2008年04月15日

チベットと沖縄

昨日見た昼のニュースワイドショーで、チベット問題を取り上げていました。


ダライラマ14世が先代の転生者として認められるまでの経緯。

ダライラマが亡命した理由。

ひとつの民族が抹殺されようとしている現状。

本物のパンチェンラマ11世の重要性。


手前味噌ですが、ずっとここで取り上げてきた問題のポイントは、間違いではなかったようです。



見ていて物足りなさは残りましたが、ひと月前に同じ番組で、チベット騒乱の原因をチベット鉄道開通による貧富格差の拡大だとしていたことを考えると、ずいぶんと正確な情報を流すようになったと思いました。






僕はテレビや新聞が、あまりチベット問題に踏み込まないのは、ある種の陰謀だと思っていましたが、もしかしたら単なる怠慢なのかもしれません。

民族が不当に弾圧され、虐殺や拷問がまかり通り、その文化が抹殺されようとしている現状は国際社会の脅威であり、絶対に許してはいけない問題なのに、意外と日本メディアの関心が薄いのです。



その原因は、メディアを担う人だけでなく、日本国民全体が、民族的誇りをすっかり奪われてしまったからではないでしょうか。



戦勝国のアメリカに魂までも抜き取られ、その隙間に反日教育が叩き込まれて民族意識が希薄になった結果、他国の民族の危機に対して、あまり大きな関心を持たなくなってしまったのだと思います。





せめてここ沖縄の人たちには、大きな声をあげてほしいと思います。

というのも、僕は沖縄とチベットにいくつもの共通点を見るからです。



大国に囲まれて生き残りに苦心した歴史。

武器を好まずに平和外交を心がける姿勢。

宗教感覚や霊的資質が日常生活の中に育まれていること。

温和で優しい気質。

自分たちの伝統文化を愛し頑なに守ってきた姿勢。

どんな苦境の中でも笑顔を絶やさない国民性。




その他にもたくさんあって、チベット人が沖縄に来ると、自分の国に帰ってきたようなムードを感じるそうです。


その同胞がここまで苦しんでいるとき、いまこそ「沖縄から世界へ」というスローガンのもと、無策な日本政府を超えて一致団結して抗議の声を上げる時だと思うのです。


その時、沖縄が抱える不当な問題の数々も、多くの人の意識に訴えることができるのではないでしょうか。




僕も微力ながら、ここ沖縄から声を上げていきたいと思っています。





今朝は違う内容の記事を書いていたのですが、いまひとつ気乗りがしなくなって、こちらの記事を書き始めました。



いまチベットで起きていることの重要さを、もっともっと認識してほしいと思います。


この問題は、人類が人類としてどう生きていくのかという、基本的な問題だと思うのです。






チベット問題が風化しないように、これからも注目していきます。

賛同してくれる人は押してください。

     

Posted by Toshiro Abe at 08:15Comments(9)TrackBack(0)チベット問題

2008年04月09日

弁髪とチャイナドレス

連日このブログでは、目の前で起きている中国政府による非人道的な行為を止めさせたい思いから、チベット問題を取り上げています。


今日は少し視点を変えて考えてみます。






もし僕が中国に生れて、そこで愛国主義教育を受け、エリート候補生に抜擢されて、結婚し子供を持ったとしたら、今のこの情勢にどんな対応をするだろうか。



おそらく世界が何を言おうが、党中央の指導に従って、国家のために命懸けで働くと思います。


それが正義だし、そんな生き方に誇りを持つことでしょう。

もし本当に天国と地獄があったとしたら、そのような生き方で天国に行けることを確信すると思います。




今の中国政府のやり方は、外の世界から見るとあまりにも強引で自分勝手ですが、内部にいれば、それを批判する世界が横暴に見えるのではないでしょうか。


こういう対立は日常社会にも起きていて、およそ人間同士の対立というものは、善と悪との対立ではなく、善と善との対立です。

でも善なる自分から見れば、対立する相手は悪に見えるでしょう。




いま漢民族がチベットに対して行っているのは、チベット文化の破壊と漢民族化です。

それがチベット問題の根幹です。




漢民族はなぜそのような行為を正義だと信じて行えるのか。


ずっと日本人をやっている僕たちにはわかりにくいことですが、漢民族はたかだか100年前まで、異民族の満州族に支配されていました。

当時そこで行われたのが、漢文化に対する破壊と、満州族化です。



僕らが昔の中国人を思い描くとき、弁髪(お下げ髪のように編んで垂らした髪型)を思い描きますが、あれは満州族の風習であって、漢民族は強制されていただけです。


満州族は漢民族にこのような指令を出しました。

『頭を留めんとするものは髪を留めず、髪を留むる頭を留めず』

要は、弁髪にするか、首から上をちょん切るか、どちらかを選べと言うわけです。




また、女性が着るチャイナドレスも満州族の民族服です。

ちなみに大きく切れあがったスリットは、男性の目を意識したものではなく、乗馬をする時に便利だからだそうです。

騎馬民族ならではのアイデアです。


中国人の象徴のような弁髪もチャイナドレスも、本来の中国(漢族)のものではなく、漢族の文化が破壊された結果だったのです。


その時代に実権を握った民族が、自らの文化で国中を染め上げていくのは当たり前だという感覚が、中国には今でもあるのだと思います。


民族とは何かという定義にも触れますが、およそ地球上に存在する民族は、長い歴史の中で、そのような形で周囲を吸収合併してきたのではないでしょうか。




昔はいいけど、今はいけない。

それが僕たちの論理ですが、中国は聞く耳を持ちません。





書いていてなんだか中国擁護みたいな記事になってしまいましたが、そのように視点を変えてみるのも、問題解決に向けた大切な要素だと思います。


中国という国の体制がこのままでいいとは思いませんが、お互いを理解しあいながら、地上から苦しみを減らす努力をしていきたいものです。





今日も読んでくれてありがとうございました。






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それが毎日の更新の力になっています。

     

Posted by Toshiro Abe at 08:47Comments(5)TrackBack(0)チベット問題

2008年04月08日

パリの聖火は燃えているか

オリンピックほど政治色の強いスポーツイベントは他にありません。


かつての日本がそうだったように、オリンピックは発展途上国にとっては、国威の高揚、国民の団結、祖国への誇りを育むまたとないチャンスです。

同時に海外に向けて、自分たちの国力を示す機会でもあります。



特に今回の北京オリンピックは、中国共産党独裁国家体制を世界各国に認めさせる、とても大きな意味を持っています。

だからこそ、開会式に各国首脳の列席を求めているのです。

オリンピックはまぎれもなく政治イベントなのです。



その中国がチベット弾圧の真っただ中で叫びます。

「オリンピックに政治を持ち込むべきではない!」



今の日本政府や国民の反応も同じです。

「オリンピックに政治を持ち込むべきではない!」







昨日のフランスでの聖火リレーをどう思いましたか。

あのものものしい警備体制・・・あそこまで厳重な警備が敷かれたのは、中国当局からの要求があったからです。

すなわち、各国が責任を持って聖火を通過させる義務があるというわけです。

そういう意味では、昨日は最大限の警備をしていましたよね。




でもそれも限界です。

イギリスにもフランスにも、中国にはない国内事情があるからです。

それは「世論」です。


あれ以上の実力行使に出れば、国民の反発は必至で、それはすなわち政権交代につながっていきます。




その事情は中国には実感できません。

中国には世論がないから、わからないのです。


中国が自分達の一方的な態度を改めて、賢明な対応に打って出るしか解決の道はないと思います。

いつそこに踏み切るかです。




僕自身の考えでは、チベットやウイグルが中国の一部だということを認めて、各国が中国政府に協力する形で、解決策を探るのがいいと思います。


とにかく目標は、中国政府の人権蹂躙政策にストップをかけることです。





昨日のフランスでの強い抗議行動・・・彼らが全く行動しなかったほうがよかったと思いますか。



賛否両論あると思いますが、少なくとも抗議活動の結果、ある動きがありました。


中国の内政問題には関与しないとの立場を取っていたロゲIOC会長が
「IOCは深刻に憂慮しており、中国政府にチベット情勢の平和的な解決を求める」
と発言したのです。

