2008年01月31日

嫉妬と利他心



たとえば同期入社の仲間が、上司に引き立てられて一人だけ出世したとき、その人の成功を喜べますか。



他人の成功を心から喜ぶ・・・正直言って難しいですよね。


その人が成功したからって、自分が何かを失うわけじゃないのに、素直にそれを喜べないのは何故でしょう。

やはり僕らは無意識にいつも他人と自分を比べていて、相手がうまくいってしまうと、自分がつまらない存在になってしまったような気がするんでしょうか。




このような嫉妬は、人生につきものです。


頭では、他人の成功を喜ぶべきだとわかっていても、実際にはそうではない感情に支配されて、挙句の果てにそんな自分が嫌になったりします。

相手への嫉妬と、自己嫌悪。

これは長い間僕自身が苦しんできたことで、今だって心の底から人の成功を喜んでいるかと言えば、そうとも言い切れません。


でも昔に比べればだいぶ良くなりました。




そのきっかけは、自分という存在は人の幸せに貢献するためにあるという考えをも持ち始めたからです

これも完璧にはできていませんが、仕事や活動を決める時の指針になりつつあります。



そうなってみると他人の成功は僕にとっても嬉しいことになります。


だって、その人は僕が何もしなくても幸せになってくれたからです。

そんなふうに思えるようになったのは大きな進歩です。

何より自分が楽ですし、そんな自分を認めることができます。



僕の経験では、人を羨んでいた時は、その相手にあまりいい波動を送っていなくて、その結果自分自身にも悪い波動を浴びせて、悪い現実を引きつけていたと思います。


相手への嫉妬や批判は、そのまま自分の現実に反映してきます。

他人に対する考え方は、そのまま自分の経験に繋がっていると思います。



たくさんの過ちを犯しながら生きてきて、今思うのは、心が穏やかで幸せであるための基本は「利他心」だということです。


これは道徳上のモットーではなく、自分が幸せであるための鉄則なのだと思うのです。




「利他心」



これからの時代のキーワードかもしれません。








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2008年01月30日

素直な心



人間関係のトラブル・・・人生の課題の一つですよね。

みんな心の底では、誰とでもうまくやりたいと考えているんでしょうが、実際にはそうならないことがあります。

ちょっとしたボタンの掛け違いで、深刻な事態を招くことさえあります。



衝突している人たちを見てみると、どちらもきちんと生きている人で、大きな欠点があるわけでもありません。


それじゃ、なぜうまくいかなくなるんでしょうか。

そこにはいろんな原因があると思います。

僕自身を考えてみると、独断的な態度で自分の考えを押し通そうとする時が多いです。

相手の立場に立って状況を見てみるという、余裕を忘れてしまったときです。


自分は正しいのに、なぜ相手はそれがわからないんだろうなんて考えても、相手もそう思っていたりします。


相手の側から状況を見てみる。


このような態度で生きていったら、仕事も人間関係も、なにもかも劇的に改善されるでしょうね。



誰かと対立したときは、無意識に相手に負けたくないと思いがちですが、勝とうとすると勝てないと思います。

それは対立を深めるだけだからです。



むしろ負けたつもりになって戦いをやめて、相手の目線から出来事を眺めてみる。

そして相手の正当性をよく感じてみる。

相手の気持ちがわかったら、相手が楽になるような、安心できるような状況を作らせてもらう。



それができれば問題解決。



そんな僕らに足りないのは、そのわかっていることを行動に移す素直さと、勇気なのかもしれません。





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2008年01月29日

マーヤ

うまくいっている出来事も、悩んでいる問題も、いつか必ず過ぎ去っていきます。

すべては束の間。

それもまた過ぎ去るのです。



全ての現象は束の間で、例外なくすべてが過ぎ去っていく・・・これだけはまぎれもない真実です。




それは宿命。
宇宙の仕組み。


その仕組みに逆らおうとしても勝ち目はなく、過ぎていくことにしがみつけば苦しみが生じます。

苦しみは、その人の思い込みの強さと比例しています。




僕らは何かを失うことを恐れるけれど、もともと何一つ自分のものじゃありません。

すべてはただあるがままにあるだけです。


そのあるがままの現実に、自分の思いこみを投影します。

区別をし、レッテルを張り、現実に対して自分なりの秩序を与えるのです。



それは自分本位の解釈から生まれたもので、実はまったくちがう角度から同じ出来事を解釈する可能性はいつもあるのです。


そうやって自由自在に物事を見ることができる能力は、深い洞察によって得ることができます。

それが観自在の力です。

その力を得れば、苦しみは消えてなくなります。




執着、思いこみ

これが僕たちを苦しめる元凶だと思います。


そのような思いこみによってできた世界が「マーヤ」です。


マーヤとは僕たちの人生そのものなのです。



したがって僕たちには2つの生き方しかありません。




夢の中でマーヤを生きるか、目を覚ますかです。




多くの人の目に触れますように
協力よろしくお願いします。

   




