2010年03月31日

お次は誰だ!?

今日もここに来てくれてありがとう。


あなたが自覚しているかどうかは別として、このような情報に引きつけられるということは、あなたがすでに目覚めの段階に入っているか、その前夜に差し掛かっていることを意味しています。

早い話が、今回の人生で悟ることになっているということです。


でも「あなた」が悟るわけじゃありません。

「あなた」が消えた時、そこに残るものが悟りです。


その悟りこそ、「本当のあなた」です。


それは個を超えたもの、全体意識と呼ばれるものです。

したがって、悟りと「あなた」は何の関係もありません。

そもそも、自分のために悟るのではないのです。



では何のために悟るのでしょう。

それは、悟りの瞬間に誰もが実感することですが、あいかわらず闇の中で手さぐりして生きている同胞たち、苦しんでいる同胞たちを、同じように目覚めさせるためです。

他者の救済の為に悟る、他者を悟らせるために悟るのです。

実際そのことにしか興味が持てなくなりますし、唯一の生きがいになります。




昨夜、とても素晴らしい出会いがありました。

チベットの高僧、ゲンドゥン・シェラプ大師が「いまここ塾」に来てくれて、いろんな話を聞くことができたのです。


悟った後の修行は、ズバリ「菩提心」であると言っていましたが、まさにそうだと思いました。


菩提心とは、衆生の苦しみを減らすために活動することですが、苦しみの根本解決は目覚めであり、したがって衆生の目覚めの為に活動することが菩提心です。

こんな僕でさえ、その気持ちに突き動かされるようにして生きてきましたが、それすなわち修行なりと言ってもらえて、ますます力が湧いてきました。


自分を振り返ってみると、あの日(目覚めの日)以来、他者の目覚めに貢献したいという思いで生きてきましたから、そうとは知らずに修行してきたことになります。

それを修行と呼ぶにはおこがましいくらい、心底やりたいことでした。


やはり、どの段階においても、心のままに生きることが、もっとも的を射た生き方なのでしょう。



修行とは、常にその心(菩提心)を想起することです。


朝念観世音 暮念観世音

念々従心起 念々不離心


(延命十句観音経より)


経文の解説については、このブログのカテゴリーから延命十句観音経をクリックしてください。



僕たちが他者を目覚めさせるために目覚めるのだとしたら、目覚めの連鎖は倍々ゲームになり、あっという間に地上全体を覆い尽くしていくことでしょう。




これは楽しくなってきた。




お次は誰だ!?






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沖縄の情報を発信しているサイト「RyuQ」に、「一瞬で幸せになる方法」のインタビュー記事が載っています。  


Posted by Toshiro Abe at 08:29Comments(40)

2010年03月30日

集団催眠

おかしいなあ。

本当は、いまこの瞬間に、全ての人は悟っていて、全ての人は歓喜の中にいて、全ての人は完璧に自由なのに、どうしてこんな状態になっちゃったんだろう。

しかもみんなで。


これこそが人類レベルの集団催眠と言うか、宇宙レベルのトリックゲーム。


みんなが目隠しして、同じ方向(未来という幻想)に向かって歩いているものだから、自分もそっちに行かなきゃって思っちゃったのかな。

しかもゴールにたどり着くには、自分自身を修正しなければと思っていて、自分を責めたり、罰したりしながら生きているんだから、本当に悲しい催眠術だ。


そんなふうに生きているだけでも重荷を背負っているのに、その上に死んだ人(先祖と呼ばれる家系の縁者)のことや、世界中の人の幸せまで責任もたされちゃうんだから、もう身動きが取れない。


歴史的に見ても人間は、聖者や僧侶や教師たちの豊かなイマジネーションを無防備に受け入れてきて、あれをしないと天国に行けない、これをしないと神に愛されない、あんなことしたから地獄に墜ちるなんて言葉を真に受けて、自分をがんじがらめにしちゃったんだ。


僕らがやるべきことはただひとつ。

まさにいま目を覚まして、自分に無条件に与えられている自由と価値に気づくこと。


先延ばししないでね。

だって、どこまで行っても「いま」しかないんだから、「いま」目覚めるしかないんだよ。


誰かが、「あなたは『いま』に固執しすぎる」と言ったけど、べつに僕は固執しているわけじゃなくて、それしか存在していないって言っているんだ。



悟りは「いま」起こる。

だって悟りとは、時間という幻想から目覚めて、「いま」に帰って来ることだから。


もし、悟りが未来のどこかにあって、それを達成するために何らかの努力が必要だとしたら、それはいつの日か再び消滅することになるよ。

時間の中で得たものは、時間の中で失うしかないから。


生じもせず、滅しもせず、永遠にいまここにあるもの、しかもすでに達成されているもの、それがあなたの本質であり、あなたの悟りです。


それは無条件。



悟りは特別なことじゃなくて、とても当たり前なこと。


凄い人に成ることじゃなくて、当たり前の自分を、当たり前に受け入れること。




また、思い出した?






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Posted by Toshiro Abe at 08:53Comments(51)

