2019年12月31日
神の啓示
以前とても大きな失敗をしたことがあります。
なるべく思い出さないようにしていたのですが、先日ふとその出来事が頭に浮かびました。
「ああ、ほんとに馬鹿なことしちゃったな。
なんであんな間違いをしでかしたんだろう」
いつもなら
「以上!」
と言って思考を切り替えるのですが、この時は久しぶりにそんな記憶に浸っていました。
考えれば考えるほど馬鹿な行為で、どうしてそのような行動をとったのか理解不能なほどでした。
そんなときは、どうしても自分やその行為を責めてしまいます。
「ほんとに、ダメな奴だなァ」
その時です。
偉大なる神の啓示が全身を貫きました。
それは、これまで信じてきた人生観が覆るような偉大なる啓示でした。
神はこう言ったんです。
「なぜあんな馬鹿なことをしたかだと?
それはお前がもともとバカだからだ。
バカが馬鹿なことをするのは当たり前じゃないか」
その瞬間、全身から力が抜け腹の底から笑いがこみ上げてきました。
そうか自分はもともとバカなんだ。
バカが馬鹿なことをするのは当たり前じゃないか。
きっとこれからも馬鹿なことをすることだろう。
だってバカなんだから(笑)
自分が本当はバカだということを知ることほど、偉大な救いはないと思いました。
今年も一年お世話になりました。
皆さん良いお年をお迎えください(^^)
・・・・・・・・・
【業務連絡】
明日正月元日、午前9時から、天河神社にて、ZENサンガのみなさんのご祈祷をさせて頂きます。
これが令和で初めて迎えるお正月の、個人団体に向けた天河神社最初のご祈祷となります。
今日までに入会手続きを済ませた方は神前への名簿に載させてもらいますので、入会する方は今日中のお手続きをお勧めします。
なるべく思い出さないようにしていたのですが、先日ふとその出来事が頭に浮かびました。
「ああ、ほんとに馬鹿なことしちゃったな。
なんであんな間違いをしでかしたんだろう」
いつもなら
「以上!」
と言って思考を切り替えるのですが、この時は久しぶりにそんな記憶に浸っていました。
考えれば考えるほど馬鹿な行為で、どうしてそのような行動をとったのか理解不能なほどでした。
そんなときは、どうしても自分やその行為を責めてしまいます。
「ほんとに、ダメな奴だなァ」
その時です。
偉大なる神の啓示が全身を貫きました。
それは、これまで信じてきた人生観が覆るような偉大なる啓示でした。
神はこう言ったんです。
「なぜあんな馬鹿なことをしたかだと?
それはお前がもともとバカだからだ。
バカが馬鹿なことをするのは当たり前じゃないか」
その瞬間、全身から力が抜け腹の底から笑いがこみ上げてきました。
そうか自分はもともとバカなんだ。
バカが馬鹿なことをするのは当たり前じゃないか。
きっとこれからも馬鹿なことをすることだろう。
だってバカなんだから(笑)
自分が本当はバカだということを知ることほど、偉大な救いはないと思いました。
今年も一年お世話になりました。
皆さん良いお年をお迎えください(^^)
・・・・・・・・・
【業務連絡】
明日正月元日、午前9時から、天河神社にて、ZENサンガのみなさんのご祈祷をさせて頂きます。
これが令和で初めて迎えるお正月の、個人団体に向けた天河神社最初のご祈祷となります。
今日までに入会手続きを済ませた方は神前への名簿に載させてもらいますので、入会する方は今日中のお手続きをお勧めします。
Posted by Toshiro Abe at
08:30
│Comments(56)
2019年12月29日
寒ながら 田町入れます
あなたが完全なる解放を迎えた時・・・いや待てよ完全な解放を迎えるのはあなたではなく、本当のあなたという言い方のほうが良いだろうか。
人がどう読むかということを考え出すといちいち話が遠回りになるので、気にせずここのまま進めます。
あなたが完全なる解放を迎えたとき、いままでの全ての精神的肉体的な苦しみと、閉塞感、そして不安や恐れといった感情たちに感謝することでしょう。
なぜならそれらの苦しみがあったからこそ、解放の喜びが大きくなっているからです。
もしかしたらあらゆる苦しみはこの瞬間のためにあったのではないかと思えるほどです。
完全なる解放は肉体が死ぬときも訪れます。
自分の身内が病院のベッドで苦しみながら逝く様を見てとても憐れむ人がいますが、死んだその人は肉体から解放された瞬間、想像を絶するようなとてつもない喜びに包まれると断言しておきます。
死んでもいないくせになぜ断定的に言えるのかですが、肉体的な死とは別の形で、死とはこういうものかという洞察が訪れることがあり、それは普段の現実以上にリアルな体験なので揺るぎようがなく、ただそのことを報告しています。
ですからいま苦悩の真っ最中の人に伝えます。
あなたがその苦しみから解放されるのは確実です。
そしてその時の歓喜や悦びは、いまの苦悩に反比例した大きさであなたに訪れるので、よかったねと伝えておきます。
だからなにもかも全部含めて大いなる流れにお任せすることです。
今日も同じ結論になってしまいましたが、これは何度でも伝えてあげたい。
本当に大丈夫だって。
あなたは必ず存在の源に帰りますし、その源はすべての素晴らしさに満ちた、まさに天国と呼ばれるような次元だからです。
そういえば先日の大阪のセミナーに、「根拠はないけど大丈夫」と書いたトレーナーを着ていた人がいましたね。
あれいいですね。
ふと目にした人の心が軽くなるかもね。
実は昨日の記事を今年の最後にしようと思ったのですが、これもカルマでしょうか、またこうして音声入力に向かってぐだぐだと話をしている自分がいます。
このまま漢字の変換ミスを修正して、なにかイラストを選んでから載せることにします。
そうそう、今朝は天河神社の朝拝に出ました。
身を切られるような極寒の中で、神官たちがいつもと変わらず祝詞をあげていました。
僕はなぜここがこんなに好きなんだろう。
かんながら たまちはえませ
ちなみに音声入力では
「寒ながら 田町入れます」
でした。
もういちど
かんながら たまちはえませ
人がどう読むかということを考え出すといちいち話が遠回りになるので、気にせずここのまま進めます。
あなたが完全なる解放を迎えたとき、いままでの全ての精神的肉体的な苦しみと、閉塞感、そして不安や恐れといった感情たちに感謝することでしょう。
なぜならそれらの苦しみがあったからこそ、解放の喜びが大きくなっているからです。
もしかしたらあらゆる苦しみはこの瞬間のためにあったのではないかと思えるほどです。
完全なる解放は肉体が死ぬときも訪れます。
自分の身内が病院のベッドで苦しみながら逝く様を見てとても憐れむ人がいますが、死んだその人は肉体から解放された瞬間、想像を絶するようなとてつもない喜びに包まれると断言しておきます。
死んでもいないくせになぜ断定的に言えるのかですが、肉体的な死とは別の形で、死とはこういうものかという洞察が訪れることがあり、それは普段の現実以上にリアルな体験なので揺るぎようがなく、ただそのことを報告しています。
ですからいま苦悩の真っ最中の人に伝えます。
あなたがその苦しみから解放されるのは確実です。
そしてその時の歓喜や悦びは、いまの苦悩に反比例した大きさであなたに訪れるので、よかったねと伝えておきます。
だからなにもかも全部含めて大いなる流れにお任せすることです。
今日も同じ結論になってしまいましたが、これは何度でも伝えてあげたい。
本当に大丈夫だって。
あなたは必ず存在の源に帰りますし、その源はすべての素晴らしさに満ちた、まさに天国と呼ばれるような次元だからです。
そういえば先日の大阪のセミナーに、「根拠はないけど大丈夫」と書いたトレーナーを着ていた人がいましたね。
あれいいですね。
ふと目にした人の心が軽くなるかもね。
実は昨日の記事を今年の最後にしようと思ったのですが、これもカルマでしょうか、またこうして音声入力に向かってぐだぐだと話をしている自分がいます。
このまま漢字の変換ミスを修正して、なにかイラストを選んでから載せることにします。
そうそう、今朝は天河神社の朝拝に出ました。
身を切られるような極寒の中で、神官たちがいつもと変わらず祝詞をあげていました。
僕はなぜここがこんなに好きなんだろう。
かんながら たまちはえませ
ちなみに音声入力では
「寒ながら 田町入れます」
でした。
もういちど
かんながら たまちはえませ
Posted by Toshiro Abe at
11:02
│Comments(66)
2019年12月28日
何も起きていない
チームtheドラゴンさん
>「何も起きてなどいない」・・・これを記事に書いて下さい(ませんか?)
「何も起きなかった
これからも何も起きない」
これは真理を歌う吟遊詩人、バウルの歌に出てくる一節です。
バウルという集団は15世紀ごろから、楽器以外は何一つ所有せず、ベンガル地方やバングラディシュを中心に村から村を旅していました。
さて、
何も起きていないということの意味ですが、
これを理解するのはとても簡単なことです。
一切のストーリーを横に置いて、まさにいま、あるがままのいまと一緒にいるだけです。
このいまは、いつどんな時も同じようにあります。
マインドはすぐに、いま起きていることにフォーカスして、あのときのいまと、このいまは違うと主張しますが、それはストーリーを持ち込んでいるからであり、いまになりきったときマインドは消え失せ、あるがままの命そのものになっています。
時間の世界で言う10年前のいまと、10年後のいまも全く同じものです。
このことが感じられたとき、実は何も起きてないということが明白になります。
起きているというのは、すべてストーリーであり、時間の中にだけ存在しています。
そして、時間そのものが存在していないのです。
話に付いてきていますか?
いまと共にあると言うのは時間を超えた世界のことです。
いまというのは0.0001秒の瞬間のことではなく、時間を超えた永遠のことです。
0.0001秒と言えども、時間の長さに変わりありません。
いまという永遠は、空(くう)の別名でもあるのです。
僕の説明が今日のあなたに理解不能だとしても、こんな説明はただの理屈であり、どうでもいいことです。
そんなことより、あるがままのいまになりきる、あるがままの命に落ち着くという実践が大切です。
ZENサンガの誓いの言葉の冒頭に出てくる
「私たちは、あるがままの命に落ち着き・・・」
というのはこのことです。
何度も皆さんに奨励してきたストップ瞑想も、この感覚を養ってくれます。
坐禅もまさにこのことに根差しています。
よく思うのですが、質問ばかりしていないで実践することが大切です。
我々のマインドは時間という虚構の世界に完全に囚われているので、いまを感得するという状態に持っていくためには練習が必要なのです。
この練習は間違った習慣を正しい状態に揺り戻すためのものです。
この先、香咲弥須子さんに指導してもらうのも、誤った信念をゼロポイントに戻していくための心の訓練に過ぎません。
それを修行という言い方もできますが、僕は修行より練習や訓練という言葉の方が好きです。
最初から上手に泳げた人いませんし、最初から自転車に乗れた人もいなかったでしょう。
かかる時間の差こそあれ誰でも練習は必要です。
そして練習すれば、泳ぎや自転車同様に誰もが可能なのです。
ただし、正しい教師のもとで正しい方向に訓練しないと、逆に遠ざかっていってしまいます。
その訓練が正しいか否かを判断するポイントは、それが時間の中のストーリーに根ざしているのか、あるいは時間を超えた世界に根差しているのかの違いです。
まさにいま、あらゆる動きを止めて見えるもの聞こえるもの感じるもの、ただそれをそのままにしておきます。
一切の判断をせず、そこに注釈をつけず、ただあるがままをほっとくのです。
そのあるがままを認識している純粋意識、それが本当のあなたです。
そしてそれは永遠にいまここにあり続けています。
Stop!!
