2022年08月31日

今日のメッセージ

休息の日はあるがままの命に落ち着いていられても、活動に入るとストーリーの世界を生き始めてしまいがちです。

いつも明鏡止水のごとく、覚醒した意識でいられたらいいのでしょうが、僕たちはそこまで徹底できません。


そこでストーリーに浸ることを最小限にしながら、かつ活動的に生きるやりかたを身につけることになります。


僕が一番簡単だと思うのは、どうしたらいいか迷ったり、この先のことが心配になったりしたときに、

「やっているのは自分ではない」

と言い聞かせることです。


このことは何度か皆さんにお伝えしましたが、知識としてではなく、一日に何回も何十回も繰り返すことで深刻さが減っていきます。


事実、やっているのは自分ではありません。

そもそも自分という感覚そのものが、思考が作り出した偽の中心であり、そんなものは実際には存在していないのです。

思考も感情も、何かをしようとする衝動も、実際の行動も、すべては「自分がやっている」のではなく「起きている」こと。


そのように見ていくと、我々はすでに描かれた地図の上をなぞるようにして生きていることになりますが、それだけとは言えないところが、この宇宙の、そしてこの存在の妙なるところです。

もし「真実はこうだ」と一言で言い表すことができたら、人類はとっくに真理を共有していたことでしょう。


やっているのは自分ではないという言い方も、自分というものに囚われ過ぎてストレスを抱えている状態を中道に戻すには有効ですが、その言葉にとらわれ過ぎると、それはそれで愚かさを振りまくことになります。

メッセージを伝える人は、このあたりのバランスを常に保っていないと、せっかくの真実も人を惑わせることになってしまうと思います。


今日、あえて慎重な言い方をしているのは、一つのメッセージにハマりこんで、人生を更なる混乱に導かないためです。

長年僕と付き合ってくれている人には余計な言い回しかもしれませんが、このことも覚えておきましょう。






さて、いま僕は完全な活動期に入っています。

自分の意図を生きているのではなく、とても大きな存在に動かされている気がしています。

その証拠も沢山見せられていて、こんなにワクワクすることは長い人生でも稀なことです。

そうなると、いちいち「やっているのは自分ではない」と言い聞かせなくても、スムーズに事が運んでいきます。


実際には誰もが僕と同じように大きな存在に生かされているのですが、マインドが映し出す恐れの現実がスムーズに生きることを妨げてしまいます。

だから今日伝えた言葉を、事あるごとに言い聞かせるのと共に、やはり瞑想の時間を確保して、混乱したマインドを静めることも同時にしたらいいと思います。



今日の最後に、ダメ押しでこの言葉をお伝えしておきます。


それは、誰もが神の使者だということ、


神(全体)は、あなたを通して聖なるパワーをこの地上に現わそうとしています。

やっているのはあなたではなく全体という宇宙的意識であり、それが本当のあなたです。


このような場で全てを伝えることは難しいですが、これからも様々な言葉を使って、様々な角度からお伝えしたいと思います。


あなたの心が、光によって癒されますように。








  


Posted by Toshiro Abe at 10:38Comments(10)

2022年08月29日

愛は愛した分だけ愛になる

息子が生まれた時は、自分の子供だという実感はなかったし、それほどの思い入れもありませんでした。

それがある時から、すごく可愛いと思うようになったのは、毎日のようにオムツを替えていたからだと思います。


植物でもペットでも同じですが、心を込めてお世話させてもらうと、愛が引き出されてきて、その愛は自分自身のことも豊かにしてくれます。

そのことを最初に教えてくれたのが息子でした。


今回の新刊についても、同じような経験をしています。

共著も含めると20冊目になりますが、今回は原稿チェックの回数が半端ない。

いままで手を抜いていたわけではないのですが、一度書いたものを読み直す気にはなれませんでした。


ましてや製本されたものを読んだことなど、ほとんどありません。

書くときはいつも一生懸命なのですが、書き終えた後は気持ちが離れてしまうのです。



ところが今回は全く違います。

書き終えてから、すでに10回以上読んでいます。

誤字脱字のチェックもそうですが、実際にはストーリーそのものを味わいたくて何度も読み直しています。

そして得た結論は、この本は最初に読んだ時も面白いけれど、何度も読むことで、目覚めとは何かということが立体的に理解できるということ。


考えてみれば、こうやって自著を宣伝するのは、たぶん初めてです。

結果はともかく、やれるだけのことはやってみようという気になりました。

それくらい可愛いし、僕自身も生きている感覚が濃くなっています。

これは自分の性格なのか、いつも刹那的な喜びを求めてしまう傾向がありますが、こうしてじっくり取り組む喜びは、その何倍も素晴らしいですね。



昨夜の瞑想会で新刊の表紙を紹介しました。

実際の色とは少し違いますが、おおまかこんな感じです。







発売まで約一か月。

いまが一番楽しいのかも(^^)












  


Posted by Toshiro Abe at 08:10Comments(13)

