2009年04月30日

神への信頼

神を信頼するとはどういうことでしょう。

ひとつは神の存在そのものを信じるということです。

この森羅万象が、偶然の結果出来上がったものではなく、大いなる意志と秩序によって作られているということを信じられるかです。


地球に命が育まれ、人間が登場するまでに進化を遂げてきたこれらの現象が、たまたま偶然の積み重ねでできたものではないということを理解するのはそう難しくありません。

生態系と呼ばれる命の循環システムは、とてつもなく緻密です。

いまや科学者たちも、人智を超えた何らかの高い意志が存在するということを認めなければ、何事も説明がつかないということを言い始めています。

科学はその性質からして「疑う」ということが前提にあるので、神のような存在を文字通り肯定するわけにはいかないとしても、この森羅万象の背後にある奇跡とも言える秩序の存在は認めざるを得ないのです。

したがって、この宇宙を司る何らかの巨大な力が存在するということを信じるのは、それほど突飛なことではありません。。



しかし、それでもなお、僕が言うところの、神を信頼するという地点には達していません。


そこには神の存在が持つ大きな特質が抜け落ちています。

その特質とは、「神は自分の敵ではなく、最も親密な味方である」ということです。


この宇宙は、あなたの敵ではありません。

味方なのです。

しかも、ただ漠然とした味方ではなく、しっかりとした自覚を持って、いつもあなたを見守り続けています。

それを信じられるかということです。



僕たちは自分という意識(自我)を持った瞬間に、「自分」対「自分以外のすべて」という感覚を持ちました。

自分が全体から切り離されて、単独に存在していると思ってしまったのです。


そして何より大切な自分自身を、外界から守ろうとしてきました。

どうやって生き延びるか、どうやって安全を確保するか、そのことに苦心して生きてきたのです。

常に注意深く周囲を見張り、自分の不利益になりそうな存在を遠ざけ、あるいは無視し、自分に都合のよさそうなものを引きつけ、そうやって生きてきたのです。

そこには、微妙な形で、自分以外のものは自分の敵であるという感覚がありました。

だから心を開けなかったし、心の底から安心したりリラックスしたりできなかったのです。

それもそのはずです。

自我は不信しか知らないのですから。



信頼しただけ自分を開くことができます。

信頼しただけリラックスすることができます。

信頼すれば、執拗に自分を守ろうとしていた緊張から解放され、「任せる」という感覚を得ることができます。

それは圧倒的に楽な感覚で、しかもやることなすことが、スムーズにうまくいきだします。


恐れに満ちた自分の考えで物事にあたるよりは、神にお任せしたほうがずっとうまくやってくれるのです。

その力は、常に自分を、そして全てを、よりよくする方向に働きかけています。


その作用を意識することが「神への信頼」です。





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6月7日の「いまここ塾 in 博多」へのお申し込みありがとうございました。

予想を上まわる反響で、その日のうちに定員に達してしまいましたので、もう一回り大きな会場に変更しました。
同じフロアーですので、すぐにわかると思います。

参加ご希望の方はコチラまで。

  


Posted by Toshiro Abe at 08:31Comments(55)

2009年04月29日

そうか、今日は休日なんですね。

僕は自由業だから、平日も休日もあまり関係ないのですが、なんとなく気分が変わるのが面白いです。

今日は休日だからゆっくりしようなんて、いつもゆっくりしているくせに、そんな怠け者の自分を正当化できる日なわけです。


自由業と言えば聞こえはいいですが、違う言い方をしたら定職につかずに、気の向くまま、その時やれることや、やりたいことをやってきているだけです。

いつも週休5日という感じです。

そうやって20年近く家族を養ってきたわけですから、僕も捨てたものじゃありません(笑)。


とはいうものの、それをやってきたのは僕ではないと知っています。

神にお任せしてきた結果です。


こういう言い方をすると、狂信的な危ない人間のように見えるかもしれませんが、事実そういう感覚で生きてきました。

長い間、数ヶ月先の仕事が保障されたことは一度もなく、言ってみればいつも失業中みたいな状態でしたが、将来を心配したこともなく、結果を振り返ってみても人並み以上の生活をしてきたように思います。


僕は無学ですし、知能指数も高くありません。

霊感もなければ、超能力もありません。

犬小屋も作れませんし、料理もできません。

お世辞も言えないし、世渡りも下手です。

自慢じゃないですが、何一つ取り柄はありません。


そんな男がなぜ心配もせずにこうして生きてこられたか、そして幸運な状態がいつも続いているか、それはズバリ神を信頼しているからだと思うのです。



今日はその話をしましょう。



人生を振り返ってみれば、誰でも転機となるような出来事や人との出会いがあったと思いますが、僕の場合、一番大きかったのは神との出会いです。

それは瞬時にして、それまでの人生観が一変するような大きな出来事でした。


神と言っても、白ヒゲをたくわえて杖をついたお爺ちゃんじゃありませんが、まぎれもなく神でした。


形はないのですが、存在はものすごくリアルです。

とても言葉に表すことはできませんが、どうしようもないくらい圧倒的で、この世のものとは思えないくらいに美しく、完璧で、全知全能で、限りなく優しく、惑星の運行から我々の細胞一つひとつの働きにまでその力を浸透させ、ありとあらゆる現象の源にして、唯一無二の絶対的存在です。


しかも、意識を持っていて、自分がやっているあらゆることを自覚しています。

信じられないかもしれませんが、あなたのことも僕のことも、そのすべてを知っています。


どんな生き方をしてきたかも、心の中に何を隠してきたかも、ほんの些細な小さなことまで全部お見通しなのです。

それでいて、僕たちに対して持っている感情は「愛」だけです。

どんなに重い罪を犯したとしても、決して罰することなどせずに、ただただ深い慈愛を通して、その人が幸せであることだけを願い見守っています。

自分(神)に対して、特定の拝み方や祈り方を求めるでもなく、たとえ信心がまったくない者にさえ、信心深い人と同じだけの愛を注いでいます。


え?こんなちっぽけで取るに足らない私のことを、神が全部知っているって?

数十億人の人間の全てを、いや人間だけでなく、ありとあらゆる存在の全てを知って、それを愛し見守っているって?

そんなことができるわけないじゃないか!!


