2020年10月30日

今朝見た夢

象徴的な夢だったから書き残しておきます。

詳しい流れは覚えていないけれど、ゲームの最終場面の話です。

VRを進化させたようなゲームで、身体ごと入り込みました。






最終場面は光と幾何学模様と近未来的な構図と、何とも言えない美しい世界で、一見難易度が高そうなのですが、どこをどうしたのか意外と早くクリアしていました。

そしてその出口を出てみると・・・


あれ?


ものすごく普通の場面に戻っていた。

ゲームの冒頭に出てきたみたいな平坦な場面です。


それでも最初にやったときは、それなりの苦労はありました。

でもいまとなっては何の変哲もありません。


しかもあの煌めくような最終場面の後だし。


心の中では

「この繰り返しは、もういいよ」


と言っているのですが、最初にやったときとは明らかな違いがあります。

なにかと言うと、ものすごく簡単なのです。

身を削っていないというか、その中に参加していないというか・・


そして嫌じゃない。

暇つぶし的ではあるけれど、それなりに刺激もあって楽しめます。

というか、楽しい。


そして思います。

「ああそうか、そういうことか」



なんだか象徴的な夢でした。



そして目が覚める直前

「そうだ、この話は今夜の対談講演で紹介しよう。

きっと彼女(小出遥子)はわかるはずだ」

ってリアルに言いました。


もしかしたら本当に口に出していたかも。

いわゆる寝言。

きっと心の中で今夜の対談を楽しみにしているのでしょう。



でもこうしてブログに書いたから、たぶんこの話はしないと思う(笑)

それに、書いてみたら大した内容じゃなかったし。


夢の中ではすごくドラマチックだったのにな。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:45Comments(0)

2020年10月29日

ただ見る

気がついたらやってみてください。

「ただ見る」ということ。


そこに何の意見も入れてはいけません。

意見はすべて過去のものだから。


歩くときはただ歩く

食べる時はただ食べる


すると、それらがすべて瞑想になります。

そのときあなたは、完全にいまここにいるのです。


見ることも

聞くことも

何かの行為でさえも

すべてが非行為になります。


行為とは能動的なこと。

非行為とは受動的なこと。



ただ見る

これは行為ではなく非行為です。

見ているのではなく、見えている。

これが、唯識が言おうとしていることです。


そこに「あなた」はいません。


「あなた」とは過去のすべて。

そして過去は存在していません。

したがって「あなた」は存在していません。


ただ実在だけがあり、あえて言えばそれが本当のあなたです。



話に付いてきましたか?

僕が何を言っているのか分からなくてもいいです。


今日は、「ただ見る」のです。



最初は難しいでしょう。

あまりにも長きにわたって、考えることが習慣になっているから。


でもきっとできます。

たった十秒でもいい。


「ただ見る」のです。


するとのその十秒間、あなたはブッダです。




明日はいよいよ小出遥子さんとの対談。

サンガの会員も、対談に申し込んだ人も、意見を持ち込まずにただ僕たちの話を聞いてください。

この世界のムコウにある世界にご案内します。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(0)

2020年10月28日

読書の秋と今夜の瞑想会

今宵も瞑想に参加しませんか。

アドレスは

https://youtu.be/ztXsjRyIG7I


です。



いま一冊の本にはまっています。

読書は久しぶり。





いまの人類が、肉食獣たちを制圧し、食物連鎖の頂点に立ち、文明を築くことができたのはなぜか。


その理由は「虚構」にあると言うのです。

虚構とは、ありもしないのにあると信じ込める共同幻想。


たとえば「貨幣、国家、宗教」がそれです。

この虚構が協力や団結という力を高めていった。


読書の秋だ!!!




  


Posted by Toshiro Abe at 16:36Comments(0)

2020年10月27日

10月27日の記事

今日は記念すべき日なので、心に浮かんだメッセージをそのまま残しておこう。



この世は多くの苦しみに満ちているけれど、その苦しみの原因はたった一つのことに行き当たる。


それは「自分」


何よりも、誰よりも、比較にならないくらい絶対的に大切なのが自分だ。


そんなことはないという人がいる。

私にはもっと大切な人がいると。


果たしてそうだろうか。

その大切な人は、自分にとって大切な人ではないだろうか。

その人を大切に思う自分があってこそ、その現実が生じているのだ。


誰にとっても、自分と他人は比較にならない。

だって何もかもが自分から生じているのだから。


子供の頃、この世界は自分を中心に回っていると感じたことが一度はあるだろう。

みんながそうだからうまくいかないのだが、うまくいくための知恵を持つことを大人になったという。

大人とは、外側をうまくいかせて、内側に問題を抱える人のことだ。

それが苦しみとなる。



「自分」など幻想だと言い聞かせても、言い聞かせている自分がいる。

どうにもならないのが自分だ。


でもこうして苦しみの原因を知っただけで、少しは気が休まるというもの。

人の愚かさを少しは許してあげることもできる。

もちろん自分の愚かさも。



人生とは愚か者同士が絡み合う悲喜劇だ。

だからあまり真剣になりすぎないほうがいい。


なにごとも、ほどほどに。


ほどほどが一番だと思えるようになったということは、きっとまた歳を取ったのだろう(^^)



