2019年06月26日

トンネルのムコウ

来てくれてありがとう。







当然のことながら、僕は医者ではないので病は治せません。

それでは医者が病を治せるかと言えば、患部を切り取ったり、薬で症状を抑えたりすることはできますが、治すのは当人の中にある先天的な力(自然治癒力)ではないでしょうか。


であれば、どのようにして「その力」を高めるかということが、通常の医療に加えて大切なことだと思います。


「その力」は無限であり、いつも無条件に全ての存在を生かしています。

しかしそれを受ける側が、なんらかの理由によって「その力」を妨げていれば、力は発揮されません。



「その力」を妨げている原因の中に、間違った自己認識があります。


いつも言うように、そもそも自己という感覚はマインドが作りだした錯覚です。

こう言われてもピンとこない人もいますが、これは内なる経験として明らかなことであり、仏教が伝えてきた根本もそこにあります。


しかしこの世界を生きるためには「私」という主体が必要なので、誰もが私を作りだすのですが、その際に、育つ環境やその後の経験によって、誤った自己認識を持ってしまうことが多々あるのです。


この誤った自己認識が、誤った考え方を作り、その結果が病の発症につながるということはあると思っています。



自我は本当の自分ではなく、生き残るために後天的に作りだしたものです。


本当の自分という定義は難しいのですが、先天的に与えられたその人の生き方や役目を生きた時は、本当の自分を生きていると言えるでしょう。

そのように考えると、病は本当の自分を生きていないというシグナルのようなものかもしれません。



いままで講演会などで病についての質問を受けた時は、僕には答えられないと言ってきました。

その理由は、僕自身がこの歳になるまで、病気らしい病気をしたことがないので、その人の痛みや苦しみを同じようには分かってあげられてないと思ったからです。


しかしたとえ病の経験はなくても、僕なりの考えを伝えることはできるはずです。

その考えは間違っているかもしれませんが、当たっているかもしれません。

であれば、長く通院してきて改善が見られない人に、心理面からアプローチすることも無駄ではないと思います。


トンネルのムコウ


病気をしたことがない自分には、実際に病に苦しむ人にアドバイスする資格などないと思ってきましたが、何故自分が病むことなく生きてこられたのかは、そのことを人に知らしめるためだった可能性もあります。


たとえば、自分は自分だという態度で生きてきたこと。

人が何と言おうと、自分の心のままに生きてきたということ。

社会の常識や通念に惑わされることなく、生きたいように生きてきたということ。


だから身体が喜んでいるのだと思います。



まだまだ他にもありますが、この例一つとっても、お前にはできても自分には無理だと信じている人がたくさんいます。


そんな誤解を解いていくことは、やりがいがあります。

















Posted by Toshiro Abe at 10:59│Comments(29)
この記事へのコメント
わたしの人生に二大転機がありました。

まず「両肩を大きく後ろに引き続けること」を日常生活で心がけていたら
頭蓋骨が背骨の真上に乗るようになり、中心軸ができ
心身が一気に解放され、非常に楽になりました←(*´▽`*)→

この中立の姿勢でガンガン歩いていたら
全身の筋肉と内臓がどんどんゆるんできて、深い腹式呼吸ができるようになりました。

次は「頭からハート・胸の中心に心を向け続けること」を日常生活で心がけていたら
頭の想念に巻き込まれなくなり、ハートが力強く輝きながら大きく広がっていき
心身が一気に解放され、非常に楽になりました←(*´▽`*)→

心を胸の中心に置き続けいたら
心が光り輝きながらどんどんゆるんできて、深い安らぎを感じるようになりました。

体と心の姿勢が中心から外れるほど
体と心が乱れて不安定になり、苦しみが生じるという真実を実体験することになりました→(>_<)←

体と心の姿勢が中心にあるほど
体と心が整い安定して、苦しみが滅するという真実を実体験することになりました←(*´▽`*)→

仏陀が実践し説いた中道という真実を実体験することになりました。

「体を真っ直ぐに立て、心もそのようにして
 立っても、坐しても、臥しても、常に心を集中して整えている修行者は
 過去についても未来についても勝れた境地を得るであろう。