2010年03月29日

架空の現実

先日、あるところで、昔の知り合いを見かけました。

先方はこちらに気づかなかったので、会話はしませんでしたが、そのとき頭にいろんなことがめぐりました。


もしかしたら、誰かの役に立つかもしれないので、僕の身に起きたことを書いてみます。



話は数年前に遡ります。

僕はひょんなことから、島唄を歌う若い女の子たちを見つけました。

見た瞬間に、頭の中にアイデアが浮かびました。

この子たちのあっけらかんとした明るさの中で、島唄をベースに、地球規模のメッセージを歌ってもらったら、この時代に必ず話題になる。

深遠なメッセージと、若さと、可愛らしさとのミスマッチが、多くの人達の興味をそそるだろう。

そう、上々颱風やチャンプルーズの現代版、アイドル版です。


このような発想は、新人を世に送り出すためのプロデュース力で、ピンときたことは、たいていは正しいのです。


僕は有頂天になりました。


すぐに東京の知り合いに連絡をつけ、大手のレコード会社に紹介しました。

結果は良好で、社長自らが気に入り、自身が沖縄まで見に来るという熱の入れようでした。


ところが、事態は180度変わってしまいました。

僕が知らないところで、本人たちが他の事務所と契約してしまったのです。

気がついたら、僕の居場所がなくなっていました。


そんなはずはないと、あらゆる手段を講じるのですが、何をやってもうまくいきません。

まるで、これはお前の仕事ではないとばかりに、弾き飛ばされてしまうのです。



結果は、メジャーデビューすることになったのですが、僕は用済みになってしまいました。


見出したのは僕なのにと、僕の自我は大いに傷つきました。


そして様々なことを想いました。


棚ボタを喜ぶ事務所関係者。


恩知らずの東京の知人。


何も知らない若きアーティスト。



理不尽な展開に、みんなが悪者に見えてきます。

まるで、みんなで謀って僕を陥れたかのように。



このように書くと、恨みつらみが増幅したみたいに聞こえますが、実際には短期間でこの妄想の世界を脱しました。

もし昔の僕ならば、いまだに彼らを許していないかもしれません。

そして、人生を儚(はかな)んでいたことでしょう。




事実は単純です。

誰が悪いでもなく、起きることが起きただけでした。


そのようにしか起きなかったし、他の可能性はありませんでした。

事実はいつだってシンプルです。


ところが、人の頭の中では複雑なドラマが展開します。


「こんなことは許されるべきではない」


「いったい僕が何をしたと言うのだ」


「いろいろしてあげたのに、なんて恩知らずな連中だ」


「アイデアは僕の頭の中にある。これなくして売れるものか」


「もうこんな業界はこりごりだ」


「夢と仕事を一度に失ってしまった」



これらの考えが感情を引き出し、そして自分を苦しめるのです。

それはすべて空想の世界の産物なのですが、実際に起きていること以上にリアルになってしまうのです。



事は起きています。

個々の思惑や感情とは関係なく、ただ起きることが起きています。


現実はつねに、いまあるがままの状態なのですが、思考はそこに架空の物語を投影します。


こうあるべきだった。

ああしておけばよかった。

もっとこうできたはずだ。



それらの想いが作り出す世界は、現実ではありません。

しかしそれは、現実以上に現実のフリをするのです。


多くの場合、このようにして苦しみが生まれます。

この世に充満する苦しみは、起きている事実そのものではなく、そこから作り上げた架空の現実が引き起こしている場合がほとんどです。



これからも起きることが起きていきます。

それは大いなる存在が大いなる計画のもとで創り出しています。


その流れが、自分の思いと一致すれば、人生は順調に見えます。

一致しなければ、そこに不安や、怒りや、苦悩や、混乱が生じてきます。



でもこれだけは言えます。

どんなに苦しんでも、あるいは苦しまなくても、現実は起きることしか起きないと言う事です。

そして、思考が作り出すドラマに巻き込まれることなく、単にいまここの現実と向かい合う事が出来れば、その中には必ず、いま必要なことのヒントが隠されています。

さらには、その背後には、愛と救済のエネルギーが働きかけています。


それは常に、「いま」の中にあるのです。



このことを、みんなが知ることができれば、悲観して自殺する人はいなくなることでしょう。

彼らは、思考が作り出した偽の現実の被害者なのですから。



大いなる存在は、僕たちの敵ではありません。

それどころか、この上ない味方です。

僕たちの魂が、最高の高みに昇るために必要なことが、刻一刻と起きています。


その流れを信頼して下さい。

いまを生きるのです。

そこに安らぎがあります。


あなたは完全に守られています。





今日もここにきてくれてありがとうございました。





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Posted by Toshiro Abe at 09:18Comments(62)

2010年03月28日

受信機

今朝起きて、ブログに何か書こうと、パソコンの前にやってきました。

いつもの習慣で、最初にコメントのアップをしていたら、忘れた記事へのコメントがありました。


過去の傷 Ⅱ」とあります。

そこに飛んでみたら、ちょうど一年前の記事でした。


毎日書いていると、前に書いた記事のことは覚えていなくて、中にはまったく忘れているものもあって、改めて読み直してみて、「そうだよなァ」なんて、自分で納得したりします。


記事というのは面白いもので、その瞬間に感じたことを書いているわけですが、その瞬間にだけ自分に降りてくるメッセージがあるんです。

それはもはや自作とは言えません。


ちょうどラジオの受信機みたいなもので、その日のチューナーの位置によって、引き寄せる周波数が違っていて、内容のタッチや高低が変わります


これはブログを書くときだけではなく、もしかしたら僕たちの日常生活も同じなのかもしれませんね。


自分が考えているのではなく、考えを引き寄せているのです。


考えというのは作り出すものではなく、すでに地上全体に偏在していて、それを入れたり出したりしているのではないでしょうか。


いまあなたが考えていることは、昨日僕が考えたことかもしれません。

もちろんその中の登場人物名は、それぞれが置かれた現実によって変わりますが、その考えの外枠は同じかもしれません。


そこには周波数の高低が無限にあって、とてつもなく恐ろしい考えや、慈愛に満ちた考えまで、その日の自分の心の位置によって引き寄せる思考が変化しているのではないでしょうか。


すごく嫌な考えをした時、「こんなことを考える自分は醜い」と思いがちですが、実際には、「この世には、こんなに醜い考えもあったのか」というのが正解だと思います。

その醜い考えは、世界中を飛び回り、アッチコッチと、いろんな人の受信機に引き寄せられているのだと思います。


僕自身は、人が何を考えているのかわかってしまう体質なのですが、それは読心術というよりは、波長を合わせやすい体質なのかもしれません。




とある、夜の公園でのひとコマです。

出会ったばかりのカップルが、ベンチに座って、しばし無言でいました。

やっと女性が口を開きました。



女「ねえ、何を考えているの?」



男「え?・・・君と同じことさ」



女「まあ!・・・エッチね!!」


こんなことが起きているんじゃないでしょうか。




そうそう、一年前のその記事の最後に、

「北海道に僕の知人がいます」

って書いていたけど、それは黒斎クンのことで、時の流れを感じます。


いまや怪しいオヤジの交換日記をする仲なのですから(笑)




素敵な日曜日をお過ごしください。



今日もここに来てくれてありがとうございました。




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Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(33)

2010年03月27日

赤坂の街並み

うまく書けるかな。

とりあえず書き始めています。


数日前から東京赤坂のホテルに来ています。

泊まっている部屋の窓から、赤坂見附の交差点、そして元のTBSの跡地に建った巨大なオフィスビル、そしてその向こうに現在のTBSが見えます。



僕がこの街で生きていたのはもう25年前のことです。

一応スーツに身を包み、いっぱしの社会人のフリをしていました。


フリをしていたと書いたのは、すでにこの頃には目覚めの体験が終わっていて、心の中はいまと同じ理解を生きていたのですが、時代があまりにも違っていて、僕の話に耳を傾ける人などほとんどいませんでした。


ある時、TBSのオフィスビルで、僕に気がある女性(勝手に僕がそうおもっていただけかも)のデスクの前に座りました。

彼女はちょっと気恥ずかしそうにしていましたが、なにか語りかけてほしそうでした。


僕は言いました。


「僕たちはみんな、ひとつの同じものなんだよ。君は僕で、僕は君なんだ」


彼女は少し不思議そうな顔をして、僕を見つめていました。


僕は続けました。


「本当は過去も未来もなくて、すべては『いまここ』で起きているんだよ。あらゆる過去も、あらゆる未来も、ぜんぶ『いまここ』にあるんだ」



そしたらね、そしたら・・・・


彼女、あきれたような笑顔を残して、席を立ってどこかに行ってしまいました。


ポツンと残された僕


その時の情景が昨日のことのようによみがえりました。



みんな明日を夢見て生きている。

明日なんて日は永久に来ないのに、みんなが希望と期待を抱えて、一生懸命に生きている。


どこに向かっている気でいるんだろう。

どこにも行くところなんかないのに。


誰と戦っているんだろう。

この世には自分しか存在していないのに。


そんな思いを胸に、外側では100%演じきって生きていました。


自分では演じきっているつもりでも、はたから見ればただの変な青年だったようで、ある時を境に、周りの態度が変化していったのもわかりました。

なんとか仕事の結果だけは出していたので、みんなそれとなく遠巻きに付き合ってくれていたのかもしれません。


天河神社に行く、数年前の話です。



この街に、あの頃の自分が生きていたと思った瞬間、あらゆる過去も、あらゆる未来も、いま同時に存在しているということの意味が、また違う角度から理解できた気がしました。


