2017年03月31日

緻密で必然な脚本

すでに手に入らなくなったCDを、一定数の予約が集まったら製品化するという企画をSony Musicが始めたのだそうです。

智子さんのCDがその対象になったそうで、今日発売されました。


惣領智子 RCA Years


ジャケットを見て一言

「わかっ!」






いま聴きながら書いていますが、当時からのクオリティの高さに驚いています。



シンガーはみんな人前に出たり、たくさんの活動を目指すと思いがちですが、彼女の性格は正反対で、周囲の期待が大きかったにもかかわらず、その活動は終始マイペースでした。


人生の不思議な巡りあわせで、当時彼女が歌ってくれることを前提に制作したドラマの主題歌も、あっさり辞退されてしまい、途方に暮れたのですが、その歌の担当プロデューサーが、何を隠そう若き日の僕でした。

で結局は、まだアマチュアだった作曲者自身が歌うことになって、それが時代を代表するミリオンセラーに輝き、僕の立場はいきなり良くなります。


もしあの時、智子さんが歌ったら、もっとすごい展開になったかもしれませんが、もしそうなれば、個人的な付き合いは生ずることなく、プロデューサーとアーティストという仕事の関係だけで終えていたでしょう。


それから4年後に、OSHOに会うためのインド行き飛行機で偶然出会います。

その飛行機に乗るには僕にも様々な偶然が重なり、智子さんも奇跡的な状況でその飛行機に乗ることになるのだから、やはり起きることは決まっていると思います。


ほんの小さな何かが一つ違うだけで、誰もの人生が大きく変わっていきます。


うちの息子も存在していませんし、いまごろ僕は何をしていたことやら。

たぶん社会には出てこなかったような気がします。


誰か一人が違うだけで、何もかもが変わってきます。

あなたの人生も、出来事のタイミングがちょっと違っただけで、人生の流れそのものが変わり、それはあなたの周囲にも影響を与え、やがては全体の展開に影響を与えることでしょう。



あたりまえのように過ごしているこの現実は、実に緻密な組み合わせによって、瞬間瞬間、バランスを取りながら展開しているのです。

そう思うと人生は、奇跡による奇跡の舞台と言えるかもしれません。


舞台は脚本によって展開していきますが、同時にその背後には、何も起きていないもう一つの現実があります。

そちらこそが存在の実相で、そこは安らぎに満ちています。


本来あらゆる宗教はその実相の発見のためのものですが、何でも対象化してしまうマインドのために、宗教性さえも脚本物語に組み込まれてきたのが人類の歴史です。



今日は坐禅についてお話ししようと思いましたが、また明日にしますね。



最後に、昨日頂いていたコメントにお答えします。

3月30日さんのコメント


>良いということを主張するために、歴史を改竄するのはどうかと思いますけど。

>マインドフルネスも禅も、釈迦の教えがオリジナルでしょう。



多くの人がそのような誤解の中にいます。

禅とは仏教が誕生する前からバラモン教などにも導入されていて、パーリ語ではジャーナ、サンスクリット語ではディヤーナと呼ばれていました。

そのジャーナやディヤーナを音写語として日本では「禅那」(ぜんな)となり、禅と呼ばれるようになりました。

確かに日本仏教に取り入れられたことで、禅は独自の進化を遂げ、あらゆる点で世界に突出する伝統となりましたが、禅そのものは仏教以前からある普遍的真理です。

我々にとってとても身近な真理であり、いまもここにあります。



今日の沖縄はとても爽やか陽気。

春はすぐそこまで来ていますね。



今回の禅サンガは春から秋への開催です。

お申し込みの締め切りは4月7日15時です。


オープンキャンパス







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Posted by Toshiro Abe at 11:45Comments(34)

2017年03月30日

瞑想と坐禅

禅サンガの紹介のために公開したオープンキャンパス

もうご覧になりましたか。


禅は禅宗が生まれる前からある人間の最高の在りようです。

それは時間と空間を超えた、人間存在の基盤に関係しています。


禅が宗派の一つになってしまうと、その宗派独自の教義やスタイルが出来上がってしまいます。

どのような枠組みも、すでに禅の本質から逸脱しています。

禅とは、あらゆる枠組みを超えた自由闊達な境地だからです。



禅僧は禅僧を捨てて初めて禅僧になるというのが僕の考えですが、その一方で伝統が持つ安定感は、人に安心を与えます。


そんな中で、由緒ある名刹の最高職に誘われても、無位の禅僧としての活動を選んだ向禅師だから発することができるメッセージがあります。

だからこそ僕のような一般人とも、まったく対等な立場から話ができるのであり、ご紹介した禅サンガの動画にも、そのあたりがよく現れています。


「なーんだ、そうだったのか」という気づきを得てもらえると思います。


THE禅サンガ オープンキャンパス




さて、最近よく貰う質問に

「瞑想と坐禅はどう違うのか」というものがあります。


今日はこのことについて書いてみます。



まずは瞑想。


瞑想はリラクゼーションの極みで、睡眠に近い性質を持っています。

人は社会を生きる上で、心と身体に不自然な力が入りっぱなしになっているのが普通で、そんな重荷を降ろし、過去のトラウマや思いこみを解放していく効果が瞑想にはあります。

また、最近よい睡眠がとれないとか、ストレスで緊張状態にあるとかいう人にも、とても効果があります。


完全なリラックス。

それは人為的には起こせません。

人為はリラックスの反対だからです。


何もしないことを通して瞑想が訪れるのですが、それを可能にしてくれるのがマントラです。

マントラは船の錨のような役割をして、我々を海底の静寂に連れていってくれます。


違う言い方をすると、「空(くう)」行きのタクシーみたいなもので、我々は運転手(マントラ)を信頼して任せていればいいのです。

このことが、「何もしない」ということを実現してくれます。


何もしないことで瞑想がやってきます。

それはちょうど何もしないことで睡眠が訪れるのと同じです。


ただ一つの違いは、そこに意識があるか否か。

瞑想にはうっすらと意識がありますが、睡眠は無意識であり、この違いは大きなものです。


身体は完全に眠っていて、上半身が白河夜船のようにカクッカクッとなるのですが、その最中も周りの音は聞こえていますし、周囲の気配も分かっています。

そう、意識は起きているのです。


人によっては身体が消えてしまった感覚を持ちます。

このときは、自分の意識が身体に閉じ込められているという錯覚から自由になっています。

本来、我々の意識は大地いっぱいに遍在しているので、こちらのほうが真実に近い姿と言えます。






正しい瞑想は、睡眠の2時間分の休息が取れると言われていますが、これは実践している人の多くが経験として知っていることでしょう。


瞑想は自然治癒力を高めることが判ってきていて、これからは医学の分野でも積極的に取り入れられていくと思います。


アンチエイジングや、美容にも効果的なので、様々な形態を取りながら、よりいっそう社会に定着していくのではと考えています。

手前味噌ですが、各チャクラが司っている肉体と精神の部位を整えていく瞑想は効果が分かりやすく、着実に心身を整えていくのでお勧めです。


また、深い静寂の中で、社会を生きる自分を忘れることが出来ます。

しばし人生の物語から離れて、純粋な意識に休む時間が瞑想だと言えるでしょう。



最近流行りのマインドフルネス瞑想は、また違うアプローチがあります。

こちらは散漫する思考を、いま起きていることに集中させることで心を整えていこうとするものです。

これは坐禅に近いものがあり、マインドフルネスそのものが禅から生まれたといっても過言ではないでしょう。

マインドフルネスは短い時間にもできますし、次回はピョートルさんにGoogleで指導していたやり方を、会場で再現してもらおうと思います。


坐禅はさらにそれを超えています。

集中さえしないからです。

それを三昧(サマーディ)と言います。


明日は坐禅について書いてみます。




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・・・・・・・・・・・・・


4月23日東京 ピョートルグジバジさんとの共同で、マインドフルネスの実践を企画しています。

4月30日博多 ソロ講演会



瞑想伝授と指導

4月は東京と博多で開催します。


初めての方にはハートマントラの瞑想をお勧めしています。


東京 4月22日12時
4月22日16時


博多 4月28日11時
4月29日16時


詳細とお申し込みはコチラから

  


Posted by Toshiro Abe at 12:41Comments(28)

2017年03月29日

3月29日の記事

あいさん

>苦しみや悲しみを沢山経験したら人は豊かになれるのでしょうか…。


もし人生が、魂の成長の場であるならば、人は苦しむために生まれてきたということになります。

摩擦がなければ成長しないからです。

実際に、存在の真理に関心を持ちだすきっかけは、苦しかったり悲しかったりすることではないでしょうか。

全体意識の完璧さから見れば、物事には何一つ単独の意味などありませんが、道に迷った個が全体に帰りつくためには、すべてのことには意味があることになります。


そう考えれば、苦しみも悲しみも、どんと来いですね。

すべては全体の計画通り。

大丈夫、みんなうまくいっています。



ガマさん

>いつも楽しみに見ています!

