2021年04月30日

娑婆に還る

目覚めの報告が増えてきました。

目覚めは見えない鎖からの解放でもあるのですが、目覚めた人の中には、これからどう生きればいいのかという戸惑いを持つ人もいます。

実際にこういうことは起きます。


自分がしがみついていた自我の欲望や自分自身の価値の証明などの生きる目的が、まったく取るに足らないものになってしまうのです。

これまで自分を駆り立ててきたものが全て自己中心的なものだったことがはっきりわかります。


この世の悲劇は、誰もがこの夢見の状態にいることであり、愛と呼んでいたものや、奉仕や貢献さえも自我の欲求だったことが明らかになります。


だからダメだと言っているのではなく、「全体から分離した自分」という夢を見ているうちは自己中心的になるという事実を指摘しているだけです。

自分だけではなく、あらゆる人がこの状態を生きているのだから、世界が平和になるわけはなく、社会が住みやすくなるわけもありません。


理想の世界を実現するのは、卓越したリーダーや、優れた社会制度の出現ではなく、一人一人の意識変革(目覚め)でしかないというのが長年の主張です。

人類がそうなっていくという不思議な確信があるので、ずっと続けています。


個人レベルにおいても、このようなブログに関心を持つ人は、目覚めの予感を持っているからだと思います。

目覚めは連鎖反応のように、この先ますます起きやすくなっていくことでしょう。

そうなったとき、それまで頑なに追い求めていたお金や承認や愛が、分離幻想と共に消え失せてしまいます。


ただし自分が変わっても、社会は相変わらず同じ状態にあります。

偽善や欺瞞によって表面的にはうまくつくろっていますが、その仲間入りすることに興味が無くなってしまうのです。

これが目覚め直後の戸惑いです。


ひとりひとり個性が違うので、その人用のアドバイスが必要ですが、おおまかに言えば、これまでどおり演じて生きることになります。

ただし違いは、目覚め後は演じていることに気づいていられるということです。


実は目覚め後も、固有の性格は残ります。

覚者がみんな同じような性格になるのではありません。

それがこの存在の素晴らしいところで、みんな違うから豊かなのです。


それでも自分の性格との同一化は壊れます。

と言うより自分そのものとの同一化が壊れるのです。


そしてまた普通の人として普通に生きていくことになります。

これが禅の十牛図の10枚目に描かれていることです。






人生がひまつぶしのようになる場合もあります。

人に教えだす人もいます。

自然農に精を出す人もいます。

いままで以上に業績を上げる人もいます。


いずれにせよ自己との同一化が消えているので深刻さがありません。

それだけが違いですが、その違いは途方もなく大きい。

凝縮していたエネルギーが宇宙大に拡大するのだから当然です。


そして生まれもせず死にもしないことを理解しています。

あなたの存在自体が永遠の祝福なのです。



この絵のように歌って踊って愉快にやるのもいいですね。




  


Posted by Toshiro Abe at 10:22Comments(25)

2021年04月29日

あの人いいなァ

あの人のほうが自分よりいい人生を送っているって思うことはないですか。

たぶん一度も思わない人はいないでしょう。

二元の世界は比較によってできているので、そう考えて当然です。


寒い暖かい・・・寒暖

長い短い・・・長短

大きい小さい・・・大小

美しい醜い・・・美醜

幸せ不幸せ・・・幸不幸

貧しさと富・・・貧富


当たり前の話ですが、すべては比較があって初めて成り立ちます。

互いにひとつのものの両極だからです。

二元の世界はこのようにしてしか存在できません。





さて今日お話ししたいのは、自分より幸せな人生を送っているように見える人も、不幸に見える人も、どちらもイメージにすぎないということ。

その人になってみれば、同じように誰かに憧れたり嫉妬したりしているかもしれません。

まず間違いなくそういうものです。


分離のない状態を生きている以外は、誰もがそのような世界に生きています。


だからどこまで行っても同じだと言うのです。

上があって下があります。


そう言われてもピンとこないかもしれません。

富も名声も手にした人のほうがいいに決まっているってね。

頑固だからなァ(笑)


気持ちはわかるけれど、いまという瞬間を切り取れば、いま深刻な顔をした成功者より、いま笑っているあなたのほうが幸せかもしれませんよ。


そしていつも「いま」なのです。


イメージを比較して惨めになるよりは、この二元の世界の不毛さを見抜いて愉快にやりましょう。

みんなハムスターみたいに、くるくる車輪を回しているだけだから。






どこまでいっても同じなら、せめていまほがらかでいましょう。

いったい何を目指して、どこに行こうとしていたのですか?