そう思うのが普通ですよね。

でもできるし、実際そうしています。

僕らの想像をはるかに超えた、とてつもなく緻密で大きな力を常に発揮しています。


だって神ですから。


そんなとんでもない存在が、どこかにいるなんて思わないでください。

それは、あなたの中であなたを生かしている存在なのですから。

あなたはその存在をよく知っています。

あまりにも身近すぎて、あまりにも自分すぎて、いつも見逃しているだけです。


それはちょうど、水の中に生まれ、水の中に育ち、水の中で死んでいった魚が、その生涯にわたって水の存在に気がつかなかったのと同じことです。

あまりにも身近で、いたるところにあるので、見えないしわからないのです。


神とはそのような存在です。


でも、もう一度言います。


その存在は、意思を持ち、そしてこの世で起きていることの全てを自覚しています。

たんなる大いなるエネルギーではありません。

漠然とした存在ではないのです。


あなたが自分を自覚しているように、神は森羅万象の全てを、ものすごくクリアーな知性で自覚しています。



いまあなたがこれを読んでいることも知っていますし、何を感じているかも知っています。

そしてあなたがどうするかも。



あー、どうしよう。



このことを書きはじめたら、止まらなくなってしまって、このまま本が一冊書けそうな勢いです。




この続きはまた明日ね。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:25Comments(40)

2009年04月28日

窓辺で歌う鳥のように

窓辺で小鳥が歌を唄っています。

彼らの声を聞いて心が癒される人には、彼らの歌は役に立ちますが、そんな声が心に届かない人や、聞いてもうるさいだけの人には、何の役にも立ちません。


よく「人の役に立つ」という言い方をしますが、よく考えてみればおかしな話です。

それが役に立つかどうかは受け取る側の問題だからです。


僕たちはつい自分の存在意義を確かめたくて、「人の役に立たなければ」と思いがちですが、そんなことを考える前に、自分が自分らしくあることで、自分の魂が喜ぶことが大切なのではないでしょうか。


誰ひとり、誰かのために存在している訳ではありません。

自分を犠牲にして人のために生きるよりは、自分が幸せであることを通して、自然にまわりに何かを与えているような存在でありたいと思います。


窓辺で歌う鳥のように、自分の心のままに、自分の人生を生きていたいと思うのです。



もしあなたが野に咲く花のように、誰が見ていようといまいと、ただ自分であることにくつろぎ、満たされていたとしたら、きっとあなたの周りの人たちは、あなたのそばにいるというだけで幸せな気持ちになることでしょう。


与えるというのは行為ではなく、花の香りのように、あふれ出る歓びが周囲の波動を変えていく、そんな現象だと思います。


有能な人になって社会から歓迎されるのもいいですが、無能な人として、歌い、踊り、生きていることそのものを楽しむような生き方が好きです。



鳥のように、花のようにありたい、今日この頃です。




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6月7日に福岡で「いまここ塾」を行います。

参加ご希望の方はコチラからお入りください。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:15Comments(51)

2009年04月27日

昨日、何気につけた映画チャンネルで「タイタニック」をやっていました。

久しぶりに見ましたが、あれ凄く引き込まれる超大作ですね。


最初に見た時は、気分はすっかりデカプリオでしたが、今回は船長になっていました。

映画ができて12年がたっていて、その間に心理的には30歳くらい歳をとったようです。

自分の年齢によって、映画の登場人物への感情移入先が変わるんですね。


ずいぶん感動して、ハラハラして、映画が終わってみれば、そこにあるのはただのテレビ画面。

文字通り幻想を見ながら、魂が架空の体験をしていたことになります。


本当はこの人生も同じことなのですが、それがわかるためにはテレビを消した状態が必要なのに、ほとんどの場合、心のテレビは死ぬまでつけっ放しになっているわけです。



ふふふ、僕のブログっていつもこういう展開になりますね。


その心のテレビは、他の言い方をすれば絶え間なく流れつづける思考です。

せめて自分が心のテレビを見ていることに気づくことが大切なのですが、それは思考を思考として認識することだと思います。


ところがこれが難しい。


思考を認識するには、無思考の状態を知るしかないからです。

そうしないと、思考が無思考の状態を考えているだけで、実際にはそれもテレビ番組の一部にすぎなくなっています。


それなのに自分は無思考を知っているような気になってしまうのです。


心のテレビを消して、思考がまったく存在しない世界・・・それが「空(くう)」と呼ばれている状態です。


その状態の特徴は、意識がいつも以上にクリアーで冴えわたり、とても開放的で気分がいいことです。

この状態にいると、思考がわいてきたときに、それをはっきりと認識できます。

ちょうど真っ青に澄み切った大空に、突然ひとひらの雲が流れてくるような感じです。


その雲は放っておけば、またどこへともなく消え去っていきますが、一度その雲と同化しようものなら、たちまちのうちに増殖して、いつの間にか大空は分厚い雲に覆われ、それが絶え間なく変化しながら、次々と物語を創り出していきます。

それが心のテレビであり、多くの場合、人はその世界の中で一生を終えてしまいます。


人生は波乱にとんだ大スペクタルドラマですが、終わってしまえば「タイタニック」の映画のようなもので、ただの幻影と戯れていただけのことです。



そこには幻影を見ていた主体に対する洞察が欠けています。

しかもあらゆる人生(幻影)の目的は、それを見ている主体を思い出し、それこそが唯一のリアリティーであったことを思い出すことなのです。

それは時空間を超えた不変の存在です。

不生不滅

不垢不浄

不増不滅、



そのために必要なことは「空」の世界を体験することです。


しつこいようですが、そこに至る道は瞑想しかありません。

自己流でもいいから、まずは毎日決められた時間を瞑想に費やすことです。

そうしないと四六時中、幻想の世界を見ていることになります。


精神世界を学んで、無我や無思考を知ったつもりになっても、それさえもドラマの一部になっています。

だから知識ではなく、実践しかないのです。



ドラマを超えていきましょう。


人生を超えていきましょう。



人生は、人生を超えるためにあるのですから。





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今日は月曜日。

また新しい一週間が始まります。


あまり夢に巻き込まれないようにしましょうね。



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明日の「いまここ塾」は20時から中城村の吉の浦会館です。

明後日は那覇市西町のてぃるるで、19時半から「水曜の会」が開かれます。


どちらも講演会ですが、誰でも入れますからお気軽にご参加ください。


  


Posted by Toshiro Abe at 09:04Comments(35)

2009年04月25日

目覚め同好会

最近このブログは、さしずめ「目覚め同好会」みたいな様相を呈してきましたね。

昔ならば、ごく一部の突出した魂が厳しい修行の末にたどり着いた高い境地を、いまや僕たちのような普通の人間が、日常の中で垣間見ることができるようになってきました。

しかもそれはごく最近になってさらに加速され、以前から言われていたように、この地上に目覚めの連鎖が起き始めていることを実感させてくれます。

一昔前ならば見向きもされなかったこのような情報に、多くの人たちが興味を持ち始めてくれたことにも、時代の変化を感じます。


ビートルズがその昔、男子でありながら長髪のオカッパ頭で登場したとき、それを真似た若者が街角に現れ出し、最初は奇異にみえたそのようなファッションが、いつの間にか大衆のものになり、あっという間に短髪のほうが目立つくらいになってしまいました。

それと同じようなことが起きていくのではないでしょうか。

このブログに書かれていることが常識のようにあたりまえになり、僕たちがひとつの同じ命に生かされていて、いつも「いま」の中に生きていて、競争をやめて協力しだして、奪い合うのではなく与えあって、しかもそれぞれの個性の違いを認め合って、みんなが自分を尊重し、みんながまわりを尊重し、誰ひとり虐げられることもなく、愛と理解に基づいた世界ができあがっていくのです。


