2021年02月28日

悟後の紅茶

帛さんからのコメント

長文なので昨日の記事のコメント欄を読んでください。

要約すると、一瞥体験により存在の仕組みは理解できたけれど、生きるための職業に違和感を持ちながらもなんとかやっているというものです。


同じように感じている人もいるかもしれませんね。



社会は集団催眠の場であり、それは支配階級から末端にいたるまで同じことです。

完全に狂っていますが、本人たちはそのことに気づいていません。


経済的な理由で社会の中で生きざるを得ないなら、自分も狂ったふりをして生きるという道があります。


社会はあなたの外側しか求めていません。

あなたがどんな洞察を持って生きているかよりも、社会の一員として生きてくれたらそれでいいのです。

そこに徹するのはそう難しいことではありません。



その上で言いますが、本当の問題はどのように生きるかではありません。

あなたが一瞥したその真実を、いま生きているかどうかです。


一度でも真実の次元を垣間見れば、それがたとえ一秒間だったとしても元の自分に戻るのは不可能です。

その人の中で何かが変わってしまうからです。


あなたが言うように、いまもあなたの根底には真実の香りが漂っていることでしょう。

でもそれは単なる記憶なのかもしれません。


社会という催眠への誘惑は、とても強いものがあるので、知らないうちにまた眠りこけてしまうことはよく起きます。


そして眠りの中で、真実を垣間見た自分を生きようとするのです。

ここに違和感が生じてきます。



おそらくあなたは、真実の瞬間を自分に定着させたいと思っていることでしょう。

でもそれは起きません。


気づきの瞬間は、当のあなたが消えた瞬間であり、あなたが経験したのではないからです。


経験とは記憶のことです。


たとえば急に車が飛び出してきて間一髪で助かったとしましょう。

その瞬間は、ただそのことに対する反応が起きただけです。

ところがそのすぐ後で、「凄いことが起きた」と認識しそこに経験が生まれます。

人は経験自体を持ち運ぶのではなく、経験という記憶を持ち運んでいるのです。




あなたがどうにかしようとすればするほど、「あなた」が肥大化してまた催眠の罠に陥ってしまいます。

僕に言えることは、いまここに寛ぐこと。

あるがままの命に落ち着くこと。


その時間は、完全に社会から手を引くことになります。

これが正気に戻る唯一の道です。

そしてまた社会の中で演じていくのです。


すべては「いま」起きていることを忘れないでください。



今夜の瞑想会は

https://youtu.be/1E6Jzt8YbVo

です。




  


Posted by Toshiro Abe at 10:12Comments(20)

2021年02月27日

出家のススメ

我々が一つのものであり、すべてはワンネスの中で起きていることは疑いようがありません。

いまさら声を大にして訴えなくても、最近は非二元の真実が多くの人に浸透してきました。


この理解を前提として、今日の話をしましょう。


自分が全体そのものを生きるというのは、みなと同じように生きることではありません。

この宇宙の真実は、あなたは私であり全ては一つであると同時に、あなたと私は全く違う個性を持った個人だということ。


数学的に見れば、全体は個人の総計ということになりますが、宇宙の真実はそうではありません。

「個人=全体」なのです。


あなたの宇宙は唯一無二のものであり、かけがえのないものです。

その宇宙を生きることがあなたの天命と言っていいかもしれません。


ところがこの社会は、あなたを社会用に矯正し、あなたではないものとして生きることを求めます。

これは人間の宿命であり、あるところまでは致し方ありません。


しかしこのような話を理解できるところまで成長したら、正直に自分を生きる勇気が何より大切なものとなります。

あなたが全体そのものであることが分かったら、もう怖いものはないはずです。

誰に遠慮することなく、あなたを生きればいいのです。

それができないのは、まだ知識だけで、自分が全体だという理解には至っていないのかもしれません。





それでは、真に自分を生きている人と、そうでない人との違いはどこにあるのでしょう。


自分を生きていれば、そこには寛ぎと至福が付いてきます。

そうでなければ、緊張と惨めさを心の底に持ち運ぶことになります。


これが見分ける基準であり、自分にしかわかりませんが自分ならわかります。


人のことなどどうでもいい。

人のことは人に任せておいて自分を見てください。


あなたが決められるのは自分だけです。

これが自灯明を生きるということであり、その人はいかなる宗教にも属しません。

自分こそが宗教だからです。


あなたは誰に従う必要もなく、すでに作られた道を歩くこともありません。

あなたに道などないのです。

あなたが歩いた後に道はできますが、その道は他の誰も歩くことはできません。


この覚悟が本来の出家です。

そのとき初めて人は存在の喜びを生きるようになります。


出家とは得度することではなく、山にこもることでもなく、ましてや教団に所属することでもありません。

それらはすべて社会の一部です。



僕が言っていることが分かりますか。

やっとこのような情報を発信できる時代になったと感じています。


まずは、全ては一つであり、生きているのは全体だということを理解することです。

皮肉なことに、そのとき初めて自分を生きることができます。


全体から分離した個人など存在しないということが分かって初めて、個人を徹底して生きられるのです。

言葉にすればナンセンスになってしまいますが、なんとなくでも掴めましたか。



恐れることはありません。

あなたが宇宙の主なのだから。



今日はこのあたりにしておきますね。



28日の瞑想会アドレスです。

https://youtu.be/1E6Jzt8YbVo





  