まだあの人みたいになりたいと思っているのですか。

そういう人は、今日の記事をもう一度最初から読んでね(^^)







  


Posted by Toshiro Abe at 11:15Comments(14)

2021年04月28日

空(くう)への誘い

何かに向かって生きているという感覚が消えた時、人は初めて存在そのものと出会います。

そこにあらゆる救済があるのですが、人の目は明日に向かっています。


何故明日に向かうのか。

その理由は、「いま」がまだ十分だと感じないから。

もっと満たされた感覚を知っているので、そこを無意識に目指すのです。


その満たされた感覚はいつ知ったのか。

たとえばそれは母親の胎内にいたころ。

存在と一つだった頃の安心感です。


いまはすっかり見えなくなってしまった存在との一体感を探して、明日に向かって生き始めるのですが、それをやればやるほど、存在から遠く離れてしまいます。


探しているものは、目指せば見失い、目指すのをやめれば「ここ」にあります。

だから足を止めることから始めていきましょう。


よりよい明日を目指すのが生きる本道だという時代は終わりました。

代用品を集めることで束の間の満足を得ようとする段階は終わったのです。



この理解に至るためには、少なくとも衣食住が満たされていなければなりません。

生活の基本的な欲求が満たされて初めて、人は生活以上の価値を求めるからです。


そんな時代がやってきたのです。

自分は経済的に貧しいと思っている人も、現代の日本に生きているというだけで、昔とは比べ物にならないくらい満たされています。

生活をより良くしていくことには反対しませんが、それだけではどこまで行っても欲求不満は消えません。

完全な解決は「いまここ」にあるからです。


人生のゴールは、いつかどこかにあるのではなく、まさにいま一寸の距離もなく、ここにあります。


あなたはいまも存在と一つです。

そもそも分離は幻想であって、あなたが存在から分離したことはないし、いまだって分離していません。


すべては一つです。

だとしたら、どこに不安や心配があるのでしょう。





まずは自分が執拗に明日に向かって生きていることに気づくこと。

そして足を止めます。

すぐに落ち着きのない思考や感覚が襲ってきますが、それでも影響されずにいまここにいる技術を習得していきましょう。

必ず身についてきます。


人生で最も重要なものは、いつかどこかにあるのではなく、いまここにあるということがわかればゴールは目の前。

よりよく生きようとする衝動は長年培ってきたものなので、おいそれとは変わりませんが、それでも新しい習慣によって少しずつ変化してきます。

多くの人が想像しているより簡単なことであり、秘訣は何度も何度も思い出すことです。



でもまたすぐに忘れてしまうことでしょう。

だからこうして、何度も同じことを伝え続けています。




  


Posted by Toshiro Abe at 11:10Comments(17)

2021年04月26日

福音・良い知らせ

文字情報にはそれなりの良さがあるけれど、動画はより多くの情報を丸ごと送ることができます。

話している内容はブログのそれと変わらないのですが、動画になるとまた違ったニュアンが伝わるかもしれません。


最近は毎週日曜日の瞑想会で話したことを、何度でも見てもらえるように、翌日にはYoutubeアップするようにしています。






言いたいことが言えているので、この動画だけ見てくれたら、それでいいような気がします。






この人生を超えたところに、もう一つの存在があります。

この話が、そんな存在への橋渡しになれたらと思います。





  


Posted by Toshiro Abe at 08:50Comments(40)

2021年04月25日

不思議に思う事

いつも不思議に思うことがあります。

この十数年間、大小さまざまな会場で講演をしてきましたが、たいていはその会場一杯の人が集まってくれます。

100人~2000人規模まで、もちろんイベントの内容によって入場者数を予想して準備するのですが、それにしてもいつも丁度いいのです。


考えてみると不思議です。


オンラインになってからもそうです。

日曜日の瞑想会は毎回1500人くらいが集まります。

しかもその人たちはいつも同じ人ではありません。

半分くらいがレギュラー参加者で、他の半分はたまに顔を出してくれる人。

にもかかわらず合計人数はほとんど一定です。


このような現象はいろいろ見当たると思いますが、もしかしたらこれらも全体がやっていることだからかもしれません。

参加者各人は自分の意志で参加した気でいますが、実際には参加しようという衝動が何処からか湧いてきたのです。

湧いてくる源が全体なのでしょう。


こんなところに、「やっているのは全体だ」という痕跡が見える気がします。


そう思うと、いつだって何だって丁度いいのでしょう。


今夜21時のアドレスです。

https://youtu.be/_yr7_gSkHAI





偶然は無くて、今夜来る人はいまから決まっていると思います。


いまはその気でも、なにかの用事が入ってしまう人。

いまは無関心でも急に参加したくなる人。

それも全部決まっていると思います。


僕らの人生も決まっている。

決まってないと言い張ることも決まっている。


僕らにできることは、お任せしていまを生きることですね。



今日もいい日でありますように。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:28Comments(18)