それは、偉大な政治家や、偉大な宗教家がリードするのではなく、まさに僕たち一人ひとりの意識が変化することによって起きていくのです。


そういえばジョンレノンの「イマジン」は、その世界のことを歌っていましたね。




想像してみて、天国はないって

やれば簡単だよ

足元に地獄はなく

頭上にはただ空があるだけ

想像してみて、みんなが

「今日」のために生きてるって


想像してみて、国家は存在しないって

難しくないよ

そのために殺したり死ぬことないよ

宗教もない

想像してみて、平和な人生を


想像してみて、財産はないって

できるかな

欲張りや飢えは必要ない

だって人はみな兄弟なんだから

想像してみて、みんなが

みんなが全世界を共有しているって


僕が夢を見てるって思うかな

でもそれは僕ひとりじゃない

いつか君たちも一緒になって

世界がひとつになってほしい





長い間この歌は反戦歌として歌い継がれてきましたが、実際には目覚めの歌です。

戦争反対を叫んでも、僕たちの意識が昔のままなら、あいかわらず世界は愚かな過ちを繰り返していくことでしょう。


あのころは、ジョンレノンは偉大だと言われていましたが、偉大なのではなく、僕たち当たり前の人間の代表であり、先駆者だったのです。

彼も目覚めの体験をしていたことは間違いなく、いち早く人間のそのような可能性を教えてくれていたのです。



いまやそれが現実のものとなろうとしています。


だって、世界の片隅に、ささやかですが「目覚め同好会」も出現し(笑)、組織に頼ることなく、個人が個人をサポートするかたちで、目覚めの連鎖が始まっているからです。



いまがその時です。



僕たちはこの先地球規模で起きていく、意識大変革時代の、生きた証人なのです。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:49Comments(49)

2009年04月24日

目覚めの瞬間

昨日届いたメールです



目覚めたみたいです。
なんかホッとして、懐かしい感じでした。

ああよかった。
帰る所というか、戻る所があって。

神様だったんですね。
わたし。

いや、皆も。

とても懐かしいです。





いいですね、この軽さが。

悟りとは、ものすごく当たり前の、あまりにも当たり前すぎて気がつかなかった真実と出会うだけの話で、人に自慢できるようなことは何もありませんし、経験した人はみな一様にそう思うのではないでしょうか。

その一方で、出会ったものがどんな言葉でも言い表すことができないくらい偉大で、圧倒的な喜びにあふれているというのもこれまた事実です。


その瞬間(目覚めの瞬間)、身体を稲妻が貫くような衝撃を感じたり、この世のものではない快感に包まれたりという話もよく聞きます。

いつでしたか、このブログのコメント欄に、「目覚めの瞬間には誰もがそのような快感を得るのでしょうか」というような類の質問が寄せられたことがあります。

いつかキチンとお答えしようと思いつつも、後からその質問を探してみたのですが、どこに書かれたものかわからなくなってしまいました。

実は、そのようなことはしばしば起きていて、せっかく質問してくれたのに、まるで無視したような形になってしまうことがあり、大変申し訳なく思っています。



さて、その方への答えですが「誰もが同じような快感を得るとは限りません」

それに、その瞬間の快感は二次的なもので、そこにフォーカスしてしまうと取り逃がしてしまうことがありますし、その快感に固執していつまでも体験の記憶を抱きかかえ、もう一度それを味わおうとして精神の物質主義に陥ってしまう危険性もあります。

一度開いてしまうと、その状態が当たり前になり、二度と同じ経験は起きないのです。

その後に同じ境地に達しているときも、あの時の衝撃がないという理由で、見過ごしてしまうこともあります。

何を隠そう、僕自身がそのような過ちの中で生きてきました。


目覚めの瞬間に感じる急激な開放感は、それまでの自分がどのように縮こまっていたかにもよります。

普段からオープンな心のスペースに住んでいる人は、確かに大きな喜びに包まれはしますが、それほど強烈なインパクトを感じることはないでしょう。



これも誰かの質問にありましたが、たとえば何気なく夕陽を見上げた時などに、自我を超えた境地(目覚めの境地)に至っていることも、よくあることです。

ところが、目覚めとはこういうものだという先入観があると、せっかくの体験を過小評価してしまい、再び目覚めを待ち続けるというようなことが起きるかもしれません。


繰り返しますが、とてもありふれた当たり前のことに気づくことであり、同時に大いなる喜びの中にいる体験です。


実はいまも僕たちはそのような状態の中にあります。

ただ、そことの接触を見失ってしまっているだけです。


ずっとそれと共にいるので、そうでない時を知らず、だからこそ見失っているのです。

「なーんだ、このことか」って、そんなふうに感じると思います。



言葉で伝えるのは難しいですが、何か感じてもらえたでしょうか。

文字情報でお伝えするのが、僕にとって最も大変です。


こうして毎日ブログに書いているような話を直接聞いてもらいたくて、去年あたりから各地で「いまここ塾」をやってきましたが、6月7日に九州の博多でやらせてもらいます。

どうぞお近くの方はいらしてください。

会場などの詳細は、週明けまでには決まると思います。



もし実際にお目にかかれるとしたら、そのご縁はこのブログが作ってくれたわけで、そのありがたさをいつも噛みしめています。


これからも心を込めて書いていきます。




今日もここに来てくれてありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:20Comments(43)

2009年04月23日

禅ZEN

最近禅がブームだと聞きます。

禅に関する書籍がベストセラーになり、「禅ZEN」という映画が話題を呼んでいます。

この傾向はさらに強まっていくことでしょう。

人が心の満足を求めだしたとき、何か外側のものを信仰するのではなく、自らの内に真理を体得するZENのようなスタイルに惹かれるのは当然の流れだと思います



でも多くの場合、自己満足で終わってしまいがちです。

禅の本当の意味を取り逃がしてしまうのです。



「私は真理を求めている」

「私は内なるブッダを探して、今日も坐禅を組んできた」


そのような経験を、新しいコレクションのように持ち運び、いたずらに時間だけが過ぎ去っていきます。




<求めよ、さらば与えられん>

<尋ねよ、さらば見いださん>


これは聖書に出てくる真実です。

まずは求めることが道を開いてくれます。



<求めるな、さらば与えられん>

<尋ねるな、さらば見出している>


これも真実です。

求めなければ、最初から与えられていたことを見出すからです。



僕自身、長い時間を真理の探究に費やしてきました。

そしてある時気がつきました。

探究している限り、決して真理には出会わないということ。


探究はいつだって未来志向です。

「いまここ」にないものを探すのが探求です。

しかし真理はいつも「いまここ」にあるのです。



禅の美しさは、禅堂生活のすべてが「いまここ」を生きるための仕掛けに満ちていることです。

その所作の流れるような連続性の中に、瞬間が燃え続けています。


坐禅はその基本レッスンです。

もっともシンプルにして最高のレッスンだと思います。


しかし坐禅は、悟りに至るための修行ではありません。

なぜなら、何かに到達するための行為は、常に未来志向になってしまうからです。

坐禅は「いまここ」に在るための修行で、何かに成るためではありません。


僕たちのこの絶え間ない未来志向は、どこかで落とさなければなりません。

それを落とした時、「いまここ」の悟りがあるのです。



真理を探究するのではなく、真理を生きるのです。

すでに我々の存在そのものが真理なのですから。


本当の自分を探す必要もありません。

探している当人が本当の自分です。



食べるときはただ食べるという行為の中にいること。

自分が何を食べているのかを十分に自覚すること。

そうやって「いま」に100%いることです。


歩くときは、ただトータルに歩くこと。

そこに流れる微かな風、空を飛ぶ鳥、遠くで聞こえる子供たちの遊び声、路傍に咲く名もない花、そしていまここにある自分。

それ以上の何があるというのでしょう。


そこに満足がなかったとしたら、どこに満足があるのでしょう。

そんな生き方が、禅的な生き方なのです。



それは禅堂の中にだけあるのではなく、まさに僕たちの日常そのものが禅になりえるのです。




今日もここに来てくれてありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:44Comments(27)

