2007年09月30日
生まれつきの気性
昨日、赤い本を紹介したことで、いいことがあった。
実はこの本、自分の分は一冊も残っていなくて、できたら一冊欲しいいと思っていた。
そしたらコメントがあって、沖縄市の本屋さんに最後の一冊が残っているとのこと。
すぐにメールして、買っておいてもらうことにしました

今日もその中から抜粋してみます。
この話も僕自身とても好きなものです。
それは僕たちの性格について。
それじゃ今日も続きの前によろしくお願いします。
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2007年09月29日
だいじょうぶだから Vo.1
一冊目は赤い表紙の「だいじょうぶだから」
この本は、沖縄県内の多くの書店で売り上げが1位になった。
でもすでに絶版。
今でも欲しいといってくれる人が後を絶たず、申し訳なく思っているのだけど、そうだ、少しずつブログで紹介していこうと思いたった。
一度読んだ人も、こうしてブログで読むと、また違った味わいがあるのでは。
ちなみにこの本は、ラジオ番組に寄せられたリスナーからの悩み相談を編集したもの。
それじゃ、今日はそのオープニングを飾った話を紹介しよう。
その前にいつものお願いします
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2007年09月28日
めし
成瀬巳喜男監督の「めし」という映画。
これは昭和26年の作品なんだけど、ものすごく面白かった。
サラリーマンと結婚した女性が、朝から晩まで家事労働に従事する姿を描いた映画で、今と違って、それが女性の唯一の生きる道で、その限られた環境の中でいかに幸せを創りだしていくかだけが選択肢だった頃の話。
能力のある女性が、そんな生活に疑問を持ちながらも懸命に生きていく。
一方男性は、会社社会の中で頑張って生きるのだが、そんな妻の不満に気がつくこともなく、いつしか二人の間には溝が・・・
どちらがいいとか悪いとかの話ではない。
現代にも通じる家庭生活の裏側を浮き彫りにした映画だった。
この頃から男と女は何も変わっていないと思った。
夫婦が対立する時には、お互いに自分は正しいという思いがある。
もし相手の視点に立って物事を考えることができればいいのだろうが、どうしても自分のワクの中から見てしまう。
そして誰もが、間違っているのは相手だと考える。
この映画の中では、男が求めるのは自分が帰るべき家庭。
女が求めるのは、相手からの気づかいと優しさだった。
でまあ僕としては、ごちゃごちゃいろんな事を言う気はなくて、こんな結論を持った。
夫は妻をいたわり、優しくすることを優先順位の一番にすればいいんじゃないか。
きっとそれ以外のことはどうでもいいことなんだと思う。
ちなみに主演の原節子さんは知的で美しい女性だった。
ちょっと智子さんに似ていた。
相手役の上原謙さん演じる男性像には、どこか僕の中に思い当たるものがあった。
僕らが生まれる前から、何も変わらず男と女の歴史は続いてきているわけで、この不可解な関係は、これからもいろんなドラマを作り出していくのだろうと考えている今日この頃ですが、みなさんおかわりありませんか。
おかわりなければ今日もよろしくお願いします
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2007年09月27日
m(_ _)m
いつも早起きして、何か人生の役に立ちそうなことを書こうって決めているんだけど・・・
昨日、自転車でつまずいて、足の指を怪我してしまった。
イテテ・・・内出血して腫れ上がっている。
そんなわけで今日はあまり書けないよ。
それでも何か搾り出すとしたら
「自転車に乗るときは気をつけましょう」
そのまんまでスマンm(_ _)m
イテテ・・・

かわいそうな僕に愛の一票を
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また明日ね。
2007年09月26日
ひどい考え大賞

昨日のコメントを読んで、あーこれ書いてよかったなって思った。
会社に行きたくなかった人が、行く気になってくれたし。
みんなは幸せにうまくやっているのに、自分だけがこんな気持ちを抱えて、こんな考え方をしてしまう・・・
僕もそんなふうに感じた事が多かったから、同じように感じている人に、僕もそうだよって言ってあげたかった。
僕らはいつも、ひっきりなしに何かを考えているけれど、そんな考えの中には人には絶対に知られたくないものもあるでしょ?