2021年04月24日

全体という大船

私たちは変化の時代を生きているけれど、いま起きているくらいの変化は、この歴史の中ではいつでも見受けられた程度のものです。

たしかにテクノロジーの進化によって生活は変わり始めたけれど、生活者のマインドはたいして変わっていません。


何か月もかけた遠距離の旅も、その気になれば沖縄から北海道までの日帰りも可能になりました。

牛車の何百倍も速い自家用車。

しかしどれだけ早く移動できても、人のマインドはほとんど変わっていません。


上司へのおべっかい、裏に回っての悪口、嫉妬、謀略、見栄、偽善、欺瞞なども昔から変わっていません。

自我が時代を超えてそのまま活動しているからです。


10年後には5Gをはるかに超えて、通信速度は125倍、消費縁力は100分の一になる社会がやって来るそうです。

生活様式は想像を超えて一変することでしょう。

AIやロボットも世の中の生産活動を一気に変えていき、ベーシックインカムも夢ではありません。


そうなったときどうなるか。

たぶん自我の性質が変わらないかぎり、何一つ変わらないことでしょう。



ずっと予言されてきた有史以来の大変化とは、このような社会のハイテク化を言うのではなく、一人一人の意識の変化のことです。

それもマインドの部分修正ではなく、マインドそのものが主役の座から退いて、個人としての意識の上に、全体意識が機能している状態です。

あいかわらず個性はあるのですが、それぞれの違いの奥にある「ひとつなるもの」が発現し始めます。


個から全体へ

これが来るべく大変化の時代のシンボルと言ってもいいでしょう。


どの時代にも、全体意識を経験した者はいたはずです。

祖師として記憶された人もいますが、歴史に名を遺すことなく消えていった覚者もいたことでしょう、

でもその人たちはいつの時代も極めて少数でした。


それが一気に一般化するのだから、有史以来の大変化だと言うのです。


僕とあなたが、まったく同じ命(宇宙的意識)によって生かされていることが明らかになります。

「今、いのちがあなたを生きている」

という言葉がありますが、

この「いのち」は、共有している一つのものだという理解が起きてきます。





現在のコロナ禍も、これからのハイテク社会の出現も、人類の意識変革を促す呼び水にすぎません。

いまや全体意識そのものが発動し始め、それによって個々の意識が影響されつつあります。


ずっとこのブログにつづってきたことが、あたりまえのことになり、ついには存在全体の次元が変わるのです。


このことを予感した日から数十年が立ちますが、いまもって薄らぐどころか、ますます確信は強まるばかりです。



やっていくのはあなたではなく全体です。

それを神と呼んでもいいでしょう。


あなたがやっていくなら失敗の可能性もありますが、全体(神)に失敗はありません。


だから安心してお任せしましょう。

あなたも僕も全体という大船に乗っているのだから。






  


Posted by Toshiro Abe at 10:32Comments(21)

2021年04月22日

みんなが劇作家

例えば人間関係を例に取ってみましょう。

あなたがあなた以外のすべての人に対して持っている解釈は全てあなたの想像です。


あの人はこういう人だ、

あの人の言動はこういう気持からだ、

あの人は私をこう思っている、

これら全部は想像に過ぎません。


相手は全く違う気持ちであなたに接しているかもしれませんし、想像とは全く違うメッセージをあなたに送っているかもしれないのです。



誰もが決めつけを生きています。

人間関係だけでなく、ありとあらゆるものに対して、ありとあらゆる出来事に対して同じように決めつけています。


人生のすべてが推測です。

確かなものは何もありません。

だから大騒ぎするなと言うのです。

自分で描いている世界で、なぜジタバタするのでしょう。


悩みの感覚はリアルでも、悩んでいる理由はリアルなものではありません。

この単純な事実を知るだけで、物事はだいぶ違って見えてきます。


あなたへの評価は、評価する側の想像に過ぎないのに、どうして気にするのか。

幸せでない人は、何かを批判したくてうずうずしているのだから真に受けてはいけません。

ましてや傷つく必要などありません。



人生とは、想像と嫉妬と偽善によって繰り広げられる舞台です。


誰もが同じ道を歩きながら争っている。

いつか幕が下ろされるまでそんなゲームが続いていくのです。





少し敏感な人なら、この人生が生きるに値しないことを見抜くことでしょう。

もし人生で一度も死にたいと思ったことがないとしたら、それは愚鈍な人です。

このイミテーションの舞台に馴染めるのだから。


だからと言って人生に意味がないわけでもありません。

人生とは人生を超えるための機会なのです。


多くの人は真面目すぎます。

あまり出来事を真に受けないことです。


もっとなめ切ってみませんか。

みんなで反逆者になりましょう。

世の中の常識や押し付けられた正しさから自由になるのです。


皮肉なことに、そうなって初めて、愛や優しさが内側に現れます。

愛は生真面目さの中では育ちません。

生真面目さはジャッジを作るだけです。


やれやれどっこいしょ。


気楽にいきましょう(^^)







  


Posted by Toshiro Abe at 09:57Comments(31)

2021年04月21日

妄想を生きがいに

今日は全国的に抜けるような青空。

地上で何が起きようと、人が何を考えようと、空は淡々と空をやっています。






今日の思考の発表です。

じゃじゃじゃーん。


アハッ、大げさだね(^^)