Posted by Toshiro Abe at 09:10Comments(26)

2021年02月25日

一隅を照らす

この世が理不尽なのは、つまるところ一人一人の自我が複雑に絡み合っているからです。

そう考えたのはまだ若いころでしたが、いまも同じように思います。


世の中全体に取り組むことはできなくても、自分を見つめることはできます。

それだけがこの世のゲームの本質なのでしょう。


自我とは混乱したマインドであり、傷ついた過去であり、防御や攻撃性にあふれた扱いにくい存在です。

結局やることは自らを癒すことしかなく、いくら自分に「本当は完璧な存在だ」などと言い聞かせても始まりません。


その結果、あるがままのいまに落ち着くという感覚が蘇ってきます。


当処すなわち蓮華国

この身すなわち仏なり


内在する知性との出会い。

人生という幻想ドラマを超えた永遠への再誕。


人間にこのような可能性が残されていることが、唯一の救いであり福音です。






ただし、この究極体験は「起きること」であり、人為的に作り出すことはできません。

あらゆる修行も修練も無力です。


それでも、

いまに生きようとすることや過度な考えを静めることなど、諸々の新しい習慣は役に立ってくれます。

少なくとも、この世での苦しみを緩和してくれます。


苦しみが減れば、他者に迷惑かけることも減るし、他者の自我にも寛容になれます。


さらには、「起きること」を起きやすくしてもくれます。


ちょうど眠りを待つ準備のようなもの。

眠りは人為的に作れませんが、眠りが起きやすくなる環境は作れます。

部屋を暗くして、静かに身体を横たえる。


目覚めも同じです。

目覚めやすくなる環境は確かにあります。

それが心静かにいる時間です。



すぐにはできないかもしれないけど、投げ出さずに、今日も心静かに暮らすことを心がけましょう。


そうすれば世の中も、その分だけ少し平和になります(^^)



一隅を照らす


いい言葉ですね。










  


Posted by Toshiro Abe at 10:41Comments(18)

2021年02月24日

考えないことの大切さ

昨日の続きですが、


「どうして思わなきゃいかんのだ」

という態度に徹すると、それだけで人生は大きく変わります。

今日はもう少しその話をしましょう。


人は何が現実で、何が頭の中の世界かの区別がつかなくなっています。

たいていは目の前のあるがままの現実を忘れ、頭の中の世界を現実だと思って生きているのです。


そう、まさにそういうことです。

そもそも「世界」は頭の中にしか存在していません。


世界を見たことがありますか。

世界はイメージの中にしか存在していないことが分かりますか。


それでは現実とは何か。


いま見えているもの

聞こえている音

肌に感じること

香り

味わい


それらに一切の解釈をはさまない、あるがままのいま、

それだけです。






一切の解釈をはさまないと言いましたが、人はそのことができなくなっています。

無意識に、見えているもの一つ一つに名前を付け、それらを分離したものとして把握しています。

そしてあらゆるものに意味をもたらせているのです。


この単純な指摘は、多くの人にはピンとこないでしょう。

それくらい思いの世界にハマっているからです。


何も考えずに、見るでもなく見る。

ただあるがままを、あるがままに見る。

そんな時間が役に立ちます。


判断しない、解釈しない、早い話が「考えない」ということです。



もちろん考えることも必要です。

考えることは人間にとって貴重な能力であり、この能力のおかげで人間は地上を支配することができました。


なにが問題かと言うと、考えは人間の道具なのに、人間が考えの道具になってしまったこと。

その主人の座を取り戻すことが何より大切だと言っているのです。


多く見積もっても、一日に1時間も考えれば十分です。

それでも多いくらいですが、すぐには難しいでしょうからこれくらいから始めたらいいです。



いまあなたは一日の内で、どれくらいの時間考えていますか。

ほとんどの人は24時間フルに考えています。

寝ている間も夢という形で考え、それが止むのはせいぜい10分間くらいと言われています。

これでは神経症になって当然です。



思考をはさまずに生きる。


すぐにはできないことでしょう。。

何十年間も考えの中を生きてきたのだから、これから何十年もかけて新しい習慣を作るくらいの気持ちが必要です。



まだ間に合います。

すべては「いま」始まって行くのだから。






  


Posted by Toshiro Abe at 09:38Comments(37)

2021年02月23日

ほがらか、おおらか

昨夜は向禅師の法話だった。

法話と言っても、50年以上禅の道を歩んできた人間の、いまの心境をただ語るだけのもの。

これが実に面白かった。


なにか出来事があると、

「向さんはどう思いますか」

と聞かれるとか。


その時向さんが答えるのは

「どうして思わなきゃいかんのだ」



人間を機能不全にしているのは、考えなくてもいいことをゴチャゴチャ考えることだと指摘する。


その代表が哲学だったりするわけで、何千年経っても、いまだにどこにもたどり着かない。

この先も永遠にたどり着かないだろう。

なぜなら、生きるとは直接体験であり、思考をめぐらせて答えが出るようなものではないから。


それなのに、人は朝から晩まで思考を働かせて生きている。


たとえば悲しいときはただ悲しいわけで、悲しみの理由や悲しみの犯人探しや、あるべき姿との比較や、そこから発生する様々な物語に巻き込まれて、余計な苦しみまで作りだしたりする。


悲しいときは悲しい。

以上!!

