2011年05月31日

無駄話

久しぶりの沖縄の我が家はすっかり猫屋敷になっていて、彼らに「お邪魔します」って挨拶して、部屋の隅に置いていただくという状態だ。
しかも無線LAN機も悪戯されていて、パソコンが繋がらない。

そんなわけで昨日から一日、パソコンに触れない時間を過ごしている。

この記事も携帯電話からの投稿だ。


昨夜は明け方まで久しぶりに本を読んだ。

読書は嫌いではないが、この数年はほとんど読まなくなっていて、たまに読むのは自分の著作くらいだった(笑)


昨日から読み始めた本は『大本襲撃』(新潮文庫)


戦前の大本教弾圧をテーマに描きながら、大本教の核心に迫る本で、読んでいてグイグイ引き込まれていく。

何より筆者の文章力が巧みだ。

こういう楽しみを忘れていたなぁ。

『この世に起こることに何一つ偶然はなく、全てはことごとく神慮の発現ぞよ』

今夜のいまここ塾は大本教の話だったりして(^O^)



そんなわけで、何のメッセージ性もない今日のブログ記事でしたが、近況報告でした。



この数日間は脱パソコンで過ごします。

また寄って下さい。






   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(32)

2011年05月30日

誰も死なない

いままでの生涯で、節目となるような大きな気づきが何度かありました。

その中でも一番大きかったのが、命は決して死ぬことがないというものです。


死ぬことがないというよりも、いままでに一度も生まれたことはなかったし、死んだこともなかったという感じです。


命は無数の形でこの世に現れ、刻々と姿を変えながら、永遠に在り続けています。

命は不滅です。

人は皆その命を「自分の命」だと思っていますが、命は個人の持ち物ではありません。

真実はその反対で、命の作用が自分という感覚を作り出しているのです。


人間は60数億人いますが、命はひとつしかありません。

生物の種類も無数にありますが、命はひとつだけです。


そのひとつが、様々な形態を通して現れては消えているのです。

消えるといっても現象として消えるだけで、命そのものは消えることはありません。

変化するだけです。



命は不滅だというところから、輪廻転生という発想が生まれました。

まったくの間違いではないですが、半分は間違いです。

なぜなら、人生を繰り返すような「個人」は、もともと存在していないからです。

今生においてさえ、「個人」は幻想です。

「個人」は、自分が全体から切り離されているという錯覚から作られています。

この手の話は、内なる経験として実感するまでは単なる仮説に過ぎませんが、このことが真実だということを、何度も見せられてきました。



結論を言えば、あなたは死にません。

いままでどおり形を変えながら、永遠に「ここ」に存在し続けていきます。

始まりもなく、終わりもなく、永遠に「ここ」に在り続けます。



そう言われると戸惑う人もいるでしょう。

「永遠に存在するなんて、なんて退屈なんだ」

「できたら消えてなくなりたい」


それは、制限された窮屈な人生しか味わってこなかったから思うことです。

実際には、素の命は退屈どころか、色彩と、喜びと、変化と、驚きに満ちた、とてつもない状態です。

自分がそんな存在だったことを、感謝せずにはいられないことでしょう。



そして永遠とは、果てしなく続く長い時間のことではありません。

永遠とは、時間を超えた「いま」のことです。


宇宙には「いま」しか存在していません。

そしてあなたは永遠に「ここ」にいます。





言葉の限界を感じながらも、思うままに書いてみました。


いまから沖縄に帰ります。







     


Posted by Toshiro Abe at 08:52Comments(88)

