2006年12月31日
よいお年を
結局のところ、自分がどれだけリラックスしていくか、落ち着いていくかってことが大切なんだ。
安心して自分に戻ってくる・・・
それが全ての秘訣だと思う。
僕たちがひとつの繋がりを感じ出すというのは、同時に僕たちが自分自身に戻っていくことだ。
そこを突き詰めていくと、
自分も周囲も無くなり、
すべては自分という意識が創り出している壮大なドラマだってことが見えてくる。
そこにくつろげれば、ゲームは終わる。
本当に伝えたいのは、それだけ・・・
よいお年を
ゴ~~ン!!
2006年12月31日
2006年12月31日
あなたへ
まずは、僕と出会ってくれてありがとう。
人間、出会うべき人には必ず出会う。
しかも一瞬早からず、一瞬遅からず。
ただし内に求むる心無くば、縁は生ぜず。
今年一年の感謝を込めて、いまあなたに、僕にできる最高のことをしたいと思っています。
今年最後の数時間、何度かこの席(PCの前)に座り、その度にその時感じたことを、あなたに送ります。
まずは、いま感じていること
それは僕が今、生きてるってこと。
そしてあなたがそこにいるってこと。
しかもあなたは今これを読んでいて、僕と繋がっている。
僕らの魂は身体の中にあるんじゃない。
むしろ身体とは魂の中にあって、梅干のタネみたいなものだよ。
言葉で表すのは難しいけど、あえて言えば、僕らの魂はあたり一面に広がっている。
だから時間と空間を超えて、こうして出会えるんだ。
あなたがそれを信じて、つながろう、感じようとしたぶんだけ僕らは出会える。
僕はすでにあなたを感じているよ。
さあ、その狭苦しい身体から意識を解き放って、もとの姿に戻るんだ。
それが「開放感」「一体感」と呼ばれているものだよ。
ひとり静かな時間を作って、そんな自分を感じてごらん。
それこそが生きている中で、もっとも貴重で大切な時間だから。
僕は今年の最後を、そんな自分で過そうと思う。
2006年12月31日
門松の由来
門松ってなんで立てるか知ってる?
それでは、知ったかブッダの阿部さんが教えてあげましょう。
門松と言えば角松敏生。
いけない、梅ちゃんのジョークを、しかも受けなかったジョークを転用してしまった。
もとい、それじゃまじめにいきます。
門松・・・特に竹をスパット斜めに切ってあるのが主流だよね。
その由来は徳川家康なんだって。
僕が育った浜松の三方が原というといころで、昔合戦があったんだ。
武田信玄と徳川家康の戦いで、家康生涯最大の負け戦。
命からがら浜松城に逃げ帰った家康が、竹を切って、武田を切るとシャレたのが始まりだって言われている。
でもそれは後世の人が言ったことで、本当の意味はもっと怖いんだよ。
ここからは、あまり知られていない本当の話。
実はね、あの竹の先に敵方武将(武田信玄)の首を差せますようにって祈願したみたい。
それが何よりめでたいことだったから。
だから首を差すための竹を、お正月はみなさん家の前に飾っているわけ。
とは言うものの、もともとの意味は神が木の枝に宿るっていうことから、神をお迎えするために始まったみたいだけどね。
そのころは竹じゃなくて、榊とか松とかの常緑樹だったみたいだよ。
それが長寿を願って竹になったっていう説も。
ま、とにかくめでたいから飾るということで・・・
以上、3分間雑学コーナーでした
そうだ!!掃除しよう
2006年12月31日
大掃除
修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、
修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、
あっ間違えた
掃除するぞ、掃除するぞ、掃除するぞ、掃除するぞ、
