2020年01月31日

只管打坐

世の中の苦悩を見るとき、どうしたらそこから救い出せるかと思うことがあります。


「その苦悩は、あなたの思考が作り出しているストーリーが原因ですよ」

などという言葉は、あまりに虚しく宙を舞います。


そのような言葉が有効であれば、とっくに人類は苦しみから抜け出しているはずです。


それでも真実を言えば

「その苦悩は、あなたの思考が作り出しているストーリーが原因だ」

となります。



もし我々が、あるがままのこの現実と対峙することができれば、そこに苦しみが入り込む余地はありません。

ただこのようにしてあるということに過ぎないからです。



でもマインドにはストーリーを紡ぐ能力しかなく、たいていの場合は誰ものマインドはフル稼働しています。


ですからその方策として、マインドの力を緩めること。

たとえば瞑想のような技法が役に立つのです。


このように言うと、マインドを止めてストーリーを捨てることに躍起になる人がいますが、それもストーリーの中で起きていることです。


そのような目標も持たずに、ただ静かに坐る。

混乱したマインドを休ませてあげる。

これが最も的を射た妙薬になります。






やはり実践しかありません。

そんなわけで昨夜も急きょWeb瞑想会をやらせてもらいました。

もし少しでも心が軽くなった人がいたとしたら、そんなに嬉しいことはありません。



禅の老師は言います。


「つべこべ言わずに、ただ坐れ」




もしいま、どうにもならない問題を抱えている人がいたとしたら、少しの時間その問題を考えるのをやめてみませんか。

どうにもならないのだから考えても無駄です。


そんなことよりどうです、この青い空、この白い雲。


生きてるって凄いなァ。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:32Comments(35)

2020年01月30日

変化の時代

昨日はたくさんの報告をありがとうございました。

ここに書いた人も、書かなかった人も、多くの人がいま変化の時を迎えていることと思います。


テクノロジーの飛躍的な進歩によって、社会の仕組みも、仕事の内容も、人間の価値観も生き方も変わらざるを得ない状況になっていきます。

これは必然であり、誰にも止めることはできません。


いまの子供たちは、我々の想像を超えたまったく新しい世の中を生きる人たちなので、たとえばいま子供の不登校に悩む親御さんがいたとしたら、心配しなさんなと伝えたいと思います。

人間万事塞翁が馬。なにが功を奏するかは分かりません。


少なくとも、いまという掛け替えのない日々を、その子らしく生きていく応援をしてあげたらいいと思います。

子供時代は、大人時代への準備以上の何かがあるのだから。






かく言う私たち自身も、この先ますます変化していくことになります。


何故かと言うと、私たちの精神を作り出しているのは時代だからです。

時代が人物を作っているのです。


よく、明治維新は英傑たちがたくさんいたから成功したみたいなことを言う人がいますが、それは間違いです。

人物が時代を作るのではなく、時代が人物を作るのです。


もし戦国時代や奈良時代に生まれ育ったとしたら、自分が全くの別人だったことは想像に難くありませんね。

内側で感じている自分という存在感は同じでも、性格も価値観も生き方も好き嫌いも大きく違う、完全な別人格の自分がいたことでしょう。


そのような意味から言っても、有史以来の大変化のこの時代には、各自の意識も大きく変わっていくしかないのです。

もし頑なに変化を拒めば、それは苦しみとなって表れてくることでしょう。


とは言うものの、悪いことばかりが身の回りに起き始めたと感じている人もいることでしょう。

しかしいま、どんなに災難に見えることが起きていても、この先の素晴らしい展開に必要なことだということを忘れてはいけません。

そのように思うのは大切です。


反対にいまの変化が喜ばしいこととして表れている人は、際限なくどこまでも喜ばしい出来事が続いていくことを怖がらずに描き続けることです。


あまり物事がスムーズに進むと、怖くなってしまう人もいますが、怖くなる必要などありません。

どこまでも豊かさと幸運を求め続けて下さい。

そうすれば、そのようになっていきます。



実際のところ、変化に良いも悪いもありません。

それらはただ、そのように起きているだけなのだから。


そこに「yes!」と言えばあなたは幸せだし

「これじゃない」と抵抗すれば不幸を感じます。


事はこれからも、あなたの都合とは関係なく起きていきます。

何が起きようとも超然と見ていられるような自分でありたいものです。


本当のあなたは、人生の当事者ではなく、人生という映画を見ている純粋意識なのだから。


・・・・・・・・・・・・・


【お知らせ】

今夜21時から、Web瞑想会をします。

一緒に瞑想をしてみたい人は、21時になりましたら

https://www.ustream.tv/channel/rh5rrpCfAuq

にアクセスしてください。


天川ハーブ園の谷嶋美恵子さんが、アロマアドバイザー資格取得講座を天河で開校するそうです。

詳しくはコチラから。

  


Posted by Toshiro Abe at 08:24Comments(23)