今夜も「いまここ塾」やってます。  

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2008年01月28日

それもまた過ぎ去る



嵐が吹き荒れ、やがて何事もない平穏な日々が続き、そしてまた風が吹き、雨が降る。

僕は物見だ。


目の前の場面は次々と展開し、来たものは去っていくけれど、いつも変わらずずっとここにあり続けるもの・・・それが自分なのだろう。




希望の後に失望が、悲しみの後に喜びが訪れる。


巡り巡って、めぐりめぐって、やっぱりまた「いまここ」だ。



なーんだ、そうだったのか。



悩んでいる人に教えてあげよう。

「それもまた過ぎ去る」って。




「それもまた過ぎ去る」




なんて素敵な言葉だろう。





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2008年01月27日

生と論理



生きるって理屈じゃない。

生きるって論理でも科学でもない。


論理や科学は一定の方向に結論を持とうとするけれど、生に結論はない。


実際の話、それはどこにも向かっていない。


人は生きているという現象を捉まえ切れないから、この先に何かが待っているような気がしているんだ。

結論に向かって、ゴールに向かって進んでいるような気がしている。


でもね、生はどこにも向かっていないんだよ。

「いまここ」がゴールだから。


すでに、僕もあなたもすべてを手に入れている。

何かを得る必要もなければ、何かを捨てる必要もない。


まさに「いまここ」がすべてだ。



昨日からずっと、何の原因もない幸福感が続いている。


そしてその幸福感が言うんだ。


「いまがゴールだよ」って。


これからさきもずっと「いま」があるだけだよ。


惑わされちゃダメだ。


生はどこにも向かっていない。





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2008年01月26日

ビビビーム

今からライブが始まる。

今夜も予約でいっぱいのお客様。


思えば沖縄に越して来てからの7年間。

百数十回のライブは、毎回のように満員だった。



こんなに幸せでいいのかな。

誰に感謝したらいいんだろう。

うん、やっぱり来てくれたあなたにありがとう。



いったん徒歩2分の我が家に戻り、リビングからのカキコです。

体中から幸せビームが出っぱなしだから、あなたにもおすそ分けハート





さて時間が経過して・・・

ライブの模様を智子さんがアップしました。

母家ブログ
http://omoya.ti-da.net/e1927109.html  

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2008年01月26日

見性体験 実践編



それじゃ、昨日の続きね。

ちょっと遠回りになるけれど、より詳しく伝えたいのでまずはこの話から聞いてください。



有漏地(うろじ)って言葉があります。

これは普段の生活を指していて、エネルギーが常に漏れ続けている状態のことです。


あっちを気にして、こっちを気にして、何かを考えていたと思ったら、また別のことを考えて、ひとつのことをやりながらも頭の中は別の世界に住んでいるという、落ち着きのない日常です。

しかもこれは無意識に連鎖反応のようにして展開しています。


仕事のことを考えながら道を歩いていたら、そこに白い犬を連れた人がいて、その犬を見たら昔飼っていた犬を思い出して、その犬と遊んだ公園が浮かんできて、あーそういえばあの公園で千円札拾ったことがあったけど交番に届けなかったのはいけないことだったなんて考えていたら、急に車が路地から飛び出してきて、ひどい運転手だって心の中でその運転手を罰しながら歩いていたらいつの間にか会社に戻っていて、上司から、「おいどうしたんだ、そんなイライラした顔して」って言われて、あわてて笑顔を浮かべて、また仕事のことを考えだして・・・


