2006年09月29日

2012年のアセンション



先週のラジオでも触れたけど、最近時間の速度がどんどん速くなっていて、従来の24時間が今は実質16時間くらいにしか感じないらしい。

この傾向は益々強まり、2012年12月22日にはゼロになるって?!

その時物質界の次元が上昇し、物質を超えたエーテル界(一説には物質世界にいながらにして高い次元を意識する世界)に移行し、そこでは愛と調和に基づいた人間社会が形成されるらしい。


その作用をアセンション(次元昇華)って言うんだって。
え?またですかびっくり!
1999年7の月で懲りたはずなのに、またそんなこと言うとですか?


僕なんか、さらに前の1987年9月に起こるといわれた富士山大爆発が恐くて、ひとりNYに避難した恥ずかしい前歴があるだけに、年月日を指定されるとそれだけで拒否反応がある。

でも今、巷ではまことしなやかに囁かれているわけよ。

その時、アセンションできる魂とできない魂がいて、霊的な理解が深かったり波動が高い魂は上の世界に行けるけど、現世主義、唯物主義、自己中心的魂は取り残されて、今よりさらに荒々しい波動の世界で修行のやり直しさせられるんだって。

本当にそうなったらあなたは上に行けそう?行けなさそう?

こういうブログや哲学・思想カテゴリーに興味を持つような人は行けるのかな?

僕自身はどうかな・・・ここでは生意気言っているけど、自我に振り回されている時のほうが多いし、今までやってきた事が全部ばれたら無期懲役くらいになりそうだし。


実はこの話を聞いたとき、自分の中で思った事があるんだ。
もし万一僕が選んでもらえるようなことがあっても、ご辞退しようって。

ここに残ったほうが成長が早そうだし、なにより残されるっていうことは霊的理解が浅いわけで、そういう人たちがいてくれないと、スピリチュアルヒーラー・エンジェルメッセンジャー・ハイヤーセルフティーチャー・プチブッダとしての活動ができなくなっちゃうもんね。

僕自身も学びながら、僕以上に助けを求める人たちと共に暮らすことにする。

神さま~!!聞いてるか~!!
僕は行かない!!


でもこういう警告のおかげで魂を磨こうとする人が増えるのは素晴らしいことで、この手の流言は歓迎します。



さて、ラジオ収録行って来よっと。
今週が最後で、来週からはオンエアーの時間が金曜夜9時半に変わるよ。  


Posted by Toshiro Abe at 13:31Comments(0)アセンション

2006年09月29日

本日ハ晴天ナリ



昨日の夜、コンビニに買い物に行ったら大勢の男子中学生がいて、その中の何名かが本売り場で漫画の立ち読みをしていたんだ。
よく見る光景。
店主は注意するどころか笑顔で他の客と接している。
何故か・・・

子供がキレたら怖いからそっとしている?
いいや、みんなおとなしそうな良い子達。

買うかもしれないから待っている?
買わないよ。買うくらいなら立ち読みしないし。

じゃ、なんで?
それはね、子供達に漫画くらい読ませてあげようって思っているからさ。

これが沖縄。
これがオラが村。

心の奥から優しいんだよね。
こんな光景に出会うたび、沖縄に暮らせる喜びを感じるんだ。


さて今日という日は僕達に残された人生の「最初の日」
しかも今日の僕達は、今までで最も多くの時間を生きていて、最も多くの経験を積んだ賢者なり。
今日は昨日よりもっと素敵な自分で生きられるかもしれない。


今日もいい日でありますように。
みんな元気で行ってらっしゃいニコニコ  


Posted by Toshiro Abe at 08:03Comments(0)日々のメッセージ

2006年09月27日

ヨイショッと



今朝は早起きして今までの記事や、寄せてもらったコメントを読んでました。
それにしてもここを訪れてくれるみなさんの温かさが嬉しいハート

社会を見るとみんな人生をスムーズに歩いているようにみえるけど、本当は誰もが何かしら抱えながら一生懸命に生きているわけで、それは僕も同じ。
もしみんなが思いやりを持って正直にかかわりあえたとしたら、同じ荷物でも軽く持てるような気がする。

「大丈夫だよ」って声を掛け合って、励ましあいながら生きていけたらいいねニコニコ

今日もよい一日を。
  


Posted by Toshiro Abe at 07:50Comments(0)心のメッセージ

2006年09月26日

忘れ物



忘れ物しないで出かける日は稀だ。
よく途中まで車で出かけて、忘れ物に気づいて家に戻ってくる。
ひどい時は、忘れ物をして戻ったら何を忘れたのか忘れていて、ずっと考えていた。

でも忘れたということを憶えているだけまし。

忘れたことを忘れてしまうと、「すっかり忘れる」という状態になる。
そうなると探すことさえしない。


それは僕らが、本当の自分(神なる自己)を忘れているのと同じだ。
普段は、本当の自分を忘れてしまったことさえ忘れているから、何の探求も始まらない。

今日はそんな自分を思い出して生きてみよう。
その前に、忘れ物しないで出かけてね。
行ってらっしゃ~いニコニコ
  


Posted by Toshiro Abe at 08:35Comments(0)日々のメッセージ

2006年09月25日

朝の話の続き



キツツキが口ばしで大木をトントン叩いてた。

それは彼の日課。

今日も頑張ってトントントン・・・。

たまには力を込めようって思い立って強めにトーン!

とその時・・・

大木に雷が落ちて、その木が真っ二つ!!