掃除するぞ、掃除するぞ、掃除するぞ、掃除するぞ、
それじゃ、みなさん「よいお年を」
と言いつつ
更新するぞ、更新するぞ、更新するぞ、更新するぞ、
更新するぞ、更新するぞ、更新するぞ、更新するぞ、
きっとまた今日中に、なんだかんだ書くと思うのでよろしく
掃除するぞ、掃除するぞ、掃除するぞ、掃除するぞ、
掃除するぞ、掃除するぞ、掃除するぞ、掃除するぞ、
2006年12月30日
神様
初詣でのことを話したけど、神様がいないって言っているんじゃないよ。
でもいるとも言えない。
いるって言えばいるし、いないって言えばいない。
食事をしたり歩いたりするのと同じリアルさでそのことを実感するまでは、安易な結論を持たないほうがいいよね。
その実感がなければ、有神論者は迷信に惑わされている。
その実感がなければ、無神論者も迷信に惑わされている。
迷信とは何を信じているかではなく、信じている事がリアルな経験に基づいていないことを言うんだよ。
きっと僕たちはその答えを知るために生きているんだろうな。
2006年12月30日
初詣
昔はよく行ったよな、明治神宮とか川崎大師とか。
大晦日の夜中に家を出て、寒くて凍えそうな手に白い息を吐きかけて、行列に並んで・・・
おお・・さぶ~
考えただけで寒くなる。
今年(あれ?来年か)初詣に行こうと計画している人には水をさすようだけど、あれはやめといたほうがいいよ。
混むから。
どうしても行きたいなら、空いている時にしたら。
1月も10日過ぎれば、どこもガラガラだし。
だいたい初詣って言うのは、年中お参りする人がその年最初に詣でることで、別に正月じゃなくてもいいんだから。
僕は新連載の随(かんながら)神 のなかで神社に奉公していた時のこと書いているから、きっと阿部さんは今でも足げく神社詣でしてるって思うかもしれないけど、僕の今年の初詣は12月だよ(笑)
すぐ近くの神社に行った。
すぐ近くなのに、引越しして5年目にして初めて行った。
それでもこの5年間、いいことがたくさん起きた。
うっかり詣でたら神様のおかげにされるところだった。
それにね、初詣に行く理由のほとんどは「金運」「恋愛運」「合格祈願」「健康」「仕事運」・・・・結局は自分の願い事だろ?
そんなあなたの都合なんか神様は聞いてる暇ないよ。
みんなから物乞いされて神様も大変だっつうの。
そんな時間があったら、家で静かに目を閉じて、世界の平和や、人々の幸せを祈っていたほうがよっぽど運が向いてくるよ。
それで神社にお賽銭するはずだった余ったお金で、僕のライブに来たら、来年がいい年になる事は間違いなし。
1月16日
20:00開演
国際通り牧志郵便局向かい D-SET CAFÉ
またバンドスタイルではじけようぜ!!
お申し込みは098-866-5880(母家)まで
そのほうが楽しいよ。
僕も嬉しいし
2006年12月29日
今がゴール
来年も頑張って自分を磨いて、よりよい自分になるのを目指すのと、
いまこの瞬間に、いまあるがままの自分を認めるのと、どっちを選ぶ?
ほとんどの人は、よりよい自分を目指すことを選ぶんだよね。
そうやって時間を先延ばししてきたんだ。
何万年もね。
なんでかね~(沖縄風に)
結局僕たちは、いまあるがままの自分では十分な価値がないと感じているみたい。
だから何かを満たそうとする。
それが欲望の正体さ。
そしてそれには終わりがない。
ひとつ満たせば、また次にもっと多くのものが欲しくなって・・・・
本当は、すでにゴールにたどり着いているのにね。
いつだって、今がゴールなんだよ。
はいお疲れ様。
もう十分だよ、よく頑張ったね
今夜も21:30から、琉球放送で生放送。
なにか変わったことしたい。
除夜の鐘を流したら怒られるかな?
