2018年06月30日

なんじゃ、こりゃー!!!

今日の記事はどうでもいいことだから、読まなくていいです。


だったら書くなって(笑)



昨夜のWEBトークで話し足りなかったことを今日のブログに書こうと思ってPCの前に坐ったら、天河に近いある所からメッセージが飛び込んできた。


そのせいで、僕の頭は完全にそちらに向いてしまった。


書きたかったことは大事なことだったんだけどなァ



さて、いま僕の頭の中はと言うと・・・うん、まずはヒンズー教の叙事詩「マハーバーラタ」に出てくるアグニという火の神のことから話そう。


アグニが、とある奥さん7人に恋をしたんだけど、何せ相手は他人の奥さんだから想いを我慢していたんだって。


7人もかいな!?

って話は置いといて続きを話そう。



そんなアグニに恋していたスヴァーハーという女神がいて、これ幸いとその7人の奥さんに次々と化けて、アグニと愛を交わすんだ。

ちなみに6人まではうまく化けたけど、最後の一人は失敗したとか。


でもそうやって6回の性行為で得た精液を使って産んだのが6つの顔を持つというスカンダ。


しかも話は複雑で、この性交時に、アグニにはシヴァ神が乗り移っていて、スヴァーハーにはパールヴァティが乗り移っていたから、スカンダは、シヴァとパールヴァティの子供とされているわけ。


話についてきてる?


すでにシヴァとパールヴァティには子供がいたから、このスカンダは次男ってことになる。

ちなみに長男の名はガネーシャ。

僕がよく話に出す聖天さん。


次男のスカンダは、日本では韋駄天さんと呼ばれている。


どちらも天河神社を取り囲む重要な神様で、聖天さんと韋駄天さんを結ぶ遊歩道ができたらいいななんて考えているんだけど、実は韋駄天さんにはあまりお参りしてこなかった。

それが最近になってお参りさせてもらうようになって、先月、韋駄天の祠に落ちていた木の種を拾って家に持ってきていた。


そして今月になって、子供のころに東京の親戚の家の近くにあった思い出のお寺に、ふと立ち寄ったら、なんとそこは韋駄天さんを大々的にお祀りしている寺だった。

子供のころは気にもしなかったから驚いた。


ここは韋駄天さんだったのか!!


調べてみたら、韋駄天さんを大きくお祀りしているお寺は他にほとんどない。


長く生きてきたのに、ちゃんと韋駄天さんにお参りしたのはこれが2度目だ。

それが一か月で立て続けに起きた。


不思議なこともあるもんだと思っていたところに、今日の電話メッセージ。


しかも韋駄天さんから僕にメッセージを伝えるように言われたという電話だった。



「なんじゃ、こりゃー!!!」(松田優作ふうに)



しかもそのメッセージを感得してくれた人は、最近の僕と韋駄天さんのことを全く知らない。


先日ここでも紹介した、弁財天からのメッセージをくれた人で、プライベートなことについても絶対知りえないことをズバズバ当てるから一目置いている。


今回のメッセージ内容は天河に関するもので、僕個人へのものだからここには書かないけれど、ちょっとした偶然の一致があったことのご報告でした。





何だか知らないけど、展開が早いんだよな最近。

何だか知らないというのは本当の気持ちで、僕は神様について何もわかっていない。


でも不思議なことが起き続けて、最近は天河の宣伝マンみたいになってきた。


自分の意志じゃなくて、完全に運ばれている感じだ。




弁天さんと、国常立さんと、聖天さんと、韋駄天さん。



なんだか役者がそろったなァ。






  


Posted by Toshiro Abe at 14:35Comments(31)

2018年06月29日

ドキュメント番組

NETFLIXのドキュメント番組が面白い。


たとえばビートルズの未公開映像や、OSHO(バグワン)の活動の検証。

OSHOについては、信者でもなく、アンチでもなく、実に中立な視点から制作がされていて驚いた。



他には、トムクルーズやジョントラボルタらがハマっている新興宗教。

一見知的な俳優陣が、語る価値もないような宗教にハマっていく姿が奇妙で興味深い。



ヒッピー文化を牽引したハーバード大学心理学部教授のラムダス。


彼の著書

「BE HERE NOW!]

は70~80年代のバイブルだった。


そんな彼の最近のドキュメント映画があった。


半身不随のなかで時折見せる喜びに満ちた顔。


でも最初の5分で見るのをやめた。


だってその中で彼は

「人生は夢だ」

と言い切っていたから。



まさにそのとおり。

これ以上のメッセージはいらない。


若いころに知った彼は雲の上のような人だったけれど、いまはまったく同じ位置にいる。


誰も進んでなくて、誰も遅れていない。


それは彼が一番よく知っていることだろう。







いろんな時代にいろんなメッセンジャーがいて、同じ言葉を残して死んでいく。


自分もそんな端くれになれたことを喜んでいる。



アメリカ政府は危なっかしいけれど、このような番組を作るアメリカはすごいと思う。







  


Posted by Toshiro Abe at 15:45Comments(26)

2018年06月28日

高次文明からのメッセージ

YAMAKOさん

文章を書くがとても苦手なんですが、どうしても気になることがあったので書いてみました。

マントラの伝授をうけて、毎日瞑想していて心身共にとてもいい調子だったのですが、最近バシャールのメッセージの動画をみまして、すごく動揺して苦しくなりました。

その内容は日本は5年ないし10年の間に大きな災害が起こるようなことが書いてありました。

ワクワクで行動している人と自然と調和している人以外は流されると。


忙しくて忘れていてもふとしたときに思い出して苦しくなります。

高次文明からのメッセージと書いてありました。

このメッセージを阿部さんはどうお考えになられますか?