2011年05月29日

次の段階

いま気が滅入っていたり、腹を立てていたり、失望感にさいなまれている人に朗報です。

それらは一過性であり、必ず変化していきます。

人というのは不思議なもので、落ち込んでいるときはその状態が永遠に続くような気がするものです。


反対に幸せなときや、うまくいっているときは、こんな状態がいつまでも続くわけがないと考えがちです。

そのとおり、どんな状態も長くは続きません。


もしずっと幸せだったら、幸せを感じることはないでしょう。

時折マイナス感情があるからこそ、幸せが輝いてくるのです。


不幸なときは不幸でいればよろしい。

ネガティブな考えや感情が、いけないものだという判断が苦しみを複雑にしています。

無理にポジティブに考えようとしたり、そのような状態の自分を卑下したりする必要もありません。

すべては移り変わっていきます。

愛は嫉妬に、嫉妬は憎しみに、そして憎しみは再び愛に変わっていきます。

まるでメリーゴーランドのようですね。



さて、一通り人生の酸いも甘いも味わってきた僕たちが、学ぶべき最終段階があります。

幸せと不幸せ、ポジティブとネガティブ、その両方を超えた段階です。

一切の判断が消えた、静かなる境地です。


それでも自分の外側では、起こることが起きていきます。

でもそれらの出来事を、いちいち分析したり判断したりせずに、ただ起こることと共に流れていくことが可能です。



変化は波の様なものです。

変化とは「動き」です。


しかし、僕たちは波という動きではなく、海という実体です。

海は変わることなく、いつも海として在りつづけています。


波に自己同化した自分から、海という永遠無限なる存在へのシフト。

それが、いま僕たちが迎えている成長段階です。



ついにここまでやってきた。

しかもこんなにたくさんの人たちが。


それってすごくない?






   


・・・・・・・・・・


【お知らせ】

明日、沖縄に帰ります。

火曜日のいまここ塾と、水曜日の水曜の会を久しぶりに開催します。

そういえば、昨日の台風凄かったんだって?  


Posted by Toshiro Abe at 09:25Comments(60)

2011年05月28日

ワンネス

毎日の記事が、単に読み物に終わるのではなく、気づきのきっかけになってくれたらという思いで書いています。


「あなたが自分だと思っている人物は、あなたの創作物であり、実際には存在していません」

この一文が、何を言おうとしているのか感じてみてください。



これを見抜けば、「永遠」「ワンネス」「神」「真理」と呼ばれてきたものに出会います。



この世に、「それ」以上のものはありません。

僕たちは無意識に、いつも「それ」を求めています。

どこかにその記憶が残っているからです。


入り口は無数にあるでしょう。

だから多くの人たちが、いろんな言い方で「それ」を伝えてきました。

多くの入り口をコレクションのように集めるよりも、たったひとつの入り口でいいから、深く入っていくことが必要だと思います。



今日が大いなる気づきの日になりますように。  


Posted by Toshiro Abe at 09:58Comments(72)

2011年05月27日

前後裁断

心の中で作り出してしまった自分が、心の中で作り出してしまった人生という物語を生きています。

どちらも心が作り出していて、実体はありません。


でもいつもその中で生きているので、人生と人生を生きている自分こそがリアリティーだと思っているし、それ以外の可能性を考えたこともありません。



答えを言えば、

あなたが自分だと思っている人物は、あなたの創作物であり、実際には存在していません。


さらには、

あなたが人生だと思っているストーリーも、あなたの創作物であり、実際には存在していません。



実際には、まさにいま呼吸をしている、誰でもない存在があるだけです。

前後のつながりはなく、何一つ連続していません。


ただ純粋ないまがあるだけです。



前後裁断してみましょう。

心が作り出したストーリー(人生)が、自分を悩ませたり、苦しませたり、心配させたりしています。

前後を断ち切って、いまに完全に帰ってくれば、あらゆる苦悩から解放されます。



「そんなことをしたら、誰が明日の面倒を見てくれるんだ」


その明日も、『いま』という形で訪れます。

もしいま明日を心配しているならば、明日も同じように明日を心配していることでしょう。



何一つ連続していません。

『いま』は常に独立しています。



これは真実なのですが、すでにストーリーに対して様々な感情が絡みついているので、なかなか受け入れられないと思います。



前後裁断。


このひとつだけでも訓練することが出来れば、あらゆる問題の根っこが解決されます。


僕が何を言っているのか、ちょっと立ち止まって考えてみてください。







   


・・・・・・・・・



【お知らせ】

6月5日(日)

博多いまここ塾(ソロ講演会)は、残り席わずかです。

詳細はコチラから。



5月31日
沖縄いまここ塾

6月1日
沖縄水曜の会   


Posted by Toshiro Abe at 08:57Comments(77)

2011年05月25日

バカバカしい

いつか幸せになろうと思わないでね。

いつかさとろうと思わないでね。


無意識に繰り返してきた、未来に期待する生き方にピリオドを打つんです。


どこまで行っても同じこと。

何が同じかって?