他の人はそんなこと考えていないように見えるから、それが自分を心から尊敬できない原因になったりする。
でもね、思考って自分が作り出したものじゃないんだよ。
思考って物質みたいなもので、地上には無数の思考の群れがいたるところに溢れかえっていると思ったらいい。
その思考が、人から人へ出たり入ったりしているんだ。
ちょうど呼吸みたいにね。
いま、あなたが吸った空気は、以前僕が吸ったものかもしれなくて、同じように今あなたが考えていることは、以前僕の頭の中にあったことかもしれない。
その思考の群れに覆われた地上を、思考圏と名づけてみた。
空気のそれを大気圏というようにね。
宇宙飛行士が大気圏を突破して宇宙空間に出ると、同時に思考圏も突破しているんじゃないかと思う
だから多くの宇宙飛行士が、宇宙空間で地上とは違う感覚を味わって、無思考状態・・・すなわち悟りの一瞥を得るんじゃないか
そんな報告はたくさんある。
嫌な考えや、軽蔑したくなるような考えが湧いてきたら、それが自分の中から出てきたと思わずに、「あっ、またこのレベルの思考を引きつけた。いったいこれは今まで誰の中にあったんだろう」って思えば、自分を嫌わずにすむよ。
僕なんか、ひどい考えが湧いてくると、人間の想像力の豊かさを感心したりしている。
今度みんなで、どれくらいひどいことを考えた事があるか、発表会してみようか。
一番ひどい考えの人には、何か賞品を贈呈するとか・・・
そうすれば、「なんだ、自分だけじゃないんだ」って、みんなで楽になれるよね。
今日も気楽にいこう。
何かを感じてくれたら押してください
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2007年09月25日
2007年09月25日
Honesty
頭の中には伝えたい事がたくさんあるのに、あれもこれもゴチャゴチャして何から書いていいかわからない。
とりあえず思いつくまま書いてみます。
僕らはみんなでもっと正直になっていいと思う。
正直になることによって救われる事がたくさんあるように思う。
正直になると言っても、自分の秘密を全部話せと言っているわけじゃない。
誰だって生きていれば人に言えないことや、あえて言う必要のないことの一つや二つは抱えていることだろう。
そんなことではなく、自分が感じていることや、考えていることを、できるだけ正直に話してもいいんじゃないかと思うわけだ。
もちろんそのことによって、特定の誰かを故意に傷つけてはいけないけどね。
・・・正直って難しいね・・・
街を歩いていると、みんなは問題なく生きているように見えたり、自分以外の人たちは仲良くやっているように見えたりするときはない?
仲間が集まって楽しくやっているのに、自分だけがそこにいないような気がしてしまうことはない?
気に入られようとして笑顔を振りまいたり、必要以上に相手に気を使ったり、そんな自分が嫌だったりするとはない?
たとえばそんなことを正直に話せたとしたら、なーんだ自分だけじゃなかったのかって思えて楽になることもあると思う。
それにそんな自分は、別に悪意でそれをやっているわけじゃないんだし、ただ愛されたい、認められたいっていう気持ちで一生懸命生きているわけだしね。
きっと正直になるっていうのは、「愛されたい」っていう気持ちをダイレクトに伝えちゃうことかな。
そうすれば、それを得るために間接的にやっている多くのことから自由になれる。
僕らはそれぞれに性格や能力が違うけれど、心の奥底で抱えている問題は似ているような気がするんだ。
でも誰もそのことを言ってくれないから、自分だけがそういう問題を抱えているような気がしてしまう。
本当は、みんな似たようなものじゃないかと思うわけです。
みんながみんなを愛せるだけの余裕ができれば、もっと安心して自分でいられるのにね。
なんだかとりとめのない文章になっちゃったけど、僕の頭の中にある一端を書いてみました。
何かを感じてくれたら押してください。
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PS
今朝は書きたい事が2つありました。
どちらをここに書こうか迷ったけれど、もうひとつのメッセージは<随(かんながら)神>に書きました。
時間があったら覗いてください。
PSのPS
10月21日午後3時は東京の秋葉原。
10月27日午後8時は沖縄の母家。
え?何があるかって?