思ったこと。






「そうだ、減量しよう!」




アベッチはこの先ますますカッコよくなって、これまでの人生で一番モテるようになるのだ。


そう思ったら生きる意欲がわいてきた。


待ってろよ、いい女たち。



今日の記事は以上です。






  


Posted by Toshiro Abe at 12:04Comments(20)

2021年04月20日

人生いろいろ

死にたいのに死ねない人

生きたいのに生きられない人。

人生いろいろ

男も女もいろいろです。


そういえば「人生いろいろ」を作曲した浜口庫之助さん。

「夜霧よ今夜もありがとう」とか、「星のフラメンコ」とか、ロマンチックな詞と曲をたくさん世に残した往年のミュージシャンです。


くしくも僕との仕事が生前最後の仕事になられました。

お会いした当時は喉頭がんの後遺症で声が出なくなっていて、息の中から聞こえてくる微かな声に耳を傾けました。

僕は作品の裏話とかを聞くのが好きだったのです。

子供の頃から浜庫さんの曲の大ファンだったから。


いま余計なことを思い出しました。

当時青山にあったお宅にお邪魔するたびに、実はドキドキしていたのです。

奥さまがあまりに綺麗だったから(#^^#)

浜庫先生より30歳くらい年下でしたが、大恋愛の末に結ばれたそうです。

とても仲睦まじい素敵なご夫婦でした。

浜庫さんはまだまだ生きたかったことでしょう。

でも誰一人、死に抗うことはできません。



ここで僕の秘密を告白すると、ふと死にたい衝動に襲われることがあります。

生きたくても生きられない人がいるのにと叱られそうですが、死にたいときは死にたいものです。


やりたいことはやったし、欲しいものは手に入れたし、このまま生きていても同じなんじゃないかと思うのです。

身体は腹が減るし、無性にセックスがしたくなったりするのも面倒です。

そんなこと思うことないですか。


これから先もやりたい放題やって生きたとして、それが何になるんだとね。

とかくこの世は、死を先延ばしすることが善だという風潮がありますが、だからと言って死にたい人を悪者扱いして、これから先も喜びのない人生を強いることが善なのでしょうか。


このようなことを言うと、阿部は死を煽っているとか、自殺を勧めているとか責められます。

残された者の気持ちを考えてみろと言われればその通りです。


警察に訴えるとか、訳の分からないことを言われたこともあります。

その人には自殺願望があり、僕のメッセージにも心酔していた人なので、死んでいいと言われたと思ったのでしょう。

そのことを抗議するというのは、本人がまだ生きたいからです。

人の心は複雑なものです。



そもそも僕は死を奨励したことなどありません。

いいか悪いかは分かりませんが、僕に死にたい気持ちが出てくるのは事実であり、ふだん立派なことを言っている男にも、そのような時があるということです。


そしてまた次の瞬間に気分が変わります。

「いま」に戻ってくるからです。


「いま」にいれば生死を超えています。

死へのあこがれは、未来の中にしかないことがはっきりわかります。


そしてまた思考がやってきます。

「生きていてもしょうがないんじゃない?」ってね(笑)





あーだこーだと申しましたが、たぶんこれからも生きていきます。

ただそういう願望が、ふとした時に訪れるというだけの話です。

これを読んでいる人の中にも、死にたいと思っている人や、思ったことがある人がいるはずです。

そんな自分を責めないでくださいね。

僕も同じだから。



浜庫さんも生きていれば104歳。

73歳で亡くなりましたが、その後の30年間を生きたらどうだったでしょう。

やっぱり同じことだと思うのですが。


あー、また死にたくなってきた(笑)


まったく人生というものは。


死などないと言っているのに、死にたい時があるなんて矛盾していますよね。

信頼してもらうために本当のことを隠すことはできますが、その必要も感じません。



浜庫さんとの最後の仕事は三田寛子さんのアルバムでした。

そこに収録した浜庫作品集は、当時は世間に理解してもらえなかったけれど、いま聴いても斬新な仕上がりだと思います。

でも残念ながら手元にありません。

「少年たちのように」というアルバムです。



人生いろいろ

男だって、いろいろ咲き乱れていこうと思います。


あれっ、今度は生きたくなってきた。


まったくマインドというものは気まぐれなものだ。







  


Posted by Toshiro Abe at 11:25Comments(44)

2021年04月19日

村上和雄さん

平家物語も方丈記も諸行無常の世界が一貫して流れています。

そこから「わびさび」のような日本独自の美学が生まれているのでしょう。

滅びることまで美として見る.