2022年08月28日

初めて書きたいことが書けた

もう8月も終わり。

今年もあっという間に一年が終わってしまいそうな勢いです。


でも僕は、2022年のことは生涯忘れません。

その理由は、本の執筆に全身全霊で没頭できたことです。


最近は若い頃に比べると集中力や瞬発力の衰えを感じていましたが、年齢がいくつになってもその気になれば何でもできるという経験をさせてもらいました。

沢山の人に読んでもらえたら嬉しいですが、それ以前に本当に書きたいことが書けた喜びは相当大きいです。


表紙もできてきました。

今夜あたり紹介できるかもしれません。







どんなものも心を込めた分だけ人様に伝わると思っています。

才能やテクニックも大切ですが、やはりそこに愛がどれだけ注がれたかが人の心に残るような気がするのです。

読んでくれた人がどのような感想を寄せてくれるのか、楽しみにしています。


愛を込めたり、愛を受け取ったりする時が一番幸せです。

昔は愛なんて口にするのも恥ずかしかったけれど、いまは素直に感じています。

これも年の功だとしたら、歳をとるのも満更ではありません。



本は9月末発売とのこと。

楽しみにしてくれた人が、この本をきっかけに2022年が忘れられない年になったとしたら嬉しいです。

それが目覚め元年になるということだから。



・・・・・・・・・



今夜の日曜瞑想会のアドレスです。

毎回変わるので気をつけてください。

https://youtu.be/ciojASWWsg0








  


Posted by Toshiro Abe at 08:28Comments(4)

2022年08月27日

華厳

昨夜、仏教学者の阿さんとの対談で、華厳(けごん)について教えてもらいました。

他の宗派が真理に向かう道を説くのに対して、華厳はすでに真理の中にいるという宣言をするのだそうです。

禅にも似ていますね。


華厳から見れば目覚めも悟りもなく、なぜなら最初から目覚めているので目覚めなどあるわけがないのです。

なるほど、これは非二元の宣言そのものです。


およそこのブログやサンガで分かち合ってきたことは、遠い昔から明らかにされていて、にも関わらずどの時代でも見失われていたということでしょう。

人間は昔から何も変わっていないということがよく分かります。


僕的には、華厳とは「いまここ」に在ることだと理解しました。

「いまここ」にいる時は、自我は存在できません。

違う言い方をすれば、自我とは「いまここ」にいないことと同義語です。


自我はいつも遠い所にいて、さらに遠い所を目指そうとします。

その距離が大きければ大きいほど、自我は肥大化していくのです。






人間社会は「いつか・どこか」に向かう態度によって支えられています。

いつか、いまより良くなる、良くならねばというわけです。


したがって人間社会に取り入れられた宗教は、いつか、何かに成ることを目指します。


いつか仏になる

いつか悟る

いつか平和な世の中になる

いつか楽園に変わる

いつかメシアが降臨する


そのような教えしか自我には理解できません。

宗教だけでなく他の多くの精神的な教えも未来に依存しています。

もっとよくなるために、私の教えを聞きなさいというわけです。


どこかに向かわせる人は、夢を強化する人です。

人は夢を見ていたいので、そのような教えに惹かれます。

それがどこにも行き着かないことを知ると、今度はまた新しい教師を見つけ、今度こそこの人が自分を高みに連れて行ってくれると期待します。



でも華厳は、「すでにそうだ」と言います。

これは時空間の幻想を見抜き、あるがままのむき出しのいまに帰ってきた人の態度です。


「いまここ」は教えにはなりえません。

それは、いかにして成るかではなく、いかにして在るかに目を向けます。


成ろうとするマインドが、すべての問題を作り出しています。

したがってマインドを静め、いまここに落ち着くことがゴールであり、これが老子の言う「無為」です。


静かに瞑想することしかありません。

瞑想しかないと言い切ってくれたOSHOのおかげで、自我の旅を随分と短縮できました。

したがって、微力ながら僕も同じことを言い続けています。


でも人はそんなことよりも、刺激的な新しいメッセージの方が好きなのです。

きっととことん飽きるまで、その周回道路の旅は続いていくのでしょう。


飽きたら戻ってきたらいい。

そしてどこにもたどり着いていないことを認めて、いまここで静かに座りましょう。

その時、華厳のメッセージがよく分かると思います。









  


Posted by Toshiro Abe at 08:00Comments(10)

2022年08月24日

神の声と自我の声

昨日の続きですが、あなたが自分を舞台で演じている役者だと知っていれば、何もかもが気楽になります。

どんなシリアスなドラマでも精神に影響することはありません。


気を付けなくてはいけないことは、他の人たちはみんな自分の役柄を本当の自分だと思っているし、あなたのことも役柄自身だと思っていることです。

だから彼らの前では演じ切るしかないのですが、それはそれほど難しくありません。


なぜなら目覚めた後も自我は残っていて、演じ方を体で覚えているから。

だから楽勝です。


目覚め前との違いは、それまでは自分の意志で行動していたのが、全体の意志が自分を通して行動しているという感じになります。

それまでは独立した個人としての自分だったのが、全体意識が自分を動かしているので、まるで全体意識の操り人形にでもなった感じです。


そうなると、何かを成し遂げるということの意味が大きく変わってきます。

それまでは分離した自分が、自分の夢を実現するために頑張っていたのが、いつの間にか全体意識の意図を感知するようになり、それを実現するために生きだすのです。


奇跡のコースでの祈りも、このことに徹しています。

この身体を通して、神の意思が実現されますようにというわけです。



ハイヤーセルフ(神・全体意識)からの声と、自我の声の見分け方が分からないという人がいますが、それは自我の声のボリュームが大きすぎて、それ以外の声が聞こえなくなっているのです。

分離の夢が終われば反対に、ハイヤーセルフの声が大きくなって、自我の声が聞こえにくくなります。

だから自然とハイヤーセルフの声を生きだします。



そういえば、天河神社の柿坂宮司(現・名誉宮司)は、その著書の中で、

「私は、人様の言うことには従いません

私は神様の言うことに従います」

というようなことを言っていました。

まさにそんな感じになります。


するとそのような人は、自由奔放で型破りの人に見られます。

まったく〇〇さんは・・・と言われますが、それでも好かれることが多いようです。


みんなで変な人になろう!!