バシャールについてはその昔、本を2,3冊読んだくらいであまりよくは知りませんが、いいことを言っているという面と、ファンタジーを出しすぎている面の両方があるというのが印象でした。


そのうえであなたが書いてくれた内容ですが、直接本人から聞いたわけではなく、どんな文脈でこのような言葉が出てきたのかもわからないので何とも言いようがないのですが、このままのことを言ったということを前提で書いてみます。



まず最初に言えるのは、どんな内容もその人がその人の宇宙観の中で感じていることであり、その人にとっては正しいということ。

それを共有するかどうかは受け手のセンスにゆだねられます。


僕なら完全拒否して、家で寝てますけどね。



ワクワクしていない人や、自然と調和していない人がみんな流されるような大惨事が起きるというのであれば、1000万単位の人が被害にあうことになります。


このような不安に訴えるメッセージは、ただでさえ不安を抱えた人の心に届きやすいので危険です。

あなたが苦しくなったようにね。


もしみんなにワクワクしてもらいたいたいとしたら逆効果です。


火山列島ですからこれからも地殻変動は起きるでしょうが、このような大惨事を予言して、もし外れたとしても、その責任を取った人を知りません。




そういえば2012年にはマヤ歴が終わるから、選ばれた人だけが助かるみたいなことを言った人がいましたね。

いまだにそんなことを言う人もいます。


きっとその人たちは、魂にはレベルがあると思っているのでしょう。

そして言っている本人は、そこそこのレベルにいるようなつもりなのかもしれません。


表面的にどう見えたとしても、すべての魂に上下などありません。

そもそも、全体から分離した個別魂など存在していないのですから。


すべては変化していて、心も膨張したり収縮したりしているので、ある時はワクワクし、ある時はふさぎ込んだりもします。


愛にあふれている時もあれば、冷淡な時もあることでしょう。


だって生きているのだから。



まさにいま、何が表現されているかだけの話です。








とても大切な話をしましょう。


いいですか。


耳の穴ををかっぽじってよく聞いてくださいね。



まさにいま、いまあるがままのあなたが、

そのままで

ブッダなのです。



いまのあなたに、何一つ付け加えなければならないものもなく

何一つ取り去らなければならないものもなく、


まさにいまそのままのあなたがブッダそのものなのです。


あなたがこの真実を見出した時、きっと大笑いすることでしょう。

いったい誰になろうとしていたのかってね。



多くの人は、釈迦は人間を超えた特別な存在だと思っています。

そして自分が悟ったときは、自分も普通ではない特別な存在になるはずだと。


そうやって、いまではない特別なものにあこがれるのです。



まさにいま、あるがままのあなたがいる。


それでいいのだ。



今日はアベッチを通して、超高次文明からのメッセージをお届けしました(^o^)






  


Posted by Toshiro Abe at 10:15Comments(67)

2018年06月27日

本当の安心感

もしあなたが、絶対に安全な部屋にいたとして、その部屋のベッドで眠っていたとしましょう。

そこであなたは危険に満ちた夢を見ています。


周囲のすべてが変化し続けていて不安定な夢です。

何一つすがりつくものもなく、あなたは一人で怯えています。


少しでも安心できるようにと、多くのものを獲得し、沢山の人間関係を作り、身の防壁を高くしてきましたが、それでも確実なものは何もなく、この先も自分で自分を守っていかねばなりません。



夢は今日も続いています。

生き残るための奮闘はいまも続いているのです。


そんなあなたが本当の安心感に包まれることは決してないでしょう。

何かがうまく行き始めても、何かにほころびが生じるからです。


いったいどうしたらいいのか。



そんなあなたに伝え続けてきました。

大丈夫、単に夢を見ているだけだからと。


いくらそんな風に言われたとしても、日々の生活はあまりにもリアルで夢のようには感じません。


これが夢などとは、無責任な暴論にさえ聞こえます。



ところがあるとき、一筋の洞察が訪れます。


それは鏡を見ていた時のことです。


「鏡に映った顔は誰の顔だろう?」


まぎれもなく自分の顔だ。



でもここに映っているのは自分じゃない。


映っているものを見ているのが本当の自分だ。



見ているもの自体が本当の自分だと気づいたとき、自分だと思っていたものが違う次元にジャンプします。

そしてその瞬間、いままでずっと安全なベッドで眠っていたことに気づくのです。



「な~んだ、そうだったのか」



そのあと、また夢は続いていきます。

でも一度真実を見たならば、夢の続きに深刻さはありません。







同じような話ばかりでスマン。


でもこれしか話したいことがない。



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【お知らせ】


7月の瞑想伝授の予定です。


沖縄は直前のお知らせになってしまいました。

どうぞお越し下さい。


沖縄 7月1日(日)


東京 7月21日(土)


コチラから





  


Posted by Toshiro Abe at 13:59Comments(32)