これは日本人特有の感覚かもしれません。






先日、村上和雄さんがお亡くなりになったことを知りました。

村上さんの功績は遺伝子の研究だけでなく、科学を限りなく宗教に近づけたことのようにも思います。

昨日の瞑想会では、村上さんについてお話ししました。












  


Posted by Toshiro Abe at 09:10Comments(22)

2021年04月18日

読書の春

最近古典文学にハマっています。

残念ながら原文を読み解く力はなく、現代訳と原文を照らし合わせてなんとか読み進めています。


ハマった理由は、昔から人間が何も変わっていないことがよく伝わってくるから。

方丈記しかり平家物語しかりです。

どちらも800年にわたり、どの時代にも人々の共感を得てきたことでしょう。



科学文明は生活を一変させましたが、いまも人間は変わっていません。

おそらくは800年どころか何万年も前から同じなのではと思います。


いつの時代も人間は苦悩を生きてきました。

まさに人生は四苦八苦です。



四苦八苦を作り出している大元は一つ。

それが自我です。


先日のサンガ講演でも話しましたが、自我というものは心の底で、自分が世界の中心だと感じています。

そんなことはないと思う人も、例外なくそう感じています。


なぜなら世界は、その人の意識の中で作られているから。

作った当人が中心になるのは当たり前のことです。


自分が中心だと感じるのが問題になるのは、誰もが同じように感じているからです。

自分だけが世界の中心ならいいのですが、みんなも中心なので上手くいきません(笑)


したがって人生には無数の問題が生じ、様々な辛い出来事が起こる定めにあります。


そう思うと、お互いよくここまで生きてきましたね(^^)

えらい!!

たぶん僕たちは我慢強いのでしょう。





古典を読んで思ったのは、人間が昔も今も何も変わっていないということと、いま僕たちはそんな苦しみの歴史から抜けようとしているということ。

なぜなら自我そのものが誤解だと分かってきたからです。


自分という存在は分離した個人ではなく、全体であるたった一つの命を共有しながら、こうして生かされている。

僕たちのような一介の市民が分離幻想(自我)を見抜く地点までやってきたのです。


大げさに聞こえるかもしれませんが、これは何万年にも及ぶ人類の歴史がひっくり返るくらい大きな出来事です。

方丈記や平家物語が、自我時代の遺物として読まれるようになるかもしれません。


そんなことを妄想しながら楽しんでいる読書の春です。


・・・・・


【お知らせ】

今夜も日曜瞑想会にご招待します。

アドレスは

https://youtu.be/nh5_mojJUOM

21時からです。





  


Posted by Toshiro Abe at 09:16Comments(23)

2021年04月16日

思考から離れる

あるがままの命に落ち着く

何度もここに戻ってきましょう。


いつも頭を悩ませている問題が、想像上のものだと知ることは重要です。

何一つ実体はありません。

すべては変わり続けているのだから。


あるがままの命に落ち着いたとき、神経症のような思考が抜け落ちて、大いなる知性と調和します。

すると人生を自分の力で何とかしようとしなくなります。

自我を超えるために奮闘する必要もありません。



何かになろうとするのではなく、すでにそうであるところのものに寛ぐのです。

あいかわらず思考はやって来ることでしょう。

誰一人、次の瞬間に考えることを知ることはできません。


そもそも考えているのは自分ではありません。

考えている自分自身も考えの産物です。


思考と距離をとること。

たいていの思考は、苦悩と混乱を引き起こす以外は何もしていません。

そんな思考を相手にしないことです。






考えなくてもいままでと同じように人生は展開していきます。

あなたにもそういう経験があるはずです。


時間を忘れて何かに集中している時。

愛する人と静寂の中にある時。


そのときは行為者が消えていて、存在と行為が同時に起きています。

それが三昧の境地であり、人間以外のあらゆる生き物はそれを生きています。



考えなくてもことは起きていくのに、考えが主人になってしまっているので生きるのが難しく感じるのです。

その気になれば、抱えている問題や、いやなこと、いやな人のことを考えないでいることも可能です。

今日はそんな過ごし方をしてみませんか。



思い出すたびに、あるがままの命に落ち着いてみましょう。

人生には成功も失敗もありません。

いつもいまがあるだけ。


それがわかれば、人生はスムーズです。






  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(21)