えへ、こんな状態って心当たりあるでしょ。

僕なんか生活の99%がこの状態だと思います。


このような状態のときは、無数の断片的な出来事があって、そのすべてに自分が関わっているという感覚があります。

ちょっとわかりにくいかもしれないけれど、自我は常に世界と関わっていたいのです。



でも実際には、世界は自分が関わっているから動いているわけではなく、物事は「起きている」んです。


何一つあなたのせいじゃないし、何一つあなたのおかげじゃありません。

そもそも「あなた」なんて存在していないのですから。


ありゃ、またぶっ飛んだ言い方になってしまった。



「自我」と「世界」は一つのものです。

世界とは、自我の想いが投影された映像です。


それなのに自我が世界に関わっているつもりになっているから、そこに分離感が生まれるわけです。


その分離感から抜け出るレッスンが今日話したい内容です。

これは伝統的手法ではなく、あくまでも僕個人のメソッド(方法)です。



そのために必要なのは、無意識が作り出す連続性に中断を与えることです。


不意の一喝。

その一喝は第三者ではなく、自分の「気づき」という作用によってもたらすことができます。


何をしている時でもいいから、気づいた時に突然、すべての活動をストップしてみます。


微動だにせずに、その場で氷りつきます。

100%観照者になりきって、その時起きているすべてに意識を行き届かせます。


ここが練習を必要とする部分です。

僕らは何かに集中することはできても、すべてを意識することは簡単にはできないからです。

僕の場合は、意識を頭の10mくらい上に持って行って、そこから全体を眺めているような感覚を持ちます。

耳を澄ましてあらゆる音を聞こうとするのがいいと思います。



そして最も大切なポイントは、世の中のすべての出来事から手を引くのです。


何一つ関わっていません。

全部手放しにして、事が起きたいように起こしてあげるんです。


今や自分はこの世に存在しているのではなく、超然と全てを眺めるただの物見です。



30秒間その状態を保ちます。


万一、他の人がそんな状態のあなたを見たとしても、たんにボーッとしているようにしか見えないでしょう。


でも実際には、ボーッとしているのは連鎖反応の中で自動的に生きているその人たちであって、その時十分に気づいているのは、あなただけです。



30秒たったらやめて、またいつもの生活に戻ります。


その30秒間は、絶え間ない連続性に中断を与えた、かけがえのないギャップの瞬間になります。

その境地が無漏地(むろじ)です。

エネルギーが漏れていないのです。



この30秒間を一日に6回やってみましょう。

合計でもたったの3分間です。


でもこの3分間は、あなたにとてつもない洞察を与えてくれる下地になります。

ある時、分離感が煙のように消えて、本来のリアリティーが顔を出すことでしょう。


それはただあるがままの世界です。

いっさいの「いい悪い」を超えたあるがままの世界・・・それが見性体験です。






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2008年01月25日

見性体験



向禅師が見性体験(悟り)を語ってくれたことがあった。

普通、ああいう人は悟りの体験を口にすることはない。


「知る者は言わず、言うものは知らず」と言われるように、その体験は言葉を超えていて、しかも自己が消滅する体験なので、体験だけがあって体験する人が消えているわけで・・・

したがって「私は悟りを体験した」とは言えないわけです。

その「私」てダ~レ?「私」がいたなら悟りじゃないでしょ、ってことになるしね。



前回沖縄で講演してもらったときに、そこを無理やり解説してもらった。


禅師曰く

「天地一体の境地なり」



真理を悟るっていうのは、現代風の言い方をすれば「宇宙との一体感」

それを求めて修業するわけだけど、実は今だって僕らは宇宙と一体なんだ。

何物もそのようにしてしか存在できない。

僕らはいつだって全体と繋がっている。んだけど、ただその感覚をすっかり忘れてしまった。



ちょっと想像してみて。

あなたがすべての存在と有機的につながっていて、全ての存在があなた自身で、今までも一度も切り離されたことがなくて、これからも絶対に切り離されることがないとしたら、今日までいったい何を相手に戦っていたんだろう。


もう奮闘はいらないんだよ。


そう言う僕も、すぐに分離感に巻き込まれて、あーでもないこーでもないの世界にはまっちゃうけど、その状態から抜け出るための、自分なりのやり方があるんだ。


そのやり方をあなたにお伝えしよう。

特別大サービス!!




でも今日は時間がないからまた明日ね。





この情報が多くの人に届きますように。

今日もよろしくお願いします。


     

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2008年01月24日

予見




この世で、真理を体感すること以上に大切なことは何だろう。

もし他に何かあると言う人がいたとしたら、それは真理の何たるかを知らないからだ。



真理の前では全てが幻のように消えうせる。

苦しんできたすべてが報われる。



その味を一瞬でも知ってしまえば、今まで地上に出現したあらゆる真理体現者の言葉を理解し、一つに溶け合うことができる。

一瞬でも知ってしまえば、人生観は根底から変わる。



真理は決して対立しない。

真理は、どちらがより真理に近いかなどという論争に巻き込まれることはない。



論争するのは偽物だ。

偽物は自らを証明する必要から、相手を論破しようとする。



真理に証明はいらない。


生まれてからずっと目を閉じたままの人が、もし一瞬でも目を開けたとしたら、外の世界の美しさを疑わなくなる。


目を閉じていたときは、さまざまな仮説に振り回されていても、一瞬でも目を開ければそこで論争は止まる。



それは理屈ではなく、体験なのだから。




人生は思いのままに展開しだす。

やりたいことをやり、必要は満たされ、思いは次々に叶いだす。


天との共同作業だから、努力もいらないんだ。





あはは、思ったままを書いたらこんな記事になっちゃった。

わずか2分で書き上げた今日の独り言でした。




あなたに最高の宝を見せる日が近づいています

お楽しみに。







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2008年01月23日

江原さんのこと




この数日ネットを騒がしている江原さん事件についてですが・・・

詳しいことはみなさん御存じだと思うので省きますが、霊視で当てたかのように見せかけた情報が、事前調査だったってバレルような失敗をテレビでやらかしたとか。


江原さんについては、偶然にも数週間前からここで書かせてもらっているので、このことについての僕の意見を書きます。



番組で見せているような死者の霊魂との会話は最初からありえないと思っていたので、それが事前調査だったとわかっても、やっぱりそうかというくらいで、これといった感想はありません。

テレビがやっていることなので、内幕はかなり怪しいと思っていたけど、結果的に遺族が癒されていて、これこそが供養だし、そこは問題ないと思いました。

でもこの二つは分けて考える必要がありますよね。


だって事の本質は遺族云々ではなく、実際に死者の霊魂や前世が存在するのか、そしてそれを正確に言い当てる能力があるのかということだから。

このようなことに批判的発言を繰り返して、まるで頑固親父みたいだけど、何故そんなに問題にするのか。


それは真実に対して、きちんとした態度を取らなければ、生きていること自体があいまいになってしまうからです。


僕たちはいったん信じてしまうと、そのことに対する都合のいい情報しか見ようとせず、あきらかにそれを否定する証拠が出てきても、それを見ないふりしてしまいます。

自分が何故それを信じているのかという前提を検証しようとしないのです。


これは歴史教科書の問題も同じで、不都合な情報にはまったく目もくれず、ひたすら自己の正義を貫こうとする態度は、結果的に評価されずに終わると思うのです。



さて霊魂だとか前世だとかに関する僕の考えは、すでに述べているので繰り返しはやめますが、このような問題に対して「信じる信じないはその人の勝手」という意見には違和感を持ちます。

そのような無責任な態度が、幼稚な自由主義を助長させていると考えるからです。


勝手なんてないんですよ。

それぞれに責任があるんですから。

だから安全無難に沈黙していてはいけないと思ってしまうわけです。


僕が言っていることが全部正しいとは思わないけど、でもせめて「自分はこう思う」という態度は示し続けていきたいと思います。



さて最後に自己検証です。


僕は江原さんには懐疑的でしたが、でも彼のことはどこか好きでした。

同じような能力を売り物にしている数子ちゃんが極端なキャラなので、その対比もあったかもしれないけれど、彼からは意地悪な波動を感じなかったから。


それ以上に大きかったのは、彼が、霊視は人が真理に目覚める方便としてやっているということを、ある本の序文に書いていたからです。

おお、同志発見!