~ 仏陀の言葉 原始仏典より ~ 」

「『これは苦しみである』と心を集中しなさい。
 『これは苦しみの生起である』と心を集中しなさい。
 『これは苦しみの滅尽である』と心を集中しなさい。
 『これは苦しみの滅尽に至る道である』と心を集中しなさい。

~ 仏陀の言葉 原始仏典より ~ 」
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年06月26日 11:24
中国で古来から行われている「ねじりのスワイショウ」を紹介します。

https://www.youtube.com/watch?v=7Ibs8su2Zpw&list=PL714A44E91ED3A64E

中心軸を立てて、全身をゆるめるのに非常に効果的な実践です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年06月26日 11:32
阿部さん、何時も楽しく読んでいます。
 医療に関係しているので、医師が何を考えて行動しているか良く解ります。
 そこで思うことは、良き医師は、大言を吐かない。これは、どの世界でも通じる事と思います。分からない時は、暗中模索で、兎に角何かやってみる。決して、患者を苦しめるような事は言いません。
 そして、結果が良ければ、全て患者自身の治癒力だと明言しています。
そんな医師に巡り逢える事は、幸いだと思います。
 医師曰く、病気を治すのは、患者自身の力だよと。
 自分の事を引き合いに出すのは、気が引けますが、大学病院で、ガンと言われ手術以外直らないと言われました。私は、即そこを退席し、2年経っても未だOKです。
 周りの癌患者で、医師の言う通り治療して、どんどん悪化し、死んでいく人を見ると、なんとも言いようがありません。阿部さん、病人を励ましてください。
Posted by oichan at 2019年06月26日 12:13
すばらしい、、!!こないだ、 やり方ではなくむしろ、在り方がポイント、、みたいに書いてましたよね。今日の内容のようなことな気がしました。
方法ではなく、在り方。。
考えてたら、もう頭がこんがらがってきますが(_ _)、阿部さんの言葉は、すっと入ってきます。
非二元であることに、疑いなく生きる。
まず、あるがままに落ち着くことが、 ソース(源)からの発動、発露によって生きる出発ですかね。
私たちは、本当にいろーんなことに反発していて、無駄な抵抗しまくりだから。
瞑想は、毎日の真の休憩、お掃除、&活性のお供です(^^) やっぱり今日もありがとうです! さ、起きるぞ..ぐーたら人間の感想でした。
Posted by ばくすい at 2019年06月26日 12:38
阿部さんの第一号のクライアントの方、良きご縁があって良かったですね。身体が快方に向かわれること、そして精神も生き方も自由になれますよう、祈念いたします。

セッション料金については、私は然るべき適切な金額をいただくのが、あるべき姿と考えます。

私も昨年から諸都市でオリジナルのセッションと京都ツアーを提供していますが、セッションのほうは、様々に分析をした資料を作るのにも半月かけ、セッションも心ゆくまで長い時間をかけてます。こうした在り方もオリジナルですが。

したがって、価値あるものへのリスペクトというところと、クライアントの方にとって妥当に感じられる額がどのあたりかという視点も加味して、価格について試行錯誤してきました。

それに自分自身の労力にリスペクトを払うこともまた大事な気がしますね…

阿部さんのセッションも拝読する限り、"求める方"に応答したものであるし、適切にその真価に応じて価格を設定するのが望ましいのではないかと考える次第です。

伝統的な教会などの宗教的文脈はまた違うので、そうした世界では料金を取らないという在り方があるとするなら、それはそれで正しいように思います。

また自分の考えを書いて失礼しました。スミマセン。
Posted by Origin@Kyoto at 2019年06月26日 13:22
模察と申します。

ガン細胞は、健康な人の身体にも毎日できてるそうです。
そのガン細胞が増殖することを抑制するのが免疫細胞で、健康な人はガンは大きくなりません。
しかし、免疫細胞が減るとガン細胞はどんどん増殖します。
免疫細胞が減ることが「免疫力の低下」です。