いままで僕が、そしてあなたが経験してきたことを、いまこの瞬間に世界のどこかで誰かが経験しているのです。

あの時感じた感情や、あの時考えたあれこれや、生きている態度や、人生への認識や、そんな経験のすべてが、いまこの瞬間に同時に存在しているのです。

そしていま、自分が感じていることや考えていることは、前に他の誰かが経験していたことではないでしょうか。

僕たちは順番に、あらゆる可能性を生きているのではないでしょか。

そのたびごとに魂が刺激され、そして豊かに深みが加わっているのかもしれません。



今日は土曜日。

昨日に比べて、街を走る車がとても少なく感じます。


桜の花も開花寸前です。



もうすぐ春ですね(^o^)



多くの人に届きますように。応援よろしくお願いします。

   



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ここからは沖縄のみなさんにお知らせです。


チベットの高僧、ゲンドゥン・シェラプ大師が沖縄にやってきます。

一年の大半を、人里離れたチベットの雪山の洞窟で、瞑想している方です。

プロフィールはコチラから。


3月30日火曜日、「いまここ塾」にお越しになり、そこで対談させていただきます。

たいへん光栄に思っています。


いつもは一人でお話しになるそうで、このような形式は初めてとのことで、とても楽しみにしてくださっていると連絡が入りました。

中城村の吉の浦会館で20時からの開演です。

当日券のみで1000円になります。

(収益金は全額、チベットの人達のために寄付させていただきます)


たくさんのご来場、お待ちしています。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:54Comments(27)

2010年03月26日

やあ、会えてよかった

やりましたよ。

完全読破!!

3月26日7:00の時点で、508個のコメントを全て読ませてもらいました。

まずはみなさんのご参加とご協力に、心からお礼申し上げます。


たくさんの意見を読みながら、独り言のように繰り返し心の中で言っていた言葉があります。


「なるほどなぁ・・・なるほどなぁ」



そしてもうひとつ思ったこと。

わかったような顔をして毎日記事を書いているけれど、かなり知的レベルの高い人が相手だったんだと再認識。

塾で高校生相手に数学を教えているつもりでいたら、生徒はみんな大学の先生だったみたいな。


そんな読後感でした。

あらためて、このような場を提供させてもらえる幸運に感謝します。



さて、何人かの人も指摘していましたが、「起こることは決まっているのか」とか「アセンションはあるか」という質問自体が、時間が存在するという前提にたっています。

過去や未来という時間軸の中での問いです。


ところが、実際にはいつも「いまここ」があるだけです。


それはつまり、あらゆる過去も、あらゆる未来も、「いま」という中で同時に起きているということです。

これが存在の実相です。

僕たちは、無意識に時間の中で暮らしているので、どうしても違う見方で現象を捉えてしまうのです。



「いましかない」ということに徹すれば、いかなる質問に対する答えもこうなります。


「やあ、会えてよかった。嬉しいなぁ」


それが、まさにいま起きていることだからです。

まるで禅の公案みたいですね。


どんな答えも思考が作り出したもので、本当の答えはいつも目の前のこのリアリティーしかないんだということです。


そんな答えが常にありうるということを伝えた後は、また通常の僕らの感覚(時間の中での感覚)に戻って、話をさせてください。



みなさんも感じたと思いますが、きわめて多くの人達が、「物事は最初から決まっている」「アセンションは意識変革として起こりえる」と言っています。

もちろん、このブログに集まってくれる人たちの意見ですから、これがそのまま世の中の傾向だとは言いません。

でも、予想以上にそんな人が多くいたのは、少し驚きでした。



僕も同じように感じています。

特に今年はいままでで一番エキサイティングな年で、「目覚め元年」とでも呼びたくなるような、魂の夜明けを感じます。

あきらかに何かが変わり始めています。


それは初めから決められていたことで、アセンション(人類規模での意識変革)は、もうすでに始まっていると思います。

そのような確信がどこから来るのかは知りませんが、確信があることは事実です。

しかも僕だけでなく、ここにはそんな仲間が沢山いますし、その数が日に日に増えているのもまた事実です。


スピリチュアルという言葉が、あっという間に日常会話に登場するようになって、多くの人達が「死後も意識が存在する」とか、「現実は自分が引き寄せている」とか、そんな感覚を持ちだしたように、さらなる意識変革も、いつの間にか知らないうちに完了しているような気がします。

人間は意外と順応性があって、どんな大きな変化も、当たり前のように受け入れていくのではないでしょうか。

宇宙から見たら、まさに一瞬にして、人類の目覚めは完了するように思います。



さて、それがわかったら、また「いまここ」に戻ってきましょう。

「起きることが起きる。それ以外は決して起きない」のですから、それは天にお任せして、また目の前の現実に心を込めて生きていきましょう。


いまを生きるのです。



「やあ、会えてよかった。元気?」





多くの人に届きますように。応援よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 08:38Comments(48)

2010年03月25日

全部読んでから

たくさんのコメント、ありがとうございます。

あまりの多さに、アップするのが間に合わなかったものもあり、いくつか抜けていましたが、いまはすべて掲載できています。

メールにもたくさん頂きましたが、残念ながら掲載できません。

ご了承ください。



みなさんも感じたと思いますか、すごく内容の濃いコメント群ですね。

はっと気づかされた文章も少なくありませんでした。



しかし、仕事の合間合間に見ていたものだから、まだ全部読み切れていません。

まずは、最後のひとつまで読ませて下さい。


読んでいると、今という時代が見えてきます。

そしてこれから起こるであろう、大いなる変化の一端を垣間見る気がします。



自分のブログに対して言うのもなんですが、本当にここは素晴らしい場所ですね。

こんなに素晴らしい人達が集まってくれるのだから。



ますますこの場所の波動が上がっていると思います。

僕は、このブログに乗っかるようにして、時代の大変化を見届けていきたいと思っています。



今日は、みなさんのコメントを読む日にします。一緒に完全読破目指しましょう。


じっくり読んでから、またあなたの感想を聞かせてください。



参加してくれて、ありがとうございました。





左側のランキングが、何かの拍子でゼロに戻ってしまいました。

またここからよろしくお願いします。


     


Posted by Toshiro Abe at 09:12Comments(21)

2010年03月24日

どう思います?