しかも時代の寵児だし、こんなに嬉しいことはない。

これが僕の彼に対する評価に決定的な役割をしていました。


今もそれが本当であってほしいと思いますが、もうそろそろ江原さんの口から全部が方便だと伝える時期に来ていると思い、以前そのことをブログに書きました。



僕自身、おかしいと思ったことはおかしいと、もっと端的に勇気を持って発言していこうと、改めて思いました。




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これが勇気の源です。

   


  

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2008年01月22日

軽めの地雷



昨日のラジオの生放送のとき、誰かからのメールで知ったんだけど、アメリカで多くの人がUFO見たってニュースをやってたってホント?

それ「やきそばUFO」じゃないの?


こういう馬鹿にした言い方すると、また好感度が下がるから、ここはひとつ思いきり迎合してみます。




おお!!UFOか!!

ついに出たな。

この地球の末期的状況を見て、宇宙人が警告にきたに違いない。

プレアデスかオリオンか。

オリオンか残波か菊の露か(沖縄だけにしか受けません)



なんてちゃかしながら、本当はいてほしいって思っている自分もいます。





さてここからは真面目にいきます。


実際の話、僕自身はUFOについてよく知らないので何も言いきれませんが、いるかもしれないし、いないかもしれないというのが今のところの真実ではないでしょうか。

それを、いることを前提とするかのような現代の風潮にはちょっと戸惑うわけです。




同じように霊魂だとか先祖霊だとかにも戸惑っています。

時代の寵児のあの方についても、世の中への貢献半分・惑わし半分と思っています。


この間も言いましたが、もしテレビでやっているのが本当なら、行方不明の子供を必死で探している親御さんを、一人でもいいから救ってやってほしいのです。


何故やらないのか。

それは、できないからだと思います。



少なくとも存在の真理に最も深く到達したと思われる釈迦は、死後継続するような自己の存在を認めていませんし、そのような考え方を「常見」と呼び、それを否定しています。


別に釈迦を持ち出すまでもなく、やはり霊魂のような存在も、あるとは断定できないというのが誠実な態度ではないでしょうか。

幸せのために、そのような霊を敬ったり感謝したりするのなら、まずは生きている身の回りの親や家族を敬い感謝したいと思うわけです。



僕は死んだ人のことを思い出すことがありませんが、いつも健康で、好きな仕事をして、この上なく幸せに生きています。

僕が死んだあとも、子孫に拝んでもらおうなんて思いませんし、拝まないからと言って罰を与えることもないし、そんな暇があったらしっかり生きてほしいと思います。


僕のような生き方はいつか悪いことが起きるなどという脅しには乗らないようにして、自分らしく生きていきたいと思います。




もちろん僕らが肉体だけの生き物ではないことは認めています。

この宇宙には人間の知的解釈を超えた大いなる存在を感じずにはいられません。



が、何がリアルで何が仮説なのか、その見極めは人生で最も重要なものと感じています。

最初の一歩を間違ってしまうと、全部が本末転倒になってしまうからです。


精神の道を歩む時、まず最初に必要なのがそのような見極めなのではないでしょうか。



リアルなもの・・・その最たるものが、生身の自分自身です。

自分自身について謙虚に学んでいく姿勢が、結局は大いなるものに行き着く一番確実な道なのではと思っています。



自分について学ぶとは、自分がいかにあたりまえの人間かを学ぶことです。


突出した才能や霊感がなくても、特別に知的じゃなくても、なにもなくても、無条件に愛されるべき存在だということを知ることだと思います。




今日も思うがまま書いてみました。

何かを感じてくれた人は押してください。



   




PS

今夜も「いまここ塾」やってます。

今夜は日本における仏教の歴史や概要についてお話します・・・たぶん。
  

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2008年01月21日

地雷



もし熱心な信徒の家に生まれたら、どんな自分だったのかな。

新興宗教の2世3世もそうだけど、それって何の疑いもなく受け入れることができるんだろうか。


僕はこの国のこの時代に育って、思春期の頃から大人たちの生き方や社会システムに矛盾を感じて、まるっきりレールを外した生き方をしてきたけど、これがもし宗教環境だったとしても、同じような反逆的な生き方ができたんだろうか。

それとも宗教って、幼いころから知らず知らずのうちに無抵抗に刷り込まれていくんだろうか。



もし家の親が※※※※の信者だったらどうだったかな。

※※※※ってのは、あなたが連想するあそこのことか、あるいはあっちのあれのことだけど、僕は別にいいとか悪いとかを言っているんじゃなくて、何故疑いなく一途に信じられるかが不思議なわけで。