・・・・・・・・・・
【お知らせ】
年明けの1月19日。
圓融寺住職の阿 純章さんと新春対談を東京KFCホールで開催します。
参加募集は1月に入ってからになりますが、関心がある人は空けておいてください。
>「何も起きてなどいない」・・・これを記事に書いて下さい(ませんか?)
「何も起きなかった
これからも何も起きない」
これは真理を歌う吟遊詩人、バウルの歌に出てくる一節です。
バウルという集団は15世紀ごろから、楽器以外は何一つ所有せず、ベンガル地方やバングラディシュを中心に村から村を旅していました。
さて、
何も起きていないということの意味ですが、
これを理解するのはとても簡単なことです。
一切のストーリーを横に置いて、まさにいま、あるがままのいまと一緒にいるだけです。
このいまは、いつどんな時も同じようにあります。
マインドはすぐに、いま起きていることにフォーカスして、あのときのいまと、このいまは違うと主張しますが、それはストーリーを持ち込んでいるからであり、いまになりきったときマインドは消え失せ、あるがままの命そのものになっています。
時間の世界で言う10年前のいまと、10年後のいまも全く同じものです。
このことが感じられたとき、実は何も起きてないということが明白になります。
起きているというのは、すべてストーリーであり、時間の中にだけ存在しています。
そして、時間そのものが存在していないのです。
話に付いてきていますか?
いまと共にあると言うのは時間を超えた世界のことです。
いまというのは0.0001秒の瞬間のことではなく、時間を超えた永遠のことです。
0.0001秒と言えども、時間の長さに変わりありません。
いまという永遠は、空(くう)の別名でもあるのです。
僕の説明が今日のあなたに理解不能だとしても、こんな説明はただの理屈であり、どうでもいいことです。
そんなことより、あるがままのいまになりきる、あるがままの命に落ち着くという実践が大切です。
ZENサンガの誓いの言葉の冒頭に出てくる
「私たちは、あるがままの命に落ち着き・・・」
というのはこのことです。
何度も皆さんに奨励してきたストップ瞑想も、この感覚を養ってくれます。
坐禅もまさにこのことに根差しています。
よく思うのですが、質問ばかりしていないで実践することが大切です。
我々のマインドは時間という虚構の世界に完全に囚われているので、いまを感得するという状態に持っていくためには練習が必要なのです。
この練習は間違った習慣を正しい状態に揺り戻すためのものです。
この先、香咲弥須子さんに指導してもらうのも、誤った信念をゼロポイントに戻していくための心の訓練に過ぎません。
それを修行という言い方もできますが、僕は修行より練習や訓練という言葉の方が好きです。
最初から上手に泳げた人いませんし、最初から自転車に乗れた人もいなかったでしょう。
かかる時間の差こそあれ誰でも練習は必要です。
そして練習すれば、泳ぎや自転車同様に誰もが可能なのです。
ただし、正しい教師のもとで正しい方向に訓練しないと、逆に遠ざかっていってしまいます。
その訓練が正しいか否かを判断するポイントは、それが時間の中のストーリーに根ざしているのか、あるいは時間を超えた世界に根差しているのかの違いです。
まさにいま、あらゆる動きを止めて見えるもの聞こえるもの感じるもの、ただそれをそのままにしておきます。
一切の判断をせず、そこに注釈をつけず、ただあるがままをほっとくのです。
そのあるがままを認識している純粋意識、それが本当のあなたです。
そしてそれは永遠にいまここにあり続けています。
Stop!!
・・・・・・・・・・
【お知らせ】
年明けの1月19日。
圓融寺住職の阿 純章さんと新春対談を東京KFCホールで開催します。
参加募集は1月に入ってからになりますが、関心がある人は空けておいてください。
Posted by Toshiro Abe at
11:00
│Comments(29)
2019年12月27日
源泉への道
Disappointedさん
>>一つ言えるのは、近藤さんが非二元を経験することはないということ。
>>あなたの不在を全体意識が見抜いたとき「それ」があります。
>阿部さんのこの言葉に失望です。
>一瞥をしない限り、あなたにはわからないよって言い方は無茶ぶりにもほどがありますよ。
「一瞥をしない限り、あなたにはわからない」?
そんなことは言っていません。
「あなたには一瞥をすることはできない」と言っています。
もっと失望ですか?
だとしたらいい傾向です。
ただしこの失望が、僕の言葉に対するものではなく、自分に対する失望になった時、道が開けます。
このような言い方も傲慢に映るかもしれないけれど仕方ありません。
文字情報によるやりとりは読みたいように読んで感情を刺激することが多いので、この辺にしますね。
僕は近藤さんを知っています。
隣にいた奥様も含めて心から応援しています。
「食べられなくなったら食べなければいい」
という言葉の真意は、未来のことに心を向けるなということです。
もし食べられないような経済状態になったときは、その時の自分が何とかします。
ゴミ箱をあさって食べ物を探すかもしれないし、その時の自分に任せればいいのです。
そしていまは、そうならないように最善を尽くすのです。
「どうせ起きることしか起きない」
「やっているのは自分じゃない」
「全ては決まっている」
これらの言葉は真実ですが、頭で理解して自分に言い聞かせるのは危険です。
昔、こんなことがありました。
昼も夜も泣き止まない赤ちゃんがいて、お医者さんに見てもらっても理由が分からない。
とうとう霊能者のお世話になって、言われるがまま先祖霊を供養しても、仏壇のお線香の本数を変えても泣き止まない。
そのとき
「どうせ起きることしか起きない」
「これも全体の表現だ」
と言って傍観するでしょうか。
結局、もういちどお医者さんに見てもらったら、足に小さな針のようなものが刺さっていたそうです。
それを取ったら泣き止みました。
たとえ全てが全体の表現だとしても、やれるだけのことをやるという姿勢も大切です。
いまの近藤さんにも言えることだと思います。
そしてもうひとつ近藤さんが混乱してしまったのは、どこまでが自力でどこからが他力かということ。
あえて言葉で言えば、自力だと思っていることも含めてありとあらゆることは「起きている」のであって、自分がやっていることなどありません。
そもそも自力を発揮する「自分」が存在していないのだから。
それでもこうして、阿部が近藤さんに向かって何かを伝えているという現象はあります。
実際には表面上そのように見えているだけですが、「私とあなた」という感覚で生きているのも事実でしょう。
であれば、自己の不在という真実を心にとどめながら、いままで通り自分を生きればいいのです。
非二元の真実はあなたが言うように、上手くいかなかったことへの責任を感じる自分を楽にしてくれます。
そのうえで、いまできることをするという態度が必要だと考えています。
これは自力だろうか、他力だろうか、なんて考える必要はありません。
我々がどんなに真実を忘れようと、無視しようと、真実が損なわれることはないので安心して自分を生きましょう。
いずれ真実は明らかになります。
いつも思うのですが、このような情報に関心を持ち始めたということは、「その日」は近いということです。
全体の流れが、目覚めの風潮を後押ししているような気がしています。
瞑想のススメさんが言うように、まずは瞑想することではないでしょうか。
結局のところ、それしかないと思っています。
さてここからは最近の心境ですが、まるで背中に羽が生えたかのようです。
自由に大空を飛んでいるような感覚です。
墜落したら、また飛びます(笑)
みんなに会えてよかった。
>>一つ言えるのは、近藤さんが非二元を経験することはないということ。
>>あなたの不在を全体意識が見抜いたとき「それ」があります。
>阿部さんのこの言葉に失望です。
>一瞥をしない限り、あなたにはわからないよって言い方は無茶ぶりにもほどがありますよ。
「一瞥をしない限り、あなたにはわからない」?
そんなことは言っていません。
「あなたには一瞥をすることはできない」と言っています。
もっと失望ですか?