これはフランスやイギリスでの、聖火リレーへの抗議活動を見ての結果です。





僕らが知るべきことは、まだまだたくさんあります。

何も知ろうとしないで達観した態度をとるのは簡単ですが、この現実は自分自身も共に作り出しているという責任の立場に立つことが、解決への小さな一歩になると信じています。


世界を少しでも住みやすい場所にするために、平和と繁栄を享受する僕たちにできることはたくさんあると思います。


日本もこのまま知らぬ顔をしていてはいけないと思うのです。





このままではいけないと思ってくれる人は、ボタンを押して意思を示してください。

   






今夜も「いまここ塾」で詳しくお話しします。  

Posted by Toshiro Abe at 07:50Comments(9)TrackBack(0)チベット問題

2008年04月07日

やっぱりチベットが・・・



昨日沖縄は海開きで、近くの波の上ビーチでは、観光客の皆さんが泳いでいたみたいです。

これから5月の連休までは一足早い夏気分を味わえるかもしれません。

5月から6月にかけては梅雨ですが、梅雨が明ける6月後半から夏休みまでは、真夏の沖縄をシーズンオフ料金で味わえるのでお得ですよ。



なんて、沖縄観光のPRなんかして、今日は何を書こうか考えているわけですが、やっぱり今一番書きたいことにします。




そうなると・・・やっぱりチベットかな。

「え?また?」なんて言わないで付き合って下さい。


僕なりに思うところを書いてみます。



チベットがデモを通して要求している内容は、チベットの文化、言語、風習、宗教を守りたいというものです。

民族としての最低限の要求です。

それを言っただけで、中国当局から激しい弾圧にあい、僕らの想像を超えた仕打ちが待っています。


「ある尼僧の証言」にもありましたが、それを覚悟でデモに参加するのですから、我々も遠巻きに傍観しているだけではなく、ほんの少しでも彼らの役に立ちたいと思ってしまうわけです。



さらに、彼らが求めているものの中に、ダライ・ラマへの信仰があります。

中国政府は躍起になってダライラマを悪者にしようとしていますが、それだけチベットの人達のダライラマへの信頼があついわけです。



何故こんなにもダライラマへの気持ちが大きくて深いのでしょうか。



今日はそんな話をしてみます。





先代のダライ・ラマ13世の時世には、まさに世界が大きく動こうとしていました。

チベットは、清とイギリスとロシアという大国に挟まれて、どのようにして生き残るのかを模索していました。


ダライ・ラマ13世は、このままではチベットは他国の侵略をうけ崩壊してしまうと警告します。

当時チベット国内を覆っていた退廃的ムードを一喝したのです。

そして急死してしまいます。

1934年のことでした。



その後、1940年に今のダライ・ラマ14世が即位しますが、さらにその20年後、ダライ・ラマ13世の言葉どおり、チベット政府は中国に滅ぼされてしまいます。



この経緯に対して、チベット人達はこのような解釈をしています。

ダライ・ラマ13世が警告したときには、もはや歴史は変えられない状況で、チベットに最悪の事態が起きた時、ダライ・ラマ自身が高齢でリーダーシップがとれないことを危惧して、いったん生まれ変わることで、その混乱期を20代の青年として迎えたというものです。


このこと一つとってみても、どれだけダライ・ラマへの気持ちが深いかが見えてきます。



人間が持つそのような心(信仰心)を踏みにじろうとしても、それは後々禍根を残すだけで、解決には行きつきません。

それを中国政府は力づくで、無理やりにでも成し遂げてしまおうとしているわけです。




昨日のロンドンでは、聖火リレーの沿道で大規模な抗議デモが開かれたそうですね。

このあと、フランスやアメリカを聖火が走るそうですが、どうなるのでしょうか。




これほどわかりやすく人権問題がクローズアップされたことも稀です。

世界は今選択肢を突きつけられていると思います。


経済を重視するのか、人権を重視するのか。



もちろん人権問題はチベットだけのことではありませんが、もしこのまま各国がチベット問題を無視したとしたら、この地上から人権と呼べるものを、人間自らが捨て去ったことになります。


やっぱりチベット問題は、とても大きな問題だと思うのです。





最後まで読んでくれてありがとうございました。

共感してくれた人は押してください。

   
  

Posted by Toshiro Abe at 07:46Comments(10)TrackBack(0)チベット問題

2008年04月06日

少ない報道

昨日また四川省でチベット系住民らのデモがあって、中国政府発表では1人怪我ということですが、目撃者の話では15人が射殺されたそうです。


チベット関連のニュースがあまり報道されないのは、隣の国を刺激したくないからでしょうか。

僕にはよくわかりません。



前々から思っていたことですが、僕たち日本人はチベットのことをあまり知りません。

情報が少ないからです。


中国とチベットの関係にしても、今回の騒乱で初めて知った人もいたでしょう。


20年ほど前、ある友人が、「チベットに行きたいのだけど、チベット大使館はどこだろう」って聞いてきたことがありました。

実は僕もその時までチベット大使館なるものがあるような気がしていて、「きっと中国大使館の近くだろう」なんてバカな答えをしたのを覚えています。


その後、様々なことを知り、このままではいけないと思うようになりましたが、ほとんど何もできないまま今日に至っています。







今回のラサ騒乱が起きた時、テレビはどんな論調で事件を伝えているのかと見てみたら、
この騒乱の大きな原因はチベット鉄道(青蔵鉄道)の開通にあると断じていて、唖然としました。

鉄道のせいで貧富の差が広がり、それが住民の不満を爆発させたというのです。


しかもそこには、いつもチベット問題を憂慮してきたチベット人有識者が、その説を支持するような発言をしていました。

おそらくは数十分のインタビューの中で、テレビの編集側が、最も自分たちの番組に適した部分だけを抜き取ったのでしょうが、茶の間受けを狙ってチベット問題の核心を矮小化してしまったと思いました。





前にも書きましたが、チベット問題を解決するために中国政府を糾弾しても、そのこと自体が解決に向かうとは思いません。

むしろ中国側の立場を理解する姿勢で、対話に持ち込むことが現実的かと思います。



しかしその一方で、まったく非難や抗議が止んでしまうと、世界がこの問題を容認していると受け取られかねません。

現に中国政府が、北京オリンピックをチベット問題の正当化に使おうとしているのは明白です。



本来ならば、IOC(国際オリンピック委員会)が圧力をかけるのが効果的だと思うのですが、彼らはスポーツイベントを開催するのが使命だという立場から、政治問題には終始後ろ向きです。