未来に期待している姿勢が同じなんです。


そのトリックに気づくこと。

それが幸せへの、さとりへの、唯一のドアを開いてくれます。



いま自分を取りまいている状況がなんだろうと、その気になればたちどころに幸せになれます。

自分の魂の本質に気づけばそれが起きます。

なぜなら魂の本質は、愛と、喜びと、至福と、感謝でできているからです。


じゃ、どうやって魂の本質に気づくのかって。

その第一歩は、絶え間ない未来志向にピリオドを打って、「いま」に徹底して帰ってくることです。



とりあえず、いま笑っちゃいましょう。



がはははははは




ね、バカバカしいでしょ。

それじゃ、もう一度。




がはははははは




このバカバカしさは、人生よりはマシですよ。

だって、人生はもっとバカバカしいですから。




がはははははは




あー、ハバカバカしい(笑)







   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:03Comments(106)

2011年05月24日

葬儀

家を出て少し歩いたところに大きなお寺があるんだけど、そこで葬儀があって、たくさんの人だかりだった。

看板を見たら、俳優の長門裕之さんの葬儀。


そうか、亡くなったのか。



若いころ、よく麻雀をして遊んでもらった。

毎晩のようにお世話になった。


奥さんの洋子さんにも優しくしてもらった。

当時の僕は自信がなくて、精一杯の虚勢を張って生きていたけれど、そんな振る舞いを若気の至りと許してくれていたのか、本当に二人とも優しかった。



みんな死んでいく。

偉い人も、貧しい人も、みんな死んだら同じだ。



全部この世に置いていく。

人生で得たものすべてを置いていく。



いや待てよ、何を置いていくというんだ。

そもそも、何一つ得ちゃいないじゃないか。


人間は裸で生まれてきて、裸で死んでいくんだ。

その間に、お金やら、財産やら、人間やら、自分のものにしたつもりになっていただけで、自分のものになんかなるわけがない。


全部「つもり」だ。


最初から自分のものなんか一つもないんだから、置いていくものも何もない。



長門さんのことだって、数十年もたてばみんな忘れてしまう。

たとえ歴史に名前が残ったとしても、残るものは大衆が創り出したイメージだけで、本物とはかけ離れていることだろう。


成功の人生も、失敗の人生も、結局・・・チャラだ。



最後はチャラになるというのに、僕たちは何を怯えて生きているんだろう。

人の目を気にして、失敗を恐れて、安全に無難に、いい人やって、自分を抑え込んで生きている。



もし自分の心に正直になって、自由な生き方を始めたとしたら、人は見たいように見て、言いたいように言うかもしれない。


好きに言わしておけばいい。

批判は批判をする人のもので、人生は自分のものだ。


どうせ無になるこの人生。

生きたいように生きてみよう。





今日の記事を読んで、「そうだ!」と同感し、

「よっしゃ、勇気を持って心のままに生きるぞ!」と自分に宣言し、

今日一日奮い立った気分で過ごすけれど、


明日になれば、またいつもと同じ、

人の目を気にして、安全に無難に、いい人やって生きていく・・・


そんなあなたを愛しています(笑)




ま、気楽にいきましょう。




長門さんのご冥福をお祈りしています。







   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:55Comments(93)