2018年06月26日

川のほとりで

いつもここに来てくれてありがとう。

何かのご縁でこうして触れることができることに感謝します。



前回の記事に、思考のストーリーから抜け出る話を書きました。

もしこのことができるようになれば、鬱だとか、苦悩だとかはどこかに消えていきます。


単純なことではありますが、とても大切なこと。


だから今日は、もう少し続きを書いてみます。



ふと目覚めた深夜の時間帯、思考の世界に取り込まれてなかなか眠れなくなってしまったのですが、これは久しぶりの体験でした。

昔は、いつも思考の世界に生きていたので気づきませんでしたが、いまはそうではなくなったから、そのような時間がコントラストのように分かるようになったのでしょう。



だからと言って思考の世界が消えたのではありません。


空に雲があるように、川に水が流れるように、マインドには思考が流れています。

これは当たり前のことです。






何が変わったのかと言えば、ちょうど岸辺に腰かけて川の流れを見るように、思考や想念に巻き込まれなくなったこと。

想念はここにあり、それは勝手に動き続けています。


川の流れに干渉する必要がないように、想念の流れに対しても邪魔をする必要はありません。


それらの動きに許可を与え、無関心になること。

言葉で表すとしたら、これが実際に起きた変化です。



流れに無関心でいれば、その流れは次第に力を失い、やがては思考が減っていきます。

すると、思考を使いたい時だけ使うことができるようになります。



いまだって思考を使いながら書いています。

思考は邪魔者ではなく、この世を生きるために、そして他者とコミュニケーションをとるために必要な道具です。


思考が重荷なのではなく、不必要な思考が重荷なのです。

不必要な思考が人の心を曇らせ、あるがままを見ることを妨げ、人生の苦悩を作り出していくのです。


そして時間の問題で、人は苦悩の世界に暮らすことになります。



思考の流れの岸辺に坐ること。


それが瞑想のアートです。



今日も読んでくれてありがとう。



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【お知らせ】


天河での「再誕と新生のワーク」の募集を開始します。

これが3回目となりますが、年内はこれが最後です。


天河にとっても今年は節目の年であり、いろんな意味で新たな人生に向けた契機になるかと思います。


9月7日~10日

詳細はコチラから。







  


Posted by Toshiro Abe at 12:07Comments(42)

2018年06月24日

魔法の言葉

昨日は夜中に目が覚めてしまって、なかなか寝付けなくなった。

ホテルのベッドが身体に合わなかったのかもしれない。


おかしなもので一度目が覚めてしまうと頭がフル回転しだす。

昼間以上に、思考が織りなす物語にどっぷりと浸かっている。


そんな時、

「待て待て、これは思考の世界であって、真実じゃない」

などと言い聞かせても、あまり説得力がない。

聞いているのが思考の中の自分だから。


これって、普段からこのようなメッセージが人に届かないのと似ていると思った。

受け手の状態が思考の物語に浸りきっていたら、本人にすればその世界がリアルになっていて、「それは夢だ」なんて言われても、バカなこと言うなって感じだろう。

にもかかわらず、この先も同じことを伝え続けていくのだから、因果な性分ではある。ーー;



さて、そんなふうに目が冴えて、あれやこれやと考え始めた自分。


あの人はどうだとか

この問題はどうだとか

こうすればどうなるとか

ああすれば良かったとか


ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ。。。


ストップ!


ああすれば良かったと言って、後悔の世界をグルグル回るのはもう卒業したはずだ。

その時振り返っている現実は、現実のように見えるけれど、そんなものはどこにもない。


「いま単に、そういう思考が沸いただけのこと」


そうだ、これだ。

思考の世界をリアルなものとして、その世界に浸り始めた時、そこから抜け出させてくれる魔法の言葉がこれだ。


瞑想をして思考との距離を作りながら、また呟いた。

「いま単に、そういう思考が沸いただけのこと」


でもって、この言葉を何度も言い聞かせていたら、次第にその世界から抜け始めた。



身体を起こしてカーテンを開けてみた。

窓の外には深夜の中洲の街が広がっている。

屋台も店じまいして、静まった川沿いの道を、男が一人歩いていく。


いまもただ、あるがままに世界はある。

ただそれだけがある。



一夜明けて、今朝の博多は抜けるような青空だ。

また今日も、起きることが起きていく。


ただそれだけがある。











  


Posted by Toshiro Abe at 09:40Comments(52)

2018年06月23日

難しいことなんか何もない

唯識の紘(横山紘一)ちゃんは、「ー人一宇宙」という言葉を残しています。


宇宙とは、客観的存在として外側に広がっているのではなく、各々が心の中で作り出しているものであり、一人一人が宇宙の創造主だという意味です。

したがって誰もが人生を創造することができ、いまも知らず知らずに自ら創造しています。


これは創造の法則の基盤であり、この真実をもとに法則を提示して来ました。



さてその結果、我々はどんな人生を作り出していけばいいのでしょうか。

それはそれぞれの個性によって違いますが、共通することもあります。


紘ちゃんは言います。

つまるところ

「すっきり、さっぱり、さわやかに」

生きいることだと。


難解な唯識学の第一人者が、結論として言うのが

「すっきり、さっぱり、さわやかに」


難しいことなんか何もない。

これ以上の生き方はないのだから。



実は、禅も同じです。

なんとなく敷居が高くて難しそうな顔をした禅ですが


つまるところ、修行を通して行き着く境地は

「こだわりのない素直な心」

に尽きるわけです。


ね、どうってことないでしょ。


すっきり、さっぱり、さわやかに

そして

こだわりのない素直な心



どちらも僕たちみんなが子供の頃に持っていた。

しかも、それらはいまもなくなっていません。


ただそんな心の上に、ゴタゴタといろんな思いを被せて来てしまっただけのこと。

したがってやるべきことは、

祓え給い、清め給え


みんな元々は神の心を持って生まれて来たんだし、いまもそれは変わらないのだから、そんな自分で生きるとしましょう。


難しい顔より、ほがらかな顔が好きだ(^ ^)



今日もいい日でありますように。



かんながら




  


Posted by Toshiro Abe at 10:10Comments(27)