もしかしたらみんな心の中に一片の疑いを持っているのに、周りをみれば何百万人もの信徒がいて、その中には有名な学者や立派な肩書の人たちもいて、そんな人たちが間違うわけないし、だからここは信頼できるんだって、けっこうみんなしてそう思っている可能性はある。


もしそれが本物の宗教だったら、そこで修行した人がつぎつぎと悟りを得て、そのカリスマ以上の人物が排出され、自立、独立する人が後を絶たないだろう。

それなのに自立するどころか、どこまでいってもせいぜい組織の中で出世するくらいの話で、早い話が個人のための組織じゃなくて、組織のための個人になっているわけだ。


しかもそこに入信していることによる社会問題も多発している。

最近起きている家族間の殺人事件や凶悪犯罪の中には、大手宗教団体の熱心な信徒家族によるものも複数あって、しかも事件の背景に信心がからんでいたりするので、本来ならその事実を伝えなきゃいけないのに、みんなでシーンとしている。

こういう部分にメスを入れるのが正義を自認するテレビや新聞の仕事なのに、テレビなんか相手が弱小団体だったら、これでもかっていうくらいバッシングするけど、大手になるとみんな知ら~んぷり。



もちろんそこに入信することで救われたり生きがいを感じたりする人もいるわけで、だから一概に言いきれないけど、少なくとも裏表すべてを明らかにした上で人が選べる環境が必要だと思うのです。


こういう話って、その手の組織を客観的に見て困ったもんだと思っている人には改めて伝える必要はないし、そこに心酔しきっている人には反感を買うだけだし、結局なんにもならないんじゃないかって、ここまで書いてきて気がついた僕です。


でもせっかく書いたから載せますね。





やや偏った文章になってしまったことをお詫びします。






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2008年01月20日

無数の人格



こうやって毎日書いていると、あることに気がつく。

同じ時間に、同じ自分が、同じ場所で、同じことをしようとしているのに、何かが違う。


きっと自分自身が違うんだと思う。

単に体調や気分だけじゃなく、中身が全く違うような気がする。

違う何かがこの身体の中に入り込んで、同じ行為をしていると言ったほうがいいかもしれない。


それは考え方や感情にも如実に表れてくる。

情熱的な時もあれば、冷めきっている時もあるし、優しい気持ち、冷淡な気持ち、いろんな自分がいる。


事の一切を深く理解していたかと思うと、目の前の現実に巻き込まれていて、霊的感覚で現実を見ていたかと思うと、すっかり娑婆(シャバ)の世界に浸っていたりする。


すべてを肯定的に受け入れている時もあれば、あれこれと判断し、何事にも批判的になっていたりもする。


地球の裏側の恵まれない子供に涙するときもあれば、残酷な拷問や死刑の描写にワクワクする自分もいる。



過去ログを読み直してみても、とても一人の人間が書いているとは思えない。

僕を名乗る人間はいったい何人いるんだろう。


どれくらいの人格が出たり入ったりしているんだろう。


社会的な信用を得ようとするならば、自分というイメージをひとつに固定して、ある種の人格を作り、それを発揮していくしかないだろう。

実際に多くの人はそうやって生きているんじゃないだろうか。

僕も無意識に、ある特定のキャラを作り出して、それを演じて生きているから普段は気づかないけれど、ブログを書くときは、その時の自分に正直に書こうとしているから、毎回違う自分が生きていることを発見できるのかもしれない。



そのようにして考えてみると、やはり固定された自己なんか存在していないことがわかる。

「自分」というのは、その時その時の刹那的な現象で、断片的な体験でしかないんだけど、それを記憶として持ち運んで、時間の中を継続する一本の固定された存在を作り出し、それを「自分」と思ってしまったんだろう。


このことは般若心経の最初の部分に、「照見五蘊 皆空」と出てくる、五蘊のひとつめ、色蘊という錯覚につながっていると思う。

「自分が存在する」と感じてしまう錯覚のことで、このことを仏教では「根源的無知」って言うんだ。


ありゃ、また急にお経の話なんか始めちゃって、もうこれを書き始めたときの僕はどこにもいない。


あなたの中には、何人くらいのあなたがいますか?

僕の中には、おそらく数千人、いや正確に数えるだけの観察力がないだけで、無数の自分が出入りしているような気がします。


ジキルとハイドは2人だったけど、それが数千人もいたら名前を付けることもできない。

A1号とかB52号とか呼ぶしかないね。



そんなわけで今日も無数の僕を生きるのであります。

内側にどんな自分が入り込んでも、外側には一定の顔を発揮するのが周囲への気遣いだし、どうせ仮面をつけるなら、優しくて思いやりのある仮面にしようと思います。





今のあなたがどんなあなたでも、これを押してくれさえしたらあなたは「いい人」です。

   
  

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2008年01月19日

ほんだらかホイホイ



ブログをやっていると壁にぶつかることがあります。

本当の事が言いたくても言えないときです。


たとえば暮らしている地域で、捨ておけない矛盾や問題を目の当たりにしたとき、そのことを指摘して、解決に向けて努力することがいいのか、それとも見ないふりをして、それ以外の部分で気持ちよく付き合うのがいいのでしょうか。