2020年10月27日

母に感謝する日に記す。





  


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2020年10月26日

逆もまた真なり

人前での講演は何百回やったかわからないけれど、5年前からオンラインを始めて、いまやこちらのほうが遥かに快適で楽しくできます。

参加者のほうも時間の節約になるし、アーカイブは残るし、いいことが多いと思います。


ただし、いまのところは会場の笑い等の雰囲気を浴びられないのが残念と言えば残念。

このあたりも近い将来解決されていくと思っていますが、それを想像するだけで楽しくなってしまう僕です。


これまでの会場での講演も、なるべく正直に率直にお話しすることを心掛けていましたが、オンラインになってからはさらにその傾向が進みました。

言いたいことの中には、現代社会でのタブーも含まれていて、知らず知らずに共同幻想にはまっている点を指摘するのですが、刺激が強すぎる場合もあります。


会場では目の前の人たちの顔つきやムードが、こちらから出てくる言葉や表現に多少なりとも影響を与えますが、オンラインの場合は独断場なので怖いものなし。

やはりそのあたりが、やっていてさらに率直になれる要因かと思います。





さて、講演でもブログでもそうですが、もし聞いた瞬間にその内容に違和感を持ったら、いったんスルーすることが安全です。

無理に自分に落とし込もうとすると誤解に発展したり、周囲と摩擦を起こしたりするかもしれません。

まずは自分を基準にすることです。


それでも気になる内容であれば、時を見て何度も繰り返し見ていると、ある時ふと腑に落ちることがあります。

その時は本物です。


だから講演がアーカイブで残ることの意義は大きいと思います。

何事にも時節があるのだから。



僕はいつも、その瞬間に感応した真実を分かち合っていますが、真実は一つではありません。


「逆もまた真なり」



この言葉には幾つかの意味があります。

よく使われる意味は、何事も言い切ることはできず、正反対の考え方にも真実が含まれているということ。


さらには、どんな人も自らの世界を作り出していて、その世界にはレベルがあるということ。

いいとか悪いとかではなく、意識の成熟度によって人は全く違う世界に生きているのです。


神という言葉一つとっても、それがどういう影響を与えるかはその人次第です。

単純な言い方をすれば、神を信じるのも信じないのも真実だということです。


「逆もまた真なり」



昨日の僕の話を聞いて、長年の疑問が吹き飛んだ人もいたことでしょう。

あるいは、心の中で何かが動き出した人も。

そういう人たちに話したことであり、無理に受け入れようとしなくていいのです。



それにしても毎回楽しいな。


いま一番の娯楽かもしれません。



・・・・・・・・・・



【お願い】

最近になって迷惑メールを大量に送る人たちが増えたことで、受信側のセキュリティーが高まっています。

それによって、本来届くべきメールが届かなくなってしまった人も増えています。


現在、大企業が提携するような届きやすい配信業者の選定も含めて対応を検討中です。

それまでは何通も同じメールが届くかもしれませんが、どうぞお付き合い下さい。


この一、二年で瞑想会などの案内が届かない人はメールで知らせてくださいね。

FF瞑想も、NIKE瞑想と同じようにフォローの対象にさせてもらっています。





  


Posted by Toshiro Abe at 09:57Comments(0)

2020年10月25日

ご連絡

その1

メーリングリストに登録されている方には、平均して週に2通ずつメールをお出ししていますが、最近になって一斉メールが届きにくい事態が発生しています。

昨日の14時半頃にもお出ししているのですが、昨日は届かなかったという人は、いつものメールにその旨を書いて返信してください。


現在さまざまな対策を考えていますが、元に戻るにはいま少し時間がかかると思います。

お手数かけますがよろしくお願いします。




その2

雲 黒斎くんとのコラボユニット「阿雲の呼吸」も結成から11年がたちました。

初めて会ったのが12年前の12月。



いまこそ阿雲からのメッセージが求められていると勝手に思う二人は、年内にコラボ講演を企画しました。


タイトルは

阿雲の呼吸 「瞑想の時代」


11月17日20時からの配信です。

またご案内します。




その3

「The Rebirth」の2回目のフォローアップのお知らせは、今月中にお届けします。

もし来月になってもメールが届かない方は、ご問い合わせください。



以上ご連絡でした。




いまはブログをお休みして、ゆっくりさせてもらっています。

思えばこの15年間、わき目も降らずにブログを更新してきました。

こうして立ち止まって見て、よくやったなと自分に感心しています。


みなさんには、「自分をほめてあげよう」なんて言ってきましたが、思えば初めて自分をほめてあげたかもしれません。

たとえわずかな人でも役に立ったと思ってもらえたなら本望です。


ありがとうござます。



  