  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(15)

2022年08月23日

人生という劇場

芝居の中で人にバカにされる役だとしても、バカにされた役者本人の心は傷ついていません。

だってバカにされたのは自分ではなく、自分はバカにされる役を演じただけだから。


もし会社や仲間内で同じような経験をして、いまだに嫌な感情を持ち続けている人がいたとしたら、この事を思い出してください。

本当のあなたは何一つ傷ついていないということを。


この世は劇場で演じられている芝居そのものです。

あなたも僕も自分で決めた配役を引き受けて、それを朝から晩まで演じています。


注意深く観察すれば、社会の中での自分の行為が芝居だということがわかりますし、あなたはそのことを心の深い部分で知っています。

ところが芝居の上演時間が長すぎて、事の全体が芝居だということを忘れ、役柄と本当の自分が同一化してしまったのです。

いまでは一人で部屋にいる時も、その役に成りきって生きているのではないですか。






芝居を演じることが問題ではありません。

社会という舞台では演技が必要だから。


しかしその役を自分だと信じてしまったことは問題です。

とても大きな問題です。

この状態を「夢を見ている」と言います。

そして人生は単なる舞台であり、自分は役を演じていたにすぎないことを思い出すことを「目覚め」と言います。



瞑想は舞台を降りる時間です。

だから大切なのです。


自己流でいいから、せめて朝晩の二回、そんな時間を持ちましょう。


朝は誰でもない人として瞑想し、今日もこれから舞台で演じるぞと決めます。

そうやって一日中、いつもの「自分」を演じ切って、夜になったらその役を脱ぎ捨てるために瞑想します。


そんな時間が持てれば、ストレスなど溜まるはずがありません。


僕もいまだに習慣にしていますし、これからもそうだと思います。

仏像を見ると、どうやら彼らも常日頃から瞑想していたみたいですね。


正気を保つためにも大切な習慣です。



さて正気のはずの阿部が、裏ブログでは一変して過激になる傾向があるようです。

今日はコロナとワクチンについて書いてみました。

裏ブログ











  


Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(13)

2022年08月22日

お任せ

こうして連日ブログを書けるようになったのは、新刊の執筆が終わったからだと思います。

今年に入ったある時期から一心不乱にパソコンのキーボードを叩き続け、それが終わってしまったいま、ある種の寂しさのようなものがあるのか、今日もこうしてパソコンの前に座っています。


新刊の「真・かんながら」は旧作「随(かんながら)神」を大幅に加筆修正したものです。

これを書くために旧作があったような気がします。


刊行した時とは違う出版社から、もう一度あの本を出してみないかというオファーがあったときは、旧作をそのまま出したいとのことでした。

あの物語はもっと多くの人に読んでもらいたいと思っていたので大変ありがたい話でしたが、そのようなオファーに対して、書き直したいと告げた時は自分でも少し意外でした。


そう言ったにも関わらず、なんと2年間くらい何も書く気になれない。

だったら出版社の気持ちが変わらないうちに旧作を出せばいいものを、心のどこかでは新しく書き直すことを知っている。

じゃ、いつ書き始めるのか。

そうなる時はそうなるのだから、これもお任せだと、そんな気持ちでした。



考えてみれば、他の活動に関しても一事が万事そんな感じです。

たとえばイベントや新プロジェクトの企画も無理に考えたことはありません。

たとえタイムリミットが迫っていても、彼方から湧いてくるまでは着手しません。

もし湧いてこなければ、この企画はやらないほうがいいという考えです。


ところがたいていの場合は、ある日突然閃きが湧いてきて一気に事が進み、そのすべてが成功することになります。

この20年間は打率10割です。

それを誇れないのは、やっているのは自分ではないからです。


いつも言うように、考えるのは自分ではなく何か他の力であり、そのようなアイデアが湧いた瞬間に成功を確信するのだから、見えない力を味方につけているような気がします。

僕のストーリーでは、その力こそがサラスバティ(弁才天)だと思っています。


にもかかわらず、弁才天が何なのかを僕は知りません。

でも凄く愛されて守られているのを感じます。

彼女(?)は僕を好きみたいです。

そのせいか、実際に奇跡としか呼べない出来事を何度も経験してきたし、何度も救われてきました。


向禅師はこの力を「主人公」あるいは「ヒーロー」と呼びます。

誰もの中に待機している宇宙的な力だそうです。





かんながら たまちはえませ








  


Posted by Toshiro Abe at 08:46Comments(10)

2022年08月21日

イメージの世界

この世は徹頭徹尾イメージでできています。

そのイメージの中には、誰それは凄い人だとか、自分とは違うとか、人に対するイメージもあります。

ホームレスはこうだとか、ヤクザはこんな人とか、そんなのもあります。


何となくそんなイメージで人を見て、無意識に自分と比べたり、崇めたり、見下したりしていませんか。

繰り返すけれど、それもこれもみんな勝手に作ったイメージに過ぎません。

もちろん人は自分から、強そうに見せたり、頭がよさそうに見せたり、ちょっとした人を演じる習性があるから、それに騙されてしまうけれど、真実を言えば人はみんな同じようなものです。