だとしたらいい傾向です。
ただしこの失望が、僕の言葉に対するものではなく、自分に対する失望になった時、道が開けます。
このような言い方も傲慢に映るかもしれないけれど仕方ありません。
文字情報によるやりとりは読みたいように読んで感情を刺激することが多いので、この辺にしますね。
僕は近藤さんを知っています。
隣にいた奥様も含めて心から応援しています。
「食べられなくなったら食べなければいい」
という言葉の真意は、未来のことに心を向けるなということです。
もし食べられないような経済状態になったときは、その時の自分が何とかします。
ゴミ箱をあさって食べ物を探すかもしれないし、その時の自分に任せればいいのです。
そしていまは、そうならないように最善を尽くすのです。
「どうせ起きることしか起きない」
「やっているのは自分じゃない」
「全ては決まっている」
これらの言葉は真実ですが、頭で理解して自分に言い聞かせるのは危険です。
昔、こんなことがありました。
昼も夜も泣き止まない赤ちゃんがいて、お医者さんに見てもらっても理由が分からない。
とうとう霊能者のお世話になって、言われるがまま先祖霊を供養しても、仏壇のお線香の本数を変えても泣き止まない。
そのとき
「どうせ起きることしか起きない」
「これも全体の表現だ」
と言って傍観するでしょうか。
結局、もういちどお医者さんに見てもらったら、足に小さな針のようなものが刺さっていたそうです。
それを取ったら泣き止みました。
たとえ全てが全体の表現だとしても、やれるだけのことをやるという姿勢も大切です。
いまの近藤さんにも言えることだと思います。
そしてもうひとつ近藤さんが混乱してしまったのは、どこまでが自力でどこからが他力かということ。
あえて言葉で言えば、自力だと思っていることも含めてありとあらゆることは「起きている」のであって、自分がやっていることなどありません。
そもそも自力を発揮する「自分」が存在していないのだから。
それでもこうして、阿部が近藤さんに向かって何かを伝えているという現象はあります。
実際には表面上そのように見えているだけですが、「私とあなた」という感覚で生きているのも事実でしょう。
であれば、自己の不在という真実を心にとどめながら、いままで通り自分を生きればいいのです。
非二元の真実はあなたが言うように、上手くいかなかったことへの責任を感じる自分を楽にしてくれます。
そのうえで、いまできることをするという態度が必要だと考えています。
これは自力だろうか、他力だろうか、なんて考える必要はありません。
我々がどんなに真実を忘れようと、無視しようと、真実が損なわれることはないので安心して自分を生きましょう。
いずれ真実は明らかになります。
いつも思うのですが、このような情報に関心を持ち始めたということは、「その日」は近いということです。
全体の流れが、目覚めの風潮を後押ししているような気がしています。
瞑想のススメさんが言うように、まずは瞑想することではないでしょうか。
結局のところ、それしかないと思っています。
さてここからは最近の心境ですが、まるで背中に羽が生えたかのようです。
自由に大空を飛んでいるような感覚です。
墜落したら、また飛びます(笑)
みんなに会えてよかった。
Posted by Toshiro Abe at
10:10
│Comments(58)
2019年12月26日
慌てずゆっくり行きましょう
来てくれてありがとう。
人気ブログランキングへ
ZENサンガにたくさんのお申込みありがとうございました。
僕の数十年をすべて投入するつもりで、誠心誠意お付き合いさせてもらいます。
まずはいままで信じてきたことを少しずつ壊していく作業から始めてみますが、慌てずにゆっくり付いてきてください。
きっと解放的で面白いと思います。
どんな学びも楽しくなきゃね。
早期申し込みの特典は昨日で終わってしまいましたが、それでもまだたくさんの特典があり、元日から参加してもらうには12月28日くらいまでに申し込んでくれたら確実です。
最終的には12月30日まで受け付けさせてもらいます。
「絶対他力の神髄」の動画も、その日まで無料でご覧いただけます。
このランキングボタンも今日で最後。
日付が変わると同時に退会します。
長い間ご協力ありがとうございました。
ランキングから抜けるとこのブログが読めなくなるという人は、読者登録をすれば新しい記事がアップされたとき、ご希望のメルアドに案内が届きます。
PCの人は右の段に読者登録があり、スマホの人はトップページの「プロフィール」をクリックすれば読者登録があります。
この先はいままでのような頻度で記事をアップすることはできないかもしれませんが、サンガに参加しない人のためにも続けていきたいと思います。
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ZENサンガにたくさんのお申込みありがとうございました。
僕の数十年をすべて投入するつもりで、誠心誠意お付き合いさせてもらいます。
まずはいままで信じてきたことを少しずつ壊していく作業から始めてみますが、慌てずにゆっくり付いてきてください。
きっと解放的で面白いと思います。
どんな学びも楽しくなきゃね。
早期申し込みの特典は昨日で終わってしまいましたが、それでもまだたくさんの特典があり、元日から参加してもらうには12月28日くらいまでに申し込んでくれたら確実です。
最終的には12月30日まで受け付けさせてもらいます。
「絶対他力の神髄」の動画も、その日まで無料でご覧いただけます。
このランキングボタンも今日で最後。
日付が変わると同時に退会します。
長い間ご協力ありがとうございました。
ランキングから抜けるとこのブログが読めなくなるという人は、読者登録をすれば新しい記事がアップされたとき、ご希望のメルアドに案内が届きます。
PCの人は右の段に読者登録があり、スマホの人はトップページの「プロフィール」をクリックすれば読者登録があります。
この先はいままでのような頻度で記事をアップすることはできないかもしれませんが、サンガに参加しない人のためにも続けていきたいと思います。
Posted by Toshiro Abe at
09:08
│Comments(34)
2019年12月25日
12月25日の記事
普段はキリストのことを思い出すこともないのに、この時期になるとあちこちからクリスマスソングが流れてきて、ああ、またクリスマスシーズンかなんて思ったりしますよね。
これらの曲は、明日になるといきなりパワーダウンして、なにかけてるの?となります。
面白いですね。
だからせめて今日は思い切りクリスマスソングに浸りましょう。
最近はお正月もそうですが、そのことを自分に言い聞かせないとピンとこなくなりました。
歳を取るというのは、面白がることが減るのでしょうか。
いえいえそんなことはありません。
社会から与えられたものには関心が薄れますが、この歳になってこそできることも少なくない。
その証拠に、僕はいまが一番楽しいです。
さてそんなこんなで、今夜は今年最後のWeb瞑想会を開きます。
オープニングはクリスマスの雰囲気でね。
今日はクリスマスだと、自分に言い聞かせて一緒に瞑想しましょう(^^)
今年一年の心の大掃除です。
21時少し前になったら
https://www.ustream.tv/channel/rh5rrpCfAuq
にアクセスしてください。
・・・・・・・・・・・・
【お知らせ】
2020年のマントラ伝授のスケジュールはコチラにあります。
初めての方はハートマントラをお選びください。
1月は博多と東京です。
すでにハートマントラをお持ちの方も、ここからお選びいただけます。
Posted by Toshiro Abe at
11:52
│Comments(19)
2019年12月24日
本音を生きる
実際には、生きることはとても単純で簡単なことです。
あらゆる生き物がそうやって生きています。
ところが人間だけは生きることがとても複雑になってしまいました。
それは家族や社会や様々な関係を生きるために、自分を押し殺してしまったからです。
一人一人に個性があるように、わき起こってくる衝動も違います。
その衝動は必ずしも社会や他者が求めているものではないかもしれません。
そんなとき人は、自分の衝動を押し殺して、社会用の偽の自分を生きてしまいがちです。
社会の中でしか生きられないので社会を優先してしまうのです。
ところが皮肉なことに、人は自分の本当の気持ち(本音)を生きたとき、幸せや、生きがいや満足を得られるようにできています。
いま、ごまかしがきかない時代が訪れていて、それは個人の生き方にも影響を与えだしています。
否応なく本音でしか生きられなくなってしまった人もいることでしょう。
これはいま訪れている、大きな変化の波の一面です。
勇気をもって本当の自分を生きた時、大いなる流れの中にあるので、物事はいまよりスムーズに展開し始めます。
でも人はそれを信じられず、最も安全でベターだと思われる古い生き方を選んでしまいがちです。
それも悪いのではないですが、喜びや心の満足は得ることができませんし、何かが滞っている感覚から逃れられません。
たった一度の人生、どう生きたいかだと思います。
たとえば引き寄せの法則の大きなポイントは、自分を生きるということです。
多分このことを引き寄せの法則の提唱者は、
「素直に願う」
という言い方にしているんだと思います。
素直と言うのは、本当の自分の気持ちと言うことです。
これが法則の隠された真実です。
したがって指導する側の役割は、あれこれの理論を説明することではなく、昨日も話したように、その人を心の檻から外に連れ立つことだと思います。
話は変わりますが、ZENサンガのお申し込みは明日まで先行特典がもらえます。
もし興味がある人は、今日の内に申し込まれた方がお得だと思います。
ZENサンガのページ
Posted by Toshiro Abe at
13:00
│Comments(18)
2019年12月23日
正直に生きる
昨日の奥平亜美衣さんとの講演でも思いましたが、やはりつまるところ、本当の自分を生きるということに尽きると思います。
しかしこれは簡単そうで難しい。
と言うのも、あまりにも長い期間、偽の自分を生きてきてしまったからです。
あなたは、いままで学んできたことを全部横において、ゼロから新しく学んでみる気はありますか。
ZENサンガの目的はそこにあり、天河リトリートも然りです。
僕の役割は、あなたに何かを教えることではなく、あなたをその心の牢獄から外に連れ出すことだと思っています。
あなたが牢獄から自由になった時、最初からあなたに与えられていた根源的知性が発動し、力むことなく本当の自分を生き始めることでしょう。
参加を迷っている人は、迷うということは関心があるということではないですか。
そんな人には、無条件のキャンセル制度もあるので、気楽に一歩踏み出してみてください。
これはあなたの人生にとって、とても大きな一歩になるかもしれませんよ。
いま公開中の動画ですが、1時間13分から登場する香咲弥須子さんのあたりから、グッと迫力が出てきます。
ZENサンガ・オープンページ
Posted by Toshiro Abe at
09:20
│Comments(17)
2019年12月22日
入れ墨坊主
七色さん
>本当の人生って何ですか?どんな人生も幻じゃないんですか?
その通りどんな人生も幻です。
人が「人生」と呼ぶものは、全てその人の思考がつむいだ物語だから。
それがいけないということではないですよ。
人間はストーリーがなければ、会話もできませんし、必要なものです。
ただそのストーリーを唯一の現実だと信じてしまうところに、苦しみを生み出す原因があるのです。
このことを説明するには様々なアプローチがありますが、今日は直感に従って七色さんの質問に答えてみます。
>本当の人生って何ですか?どんな人生も幻じゃないんですか?
まずは、「本当の人生」と書いたのは、他に言い方がないからです。
そもそも人生という言葉を使った瞬間、それは時間の中に存在しています。
時間こそがあらゆる幻の大元なのですが、人はそのことに気がついていません。
「私」という幻想も、時間の中を継続している主体があるという幻想から生じています。
繰り返しますが、すべての幻想の大元は「時間」という幻想です。
したがってここで言いたかった「本当の人生」というのは、時間を超えた、そして人生を超えた「あり方」のことです。
それは生き方ではなく、あり方なのです。
生き方は時間の中に存在し、あり方はいまここにあります。
このことを感得しながら生きること、それが「もう一つの人生」という言葉で言おうとしたことです。
何が言いたいか伝わりましたか?
