2012年01月31日

次の旅立ち

いまはまだ北海道です。

数十年ぶりという豪雪の中、一期一会の旅が続いています。


何一つ自分のものではないと知った時の解放感。

すべてが自分のものだと知った時の安心感。


この人生は、あらゆる存在が同じ一つの根源から生じていることに気づくために用意されたシナリオでした。

宇宙規模の壮大なシナリオ。

にも関わらず、それぞれの個人に作用するために用意されていたシナリオ。

マクロとミクロは同じもの。

それを知った時、この人生で出会ったすべての人たちへ、感謝の言葉を贈ることでしょう。


敵も味方も、みんなそれぞれに完璧な役割を演じてくれた。

肉体次元を卒業する日、みんなで声を掛け合おう。


「ありがとう、そしてさようなら」



さようならが寂しくない次元への旅立ち。








     


Posted by Toshiro Abe at 09:16Comments(63)

2012年01月29日

土地の縁

それまで行ったことのない土地なのに、たまたまその日に限って、違う用事で何度も足を運ぶことってないですか。

いままでに何人かのタクシーの運転手さんに聞いたら、みんなそういう経験を持っていました。

あれって何だろうね。



こうして全国を巡っていると、昔から凄く縁があった場所のように思うことがあります。

沖縄などは最たるもので、僕は昔、その昔、沖縄人(うちな~んちゅ)だったんじゃないかってね。


それも女だった。



名前は・・・おそらく・・・比嘉かまど



さてと、馬鹿言ってないで、今日も一日頑張ろう(^o^)




札幌は今日も銀世界。


「しばれる」っていう言葉は、これしかないと思いました。


「寒い」じゃ言い表せない、もっと鋭い感覚だから。


やっぱり、「しばれる」が合ってます。



これから、瞑想会と講演会の会場に向かいます。




「うっ・・・しばれる・・・!」





みなさんもよい日曜日をね。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:33Comments(66)

2012年01月28日

雪景色

窓の外は銀世界です。

札幌の人たちでさえ、こんなに寒い冬は久しぶりとのことです。

僕はと言えば、ホテルの部屋でぬくぬくとPCに向かっています。

いまでこそ暖房がきいた部屋が当たり前ですが、昔の人はどんな生活をしていたのでしょう。

それを思うと、人間が持つ生命力のたくましさを感じずにはいられません。

あるときは自然災害に見舞われ、あるときは戦禍に巻き込まれ、極限の苦しみの中で、それでも生き抜いてくれた人たちのおかげで、いまの僕たちがいるのですね。


北海道には月曜日までいて、火曜日には沖縄に帰ります。

寒暖差30度。

同じ日本でもずいぶん違いますね。



みなさん、いい週末をお過ごしください。







   


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【お知らせ】

1月31日は沖縄いまここ塾です。

2月26日の沖縄女性財団主催の阿部敏郎講演会は整理券が必要です。

お問い合わせは
098-866-9090

  


Posted by Toshiro Abe at 12:08Comments(27)

2012年01月27日

義務と責任と愛と自由

「うっ・・・しばれる・・・」

あはは、言ってみたかった(^o^)



さて、昨日の話の補足。

一部の人へのメッセージになるけれど、もしかしたらあなた宛てかもしれない。

読んでいて抵抗があったらスルーしてね。



僕たちは自分を取り巻く状況について考え、その状況に対する自分の態度を決めていて、それだけが自分に与えられた人生だと思い込んでいるけれど、それは違う。

状況に対する解釈や、自分の言動に対する選択は無数にあって、何を選んでも自由で、そこに良い悪いはない。

何が良くて何が悪いか、ルールを作り出したのは(受け入れたのは)自分だし、ルールを守っているか破っているかを見張っているのも自分だし、そこに賞罰を与えているのも自分だし、人生は一から十まで全部自分の思考が作り出している。

まずはそのことを理解したうえで、さて何を選ぶかだ。

それを知らないと、状況に対する被害者になりやすいからね。

可哀そうな犠牲者として、不幸なストーリーを生きることになる。


キリストも仏陀も、何も持っていなかったのにあんなに満たされていた。

かつて地上に現れた人の中で、あんなに満たされていた人はいなかった。


全部かなぐり捨てて、自由に生きるのもひとつの選択だ。

誰もそれを阻止していない。


そもそも僕もあなたも、誰かのために存在しているのではなく、自分自身を夢の世界から救い出すために生きている。


僕自身も、子供や老いた親のために生きているんじゃない。

でも結果彼らの面倒をみるのは、自分がそうしたいからであって、彼らに対して義務感も責任感も持っていない。

だから犠牲者にも被害者にもならないんだよ。


やりたくなければやめる。

それによって彼らが困ったとしても、それは彼らの人生だ。

彼らが違う考え方を持ち、困難に見える状況を生きることも可能だし、死んでいくのも可能だ。

ずいぶん冷酷に聞こえるかもしれないけれど、これくらい極端な書き方をしないと解らない人もいるし、それにこれはある意味真実だからね。



必要なのは、義務感じゃなくて愛だよ。

愛は僕たちの本質だ。

だから最初に取り組むべきは、存在の本質を理解して、本当の自分を生きることなんだ。



そうすれば、すべてはうまくいく。

だってあなたは神なんだから、うまくいかないはずがない。








   