>以前にご紹介されてた整腸剤の名前をもう一度教えて頂けませんか?




智通という乳酸菌生成エキスです。


歴史は古いのですが、それほどはポピュラーになっていないようです。

僕は栄養剤等を何も摂っていませんが、この智通だけは身体が喜ぶので定期的に水に薄めて飲んでいます。

特に腸の具合が気になる方にはお勧めなので、サイトで「智通」を検索してみてください。

どこで買っても同じものなので、少しでも安いところで買うようにしています。




ただの自分さん

>『楽しい』のはマインドではない、『苦しい』のはマインドである、と分けてますか?

>もしそうなら、何故そのように分ける、つまり『分離させる』必要を感じてますか?



全ての言葉は、何かを説明するための道具であり、道具の構成を分析してしまうと大意が見えなくなります。

コメント欄には言葉の指摘が多いのですが、これが文字情報の難点だと思っています。

その日によって様々な人達に向けて発信しているので、違和感を持ったらスルーしてください。




北門さん

>阿部さんは、安倍晋三氏が首相になったときに、たいそう安倍首相を褒めていらっしゃいましたが、今でもそのお気持ちに変わりはないのでしょうか?


総合的に見れば、いまの日本にとって最適な人材だと思っていますし、その考えに変わりはありません。

でもその一方では、無責任なようですが何事にも固執はしていません。

正統な手続きで選ばれた結果を尊重し、その時の政府を応援していきたいと思います。


人間というのは一度見方を決めてしまうと、反対の見方をしている人の気持ちが分からなくなります。

「なぜこんな政策をいいと言うのか」と反対する人がいれば、

逆に

「なぜこんなことさえもわからないのか」

と反対者を見下す人もいます。


それぞれから見れば自分が正しいのであって、こういうことは日常でも頻繁に起きています。

そのうち振りかざす意見以上に、振りかざしている自分がより重要になり、対立が深刻化していくのです。


意見が対立したら、たいていのことには、「そうだね」という態度を取ることにしています。

それでなにも失くさないから。



「宇宙人なんていないよ」


「そうだね」



「無数の星があるのだから宇宙人がいるのは常識だ」


「そうだね」



「人は死んだらまた生まれ変わるんだ」


「そうだね」



「人は死んだら全体に帰る。だから生まれ変わりなんてない」


「そうだね」



「次回の講演のギャラは払わない」


「それは困る!!」




ハッピ〜♪ さん


>思いグセの構造を教えて下さい。

>過去の恐怖の感情が、わいてきた時、どうすればいいんでしょう?



これは各自の気質によっては、頻繁に起こる人がいます。

そういう人は、「あっ、またこいつがきた」くらいに客観的に捉えればいいと思います。


恐怖の内容に入っていったりせずに、招かれざる客を「ようこそ」と迎え入れて、あとは無視しています。


するとまた立ち去っていきます。

また来るでしょうが、付き合い方を変えるだけで、ずいぶん楽になりますよ。



春ですね(^o^)






まだまだたくさん質問をもらっているので、少しずつ対応していきます。



今日もありがとう。

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4月の講演


4月23日東京 ピョートルグジバジさんとの共同で、マインドフルネスの実践を企画しています。

4月30日博多 ソロ講演会



4月の瞑想伝授と指導


4月は東京と博多で開催します。

初めての方にはハートマントラの瞑想をお勧めしています。


東京 4月22日12時
4月22日16時


博多 4月28日11時
4月29日16時


詳細とお申し込みはコチラから



THE禅サンガのお申込みありがとうございました。

また多くの方とご一緒できることを嬉しく思っています。


4月6日まで受け付けていますから、どうぞいらしてください。

禅サンガオープンキャンパス

  


Posted by Toshiro Abe at 11:34Comments(67)

2017年03月28日

天と繋がり地を生きる

禅サンガのオープンキャンパスですが、サイト内でトップページに戻りたいときは、一番上の大きなトップ画像をクリックしてください。


今日から、大本山方広寺での接心の模様をアップしました。

接心は、坐禅、読経、向老師の法話など、実際の禅寺修行をもとに構成されています。


比較と判断による二元の世界から、全体生命に繋がり、さらにその後も二元の世界を生きていくことになります。

個と全体のバランス。

天と地を繋ぐ生き方とはなにかについて話していますので、ぜひご覧ください。


オープンキャンパス



4月10日から始まる次回禅サンガには、3人の特別講師が参加します。

3人は全く違う背景を持っています。



一人は矢作直樹さん


東大病院の救急医療部長と集中治療部長を定年まで勤めあげ、現在は東京大学名誉教授をされています。

初めて書いた一般書、「人は死なない」がベストセラーになります。

心の壁と脳の壁を外すことで、いま何が起きているのかが見えてくると言います。

先日、コラボ講演をさせて頂きましたが、科学と霊性の両方をバランスよく持っておられる方です。



もう一人は仏教界のホープ、阿(おか)純章さん


天台宗圓融寺(東京・碑文谷)住職、

早稲田大学大学院東洋哲学専攻博士課程を卒業し、中国政府奨学金留学生として北京大学に留学。帰国後は中国仏教思想史の研究に従事。

三千院門主堀澤祖門大僧正の愛弟子であり、禅サンガには第1期より自ら会員として参加してくれていましたが、今期は仏教思想への深い見識を、サンガの私たちに分かち合っていただこうと思います。



もうひとりはピョートル・グジバチさん


ご存知Googleの元人材育成責任者として同社にマインドフルネス(瞑想)を定着させ、業績の大幅なアップに貢献させます。

このことが先駆けとなり、日本にもマインドフルネスブームが到来します。

マインドフルネスは禅が逆輸入されたものですが、西洋人は禅から何を学んだのかなどの話をしていきます。



禅サンガは基本生放送で、リアルタイムで講話や坐禅などに参加してもらうのですが、見られなかった人には、お好きな時間に見てもらうことが出来ます。

どれくらいのメニューかというと、

たとえばスタート月の4月は、こうなります。




オープンキャンパスのページを作っていて、さらに禅サンガの役割が見えてきました。

天と繋がり地を生きる

2年前にオギャーと生まれて、やりながら分かってきたことも多く、一緒に育ってきたような思いを持っています。



今日から入会のお申し込みが始まりました。

オープンキャンパスから入れます。






サンガが生まれた時、天河神社で、禅サンガ発足の報告を兼ねて、会員の皆さんと神事を執り行いました。

弁財天は仏法の守り神。

いつも見守ってもらっている気がします。


おん そらそばてい えいそわか


   
  


Posted by Toshiro Abe at 13:04Comments(22)

2017年03月26日

あるがままの凄み

僕はいろんな禅僧や高僧たちと出会う機会があって、みなそれぞれに素晴らしい人たちだったけど、この向さんには最初からハートを鷲づかみにされた。


最初は向さんの禅会に初めて参加した時のこと。

40分間くらいの坐禅が終わって、僕の足はシビレまくり。


なんとなく気恥ずかしくて、足の状態が戻るまでジッとしていようと思っていたら、向さんはいきなり立ち上がって


「あーシンビレタ、シンビレタ」

って言いながら、足を引きずって退場した。


それ見た時


「この人、スゲー!」って。


だって禅僧なんて、得意技は坐禅くらいしかないわけで、その唯一のステータスをいとも簡単に投げ打った。


いや、お見事。

まさにあるがまま(笑)




その後、向さんに興味を持った僕は、一冊の本をプレゼントしたんです。

それは「タントラへの道」というチベット仏教のグルの講話録。


内容は、修業をすることで陥りやすい罠について。


修業すればするほど、その修行経験が自我の新たな勲章になってしまう危険性を説いていて、そうなれば富と名声を得ようとする物質主義者と何ら変わらないって。


すなわち「精神の物質主義」に陥ってしまうという、修行者への警鐘が書かれた本。


向さんの修業の量は半端じゃないって噂に聞いていたから、どんな反応を見せるかなって思ったわけ。


それまでもいろんな人に贈呈した本だったけど、みんな無反応で、むしろ異国の仏教を一段下に見るような態度だった。


ところが向さん。本を差し上げた翌日に僕に電話をかけてくれて


「阿部さん!!!!何ですかこの本は!!!凄いですね!!!!」

って。


この人は本物だと思った。




禅サンガは、28日(火)から参加申し込みを開始します。

人生での役割をいったん脇に置いて、素の自分に帰って、魂の永遠性に寛ぐ場所。


早い話、もっと近くで一生のお付き合いをしたい。


今日は禅サンガオープンキャンパスに、向禅師の坐禅会の模様をアップしました。

禅を学ぶということの意味を話してくれています。


向さんって、最初は硬そうなイメージでお話しするんだけど、途中から乗ってくると、ドバーッてあるがままに身振り手振りで話しだす。



これで僕の講演を含めて、4本の動画が揃いました。

時間のある時にご覧になってください。

オープンキャンパス




さて今日はもう一人の話をします。


さとうみつろう君って知ってますか?