僕のライブ(バースデイライブ)があります。
話したい事がたくさんあるし、唄いたい歌もたくさんある。
会いに来てね。
愛したいし、愛されたいから

楽しい時間を過ごしましょう。
お問い合わせは098-866-5880(母家)まで
2007年09月24日
愛に基づく世界統一政府
今朝目が覚めた時、すごく違和感を持った。
僕と同じような人がいるかもしれないから、書いてみるね。
実はこの違和感は、なにかの拍子にふっと感じ続けてきたんだ。
どんな違和感かと言うと、何故こんな世界に生まれてしまったのかということ。
元はまったく違う世界に住んでいたような気がする。
今日はそんなひとり言を言わせてください。
続きの前にお願いします
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2007年09月23日
罪悪感という名の幻想

おはよう。
今日はちょっとマジな話をするね。
硬い文章になってしまうかもしれないけれど、正直に自分を見れば誰ものなかにある質だと思うので、じっくり読んでみてね。
こんな日曜日、たまには自分自身を見つめてみるのもいいかも。
よっしゃと思ってくれた人は続きを読んでください。
続きの前にコレお願いします。
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2007年09月22日
勝縁

「勝縁」(しょうえん)という言葉がある。
もともとは仏教語で、仏や悟りとの縁を言うんだけど、それが一般的には良い縁として使われるようになったらしい。
縁というのは、事が起こるきっかけのことであり、その働きのこと。
勝という言葉は、勝ち負けの「勝」ではなく、すぐれたという意味で、したがって勝縁とは、すぐれた縁ということになる。
それじゃ、何がすぐれた縁かというと、事を起こした時、その関係者全員がプラスの経験をする縁ということ。
そこにはマイナスの経験をする人や、被害者が一人もいない。
この言葉、浜松にいたころに向和尚から教えてもらったんだけど、その時「僕と阿部ちゃんは勝縁だね」と言ってくれた。
お互いに独自の経験や能力を与え合い、そのことで多くの人たちの役に立てたとしたら、それはまさしく勝縁ということになる。
そういえば、kiroroという女の子2人組の歌手がいたよね。
すごくいい歌をたくさん発表したけど、作詞作曲をした千春さんは楽器も演奏できないし、楽譜も書けないんだって。
高校の頃、何気なく出てきた新曲をアカペラでテープに吹き込んで、それに友人の綾乃さんが和音をつけ、ピアノで演奏したらしい。
メロディーは和音によってニュアンスがまるで変わってしまうから、その時二人の感性は一致していたのだろう。
そんな出会いがCDのヒットにつながり、多くの人の心に潤いを与えた。
以前、kiroroの二人に会った時、「君達のような出会いを勝縁というんだよ」と話したら、とても喜んでくれた。
人生は縁によって生じているから、これから出会う全ての人と勝縁の関係を結べるように、そんな気持ちで出会っていきたいね。
ぼくとあなたも勝縁。
この出会いをきっかけに、お互いの人生をプラスに発展させていきましょう。
今日もここに来てくれてありがとう。
感謝
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2007年09月21日
権威
久しぶりに向和尚と2日間過ごした。
2人で話をしているときは、小気味がいいほど話が合う。
真理の奥の奥の言葉にならない世界が、「理解」という形をとって2人の間を駆け巡る。
真理は活字にはできない。
経典や本の中の真理は、止まっているがゆえに死んでいる。
そこに感受性という命を吹き込みながら読むことで、真理の追体験をすることは可能だが、本の言葉をそのまま振りかざしても、それは単なる概念だ。
真理とは常に、「いまここ」の感応なのだから。
向和尚は誰と話すより僕と話す時が、一番真理が引き出されると言ってくれた。
僕も同じだ。
向さんは「禅宗」という世界のエリートで、すでに高い地位にいるが、この先ますます要職に就いていくだろう。
一方僕は一介の素人に過ぎない。
いわば、みなさんの代表だ。
でも真理においてはまったく対等だと思っているし、向さんもそれを認めてくれている。