免疫力が低下する原因は主に6つあると言われてます。
1.加齢・妊娠 2.激しい運動 3.ストレス 4.睡眠不足 5.生活時間 6.栄養不足

免疫力を高める方法は主に5つ。
1.笑い 2.温める 3.楽観性 4.適度な運動 5.食品

要は、ストレスを溜めず、楽観的に、そして規則正しい生活と好き嫌いのないバランス
のとれた食事を取っていれば、免疫力が高まって自然治癒力も高まります。

では、ストレスを生じたり、不規則な生活、偏った食事の原因とは?
一言で言い切ってしまいますと「自我」です。
二元性に挟まれる(葛藤)ことがストレスを生み、
過去への拘りと未来への不安で夜も寝られなくなり、
さまざまな欲望(好き嫌いに拘る)が食のバランスを崩壊させています。

深刻になればなるほど、笑いを忘れてします。
笑いが健康に良いのは、それがリラックスしている証だからです。
深刻とは抵抗です。降参とは逆向きの抗う心です。

瞑想や坐禅を実践している方は経験があると思いますが、
おへその下辺り(丹田)がポカポカしてくるのを感じます。

禅寺の修行は、規則正しい生活と作務で適度な運動、
四季折々に採取できる食物を好き嫌いなく頂くことで食のバランスを実践しています。

ですが、加齢などによる病はどうしようもありません。
それは、肉体の死へと誘う病でしょうから、降参して受け入れるしか術はありません。

ですから、免疫力を高めることを実践しても、必ずしも病が治るものではありませんが、
心の病が、身体に病として表れることに間違いはありません。
Posted by 模察模察 at 2019年06月26日 13:27
阿部さんと同じ!

自信も病気らしい病気は経験ないです。
小さい頃は、唇が瘡蓋だらけになって口が開けられなくなったり、お腹が痛くてまっすぐ立てず腰を曲げた状態で小学校入学式を迎えたりしていましたが、いつの間にか治り、以後は風邪やインフル等もかからずもらわず健康体。

私にも難病持ちの家族(別居)がいますが、
「神経質だからもっと心をゆるくしなよ」とか、「同じものばかりでなく、いろんなものを食べなよ」とか話しても、もう治ることはないんだ・・・と言う感じで、お医者さんのような権威ある人の話や薬に頼ってばかりに見えます。

「病気になったことがないから苦しみは分からない」
と言われたため、今では話しません。

少しでも食生活や習慣を見直せるよう、身近なアドバイスも受け入てほしいな、と。
Posted by およよ at 2019年06月26日 13:29
病気に関しては、個人個人違うので、難しいですね。
でも、阿部さんの言われるように、考え方で病気を軽減したり、回避することはあると思います。
それで救われる人はたくさん居ると思います。
その一方で、病気を受け入れなくてはならない人も居ます。
そこはほんとうに個人個人の話になると思っています。
Posted by 風 at 2019年06月26日 13:57
幼少期から常に風邪をひいて熱を出し、母にそう言われるまま自分は虚弱体質だと思い込んでいました。

結婚をして2人の子供を授かりましたが、今日に至るまで様々な病と向き合い付き合って来ました。
誰の手も借りられない状況下で、鉛のような身体を気力だけで家事をこなし、親の介護をした日々もありました。

12年前大きな手術をした後、薬ではない何かの支えを求めていた時偶然阿部さんのブログに出会い、何故かすがる様に読み続けて来ました。

不調な身体を押して講演会に参加したり、本もいっぱい読んだり、食事療法、東洋医学、カウセリング、気功、等々出来る限りの様々なことをして来ました。
ただ私どんな状況下であっても、何かどこかに委ねていれば大丈夫という安心感があった事が不思議です。

そうして、身体の不調と向き合いながら長い年月を過ごしてやっと気がついた事があります。

私は、自分を否定していた。
自分で自分を常に責めていた。

それは、育った環境かもしれないし、前世から持ち越した⁈思いかもしれませんが、自分の価値を自分で認めていない思いが根底にありながら生活するという事は、常に相手の顔色を見る事となり、その重圧が身体に病となって現れていたと思います。

阿部さんのおっしゃる様に、自分の心のままに生きるということが、魂が一番望んでいることだと思います!