ベキベキベキ・・・

その時、キツツキは思わずこう言った。

「ひょえー!!ビックラした!!オラにこんな力があっただなんて!!」

自分がやったと思っている。

このキツツキを「自我」って呼ぶんだ。


ねっ、事は起きているんだよニコニコ


現実を次々と生み出しているのは自分じゃなくて全体なんだ。

したがって自分の想いとは別に、起きるときに起きることが起きる。

それは神(全体)の意思。

だから・・・思し召すままだね。  


Posted by Toshiro Abe at 19:57Comments(1)心のメッセージ

2006年09月25日

行雲流水の如く



若いころスターになりたくて、売れている友人達が羨ましくて、徹夜で曲を書いて、笑顔を練習して・・・でもなれなかった。

なりたくてもなれないものもある。
やりたくてもやれないこともある。

沖縄に来たらすぐにラジオ番組に抜擢された。
最初は嫌なことがあってやめようとしたら、局側が解決し番組は続いた。
たぶん聴取率が1%上がっていたから。

そのうち慣れて面白くなってきたら、編成替えで降板になった。
たぶん聴取率が2%下がったから。


「事は起きている」
自分がやっているんじゃなくて、起こっている。
結果を心配してもしなくても、事はそのように起きていく。
喜ぼうが悲しもうが、事はそのように起きていく。

だから結果はおまかせして、今目の前のことに心を込めて生きてみる。
僕らにできるのは、それだけだよ。

余計なことまで背負い込まないでね。

そして起きている事は、長い目で見ればいつだってBESTな事。
今の自分に丁度いいこと。

今日も生かされている。
僕達はいつだって100%祝福されているニコニコ
  


Posted by Toshiro Abe at 09:29Comments(0)心のメッセージ

2006年09月23日

幸福感



幸せになるのは簡単。
幸せな気持ちを持てばいい。

幸せとは、今起きている現実や取り巻いている環境そのものじゃない。
幸せとは、それら条件から切り離されたところにある、心の状態だ。


まさに今この瞬間にも、自分が味わいたいだけの幸せを感じることができる。
現に今も、自分が味わいたいだけきっかり味わっている。
自分に許可しただけそれを味わっている。

今日は何%くらい幸せの中にいる?
100%でなければ、残りを感じないようにしている理由は何だろう。
仕事?お金?家族?友人関係?恋人?健康?

なにか問題や課題があるとして、100%幸せな気持ちでそれに対したらどうだろう。

幸せになるのは簡単。
幸せな気持ちを持てばいい。

一緒に練習しよう。
どんな状況の中でも幸せな気持ちを持つ練習。

僕がよくやる強力なテクは、
いきなり笑うニコニコ
無理やり笑うニコニコ
死ぬ気で笑うニコニコ
そんな自分が馬鹿馬鹿しくなって本当に笑えてくるまで必死に笑うニコニコ

たいていは5分もすると気分が変わってきて、前向きで満たされた気持ちになる。
幸せな気持ちになれば、難題だと思っていた事もたやすく見えてくる。

さあ、ご一緒に、
「わっはっはっは・・・・」
  


Posted by Toshiro Abe at 10:43Comments(1)心のメッセージ

2006年09月22日

おかえり



今日は久しぶりに娑婆(シャバ)に出て、「阿部敏郎」を演じてきた。
社会では振りさえあれば生きていけるし、それ以上は社会も求めていない。

振りが悪いわけじゃない。
みんなが自分をそのまま出したら社会は成り立たない。
振りは社会の潤滑油だし、心を込めて振りをすれば誠意にだってなる。  続きを読む


Posted by Toshiro Abe at 21:25Comments(1)心のメッセージ

2006年09月22日

おはよう



子供が学校に行く前の時間。
車の交通量が増えてきて、朝が動き出した。


みんな一生懸命に生きていて、みんなが孤独な旅人で、みんな大きな荷物を抱えている。

強く見える人も、立派に見える人も、心の中には不安や恐れが詰まってる。

できたら尊敬されたいし、できたら認めてほしい、できたら注目されたいし、できたら安心したい。

人を非難したくなったら思い出してね。
その人も心に大きな荷物を背負った孤独な旅人だってこと。
本当はみんな、愛されたいんだってこと。
  


Posted by Toshiro Abe at 07:49Comments(0)日々のメッセージ

2006年09月20日

時間のスピード



ねえ、最近時間が過ぎるスピードがすごく速くない?

単なる年齢のせいと思っていたけど、何かが起きているのかな。

日進月歩のテクノロジーの進化と何か関係があるのかな。

神秘主義者たちがいうように、アセンション(次元上昇)に突入するのかな。

なんだか知らないけどワクワクする。  


Posted by Toshiro Abe at 10:29Comments(0)独り言

2006年09月20日

大丈夫



最初に深い内的洞察を得たとき、次のようなメッセージを受け取りました。


上司と部下、お金持ちと貧しい人、偉い人と普通の人、強い人と弱い人、できる人とできない人、美しい人とそうでない人、大きい人と小さい人、運動神経のいい人と悪い人、前向きな人と後ろ向きな人、家柄のいい人とよくない人、、素直な人と頑固な人・・・・

