2022年10月30日

宇宙への扉

この無重力タンク(アイソレーションタンク)のことを最初に耳にしたのは今年の3月。

その瞬間にピンときて、一度も見たこともないのに入手しようと決めました。


まずは置く場所です。

最初は都内のマンションから探しましたが、間取りが合う部屋がなく、これは一戸建てしかないと思い郊外の一軒家を探しました。


何かにとりつかれたように、数週間にわたり無数の物件を見て、やっと希望通りの間取りの家を見つけたのが4月のこと。

都心のホテルで徹夜していて朝の5時に見つけました。


朝9時の営業時間に電話すると、物件を掲載したのはその日の深夜1時過ぎだったと。

また来週上京するから交渉の優先権が欲しいと言うと、実際に来てもらうしかないと言われ、その日のお昼には立川駅前の不動産屋さんにいました。

そして14時には契約成立。

ネット広告を見てから僅か9時間後でした。


こんな衝動買いはもちろん初めてで、自分でも何が起きているのか分からず、実は内心どうしようかと思ったりもしました。

というのも肝心のタンクについて、どうネットで検索してもメーカーが見つからなかったからです。


イギリスの正規メーカーにたどり着いたのは、それから一か月後。

NYの友人に頼み、イギリスの本社と交渉して輸入が決まりました。

しかし慣れないことばかりで、5か月後の10月に入ってやっと東京港に到着。


税関手続きも大変のようでしたが、それ以上にタンクが家に入るのかが大問題でした。

考えもしなかったのですが、考えてみればどうにも入らない。


ここまできたら、入らないときは家を壊して入れるしかありません。

それを覚悟していたら、いろんな偶然が重なって実際に搬入できたのです。


イギリスのメーカーによると、すでに日本国内に設置されているタンクは中国製のコピーだそうで、正規のタンクを日本に販売したのは初めてとのこと。


これがその写真です。






ここまでのことを詳しく書くと、それだけでアンビリーバボーの番組ができるくらい奇跡の連続です。

この物語に参加してくれた10名以上にわたる愛すべき仲間たちに、心から感謝します。



こうして無事に稼働し始めたタンクを見ると、ただただ不思議な気分です。

何故知らない物をここまで欲しいと思ったのか。

後先考えずに行動したのには何か理由があるのではと、ホーリースピリットさんに聞いてみたら、「起きることが起きる」って(^^;)



昨日までの3日間、試験的に使ってみました。

一言で言えば、凄い!!

まさに宇宙への扉です。

詳しい感想はまた別の機会にお話しします。




今夜は日曜瞑想会。

アドレスは

https://youtu.be/MRboM-0wh7g








  


Posted by Toshiro Abe at 13:08Comments(14)