でも、このままでは済まないでしょう。

済ませてはいけません。



今年こそが問題解決に向かう最大のチャンスだと思います。

オリンピックという国際イベントが、間接的にでもこの問題を解決できるように祈るばかりです。




あまりにも少ない報道に失望するだけではなく、微力ながらもこのブログにおいて、この先も注目していきたいと思っています。






ご協力お願いします。

   
  

Posted by Toshiro Abe at 10:35Comments(4)TrackBack(0)チベット問題

2008年04月02日

ちょっと考えればわかる話

ちょっと考えてみたんですけど・・・


その国の考え方や立場や、もろもろあるとは思いますが、人を殺したり苦しめたりするのはやめませんか。


世界中でやめましょう。







いつも世界には、何かの悲しいニュースがあります。


たとえば、イラクの自爆テロで何十人も死んだとか・・・

いつも聞いているから、あんまり驚かない。



ウイグルで暴動があったって記事が、申し訳なさそうに新聞の片隅に載ってます。

でも実際に起きたことは、数千人規模の衝突。

これまでの虐殺の歴史が物語るように、今回も多くの罪なき人が殺され、拷問にあっています。

この生々しい惨劇に対して、ただ小さく「ウイグルで暴動」と一言。

何が起きたかまでは伝わりません。



いろんな国がいろんな事情で、いろんなこと言いながら暴力振るってます。



理屈はもうわかったから、とにかく非人道的な行為はやめましょう。

それをやめてもらわないと、話になりません。





ちょっと考えればわかる簡単なことを、人はなぜできないんでしょう。






こんなあたりまえのことを、あたりまえだと思ってくれた人、クリックして応援してください。

   
  

Posted by Toshiro Abe at 08:35Comments(12)TrackBack(0)チベット問題

2008年04月01日

ウイグルのこと

昔はテレビや新聞から受け取る情報は絶対的なもので、そのニュースの扱いの大きさが、重要度を示していると疑いませんでした。

3月10日以来、チベットの現実が浮き彫りになったというのに、その騒動の背景にあるものや、その経緯など、国民が当然知らなければいけない基本的な情報が与えられないまま、なんとなくチベットで暴動が起きて、中国政府が鎮圧したみたいな、中国政府に都合のいい一方的な報道がなされてきました。

そんな報道姿勢の裏側まで考えてしまって、なんとも不甲斐無さを感じる一方で、ならば少しでもとばかり、チベット関連の情報を書き続けてきました。

チベット問題の陰に隠れていますが、今中国で起きているもう一つの民族の戦いに、ウイグル騒乱があります。





ウイグルとは東トルキスタンのことです。

西トルキスタンはソ連が崩壊後、次々と独立をしたウズベキスタン、キルギスタン、カザフスタンなどの地域のことです。

ちなみにトルキスタンは、その名前の通り「トルコの土地」という意味で、トルコ民族がいかに大きな勢力だったかが窺えます。


ウイグル(東トルキスタン)の人たちの言語も、文化風習も、中国というよりはまるっきりのトルコ系で、民族的には中国の一部とすることに無理があります。


しかし中国は、チベット同様、決してこの地を手放すことはありません。

防衛上はもちろんのこと、多くの石油資源や天然ガスを抱えているからです。

チベットの鉱石同様、ここでは石油が乱掘され中国に送られています。




ソ連の崩壊後、東トルキスタン(ウイグル自治区)にも独立の気運が高まりますが、中国政府はチベットに対するのと同様、武力によって徹底的に鎮圧しました。

それがいまチベット騒乱の勢いと共に、再燃しだしたのです。


少数民族がみな独立することが、今の世界情勢の中で現実的かどうかは別として、少なくとも人権が踏みにじられるようなことはあってはならないと思います。



人類がみんな、地球という名の大きな家族の一員だと気づくまで、紆余曲折があるでしょうが、国とは何なのか、民族とは何なのかということの意味も、その基本から問い直してみたいと思っている今日この頃です




今日も読んでくれてありがとうございました。

   


  

Posted by Toshiro Abe at 09:26Comments(4)TrackBack(0)チベット問題

2008年03月31日

ダーク・クリスタル

昔見た映画に「ダーク・クリスタル」がありました。

ファンタジーな人形劇ですが、お気に入りで何度も見たのを覚えています。

内容は悪の権化のような民族と、愛と平和の化身のような民族の話。


まるで今の中国政府とダライ・ラマら高僧との構図のようです。



近代史上まれに見る暴挙を重ねる中国政府。

それは結晶化した自我が織りなす、権力と暴力の世界です。


一方で、世俗の価値を超えて、高い人間性を身に付けた聖者の世界。


ここまで対照的な関係を見たことがありません。






もし中国政府が非難しているのが、どこかの国の政府だとしたら、どちらにも非があるのだろうと想像しますが、今回の場合は印象が一方的です。

世界各国のリーダー達も、ダライ・ラマの人柄と知性を熟知しているだけに、中国が何を言っても虚しいだけです。


それどころか、ますます自分たちの信用をなくしていきます。

これは中国政府の根本的な方針ミスだと思います。



この先はますます、チベット問題は内政問題だと突っぱねてくるのでしょうが、厳密に言えば中国の国家主権侵略の罪が半世紀ぶりに問われているわけです。

チベットへの侵略と大虐殺の罪です。

中国は絶対にそれを認めないために、歩み寄りはこの先もないでしょう。

中国にとっては、チベットはチベット民族のものではなく、中国(漢民族)のものなのだから、他国は黙っていろというわけです。





また大規模な暴動(?)があったそうです。

多くの死傷者や検挙者がでたことでしょう。



もうこれ以上、血を流さないでほしいという気持ちと、このまま鎮静化させてしまっていはいけないという気持ちが錯綜しています。

ダライ・ラマが求める「高度な自治」に歩み寄れるとしたら、この機会を置いて他にないと思うからです。




オリンピックイヤーということもあり、他国に無関心な日本人にもチベットの惨状が伝わり始めています。


この機会に少しでも中国が歩み寄ってくれることを願ってやみません。





チベット問題を風化させてはいけないと思っています。

できるかぎり見つめていきたいと思います。

応援よろしくお願いします。


   




  

Posted by Toshiro Abe at 08:02Comments(2)TrackBack(0)チベット問題

2008年03月26日

チベット化

現実論として、中国を分断するのではなく、チベットがもっと尊重される形で、中国の一部として存在していく方法が一番いいのだと思います。

ダライ・ラマが求める「高度な自治」という概念と、現在の中国政府の考えを、ともに歩み寄りながら解決するのが、外交を抱える中国にとっても、チベットにとってもいいのではないでしょうか。

国際社会の反発は、中国政府にとっても頭が痛いことだと思うので、それを解決するためにも、中国からの歩み寄りも必要だと思います。



多民族国家である中国が一番危惧するのは、民族の独立です。

そのことが起きないという保証を中国が持てれば、歩み寄りもはかれると思います。


そうやってチベットが名実ともに中国の一部になったとき、チベット人の漢民族化という流れも生まれてくるでしょう。

その中で自分たちの固有の宗教や文化をどのように守っていけるかだと思います。






僕が期待する最高の形があります。


中国の歴史の中で、以前チベットを支配した王朝が2つだけありました。

元王朝と清王朝です。

どちらも漢民族の王朝ではありませんが、元も清もチベット仏教の深みに触れ、自分たちが帰依することで、手厚くその文化と宗教を尊重して守ったのです。


もし今の中国に同じようなことが起これば凄いですね。

それによって中国に、悟りの花が連鎖反応のように咲いていくのです。



チベットの中国化ではなく、中国のチベット化です。


そうなったら中国は、世界中から尊敬を集め、名実ともに地上の大国として存在していくことでしょう。





あんなこんな言いながらも、結局は自分自身を高めていくことしかないということで、そんな生き方をしていきたいと思っている今日この頃です。

感謝の気持ちを忘れないようにして、日々精進していきます。




今日も読んでくれてありがとうございました。






   
  