これが直接体験だ。






畑の隅に顔を出したふきのとう。


ノラ猫の鳴き声。


凛とした山村の空気。


とうとうと流れる天川。



みんな生きている。

これ以外に何があると言うのだろう。



春の陽気に包まれたこんな日は、畑のあぜ道に腰を下ろして日向ぼっこでもしていよう。


心境は


ほがらか、おおらか



日日是好日



・・・・・・・・・・



【お知らせ】


3月のハートマントラ瞑想伝授のスケジュールが出ました。

詳細はコチラ







  


Posted by Toshiro Abe at 11:37Comments(15)

2021年02月22日

青年(人は老人と呼ぶらしい)の独り言

今朝の天河は快晴で、大銀杏の木もその枝を悠々と広げています。

家で一夜を明かしたノラ猫はいまごろ暖かい山野を駆け回っていることでしょう。


メールボックスを開けたら、昨日の公開講演の動画を残してほしいという声が多く、それならばとyoutube用にトーク部分を抜き出していました。

昨夜は突然弾き語りなんぞしたものだから、歌の個所に薄くリバーブをかけたりして遊んでいたらお昼になってしまいました。






ここには何もないけれど全部ある。

生命にあふれた豊かな土地です。

一番近いコンビニまで車で50分。

何かのご縁でこの山奥の集落に暮らしています。


なぜここにいるのかは分かりません。

宮司が言うように「何故はない」のでしょう。



沖縄に移住したときも、それが損とか得とか考えたわけではなく、直感の赴くままの結果でした。

いつだって無計画。

でも無茶を生きているとも思っていません。

心の声に従っているだけです。


一つだけ言い切れるのは、人生の流れを完全に信頼しているということ。

だからもし、何もかも失くして飢えと寒さの中で死んでいくようなことがあっても、それはそれとして受け入れることができます。

流れがそれを望んだのだから。


たぶんいつのころからか南無の精神が身についているのだと思います。

それが気楽さというものです。



昔ならとっくに隠居していた年齢。

そういう意味ではすでに何十年も隠居生活しているのかもしれません。


隠居の気分は青春ど真ん中。


まだ何も終わっちゃいない。

そもそもまだ何も始まっちゃいないのだから。



昨夜の30分間の講演はYoutubeにアップしておきます。

https://youtu.be/hGv4M0e_xjc





  


Posted by Toshiro Abe at 13:16Comments(22)

2021年02月21日

リーラ

あなたがこの存在の源から、どれだけ愛されて祝福されているかは、あなたには決して分かりません。

分かろうとするあなたは、心の奥で、あるいは表面で自分を否定しているので、こんな自分が愛されているわけがないと思っているのです。


愛されているもなにも、あなたは存在の源の延長であり、それ自体なのです。

ですから愛されている実感を持つよりも、自分が「それ」だったことを思い出すのが先になります。

それを思い出したとき、自分が人生で得た愛よりも、桁違いに大きな愛によっていつも見守られていたことを知ります。


そのとき初めて、愛の何たるかを知るのです。


この人生の目的はこうだと言えるものはありません。

無目的にただこうして起きています。


だからと言って無意味ということでもありません。

目的も意味も必要ないだけです。



あなたは限りない愛と喜びの中にいる時、その目的や意味を必要としますか。

ただそのようにあることを受け入れ祝福することでしょう。


これが、人生に意味はないということの意味です。


違う言葉で言えば、人生は遊びだと言えます。

遊びは悪いことのように教えられているので、遊びという言葉に抵抗する人もいます。

すっかり洗脳されてしまったからです。


でもこの宇宙全体が遊びです。

大昔からインドの人たちはこれを「リーラ」と呼んできました。


あなたこそがリーラです。

いささか深刻になってしまったリーラですが(笑)



遊びとは目的がないこと。

意味を求めていないこと。


目的を持った瞬間、遊びは遊びではなく、目的達成のための手段になってしまいます。

ここには多くの人の人生が陥っています。





あなたはどうやって遊びますか。


実は、いまもそうやって遊んでいます。

でも当人は遊びだなんて思っていません。

人生は義務であり、乗り越えるべき試練だと思っているのです。



僕はこれからも、あなたを誘い続けます。

こっちだよって。


この遊び場で、お互い自由に創造していきましょう。

創造こそが遊びの真髄です。


このことは死ぬときに分かりますが、どうせなら生きているうちに分かったほうが楽しくないですか。

自己催眠から自由になって、大空に羽ばたくのです。



こちらの世界への入り口は理解と洞察。

そんな気づきが訪れるように、非力ながらこうして声を上げています。


僕にとってこれがなによりの遊びだから。



・・・・・・・・・・


今夜の瞑想会です

https://youtu.be/yhehqYkgUYo







  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(20)