2011年05月23日

いま

「いま」はひとつしかない。

しかも「いま」は変化し続けている。


「いま」は固定された物ではなく、動き続ける命だ。

「いま」は名詞ではなく、動詞だ。

だから人は、あの時のいま、この時のいま、というふうに、たくさんの「いま」があったような気になるのだ。



たくさんの「いま」があるように思うと、いまの「いま」と、あの時の「いま」が、同等に見えてくる。


しかし、それは間違いだ。

いまの「いま」は、あの時の「いま」より、圧倒的に価値がある。

そもそもあの時の「いま」など存在していない。

あるのは、いまの「いま」だけだ。

実在は非在より、はるかに価値がある。



ひとつしかない「いま」

しかもその「いま」は常に新しい。


あなたは「いま」、まったく新しいあなただ。

昨日までのあなたと、いまのあなたは、何の関係もない。

あなたがいままでにやってきたことや、考えてきたことと、いまのあなたは無関係だ。

だからいま、あなたはどんな人にだってなれる。



最も尊き者・・・それはいまのあなた。

なぜならば、それだけが宇宙の実在だから。

この宇宙には、いまのあなたしか存在していないのだから。


それを見抜いたとき、夢が止まる。

人生のすべては、自分が作り出していた一人ゲームだったことを知る。

それがゴールだ。

そしてそのゴールは「いま」だ。





いま、まったく新しい自分を感じてみてください。

何一つ引きずらないで、フレッシュな自分を生きてみましょう。




なんて素晴らしいんだ。

自分こそが、宇宙の主だったなんて!






   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:48Comments(81)

2011年05月22日

独り言

気がついたら、もう5年近くやってきたんだな、このブログ。

僕は典型的な三日坊主なのによく続いたもんだ。

たいてい、新年から始めた日記は1月3日で終わってきた。



昨日、久しぶりに過去ログ読んでみたんだけど、なんだか新鮮だった。

一生懸命に何かを伝えようとしている。

そんな情熱を持ち続けてこれたのは、読んでくれる人がいたからだ。

もし誰も読んでくれなかったら、すぐにやめてしまったことだろう。

このブログをやりながら、人間はお互いに生かし生かされているということを何度も感じた。




僕には書きたいことが山のようにある。


でも伝えたいことは「一つ」しかない。

その「一つ」は、どれだけ言葉を重ねても決して届くことがない。


だからこれからも、このマンネリブログは続いていくのだろう。







   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:23Comments(91)

2011年05月21日

時間を超える

「いま」ということについて、もう少し踏み込んでみます。


多くの人は、いままでに無数の「いま」があったし、これからも無数の「いま」があると思っています。

「いま」をぶつ切りにして、たくさん持ち運んでいます。

それが記憶というものです。



昨日の清左衛門さんのコメントにも、率直にそのあたりのことが書かれています。


今は今しかないのはわかるけど。

自分が生まれたのはずっと前の今だし。

自分が死ぬのはずっと未来の今だし。

今は今でも過去と未来はどうしても存在しちゃうなー。




これが、時間という概念から発想する「いま」です。

きわめて多くの人が、このように「いま」を捉えています。

それは根底から覆させなければなりません。



ここがとても重要なポイントなので、しっかり聞いてください。


「いま」は無数に存在するのではなく、ひとつきりです。


いままであった「いま」も、これから訪れる「いま」も、そしてまさに「いま」も、おなじ「いま」であって、それ以外は存在していません。

外側のあらゆる現象が変化し続け(諸行無常)、その記憶を断片的に持ち運んでいるので、様々な「いま」があったように感じるだけで、「いま」はひとつしかありません。


その発見が「時間を超える」ということで、一度それを知れば人生観は大きく逆転します。

「いま」を生きるということがどういうことなのかを理解するのです。

それはとてもシンプルな気づきです。



あなたが瞑想で空(くう)を体験したとしたら、それは10年前の瞑想で体験したのと同じ空(くう)です。

その次元から見れば、いままでに何も起きなかったし、これからも何一つ起きません。

存在は、永遠にして完璧です。



これらのことが実感できようとできまいと、僕らの本質が永遠にして完璧であることに変わりないので、安心してください。

たとえこの現象界で何が起きても、僕たちは最初の最初から救われていて、それは永遠に変わりません。




「ありがとうございます」

そんな心境で生きていきましょう。







     


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(98)