だから見下してきた人たちのことは、自分と何も変わらないという見方に改め

崇めたり憧れたりしてきた人たちのことも、自分と何も変わらないことを見抜き、余裕をかましましょう。


たとえば一代で大企業を作り上げた人。

あるいは長者番付の常連者


それだけで凄い人とばかり、恐れ入ったりしていませんか。

その人たちの発言を真に受けたりしていませんか。

そんなイメージは、まったく取るに足らないと言っておきます。


お金を多く儲けた人は、単に運が良かっただけ。

お金だけでなく、人の上に君臨している人も、単に運が良かっただけ。

起きることが起きる全体のストーリーの中で、そういう役回りになっているだけのことです。





みんな一皮むけば同じ人間。

こんな当たり前のことが見えなくなってしまうのが、この世の中です。


偉いもヘッタクリもあるか。

偉そうな顔をしている奴は恥を知れ!


あれ?これって裏ブログじゃないよね。

もう何が何だか分からなくなってきた(^^;)



イメージに騙されちゃダメだよ。

この世には、あなた以上の権威など存在していないのだから。


これ、ホントの話。



・・・・・・・・



今夜の日曜瞑想会はコチラ








  


Posted by Toshiro Abe at 10:23Comments(16)

2022年08月20日

ゾルバ・ザ・ブッダ

昨日、新刊の「真・かんながら」の表紙ができてきました。

担当者が頑張ってくれたのが分かる。

僕ごときの本が多くの人に受け入れてもらえるかは分からないが、いま書ける最高のものが出来上がったと思います。


こういう部類のワクワクは久しぶり。

もしかしたら初めてかも。


昨日に引き続き、前期高齢者はすこぶる元気です。



ついさっきまで、また裏ブログを書いていて、不思議なものでこのブログには書きにくい、いささか乱暴な表現が裏ブログでは書けてしまいます。

何故ここに書けないかと言うと、ここには長年培ってきた品性があるから。

あはは、自分で言うなよ。


今日は統一教会のことを書いたけど、娑婆の出来事の時事ネタは書いていて楽しい。

そしてまたこのページに戻ってきて、全ては海に生じる波のようなもので、起きては消えていく実体のないものだという真実に帰るのです。


友よ!

こんな感じで、真理も現象界も楽しんで生きようぜ。








  


Posted by Toshiro Abe at 10:01Comments(8)

2022年08月19日

燃える男の赤いトラクター

30歳の頃に人生を引退しようと決めて、しばらくそんなふうに生きていたけれど、いつの間にかまた活動が始まって、いまは生きるのが面白くて仕方ありません。

引退って何の事?って感じです。


もしかしたらいまが人生で一番活動的かも。

活動は一日の内の数時間ですが、これが生きている実感をもたらしてくれます。

老後は悠々自適になんて言葉があるけれど、実際にそうなってみれば、ただ死を待つだけになって張り合いがありません。

それが悪いわけじゃないけれど、やっぱり生涯現役がいいですね。


人の役に立つことで生きがいを感じる。

人間はそのようにできているみたいです。

そのためには大きいも小さいもなくて、どんな仕事も誰かの役に立っているわけで、これからもマイペースにやって行こうと思います。

いまが人生で一番活動的と書きましたが、この秋から新しいプロジェクトがスタートします。

前にお話しした「おかえり村」です。

英会話力を身に着けるのが基本コンセプトですが、僕のように中学英語も分からないような人から海外に暮らす人まで、人間の唯一の真実である「愛」に帰るための不思議な村です。


まったく話せない僕が3年後には、生活に困らない程度の英会話力が必ず身に付くと言っておきます。

あとは僕が証明するだけですね。


「これであなたもすぐに英語が話せる!」なんて言葉に乗せられてきたあなた!!

やっと本物に出会えますよ(^^)


詳しいことはまたにして、半年前まで英語なんぞにまったく興味がなかった僕がやる気になったことだけは伝えておきます。

それまでの僕なら、こういう情報を見ても

「そんなの関係ね~!!」

と無視していました。

だから同じように感じているあなたを引き込もうと思うのです。


その結果、夢にも思わなかった新しい能力が身に付いたら凄くない?

人生変わるよね。


とにかくワクワクしている前期高齢者がここにいるのだ。


そうそう、今朝はすこぶる気分が良くて14年ぶりに裏ブログを更新しました。

ブログタイトルも「裏ブログ」に変えました。

そのまんま(笑)



今日も愛を生きようね。








  


Posted by Toshiro Abe at 08:08Comments(17)