2021年02月20日

未来の記憶

真理は一つでも、娑婆(シャバ)への意見は人の数だけある。

今日は自我のアベッチがうるさいので、発言の機会を与えてあげよう。

もちろん、正しいかどうかは分からない。

でもアベッチはこう思っているそうだ。


・・・・・・・


少し前まで、オリンピックの開催は無理だと思っていたし、やるべきではないと思っていた。

でもドタバタ劇の後に、満身創痍で実現に向け努力しようという人たちを見て、最後まで応援したくなった。


背景には多くの企業や団体の利害が見え隠れするが、それはなんでも同じこと。

経済で世の中が動いているのだから、そんなことを言っても始まらない。

開催にはプラスの面もあるし、決まったことならばみんなで一つになればいいと思う。


その結果、開催できなければ仕方ない。

起きることしか起きないのだからそれでいいじゃないか。


全体から見れば絶対他力だが、個から見れば自由意志がある。

その両方が同時に起きている。

どちらか一つにしがみ付くのは単なる愚かさだ。


アスリート出身の新しい会長は、凡人の我々には想像もできない訓練をしてきたであろう胆力が見える。

火中の栗を拾う決心をしてくれた女性に感謝の欠片も見せない姿に社会の病を見る。


前任者が無給でやっていた会長職なので、いまさらギャラをもらうわけにもいかないのに、政治からの公平性という大義名分で大臣をやめ、議員までやめろと言う。

そんなものは単に形であって、その前に人の心があるのではないか。

信頼して一つになるのは、そんなに危険なことなのだろうか。


ふんぞり返った与党議員も醜悪だが、なんでも揚げ足を取ろうとする野党やメディアはもっと醜い。


このレベルの集団に国のかじ取りを任せなければいけないのは、ひとえに国民のレベルが低いからだ。

この程度の国民だからこの程度の政治しか持つことができない。





たぶん遠い将来、政治という概念自体が消えていくことだろう。

政治力学で社会が動くのではなく、人々の知性がバランスある社会を運営していく。

「アミ小さな宇宙人」に出てくる社会はそんな感じだと思うし、あの読み物は多くの人の心にある「未来の記憶」を上手く表現していると思う。


有史以来、良い世の中など一度もなかったし、それはいまも同じこと。


でも全体意識が発動すれば、すべてが根底から変わると思う。

しかも全体意識は、すべての個の中に内在している。


チャンスはある。

その変革の時が「いま」だ。



とりとめのない文章になってしまったが、アベッチの気持ちも収まったみたいだからこのくらいにしておく(笑)



みなさん、よい週末を。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:26Comments(19)

2021年02月19日

癒し

もし人生でやることがあるとしたら、人の心を癒していくことしかないと思います。

メディアがなぜこうも卑屈な報道を繰り返すのか、それは見る側のニーズに応えているという側面もあります。


だれもが裏表の自分を持ち、したがって自分のことも他者のことも信じられない。

この世が完全に狂っていることを知っていれば、むやみに子供たちを社会に合わせようとしなくなるでしょう。


特に現代のように価値観が大きく変わる時代にあっては、そのはざまに生まれた子供たちの苦しみは想像以上のものがあると感じています。

大人たちも悪気があるわけではなく、自分もそのように育てられたという無知ゆえの所業です。


この世が幸せでない理由を、世界規模の陰謀に持っていこうとする人もいますが、その前に自分の中にある闇を見つめることが先決です。


一行目に戻りますが、我々がやるべきことはただ一つ、自分を含めた人々の心を癒すことです。


癒しこそが奇跡であり、サンガで展開している奇跡のコースも、癒しのコースに他なりません。


癒しとはHealing

Healの語源はWhole(全体)だと聞いたことがあります。


自分が個として分離しているという錯覚が心の病の根元なので、愛や癒しは全体性に向かうエネルギーということになります。

そしてこの愛のエネルギーこそが我々の本質であり、例外なく誰もの内側に備わっているので、人間の関心が自分の外側の世界から内側に向かうことが、的を射た生き方になります。




もし人類が自らの本質に目覚め、その本質に基づいた社会を形成したとしたら、この世から多くのものが不要になります。

軍隊はもちろんのこと、警察も、裁判所も、政治も、宗教もお役御免です。

いまだって何ら生産的なことをしていません。

病んでしまった社会があるがゆえに影響力を行使できているだけです。


にわかには信じられないかもしれませんが、人間には法や倫理道徳の前に、健全な根源的知性による秩序を作る能力があります。


その能力が「愛」です・

このことはワークやリトリートを無数に開催してきて確信していることです。



ずいぶん壮大な話になりましたが、もうひとつ真実を言えば、世界を癒すというのは、自分を癒すということなのです。

なぜなら、世界は自分の内側にあるからです。


また最後に訳の分からないことを書いてしまいました(笑)


今日伝えたいと思ったことは以上です。


・・・・・


【ZENサンガ会員のみなさんへ】

昨年末から迷惑メール対策としてメールの受信セキュリティが強化されています。

その影響で一斉メールが届きにくくなっているので、この場を借りてお知らせさせてください。

今夜は阿部のソロ講演があります。

この先のスケジュールも随時メールでお知らせしますが、同じ内容をサイトのトップページでも確認してもらえますのでご利用ください。





  


Posted by Toshiro Abe at 09:55Comments(27)

2021年02月18日

stop!!