2022年10月24日

all one

一番簡単な生き方は、社会の一部に成りきって暮らしていくこと。

これが安全で無難です。

でもその代わり、いつも社会を気にしなければなりません。

自分がどう評価されるかも重大事項になります。

できるだけ後ろ指さされぬよう、いい人をやり続けなければならないのです。


家族という身近な社会の中でも、自分自身の本当の気持ちを生きることは難しくなります。

自分の思い以上に、周囲に合わせることが大切になりがちだからです。

そうやって波風立てずに周囲に合わせながら時間を費やしていくことになります。


また反対に家族と対立し、口もきかずに過ごすケースもあります。

これも社会の中で起きることであり、他者次第で自分の反応が変わっていくことになります。


無難に暮らしていようと、反抗的に暮らしていようと、この両者には共通しているものがあります。

それは、どちらにも「意識」がないということ。

ほぼすべての言動が自動反応的になっています。

周囲の出方次第で自分の出方が変わるのです。





このような状態から抜けて、真の自己として生きる在り方もあります。

有名な言葉

「天上天下唯我独尊」


いかなる群衆にも属さず、自覚的に生きている状態です。

他者を基準にするのではなく、自らを拠り所にして生きるのです。


他者からは、変わった人だとか、無茶な人だとか、見たいように見られますが気にならなくなくなります。

それに勝る自由の喜びが心の底に流れているからです。


社会や家族の中で生きること自体に問題はありません。

でもそこに自覚があるかどうかは重要です。


自らを拠り所にしたとき、意識の根は地中深く延びて、その枝は大空高く広がっていきます。

そこに出てくるのが創造性であり、喜びという質の贈り物です。


みんな同じ条件の中を生きていますが、どのように在るのかによって、全く違った生き方になっていきます。


人生は長い短いではなく、いまどう在るかが全てだと思っています。



全体意識(ワンネス)という言葉がありますが、この状態になるために通らなければいけないのが、今日お話しした、群衆から離れて「個」として生きることです。

その「個」を周囲に譲り渡していたら、ワンネスなど遠い夢物語に過ぎません。


まずは徹底的に「個」として在ること。


するとその個自体が全体だったことが見えてきます。



alone

こそが

all one

への道です。












  


Posted by Toshiro Abe at 09:13Comments(14)

2022年10月23日

10月23日の記事

イギリスからアイソレーションタンクの技術者が来てくれて、いよいよタンクが完成し動き出します。

自分を越えていくために瞑想や祈りがありますが、このタンクは肉体から同じ結果に行き着くための秘密基地です。

「おかえり」の実践に使っていきたいと思っています。


また詳しくお話ししますね。






そんなこんなで今週は忙しく、今夜の日曜瞑想会はお休みさせてもらいます。


来週お待ちしています。
  


Posted by Toshiro Abe at 12:11Comments(6)

2022年10月21日

チェックポイント

ストーリーの中を生きているのか、それとも「いま」を生きているのか、つまるところ、この分類しかないと思います。

そして大抵はストーリーを生きているのですが、自分ではそのことに気づいていません。

ストーリーを生きるしか、他に生き方を知らないからです。


「いまを生きる」と言うと、多くの人は「いま」に集中しようとします。

でもそういうことではありません。

「いまを生きる」とは、自分という存在の化学的変化みたいなもので、在り方が全く違っているのです。



ストーリーは、自分と世界という2つの関係の中で作られていきますが、いまを生きるとは、自分と世界が一つになっているということです。


自分対世界

ではなく

自分が世界

という感覚です。



違う言い方をすると、「いま」とは瞬間のことではなく、時間を超えた次元の別名です。

過去や未来があると信じているから、そこにストーリーが生じてくるのです。

ストーリーとは時間という錯覚の産物であり、マインドの捏造であり、それは実在していません。

「夢」です。



目覚めるとは、夢から覚めるということであり、ストーリーを見ている自分から目覚めるということです。


ストーリーの中を生きているのか、それとも「いま」を生きているのか。

これだけをチェックポイントにして生きてみましょう。






  


Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(13)

2022年10月19日

実践

みなさん、お元気ですか?

僕はと言いますと、新刊の執筆が終わってから、やや放心状態・・・いや立場上、瞑想状態と伝えておきます(笑)

きっとあの本で全部言い切ったような気がするのでしょう。


もう言葉はいらず、あとは各々が実践することしかないと思います。






たとえば「いまを生きる」ということ。

明日の心配をしても、明日も「いま」という形でやって来ることを考えれば、いまを生きる態度こそが最高の構えだと言い切れます。



あるいは「Stop!」すること。

何かをしている時、間髪入れずにすべての動きを止めて観照者に成りきってみる。

すると世界は自分が参画しなくても、勝手に動き続けているのが分かります。

この繰り返しが、自己の不在という洞察に繋がっていきます。



あるいは、ただただ流れを信頼すること。

やっているのは自分ではないことを理解し、あたふたせずに生きることです。



このような基本レッスンをすることが大切なのであり、存在を理論的に解明しようとすることに意味はありません。

今日もここに、何か新しい知識を求めてやってきたとしたら、先に挙げたレッスンを一回でも多くやってみましょう。



そんなわけで、今日も多くの時間をレッスンに費やしたいと思います。


何かのご縁で同じ時代を生きているあなたに、年長者からの一言アドバイスでした。









  


Posted by Toshiro Abe at 10:40Comments(15)