Posted by Toshiro Abe at 10:57Comments(15)TrackBack(0)チベット問題

2008年03月25日

真の解決

昨日聖火の採火式に、チベット問題を抗議する男性が乱入しました。

地元の警察官1000人以上が警備する中での平和の祭典の幕開けです。


そもそも北京オリンピックが決まる時、これを機に中国政府は、世界から指摘されている人権問題を解決すると約束したはずです。

それが条件の北京オリンピックでした。






IOC会長は、「オリンピックを開催すれば中国も変わる」というような声明を発表しました。

開催までに変わるはずが、開催すれば変わるになりました。


このままオリンピックが成功すれば、一連の中国のやり方を、世界が受け入れたことになります。

僕は北京オリンピックのボイコットこそ、チベット問題を解決する糸口になると信じて疑いませんでした。



ところが、当のダライ・ラマは「北京オリンピックの成功を願っている」との声明を出し続けています。


僕には、その姿勢が理解できませんでした。


本気で言っているんだろうか・・・

まさに今、彼を慕う多くの人が中国当局によって極限状態に置かれているというのに、いったい何を考えているんだろう。

単に宗教家のポーズではないのか。


中国政府が
「ダライ・ラマ一派がオリンピックの転覆をねらって暴動を画策した」
と言ったので、そうではないことを表明するために、無理して言っているのだとさえ思いました。



そこまで思ったとき、ふと我に帰りました。

あんなに深い叡智を与えてくれた人の心を、何を持って決めつけているのかと。



チベットの人たちを救いたいという気持ちのあまり、正義の衣を着てすっかり傲慢になっていた自分・・・

そんな自分が見えたとき、同時に、ダライ・ラマの存在の偉大さを心の底から感じたのです。



彼は誰とも闘っていません。

彼には何の個人的な都合もありません。


彼はただ、チベットの人も、中国の人も、そして人類の全てが幸せであることを願っているだけです。


彼の言う
「北京オリンピックの成功を願っている」との声明には、嘘も作為も何もなかったのです。




チベットの人たちが、何故彼をここまで慕うのかがわかりました。


彼はその存在を通して、今も僕たちに多くのものを与えてくれているのだと思います。



問題が山積する人類に、彼は一筋の光であり、このような究極の現実の中で、その存在を世界に示してくれているんだと思いました。




実は昨日から長い時間をかけて、中国のウソを、多くの証拠を挙げて証明しようと躍起になり、長い記事を書いていたのですが、ふとそんなことを思ったら、必ずしもこのやりかたがベストではないと思い始めました。

目的はチベットの人たちを救済すること、非人道的な扱いをやめさせることです。

その方法は糾弾ではないことに気づきました。



昨日までは必死で、多くの人にチベットの現実を知ってもらおうとしていました。

それが直接の救済につながらなくても、せめて抗議の声を大きくすることで、何らかの解決につなげたいと、そんなはかない気持ちで頑張っていました。

だから体中を無力感が覆っていたのだと思います。



でもこの中国の問題は、単に中国一国の問題ではなく、アメリカやロシアを始めとする大国のエゴや、自国の利益を優先する国際社会や、今だに多くの矛盾を抱える地球上の人類そのものの問題でもあると思うのです。


対立と攻撃的姿勢では、何一つ解決しないことは明らかです。


まずは中国政府を安心させることが、問題解決の第一歩のように思えてきました。




今頃になって気づいた自分を恥ずかしく思いますが、敵味方という対立構造ではなく、真の解決に導く道を探っていきたいと思います。





まだ怒りがすべて消えたわけではありません。


こんな考え方は甘いと思う自分も、まだどこかにいます。



それでも、虐げられた人を救うのはこの道しかないと思うようになりました。






今日もここに来てくれてありがとうございました。






何かを感じてくれたら押してください。

   








今夜も「いまここ塾」やっています。  

Posted by Toshiro Abe at 08:20Comments(21)TrackBack(0)チベット問題

2008年03月24日

平和への「覚悟」

正直言って、この数日間は自分の中に無力感が漂っています。

今こうしている間にも、不当に逮捕拘留された人たちが、どんな非人道的な扱いを受けているのかを考えると、怒りは悲しみになっていきます。

そこには年端もいかない子供や女性も含まれています。

僕にできることはあらゆる機会を使って、知りうる限りのことと、意見を伝えていくしかありません。



今回の暴動は、ダライ・ラマ一派による、中国分断を企てた用意周到な計画だとし、その確かな証拠も握っていると温首相自らが世界に発言しました。


しかし、暴動の映像を見る限り、民衆は素手のままです。

武装もしないで、それのどこが用意周到な計画によるものなのでしょうか。



おそらくは、最初に暴動ありきではなかったと思います。

今までのデモと同じように、「チベット独立!ダライ・ラマ万歳」を叫ぶだけのデモ行進だったのでしょう。


亡命政府に入ってきている情報では、無差別発砲により、多くの死傷者を出しました。

犠牲者の中には8歳の子供も含まれています。


そのことに怒った民衆が暴動に出たのでしょう。


この映像はその時のものだと思われます。




我々はこの映像を繰り返し見せられました。

何故このような事態になったのかの説明がないまま、テレビ局は中国側が提供してきた一方的な映像を、繰り返し流したのです。


3月10日には僧侶らによる平和的なデモが発生し、11日には治安部隊が催涙弾攻撃をしています。

すでに市内に大量に配置されていたはずの治安部隊が、なぜ彼らの暴動行為を黙って見ていたのかは謎のままです。

この映像自体が、捏造である可能性もぬぐい去れません。



また、なぜ大きな被害を受けた商店街の多くが、漢民族のそれではなく、イスラム教徒のものだったのか・・・



真実は国際調査機関が現地入りして調べれば、すぐにわかることです。







ウソにウソを重ねる中国政府。

国際社会は完全に馬鹿にされています。


まったく矛盾する言葉と態度で押し切れると信じている背景には、各国との経済関係への自信があるのでしょう。



経済の損得を選ぶか、人間としての在り方を選ぶか、大きな選択が突きつけられています。




もし日本が中国に抗議し、中国政府の反感を買ったとして、最悪の場合は、日本経済や食料事情にどれくらいの打撃が及ぶのでしょうか。


中国もしたたかに、自分たちが不利益を被るようなシナリオは直前で回避するでしょうが、もし万万が一の場合でも、終戦直後のことを思えばしのげるのではないでしょうか。



それくらいの覚悟で毅然とした選択をしたとき、日本は世界に貢献できる本物の国に生まれ変わると思います。



この国が平和をスローガンに掲げるのであれば、今こそその覚悟を示す時ではないでしょうか。









   