2009年04月22日

載せられない記事

今朝も5時に起きて、さっき(7時)まで瞑想していました。

と言っても、厳しい修行生活を送っているわけではなく、単に瞑想が習慣化しているというだけの話です。


たいていの場合、そのあとにPCに向かうと、その瞬間の想いがあふれだしてきて一気に記事を書き上げるのですが、今日は途中でやめてしまいました。

というのも書き始めた内容が、カレー事件の林真須美さんと、自殺した清水由貴子さんのことで、林さんについては犯罪者に対する僕の考え方ですが(昨夜のいまここ塾でも少し触れましたが彼女からは重度の病的虚言症を感じます)、文字情報では誤解が生じる恐れがあるのでやめておきます。



清水由貴子さんについては自殺に関する僕の見解を書きましたが、これも一般に信じられているものとは違い、やはり誤解を招きかねないのでやめにしました。

そんなわけで、長い文章を書いたのですが、今日は掲載するのをやめます



清水由貴子さんとは何度かお会いしたことがあります。

彼女はデビュー以来ずっと、阿久悠、三木たかしコンビの作品を歌ってきたのですが、初めて違う楽曲を歌ったのが僕の歌でした。


「歌を重ねて」というタイトルです。

自殺した男性を偲ぶ恋人の心情を書いてほしいと依頼されて作ったものですが、いまとなってはなんともやりきれない歌となってしまいました。

一部ですがYou Tubeの清水由貴子シングル集で聞くことができます。


彼女の素直な歌声は、聴く者の心を和ませてくれます。




心よりご冥福をお祈りします。





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さて、事務的なお知らせがいくつかあります。



講演会CDの代金を振り込んで下さった方の中に、ご住所とお名前が特定できない方が何名かおられます。

お心当たりの方は、ご連絡ください。



大阪いまここ塾ですが、5月分は昨日をもちまして満席となりました。

6月はまだ少し席がありますので、これから参加ご希望の方は6月にお願いします。



今夜19:30から、那覇市西町てぃるる(866-9090)和室で、水曜の会(座談会形式の独演会?)を行います。

今夜は、個々の性格の違いについてのまとめと、これからの子供の教育の在り方についての話をさせてもらいます。

どなた様もお気軽にご参加ください。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:46Comments(22)

2009年04月21日

ヒーラーについて

昨日の「ヒーラー」について、もう少し補足します。


ヒーリングは自らの内に起こることです。

そしてそれをサポートするのがヒーラー、あるいはセラピストと言われる人たちです。


まず決定的なことを言わなければなりません。


それは、「あなた」は決してヒーラーに成ることができないということです。

それは100%あり得ません。


もし自分をヒーラーだとか、ヒーラーになったとか言う人がいたら、それはヒーリングについて根本的な誤解を持っている人です。



あなたの中から「あなた」が消えた時、それがヒーラーです。

自分という意識(自我)が消えた時、その場に訪れる微細なエネルギーが、癒しを起こしていきます。

言うまでもなくそのエネルギーが「愛」です。


それは常に「いまここ」に存在しています。


その時、時間が消え、思考が消え、ただあるがままの「いま」の中で、クライアントに微かな変化が起き始めます。

トラウマの全ては「時間」の中に存在するので、「いまここ」の中では消え去るしかありません。


時間という幻想の中でバラバラに分断されていた魂が、ひとつに統合され始めます。

それが癒しです。


それを引き起こすのは「あなた」ではありません。

そこには何一つ計らいがありません。


自我の不在の中に、彼方なる現存が作用しだすのです。



それは悟りと同じです。


「あなた」が悟ることはできません。

「あなた」が消え去ったとき、そこに悟りがあります。


ヒーリングと悟りは、まったく同じ現象の両側面です。



したがってヒーリングの技術を習得するなどということはあり得ません。


せいぜい僕たちにできることは、傷ついた人のそばにいてあげて、たくさんその人を注目してあげて、話をいっぱい聞いてあげることくらいです。

その人の混乱と興奮が少しでも静まるようにしてあげることしかありません。




もし自分をヒーラーだと自認している人がいるとしたら、その人は完全に混乱しています。

混乱している人が混乱している人に関われば、大混乱になってしまうのがオチです。



ちょっと厳しい意見になってしまいましたが、ヒーラーを目指す人は、まずは自分が精神霊的に成長し、時間・思考・自我が存在しない次元を自覚できるようになることです。


けっして「自分」が「他者」を癒しているなどという自己満足に走ってはいけません。


最近、ヒーラーという人達からの相談が重なったために、今日のような記事になってしまいました。

誰かを責めたりする気で書いたものではないので、ご理解ください。



一方で、これから最も求められるべき職業は「ヒーラー」です。

人類の意識変革が進み、多くの本物のヒーラーが出現することで、ますますこの変革がスピードアップしていくことを願っています。




今日もここに来てくれてありがとうございました。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:45Comments(56)

2009年04月20日

癒しの力

今までに講演などを通して、多くの人たちに出会ってきましたが、一番印象に残っているのは、極めて多くの人たちが自分に対する自信を無くしているということです。


人生で引き起きている問題の多くは、自分や自分の力を過小評価しているところから生じていると思います。

ひとつ一つの例は省きますが、ズバリ答えを言えば、どのような自己否定も、すべては誤解だということです。


誰がどんなに説得力を持った言葉で、いかに自分がダメな存在かを力説してくれたとしても、それはその人の勘違いから生まれています。


だって、あなたは「神」ですよ。


ありゃ、また反感を買うような表現になってしまいましたが、あなたという存在は、大いなる意識が自らを地上に下ろした「彼そのもの」なのです。
(大いなる意識は性別を超えていますが、一応『彼』にしておきます)

この世にそれ以外の存在はありません。


いいですか、あなたがその半生で何をしたかとかしなかったとか、何を考えたとか考えなかったとか、何を作ったとか作らなかったとか、そんな事とは一切関係なく、あなたはそもそも完璧な存在なんです。


その完璧さは、あなたが創り出すものではありません。

もしあなたが創るとしたら、中には失敗する人もでてきますが、それはもともと最初の最初から与えられているあなたの本質です。


その本質は、もし言葉にするとしたら「愛」です。

それも普段人間が知っている愛なんかじゃなくて、とてつもないスケールの愛です。

あなたの本当の姿は「とてつもない愛」なんですよ。


その本当の自分の上に、様々な恐れや疑いをペタペタくっつけて、自分をあれこれ判断評価しているだけのことで、あなたの完璧さはいままでもこれからもいささかも揺らぐことはありません。

いつも言っているでしょ、「大丈夫だ」って。

あなたがどんなに本当の自分を忘れても、本当の自分を無くすことはできないんです。

だって本当の自分だから。



あなたは、あなたの行為や考えによって評価されるべき存在ではなく、あなたがあなたであるが故に、無条件に評価され愛されている存在なんです。


僕のこんな言葉を嘲笑ったとしても、そんなあなたは100%受け入れられ、愛されています。


愛されるためには、認められるためには、一定の条件を満たさなくてはいけないと考えてしまった成長期の誤解が、この世の多くの問題を作り出しています。


確かにこの地上には、傷ついた愛がたくさんあって、その傷を癒そうとして人を支配したり、拒絶したり、攻撃したりしていますが、その本質が純粋な愛であることに変わりありません。


