2007年07月31日
大変革
今日もここに来てくれてありがとう。
毎日暑いね。
この一両日、マスコミから流れてくるのは選挙結果と政治の問題ばかり。
僕の中には言いようのない違和感がある。
古い人たちが、古い社会を、古いやり方でやりくりしようともがいている。
古きは死に、まったく新しい人類が生まれようとしているのに・・・
○○県選出の議員に、有権者からの期待の声。
「○○県のために頑張ってください」
!?
国政に参加するのに、しかも今は地球規模の問題と向かい合おうとしているのに、地元のために国会議員を選んでいるようじゃしょうがないね。
二大政党制があたりまえのように言われているけど、それって本当なのかな。
大家族があって、その家族が生きていくための仕事やルールを決めるのに、父派と兄派が主導権争いをする必要があるのか。
本気で互いのためを考えれば、自ずと一番良い方法を見出す、それが人間の力ではないのか。
そもそも二大政党制って、一党にまかせておくと好き勝手なことをしだすから、その歯止めに二大勢力を作ろうって発想でしょ。
まかせたら好き勝手やるようなレベルの人類なら、どんな制度も世の中を幸せにはしないよね。
まずは制度の前に人間性だ。
それは政治家だけじゃなく、有権者も含めたものだよ。
何が言いたいかといえば、自分さえよければいいという発想の古い人類は死んでいき、僕らがひとつの同じ存在だという発想の新しい人類が生まれてくるってこと。
新しい人類が創り出す文明は、古い人類が創った文明の修正じゃない。
それはまったく新しいものだ。
「個別意識」から「全体意識」にシフトした人類だけが、環境などの地球の問題を解決できると思う。
その淘汰がアセンションなのかもしれない。
これから地球が迎えようとしている大変革は、政党が変わるような程度のものじゃないって思うよ。
さて、まずは僕自身の自我をお掃除しなきゃ。
そして身を持って新しい生き方を示していけるような大人でありたい。
21世紀を担う子供達のためにね。
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2007年07月30日
基本の基本 2
今朝も、精神性を学ぶ上での基本の話をしよう。
こうして毎朝記事を書くという習慣は、僕にとってきわめて重要な行為になっている。
というのも、書き始めるまでに約1時間の時間が必要で、それが僕の朝の瞑想の時間になっているからだよ。
怠け者の僕が、毎朝こんなに素晴らしい時間を過ごせるのも、読んでくれる人がいるおかげだ。
さて今日も伝えたい事がたくさん出てきた。
少し専門的な話になってしまいそうだけど、なるべくわかりやすく表現してみるね。
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2007年07月29日
基本の基本
さて今日の話は自戒も込めて、基本の基本の話。
「いまここ塾」ではよく話すけど、ブログで伝えることは少ない。
ちっとも劇的じゃないし、奇跡的でもない。
耳が痛いだけで、聞きたくない話かもしれない。
だけどすべての成長の土台の話だよ。
だから最後まで読んで、しっかり頭の中に入れておいてね。
面白くないのを覚悟で読んでくれる人は、続きの前にポチッしてください。
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2007年07月28日
究極体験
それはS○Xの10万倍の快感だった。
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(ソックスではなく○は伏字)
10万倍というのは比喩で、実際には比べ物にならない、まさに次元の違いがあった。
今までの人生で僕に快感をもたらしたあらゆることは、単にこの体験の代用品だった。