いまや全国どこでも1000人規模の会場をいっぱいにしてしまう新星メッセンジャー。

写真を見ればわかるけど、僕の若いころと同じくらい若い。


彼の人気を支えているのは内容もさることながら、その本質は「優しさ」だと思う。

それは作られたものではなく、本当にファンの人たちを想っているのが話をしていて伝わってくる。


でね、最近まで育休のため、ブログも書かずに3か月間完全休業していたわけ。

人気絶頂の最中に、なかなかできることじゃない。


「あーシンビレタ、シンビレタ」

とは違う意味で、インパクトがあった。


それで思ったわけ。

僕も完全休業しようって。


たぶん3日間くらいだな。



そのみつろう君、ブログも再開して、今日は僕のことも書いてくれて、禅サンガの告知もしてくれた。

「さとうみつろうの笑えるスピリチュアル」


いい男だなァ。


ポチッとしてくれる人と同じくらい大好きだ。






今日もありがとう。

よろしければポチッとしてしてください。

   


  


Posted by Toshiro Abe at 10:30Comments(55)

2017年03月25日

禅とZEN

禅サンガのオープンキャンパスはいかがですか。

Web講演の動画から、何かを感じ取ってもらえたら幸いです。


今日からは、向禅師と阿部の対談講義を追加公開します。

由緒ある伝統を継承する禅師と、僕のような一介の市民が真理について対等に語り合うさまは、時代の変化の現れだと思っています。


禅サンガオープンキャンパス



最近はスピリチュアルという言葉の意味あいがずいぶん変わってきていて、僕の時代はスピリチュアルと言えば、OSHOやクリシュナムルティ、あるいはラムダスの「Be Here Now」など、ヒッピームーブメントの流れのことを指していました。

そんな中、東洋思想に真理を求めた西洋の若者たちが、最も影響を受けたのが日本の禅でした。


禅は、アップルのスティーブジョブズや、マイクロソフトのビルゲイツなど多くの実業家に愛され、同時にエックハルトトールなど現在活躍する欧米の精神リーダーたちにも、大きな影響を与えてきました。


実は彼らは、日本よりもっと純粋に禅を学ぶことができたのです。

日本の禅は長い歴史の中で、良いも悪いも権威や格式など非本質的なものを含んでいますが、西洋の彼らは、それらを排除した「ZEN」に触れることができたからです。


禅サンガが目指すのはまさにこれであり、向禅師という「無位の真人」を生きる禅僧との出会いが、それを可能にしたと考えています。


そしてもっと言わせてもらえれば、禅は禅宗の専売特許ではなく、禅宗が始まる前から存在した普遍的真理であり、我々衆生のものなのです。

このブログの底流にも、いつもZENの精神を投入してきました。



禅は厳しいものではなく、難しいものでもなく、人生を笑い飛ばし豪放磊落に生きる知恵でもあります。

布袋和尚や一休禅師のようにね。






そんなムードを配信動画から受け取ってもらえたら嬉しいです。




まだまだたくさんいただいている質問には、この先、少しずつ対応させていただきます。

いつもありがとう。





これをポチっとするのが習慣になったというアナタ。

そんなアナタを神と呼びたい(^o^)


   
  


Posted by Toshiro Abe at 14:29Comments(28)

2017年03月24日

阿部のWeb講演を一般公開します

生きる目的は何だろう。

子供のころからいつも考えていました。


なぜ生まれてきてしまったのか。

子供のころは子供なりに、この社会の矛盾や、大人たちの欺瞞を目の当たりにして、来てはいけないところに来てしまったという感覚を持っていました。


生きる目的は何か。

その答えを得たのは30歳になってからでしたが、その答えは、

「答えなどない」

というものでした。


というよりは、答えなどいらないと思ったのです。

欲求不満と苦しみに満ちた現象界の奥に、神としか呼びようのない完璧な至福を見つけた時のことでした。


完ぺきな至福は、それ自体で完結していて意味を必要としません。

その気づきは「分離した個」という幻想が消えたときに訪れました。



そしていまは思います。

生きる目的は人生に降りかかる問題を解決することではなく、

ましてや安全無難に長生きすることでもなく、

完璧な至福であるところの本当の自分を発見することだと。


「分離した個」という幻想を見抜いて、

もうひとつの可能性である完璧な至福に至り、人生の本当の価値を知ることだと。


このことをどう人に伝えたらいいのか、様々な道を尋ね歩いて最終的に出会ったのが「禅」でした。

運命の必然(?)によって、正真正銘の卓越した禅僧とも巡り合い意気投合しました。






一昨年から始めたネット上での「禅サンガ」も、来月から第4期に入ります。

当初は僕の至らなさから皆さんにご迷惑をかけたシーンもありましたが、禅師や参加者の皆さんに支えられながら、少しずつ成長してきました。


このたび半年ごとの新規メンバーの募集にあたり、あらためて禅サンガで何をしているのかを紹介します。

坐禅の実践はもとより、禅の真髄を学び合うことで、生きる本当の目的に誘っていきたいと思っています。


今日から少しの期間、禅サンガで生配信してきた動画のいくつかを公開していきます。


まずは、僕のWeb講演。

文字情報以上の何かに触れてもらえると思います。

時間がある時に、どうぞお楽しみください。


禅サンガオープンキャンパス






いつもありがとうございます。

あったらあったで面倒だけど、なくなると寂しい不思議なバナー。




  
  


Posted by Toshiro Abe at 10:25Comments(91)

2017年03月23日

質疑応答 その3

今日も頂いた質問にお答えしようと思います。


ああああさん

>瞑想が終わって10分ほどの休憩時間に、ゆっくり体を擦りながら戻していると、あくびが出て、その時に涙が多く出てきます。

>その涙は、普通の涙と違って目に染みるような涙です。

>こうゆうのも、なにかデトックス効果でもあるんですかね?



マントラを機能させるためのワーク時に、すでにあなたのような涙を体験する人たちがいます。

この涙は感情的なものや感傷的なものではなく、当人も何故流れてきているのかわかりません。

とても深いところからの癒しと解放が起きていて、精神面でも肉体面でもデトックスが始まっています。

これらも瞑想による効果の一つと考えています。



あいさん

>スピリチュアルって何でしょうか哲学でしょうか。色んな本を読みましたがわかりません。

>瞑想をする事で何か気付く事ができますか?



スピリチュアルとは哲学でも思想でもなく、見えない世界全般を表す言葉だと考えていますが、あまりにも広範囲を示しているので、以下にまとめてみました。参考にしてみてください。

スピリチュアルについて。


>瞑想をする事で何か気付く事ができますか?


気づきを目的に瞑想することには賛成できませんが、気づきは訪れます。

それは抱えていた問題の解決策だったり、何かのアイデアであったり、真理への洞察だったりします。

ただし、それが本当に彼方からのメセージなのか、思考が形を変えたものなのか、少し時間を置いたほうがいいと思います。



kさん

>今に生きていると、昨日考えていた事を覚えていなかったり、何かしなければいけないことに支障をきたすとかありますか?


いまを生きることは記憶を失くすこととは違います。

記憶に類する思考が湧いたとしたら、それもいま起きていることです。

実はすべての人はいまを生きています。

いま以外の時間は存在しないから。

いまを生きてはいるのですが、過去や未来という幻想が織りなすストーリーの中に埋没して、いまを見失っているだけです。



李 信さん

>「探求していたら一周して元に戻っちゃった」

>サブタイトルのこのフレーズが気になっています。解説されたことはないかと思います。

>探究して 元に戻る・・・じゃ 探究って 自我の奮闘絵巻なのですか???