2020年01月29日

変化の兆し

この数年間は社会だけでなく、自分の身の回りや考え方に急な変化が訪れている人はいませんか。


これは誰か特定の人に起きていると言うよりは、程度の差こそあれほとんどすべての人に起きているのではないでしょうか。


これまで甘んじていた生き方を手放す勇気が芽生えてきたり、大切なものが変わってしまったり。



この変化は内側と外側、同時に起きているような気がしてなりません。



思い当たる人は、自分の身に起きていることを書ける範囲で教えてください。


これから変化を迎える人のヒントになると思います。







  


Posted by Toshiro Abe at 10:22Comments(85)

2020年01月28日

1月28日の記事

先日のWeb瞑想会でのチャットで、瞑想を始めると思考が湧いてくるというコメントがありました。

その時もお話ししましたが、思考が湧くのは瞑想を始めたからではなく、一両日中ずっと湧いているのを、瞑想することで初めてその現象に気づいただけです。



思考は夢のようなもの。

人は眠っている時だけでなく、起きている時間なにをしていてもずっと夢を見続けています。

車の運転中も、歩行中も、仕事中も、食事をしている時も・・・


そして睡眠中はその夢がよりはっきり見えます。

ちょうど映画館で館内が暗くなった時に映像がクリアに見えるのと同じです。


瞑想時にも同じようなことが起きます。

目を閉じて暗くなったので、映像(思考)をはっきりと見て取れたのです。


そして言います。

「瞑想を始めると思考が湧いてくる」



人は絶えず夢を見続けています。

その夢の構成要素が思考です。


人はいつも無意識に夢を見ていて、それが真理を見出すのを妨げています。

真理はいつもいまここに、あるがままの形でむき出しにありますが、夢がそれを直接見ることを妨げるのです。

真理の上に夢が投影され、何が訪れても夢によって解釈されてしまいます。



たとえば一人の女性がそばにいるとしましょう。

その女性はただあるがままにそこにいます。

でも人はその上に、自分本位の夢を重ねるのです。


「妻がいる」

というわけです。



女性の側も同じように夢を見ています。

「夫がいる」


そして二人の間に共有する夢が持ち運ばれていきます。



夢は最初はいいのですが、時間と共に悪夢になっていく話はしてきましたよね。

これは夢の宿命のようなものです。



最初は互いに素敵な夢を相手に投影していました。


その夢が変わり始めた時は、理由を相手のせいにします。


「私は騙された。相手が本性を隠していたのだから」







これは完全に間違っています。

相手がだましていたのではなく、互いに相手の周りに夢を投影していただけのことです。


やがて別れて、違う人に夢を見ます。


「この人なら大丈夫だ。今度こそ本当のパートナーに巡り合えた」

そうやって同じことが繰り返されていくのです。



このことは男女間だけでなく、ありとあらゆる事象に対してやっていることです。

これが惨めさの正体です。


解決方法は、まずは自分が夢の中を生きていることを知ること。

そして夢を投影せずに、あるがままの真実を生きることです。


違う言い方をすれば、思考と同化して生きるのをやめてみる。

せめて一日の内の数分間でいいから、無心の時間を作ることです。


これが瞑想や坐禅の存在理由の一つです。




  


Posted by Toshiro Abe at 08:07Comments(28)

2020年01月27日

瞑想物語

朝6時半から瞑想を始めて、終わってみたら9時になっていた。

もしかしたら寝てたかも(笑)

でもその間の猫の動向はみんな分かっているのだから、うっすら意識があったのだろう。





僕が最初に瞑想を始めたのは中学三年の時。

劣等生だったのが、ある日おふくろから「勉強してくれ」と泣かれて、仕方なく奮起して、毎日3時間しか眠らずに頑張っていていて、なんとなく頭がボーっとし始めた時、誰に教わったわけでもないのに本能的に坐禅スタイルで瞑想していた。

するとわずか10分ほどで頭がすっきりして、これはと思い日課にしたのが始まり。


成績順位はあっという間に上がって、余裕で志望校に入るんだけど、そもそも勉強は好きじゃなかったから、一年生で学問放棄。


そんなこんなで学校を退学して、芸能人になれば女にもてるという浅はかな動機で上京して、10年間活動するんだけど、もとより才能はないし、性格も向いていなくて、人生自体に興味が無くなって絶望状態に入る。



そんな状態のとき、ある日突然

「あれ?自分っていないんじゃない?」

っていう洞察が訪れ、そこでまた十数年ぶりに瞑想が始まった。


今度は人生で初めて、人生自体が幻だって感じ始めていて、むしろ瞑想状態の方がリアルな気がしていた。

それが今日まで続くのだから、瞑想歴だけはかなり長いわけで。


いまはお陰様で恵まれた日々を過ごさせてもらっているけれど、やはり瞑想している時間が一番気持ちがいいし、幸福感に満ちている。


健康にもいいし、正確なアイデアが湧くので望みが叶うのが早くなるし、みんなやればいいと思っていて、だからといって無理やり勧めても本人が意志を持たなければ続かないわけで、これからも地味に紹介していこうと思うわけです。