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【お知らせ】

2月東京講演会は受付を終了しました。

ありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(140)

2012年01月26日

海の底から

思考は思い込みの束のようなものです。

それなのに僕たちは、あまりにも思考の世界を信頼しすぎています。

と言うよりも、思考と自分が同化してしまっていて、思考の中に住んでいる自覚もありません。


自分が四苦八苦して生きている世界そのものが、思考の産物だと知るのは大いなる救済です。

自分が住んでいる世界は、無数にある思考作品のひとつに過ぎず、それらはまさに夢のようなものだと見抜くこと、それが目覚めです。



目覚めを促すには、思考を離れた状態を繰り返し経験することです。

思考を離れた状態を瞑想と言います。

瞑想とは行為ではなく、ある種の状態のことなのです。


今朝も早くから瞑想の中にいました。

そこは静寂にして、くつろぎの世界です。

まるで海の底のようです。


海の底からは海面が見えます。

海面には様々な意見や信念という波が漂っていて、それらは互いに対立しています。

そこにあるのは、摩擦とストレスです。

それらが苦しみを作り出しています。


毎日こうして海の底で寛ぐことが、僕の健康の秘訣です。



今日はこれから札幌に向かいます。

冬の札幌・・・なんだかワクワクします。



「うっ・・・、しばれる・・・」

って言ってみたい(^o^)







   


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【お知らせ】

2月東京講演会は、残り席わずかです。

  


Posted by Toshiro Abe at 09:37Comments(80)

2012年01月25日

優しさ 2

昨日もたくさんのコメントをありがとうございました。



優しさについて、もう少し書いてみます。


自分の内側に、実感としての優しさを見つけられなくても、優しい行為を選ぶことはできます。

感情や思考がどうであれ、僕たちは行動を選ぶことが出来ます。

まずは、それが大切だと思います。


同じようなことで言えば、「勇気がないからできない」、「自信がないからできない」、「不安だからできない」と言って先延ばししてきたことも、その気になればいますぐにやることができます。


勇気がなくても、自信がなくても、不安を抱えていても、それらを小脇に抱えて、えいっとばかり前進することは可能です。


僕たちはつい、自分の内面が変わったら行動しようとしますが、行動を変えることで内面に影響を与えることが可能です。




今日をシフトの日にしてみませんか(^o^)








   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:50Comments(104)

2012年01月24日

優しさ

マイペースさんが、一人一人にレスしてくれて、この数日間のコメント欄が一つのドラマみたいですね。


コメント欄がこのブログを膨らませてくれています。

いままでも僕の言葉足らずの記事に対して、とても謙虚な文章で補ってくれる人たちがいて、それを読んで理解が深まる人もいて、なによりも、集まるみんなの波動が優しいですね。


優しい気持ちが一番大切。

優しさは人の心を癒し、癒しはその人を本来の健全な状態に近づけてくれます。


その優しさに知性が加われば慈悲になります。

この先、人類が迎える新しい文明は、知性と優しさにあふれたブッダズランドになると直観しています。








   


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【お知らせ】

2月の東京講演会ですが、「受付は終了しました」になっていました。

これは僕の手違いで、今日から受付開始します。

参加ご希望の方はコチラからお入りください。


札幌講演会は定員のため受付を終了しました。

みなさんにお会いできるのを楽しみにしています。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:16Comments(104)

2012年01月23日

大いなるソイツ

昨日は東京講演会に来てくれてありがとう。

1月10日にコメントをくれた「名無し」さんが、そのコメントの中で、こんな自分が一瞬でも、もう一度幸せを感じることが出来るのだろうかと書いていて、講演会も行きたいけれど行く資格さえないみたいなことも書いていて、それに対して何人かの人が、名無しさんを勇気づけるコメントを書いてくれて、その言葉に背中を押されるみたいにして、昨日の講演会に来てくれた。

終了後、著書にサインさせてもらった何人かの中に本人がいて、「あれを書いたのは僕です」って。

そのことを覚えていたから、なんだか僕も嬉しくなってね。

僕も自分が大嫌いで、生きている価値も感じられず、かといって周りの迷惑を考えたら死ぬ勇気もなくて、名無しさんと同じ心境で暮らしていた時期があったから、来てくれたらいいなって思ってた。