当たり前の一人の人間として、地に足を付けて生きていくということです。

必要だと感じる活動をし、お腹が減れば何か食べ、眠くなったら眠ります。

何ひとつ特別なことなどありません。

このことについては、また改めて語る時が来ると思います。



えがおさん

>大分人生も折り返して後半に入ってきました。月日を重ねることが怖くてなりません。死に近づいていくようで。

>どうしたらこれから前向きに年をかさねていけるでしょうか。



死は思われているような忌まわしいことではなく、人生のクライマックスであり、もう一つの次元(生死を超えた次元)への誕生です。

その次元を生きている間に感得することも可能です。

自分という存在の拠り所を見つければ、不要な恐怖は消えていきます。

宣伝になってしまいますが、来月から新規募集が始まる禅サンガにいらっしゃいませんか。



太郎さん

>人生というドラマの中で、ドラマでないことを知らずにチャレンジしているからこそ、人生の悲喜こもごもを体験できて、いわばいい役者として人生を生きれるのではないかと思うのです。

>舞台裏はこうだ、あなたは役者であって実際にその登場人物そのものではないんだよ、と果たして知らせる必要があるのかどうか、その辺がいまだに腑に落ちないのです。

>それを知らせすぎたら、ドラマも台無し神様の計画も台無しになることはないのでしょうか?



神様の計画というものがあるとすれば、太古からこのようなメッセージが伝えられてきたことも計画の一部ということになります。

この30年間に僕も似たような疑問を持ったことがあります。

人生が苦しみによって魂を磨く機会であるとしたら、苦しみを緩和させようとする自分はいったい何をやっているのかというものです。

その後、自分がやっているという発想自体が自我の為せるわざだと気づきました。

「ことは起きている」ということが、静かに定着していった頃のことです。






今日は時間がないのでここまでにしますね。

このような質疑応答が、異なる疑問を持つ方々へのヒントになればと思います。




いつもありがとうございます。

クリックをしてもらうと繋がりを感じます。

僕からのお礼はワンパターンですが、今日も強運力を念じておきますね(^^)




 



・・・・・・・・・・・



実況の動画配信でも質疑応答があります。

文字情報と違いもっと立体的に伝わるものがあると思います。

明日から録画を公開していきます。  


Posted by Toshiro Abe at 11:46Comments(42)

2017年03月22日

質疑応答 その2

けんさん

>「すべて起こることは決まっている。」というのが真理とのことですが、気楽な反面それだと何だかやるきがなくなってしまいます。

>「選択の自由」または「自由意志」がある、と思ったほうがやるきがでて生活にはりあいがあるように思うのですが、それは自由で選んだら良いのでしょうか?



「起こることは決まっている」というのは、あらゆる過去も未来も「いま」の中に存在しているという、時間を超えた次元からの声明です。

時間の世界からこの言葉を理解しようとすると、ナンセンスに見えますし、否定したくなることでしょう。


メッセージに違和感を持った時は、メッセージに合わせようとしないで、自分の感性を信じて生きることです。

そのことで何も失うものはありません。


「私には選択の自由がある」

ということで張り合いが持てるなら大いに結構です。


僕もそのような立場で生きています。

ただし起きたことに対しては、これ以外は起きようがなかったという見極めをして受け止めています。

だってすべては決まっていたのだから。




質問してもいいですか?さん

>万が一私が悟ろうものなら夫婦関係はどのように変化していくのでしょうか?

>それでも良好な夫婦関係を保てるのか、それとも自然に離れて行ってしまうのでしょうか?



あはは、この質問面白いですね。

さあ、どうなるでしょう。

あなたがどうするかは、僕にはわかりません。

でも一つ言えるのは、その時のあなたには、深いレベルの理解が訪れているということ。

別れるにせよ、別れないにせよ、その背後には優しさがあることでしょう。




moritaさん

>阿部さんは風俗の世界を認めることはできますか?


性の問題はいつも隠されてしまいますが、もっと勇気をもって論じるべき、とても重要なことだと思っています。

性への歪んだ観念が、我々の人生にどれほどの影響を与えているかは計りしれません

誰かが犠牲になることなく、もっと大らかに人間に与えられたこの喜びを謳歌できたらいいですね。

風俗についていえば、そこで働く女性の身上が気になりますが、男からすれば、必要な人には必要だと思います。


さて、男でも女でも気に入った異性がいれば性的関係を持ちたくなるものですが、なかなかそうはいかないところに人生の難しさがありますね。

人の世は、それぞれに裏も表も抱えながら、なんとか辻褄を合わせることで秩序を保っていますが、人間の意識が高まることで、もっと清々しく、もっと正直に、互いの人生を支え合えるのではと思っています。




メジロさん

>うちには猫が現在六匹います。

>かれらは思考がない分、随分気楽だろうなとは思いますが、どんな感覚で生きてるんでしょうね?



内側で感じている命の感覚は我々と同じです。

なぜなら同じ命によって生かされているからです。

宇宙には、一つの命しかありません。

猫だけでなく、あらゆる存在は内側で同じ感覚を持っています。

そして人間以外は、時間という錯覚から来るストーリーを持ち運ばないので、あなたが言うように気楽だと思います。


だからといって、他の生き物に生まれ変わりたいと思わないのは、なんだかんだ言いながら人間で良かったと思っているからでしょうね。

苦しいけれど、人間であることの素晴らしさを僕たちは知っているのです。




あらかちさん

>スバリ!沖縄の魅力を教えてください!

>商いに活かしたいです(>_<)



以前、沖縄県のコンベンションビューローにお招きいただいたとき、これからの沖縄の観光資源は、民間に色濃く残るスピリチャリティではないかというお話をさせてもらいました。

その時、ビューローの代表以下皆さん、大変興味深く聞いてくださって、もっと研究したいと仰っていました。

そんな流れになっていくかもしれませんよ。




子供四人さん

>四人子供がいます。

>みんな、大学や専門学校に行きたいと言ってます。

>でも、経済的余裕というより、もうすでに借金だらけです。

>大学に行かせてあげられないとハッキリ言うべきでしょうか?



もちろん正直に話すことは必要だと思います。

子供とは言え、何もかも分かっていますし、一人の人間として対話したらいいと思います。

その上でどうするのか。


みんなで力を合わせれば道は開けます。

たとえ思いが叶わなくても、昨日も引き合いに出した「人間万事塞翁が馬」を忘れないでください。


実は僕も子供時代に同じ経験をしています。

親から大学に行かせる余裕がないと言われたのです。

聞いたときは、ふーんそうなのかって思いました。

むしろ親を助けてあげたいと思ったのを覚えています。


そのおかげで背水の陣を敷いて頑張ることができ、24歳から親を養ってきました。

根が怠け者なので、そんな環境のおかげで成功できたと思っています。

親はお金で苦労していましたが、、互いに愛し合う親子でいられたことが何よりの宝物です。




質問さん

>お墓参りとご先祖供養はしたほうがいいですか?


人は信念によって現実を作りだすので、お墓参りに行くべきと思っているなら行ったほうがいいです。

そうしないと心に新しい問題(バチが当たるとか)を作ってしまうことでしょう。

必要ないと心から思えれば必要ありませんし、そのことから影響を受けることもありません。


ちなみに僕は、両親の墓参りにほとんど行っていませんし、先祖供養をしたこともありません。

行かなくても両親が僕を無条件に愛してくれていることを知っているし、僕も彼らが大好きでした。


でもたまに行った時は、心がスカッとして気持ちがよかった。

そうだ!明日あたり行ってみようかな(^^)







生活に関する質問が多くありましたが、こんな感じでいいですか。

よければ明日からも、この続きを書いていきます。


取り上げなかった質問は、他の質問への答えがヒントになってくれるはずです。

他意はないのでガッカリしないでくださいね。





今日も最後まで読んでくれてありがとう。

たくさんの人に届きますよう、クリック協力をお願いします。

   


・・・・・・・・・


【お知らせ】


4月は九州に伺います。

4月30日、博多講演会の詳細とお申し込みはコチラから。



瞑想伝授は博多と東京で行われます。

初めての方にはハートマントラ瞑想がお勧めです。

NIKE瞑想HP


東京

4月22日12時

4月22日16時


博多

4月28日11時

4月29日16時


詳細はコチラから

  


Posted by Toshiro Abe at 10:20Comments(59)

2017年03月21日

質疑応答 その1

たくさんの質問をありがとうございました。

中には切実なものもあり、少しでもお役に立てたらと思います。


まずは冒頭の質問からいってみます。


ハートさん

>黒斎さんと普仁さんのコンビは復活しないのですか?