2018年06月22日

夢を見ている者

今世も、前世も、前々前世も、すべては夢のようなものだというのは分かってきました。


しかしすべてが夢だとしても、その夢を見ている者がいます。

でなければ、夢であれ現実であれ、それらを認識することが出来ないからです。


ではいったい誰がその夢を見ているのか。



唯一確かなことは「私はいる」ということ。

このことだけは誰も否定することができません。


いることだけは確かです。

でなければ、いまこのブログを認識することもできないでしょう。



しかし、いるのは「私」ではありません。

いるのは私という個人ではなく、ただいるということがだけがあるのです。


それを宇宙意識、全体意識と呼んでもいいでしょう。

ただそれだけがあり、それ以外は存在していません。



いまも、ありとあらゆるものを有らしめていて、それが、「私はいる」ということとして現れています。


その宇宙意識が、70億もの夢を同時に見ている。

そしてそれらの夢のひとつひとつが、「私はいる」と宣言しているのです。


「私」とは、夢の中で思考が作り出したメインキャストとしての登場人物なのにね。






さて夢の中の登場人物である「私」が、これは全部夢だという情報を得ました。


夢から覚めれば苦悩が終わる。


夢から覚めれば本当の至福が待っている。



それを知った「私」は、夢から覚めるために全身全霊で頑張りました。


しかし何をどうやっても夢から覚めることができません。


それもそのはず。

目覚めようとしている当の「私」が、そもそも夢なのだから。



したがって、目覚めるのはあなたではなく、

宇宙意識、全体意識が、「あなたという夢」から覚めるのです。



そうなると、70億回の目覚めが必要だと思うかもしれません。

しかし実際にはたった一回で十分です。


なぜなら70億人という数字も夢の中で認識していることであり、宇宙があなたという夢から覚めた瞬間、すべてが目覚めるからです。


何を言っているのか分かりにくいかもしれませんが、これは経験的に理解することです。



ここで伝えたいのは、あなたという存在は、あなた個人のものではなく、全てを包含している偉大なる存在そのものだということ。


あなたが全て。


あなたが宇宙。


あなたが神。



「汝、それなり!」



これは思想を語っているのではなく、この世における唯一の真実です。

あとのことは、夢の中で作り出したイマジネーションに過ぎません。


あなたの真の姿は、目覚めた全体意識なのです。



信じられなくても大丈夫ですよ。


信じようと信じまいと救われているから。



だから思いきり夢を生きましょう。


それでいいのです。



本当のあなたは何一つ罪を犯していないし、何一つ傷ついていないし、何一つ汚れてなんかいません。


本当のあなたは、ただただ無限の祝福の中にいます。



いまもね(^_-)-☆





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【お知らせ】


「創造の法則・仕組みと実践」

博多 6月24日 



「再誕と新生のワーク in天河」

9月7日、8日、9日、10日。

(年内最後の開催です)


週明けからお申込み受付を開始します。







  


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2018年06月21日

過去世の話

今日は、あまり話してこなかった話をしてみます。


このような話は一部の人の反感を買うので、あまり直接的にはしてきませんでしたが、

7月に開催する奥平亜美衣さんとの

引き寄せの法則「続・続・奥義直伝と人生のシフト」

の布石にもなるので書いてみます



人生の中で最も深い洞察を得た時の話です。


その瞬間に確信したことは無数にありますが、その中の一つは、それまで現実だと思っていた人生の全てが幻想だったということ。

人生とは夢そのものだということ。

それは、夜見る夢と同じくらい完全に夢だったのです。


誰か他の人のことじゃないですよ。

まさに、あなたが自分の人生だと思っているこれのことです。


だからと言って悲しがったりする必要もありません。

ただ事実を知るだけの話だから。


ここまでは何度も講演等で話をしてきました。



今日話したいのは、同時に湧き起こったもう一つの洞察についてです。

それは何かと言うと


このような人生の夢を見たのは、今回が初めてではないということ。

数えきれないくらい、繰り返し繰り返し夢を見てきたということ。


それを過去世と呼ぶ人もいます。



でもしょせん夢は夢。


だから過去世を口にする人たちに対して、そんなものは存在しないという立場をとってきました。







いまのこの人生が夢だということがピンと来なくても、過去生が夢だということは何となくわかりますね。


だって当時あんなにもリアルに感じていた人生は、いまはどうなりました?


あんなに愛した人や、家族や、友人達はどこに消えた?


眠れないくらい心配した出来事はどこにいったのか。


打ちのめされたことの数々、裏切りや、絶望や、苦悩を背負いながら生きた日々。


そしていつの日か、いつの日かと、追い求めていた幸せはどうなった?


みんな夢のように消えてしまいました。



その人生で一番大切だった人と、たとえ悲惨な別れがあったとしても、いまのあなたは何一つ傷つくことはないでしょう。

同じように、いまの人生で抱えている全てのことは、次の人生になってみればどうでもいいことです。


その時も、いまと同じように新しい問題や苦しみを背負って、いまはまったく知らない人たちと愛しあったり敵対したり、たくさんの物語を創り出していることでしょう。


その時のあなたから見れば、過去生(いまの人生)で抱えていた問題などどうでもいいことです。




このことが解ると、人生はたちまち軽くなります。

あとは、いかに自由に夢を作り出していくかです。


それが創造の法則であり、引き寄せの法則なのです。



これらの法則を使いこなす秘訣は、人生(夢)を遊び心で捉えること。

深刻に生きるのではなく、大らかな気持ちで生きること。


それを奥平亜美衣さんは、「良い気分で生きる」と言います。



まさに我が意を得たり。

そんな基本的な態度が、人生(夢)をよりスムーズに快適にしてくれるのです。


この阿部という現象は、とっくにこのことに気づいて、ほらこんなに気楽に生きていますよ(^^)



くどいようですが、この風味を培う一番の妙薬は瞑想です。

亜美衣さんの師匠である、エイブラハムという謎の意識体(?)も、瞑想を強く勧めているようですが、まったくもってその通りです。


瞑想はみんなにやってもらいたいので、いまはお金も時間もなくて習いに来られない人のために、WEB瞑想会を誰もが参加できるようにしようと考えています。


もう少し待ってください。





あなたの今日が、良い一日でありますように。




・・・・・・・・



【お知らせ】


7月22日 東京

奥平亜美衣&阿部敏郎

「続・続・奥義直伝と人生のシフト」


お申し込みはコチラから






  