そこに暮らす人たちが好きならば、勇気を持って行動に移すのがいいのでしょうか。

それともその人たちを信頼して、時の流れを見守るのがいいのでしょうか。



今はこれ以上詳しく書けないけれど、いつも心の中に葛藤する部分があるのは事実です。




さて、これをどのように乗り越えていくのか。

人生はこういう問題を見つける天才ですね。




ひとつ山越しゃ ほんだらかホイホイ

もひとつ越しても ほんだらかホイホイ

越しても越しても ほんだらかホイホイ

とかくこの世は ほんだらかホイホイ


ほんだらら ほんだらら ほんだらほだらかホイホイ

ほんだらほだらか ほんだらほだらか ほんだらほだらかホイホイ

ほんだららった ほんだららった ほんだららったホイホイ





ご静聴、ありがとうございましたm(_ _)m

わたくしこの先も、「ほんだらかホイホイ」で生きていく覚悟です。







とかくこの世は ほんだらかホイホイ
   
   
  

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2008年01月18日

頭の中




あーよく寝た。

何を書こうかな。

とりあえず、この瞬間の僕の頭の中のことを書いてみよう。



とにかく深く眠った後は本当に気持ちがいい。

眠りって不思議だね。


聞いた話では、8時間寝ていたとして、そのうちの数分間くらいがものすごく深い眠りで、その間は夢も見ていないって。

その間、僕らはどこに行っているんだろうね。


僕の想像では、存在の源泉に帰っているんじゃないかと思う。


その源泉からネクタールみたいな甘美なエネルギーを頂いて、それを力にして十数時間の活動に充てるんじゃないだろうか。


「あーよく寝た」っていうのは、そのエネルギーが充満された状態なんだと思う。

ということは、僕らは知らず知らずに、毎日一度は神と出会っていることになる。

神のもとに帰っているんだね。


でも残念ながら、その時は無意識だから、そこがどんなに素晴らしい世界かわからない。


ただ手掛かりとしては、朝起きたときは、すべてがリフレッシュしているのだから、どれくらいの癒し効果がある場所に行っていたかは想像がつく。



そうそう、深い瞑想は深い眠りと同じ効果があるらしい。

やはりそこでも、存在の源泉に帰りつくからだろう。


だから仏陀や熟練したヨーギたちは、睡眠をとらなくてもよかったという話だ。

睡眠の代わりに、瞑想でエネルギーを充電していたからだろう。



睡眠と瞑想は同じ効果があるけれど、ひとつだけ決定的に違う点がある。


それは睡眠は無意識だけど、瞑想は生き生きとした意識があるってこと。


意識的な睡眠、それが瞑想なのかもしれない。



どちらにせよ、僕たちは一日に一度は神のもとに帰っているわけで、そう考えるとなんだか嬉しくなる。

こうして生きていると、つい自分だけが宇宙から切り離されているような気がしてしまうけど、実際にはこうして毎日故郷に帰っているのだから。


死ぬっていうのも、その源に帰ることだから、やっぱり素晴らしい経験なんだろうな。


もし意識的に死ねたら、もう二度と生まれてこないくていいらしいんだけど、僕らは眠るように無意識になって死ぬらしく、そうやってまた無意識に生まれるらしい。

(あれ?生まれかわりなんかないって言わなかった?・・・まあまあ、そんな堅いこと言わずに)



僕はこの人生を最後にしたいと思っているんだけど、意識的に死ねるかどうかはわからない。

それができるためには、不断の目覚め(覚醒)が必要らしいから、とてもじゃないけど今の僕には無理そうだ。



なんだかとりとめのないことを書いてしまったけど、これが今の僕の頭の中です。

このとりとめのない会話は、今日も一日中頭の中で続くのかな。

あーでもない、こーでもないって。



またどこかの時間を切り取って、それをこのブログで実況中継できたら面白い。

あはは、R18指定だったりしてニコニコ




みなさんんもいい一日を。






こんな妄想狂の僕に愛の手を。


   
  