この社会は権威が好きなので、大僧正とか老師とか枢機卿とか教祖とか、なんたらかんたらの人たちのほうが、自分たちよりも真理を体得し悟っていると思っている。
そして、そんな人たちの話をありがたがって聞いている。
その誤った態度が、自分たちを真理から遠ざけているのだ。
真理は宗教の専売特許じゃない。
僕たちの中にある普遍的な本質だ。
伝統宗教も、新興宗教も、内部に階級を設けて、権威を持たせることで堕落してきた。
それは単なる搾取の構造に過ぎない。
あらゆる権威を排除して、己の中に最高の権威を見つけ出すことが大切だ。
それこそが、ピュアな仏道であり、本来の全ての宗教が目指す形だと思う。
そんな話を向さんとした。
彼は「そのとうり」と言ってくれた。
思し召すまま、流れのままに生きてきたら、沖縄の地に招かれていた。
そしていま、新たな使命が始まろうとする、そんな予感を持っている。
今までの人生の全ては、そのためにあったと思えるような何かが・・・
今日も読んでくれてありがとう。
僕たちは100%対等な存在です。
だって、「ひとつ」のものなのだから。
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2007年09月20日
日常の奇跡
毎日の生活に追われていると、僕たちが聖なる慈悲によって生かされているという、もっとも基本的な事実を忘れてしまいます。
その力を感応し、己の小ささを知り、さらには己の尊さを知るプロセスが、祈りだと思います。

あの広場で事が始まる前から、僕たちがここに招かれ、祝福されていることを直感していました。
上弦の月が見事なまでの存在感を示し、煌く星たち、吹き渡る風、そこに集った百数十名の仏達。
全てが完璧の時空間を分かち合えたことを感謝します。
イベントが終わり片付けが終わった瞬間に、今宵の祝福を再認識させるような暴風雨がくるくまの丘を包みこみました。
そんな出来事を、こうしてすぐに報告できることを嬉しく思います。
あたりまえに見えるこの日常が、どれほどの奇跡に支えられているのか、そのことを少しでも思い出しながら、今日一日を過ごしたいと思います。
今朝は4時に起きて、向和尚と仲本さんと共に再びくるくまの丘に出かけ、知念岬から、昇る朝日を写真に収めてきました。
久高島のカベール岬に昇る太陽に、今日のあなたの幸せと安全を祈ってきました。

今朝の朝日をプレゼントします。
僕たちは、まぎれもなく大いなる命によって生かされています。
感謝
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↓

今夜8時から吉の浦会館で「いまここ塾スペシャル」、向和尚と僕とのトークショーが開催されます。
何気ない毎日の中に、大きな気づきをもたらすような会にしたいと思います。
当日券もありますので、どうぞいらして下さい。
その力を感応し、己の小ささを知り、さらには己の尊さを知るプロセスが、祈りだと思います。

あの広場で事が始まる前から、僕たちがここに招かれ、祝福されていることを直感していました。
上弦の月が見事なまでの存在感を示し、煌く星たち、吹き渡る風、そこに集った百数十名の仏達。
全てが完璧の時空間を分かち合えたことを感謝します。
イベントが終わり片付けが終わった瞬間に、今宵の祝福を再認識させるような暴風雨がくるくまの丘を包みこみました。
そんな出来事を、こうしてすぐに報告できることを嬉しく思います。
あたりまえに見えるこの日常が、どれほどの奇跡に支えられているのか、そのことを少しでも思い出しながら、今日一日を過ごしたいと思います。
今朝は4時に起きて、向和尚と仲本さんと共に再びくるくまの丘に出かけ、知念岬から、昇る朝日を写真に収めてきました。
久高島のカベール岬に昇る太陽に、今日のあなたの幸せと安全を祈ってきました。

今朝の朝日をプレゼントします。
僕たちは、まぎれもなく大いなる命によって生かされています。
感謝
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今夜8時から吉の浦会館で「いまここ塾スペシャル」、向和尚と僕とのトークショーが開催されます。
何気ない毎日の中に、大きな気づきをもたらすような会にしたいと思います。
当日券もありますので、どうぞいらして下さい。
2007年09月19日
普通の人