2022年08月18日

裏のブログ

起きることは全てハプニング。

いま電話が鳴れば電話に出るし、喉が渇けば何か飲む。

いきなり何かをしたくなったり、あれこれ考えだしたり。

自分がやっているつもりになっているだけで、よく見れば何もかもハプニングです。


多くの成功者は言わないだけで、成功した理由は運が良かっただけだと知っています。

だって何事もハプニングなのだから。


この数日間の記事のおかげで、久しぶりに裏ブログに出会えました。

でも管理画面に入るIDもパスワードも忘れていて、てぃーだブログのスタッフに問い合わせてやっと入れました。

これで気が向いたときに記事が書けます。

これも急に、昔書いた戦争の記事を思い出すというハプニングのおかげです。


裏ブログの活動期間はたった一年半。

しかも最後の記事から14年が経っています。


読み直してみると、いまと何も変わっていない。

そりゃそうだ。

伝えたいことは一つしかないのだから。


にもかかわらずこのブログも含めて長年愛読してきてくれた皆さんには感謝しかありません。

よくも飽きずに付き合ってくれました。

これからも変わりようがありません。

だってこれしか伝えたいことがないから、これからも同じことを伝え続けていくと思います。


ここまでの何十年間分のメッセージをあえて一言にまとめれば


「何が起きても心配ないよ。大丈夫だからね」

気休めで言っているのではなく、これは動きようのない真実。





裏ブログの記事も、時間があるときに読んでみて下さい。

いまのあなたが14~15歳若かった頃の記事です。


裏ブログ・阿部敏郎のシャバダ・バダ


15年後に、まだ僕が生きていたら同じことを言っているのは確実なので、その時のあなたはこのような記事をどう読むのか考えたら面白いですね。

また違う理解で読んでいるかも。

いまはまだマニアックな人にしか届いていないけど、その時代になれば、もしかしたらもっと多くの人が共感してくれているかもしれません。


そうなった暁には、きっとこの世に愛が増えているはずです。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:09Comments(10)

2022年08月17日

正しい歴史観

前回書いた「人は昨日起きたことも把握できていない」ということの追記です。


例えばどこかで殺人事件があったとしましょう。

そのことの多くは報道で知りますが、報道は何故それが起きたかについて大雑把な断面しか伝えません。

たとえば金銭目的だったとか、積年の恨みが溜まっていたとか、犯人の性格が異常だったとか、そんな感じです。

そして犯人の生い立ちや、知人の証言なんかをワイドショーが紹介したりします。

同じくそれも大雑把な情報でしかありません。

犯人の知人の証言で、どれだけその人物が理解できるのか。

そもそも人は、自分の事さえ分からないのに、どうして「こういう人だ」と言い切れるのか。


犯行に至った動機や経緯についても同様です。

何故そうしたかを言葉にしたとしても、それですべてを説明できるわけではありません。


犯罪という特殊な例を出しましたが、我々の周囲で起きていることへの事実認識も、みんなこの程度のことです。

本当は誰一人、何も分かっていません。

だってすべての出来事には、固定して判断できることなど一つもないのだから。

人間の言動を、論理的に説明することなどできないのです。

厳密に言えば、やっているのは本人ではなく、起きていることだから。







何もかもすべては思い込みであり、その思い込みが夢の現実の素材になっています。

誰か他の人の事ではないですよ。

僕も含めてすべての人に言えることです。


だから思考(ストーリー)を信じるなと言うのです。

そんなことより瞑想してマインドを鎮め、純粋な存在にダイレクトに繋がること。

奇跡のコース的に言えば、ホーリースピリットと共にあることです。



そのようにして見ていくと、あらゆる歴史認識も、それを信じた人のものであり、すべて偏った一断面に過ぎません。

裏ブログに綴った戦争についての記述も、今日伝えたように阿部の認識に過ぎません。


でも教育や報道によって偏ってしまった歴史観を、真ん中に戻す効果はあるかもしれません。

究極の真実から見ればどうでもいいことですが、社会という夢を生きる上では必要なことだと思います。



裏ブログのアドレス情報をありがとう。

おかげで何年かぶりに記事を読むことができました。

きっと情熱をもって書いたのでしょう。

15年前の記事ですが、文章がイキイキしていると思いました。


ちなみに裏ブログにある記事はこれです。

正しい歴史観



時間があるときにでも読んでみて下さい。








  


Posted by Toshiro Abe at 08:00Comments(13)

2022年08月15日

8月15日の祈り

人は昨日起きたことも正確に把握できないのだから、ましてや日本史や世界史などと言うものは、ほとんどフィクションのようなものです。

でもそのフィクションが共同幻想として人の心に影響を与えるのなら、戦勝国が捏造した偏った戦後史だけでも、今日という日を見直す機会にできたらいいですね。

それが先人への供養だと思います。


年の離れた僕の兄と姉は幼いまま戦争で亡くなっているので、何故この戦争が起きたのかを多くの時間をかけて学んできました。

ちなみに僕なりに得た結論は裏ブログに書いてきましたが、残念ながらブログのアドレスを忘れてしまった(^^;)

誰か知っている人がいたら教えてください。

タイトルはこれと同じ「かんながら」だったと思います。


残念ながら人間の心に自我と欲と暴力がある限り、戦争はこれからも無くならないと思います。

それでも僕たちの心が平安であることが何より大切です。



罪という罪はあらじと

祓えたまい、清めたまうことを

天津神、国つ神、八百万の神たち共に聞し召せと申す






  


Posted by Toshiro Abe at 10:42Comments(12)