今日は、僕に情報をください。



「すべての出来事は、あらかじめ決まっている」という記事を読んで、あなたはどのように思いましたか。



※ 思った通りだ。自分もそう思っていた。全ては最初から決められている。


※ そんな気もするが、自由意志だってあるはずだ。現に自分は自分の選択によって人生を作り出してきた。決められている部分(宿命)と自由意志の半々だ。


※ 決まっているわけがない。選択の可能性はいつだって人間に100%与えられていて、人はみなその気になれば、自由自在に人生を作り出すことができる。


※ 決まっているのか、いないのか、そんなことはわからない。わからないなりに生きていく。


まだ他にもあるかもしれませんが、あなたはどんな考えを持っていますか。



いつも書きこみをしない人も、一言でいいから、あなたの考えを聞かせてください。




それともうひとつ、アセンション(次元上昇)についてです。


アセンションに関しては、巷でいろいろ言われていますが、実際に起こると思いますか。

起こるとしたらどんな形で起こるのでしょう。

あるいは、そんなことはノストラダムスブームの再来で、取るに足らないデマだと考えますか。



以上2点、コメントよろしく願いします。


それを読ませてもらったうえで、新しい記事を書きたいと思います。





おかげ様で、新しい出会いが始まっています。

多くの人に届きますよう、プッシュボタンのご協力をお願いします。

   





それじゃ、お待ちしています。




・・・・・・・・・・



雲 黒斎クンとの怪しい交換日記ブログ「阿雲の呼吸」はコチラから。  


Posted by Toshiro Abe at 08:28Comments(523)

2010年03月23日

何度でも 何度でも

※大いなる存在

これは神と同義語ですが、神と言ってしまうと戸惑う人もいるでしょうから、大いなる存在という表現で話を進めます。



「大いなる存在」は、歓喜に溢れたとてつもなく素晴らしいもので、誰ひとり例外なく、その素晴らしい存在と繋がっています。

繋がっていると言うと、それは2つの別々なものが繋がっているということになりますが、実際にはその2つは同じもので、繋がっていると言うよりは、ズバリそれそのものです。


僕が、そしてあなたが、大いなる存在です。

いままで、それ以外だったことはありません。


それなのに、なぜ僕たちは本当の自分を見失ってしまったのでしょうか。


それを見失わせたのが「思考」です。


善悪や正誤を絶え間なく判断し続ける思考作用が、分厚い雲となって、大空をすっぽり覆ってしまったのです。

しかも僕たちは、その雲が作り出す幻影を、真のリアリティーだと信じてしまいました。



思考は僕たちをだまし続けています。

思考こそが人生を生きる上で最も必要な力で、その力のおかげで、いままで無事に生き残れたと思わせています。

そして僕たちは、思考を過大評価し、いまも、自動思考製造機のような状態で生きています。



真のリアリティーは「いまここ」にしかありません。

いまこの瞬間に起きている、あるがままの世界こそが、唯一のリアリティーです。

そしていつも「いま」なので、あるがままの世界以外が存在することはあり得ません。



そこに思考が登場します。

思考はあるがままの世界を判断し、そしてこう言います。

「あれはいい、これはよくない」

「これをしたい、あれはしたくない」

「あれが欲しい、これはいらない」

「あれはこうなるべきだ、こうしなければならない」

それは独断的で、強制的で、まるで独裁者の演説のようです。


しかしよく見てみると、その独裁者のような思考は、あるがままの現実に対して文句を言っているだけで、直接何もすることができません。

自分本位の判断を訴えているだけで、その独裁者は無力なのです。


存在するのは常に、「あるがままのいま」だけです。

僕たちに必要なのは、その「いま」に帰ってきて、あるがままの世界と折り合いをつけ、仲直りをし、そこにくつろぐことです。

それが「いま」を生きるという事です。


何を持っていようがいまいが関係ありません。

事実、釈迦もキリストも、何一つ所有することなく、この世のすべてを所有していたかのように優雅に生きていました。

なぜか・・・それは彼らが「いま」を、そして「大いなる存在」を生きていたからです。



そこにすべてがあります。

そしてすでに僕たちは、「それ」なのです。


「汝、それなり」


この言葉はヒンズー教の哲学書ウパニシャッドの中に出てくる 獅子吼の一撃と呼ばれるものです。

この一言ですべてを言いつくしているというわけです。



僕たちはすでに大いなる存在そのものです。

何かになる必要などありません。


探していたものを、ずっと持っていたんです。


ああ、人生とは、なんて素晴らしいトリックゲームなのでしょう。



心配はいりません。

成るようになりますから。


いつも「いま」を生きて下さい。

そして信頼して下さい。

安心してください。

あなただけが大いなる存在から切り離されているわけではなく、まさにあなたこそが「それ」なんですから。



何度でも伝えます。



何度でも、何度でも。





多くの人に届きますように、ご協力お願いします。


   




・・・・・・・・・・・




4月名古屋いまここ塾講演会は受付を終了しました。


4月25日・東京は残り少なくなってきました。


4月11日・博多


4月24日・大阪


受付中です。


詳細は上記都市名をクリックしてください。



・・・・・・・・・・・・・



今夜の沖縄いまここ塾は、中城村。

水曜の会は那覇市です。

  


Posted by Toshiro Abe at 09:46Comments(34)

2010年03月22日

事は起きている

今日の記事は、人によっては受け入れがたいと思います。

しかし、なるべくストレートに、感じるままを書いてみます。

この情報を必要としている人がいるからです。




事は起きています。


それは自動的にただ起きているのです。

僕たちはそこに関わっている「自分」を意識していますが、実際にはそのような「自分」は存在せず、ただ起きることが起きています。


それは湧いてくる思考や、直感も同じことです。

僕たちは論理的に一貫して生きているようなつもりでいますが、突然何かを考えたと思ったら、次の瞬間それを否定する考えが湧いて、職場で急にトイレに行きたくなって、トイレに行ったらそこで上司に会っちゃって、仕事を頼まれて、今夜も残業かといった具合に、起きることが起き続けます。


いまこれを読んでいる間だって、携帯電話が鳴るかもしれないし、何かの用を思い出すかもしれないし、急に読みたくなくなるかもしれません。



その現象はどこから現れるのか。

すべては、大いなる計画の中で、粛々と事が同時展開しているのです。

どんな些細なことまでもね。

したがって、どんな小さなことまでも、すべては完璧というわけです。



そもそも起きることは、全体との関係の中で起きていて、それぞれに繋がり合い、単独に起きているものはひとつもありません。

その事を釈迦は「諸法無我」と言いました。

庭先に寝転ぶ犬が、このタイミングでアクビをすることは、地球の裏側で起きていることと、まったくの無関係ではないのです。

すべては繋がっているのですから。


言っていることわかりますか。

このような情報は、思考で解釈しようとすればナンセンスにしか聞こえないかもしれません。

あるいは、「そんなことは嫌だ、決まっているなんて受け入れられない」と言うかもしれません。

そう思う事も、あるいはこの情報を理解することも、全部最初から決められていたことです。


そうなると僕たちにできることは、「おまかせ」するしかないですよね。

自分がその現象に対してどんな気持ちになって、どんな行動を取るのかも、ハプニングのようにして起こることなのだから、それも含めて「おまかせ」しかないですね。



後になって、自分や周囲に文句を言わないこと。

だって、そのように起きたんだから。

そのようにしか起きなかったんだから、それでいいじゃない。

終わった出来事を、あれこれと考えるのはやめて、この瞬間を大切に生きていきましょう。


いつも目の前に、ひとつの現実があります。

ふたついっぺんにはありません。

その目の前に心をこめて生きること、それが人生の極意です。

ただそれだけのことです。



この世には、自分が知らない重要なことがあるなんて思わないこと。

この世にあるのは、いつだって目の前の現実だけなのですから。


あとのことはみんな、空想、妄想です。







この2つのボタンも、起きるようにして起きた結果です。

これがご縁で、また新しい人と出会っているのも、必然の結果です。

ありがとうございます。


   





黒斎君とのコラボブログはコチラから。



・・・・・・・・・・・



明日の沖縄いまここ塾は、中城村です。


  


Posted by Toshiro Abe at 08:20Comments(59)