本当はね、みんな同じ、同じ価値の同じ命なんだ。
違いはあるけど、それは優劣じゃなくて、お互いをより豊かにするためのバリエーション。

魂の価値はみんな同じ。
魂はみんなが互角と互角。

キリストさんも御釈迦さんもあなたも私も、命の根っこはみんな同じひとつのもの。
みんなひとつに繋がっている。

心配ないよ。
決して自分だけ忘れられることはないから。


だから安心してね。
道の上を歩くのもよし、道に外れて歩くのもよし。
ゴールは最初から、すべての魂に保障されているんだから。
長い長い目で見れば、すべての魂はやがてそのことに気づくことになる。

「大丈夫」

今まで「不安」や「心配」を信じてきた人は、今度は「大丈夫」を信じてごらん。

今日も生かされているね。
おめでとうニコニコ
  


Posted by Toshiro Abe at 10:04Comments(1)心のメッセージ

2006年09月19日

マーヤ




またずっと海を見ていた。
今日の中城湾はさわやかに晴れ渡り、時折吹く夕暮れの風が肌に気持ちいい。

毎日いろんな出来事が目の前を通り過ぎていくけれど、立ち止まって深く自分の中に戻ってくれば、自分はどこにも行っちゃいなかった。

いつも「いまここ」にいた。



今までも
何ひとつ起こりはしなかった。
この先も
何ひとつ起こりはしないだろう。



そんな理解の中から見ると、我々が抱える喜びや悲しみは、本当は実体のない泡みたいなものだ。
夢から覚めたとき、いつだって人生ゲームの全ては跡形もなく消えうせてしまう。


それなのにまた夢の中に巻き込まれて、やがて夢を見ていることも忘れて、喜びや悲しみの世界をさ迷うことになる。

そしてまた目覚めて・・・

いつまで続くことやら。

でも大丈夫。

この宇宙の絶対君主は自分自身で、夢の長さも、夢の中のルールも気の済むまま自由に創り出していて、好きなだけ道に迷うことができ、好きなときに目覚めることができるから。


だから本当は・・・大丈夫なんだよ。

もう一度おまかせしてみよう。




写真はたった今、ベランダから見た中城湾
沖縄の日暮れは長い。  


Posted by Toshiro Abe at 17:44Comments(0)究極メッセージ

2006年09月19日

アリと食卓



昨日の夕食のとき、智子さんが「あら?」って言うから何だと思ったら、食卓の隅っこを食べこぼしたスナック菓子が移動していく。
よく見ると2匹のアリが、力をあわせ「うんしょ、うんしょ」と運んでいる。

「働きアリって年取った女のアリだって誰か言ってたわよ」

その一言で現実の見え方が変わった。

そう思って見てみるとなんだか切なくなって、「頑張れ」という気持ちが沸いてくる。

子供はカメラでアップの写真を狙い、みんなで食事を忘れて、しばし彼女たち(?)の行く末を見守っていた。
すでに皆が感情移入していて、そのアリは食卓の上でアリ以上の存在になっていた。


もし違うタイミングだったら、無意識に払いのけたり殺していたかもしれない。

たった一つの情報や気持ち次第で、現実が違って見えて、違う経験をすることになる。


何がいいか悪いかはわからないが、人生の経験って、やっぱり自分の心が作り出しているんだと思う。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:57Comments(1)心のメッセージ

2006年09月17日

かんながら・月光編




記憶が鮮明なうちに書き残しておこう。

事が起きたとき、人はそれを自分なりに解釈し、経験し、意味を見出す。
したがって一つの出来事でも、そこに居合わせた人の数だけ意味と教訓が生まれる。

僕にとって今回の出来事には2つの意味と教訓があった。

ひとつは自分をとりまくあらゆるものへの感謝。

もうひとつは神への信頼、そう信心だ。

そしてそれは同じものの両側面なのかもしれない。



沖縄の放送局から突然、「昔のファンたちが僕を探している」というメールが届いた一年後、またしても直感が導くままに、家族を連れて沖縄に転居することになった。

宇宙的な気づきの翌日に、一切の音楽活動を辞めてから、早17年が経っていた。


沖縄に移住後は、今までとは打って変わって、ギターを抱えたライブ活動が生活の主流になっていた。

人口130万あまりの、多くの離島からなる沖縄で、音楽だけで生計を立てるのは至難のわざと考えられたが、どの会場も大入りの盛況が続き、奇跡的なスピードで知名度も上がっていった。

そんなある日の出来事・・・



2004年9月25日 
午前11時

沖縄本島には大型の台風21号が接近していた。

朝から激しい雨が庭の樹木に襲いかかっている。
晴れた日には寝室の窓に広がるエメラルド色の海も、今日はその色を失い荒波がそそり立っている。

ふいに携帯電話が鳴る。
「今日はどうしますか?」
バンドメンバーの声だ。

天気予報を見ても野外ライブができる状態ではない。

「やるよ、今日はやれるから。本当さ、やれるよ」





12日前(9月13日)

その日は、沖縄だと言うのに早めの秋の清々しい日差しがベランダに差し込んでいた。
とても気持ちのいい朝だった。


「??!!」
一瞬、時間が止まった。
体が凍りついたかのようにそのまま固まってしまった。

その日は朝から、25日に予定している「くるくま」でのライブ情報をHPに載せるためにパソコンに向かっていたのだが、それが突然、瞬時にしてそこに載せていた一枚の画像が変わってしまったのだ。