二人のことなので分かりませんが、このようなコメントが寄せられたことを二人に伝えておきますね。




inoさん

>楽しく生きたい、どうやったら人生に深刻さが消え気楽に生きられるのでしょうか?


たとえ野たれ死んだとしても、人生に成功も失敗もないことを知ること。

自分の力で生きているのではなく、大きな力に生かされていることを理解すること。

その上で、生きたいように生きることです。




保険検討中さん

>保険に対するお考えを教えて頂けると幸いです☆


残念ながら、あまり関心がありません。

でも保険に加入することで気が休まる人もいますし、実際に助かる人もいることでしょう。

僕は入っていませんが、どちらでもいいのではないでしょうか。




親さん

>私の娘(高校一年生)が、小学校高学年になった頃、緑内障を患っていることがわかり、お医者さんから二十代には失明するだろうと言われています。

>今は、楽しく学生生活を送っていますが、娘の将来のことを考えると不憫でなりません。

>娘自身も、この先かなり悩むだろうと想像するのですが、そういった子には、どうしたら気楽に生きられるように導いてあげられるでしょうか?



お気持ちお察しします。

すでに今日までに、親としての様々な心の葛藤があったことと思います。


どうしてこうなってしまったのか。


なぜ罪もない子にこんなことがおきるのか。


回避するために何もしてあげられない無力感。


怒り、絶望、不安、切なさ、


これらの感情は止むことなく襲ってくるでしょうし、なにより子供に対する不憫さは、いつも心を痛ませていることと思います。



我々の人生には思ってもみない苦難が訪れることがありますが、八方手を尽くしてそれでも事態が避けられないのであれば、覚悟を決めるしかありません。

こうでなければいいのにという思いは何も生みだしませんし、気持ちが内側に入って答えのないストーリーが延々と続くだけです。



生意気にメッセージを送らせてもらうと、まずは親である自分が腹をくくること。

逃れられない現実であれば、この態度が必要です。

お嬢さんにどのように接したらいいかの前に、どんな自分でいるかが大切だと思います。

完全に前向きになったとき、すでにそこに苦悩はありません。



何が起きるかではなく、どんな自分でいるのか。

このことがお嬢さんに力を与えると考えます。



このようなケースは、いつ誰の身に起きてもおかしくないことです。

人生では、期待とは関係なく起きることが起きるからです。


そして起きた出来事が良いことなのか悪いことなのかは、誰にも決めることができません。

人間万事塞翁が馬

我々に必要なことは、腹をくくっていまを生きることです。



すべての人の中に、自分が想像している以上の強さがあります。

もちろんお嬢さんも同様です。


誰もの人生が、究極の真実に誘われるために計画されていることを信じて、お嬢さんの人生の流れを、ご本人以上に信頼してあげたいと思います。






頂いた質問はまだまだたくさんありますが、毎日少しずつでもお答えしていきます。


講演会ならば一気に終わってしまいますが、ブログではそうもいきません。

文章はいろんな受け取り方があるので、つい表現が慎重になって時間がかかってしまいます。


最後の質問だけで3時間近くを要したにも関わらず、書いては消し書いては消しの繰り返しで、結局は不十分な回答のような気がしています。

これが今日の僕にできる精一杯でした。



また明日から、講演に足を運べない人のためにも力を尽くしてみます。







あなたが心安らかであることをお祈りしています。

この世の苦悩が、少しでも和らぎますように。


   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:37Comments(60)

2017年03月20日

質問の日

今日は話すことが何も出てきません

これは定期的に訪れる兆候で、沢山のメッセージが同時に押し寄せてくることもあれば、今日のように完了してしまうこともあります。


講演会でもたびたび同じことが起きます。

僕の講演は、たいていは簡単な瞑想から始めるのですが、その無言の時間帯に、沈黙以上のメッセージなどあり得ないと感じ、しばらく黙っているか、会場に質問を求めてそこから展開させたりします。

そうやっていったん話が始まると、あとは次々と言葉がやってきます。



というわけで、なにか聞いてみたいことはありますか。

たとえば、阿部さんはどんな食べ物が好きかとか(笑)


僕のことなど、どうでもいいですね。


なにか相談したいことや、いままでの僕の発言でいまいち分からないことなど、遠慮なく聞いてください。

そのことで、お互いの距離が少しでも近づくといいですね。


いままでも目についた質問を取り上げさせてもらってきましたが、見過ごしてしまったものもあります。

この機会にお答えできたらと思います。





さて、この数日間に名古屋でたくさんの人に瞑想伝授をしました。

瞑想は心身を整え、霊的インスピレーションを促していくためのアイテムで、老若男女、人種を問わず、すべての人に必要な生活習慣だと思います。


でも人の意識は外側のことにばかり囚われてしまい、内側のバランスを欠いたまま奮闘モードに入ってしまいます。

心のガラクタを掃除することが、外側を整えていく最短の道であり、禅と共に、瞑想の普及は最もやりがいのある活動です。



今日は春の入り口。

心の枠を取っ払って、いままでブレーキをかけていたことにチャレンジしてみませんか。






今日も読んでくれてありがとう。

応援クリックをしてくれる数十人に一人の貴重なアナタ。

たくさんの勇気と幸運が訪れますよう、心を込めてバナーを張り付けておきます。



   
 




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東京大学病院の救急医療部長を長年務めた矢作直樹氏(東京大学名誉教授)とのコラボ講演イベントは3月26日に開催されます。

たくさんの死に立ち会った矢作さんは、「人は死なない」ということを確信されています。

死後のことは不可知ですが、矢作さんの考えをお聴きしてみたいと思います。

どうぞこの機会においでください。


詳細とお申込みはコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:29Comments(121)

2017年03月19日

本日も晴天なり

今日は禅サンガの紹介ページをご案内する予定だったのが、間に合いませんでした。

楽しみにしていてくれた人にはゴメンナサイ。

しばしのご猶予を。



以前、とても先進的なTVCMがあって、禅寺を訪ねた外人女性が

「禅ってなに?」

って聞くと、日本女性が

「宇宙と一つになることよ」

って。


かっけーーー!!(ワンパターンでスマン)


まさにその通りですが、宇宙と言った瞬間、宇宙を対象化してしまい、自分の外側に宇宙があるように思ってしまいます。

でも実際は「あなたが宇宙」


したがってより正確な表現をすれば


「宇宙とひとつになる」

のではなく


「宇宙と一つだったことを思い出す」

となります。


この感覚が定着すれば、人生は気楽になります。



この気楽さは起きている出来事とは関係なく、心のあり方次第。

だから何一つ状況が変わらなくても、一瞬にして幸せになれる。


状況を改善するために使っていたエネルギーの5%でいいから、内側の統合のために使ってみましょう。

朝起きてから16時間活動するのなら、せめてその中の30分間を、自分自身のために使ってみる。

たったそれだけで、生きることが容易くなっていきます。



いつだったか、とある実業界の成功者と話をしたときのこと。

お互いに気心が知れているので、こんなことを話せるのはあなただけだと言いながら、なんでも話してくれました。


で、一番印象に残った言葉は


「全然幸せじゃないんです」

ってこと。


そうだろうとは思っていたけれど、やっぱりそうだった(笑)


傍から見ると非の打ちどころがないのに幸せを感じない人生と、何もないけれど気楽で満足している人生とどっちがいい?


幸せじゃなくてもいいから成功したいっていう気持ちは、どこかにない?

いったい何が欲しいんだろう。





僕は気楽さが一番好き。

だって望もうが望むまいが起きることが起きていくだけだから。


それにね、気楽だと心のブレーキが緩やかになって何でもできるんだよ。




風吹かば吹け


雨降らば触れ。



また晴天になることを知っているからへっちゃらだ。


で晴れ間が広がったかと思うと、また大雨になったり。



そんなお天気に抵抗しないで「Yes!」と応えれば、気分は晴天だ。



本日も晴天なり。


ねっ、その気になれば、そんな気にもなれるでしょ?







そうだ!

気楽にクリックしてみよう(^^)

付録で強運パワーが付いてきます。



   
 
  


Posted by Toshiro Abe at 10:16Comments(93)

2017年03月18日

宇宙の王

素朴な疑問さんからの質問

>阿部さんは存在しないのに、 誰が誰に感謝するのですか?