裏ブログの「かんながら」にも、チベット問題とその歴史を紹介しています。  

Posted by Toshiro Abe at 08:20Comments(14)TrackBack(0)チベット問題

2008年03月23日

ダライ・ラマの転生

チベット仏教の特徴の一つは、生まれ変わりを信じていることです。

特にダライ・ラマやパンチェン・ラマのような突出した高僧たちは、死後必ず国内に転生すると言われています。



高僧の生まれ変わりを認定するには、幾多の慎重な調査が行われます。


まずは国中から、知らないはずのことを知っている子供や、啓示的な夢を見た母親を探します。

さらに占いや神託による多くの調査をした後に、候補者の子供を絞り、最終テストをします。



現在のダライ・ラマ14世の場合は、チベットの小さな農家の9人目の子供として生まれましたが、3歳の時、変装した探索隊の一行が彼のもとを訪れ、先代のダライ・ラマの所持品をいくつもの品物にまぎれさせ、それを正確に当てられるかどうかテストしました。


その結果、変装した一行の中から、元側近を識別し、品物の中から、先代が愛用した数珠、儀式用の太鼓、愛用した杖を、全て間違いなく選び出しました。

杖の時は、いったん違う杖を手にしたそうです。

しばらくそれを持って歩いた後に、本物と持ちかえました。

最初に持った杖も13世が使用したもので、その後他の高僧に贈ったものでした。

これには探索隊のメンバーも大層驚いたそうです。






それらの調査により、農家に生まれた幼き子は、チベット仏教最高位のダライ・ラマとして認定されたのです。




ここで重要なのは、転生したダライ・ラマ探索の際に、啓示や神託を受け重要な役割を果たすのがパンチェン・ラマで、転生したパンチェン・ラマ探索の際に啓示を受けるのがダライ・ラマだということです。




平成元年、パンチェン・ラマ10世が公の席で、中国のチベット統治を批判したその4日後、謎の急死をとげます。

すぐさま中国政府は、転生するパンチェン・ラマ(11世)を、中国政府自らが選ぶと宣言し、探索隊を編成します。



パンチェン・ラマの転生を探る重要な能力を持っているダライ・ラマは、何度も中国政府に、転生者を探す手伝いをすると申し出ますが、断られます。



結局はダライ・ラマが正規の手続きにのっとってパンチェンラマ11世を探し出すのですが、数日後、その少年は中国当局に拉致されてしまいます。




わずか6歳でした。

今もどこかに幽閉されているそうです。

現在19歳になります。




その後中国政府は、本物のパンチェン・ラマ11世を発見したと発表し、現代に至っています。



真のパンチェン・ラマの認定は、チベットの将来にとって大きな意味を持ちます。



72歳の高齢になったダライ・ラマ14世に万一のことがあった時はどうなるのでしょうか。

このままでいけば、中国政府に都合のいいパンチェン・ラマが、中国政府に都合のいいダライ・ラマを選び出し、その瞬間にチベットの自治の夢も、チベット仏教の伝統も終焉してしまいます。




中国政府にとって、チベット民族も、チベット文化も、チベット仏教も、人類にとっての貴重な宝だという認識はありません。

彼らにとっては、その国土こそが興味の対象なのです。



チベットが消滅する様を、黙って見ているわけにはいきません。

非力ながらも、我々が声をあげて日本政府を動かし、中国政府に抗議し続けることだ思います。



このことが人々の記憶から消えませんように。




   





裏ブログの「かんながら」にも、チベット問題とその歴史を紹介しています。  

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2008年03月22日

生き仏




数年前、向和尚に誘われてダライ・ラマの講演会に行きました。


そこで見たのは、淡々とした、自然体の、温かみを携えた、ごく普通のご老人でした。

超能力も、霊感も、何一つ感じさせない、ただあたりまえの存在です。

気さくな優しさが印象的でした。


インドに亡命する途中、多くの若い仲間たちが目の前で殺されていった場面を語る時も、一切の非難がましい態度はなく、ただ起きたことをそのまま話されている様子でした。

人はここまで寛大になれるのか、それこそが奇跡だと思いました。



チベット仏教というと、すぐにチベット密教を連想し、呪術的で迷信的な宗教と思われがちですが、それは違います。

極めて論理的な宗教です。

だからこそ欧米において、知識人の間に大きなブームになりえたのだと思います。


ダライ・ラマをはじめとして、多くのチベット仏教の導師の本を読ませてもらいましたが、人間存在に対する深い洞察には、ただただ感服するばかりで、今の僕の考え方や在り方にも大きな影響を与えています。



そんなダライラマのような存在に対して
「嘘つき、悪魔」
と、世界に向かって罵倒する人たちを、世界はどのように感じるのでしょうか。


もしその言葉を少しでも支持する国があるとしたら、それは利害を共有する国でしょう。


最近になって中国は、自分たちの一連のチベット政策と、今回の動乱に対する対応を、世界100カ国以上が支持していると言っています。

よもやとは思いますが、この日本はその100カ国に入っていないでしょうね。







21世紀の現代に、あのような蛮行がまかり通ったとしたら、この地球には「人権」と呼べるものは存在しないことになります。

今後いかなる政府も、いかなる平和団体も、人権を口にする資格はありません。


いま中国国内で何が起きているのか、依然として見えない状態です。

このまま時が過ぎて、また何事もなかったかのように、僕たちの平和な暮らしが続いていくのでしょうか。


この問題が風化することがないように祈るばかりです。




最後に、3月20日に朝日新聞に載った川柳を紹介します。

もともと中国寄りの新聞だとは知っていましたが、まさかここまでやるとは信じられない思いです。



五輪前 どうにも邪魔な 生き仏



たとえ一般投稿者の作品としても、採用したのは新聞社側です。

皮肉のつもりかもしれませんが、やっていいことと悪いことがあると思います。


チベットの人たちの苦しみのさ中で、大新聞が掲載した川柳がこれです。




五輪前 どうにも邪魔な 生き仏





せめてこれからも、この問題を見つめていきたいと思います。






   
  

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2008年03月21日

中国から日本が見えてきた

昨年、ドイツの首相がダライ・ラマに会おうとしたとき、中国は過敏なまでに反応し、もし会えば、その報復として、ドイツは経済的な損失を被ることになると脅しました。

日本ならその時点ですくみあがるのでしょうが、ドイツ首相は脅しに屈せずにダライ・ラマと会見しました。

その結果、確かに様々な弊害を被るのですが、それでも自国メディアは、首相の勇気ある決断を評価し、外交政策は時として、経済の打算を超えるとしました。

何でも足を引っ張る日本のマスコミとは違い、人権という確たる基準を持っているのです。






中国にここまでの暴挙をやらせてしまう背景には、巨大化した中国の軍事力があります。

それを作ることに協力した最大の功労者は、ほかならぬ日本ではないでしょうか。



彼らの常套手段である恐喝にも似た抗議と要求に屈し、莫大の円借款を供与し続け、彼らをここまで大きくした罪は、悔やんでも悔やみきれません。

しかも自分たちは戦う能力を放棄し、相手をけん制することもできないのです。



誤った自虐的な歴史観で自らの国を蔑視し、国民の誇りを奪い、中国や近隣に土下座外交を続け、国民の税金をばらまいてきた無能政治家のツケが、いま世界を脅威に陥れ、チベットの人たちを苦しめているのです。