僕が人生で出会った中では、いま奨励しているマントラ瞑想が一番効果的だけど、そこに投資する余裕がない人にも、いろんなアイデアを伝えていくからね。

たとえ自己流でもやらない手はない。






さて今日は12月にやった奥平亜美衣女史との対談講演の動画を編集する予定。

と言ってもカットする場所がないから、タイトルとエンディングを付けるだけ。


昨日見てみたけど、かなり良いよ。

出版社さんが本にしたいと言っているから年内には出ると思うけど、その前に動画がお薦めです。


と、さりげなく宣伝したところで(全然さりげなくない)、みなさんごきげんよう(^^)



今日も新しい一日だね。


  


Posted by Toshiro Abe at 10:09Comments(16)

2020年01月26日

不倫と平和

今朝、久しぶりにネットニュースを開いてみたら芸能人の不倫ネタ満載。


で、思ったのは、

この国は平和だなァってこと。


皮肉ではなく、ほんとうに平和だと思いました。


もしこれが戦時中だったら、こんなことはどうでもいいことでしょう。

僕たちは、すでに与えられているものには無自覚で、足りないものや上手くいっていない所にばかり気を取られる傾向があるようです。


いまだって、どれだけ恵まれていることか。

これは先人たちの汗と努力のたまもので、彼らはまだ見ぬ僕たちの幸せのために、一命を投げ出して戦ってくれたのです。


彼らに報いるためにも、この幸運と幸せを味わっていきたいものですね。






明日のことは分からなくても、今日食べるものは何とか確保できるとしたら、なんて幸せなことでしょう。

それを明日の分まで確保しようとするから心配になるのです。


明日のことは明日の自分に任せるとして、今日は一日、幸せな気分で過ごすとしましょう。



明日のための最善の生き方は、今日を幸せに過ごすこと。

だって明日は今日から生じてくるのだから。



世の中いろいろあるけれど、みんなが幸せでありますように。


みんなが優しい気持ちでいられますように。


  


Posted by Toshiro Abe at 08:35Comments(14)

2020年01月25日

自動運転の取説

Web講演会の翌日は、ブログを書く手が鈍りがちです。

やはり生配信の時間は、伝える側、見る側、双方ともにメッセージと一つになることができます。


僕が伝えている内容に真実を感じる人は、自分の中から宇宙的記憶を浮上させようとしているわけで、そんな人はZENサンガに入ったら時間の短縮になります。




なにはともあれ、とにかく何か書いてみましょう。


今日は「自動運転」という言葉の使い方についてです。



言葉自体が絶対的真実ではありません。

もしそれがどんな状況下においても絶対的真実であれば、とっくに人類は真実を標榜し、夢から覚めていたことでしょう。


でもいまだ大多数が夢の中にいます。

それは、目覚めを促すどんな真実の言葉も夢の中で解釈してしまうからです。


「自動運転」という言葉も然りです。

この言葉は、考え方を言っているのではなく、究極の真実の表明です。


ことは起きているのであって、誰かがやっているのではない。

なぜなら本当は誰もいないからだ。



な~んて言われてもね。


いくら脳科学が、人間が行動しようとする意志より先に行動は始まっている、ということを証明しても、人間界に都合が悪い事実は見えないか、見ないふりでスルーしてしまいます。


「私が決断している」という感覚を手放したくないのです。

それを手放したら「私」の存在が希薄になってしまうから。


ほんとうは「私」なんてないのにね。



と同時に、「自動運転」という真実は、この自我の世界でもうまく使うことができます。


たとえば失敗したことについて。


それまでは、この失敗は自分のせいだとか、アイツのせいだとか言って犯人捜しをしたり、あるいは自分の思慮の浅さを責めたり、自分の無能さを嘆いたりします。


でもその失敗は自ずと起きたことであり、それ以外の可能性はゼロだったと思えば気も楽になります。


これが使い方の一つです。


そしてこれは、これから先のことにも使えます。


何を選択していいかわからない。

正しい決断ができるのか自信がない。


なんて思いが浮かんだら、自分に教えてあげます。


「やっているのは自分じゃない。ことは起きているんだから、自分が何とかしなければというプレッシャーを捨てなさい」

ってね。



この言葉のマズイ使い方は、どうせ自動で決まっているんだからと投げやりの態度で生きることです。

虚無的な態度と結び付ければ、この言葉は毒になります。


そう、言葉とは、解釈や使い方次第で毒にも薬にもなるのです。


どうぞ、あなたの気が楽になる方向で使ってみてください。


ありゃ、時間が無くなっちゃった。


またね(^^)





  


Posted by Toshiro Abe at 09:26Comments(23)