突然変わってしまったこと自体初めてのことだが、不思議なのはそれだけではなかった。

出て来た絵が、普通の絵ではなかったのだ。

弁財天やそれをとりまく神々が、雲に乗って地上に降臨しようとしている、とてつもなく光に満ちた絵だ。

そして次の瞬間・・・

・・・心の中で声がした

「アナタヲ 祝福シマス」


「!!!」


(くるくまコンサートは成功する)
静かにそう直感した。


僕の思い過ごしかもしれないけれど、とにかく素晴らしいことが起きたのだから、このことを皆に伝えておこう。
間髪いれずにBBSページに書き込みをした。


2004/09/13 (月) 11:13
「今、とても不思議なことが起こりました。
スケジュールページに、自分の想いを書いていたら、突然写真が変わったのです。
それも変わりようがないものに変わったのです。
でも変わった絵がとても素晴らしく、弁財天を感じました。」




9月25日 午後1時

会場に到着。

音響さんがすでに来てくれている。
初めての人だったのでお互い軽く会釈を交わした。

「で、どうします?」

彼が何を言いたいかはすぐにわかった。
今はかろうじて雨が上がっているものの、この先また天気が崩れていくことは明白だった。
約束どおり来てくれはしたが、この天候での野外ライブは常識では考えられない。
中止ですの声を待っているのは当然だった。

「やりますよ」

「え?ここで?それは無理でしょ、バンドの楽器とか・・・」

会場は縄文遺跡のすぐ隣にあった。
石舞台の下には芝生のスペースが広がっている。

しかしこの天候では屋根のない石舞台の上に楽器や機材をセッティングするわけにはいかない。

それに芝生は午前中に降った雨で水浸しになり、とても観客が坐れる状態ではない。


急遽、舞台を変える提案をした。

その芝生の向い側に、縄文遺跡から出土した貝塚や世界各地の化石を納めた大きな倉庫がある。

その軒下は一段高くなっていて屋根もせり出し、ステージには持ってこいだった。

「それではこっちにしましょう」

「ここにしても正面から雨が振り込めば、楽器や機材が水浸しになっちゃいますよ」

「今日はできるような気がするんです。ここでやりましょう。よろしくお願いします」


「・・・・・」

まったく根拠のない意見を突きつけられて、音響さんは少し戸惑っていたようだった。

なんとなく気まずい出会いになった。



その後、照明さんやバンドのメンバー達がぞくぞくと会場入りした。

みんな本当に決行するのか半信半疑の表情だった。

僕がやることしか考えていないのを見て、それならばとセッティングを始めてくれた。

もしこの時点で雨が降っていたら、僕が何を言おうが中止になっていただろう。
機材がずぶぬれになってしまうからだ。

しかしこの時、他の地域では強い雨が降り続いていたにもかかわらず、「くるくま」の上空は雨が止んでいた。




午後5時

セッティングが終わりリハーサルをしていると、突然今まで持ちこたえていたものが力尽きたかのようにドシャ降りの雨が会場の広場を襲った。

容赦のない雨足が客席の土を泥に変えていき、PA機材を守る小さなテントが強風に吹き飛ばされそうになった。

台風が近づいているのは誰の目にも明らかだった。

リハーサルを中断し、機材にビニールシートをかぶせ、しばらくは雨が止むのを待つことにした。


しかし一向に雨は降り止まない。
このまま一昼夜降り続きそうな気配だった。


向こうで皆が何やら相談をしている。
何を相談しているかは聞かなくてもわかった。

僕は一人で車の中に避難した。
その場から離れたかったのだ。
それに車中のラジオで台風情報や天気予報を聞きたかった。


あいかわらず雨はやむことがなかった。
唯一幸いだったのは、風向きの影響でステージの裏から雨が降りつけ、正面の楽器は強い雨風にもかかわらず、たいした被害が出なかったことだ。

もし風が逆向きであれば、コンサートどころの話ではなかった。
かろうじて運のよさに助けられていた。



しばらくして共演する妻の智子さんが車の助手席に乗ってきた。

「みんなあなたに結論を出して欲しいって言っているわよ」
彼女は昨夜から今日の雨が心配で、あまり眠れなかったようだ。
少し疲れた顔をしている。

「何の結論?」
僕はとぼけて見せた。

「何時の時点で決定するのかって」

「何の決定?」

「中止のよ。これ以上は電気系統の事故が心配だし危険だって」


智子さんも今回のコンサートには特別な想いがあった。

女性として女性のために女性からのメッセージを贈る、そんな役割を担おうとしていた。
今日のコンサートで初めて唄う「月」という歌は、揺れ動く女性の心を歌ったこの日のテーマ曲で、「くるくま」の幻想的な月の下でこの歌を唄うことが最大の願いだった。