Posted by Toshiro Abe at 11:44Comments(0)

2020年10月23日

対談講演・日程変更のお知らせ

「目覚め前夜とその後の生き方」

のオンライン講演は

2020年10月30日20時

に変更させてもらいました。


ここまで数字がきれいに並ぶ日は他にないのと、この日は僕のZENサンガ講演の日でもあり、この日がベストだと思いました。

すでに申し込まれた皆さんにはお詫びと変更のお知らせメールを出しましたが、こちらでも告知させてもらいます。


小出遥子さんは、多くの仏教者から大切にされている方だと聞いています。

僕と年齢は大きく違いますが、全く同じ感覚を生きている気配がするから不思議です。


その日は過去の知識を持ち運ばずに、真っ白な気持ちで僕たちの話を聞いてもらえたらと思います。

僕も楽しみにしています。



詳細はコチラから





  


Posted by Toshiro Abe at 13:38Comments(0)

2020年10月22日

目覚めの準備

ある日突然、それまで信じていた世界観や人生観が一変してしまうことがあります。

何かに対するものの見方が変わるのではなく、文字通りすべてが一変してしまうのです、


それを一瞥とか、見性とか、目覚めとか、悟りとか呼びますが、これらは単なる言葉であり、言葉では括ることのできない何かが起きるのです。

それはある種のエネルギー的なことでもあります。

凝縮していたエネルギーが、一気に拡大してしまうようなものです。


そのような体験の直後、自分に何が起きたのかわからずに、しばらくは混乱の時期を過ごす人もいます。

あるいは、そのような体験を求めて苦行や修行をしてきた人の中には、もともと悟っていた自分が、はるか彼方に悟りを求めて頑張っていた姿に大笑いする人もいます。


それまでの人生の経緯によって、体験の影響は様々ですが、一つ言えることは、どちらにせよ、その体験以降は同じ自分ではいられないということ。

生まれてからずっと濁り水を飲んできた人が、一回でも清水を口にしてしまったら、もとの水を飲まなくなるようなものです。

いま、このような不意の気づき体験をする人が増えています。





これは歴史の必然であり、これからますます連鎖反応の様に広がっていくと思われます。


この体験の不思議なところは、体験した自分が消えているということ。

自己という分離感覚が消えた瞬間に「それ」があるのです。


しかし説明が紛らわしくなるので、自分の体験ということにしておきましょう。

これはまさにいま、あなたに起きるかもしれないことなのです。


微力ながらこのブログも、そのような体験を迎え入れる準備として、また、そのような体験が起きたときに混乱しないためのガイドとして書き続けてきました。



小出遥子さんという方を知っていますか?

『教えて、お坊さん!「さとり」ってなんですか』(KADOKAWA)

という本が話題になりました。

オフィシャルサイト


当時まだ30歳そこそこの女性が、各宗派を代表する老僧たちにインタビューしたことは、一見教えを乞うたような構図に見えますが、どうやら実態はそうでもなさそうです。

むしろ自らの内に芽生えた揺るぎない真実を確認しようとしたのではないかと思われます。


僕は彼女と数回だけ会ったことがあります。

その時の話では、彼女自身が不意の悟り体験(そう言っておきます)を迎えた後で、それをどう整理していいかわからなかったとき、このブログが役に立ったと言ってくれました。


そもそもいまの活動を始めた動機が、これから訪れるであろう社会規模の目覚めの連鎖の準備と、その目覚めの後でどう生きたらいいかのガイドになれればという思いだったので、大変うれしく思いました。


今年に入ってから、そして秋分の日以降、さらにこの流れが加速していることから、小出遥子さんとの対話は多くの人の役に立てると思い立ちました。

来週、オンライン対談をお届けします。


彼女自身がどのような経緯で目覚めに至ったのか、そして今の心境など、

この時代に必要な情報ですので、関心のある方はご参加ください。


2020年10月30日20時からのスタートになります。



対談イベント

「目覚め前夜とその後の生き方」

詳細はコチラから。



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【NIKE瞑想からのお知らせ】

初めてチャクラマントラ瞑想をする方のための、ハートマントラの11月の日程が出ました。

昨日公開したところ、すでに二クラスが満席で、残り2名様となっています。

予定されていた方はお早めにお申し込みください。

コチラから 満席


その他のチャクラマントラのスケジュールはコチラからお入りください。






  