2021年04月15日

自由

心を閉ざしてしまうと真実が見えなくなります。

ただ閉じた心の中に展開する架空の物語だけが現実になっていくのです。


いまも目の前では無数の奇跡が通り過ぎています。

何一つ繰り返すことなく、いつも新しい何かが訪れています。


閉じていると、自分がどんなに祝福されているのか、まさにいまどんな稀有な機会が与えられているのかに気づきません。

そして心が作り出した味気ない物語が続きます。



人は何故、閉ざしてしまうのでしょう。

まるで何かから守ろうとしているようです。


そこにあるのは不信感。

愛されないという思い。

まるで自分の存在そのものが間違いであるかのようです。


この不信感の大元は何か。

それは自分に対する不信感です。





この社会は、己に不信感を持たせるようにできています。

自分に不信感を持つ人間だけが、社会に対して盲目的に追随するからです。

社会の正しさやルールに従順になるのです。


自分を完全に受け入れ、自分の基準を生きようとする人間を支配することはできません。

社会の代表である親や教師は、子供を従順に育てようとして、子供から尊厳や自分への信頼を奪うことになります。

子供がその人自身になるより、安全な市民として生きてほしいのです。

自分もそのように育てられたから、それが正しいことだと思っています。


その結果、子供は自分を否定しはじめニセモノになっていきます。

そこから内なる喜びが失われていくのです。



我々はまず、自分であることの誇りを取り戻すことが大切です。

そこに本当の幸福があるからです。


それは反逆的な感覚を呼び覚ますことから始まるのかもしれません。



大きく時代が変わろうとするいま、時代を先導するのは反逆者たちだというのはOSHOの言葉。

最初は好きな言葉ではなかったけれど、いまは全くその通りだと思います。


あなたも新しい反逆者にどうですか。

あらゆる権威や見せかけに背を向けて、真実を生きだすのです。


それにはまず、自分自身を取り戻すこと。


これからもそのためのヒントを綴っていきたいと思います。



・・・・・・・・・・・


5月ハートマントラが満席の為、クラスを増設しました。

5月30日です。

コチラから







  


Posted by Toshiro Abe at 09:41Comments(28)

2021年04月14日

いま

多くの人は漠然と期待しています。

いつの日か、自分が魂の境界線を越えて悟りの境地に入ったら、すべての問題は消えて喜びの人生が始まっていく。

みたいな。


そうなると、いま起きていることはその日のための布石なわけです。

その日のために今日一日を耐え忍ぶ。

僕もそんな感覚で生きた頃がありました。


で、いま思うことは、

人生とはどこかにたどり着くためのものではなく、まさにいまを生きることだということ。

そのいまの中を、喜びや悲しみや、その他すべての感情が来ては去っていくのです。

それはこれからも同じです。


来ては去っていくものに心を奪われているのか、それとも超然としているのか。

心を奪われれば物語(ストーリー)に埋没していきますし、超然としていればそれが覚醒です。


この違いが、いつもいまあるだけです。


この世に、悟った人と、悟っていない人がいるのではありません。

そうやって人を決めつけることはできません。

なぜなら固定された人格などなく、瞬間ごとに入れ替わっているからです。

何もかもが来ては去っていきます。


したがっていままでがどうであっても、いま目覚めていればあなたはブッダです。






このブログから目を離して、いま起きていることだけに意識を向けてみてください。

見えているもの、聞こえているもの、感じているもの、ここにあるすべて。

その直接体験。

判断をはさまず、答えを求めず、ただその直接体験の中にいる。


そのとき、分離は消えています。



ただ・いまがあるだけ。


いつも、伝えたいのはこのことです。




・・・・・・・



【お知らせ】

5月のハートマントラ瞑想の日程が出ました。

内容の詳細はコチラから





  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(10)

2021年04月12日

時間を超える

あるとき、ホーリースピリットからダイレクトメッセージが届いた。

「残念なお知らせですが

あなたに未来はありません」


どひゃ、それを言う?

たしかに年齢的にも将来を描きにくくなってきたけれど、ホーリーちゃんが言っているのはそういうことじゃない。

実際に未来など存在していないってことだ。


このことを見抜いたとき、人は初めて「いま」に帰ってくることができます。

そして探していた全ての宝が、未来にではなく、目の前の「いまここ」にあったことを知るのです。


それが時間を超えるということ。

いつも明日に向かって生きてきた自分に気づき、足を止めていまを生きる。

先のことは完全にお任せして、いまを感じきる。


特別さを全部捨てて、普通の自分が普通の現実の中に寛ぐ。


すると、すでにたどり着いていたことを見出すことでしょう。

誰一人例外はありません。






今日も動画をお届けします。

昨夜の模様です。


音声をつけっぱなしにすれば、他のことをしながら聞けて便利だそうです。

そうですか。

少しでもお役に立てるなら幸いです。





今日もよい一日を(^^)







  


Posted by Toshiro Abe at 09:17Comments(25)