若い頃に比べたら、今は圧倒的に快適だ。
しかもやることの多くが的を射ているのか、最小限のエネルギーで最大限の成果を生んでいる。
エネルギーのロスが少なくなってきた。
今日はなぜそうなれたかという話をしよう。
続きの前にお願いします。
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2007年09月18日
自立と共生
昨日は沖縄市で人生上昇塾という勉強会を主催する安達さんという人と、沖縄市で講演会をやってきた。
で、この人は何を伝えているのかと言うと「観念浄化ワーク」という手法。
簡単に説明するとこういうことだ。
僕らの人生は、潜在意識に刷り込まれた観念に大きな影響を受けている。
~~すべきだ
~~したら大変になる
とか
自分は~~な人間だ
あの人は~~だ
まあ、例を挙げればきりがないくらい、僕らの心の中には決め付けやこだわりが山のようにあって、それが物事に対する自分の「考え方」や「感じ方」や「やり方」を決めている。
それらの観念の多くは幼少の頃に作られているので、心の奥に刷り込まれ、そこから自由になるのは難しい。
ここまでは心理学や交流分析を少しでも学んだ事がある人は、よく知っていることだろう。
でも知っていたとしても、どうやってその観念から自由になるのかという問題が残る。
「観念浄化ワーク」とは、その観念を簡単な物理的方法で取り去ってしまうと言うのだ。
しかも一度取ってしまった観念は、もう2度と戻ることはない。
本当
?あはは、まだ疑っている。
昨日の対談でも、僕は終始このことが事実なのかどうか懐疑的な立場から話をさせてもらった。
でも安達さんや、その関係者の人たちのエネルギーがとても澄んでいたので、実はかなり興味を持ち出している。
僕はこう見えて、かなり慎重派で、自分が心の底から納得したことや、事実として疑いの無い事以外は、人様に紹介したりしない。
「観念浄化ワーク」のことは、もう少し僕自身が実践して勉強してから、よしこれはと思ったらどんどん紹介させてもらいます。
お楽しみに。
さて昨日の安達さんとのトークライブで感じたことがある。
それは精神世界やヒーリングという分野も、ずいぶん大人になったということ。
占いや前世リーディングから始まって、オーラだとかレイキだとか、チャネリングだとか守護霊だとか、伝統宗教も新興宗教も・・・
これら全てを否定するものではないが、ここにはまだ自分以外の何かの力によって救済されたいという、依存的な態度が残っている。
そして実際には、全ては自分が作り出しているのだ。
原因は自分の中にあり、現象はその結果だ。
安達さんのような普通のオッサン(失礼)が、そんな観点から話をしてくれる。
そして僕の周りに、そんな人たちが急速に増え始めている。
時代は大きく変わろうとしている。
すでにそれは始まっていて、ますます加速度をつけている。
この流れは我々をどこに連れて行くんだろうか。
僕たちが、地球という名の大きな家族の一員だとみんなが気づく日が来るんだろうか。
世界中の人たちが、お互いの違いを認め合い、足りないものを補い合って、共に幸せを作り出していく日がくるんだろうか。
僕はそんなビジョンの実現に向けて、自分の人生を捧げていきます。
そんな生き方を始めて、早20年が経ちました。
そして今、時代が確かに動き出したことを実感しています。
今日もここに来てくれてありがとう。
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2007年09月17日
彼女のこと
彼女と恋に落ちたのは平成元年。喜納昌吉さんとインドに同行したのがきっかけだ。
そのインドで撮った写真がこれ
プーナの中華レストランの中庭だった。
その後彼女はとても大きな障害を乗り越えて、僕の子供を産み、僕と結婚してくれた。
彼女も僕も「結婚」という社会的な関係はあまり望まなかったのだが、生活面で様々な不都合が生じて、僕の方から頼んで結婚してもらったというのが真実だ。
彼女と出会った頃の僕は、生活感がなく、人が僕を称して「はぐれ雲」といったように、社会の基準からは大きく外れた生活をしていた。
そんな男の何に惹かれたのか。
まことに「恋は愚か」としか言いようがない。
お嬢さん育ちの彼女が、僕と生活するのは大変だったと思う。
そんな彼女に「僕のどこが好きなのか」と聞くと