Posted by Toshiro Abe at 14:05Comments(0)

2020年10月21日

今夜も「おかえり」

瞑想や坐禅をしていると、息が止まったような状態になることがあります。

余計なことを考えなくなることで、酸素の消費量が減るのです。


身体の中ではほんの小さな体積にすぎない脳が、身体に必要な酸素の25%を消費しているそうです。

その多くは、いわゆる雑念や想念に使われています。


瞑想中はその思考が止んでいきます。

その結果多くの酸素が要らなくなるというわけです。



すると人生自体が止まります。


人生は思考の中にあり、各々が作り出しているものであり、僕はそれをストーリーと呼んでいます。


一日のほとんどをそのストーリーの中に暮らしているわけですが、そのストーリーがリアルなものではないという発見が、真理へ向かう動機につながっていきます。


それが「無」という言葉で表現されるものなのでしょう。



普段リアルだと思っている人生が幻想で、その人生が止まったときに訪れる「無」こそがリアルな存在だというのは驚きです。


そしてそれは、いつも「いま」の中にあります。



おかえり



ただ、「いま」







今夜も瞑想会をします。

今宵のアドレスは

https://youtu.be/6ZYfWQUXZeQ

です。





  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(0)

2020年10月18日

文明の大変革

文明の一大変革が起きるという話。

どうやら現実味を帯びてきたようです。

ニューエイジから経済学者まで、多くの人たちが異口同音に唱えてきたことがまさにいま起き始めています。


今年に入ってコロナという「引き金の一つ」が現れた時は、ついに来たという武者震いのような感覚を持ちました。


この秋以降、新たなパンデミックが起きるのか、それとも一進一退が続くのか、それとも沈静化に向かうのか、

このことはもはや大した問題ではありません。


すでに人類は新しい文明へと一歩足を踏み出したからです。

たとえ沈静化しても、もう元には戻らないのです。


外側の現象としては、生活スタイルの一変という形で起きてくるでしょう。

トップを争う回転すし店が日本橋で無人店舗を始めたそうですね。

客は入店から会計まで誰とも会わずに目的を果たします。


行政サービスがこのような形になっていくのも時間の問題でしょう。

この先、様々な分野で無人化が進むでしょうが、そうなってみれば、いまよりずっと良いことが証明されていくはずです。


そうなったら人間の仕事はどうなるのか。

その話はまたの機会にします。


いずれにせよ外側の生活スタイルの変化と、内側の意識の変化は、同時に進んでいくと思われます。





いまから30年ほど前、僕と父親が初めて深い話をしたのがこの文明の大変革についてです。

詳しくは話せませんが、僕は本当の父とは数回しか会ったことがありません。

だからと言って恋しいという思いもなかったし、残念に思ったこともありませんでした。


父は有名人で、化学を専攻した人なら彼の名前を一度は聞いたことがあると思います。

化学はつまるところ生命(存在)の究明です。

息子は僕しかいないのですが、まったく違う角度から同じことに惹かれていったのは宿命でしょうか。



さてその時に話したのは、この先大きな変化が訪れるが、最も大きな変化は人間の意識に関することだということ。

生物学的な進化の目的は、この意識の獲得にあり、意識自体が肉体を超越したとき、生物としての最終進化が完成するのではないか。


意識とは何かということを論じ合う前に彼は逝ってしまいましたが、このことについては僕のほうが先を行っていたように思います。


もう一度言いますが、もう後戻りはできないし誰もしないことでしょう。


ここ一週間ばかりブログを休ませてもらって、時代が新たなステージに入ったことを再確認したとともに、これから進みゆく方向をほんのわずかでも示していければと思いました。

文字通りほんのわずかですが、これが僕にはちょうどいいキャパです。

これからも身の丈に合った活動をしていきたいと思います。


出会ってくれてありがとうございます。





  


Posted by Toshiro Abe at 09:30Comments(0)

2020年10月13日

一人の男の心に残るストーリー

筒美京平さんは一番好きな流行作曲家でした。

僕も彼にあこがれて歌謡曲の作曲を始めた一人です。


こんな僕ですが作曲家の半年間の売り上げ枚数で、ベストテンに入ったことが一度だけあります。

その時のトップももちろん京平さんでした。


結局僕は2年間でその職業をやめてしまいます。

少し売れると依頼が殺到し、もともと大した才能があったわけではないので、すぐに息切れしてしまったのです。


こんなことをやるために生まれてきたんじゃない!って、怒りをぶつけたことさえあります。

自分で選んだくせにね(笑)