さらに沖縄への感謝を込めて愛と命の歌「童神」も月光の下で歌えればと願っていた。
僕もそんな光景を何度となく想い描いていた。


しかし今夜は月どころではない。
天気予報は最悪の結果だった。
これから先、沖縄本島は暴風域に入り台風は予想より速度を上げて、まっすぐに沖縄に向かっていたのだ。

ラジオからは次々とイベントの中止情報が流れてくる。
屋内開催のイベントまで、台風を考えて早々と中止を決めている。

我々がこれから行うコンサートは野外であり、台風となれば知念半島の海に面した高台にある「くるくま」は最も激しい風に晒される場所だ。

延期という選択もあった。

にもかかわらずここまで今夜の決行を決意させてきたのは他でもない、あの日、突然変わってしまったHPの絵と、同時に聞こえたあの声だ。

「アナタヲ 祝福シマス」


僕は今まで、まったく理にかなわない決断でも、その声の指示どおりに生きてきた。
そして全てうまくいってきた。

しかしこの時ばかりは、確信が揺らぎ始めていた。
事故が起きた時の責任は誰が取るのか。
それにお客さんは来てくれるのか。


雨の中をわざとゆっくり歩いてスタッフ達のいる場所に向かった。
わずかな距離にもかかわらず、髪の毛もジーンズもビショビショになった。

何を言うかは決めていなかった。

ギターのトミーが先に口を開いた。
「僕達は沖縄人(うちなーんちゅ)だからわかるんですけど、この天気はこれ以上悪くなることはあっても、よくなることはないですよ」

他のスタッフが言った
「やめるなら今です。これ以上ひどくなると片付けもできませんから」

その時とっさに僕の口からはとんでもない言葉が飛び出した。
「でも天気予報では雨が上がるって言っているよ。大丈夫みたい」

嘘だった。

皆が動揺しないためには僕が確信を持ち続けるしかない。
その確信の根拠は、極めて個人的で神秘的な体験であり、そんなことで人を納得させられるわけがなかった。

嘘はいずれバレるだろう。
その時はあやまるしかないと思った。





午後6時半(開場30分前)

降ったり止んだりを繰り返していた雨が、ここにきて再び強くなっていた。

ドシャ降りだ。

すでに何台もの観客の車が会場に入ってきている。
でもみんな車から出ることはできない。
ワイパーの向こうからどうしていいかわからない不安そうな顔が覗いている。


そんな一人一人が無性にいとおしくなった。
<ありがとう・・・こんな天気なのにここまで来てくれて・・・>




この日偶然にも「くるくま」ではもう一つのことが行われていた。

数体の仏像が縄文遺跡に設置されたのだ。
雨の中クレーン車が仏像を安置するために働いていた。

気の利いたオーナー社長の計らいで、この日の楽屋には縄文遺跡の竪穴式住居のひとつが充てられていた。

中は近代的に整備され、素敵な居住空間となり、正面には安置されたばかりの美しい釈迦如来坐像がこちらを向いていた。

誰もいない楽屋で間接照明が釈迦像を照らし出していた。
あとまもなくで開場の時間だ。

僕は仏像の前で同じ坐禅の姿勢をとり、ゆっくり呼吸を整えた。
自然に口から般若心経が流れ出た。


<願わくばこの雨を止ませ給え>

ここで雨が止んでくれたら心から感謝します。
もし僕があなたと共に生き、この全ての流れがあなたの流れであるのなら、その証拠を見せてください。

もしコンサートの間中雨を止めてくれたら、今度こそあなたを全面的に信じます。
だからあなたがいる証拠を見せてください。



「証拠を見せろ」
初めて口から出た挑戦的な言葉だった。

証拠はこれまでにもたくさん見せられてきた。
これでもかというくらいにたくさんの奇跡を目の当たりにしてきた。

それなのにそんな言葉が飛び出したのは、心から雨が止んで欲しいと願ったからだ。


しばらくして外に出てみた。
雨はいっこうに収まる気配を見せない。
すでに会場には何十人もの人が椅子を並べ、雨ガッパを羽織り、さらに傘をさしてコンサートの始まりを待っていてくれた。

感動で目頭が熱くなった。

お客さんがこんなにありがたいと思ったことはなかった。

沖縄に来てから50回近くライブコンサートをしてきたが、会場はいつも観客であふれかえり、それが当たり前のようになっていたのだ。

自分の傲慢さを改めて感じた。

<ありがとう・・・ありがとう・・・>
雨に打たれている人たちに心の中で手を合わせた。


もう少しで雨は止む。
止むはずだ・・・

心の中には期待と不安が入り混じっていた。





午後7時(開場時間)

まだ雨はふり続いている。

もう駄目かもしれない。
僕の中に初めて「あきらめ」が顔を出していた。

と同時に若干の怒りと、それに相反する虚脱感のようなものを感じていた。

嵐でコンサートがうまくいかなくなることだけでなく、何日も前から感じていた「祝福」や「啓示」がただの思い込みであったことへの失望感だった。


ステージになる倉庫の後ろは小さな崖のようになっていて、そこからは何一つ視界をさえぎるものがなく、一面に広がる海と神の島「久高島」を望むことができる。

が、今は暗闇の中に白くそそり立つ荒々しい波以外、何も見てとることはできない。

その場所に立って天に向かって顔を上げた。
大粒の雨が顔に襲いかかってきた。

「やっぱり全ては思い込みなんですね。考えてみたら僕の都合で天気が変わるはずなんてない・・・ハハハ・・・とんだヒロイズムだった」


その時だった。
(僕は今、事実だけを正確に振り返りながら書き記しています。人からどう思われるかという恐れを捨てて、僕に起きた事実だけを書いてみます)


その時、
今度は腹の底から鳴り響くような低い声が聞こえた。

「この不信心者め!まだそんなことを言っているのか。この現実は誰が作っていると思っているのだ!」

「!!!」

「今夜の出来事をしかと見とどけるがいい!」

「!!!」


・ ・・・・・・・・・


腹が決まった。
これではっきりとする。

もしこの後、コンサートの最中だけ雨が止めば(それは非常に考えにくいことだったが)一連の出来事や啓示は僕の思い込みではなく、確かな現実として受け止めることができる。