2010年03月21日

3月21日の日記

一夜明けて、まだ昨日の余韻が残っています。

山川ご夫妻とのコラボ講演会にお出かけ下さり、まことにありがとうございました。


なんというか、ああいう大人がいてくれてホントに嬉しいですね。

お宅に伺ったことはありましたが、精神世界を語りあったのは始めてでした。

とても有意義な時間でした。


お二人も喜んでくれて、来た皆さんも楽しそうで、僕もすごく楽しんで、みんなにとって「いい縁」が働いたこと、これがまさに「勝縁」だと思いました。



結局のところ、どんな世界も、決め手は人柄ですね。

そばにいるだけで、なんだかこちらまでウキウキしてきてしまう、そんなお二人でした。

温かくて、正直で、あるがままの自然体で、僕もファンになりました。



僕の一冊目の本「いまここ」は、山川紘矢さんと同じダイヤモンド社からの刊行で、編集者さんも同じで、偶然そうなったような気がしていましたが、山川さんが僕を紹介してくれたのだそうです。

あっ、そうだったのかって、今頃になって知った次第です。

たいへん光栄なことでした。

ご縁に感謝します。




昨日はもうひとつ驚くことがありました。

物語「かんながら」に登場する「シャンタン」のモデルになったシャンタン本人が、昨日ひょっこり会場に来てくれました。

インドなど、東洋各国を転々として、15年ぶりに日本に帰ってきたのだそうです。


とても不思議なタイミングです。

というのも来月には「かんながら」が刊行されるからです。

この物語が本になって市場に出ると思っただけで、ワクワクします。

10年前に、実話を基に書いた物語ですが、2010年のいまの時代のものだと感じています。


目覚めの連鎖の予感が、いま現実に成就しようとしています。



今日はこれから東京のいまここ塾講演会です。

とても静かな気分で臨めることが嬉しいです。


そこで花が淡々と咲いているように、僕も淡々と自分を生きようと思います。




これからも応援よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 11:41Comments(20)

2010年03月20日

アドヴァイタ

今日は山川紘矢・亜希子ご夫妻との、コラボ講演会。

昨日から会場のホテルに泊まりこんで、準備万端です。


準備と言っても、お二人の本を読ませてもらったくらいで、話の内容は今回も、その時になってみないと分かりません。


改めて本を読んでわかったのは、山川紘矢さんと僕は、ほぼ同時期に、ほぼ同じことに気づき、ほぼ同じことを感じ、ほぼ同じ決意をしたということです。

「ほぼ」を連発しましたが、気づいたことはまったく同じだった可能性があります。

なぜなら究極の体験は「ひとつなる存在」に気づくことであり、ひとつはひとつなので、同じなのです。


その気づきを目覚めだとか悟りだとか言いますが、それは一般に思われているような大それたものではなく、この世でもっとも当たり前で、ありふれた体験です。

もともとそうだったことを、「あーそうだったのか」と思い出すだけで、何か新しいものを得たわけでもありません。


人生への力みが消えて気楽になったくらいで、あいかわらず手に負えない自分は存在しています。


悟ると聖人になるとか、人間的な欠点が無くなるとか、欲望が消滅するとか、それは迷信です。

ただ当たり前になるだけの話で、聖も俗も、欠点も長所も、欲望も解脱も、たんに同じものの裏表に過ぎないことがわかります。

片方だけでは存在できず、必ずセットで付いてくるので、その両方を引き受けるわけです。

だからどこまでいっても同じことです。

しかし、それら全てを持ち合わせているからと言っても、そこには人間としての成熟度があり、より高い人間性を目指して修業するのは大切なことだと思います。

全部持っていたとしても、何を使って生きるのかという選択です。


これは僕自身がないがしろにしてきたことなので、数日前に書いた

ここから頑張ります ヽ(`Д´)ノ

の精神を忘れずにいようと思います。



さて話は戻りますが、山川さんにとって一番大きな気づきは、「人は死なない」というものだったそうです。

僕も同じです。

それを体験的に確信すると、人生観はガラリと変わります。


これを読んでいる人の多くは、死後も自分の存在が続いていくことを、感じているか信じていると思います。

でもそれはもしかしたら、死の恐怖から逃れたくて、信じようとしているだけかもしれません。


そんなあなたに宣言します。

僕ごときが言っても信憑性がないかもしれませんが、はっきりと伝えます。


「死は存在しません」


気づきの日、このことを伝えていくのが人生でやるべきただ一つのことだと直感しました。

山川さんも同じことを直感したそうです。


もちろん「死は存在しない」という言葉の背景には、本当の自分は何者なのかという答えが含まれています。

それは同時に気づくことです。


僕たちはいまここに永遠にあり続けている、目覚めた純粋意識であり、それ以外の自己イメージは全部幻想です。

僕もあなたも、本質はまったく同じもので、それは「ひとつ」しかありません。


「ひとつ」というと、次の「ふたつ」「みっつ」の可能性が出てしまいますね。

「ひとつ」とは、数ではなく、それしかないという意味です。


それをアドヴァイタと言います。

アは否定語で、ヴァイタは二という意味です。

したがって、「二ではない」ということになります。



僕たちはひとつの同じものです。

それは永遠に存在し続けている、宇宙の意識そのものです。


自我は、分離という夢を強固にするために、敵を作ったり、攻防戦を繰り広げたりするのが好きですが、そのようなお遊びも、真理の光の前ではたちどころに消え去ってしまいます。

そしてあらゆる「自分」というイメージも消え去って、本当の自分だけが残ります。


それがあなたです。

それは歓喜に包まれた、この上もなく素晴らしい存在です。




今日はどんな話になるのか楽しみです。


黒斎クンや、向禅師や、山川さんや、そしてこのブログを通して、同じことに気づいた仲間たちと出会えたことは、人生でもっともありがたい出来事です。


そしてこの先、急速に多くの仲間たちが誕生し、この地上の意識全体に大きな変化をもたらしていくことを信じています。




今日もここに来てくれてありがとうございました。





多くの人に届きますように、ご協力をお願いします。


     


Posted by Toshiro Abe at 08:43Comments(33)