2020年01月23日

続・一瞥

一瞥に関しては誤解も多く、正確な情報があまりにも少ないのが現状です。

にもかかわらずこれから先ますますこのような体験をする人が増えていくでしょうし、やはり何かしらのガイドは必要かと思います。


言うまでもなくこのような体験は、体験する人が消えた時に起きるのですが、それでも強烈な印象は残り続け、その後の自我やマインドの構成を変えてしまいます。

二度と同じ人ではいられないと言ったのはそのことです。



そして真理への探究が終わります。


探求が終わると言うと、すべてが分かったからだと思うかもしれませんが、実際にはその逆です。


この地上界では何一つ分からないし、分からなくていいということが分かります。


そんなことよりも、いまこうして目の前に展開しているあるがままの真実に落ち着き始めます。

これ以上も以下もなく、すでに明らかな真実と共に生き始めるのです。


ところが人は、この唯一の真実を見失って、「いまここ」以外の全てを知ろうと躍起になっています。



実際のところ人間は、生命や宇宙に関して何一つ分かっていません。


計算上ではビックバンという説に行きつくのでしょうが、おそらくはそう遠くない将来、また新しい説にとって代わることでしょう。

そして永遠に仮説のまま残るのです。


時間と空間を前提にした科学には、時空間を超えた世界は解明できません。

そして生命も宇宙も、時空を超えた存在なのです。


これは科学的アプローチ(客観)によっては知ることはできず、内なる体験(主観)によって明らかになります。

なぜなら生命も宇宙も、我々そのものだから。


人間のあくなき探究心はこれからも続いていくでしょうが、真理は探している当人そのものだと知った時に探求が消えます。






現代はとてつもなく大きな変化の時代だと、様々な分野の専門家たちが異口同音に言っています。

僕も全く同感です。


その中でも最も大きいのは、人間一人一人のパラダイムの変化ではないでしょうか。

「個から全体へ」

これがキーワードです。



この変化は文明の歴史的必然であると同時に、全体意識が個別意識に影響し始めたということだと思います。


ですからこの先、いままで以上に多くの人たちが一瞥を迎えるでしょうし、あるいは瞬間的な気づきでなくても、知らぬ間に全体意識と融合していたという人たちも増えていくことでしょう。


人間の不安をあおる情報が氾濫していますが、それらは分離したマインドの特性であり、実際には想像を超えた明るい未来に向かっています。


そしてあらゆる人々も、あらゆる存在も、最終的には大きな悦びの中に帰っていきます。


根拠は何かって?


一瞥すればわかる。



あはは、最後は煙に巻いたような言い方になってしまいましたが、これだけは命を懸けて伝えておきます。



大丈夫


心配ないからね。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:12Comments(53)