それとも明るい声で
「メリークリスマス!!」
って叫んで見ようかな。
曲もクリスマスソング特集。
お楽しみに
2006年12月29日
読んでね
もうひとつのブログもおかげさまで好調なスタートです。
どうもありがとう m(_ _)m
それは実話を基にした連載物語なんだけど、今日はその3回目。
龍村仁さんの映画に出てくる宇宙飛行士、ラッセルシュワイカートさんの体験談が出てきます。
とても大切な話で、みなさんに読んでいただきたいので、再度ブログアドレスを紹介します。
随(かんながら)神
http://orionza.ti-da.net/
2006年12月29日
年の瀬
おはよう。
12月29日か・・・正直実感湧かない。
いつもと同じ朝だし・・・
けっこう自分に言い聞かせているんだよ。
僕も昔みたいに年末年始を実感したいから。
子供頃はびんびんに実感してた。
大晦日の夜の定番はいつも紅白歌合戦だったよ。
コタツに入ってミカンの皮を剥きながら、食い入るように見ていたっけ。
必ず隣では父が紙とエンピツを用意して採点するんだ。
実際の結果にはまったく反映されないのに、それでも几帳面に採点していた。
楽しそうだったな。
当時は大御所と呼ばれた淡谷のり子さんや藤山一郎さんとかが最後のほうに歌って、そりゃ子供心にこの人たちは世の中で一番偉い人なんだろうなって思ったもんだよ。
そして最後は「ゆく年くる年」
どこか知らない地方の、お寺の鐘がゴーーーンって。
NHKアナウンサーの、なんとも落ち着いた声で、
「激動の○○年も終わり、来年がいい年でありますように」
うわ~~ん、懐かしい!!!!!!
そうだ、コタツはないけどミカン買ってこよう。
みなさんもよい年の瀬を過ごしてね。
2006年12月28日
期待の補足
寝る前に、さっきの「期待」の内容について、ちょっと補足するね。
まず、「あきらめる」という言葉は、否定的なニュアンスがあるけどそうじゃない。
相手のあるがままを認めるという意味だよ。
さらにその相手が自分の場合もある。
自分が自分に期待するってやつ。
もっとこういう自分になるべきだとか、あの人のようになりたいとか・・・
それも大方の場合、早くあきらめたほうがいい。
人間には先天的な性質という個性があって、それは一生変わらないから。
後天的に矯正してきた部分は変えられるけど、もともとの性格は無理。
それに変える必要もないんだよ。
自分から見てよく見える人も、その人なりに手に負えない自分を持っていて、みんなプラス半分マイナス半分だから。
マイナスにこだわるより、プラスの自分をたくさん見つけてあげたほうがいいよ。
たとえば臆病であるがゆえに消極的になってしまう人がいるとしたら、臆病さそのものを変えようとしても難しい。
でも臆病な自分のままで積極的な行動を取ることはできるでしょ。
内面は変わらなくても行動は変えられるから。
それにそういう人は、臆病であるがゆえに慎重さを持っていたりして、それはその人の美徳だったりする。
だからその人は、慎重という本来の良さを持ちながら積極的に行動する人になれるわけだ。
積極的なおっちょこちょいより、ずっといい。
(それは私です)
僕はずいぶん前に自分をあきらめたよ。
でも行動レベルや表現レベルにおいては、理想を捨てていない。
僕は思いやりに欠ける性格だから、行動面で思いやりを発揮していきたいと思っている。
それじゃ、また明日ね。
おやすみ
2006年12月28日
期待
昨日からずっとパソコン漬だったけど、本当に楽しかった。
楽しい時ってそれ自体がすでに結果で、何かを期待しているわけでも、誰かの期待に応えようとしているわけでもない。
ただ楽しいんだよね。
これって人間関係も同じで、期待に応えようとすると、もしできなかったらどうしようって深刻になっちゃったり、応えられない時は自分を責めたりして、楽しさとは程遠い世界に入っていっちゃう。
そして相手の期待に応えようとしている時は、心の底で相手にも期待してたりするよね。
それで応えてくれないと、「これだけやってあげたのに」って。
男と女シリーズでも、いつか「期待」について書こうと思っていたんだ。
パートナーに対する期待。
それも「こういう人になってほしい」っていう人格的、人間的期待。
これは苦しいよ。
まさにこれは、自分の中で「こうあるべきだ」っていうイメージに固執しているわけで、そのイメージと相手をいつも比較しているから悪いところばかりが目に付いちゃう。
すると相手も息苦しくなって、関係がギクシャクして来るんだよ。
じゃ、どしたらいいかって?
簡単だよ。
あきらめるの!!