そのように考えると、これからの世の中に一番必要なのは「癒しの力」ということになります。

しかし残念ながら、そんな時代傾向を敏感に感じ取った者達が、ヒーリングの名のもとに、かえって事を複雑にしてしまっているケースがあります。


人に癒してもらおうとすることは最小限にしたほうがいいと思います。


癒しは、あなた自身の中で起こる根源的な力であり、誰かが誰かを癒すのではありません。

あなたが真実を理解した分だけあなたに訪れます。


そのようなサポートをしてくれるヒーラーならば安全です。

理由がなんであれ「私の言いとうりにしなさい」と何かを強制したり、ほんのわずかでも恐れを感じさせる人からは、すみやかに離れたほうがいいです。


その人が有料か無料かは関係ありません。



これからのキーワードは「理解」ではないでしょうか。

そして最終的に、自分には何一つ足りないものも余分なものもなく、ただあるがままで完璧だったということを理解することです。



皮肉なことにそのゴールはスタート地点なのです。



ま、気楽にいきましょう。



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お待たせしました。

今日からまた講演CDの発送を順次行っていきます。

楽しみにしていてください。



5月24日の講演会「いまここ塾 in 大阪」は残り席が少なくなってきています。

参加ご希望の方は、お早めにお申し込みください。

お一人でも気楽な雰囲気ですからご安心を。


明日のいまここ塾(沖縄)は、那覇市のてぃるる(866-9090)で19時半からです。会場をお間違いなく。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:35Comments(43)

2009年04月19日

いま思ったこと

ハートの中に暮らすためには、自分がハートから生きているような気持ちになることです。

特に瞑想が終わったとき、いきなり生活の中に戻ってくるのではなく、自分のセンターがハートにあることを十分に意識しながら戻ってきます。

目は頭部に付いているのですが、まるで胸の中心から見ているかのような、そんな感覚を持つのです。


その時、頭が消えて無くなっています。

頭が消えると、見えるもの、聞こえるもの、感じるもののすべてが、そして果てしなく広がる空間のすべてが、自分になったような感覚になります。

もはや僕は僕ではなく、そこで起きている全てです。

それが思考を超越した状態です。

自分がいません。


自分が消えても、事はあるがままにあり、何も変わらずに淡々と動き続けています。

事のいっさいから手を引いても、世界はあるがままです。


こちらの期待や想いとは関係なく、これからもただ起きることが起きていくでしょう。

様々な人の想念や、出会いや、ハプニングの組み合わせの中で、ただ起きることが起きていくでしょう。


それでいいんです。

何が起きるかは全体にお任せです。


そして僕はただ、目の前の「いま」に心をこめて生きていくだけです。


「やれること」「やりたいこと」「やるべきこと」、この3点をバランスよく行動に移しながら、結果に執着せず、いつもいま目の前の現実を生きていくのです。


たくさんの人たちや、たくさんの命たちのおかげで、今日もこうして生かしてもらっていることに感謝し、せめてわずかでも人様のお役に立てますように、そんな思いで今日も生きています。



この地上の全ての人たちが、心安らかに幸せでありますように。




2009年4月19日

静かな日曜日の朝、南の島の自室にて
  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(27)

2009年04月18日

ハートにお引っ越し

何事もあまり深刻にならないことだと思います。

僕たちは真面目であろうとするあまり、深刻さを招いてしまうきらいがあります。


でも真面目さと、深刻さは別のものです。

深刻さの中には、多くの判断と裁きが含まれています。

それは思考が作り出している閉塞感の世界です。


何か間違いがないか、いつも見張っています。

とても独善的で権威的です。

彼らは決して心から笑うことはありません。

多くのエネルギーを頭で使ってしまっているので、感受性を発揮できないのです。



あまり頭の言うことを重視しないで、とりあえず笑ってみませんか。

起きていることの中にユーモアを見るのです。

深刻に生きていた自分に対して、その深刻さがおかしく見えてくるような視点を持つのです。

そうすれば、人生とは冗談のようなものだということが見えてきます。


思いこみの束が、思いこみの束と葛藤しているのが人の世です。

神経をすり減らすには、あまりにもバカバカしすぎます。


リラックスして、深呼吸して、な~んだ、これでいいじゃないかって、体いっぱいに伸びをして、頭の力を抜いて、くつろぎましょう。


そうすれば意味もなく笑えてきます。


腹から笑った日のことを覚えていますか。


笑いは、割れた鏡の断片を一つにしてくれます。

笑いは肉体と魂を一つにしてくれます。

泣くことも同じです。

手放しに泣いたとき、やはり肉体と魂は一つに統合されます。

それが癒しです。

癒しとは、ばらばらに分断された自分を、一つに統合することです。



考えごとの中では、肉体と魂は分裂しています。

だから考えすぎると、身体を壊してしまうのです。



頭から生きるのを最小限にして、感受性から生きてみませんか。


頭からハートに、自分の中心を引っ越しするのです。





昔、こんな歌を作りました。


力を抜いてごらんよ みんなで優しくなれる

耳を澄ませてごらんよ 自然とひとつになれる






今日もここに来てくれて、ありがとうございました。





・・・・・・・・・・・・・




来月から大阪でも「いまここ塾」を始めます。

参加ご希望の方はコチラからお入りください。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:51Comments(36)

2009年04月17日

レス

Juniperさんからのコメントです。


他人を平気で傷つけたり搾取したり、悪魔的なほど嘘に満ちた嫌な人間もすべて同じ場所に還れるのですか?
時間差なだけで同じ人間であればいつか気づく?
この世に本当に善悪はないのでしょうか?
悪と感じる私自身に未熟さがあるということだ、という回答なら まだ救いがあります。

阿部さんのおっしゃってることが苦しい私たちを救うための優しい優しい「嘘」だったら・・・???
なんてなことを思ってしまったので。
水を差す意見でごめんなさい。

魂のレベルではたぶん分かってるから惹かれるんだと思います。
でも頭で考えてどうしても納得したい。
石橋を叩きたい。
未熟で怖がりだから。





たとえどんな人間も同じ場所に還りつくというのは、そのとおりです。

人間の理性では受け入れがたいことですが、もっとも深い次元にあっては、どんな悪人も同じ一つの存在なのです。

どのような悪事を働く人も、そういう役目を果たしているだけで、全体から見れば宇宙はいつだって完璧です。


自分の家族が殺されたとしたら、同じように思えるかと言えば難しいとい思います。

でもたとえ僕がどのように考え感じようと、宇宙はいつだって完璧なのです。


この世に善悪はないのかという質問ですが、それは人間の中だけに存在し、この世にはありません。

その証拠に、もしこの世から人類が消えてしまったとしたら、そこに善悪は存在するでしょうか?

人間が全ていなくなった世の中を想像してみてください。

木々が生え、動物たちが活動し、生死が繰り返され、ただ淡々と物事が起こり続けているだけで、そこに善悪はありません。

善悪は人間の心の判断が決めていることだからです。



>阿部さんのおっしゃってることが苦しい私たちを救うための優しい優しい「嘘」だったら・・・???