伝わらないとしたら、いまの僕とあなたの波長が合わないだけで、お互いに心の底で本当の真実を知っています。
こういう質問は好きです。
ありがとうございました。
さて、午後からは奥平亜美衣さんとの講演会。
今日は冬至で13時19分に冬至点になるそうなので、その時間にみんなで瞑想していたいと思います。
会場に来られない人も今日は日曜日だし、もし都合がつけば同じ時間に瞑想しませんか。
今日の講演内容は、「存在の真理と引き寄せの法則」
引き寄せの法則を超えた引き寄せの法則の話になると思います。
短く結論を言えば、偽物の自分を生きるのではなく、本当の自分を生きるということに尽きます。
こういう言い方をすると
「本当の自分て何?」
という人もいますが、こんな単純なこともわからなくなってしまったくらい、人は複雑なマインドと共に生きています。
本当の自分とは、そのままのホントの自分のことです(笑)
そしてこれが引き寄せの法則の極意です。
またいつかお話しますが、きのう推奨したZENサンガの動画「絶対他力の神髄」の話の中に出てくる、入れ墨坊主がいましたよね。
堀澤祖門さんも彼を可愛がっているという話でした。
生意気な言い方ですが、僕も彼(入れ墨坊主)を高く評価しています。
まず彼は、正直に自分を生きている。
彼の選択基準は他者の目や評価ではなく、自分自身の魂にあるということ。
(魂という言葉も他にないから使いますが、あまりこだわらないで聞いてください)
彼がお金について僕につっかかってきたのも、お金を得ることに対してではなく、僕からお金へのこだわりを感じたからです。
僕もわざとそこを強調して、存在の真理と、欲しいものを欲しいと言うことは何の矛盾もないということを話したかったのですが、かみ合いませんでした。
彼はとても魅力的です。
あのとき彼はフィリピンの若い女性を連れていて、つい最近結婚したと言っていました。
彼女をとても敬い大切にしているのが伝わってきました。
ベンツに乗って、親子くらい年の離れた異国の女性を連れて、入れ墨坊主で、しかも子供のように純粋です。
これは天河神社の柿坂宮司にも言えることですが、完全に自分を生きてる人って少ないと思います。
それは、俗にいう「わがまま」とは違います。
わがままには知性がないけれど、自分の魂を生きるには深い洞察と知性が必要だからです。
そのような知性には慈愛があるから、そういう人は魅力的なわけです。
そして完全に自分の魂を生きた時、一見矛盾して見えますが、「絶対他力」を生きているのです。
じつはここに、引き寄せの法則の大きな真実が隠されています。
なんのこっちゃと思う人もいるかもしれませんが、今日は覚えていたらそんな話もしてみたい。
また報告しますね。
Posted by Toshiro Abe at
11:10
│Comments(23)
2019年12月21日
ZENサンガ
もしいままでの人生で信じてきたことが全て間違っていたとしたら。
真実の次元から見れば、まさに誰もの人生にこのことが起きています。
人生とはまるで自己催眠の幻のようなもの。
真実でないものは、たとえ何千年にわたって何百億人が信じてこようと真実にはなりえません。
幻は幻なのですから。
しかしその幻も、たった一瞬の真実によって消えてしまいます。
暗闇が瞬時に消えてしまうのと同じです。
「私は何千年も暗闇をやってきた。一瞬で消えてたまるか」
などと言って頑張ることもありません。
なぜかと言えば、暗闇(幻)など最初から存在していないからです。
闇とは光の不在のことで実体ではありません。
実体は光です。
同様に幻も真実の不在のことであり実体ではないのです。
真実こそが人を本当の自由に、そして本当の人生に導いてくれます
そんな情報を伝え続けてきたのがZENサンガです。
6年目に入る来月からは、天河神社の柿坂宮司が参入してくれて、また新しく生まれ変わります。
今日から新規メンバーの募集が始まりました。
一週間限定で公開する圓融寺でのZENサンガ講演も、この機会にご覧ください。
こちらから入れます。
ZENサンガ紹介ページ
真実の次元から見れば、まさに誰もの人生にこのことが起きています。
人生とはまるで自己催眠の幻のようなもの。
真実でないものは、たとえ何千年にわたって何百億人が信じてこようと真実にはなりえません。
幻は幻なのですから。
しかしその幻も、たった一瞬の真実によって消えてしまいます。
暗闇が瞬時に消えてしまうのと同じです。
「私は何千年も暗闇をやってきた。一瞬で消えてたまるか」
などと言って頑張ることもありません。
なぜかと言えば、暗闇(幻)など最初から存在していないからです。
闇とは光の不在のことで実体ではありません。
実体は光です。
同様に幻も真実の不在のことであり実体ではないのです。
真実こそが人を本当の自由に、そして本当の人生に導いてくれます
そんな情報を伝え続けてきたのがZENサンガです。
6年目に入る来月からは、天河神社の柿坂宮司が参入してくれて、また新しく生まれ変わります。
今日から新規メンバーの募集が始まりました。
一週間限定で公開する圓融寺でのZENサンガ講演も、この機会にご覧ください。
こちらから入れます。
ZENサンガ紹介ページ
Posted by Toshiro Abe at
10:15
│Comments(19)
2019年12月20日
あっちゃんスゲー!!
いつだったかな、youtubeを検索していたら、オリラジの中田敦彦くんが世界の宗教について解説していた。
これが実に面白かった。
彼はたんに本を読んだだけで、その本の内容を解説しているのだが、その洞察力と表現力には舌を巻いた。
しかも本職が芸人だけあって、パフォーマンスも素晴らしい。
タブーとされる創価学会の話なども、僕がネットラジオの「シャバダバダ!」でやろうとしたことだが、その勇気と切り口はさすがだと思った。
このようなテーマを扱う時は中立性が命だが、さすがに彼はそのあたりを心得ていて安心して見ていられる。
実は少し前、僕も製作スタッフを集めてyoutubeでメッセージを発信しようかなんて考えたけれど、あんなのがいるなら僕の出る幕などない。
音楽もダンスもイケているし、あっちゃん、すげーーー!!
彼は禅についても踏み込んできている。
内容を見ると、そうとう禅に関心を持っているのが見て取れる。
国内外の宗教を一通り解説できるくらい勉強した彼だが、結局は禅に行きついたようだ。
僕からすれば当然のことだ。
いまはまだ表面上の解説ではあるが、間違ったことは一つも言っていない。
しかも彼は、この世が集団催眠であることも見抜こうとしている。
そんな彼が最後まで疑問に思ってしまったあれこれがあって、それは言葉を超えた世界だから言いようがないけれど、僕なら彼に分かるように伝えてあげられるかもしれないと思った。
でも世代も違うし、業界関係者も入れ替わってしまっているから縁がなさそうだが、とにかく彼のような人物の出現は、これからの日本に期待が持てると思った。
さて、前々から約束していた圓融寺での講演動画。
これは販売用に考えていたものだが、ZENサンガの新規募集に合わせて、一週間だけ無料公開させてもらうことにした。
明日には公開できそうだが、その前に入門編として、あっちゃんのYoutubeは一見に値する。
もういちど言うが、あっちゃん、スゲーー!!
いろんな評価はあるだろうが、チャンネル登録して全部見る価値があると思う。
んなわけで、彼の禅についての動画をここに貼り付けておきます。
次回からZENサンガが完全リニューアル。
天河神社とのコラボが、また新しい世界を広げてくれそうだ。
空海、最澄、法然、親鸞、日蓮といった宗祖たちや、天神となった菅原道真などがこぞってお参りした天河大弁財天社。
この地を、21世紀を生きる人たちにどう活用していくか。
最近のオイちゃんはワクワクしすぎて、口から心臓が飛び出しそうだ。
みんなも仲間になって、一緒に未知の世界を旅しないかい。
明日から募集します。
Posted by Toshiro Abe at
11:26
│Comments(34)
2019年12月19日
黒猫のたーちゃん
今日は身近な話をしよう。
黒猫のたーちゃんの話だ。
沖縄にしては寒い夜だった。
当時僕はラジオ沖縄で番組を持っていた。
確かタイトルは「阿部敏郎の青春ど真ん中!」だったと思う。
さてその生番組が始まる前に、いつもはディレクターの梅ちゃんが、僕が後から聞くためのMDディスクを近くのコンビニで買ってきてくれるのが習わしとなっていた。
ところがその日に限って梅ちゃんが忙しそうで、しかも僕が「MDは?」と尋ねると露骨に嫌な顔して、「今日は手が離せないんです」と突き放すように言った。(笑)
仕方がない自分で買いに行くかと、当たり前のことなのに、いい大人が口をとがらせて寒空の下をコンビニに向かった。
その時だ。
僕の目の前を真っ黒なネズミのようなものがちょろちょろと横切った。
一体なんだと思ったが、すぐに黒猫の赤ちゃんだということに気がついた。
追いかけようとしたが番組が迫っていたので、そのままMDディスクを買って局に戻った。
さて番組が終わったその帰り道、智子さんと待ち合わせをして家路についたのだが、その時黒猫のことを思い出して
「さっきこの辺で黒猫の赤ちゃんを見かけたんだ。でもどこかに行っちゃったな」
なんて話していたら、彼女が、積んであったブロックとブロックの間にうずくまっている黒猫を見つけた。
さすがに猫のレスキュー隊長だけある。
まるで闇夜のカラスのようだったのによく見つけたものだと思ったが、手を伸ばすと何の抵抗もなく手のひらに乗っかってきた。
本当にネズミくらいの小さな赤ちゃんだ。
お母さんのおっぱいを飲んだばかりだったのだろうか、お腹がパンパンに膨れていた。
多分野良猫か、外で飼っている猫が産んだ子供だろう。
その時ちと迷ったが、このまま置いていけば車にひかれてしまうかもしれず、沖縄といえども寒空の下でコンクリートにうずくまっているのは忍びない気がしてそのまま家に連れて帰ることにした。
その瞬間ふと、これはもしかしたら誘拐ではないかと思ったのを覚えている。
お母さんごめんねと言いながら、手のひらの中に包み込むようにして家に向かった。
家に帰ってみると真っ黒だと思っていたその毛並みの奥に白いものがうじゃうじゃと集っている。
シラミだ。
そのシラミを娘が二晩くらいかけて一つ一つ取り去ってくれたら綺麗な黒猫に戻った。
それがこの子だ。
これはたったいま撮った写真だが、もしあの時梅ちゃんがいつものように買い物に行っていたらこの子には出会わなかった。
でもこの子と出会わなかった事は考えられない。
会うことになっていたと心の底から思うのだ。
やはり動物との出会いも全て決まっているような気がする。
大切な人との出会いも必然だと思うし、全ては大きな仕組みの中で粛々と展開しているのだろう。
たーちゃん、11歳。
せめてあと10年は生きて欲しいと切に願っている。
Posted by Toshiro Abe at
11:54
│Comments(33)
2019年12月18日
あなたがあなたでよかったね
昨日の続きで、もうひとつ伝えたい重要なことは、あなたという存在のとてつもない偉大さです。
この宇宙はたくさんの不思議と奇跡で満ちていますが、その中で最も大きな奇跡だと思うのが、その偉大なる存在が、考えられる限り最も卑小な存在として自己を認識してしまったことです。
まるで巨大な龍が、自分をイトミミズのように感じているようなものです。
この例えが的確だとは思わないけれど、それくらい極端なことが誰もの自己認識として起きています。
ですからあなたが自分本来の偉大さに気がついたとき、いや思い出したとき、自分が自分であったことに対する無尽の感謝が湧き出してくることでしょう。
実は僕のデビュー本である「いまここ」のカバー裏に、小さく
「あなたがあなたでよかったね」
と書いたのはこのことです。
この存在を愛と呼ぶのか、
宇宙と呼ぶのか、
神と呼ぶのか、
その人の言葉のイメージによって変わるでしょうが、考えられる限り最高最大の素晴らしさを全て兼ね備えた存在だと言っておきます。
しかもそれがどこか遠くからあなたを見守っているのではなく、いまもあなたとしてあなたを生きているのです。
今日はこれぐらいにしておきます。
あなたが、本当の自分は何者なのかを、知識としてではなく細胞の一つ一つで思い出す日が来ることを心から祈っています。
・・・・・・・・
【お知らせ】
今夜21時から、Web瞑想会を開きます。
みなさんをご招待しますので、一緒に真実の次元に帰りましょう。
こうして呼びかけた時は1000人規模の瞑想会になるので、とてもパワフルです。
21時少し前になったらNIKE瞑想会からアクセスしてください。
「The ZENサンガ」の新規会員募集は、早ければ週末から、遅くても週明けには始めたいと思っています。
また詳しくご紹介しますが、次期からは天河神社の柿坂神酒之祐宮司が、単なる講師としてではなく、内部からこの会を支えてくれる仲間として参加してくれます。
このことが我々会員にとってどのような意味があるのかも含めて、近日中にご紹介します。
この宇宙はたくさんの不思議と奇跡で満ちていますが、その中で最も大きな奇跡だと思うのが、その偉大なる存在が、考えられる限り最も卑小な存在として自己を認識してしまったことです。
まるで巨大な龍が、自分をイトミミズのように感じているようなものです。
この例えが的確だとは思わないけれど、それくらい極端なことが誰もの自己認識として起きています。
ですからあなたが自分本来の偉大さに気がついたとき、いや思い出したとき、自分が自分であったことに対する無尽の感謝が湧き出してくることでしょう。
実は僕のデビュー本である「いまここ」のカバー裏に、小さく
「あなたがあなたでよかったね」
と書いたのはこのことです。
この存在を愛と呼ぶのか、
宇宙と呼ぶのか、
神と呼ぶのか、
その人の言葉のイメージによって変わるでしょうが、考えられる限り最高最大の素晴らしさを全て兼ね備えた存在だと言っておきます。
しかもそれがどこか遠くからあなたを見守っているのではなく、いまもあなたとしてあなたを生きているのです。
今日はこれぐらいにしておきます。
あなたが、本当の自分は何者なのかを、知識としてではなく細胞の一つ一つで思い出す日が来ることを心から祈っています。
・・・・・・・・
【お知らせ】
今夜21時から、Web瞑想会を開きます。
みなさんをご招待しますので、一緒に真実の次元に帰りましょう。
こうして呼びかけた時は1000人規模の瞑想会になるので、とてもパワフルです。
21時少し前になったらNIKE瞑想会からアクセスしてください。
「The ZENサンガ」の新規会員募集は、早ければ週末から、遅くても週明けには始めたいと思っています。
また詳しくご紹介しますが、次期からは天河神社の柿坂神酒之祐宮司が、単なる講師としてではなく、内部からこの会を支えてくれる仲間として参加してくれます。
このことが我々会員にとってどのような意味があるのかも含めて、近日中にご紹介します。
Posted by Toshiro Abe at
10:32
│Comments(30)
2019年12月17日
目覚めろ!すでに夜は明けている!