2022年10月16日

目覚めの時

誰もが夢を見ています。

それは誰もが悪夢を見ているということを指しています。

夢は必ず悪夢になっていくからです。


人生とは一連の悪夢。

人は、その悪夢の行列の中に潜んでいる幸福という束の間の宝を探して生きているように見えます。


何故でしょう。

それは人が他の生き方を知らないからです。

夢から覚めるのが可能だということを忘れてしまったのです。

と言うより、自分の生活が単なる夢だということを忘れてしまいました。


しかも、すでに悪夢には慣れてきた。

これくらいの惨めさや苦悩なら、何とか乗り切ることができそうです。

でももしこの先、大きな変化が起きたとしたら(夢から覚めたとしたら)、どんな大変なことが待っているか分からない。

今度こそ対処できないかもしれない。

であれば、いまのこの慣れ切った苦悩の方がマシじゃないか。

そんな気持ちもあるようです。


しかも人は、人生の一部になってしまった苦悩を正当化します。

たとえば

「これは前世からのカルマだ」

「この世で成長するための試練だ」

「これが天命だ」

「苦悩は私に何かを教えようとしている」

そんな理由を考えつくのです。


でも悪夢は繰り返され、やがて疲弊して死ぬまで続きます。

そんな人生を無数に見てきたのではないでしょうか。

いつか、いつかと言いながらの人生です。


混乱した問題だらけの人生に、いつか穏やかな陽が差し込み、あらゆる問題が解決し祝福が降り注ぐ。

夢の中でそんな夢を抱えながら生きるしかありませんが、決してそんな日は来ません。

塩をなめながら、いつか砂糖に出くわすことを望んでいても無理です。






でも夢から覚めることは可能です。

そのためには、いま現実だと思っている生活が夢そのものだということに気づくこと。

何もかも思考が作り出している自分本位の物語だということに気づくこと。


その気づきがきっかけになります。

あとは同じ仲間がいる環境に身を置いて、目覚めへの道を歩み、道を見つけたら素直にその道を歩みだすこと。


最初は慣れない世界に骨が折れますが、すでに新しい生き方を始めた同胞は沢山います。

地味な変化に見えますが、極めて稀なことが起きていて、このような流れが時代の大変革の礎になっていくと信じています。



今日も秋晴れの空が広がっています。


今夜の瞑想会のアドレスはコチラです。

https://youtu.be/_esLaB7Iy4s








  


Posted by Toshiro Abe at 10:20Comments(15)

2022年10月15日

いずれ、これも過ぎ去る

あらゆる思考は幻想の一種だと気が付いた後も、思考は訪れます。

いったん目覚めれば、手に負えない思考は二度と現れないと思っている人には残念なお知らせです。


手に負えない思考というのは

自分や周囲を批判しまくるもの

自分を貶めて辱めるもの

比較することで惨めさや嫉妬を呼び起こすもの

怒りや悲しみを誘発するもの

いろいろあります。


でもどんな思考も一か所に留まっていられません。

必ず形を変えながら消え去っていきます。


ですから、そんな思考群との付き合い方は、

「いずれ、これも過ぎ去る」

という態度で見守ることです。






実際には、その思考が湧いた瞬間だけその考えの世界が存在し、次の瞬間には消えています。

しかしそこにしがみ付く何かがある。

それが「エゴ」と呼ばれる、ありもしない衝動です。

これは人間が持つ癖のようなもので、意識的に生きることを通して巻き込まれなくなります。


でもそれらの思考が湧かなくなるわけではありません。

これからも頻繁に出てくることでしょう。


そのたびに思考と距離を取って、手放しのまま見送るゲームはやりがいがありますよ。

いつでもできるしね。


ことによったら一日中やれるかも。

でもまたすぐに巻き込まれちゃうんだよね。


そうやって今日も一日、思考が作る幻想世界を生きるのであった(-“-)



あなたの人生(幻想)に行ってらっしゃい。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:35Comments(15)