2011年05月20日

いまを生きる

瞑想が深まってくると、静寂の中で時間感覚がなくなります。

空(くう)の次元には時間は存在していません。


現象界にも時間は存在していませんが、人の頭の中には、過去や未来が、まるで実体のように纏(まと)わりついています。

人類が消滅すれば、この地上からも時間が消え去ることでしょう。


人類がいなくなった世界を想像してみてください。

動物たちだけの世界です。

そこに時間はありません。

もし彼らに、「いま何時?」って聞いたら、どんな時も「いま」って答えることでしょう。



時間は、人間の思考の中で生まれます。

思考はその本質からして、過去と未来という素材からできているので、「思考=時間」と言うこともできます。

したがって思考が止めば、時間も止まります。


それが空(くう)の体験です。



空(くう)と共に生きることは可能です。

それが「いまを生きる」ということです。



いまを生きるとは、「いまという瞬間を生きる」ということではありません。

人は瞬間など生きられません。

そもそも瞬間など存在していません。



瞬間とは、どれくらいの時間でしょう。

0.1秒くらいですか。

0.1秒は0.001秒から見たら100倍の長さの時間になります。

10時間も0.001秒も、長い短いはあれ、本質的には同じ「時間」です。


瞬間とは点のようなもので、長さを超えています。

しかし点も瞬間も実体ではなく、概念上の産物です。


いまを生きるというのは、瞬間を生きるということではありません。


いまを生きるとは感覚的なことです。

思考(時間)に巻き込まれることなく、いま起きていることと共にある状態です。


それは存在そのものです。

もはや自分は特定の誰かさんではなく、単にいまここにある目覚めた意識です。

ストレスもなく、不安も悩みもなく、退屈さもなく、限りない命の潮流のなかでイキイキと存在しています。


それが「いまを生きる」ということです。




何事も練習。

瞑想の中でその感覚を理解できたら、次はその感覚のまま瞑想から出てきて生活してみましょう。

その状態が長くなればなるほど、人生はスムーズに展開していきます。




今日も練習しています。











   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:55Comments(70)

2011年05月19日

神さん同士の戯れ事

あなたが、自分の表面に去来する騒々しさから離れ、自己の深層にある静寂に行き着けば、それが答えです。

昔から、その静寂を、空(くう)と呼んで来ました。



それはまるで海の底のような場所です。

海面がどんなに荒れても、海の底は何一つ影響されることなく静かに佇んでいます。


絶え間なく変化する海面を、人は人生と呼んで大切にするけれど、それは起きては消える幻のようなものです。

そこには実体がありません。


海の底は、海そのものとしての実体を持っています。

それこそが本当のあなたであり、不死にして、永遠なる存在です。



あなたの中にのみ真実があります。

それはあなたの心の、ずっと奥のほうにあります。

静寂にして無限の広がりを持つスペースが、「いま」も「ここ」で、あなたとして存在しています。



そしてこの宇宙には、「それ」しかありません。

「それ」が僕であり、あなたであり、すべての生きとし生けるものです。



その発見が、自分が神(全体)そのものだったことを教えてくれます。




神さん同士、気楽にいきましょう。





     


Posted by Toshiro Abe at 09:51Comments(63)

