを知っている存在とひとつになります。

それは、いつもは隠れている本当の自分です。



あはは、やっぱり思考停止しているみたいです。

いま、現地時間で深夜の3時、日本時間の明け方5時になります。

ここまで書くのに2時間以上もかかってしまいました。

これから記事をアップすると、読者登録している人の携帯が鳴ってしまうので、日本時間の8時半にセットしておきます。



今日はもう寝ます。


読んでくれてありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(51)

2010年01月11日

1月11日の記事

自我というのは、ある種の緊張感、怖れ、防衛本能のようなものだと思います。

本当は僕達みんな同じ一つのものなのですが、自分はそこから分離した個別の存在だという深い錯覚を持ってしまっています。

だから自分のことは自分が守らなければと思い、自分が作り出した外側の脅威から、これまた自分が作り出した「自己」という幻想を守ろうとするのです。


通常僕達はこの「自己」を自分だと信じて疑いもしないので、このような言葉が何を言おうとしているのか、よく分からないかもしれません。

あまりに深くそれと自己同化しているので、この言葉の意味を知るには、ある種の内的経験が必要となります。

結局はその経験をどう作り出すかが、一番の焦点になるわけです。


このブログに綴ってきた言葉達は、そんな一瞥を引き起こすためのものですが、それが引き起こるのは、周到に積み上げた準備と絶妙なタイミングが重なった時だと思います。


それはこれを読んでいる「いま」かもしれません。

それがいつであるにせよ、「いま」であることだけは確かです。

理由は言うまでもなく「いま」しか存在していないからです。

周到な準備とは瞑想のことです。

自己流でもいいですから、とにかく自分の内側に入っていく時間を毎日少しずつでも作り出すことです。


世界中のスピリチュアルマスター達が、異口同音に瞑想の必要性を説くのは、当てずっぽうで言っているのではなく、それが唯一と言っていいほどの確実な道だからです。

何故なら瞑想とは思考から離れることであり、大いなる一つと自分とを隔てているカーテンを取り去る作業だからです。



さて先程述べた、もう一つの重要な要素である「タイミング」ですが、それは決まっていると同時に、自らの意志によって速めることが出来るというのが、このところの僕の理解です。

この宇宙の不思議なところは、全てのタイミングが宿命的に決まっているのと同時に、自由意志によって人生を変える力が我々に与えられていることです。


先日も言ったように、強く望むことが、事を起こすタイミングを速めていきます。



まだ準備ができていない人をあせらす気はありませんが、道半ばにいる人に励ましの気持ちで書きました。


チェンマイは雲一つない清々しい天気です。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:47Comments(19)

2010年01月09日

無題

集中瞑想の最中ですが、ふとブログを更新したくなったので、その気持ちに逆らわずに何か書いてみます。

僕はいったい誰に発信しているのでしょう。

それは日によって変わる時がありますが、今日は明確です。

それは、ここに訪れてくれる人の中で、おそらくは最も多いであろう目覚め前夜の人達にです。

自分が目覚め前夜の一員だとピンとこない人も、僕に言わせれば、このような情報に興味を持ち出したこと自体が、あなたがそういう段階であることを示しています。


まずは求めることがスタートです。

今までの人生の延長線上には、決して究極の満足が得られないことを見極め、未知の次元への欲求を駆り立てることです。

真理の次元は、そんなあなたの欲求に必ず応え始めます。

必要な情報がもたらされ、必要な時に必要な道が示されるのです。


僕は言うまでもなく、取るに足らない一介の人間ですが、そんなあなたの道案内人に成りたいと願い生きてきました。


瞑想中に感じたことですが、この人生が始まるずっと前から、これらのことを全て理解し、今生もそれを伝える為に生まれてきました。


ただ、僕の人間的な面(いわゆる自我)が、その仕事を妨げて、本来であればもっと速やかに成就していたであろうことが、ずいぶんと時間をかける結果となりました。


一方でそれさえも予め自分で決めていたのかもしれないという思いもあります。

相変わらず多くの未熟さを抱えたままの人間ですが、この先迷わず自分の道を生きていきたいと思っています。


とりとめのない文章になってしまいましたが、ふとそれを伝えたいと思いました。



最後まで読んでくれてありがとう。


  


Posted by Toshiro Abe at 23:53Comments(63)

2010年01月09日

静寂 2

現在、48時間の沈黙と瞑想の行に入っています。

48時間も絶え間なく瞑想するのは苦痛に思えるかもしれませんが、まったく逆で、できたらこの静寂から戻って来たくないくらい、素晴らしいひと時です。



おそらく地上に帰還するのは月曜日になると思います。




あなたの人生に、大いなる祝福が訪れますように。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:37Comments(17)