2022年10月09日

アダムとイブ

人生とは天と地を繋ぐ梯子のようなものです。

違う言い方をすれば我々は、地上に生まれ天の王国に向かって坂道を上る旅人でしょうか。

この旅には特徴があって、いったん前に進みだしたら留まることはあっても後退することはないというものです。


死ぬまで同じ場所に留まることは可能です。

いま自分がいる場所に家を建て、精神や肉体を飾り、この地で幸せをつかもうとする人も沢山います。


しかしそうやって留まろうとする場所はとても不安定で、誰一人本当の幸せをつかむことはできません。

決して安定することがないからです。

怖れや不安に苛まれ、不本意な出来事に翻弄され、まるで人生全体が騒動のための舞台のようです。


そんな中で自分が旅人であることを思い出し、さらなる旅路に向かう者もいます。

存在の高みを目指すことが生きる目的になった人たちです。



そんな人たちの役に立ちたいと思ってから久しい時が経ちました。

いつの間にか歳を取りましたが、真実は何一つ変わらず、いまもここにあります。


数十年前に比べれば、こんな話に耳を傾けてくれる人もずいぶんと増えました。

でもなぜか最初からこうなることを知っていました。

生まれる前から知っていたような気がします。


僕という現象がこの世から消えた後も、目覚めに向かう流れはますます強くなっていくことでしょう。

幻想は一時的でも、真実は永遠であり、いずれは誰もが真実の次元にたどり着くことになります。


地上に生まれ天の王国にたどり着くのが、この人生という旅だと言ってもいいでしょう。

しかしたどり着いてみれば、そこは最初にいた場所だったという、どんでん返しのおまけ付きです。





地上も天の王国も同じ場所にあるのですが、そこには大きな違いがあります。


この世に生まれた当初は、それはそれで安定していました。

その理由はジャッジがないからです。

人間以外のあらゆる生き物は、いまも地上で安定しています。


しかし人間だけは、知識という木の実を食べて楽園を追われてしまいました。

知識によってジャッジ(判断)が生まれたのです。

それが苦悩の始まりとなりました。


これは大昔のアダムとイブの話ではなく、我々一人一人の話です。

物心ついた時(自我が生じた時)が、知識の木の実を食べた時だと言ってもいいでしょう。


そうやって楽園を追い出された我々は、遠い記憶の中にある本当の幸福を探し求める旅に出ました。

まるで天の王国を目指す旅人のようです。



今日の最後に伝えておきたいのは、ここまで読んでいるあなたは、ゴールのすぐ手前にいるということ。

でなければこのような記事を読み進めるはずがありません。


肯定的な人も否定的な人も、関心があるからこのブログを読んでいます。

いずれにせよみんな長い旅をしてきた人たちで、そんな旅もそろそろ終わりに近づいていると伝えておきます。



かんながら たまちはえませ








  


Posted by Toshiro Abe at 12:55Comments(32)