あえて言えば

幻想の「私」が、本当の「ワタシ」に感謝するということになります。

このブログは個人目線と宇宙目線の両方から書いているので、紛らわしいかもしれませんね。



僕だけじゃなくて、本当は誰もいません。

ただ全体だけがあります。


それなのにあなたはコメントを残し、阿部と呼ばれる現象はこうしてコメントにレスしている。

これらすべてが全体の表現です。



さて、「私はいない」という言葉は突っ込みどころ満載です。


いないのにどうして食事をするのか。


いないのにどうしてオシャレをするのか。


いないなら何をされても何も感じないだろう。


いないのにどうして怒っているんだ。


いないと言いながら、いるじゃないか!!!


というわけです。



日常の我々は、自分という独立した存在がいて、あらゆる選択は自分によって成されていると信じています。


このようなメッセージも、独立した自分が聞いて解釈します。



しかしこのメッセージは、時空間を超えた真実。

真実の次元から見れば、時間も空間もなく、分離独立した存在もありません。






すべては変えようがないゆえに完璧であり、奇跡的なバランスの中で陰と陽が配置され、刻一刻と新しい表現をしています。

あなたも僕もその一部であり、ひとつに繋がっています。


誰ひとりそこから切り離された者はなく、これからもあり得ません。

しかもこの存在(あなたという存在)は、肉体の生死に関係なくあり続けていて、したがって何が起きても大丈夫なのです。



「私はいない」


「あなたはいない」


なんでこんな荒唐無稽なことを繰り返し言うかといえば、あらゆる苦しみの大元を絶つことができるからです。

真実こそが人を救うのであって、真実もどきは救済の期待だけを与えます。

いるはずのない人が、どうやって救われるというのでしょう。



救済は、自己という思いこみが消えた時に訪れます。


苦悩は、自己という思いこみが膨張した時に訪れます。


楽しい時は自分を忘れ、苦しい時は自分のことばかり考えているのです。



このメッセージは、究極ですが真実を指し示しています。

難解で膨大な釈迦のメッセージも、結局はこのことに尽きます。



でも自己にとっては、あまりにも解りにくい。

だからこそ繰り返し触れることが必要で、常にその方向を指し示す環境が必要だと思うのです。

人間は忘れっぽいからね。



手前みそですが、「禅サンガ」はそのためのサークルです。


おおっ、自然に禅サンガの宣伝に繋がったのはありがたい(笑)


禅サンガは毎週の生配信が満載で、明日からその内容を少しずつ紹介していきます。

まず明日は僕の禅サンガWeb講演の模様を公開します。




最後に蛇足ですが、


「私はいない」

というのは同時に


「私はすべて」

でもあります。


いつもは個としての小さなイメージの中に暮らしていますが、個の幻想が消えた時、残ったあなたは宇宙全体であり、すべてを創り出していたことが解ります。




あなたが「宇宙の王」なのです。


かっけーーー!!!(若者風に)



でもホント。


我々は我々が想像しているより、数兆倍も偉大な存在なのですよ。






いつもありがとうございます。

たくさんの人に届きますよう、ご協力をお願いします。

その代わりと言っては何ですが、今日も強運パワーが流れるよう、気合い入れてバナーを張り付けておきます。


ひんでんうんそわか~~!


   
 

  


Posted by Toshiro Abe at 10:05Comments(55)

2017年03月17日

今日も生かされて有難い

それにしても、僕らの存在構造は面白い。

だって大元のひとつのものから、一部がニョキニョキって頭をもたげて、分離したつもりになって、

「私だ!」

って宣言するのだから。







そうやって宣言しておいて、そのうち

「一人は寂しい」

と言いだす。


そして何度も他の個体と合体しようと試みて失敗に終わる。


次は一気に全体と一つになろうと試みる。

世界中の覚者をめぐり真理を学ぶ。



で結局は疲れ果て、自力で達成することはできないと諦めた時、完全に諦めて自力を手放したとき、自力と共に自己が消えて、あら不思議、最初から一つだったことを知る。


自分が自力で生きているつもりになっていたけれど、生きていたのは全体であり、その全体に自己という幻想さえも生かされていた。



それがわかれば、あらゆる責任は消えていく。

だってあらゆる現象は全体の表現であり、全体の意に反しては何一つ起きないのだから、うまくいかないことや、苦しいことはすべて全体のせいにすればいい。


「こら!全体!もっと真面目に上手くやれ!!」



そんな声が聞こえているのかいないのか、いまも全体はただあるがままにあって、起きることだけが起きていく。



にもかかわらず、物事がうまく行きだすと自分の力を過信する。

自力を信じれば信じるほど、個としての分離感覚は強まっていく。

傍から見れば恵まれているけれど、精神的にはストレスが高じている。



だから上手く行かないほうがよかったりもする。

苦労のおかげで小さなことにも感謝を覚え、己を小さくすることができる。


そしてこう言う。


「お陰さまで」



もし上手く行きだした時に「お蔭さま」の心を忘れなければ、それがベストだね。

そう言えば昔の人は、いつもこのことを言っていた。



陰って、目に見えない全体の力のこと。

だから己を薄めて、「お陰さま」を生きていこう。


そうすれば、まだ分離は残っていても精神は安定してくる。




今日も読んでくれてありがとう。

あなたがいてくれることもお蔭さま。

こうして縁を結んでくれたのもお蔭さま。


今日も強運力を念じておきます。


   
 



・・・・・・・・・



【お知らせ】


3月講演会

3月20日 名古屋 (満席)


3月26日 東京 矢作直樹&阿部敏郎 コラボ講演会



初めての方のための
3月瞑想伝授(ハートマントラ)と指導


名古屋

3月18日12時 (満席)

3月19日16時


東京

3月24日12時

3月25日16時 (残り席わずか)


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Posted by Toshiro Abe at 11:10Comments(61)

2017年03月16日

一番笑ったのに、一番可笑しくない話

人生で一番笑ったときのことを思い出してみたら、一番笑ったのは、一番笑えないことに対してでした。


それは、この世に自分しか存在していないことが分かったとき。

こういう言い方は、この世に阿部敏郎と呼ばれる者しか存在しなかったみたいに聞こえるけれど、実際は阿部など存在せず、ただ存在だけがあって、それが瞬間ごとに様々な内的経験(思考・感情・認識)と外的経験(活動・行為)をしていたということ。


全部が一人ゲーム。

違う言い方をすれば、すべては全体の表現。

全体には意識があって、その意識は、ずっと自分として感じていた意識と同じものだった。

したがって、この世には自分しかいないと感じたわけです。



自分(全体)しかいないのに、いったい何から何を守ろうとしていたのか。

危険を回避してなんとか生き残ってきたつもりでいたけれど、生きていたんじゃなくて生かされていたわけで、最初から100%安全だった。

いまも誰一人、何一つ奮闘しなくても、何の心配もいらないことを知っている。



でも過去や未来を信じて時間の中に生きていると、そうは思えない。

支払の期日が迫っているのに呑気にしていられるかというわけです。

笑っている場合じゃない!!


この頑ななまでの深刻さと生真面目さが、悲しくもあり可笑しくもあり、その全部が喜劇で、腹の底からのたうち回るみたいにして笑ったのです。


このような話は困難を茶化しているみたいに聞こえるけれど、まぎれもない真実です。

鵜呑みにはできなくても、このような理解の可能性もあることを知れば、少しは救いになろうかと思います。

本当はこちらのほうが真実であり、深刻な現実はマインドが作った幻影です。



我々にとっては幻影が生々しい現実なので、窮地に陥ったときは対処に努めるのと同時に、窮地自体がマインドの仕業とばかり、マインドを静め、横に置くための瞑想などが効果的です。

問題は、その問題を考えなければ存在しないのです。


やっぱり全然可笑しくない話ですね(笑)







さて、このような理解を一瞬にして覚ることを一瞥といいます。

これは誰にでも起きることであり、特別なことではありません。


一瞥はそれまでの人生観の根底を変えてしまいますが、だからといって理想の自分になるわけではなく、あいかわらずそれまでの精神パターンは残り続けます。


一瞥の最中は、それを経験している者はいないのですが、その後になって、「一瞥を経験した私」が現れ、また二元の物語が始まっていきます。


実際には変容しているのですが、「一瞥をした私」のせいで、一時だけの真理の経験に見えてしまいます。

そしてまた、あの素晴らしい経験をもう一度とばかり、あらゆることを始めるのです。



僕もそんな期間が10年以上続きました。

そしてある時、もうすでに到達していることを静かに認め、いまに至っています。


到達と書きましたが、実はすべての存在は到達しています。

ただそれを認めるか否かだけの話です。



このブログは道を求める人に書いていると同時に、一瞥や目覚めや見性をした人たちに、その後のガイドとしても書き続けてきました。


最近活躍している、とあるメッセンジャーが、このブログに育てられたと言ってくれて、たった一人でも役に立てたことに歓びを感じています。

今度はその人が、その人のセンスで、新しい人達の道標になっていくのでしょう。



すでに全ての人は救われているので、何かすべきこともないのですが、救われているのに救われていないと感じている人達に、


「大丈夫だよ」

と言い続けていきます。




今日も来てくれてありがとう。


これも冗談みたいなもので、笑いながらクリックしていただけたら(^^)

笑う門には福来る。

ひんでんうんそわか~!!