人間に関して断定的に言えることが一つあります。
それは誰もが四六時中、夢を見ているということ。
寝ている時だけでなく、目を覚まして日中の活動をしている間も、ずっと夢が続いています。
歩いている時も、電車に乗っている時も、車を運転している時も、その夢は途切れることなく続いているのです。
何かをしている時は、まるで夢から覚めているかのような気がしますが、実際には心の底流で夢は続いています。
何を見ても、何かを経験しても、それらは夢の中で解釈され、夢の色彩を増やしているだけです。
睡眠中は情報が夢だけになるので、さらにクリアに夢を生きることになります。
ちょうど日が当たっていた映画のスクリーンでの映像が、部屋を暗くすることではっきりと見えてくるのと似ています。
でも人はこのような指摘をされても、自分は目覚めていて夢など見ていないと言い張ります。
夢を見ていることを自覚できれば、半分夢から覚めているのですが、ほとんどの人たちはそれ以前の状態にあります。
いまだって、僕が何を言っているのかピンとこない人の方が多いことでしょう。
夢とは思考が織りなすストーリーの事。
どんな時も目を閉じれば思考が続いていることに気が付くことでしょう。
瞑想を始めたばかりのころは、瞑想をすると思考が湧いてくるような気がしますが、実際には目を閉じたことで思考(夢)がはっきり認識できただけのことです。
この絶え間ない夢が、人を真理から離してしまいました。
真理がどこか遠くにあるから離れているのではありません。
近いとか遠いとかいう問題ではないのです。
問題は、思考が夢を見続けているか否かだけです。
したがって、どうやって真理を見つけるかではないのです。
何が訪れても思考による夢がその上に投影されて自分なりに解釈してしまうのだから、見つけることなどできるはずがありません。
あるがままの真理はいつだって明白に目の前にあるのに、人は自分の夢に合わせてそれを見てしまうのです。
真理はここにあります。
存在しているのは真理だけで、それ以外は存在していません。
これを見抜いたとき、人はあらゆる苦悩から解放されて真の平和を見出します。
それが「ア・コース・イン・ミラクルズ」が言うところの
「実在するものは脅かされない
実在しないものは存在しない
ここに神の 平安がある」
という言葉の意味です。
こうして文章にすると、なんだか難しい話のようになってしまいますが、実際には極めて単純なことを指摘しています。
でも夢を見ているマインドには理解することはできません。
この情報も夢の中で解釈しているからです。
結局のところ、あらゆる教えの目的は人を夢から覚ますことでしかないのですが、多くの教師が夢の中にいて、夢の教義を人に説き、人はそれを夢の中で受け取っているのが現状です。
こうして見ていくと、「ア・コース・イン・ミラクルズ」は完全に「ZEN」の影響を受けているように見えます。
ちょうど欧米で「ZEN」が注目されだした頃と、このコースが生まれた時期が一致するのも偶然ではないと感じます。
まずは「ZEN」の本家本元の日本人が夢から覚めること。
そんな志を持ってから、早35年が経ちました。
いまだ活動の半ば。
でも少しずつ手ごたえを感じる今日この頃です。
かんながら たまちはえませ
それは誰もが四六時中、夢を見ているということ。
寝ている時だけでなく、目を覚まして日中の活動をしている間も、ずっと夢が続いています。
歩いている時も、電車に乗っている時も、車を運転している時も、その夢は途切れることなく続いているのです。
何かをしている時は、まるで夢から覚めているかのような気がしますが、実際には心の底流で夢は続いています。
何を見ても、何かを経験しても、それらは夢の中で解釈され、夢の色彩を増やしているだけです。
睡眠中は情報が夢だけになるので、さらにクリアに夢を生きることになります。
ちょうど日が当たっていた映画のスクリーンでの映像が、部屋を暗くすることではっきりと見えてくるのと似ています。
でも人はこのような指摘をされても、自分は目覚めていて夢など見ていないと言い張ります。
夢を見ていることを自覚できれば、半分夢から覚めているのですが、ほとんどの人たちはそれ以前の状態にあります。
いまだって、僕が何を言っているのかピンとこない人の方が多いことでしょう。
夢とは思考が織りなすストーリーの事。
どんな時も目を閉じれば思考が続いていることに気が付くことでしょう。
瞑想を始めたばかりのころは、瞑想をすると思考が湧いてくるような気がしますが、実際には目を閉じたことで思考(夢)がはっきり認識できただけのことです。
この絶え間ない夢が、人を真理から離してしまいました。
真理がどこか遠くにあるから離れているのではありません。
近いとか遠いとかいう問題ではないのです。
問題は、思考が夢を見続けているか否かだけです。
したがって、どうやって真理を見つけるかではないのです。
何が訪れても思考による夢がその上に投影されて自分なりに解釈してしまうのだから、見つけることなどできるはずがありません。
あるがままの真理はいつだって明白に目の前にあるのに、人は自分の夢に合わせてそれを見てしまうのです。
真理はここにあります。
存在しているのは真理だけで、それ以外は存在していません。
これを見抜いたとき、人はあらゆる苦悩から解放されて真の平和を見出します。
それが「ア・コース・イン・ミラクルズ」が言うところの
「実在するものは脅かされない
実在しないものは存在しない
ここに神の 平安がある」
という言葉の意味です。
こうして文章にすると、なんだか難しい話のようになってしまいますが、実際には極めて単純なことを指摘しています。
でも夢を見ているマインドには理解することはできません。
この情報も夢の中で解釈しているからです。
結局のところ、あらゆる教えの目的は人を夢から覚ますことでしかないのですが、多くの教師が夢の中にいて、夢の教義を人に説き、人はそれを夢の中で受け取っているのが現状です。
こうして見ていくと、「ア・コース・イン・ミラクルズ」は完全に「ZEN」の影響を受けているように見えます。
ちょうど欧米で「ZEN」が注目されだした頃と、このコースが生まれた時期が一致するのも偶然ではないと感じます。
まずは「ZEN」の本家本元の日本人が夢から覚めること。
そんな志を持ってから、早35年が経ちました。
いまだ活動の半ば。
でも少しずつ手ごたえを感じる今日この頃です。
かんながら たまちはえませ
Posted by Toshiro Abe at
09:45
│Comments(29)
2019年12月16日
どこまで行っても同じこと
昨日は大阪ワンデイセミナー。
「幸福な富者への道」
お忙しい中多数お越しいただきありがとうございました。
東京に続いて二度目でしたがセミナーは体験型なのでやっていて実に面白い。
流れの中で自分の口をついて出てくる言葉も我ながら新鮮です。
昨日、何度か出てきた言葉は
「あなたの夢が叶おうが、欲しいものが手に入ろうが、あなたはいま以上には幸せにならない」
というもの。
夢を叶えるためのセミナーなのに、よく言うよという感じ(笑)
でも真実なのだから仕方がない。
人はみんな、自分の夢が叶ったあかつきには、幸せで満たされた自分が生きているようにイメージするけれど、実際にはいまと同じように、あるがままの自分がいるだけの話だ。
すでに巨万の富に恵まれ、社会的地位も確立した人ならば僕が言っていることが真実だということがわかるだろう。
どこまでいっても、不意に怒りが沸くときもあれば、問題に圧倒されるときもあれば、心穏やかでない時もある。
そしてそんな状態から逃れようと、「もっと、もっと」となるのだ。
昨日参加してくれた若者の話だが、同じようなことをジョンレノンが言っていたそうだ。
彼ならば、本当に言ったかもしれないと思った。
考えられる限りの富と名声を手に入れた彼が言うのだから、これは単純な事実なのだが、それでも人は性懲りもなく、あそこまで上り詰めればいまの自分よりずっと幸せになるはずだと考える。
もしジョンが幸せだったとしたら、それは愛するヨーコがそばにいる時間だったと思う。
これは僕のような小市民でも十分にわかることだ。
昔は豪華な温泉旅館を泊まり歩くのが夢だったこともあるが、そんなものは一週間も続ければ辟易としてくる。
懐石料理なんて見たくもなくなる。
眠るときは一畳分のスペースがあれば十分だ。
着るものだってジャージが一番らくだ。
それでもお金に苦労している時は、お金さえあればと思うのが人情だろう。
確かにそれもわからないでもない。
あるに越したことはないし、その秘訣も及ばずながら提供していきたいと思う。
でもその一方で、真実も忘れてはいけない。
人生とは「いまを生きること」であり、いまに徹すればあらゆるストーリーは消えてなくなることを。
人生はどこかに向かう旅ではなく、いつもいま、どんな自分を生きているかがすべてだ。
もっとわかりやすく言えば、いま幸せなのか、言い訳しているかのどちらかだ。
僕の場合の幸せの定義は、優しさと柔らかさだ。
いま優しい気持ちでいるのか、あるいはそうではないのかだけをチェックポイントにしている。
どんな立派なことを言っていても、何を手に入れていても、愛がなければ何もないのと同じこと。
このチェックは、社会的成功とは何の関係もない。
どこまで行っても同じことなのだ。
「あなたの夢が叶おうが、欲しいものが手に入ろうが、あなたはいま以上には幸せにならない」
というのはそういう意味だ。
どこまで行っても、こうしてあるがままの自分があるだけだということ。
せめて優しい気持ちを忘れないでいようね。
もう裁きはいらない。
・・・・・・・・・
【お知らせ】
次回ワンデイセミナーは博多で開催します。
1月13日
詳細はコチラから
「幸福な富者への道」
お忙しい中多数お越しいただきありがとうございました。
東京に続いて二度目でしたがセミナーは体験型なのでやっていて実に面白い。
流れの中で自分の口をついて出てくる言葉も我ながら新鮮です。
昨日、何度か出てきた言葉は
「あなたの夢が叶おうが、欲しいものが手に入ろうが、あなたはいま以上には幸せにならない」
というもの。
夢を叶えるためのセミナーなのに、よく言うよという感じ(笑)
でも真実なのだから仕方がない。