様々な病は、それをメッセージとして伝えてくれました。
今までの全てに感謝です。
Posted by kuyuri at 2019年06月26日 14:15
阿部さんと違って、健康に悩まされてきた人生でした。

根深い潜在レベルの思い込みも関わっているかなと思いますが、具合の悪さはやっぱり自己認識だと感じます。完璧(いのちとして)だと感じられてないからだと思う。そこから切り離されているから。
肉体としてのプロセスもあるので、パッと好転するかどうかはそれぞれだと思いますが、根本はやっぱり宇宙エネルギーが通っているかどうか、本来のままでいれてるかどうかだと感じています。

私は小さい頃から、自分の中に他人がいたので具合悪くなったと思ってます。過干渉を受けてはアレルギーになったり、人は干渉してくるから防御しなければという思いこみが発動したかな?と思ってる。
大人になれば、断りたければ断れわればいいんだと思ったし、自分の意思で生きていいんだと思った。

本来の自分を生きるのは、固定概念でがんじがらめになっているほど、最初は罪悪感や怖さもありますが。何がお互いの為なのか⁉︎と考えれば、違う視点も見えてきます。

何より、宇宙エネルギーとつながって自分を生きることは、全体の一つのピースになることであり、ぜったいエネルギッシュでしょ、ここ。と思う。
Posted by 薄茶色 at 2019年06月26日 14:15
健康な阿部さん、元気な秘訣を漏らしてくださるそうでありがとうございます。

それに関連して、大空さん、おいちゃんあとさんの体験がコメントされ
これも大いに役立ちそうです。

メンタルの改善が大事だと言われて、そうだとは思いますが
なかなか決めてが分かりません。

ジェフ・フォスターのすでにすべてが受け入れられているスペースが
自分であると認識せよというメッセージは一筋の頼りの気もしますが。

続編を期待しています。
Posted by アーサー at 2019年06月26日 14:24
>たとえば、自分は自分だという態度で生きてきたこと。

>人が何と言おうと、自分の心のままに生きてきたということ。

>社会の常識や通念に惑わされることなく、生きたいように生きてきたということ。

>だから身体が喜んでいるのだと思います。

で書かれている『自分』とは、

>本当の自分という定義は難しいのですが、先天的に与えられたその人の生き方や役目を生きた時は、本当の自分を生きていると言えるでしょう。

のことですよね。
『その自分』だけで生きるのが当たり前な『社会』って、どんなだと思いますか?
皆が当たり前に自分のしたいことして、当たり前に、それぞれの『したいこと同士』が
つながっていく『社会』だったらいいなぁ、と思ってるのですが。

>自我は本当の自分ではなく、生き残るために後天的に作りだしたものです。
『この自分』↑も、ある程度は必要でしょうか?全く不要でしょうか?
Posted by ただの「自分」 at 2019年06月26日 14:38
なにこれ♪困っちゃうわこんなに読み応えのあること書かれても(笑)


みなさーん、時間ですよ~♪

もういいかげん起きてくださーい(^^)

目覚まし時計が鳴っているでしょう?

あなたの心がよく知っているはず。

その音に耳を傾けるの。雑音にかき消されないよう、心の声が何と言っているのかに注意深く耳を傾けるの。

そういう時間を持つのよ~☆


私自身のことでもあります(*^^*)


でね、

阿部さんはその心の声を聞き取る手伝いが出来るんじゃないかって記事に書いてくれてると思うの~☆
Posted by おいも(^^)ようこ改め at 2019年06月26日 16:15
阿部さんは個人セッションに向いていると思います。
しくみに気づいていらっしゃるので、
深刻にならずに支援できそう(^^)

病気は原因側より
「目的」側から見るといいかもしれません。
Posted by はまち at 2019年06月26日 16:21
きょうささいな発見があったので報告します。
バイロン・ケイティの4つの質問というのをご存じの方もたくさんいらっしゃると思います。
1)それは本当でしょうか?
2)その考えが本当であると絶対に言い切れますか?
3)そう考えるとき、あなたはどのように反応しますか?
4)その考えが無ければ、あなたはどうなりますか?