これを読んだ瞬間、不意を突いてあらゆる動きを止めてみます。

何も判断せず、ただあるがままに広がる「いま」と共にいます。


あなたが干渉しなくても、世界は淡々と動き続けます。

それをただ見守っていてください。


何も考えずに、ただ、いまと一緒にいます。

このことを思い出すたびにやってみてください。

毎回30秒くらいでいいです。


そしてそのたびに、あるがままの命に落ち着いていきましょう。


・・・・・・


実はこれ、昨日サンガに出したメールの一部です。

多くの人から役に立ったと言ってもらえたので、ここにも載せてみました。






このショートレッスンは、いまにはじまったことではなく、10年以上前からこのブログでも何度も繰り返し伝えてきたことです。

ここに書いてきた文章を頭で納得しようとするより、実際にやってみるのはずっと有意義だと思います。


一日に何度も

「stop!!」


これは役に立ちます。


ちなみに僕は30年以上、毎日の習慣になっています。

無意識にダダ洩れしていたエネルギーがプールされますよ。

瞑想にも効果的です。



毎日、30秒を6回。

たった3分間。


これさえも忘れてしまう自我の愚かさ。


とは言うものの、ま、気楽にいきましょう(^^)





  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(12)

2021年02月17日

ストップ!!

非二元の世界を、二元の言葉で表さなくてはならない所に限界があります。

言葉は二元の道具でしかありません。

言葉は常に間接的なものだからです。


それに引き換え、非二元はダイレクトな世界。

すなわち直接体験なのです。

正確に言えば、昨日も話したように直接体験ingです。



それは、「いま」と「ここ」に目覚めているということ。

それ以外にありません。


なにか特別な世界があって、そこを目指しているのではないのです。

人は修行やレッスンを通して何かに行き着こうとします。

それが禅の修行であれ、奇跡のコースであれ同じこと。


そして何かを目指している時、自我はとても満足します。

自分は正しいことに向かっているというわけです。

でもどこにも向かっていません。


あえて目指すべき地点を言えば、「いま」と「ここ」を、まさにいま感応しているということ。

それは常に「いま」あります。






自我はとても巧妙でずるがしこい。

自我は自我を克服しようとさえするから。


自分がいないという事実に目覚めるのは、あなたではないのです。

ただ、目覚めだけが残ります。


実際にいまも目覚めだけがあります。

あなたはいままでも、いまも、これからも、目覚めた純粋意識であり、それ以外だったことはありません。

でも自分はそれ以外の何かだという夢が続いていて、その自分を生きているつもりになっているだけです。


だからといって、修行や奇跡のコースなどが無意味だということではなく、それらの実践自体が「結果」だということを忘れなければ役に立ちます。

そして同時にあらゆる行動も、それ自体が結果だということに留意すれば、あなたは「いまここ」にいます。


人生のあらゆる経験は目覚めのための機会であり、人生という物語を超えていくことだけが人生の存在理由なのです。


なぜ言い切れるのかは、あなたが目覚めたときに分かります。



そしてくどく伝えておきたいのは、あなたはすでに目覚めているということ。

だから何の心配もないのですが、誰もがそのことを見失ってしまったようです。




「喝!!」


ですよね、向さん(笑)



・・・・・・・


今夜の瞑想会のアドレスです

https://youtu.be/BwbrkVV3b7k





  


Posted by Toshiro Abe at 12:09Comments(10)

2021年02月16日

精神の道

まだスピリチュアルという言葉が一般に知られていなかったころ、精神の旅について最初に読んだ本が

「spiritual materialism 精神の物質主義」

でした。

チベット仏教カーギュ派の高僧、いまは亡きチョギャム・トゥルンパの講演録です。


彼は当時、アメリカ西海岸で瞑想道場を開き、集まってきた西洋人たちに真理を説いていました。

そこで彼が警鐘を鳴らしたのは、この道を歩むことの落とし穴についてです。


精神的な道を歩くことで自分を特別視したり、真理への一瞥や霊的体験をしたことを自分を飾る勲章のようにしてしまわないように、何度も何度もこの危険性を語り続けていました。



僕がこの本と出合ったのは、まさに最初の一瞥が起きた直後であり、それまで精神世界など見向きもしなかった自分が、あまりに強烈だった体験を説明してくれる本を探しているときでした。