人はみんな、自分の夢が叶ったあかつきには、幸せで満たされた自分が生きているようにイメージするけれど、実際にはいまと同じように、あるがままの自分がいるだけの話だ。
すでに巨万の富に恵まれ、社会的地位も確立した人ならば僕が言っていることが真実だということがわかるだろう。
どこまでいっても、不意に怒りが沸くときもあれば、問題に圧倒されるときもあれば、心穏やかでない時もある。
そしてそんな状態から逃れようと、「もっと、もっと」となるのだ。
昨日参加してくれた若者の話だが、同じようなことをジョンレノンが言っていたそうだ。
彼ならば、本当に言ったかもしれないと思った。
考えられる限りの富と名声を手に入れた彼が言うのだから、これは単純な事実なのだが、それでも人は性懲りもなく、あそこまで上り詰めればいまの自分よりずっと幸せになるはずだと考える。
もしジョンが幸せだったとしたら、それは愛するヨーコがそばにいる時間だったと思う。
これは僕のような小市民でも十分にわかることだ。
昔は豪華な温泉旅館を泊まり歩くのが夢だったこともあるが、そんなものは一週間も続ければ辟易としてくる。
懐石料理なんて見たくもなくなる。
眠るときは一畳分のスペースがあれば十分だ。
着るものだってジャージが一番らくだ。
それでもお金に苦労している時は、お金さえあればと思うのが人情だろう。
確かにそれもわからないでもない。
あるに越したことはないし、その秘訣も及ばずながら提供していきたいと思う。
でもその一方で、真実も忘れてはいけない。
人生とは「いまを生きること」であり、いまに徹すればあらゆるストーリーは消えてなくなることを。
人生はどこかに向かう旅ではなく、いつもいま、どんな自分を生きているかがすべてだ。
もっとわかりやすく言えば、いま幸せなのか、言い訳しているかのどちらかだ。
僕の場合の幸せの定義は、優しさと柔らかさだ。
いま優しい気持ちでいるのか、あるいはそうではないのかだけをチェックポイントにしている。
どんな立派なことを言っていても、何を手に入れていても、愛がなければ何もないのと同じこと。
このチェックは、社会的成功とは何の関係もない。
どこまで行っても同じことなのだ。
「あなたの夢が叶おうが、欲しいものが手に入ろうが、あなたはいま以上には幸せにならない」
というのはそういう意味だ。
どこまで行っても、こうしてあるがままの自分があるだけだということ。
せめて優しい気持ちを忘れないでいようね。
もう裁きはいらない。
・・・・・・・・・
【お知らせ】
次回ワンデイセミナーは博多で開催します。
1月13日
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Posted by Toshiro Abe at
09:38
│Comments(30)
2019年12月15日
「ア・コース・イン・ミラクルズ」(奇跡のコース)
先日の阿さんとの対談に、飛び入りしてくれた香咲弥須子さん。
NYで「ア・コース・イン・ミラクルズ」(奇跡のコース)を教える日本人女性だ。
ア・コース・イン・ミラクルズというのは、コロンビア大学の心理学者が1965年に、イエス・キリストと思われる存在の声をキャッチし、自動書記のようにして書き留めた、「テキスト」・「ワークブック」・「指導者用マニュアル」の三部作だという。
まるで仏教の三蔵のようだが、この内容が実に面白い。
早い話が非二元(ノンデュアリティ)であり、絶対他力の真実を一歩もズレることなく解説している。
実は数年前に日本から発売された翻訳本の「ア・コース・イン・ミラクルズ」を出版社からいただいていたのだが、あまりのページ数と難解な表現に、ほとんど読まないまま書庫に眠っているという状態だった。
そこに、昨年沖縄で講演会を開いた香咲さんが、対談者として僕を指名してくれてお会いしたのがご縁となった。
実はあまり興味が持てなかったのだが、つい引き受けてしまったことで渋々出かけていったのだ。
ところが彼女が話す内容を聞いて、
「なんじゃこれは?!!」
となった。
さっきも言ったように、真実から1mmもズレていない。
最初にキャッチした言葉は
「実在するものは脅かされない
実在しないものは存在しない
ここに神の 平安がある」
というものだそうだ。
確かにこれ以上の真実はない。
簡単に解説すれば
空(くう)こそが実在であり、現象界(色)で何が起きても、誰一人決して影響されたり脅かされたりしない。
したがって徹頭徹尾
「大丈夫だ」
ということだ。
これは原罪を説くキリスト教とはかけ離れた声明のなので、相当な抵抗にあったと思うが、それでも真実は揺らぐことはない。
彼女は言う
「いままで学んできたことを全部取り消しましょう。
あなたが自分だと思ってきたものは真実でないどころか、存在さえもしていません」
僕から言わせると、女性特有の率直さの中に凄みさえ感じさせてくれる。
人生、出会うべく人には必ず出会う。
しかも一瞬早からず遅からず。
日本とNYとの距離はいかんともしがたいが、いまの時代は簡単に対談できてしまう。
そんなわけで禅サンガの講師としてお迎えしているわけだが、来期以降はさらに彼女の活躍の場を増やしていきたい。
メッセージそのものは僕が長年発信してきたことと同じだが、違う文化を背景にすると厚みが出てきて説得力が増してくる。
これからの人類に必要なのは、ズバリ「真実」であり、「真実もどき」はもうおしまいだ。
真実だけが人を救済し、本当の幸せに導くことができるから。
今日はわずかな時間で一気に書いてしまった。
このまま載せることにします。
大阪のホテルにて。
・・・・・・・・
【お知らせ】
2020年の年明けは、博多から活動をスタートします。
自己流ではいまいち瞑想の実感が持てないという人はいらしてください。
1月12日15時
博多ハートマントラ伝授
1月18日15時
東京ハートマントラ伝授
詳細はコチラから
NYで「ア・コース・イン・ミラクルズ」(奇跡のコース)を教える日本人女性だ。
ア・コース・イン・ミラクルズというのは、コロンビア大学の心理学者が1965年に、イエス・キリストと思われる存在の声をキャッチし、自動書記のようにして書き留めた、「テキスト」・「ワークブック」・「指導者用マニュアル」の三部作だという。
まるで仏教の三蔵のようだが、この内容が実に面白い。
早い話が非二元(ノンデュアリティ)であり、絶対他力の真実を一歩もズレることなく解説している。
実は数年前に日本から発売された翻訳本の「ア・コース・イン・ミラクルズ」を出版社からいただいていたのだが、あまりのページ数と難解な表現に、ほとんど読まないまま書庫に眠っているという状態だった。
そこに、昨年沖縄で講演会を開いた香咲さんが、対談者として僕を指名してくれてお会いしたのがご縁となった。
実はあまり興味が持てなかったのだが、つい引き受けてしまったことで渋々出かけていったのだ。
ところが彼女が話す内容を聞いて、
「なんじゃこれは?!!」
となった。
さっきも言ったように、真実から1mmもズレていない。
最初にキャッチした言葉は
「実在するものは脅かされない
実在しないものは存在しない
ここに神の 平安がある」
というものだそうだ。
確かにこれ以上の真実はない。
簡単に解説すれば
空(くう)こそが実在であり、現象界(色)で何が起きても、誰一人決して影響されたり脅かされたりしない。
したがって徹頭徹尾
「大丈夫だ」
ということだ。
これは原罪を説くキリスト教とはかけ離れた声明のなので、相当な抵抗にあったと思うが、それでも真実は揺らぐことはない。
彼女は言う
「いままで学んできたことを全部取り消しましょう。
あなたが自分だと思ってきたものは真実でないどころか、存在さえもしていません」
僕から言わせると、女性特有の率直さの中に凄みさえ感じさせてくれる。
人生、出会うべく人には必ず出会う。
しかも一瞬早からず遅からず。
日本とNYとの距離はいかんともしがたいが、いまの時代は簡単に対談できてしまう。
そんなわけで禅サンガの講師としてお迎えしているわけだが、来期以降はさらに彼女の活躍の場を増やしていきたい。
メッセージそのものは僕が長年発信してきたことと同じだが、違う文化を背景にすると厚みが出てきて説得力が増してくる。
これからの人類に必要なのは、ズバリ「真実」であり、「真実もどき」はもうおしまいだ。
真実だけが人を救済し、本当の幸せに導くことができるから。
今日はわずかな時間で一気に書いてしまった。
このまま載せることにします。
大阪のホテルにて。
・・・・・・・・
【お知らせ】
2020年の年明けは、博多から活動をスタートします。
自己流ではいまいち瞑想の実感が持てないという人はいらしてください。
1月12日15時
博多ハートマントラ伝授
1月18日15時
東京ハートマントラ伝授
詳細はコチラから
Posted by Toshiro Abe at
10:25
│Comments(25)
2019年12月14日
さてあらん
昨夜はWeb講演でした。
僕にとって最も自由に話ができる場で、しかも話をしている間は完全にいまここに帰ってきています。
自分が消えて、ただのスピーカーになりきっているのです。
そこから流れ出る言葉を、いっしょになって聞いているような状態です。
そのような状態はブログを書いている時も起きますが、生配信の場合はもっと顕著に出ます。
最も気持ちがいい時間であるとともに、一歩間違えば危険極まりない言葉が飛び出すスリリングな時間でもあります。
このような時間は阿部というキャラが活かされとても気持ちがいいのですが、いつもそんな自分でいられるわけではありません。
うっかりすると、すぐにお馴染みのストーリーに巻き込まれて、あーでもない、こーでもないと考えている時間帯もあります。
最も信頼する相手にさえ不信感が出てきて、そんな相手を心の中で裁いたりもします。
なにもかもが嫌になるときもあれば、すべてを愛おしく思う時もあります。
そのような思考や感情は決してなくなることはありません。
安心している時もあれば、不安の塊になることもあります。
頻度こそ変わりましたが、裏の面が無くなったわけではありません。
ただし昔との大きな違いは、そのような自分が出てきたとき、
またコイツが出てきた
以上!!