2011年05月17日

考えない練習

言葉の限界を感じながら、こうして毎日書き続けています。

みなさんからいただくコメントも好きです。



ひとつの文章に対して、人の数だけ反応があります。

それは、人の数だけマインドが、そして世界があるからです。


自分が自分本位の世界の中に生きているということを自覚している人は稀です。


みんな自分の世界が正しいと感じていて、自分と違う世界を裁きにかかります。

似た世界に暮らす人とは仲良くなり、違えば敵対したり無視したりします。



住んでいる世界が似ているからと付き合いだした人たちも、時間の問題で相手に違和感を持つときが訪れます。

何から何まで全く同じということはあり得ないからです。


その時人は思います。

「こんな人だとは知らなかった。騙されていた。失望した」



この社会で人々が、表面的とはいえ、なんとか折り合いをつけて暮らしているのは驚くべきことです。

表面的な付き合いだからこそ可能なことなのでしょう。


マインドの特徴は、いつも騒々しいこと、そして疑いや否定がその根底に流れていることです。

その機能が、自分に安全をもたらしていると信じています。




マインドを超えたところに、空(くう)と呼ばれる静寂があります。

マインドは人の数だけあるのに、空(くう)は一つしかありません。


一つしかないので争うことはありません。

言葉や概念も消えるので、疑問が存在することもありません。

それはただ在るのです。



空の次元は僕たちの本質なので、あらゆる人がコンタクト可能です。

もし人類がみんなで、表面的なマインド(自我)を超えて、空を感じながら生きたとしたら、いま抱えている問題はたちどころに消えてしまいます。



瞑想を通して空を実感し始めた人は、次の段階でその空を保ちながら生活する練習をしましょう。

それが悟後の修行です。

あとのことは全部理屈です。


空を生きることが上達すれば、マインドを必要なときにだけ使うことが出来ます。

しかもそれに支配されていません。


このように書くと、難しいことにチャレンジするみたいですが、やってみると意外に上達は早いものです。


完璧にできるわけではないですが、生活の半分くらいはそのような状態でいられるようになります。



すると、やることが正確になり、現実がスムーズに展開していきます。

マインドを浪費していない分だけ、いざというときの発想が研ぎ澄まされるからです。




「考えない練習」は、まさに的を射ています。

前にも触れたように、たった30秒間、耳を澄ましてただ在ろうとしてみてください。


思い出したときに、突然始めるのです。

そうやって、絶え間ない思考の連続性を断ち切りましょう。






     


Posted by Toshiro Abe at 09:36Comments(102)

2011年05月16日

自分を知るということ

自分探しとか、自己知とか、一時期ブームのようになったけれど、実際に一番大切なことです。

仏教が目指すのもそれです。

そもそも仏教は信仰ではなく、極めて優れた人間学と言ったほうがいいでしょう。




自分の身体も、環境も、人間関係も、この世のありとあらゆるものは変化していきます。

どんなに硬そうな鉱物も、悠久の時の中で少しずつ朽ちていきます。

人間の目には見えなくても、いまも少しずつ変化しています。


人が知るものすべては変化していきますが、ただ一つだけ、それを「知る者」だけは常にいまここにあって変わることがありません。

それが自分です。



自分が自分を知るって、おかしな話ですね。

「知る者」が知られるためには、「知る者」を知る者が必要となり、それは限りなく続いていきます。


ついてきてますか?(笑)




実は自分を知るというのは、対象としての自分を知ることではありません。


そうではなく、自分以外の対象を全て取り去って、そこに自分しか残らなくなった時、自然発生的に湧き起こる理解、それが自分を知るということ、自己知です。


道元は、その境地は坐禅(瞑想)によってのみ可能だと説きました。

僕も同感です。


瞑想とは、あらゆる対象を取り去った後に残る本当の自分との出会いです。

そこには意識だけが残り、意識する対象は消え去ります。

まさに自分だけの世界です。


しかし、孤独感や寂しさはありません。

孤独感や寂しさとは、関係性の中に生じる現象であり、関係性が消えれば同時に無くなります。

そこに残るのが「ひとつなるもの」『ワンネス』です。

AloneはAll one にシフトします。

そして限りない感謝と歓喜が存在を包んでいきます。

僕たちはその本質において、最初から最後まで限りない愛に包まれていることを知るのです。



究極的な悟りが、その境地を常に保っている状態なのだとしたら、残念ながら僕はそこにいません。

対象の世界に埋没し、愚かしさを振りまくこともしばしばです。



しかしまた思い出します。


対象を超えた絶対的境地を。



全てが変化する世界にあって、決して変わることのないもの、それと共に生きたいと思っています。




その為には・・・修行だね。



修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、

修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ、



あはは、ヘッドギアのオジサンみたいになっちゃうから、一人でこっそりやります。




すべての存在が幸せでありますように。






   



・・・・・・・・・・・



6月東京いまここ塾の受付は終了しました。

ありがとうございました。  


Posted by Toshiro Abe at 09:31Comments(68)

2011年05月15日

宇宙の家族

毎日メッセージを送り続けているけれど、このようなブログは、何らかの内なる体験や気づきがあった人のためのものだろう。

そのような人にとっては、自分の体験を整理し、より深く理解するためにこのブログが役に立つと思っている。

その体験がなければ、ここの内容の多くはチンプンカンプンだと思う。



でも同時に、目覚め前夜の人たちや、そんな可能性をまったく感じていない人たちにも発している。

この世で生きることが、少しでも楽になって、苦しみが減っていくようにと。


たとえば、あなたという人は、この世界の、この宇宙の、この存在全体の、よそ者ではなく家族であり、宇宙はあなたの全面的な味方だということ。

なにかうまくいかないことがあると、自分が全体から敵対されているような感覚を持つけれど、そうではなく、いつだって全体(宇宙)はあなたの100%味方だということを忘れてはいけない。