理想論だけをまくしたてる無責任な左翼政党と人道主義者達は、国家主権を脅かす拉致事件や、今回のようなあきらかな人権蹂躙に対しては沈黙を決め込みます。

大人ぶった顔をして、抗議の一つもできない国を、尊敬し耳を傾けるような相手であれば、事態はここまで悪化しなかったでしょう。



僕は今回のチベット動乱と、あいも変わらぬ日本政府の事なかれ主義的な対応を見て、日本はこのままではいけないという強い懸念を持ちました。



この数日間、世界を相手に平然と嘘を言ってのけるあの国の体質が見事に浮き彫りになりました。

このままの巨大化が進めば、いずれは台湾に、そして日本に脅威が及ぶのは時間の問題だと思います



愛国精神を持つことが、憲法を見直すことが、何故こんなに大変なのでしょう。

そこには、誤った歴史認識、偽善的な左翼思想、国民の反感を煽る馬鹿げた右翼の行動などがあったと思います。



今の世界に対して、日本が果たすべき役割は極めて大きいのです。

西洋と東洋が出会う国として、まず自らが自立し、きちんと意見が言える国家に生まれ変わらなくてはいけません。




戦前の日本を悪くばかり言うのは間違いです。

そこには損得を超えた、真の人間としての理念と尊厳が見て取れるからです。

それはもともと日本民族が長い歴史の中で培ってきたものです。


今、その力を世界が必要としています。





賛同してくれる人は応援して下さい。

   
  

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2008年03月20日

パンチェン・ラマ

ダライ・ラマの名前は知っていても、パンチェン・ラマを知っていた人は少ないのではないでしょうか。

この二人はチベット仏教の最高指導者ですが、本物のパンチェン・ラマは中国政府に幽閉されたままで、政府に都合のいい偽のパンチェン・ラマが現在その地位にあります。

まるで映画のようなことが、今も現実に起きているのです。


何故中国政府が偽者を立ててまでパンチェン・ラマにこだわるかと言うと、それによって自らがチベット仏教に深く関与していることを内外に示し、チベット侵略を正当化させようとするためです。






チベット仏教は「死」に対する洞察が、他のどの宗教よりも優れています。

チベット人たちも日常的に「死」と向き合うことで、いかに生きるかという知恵を深めようとしています。


そんな彼らが用いるのが、パンチェン・ラマ一世が残した、十七の偈(げ)です。

これは人間が死んで行く時の状態を内面から詳しく観察したもので、それによって「死」という幻想から目覚めて解脱に向かうための、とてつもない知識です。

「生死」が幻想であることを見抜くのは、7層の身体で説明したコズミック体(宇宙意識)において可能ですが、それを肉体の死という機会を有効に使うことで達成しようというわけです。

すなわち、「死」を「悟り」のチャンスに使おうというわけです。


死に際して意識を保つためには、たゆまぬ修行が大切になってきますが、チベット僧たちは、そのような深遠な教えの中で修行生活を送っていたのです。



そのような生き方は、唯物論の極致である共産主義から見れば、劣等人種による迷信的習慣としか映らなかったようで、残念ながらその伝統は50年前に徹底的に破壊されてしまいます。

チベットの独立運動の背景には、このようなチベット文化の復興を切実に願う気持ちが含まれているのです。




チベット動乱は大きなものだけでも何度も繰り返されています。

その中でも象徴的なのは、パンチェン・ラマ10世(先代)の不自然な急死に端を発した平成元年の動乱です。

チベットに初めて戒厳令が敷かれたのもこの時です。

この動乱はかなり大規模なものでしたが、今回同様に徹底的な武力弾圧で鎮静化させられます。

多くの僧侶が捕らえられ、裁判もないまま処刑されたり、激しい拷問が繰り返されたりしました。



このとき無慈悲なまでの徹底弾圧を行ったチベット自治区の最高責任者は、その功績で、中央に復帰し大出世を果たしました。

それが今の胡錦濤(こきんとう)国家主席です。


その彼を5月に日本に招待する計画が進行中です。

この時期に日本国内で笑顔の外交ショーが繰り広げられるのです。

今のところ両国ともにこの来日を成功させようと躍起です。

中国にしてみれば、日本が受け入れてくれていることを国際社会にアピールする絶好のチャンスでしょう。



さて現在のチベット自治区のトップも、今回の結果が自分の将来にどう影響するかを熟知しています。

その彼は昨日、軍を交えた会議で、
「ダライ・ラマは僧侶の服を着たオオカミで、人の顔をした悪魔だ」
と非難し、
「我々は、まさにいま、ダライ・ラマの勢力と血みどろの激しい闘い、生きるか死ぬかの闘いを繰り広げているのだ」
と述べて、取締りを徹底的に進める姿勢を示しました。



チベットで起きていることを、今度こそ風化させてはいけません。

過酷な運命の中で死んでいった120万にものぼる善良な僧侶や市民達の悲願を、しっかりと受け止めながら、この事態を見守りたいと思います。





真相が多くの人に届きますように。

   
  

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2008年03月19日

ある尼僧の証言

何か事件が起きた時、僕たちはその出来事の概要をニュースで知りますが、そこでいったい何が起きているのかということを、肌で実感するまでには至りません。

ここにガワン・ワンドゥンさんという一人のチベット尼僧の証言があります。

彼女がデモで逮捕された当時はまだ15歳でした。


少し長いですが、ぜひ最後まで読んでください。


・・・・・・・・・


シェーラブ・ンガワンが亡くなってから、もう何年も経つけれども、1日たりとも彼女のことを忘れたことはありません。
彼女は、わずか17才でこの世を去りました。


私はメドクンガという小さな村で、1977年に生まれました。

メドクンガは、チベットの首都ラサからバスで4時間程離れた貧しい村です。
村人は、わずかな家畜と痩せた畑からできる農作物より生計を立てています。
畑には大麦を植え、それを炒った麦焦がしが私たちの主食でした。

村には学校が1つだけありました。
3年間の初等教育を学ぶことができましたが、子供たちは幼いころから、家畜の世話や農作業を手伝わなければならなかったので、学校に通える子供はわずかでした。

私は、14才の時にラサのミチュンリ寺にて出家しました。
1991年のことです。
シェーラブ・ンガワンも同じ年に出家しました。
確か彼女が13才のときのことだと思います。

ラサには割と大きな尼寺が5つほどありますが、当時、すでに多くの尼僧たちがチベット独立のデモに参加し、逮捕されていました。

デモに参加すれば、懲役を受けるのはもちろんのこと、拷問や厳しい強制労働を味わうはめになることは、みんな承知していましたが、それでもデモに行く者は絶えませんでした。
私たちの寺からも、多くの尼僧たちがデモへと繰り出し、そして逮捕されていきました。
私もいつの日にか、デモをすることがチベット人として当然の義務のように感じるようになっていました。

1959年、ダライ・ラマ法王がインドに亡命してしまうと、中国はチベットを巨大な強制労働キャンプへと変えてしまいました。
何万人、いや何十万人といた僧侶たちは、すべて監獄へと放り込まれ、家畜以下の取り扱いを受けました。
そして、実にチベット人の5分の1にあたる120万もの命が、拷問や餓えによって失われていったのです。