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2008年01月17日

呼吸法



今日は僕の生活の中で、人生に役立っている習慣を紹介します。


朝起きると、まずは5分間ばかり短い坐禅をして、呼吸を整えています。

そうやって一日の始めに、体内に気を充実させようというわけです。

「気」とは不思議なもので、これこそが天地に満ちた宇宙エネルギー、生体エネルギーではないかと思っています。


昔から中国の仙人たちは、宇宙との一体感を得ることが、健康、不老長寿の秘訣と位置付けて、そのための方法として呼吸法を重宝していました。

仙人は不老不死と言われていますが、これは、宇宙意識になりきった時に、時間という概念が消え、永遠なる命と合体することから用いられた例えだというのが、僕の考えです。


というのも宇宙意識は、僕たちの本質にして不老不死だからです。


昔から宇宙との一体感を得ることは、多くの人の目指すところでしたが、そのため方法論として一番用いられていたのが気の充実です。

坐禅においても呼吸によって気を整え、気を充実させることが最重要な目的です。


さてそれじゃ、具体的にどうするのか。


それはズバリ、腹で呼吸をするんです。

ちなみにほとんどの武道や能や雅楽などの芸事も、すべて腹式呼吸からなっています。



腹のさらにポイントを丹田(たんでん)と呼びます。

これはおヘソから握りこぶし一つくらい下にある体の中心で、臍下丹田(せいかたんでん)とも言います。

ここを意識して呼吸を繰り返すんです。



鼻からゆっくり息を吸いながら、丹田部分を風船みたいに膨らませていきます。

これは練習すればできるようになります。

いっぱいに吸ったら数秒間息を止めます。


そして吐くときは、さらにゆっくりと時間をかけて(2~30秒くらい)、その風船をしぼませていきます。

そして全部吐ききったら、また息をいったん止めます。



その繰り返しによって、意識(気)が丹田に集中していきます。


意識と気は同義語で、意識が集中しないと「気が散る」とか、意識的になることを「気をつける」とか言いますよね。


僕らの生活は、まさに「気」と共にあるので、「気」のコントロールはとても重要なことだと思います。



これはなにも坐禅でなくても、どんな時でも出来ますよ。

家事労働の場でも、事務の仕事の最中でも、または歩いている時でさえも、腹(丹田)を意識し、そこで呼吸を繰り返すことで気持ちを落ち着けていくのです。


そうやって気が落ち着いてくると、現実の見え方も変わってきます。

浮足立った状態よりも、はるかに正確な判断ができるようになり、その分人生がスムーズになっていきます。


さらにはその充実がピークに達したとき、そこに宇宙意識の開眼があり、それこそが僕らの人生で最も祝福された瞬間です。



そんなことを心がけて一日をスタートさせているのですが、あなたにもお勧めです。


これを読んでいるいま、ちょっとそんな呼吸法を試してみてはいかがでしょうか。



十分に落ち着けば、全ては事もなしです。

今日もよい一日を。







多くの人の目にとまりますように。
応援よろしくお願いします。

   
  

Posted by Toshiro Abe at 08:46Comments(7)TrackBack(0)

2008年01月16日

信頼の力



母にたくさんのメッセージをありがとうございました。

この世には人間の数だけ親子関係があると思います。

僕の場合はどうだったかというと・・・



かなり好き勝手な人生を歩んできましたが、思いだしてみると、母はいつも僕を100%信頼してくれていました。



入った高校が高専という5年制の学校でしたが、2年生くらいから学校の勉強に疑問を感じはじめ、退学を考え始めました。

3年で辞めてしまうのですが、その時の理由はギター片手に単身上京してプロ歌手を目指すというものでした。

まったく素人同然の18歳の少年が、何のコネもない東京に出ていくというのですから、かなり乱暴な話でした。



両親が少しは反対するかと思いきや、

「そう思うならやってみたらいい」

と、あっけないほど簡単に同意し、応援してくれました。



その後、強運に恵まれて次々と夢が叶っていき、両親を東京に呼んで一緒に生活を始めました。

そして30歳を迎えたころ、またしてもやっている仕事や生き方に疑問を感じはじめ、そんなある時、初めての悟りの一瞥があり、さらに真理を究めたいという衝動に駆られました。

仕事を引退し、「かんながらの道」に全面的にサレンダーし、ただ「今」を生きるという瞑想的な生き方に変えようとしたのです。


すでに一家の大黒柱だった僕の収入は途絶えることになり、その後は何の補償もありません。


精神世界という言葉が世の中に少し認知されだした現在だってあまりにも荒唐無稽な話ですが、いきなり宇宙意識を語りだした息子に対して、

「あなたがそう思うなら、思ったように生きてみたらいい。私は100%あなたを信頼しているから」

というのが母の言葉でした。


直後に父を亡くし、僕はあの時垣間見た真理だけを頼りに、ただ流れのままに生きてきましたが、いつもどんな時も100%の信頼があったように思います。



その後も持ち前の強運のおかげで、出会う人やチャンスに恵まれ、僕自身は経済的に困ったことはほとんどありませんでしたが、子供が生まれてからは親には何もしてあげられなかったと思います。



実は去年の後半あたりからすごく大きな運気が自分に向いてきていて、これからやっと親孝行できそうな気配になってきました。


この場を借りて、これから先はさらに楽しいことが続いていくよと、母に約束してあげようかと思います。




久しぶりに半生を振り返ってみました。

あたりまえのようにして忘れていましたが、いつも大きな信頼に支えられていたことがどれほど心強いものだったかを、今更ながら感じています。


僕も自分の息子に対して、同じような態度で接してあげようと思います。

信頼は相手に勇気と力を与えます。





これからも応援よろしくお願いします。
   ↓
   
  

Posted by Toshiro Abe at 09:25Comments(15)TrackBack(0)

2008年01月15日

僕の母のこと

  


歳をとると寝つきが悪くなって、眠りも浅くなって、朝も早く目が覚めて・・・そんな話を聞きますが、87歳になる僕の母はいつもバタンキューで、しかも一度眠ったらなかなか目が覚めないで朝までぐっすり眠っています。

しかも食欲は旺盛、いまでも若い人と同じくらい、いやもっと食べるかもしれません。

歩く速さもかなりのものです。



先日いきつけのお寿司屋さんに一緒に入ったら、ご主人が言いました。

「お客の男性が道でスーパーおばあちゃんに会ったって言うんですよ。すごいスピードで自分を追い抜いて行って、これは現実かと目を疑ったって。
それを聞いた時、あっ阿部さんだと思いました」