2022年08月14日

マインド

マインドというものは、

何が正しくて何が間違っているのかを知っていると思っています。

どうやったら幸せになれるかを知っていると思っています。

物事がどうであったらいいのかを知っていると思っています。

自分のことも他者のことも知っていると思っています。



これら全部が勘違い。

まったくもって、完全なる思い違いです。


いままでだって、このマインドの言う通りに生きてきたのではないですか。

こうすれば幸せになれるというマインドの声を聞いて、生きてきたのではないですか。

その結果、どこにたどり着きましたか。

約束された幸せはすでにあなたのものですか。


まだ幸せになっていないのは、マインドの言ってきたことが筋違いだったからです。

にも関わらずマインドはこう言います。


「それはお前のせいだ。

たどり着きたければ、もっと速く走りなさい。

もっと頑張りなさい。

間違えずに私の言う通りに確実に行ないなさい」





考えを根本的に変えてみませんか。

マインドについて、まったく違う見方をしてみるのです。

それは、マインドが完全なペテン師だということ。

マインドは何も分かっていないし、分離という幻想の中でしか生きられない幽霊みたいな存在だということ。


それはいまを否定し、ありもしない未来に人を駆り立てます。

そうやって真実から目をそらせる以外、何もしていないのです。

もうそろそろ気づいてもいい頃です。


マインドの世界をもっと見たければ、youtubeに沢山あります。

一見正しそうな情報も、全部マインドの世界の発表に過ぎません。

テレビも新聞も全部そうですし、希望を持たせてくれる新党の演説もすべて同じです。


この世はマインドの品評会のようなもの。

それがいいとか悪いとかではなく、この世は全てマインドによって作られているということです。

一つだけ言えるのは、そこにいる限り、いつまでたっても堂々巡りするだけです。


だからノーマインド(無心)の在り方を推奨しています。

それが体得できれば、人生は極めてシンプルに、そしてスムーズになります。


このことを知的に所有するのではなく、実際に生きることです。

それは思いのほか簡単なこと。

キーワードは手放すこと。




今夜の日曜瞑想会へはコチラから入れます。

https://youtu.be/bdnqmpQomWQ






  


Posted by Toshiro Abe at 15:39Comments(9)

2022年08月13日

♪どっちだっていいよ、Let it be

こう生きたらいいよとか、

こうしたらいいよとか、

そういうことを聞きたがる人がいるけれど、

それを聞いたところで、そのように生きられるわけではありません。


どうしたらいいか聞きたい人の中には、自分で選ぶのが怖くて、もっと言えば自分で選ぶと責任が出てくるから、人に答えてもらいたいという人もいます。

そのようなタイプの人の逃避癖に加担するのも意味がないし、そもそも教えることなんか何もないから、人生の相談を受けても具体的な指示を出したことはありません。

だから僕を相談相手として見たら期待外れになることでしょう。


でもそんな僕にも分かち合えることがあります。

自分の行動の動機になっているものや、基本的な考え方のようなものは報告できます。

それがあなたの役に立つかどうかは分からないけれど、とにかく書いてみます。





まず言えることは、僕にはこうなりたいというものがありません。

大した人生ではないけれど、いまが一番幸せだと思うようになって久しいです。

いまも最高に幸せで、日々最高が更新中。


無理して言っているのではなく、自分に言い聞かせているわけでもありません。

静かに満たされている時間が多いですが、腹が立つ時もあれば、落ち着かない時もあります。

これからも凡人は凡人なりに、あるがままに生きていこうと思います.


食べるものは茶粥が一番好きで、金山寺みそと葉唐辛子と味噌汁があれば生きていけます。

着ている服もそのほとんどは買ってもらったもので、実は何でもいいんです。


沖縄の家はとても大きくて、サウナや映画館やスタジオがあるけれど、いま住んでいる天河の小さな古民家にも満足しています。

昔からお酒を飲みに行くこともないし、ましてやオネエチャンがいる店に興味はないし、ギャンブルもやらない。

早い話、生きていくのにお金があまりかかりません。


お金を使わない生活になってからは、逆にそれまで以上に豊かさが流れ込んできて、そのお金で天河に瞑想場を作ろうと思ったりもしたけれど、それも単なる形に過ぎないし、いまは自分の好きなように使おうと思っています。


生活費はかからないけれど、ごくまれに欲しいものが現れたら、金額を考えないで買ってしまいます。

たとえばいま持っている腕時計も分不相応の高級品だけど、本当に好きなものなので、それを身に着けていると気持ちがいいし嬉しいのです。

一点豪華主義ではないけれど、結果的にはそんな感じです。

お金があればあるなりに、なければないなりに、いまを生きれば同じこと。

結局のところ何だっていいです。


家族も周囲もみんな幸せだし、もし何か問題があれば全力で助けます。

それと引き換えというわけではないけれど、好きに生きさせてもらっています。


そんな風に生きられるようになったのは、自分基準で生きだしたからだと思います。

他人の評価を気にしなくなっただけで、人生は無限大に広がりました。


人の目を気にしなければ細胞の一つ一つがイキイキしてきて、好きなように生きることができます。

人は見たいように見て、言いたいことを言うけれど、そもそも人の意見なんてものは、その当人のものであって、その人が最も関心があるのは僕ではなくその人自身なのだから、そんな人に付き合っている暇はありません。

それも含めてどうだっていいです。


思いつくまま書きましたが、こういうことを披露することはあまりないので、このまま載せます。


よい週末を(^^)







  


Posted by Toshiro Abe at 09:01Comments(20)