それは自己と時間の両方が消えうせた、「永遠」と「全体」に乗っ取られた体験だった。
あまりにもリアルで、人生の全てが霧のように消えうせてしまうほどにリアルで、それは疑いようの無いものだった。
たとえ全世界がその体験を否定しようと、ゆるぎない確信は生き生きと心の中で脈打っていた。
同時にそれはあらゆる人の基盤であり、いま時代は大きく変わろうとしていて、僕の役目はこの体験を多くの人に伝えることだと直感した。
全ての仕事を整理して、自分の役目を全うするために新たな旅に出た。
音楽時代の友人達にも説いて回ったが、誰ひとり耳を傾けてくれなかった。
それどころか親友までもが影で「アイツは宗教にはまった」と言いふらしていたくらいだ。
現実社会では徹底的な孤独の中に突き落とされたが、実際には孤独感はまったくなかった。
宇宙の全てが自分と共にあったからだ。
あれから20年。
いま、多くの人が話に耳を傾けてくれるようになった。
そして予感どおり、時代は大きく変わりだした。
旅の途中で、一人の禅僧と出会った。
それまでにも多くの僧侶や聖職者達と出会っていたが、誰ひとり究極を分かち合える人がいなかった。
でもその禅僧と会話をしたときに直感した。
「この人はすべてを知っている」
それが向和尚だった。
現在は臨済宗大本山方広寺の教学部長をされている。
あの日の体験は様々な言い方で昔から伝わっているが、その中のひとつに無位の真人(むいのしんにん)というのがある。
向和尚も若くしてその境地を獲得し、今に至っている。
伝統的な禅の立場から見て、それがどういうことなのか、向さんの実体験をもとに文章を寄稿してもらった。
これは、今後あらゆる人が向かうべき道なので、その道しるべとしてもお伝えしておきたいと思う。
裏ブログの<随(かんながら)神>の今日の記事にアップしました。
http://orionza.ti-da.net/
いま巷で禅がブームになっていますが、禅は知識ではなく、まさにこの境地を獲得することが、その存在理由だと思います。
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人からどう思われようと、これからもダイレクトに役目を全うしていこうと覚悟を決めています。
今日も読んでくれてありがとう。
あなたとの出会いに感謝します。
追伸
本日、小禄のジャスコで、沖縄のサンゴを守るイベントがあります。
2時から一時間、僕と智子さんのステージもあるので、時間がある人は遊びに来てください。
2007年07月27日
今日の日記
午後2時。
各種税金を納めに銀行へ。
あまりに高額な請求にもめげずに口元に微笑を浮かべたプチブッダアベパンマンは、混み合っている窓口の前で静かに順番を待っていた。
昔ならイライラしたところだが、今の僕は違う。
「息を吸って私は静か」
「息を吐いて私は微笑む」
やっと順番が来た。
その場で支払いが完了するはずが、健康保険税は用紙を切り離さずに束のまま持ってくるように言われた。
フフフ・・・それならそうと用紙に大きく書いておけよ!なんて愚痴は言わずに、黙って炎天下の中を徒歩で家に戻り、用紙の束を持って再び銀行へ。
さっきよりもっと込んでいる。
自分の番号が呼ばれるまで20分はかかりそうだ。
「息を吸って私は静か」
「息を吐いて私は微笑む」
やっと自分の番がきた。
え?!なに?・・・JASRACへの支払いはコンビニに行ってくれ?
またこの炎天下を数分間歩かせる気だな。
いやいや、これは誰のせいでもない。
ニッコリ笑って「はいわかりました」
それにしても今日のこの暑さは何だ!
少し気持ちがひねくれ出した。
だいたい今から支払うお金は何だろう。
僕が僕自身の作った歌を唄ったコンサートでの楽曲使用料を支払うのだ。
それも複数回になると金額は大きい。
このお金は巡り巡って僕に戻ってくるが、その時には著作権協会の手数料が引かれている。
世の中、間違ってる