その人がその人でいることを許してあげるんだよ。
そうすると、違った形で期待が叶ったりするんだ。
皮肉なことに、相手がこちらの期待通りにしない理由は、こちらの期待が原因だったりする。
それを手放してあげれば、相手も喜んでこちらの喜ぶことをしてくれたりする。
まったく人間ってやつは、複雑に可愛いよね。
以上3分間人間講座でした。
2006年12月28日
ミイラ
朝、記事を載せたのが8時ちょい過ぎでしょ。
あれからずっとここに座ったまま、まだ新しいブログ、随(かんながら)神をいじってる。
トイレも行かず、ご飯も食べず・・・
このままミイラになっちゃったら、黄金の棺に入れてね。
2006年12月28日
あっというまに
え?もう28日?!
おかしいな、このあいだ24日だと思ったのに、25,26,27はどこ消えちゃったんだ?
何か騙されているみたいな気がするけど、このブログみると確かに生きていた痕跡がある。
こんな調子で、え?もう2012年?!
おかしいな、このあいだ2006年だと思ったのに、2007,2008,2009・・・はどこ消えちゃったんだ?
何か騙されているみたいな気がするけど、このブログみると確かに生きていた痕跡がある。
ってことになるのかな・・・?
そんなわけで、みなさんおはよう。
年末だというのに、朝から伝えたい事が山ほどある。
どれをとっても生活には直接役に立ちそうもないことばかり。
だけど、いま生きてるってことに関して最も重要なことばかり。
僕らは生きることに忙しすぎて、なんで生きているのか忘れちゃったんだ。
僕はいつでも、どんなときも、ここでそのことを話し続けていたい。
誰かが生きるのに疲れて、ここを訪れてくれた時、「なーんだ、これでいいんだ」って思えるような、そんな言葉を発していたい。
昨日立ち上げた僕の新しいブログ、すぐにランキング入りする事ができました。
嬉しいよ~
みんな、ありがとうね(^o^)/
僕が何故こんなことを話すようになったのかを、物語にして連載を始めたんだ。
それを知る事は、あなた自身を知ることだと思っている。
この先、みんなが知っている有名人達も登場するけれど、実名で出てくる人とのエピソードは全部事実。
どこまでが本当でどこからがフィクションかわからにようになっていて、自分としては新しい形の、ファンタジー・スピリチュアル・アドベンチャー・ネバーエンディングストーリーだと思っているんだけど・・・
まだ見ていない人は、ここからお入りください。
↓
随(かんながら)神
http://orionza.ti-da.net/
それじゃ、今日も一日、頑張ってね
また遊びにおいで。
2006年12月27日
楽しければ努力じゃない
今日は新しいブログを作ったんだけど、全部でどれくらい時間がかかったかというと・・
う~~ん~~と・・・15時間くらいか・・・
一旦アップした文章を何十回も読み直して、そのたびに誤字や脱字を見つけて、そのうち愛情が乗り移っちゃって、あっちいじったり、こっちいじったり。
このブログも可愛いけど、新しいのもすでに子供のようになっちゃった。
傍から見たら頑張っているみたいに見えるかもしれないけど、やっている本人はもう楽しくて楽しくて、このまま朝までやれそうな勢い。
頑張って努力することも時には必要だけど、本当に好きなことだったら努力なんて思わないから、ますますやる気になって、きっとそういう時のほうが、いい結果を残せるんだろうね。
今夜は、明日掲載予定の部分を再編集して寝ます。
楽しみだなァ・・・眠れるかな。
じゃ、また明日ね。
2006年12月27日
新装開店
おつかれさま。
どんな一日だった?