2022年08月12日

「以上!」の効果

昨日いただいたhamaさんのコメントで、オンライン懇談会で見かけた僕は、心が浮足立っているようには見えなかったとありました。

言われて初めて気がついたので、少しそのことを書いてみます。


思い出してみると、心が動揺したのは朝の10時くらい。

hamaさんが僕を見たのは13時。

ずいぶん時間が経っています。


むしろ僕から見て不思議なのは、同じ問題を何時間も何日間も心に抱え続ける人です。

すべては刻々と生まれ続けているのに、何故同じ思考にしがみつくのか。

しがみついて解決した経験があるのでしょうか。


もし僕が味わいたくない感情を感じたら

「以上!」

と言って終わらせます。

たいていのことは、どうでもいいことだから。





そして心静かにあるがままの命に落ち着けば、問題という幻想はすっかり消えています。

人間である以上、これからも瞬間的な動揺は訪れることでしょう。

でもそれが嫌なら、すぐにそこから離れることは可能です。


騙されたと思って、僕のやり方を真似てみて下さい。

最初は難しく感じても、必ず慣れてくることでしょう。


起きている現実が完全な夢であり、本当の自分は現象には一切影響されていないことを見抜けば、もっと早く習得できます。

でもそれを知らずに、目の前の現実がリアルに迫って感じる人は、慣れるのに時間がかかるかもしれません。



話は変わりますが、昨夜の黒斎さんの「マトリックスコード」という講演は、実に見事でした。

200ページ以上の画像を駆使して、いかにこの世が仮想現実なのかを証明していました。

分かりやすいし、話に整合性があります。


サンガだけで独占するのはもったいないので、「スピタメ!」にて有料配信しています。

やや高額ですが永久保存版ですし、覚醒に向けてそれだけの価値があると思うので、どうぞご覧ください。


今夜は20時から、黒斎さんと僕の息子が長年やっていた「わかりかけのradio」の最終回が配信されるそうです。

黒斎さんのyoutubeチャンネルを検索してご覧ください。

こちらは無料です。


その後21時からはサンガで、引き寄せの法則の奥平亜美衣さんと僕との対談です。

大変革時代における、この世の生き方なんぞ語り合ってみます。

空(くう)の真実と共に、この世界の生き方も大切ですよね。

サンガからのメールが時折届かない人がいるようなので、この場をお借りしてお伝えしておきます。








  


Posted by Toshiro Abe at 11:39Comments(10)

2022年08月11日

実用と実存

ZENサンガは誰かが優れているというような会ではありません。

メッセージを発信する側も、受け取る側も、共に真実を生きようとする仲間だからです。

現に僕自身、昨日はちょっとした問題が生じて心が浮足立っていました。

そんな僕が戻れる場所がサンガなのです。


ZENサンガには誓いの言葉があります。

発足時に向禅師と作り上げたものですが、その冒頭が大好きです。


私たちは心静かに あるがままの命に落ち着き・・・

この一文だけで全てを言い尽くしていると思います。


これ以上の何があるでしょう。

生き方や考え方は人の数だけあり、どれが一番正しいかではありません。

もし崇高なる誰かの意見を全員が所有すれば、それはそれで不自然です。


でも、心静かにあるがままの命に落ち着いたとしたら、そこに見出すのは初めから全員に共有されていた真実です。

それは意見を超えていています。

それはスローガンではなく体験だから。

まさに、いまに帰っている体験です。







エゴは問題を作りますが、その一方でエゴはこの世を生きるために必要な道具です。

エゴがなければ役目を果たすこともできません。

そのような意味から言えばエゴは実用的なものだと言えます。


でも大切なことは、実用的ではあるけれど、実存的ではないという点です。

話に付いてきていますか。


それなのに我々はエゴを実存だと勘違いし、罪悪感や劣等感を抱えます。

エゴが自分だと思ってしまったからです。


「実用」と「実存」という二つの違いを見極め、実存に落ち着いた時が答えです。

そこに探し求めていた全てがあります。


エゴは道具であり自分自身ではないことを見抜き、自分自身である実存に落ち着いていきましょう。

そしてまたエゴを主人公にした夢の人生を生きるのです。


だから毎回伝えています。

「あなたの人生に行ってらっしゃい」

それはあなたにだけでなく僕自身にも言っています。


そしてまた帰ってきましょう。

心静かに あるがままの命に落ち着くのです。


取るに足らない凡夫の阿部はエゴの阿部であり、あるがままの命に落ち着いたときは消えています。

そこに万徳が備わっているのは有難い話です。

それはあなたも同じこと。

まちがっても「私」というエゴを高めて、悟りに近づこうなどと思わないことです。



最後まで読んでくれてありがとう(^^)







  


Posted by Toshiro Abe at 08:11Comments(16)

2022年08月09日

執筆の経緯

「真・かんながら」執筆の経緯についてご質問があったのでお答えします。

もう2年以上前になりますが、何度かお世話になっている徳間書店の担当者さんから、10年前に出した「随(かんながら)神」の再販の話がありました。

随(かんながら)神」は思い入れが強い本だったので、とても嬉しい依頼だったのですが、どうせ出すなら、いまの感性で書き直してみたいと告げて今回の運びとなりました。


旧作の中から

「天河の巻」

「インドの巻」

「南朝の巻」

「方広寺の巻」

の四つのタイトルをピックアップして、そこに大幅の加筆修正を施した・・・と言うより、9割がた書き直したのが「真・かんながら」です。

旧作を読んでくれた人は、意外な展開に驚かれるかもしれません。





ネタばれになるので詳しくは話せませんが、現象界のすべてがひっくり返るような話です。

霊能者も、陰謀論者も、あらゆる宗教も、みんなひっくり返ります(笑)