まだ23歳だったから、世の中のことも人生のことも何もわからずに、ただ興味を持ったことに邁進していました。


その後プロデュース側に回って、作曲家を自由に選べる立場になったとき、迷わずパートナーとしてお願いしたのが京平さんでした。

だから歌手の人たちよりも、レコード会社の人間よりも、誰よりも京平さんと一緒にいた時間が長かった一人だったと思います。


お話ししたい思い出はたくさんあるのですが、面白いエピソードとしては、京平さんの歌を、本人より僕のほうがよく知っていたこと。

僕が職業作家を目指したとき、京平さんの曲を徹底的に分析したので、ほとんどの曲とコード進行を暗記していたのです。


ある日、レストランで夕食をとっていた時だったと思いますが、郷ひろみの『洪水の前』という曲について、ドミナントセブンから始まるのに何の違和感もないのは、どういうテクニックかと聞いたことがあります。


そしたら京平さん

「それ誰の曲?」って。

自分で作ったのに覚えていないんです。


「僕は職業作家だから、阿部君みたいに魂削ってない。だからたくさん書ける」って。


『洪水の前』は郷ひろみの中ではあまり売れなかった曲だからか愛着もなかったのかもしれません。

正真正銘の職業作家でした。


にもかかわらず、メロディーメーカーとして類を見ない天才でした。

心に残る名曲が多すぎです。

僕が一番好きなのは、同じく郷ひろみの『よろしく哀愁』

あの出だしは日本人の心の象徴だと思います。





時は過ぎ、僕が業界をやめてしばらく経った頃、有線から流れてきた曲を聞いて、「久しぶりに京平さんらしい曲を出してきたな」って思ったことがあります。

メロディーのクオリティが京平さん以外にないくらいに洗練されていたから。


それが篠原涼子の『恋しさと せつなさと 心強さと』でした。

ところがそのすぐ後で、この曲は京平さんじゃなく、小室哲哉さんだとわかります。

その時、時代は変わったと思いました。


まだまだお話ししたいエピソードは山ほどありますが、この辺にしておきます。



筒美京平先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



ブログですが、少し休みます。

日曜日から3日間、コメント承認もスタッフに任せてブログから離れていました。

なんか調子いいです(笑)


もう少し休ませてください。

少し形は変わるかもしれないけれど、また始めると思います。



明日の瞑想会のアドレスは

https://youtu.be/AsxRVBq-u0E



前回の日曜日に参加できなかった人のために、その日の講演と瞑想会を公開します。

コチラからどうぞ。

https://youtu.be/4BW1lKoE58A




  


Posted by Toshiro Abe at 14:42Comments(26)

2020年10月10日

小さな話

ある男が丘の上に坐っていました。

その男は修行僧のようでもあり、でも普通の格好をした普通の男です。

ちょっと神秘的な雰囲気なので、村人はみな彼を知っていました。





丘の上に一人でいる男の姿を見て、近くを通りかかった3人の村人が口々に話し始めました。

彼は何をしているのだろうと。


一人目が言いました。

「彼の犬は時々どこかに行ってしまうんだ。きっと丘の上から探しているのさ」


二人目が言いました。

「あれは何か探している態度じゃない。だって周りを見渡してないじゃないか。きっと後ろから来る友人を待っているのさ」


三人目が言いました

「もし誰かを待っているなら時々振り向いても良さそうなものじゃないか。私は知ってるよ。あの人はスピリチュアルな人だ。おそらく祈っているか瞑想でもしているのだろう」


三人は意見が割れたので、本当のことを知るために丘を登って行きました。

たいそう高い丘で、息を切らしてやっと行き着いた三人は、一人ずつ彼に尋ねました。


まず一人目が聞きました。

「犬を探しているんですね。どこかに行ってしまったんですか?」


すると男は目を開けて言いました。

「私は何も持っていません。だから何も探していません」



二人目が聞きました

「やっぱり思った通りだ。あなたは後からやってくる友人を待っているんでしょ?」


すると男は言いました。

「私には友人もいなければ敵もいません。私は独りです。誰を待つというのでしょう」



最後の一人が言いました。

「これで私が正しいことがわかった。あなたは祈り、そして瞑想をしていたんでしょ?」


すると男は笑ってこう言いました。

「あなたが一番馬鹿げている。私は祈るような対象を知らないし、成就するようなものもない。そんな私がどうして瞑想などするのでしょう」



三人は訳が分からなくなって再度聞きました。

「それではあなたは一体、何をしていたのですか?」


その男は言いました。

「私はただ坐っているのです。私は何もしていません」



これこそが瞑想です。



友人だとか敵だとか

持っているとか失くしたとか

俗世だとか神聖だとか

そういった二元性から自由になることが瞑想であり、本当の自由です。


その時、人は初めて自然になります。


優れているわけでも、劣っているわけでもありません。

先に進んでいるわけでも、遅れているわけでもない。


ただこうしていまが、あるがままにあるだけなのだから。





  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(53)