2010年03月19日

続・幸福論

続きを書きます。


昨日「幸せ」という言葉を使いましたが、もう少し詳しく言うと、幸不幸の両方を超えた「安らかな心の状態」のことです。

コメント欄で、モナカ寅次郎さんや黒木元広さんが補足してくれた通りです。


通常僕たちが使う「幸せ」という言葉には、人間関係や経済状況がうまくいっているから幸せだというようなニュアンスがありますが、それとは少し違います。

そのような幸せは、条件が変われば不幸になってしまう可能性があります。


ここで伝えている幸せとは、どのような状況であれ、安らかな心を生きている状態のことです。

それは周りの出来事次第で変わるものではなく、自分次第で保っていけるものなのです。



では、「安らかな心」を乱すものは何でしょう。

それが、思考です。

起きている出来事に対する解釈や判断です。

そのような思考との自己同化が、安らかな心を妨げる、唯一の原因と言ってもいいと思います。


思考はたいていの場合、否定的で批判的です。

周りの間違いを見つけることで、無意識に自分は正しいという優越感を持とうとします。

それが自我(エゴ)を肥大化させます。

自我(エゴ)は自分が確固たる存在でいる為に、絶え間なく思考を駆使しているのです。

でもその結果として、幸せ(安らかな心)を失ってしまうとしたら、代償が大きすぎると思いませんか。



起きていることを、ただあるがままに見て取れるようになることが大切です。

それは自我の不在、思考の不在によってもたらされます。


「NO」ではなく「YES」を生きるのです。

「NO」は自我の栄養分で、「YES」は幸せの種です。



周囲の人や、自分を取り巻く現実に対して、決めつけたり、批判したりするのをやめて、いいとか悪いとかの判断を手放してみましょう。

するとそこに、大きなエネルギーが流れ出します。

万物を生かして止まない宇宙の力が、身体の中を流れ、命を活性化させていきます。

もともとそのエネルギーは、常に自分に作用していたのですが、判断で凝り固まった心が、その流れを止めてしまっていたのです。

人によっては、物心ついてからずっとそんな状態にいる場合があります。



今日は一日、その練習をしてみませんか。

判断を止めてみるんです。


上司から怒られたり、電車に乗り遅れたり、大切なものを壊したりしたとき、

「なんでこんなことが起きるのか、今日の私はツイてない!」

と言わずに、単にその事実を認めて、それ以上の判断を手放してみましょう。

だって事実は変わらないのですから。



それが「安らかな心」を養っていく秘訣です。

それが、こだわりのない素直な心に繋がっていきます。


それを「幸せ」という言葉で伝えました。




今日から、もうひとつのランキングに参加しました。

2つの応援よろしくお願いします。


     


Posted by Toshiro Abe at 08:38Comments(42)

2010年03月18日

幸福論

春の風がカーテンを揺らした時、あー幸せだなって思う。

ベッドの上で伸びをしたら、隣で寝ていたネコが一緒に伸びをして、あー幸せだなって思う。


幸せな気持ちが一番大切ですね。

それも、「いま幸せかどうか」です。


それ以外は全部頭が作り出した想念で、一見もっともらしい問題も、その人の幸せではない部分の投影です。

怖れ、不安、嫉妬、怒り・・・これらの感情が、自分の周りに様々な問題を映し出します。



幸せとは、心の状態です。

心の状態が幸せを作り出し、幸せが、幸せな状況を引き寄せます。

幸せな状況は、さらに幸せな心を作り出し、それがさらなる幸せな状況を引き寄せていきます。

だから、幸せであること以上に大切なことはありません。



僕たちはみんな、幸せを求めています。

幸せになるために仕事をし、お金を稼ぎ、何かを達成しようと考えます。

そのような考え方は、「何かを得たあかつきには幸せになろう」というものです。


事を成すことばかりに夢中になると、成し遂げた時、その手には空しさしか残っていなかったなんてことがあります。

幸せを後回しにすると、そうなりがちです。


幸せとは、達成したあかつきに感じようとするものではなく、その道の途上で感じるためのもの、まさに道を歩く時の態度なのです。




子供に伝えようと思う事があります。

来月から新年度が始まりますが、この一年で何を成すかとか、何を得るかを目標にするのではなく、この一年、どんな感情を感じていたいか、どんな自分で生きたいかを目標にしなさいと。

そうすれば、結果は自ずと付いてくるのですから。


幸せを先延ばししてはいけません。

ポイントは、いま幸せか否かです。

まさに「いま」幸せかどうかを問うのです。



本当は誰ひとり例外なく、いま限りない幸せを感じています。

それが僕たちの本質が持つ特質だからです。



しかし、人はそれを感じようとはしません。

幸せを感じない言い訳を、たくさん持ってしまうのです。



お金が溜まるまでは、幸せな気持ちを感じないようにしよう。


あの人が心を入れ替えて謝ってくれるまで、幸せになってたまるか。


こんな嫌な仕事をさせられているんだから、幸せなんか感じられるわけがない。


この問題が解決するまでは、幸せであることをやめよう。


自分が完璧になるまでは、幸せを感じてはいけない。


いま幸せを感じてしまうと、何も成長できなくなってしまう。


そもそも、こんな状況で、いま幸せを感じられるわけがない。


いまは幸せになってたまるか!(笑)




幸せとは心の状態のことです。

まずそれを目指すのです。


そうすれば、幸せの状況が後から付いてきます。


いまあなたがどんな現実を生きていようと、それはすべて自分の心の反映でしかないのですから。


幸せでない理由を、人のせいにしたり、状況のせいにし続けるのか、それともいま一切の心のガラクタを手放して、潔く幸せになるかです。




もし心が荒れてしまっていると感じたら、深呼吸をして静かに坐って下さい。


そしてあらゆることから手を引いて、ただあるがままの「いま」を感じて下さい。



すべてはあるがままです。

あなたが何を考えようと、あるがままの「いま」があるだけです。

永遠にそうです。



だったら、その「いま」と仲直りしてみませんか。




本当はね、深刻なことなんて何もないんですよ。


人の頭の中以外にはね(^o^)


大丈夫、あなたは最初から救われているんですから。





このブログを多くの人に届けたいと思っています。

ご協力お願いします。


  


Posted by Toshiro Abe at 08:51Comments(55)

2010年03月17日

始まりの始まり

この世で起きることは、あらかじめ決まっている。


事は寸分の狂いなく運行されていて、人との出会いも別れも、一分一秒ずれることなく完璧なタイミングで起きている。


人生で最も大切なのは、自分を知ること。


心配いらない、すべてはうまくいっているし、すべてはうまくいくから。


覚醒の連鎖が始まる。


それは日本から始まることになる。




これらは、25年前に一瞬にして受け取ったメッセージの主な項目です。

4月刊行予定の「かんながら」のテーマも、まさにこのことです。



それが他の人の本に、同じことが同じタッチで書かれていました。

「なんじゃこれは?僕が書いたんじゃなかろうか」

そう思ったほどです。


それが翻訳家の山川紘矢さんでした。


「この人は同じものを見ている」

と直感しました。


ご縁が成就して、今週末に東京両国でコラボ講演会をさせていただきます。

まったく違うタイプの人間が、同じことを言っているということが、立体的な説得力に繋がるのでコラボ講演は面白いです。




そして第二部では、奥さまの亜希子さんとお話しさせてもらいます。


男性社会の中で生き抜いてきた彼女の、現在の人生観にも興味がありますし、女性とスピリチャリティー、女性と悟りについてもお話を伺いたいと思います。

これからは女性の時代だと思うし、人類意識の大変革って、攻撃型男性性から受容型女性性への移行のような気もします。

そのために、これからの女性に求められることは何なのか、男性に求められるものは何なのか、踏み込んだ話をしたいと考えています。


彼女が出されている本は、精神世界の入門書のような体裁を取っていますが、実際には極めて深い理解を持った方だと感じています。

こちらも楽しみにしていてください。


沖縄では4月に開催します。



詳細はコチラから。


3月20日 東京


4月17日 沖縄




昭和60年に、将来、人類意識の大変革があって、目覚めの連鎖が次々と始まっていくって直感した時は、いったいいつ始まるのかと思ったけれど、まさにいま、まぎれもなくいまがその時なんですよ。

それが日本から始まるって話は、いまのところ実感はないけれど、そうかもしれないという思いは消えません。

現状では、日本の精神世界は、欧米に比べて30年くらい遅れているけれど、でも日本人は一斉に「右向け右」ってなるところもあって、良いも悪いも日本のマスコミは一辺倒になりがちだし、それがコチラの方向を向けば、一気に情報が浸透して、目覚め前夜の蕾が一斉に花開くかもしれない。