「面白いところ」
という答えが返ってくる。
いつも答えは同じで、いつも答えはそれだけだ。
面白さだけに人生を懸けてしまったのだから、採算は取れていないと思う。
まあ、反対側から見れば、そのおかげで想像を超えた波乱万丈な人生を歩めたのだから、それはそれでよかったのかもしれない・・・と思いたい。
おそらく根が冒険家なのだろう。
大学時代に歌のオーディションに合格し、渡米して全米デビューを果したのだから、その当時から今の彼女の気質は発揮されていたことになる。
僕が沖縄に移住したいと言った時も、間髪いれずに「いいわね」と答えたのも頷ける。
その彼女が一昨年、いきなり突飛なことを言い出した。
「お店をやりたい」
「え?」
「女性が集まれるような、お店をやってみたいのよ」
「え?君が??」
今まで一度も働いたことのない彼女が、お店を経営するという。
大変だからやめるように何度も説得したが、一度決めたことは頑として動かない。
結局「母家」を始めたのだが、始めてみてその大変さがよくわかったようだ。
まったくの素人の彼女が、ただ気持ちだけでやってきた母家。
この一年半で、ずいぶん体力を消耗したように見えるが、気持ちは今でも前向きで、お店に行くと、あの彼女がお客さんに料理や飲み物を運んで「ありがとうございました」と声をかけている。
昔の彼女を知る人ならば、想像もできないような光景だろう。
これから人生はどのように流れていくのか。
先が分からないから面白い。
僕も君のおかげで面白い人生を歩ませてもらった。
それに君のおかげで、今は社会の中でそれなりに生きている。
僕が君を好きなところは
「美しいところ」
「正直なところ」
「愛情深いところ」
「料理が美味いところ」
「よく笑うところ」
「まじめなところ」
「色っぽいところ」
ほらね、たくさん出てくるでしょ。
こんど君も僕のいいところを探してごらんよ。
出てくるまで探せば、なにか出てくるから。
今日は智子さんの誕生日だ。
「誕生日オメデトウ!」
人生の本番はこれからだよ。
今までの経験の全てを花開かせてください。
ご祝儀ボタン
↓
2007年09月16日
快適に悟りたい

今朝は苦しみの中で目が覚めた。
なぜかというと、夢の中でトイレに行きたくて、いろんな場所に向かうんだけど、なかなか適当なトイレが見つからない。
最初のトイレは猫がたくさんいて、外に出しても出しても入ってくる。
もういいやと思って便座のふたを開けたら、中にも子猫が「ニャーオ」って。
急いで違う家に入ったら、そのトイレは何故か掘りゴタツ形式になっていて、しかたないのでパンツを下ろして坐ったんだけど、どうやってしたらいいのかわからない。
そのうち見知らぬ家族が入ってきて、コタツに座るんだ。
いきなり一家団欒。
ここでするわけにもいかないし、かと言って下ろしたパンツを座ったまま履けないし、あれこれ考えたあげく、顔は微笑みながら、コタツの中に足を伸ばして、身体をひねりながらやっとパンツを履き終えた。
家族に丁重にあいさつして、あのまましてたら大変なことになったなんて考えながら、外に出たら公園があった。
よしと思って、トイレを探すんだけど、なかなか見つからない。
同じところを何度も歩いて、あきらめかけたら、何故か草むらの向こうに古ぼけたトイレが。
中に入ってみると、十年くらい前に取り壊されたトイレで、廃墟になっていて、とても使える状態じゃない。
ここでするのか、しないのか、究極の決断を迫られて、釈迦が言うように、やっぱり人生は苦しみだ、これこそが本当の四苦八苦だ、そうだ、次回この気づきをブログに書こうなんて考えていたところで目が覚めた。
いま、実際のトイレに入ってきたけど、我が家のそれは王宮のトイレのように美しく輝いていた。
人生からの目覚めも、同じようなことで起こる可能性はあるのかな。
死ぬまでトイレを我慢したら悟ったなんて話は聞いたことないけどね。
でも世界の宗教には、いろんなやり方が伝えられていて、砂漠の民の中には、水を一滴も飲まずに渇きによって修業する宗派もあるんだって。
日本でも断食をするし、睡眠をシャットアウトして坐禅する荒行は今でもある。
あるいは性欲を抑えて、一生我慢するとか・・・
こうやってある種の肉体的欲求を、極限まで我慢することで、彼方なる世界を一瞥するということは、実際にあるみたいだね。
あなたならどれがいい?