Posted by Toshiro Abe at 09:26Comments(49)

2018年06月19日

レレレ

ガネーシャマントラや創造の法則を提供するようになって、多くの人が自ら豊かになることを妨げていることに気づきました。

それは、精神性が高い者は清貧に生きるはずだという観念からきているようです。

本人はそういうことは解決したと思っているのですが、ひとたび刷り込まれた観念は、そう簡単には消えてくれません。


このような観念を持つに至った理由は沢山あったと思います。

イエスも仏陀も何も持たなかったとか、目覚めれば欲が無くなるという話が、まことしやかに伝わってきたことの影響もあるでしょう。

お金に対して自然体になれない出来事があったのかもしれませんし、心のどこかに被害者意識のようなものがあるのかもしれません。



少し極端な例になりますが、80年代に西洋の精神世界に大きな影響を与えたOSHO(バグワン)は、ロールスロイスを90台持っていました。

彼がロールスロイスを好きなことを知った信奉者が、次々とプレゼントした結果です。


さらに彼はダイヤモンドの時計をこよなく愛していました。

美しかったからでしょう。


でもそれは、アンチにとっては格好の批判材料でした。

その批判は、多くの人が持つ「聖者は清貧を生きるはずだ」という大衆的観念に一致し、彼が迫害される理由の一つとなりました。



実際には、精神性と貧しさは何の関係もありません。

目覚めた後、最小限の生活を選ぶ人もいるでしょうし、OSHOのように何のこだわりもなく好きなものに囲まれて生きる人もいます。


みんなが特定のキャラになっていくわけではありません。

目覚めることによって変化があるとしたら、よりその人らしくなり、個性が際立ってくることではないでしょうか。


中にはオシャレなファッションセンスを発揮する女性もいます。

たいていの場合は華麗に着飾った人より、化粧っ気がなく、シンプルな麻の服でも着ていたほうが精神性が高く見られがちですが、彼らはどう見られたいかより、どうしたいかを選ぶのです。


もし貧しさが精神性の高さの証明なら、貧しい人を救う必要もないし、むしろ貧しさを奨励したほうがよくなります。


これはまったく馬鹿げた話ですね。







心の歪みを直して自分らしくイキイキとなれば、そこに豊かさが付いてきます。

豊かさは無限にあり、誰かの富を奪わなくても各々が創造していくことができるのです。


本当の精神性は、豊かさをもたらします。

なぜなら豊かであろうとすることが、存在の本質だからです。


自分に素直に生きましょう。

そして自分のセンスに応じた豊かな人生を送っていきましょう。



微力ながら、そんな生き方へのサポートをしたいと思って生きています。








  


Posted by Toshiro Abe at 10:01Comments(45)

2018年06月18日

ラッキー!ラッキー!イェーイ!!

紘(横山紘一)ちゃんと僕は、一見全く似ていないけれど、お互いにドキッとするくらい共通点がある。


そのうちのひとつ。

昨日見つけたこと。


二人とも、お箸を持てない。

同じような変な持ち方をしている。


しかも、食べたものをこぼす!!

こぼし方まで同じだ。



会ったばかりなのに、奇妙に心が繋がっている。

たぶん心の中では、お互いに相手を変人だと思っていて、そのぶん余裕があるのだろう(笑)


紘ちゃんは世界的な大学者で、アベッチは無位の遊び人。


紘ちゃんは武道の達人で、アベッチは運動センスがゼロ。



社会ではそういうことで人を評価するけれど、見出した真理があれば上も下も無くなってしまう。


だってみんな

おんなじものでできているのだから。



命は一つ。

存在の源は一つ。

上も下もあるものか。



もしあなたが、無人島で一人で暮らしていたら

そのときあなたは、


いい人だろうか、悪い人だろうか。


偉い人だろうか、しょうもない人だろうか。



そう考えると笑えてくる。


みんな自分でいいんだ!


がはははは







そういえばアベッチは劣等生のくせに、どんな人と会っても物おじせずに生きてきた。


それはたぶん、子供の頃から母が僕に


「あなたは凄い!」

って言い続けてくれたからだと思う。


なんの根拠もないのに、そう思わせてもらえたのは幸運だった。




人生の秘訣は自分を信じることと、


ほんの少しの勇気と、


ほんの少しの愛。



多くの人は難しく考えすぎているように見える。





さて今日もいい気分で過ごすとしよう。


奥平先生、アベッチはここだけはまじめにやっています(^^)







  


Posted by Toshiro Abe at 12:52Comments(19)

2018年06月17日

これだけ(^^)

最近は少しずつ瞑想が理解されてきましたが、以前は様々な誤解が蔓延していました。


たとえば

「瞑想は現実逃避ではないか」

というもの。


実際は真逆なのですが、これを説明するのは難しい。


なぜなら多くの人は、自分が生きている人生物語を「現実」だと信じ込んでいるからです。

まさか思考が作り出したフィクションなどとは夢にも思いません。






本当の現実とは何でしょう。

それは、いまここにこうして「在る」ということ。


物語以前の純粋生命。

天地一杯に目覚めた純粋意識。


これだけが現実です。

したがって瞑想とは、幻想から現実に戻ってくる時間なのです。


ところが人は幻想から目覚めるとすべてを失ってしまうような気がしてしまいます。

特に、何かとの関係という幻想を手放してしまうと、一人であるということに向き合わなければなりません。

それは恐怖なので、幻想の世界に忙しく埋没していくのです。


そんな生活のほうが、現実逃避と言えるでしょう。



この事実は、真に勇気を持った者だけが見ることができます。


たくさんの汗や涙を投資してきた人生が、いまさら幻想などと認められる人は稀です。

もちろん心のどこかで誰もが真実を知っているのですが、無意識に見ないふりをして生きていきます。




本当の本当を言えば、何も起きていません。


ただ、いまがあるだけ。



これだけ(^^)