その安心感を根底に持つことができれば、いま訪れている状況に対する見え方も変わってくるだろう。


もちろん自分の内側でそれが実感されるまでは、ここで伝えていることは単なる仮説に過ぎないこともわかっている。


でも何度でも言い続けることで、そして違う言い方で同じことを言い続けることで、救われる人も出てくるかもしれない。


そんな微かな期待と共に、こうして毎日ブログを更新している。




札幌は、まだあちこちに桜が残っていて、今年は運よく行く先々で桜が堪能できた。


10年前までは、奥山方広寺の研修所で毎年見事な桜を眺めていた。


向和尚が最近ブログを更新し始めたという。

さっきのぞいたら、懐かしい奥山青壮年研修所の風景に出合うことができた。


風のたより



光陰矢のごとしだね。






   


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6月東京いまここ塾(ソロ講演会)は、残り席わずかです。

詳細はコチラから。  


Posted by Toshiro Abe at 10:13Comments(77)

2011年05月14日

自己創造

みなさん、いつも素晴らしいコメントをありがとう。



スピカさんのコメも素晴らしかったですね。


トラブルは、むしろチャンス

自分は何者であるかを選び直すチャンス



まさにそのとおりと思いました。



いまの自分は、いままでに自分をどう考えてきたかの結果です。

自分のことをどのように捉えてきたのか、どんな自分でありたいと思ってきたのか、自分をどう評価してきたのか、そのようなイメージの集大成によって自分が作られました。

自分(表面的自己)とは、自分(内なる自己)の作品なのです。



僕たちはどんな人にでもなれます。

なぜなら、もともと内なる自己は、どんな人でもないからです。

そしてそれこそが本当の自分です。


その内なる自己を、どのように表現するか、どんな自分として生きていくか、その創造こそが人生で起きていることです。



まさにいま、どのような自分でいるのかを作り出す自由が与えられているなんて、素晴らしいですね。



あなたは、どんな自分でいたいですか。





いま北海道に来ています。

真夏から一気に3月頃に逆戻りした感じです。



今日も多くの人と出会えることを嬉しく思っています。







     


Posted by Toshiro Abe at 09:31Comments(73)

2011年05月13日

いまここ塾

人生に与えられたトラブルを



重荷として立ち止まるのか



学びとして前に進むのか



その違いは限りなく大きい







いま人生が滞って感じている人に書きました。


それは過去の僕自身だからです。





沖縄は梅雨の合間の青空が広がっています。






   



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6月いまここ塾(ソロ講演会)の参加者募集を開始します。



6月5日 博多


6月19日 東京


詳細は上記都市名をクリックしてください。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:09Comments(48)

2011年05月12日

俗世から精神の道へ

100万円持った友人がいる。

しかし彼はそのお金に満足していない。

人生には何が起こるかわからないからだ。

もし怪我でもして働けなくなったら、この程度のお金はすぐに消えてしまい、生活に困窮することになる。



彼は、1千万円あれば幸せになれると言う。

しかし彼がそうなったとき、1億円欲しくなるのは目に見えている。


1千万円は、彼を豊かにすることはできない。

それを持ったときは、彼の中に芽生えた1億円というイメージが彼を貧しくさせる。



1億円あれば、次は10億円だ。

その距離はいつも同じだけある。

その距離の名を欲望という。



あるとき彼は、お金を追求する生き方に幻滅し、もっと自分を幸せにしてくれる道を探し始めた。

そしてめぐり合ったのが、スピリチュアルな世界だ。

ブログを検索し、本を買い求め、彼は新しい道を見つけた。



お金を求めるのは、やめなさい。

神を求めなさい。

さとりを求めなさい。

そうすればあなたは幸せになれる。



彼はその指示に従った。


そしてまた、同じことが繰り返された。

対象は変わったが、彼の基本的態度は何も変わっていない。

あいかわらず彼は惨めなままだ。


とにもかくにも彼は宗教的な生き方を始めた。

そして、何かの拍子に「さとり」を垣間見た。


そのとき彼は思った。

「この体験は素晴らしかった。しかしもっと素晴らしい体験があるはずだ。宇宙全体と一体となるような、歓喜に溢れた本物のさとりが」


こうしてまた旅は続いていく。





あれ?もう9時過ぎちゃった。


さてと、部屋の掃除でもするか。







     