   
 
  


Posted by Toshiro Abe at 10:56Comments(59)

2017年03月15日

唄うも舞うも法(のり)の声

いまここにある「これ」しかないということ。

ただこの事実を認めること。


それだけです。


「これ」しか存在しないことに徹底すれば、いま生かされていることに感謝が湧いてきます。


ところが我々は常に、もっといいことに目が行ってしまいます。

もっといいことというのは、マインドが作ったイマジネーションなのですが、そちらがいまよりもっと重要に思えてしまうのです。

そうやって唯一の「これ」から意識が離れてしまいます。


いまのままでは十分ではないという強迫観念がやめば、いまここにある宝を享受することができます。



いまのままで十分だとしてしまったら、生活も現実も変わらないし、成長もないじゃないかと思うかもしれません。

しかし、あなたがいまを感得していようと、あるいは幻影の達成のために奮闘しようと、いままでどおり変わるものは変わっていきます。

だってすべてはあなたがやっているのではなく起きていることだから。


このことへの理解が、人生の気楽さに繋がっていきます。


マインドは、いまここにある「これ」と、想像上の出来事の区別がつきません。

世界で起きている悲惨な出来事を引き合いに出して、このままでいいわけがないとも言います。

そのような態度がいけないわけではないのですが、そうやってマインドの世界を生きているのです。



この真実をマインドが聞いたら突っ込みどころ満載です。

でもどんな理屈を並べようと、時はいましかなく、我々はここにしかいません。

いままでにも、いまここの「これ」しか存在したことはなく、これからも同じです。






この真実に繋がる道は何だろうと、世界の伝統を探り、たどり着いたのが日本の禅です。

まったくもってダイレクトな道。

道なき道。



禅は世界の宝ともいうべき伝統ですが、伝統に埋没して形骸化している面も見受けられます。

むしろ欧米に広まった「ZEN」のほうが、伝統や格式というお荷物がない分だけ、純粋さが残っています。



伝統の中で大悟を認められ、しかも禅という枠を超えて普遍的真理に生きる禅僧と出会えたのは幸運でした。

大きな本山の管長クラスお中にも話が合う老師はいるのですが、背負っているものが大きく、活動が制限されたり、自由な発言が難しくなっています。


向さんは、有名な大本山から管長就任を請われたことがありましたが、彼が選んだのは「無位の真人」

誰でもない一禅僧としての生き方です。


すべての出会いは、全体の仕組みの中で起きていることですが、向禅師との出会いは、僕の活動を決定づけたと思います。

すでにコンビを組んで20年になり、いまもネットでの「禅サンガ」をご一緒させてもらっています。



このブログのメッセージは禅に共通するものが多いですが、それは禅を解説しようとしたわけではなく、湧いてくるメッセージが、向禅師が伝える禅の真髄と同じだったというだけ。


真実を言えば、個人など存在していないので、個人にできることは何もないのですが、それでも通常我々は、個人という幻想を生きる宿命にあり、真の生き方を求めています。


そんな中で、ギリギリできるアプローチが禅の生き方であり、坐禅と瞑想だと思っています。



行為なき行為。


無為の道。



また4月から禅サンガがスタートしますので、ブログ以上の立体的なお付き合いをさせてもらえたらと思います。

今週末からご案内します。









今日は久しぶりにリラックスバナーを張り付けておきます。


   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:54Comments(45)

2017年03月14日

ダイヤモンドスートラ 釈尊曰く

長い歴史の中で、無数のメッセンジャーが現れ、無数の教えが残され、いまの時代は、それらを一気に閲覧することが可能です

昔であれば、西遊記の如く、野を超え山越え、命がけの旅をしてやっと一つの教えにたどり着いたのですから、そこから考えれば、いまは誰もが真理の宝庫を手中に収めていることになります。


このことによって、人の意識が向上しているかといえば・・・そうとは言い切れません。

むしろ情報が多すぎて混乱したり、玉石混交の中から本物を見分けることが難しかったり、情報は多ければいいということでもなさそうです。


釈迦が出現して2500年も経ったというのに、人類の意識はどれほど高まったのか。

経文に出てくる例え話などを読むと、人の営みや基本的な考え方は、いまとほとんど何も変わらないようです。

むしろ当時の人は、将来の人類が釈迦の深遠な教えを理解できるかを心配していた気配さえあります。



ダイヤモンドスートラと呼ばれる「金剛般若経」の中に、釈迦と弟子のスブーティとの対話があります。



スブーティ

お釈迦さま、この先500年も経てば、これらの真理を誰も理解できなくなるんじゃないですか。





釈迦

そのような言い方をしてはいけないよ。

500年後だろうが1000年後だろうが、いつの時代にも私の言葉を理解できる人は必ずいる。


その人達に共通するのは


「私はいない」ということを知っている。


「他人はいない」ということを知っている。


「自分」が生きているなどという勘違いをしない。


物質の存在を妄信することもなく、「行為」と「無為」の区別もしない。


開かれた自由を知っている人達だ。



それさえ知っていれば私の教えは不要だ。

私の教えは、川を渡る小舟のようなもの。

渡ってしまえば必要ない。


この小船のおかげで渡れたのだからといって後生大事に持ち運ぶ必要はない。

私の教えなど捨ててしまいなさい。

私の教え以外も捨ててしまいなさい。




結局のところ、あらゆる真理の言葉は、川を渡る小舟に過ぎず、小舟を拝んでも、磨きをかけても、「渡る」ということがなければ意味はありません。

したがってどんなに入手できる情報が増えても、「渡る」ということに重点が置かれていなければなりません。


皮肉なことに、渡ってみれば、彼岸も此岸も同じだったことに気づきます。

でもそれは渡った後です。



言葉を小舟として使える人は、言葉を聞いただけで真理を理解できる人で、むしろ少数派だと思います。

たいていは言葉によって方向性が定まり、あとは何らかの行(ぎょう)を通して川を渡ろうとするのではないでしょうか。


このことに関しても、渡ってみれば行(ぎょう)も必要なかったのですが、渡る前は何かしらの船が必要です。

昔からそれは、坐禅や瞑想に代表されてきましたが、いまも変わりないと思います。




今日の沖縄はどんよりとした曇り空。

この雲の背後に、眩いほどの青空が広がっているのを忘れてしまいそうです。


日々の出来事や将来への不安で、すっかり曇ってしまった心。

その心の奥に、青空のような本当の心が広がっているのを忘れないようにしましょう。

これは例外なく、あらゆる人に内在している祝福です。





今日も来てくれてありがとう。

最後はわかっとるよね。

うん、わかっとるわかっとる。


ひんでんうんそわか~!!