僕はね、ほとんど一日ブログ漬け。
と言ってもこのブログじゃなくて、新しいものを立ち上げていたんだ。
1999年の暮れ、そうちょうど今ころの季節、何かに憑りつかれたみたいに、朝から晩までパソコンの前に座り、一気に書き上げた物語があるんだよ。
それは昔僕が体験した不思議なめぐり合わせや出来事を基に描いたストーリーなんだ。
昔のHPでも掲載した事があるんだけど、文章や構成をもっと緻密に練り直したいと思っていて、ブログにすれば毎日少しずつ書き換える事ができるし、いつか終わる日がくれば、また一冊新しい本が誕生するってことだしね。
このブログで伝えてきたメッセージが、全部散りばめられているよ。
今日はその序章の部分を書き換えたんだけど、ものすごく時間がかかった。
きっとその部分を読むのも10分以上かかるかもしれない。
明日から少しずつ続きを書き込む予定だから、このブログ同様、可愛がってあげてください。
ここからジャンプできるよ。
↓
随(かんながら)神
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このブログへの携帯からの読者登録は
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何かを感じたら、感想も書いてくれたら嬉しいな。
2006年12月27日
苦手な人との人間関係
昨日たまたまテレビで、僕が昔お世話になった人が出ていたんだ。
その人はある分野の実力者なんだけど、自分の目下にあたる人間にはすごく厳しくて、というよりは意地悪で有名な人だったんだ。
みんな彼の元では長続きせず、ある人なんかは精神に異常をきたしちゃったり、とにかく周りから恐れられていた。
なんの因果か、僕はその人のすぐ下で仕事することになっちゃった。
その時身に着けた護身術があるんだけど、上手くいったことだから紹介するね。
その人はきっと孤独に違いないし、みんながちやほやしても、本当のところでは自分を嫌っているのを知っていると思ったから、彼と会う前の晩に自己暗示をかけたんだ。
それは「僕は心から彼が好きだ」ってね。
そしてそんな気持ちを持って彼に接していったんだ。
どんな無理難題にも「あなたの指示なら喜んで」風に接した。
そして彼と接する可能性のあるあらゆる人に、僕が彼を心から尊敬しているということを言って回ったんだ。
実際性格はひねくれていたところがあったけど、仕事はやり手で、見習うべきところもあったしね。
するとどうだろう。
ほんの少しのミスでもいびり倒すので有名な彼が、僕がしでかした大ミスを何も言わずにかばってくれたんだ。
しかも時間がたつと、彼自身の悩みや苦しみを僕に打ち明けるようになった。
結局僕は他にやりたい事が出来て、その人のもとを離れるんだけど、その時は涙ながらにやめないように説得された。
以上の経験から、上司は部下を能力だけで評価するのではなく、自分に対する気持ちがどうであるかを見抜き、そこから接してくるんだって思った。
このやり方はあくまでも方法論で、本当の愛ではないけれど、それでもそんな気持ちで接していると友情も湧いてくるんだよね。
どうしても苦手な相手が、関係上避けられない人だったら、思い切ってそんなふうに接して見るのはひとつの方法だと思う。
ただし、お世辞やへつらいじゃダメだよ。
本当の気持ちを持つ事が大切なんだ。
それ以来、人の下で仕事をすることがないけれど、僕はいざとなったらどんな人とでもうまくやっていける自信があるよ。
もし今、上司や人間関係で悩んでいる人がいたら、そのやり方をためしてごらんよ。
みんな心の底では、みんなから愛されたいと思っているんだから。
それにしても、今日はさわやかでいい天気になったね
2006年12月27日
さぶー
おはよう。
今朝は一段と寒いね。
昨日の朝日が見事だったって近所の人が言うから、今朝は久しぶりにみんなにも見せてあげようって、カメラ片手に一旦ベランダに出たんだけど、1分間もいられなかった。
もう沖縄以外には暮らせない身体になっている。
沖縄の皆さん、僕を見捨てないでね。
なんでもするから、力仕事以外は。
さてさて、
みんな年末で忙しいと思うけど、慌てずあせらずひとつひとつ取り組もう。
あれもこれもやんなきゃって考えるだけで頭パニくっちゃうものね。
人間一度にやれるのはひとつきり。
こつこつやれば、いつのまにか終わってる。
僕もそんな感じで一日を乗り切ろうと思います。
今日は、もうひとつ新しいブログを立ち上げるよ。
2006年12月26日
幸せはホットケーキの味がする
今年の我家のトップニュースは智子さんが母家を始めた事かな。
今まで外で仕事をしたことのない彼女が、いきなりお店を持ったもんだから、家族の生活が根底から変わっちゃった。
特に食生活の変化は著しいものがある。
いなくなって初めて、「いままでありがとうございました」っていう思いが僕も息子も身に沁みて湧いてきたので、それはそれでよかったかも。
そんなわけで今日の夕食は、彼が焼いたホットケーキ。
焦げ目の苦味を大量のハチミツで消せば・・・うん、複雑にマイウ!!!
幸せってこれだよなって、今夜の我家のひとコマでした。