2020年01月22日

一瞥体験

あの瞬間は忘れようがない。

一切の重荷から解放されて、自己が宇宙大に広がったあの瞬間だ。


解放された重荷は、それまで担いでいたことさえ忘れていたものだった。

あの瞬間に初めて、いままでどんなに重い鎖に縛られていたのかが解った。


肉体も消えていた。

いまから思えば重たい身体を引きずるようにして持ち運び、空腹やら性欲やら休息やら、絶え間ない欲求に四苦八苦しながら、よく頑張っていたものだ。


もう二度とあの身体には戻りたくない。

この無重力の解放感にいつまでも浸っていたいと思った。


解放感だけじゃない。

人生では決して味わうことのない、目くるめく快感と、あらゆる種類の喜びが無尽蔵に湧いてくる。

肉体と精神から解放されるというのは、これほどまでに甘美な経験なのか。


しかもこれが、あらゆる人間の実相だったとは驚きだ。

人は皆、誰一人例外なく魂の奥底にこの歓喜を携えていたのか。


さながら人生の苦悩は、この歓喜をより深くするために溜めこんだ蒸気圧のようなものだ。


すべては上手くいっている。

そしてあらゆる存在は、最初の最初から救われていた。

この体験を神と呼ぶのだろう。



これが一瞥と言われる体験です。

一瞥という言葉が表すように、それは一瞬の出来事であり、気がつくとまたもとの状態に戻っています。


したがって一瞥体験は無意味だと言う人がいますが、それは体験を知らない人か、ある種の気づきを一瞥と勘違いしている人の言葉です。


一瞬でも真実の次元を垣間見れば、もう二度と同じ人ではありません。

真実を覆っていた鉄のカーテンがいったん開くと、

それはフカフカに柔らかくなり、

たとえまた真実を覆ってしまったとしても、

その向こうが透けて見えるようになるからです。


実は、一瞥も恒常的な悟りも同じものなのです。

時間という錯覚の中からは別物に見えるだけの話です。






さて、本当に一瞥したかどうかを確かめる基準があります。


人生からあらゆる苦悩や、イヤな感情が無くなる。

そんなことは起きません。


ストーリーが完全に消えて、いまここだけを生きだす。

そんなことは起きません。


無欲になって人への施しだけを生きるようになる。

そんなことは起きません。



それでは一瞥を確かめる基準とは何なのか。


それは、

真理への探究が終わるということです。

これだけは完全に終わります。



今日の最後に、一瞥後に起こりがちな過ちを紹介しておきましょう。


それは先ほど紹介した甘美な体験が、一瞥した高次元の感覚だと思いこみ、もう一度同じ体験を追い求めることです。


あの甘美な感覚は、一瞥の副産物のようなものであり、それ自体が重要なのではありません。

ここはしっかりと整理しておかなければなりません。


そして元の状態に戻った後は、あの次元が失われてしまったような気がしますが、一度でも垣間見れば、すでにあなたの一部として定着しています。


だから、あいかわらずストーリーに巻き込まれても、巻き込まれていることを知っているし、

情けない行為や、尊敬できない思いが湧いてきても、自分を卑下することがなくなるし、

何が起きていても心の底には絶対の安心感が流れているはずです。




今日は一瞥について書いてみました。

このブログを読んだり瞑想や講演に参加したりするうちに一瞥したという人の報告は、数十にものぼります。

その中には、一瞥体験の後、講演や書籍で活躍している人たちもいます。


このような現象は、今後ますます広がっていくと予感しています。



そして最後に伝えておきます。


一瞥は誰にでも起きることではないかもしれません。

タイプによっては一瞥がなくとも、徐々に真理の次元が開かれていく人もいるようです。


だから焦ったり、体験自体を恋い焦がれたりしないでください。


起きれば起きる


起きなければ起きない


どちらにせよ、あなた自身が真理であることに変わりはないのだから。



・・・・・・・・・



今夜も人生を一旦脇に置いて、いまここの静寂に一緒に入って行きませんか。

Web瞑想会にあなたをご招待します。


21時になったら

https://www.ustream.tv/channel/rh5rrpCfAuq

にアクセスしてください。



  


Posted by Toshiro Abe at 09:10Comments(36)

2020年01月21日

劇作家の引退

人間というものは、現れては消えていく思考や記憶をつなぎ合わせて、ストーリーを作り出す劇作家みたいなものですね。

それもみんなが当たり前のようにやっていて、みんな天才劇作家です。


いつも注意しなければいけないのは、思考はその瞬間だけの刹那的な現象だということ。

現れては消えているのです。

あなたは思考ではありませんし、ましてや思考の内容でもありません。


思考の特徴は、それらがすべて過去という素材でできていること。

その素材を使って想像しているのが未来です。


完全に新しいものは、過去という素材からは想像することもできません。

そして実際には毎瞬、すべてが新しく生まれています。


いまこの瞬間は、あなたの人生で初めて体験するものなのです。


それを

一期一会

と言います。


しかしそこに思考が介入し、すべての現象に過去を投影していきます。

だから毎日が退屈なわけです。


幼いころは投影する過去が少ないので、新しいものを新しいものとして経験していました。

だから驚きや感動が多く、その分だけ一日が長く感じたのです。


ところが大人になると、毎日が分かり切ったものに見え始め、色彩は失われ、感動も減っていきます。

だから時間が早く過ぎるような気がするわけです。

ついこの間お正月だと思っていたのに、もう1月も終わりだみたいにね。


人は未来が本当にあると思っているので、いつも明日のための準備に余念がありません。

明日は今日より良いはずだ、良くしていかなければと信じているのです。


今日という日は明日のための布石だと感じていて、そのぶんだけ今日新しく訪れているこの奇跡を見逃しています。



劇作家をやめて、いまを生きる練習を始めること。

それが真に生きることであり、苦しみの終わりに繋がります。

苦しみは、自らが作り出した劇の中にあることに気づくのです。



いまに徹すれば、何も起きていないのがわかります。

ただいつも、あるがままにある。


そしてあなた自身も、あるがままにある。


いつか私が成長した暁には・・・なんて劇もおしまいにしましょう。

あなたはいままでも、これからも、あるがままのあなたであり、それで完璧なのだから。


え?そんな気がしないって?


そりゃそうでしょ。

まったく筋違いの生き方を何十年もやってきたのだから、すぐには納得できません。


でも僕が言っていることが真実だと、どこかで知っているのではないですか?