で終われること。
間違ってもそんな自分を克服しようとしたり、修正しようとしたりはしません。
そんなことはできないからです。
そのような面は、どこまでいっても自分の一部としてあり、当然ながら忘れたころに不意に顔を出します。
そのとき、まだ自分の中にはこんな面がある、などと思わないこと。
だって、誰もの中にもあるのだから。
あなたが聖者と仰ぐその人の中にもね。
だって人間だもの。
それでいいのです。
そういう面を克服したみたいな顔して聖者をやっている人もいますが、そうでないことは本人が一番よく知っています。
コインの表面だけになって裏面を消すことなどできないのだから。
繰り返しますが両面あっていいし、両面なければ存在できません。
ただそのような裏面を、社会で発揮しないだけの人間的成熟は必要です。
それでも裏面が消えるわけではないのです。
近日中に公開する動画「絶対他力の神髄」の中で、仏教学者(ご本人はこういう呼ばれ方は嫌い)の阿さんが親鸞の言葉として
「さてあらん」
を紹介してくれました。
親鸞ほどになっても、ふとしたときに自分の中の裏面を見ることがある。
これは消えないんだわさ。
だっていいも悪いもなく、このようにしてあるのだから。
そして親鸞はこう言います。
「まあ、さてあらん」
(人間とはこういうものだ)
あなたも僕も
さてあらん
いいねェ(^o^)
・・・・・・・・
【お知らせ】
12月22日、奥平亜美衣さんとの
「存在の真理と引き寄せの法則」
まさか引き寄せの法則が親鸞の思想とも通じる?
でもこのことを理解しなければ、引き寄せの本当の意味は分かりません。
来年、書籍化の予定です。
残り席僅かとなりました。
詳細はコチラから
僕にとって最も自由に話ができる場で、しかも話をしている間は完全にいまここに帰ってきています。
自分が消えて、ただのスピーカーになりきっているのです。
そこから流れ出る言葉を、いっしょになって聞いているような状態です。
そのような状態はブログを書いている時も起きますが、生配信の場合はもっと顕著に出ます。
最も気持ちがいい時間であるとともに、一歩間違えば危険極まりない言葉が飛び出すスリリングな時間でもあります。
このような時間は阿部というキャラが活かされとても気持ちがいいのですが、いつもそんな自分でいられるわけではありません。
うっかりすると、すぐにお馴染みのストーリーに巻き込まれて、あーでもない、こーでもないと考えている時間帯もあります。
最も信頼する相手にさえ不信感が出てきて、そんな相手を心の中で裁いたりもします。
なにもかもが嫌になるときもあれば、すべてを愛おしく思う時もあります。
そのような思考や感情は決してなくなることはありません。
安心している時もあれば、不安の塊になることもあります。
頻度こそ変わりましたが、裏の面が無くなったわけではありません。
ただし昔との大きな違いは、そのような自分が出てきたとき、
またコイツが出てきた
以上!!
で終われること。
間違ってもそんな自分を克服しようとしたり、修正しようとしたりはしません。
そんなことはできないからです。
そのような面は、どこまでいっても自分の一部としてあり、当然ながら忘れたころに不意に顔を出します。
そのとき、まだ自分の中にはこんな面がある、などと思わないこと。
だって、誰もの中にもあるのだから。
あなたが聖者と仰ぐその人の中にもね。
だって人間だもの。
それでいいのです。
そういう面を克服したみたいな顔して聖者をやっている人もいますが、そうでないことは本人が一番よく知っています。
コインの表面だけになって裏面を消すことなどできないのだから。
繰り返しますが両面あっていいし、両面なければ存在できません。
ただそのような裏面を、社会で発揮しないだけの人間的成熟は必要です。
それでも裏面が消えるわけではないのです。
近日中に公開する動画「絶対他力の神髄」の中で、仏教学者(ご本人はこういう呼ばれ方は嫌い)の阿さんが親鸞の言葉として
「さてあらん」
を紹介してくれました。
親鸞ほどになっても、ふとしたときに自分の中の裏面を見ることがある。
これは消えないんだわさ。
だっていいも悪いもなく、このようにしてあるのだから。
そして親鸞はこう言います。
「まあ、さてあらん」
(人間とはこういうものだ)
あなたも僕も
さてあらん
いいねェ(^o^)
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【お知らせ】
12月22日、奥平亜美衣さんとの
「存在の真理と引き寄せの法則」
まさか引き寄せの法則が親鸞の思想とも通じる?
でもこのことを理解しなければ、引き寄せの本当の意味は分かりません。
来年、書籍化の予定です。
残り席僅かとなりました。
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Posted by Toshiro Abe at
10:14
│Comments(28)
2019年12月13日
ライフワーク
昨日の記事の最後のランキングバナーの箇所に
「あとわずかとなりました」
と書いたら、何人かの人が反応していましたが、あとわずかというのはランキングへの参加のことです。
このブログに関しては、記事をアップする頻度が減ることがあっても、完全にやめてしまうことはありません。
もし万一の場合でも、このブログは削除しないように伝えておきますので、どうぞ使える方は使っていってください。
時代とともに活動内容は変わってきましたが、変わらないのはメッセージの本質と、瞑想の大切さ、そして禅という言葉に代表される真実の生き方へのガイドだと思っています。
僕は「禅サンガ」という名称で魂の共同体を運営していますが、これは禅を学ぶ会ではありません。
禅という言葉は「枠にはまらない」ということの象徴ですが、一般には「禅という枠」だと受け取られがちです。
僕にとっての禅は、枠にはまらないこと、いまここを生きること、宇宙的生命を感得すること、本当の自分を思い出すこと、苦悩から抜け出すこと、イキイキと生きること、真理と共にあること等です。
そんな世界をガイドする仲間として向令孝禅師がいますが、向さんも禅宗に縛られていない禅僧だからこそパートナーシップが取れています。
2015年1月に天河神社で発足したこの会も、来月から6年目を迎えることになります。
まさに光陰矢の如し。
最初はネット上でどう展開していいのかわからず、教材販売会社とタイアップしたりして遠回りしましたが、回を重ねるごとに本来のあるべき姿に発展してきました。
そして次期からは天河神社の柿坂神酒之祐宮司も仲間に加わってくれます。
いままで柿坂宮司は外部から応援してくれていましたが、これからは家族の一員として参加してくれることになりました。
詳しいことはまた来週ご紹介します。
話は変わりますが、ひこうき雲さんの心が軽くなったとのこと、とても嬉しいです。
昨日させてもらったアドバイスは、僕自身が同じような苦境に陥った時、そこから抜け出してきた生き方です。
「考えなければ問題は存在しない」と言われても、問題に浸りきったマインドには理解不能かもしれません。
それでも言いましょう。
問題は、その問題を考えた時だけ存在しています。
しかも存在するのは、考えた人の頭の中だけです。
そのように実体のないものが、人の心をむしばんでいます。
人間界の特徴は、実体でないものが実体となり、本当の実体が見失われていることです。
この的外れの態度が、西洋で言う「原罪」の元々の意味であり、東洋で言う「無明」にあたります。
そして真の幸福とは、実体と共にあること以外にありません。
この実体こそが愛です。
また話は変わりますが、ランキングから抜けるとこのブログが読めなくなると言う人がいましたが、読者登録をすれば新しい記事がアップされたとき、ご希望のメルアドに案内が届きます。
PCの人は右の段に読者登録があり、スマホの人はトップページの「プロフィール」をクリックすれば読者登録があります。
「あとわずかとなりました」
と書いたら、何人かの人が反応していましたが、あとわずかというのはランキングへの参加のことです。
このブログに関しては、記事をアップする頻度が減ることがあっても、完全にやめてしまうことはありません。
もし万一の場合でも、このブログは削除しないように伝えておきますので、どうぞ使える方は使っていってください。
時代とともに活動内容は変わってきましたが、変わらないのはメッセージの本質と、瞑想の大切さ、そして禅という言葉に代表される真実の生き方へのガイドだと思っています。
僕は「禅サンガ」という名称で魂の共同体を運営していますが、これは禅を学ぶ会ではありません。
禅という言葉は「枠にはまらない」ということの象徴ですが、一般には「禅という枠」だと受け取られがちです。
僕にとっての禅は、枠にはまらないこと、いまここを生きること、宇宙的生命を感得すること、本当の自分を思い出すこと、苦悩から抜け出すこと、イキイキと生きること、真理と共にあること等です。
そんな世界をガイドする仲間として向令孝禅師がいますが、向さんも禅宗に縛られていない禅僧だからこそパートナーシップが取れています。
2015年1月に天河神社で発足したこの会も、来月から6年目を迎えることになります。
まさに光陰矢の如し。
最初はネット上でどう展開していいのかわからず、教材販売会社とタイアップしたりして遠回りしましたが、回を重ねるごとに本来のあるべき姿に発展してきました。
そして次期からは天河神社の柿坂神酒之祐宮司も仲間に加わってくれます。
いままで柿坂宮司は外部から応援してくれていましたが、これからは家族の一員として参加してくれることになりました。
詳しいことはまた来週ご紹介します。
話は変わりますが、ひこうき雲さんの心が軽くなったとのこと、とても嬉しいです。
昨日させてもらったアドバイスは、僕自身が同じような苦境に陥った時、そこから抜け出してきた生き方です。
「考えなければ問題は存在しない」と言われても、問題に浸りきったマインドには理解不能かもしれません。
それでも言いましょう。
問題は、その問題を考えた時だけ存在しています。
しかも存在するのは、考えた人の頭の中だけです。
そのように実体のないものが、人の心をむしばんでいます。
人間界の特徴は、実体でないものが実体となり、本当の実体が見失われていることです。
この的外れの態度が、西洋で言う「原罪」の元々の意味であり、東洋で言う「無明」にあたります。
そして真の幸福とは、実体と共にあること以外にありません。
この実体こそが愛です。
また話は変わりますが、ランキングから抜けるとこのブログが読めなくなると言う人がいましたが、読者登録をすれば新しい記事がアップされたとき、ご希望のメルアドに案内が届きます。
PCの人は右の段に読者登録があり、スマホの人はトップページの「プロフィール」をクリックすれば読者登録があります。
Posted by Toshiro Abe at
10:10
│Comments(32)
2019年12月12日
人生とは・・・
昨日の23時にコメントを寄せた、ひこうき雲さん
あなたに贈る言葉はただ一つ。
「明日のことを考えないこと」
いまあなたがどこで何をしているにせよ、
心を落ち着かせてみれば、目の前にはただこうして、あるがままにあるものだけがあります。
これはいままでもずっとそうでした。
そのつど目に映る情景は変われど、ただそれらがあるがままにあるだけです。
テーブルがあり、カーテンがあり、コタツががあり、ストーブに乗せたヤカンからは湯気が沸き立っています。
そんな情景を目にしながら、あなたは事業の将来のことを考えているかもしれません。
それでも目の前のそれは、ただあるがままです。
あなたがその問題を考えていない時、問題はどこにも存在していません。
あなたが明日を考えていない時、明日も存在していないのです。
そしてあなたの不安は、あなたが明日を考えたときにだけやってきます。
繰り返しますが、いつも目の前には、ただあるがままのいまがあります。
そのことに気づき、そこに徹することが悟りです。
何も特別なことではないし、特別な人になることでもありません。
この気づきが、あらゆる問題と苦しみからの解放となります。
それは問題の中身とは何の関係もありません。
なぜならそれらは全て、その人の思考の産物だからです。
ただ、いまに落ち着く練習をしてみましょう。
明日のことを考えない練習です。
そしていま、場があなたに求めていることに淡々と対応していきましょう。
人がいまできる事はいつだって一つだけ。
人生とは単にそのことの繰り返しなのです。
さてあなたは、多くの人に迷惑をかけることになるかもしれないという心配も抱えているようです。
そのことへの一つの対処法ですが、まずはいまの状況が、考え得る限り最悪にまで落ち込んだ時のことを想像します。
次に、そうなった時のことをしっかり覚悟して腹をくくります。
後はいま、その状況をほんの少しでも回避するためにできることを、どんな些細なことでもいいからやり始めます。
底知れぬ不安は、最悪の状況を覚悟できてない時に起きているのです。
大丈夫。
あなたは大きな力に生かされています。
いままでだって自分の力で生きてきたと思っていますか?