「息を吸って私は静か」
「息を吐いて私は微笑む」
ポケットをジャラジャラさせながら歩いた。
税金は千円単位だが、著作権使用料は1円単位だ。
今日はおつりがいらないように、小銭をしっかり持ってきた。
払うたびにおつりのコインが増えるのは嫌いなのだ。
やっとコンビニに着いた。
請求書と金額を差し出すと、51円足りないという。
何?振り込み手数料もかかるの?

ポケットを探したら50円玉が出てきた。
え?あと1円?
ない・・・・ない・・・
あるのは一万円札だ。
泣く泣く一万円を追加し、9999円のおつりをもらう

「息を吸って私は静か」
「息を吸って私は静か」
「息を吸って私は静か」
「息を吸って私は静か」
・・・吐くのを忘れた

そんなわけで、過呼吸をおこした真夏の昼下がりでした。
今日の反省。
「吸った息は吐きましょう」
2007年07月27日
幸せの秘訣
なんだか書いていて恥ずかしいようなタイトルだけど、実際にそう思うんだから仕方ない。
幸せの秘訣は山のようにあって、人それぞれにそれを発見して、日々使っているのかもしれない。
それは僕にもある。
いつもはあたりまえのようにやっているけど、こうしてブログに書こうとすると再認識できるよ。
だから今日も読んでくれてありがとう。
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2007年07月26日
やってる?
基本レッスンやってますか?
僕はまあまあだったよ。
65点くらいかな。
すぐに忘れてしまって完璧にはできないけどね。
僕らが最初に取り組むべきは、自分の心の状態を整えること。
そうすれば現実の見え方が変わってくる。
今何が起きているかに気をとられないで、今どんな自分でいるかを大切にしよう。
「現実がうまくいけば幸せになる」って思わないで、「幸せな気持ちになれば現実がうまくいく」って思ってみよう。
はいそれじゃ、ご一緒に
「息を吸って私は静か」
「息を吐いて私は微笑む」

2007年07月26日
毎朝の基本レッスン
おはよう。
僕の心の底にはまだまだ否定的観念がたくさん詰まっているのか、見る夢は恐いものや緊張感があるものが多い。
だから目が覚めた瞬間は、胸の上に漬物石を置いたみたいに重たい気分になっている。
気がつかずにそのまま一日をスタートさせると、あまり幸せな気持ちになれずに、物事を素直に見れなかったりもする。
だから朝最初にやること・・・それは気分を整えること。
ベッドの中で無理やり笑っちゃうのが一番早いんだけど、目覚めた時に笑うのは苦しいくらいに難しい。
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2007年07月25日
禅
昨日JRからモノレールに乗り換えるとき、浜松町の駅ビルの中の大きな本屋さんに立ち寄ったんだ。
そしたらベストセラーの一位が「ふっと心が軽くなる禅の言葉」という本だった。
知らない間に、巷では禅がブームになっていたんだね。
僕は中身を読んでいないが、何故禅語が心を軽くするかは理解できる。
だって、禅とはあらゆる形式を壊したところの、自由な境地なのだから。
宗教さえも超えている。
名前をつけようのないもの・・・それが禅だ。
この感覚を習得すれば、あらゆるストレスは消えてなくなるだろう。
僕がこのブログで展開してきたのも、禅の世界に近いものだけど、直接的な表現はなるべく避けてきた。
でもこれからはもっとダイレクトに禅の心を紹介していこうと、そんな勇気をもらったベストセラーだった。
僕自身の言葉で伝えるのと同時に、その世界のオーソリティーである向禅師にも登場してもらおう。
裏ブログ(?)の随(かんながら)神とも連携して、立体的に展開していくのも面白いかもしれないね。
そんなこんな考えている、真夏の夜のひとときです。
これからも応援よろしくお願いします
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2007年07月25日
長島千恵さんが残したもの
朝起きて自分のパソコンの前に座ると、またいつもの生活が戻ってきたなって思う。
こうしてブログを書く時間は、一日の中でも特に好きな時間