そのように考えるのは健全です。

自分が内なる体験をするまでは、どんな話も仮説にすぎないからです。


でもそのうえで、あえて言います。

「僕は本当のことを言っています」



たとえば、<あなた=私>ということ。

もしそれがわかれば、自分が全体そのものだということがわかり、僕の話がすべて理解できます。


あなたの中に住んでいる命(存在)がありますね。

それがあなたですよね。

人はそれを、自分の命だと思っていました。

他者の命とは別個のものだと信じていました。


でも僕の中で僕を生かしている命(存在)と、あなたの中であなたを生かしている命(存在)が、別個のものであるか、同じものであるか、その確率は50%50%です。


人はみな、別個だということだけを信じて、残りの50%を忘れてしまっているのです。

そこに目を向けるところから、真実への門が開いてきます。


ひとたびその真実を知れば、いままで信じてきたことや学んできたことが、全部ひっくり返ってしまいます。

講演CDの中で雲 黒斎さんも、「ひっくり返る」という言葉を使っていますが、文字通りひっくりかえるのです。


その時、不安が安心に、怒りが慈愛に、否定が肯定に、対立が連帯感に変わります。


通常僕たちは心の中にいつも不安や心配を抱えがちですが、それがいつも安心感に変わったとしたら、そのほうがよくないですか。

もちろん感情の起伏は生きているかぎり続きますが、通常の感情基盤が穏やかなものになれば、人生は圧倒的に快適になります。


「目覚め」とはそういうことです。


そのようなことを、知識をかき集めて頭で納得しようとしても無理です。

どんな考えも、同時にそれを否定する考えを生むので、何事も100%信じ切ることはできません。


何かを(たとえばそれが神でも)100%信じていると言う人は、どこかで自分を欺いています。

信じようとする意思そのものが偽りです。


僕たちは太陽の存在を信じる必要がありません。

海の存在を信じる必要もありません。

それらがあることを「知っている」からです。


人は知らないものだけを信じようとします。

知ることは真実ですが、信じることは偽りです。



そして知ることとは、体験によって生まれるのです。



あなたが目覚めることは確実です。

でもそれはあなたが目覚めた時にわかります。


そして、目覚めは近いと宣言しておきます。


あなたを救うための優しい嘘ではなく、体験して知った事実です。




今日もここにきてくれてありがとうございました。




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来月から大阪でも「いまここ塾 」を開催します。

明日詳細をお知らせし、5月と6月の受付を開始します。



「あの世に聞いたこの世の仕組み」の雲 黒斎さんとのコラボ講演CDは、ご入金確認後に発送手続きを行っています。

15日以降にご入金された場合、都合により発送が週明けになってしまいますのでご了承ください。


何人か振込名が申し込み者リストの中に見つからない人がいます。

もし一週間以上たっても届かない方は、ご一報ください。

お名前にフリガナを振って下さると迅速に対応できますので、よろしくお願いします。




ちなみにこの数日の黒斎さんのブログ、かなり冴えていますよ。

お勧めです(^o^)

  


Posted by Toshiro Abe at 08:07Comments(37)

2009年04月16日

アガリ

今日は少しファンタジックなタッチで書いてみます。

よくありがちな誇大妄想家の話に聞こえるかもしれませんが、ちょっとお付き合いください。



自分さえよければというエゴ支配の世の中から、命の連帯感で結ばれた世の中への移行が始まっています。

いまはまだ微かな動きですが、そのウェーブは確実に起きています。

それが起きない限り、人類が抱えている地球規模の問題は解決されないでしょう。

地球規模の問題とは、生命全体の存続が危ぶまれる深刻な問題です。



しかし僕は、全ては計画通り進んでいるという確信を持っています。

全ては地球の進化のために仕組まれた道程だと思うのです。

危機に直面させることで、目覚めを促しているのです。


ここで押さえておくべきは、「地球=自分」ということです。

要は、自分という生命体が、この物質界における最終進化を果たそうとしているのです。


僕たちは個々の分霊として存在していますが、実在しているのはたった一つの生命だけです。

それが「あなた」です。

どこかにいる他の「あなた」ではなく、まさにいまこれを読んでいる「あなた」ですよ。

何度も伝えているように、「あなた」が「全体」です。

したがって、あなたの進化が地球の進化なのです。



それは意識の大変革です。

地上では気の遠くなるような悠久の時を経て、意識を携えた生物(人類)が誕生しました。

長い進化の全ては、意識を地上にもたらすためでした。

その個別意識は切磋琢磨しながら、やがては一つなる「大いなる意識」を意識できるまでに成長してきました。

そして個別意識が宇宙意識(大いなる意識)と同じであることを理解し、合体したとき、進化の過程が終わります。



あなたの目覚めが、実はとてつもないスケールのものだったとしたら、なんだかワクワクしませんか。


いま抱えている悩みや問題が、宇宙から見たら、いかにちっぽけなものかわかるはずです。



僕たちの真の姿は、とてつもなく巨大な生命なのです。

そんな自分を自覚したとき、限りない感謝と喜びに魂が震えることでしょう。

その歓喜は僕たちの宿命です。

誰一人例外なく、それを体験することになります。



そこに戻るために宇宙が仕組んだ壮大なゲームがこの現象界です。

しかもこのゲームには、決して失敗はありません。

だって、もともとそうだったところに帰り着くだけなのですから。


波乱にとんだ大変なゲームでしたね。



でもそれもオシマイ。




おめでとう・・・アガリです(^o^)
  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(44)

2009年04月15日

人生を懸けて

前回の大阪もそうでしたが、昨日の那覇の「いまここ塾」でも、短時間に伝えたいことが全部言えたという満足感がありました。

それは聞いてくれる人の意識が、伝えようとしている内容と一致していて、その小気味よさが次々と必要な言葉を紡ぎだすからだと思います。

一人でも多くの不特定多数の人に聞いてもらうのも大切かもしれませんが、今の僕にはそのような状況よりも、たとえ少数でも本当に求めてくれる人たちの前でお話しできることにやりがいを感じます。


このブログも多くの人に受けようと思わずに、誤解されることも覚悟して、できるかぎりストレートに書き表していきたいと考えています。

と同時に、そのような少数の人たちに出会うためには、たくさんの人に出会っていく必要も感じていて、ブログの場合は、どうやったら多くの人の目に触れるかも同時に追求していかなければとも思っています。



そういえば、昨日の那覇の会には上海からお見えになった方たちがいて、とても高い意識を感じましたが、いま上海では変化の速度が加速していて、富裕層を中心に精神的満足を求めだす傾向が強まっているのだそうです。

物質的必要性が満たされれば、次は精神的な満足を求めだすのは人の常で、中国の経済成長が中国の人たちの意識変革を促していくのも時間の問題のような気がしました。

様々な問題を抱えた体制下にあって、それを根本的に変えていくのは暴力革命ではなく、多少時間がかかったとしても、そこに暮らす人たち一人ひとりの目覚めによって事は成っていくように思います。