もしこのまま雨が降り続けば、全ては僕のイマジネーションであり、それはそれですっきりする。
神と共に生きてきたつもりの人生観を、もう一度見直すいい機会だ。

いずれにしてもコンサートは決行だ。

音響や照明のスタッフ、そしてバンドのメンバー達は、度重なる風雨にあおられる中、様々な困難を克服しながら、なんとかここまで踏ん張ってくれていた。

そんな彼らにはっきりと伝えた。

「このまま決行します」

「はい」
笑顔で即答してくれたスタッフ達。
涙が出そうなほど嬉しかった。





Photo by 石川賢治




午後7時半

この日の前売り券は完売していた。
しかし台風の中での野外コンサート、ほとんどの人が来ない可能性は十分にある。

それなのに、すでに100名くらいの人たちがステージの前を取り囲んでいた。
みな雨から体を守りながら、じっと始まりを待ってくれている。

さらに車がワイパーを忙しく動かしながら、続々と会場に入ってくる。
道中は前が見えないくらいの激しい雨だったはずだ。

ラジオでは暴風雨を伝える天気予報や、様々なイベント中止情報も聞いていたはずなのに・・・
それでもここまで来てくれた。


僕はとっさにステージに上っていた。
キーボードの前に座り、客席を見た。

白いレインコートが並んでいる。
マイクに向かって何か喋ろうとしたとき、何人かの顔が不安そうに歪んだ。
僕がコンサートの中止を告げに来たと思ったのだろう。

「ありがとう。こんなに皆さんに感謝の気持ちを持ったことはありません。僕にそのことを気づかせてくれるための雨だと思います。こんな天気ですがガンガンにいくから皆もついてきてね!」

歓声が上がった。

「まだ始まっていないけど、時間まで今日やる予定のなかった曲を弾き語りで唄います」

雨の中を待っていてくれる人達に感謝を表す方法はこれしか思い浮かばなかった。
ピアノで思いつくまま歌を唄い続けた。


何曲唄ったかは覚えていない。
誰かが後ろから僕の肩を叩いた。

「時間です」
その穏やかな笑顔にホッとした。




午後8時

コンサートが始まった。

新ユニットのバンドの音が会場の広場に鳴り響いた。

予定では智子さんのステージの後、10分間の休憩をとり、その後僕のステージのはずだった。
しかしこんな天気だ。
いつまたドシャ降りになってコンサートが続けられなくなるかわからない。

あらかじめ予定していた進行を取りやめ、数曲ずつ交互に歌うことにした。


そして気がついた。
<あれ?雨が上がってる!>

このまま降りませんように・・・
客席には高齢者の人もいる。
なんとか最小限の雨でコンサートが続けられたらと願った。

天との約束は忘れていた。


いつものコンサートとは何かが違う。
そうだ、まず僕の気持ちが違う。

これほど来てくれた人達をいとおしく思ったことがあっただろうか、こんなに心を開いてステージに立ったことがあっただろうか。


なんて素敵な時間なんだろう。
とても気持ちがいい。
細かい粒子があたり一面にちりばめられたかのような優しい波動・・・

まるで天河だ。
言葉にならない神気が「くるくま」の上空を覆っているように感じた。


それは観客の顔にも表れていた。
みんな幸せそうに体をゆすったり手拍子をしたり、僕達はひとつになっていた。



交互に歌いながらステージは進んでいった。

智子さんが月を歌うときが来た。

「本当は月の下で歌いたかったんですけど、今雨が上がっているだけでも嬉しいですね」

その時、客席から声がした。

「月が出ているよ!!」

みんながどよめいた。

僕はすぐにステージを駆け下りて空を見上げた。

月だ!

他は全て雲に覆われているのに、月の周りだけがスコンと大きな穴が開いている。
こんな幻想的な月は見たことがない。
月の周りには幾重にも虹のような七色の光の輪が取り巻いている。

『この不信心者め!この現実は誰が作っていると思っているのだ!』

つい先ほどの声を思い出した。


これって・・・?!


「月」が終わると、急速に流れる黒い雲に覆い隠されるようにして月はその姿を消していった。
不思議なことに上空の強風とは対照的に、地上は静かな神秘的ムードに包まれていた。


さらにコンサートが続いた。
月の下で歌いたかったもうひとつの歌「童神」が始まった。

僕はまさかとは思いながらも、またステージから下りて、恐る恐る空を見上げた。

奇跡が起きていた。

さっきまで隠れていた月がまた顔を出し、まぎれもなく今この会場と、そこに集う全ての人達を祝福しているのがわかった。

淡く神秘的な月の光に照らされて、まるでこの場所だけが違う次元の中に存在しているかのようだった。


体は自然に先ほどの倉庫の後ろに向かっていた。
そして両手を広げて天を仰いだ。
今度は雨の洗礼は消えていた。

僕は叫んだ。
言葉ではなくただ大声で叫んだ。

今度こそあなたを信じます。
本当は信じたかったんです。
でも弱い心が疑いと共に出てきて、信じきることができなかったんです。

これで吹っ切れました。
もう迷いはありません。

僕はこの奇跡を人に伝え、本当にあなたがいることを、『神は確かに存在することを』表明していきます。

もう恐れません。
僕はあなたと共にあります。

・ ・・・・・・・

コンサートが終了した。
コンサートが終わるのを待っていたかのように雨が降り出した。

ステージの片付けが終わった直後から雨足は強くなり、それはもう止むことがなかった。
台風独自の強風と豪雨が「くるくま」の高台を包んでいった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