そしたら昨日のコメントに、「名無し」から「マイペース」に名前が変わっていて、昨日は久しぶりに笑ったって書いてくれたから、また嬉しくなった。


うん、いいね、「マイペース」


だれもがみんなマイペース。

人と比較するからあれこれ思うのであって、まさにいま、それぞれがそれぞれの人生を体験しているに過ぎない。

しかもそれを体験している中身はひとつのもので、それは宇宙とか神とか呼ばれるもので、その大いなる意識が、いまだったら70億の異なった個性と環境をとおして、自分を体験しているんだ。

何故かと言えば、大いなる意識が、それだけ多くのあらゆる体験をしたいと望んでいるから。

あなたの中であなたをやっているのは、あなたが自分だと思っているものじゃなくて、僕たち全員の中でいっせいに生きている大いなる存在なんだよ。

ソイツが見ている70億個分の夢、それが現象界だ。


その夢は、ひとつひとつ目覚めることになっている。

ひとつ目覚めるたびに、ソイツはソイツ自身のとてつもない素晴らしさを再発見するんだ。


僕が何を言っているかわかる?


わからなくてもいいよ。

そんなことより、今日もあなた自身を生きればそれでいい。

心のままに生きれば、それ以上も以下もない。


このオイちゃんはね、晩年になってから毎日いい夢を見させてもらっている。

若いころの悪夢が嘘みたいに。

夢を夢だと見抜いてから、心の重荷が消えて、それからの毎日は極楽浄土のお祭りだ。


大いなるソイツが僕たち分霊に仕掛けた巧妙なトリックが、宇宙規模の冗談に思えて、その巧妙さと、知性と、限りない愛にただただ降参したんだ。

あとは他のみんなが早く夢から醒めたらいいなって、そんなことを思っている。

でもそれにしたって、みんなはまだ夢から醒めたくないからそうやって一喜一憂しているのだし、だから思う存分夢の中で生きたらいい。

そしていつの日か、その夢が単なる繰り返しに過ぎないことに気がついて、心の底からうんざりした時、「はいオシマイ」って、あなたはこちらのリアルワールドに帰ってくるんだ。

目覚めの日に早い遅いはあるけれど、帰ってくることだけは確実だから心配いらないよ。


それにね、帰ってみればそこは「いま」だから、結局は早いも遅いもなかったことに気がつく。


わかる?


わからなくてもいいよ(笑)



今日もあなた自身を生きればそれでいい。







   


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今週末は札幌講演会。

真冬の札幌ってどんなだろう。


あと数人分の席があります。

参加希望の方はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:42Comments(128)

2012年01月22日

犬の話

僕には子供のころから変なところがあってね、犬や猫が車に轢かれたり飢え死にしたりしていると、人が死んだとき以上に、とても哀れを感じた。

このことは人には言えなかったけど、そんな子供だった。

もしかしたら、犬の生まれ変わりかと思ったりもした。



昔の話だけど、不思議な思い出を書いてみます。


小学校のころから飼っていた犬がいたんだけど、高校に入るとき、親元を離れて寮生活をすることになってね。

最後の日は、少し遠くまで一緒に散歩したんだ。



翌日は入学式と入寮式だった。

父と二人で、家から150キロも離れたローカルの駅から学校に向かう道すがら、向こうから変な男がひょこひょこ歩いてきた。

その男が、精神を患っているのは遠くからでも一目でわかった。


そしてすれ違いざま・・・


僕の目の前にすっと来て、「ワン!」って言ったんだ。

すごくびっくりしたよ(笑)



さてその日の夜。

初めて学生寮で過ごすことになったその夜に、母から電話が入った。


そして


「ペロ(犬の名前)が今日死んだよ」って。


昨日まであんなに元気だったのになんで?

一番仲良しの友達だったのに。


その日は同室の生徒に気づかれないように、布団をかぶって声を殺して一晩中泣いていた。



僕はいまでも、あの時ペロがお別れを言いに来たと思っている。


死んだら生前親しかった人に会えると言うけれど、ペットにも会えるのかな。

もう一度会いたいな。

「急にいなくなってゴメン」って言わなきゃね。



世界中の人間はもちろんのこと、動物たちもみんな、命の尊厳を守られるような時代が来たらいいと思う。

ありとあらゆるものが神そのものだと気づけたらいいと思う。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:43Comments(112)

2012年01月21日

他生の縁

こうしてブログを書いたり、講演活動をしたりしていると、発信元である僕にファンタジーを持つ人が出てきます。

もしかしたら阿部さんって、すごい人なんじゃなかろうかって。


そういう誤解を与えるような質が僕自身にあるのかもしれませんが、言うまでもなく僕はあたりまえの普通の人間です。


ただちょっと顔が可愛いだけです。


そんな美顔に惹かれてか、ラブレターまがいのメールや手紙をもらうことがあります。

以前に東京講演会でもらった手紙には、今夜どこどこのホテルに泊まっているから来てほしいとありました(^o^;)