朝のこの時間、窓の外ではセミたちが力いっぱい鳴いている。
また夏の一日の始まりだ。
昨日帰宅したらリビングのテレビに長島千恵さんの顔が大写しになっていた。
先日放送された彼女の闘病記の反響で、医師たちが討論会を開いたのだそうだ。
痛みに対する緩和治療の現実や余命告知の是非などの話の中で、僕がもっとも興味を持ったのは、とある医師の一言だった。
「長島さんは生前、治ったら旅行がしたいとか花嫁衣裳を着てみたいと言っていた。
いままで我々はそのような患者の希望に耳を傾けたことがあっただろうか。
我々にはしてあげられることがたくさんあると思った」
こんなあたりまえのことが新鮮に聞こえるくらい、医師の意識が通常の感覚と大きくずれていることがわかる。
人間は身体と心を持った生き物なのに、医師の仕事は身体を一日でも長く生かすことだけだと信じているようだ
その時彼らの目に映る患者の身体は、化学反応をする物質になっているのではないか。
以前方広寺のセミナーに参加した医師たちからも、同じような告白を受けた事があった。
その時、筆記試験の成績によって医師の資格が与えられていることに疑問を持った。
一般の治療に要する専門知識は、高校卒業程度の学力があればマスターできることなのに、なぜそこに高い偏差値が必要になるのか。
それは偏差値の高さが人間の優秀性に繋がるという、誤った考え方に始まっていると思う。
医療は最高のサービス産業であり、患者はお客様。
そんなあたりまえな価値観で医療が再構築されたら、心が救われる患者さんもたくさんいるんだろな。
一人の女性の命を懸けたメッセージに、世の中が少し動き出したように感じた。
さて彼女からは画面を通して教えてもらった事が他にもたくさんあるので、次の機会に書かせてもらいます。
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2007年07月24日
猫に学ぶ処世術

小学校3年生の時、配達に来る酒屋さんが、子猫を持ってきてくれた。
それは尻尾の長いトラ猫で、みるみる大きくなって僕によくなついた。
膝に乗っかってきて僕の頬をペロペロなめるので、名前はペロにした。
3年後に死んでしまったときは悲しかったな。
座布団に顔をうずめてオイオイ泣いたっけ。
写真の猫は16年前、子供がお腹にいた時に、無事に生まれますようにって毎日のようにお参りしていた人形町のお稲荷さんから、ニャーって出てきた猫。
それ以来ずっと母が飼ってくれているけど、子供の時にお別れした猫と瓜二つだ。
今朝も僕の膝の上に乗ってきて、頬をペロペロなめるんだよ。
今朝は久し振りに母の味噌汁を飲みながら、猫を膝に乗っけて、小学生に戻って数十年のタイムスリップを楽しんでいる。
猫って不思議だね。
天井やサッシの上や、何もない所をじっと見て、何かを追いかけるように視線を動かす。
何を見ているんだろう。
まっくろくろすけかな。

犬も可愛いけど、猫もすごく可愛い。
言う事を聞かないところが可愛い。
しっかり自分を持っていて、人間のご機嫌をとったりしない。
それなのに、こちらの気持ちを優しくしてくれる。
まるで人間の赤ちゃんみたいだ。
犬は盲導犬とか、警察犬とか、番犬とか、それなりに人間社会の手伝いをしてくれるけど、猫は何もしないよね。
昔は穀物をねずみから守る役目もあったんだろうけど、今の世の中、猫にやってもらうことはない。
それなのにこんなに人間から愛される猫。
周囲に愛嬌を振りまいたり、役にたつ有用な人材になったり、いい人やったりしなくても、みんなから愛されるような猫人間になりたい。
猫みたいに自分にくつろいで、しかも周囲に愛される。
これって究極的な生き方だよね。
この秘訣をぜひとも学んでみたいものだ。
と言って、しみじみと猫を見てみたけど・・・本当にこの生き物は無理してないよな。
猫から学ぶ事はたくさんありそうだ。
そんなわけで、
ニャー(猫語で、押してくれたら嬉しいって意味)
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2007年07月23日
社会は冗談のようなもの