1980年、毛沢東が亡くなるまで、チベットには1人の僧侶もいませんでした。
それどころか、僧院のほとんどが壊されてしまっていたのです。

1980年、政権が変わると、多少の宗教の自由が認められ、寺の再建が始まりました。
生き残った僧侶たちが、ようやく寺に戻って来ることができたのもこの年でした。

でも、宗教の自由とは名ばかりでした。
出家者は厳しく当局から監視され、出家者の数も制限されていました。
私たちの唯一の心の支えであるダライラマ法王への信仰は固く禁止され、代わりに共産党教育の講義を寺で受けねばなりませんでした。
全ての利権は中国人の手に握られていて、チベット人は自分たちの国であるというのに、中国人の許可がなければ、移動することですらままなりませんでした。

1987年9月27日、デプン寺の僧侶たちが、ラサで初めてのチベット独立要求のデモを行うと、次々にデモが続くようになりました。
そのほとんどは、僧侶や尼僧によるものでした。
出家の身である私たちには、養うべき子供も家族もいないため、みんな喜んでチベットのために犠牲になることができます。
シェーラブ・ンガワンも幼かったにもかかわらず、チベット独立のために行動するという意志は固く、そのためには何でもすると言っていました。

1992年2月3日、私とシェーラブ・ンガワンを含めた5人の尼僧、そしてセラ寺の僧侶の計6人でデモを行いました。
チベット人のデモは過激なものでは全くありません。
ただ、ラサの中心地にあるジョカン寺の周りの右繞道(パルコル)で「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王万歳」と叫ぶだけなのです。

私たちが、パルコルでスローガンを叫ぶやいなや、すぐに公安が駆け付けました。
公安は私たちを棍棒で殴り倒すと、トラックへと放り込みました。

私たちは全く抵抗しませんでした。
こうなることは、初めから覚悟していたことなのです。
セラ寺の僧侶は頭から血を流していました。
ひどく痛むのか、刑務所へと向かうトラックが揺れる度に、呻き声を出していましたが、話し掛けることはできませんでした。

グツァ刑務所での尋問や拷問は覚悟していましたが、遥かに想像を越えるものでした。

中国人が聞きたいことは1つでした。
「一体、誰がデモを煽動したのか」

私が幾度も「みんなで話し合って決めたことだから、リーダーはいない。誰かに命令されたわけでもない。自分たちの意志でやったのだ」と本当のことを言っても、彼らは納得しませんでした。

散々殴られた後、外に連れていかれ、刑務所の塀にむかって手をあげたまま立っているように命令されました。
体中が痛み、あげた手はまもなく痺れてきましたが、下ろすと看守から殴られました。
みんなはどうしているんだろうと仲間のことだけが気掛かりでした。

昼の1時~7時ごろまでそうしていたでしょうか。
やがて、トイレに行くことが許され、振り返ると、同じように仲間もそうさせられていました。
ひどく殴られたらしく、みんな顔を腫らしていました。
みんな別々に独房に入れられました。
ときどき看守がドアを叩くたびに、また尋問に呼ばれるのかとゾッとしましたが、私の返事を確かめると去っていきました。

3日後、トイレ用のバケツを空けるために、はじめて外に出ることが許されました。
5日後から再び尋問が始まりました。
同じ質問が繰り返されました。
毎回殴られたわけではありませんが、拷問道具は常にテーブルの上に並べてありました。

3ヶ月後にようやく独房から出され、皆と一緒の監房に入れられました。
監房にはトイレがついているわけではありません。
隅に置かれたバケツがトイレでした。毎朝、1度だけ空にするだけだったので、監房の臭いはひどいものでした。

やがて、リーダーとみなされた1人の尼僧に6年の懲役が下り、セラ寺の僧侶と他の尼僧には5年が、そして私とシェーラブ・ンガワンには3年の懲役が下されました。
私は15才、シェーラブ・ンガワンはわずか14才だったのにもかかわらず、成人と同じ刑が課せられたのでした。

朝から晩まで強制労働を課せられる日々が続きました。
私の仕事は、ビニールハウスや畑に肥料を蒔くことでした。
トイレから人糞を汲み上げ、畑との間を日に幾度も往復せねばなりませんでした。

1994年の8月10日の夜の10時頃ことでした。
私たちは歌を歌いました。
チベットが独立する日を夢見る歌、監獄のつらさを歌った歌、そしてダライラマ法王をたたえる歌を。

シェーラブ・ンガワンもいました。
監獄では政治囚たちは看守にみつからないように、こっそりとよく歌を歌います。
誰が作ったのかは知らないのですが、政治囚たちは歌詞をよく知っていました。
新入りの尼僧たちに、長くいる尼僧が歌を教える。
監獄の長い夜はよくそうやってふけていきました。
    
    ここダプチ刑務所からは空しかみえない
    空を流れる雲たち
    それが父や母だったら、どんなに素敵だろう
    監獄の友たちよ
    わたしたちはノルブリンカの花
    どんな雹や霜だろうが
    わたしたちのつないだ手を離れさせることはできない
    いつか必ず雲の後ろから太陽があらわれる
    だからそんなに悲しまないで
    たとえ太陽が沈んでしまっても
    こんどは月が照らしてくれる
    だからそんなに悲しまないで



その晩、私たちは隠れて歌ったりはしませんでした。
看守に聞こえるように歌いました。
そんなことをしたら、どんなことになるかぐらい分かっていましたが、私たちは敢えて歌ったのでした。

すぐに、監房から引きずり出されると、ロープできつく縛られ、激しい拷問を受けました。

ひとりの尼僧が気絶し、床に倒れ込みましたが、看守たちはそれでも殴るのをやめませんでした。
私たちは立ち上がれなくなるまで殴られた後、夜中の3時半頃、縛られたまま、窓1つ無い独房に入れられました。
1畳程しかないその牢獄には、トイレ用の溝がある以外、寝具もベッドもありません。

そんな暗闇の中に、1週間も入れられていました。
1週間後、独房から引きずり出され、またひどく何時間も拷問を受けました。
耳は何度も激しく引っ張られたため、血だらけになっていました。

シェーラブ・ンガワンの小さな体も、ぼろぼろになっていました。
彼女の顔は腫れ上がり、すぐには誰だかわからない程でした。

それからです。彼女の言動がおかしくなったのは。

何でもすぐ忘れるようになりました。
記憶もちぐはくになり、変なことを口走ったりするようになりました。
いつも背中や腎臓、胸の痛みを訴えていました。
食欲も落ち、最後には何も喉を通らなくなったのです。
刑務所側は彼女の容態の悪さを知りながら無視をしていました。
何度も私たちが懇願した結果、ようやく病院に検査のためにつれていきましたが、腎臓が弱っていると言っただけで、何の治療もしてはくれませんでした。

1995年2月2日、私とシェーラブ・ンガワンは刑期を終え、村に戻りました。
しばらくして彼女に手紙を書きましたが、返事は来ませんでした。

数カ月後、彼女が4月17日に亡くなったという知らせを受けました。
私は彼女の家を訪ねました。
家には残こされた両親だけがいました。
私たちは最初話すことができず、ただただ泣いてばかりいました。
釈放後、シェーラブ・ンガワンはラサの病院に入院したけれども、容態は好転はしませんでした。
そして、約2カ月後の4月17日、彼女は息を引き取りました。
体中の痛みに苦しんだ末のことでした。彼女の両親の嘆きは見ていてられませんでした。
まだ17才というのに、苦しみながら死なねばならないなんて。