Posted by Toshiro Abe at 09:11Comments(85)

2011年05月10日

幸せと自信

昨日、『僕はいつも幸せを感じている』と書きましたが、あとで読み直してみて、ちょっと違和感を持ちました。

確かにそうかもしれませんが、表現が正確じゃありませんでした。



もし正確に書き直すとしたら、『僕は幸せを感じている』ではなく、『僕は不幸を感じていない』となります。


この世には「幸せ」と「不幸せ」があるのではなく、「不幸せ」と「不幸せじゃない状態」があるだけです。




不幸せとは、現状に満足できず、否定的で、不満や批判が心を支配し、いつかこの欠乏感を満たしたいと渇望している状態です。

でもそれらが満たされれば幸せを実感するかと言えばそうではなく、満たされた状態が当たり前になるだけです。


お金が無い人は、お金があれば幸せになれると思いがちですが、お金があればその状態が当たり前になり、ことさら幸せを感じるわけではありません。


「幸せ」とは、不幸せな人が作った幻想です。




それはちょうど「自信」のようなものです。


自分に自信がない人は、自信が欲しいと言いますが、自信なんてどこにあるのでしょう。

得意なことに対する自信はあるでしょうが、自分自身に対する自信など存在しません。

自信も、自信がない人が作った幻想です。



猫を見ればわかるでしょ。

(ちなみにこの沖縄の家には、猫が6匹も住んでおられます)


猫は自分が猫であることに自信を持っていますか。

もし自信がある猫がいたら気持ち悪いです。


でも自信のない猫もいません。

猫はただ猫をやっています。



僕も、ただ僕をやっています。


不幸な気持ちは消えました。

自信のなさも消えました。


怒ることもあれば、イライラするときもあり、悲しいときもあれば、反抗的なときもあります。

そのおかげで、感謝や愛に包まれたとき、喜びを感じます。

もしネガティブ性がなければ、ポジティブな喜びも実感できません。



だから、どこまでいっても同じこと。

僕たちは、あいかわらず僕たちであり、それでいいのです。



しょせん人間稼業。

これから先も、ただ起きることが起きていくだけの話です。




深刻にならずに、のほほんといきましょう。




どこまでいっても同じこと。


ただこうして、いまがあるだけです。







   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:53Comments(88)

2011年05月09日

人生とは、いまを生きること

今日は久しぶりに沖縄に帰れます。

と言っても12日には北海道に行って、そのまま月末まで帰れないので、3泊4日の沖縄旅行みたいな感じです。



明日のボブさんとの「いまここ塾」が楽しみです。

誰でも入れますから気軽にいらしてください。



ボブさんとの2週間はあっという間の出来事でした。

いい先輩に出会えたことを感謝しています。


昨日夕飯を食べながら彼にこう言いました。

「僕には、将来こうなりたいとか、こうしたいとかの願いは何もない」


すると彼は言いました。

「me too」


もし時代が必要としてくれるならそれもよし、そうでないならそれもよし。

天の思召すままに。


これが偽らざる心境です。


何がどうなろうと、いまやることをやっていくだけだし、起きている出来事に関係なく、いつも十分な幸せを感じています。



だからと言って欲がないわけじゃありません。

その時やりたいことがあればやるし、欲しいものがあれば手にします。

それも含めて流れのままにです。


どっちに行っても同じこと。

人生とはいまを生きることなのだから。



来月のいまここ塾講演会は、博多(6月5日)と東京(6月19日)を企画しています。

地方では久しぶりのソロ講演会。

なんだか新鮮な気分です。


後日詳細をお知らせします。




明日は沖縄の自宅から発信します。

またお会いしましょう。




博多のホテルにて








   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:43Comments(46)