2021年04月10日

観照者の先にあるもの

瞑想とは観照者になること。

瞑想中だけでなく、ありとあらゆる事象の観照者でいること。


あなたは事象の登場人物ではなく、その現象を見守る者。

あなたは事象が映し出されたスクリーンそのものです。

自分とは何かを説明する時、僕もこのような説明を用いますし、似たようなメッセージは他でも見たことがあると思います。


特に映画のスクリーンへの例えは気に入っていて、そこにどんなドラマが映し出されようとも、スクリーン自体は影響されていないという話は分かりやすいと思います。


しかしこれはまだ十分な説明になっていません。

もう一歩先を行く必要があります。

でなければ、最終的な真理が誤解されたままになってしまうからです。



それは何か。


その前に、まずは観照する練習をいま始めるべきです。

これがスタートになります。


いま起きていることを現実だと信じて、その中で右往左往していた態度をやめて、すべてを見届ける側に回るのです。

いつも人生の中で主役を張っている自分のことをも観客席から見ている感じです。

主役の思考や感情さえも外側に湧いている現象になります。


そうやって観照者でいる間は、あなたは物語に埋没していません。

このようにして事象から離れる時間は極めて重要です。


やがてあなたが参加していなくても、あなたを含めた物語は勝手に展開していくことを知ることでしょう。

その時、それまで抱えていた肩の荷がすべて下ろされます。

人生をやっているのは自分ではなく、すべては「起きている」という事を理解するからです。






ここまでは何度かお話ししてきました。

今日は最後の仕上げをしましょう。


それは何かと言えば、


あなたは観照者でさえもないということ。

人生映画の観客でもないのです。


あなたという人が、出演者から観客に変わるわけではないのです。

観客はいません。

物見はいません。

観照者はいないのです。


あなたは観照者ではなく、観照そのものだから。


観照者というと、観照している何者かを連想してしまいますが、そのような人はいません。

観照という質そのものが万物を有らしめています。

それを「気づき」とか「意識」とか「認識」とかの言葉に起き変えることができます


何一つ分離していません。

あなたは分離した存在ではなく、存在の全てです。


全体が、分離したあなたという夢を見ています。

その夢さえも見届けているのが本当のあなたです。



もう一度言います。

あなたは観照者ではなく、観照そのものだということ。


これがどういうことなのか、心を静かにして感じてみてください。



・・・・・・・・・・



11日の夜(21時)、天河から瞑想会を配信します。

アドレスは

https://youtu.be/NACcoaNqEE0







  


Posted by Toshiro Abe at 12:33Comments(21)

2021年04月09日

壺中天

天河神社の真ん前にある大銀杏の木と枝垂れ桜。

いつもなら桜の花びらが散るのと同時に、大銀杏の若葉が一斉に顔を出すのですが、今年はそうなっていません。

村の人たちが、こんなに早く散る桜を見るのは初めてだと言っています。

大銀杏もそう思っているかもしれません。


田舎にいると季節の移り変わりに敏感になります。


山間の村の集落と田畑。

そんな大好きな日本の原風景の、さらにまた原風景のような場所がここ天河です。

なかでも神の気に満ち溢れているのが天河地区壺中天(こちゅうてん)。

天河神社を中心とした半径200mくらいの地域です。


ここ壺中天が異次元の場所だということを、毎朝のように感じます。

でもここに暮らす人には当たり前なのでしょう。


そんな意味から言えば、どこにいても同じですが。






今月末に新刊が出ます。

タイトルは「創造の法則」

現実とはどのように作られているのか、

だったらどう生きたらいいのかということを

奥平亜美衣さんと対談した内容です。


amazonの予約が始まりました。

コチラ




出来上がった本を読んでみて、多くの人に読んでもらいたいと思いました。

楽しく、存在のヒントになる内容です。







  


Posted by Toshiro Abe at 11:08Comments(11)

2021年04月08日

高齢者の皆様、ワクチン接種が始まります

高齢者という言葉を聞くと体力が弱った老人を思い浮かべるので、自分もその一人だと気づくまでには時間がかかります。

「お前は高齢者だ」と言い聞かせ続けない限り、自覚を持てそうにありません。

よっ!高齢者(^^)/



今日は若いころの話をしましょう。

若いころか・・・

思い出すことと言えば・・・


あのころは誰も信じられなかったな。

何もかもが信じられなかった。


みんなに一目置いてもらいたくて、関心を持ってもらいたくて、一生懸命に生きていました。

浅はかな理解で人のことや世の中を決めつけて、その決めつけた世界の中で立ち回っていました。

心にもないことを言い、いつも辻つま合わせに翻弄し、あれで人の心をコントロールしているつもりでいたのだから、思い出すだけでも恥ずかしい。

大変だったなァ。



自分や、世の中や、人生を、どう決めつけているか。

そうやって決めつけた中で人は生きています。

したがって人生とは一から十まで独りよがりの思い込みです。

その思い込みの中で、これまた思い込みの自分が、あれこれ考えながら生きている。


実際にはどこにたどり着くわけでもなく、誰かにならなければいけないわけでもないのに、いつも漠然と明日に向かって生きている。

もしかしたら、いまも。



だからどうしろという話ではありません。

僕もあなたもこれでいいのだという話です。

だってやっているのは自分ではないし、起きることだけが起きているのだから。


この真実を認めれば、人生に対する責任も消えて気楽に生きられますね。

遊び心で生きられそうです。


こういうことを若いうちに知っていたらと思います。

でもこれは実際に生きてみてわかることで、そう思うと高齢者になるのもまんざらじゃありません。

と言うよりも、いまのほうが圧倒的にいいです。





ワクチン接種か。

あなたはどうします?


どうやら僕には優先的に受けられる資格があるみたいなんです。

どうだ!偉いだろ!