そんなことも知らずに手紙を家に持ち帰っていたので、大騒動になるところでした。


また、人が読んだら顔が赤らむような誘惑?メールもあり、これなどは妄想と現実が混在した内容で、あまり長期にわたったので、ご本人にもはっきりお伝えしました。

僕は妻帯者であり、パートナーを愛しています。

いままでに浮気をしたこともないし、この先もありません。

だから、おかしな期待は持たないでくださいねと書きました。


今日は僕たち夫婦のことを書いてみましょう。

彼女とは平成元年にインド行きの飛行機で出会いました。

拙書「随(かんながら)神」の中に、天の力に後押しされるようにして、喜納昌吉さんの仕事でインドに向かうくだりがありますが、あのエピソードは実話です。

そしてもう一人、これまた天の力に後押しされるようにして、同じ飛行機に乗ることになったのが、妻の智子さんです。

事実は小説より奇なりと言いますが、僕たちは親戚同士だったことが後でわかりました。

なんとも不思議な関係です。

僕は人生で出会う人は、あらかじめ出会いのタイミングも含めて、すべて決まっていると思っています。


何一つ偶然はなく、起こることが起きていると。

そして出会いは他生の縁と言いますが、これも事実だと感じています。

大きな仕組みの中で、刻々と生かされているのが僕たちではないでしょうか。


そんな彼女との関係も20年以上が経ちました。

結婚という形を望んだのは僕のほうです。

まさか自分が結婚するなどとは夢にも思っていませんでしたが、彼女と会ったとき、この人とは長く一緒にいたいと望みました。

それで結婚を申し込んだのです。


しかし結婚は生涯の契約ではなく、一年契約です。

毎年暮れになると、

「今年も一年お世話になりました。来年はどうしましょう」

となります。

そして来年もいっしょに暮らそうということになれば契約延長です。

お互いに協力し合うことが出来たかどうか、正直に関わることができたかどうか、いまでも互いを思いやり愛する気持ちに変わりはないかどうか、そんなことを基準にして契約します。

仕事関係も、夫婦関係も、一年契約のほうが、緊張感があっていいように思います。



最近は瞑想伝授でパートナーシップを発揮していますが、お互いの能力の違いを補い合って、多くの人に貢献できたのでは自負しています。










   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:05Comments(102)

2012年01月20日

知る者は言わず、言う者は知らず

意識の最も深い次元においては、あらゆる答えが目の前に現れます。

違う言い方をすると、一切の疑問が消えた、むき出しの真実だけになります。


その時思います。


「これは、普段の意識状態(3次元的思考)では解るはずがない。そうか、自分は何も知らなかったんだ。」


自分は何も知らないということを知るのです。



その後、意識がこの次元に戻ってきます。

すると、むき出しの真実を見た印象が残っているので、自分は知ったような気がします。

確かにそれらの記憶は真実の断片なのですが、真実そのものではありません。


僕がここに書き記してきたことも、そしてあらゆる賢者、聖者たちの言葉も、真実の断片に過ぎません。

言葉にした瞬間、この次元の制約を受けて、真実そのものではなくなってしまうのですから。



したがって、

「知る者は言わず、言うものは知らず」

となります。



にもかかわらず、こうして生意気に真実について書き記しているのは、たとえ断片だとしても、暗闇で手探りしている人には一筋の光となり、道しるべになると思っているからです。

すべてを知った瞬間、これらの言葉たちが、あなたのその瞬間(悟りの瞬間)が本物であることを証明してくれるでしょう。

したがって、これらの言葉が本当に役に立つのは、あなたがすべてを知った瞬間です。



いまこうして言葉を駆使している僕は、何も知らないのです。

何も知らないことだけが、僕が知っている唯一のことです。


あっ、そう言えば、ソクラテスが同じことを言っていましたね。

「私が知っているのは、私が何も知らないということだけだ」

この言葉は、彼の謙虚さからの声明ではなく、事実を言ったまでだというのが、よくわかります。



聖典や仏典の言葉も含めて、言葉は真実そのものではないことを忘れてはいけません。


そして、実は自分が何も知らないということも、しっかり自覚していなければなりません。



答えを出さないことです。

答えは、無限の知性を限定してしまいます。

答えは、無形の真理を形にしてしまいます。




私は何も知らない。

あー、なんて清々しい声明だろう。


またすぐに知ったつもりになってしまう僕への、警鐘記事でした。








   

  


Posted by Toshiro Abe at 10:36Comments(65)