当時はまだ書店に精神世界のコーナーなどなく、唯一、麻布警察の隣にあった青山ブックセンターに、それらしき本が置いてありました。


僕は地上からいきなり宇宙に連れ出されたような感覚になっていて、自分に起きていることをなんとか理解したいと思っていましたが、最初にこの本に出合えたのは幸運でした。

なぜなら、その体験にしがみ付こうとしていたからです。


そこには何重にもわたる欺瞞が横たわっていました。


まずは体験などというものは無いということ。

「真理の体験」と言ってしまうと、まるで一つの結果を得たように思ってしまいます。

しかし事実は、すべてが現在進行形であり、正しくは「体験ing」があるだけです。

体験という言葉は、それ自体を持ち運ぶ危険性を持っているのです。



そしてもうひとつの危険は、体験した「自己」を強めてしまうこと。

これこそが「spiritual materialism 精神の物質主義」です。


「私を見ろ。

宇宙の真理を見出した私がここにいる」

というわけです。

これが聖者や覚者、あるいは教祖の道に入ってしまう落とし穴です。


ごく普通の凡人として、当たり前に生きることこそ中道の道であり、真理の生き方であり、そこになんら特別なことはありません。


この世では、自分の霊的な特別さを売りにしている人が次々に登場し、特別な人のことが大好きなエゴたちのニーズを満たしています。

この傾向はいまに始まったことではなく、昔から続いているまやかしであり、後には何も残りません。





いまも続いているこの呼吸には、なんら特別なものはありません。

その一方で、この呼吸一つに内在している奇跡と神秘。


この態度が、本当の精神の道です。



この話にはさらに先があるのですが、言葉で表すことができません。

言葉とは、この世の道具であり、真実の次元のことは矛盾した表現しかできないからです。


しかし同時に、あなたはこの真理を心の奥で知っています。

あなたには得なければいけないものも、知らなければならないことも何もないのです。



いまもこうして生かされている不思議を感じた時、そこに現れるのが感謝の気持ちです。

あなたという存在の奇跡と神秘をお祝いしましょう。



今日も当たり前な人間として、あるがままの命に寛ぐことにします。


合掌







  


Posted by Toshiro Abe at 10:31Comments(18)

2021年02月15日

ゾルバザブッダ

まずは真理を知ることだ。

それは自分自身の存在を知ること。

自分が真理だったことを思い出すことだ。


自分が真理?

なんのこと?

まずはここから。


あなたが真理を知った時、すでに兼ね備わっていた自分の途方もない価値に出会うだろう。



そこから本当の人生が始まる。

その後は物質世界を思う存分楽しめばいい。

あなたは完全に自由だ。

なぜなら、過去の社会から強制された幻想の鎖から解き放たれているから。


好きなものを得て、好きなものを食べ、好きなことをすればいい。


聖と俗

空と色


その両方を生きる人を「ゾルバザブッダ」と呼ぶ。


僕はずっとあなたを、新しい生き方に誘っている。

新しい人類として生まれ変わるために。


それは古いものの修正ではなく、古いものとの断絶だ。



・・・・・・



昨夜の瞑想会でのミニ講演を公開しました。

話題は時事ネタのオリンピック組織委員会の会長辞任を取り上げています。

今日のブログ記事にもつながっています。

コチラ





  


Posted by Toshiro Abe at 12:50Comments(11)

2021年02月14日

今夜の瞑想会

今日は何か書こうと思ってPCの前に坐ったのですが、何も出てきません。

こういう時は無理に書くのではなくてお休みしようかと。


今朝はこれからNYと繋いで香咲弥須子さんとの対談講演。

先日は小出遥子さん。

二人のキャラは全く違うけれど、真理から一歩もぶれない潔さが好きです。



そんなわけでブログはまた書きます(^^;)


今夜21時からのアドレスは

https://youtu.be/rBOTdoGVErs

です。



それではみなさん、よい一日を。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(9)

2021年02月13日

いつも私が「ここ」にいて

いままでかつて一度も、どこにも出かけたことがなかった。

旅人はずっと「ここ」にいたのだ。


そして「ここ」とは「当処」


「当処すなわち蓮華国」



少し難解な文章になってしまいましたが、いま出てきた言葉たちです。


そして一休禅師の歌を思い出しました。


ひとり来て ひとり帰るも迷いなり

来たらず去らぬ道を教えん




永遠なる「いまここ」

それがあなたの本性です。


いつも「ここ」にいながら、どこか遠いところを歩いている夢を見ています。

それを人生と呼ぶのです。


誰もが救われていると言うのは、実際には誰一人どこにも出かけていないから。


「大丈夫」

というのはそういう意味です。



この真実があなたの存在を貫いたとき、途方もない安堵が広がっていきます。


でもそれまでは日々の出来事に心惑わされながら、いつかどこかを目指して生きていくことになります。


だからせめてあなたの耳元でささやき続けましょう。


「あなたは限りない愛に守られているよ」






おかえり




・・・・・・・


今月のハートマントラ(チャクラ瞑想が初めての方用)のクラスを増設しました。

詳細はコチラです。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:33Comments(15)