その可能性はまだ残っていますよね。


このようなブログは、その先兵みたいなもので、まだ少人数でも、確実に理解しだした人たちへ情報発信しているわけです。

こうして出会った僕たちは、時代の半歩先を歩いているけれど、いつかこのことが常識になるという確信もありますよね。



このブログも、こうして続けていれば、読む人がどんどん増えていくことが分かっています。

この確信って何なのでしょう。

やっぱりすべては決まっていて、それを僕たちは知っているのかもしれませんね。


本当に面白い時代を選んで生まれてきたと思います。



地球大変革を見届けましょう。




変革の小さな一歩。
    ↓
  


Posted by Toshiro Abe at 09:12Comments(37)

2010年03月16日

ここから頑張ります ヽ(`Д´)ノ

昨日のコメント欄にも書きましたが、このブログを読んで何かを感じてくれたら、そこに書かれた言葉をそれ以上持ち運ばないでください。


僕はこう言います。


「思い出してごらんよ、君は最初から完璧な存在なんだよ。本当はあるがままでOKなんだよ」


これは深い気づきの中で、誰もが発見する真実です。

自己否定をして、自信をなくしてしまった人には、ぜひ伝えてあげたいことです。

だって本当のことだし、自信のなさは全部本人の誤解から生まれているからです。



でも今日は違う事を言います。

真逆からいってみます。



そのままの自分でいいわけないだろ!



ウソつきで、お体裁ばかりで、臆病で、傲慢で、ずるがしこくて、誰も信じられなくて、誰も愛せなくて、いつも一人ぼっちで、死んだように生きていて・・・・

(はい、それは僕です)




そんな自分でいいわけないだろ!!!


あー、スッキリした(^o^)




そうなんですよ、そんな自分でいいわけがないんです。

理屈じゃありません。


僕らは自分のもっと違う可能性も、どこかで感じているんです。

もっとこうなれたら、いいなって。

そう思うということは、そうなれる可能性があるってことです。


絶対になれないことは望みませんから。

たとえば、次のオリンピックで100m走の金メダル取れる自分になりたいなんて思いません。


イメージできることは、心のどこかでそれが可能なことを知っているからです。



だったら、そんな自分に近づいていきましょう。


自分を見つめて、正直に自分と向きあって、欺瞞の皮をはいで、あるがままの自分をさらけ出してみましょう。

おそらく腐臭を発しているはずです。


そこからがスタートです。


そんなあるがままの自分がOKなわけありません。

だから健気に地道なレッスンを積み重ねて、OKに近づけていきましょう。


身体と心に沁みついたマイナスの条件づけを、修正していきましょう。

身体と心には多くのカルマ(記憶のようなもの)があって、それが不本意な生き方を無意識に繰り返しています。


それを立ち切るんです。


いつまでも時間はありません。

人生の仕上げに取りかかりましょう。



今までブログに書いてきたこととは、まったく真逆の今日の記事でした。

ときたまこうして揺り戻さないと、まちがった観念を抱えてしまいますものね。



話の全体から何かを感じてくれたら、言葉自体は手放して下さい。


なにひとつ、固定したスローガンを持ってはいけません。


すべてが刻一刻と、新しく生まれ変わっているのですから。





ウソつきで、お体裁ばかりで、臆病で、傲慢で、ずるがしこくて、誰も信じられなくて、誰も愛せなくて、いつも一人ぼっちで、死んだように生きていて・・・・

(はい、それは僕です)




ここから頑張ります ヽ(`Д´)ノ




みんな似たような道を歩いているのだから、共に励ましあって進んでいきましょう。





一緒に頑張ってくれる人の決意ボタン
  ↓

  


Posted by Toshiro Abe at 12:21Comments(56)

2010年03月15日

エゴ

こんな人がいました。


何か言うたびに、


「あっ、今のはエゴの声だった」


そうやっていつも自分をチェックしているのです。

なんだか大変そうだなって思いました。


それに、あきらかに的外れです。

だって、そうやってチェックしている声自体がエゴの声なのだから。


エゴは自分を高めることに余念がありません。

自らを見張りながら、エゴのない境地を目指そうと言うのです。


エゴを捨てるというのも、エゴらしい目標ですが、それは不可能なことにチャレンジしています。

もう一度言いますが、それは不可能です。


だからと言って、エゴがなくならないと言っているのではありません。

エゴがなくなる状態はあり得ますが、それを自分が作り出すことはできないと言っているのです。



そもそもエゴを作ったのは誰でしょう。

エゴは人間界を生きるために必要な道具であり、それを与えてくれたのは、すべての源泉である「大いなる意識」です。

すべては、そこから生まれました。

したがって、エゴを無くせるのも、その彼方なる力です。

それは僕たちにとって、「やること」ではなく、「起こること」なのです。


だから、お手上げです(笑)



じゃ、どうしたらいいんでしょう。


まずは、エゴと仲直りしましょう。

手に負えない時もありますし、嫌いな面も多々ありますが、それも自分の一部なので、うまく付き合っていきましょう。

やさしく受け入れてあげることで、少なくとも振り回されることは少なくなります。

そこと戦うから、ドツボにはまるのです。


「あー!!!なんて自分なんだ!こんな私なんていないほうがいい。私なんて、私なんて・・・」


そんな戦いをやめて、


「おー、よしよし、頑張ったね。辛かったね、大変だったね、もう休んでいいよ」


てな具合にね。



そうやって自分と折り合いをつけたら、あとはお任せです。

だって起きることが起きていくし、彼方なる力が僕たちからエゴを取り去ろうとすればそうなるし、ならなければならないのだから。

それでいいじゃないですか。



僕自身、より高い成長を目指して奮闘した頃もありましたが、いまはもうユルユルです。

おまかせして、いまを楽しんでいます。


社会的価値観から見れば、いまなお欠点だらけで、スキだらけで、しょうもないただのオッサン(自分では少年だと思っている)ですが、そんな自分と仲良く付き合っています。


それは、この人生で達成するものなど何もないと知ったからだと思います。

成るべき自分もなく、まさにいまのあるがままが唯一のリアリティーで、それ以外の自分は存在しないってわかったからだと思います。

いつも「いま」だしね。




秘訣はリラックスすることです。

いま以外の理想を求めるのではなく、いまと仲良くすることです。


エゴでいいじゃないですか。


無くなる時は無くなりますよ。


「あの方」が望めばね(^o^)





これも僕のエゴかもしれませんが、多くの人に届けたいと思っています。







これから「阿雲の呼吸」の記事を書きます。

9時くらいにはアップできると思います。


どちらも応援よろしくお願いします。



・・・・・・・・・・・



いまはまだ、東京副都心です。

なんと4連泊でした。

午後の便で沖縄にもどり、また3日後に東京にやってきます。


何のために帰るのかって?