この出来事は何を意味しているのだろう。

僕にとってそれは2つの意味と教訓があった。

ひとつは自分をとりまくあらゆるものへの感謝。
もうひとつは神への信頼、そう信心だ。


さらにそこに居合わせた人が共通に感じた神秘的な波動は、僕達全員の前に神が自らその存在を表し、我々が大いなる力によって生かされていることを教えてくれたと思えてならない。

少なくともあの日、僕達は祝福されていた。



<事が起きたとき、人はそれを自分なりに解釈し、経験し、意味を見出す>

もしかしたらこの一連の出来事は、やっぱり僕の思い過ごしなのかもしれない。
聞こえた声は幻聴で、たまたま天気のタイミングが僕達の願いと一致したのかもしれない。

こんな言葉を吐くと「まだそんなことを言っているのか」と怒られそうだが、その存在は限りなく優しく、人間と天との間を揺れ動く僕の弱さを見守りながら、いつも僕の活動を援助してくれている。

まさか天気が個人の想いに感応したとは思わないが、起きるべき時に起きることが起きていて、それは大きな仕組みの中で粛々と運行しているように思う。

だって僕は心のどこかで、この日のコンサートが祝福され大成功に終わることを知っていたのだから。

コンサートが終了した直後、50代半ばの沖縄男性が僕のところに駆け寄ってきてこう言った。
「長い間ここに暮らしているけれど、こんなに感動したのは初めてだ」

彼は何に感動したのか。
言うまでもなく、彼も神と出会ったのだ。



<あなたと共にあることを、より強く確信し、その時々の心の声に従いながら道なき道を歩んでいきます>



おん そら そば てい えい そわか



か・ん・な・が・ら



(2004年9月27日に記す)






嵐の夜のくるくまコンサート 2004/9/25


  


Posted by Toshiro Abe at 12:59Comments(22)随(かんながら)神

2006年09月16日

(続)気づきのわかちあい




ある日、何気なく外の景色を見ていたら、自分と景色との境界が消えて、見えるもの聞こえるものが全部自分だと感じた。

鳥が飛べばそれは自分が飛んでいて、風が吹けば自分が風になっている。

全部がひとつに繋がった有機体で、それこそが「自分」・・・え?ということは?な~んだ、みんな同じものでできていて、僕達は全員同じものだったんだ~!!


まてよ、この感覚はあの時のと同じだ。

あの時は稲妻が走ったような衝撃があったけど、大切なのは衝撃ではなくこの状態に自分をチューニングすることだったのか。

あの衝撃を遠く捜し求めていたから、こんなに近くにあった真実が見えなかったんだ。



僕等はたまねぎみたいな存在で、自分の見せかけや鎧や仮面を一枚脱いでも、また次のがあって、それを脱ぐとまた次のがあって、最後の1枚を脱ぐと、そこには何も無い。


でもタマネギの中心には僅かな空気が閉じ込められていて、全部の皮がむけた時、閉じ込められていた空気(それまで自分だと決めていた限定された自己)と、外側に遍在していた空気とがひとつに溶け合う。

もともと同じものだから、なんの努力もなく自然に溶け合う。


自分が消えたわけじゃない。

自分が全体になった。

もっと正確に言うと、もともと全体だった事を思い出したんだ。


それが完全に開いている状態。


開くとは自分がいなくなること。


開くとは全てがひとつであることを理解すること。


開くとは恐れが消えて愛と安心に満たされること。


開くとは本来の自分に戻ること。




衆生本来仏なり
・・・・・・・・
衆生近きを知らずして 遠く求むる儚さ(はかなさ)
たとえば水の中にいて 渇(かつ)を叫ぶがごとくなり

<白隠禅師>
  


Posted by Toshiro Abe at 11:15Comments(1)究極メッセージ

2006年09月15日

気づきのわかちあい

幸せであるかないかは、どれだけ「今」自分が開いているかどうかだと思う。

自分を開いているか閉じているかの違いなんだ。


開くと言うことは安心しているということであり、それは恐れがない状態。

その状態から見ると幸せでない魂は、キュンと閉じて縮こまって見える。

キュンと言われても、その状態の魂たちにはピンと来ない。

ずっとそこにいる魂は「けだるさ」「恐れ」「反感」「抵抗」「批判」「落ち込み」「無力感」などの形でこのキュンの世界を味わっている。


初めて心を開く体験をした時は、ブワ!!!ッと(正確には言えない)一気に広がるので、その快感は何物にも変えがたい神聖な経験になる。


その経験を過大評価して自分を「悟った」だのと思い込む人たちもいて、その快感をずっと待ち続けたり、それを求めて苦行したりという愚かさをしでかす。

現に僕も10年以上その罠にはまっていた。



続きはまた明日ね。

今からラジオ収録行って、那覇の小禄高校でPTAの皆さんへの講演やってきます。

急がなきゃ!  


Posted by Toshiro Abe at 14:10Comments(0)究極メッセージ

2006年09月14日

勇気



この数日間、心の中では激震が走っている。

波乱万丈、支離滅裂、そんなふうにしか見えなかった自分の人生が、実はしっかりと計画されたもので、全ての出来事が一本の線で繋がった時、与えられていた役割に戸惑い身震いしてしまう。

実際は誰もの人生がそうなんだろうけど、いざ自分の中に確認すると・・・ビビル!