昨日の東京ライブは結局4時間以上やったみたい。
夜中に目が覚めて、昨日の録音CDを聞いていたら朝になってしまった。
そんなわけでほとんど寝てないのに、なぜか心身ともに絶好調。
今朝は東京から書かせて貰っています。
いつもライブに来てくれる人が来ていなかったからどうしたのかと聞いたら、ストレスが原因で休職しているらしいって・・・
とても繊細で優しい人だったから、心のダメージをもろに受けたのかな。
僕のようにいい加減な人間ならうまくかわすこともできるけど、まじめな人は世の中の不条理を浴びて精神的にもまいってしまうのかもしれない。
あのね、この世で起きている事はみんな冗談みたいなことで、人はそれぞれの思い込みの中でつじつまを合わせて生きているわけで、そんな世界に真剣に向かい合ったら時間の問題で消耗するよ。
笑い飛ばすのが一番。
なんだっていいじゃない。
人生を天から与えられた義務だと思わないでね。
人生は天から与えられた道楽だよ。
人の目や、将来の安全なんか気にしないで、好き勝手やってごらんよ。
今までどおり、なるようになっていくから。
どうだっていいじゃない。
どうせどこにも行き着かないんだから、自分を型にはめて苦しむよりも、型を手玉にとって遊んだほうがいい。
自分の心や身体が何を求めているのか、よく聞いてあげよう。
もしかしたら大自然の中に行きたいのかもしれないし、マッサージや運動が必要なのかもしれない。
それを満たしてあげれば、自分の中のエネルギーが動き出して、また違った発想が湧いたりもする。
まずは自分との会話が大切なのかもしれないね。
さあ、無理やり大笑いして、気分さっぱり出直そう。
大丈夫、大丈夫、だいじょうぶだから!
そんなわけで東京からの書き込みでした。
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2007年07月22日
ありがとう!
今から上京します。
待っていてくれる人たちに歌とメッセージを届けて来ます。
帰沖は明後日です。
2週間オヤスミした「いまここ塾」があるからね。
僕がこれほど生きがいを持たせてもらえているのは、みなさんのおかげだと思っています。
本当にありがとうございます。
今日は皆さんに与えられるようなメッセージが何も無いけれど、気持ちだけはお伝えします。
そしてあなたからの気持ちもしっかりと受け取っています。
ここを押してくれたらそのまま僕の心に響く仕掛けです
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これからもよろしくお願いします。
2007年07月21日
小さなことからコツコツと
最近の僕は、ここでみなさんにお伝えしたことを、いつも実践しようと頑張っている。
たとえば、自分を平静に保つための呼吸法とか、願いが全て叶っている自分を描いて、その自分で生きてみることとか、首から上がない状態(首なし人間)で願望を描いてみたり・・・
そのことを僕が生活の中で強化して、実際によりよい結果を残していけたら、ますます伝えていることに確信を持っていけるからね。
もうすでにいい結果が出ているようにも思う。
まず落ち着いた気持ちでいられる時間が増えた。
これは僕にとってとても大きなことだ。
もともと僕はせっかちで、地に足がつかないことが多かったから。
「あっ!またやってる」って気づくことが多くなった。
気づくことはとても大切で、気づいたとき初めて、それ以外の自分を選択をする可能性が生まれる。
たとえばすぐに心の中で人を批判する人は、それをやっているときに「あっ!またやってる」って思えれば、他の考えに切り替える事ができる。
気づかなければ、いつものパターンを無意識に繰り返すだけだから。
気づきの習慣を持つのは大切だ。
僕は一日100回くらい気づけるようになった。
ということは、毎日100回以上も昔の悪しきパターンを無意識にやっていることになるね