居心地は悪いかもしれないけれど、いずれ慣れます。

しかもその分だけ苦しみが減っているので、さらに真実へのシフトに向かっていくことでしょう。



これからもブログやZENサンガを通して、方向を指し示していきます。



  


Posted by Toshiro Abe at 09:05Comments(14)

2020年01月20日

誰もがお金持ちになるありがたいご真言

昨日のブディズムセミナー面白かった。

阿純章さんという人も会うたびにいろんな面を見せてくれて楽しいです。


知っているようで知らない仏教の話を、あんなふうにして聞くのもいいですね。

興味があることへの新しい知識は、人生を豊かにすると思いました。

またやりましょう。



さて、昨日のセミナーのテーマの一つに

「南無白蛇形 宇賀耶惹耶 蘗陛 施多摩尼 貧転 吽娑婆訶」

なむびゃくだぎょう うがやじゃや ぎゃらべい しんだまに びんでん うんそわか

という福徳真言の解説がありました。


僕自身は長年にわたり、この呪文の箇所しか覚えていなかったところに、幸運にも30年ぶりに赤い巻物の原本と出会え、その聖典に書かれていた全文が明らかになりました。

これは神仏習合時代の名残で、天河神社に伝えられてきた仏教の経文です。

もともとは土着信仰だった宇賀神と弁財天が合体し、宇賀弁財天(宇賀神王)になるのですが、それが天河神社のご本尊です。


天河神社の福の神としての一面がよく出ていますね。






南無白蛇形宇賀耶惹耶

白蛇の形をした宇賀神ということでしょうか


そして、この真言こそが福をもたらす最上真言だから、心して唱えなさいというわけです。


「南無白蛇形宇賀耶惹耶蘗陛施多摩尼貧転吽娑婆訶」


記憶の中では3日という言葉と1万遍という言葉が残っていたので、3日以内に1万回唱えるのだと思っていましたが、

実際には、1万遍唱えれば3日以内に貧乏から脱するというというものでした。


あるいは回数というより、心を込めて唱えることで福をもたらす者になれるような記述もあります。


我々の意識がそれぞれの世界を作っていることを考えれば、特定の言葉が意識の波動に影響し、いままでとは違うストーリーをつむぎ出すということでしょうか。



この経文に再会できたことと、それをみなさんにご紹介できるご縁をありがたく思っています。





  


Posted by Toshiro Abe at 11:41Comments(18)

2020年01月19日

許そうとしたって許せない

許すという事について少しお話ししてみます。


実は

許そうとしたって許せません。

その理由は、許しは人の行為ではないからです。


したがって誰かを許せないからといって、自分を責めたりしないことです。


許しだけでなく、愛も、感謝も、喜びも、感動も、信頼も、そして瞑想(静寂)も

人間にとって高い価値をもたらすものは全て彼方から起きてくることであり、人が作り出せるものではないのです。


もしそれらを人が作り出したとしたら、それは「もどき」になります。


許したと自分に言い聞かせることはできますが、

許すということを人が直接することはできないのです。


心から人を信頼することができないように、心から許すこともできません。

それは自力でできることではないのだから。



究極的な許しとは、究極的な理解を通して起きます。


究極的な理解とは


傷つけた人は誰もいなかったし、

傷ついた人も誰もいない


つい反発したくなる言葉ですよね。

すぐに理解するのは無理です。

この言葉は、非二元の世界のものだからです。

ワンネスの中で明らかになることであり、何度か書いたので今日は紹介だけにします。





さてそのような究極的な理解しか許しの道がないのかと言えば、そうでもありません。


許せなくても、少しずつですが許せないと感じている自分を癒していくことはできます。


具体的なやり方としては、自分のほうから許せない相手に近づいて行って、その相手が喜ぶことをしてあげる。

あなたを通して、その人が生きる力を得たり、安心感を持てるような雰囲気や会話を作り出すのです。


相手がそれを受けとる保証はありません。

それでもめげずに、何度も心を込めてトライしていきます。


すると奇跡が起きます。


相手が変わらなかったとしても、あなたはすでに同じステージにいません。

あなた自身は癒されているから。


そして、抱えていた恨みつらみから解放されています。

そのとき、自然と許しが起きているのです。



この方法を知っている人は少ないですが、実行する人はもっと少ないです。


実行しない理由は、悔しいからとか、怖いからとか言いますが、本当の理由は前回と同じ。


成長することへの恐れです。



今日はこれくらいにしておきます。



・・・・・・・・・・



【お知らせ】


2月の瞑想伝授は名古屋と東京です。

初めての方はコチラからお入りください。



  


Posted by Toshiro Abe at 09:10Comments(27)