もちろん、いまここ塾さー。


明日は中城村、明後日は那覇市です。  


Posted by Toshiro Abe at 08:20Comments(46)

2010年03月14日

パッカーン

いつも心を開いていたい。

パッカーンってね。



閉じてしまった時は思うんだ。

心を開くナイフが欲しいって。

そして素直な気持ちになって、心の底から笑ってみたい。


何も信じられなくて、暗闇の中に閉じ込められてしまった時、

そんな時は思い出してほしい。

部屋の外には、いつだって光が降り注いでいることを。

それはすべての人に与えられている恩恵。

暗闇は、光の尊さを知るためのものだから。




いつも心を開いていたい。

パッカーンってね。

そしたら、気持ちいいよ。

さわやかな風が、体を通り抜けていく。



本当は難しいことなんて何もないんだ。

また子供のころの無邪気な気持ちに戻ってみよう。



今日もほがらかに笑っていよう。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:36Comments(23)

2010年03月13日

ヤクザ

今日は土曜日。

ちょっといつもと志向を変えてみます。


いつものメッセージを期待している方は、今日の記事はスルーしてください。

お時間があって、何の話でもいいという人だけお読みください。



今日は、僕の部屋の本棚に、どんな本が並んでいるかっていう話です。

家族しか知らない、僕の秘密(?)です。



ニューエイジ系の本もあるのですが、実はメインを占めているのは、まったく違う世界です。


それは・・・

あれ?なんだこの心のブレーキは。

結構書くのをためらっている。



気合を入れて・・・エイッ!!!



全国組織暴力団の関係資料や、昭和30年代の山口組に関する書物、いわゆるヤクザ関係です。


あはは、まったく筋違いでしょ。

おっちょこちょいの若いヤクザは、イキガルことに美的価値を感じているし、ヤクザの行為は迷惑そのものですが、その内部の本質は、意外にも濃厚な情愛関係だったりします。

しょせん同じ人間なので、求めるものはそんなに違いません。

虚栄心と欲望から、金と女と名誉を求めるところも、やり方の違いこそあれ、一般社会とそれほど変わりません。

その結果、幸せになった人はいなくて、一時の成功や快楽は享受できても、人生の深い満足に行きつくことはありません。

あれ?それも一般社会と同じかもしれませんね。


ま、とにかくそんな極端な世界に身を置く彼らに、何らかの興味を持っているのだと思います。



田岡一雄という人を知っていますか。

山口組を最大手に押し上げた有名な親分です。


ヤクザ社会には伝説的な極道者が出現していますが、そんな荒くれ男たちが、田岡の前では借りてきた猫のようになってしまうのです。

彼の何がそこまでの魅力を発揮していたのか。

僕たちはよく、人間の大きさという表現を使いますが、その一つはある種の慈愛めいた温かさではないでしょうか。

さらには先見の明や、人心掌握術、人事采配など、企業経営に欠かせない能力に長けていたことは間違いないでしょう。


でも、一般企業の経営者と完全に一線を画する部分があります。

それが暴力性です。


田岡一雄の知的能力を過大に評価する向きもありますが、実際に彼が拠り所としたのは、たぐいまれな暴力性です。


この時代に、暴力を最終手段にしているなんて、ずいぶん野蛮な気がしますが、よく考えてみれば、国際社会そのものが、まさにそのレベルで成り立っていますよね。


しかも準備している武器は、ヤクザなど問題にもなりません。


一瞬で地球全体が滅亡してしまうほどの兵器を持っているのですから。

しかもそれをちらつかせながら外国との交渉をするのですから、いまの世界は巨大なヤクザ社会みたいなものかもしれません。



僕たちがどんな文化を築き上げてきたか。

もう気がついてもいいころです。


そろそろ終わりにしたいですね。




最後まで読んでくれてありがとうございました。




そんなあなたへのお願いは、ただひとつ。

クマさん押してね(急に可愛くなる)
  ↓




黒斎クンとのコラボブログにも、本日記事を投稿しました。

こちらの記事より、ずっと大切な内容かもしれません(笑)

コチラからご覧ください  


Posted by Toshiro Abe at 09:27Comments(34)

2010年03月12日

返事

毎朝、何通かのメールが届きます。

今日はその中から、2通紹介します。


ご本人の許可を取っていないので、文章をそのまま載せるのではなく、要点だけを抜粋します。

それに対する返事は、そのまま掲載します。



阿部さん、こんばんは。今日(3月11日)の記事には泣けました。

あのね、息もできないくらい落ち込んでいたから。
あまりにショックだと、息って吸えなくなるんですね。

今日の記事みたいに、私のこの状況も、夢だと早く気がつきたい。

阿部さん、私、ある人に依存して、自分自身を見失って、何もかも失ってしまいました。

自分をきちんと整えることができませんでした。

地べたって、凄くヒンヤリしているものなんですね。
ずっと地べたでうずくまっていたら、身体が全く動きません。

いつかは指の先でもかすかに動かせるようになるのかしら?

もうすぐ新しい空気、入ってくるかな。




人生は映画のようなものです。

もしあなたが映画を見に行って、その映画が幸せなだけの、うまくいくことばかりのストーリーだとしたら、それを見て満足しますか。


きっと主人公がさまざまな苦難にあい、それでも果敢に前を向いて歩いていく姿に感動するのではないでしょうか。


あなたの人生も同じです。

すべては用意されたストーリーです。


したがって、これからも起こることが起きていきます。

そのことに影響されることなく、本当のあなたはあり続けているのです。

客席のあなたは、幻影に一喜一憂しているだけで、本当は何も影響されていないのです。


実際のところ、あなたはいままでも、何も得てこなかったし、何も失っていません。

ただそんな気がしていただけです。


心を静かにして、「いまここ」に戻ってきてください。

あなたはすでに、新しい空気の中にいます。


映画は新しく始まっているのですから。





自分の性格にほとほと疲れました。

すぐにカッとなる自分をどうしたらいいですか。




巻き込まれないこと・・・それがキーワードです。


あなたは体と心と意識の3つの要素からできています。

体と心は、さまざまな条件づけ(プログラム)によって出来上がった、反応マシーンのようなものです。

自分にとって都合のいいことを喜び、都合が悪ければ悲しんだり苦しんだりします。

安全を引き寄せ、脅威を避けようと油断がありません。


何かが脅かされると怒りがわいたりもします。

それは、どこまで成長しても起きることです。

なぜなら、それは体と心の反応であり、プログラムは入力された情報に対し、出力するからです。


悟っても、いくつかのプログラムは残ります。

でも違いがあります。

彼らは、その怒りに巻き込まれないのです。


怒りは起きては去っていきます。

その透明性を見届けたら、それで終わりです。


「なぜ怒ったのか。なぜ自分は怒ってしまうのか。もっと大きな自分になりたい。もっと成長しなければいけない。きっとみんなはこんな自分を軽蔑しているだろう。だから自分はいつまでも尊敬されないんだ」

これが巻き込まれるということです。


すべては一過性のことです。

必要以上に判断したり、吟味したりしないことです。

いつまでも終わったことにしがみつかないこと。


自分にプログラムされた条件づけと、ユーモアの精神を持って付き合っていきましょう。

こうあるべきだと言って、いまの自分を拒否していませんか。

そのプログラムは、あなたが高みに上るために、永遠の知性が与えてくれた道具です。

自分と仲直りしましょう。



それが、あるがままを受け入れるということです。

そうすれば、怒りのプログラムが機能する頻度も減っていきますよ。




今日もいい日でありますように。

出会ってくれてありがとう。



多くの人に届きますよう、今日もよろしくお願いします。







今日の黒斎クン、真実を突いてるよ。(いつもだけど)
   ↓
「阿雲の呼吸」  


Posted by Toshiro Abe at 08:21Comments(27)