今日もあきらめずにコツコツ続けてみます。
小さなことからコツコツと・・・ね。
コツコツ
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2007年07月20日
生きてる
方広寺で向和尚と活動していた頃のことだ。
向さんの友人で、ヘルガさんというドイツ女性がいた。
彼女は毎年、長期休暇をとって日本に訪れ、方広寺の専門道場で修業をしていたんだ。
ある時、彼女がガンである事がわかった。
病魔は確実に彼女の身体を蝕み、みるみる体力が衰えていったんだけど、彼女はいっさい弱音をはくことなく、大接心という寝ないで坐禅を組み続ける荒行に参加していたそうだ。
そんな彼女も病には勝てず、ついには浜松医大に入院することになった。
病院での彼女は、毎朝早起きをして中庭を散歩し、そこに生えている小さな花を摘んでは、小児病棟の子供達の病室に飾ってあげていたらしい。
向和尚が彼女を見舞った時、すでに末期を迎えていた彼女の身体は一目でわかるほどに衰弱し、ベッドに横たわっていたんだって。
その姿を見た向さんが、かける言葉をなくて少し戸惑っていたら、ヘルガさんがこう言ったそうだ。
「こっさん(向さんの愛称)、どうしたの?
『いまここ』よ。
私は生きてるよ」
昨日話した長島千恵さんも、病室で彼氏がハンドカメラを彼女に向けて
「千恵はいま何しているの?」
と聞くと、少し考えて
「生きてる」
って答えた。
『生きてる』
死を意識した彼女達は、その実感を僕たち以上に強烈に感じていたんだと思う。
いつも「死」を意識して生きることの大切さを伝えているけど、それは怖れるためじゃないよ。
まさに今、生きてあることの奇跡を感じ、今どのように生きるのかの覚悟を持つために大切だと思うからだ。
僕自身もすぐに忘れてしまって、流されるように生きていることが多いから、こうやって分かったような顔して言うことで、大切な何かを思い出そうとしているんだと思う。
今日も何度も何度もそのことに留意しながら、「今」というかけがえのない時を過ごしていきたい。
今日も読んでくれてありがとう。
「生きてる」
ね。
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2007年07月19日
長島千恵さんのこと
昨日久しぶりにテレビ番組を見た。
東京の身内から電話があって、知り合いがテレビで特集されるからぜひ見て欲しいとのことだった。
冒頭だけ見ようと思ったのが、気がついてみたら最後まで画面に釘づけになっていた。
主人公の名前は長島千恵さん。
千の恵みがありますようにと名づけられたこの女性が、24歳という若さで乳がんのためにこの世を去る、最後の一ヶ月間のドキュメントだった。
そもそもこの企画はご本人が友人を介して局の報道部に持ち込んだらしい。
おそらくは「死」を覚悟してのことだろう。
僕が一番印象的だった言葉は
「もし私が社会復帰したら、凄い人間になっている」
何故彼女はこう言ったのか。
それは死と向かい合うことで、生きていることの意味を深く理解したからではないだろうか。
さらにこうも言っている。
「人は多くの人たちに支えられて生かされている」
「明日も生きていられるということは奇跡だ」
何気なく生きている僕たちに、真実を教えてくれたんだと思う。
僕らも自分の死を間近にした時に、このような悟りを得るのだろうか。
番組を見ていて、去年の大晦日に末期がんの女性を見舞った時の事を思い出した。
その時も、深刻な病状を本人に悟られまいと献身的な介護をする家族や友人達に、明るい笑顔を絶やさずに、逆に彼らを思いやっていた病人の姿が印象的だった。
死を前にした人の壮絶な生き様から比べたら、我々の悩みのなんとちっぽけなことか。
こうして生かされている今、そのような心境で生きられたとしたら、どんなに素晴らしいことだろう。
健康な今だからこそ、死を見つめて生きることの大切さを思ってしまう。
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千恵さんのご冥福をお祈りします。
残されたご家族の心に光が訪れますように。
合掌
2007年07月18日
いまを生きる
このブログのタイトルは「いまここから・・・」
いまここを生きようってことだけど、いまここを生きるってどういうことだろう。
今・今・今・今って捕まえようとしても、それは無理ってもんだよ。
だって捕まえた瞬間、それはもう過去になっているから。
いまを生きるって、瞬間を生きるってことじゃない。
じゃ、なんだ?
いろんな説明があると思うけど、今朝は今朝の感覚でお話しさせてください。
続きの前にお願いします
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2007年07月17日
自分の道
最近ラジオへの投稿で、子育てに関する悩みが多い。
子供がクラブ活動に熱中して勉強しないとかね。
そういえば最近の世論調査で、子供達が一番就きたい職業は公務員だという。
市民の下僕になって自分の時間や能力を使いたいということなら見上げたものだが、それ以上の理由として公務員なら一生安泰だというような発想があるらしい。
おそらく親がそれを望んでいるんだろうな。
安全に無難に生きながらえる事が人生の成功であればそれでいいけど、この人生のチャンスはそんなことで浪費してはいけない。
公務員を目指すのは悪いことではないが、その動機が間違っていると思う。
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2007年07月16日
大捜査線