渇き
断食
不眠
禁欲(性)
それとも断トイレ?
僕はどれも嫌だ!
快適に悟りたい。
最高の酒と、最高の料理を楽しんだ後に、ベッドの中でラブラブニャンニャンして、心地よい疲労感の中で爆睡しながら悟りたい!
失礼しました m(_ _)m
やっぱり空から「悟り光線」が降ってこないかなァ。
そうやって数日前にブログに書いたら、向和尚から「いい表現ですね。すべては天からのプレゼントですから」というメールを頂いた。
今日もそんなことを願いながら、日曜日を過ごそうと思います。
みなさんもいい日曜日を。
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今週はイベントが目白押しです。
17日の昼は沖縄市民劇場あしびなーで、人生上昇塾の安達さんとの本音討論会。
詳しくはhttp://www.e-jinsei.net/917.htmlにて。
お問い合わせは863-3411
19日はくるくまの森で向禅師をお招きしての瞑想イベント。
20は向さんとのトークショー「いまここ塾スペシャル」
お問い合わせは866-5880
なお、今月の火曜日のいまここ塾は、会館が休館のためにお休みです。
ご注意ください。
2007年09月15日
21世紀型修業生活
おはよう。
今朝の沖縄は台風一過で気持ちがいいね。
さて今日は、毎日僕がどんな生活をしているのか、プライベートライフの初公開です。
自分としては修行生活をしているつもりでいるんだよ。
と言っても、かなり怠け者の快楽主義的修行生活だけどね。
それじゃ、始まり始まり。
続きの前に押してね。
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2007年09月14日
目覚めの予感
昨日の「目覚め」に関する記事は、文章にするのがとても難しかったけど、本当にたくさんの人が興味を持って読んでくれたみたいで、すごく嬉しい。
やっぱり時代は変わったんだなって思う。
さて、こんなことを言っている僕自身のことだけど・・・
言うまでもなく、僕は目覚めてもいないし悟ってもいない。
じゃ、なんでこんなことばかり話すのかというと、時たま悟りの世界をチラリと垣間見てしまうからなんだ。
その瞬間に全部の答えがあって、「あァ、そうだったんだ」ってなるんだけど、また次の瞬間に元の自分に戻っている。
実際には悟っていなくても、一度でもその世界を垣間見ると、生き方や考え方がまるっきり変わってしまうんだ。
今日はそんな僕自身の話を聞いてください。
続きの前にお願いします
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2007年09月13日
目覚めの時 2
「ただ目覚めるだけ」
そしたらこんな質問が来た。
「どうやって目覚めるの?」
なるほど、とてもシンプルな質問だね。
僕らが夜眠っていて、毎朝その眠りから覚めるのに、どうやって目覚めたらいいか考えたことある?
それは「すること」じゃなくて「起こること」でしょ。
それは人生での目覚め(覚醒)も同じことで、「すること」じゃなくて「起こること」なんだよ。
うん、この二つは実によく似ている。
朝夢から覚める時のプロセスをじっくり味わってみると、目が覚めようとする時、それまで現実だと思っていた夢の中の世界が霧のように遠くなっていって、実際の肉体の感覚やベッドの中の現実が意識されてきて、それまでの夢の世界は単に自分のイメージの世界だったことを知るよね。
その時初めて、夢を夢だと認識できる。
そして夢の世界と現実の世界は、比べようもないくらい全く違う次元のものだってわかるでしょ。
それと同じように、今現実だと思っている全ては、実際には神から分離した自己が描いているカモフラージュの世界で、絶え間なく自分や他人を批判して、本当はすべて完璧なのにそこに不完全性を見て、いつも何かが足りないと感じている・・・そんな嘘の世界が霧のように遠ざかっていって、超リアルな自分、神と一体の完全な世界に目覚めるんだ。
そして目覚めた時初めて、人生が夢だったことに気がつく。
それは比べ物にならないくらい全く違う次元のものなので、言葉で表すこともできない。
毎朝の目覚めと、人生からの目覚めは、似ている点が多いと思う。
そう考えてみれば、目覚めを促すやり方も見えてくるよね。
睡眠の夢から覚める時、自分の意思で目覚めたこともあるんじゃない?