   
 



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3月20日 名古屋 (満席)


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Posted by Toshiro Abe at 10:22Comments(48)

2017年03月13日

知らないうちに変わってる

最近思ったことがあります。

いまは大きな変化の時代で、その変化は社会システムやテクノロジーだけでなく、各自の精神霊的な変化、そして生き方の変化など、およそすべてに及んでいます。


このような指摘は、すでに数十年前から予言の如く言われてきましたが、まさにいまそれが起きています。



でも自分自身の変化となると、あまりピンときません。

自分は急激に変わり始めていると自覚できる人は少ないのではないでしょうか。


人間の適応力はずば抜けていて、変化していてもそこにすぐ馴染んでしまい、気がつかないのかもしれません。

IT革命だけでも、我々の生活は一変しましたが、その変化をみんな当たり前に使いこなしています。


改めて見直してみれば、外側の変化には著しいものがあります。

そして同時に内側も急激に変わっていると思ったのが、今日お話ししたい内容です。



内側の本質は変わらないし、伝えたい真実も変わりようがないので、自分は何も変わっていないと思っていましたが、ある出来事がきっかけで認識を新たにしました。



それは今月発売される新刊用の原稿を読んだ時から始まります。

原稿は僕の話を文字に起こしたもので、ベースになっているのは、4年前にやった若者との質疑応答です。

出版社さんの企画で、20代から30代のブログ読者10名ほどに集まってもらい、僕自身が若者に残したいメッセージを浮き上がらせるのが目的でした。


それから2年ほど過ぎた頃、あの企画を成就したいということで、編集者さんが来沖し、インタビュー形式で、当時の質疑応答の中身を補足していきました。


さらに2年経って、去年の暮れから本の仕上げに入ることになり、いままでの原稿を一気に読みなおすことになったわけです。


そこに出てくる僕から若者への回答は、いまの僕のセンスとは大きくかけ離れたものでした。


本当にこんなことを言ったのか!?

同じことを言うのにも、もっと違う表現があるだろうに。


乱暴で極端な表現に違和感を覚えました。



伝えたいことの核心はズレていないのですが、愛を感じない。

若者が相手だったからか、先輩風を吹かせて上からメッセージ。

傲慢でのぼせ上がった男の独断場。




あはは、しょうもない。


で、結局は多くの部分を書き直させてもらいましたが、その作業中に、いまの自分について思いました。


「オレ、変わったなァ」



よくよく振り返ってみると、特にこの数年間はいろいろなことがあって、それによって魂が磨かれたような気がしました。

トラブルで痛い思いをしたからかもしれません。

つい外側の出来事にばかり目が行っていましたが、内側も同時に変わっていたのでしょう。



この先、各自それぞれの人生の風景を見ながら、誰もが内側の変化を迎えていくのだと思います。

それには苦悩が付いてまわるものもあり、これからもそんな出来事が起きるかもしれません。

でもそれは魂を磨くために起きていると思えたら、苦悩にも意味が出てきますね。


しかも生きる目的が「魂を磨くこと」であるならば、一番いいことが起きているということになります。


実際には磨くものもなければ磨ける人もいないのですが、このような考え方は生きる力強さに繋がっていきます。


昨日も言いましたが、「魂の進化」という言葉に惹かれる今日この頃です。





さて、そんなこんなで完成した新刊。

宣伝を兼ねて恐縮ですが、タイトルは

神さまのせいにすればいい~悩みから解放される究極の方法~



アマゾンページに簡単な紹介が載っていますから、覗いてみてください。

できたら買ってほしい。









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それで完了です(^^)



   
   


Posted by Toshiro Abe at 12:02Comments(53)

2017年03月12日

生きたい人生に役立つ観念

今日の記事は一気に書いたのですが、読み直してみたらあんまり面白くなくて、今日はお休みしようと思ったけれど、せっかっく書いたから載せます(^^)



幼少のころから、周囲に馴染めない子でした。

みんなが面白がることにちっとも興味が湧かず、自分だけが異邦人のように思っていました。


人は何故、こんなふうに怒れるのか。

何に対してもあまり頭に来ることがなかったので、怒る練習や、怒るふりを始めました。


こういうシーンで人は怒るんだ。

という判断によって怒っていたのです。


泣くタイミング、泣き方、照れ方、笑い方、それらも人を見ながら真似していきました。


外側に現している自分と、決して見せることのない内側の混沌とした自分とのギャップが激しく、子供心に自分は上辺だけの信用できぬ人物だと思っていました。



もちろん誰のことも信じられません。

人はみんな敵です。

親しい敵もいれば、仲が悪い敵もいましたが、敵であったことに変わりありません。


そのころ持っていた人生観は、

「人生は劇場であり、人は俳優だ」

というものです。



それがある時、人の違いは表面的なもので、存在の本質は一つの同じものだという気づきが訪れます。

それは、いままでの人生観を一新するのに十分な気づきでした。


その瞬間に、まったく違う世界が現れました。

敵だった人達は、愛しい同胞に変わり、自分の幸せだけでなく、あらゆる人が幸せであるように願うようになりました。

たったひとつの観念が変わっただけで、世界全体が変わって見えてきたのです。



観念には役にたつものと立たないものがあります。

同じ観念でも、人によっては役にたったり立たなかったりします。



さて、最近の僕が所有しようとしている観念は


「輪廻転生」と「魂の進化」。


これらを観念と呼んでしまうと抵抗がある人もいるかもしれません。

観念ではなく真実だと。


そうかもしれないし、そうでないかもしれないけれど、とにかく新しいお気に入りです。



輪廻転生には、分離した個別魂が前提になりますが、どのみち人生はイマジネイションなので、何を取り入れるのもありです。


魂の進化のために生まれてきたと考えると、苦労や悲しみにも意味が出てきます。

続きがあるとしたら、無責任な終わり方もできません。


これは各々が人生の秩序を作りだすのにも、大変役に立つと思います。

そんなわけで、けっこう気に入っています。




もうひとつ、昔からのお気に入りだった観念は


「思考は実現する」


これなどは、観念ではなく信念のレベルに落とし込めば、本当に実現するという説もあります。



これらの観念が役に立つか否かは人によって違うことでしょう。

魂の進化から言えば、ある段階においてだけ機能するようにも思います。

物理現象を超えた真実に目が開き始め、自分には自由自在に人生を作りだす力があると信じている段階です。


これも使いようによっては、イキイキとした生き方に繋がりますね。







肉体の使用期間は有限です。

だったら、この肉体の人生をどう生きていくのか。



自分が抱えている観念が、自分の生きたい人生にとって役に立っているのかいないのか。

そんなことをあらためて考えてみるのもいいですね。







今日も来てくれてありがとう。

白蛇形パワーも信じる者にとっては効果絶大です。

そんな報告もコメント欄に寄せられました。

自由に人生をクリエイトしていきましょう(^o^)



   
 



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Posted by Toshiro Abe at 10:53Comments(47)

2017年03月11日

スピリチュアルな成長を目指して

スピリチュアルな成長を目指して、心を開いてすべてを受け入れていこう。


混乱したマインドや、傷ついた潜在意識を清め、浄化していこう。


怒り、嫉妬、憂鬱などの悪しき感情を捨て去って、いつも大らかでいよう。


依存症や、怠け癖を克服しよう。


いつもいまここで、自分なんて存在しないことを覚えていよう。


どんな時も心静かに、口元に微笑みを携えて、慈愛に満ちていよう。


ムキになったり、狼狽したりしないで、何が起きても平静な自分になるんだ。


欠点のない、愛にあふれた人だ。



そのためにも絶えず自分を見張りながら、理想の自分になるための努力をしていこう。


いつか完璧な自分に近づけば、目覚めの瞬間が起きるかもしれない。

ある日突然、精神の一線を超える体験が訪れて、私が消えて悟りが現れる。

そうしたら、もっと完全な人生が始まるだろう。




ってか?

まさかそんな風に考えてないよね。


これは、地位や名誉や成功を追い求めている姿と何も変わらない。

それが悪いわけじゃないけど、どこにも行きつかないよ。


そんなことより、いまあるがままの自分に寛いでみよう。

他の誰かになろうとするんじゃなく、いまの自分と仲直りするんだ。


目覚めるために、努力も自己修復もいらない。

むしろ何かに成ろうという衝動が、真実からどんどん遠ざかっていく。



マインドが出てきて、想像上の問題を作りだして、今度はそれを解決しようとする。

その絶え間ない繰り返しを見抜けるかい?


「私はまだ達成していない」


「すぐにマインドにつかまってしまう癖がなくなれば、悟りに近づくのに」



そうやってまた夢の旅が始まっていくんだ。






どうだい、お若いの。

木陰でゆっくりしないかい。


怒り、憂鬱、嫉妬、これらを感じなくなったら人生の味わいが減っちゃうよ。

ムキになったり、狼狽したりするのも、人間らしくていいじゃないか。


すべては来ては去っていく。


慈愛にあふれる時もあれば、自分勝手なときもある。


微笑むときもあれば、おっかない顔の時もある。



誰かがやっているわけじゃない。


それらはみんな、起きている。




さてと、ご飯食べよっと。










今日も来てくれてありがとう。

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ひんでんうんそわか~!!




   
 



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Posted by Toshiro Abe at 11:37Comments(50)