というものですが、わたしの場合は「それって本当?」だけでOKでした。ネガティブなものが湧いてきたとき、自らに問いを発するだけで十分でした。順番通りにやっていくと、結局、頭で考えてしまうからです。

自我が間違いなくこれ不安要素だよ、心配要素だよとかいってるネガティブな反応に対して、「それって本当?」って問いかけるだけです。これはいわゆるピラニア・クエスチョンですね。その問いに頭で答えようとせずに、ただ問いかけます。するとその問いかけ自体がエゴの思い込みをピラニアみたいに食いちぎって、ひっくり返していくみたいです。ラマナの「私は誰か?」も同様かもしれないですね。

これやってみたら、不安どころか、頭の中が気持ちよくなって解放されていきました。自分としては凄い発見でした。
ネガティブなことを感じたとき、「それって本当?」と問いかけて、あとは考えずに放っておくだけです。簡単で効果絶大です。
Posted by 啓太 at 2019年06月26日 17:30
啓太さん

模察と申します。

>自分としては凄い発見でした。

おめでとうございます。
それが、啓太さんにとっての一瞥もしくは悟りだと思います。

啓太さんには、他のどのメッセンジャーでもなく、唯一バイロン・ケイティのワークが合ってて気付きをもたらせてくれたのでしょうね。

私は以前、ここ阿部さんのコメント欄などのネット上で、「それって本当ですか?」とよく書いていたのですが、反発されるばかりで、この問いを他人が投げ掛けても効果ないことを痛感した経験があります。

自分に対して、この問い掛けが自分でできると素晴らしい効果がありますが、人によってはパニックになる恐れもあるので、ネットでワークの概要を調べて、自分に合うか合わないかを確かめてからワークすることがよろしいかと。
Posted by 模察模察 at 2019年06月26日 18:36
大雨 何事もありませんように
Posted by 金 at 2019年06月26日 19:52
啓太さん
「わたしの場合は「それって本当?」だけでOKでした。ネガティブなものが湧いてきたとき、自らに問いを発するだけで十分でした。順番通りにやっていくと、結局、頭で考えてしまうからです。

自我が間違いなくこれ不安要素だよ、心配要素だよとかいってるネガティブな反応に対して、「それって本当?」って問いかけるだけです。これはいわゆるピラニア・クエスチョンですね。その問いに頭で答えようとせずに、ただ問いかけます。するとその問いかけ自体がエゴの思い込みをピラニアみたいに食いちぎって、ひっくり返していくみたいです。ラマナの「私は誰か?」も同様かもしれないですね。」

わたしの場合は頭からハート・胸の中心に向かって「私は誰か?」と言い続けるだけでOKでした。

頭の中の想念をひたすら無視し続けて
胸の中心に向かって「私は誰か?」と言い続けいたら
胸の中心からものすごい至福の光が溢れ出してくるようになりました。

そして中心軸を立てた姿勢で手を大きく振りながら歩いていたら
胸の中心からものすごい至福の光が溢れ出してきて肉体より大きくなっていき
どんどん大きく広がっていってついに大爆発を起こしました。

ハートから宇宙大に広がる至福の光の渦に飲み込まれて
自分が無常の肉体ではなく、永遠の光だと実感することになりました。

この体験以降、常にハートが太陽のように力強く光り輝くようになり
常に宇宙全体に広がる静寂・至福が感じられるようになりました◎

「私は誰か?」 ~ ラマナ・マハルシの教えの精髄が説かれている対話集
https://ooinarukuu.ti-da.net/e5639474.html
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年06月26日 20:12
これはあまり公に話せないことなのですが、承認制のコメントなので一応書いておきます。