あなたを生かしている力を信じるのです。
食べられなくなったら食べなければいいだけです。
人類が乗り越えてきた幾多の苦難に比べれば、どうってことありません。
そしていつかあなたは気づくでしょう。
いまのその不安や困難は、より豊かに喜びを感じるためのものだったことを。
あなたの人生を応援しています。
あなたに贈る言葉はただ一つ。
「明日のことを考えないこと」
いまあなたがどこで何をしているにせよ、
心を落ち着かせてみれば、目の前にはただこうして、あるがままにあるものだけがあります。
これはいままでもずっとそうでした。
そのつど目に映る情景は変われど、ただそれらがあるがままにあるだけです。
テーブルがあり、カーテンがあり、コタツががあり、ストーブに乗せたヤカンからは湯気が沸き立っています。
そんな情景を目にしながら、あなたは事業の将来のことを考えているかもしれません。
それでも目の前のそれは、ただあるがままです。
あなたがその問題を考えていない時、問題はどこにも存在していません。
あなたが明日を考えていない時、明日も存在していないのです。
そしてあなたの不安は、あなたが明日を考えたときにだけやってきます。
繰り返しますが、いつも目の前には、ただあるがままのいまがあります。
そのことに気づき、そこに徹することが悟りです。
何も特別なことではないし、特別な人になることでもありません。
この気づきが、あらゆる問題と苦しみからの解放となります。
それは問題の中身とは何の関係もありません。
なぜならそれらは全て、その人の思考の産物だからです。
ただ、いまに落ち着く練習をしてみましょう。
明日のことを考えない練習です。
そしていま、場があなたに求めていることに淡々と対応していきましょう。
人がいまできる事はいつだって一つだけ。
人生とは単にそのことの繰り返しなのです。
さてあなたは、多くの人に迷惑をかけることになるかもしれないという心配も抱えているようです。
そのことへの一つの対処法ですが、まずはいまの状況が、考え得る限り最悪にまで落ち込んだ時のことを想像します。
次に、そうなった時のことをしっかり覚悟して腹をくくります。
後はいま、その状況をほんの少しでも回避するためにできることを、どんな些細なことでもいいからやり始めます。
底知れぬ不安は、最悪の状況を覚悟できてない時に起きているのです。
大丈夫。
あなたは大きな力に生かされています。
いままでだって自分の力で生きてきたと思っていますか?
あなたを生かしている力を信じるのです。
食べられなくなったら食べなければいいだけです。
人類が乗り越えてきた幾多の苦難に比べれば、どうってことありません。
そしていつかあなたは気づくでしょう。
いまのその不安や困難は、より豊かに喜びを感じるためのものだったことを。
あなたの人生を応援しています。
Posted by Toshiro Abe at
09:09
│Comments(43)
2019年12月11日
本音を言えば角が立つ
本音を語ることが、いいことか悪いことかはわかりません。
昨日は遠方から浴酒神事に列席してくれてありがとうございました。
みんなで心を一つにして祈ることのパワーを感じました。
病み上がりということもあり、あまり皆さんに接することができなかったことが心残りでしたが、それぞれに経験を積まれたのではと思います。
これから話すことは一部の人たちを不快にするかもしれませんが、あくまでも阿部個人の意見だと思って聞いてください。
神事の中で、皆で心を合わせることの素晴らしさはすでに書いた通りです。
祈りは美しい。
天河リトリートでも最重視していることの一つでもあります。
と同時に心に明確によぎったのは、仏教だとか神道だとか宗教の時代は終わったということ。
単なる形式にすぎないと感じました。
千年以上にわたり権威の上に君臨してきた仏教は、すでに役目を終えています。
神道も似たところがありますが、その話は別の機会にしましょう。
法衣の色に現れたヒエラルキー。
うやうやしいお付きの者たち。
あれがいかに民衆から真実を遠ざけてしまっていることか。
このことは昨日だけでなく、広く一般に浸透してきた仏教界の姿なのだと思います。
数年前、禅宗の名門の高僧と対談した時も感じました。
この人が修行僧をどこに導こうというのかと思ったものです。
それなりの衣を着て部下を従えていれば、誰もがそれなりに見えるものです。
形式や権威に説得力を感じてしまう人たちの洗脳が解けていないうちは、そういうサービスも必要かもしれません。
問題はその役割と自分を同化してしまうことです。
そして最も大切な役目である、民衆を夢から覚ます役目を忘れてはいけない。
しかし本人が夢の中にいる場合はどうしようもありません。
仏の教えの根幹は「私」という幻想からの解放です。
もちろん、この真実に徹している僧侶もいます。
僕の知るところで言えば、向さんや阿さんがそうです。
したがって彼らとの対談は痛快です。
まだ他にもいるとは思いますが、あまり出会ったことはありません。
むしろ僧侶以外の人のほうが今日の話が分かるのではないでしょうか。
さきほど名前を挙げた彼らも、僧侶が集まる会合で真実が語られた記憶がないと言います。
話題はいつも寺の財政問題だとか。
禅サンガを主宰する者として、今日お伝えしたスタンスは明確にしておきます。
このような話に何かを感じてくれた人たちと、人生の最後の一節を共にしたいと思っています。
勝手なことを書きましたが、所詮は阿部ごときの戯言だとスルーしてくれたら幸いです。
昨日は遠方から浴酒神事に列席してくれてありがとうございました。
みんなで心を一つにして祈ることのパワーを感じました。
病み上がりということもあり、あまり皆さんに接することができなかったことが心残りでしたが、それぞれに経験を積まれたのではと思います。
これから話すことは一部の人たちを不快にするかもしれませんが、あくまでも阿部個人の意見だと思って聞いてください。
神事の中で、皆で心を合わせることの素晴らしさはすでに書いた通りです。
祈りは美しい。
天河リトリートでも最重視していることの一つでもあります。
と同時に心に明確によぎったのは、仏教だとか神道だとか宗教の時代は終わったということ。
単なる形式にすぎないと感じました。
千年以上にわたり権威の上に君臨してきた仏教は、すでに役目を終えています。
神道も似たところがありますが、その話は別の機会にしましょう。
法衣の色に現れたヒエラルキー。
うやうやしいお付きの者たち。
あれがいかに民衆から真実を遠ざけてしまっていることか。
このことは昨日だけでなく、広く一般に浸透してきた仏教界の姿なのだと思います。
数年前、禅宗の名門の高僧と対談した時も感じました。
この人が修行僧をどこに導こうというのかと思ったものです。
それなりの衣を着て部下を従えていれば、誰もがそれなりに見えるものです。
形式や権威に説得力を感じてしまう人たちの洗脳が解けていないうちは、そういうサービスも必要かもしれません。
問題はその役割と自分を同化してしまうことです。
そして最も大切な役目である、民衆を夢から覚ます役目を忘れてはいけない。
しかし本人が夢の中にいる場合はどうしようもありません。
仏の教えの根幹は「私」という幻想からの解放です。
もちろん、この真実に徹している僧侶もいます。
僕の知るところで言えば、向さんや阿さんがそうです。
したがって彼らとの対談は痛快です。
まだ他にもいるとは思いますが、あまり出会ったことはありません。
むしろ僧侶以外の人のほうが今日の話が分かるのではないでしょうか。
さきほど名前を挙げた彼らも、僧侶が集まる会合で真実が語られた記憶がないと言います。
話題はいつも寺の財政問題だとか。
禅サンガを主宰する者として、今日お伝えしたスタンスは明確にしておきます。
このような話に何かを感じてくれた人たちと、人生の最後の一節を共にしたいと思っています。
勝手なことを書きましたが、所詮は阿部ごときの戯言だとスルーしてくれたら幸いです。
Posted by Toshiro Abe at
09:10
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