いま時間がかかると書きましたが、その変化のスピードは僕たちの想像を超えている可能性もあります。

そのような現代にあって、僕たち自身が目覚めの連鎖を引き起こしていくためにも、まずは自分自身の目覚めを確実なものにしていくことです。



さて、昨日の続きですが、今の僕たちに必要なのは、真理を学ぶことではなく、自らが真理を体得していくことであり、そのための実践です。

真理とは思考を超えた次元に存在する、生命の基盤に触れた時に顕(あら)わになる宇宙の叡智のことです。

それは幾万の言葉を使っても言い表すことができない、摩訶不思議な神秘です。

瞬間でもその次元を垣間見れば、もう二度と同じ人間ではいられませんし、人生観も一変してしまうでしょう。

そこに真の喜びと平和があります。


それを知るまで、人間は決して本当の幸せを知ることはありません。

たとえ何を手にしようと、それらはいずれ失っていく砂上の楼閣に過ぎません。

したがって、この人生で追及すべき唯一のものは、目覚めであり真理の獲得なのです。



そのためには、まずは思考を超えた状態を経験することです。

それを空(くう)という言葉で表すことがありますが、その次元に自分の意志で入れるようになることです。

難しく思うかもしれませんが、簡単にできる方法があります。


僕自身も、この半年間のことですが、自由にその次元を行き来できるようになっています。

自分の場合は、彼方なる真理を先に見てしまったので、その行き来が容易いのかもしれませんが、これは少しの練習で誰にでもできることです。

これからは、その方法を伝えていくことも活動に加えていこうと思っています。


もったいぶるわけではありませんが、それを紙面に書くことはできません。

これは実際に面と向かって、マンツーマンで伝えていくべき技だからです。


本当に道を求める人ならば、どのような障害を乗り越えてでも、たとえ地球の裏側からでも学びに来てくれるでしょうし、それくらいの代償を払ったほうが、学びが身になるとさえ思っています。

このことについては、ブログではこれくらいにしておきます。



他にも様々な実践方法があるかと思います。

それはあなたに準備ができた時に、あなたの前に現れるはずです。

受け取る準備ができた時に、与える者が現れるのです。

それが僕かもしれませんし、まったく別の人かもしれません。

いずれにせよ、あなたに一番適した方法が与えられるはずです。


受け取る準備とは、彼方なる情報を興味本位で読み流すのではなく、人生で最も大切なものとすることです。

そして方法がわからなくても、日々の生活の中に自分流の瞑想を取り入れたりして、目覚めることを一番の目的に据えることです。

まずはそんな姿勢を持つことが大切だと思います。


僕自身を振り返ってみても、目覚めそのものは瞑想中ではありませんでしたが、その経験が訪れるまでの1年3ヶ月間は、それまでの仕事を辞めて毎日が自己流の瞑想三昧でしたし、人生のすべてをそこに懸けていました。

そこまでの状態をあなたに求めることはしませんが、それくらいの覚悟を持って道を求めることが必要だと思います。

それは家族を捨てたり、社会的責任を放棄したりすることとも違います。

いまやるべきことをやりながら、意識を常にその方向に持ち続けるということです。




強引な文章になってしまいましたが、伝えたいことの真意を汲み取ってもらえたでしょうか。



今日もここに来てくれてありがとうございました。





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CDはできるだけ即日発送するようにしていますが、何人か振込名が申し込み者リストの中に見つからない人がいます。

もし一週間以上たっても手元に届かない場合は、ご一報ください。


お名前にフリガナを振って下さると迅速に対応できますので、よろしくお願いします。

  


Posted by Toshiro Abe at 09:09Comments(37)

2009年04月14日

声聞界への招待状

「いまを生きる」ことの大切さは、多くの人がわかっていると思います。

さらには、この世には「時間」など存在せずに、常に「いま」であることも、「いま」こそが僕たちが存在している唯一の時であることもわかってきたと思います。

「いま」とは思考を超えた状態であり、あらゆる苦しみや不安が消えた状態であり、命の歓喜と、覚醒した意識によって生かされている、僕たちの本来の姿だということもわかってきました。


この段階はとても大切です。

以前このブログで、人間の思考と感情が作り出す六つの世界、六道について解説しました。

地獄界餓鬼界畜生界人間界阿修羅界天界です。

(2008年10月13日から10月19日までの記事を再読してみてください)


もし僕たちが、時間や思考や自我(これらは同じものの違う側面です)のカラクリを客観的に理解し始めたとしたら、その時すでに六道を超えた声聞界に入っています。

それは幻想の世界からリアルな世界へ、苦しみの世界から喜びの世界へ一歩足を踏み入れたということです。


ただし、気をつけなければいけないことがあります。

思考や自我はいたって巧妙で、思考を超えた世界を思考が作り出すことさえするからです。

時間を超えた世界は、決して思考によってはたどり着くことができませんが、このような知識を得ることで、もう自分はたどり着いたかのような錯覚を持ってしまうのです。


頭で知っているのと、実際にその次元に存在するのとでは、天と地の違いがあります。

知から入ることの危険性がそこにあるのです。


これまで得た知識はすべて、これから進むべき道の道標に過ぎないということを、十分に知っておくことです。


そして何よりも実践が一番大切だということを忘れないでください。



実践とは、身も心も「いまここ」にあることの練習です。

思考のない状態に、自分の意思で入れるようになるための練習です。


その絶え間ない繰り返しが、魂の変革を促していきます。

この世で成功しているとか、いないとか、そんなことは一切関係ありません。

あなたがいままで何を考え、どんな生き方をしてきたかも一切関係ありません。

それらは全て、あなたの頭の中にある物語です。



「いま」どう在るかが鍵です。

カルマと呼ばれるものも、「いまここ」に戻ってきた瞬間に、煙のように消え失せてしまいます。



自分には悟る資格がないのではと考えてはいけませんよ。

これを読んでいるあなたこそが、その道に招待されているのですから。



あなたは自分が思っている以上に、魂を進化させてきています。

でなければ、このような情報に興味を持つことはありません。


繰り返しますが、知的に理解し始めたら、次は実践です。

それは常に「いま」行うべき実践なのです。




また明日、この続きを書いてみます。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:02Comments(38)

2009年04月13日

いま以上 これ以上

「いま以上には幸せにならない」

このことについては、大きく分けて2つの意味があると思います。


ひとつは、僕たちの究極の姿は喜びそのものであり、それはいつも「いまここ」に存在しているので、それ以上も以下もなく、「いま」がすべてであり、したがっていま以上には幸せにならないというものです。