以前某植物がまだ違法でなかった時にそれを試食してみたんです。

すると肩こりや、原因がよくわからない、いわゆる不定愁訴と言われている不調の原因が一発で「理解」できたのです。

その正体とは…思考・記憶でした。

素面に戻ったとたんにその「理解」が全く思い出せなくなり、また、再現も出来きなくなりました。

が、そこを強いて言うなら、記憶が体に刻み込まれる感覚、と表現できるかもしれません。

あの時のあのような想い出が肩に未だに引っかかって肩こりとして表れている、といったような感覚とでもいいますか。

それが身体の痛みのみならず、心の痛みに関しても同じように瞬時に理解でき、「ああ、これじゃあつらいの当たり前だよなあ」と妙に「感動」したのを覚えています。

以上の経験から、心身の不調もマインドのせいだと言う、阿部さんの言葉もなんとなく理解できるような気がします。

おそらくマインド方面からアプローチをして病を癒す人というのは私が体感したような感じを素面の状態で体感できる人なのかなと、なんとなく想像もでき、納得もできます。

ちょっと思い出したので。
Posted by 匿名 at 2019年06月26日 20:49
病気についての記事を本当に有り難く読ませていただいています。
私も10年前、死がチラつくような心身の不調(重度の産後うつ)に見舞われコチラに辿り着きました。
幼い二人の子供を抱えて命がけの日々でしたので、本当に藁にもすがる思いでした。

今日までの心身に向き合いながらの生活は、このブログと禅サンガと共にあります。
おそらく、私のように心身の不調から
阿部さんにご縁のある方も沢山いらっしゃると思います。(私も元気だったら仕事だの娯楽などに忙しくココには立ち寄ってないでしょうから)

阿部さんが病気の経験があろうとなかろうと、いま感じられているメッセージがお聞きしたいです。
参考になり響くことがたくさんあって、ありがたかったです。

真理から病気に関するメッセージを伝えてくださる方は、そうはいませんから。
何回も読み直したいと思います。
Posted by J at 2019年06月26日 21:01
全く同感ですし、同じように生きています。
なので健康です。

定期検診なるものも30年近く受けていませんが、数ヶ月前あることがきっかけで受診しましたが、全く問題ありませんでした。

検診は早期発見に役立つこともありますが、「敢えて、悪いところを見つける」ためのものでもあると感じています。


「笑う門には福来る」

という言葉があるように、何事も深刻にならず、笑顔でいれば負のエネルギーは近寄ってこないですし、笑い飛ばせば、一瞬で浄化されます。

確信をもって昔から実践している健康の秘訣です(^^)
Posted by まぁるいこころまぁるいこころ at 2019年06月26日 21:13
ウチの長女はダウン症で心疾患があるのだけど

生まれた時からの疾患というのはどう捉えたらよいのですか??

心理的な要因は考えられないのですが。
Posted by ひねくれもの at 2019年06月26日 21:14
私も自分に勝手に色々な呪いをかけてきたなーと皆さんのコメントをみて
感じました。

ちょっと呪いと距離が出来ました。
皆さんありがとうございます!

シンプル大好きーよ。

自らの呪縛をてばなそー(ノ゚ο゚)ノ オオォォ
それは1週間ぶりのうんこですよー。
Posted by つきよ at 2019年06月26日 23:19
○ たとえば、自分は自分だという態度で生きてきたこと。
○ 人が何と言おうと、自分の心のままに生きてきたということ。
○ 社会の常識や通念に惑わされることなく、生きたいように生きてきたとい   うこと
 同じです。でも私はガンにもなったし、今も難病です。重ねてある日腰が曲がってしまって、整体に通ってます。
他にもまだあります。
 苦しくはないけれど、病気してます。
Posted by ぷっちー at 2019年06月26日 23:24
病であろうと他の苦しみや悩みであろうと、長年抱えていた問題が解決すると、まるでトンネルを抜けたような感覚になりますね。
トンネルを抜ける前に比べて、抜けた後では、心がより自由に軽やかになっていることに気づきます。
トンネルを抜けた先には、まだ経験したことのない新しい世界が広がっているようで、体も心も別人になったかのように歓んでいる。。

"本当の自分"に出会うという魂の究極の目的を達成するために、人生で起こるすべてのことが、本人にはわからないように仕組まれているとしたら。。。?
そのプロセスにおいては、暗いトンネルはひとつの通過点にしか過ぎませんが、私たちはみな、無意識の内に、人生を歩みながら、たった一つのゴールに向かって、ペースは違えど、たゆまず進んでいる。。。
本来は自由な魂が、この肉体という束縛から解放されて、また自由な存在に戻れるようにと、人生ストーリーは続いて行く。。
今までずぅーと暗闇の中を彷徨っているような感じで、辛く苦しかったのに、あることがきっかけで、一気に霧が晴れるように、苦しみは消滅し、生きることが楽になった。。