2020年10月09日

難しいことは何もない

いまここを生きると言いますが、いまを生きていない人は一人もいません。

なぜならいましか存在せず、誰一人いま以外にいる事はできないからです。


ところがここで問題となるのは、人はあるがままのいまにはいないということ。


大抵の場合は、

こうあるべきのいま、

こうできたはずのいま、

こうでなければならなかったとか

なぜこうなってしまったのかとか、

ありもしないことを投影したいまを生きているのです。


そうやっていまにないものに集中することで、いまここにあるものから目を逸してしまいます。

その結果いまが希薄になっていきます。


いまが希薄になった分、すでにいま無条件に与えられている安らぎや、満足感、充足感が失われます。

そしてそれらが失われた分だけ、

こうあるべきだとか、

もっと何か出来たはずだとか、

またそのような幻想がいまを覆ってしまうのです。



このような悪循環が多くの人に起きています。


何度も繰り返しますが、あるがままのいまを生きること以外に大切なことはありません。





まずは幻想のベールを脱いで、あるがままのいまに落ち着く、


そして目の前のいまに、心を込めて対応していく、


これが生きる極意であり、これ以上はないのです。



いまどうしたらいいかの知恵は、すでにあなたの中に携わっていて、誰かの指導を受ける必要もありません。



終わったことや先のことを最小限にして、目の前のいまを生きる。


その時、どこに不安や後悔が入り込む隙があるでしょう。



大丈夫。


あなたが生きているのではなく、あなたという現象も含めて生かされているのだから。


だから余計なことは考えずに、目の前のいまを生きましょう。

お腹が空いたらご飯を食べるだけのことです。




  


Posted by Toshiro Abe at 12:07Comments(24)

2020年10月08日

無題

昨日、とある場所で

「ここで願い事をすればなんでも叶う」

という触書を見ました。


そこで願い事を考えてみたら、何も出てこない。


いわゆる

夢も希望もない

のです。



一昔前なら

夢も希望もない

という言葉には、絶望的な響きがありました。


夢や希望を持つことが前向きだったわけです。


しかし違う見方をすれば、夢見させて、希望を持たせて、ありもしない「いつか」という日に向かわせることが人の生き方だと、当たり前のように信じさせられていたのかもしれません。


夢や希望が必要なのは、その前提に「いまはまだ十分ではない」という思いがあるからです。

そして幸せとは「いま幸せであること」以外にありません。







なーんてね。

偉そうなことを言ったけど、明日になったらまた夢を持つかもしれません。


気持ちはコロコロ変わるので、何ひとつ言い切れない。


そしたら明日また、あの場所に行って願い事を祈ってこよう。


そこはどこかって?




秘密(笑)






  


Posted by Toshiro Abe at 10:02Comments(26)

2020年10月07日

一休み 雨降らば降れ

人を苦しめているのは、起きている出来事そのものではなく、その大元は「自意識」だ。

存在は意識そのもので、意識は万物を現象させている力だが、そこに自意識があるから、生まれるだとか死ぬだとかいう観念が作られて、人生全体が大騒ぎになる。

あれやこれやとの比較や、いいだの悪いだの、あらゆるものに攻撃心を持って、そうやって苦しんでいるのだ。


自意識と同化している状態からはこのようなメッセージは奇異にしか映らないが、そこから離れたら当たり前のことになる。

分からなくてもいいから、そういう真実もあるのかと思えれば、多少なりとも楽になれるだろう。



そうなったら、自分を変えようとか人を変えようとかしないで、黙って坐ること。

あるがままの命に寛ぐこと。


そこから始まる何かがある。






今日は都合でこれ以上書く時間がないけれど、夜の一緒の瞑想に参加したいと思う。


瞑想は自意識を透明にしていく最もダイレクトな道だ。

肉体には引力があるので、瞑想は誰にとっても必要になる。


何もかも手に入れた人も、瞑想の時間が一番の至福だと言う。



今夜のアドレスは

https://youtu.be/IfyuaUI8tt0



良い一日を





  


Posted by Toshiro Abe at 10:10Comments(16)