2012年01月19日

無規制から規制へ

最初の気づきが訪れたとき、生き方を作り出しているのは100%自分自身であり、どのような生き方も自由だということを強烈に感じました。

それまでは、人の目に映る自分を過剰に意識し、自分の心に多くの規制をはめ、良い悪いにがんじがらめになり、そのとおりに生きられなかったときは自分を罰してきました。

その反動でしょうか、気づきの直後からは全く新しい自分が始まったと思います。


自由の爽快感と、喜び。

どのように生きてもいいんだ、その結果を受け入れさえすれば、なんでもOKだという感覚です。


こういう人になりたいという理想も持たず、ただその時の自分の感性に従って人生を生きてきました。

その根底では自分を受け入れていましたし、自分の本質が大いなる存在そのものだと知った者は、誰でもそのような絶対的な安心感に包まれると思います。


なんでもOK・・・なんて素晴らしい感覚でしょう。



ところが、今年に入ってまた、自分の心境に変化が訪れ始めています。

なんでもOKならば、こう生きたいという理想を持ち、自分を律し、より高い人間性を発揮して生きるのも道ではないかと。

あと何年生きられるかわかりませんが、この世を去る時に、心から自分に誇りを持てるような生き方をしようと思うのです。



なんだか一周してしまいました。

規制から無規制へ、そして無規制から規制へ。


ただし今回の新しいルールは、人に評価してもらうためではなく、社会から排除されないようにという恐れからでもなく、自分自身との契約です。


「私はこのように生きたい」


それは瞬間瞬間、どのような自分を生きるのかの選択です。


そして僕の選択は

「私はまっとうに生きる」


あはは、まっとうに生きている人から見れば、「????」の宣言ですね(笑)

これは、社会にいながら社会から離れて生きてきた僕だけが解ることなので説明できませんが、そんな感覚が芽生えています。



恐れからの自己規制ではなく、愛と自由からの自己規制。

これが僕のアセンション・・・さらなる意識変化だと直観しています。



でもこの先も、必要であれば次のようなメッセージを伝え続けていきます。

メッセージとは固定されたものではなく、その人に必要かどうかで変わるものだからです。


自分にどんな規制も要らない。

あなたは自由だ。

自分を型にはめてはいけない。

過去に決めたルールではなく、いまの自分を生きるのだ。

心配はいらない。

あなたは最初から救われているし、すでにゴールに辿り着いているのだから。



そのことを十分に理解したうえで、僕はより高い自分を目指して生きようと思います。

自分に不自由さえも与えることが出来る、そんな自由を生きていきます。



これが2012年になって芽生えている感覚です。



個々それぞれの意識変化が始まっているのかもしれませんね。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:44Comments(123)

2012年01月17日

何度でも基本

人生に何が起きても、いつも「いま」に戻るようにしています。


「いま」は、いままでとは何の関係もありません。

まったく新しく、刻々と生まれ続けているもの、それが「いま」です。


いつなんどきも、立ち止まればそこに「いま」があります。

「いま」以外だったことは一度もありません。

「いま」だけが唯一の実在であり、それ以外は頭の中に存在するイメージです。


それなのに、僕たちは「いま」を、ありもしない「いつか」のために使おうとします。

「いま」よりも、もっと重要な瞬間が未来にあって、「いま」は未来のための準備期間だというわけです。


しかも、「いま」を生きているのは過去の自分です。

いままでこうだったからという印象で、いまの自分を決めています。

実際には自分だって、いま新しく生まれているのにです。


あらゆる過去と決別して、未来のためではなく、いまを生きること、それが本当の人生です。

人生とは未来に向かう旅ではなく、いまを生きることです。

いま目の前に、探していたすべての価値があります。

もうすでに、たどり着いているのですから。



「いま」がゴール。




今日は一日、そんな感覚を生きてみませんか。







   


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【お知らせ】


参加お申し込みを開始します。

2月5日 向禅師・大阪コラボ講演会

2月12日 名古屋いまここ塾(ソロ講演会)

参加ご希望の方は、上記イベント名をクリックしてください。


(財)おきなわ女性財団主催の阿部敏郎講演会の詳細はコチラから。


2月19日の東京いまここ塾は、来週明けにお申し込みを開始します。

  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(97)