2022年10月08日

道案内

「私たちは心静かにあるがままの命に落ち着きます」


これはZENサンガの誓いの言葉です。

とても簡単に見えますが、とても難しい。


と言うのも、人間という存在そのものがあるがままに落ち着けなくなっているからです。

人間が緊張しているのではなく、人間そのものが緊張なのです。


したがってその緊張感は誰かにあって誰かにないのではありません。

そうでない時がないので、普通はこのことに気づきもしません。

このようにいつも不快感が根底に横たわっているのが人間です。


そんな緊張感や不快感から逃れる道が二つあります。


一つは動物レベルの自然さに戻ること。

重荷を背負い続けている自分を忘れる時間です。


そのためにできるのが飲酒だったりセックスだったりします。

これらは歴史を越えていつの時代にも人間を魅了してきました。


特にセックスにおいては完全に自分が消えるので、その魅力は絶大です。

しかし社会はそのような行為をはしたないものと位置づけるので、完全に自分を解放できる人は少なくなっていますが、それでも人はセックスに魅了され続けます。


とにかく人間という緊張から逃れたいのですが、残念ながらセックスもお酒も一時的なものでしかありません。

もし一時的でなければ、やがてその快感は苦痛に変わることでしょう。






しかし人間には、このような刹那的な快楽しか用意されていないわけではありません。

それを探し始めたのは20代の終わり。

とりあえず好き勝手に生きてきて、やりたいことを全部やってみて、それでも満足できなかったので、その先の人生への希望が無くなりかけていた頃でした。


そんな時に起きた内なる気づき。

探していたものは外側ではなく内側にあると確信しました。


お酒やセックスが人間から動物に下降することで緊張感を消すのに対して、内側の宝は、人間からさらなる存在に上昇することでそれを可能にします。

しかも一時的なものではなく、永遠のものとして出会えるのです。


これは誰にでも可能なことなのですが、我々があまりにも外側の世界に取り込まれてしまったので、すっかり見失ってしまいました。



今日伝えておきたいことは、その次元は確実に存在しているということ。

しかもすべの人にその扉が開いているということです。





明日は日曜瞑想会です。

アドレスはコチラ






  


Posted by Toshiro Abe at 17:29Comments(6)

2022年10月07日

始まりの始まり

この数日間、多岐にわたってやることがあったので、ブログに目を通さないまま今日になってしまいました。

「真・かんながら」への感想をありがとうございます。

いままでとは違う反響を感じています。


その「真・かんながら」ですが、発売日前に増刷となり好調な滑り出しとのことです。

ありがとうございました。

9月29日までにamazon予約してくれた人への早期申込特典動画は16日までの公開ですのでご注意ください。



この本の発売と、先日の秋分の日イベントのタイミングが同じだったことに、何かの巡り合わせを感じました。

この流れで首里城の弁財天堂が開いて弁天さんをお祀りできたらと思います。


こちらも6000人以上がライブで参加してくれて、いまもまだアーカイブへのお申込みが続いています。

これで沖縄の現状をまた少し知ってもらえたかなと思っています。





天河と首里を繋ぐイベントでしたが、実際に奉納するのは琉球独自の弁財天であるべきだという立場から、天河神社の柿坂名誉宮司はその応援に立ち上がってくれたのです。

イベントの生配信が終わった直後、柿坂名誉宮司からイベントの内容が素晴らしかったとの電話を頂きました。


喜納昌吉さんと僕とのミニバトル?は、見ていてハラハラしたというメールもいただきましたが、あれでよかったと思います。

綺麗ごとでまとめるのではなく、本音を言い合って、もしその企画がダメになってしまっても、そこからまた始めればいいだけの話で、そちらのほうがよほど真実だと思います。



そうそう、今朝の産経新聞に「真・かんながら」の広告が大きく載っていました。

愛する我が子が世間に旅立ったような気分です。

あとは本自体が持つパワーにお任せして、何が起きるのか、あるいは起きないのか見届けたいと思います。


年齢的には人生の晩秋を迎えているというのに、いままでで一番活躍させてもらっている気がします。

三十代で一度は捨てた人生ですが、またこうして生かされていることに感謝です。



かんながら たまちはえませ













  


Posted by Toshiro Abe at 09:46Comments(6)

2022年10月02日

日本晴れ!

今日は日本晴れ!

なんだかめでたい。




真・かんながらの感想を、メールでもたくさんいただきました。

ありがとうございます。


本は伝えたいことの仕掛けの一つですが、思った深度から理解してくれた人が多くて、ずいぶんたくさんの仲間に出会ったものだと感慨無量です。


29日までにAmazon予約してくれた人には特典動画がプレゼントされます。

沢山の人が応募してくれたからか、発売日前には増刷が決まっていました。


今頃は各書店にも並んでいると思いますので、こんなお天気の日にどうぞお出かけください。



さて、特典動画をゲットするには、以下の手続きが必要です。


下記サイトから、

ご自身で、メールアドレスとAmazon注文番号を入力していただく必要があります。

http://tokuma-sp.moo.jp/shin_kannagara/top/


それ以外にも、購買時期とは関係なく特典動画を見ることができます。

巻末にあるQRコードにアクセスしてください。


それではよい一日を。



今日の瞑想会はコチラです。














  


Posted by Toshiro Abe at 09:47Comments(23)