2007年09月21日
権威
久しぶりに向和尚と2日間過ごした。
2人で話をしているときは、小気味がいいほど話が合う。
真理の奥の奥の言葉にならない世界が、「理解」という形をとって2人の間を駆け巡る。
真理は活字にはできない。
経典や本の中の真理は、止まっているがゆえに死んでいる。
そこに感受性という命を吹き込みながら読むことで、真理の追体験をすることは可能だが、本の言葉をそのまま振りかざしても、それは単なる概念だ。
真理とは常に、「いまここ」の感応なのだから。
向和尚は誰と話すより僕と話す時が、一番真理が引き出されると言ってくれた。
僕も同じだ。
向さんは「禅宗」という世界のエリートで、すでに高い地位にいるが、この先ますます要職に就いていくだろう。
一方僕は一介の素人に過ぎない。
いわば、みなさんの代表だ。
でも真理においてはまったく対等だと思っているし、向さんもそれを認めてくれている。
この社会は権威が好きなので、大僧正とか老師とか枢機卿とか教祖とか、なんたらかんたらの人たちのほうが、自分たちよりも真理を体得し悟っていると思っている。
そして、そんな人たちの話をありがたがって聞いている。
その誤った態度が、自分たちを真理から遠ざけているのだ。
真理は宗教の専売特許じゃない。
僕たちの中にある普遍的な本質だ。
伝統宗教も、新興宗教も、内部に階級を設けて、権威を持たせることで堕落してきた。
それは単なる搾取の構造に過ぎない。
あらゆる権威を排除して、己の中に最高の権威を見つけ出すことが大切だ。
それこそが、ピュアな仏道であり、本来の全ての宗教が目指す形だと思う。
そんな話を向さんとした。
彼は「そのとうり」と言ってくれた。
思し召すまま、流れのままに生きてきたら、沖縄の地に招かれていた。
そしていま、新たな使命が始まろうとする、そんな予感を持っている。
今までの人生の全ては、そのためにあったと思えるような何かが・・・
今日も読んでくれてありがとう。
僕たちは100%対等な存在です。
だって、「ひとつ」のものなのだから。
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2007年08月22日
悟り
最近、世の中にストレスや心の苦しみが蔓延しているって思う。
これは時代の必然のような気がする。
衣食住が一通り満たされて、人間が次の段階に進むための、産みの苦しみのような気がするんだ。
ストレス緩和の方法は無数にあるだろう。
でもそれは病んだ木の、枝葉を修正しているだけで、根本的解決にはなっていない。
それじゃ、根本的解決はどうしたらいいのか。
それはずばり悟ること。
今のストレスや苦しみは、多くの人にとって悟るための準備のような気がしてならない。
だって苦しみが無ければ、誰も真理に興味なんか持たないから。
生きる方向転換をさせるための、神の計らいじゃないかって思っているわけで。
悟りというと、それは誰か特別な人に起こる事で、僕らのような一般の人間には縁遠い存在のように思いがちだけど、それは違う。
むしろ一番身近なことで、一番大切なことだと思う。
実に僕らの人生は、そのことを知るためにあると言ってもいいくらいだ。
今日はその話をさせてね。
僕みたいな人間が、悟りについて話すのはとてもいいことだと思っている。
そのほうが、身近なこととして伝わるだろうから。
これはあなた自身の話でもあるんだよ。
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