2020年10月06日

不可知

昨日は早く寝てしまって深夜2時ころに目が覚めた。

何気に夜空を見上げると、星々が目に飛び込んできた。


オリオンだ


春以降初めてのオリオン星座。


子供のころから不思議と目にすることが多かった星座で、自らの存在をこちらに訴えているようにも感じてきた。


「私はここにいるよ」

「何もしてあげられないけど、いつでも君のそばにいるよ」

そんなメッセージを感じてきた。


昨日書いた人生の意味と同様に、オリオンを見るたびに感じてきたこのようなメッセージも、独りよがりの創作なのかもしれない。

人に分かってもらえなくても、自分の中では確信のようなものがあって、すでに現実の一部になっている。



なぜこんなにオリオンが気になるのか。


あの場所からやってきたのだろうか。

そんな妄想に浸ることもしばしばだ。







結局のところ人間は何もわかっていない。



不可知


不可知と未知は違う。

未知はいずれ既知にとって代わるが、不可知は永遠に不可知のままだ。


そのことを認めれば、こうしていま生かされていることにも謙虚になれるだろう。




そんな不可知の次元を一度だけ垣間見たことがある。


その時思った。

「これはわからないはずだ」


それしか覚えていない。

なぜわからないはずだと思ったのか、それだけでも思い出したいところだが、絶対にわからないのだろう。


それが不可知だ。



とりとめのない文章になってしまったが、このまま載せることにする。




  


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2020年10月05日

秋だし

秋の夜長

ちょっと人生を立ち止まって、根本的なことを考えてみよう。


今日もNIKE版「ケセラセラ」からの引用です。

人はなぜ生まれて 生きていくの?


答えを持っている人もいれば、持っていない人もいるでしょうが、この答えを持たないまま苦悩の人生を送っていける人は、ある意味凄いですね。





たいていの場合は自分の苦しみを説明してくれる答えを必要とします。


たとえば、運命に挑戦されて魂を磨くためだとか。

真理を獲得するために、茨の道を選んで生まれてきたとか。

苦しみの裏付けになる理由があれば、何とか乗り越えていけそうだし。


そうやって乗り越えた先に何があるのか。


♪一つ山越しヤ ホンダラッタホイホイ

もひとつ越しても ホンダラッタホイホイ

越しても越しても ホンダラホダラカホイホイ

どうせこの世は ホンダラッタホイホイ

だからみんなで ホンダラッタホイホイ



すでに50年前にこれだもんな。




人生にどんな意味をつけるのか。

するとどんなストーリーになるのか。



んなこたどうでもいいか。


ホンダラッタホイホイだし。










  


Posted by Toshiro Abe at 09:52Comments(35)

2020年10月04日

「ここ」にいる

毎回瞑想会のエンディングに使っている「ケセラセラ」の歌。

この詞の意味は何度か解説してきましたが、今日はもう少し深く見ていくことにします。


いつも私が「ここ」にいて

過ぎていくのよ 楽しいことも悲しみも



私が「ここ」にいる

と言った時の「私」とは、通常自覚している自己(マインド)のことではありません。


そもそも自己は「ここ」にいることなどできません。

自己はいつも思考が想像する「ここ以外の場所」を彷徨っているからです。


「ここ」にいるのは、あなたの実存です。

思考さえも見届けている純粋意識。

それが本当のあなたであり、歌に登場する「私」です。


過ぎていくのよ 楽しいことも悲しみも


全ては過ぎ去っていきます。

しかしマインドの中では過ぎ去っていません。


マインドは何にでもしがみついて自分のものにしてしまいます。

私はあれをした、これをした。

あの人にあんなことをされた。

そうやって人生という物語がさらに綴られていくのです。


過ぎ去っていくものを過ぎ去らせるには、起きることとの距離が必要です。

そこに巻き込まれてしまえば、過ぎ去ることはできません。


「ここ」にいるというのは、巻き込まれないということ。

ところが人は何にでもすぐに巻き込まれます。


誰かがあなたに失礼な態度を取れば、その経験の中に巻き込まれます。

誰かを好きになれば、その関係の中に巻き込まれていきます。


そのたび人は「ここ」から離れて、物語の中に入っていくのです。





「ここ」にいるというのは覚醒しているということ。

過ぎていく夢(物語)に影響されていないということです。


これが瞑想の本質です。

瞑想中に湧いてくる思考に巻き込まれていないこと。

思考が織りなす物語の登場人物になっていないこと。

その物語の内容がなんであれ、ただ見届けていること。


瞑想中に湧く思考がいけないのではありません。

その思考と距離を保っている状態が瞑想です。


それは日中活動しているときも同じで、目の前で起きている出来事に巻き込まれることなく、ただ見届けていることができたら、それは瞑想的生き方となります。


禅寺での修行も、このこと以外にはありません。



いつも私が「ここ」にいて

過ぎていくのよ 楽しいことも悲しみも




この詞を書いてから30年が経ちました。


全ては過ぎ去っていきました。

そしていまも私は「ここ」にいます。



今夜の瞑想会は21時から。

アドレスはコチラです。

https://youtu.be/jsqbBEyfNxA








  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(29)