菅ちゃんが接種しても、なんか安心できない。

天皇陛下がやってくれたら僕もやるのになんて、そんな不敬なことを考えている今日この頃です。



そんなわけで、どちら様もごきげんよう。








  


Posted by Toshiro Abe at 09:01Comments(27)

2021年04月06日

誰かさん

多くの人が多くの時間を使ってやっているのが

いまとは違う何かを目指す「誰かさん」です。

そしていつも、より良いいまに向かおうとしています。


それをしているときは、頭の中のストーリーに完全に飲み込まれている時です。

それが悪いのではないですが、リアリティを忘れてマインドの世界にいます。


それではいったいリアリティとは何でしょう。


それはまさにいま、あなたに訪れているすべて。

光、音、感触、香りなどの直接体験です。


それらは五感でキャッチした情報を脳が解釈したものだ

とか

すべては夢だ

とか言い聞かせても、「いまこのようにある」ということだけは確かです。

そこに寛ぐのです。

しかもこの「ある」ということについては、あなた側に何の努力もいりません。


シンプルないまに帰ってくれば、悩みも問題もなくなっています。

ただ「ある」ということに徹したとき、誰もが寛いでいられるのです。


ところが全ての人に与えられているこの基本的な寛ぎは、マインドの世界に飲み込まれた瞬間に消えてしまいます。

そうやってリアリティから離れた分だけ、苦悩が起きてきます。

苦悩とは、いまのままではダメだという思いです。

お金、人間関係、仕事、健康などの問題を、本来あるべき姿に変えなければと思っています。


いつかきっと解決する。

それは遠い未来かもしれないが、とにかく頑張ってたどり着くのが人生だと信じています。


いつか大金を得たら、

いつか部屋が片付いたら

いつか愛する人と巡り会えたら

いつか覚醒したら

いつか立派な人間になったら


そうなったら、いまよりいい人生になるはずだと、無意識にそのようなマインドの声に飲み込まれてしまうのです。





いつも伝えたいポイントは、たとえいまがどんな状況(物語)に見えたとしても、それらはリアリティではないということ。

リアリティに戻れば、それらの状況(物語)に苦しまなくなるということ。

そしてリアリティに戻るのは、とてつもなく簡単だということです。


なぜならリアリティはいつも、いまここにありますし、そこにいるための努力は必要ないからです。

実際に「いま」もあなたは「ここ」にいます。


これが目覚めです。

目覚めとはマインドが作り続ける仮想現実を、単なる物語だと見抜くこと。

自分が信じてきたことから目を覚ますのです。


そして単純ないまここに寛ぎます。


マインドは、そんなことをしても何の解決にもならないと言います。

しかし、いままでマインドの言う通りに生きてきて、どこにたどり着いたでしょうか。


にもかかわらず、マインドはこう言い続けます。

「私の言う通りにしなさい。私はあなたを幸せにする方法を知っている」

疑り深い人でも、マインドの声だけは信じるのだから皮肉な話です。



あなたがいまに寛ぐことを始めた時、あなたと全体との境界線が薄れていきます。

そして内側にあると思っていた思考や感情も、外側にあると思っていた無数の出来事も、刻々と形を変えながら、いつもいま、生じては滅しているだけだということがわかってきます。

そしていつもあなたは「ここ」にいます。



これからも起きることが起きていきます。

あなたはその状況を変える誰かさんではなく、あらゆる状況を見守っている物見なのです。


そもそも状況を変える誰かさんなど存在していません。

その誰かさんこそが分離幻想を作っている張本人です。


誰かさんは、いま寛ぐことで消えていきます。



  


Posted by Toshiro Abe at 09:18Comments(22)

2021年04月04日

人生に意味はない?

時々

人生に意味がないなら、生きている意味がない。

という人に会います。


なるほどその通りかもしれません。

でもその人は本当に「人生には意味がない」ということを知っているのでしょうか。


なぜ意味がないと言い切れるのでしょう。


誰かに聞いたのですか?

本で読んだのですか?


その結果、人生に意味はないと思ったのでしょうか。

でもこれはマインド(思考)の解釈なので本当には分かっていません。



「人生に意味はない」「人生に目的はない」と言い切れるのは、人生は夢だと見抜いたからです。

それでオシマイ。


いいですか。

夢は単に夢なのです。


夢には意味も目的もありません。

夢なのだから。


それが分かっていれば、意味も目的も必要としません。

なぜなら意味や目的よりもっといいものに安住するから。

存在そのものとの繋がりを思い出すからです。



「意味がなければ無意味だ」


無意味というものは、意味に対して出てくる言葉です。

真実は意味でも無意味でもなく、意味を超えているのです。


精神の旅の途上では、ある種の間違いに入ることがあります。

それはマインドが真実そのものを理解しようとしているから起こります。

しかし真実はマインドを超えていて理解不能です。


だからマインドで納得しようとしないで、いかにそのマインドを静めていくかを重要視するのです。






目覚めの体験をした人でも、同じような迷いに入ることがあります。

目覚めてもマインドは残り続けるからです。

そのマインドの部分が主流になる時間帯もあり、その時はあれこれと論理的に考えようとしたり、不安になったり勇気を持ったり、人生物語を生き始めるのです。


それでも目覚めの体験は色あせることなく、いつでも夢から連れ戻してくれます。

夢を夢だと知っている分だけ、人は気楽に生きられるのではないでしょうか。



今夜21時の日曜瞑想会は沖縄からお届けします。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:38Comments(29)