阿部という現象は、この真実を知ったことで心底救われました。


だからおせっかいにも、こうして毎日メッセージを綴っています。




今日もいい日でありますように。





・・・・・・・・・



【博多のお知らせ】


そんな空性を知った上でいかに生きていくか。

本当は誰もが自由自在に生きることが可能です。


全国で展開してきた「創造の法則・仕組みと実践」

来週は博多で開催します。

6月24日 14時


博多でのハートマントラ伝授は

6月23日 11時


マントラ瞑想(NIKE瞑想・FF瞑想)の経験者には、スロートマントラとガネーシャマントラの伝授があります。

スロートマントラ

6月24日 10時


ガネーシャマントラ

6月22日 15時半







  


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2018年06月16日

見えない地図

文章は伝えたいことの何割くらいを伝える力があるんだろうか。


僕の文章力の問題はあるものの、昨日書いた記事を心底理解したとしたら、それだけでその人の人生は大きく変わってしまうだろう。


本当に伝わった人は僅かだとしても、こうして残しておけば、誰かが何かのタイミングで気づき、その気づきが自分だけのものでなかったことを知って安心してくれるかもしれない。


そんな密かな喜びを胸に、まるで宝の地図を見えないインクで書き残しているような心境だ。






この地図を必要とするのは、それまで与えられていた人生マニュアルに辟易とした人だろう。


「うんざり」が新しい旅への招待状であり、こうしていまあなたが招待されている。


え?うんざりしていないって?(笑)

だったら、うんざりしてから、また来て欲しい。


その時はここに綴った文字たちが、いま以上にあなたに浸透していくことだろう。



新しい旅は、最初の一歩が最後の一歩となる。

なぜならこれは、どこにも行かず、何もしない旅だから。


どこにも行かないがゆえに、すでに行き着き、

何もしないがゆえに、すべてを成し遂げている。



未来が存在しないことを完全に見抜いている人はどれくらいいるだろう。

知識としては知りながら、やっぱり未来に向かって生きている人が大半ではないだろうか。



未来の不在を見抜いた後も人生は続いていく。

いままで通り起きることが起きつづけて、やることをやっていく。


見かけ上は見抜く前と何も変わらない。


違いがあるとしたら・・・気楽さだろうか。


でもこの気楽さは、何ものにも代えがたい。



何かに成ろうとしないこと。

何かに成ろうとすることが、また以前の生き方にあなたを向かわせてしまう。

そしてあるはずもない幻のゴールに向かって歩き始めることになる。


そのゴールが、名声だろうと、悟りだろうと同じこと。

いまではない何かを目指していることに変わりはない。


やっぱり瞑想は大切だと思う。



大丈夫、

気楽に行こう(^^)



なんだかんだ言ったけれど、今日も読んでくれてありがとう。




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【お知らせ】


昨日さとうみつろう君から電話があった。

京都福知山にある、元伊勢三社の外宮の屋根を直すためのチャリティーコンサートをするのだと言う。

しかも急な話で明後日の月曜日。


どうしてそうなったかは彼のブログを読んで欲しい。

人生はこうしてハプニングの顔して起きていくのだと思う。


みつろうブログ




  


Posted by Toshiro Abe at 09:32Comments(30)

2018年06月15日

覚醒

すべては変化していきます。

あなたの外側のあらゆる現象も変わり続けているし、自分の肉体も心も変わり続けています。


あなたが認識できるもので、同じままであるものは何一つありません。


すべては変わり続けているので、変わらないようにとしがみつけば苦しみが生じます。

ここが人生ゲームの厄介なところ。


最愛の子供や親兄弟や、親しい人やペットとの別れ。

何ひとつ留まるものはありません。

最後は必ず別れなければなりません。



じゃ、どうしたらいいんでしょう。


簡単に言えば、

変化を認め、変化と共に生きること。



社会を捨てて出家しようと、どこへ逃げようと変化はついてくるのだから、変化と闘うのではなく、変化を信頼し変化と共に生きるのです。

現象界の動きに抵抗せず、完全に流れに身を任せた時、もはや変化は苦しみではなくなります。


そして突然の閃きが起きます。

それは、変化の中にあって、何一つ変化しないものの発見。



その発見はサレンダーした時に起きます。

完全に寛いだとき、100%リラックスした時に内側から訪れる洞察です。


わずかな葛藤でもあれば、内側にある不動の中心は見えません。

その不動の中心が、永遠の命であり、いまここです。


そしてそれが、本当のあなた。



あなたが知るものの中に変化しないものはないけれど、

それを知る者だけは変化せずに在り続けています。






あなたは子供の頃のあなたを知っています。

でもその子はいまのあなたとは関係ありません。


肉体の細胞はすっかり入れ替わっていますし、心の中身も変わっています。



でもあなたは、自分が子供の頃の写真を取り出して

「これは私だ」

と言うことでしょう。


なぜなら、子供の頃もいまと同じようにして自分を見ていた者がいたから、その子供が自分だと知っているのです。


そしてその者はいまも同じようにあり続けています。

これからもずっとね。



あなたの死さえも見届けることでしょう。

その時、死にゆく自分と同化しているのと、それを見ている者であるのとでは全く違います。



見ている者であり続けること。


それが覚醒です。



そこに至る第一歩は、流れを受け入れてリラックスすること。

人生の流れや変化を完全に信頼すること。


それが最初の一瞥に繋がっていきます。



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【お知らせ】


今年最後の

再誕と新生のワーク in 天河


日程は9月7日、8日、9日、10日

に決まりました。


お申込みの準備ができましたらご案内します。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:44Comments(33)