2020年10月03日

17文字のノンデュアリティ

昨夜の講演で松尾芭蕉の話をしました。

芭蕉は禅のスペシャリストですが、旅をする中で禅の世界をたった17文字の言葉で表現しています。


禅の世界と言うとわかりにくいかもしれませんが、早い話が非二元(ノンデュアリティ)です。

このブログの読者なら、非二元と言ったほうがピンとくるかもしれませんね。






いま僕は60年代のアメリカで生まれた「奇跡のコース」を超訳していますが、まるで言葉の洪水のように非二元を解説しています。


しかし芭蕉はたったの17文字。

ここに日本人の感性を見る気がします。


静かさや 岩にしみいる蝉の声


ここに読み手はいません。

ただあるがままがあるだけです。


しかも蝉の声が鳴り響いているのに静寂だと言います。

言葉としては矛盾しますが、よく噛み締めれば味わい深い何かを我々は感じるとることができます。


たぶんこの国の人たちは昔から、非二元の何たるかを身体で知っていたのではないでしょうか。

分離した「私」という概念が少なかった。



明治時代にイギリスに留学した夏目漱石が、日本の友人に送った手紙の中で


「だいぶ英語を理解してきたが、ひとつだけわからない単語がある。

それは『I』という言葉だ」

と書いたそうです。


そういえば英語は、なんにでも主語をつけますよね。

日本語ではいちいち言いません。


「I am hungry」



「お腹が減った」

でいいのです。



そういえばお腹が減ったな。


何か食べよっと。


よい週末をお過ごしください。







  


Posted by Toshiro Abe at 08:10Comments(27)

2020年10月02日

三位一体 その2

まずは今日お話しする三位一体の定義について説明しておきます。

西洋では父(全体神)と子(キリスト)と精霊(ホーリースピリット)を三位一体としますが、これは神の三つの側面を表しています。


今日お話ししたいのは我々人間のことで、これを魂と肉体とマインド(思考)に別けてみました。

そもそもこの三つは別けられるものではなく、本来は一つの全体として機能しています。


でもこれらを別けて考えることで見えてくるものがあるので、今日はそんな話。



人間が三位一体として動いているときはバランスが取れています。

しかしこの中のどれかが主導権を持ち、一つだけが突出して他の二つが従属するとき、そこには不自然な状態が生まれます。


これが我々が陥ってしまった状態です。


マインドが完全に主導権を握ってしまったのです。

こともあろうに、三つの中で一番愚かな部分が主導権を握ってしまいました。


魂に内在する根源知性は、真理へのダイレクトな直観を携えています。

我々が気づかないだけで、何度もこの直感に助けられて生きてきました。

新しいアイデアや芸術もここから生じています。


肉体に内在する知性は、奇跡としか呼びようのないものです。

いまこの瞬間にもあなたの肉体は、無数の複雑な活動をバランスよく行っています。

食べ物の消化も、血液の流れも、極めて微細で複雑な働きです。

これらを司っている肉体の知性は神業以外の何物でもありません。


一方のマインドはどうでしょう。

最も知的な振りをしていますが、言うまでもなく最も愚かです。

その証拠に少し観察してみれば、完全に分裂し、支離滅裂なのが分かります。


ところが我々はマインド(思考)を信頼し、それに振り回されながら生きてきました。

最も愚かで、もっとも卑小なマインドが、人間という存在の主導権をとってしまったのです。


だから幸福など訪れようがありません。

幸福とは三位一体である全体が、バランスよく健全に機能している状態なのだから。





またかと思うかもしれませんが、だからこそ瞑想が必要なのです。

瞑想とは全体性に戻ることであり、マインドの支配を弱め、霊的直観と肉体機能を向上させていきます。


そうやってバランスが取れたとき、人は瞬間から瞬間へとフレッシュに移行しながら、人生を実りあるものにしていくのです。

これが真に豊かな人生への道です。



今日はマインドに一休みしてもらいましょう。


マインドを消すことを目指す人がいますが、それも極端な話です。

生きるにはマインドも必要だからです。


大切なのはバランスをとること。

我々は三位一体と呼ばれる全体なのです。



今日は一日、マインドを静めることを意識して生きてみませんか。

それだけでも人生の風味が変わってきますよ。




天河は今日も快晴です。

大銀杏の葉も少し色づきはじめました。


これから本格的な秋ですね。











  


Posted by Toshiro Abe at 09:40Comments(21)