2020年01月16日

奇跡の扉

社会で生きていると、いろんな人間関係にさらされますよね。

特に家族、親戚、職場だとか、地域だとかの人間関係は逃げ場がありません。

しかもまったく違う性格と、違う正義感や価値観を持った者同士が関わるのだから、それはそれは大変です。


つい口から出た一言が相手を刺激する場合もあります。

言った本人は悪気もなく、相手がそんな風に受け取ったとも知らず、

そこに突然相手が自分から距離を取り出し、いったい何が起きたのかと戸惑うこともあります。


言われたほうは深く傷ついたのです。

もちろん元々開いていた傷口に、たまたまその言葉が刺さっただけの話なのですが、本人は見下されて侮辱されたと思っています。

人は大抵のことは許せるのですが、軽く扱われたり、侮辱されたりするのは辛いものです。


この程度の行き違いは、そこら中で起きているのではないでしょうか。


みんな心の底では誰とでも仲良くしたいと思っているのに、その真意をお互いに確認するまでは時間がかかります。

その時までは、お互いに気を許せない微妙な敵同士なのです。


しかもみんな傷ついていて、傷口が開いている場合もあります。


みんな自分の傷をわかってほしくて、

みんな自分を特別に扱ってほしくて、

みんな自分を愛してほしくて


みんな一生懸命に生きています。


そして心の中はビクビク怯えています。

そんな風には見えない人も、実は心の底には普遍的な恐怖が流れています。


みんな社会用の顔を作り上げて、人生の舞台を演じきっています。

そこに本当の愛はありません。

それなのに、みんなが愛を求めています。





さて、何が言いたくてこんなことを書き始めたのかな。


大変なのはみんな同じで、

みんなその人なりに一生懸命生きているんだから、

あなたに無礼を働いた人を許してやってほしいということかもしれない。


その理解と許しが、あなたを次のレベルに向かわせる推進力になるから。


特に誰かを強く恨んでいる人は幸運です。

もしあなたがその人を許せたら、そのときあなたを引き上げるパワーは半端じゃありません。

まるで奇跡です。




ところが人はそれをやりたがらないんだよなぁ。

その理由は、本人は「許せるものか」と言うけれど、本当の理由はそこじゃありません。



本当の理由は、成長への恐れです。


そもそもあなたが自分の幻想の世界を手放したくないのは、成長への恐れです。

成長すること自体も怖いのですが、未知なる世界が怖いのです。


そう思うと日常の苦悩は、成長のためのエネルギーパワーへの貯金みたいなものですね。




苦しみ製造機みたいなこの世の中。


あなたも頑張ってきたね

分かってるよ


そう言ってあげたい(^^)




  


Posted by Toshiro Abe at 09:00Comments(53)

2020年01月15日

以上!!

どんな苦悩も、あなたの考え方と捉え方が作り出している。


なんて言われても、不安や悩みの最中にある人は、「お前に何がわかる!」ってな感じですよね。

僕も同じ反応するかもです。


にもかかわらず、どんな苦悩も、あなたの考え方と捉え方が作り出している。

これは事実なんですよ。



問題を作り出す思考があります。


昨日のあの事は失敗だったとか

月末の請求書だとか

憎いアイツのことだとか


ただし、思考というものは現れては消えていくという性質を持っています。

全ての思考は次々と消えていくのです。


ところが一瞬の思考を見た後で、その思考の内容を膨らませてストーリーを作ります。

そしてそのストーリーだけは消えることなく、マインドに居座り続けるのです。


それは出口のない不幸のように自分に襲い掛かってきて、やがては苦悩に変わります。


もし、

瞬間の思考を捕まえることができて、

「以上!!」と宣言することができたら、

それに続くストーリーは生まれません。



まずは深呼吸でもして心を十分に落ち着けて、

そして内側にわいてくる思考を見つめるのです。


どんな思考も出てきた瞬間、

「以上!!」と一言。

そうするとストーリーは生まれません。



ただし思考を捕まえるには、瞑想の静けさが定着していないと難しいかもしれません。

気がつくとまた、お馴染みのストーリーに巻き込まれています。






最後にもう一つアドバイス。


あなたがいま、どんな問題や悩み事を抱えていたとしても、それを解決するのはあなたではないということを、自分に教えてあげましょう。

自分が何とかしなくちゃいけないのに、どうにもならないから不快なのです。

何とかしようという思いを放棄しましょう。


ほら、楽でしょ(^^)



するとまた頭(思考)は、何だかんだ言ってきます。


「そんなことしたって問題は変わらないじゃないか」


そんな思考に対しても


「以上!!」




あらゆる苦悩はまさにいま捨て去ることができます。

捨て去る秘訣は、問題や苦悩の中身と関わらないこと。

その中身は、あなたが苦慮してもしなくても形を変えて収まっていきます。


だから全体にお任せしましょう。


だからと言って何もするなということではないですよ。

必要なことは、あなたを通して全体が動くということです。




何より大切なことは、いまあなたの心が安らかになること。


そのために、まずは深呼吸でもしてみましょう。



・・・・・・・・



今夜はWeb瞑想会を配信します。

今日もご招待しますので、ご都合がつく方は一緒に瞑想しましょう。

Web上とはいえ大勢の人とやっている実感があります。


今夜21時少し前になりましたら

https://www.ustream.tv/channel/rh5rrpCfAuq

にアクセスしてください。



  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(33)