そしたら母が

「え?そんな記憶はないわよ。人違いでしょ」

「そうでしょうかね、阿部さんは自分より速く歩くおばあちゃんに会ったことあります?」

「そういえばないわね」


ということで、そのスーパーおばあちゃんは僕の母だということで話がまとまりました。




たまに母の家に泊まると、ひっきりなしに電話がかかってきます。

若い人からのものが多く、みんな異句同音に「阿部さんと話をすると元気になる」と言うそうです。


自分の母親ながら凄いなと感心しています。




今でも一人で飛行機に乗って沖縄まで遊びにやってきますが、この調子だと120歳くらいまで長生きしてくれそうなので、僕も安心しています。



長生きの秘訣は何でしょうか。

僕が見たかぎりでは、やはりプラス思考が大きいと思います。


長生きしていればいろんな苦労や嫌な事もたくさんあったはずなのですが、そういうことはさっさと忘れて、いつも一番やりたいことを楽しんでやっているようなのです。




僕も見習って、スパーおじいちゃんと言われる人間になろうかと思います。


90歳くらいまではライブや講演会を続ける予定です。

その時のお客さんは、みんな80歳代でしょうが、きっと今想像しているよりずっと若々しい高齢者になっていると思いますよ。




歳をとるのは素敵なことです。

歳をとって初めてわかることや、さまざまな心境の変化もあるからです。

僕はひねくれ人間でしたが、ここにきてやっと人間らしい情愛が育ってきたように思います。


この先、どんな心境が待ち構えているのか楽しみにしています。




ところで母は、80歳を過ぎてから始めたパソコンで、僕のブログを見るのが何よりの楽しみらしく、みなさんから頂いたメッセージも全部読ませてもらっているそうです。

こうして毎朝書いているブログの、一番の読者は母なのかもしれません。



これからも母のためにもブログは毎日更新しようと思いますので、みなさんよろしくお願いします。





あなたの後押しで勇気100倍
  ↓
   





ありがとうございましたニコニコ
  

Posted by Toshiro Abe at 09:11Comments(16)TrackBack(0)

2008年01月14日

誠実な答え




今日も書きたいことが多すぎて、何を選んだらいいかわからないのですが、ま、流れのままいってみます。




一昨日の母家のイベントで、このブログを読んでいるヒデちゃんが、もっと霊的な話をバンバン書いてほしいと言ってきました。

誰も批判しない江原さんの事や、前世だとか生まれ変わりとかをまことしやかに口にする風潮に、僕らしく切り込んでほしいとのことでした。



う~ん、そう言われても・・・もう自分なりにやってきたし・・・




僕に言えることはただ一つ、次元の違う世界の話は、どうやっても言葉で表しきれないということくらいです。



たとえば死後の世界の話や、霊魂の話などは、5人の霊能者がいれば5通りの説明をしてくれます。

アボリジニやホピ族やインディオや、世界各国の違う文化の霊能者達に、先祖霊や死後の世界のことを聞けば、みな違う形の説明をしてくれるし、全員が違う儀式を奨励するでしょう。

その中の誰か一人が正しくて、他のみんなが間違っているというわけではありません。


みんな「方便」だからです。


もう一度言いますが、次元の違う世界の話(あの世の話)は、この世のどんな言葉でも言い表すことができないのです。


もし言い表せるようなものならば、人類はこの問題を数千年前に決着させていたでしょう。






この手の話の中で一番好きなのは、ある弟子の質問に答えた悟った老僧の答えです。



弟子 「死後の世界はありますか」




老僧 「知らん!」



なんて誠実な答えでしょう。




もうひとつこんな話が伝えられています。

その国一番のインテリがこんな質問をしました。

「老師、お答えください。我々の霊魂は不滅ですか。この相対的世界における自己と他者との関係が、死後の世界においても何らかの縁起によって継続するのだとしたら、その自己の普遍的なる性質は身心の何処に求めればいいのでしょうか。さらに、死後の世界にも時間なるのもが存在するとしたら、相対性理論における死後の時間の解釈は・・・」



老師 「客人、お茶が冷めますぞ」








僕はこう思います。

僕たちにとって必要なのは、知りえないことを知ろうとすることでなく、知るべきことを知っていくことだと。


知るべきこと・・・それは自分自身についてです。

自分の欺瞞性にメスを入れて、その奥に隠されている本当の自分を見つけていく努力です。


それは奇跡の道ではなく、神秘的な道でもなく、淡々とした努力によって進む、赤裸々で孤独な道です。

本来、精神の道とは、そのようなアプローチしかないのです。





この情報が多くの人に届きますように。

2つのボタンをよろしくお願いします。






  

Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(12)TrackBack(0)

2008年01月13日

徒然




朝9時からパソコンの前に座っているのですが、ネットサーフィンをしたり、自分の過去ログを読んだりしていたらこんな時間になってしまいました。

この数日は「死」について書いてきましたけど、あらためて読んでみると「ふむふむ、なるほど」なんて、われながら共感したりしています。



今日はあたらしい記事を書くのをやめておきますね。

最近の記事をもう一度読んでもらえたら嬉しいです。
また新しい発見があるかも。



それから、お知らせですが2月3日の東京秋葉原でのライブはおかげさまで満席です。
(この先はキャンセル待ちになりますので、都合が悪くなった人は、なるべく早くご連絡ください)



今日の僕は19時から月例の西原自動車(098-945-4737)での講演会&ライブです。
お時間があったらいらしてください。

沖縄だから、みなさんというわけにはいきませんが・・・



また東京では4月か5月に予定します。

ありがとうございました。





今日の記事はこれといった内容もなくて恐縮ですが、いちおうボタンも貼り付けておきます。

よろしくお願いしますm(_ _)m




  

Posted by Toshiro Abe at 11:01Comments(3)TrackBack(0)