真実に近づいた人にはいままでにない満足感を持ってもらえると自負しています。


編集作業をしてくれた出版社の若きスタッフが、「ものすごく面白い」と言ってくれたそうで、それだけでも書いてよかったと思いました。

ちなみにベテラン担当者さんも、感動して涙が出たと言ってくれました。

世代を超えて共感してくれたことが嬉しかったです。


発売までまだひと月半あるので、「真・かんながら」について、思いついたらブログに書いていきますね。


ありがとう。







  


Posted by Toshiro Abe at 16:24Comments(13)

2022年08月08日

真・かんながら

本を作る工程にゲラ刷りというものがあります。

書き上げた原稿の最終チェックみたいな作業です。


数年前から依頼されていた本を、やっと書く気になったのが半年前。

そこからは何かが乗り移ったかのように毎日朝から晩までPCに向かい、キーボードを打ち続けました。

そして書きあがって、いまゲラのチェックをしています。


読み直してみると、この部分はもっと違う表現もあるのではないかと、いろいろ考えたりもするのですが、不思議なことに書こうとしてもたった一行さえ出てこないのです。

こうしてブログを書けば簡単に言葉が綴られていくのに、いざこの本になると、まるで進まない。

そんな状態のまま数日が経ち、明日にはこのゲラを出版社に郵送します。


いま思うのは、すでにこの本は完成したのだということ。

これ以上いじらなくていいということなのでしょう。


この本で20冊目くらいになりますが、こんなに心血を注いだのは初めてです。

正直に白状すると、僕は本を書くのがあまり好きではありません。

ブログの場合は、誰かのために書いているという感覚があるのですが、本の場合は誰に書いているのか分からなくなるからです。


実はゲラ刷りにチェックを入れるのも初めてと言っていいくらい、いままでは書いたものに愛着が持てませんでした。

それが今回ばかりは様子が違う。

なぜかは分からないけれど、実際こういうことが起きているということです。


この人生で得た気づきを、次の世代に残しておきたいという思いがそれをさせたのかもしれません。

結果としては、決して言葉にできない真実を自分なりに表すことができたと思っています。

いささか傲慢な物言いですが、ここに綴った真実に比べれば、他のあらゆるメッセージは子供だましのようなものだと思えるくらいのことが書けました。

たぶんこれが僕の生涯で最後の本になることでしょう。

書けて良かったです。





タイトルは「真・かんながら」

常々、何事もやっているのは自分じゃないという言い方をしてきましたが、そのことがとてもよく分かる体験でした。


書いたのは僕ではありません。

それだけははっきり言えます。


ではいったい誰が書いたのか。


かんながら たまちはえませ






  


Posted by Toshiro Abe at 09:09Comments(18)

2022年08月07日

あらゆる瞬間が再誕の時

思い出話ですが、若かりし頃、どうせ一度きりの人生だからと快楽をとことん追求したことがあります。

それができる条件が整っていたのは幸いでしたが、快楽はいつも刹那的で、行けども行けども行き着くところがない。


どこにも行き着かないのは、まだ足りないからだと自我は言います。

その声を信じてまた突き進むのですが、欲求不満は止むことがありません。

それどころか快楽はいつの間にか苦痛に変わっていました。


何かが足りないという思いは人間を行動に駆り立てます。

しかし残念ながら、そのように行動して結果を手に入れても、何かが足りないという思いが消えることはありません。

欠乏感の理由は外側にはなく内側にあるからです。


当時の経験は何一つもたらしませんでしたが、何一つもたらさないということが分かったことだけは収穫でした。

足るを知ることを知ったのです。


人生はいつも「いまどうであるか」ということが問われています。

この先どうなるかは幻想の中にしかありません。

いまどんな自分でいるのか、ただそれだけが起きています。


ところが人の多くは、自分の願いが叶ったときの幸せを想像し、その幸せを目指して「いま」を生きています。

まるで唯一の現実である「いま」が、幻想である「いつか」のために存在しているかのようです。


たとえ今日と言う日がどんな日だとしても、今日しかないという気持ちで生きてみませんか。

人を恨んだり、嘆いたりしている時間はありません。

今日一日しかないとしたら、そんなことはどうでもいいことだからです。






まさにいま、どんな自分を創造するのか。

人生とは単にそのことの繰り返しであり、それ以外はすべて頭の中のストーリーです。


まさにいまどんな自分であるのか。

いまの自分は、いままでの自分とは何の関係もないということに気づくのです。

そこを気づくことが再誕となります。


再誕とは過去との決別。

誰でもない新しい自分の誕生です。


真実はそのようにして毎瞬新しく生まれ続けているのですが、人は過去を持ち運びながら、よりよい未来を夢見ます。


風はいま吹いています。

太陽はいま照っています。

僕たちもいま呼吸しています。

頭の中以外は、すべていま起き続けているのです。


どこまで行っても同じこと。

何がどうなっても、まさにいまどんな自分でいるのか、それだけがあるのです。


先延ばしする必要はありません。

まさにいまどんな自分なのか、いまから始めてみましょう。


今日一日、そんな在り方を試してみて、夜になったら瞑想会でお会いしたいと思います。

生きるとはそういうことだと思う、この頃です。


日曜瞑想会









  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(13)