2018年06月14日

また基本に戻ろう

生まれもせずに死にもしないものが、いつもここにあるというのに、そのことについて何か書こうとした瞬間、それは偽物になってしまう。


真実はひとつだが、言葉はそれを対象化してしまうのでひとつから離してしまう。


したがって何も語らないことでしか真理の伝達はあり得ない。

一緒に黙して時空を共にした時、伝達のチャンスが生まれる。



だから結局は瞑想しかない。



でもブログで瞑想というのもね。


「はいいまから目を閉じます。

それじゃ30分後にお会いしましょう。」


なんか変(^^;)







瞑想とはなんだろう。

それはマインドから離れることだ。


それではマインドとはなにか。

それは時間の中で作りだす物語。


その物語が消えた時、いまここの実在と出会うことができる。

だから仏教は無心を強調するし、世界の宗教はノーマインドを説く。


無心の中でただ存在するもの。

それが発見すべき全てだと言ってもいいだろう。



あなたも僕も、いまこうしてここに在るけれど、これは肉体が死んでも変わらない。

あなたも僕も、いまここに在り続けることになる。

本当は生まれる前から、いまここに在り続けている。


この先も永遠に形を変えながら、いまここに在り続けることだろう。


そのように言うと、気が遠くなりそうな長い時間を想像するかもしれない。

それがマインドの仕事だ。


実際には長さなど存在していない。

いまだけが存在する。


いまは時間の一部じゃない。

いまとは永遠のこと。


このことがはっきり分かれば、人は安心することができる。


終わりのないこの旅が、いったいどこにたどり着くというのか。

どこにも行かないよ。

いつだって、ここにいるのだから。


そのうえで人生に与えられたマインドを使って、何をどうしたいのかを描けばいい。

物語を物語と知って生きればいい。

その奥に無心による安心感が漂っていれば、それ以上の人生はないだろう。



「この短い人生で何かを達成しなきゃ」

なんて思わないこと。


それよりは


「永遠の存在の束の間を、人生物語として生きてみよう」


くらいの気持ちで、遊び心で生きるとしよう。




起きることが起きる。



どうってことないよ。






  


Posted by Toshiro Abe at 11:08Comments(29)

2018年06月13日

移りゆくシャバダバダ!

金正恩とトランプの対談。

いろいろ感じたでしょうが、僕が最も印象的だったのは金正恩の存在。

あの若さで、あの落ち着きはなんだと思った。


考えてみれば彼は異例中の異例の存在です。

一国を完全に個人の手に握っている、世界でも極めてまれな存在。

そのような立場がどんなものかは想像を超えています。


しかも人心を掌握している方法は恐怖。

ただの恐怖ではなく、徹底した恐怖政治を敷いています。


人の心を知り尽くし、徹底したマインドコントロールのもとで、一国を自分の完全なコントロール下に置くということを実際にやっている男なのです。






それに対して、トランプは百戦錬磨のビジネスマン。

一目で相手が分かるというのは本当のことなのでしょう。


この組み合わせは、アリ対猪木戦を超えるインパクトがありましたね。


いいとか悪いとかは別として、

どちらも

「腹を割って話す」

ことができるので、話が早いのでしょう。



「越後屋、おぬしも悪よの~」

的な話もあったでしょうし、

戦争を回避してお互い上手くやりたいとの思いもあったことでしょう。



拉致問題も含めて、あまりにも話は複雑なので、何がどうなっていくのかはわかりませんが、武力衝突が当分回避されたことは良かったと思います。

いずれにしても朝鮮戦争が終わることに現実味が出てきた。



先のことは誰にも分からないので、せめて自分は

「Yes!」

の心境でいようと思います。




  


Posted by Toshiro Abe at 11:44Comments(32)