2012年01月16日

次なる段階

昨日の大阪いまここ塾、ご来場ありがとうございました。

そうか、あなたが甲賀忍者さんか・・・こういう発見も楽しいです。

午後の紅茶、しっかりいただきました。

次回はおひねりをお持ちしています。


僕の講演会はほとんどが一人参加なので、開始直後は会場に少し緊張感がありますが、最後のほうはいつもお風呂の中みたいな感じになります。

スピリチャル混浴、しっかり入らせてもらいました。


講演会を始めた当初は女性参加者が多くて意外でした。

きっと僕の顔が可愛いからそうなると思っていたら、翻訳家の山川夫妻の講演会に行ったとき、9割がたが女性だったので、な~んだ、みんなそうなのかと思いました。

スピ系の情報は女性のほうが直観的に捉えるのかもしれませんね。


最近わかったことは、僕の講演会は男性の参加者が比較的多いということです。

3割は男性です。

僕の顔は男性も好きなのでしょうか。

あっ、そもそも顔じゃありませんでした。


いろんな職業の人たちがいます。

会社員、専業主婦、フリーター、ヒーラー、医師、看護師、警察官や弁護士がいるかと思えば、たまにヤクザの組長もいます。

もらった名刺に有名な紋が刻まれていたのと、しっかり小指がなかったので本物だとわかりました(笑)

人生で何を選んでいるかではなく、その身体の中で何が生きているかということで言えば、みんな同じものです。

泥棒が明日から聖人になることもできるし、聖人が犯罪者になることもできます。

行為は選べますが、自身の本質は選べません。

選べるようなものは自分ではなく、変えられないものが本当の自分です。

しかもそれは、同じひとつのものです。



アセンションという言葉は様々な意味で捉えられていますが、僕が感じているのは、表面的な違いの奥に、共有している本質を発見し合うということです。


もっと簡単に言えば、個の意識から、全体意識へのシフトです。


全体意識を感得しても、個の意識(自我)は残ります。

おそらくこれからの時代は、その両方の意識を持った者たちによって創られていくと思います。

これまでの数千年間、人類が自我だけで文化を作ってきたことを考えれば、まったく違う世の中が始まっていくことでしょう。

そのシフトは個の内側で、そして外側の社会でも始まっていて、旧来のシステムが次々と崩壊していくのは怖いと思うかもしれませんが、新しいものが築かれるためのプロセスに過ぎないので、落ち着いて見届けてください。



これから始まる、自我意識半分、宇宙意識半分の段階は、最終章ではなく、次なる段階への中間期です。


次なる段階においては全体意識が大いなる生命体として機能し始めます。

そのときは、肉体は必要なく、時空間という幻想が消えた「いまここ」が喜びの中で永遠に存在するという感じです。


20数年前に、何の前触れもなく突然見せられた世界が、まさに「いまここ」の存在でした。

あらゆる個別魂が、最終的にここに辿り着くことはすでに決定されています。

自分だけは置いていかれるような気がしている人もいるかもしれませんが、そんなことは不可能です。

そのことは、いつか必ずわかります。



今年はいろんな意味でのターニングポイントの年です。

個人においても社会全体においても様々な変化が加速することでしょう。

その瞬間は忌まわしい出来事に見えたとしても、すべてはより良き方向に向かっていることを忘れないでください。


過去存在したすべての魂も、これから現れ出るすべての魂も、すでに救われています。


最終結果は最初から決まっているのですから。








   


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【2月のお知らせ】


2月5日  大阪・向禅師コラボ講演会

2月12日 名古屋いまここ塾(ソロ講演会)

2月19日 東京いまここ塾

2月26日 沖縄県男女共同参画講演会


詳細は明日お知らせする予定です。  


Posted by Toshiro Abe at 10:21Comments(62)

2012年01月14日

対立

本当は誰もが、みんなと仲良くしたいと考えている。

できることなら、心を通わせたいと思っている。

心の表面では人なんか嫌いだと言う人も、心の底では仲良くしたいと思っている。


ところが人間には、それぞれにこだわりがあって、何気ない一言や行為が、相手の気に障ったり、逆鱗に触れてしまうこともある。

なぜこんな一言がと思っても、相手のこだわりの裏側には、心の傷口がぽっかりと開いていて、羽毛のような柔らかい刺激でも、激痛になって伝わることもある。

そこで反撃に出る。

反撃された方は、もうその相手を素直な気持ちで見ることはできなくなる。

こっちだって開いたままの傷口を抱えているのだから。



人間同士の対立は、思い込みと思い込みのぶつかり合いの場合が多い。

それぞれが独自の世界を作り出し、その世界の中で生きているからだ。

人間同士の対立は、実はそれぞれが持っている独自の世界同士の対立だ。

それは思い込みの対立だ。


批判や攻撃を、真に受けてはいけない。

それは相手の世界の中での反応であって、あなたに向かっているものではないからだ。


家庭や会社や様々な付き合いの中で、人間同士の摩擦は絶えないと思う。

相手の心の狭さを責めるのではなく、何が起きているのかを正確に理解する知恵を持とう。

相手が反応しているのはあなた自身にではなく、相手の心の中に映った虚像のあなたに対してだということを忘れないでいよう。



今日はそんなことが書きたくなりました。

きっとこの情報を必要とした人がいるのでしょう。


いやなことが起きた時、その出来事を考え続けるのをやめれば、その状況は去っていきます。

あなたは「考え」という素材で、自分の現実を作り出しているからです。




あなたの心が安らかでありますように。









     