これは究極の自分を一瞥した者なら、誰一人否定しない真実です。

それくらい僕たちの本質は、想像をはるかに超えた喜びに満ち溢れています。

まさにいま、あなたも僕もそういう存在なのです。



たしかにこのことは真実ですが、だからといって、今の自分がそのような喜びに満たされているかといえば、正直そう言いきれる人は少ないのではないでしょうか。

いまの自分が苦しみを抱えているのに、自分の究極の姿は幸せだと言い聞かせても、一時の慰めにはなりますが、根本的な解決には至りません。



「いま以上には幸せにならない」

この言葉を、生身の自分という立場から捉えたら、どういう意味になるのでしょう。


実はみなさんから頂いたコメントの中にも、素晴らしい解答がいくつもあるのですが、あえて僕も書いてみます。



普段の僕たちは究極の喜びどころか、ありふれた喜びさえも瞬間的に味わえるだけで、他の時間は絶え間ない欲求不満にさらされています。 

心の中には、満たしても満たしても満たされない穴がポッカリ空いたまま、いつか幸せになれる日を夢見て生きているのです。

いま取りかかっている仕事が成就すれば、いまよりは幸せになるだろうと考えます。

もっとお金があれば、もっと自由になれれば幸せになれると思い、そんな日を夢見て今日一日を頑張っています。


でも真実は

「いま以上には幸せにならない」のです。


この言葉を深読みしないでください。

文字通り、「いま以上には幸せにならない」のです。


どこまでいっても何か足りないという気持ちは残りますし、理想の現実の日々の中でも喜怒哀楽があり、今は想像もできないような問題や困難が待っています。



僕たちの思考は、自分の人生がより望ましい方向に向かうようにと、ひっきりなしに動き回っています。

満たされない「いま」から逃れるために、理想の「いつか」に夢中になり、今日という日を明日のための助走にしてしまうのです。


しかし今日という日は、昔目指していた未来です。

性懲りもなく未来志向で生きてしまう傾向を、しっかりと自覚することが何より大切だと思います。


未来を持っている限り、僕たちは決して幸せにはなりません。

違う言い方をすれば、幸せではないから未来を持ち出すのです。



結論を言えば、僕たちが幸せではないのは、時間という幻想にハマっているからです。


自分を取り巻く状況が、この先どのように変化しようと、時間という幻想を持ち続ける限り、決していまよりも幸せになることはありません。

「いま」以外の「いつか」を求めている自分が、そこでも生きているのです。



「いま以上には幸せにならない」

このことを認めることは、魂にとって最高のプレゼントになります。

生き方が180度変わるきっかけにもなります。


頭で理解してわかったと思わないで、自分がいまも未来志向で生きている事実を自覚することが第一歩です。

そこに気づけば救済の可能性が出てきます。



時間という幻想からの解放。

それがいま、地球規模で起き始めている意識変革の根幹です。


したがって、アセンションとは、時間という幻想からの解放であり、苦しみからの解放という言い方もできます。



それは「あなた」の中で起きる変化であり、そのためにはあなた自身が「いま」を生きるということに、もっと自覚を持つことです。


変化の波を待つのではなく、自分自身が作り出していくのです。

そんな人が増えた時に、波が生じていきます



僕たち一人ひとりが、全体を担っています。






・・・・・・・・・・・




明日と来週の「いまここ塾」は、吉の浦会館がお休みのため、那覇市西町の「てぃるる」(866-9090)で19:30からの開催となります。

どなたでも自由に参加できます。


水曜の会も、同じく「てぃるる」で19:30からやっています。

こちらは、より身近な生活に役立つような話をさせてもらっています。

  


Posted by Toshiro Abe at 08:31Comments(37)

2009年04月12日

日曜の朝に

日曜の朝は街も静かです。

お気に入りの香を焚いて、これまたお気に入りのEnyaのShepherd Moonsをかけていたら、今までの人生で出会った人たちが次々と心に現れてきました。


僕を支えてくれた人も、僕と対立した人も、深く関わってくれた人も、通りすがりの人も、みんな僕の人生に必要な人ばかりで、僕が様々な体験ができるように特定の役を演じてくれたのです。


それはあなたの人生も同じで、あなたのためにあえてそのような役を担ってくれた人たちがいます。

そうやってお互いの魂に刺激を与えあい、この地上での使命を全うしているのでしょう。


出会ってくれた全ての人たち、そしてこれから出会うであろう全ての人たちに、心から感謝します。





今朝起きたら、黒斎さんから画像が届いていました。


僕たちのコラボ講演のCDを、NYで大々的にキャンペーンしているそうです(笑)

一目見て、思わず吹き出してしまいました。








この看板の絵柄は、ネット上では初公開のCDの表ジャケットです。


「ムンクの叫び」です。


この絵は、何かを怖がっているのではなく、ひとりの人間が突然にして自然の脅威に圧倒され、思わず耳をふさいでいるシーンなのだそうです。


それはまさに目覚めの一瞬前。


そこに「Alarm Crock」が鳴っている。

黒斎さんらしい、素晴らしい発想とテクニックです。


この画像も、すごいセンスですね(笑)





昨日は昔の仲間たちを沖縄に招待して一緒にコンサートをしました。

とても幸せなひと時でした。




こうしてブログを訪ねてくれるあなたにも、心からありがとうございます。




今日もあなたにとって、素晴らしい一日でありますように。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:36Comments(32)

2009年04月11日

日々是好日

(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-・・・・す、すごいですね。

ありがとうございました。

心より感謝しています。



みなさんのコメントを読ませていただいて思ったこと。

「僕には、もう書くことがない」


それは、今回の問いかけに対することだけではなく、生意気にもここでメッセージを伝えてきた自分が、もう何も言うべきことがないくらいの人たちと、すでに出会っていたんだと再認識。


25年も前から同じことを言い続けてきたけれど、最初は精神世界マニアさえも誰一人理解してくれなかったのに、最近になって急速に時代が「ひとつなる理解」に向けて走り出したような気がします。


ぜひもう一度、みなさんから頂いたコメントを読んでみてください。

そこには様々な言い方で、真実がちりばめられています。



本当に、心からありがとうごいました。



素敵な土曜日をお過ごしください。




日々是好日
  


Posted by Toshiro Abe at 09:27Comments(35)

2009年04月10日

どう思いますか?

(  ̄Д ̄) 「おまえは、いま以上には幸せにならんのだよ」

( ̄д ̄; ) 「え?!」


(  ̄Д ̄)  「おまえは、いま以上には幸せにならんのだよ」


Σ( ̄д ̄; ) 「えっ!!??」


(  ̄Д ̄)  「だから、いま以上には幸せにはならんと言っておる」



( ̄д ̄; ) 「……。」



(  ̄Д ̄) 「……。」




( ̄д ̄; ) 「……。」



(  ̄Д ̄)  「……。」




( ̄д ̄; ) 「……。」




(  ̄Д ̄)  「なんだ、この意味のない間(ま)は」


Σ( ̄д ̄; ) 「そんなこといきなり言われたら、夢も希望も無くなってしまいますよ」


(  ̄Д ̄)  「おまえの夢や希望がどうであれ、真実は、これ以上幸せにはならん」


( ̄д ̄; ) 「……。」



(無断出演をお詫びします)





「おまえは、いま以上には幸せにならん」


もし面と向かってこう言われたとしたら、あなたならどう思いますか。

しかも言った雲さんはその言葉に確信を持っています。



実は僕自身も、時たま講演会でそのような意味のことを話します。

しかしこの言葉は、一般受けしないどころか、反感を買うのがオチで、つい口から出てしまったときは、会場の雰囲気が固まって、いわゆるドン引き現象が起きます(笑)



何人かの人は言います。

「そんな訳ないよ、だって私は3年前より幸せだもん」


また他の人は言います。

「せっかくこれから幸せになろうとしているのに・・・」



それでも断言しておきます。

「あなたは、いま以上には幸せになりません」




これ、どういう意味だと思いますか?


よかったら、あなたの考えを聞かせてください。



みなさんの答えを楽しみにしています。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:35Comments(174)