たとえば夢の中で、これは夢だって気がついて、それがきっかけで目が覚めたとか。
同じようにこの人生でも、これは夢だっていつも想起していたら、その自覚が少しずつ意識に浸透していって、ある瞬間にはっと目覚めることはありうると思う。
僕自身も、あるひとつのやり方を一日に何百回もやっている。
もったいぶっているわけじゃないけど、言葉で説明するのが凄く難しいんだ。
それはまた次回にでも、ゆっくり説明させてもらいます。
何故僕らはなかなか目覚められないんだと思う?
それはね、僕らがもう少し夢の世界で戯れていたいって自分で思っているからだよ。
誰かが僕らの目覚めを妨げているわけじゃない。
自分がそうしていたいだけなんだ。
この世界はとても魅惑にあふれているからね。
次々と新しい欲望が現れてくる。
新しい恋、新しい希望、新しい目標・・・・
もっとお金があれば、もっと尊敬されれば、もっと素敵になったら・・・
そしてそれは行き着くところがない。
もういいかげん気づいてもいい頃なんだけど、僕らは同じゲームを繰り返してしまうんだね。
こういう話、好きだな。
できたら一日中こんな話をしていたい。
他の話は、僕にとってどうでもいいことばかりだ。
最後まで読んでくれてありがとう。
何かを感じてくれたら押してください
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2007年09月12日
目覚めの時
昨日の「いまここ塾」をやりながら、不思議な感覚に襲われた。
全ての人の人生は、完璧なんだって思った。
僕らの心の奥に潜むとてつもない叡智が、僕らを「大いなるひとつ」に帰すための完璧な筋書きを作り出していて、すべての出来事はそれにそって、寸分の狂いなく粛々と進んでいる。
たとえ自分の人生がいまどのような状況だろうと、自分の目から見てどのように見えようと、それが必要だから起きているんだ。
しかも今までの人生に起きたことにも、何一つ無駄はなかった。
僕らに完璧な筋書きを与えた神なる意識は、心の一番奥に住んでいて、僕らは早かれ遅かれそこに帰りつくことになる。
そこにたどり着いた時、心の底で声がするよ。
おかえり
長い旅だったね
私はいつでもどんなときでもあなたを見守っていたよ
あなたが私に気づく日をずっと待っていたんだ
長い旅だったね
大変だったね
よく頑張ったね
もう大丈夫だよ
おかえり
そんな声が聞こえる日は近い。
その予感は日に日に高まってきている。
これは気休めなんかじゃない。
僕に起こった事があなたに起きないはずがない。
僕らは夢の世界に住んでいるんだ。
苦しみと欲求不満が渦巻く夢の世界にね。
それを現実だと思いこみ、少しでも状況が良くなるように、画策し、奮闘し、疲れ果てながら生きている。
もう目覚めてもいい頃だよ。
とても簡単なこと。
ただ・・・目を覚ますだけだから。
こうやって一番伝えたい事を書いてみると、なんとも現実感のない表現になってしまうけど、これこそが本当の現実なんだ。
どう思われようと、これからもこのメッセージを伝え続けていこうと思っています。
早く目覚めても、遅く目覚めても、目覚めてみればそれはいつも「いま」だから、早いも遅いもないんだよ。
でも早いほうがいいよねって、どうしてもこんなへんてこな話になっちゃう(笑)
このことに関する言い方は無限にあるので、毎日こうやってブログに書けるのは幸せです。
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