Posted by Toshiro Abe at 09:37Comments(202)

2012年01月13日

愚者からの聖なるメッセージ

昨日のような意味のない記事に、たくさんのコメントをもらえて光栄です。

まじめに生きてきたわけではなく、むしろたくさんの罪を犯してきた人間に、なぜこんな役を与えてくれたのか、ありがたい限りです。

しかも僕は怠け者で、自分勝手で、欲深く、エッチで、お調子者です。

まだあるけれど、これくらいにしておきます。


きっと神(?)は、「この人が啓発できるなら、私にも可能性がある」と思ってもらえるように、こんな僕をメッセンジャーにしたのだと思います。


啓発に資格は要りません。

たとえどんな生き方をしてこようと、そして今どんな生活をしていようと、何を考えてこようと、考えてこなかったとしても、あらゆる人は、たちどころに悟ることが可能です。


悟りとか啓発とかいう言葉は、本来は使うべきではないかもしれません。

中には、いかに僕の悟りがニセ物か暴こうとする人や、僕を試そうとする人もいます。

僕の中から未熟な人間性を見つけ出し、「ほら、やっぱりアイツはこんな奴だった」というわけです。



「悟りとは、正しい修業を積んで、正しい生活を送り、自分を律した人に訪れる」

「悟った人は、清廉潔白で、欲を捨て、マイナス感情が無くなり、愛になった聖者だ」

という誤解が、あまりにも長く浸透してきました。


そのような立派な人と自分を比較して、「こんな自分など悟りに値しない」という思いが悟りを妨げています。

原子力問題や環境問題、経済システムの崩壊など、地球規模の困難を乗り越えるために、多くの人の啓発が必要で、もうこれ以上時間延ばしはできないので、僕のような極端な人選になったのでしょう。

とはいうものの、僕だけでは信用度が低いので、堀澤大僧正や向禅師のようなオーソリティーに、阿部の後援を依頼してくれているのかもしれません。



いずれにせよ、これからも僕はやりたいことをやっていきます。

それは、いまやっていることです。


あなたが最初の最初から救われていること、いまたちどころに悟ることが可能なこと、実はすでに悟っているのに、そのことを忘れてしまっただけだということ、そして矛盾しますが、悟らなくても大丈夫だということを伝え続けていきます。

まずはあなたが安心することが、悟りへの道だからです。




聖者ではなく愚者と巡り合ったあなたに、魂の栄光が訪れますように。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:51Comments(151)

2012年01月12日

内容のない話

いま大阪です。

今朝早く、「そうだ今日はこれを書こう」と思いついたのだけど、用があって買い物に出て帰ったら忘れてしまった(:_;)

忘れちゃうと、その話はすごくいい内容だったように思える。


講演をしていても、何かの拍子に、話そうと思っていたことを忘れてしまう時がある。

そういう時って、やっぱりすごくいい話だったような気がしてならない。

それがまた何かの拍子で思い出してみると、それほどでもなかったりする。



今日忘れた内容は、すごくいい話だったのか、それほどでもなかったか、それさえもわからないけれど、とにかく忘れてしまった。



う~ん、思い出せそうで思い出せない。





う~ん







う~ん









また明日ね。









   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:48Comments(100)

2012年01月11日

人間種

みなさんのコメントを読んで、とても満たされた気持ちになりました。

一人に対する多くの人の気持ちが嬉しいです。

もし自分が書いたコメントに誰もレスをくれなかったとしても、あなたに共感している仲間がたくさんいることを忘れないでください。


人間は表面的な言葉以外に、その奥にある真実を感じ取る力があります。

自分ではみっともないと思う心の闇を、正直に分かち合ったとき、聞いた人が持つのは、内容へのジャッジではなく、正直さに対する感動です。


なぜなら、どのような側面も、人は皆、何らかの形で共有しているからです。

恐ろしい考えや、狡さや、醜さは、誰の中にもあります。

密かにこんなひどいことを考えるのは自分くらいだと思いがちですが、大丈夫。

僕も負けていません(笑)


それが人間種です。

誰一人特別な人はいないと言うのは、優れている面だけではなく、醜いと感じる面も同じだよという意味です。

人は社会的な生き物なので、そんな闇の部分はこっそりと隠したまま正常な仮面を付けて生きているだけです。



実は思考とは脳が作り出しているのではなく、外側に遍在する無数の思考のひとつを、脳がキャッチしているだけです。

あなたの中に最低の考えが湧いたとしても、それはちょっと前に僕の中に在ったものかもしれません。

空気の出し入れみたいなものです。

あなたが吸った息は、昨日僕が吐いた息かもしれないのと同じです。


僕たちは完全につながっている同じひとつの生き物です。

誰一人、全体から切り離されて存在することはできません。

水があり、空気があり、食べ物があり、着る服があり、どれだけ多くの人と自然の恩恵によって、僕たちは生かされていることでしょう。



それを仏教では、「諸法無我」と言います。

単独に存在しているものなんか無いよっていう意味です。



このブログが、社会で失われつつある人間同士の、嘘のない共感の場になれたとしたら、嬉しいです。




今日もここにきてくれてありがとう(^o^)









   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:05Comments(127)

2012年01月10日

笑ってオシマイ

お~い、聞こえるか~?