シェーラブ・ンガワンを鳥葬した人はこう言ったそうです。
「こんなにひどい状態の若い死体は今まで見たことがない。腎臓も肺もボロぞうきんのようだったよ」と。

私たちと一緒にデモをした、もう1人の尼僧も亡くなりました。
プンツォ・ヤンキは、逮捕された時、19才でした。
5年の懲役を受けて服役していたのですが、1994年6月4日に亡くなりました。
彼女も1994年2月11日に仲間たちと歌を歌い、激しい拷問を受けたのです。
こうして、仲間の2人が拷問によって亡くなりました。

私は寺に戻ることを許されなかったので、仏教の修業と勉学を続けるために、インドに亡命してきました。
死んでしまった2人のことを外の世界に伝えねばという思いもありました。

ヒマラヤを越えるのは容易ではありませんでした。
体の弱っていた私は、道程のほとんどを仲間の背中におぶってもらうわねばなりませんでした。

釈放されてから、もう何年も経ちますが、いまだに拷問の後遺症に悩まされています。
特に腰と腎臓が悪く、先月も入院していました。


どうか、チベットがこんなにも悲惨な状況であることを忘れないで欲しいのです。
本当に心からのお願いです。



・・・・・・・・・



いま僕たちにできることは何でしょう。

せめて、今何が起きているのか、そして何故起きているのかを少しでも知ろうとすることではないでしょうか。

彼女の話を過去のことと思ってはいけません。

今現在はさらに激しい取り締まりと弾圧が起きています。


今こうしている間にも、拘留された僧侶たちがどんな目にあわされているかを考えると、無力感にさいなまれます。





   
  

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2008年03月18日

続・チベットのこと

テレビから繰り返し流されるチベットの映像と情報は、中国政府からの一方的なものであり、今いったい中国各地で何が起きているのか、まったく知ることができません。

ニュースキャスターは、今回の出来事の理由に、経済格差と少数民族の不満を挙げていましたが、あまりにも表面的な説明だと思いました。







チベット弾圧の歴史は昭和24年に始まります。

この年、内戦に勝利した人民解放軍(共産党軍)は、その勝利の勢いでチベットに侵攻しました。

昭和34年には、ダライ・ラマ法王が流血拡大を防ぐために、ヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命します。

これをもってチベット政府は事実上崩壊し、それ以後今日まで中国共産党によるチベット支配が続いています。



さらに悲惨だったのは昭和41年から始まる文化大革命という名の大虐殺です。

これらの度重なる蛮行により、無数の女性や子供を含む、約120万人の罪なきチベット人が殺され、6000以上もの寺院が破壊され、チベット仏教は壊滅的な状態に追い込まれました。



観光客向けに、ごく一部の寺院が再建され、昨日の幹部の会見ではチベットには信教の自由があると言っていますが、それはまったくのウソで、実際には思想の強化締め付けは厳しくなる一方です。

そのことに抗議してデモを行えば、ことごとく投獄され、拷問や虐殺が行われてきましたし、今回も同じやりかたで終結させようとしています。

まったく悲しいことです。



ちなみに昭和30年代後半、社会主義政策の失敗により、チベット国内で大量の餓死者が発生します。

そのことに対してパンチェン・ラマ10世は、「7万語の請願書」と呼ばれる報告書を中国政府に提出しますが、それが原因で10年近くも北京に投獄されました。

出獄後もチベット文化を守るために全身全霊をかたむけますが、ある時急死してしまいます。

遺体の舌が真っ黒だったことから、一部では毒殺説もささやかれました。



その後継者であるパンチェン・ラマ11世は、後継者に認定された3日後に、6歳という年齢で中国政府に拉致されました。

世界最年少の政治犯を救出しようと、さまざまなキャンペーンが今もなお続いています。

関係者筋の話では、今も生きたままどこかに幽閉されているそうです。

だとしたら現在19歳になります。



ダライ・ラマとパンチェン・ラマは、お互いを補い合う関係にあり、今後も歴史的に正統な後継者を存続させていくためにも、彼の救出が必要です。

それはチベットの文化と宗教の問題であり、異国の政党幹部によって判断されるべき問題ではないのです。


そのことも含めて、国際社会は中国政府に強く働きかける時だと思います。




新聞やテレビでは伝わってこない事実があります。

一人でも多くの人が、チベットが置かれた現状と悲惨な歴史を知り、チベットの人たちを支援してくれることを願ってやみません。





賛同してくれる人は応援よろしくお願いします。

   






今夜の「いまここ塾」も、チベット仏教についてお話しさせてもらいます。  

Posted by Toshiro Abe at 09:54Comments(13)TrackBack(0)チベット問題

2008年03月17日

チベットのこと

この数日間、現象界を超えた世界の話をしてきましたが、その一方で我々がこの肉体を持って生きているのもこれまた事実であり、世界の出来事も無視できない問題です。

今日は現実世界の出来事について書かせてください。





このところチベット自治区ラサでの、中国政府に対する抗議行動が報道されていますが、日本のマスコミは中国政府に配慮してか、中国政府が主張するままに「暴動」という表現で伝えています。

チベットの歴史を少しでも知る者なら、今回の僧侶たちを、暴徒化した過激分子などとは思わないでしょう。



中国共産党という、暴力によってしか支配体制を維持できない一党独裁政権の矛盾が、ここにきて一気に噴出しています。


自由と人権を何よりも尊重するはずのブッシュ政権は、低迷するアメリカ経済の下支えに多額のチャイナマネーが存在することを意識してか、今のところずいぶんと柔らかい表現で遺憾の意を表明するにとどまっています。



しかし一方で、オリンピックを控えた中国政府が、89年の天安門事件の時のように、武力行使によって事態を完全制圧するのは難しい状況で、いまこそチベット文化復興の大きなチャンスと考えます。



今回の事件に対して、チベット仏教の最高位にあるパンチェン・ラマ11世が、抗議行動をしたチベット僧達を非難する声明を出しましたが、彼は本物のパンチェン・ラマではありません。


以前「いまここ塾」でもチベット仏教の歴史と現状を紹介しましたが、本物のパンチェン・ラマ11世は、1995年5月17日、当時6歳の少年だったにも関わらず両親と共に中国政府に拉致されたまま現在まで生死が不明であり、今のパンチェン・ラマはその後共産党政権によって作られた操り人形のような存在です。

その新しいパンチェン・ラマ11世は、2001年に「私は中国共産党の偉大さを深く理解し、社会主義国家の家族的温かさを感じています」という声明を発表しています。



ダライ・ラマは本物のパンチェン・ラマの消息について、長年にわたり中国政府に対話を求めてきましたが、無視されたまま現在に至っています。

このような重大な事実を日本のマスコミはほとんど無視したままここまで来てしまいましたが、今こそ国民レベルで本当のことを知り、しっかりとした態度で中国政府に臨まなくてはなりません。


チベット仏教に代表されるチベット文化は、人類全体のかけがえのない宝であり、魂の成長に貢献する大いなる智慧なのです。




この記事は「かんながら」に載せようと思いましたが、こちらのほうが多くの人が見てくれるので、今までの流れを中断させて書かせてもらいました。






一人でも多くの人に関心を持ってもらうためにも、もうしばらくこの問題について語っていきたいと思います。

賛同してくれる人はボタンを押して応援して下さい。


   
  

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