人間万事塞翁が馬、何が幸いするか?わかりません。  
病は辛く苦しいですが、確実に私たちを、魂のゴールへと導いてくれる厳しい教師であるとも言えます。
病を通して多くのことを学び、その知恵を多くの人と共有することもできます。
トンネルを通り抜ける前と抜けた後では、別人のようになって、生きることに歓びを感じられるようになることを、阿部さんはよくご存知なので、できたら私たちに、それを感じて欲しいと思っているのではないでしょうか?
トンネルの中から抜け出たいと願う人たちに、個人セッションを通して、抜け出るきっかけやヒントを掴んでもらおうとしている阿部さんに、人間の持つ限りない愛と優しさを感じます。
個人セッションは大変なところもあるかと思いますが、これからも楽しんで活動されて下さいね。
Posted by 人生いろいろ at 2019年06月26日 23:40
模察さん、大空さん、ありがとうございます。

この問いは「私」には破壊力を持っていました。
あれほど強固に岩の様にその存在を確かに思っていたのに、あれっ?なかった?という感じです。

その問いに自我が立ち往生して無言でそのうち消えていくのが分かりました。
Posted by 啓太 at 2019年06月27日 00:14
うちのばあちゃんは面白いんです。
病院に行きたがりなんです。
担当医に大丈夫ですよ!そんなに心配しないで下さい!
と言われるにも関わらず、
症状の悪い所をどんどん見つけだす天才なんです。
その度、湿布薬やら目薬やらが増えます。
他の診療科にまわされたりもある。
そうしてるうちに、しまいには初期の膀胱ガンになってしまい、入院しました。
精神科にも心臓を患って倒れてから通院しています。 
担当医に不安をずーーと訴えます。(眠れない等)
そうしてまた処方箋が変化して軽くなったり、強くなったり。
処方薬が少なくなると不安になるらしく、
薬が切れる前に病院に連れってくれって予約されます。
わたしがその日は予定があるからタクシーで行ってほしいと言うと、救急車を呼びます。
ひとりで病院に行く間、倒れるのが不安らしいです。
ばあちゃんを病院に連れてく時は多数の診療科を掛け持ちなので朝行って帰りは夕方になってる。
途中、その科に急患が入ると予約受付していても診察時間がづれこむ。
もうこっちもヘトヘトです。車イスに乗ってるばあちゃんは病院にいると安心するみたいです。
お医者さんがいるから。
病院にばあちゃんを連れてくより、 阿部さんの楽しい話を聴かせに行った方がよっぽど、ばあちゃんの気が楽になるんじゃないかと思う今日この頃です。
Posted by Shimizu at 2019年06月27日 07:40
模察と申します。

啓太さん

>その問いに自我が立ち往生して無言でそのうち消えていくのが分かりました。

はい。
分かろうとするのが自我の働きですから、分からないと自我は無言(無思考)に成らざるを得ません。
すると、問いそのものが消えていきますよね。

バイロン・ケイティの最後4つ目の問い『その思いがなければ、あなたは誰でしょうか。』の答えの殆どは、
「分からない」に帰結すると思います。
その「分からない」にとどまる時、その時本来の自己へと還っています。

バイロン・ケイティのワークは、無意識に隠れている様々な思い込みを顕在化して、
思い込みを解くメソッドとしてとても強力なものです。
横山先生が、唯識思想で『阿頼耶識のから自我執着心の芽をふく種子を焼き尽くす』ととても似ています。

ですが、無意識には何が隠れているか誰にも分かりません。
突然、とんでもないもの(心理学で言うトラウマ)が顕在化してパニックになるかもしれません。
この事態に対処するために、補助をしてくれるマスターが必要です。
(その手の書物を予め読んでおくだけでもかなり違います。勿論、阿部さんのブログ記事にもあると思います。)

悟後の修行の終わりは見えませんので、じっくりとあせらずに種子を焼いていくことをお祈りします。
Posted by 模察模察 at 2019年06月27日 10:01
模察さん

いろいろと勉強になりました。
また、教えて下さい。

ありがとうございました。
Posted by 啓太 at 2019年06月27日 12:24
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。