どこまで行っても同じこと。

どこにも行き着かないし、何も達成しない。

だって最初から行き着いていて、最初から達成されているんだから。



人生は冗談のようなものだ。

いや、冗談そのものだ。

宇宙規模のジョーク。

壮大なナンセンス。


だから、深刻さはいらないよ。



人生をあれこれ操作して、何かを得たつもりになったり、何かを失ったような気がしたり、幸運だと言って喜んだり、ツイてないと嘆いたり、成長したつもりになったり、堕落したような気がしたり、あれこれと自分の解釈で一喜一憂するけれど、意識の一番深くにある本当のリアリティーから見れば、何も起きていない。


意識の一番奥にあるリアリティーって何かと言えば、あらゆる現象を見守っている本当の自分のこと。

映画がどんな展開を見せようと、変わらずに在りつづけるスクリーン。


僕たちが人生と呼んでいる出来事のすべては映画の様なもので、それは映し出された幻影であり、実際に存在しているのはスクリーンだけなんだ。

でも映画を観ているときは、スクリーンの存在を完全に忘れてしまう。

しかもそのスクリーンは、無くなったことがないので、在ることに気づかない。


悟りとはスクリーンを知ることだ。


だから悟った瞬間、人は必ずこう思う。

「な~んだ、これか。このことは最初から知っていたよ。あまりにも当たり前すぎて、あまりにも近すぎて気づかなかった。探していたものがこんなに近くにあったなんて!」


そして何も起きていなかったことを知る。

生まれたことも死んだこともなく、ただ永遠のいまの中で、自作自演の物語を大騒ぎしながら演じていたことの可笑しさ。

しかも何度も何度も同じことを繰り返していたことのバカバカしさ。



あはははは!!

がははははははははは!!!!!



もう笑うしかない。




話は変わるけれど、向禅師とのコラボ講演会に来てくれてありがとう。

彼、いいでしょ?

力抜けているよね。


でもいざとなったら、喝!!!っと気合が入る。

変幻自在、琴姫七変化(わっかんないだろうな)




講演会の感想を書いてくれたみなさん、ありがとう。

相川美晴(よしはる・男性)さんは、僧侶よりもっと僧侶だね。


あっ、それと、昨日のコメ欄の最後のほうに登場する「名無し」さん。

一度会いにおいでよ。

僕はあなたが何だっていいから。



今日も一日、みなさんが心安らかでありますように。








   


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【お知らせ】


向さんとのコラボ講演会は、2月5日に大阪で開催します。

近日中に受付を開始します。

  


Posted by Toshiro Abe at 09:47Comments(117)

2012年01月09日

喫茶去

昨日は楽しかった。

徹夜で臨んだ講演会。

でも会場の優しい波動に支えられて、眠くなったらこのまま寝てもいいみたいな安心感がありました。

名古屋の皆さん、サンキューでした。



そしてやっぱり、向禅師はいいな。


人は難解な言葉にありがたさを感じるけれど、

「こんにちは!元気?」

と言って心が通じあえば、それはリアルな体験であり、それ以上の真実はありません。



したがって、


「向さん、『いまここ』とは何ですか?」

と尋ねれば


「今日はいい天気だねえ」

と返ってくる。



死後の世界について尋ねれば


「ま、お茶でも一杯いかが」

とくる。


そこには真実に対する誠実さがあります。



禅と言うと、なんとなく格式を感じますが、高ぶるでもなく、へつらうでもなく、ただ自然体のあるがままが禅です。


悲しい時は泣く、不安になれば震える、楽しい時は楽しい、それ以上でも以下でもない。

いつも優しいわけじゃなくて、冷淡な時もある。

だって生きているんだから、予測不能です。

どんなモデルもありません。


あらゆる緊張は、「いま」とは違う何かになろうとして生まれます。



幸せの秘訣は、あるがままにくつろくごと。

こうあるべきを自分に押し付けないこと。

身体と心の力を抜いてリラックスすることです。


え?それじゃ成長しないじゃないかって?



ま、お茶でも一杯。



喫茶去





今日は東京コラボ。


向さん、今日もよろしくお願いします。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:10Comments(92)