2021年02月11日

かりそめの宿

気楽に生きよう。

そんなメッセージを伝えてきましたが、すぐに何かに執着したり、巻き込まれたりして、何事も一大事みたいな顔をして生きる人がいます。


そういう人はきっと、この人生でやるべきことがあると考えているのでしょう。

変えるべきものがたくさんある。

この世界を、この現実を、そしてこの自分自身さえ、あるべき姿に変えるのだ。



人生は束の間だということを忘れているのだと思います。


人生は1泊2日の地球旅行みたいなものだと思ってみてください。

僕たちはここに来て、すぐに去っていく旅人なのです。



それなのに旅人は、一夜限りの宿を一生懸命に変えようとします。


雨漏りがするからと屋根をふき替えようとしたり

ドアの位置に悩み

新しい家具を搬入して

同室の旅人(家族)の生き方にまで口をはさむ。


そうやって一晩中、慌ただしく動き回って

そして翌朝には一人で旅立っていきます。



その宿の何がいけなかったのか。

宿はただそのようにあっただけなのに。


まるで自分は、何かを変えるために立ち寄ったかのようです。





滞在中にゆっくりすることもできたでしょうし、楽しむこともできたでしょう。

その宿がどう見えようと、かりそめのものだと知っていれば、深く巻き込まれずに済んだはずです。


思い当たる人は、改善屋さんをやめて、旅人として一休みしてみませんか。

その休息の中にこそ、旅の本当の目的が隠されています。



探している偉大な真理は、いまここにあるのです。





  


Posted by Toshiro Abe at 11:20Comments(37)

2021年02月10日

無題

いまコメントを読ませてもらいました。

星野さん、お勤めご苦労様。

いままで起きたことの全ても、そしていま起きていることも、人生のすべてを肯定していけるような理解にお連れしたいと思っています。

長年にわたり読んでくれてありがとうございます。


そしてさきほど、じゅんこさんが書いてくれたコメントの内容。

僕が今日ZENサンガメンバーに宛てたメールですが、じゅんこさんと同じように腑に落ちる人がいるかもしれないので、ここにも転載しておきます。



ただ黙って坐る。

こんな簡単なことが一番難しくなってしまいました。

なぜなら人は何かをせねばいられないからです。


もし何もしなければ、あなたの中からあなたは消えていきます。

そして元々あったにもかかわらず見失っていたものが姿を現し、元々なかったもの(私)が消えていきます。

坐禅をしたり瞑想したりすることは、最も大切なことなのです。








それとスピタメからのお知らせですが、いままでのスピタメサイトを閉じることになり、みなさんには残り数か月だけ動画を見てもらえるとお知らせしましたが、新しいサイトを立ち上げることで、いままでの動画をすべてそちらに移行できるようになりました。

したがってすでに購入済みの動画や音声は、引き続きご覧いただけます。

久しぶりに見てみると、また新鮮かもしれません。



さて、今夜21時の瞑想会は

https://youtu.be/c5DlvkFEyqM

です。



それではまたお会いしましょう。






  


Posted by Toshiro Abe at 13:27Comments(9)

2021年02月09日

過去からの解放

昨日書いた内容に関心を持ったあなたは、新しい人生を歩む力を携えています。

でなければ関心を持たなかったでしょう。

今日もそんなあなたに書いてみます。


新しい人生とは、一切の過去を落とし、まるでこの世に初めて生まれた人間のように、自分自身を生きていく生き方です。


人は社会という見せかけの舞台で芝居を演じるために生まれてきたのではありません。

与えられた真の命を生きるために生まれてきました。

誰のものでもなく、誰とも似ていない、本来の顔を持った人生をいきるために生まれたのです。


昨日も伝えましたが、自分ではない誰かを演じている人に幸せな人はいません。

そもそも幸せであるための最低条件を放棄しているからです。


そのような人は失くした幸せを得るために、社会用の仮面をさらに研ぎ澄まして、ひとかどの人物になろうとします。

そうやって地獄への道を突き進むのです。

しかも、幸せになるために。



新しい人生を歩む新しい人類には、過去の一切を後にする勇気が求められます。

過去の一切とは、文化、常識、社会システム、倫理、道徳、宗教などの全てです。

それらはすでに形骸化し、命を持っていません。

亡霊ともいえるそれらの見えない力によって拘束された精神を、解き放つ時代に入ったと言えます。





いまもあなたの中ではかすかな声があなたを導こうとしています。

その声は、いつも押さえつけられてきたので、聞き取れなくなってしまった人がほとんどです。

そして過去からの雑音(親や教師や世間の声)ばかりが渦巻きながら、あなたを惑わします。


それらの雑音から抜け出して、心静かに、沈黙と安らぎの時間を持つことが大切です。

まずはそこから始めてみましょう。



これからのあなたを先導するのは、あなたの内なる声です。

自灯明

自らを灯にするのです。



仏教は「自灯明」と言いながら、仏の教えを無二のものとしてきました。

しかし目指すべきは釈迦ではありません。

そうではなく、来るべく時代は、みんなが自分になるのです。

その自分は本来ブッダであり、自分がブッダになるのではありません。



・・・・・・・・・


この一週間、瞑想会をお休みしましたが、今週からまた始めていきます。


明日21時の瞑想会のアドレスです。

https://youtu.be/c5DlvkFEyqM







  


Posted by Toshiro Abe at 11:17Comments(25)