2018年06月11日

天河秘話

平成元年7月。

240年ぶりにお建て替えがあった天河神社は、一週間にわたるご遷宮祭を開催しました。


その終盤

演歌の北島三郎さんが、野外舞台に立った時のこと。

会場(現在の駐車場)は立すいの余地もないほどの聴衆で埋め尽くされました。

ちなみにこの時奉納された曲が「まつり」です。


そんな北島三郎さんのステージが始まるまさにその時、雲行きが一変し、天河でも見たことがないような稲妻と豪雨が会場に襲い掛かりました。

まるで龍が天から舞い降りてきたような、後にも先にも経験がない光と豪雨。


バケツをひっくり返したような雨とはまさにあのことだと、いまだに語り継がれています。


神域におけるイベントでは、天候が宇宙規模の演出を見せてくれることがありますが、これほど極端な例は珍しいとも言えます。


まさに新しい時代(平成)の幕開けにふさわしい、壮大な天空ショーだったと言えましょう。





さてこの同じ時間に、奇しくももうひとつの出来事が起きていました。

それはとある仏師が、天河神社のために何か月もかけて制作していた天宇受売命(アメノウズメノミコト)像が完成したのです。


宮司さんは、これは単なる偶然ではないとし、天宇受売命の霊力の大きさを感じ、しかるべき時が来るまでご本殿の中に安置することを決めます。


天宇受売命はご存知のように天岩戸開きに登場する女神であり、時代が新しく開ける象徴のような神なので、それに最も適した時を待っていたと思われます。





今年はご遷宮祭から30周年を迎え、しかも平成の世が終わることが決定しています。

まさにいまがその時と、長年にわたり封印していた天宇受売命像が、初めて公開されることになりました。



御開帳が行われる今年の天河例年祭は、30年ぶりに7月16日~22日まで一週間にわたって開催されます。


中日にあたる19日には、宮司さんが最も重要なイベントと位置付ける護摩焚き神事が行われます。

この時は、ブログやメールの呼びかけに応えてくれた300人の有志と、宮司さんの護摩を囲んで瞑想し、場のエネルギーを高めることにご協力することになりました。


不肖アベも、この日は大役を仰せつかっています。



古(いにしえ)の時代から、世の節目節目に行われてきたご神事は、見えない世界と見える世界を繋ぐ架け橋のようなもの。


そうやって人は、新しい時代を切り開いてきたのだと思います。




まさにいまこの時のために、いままでのすべてがあったと思う今日この頃です。



かんながら



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【お知らせ】

3月に行われた奥平亜美衣さんとの「引き寄せの奥義直伝 2」の配信が始まりました。

実際に使うことで人生が変わっていくビデオです。

スピタメ!




唯識の第一人者、横山紘一さんとのコラボ講演会が一週間と迫りました。


唯識はたんなる学問ではなく、苦しみから救ってくれる人類の叡智です。

本を読むだけでは分からないことも、漫才のように楽しくお届けしたいと思います。

紘ちゃんと敏ちゃんの珍コンビです。

6月17日

分りやすい唯識「心の変革」





  


Posted by Toshiro Abe at 10:12Comments(26)

2018年06月10日

夢だとしても

人生は夢のようなもの。

すべては思い込みによって綴られたフィクションのストーリー。


そんな夢から目覚めることが人生で最も大切なことだと思い、この四半世紀、事あるごとに伝え続けてきました。

なぜならストーリーは苦悩をもたらし、夢は時間の問題で悪夢に変わるからです。

そんな苦しみから根本的に救われるには、夢から目覚めるしかありません。





ところが最近になって、他の気持ちも芽生えてきています。

たとえ人生が苦悩の道だろうと、それを経験するために生まれてきたのだとしたら、夢だからといって目覚めなければいけないわけではなく、むしろこの機会にとことん夢を見て、とことん苦しんだとしても、それで人間は本望なのではないかと。


肉体の死と同時に、人生という名のフィクションも終わりをとげます。

そして本当の自分である永遠の純粋生命に帰っていく。

その保証はどこにあると言う人もいるかもしれませんが、これは目覚めと共に誰もが出会う真実です。

したがって、いつか必ず夢は終わるので、生きている間に目覚めなくてもいいじゃないかとも思うわけです。



フィクションをフィクションと知って生きるのと、知らないで生きるのとでは雲泥の差があります。

これからも同じようにメッセージを送り続けていきますが、同時に夢をとことん生きられるよう、ため込んでしまった苦しみを和らげることに貢献できたとしたら、それはそれでやりがいがあります。



方広寺の接心で、夢とリアリティーを行ったり来たりしながら、そんなことを思いました。






  


Posted by Toshiro Abe at 09:59Comments(42)

2018年06月08日

実在

真実とは、解釈が入り込む前のあるがままのリアリティーのこと。

このリアリティーは努力せずとも、いつもいまここで入手可能だ。


ところが瞬時に、想念や妄念がベールとなってリアリティーの上におおいかぶさってしまい、真実を見えなくさせてしまっている。


坐禅の修行とは単に、想念以前の、このリアリティーに接することである。


この時、実在だけが残る。

「私は在る」という感覚だけが残るのだ。


ただそれだけのためにこうして全国から人々が集う。

何の目的もなく、ただいまにあるということを共感するためだけに、こうしてやってくる。


なんと贅沢な時間だろう。






今日から方広寺の接心が始まった。

昨日も話したように、人間にできる事は全てAIやロボットが取って代わることだろう。

しかも人間以上にスムーズに完璧にやってのける。

思考することさえも、AIの方がはるかに想像力に富んでいるだろう。


しかし、ただ在るということ、これだけは人間に最初から与えられた本質であり、この世の宝であり、至福であり、人工的に作り出せるものではない。

それは純粋意識。

命そのものと呼んでもいいだろう。


このことは、やることではなく、ただ在ることを通して発見される。

これからの人間にとって最も大切な事は、「在る事」を発見することだ。


それはとうに発見されているのだが、先ほども言ったように我々の想念や妄念がベールとなって見えなくさせてしまっているのだ。


ただ静寂であること。

街の喧騒の中にあっても、静寂であること。


その時、あなたは実在に触れていることだろう。


方広寺接心の合間に、音声入力で記事を書いてみた。

なんと正確な文字変換だろう。

テクノロジーの進化には敬服するばかりだ。


ありがとう。




  


Posted by Toshiro Abe at 18:40Comments(58)

2018年06月07日

6月7日の記事

改めて感じるのは、時代の変化ってものすごいスピードだなって。

通信環境もますます進化しているしね。


あと数年もすれば、また何かが大きく一新しているのに、人々は自然にそれらの変化に対応していることでしょう。



便利に快適になっていることは間違いない。

そうなればなるほど、人間としての意味が大切になってきます。


たとえば感じる力。





祈り


瞑想


経済至上主義の世の中では、一銭にもならないとされてきたこれらの価値が、誰にとっても大切なものになっていくと思います。


AIやロボットなどの進化を危ぶむ人もいるけれど、それらの活躍が広がれば広がるほど、人間はその本質に帰ることに興味を持ちだすと思うのです。


だからいまの流れを完全に信頼しています。






変革はこれから。


人々の意識に、根底からのどんでん返しが起きていくと思います。

誰も想像できないようなスピードで。




僕らは、このさき驚異的に変化する時代の目撃者ですね。




面白い時代に生まれてきた(^^)








  


Posted by Toshiro Abe at 13:23Comments(38)