今沖縄で、大勢の人たちに支えられ、昔から心のどこかで感じていた事、こうなれたらいいなという事が、すごいスピードで叶い始めている。

でも同時に、心にブレーキをかけてしまう自分がいるんだ。
とうの昔に癒したはずのインナーチャイルド。

幼少期、近所の子供たちにイジメられ、惨めな思いをした経験ぐすん
家が貧しいことで自分の尊厳が傷つけられ、いつも劣等感に苛まれていた半生うわーん

そんなお前が成功するわけないだろって、万一成功してもそれはお前にふさわしくないって。


「お前にふさわしくない」という思いこそが、今の自分にはふさわしくない。


そんな恐れを踏み倒して、前に進んでいきたいな。

だって僕の直感は「時が来た」って告げているのだから。
  


Posted by Toshiro Abe at 17:54Comments(2)独り言

2006年09月13日

本当の話




今日はとてもいい休日でした。
何より僕自身の心がとても安定して、優しい気持ちで過ごすことができました。

僕はまだブログ生活2ヶ月なので、ブログという世界が何を意味するのか、これからの世の中にどういう影響を与えていくのか、正直言ってあまりよくわかりませんでした。

先日知人から、ランキングサイトに登録してみたらと言われたときも、あまりピンと来なかったのですが、今はやって本当によかったと思っています。

その理由の1つは、ランキングが上がるにつれ他のサイトが気になり、上位の人はいったい何を書いているのだろうと覘き始めたのです。

僕が登録したカテゴリーは哲学・思想でした。
幾つかの興味を持ったサイトを見させてもらって、驚きました。
そしてとっても嬉しくなりました。

そのどれもがとても面白く、そして真実をついているのです。

まず最初に見たのは1位にあった「あの世に聞いた、この世の仕組み」でした。
読んですぐに、この人が何らかの内的体験をした人だと思いましました。
特に「この世の仕組み」シリーズは圧巻で、大変勉強になりました。


僕は本当に驚いたのです。
そして自分の長年の思い込みと傲慢さも見せられた思いでした。

僕がある日突然、宇宙の叡智を経験したのは22年前でした。
最初の体験はあまりにも衝撃的で歓喜に震え、その一瞬に(時間を超えているので長さはわかりません。むしろ永遠に触れたという感じです)全ての答えがありました。

その時、残された人生でやっていくことは、このことを同胞である全ての人たちに伝えていくことだけだと直感しました。

そこを徹底的に生きるためにも、もっと深く学びたいと思い、一度死んだ人間として、もう一度最初から生き直してみようと思いました。

タレント生活だった僕は、次の日に所属プロダクションに出向き、今日限りで全ての仕事を引退すると告げ、僕の芸能生活はある日突然終了することになりました。

その後、周囲の人たちに自分が経験したこと、自分が理解した事を一生懸命に話してまわりましたが、変人に思われる一方で、誰一人耳を傾けてくれませんでした。

それでも全く失望することがなかったのは、その体験があまりに確かなものだったからでしょう。

まだ日本に精神世界ブームが訪れる前の1983年のことです。


その後、その世界で有名な人や無名な人も含めて、たくさんの人たちと出会いましたが、本当に知るに至った人は極めて少なく、だからこそ自分は伝える使命があると思って生きてきました。

ところがここにきて「あの世に聞いた、この世の仕組み」を読み、とても感動し、そしてやっと時代が到来したのだと思いました。

この数日間、みなさんが僕を応援してくれたおかげで、とてもたくさんの収穫を得ました。
本当にありがとうございました。

お時間のある方は「あの世に聞いた、この世の仕組み」をぜひ見て来てください。


それから、あなたがそのブログを見て何かを感じたら、ぜひ「人気ブログランキング」のボタンを押してください。
僕自身同じ経験をして、そうしてくれることがどれほど嬉しいことか実感しています。


長々と話を聞いてくれてありがとう!
  


Posted by Toshiro Abe at 20:14Comments(1)独り言

2006年09月13日

前世と来世



最近、前世や来世が話題になるけど、前世なんか思い出さないほうがいいよ。
それは今生と同じくらい惨めで苦しくて、今生と同じように明日に希望を持ちながら、なんとか毎日を生きて、最後は失望と未練の中で死んだんだから。

前世を知りたい人って、前世ではひとかどの人物だった(お姫様とか有名人とか)って言って欲しくて、前世を見てあげますなんてそれを商売にしている人は、そのことをよく知っているから、前世のお姫様や大富豪や芸術家が何百人もできちゃう。

死後の世界や来世もおんなじ。
今生を100%生き切れてないから、もっと「自分」が続いて欲しいんだ。
今を生き切れなかったら、これから先、何千年経ったって同じ事。
その時また未来や来世に期待しているよ。

生きるのは「今」だよ。
それが唯一のリアリティー。


ほら見てごらん、目の前に自分に必要なことが全てそろっているから。

前世とか来世とかそんな夢物語を捨てて、今この時を生きようね。
同志よ、俺たちに明日は無い!!
  


Posted by Toshiro Abe at 09:37Comments(1)心のメッセージ

2006年09月12日

おはよう!



機嫌がいい時はみんなのことが大好きで、機嫌が悪くなれば人を愛する余裕なんてなくなってしまう。

ということは・・・
いつも心の底で不機嫌な人にまで、自分を好きになってもらおうなんて無理な話。

みんなに好かれたい症候群の僕は、そのことに気がつくのに30年かかった。
いつも回りに気を使って気を配って、自分を良く見せなきゃって大変だったよ。

今日も一日力を抜いて、人に好かれようとするより、人を好きでいられる自分でいようね。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:11Comments(1)心のメッセージ