2021年02月08日

社会から超社会へ

この世が、かくも惨めなのはなぜでしょう。

なぜ誰も幸せになれないのか。

社会的な名声を得ても、財を得ても、本当の幸せを生きている人は極めてまれです。


それは成功者と呼ばれる人たちの顔を見ればわかります。

彼らは人工的な笑顔を振りまくだけで、その奥に喜びを感じません。


なぜでしょう。


この世には人を幸せにしない何かがあるのでしょうか。

世界を陰で支配する者がいて、我々をコントロールしているからでしょうか。

もしかしたらそうかもしれないと思えるくらい、一般庶民から大統領まで、みんなが心の内に神経症を抱えて、社会の奴隷になっているようです。



このような状態を作り出している原因は、社会そのものにあるのではないでしょうか。

社会は、その人がその人であることを許しません。

教育のすべては、人が個性を放棄して、善良な社会人になるように作られています。


教育の名のもとに、あるがままの自分は否定されます。

そしてあるべき自分を目指すように仕向けられるのです。


その結果、自分が何を感じているかではなく、何が受け入れられるかが重要になります。

自分にふたをして、欺瞞にあふれた表面的な自分を生きだすのです。


本当の自分を抑圧するのだから神経症になるのも当然であり、そこには惨めさしか残りません。





このような仕組みが、見えない支配者による陰謀の結果なのか、自然発生的なものかは別として、本当に幸せになりたければ、まずはこのからくりを理解することが大切です。

社会を生きるか、自分を生きるかを選ぶことです。


すでに洗脳されてしまったいま、社会ではなく自分自身を生きると決めるには大変な勇気がいります。

社会全体があなたを阻むかもしれません。

周囲からの非難も免れないでしょう。


それでも自分を生きることを決めれば、幼い頃に持っていた開放感を再び手に入れることができます。

幼いころは、他の誰かになろうなんて考えなかったはずです。

だから自分自身でいられました。



伝えたいのは、反社会的に生きるべきだということではありません。

それではみすみす社会との軋轢を作り出すだけです。


反社会というのは、社会の一部に過ぎません。

同じ土俵の上で戦っているだけだから。


反社会ではなく超社会でいることを提案しています。

社会を超えて初めて、自由と喜びが手に入るからです。



誰もが選ぶことができます。

自分を拒否して社会から称賛される生き方を選ぶか。

それとも自分を正直に生きるか。


例えば、

好きでもない人と好きでもない生活を続けるのか。

それともリスクを覚悟で自分の人生を生きるのか。



僕は欺瞞の人生を生きるよりは、世間から非難されるほうがマシだと思っています。

100%できるわけではないけれど、社会の規範から外れる自分がいても、むやみに否定したりしなくなりました。


だって社会は人工物であり、僕は自然の産物だから。


社会は共同幻想であり、僕はリアリティだから。


社会より僕のほうがずっと価値があると感じています。

それはあなたも同じこと。



お互い社会に譲り渡してしまった主導権を取り戻すことから始めてみませんか。

そこにこそ本当の幸せがあるのだから。


これが風の時代と言われる生き方の一側面だと思います。


必要なのは、幻想からリアリティへ向かう勇気です。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:50Comments(24)

2021年02月06日

ブッダ(仏)と仏性

「犬にも仏性はありますか?」

これは弟子が老師に向かって問うたという有名な一言。


それに対して老師は

「無」

と答えたそうです。



「無い」

と言ったのではありません。


有ると言おうと、無いと言おうと、どちらも真実を限定してしまうから。


したがってこの

「無」

という言葉は


「答えない」

という態度の表れだと思ったほうがいいでしょう。


禅にはこのような問答が幾つも伝わっていて、多くは不立文字(真実は言葉では表せない)の態度を貫いているのですが、もう少しサービス精神を持って、方便だと断りつつも言葉で表現してもいいと思います。



「犬にも仏性はありますか」


僕ならこう答えます。

「有る」

なぜならあらゆる存在の内側には一つなるエネルギーが流れているから。


木の中で木を生きているのも、虫たちも、動物たちも、みな等しくその中にあるのはあなたと同じ神聖さです。

この世には仏性しか存在していません。



でも、こう付け加えます。


「有る。

しかし人間だけがブッダ(仏)になることができる」






仏性があっても仏になれるのは人間だけです。

なぜか


それは人間だけが仏性から離れて、仏性を忘れてしまうから。

自意識に目覚めた時から、自らの本性を忘れ、自我という偽の自己と同化してしまうから。


そうやって不自然な世界に入り込みます。

その不自然さが地獄を作り出すのです。

人が持つ苦悩の大きさは、不自然な自分本位の世界に埋没している強さに比例します。

と同時に、仏性から離れた距離に比例するのです。


昨夜のサンガの講演でも話しましたが、あなたがどんなに仏性から離れたとしても、仏性があなたから離れることはありません。

これがあらゆる人の救いです。



そうやって仏性から離れて離れて、苦悩がマックスに達したとき、人は本来の故郷に帰りたいと熱望します。

それが回心、真理の探究の始まりです。

そしてやがて自らの仏性を顕わにして、ブッダになるのです。



ブッダになるには、一度自らの仏性を忘れなければなりません。

それができるのは人間だけです。



だから僕はこう答えます。


「犬にも仏性はあるか?」


「有る。

しかしブッダ(仏)になれるのは人間だけだ」


あなたの人生の旅は、このために用意されたと言ってもいいでしょう。


もう暗闇で手探りする期間は終わりました。


帰り道はここにあります。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:36Comments(12)