昨日の午後、家の近くを歩いていたら上半身裸の男性がいたんだ。
ちょっと険しい目つきだったから、よっぽど暑いのかななんて思って、すぐ脇を通り過ぎて家に入った。
そしたら買い物に出かけていた智子さんから電話。
「たった今、家のすぐそばで、上半身裸で包丁を持った男が警察に取り押さえられた。警官が十数人出動して大騒ぎ」って。
すぐに外に出てみたら、いつのまにかパトカーが6台くらい止まって、テレビ局のカメラや野次馬が大勢集まっている。
どうやらさっき擦れ違った男らしい。
包丁持っていたのか。
もしあの時突然襲ってきたら、ヒラリと身をかわして刃物を叩き落とし、その男を取り押さえて、これからはこんなことはしないようにって、ニッコリ笑ってその場を立ち去っただろうなんて、自分にとって一番良いイメージを思い描いたりしたけど、実際にはすぐに気を失っていただろう。
とりあえず僕を刺さなくてヨカッタ。
僕も痛いのは嫌だし、その人も長く刑務所行かなきゃいけないし。
その男性に何があったのか知らないけれど、幸せじゃないことだけは確かなわけで、なんとなく気の毒に思った。
さて僕はといえば、久しぶりに大勢集まっている現場で何かパフォーマンスをと思い、そうだ僕も上半身裸になれば目立つかなって脱ぎ出したけど、警官も誰も相手にしてくれなかった。
ただ一人大笑いしていたのは、道の向こうに車を止めて中から見ていた智子さん。
とにかく加害者も被害者もいなかったみたいで目出度し目出度し

真夏の昼下がりの、大捜査線の一コマでした。
でもさ、僕らの日常っていつもあたりまえの顔して過ぎていくけど、何が起こるかなんて誰にもわからないよね。
犯罪に巻き込まれたり、事故にあったり・・・
数年前に沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落した時は、息子がわずか数百メートル離れた場所で遊んでいたし、やはり数年前にスペインのマドリードでスペイン史上最悪のテロがあって駅が爆破された時も、僕はそのわずか1キロ先のホテルで朝食をとっていた。
やっぱり僕らは死と隣りあわせで生きているわけで、そう思うと今日一日という日が貴重な一日になってくる。
で、今日はどんな日かと言うと・・・ジャーーン!!
初めてこのブログを書いてから一周年です!!
おめでとう!
ありがとう!
今日はご祝儀でバシバシ押してください

↓

ちょうどあの日は甲子園の地区大会決勝で、グラウンドから記事をアップしたけど、一年目の今日も同じく地区大会の決勝戦。
また友人の照琴村君と一緒に球場に行って応援してきます。
どちらを応援するかって?
そりゃあなた、その時負けているチームをです。
だから一試合で応援するチームがコロコロ変わることもしばしば。
みんな頑張っているんだもんね。
今日もいい一日でありますように。
平和が一番
↓








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