2020年01月14日

セミナーが好きになりだした今日この頃

昨日は博多でセミナー。

ただ語るだけじゃなく、直接何かを感じてもらえるセミナーが好きです。



昨日のセミナーの最後に口をついて出てきた言葉。


「この世は一から十までイメージだ。

世界のこのと、自分のことも、人生のことも、どうイメージするかですべてが決まる。

そしてそれらのイメージは変えていけるんだ。

だって、それらは真実ではないのだから。

色(しき)の世界に正しいことも真実も一つもないのだから、深刻にならずに自由に生きよう」



自由とは、制限からの自由。

制限とは、自分のことだ。

したがって制限が消えたとき、自分が消えている。


それを解放と呼ぶ人がいるけれど、いつか解放されたいと願うと、解放されるべき自分がいるという幻想を、より強く信じることになってしまう。


ここがねえ(笑)



また今日もなんだかんだと言いだしそうなので、これくらいにします。



東京、大阪、博多、セミナーに来てくれた皆さん、ありがとう。

またいつかお目にかかれますように。



  


Posted by Toshiro Abe at 10:23Comments(27)

2020年01月12日

日日是好日

今日は1月12日か。

ついこのあいだ正月だと思ったのに、1月も半分近くが過ぎてしまった。

こんな調子であっという間に夏になり、もう今年も終わりかなんて声が聞こえてきそうだ。

笑い事ではなく、本当に一年があっという間に過ぎていく。


この稲妻の閃光のような年月をどんな気持ちで過ごしていこうか。

これまでの数年間だって、起きた出来事に対して全く違う感情で過ごすこともできたはずだ。


そのように言うと、感情を選べるような人は存在してなくて全てが自動運転なのだからできるわけがないじゃないかと言ってくる人がいる。

確かに人生は自動運転だが、その気になれば変えられるし、変えた気になることもできる。


例えばいま、あなたは3秒間だけ目を閉じることもできるし、しないこともできる。

じゃあやってみよう。

1、2、3

ほらできた。

やらなかった人も、やろうと思えばできたことを知っているだろう。

もちろんそれも大きな視点から言えば起きたことに過ぎないが、そんなところに引っかかってないで、より良いと思うことを生きたほうがいい。


話を戻すが、おそらくあっという間に過ぎ去るであろう2020年も、その気になれば少しでも幸せな気持ちで生きることが可能だ。


この世の全ての富と名誉を手に入れたのに毎日憂鬱な気持ちで暮らしている人と

何一つないけれど、スカッとした気持ちで喜びを感じて生きるのと

どちらか一つしか選べないとしたら、どっちがいい?





人の事なんてほっとけば良い。

あなたにつらく当たる人がいたとしたら、その人は幸せじゃないってことだ。

幸せならそんな言い方はしないし、そんなこともしないから。


その人が不幸な気持ちでいたいなら、その人の自由にさせてあげたらいい。


あなたは勝手に幸せでいればいいだけの話だ。



今日もいい日だな。

ニコニコ( ◠‿◠ )


どちら様も、ごきげんよう。


  


Posted by Toshiro Abe at 09:01Comments(46)

2020年01月11日

パラレルワールド

人生に「もしも」はないけれど、もしも僕が瞑想と出会っていなかったら、全く違う波動になっていたことでしょう。

この人生で出会えたものの中で瞑想は最高の宝だと思います。


今博多に来ています。

この身を取り巻く全てが輝いて見える。


人それぞれの波動によって、人それぞれの世界が作り出されていて、人間の数だけ世界があります。


そしてあらゆる人の中に、あらゆる世界を作り出す可能性が潜んでいるのです。


今日はここまで(^^)


  


Posted by Toshiro Abe at 15:11Comments(17)

2020年01月10日

ブログ生活15年

さて今日も何か書こうと思って、その前にコメントを読ませてもらったら、模察さんがなんとなく僕が言いたかったことをうまく言葉にしてくれていた。

ここに来てくれる古株の人の中には、さりげなく僕の言葉足らずをフォローしてくれる人たちがいて、とてもありがたく思っている。


ブログのような媒体は、書き手が何を書いたかではなく、読み手がどう受け取ったかが全てであり、読み手のレベル以上の情報が伝達されることはない。

そこにもってきて、あれこれ質問されても答えようがないのだ。


それでも何度か答えてきた。

それは過去記事に残っているが、質問者はそれを読むより手っ取り早いから質問をしてくる。

本人はこのブログの文章の矛盾点を指摘しているつもりでいるようだ。


僕に言わせれば、そんな言葉にひっかかるくらいなら、このブログを読まない方がいい。


言葉とは全体を表す部分に過ぎず、部分を一貫させることが全体を表すことにはならないからだ。

僕はそういう人たちを納得させるために書いているのではなく、その日のブログを必要としている人のために書いている。


な~んてね。

ちょっとカッコつけすぎたかな。



本当は楽しいから書いているんだけど・・・



そんなわけで、どなたさまもごきげんよう(^^)



  


Posted by Toshiro Abe at 11:45Comments(33)

2020年01月09日

もう先延ばししなくていいんじゃない?

今日も感じたことを書いておこう。


何日か前に良い気分という話をしたけれど、良い気分というのは元々の当たり前のものであり、努力して作り出すようなものじゃない。

そもそも僕らの本質が良い気分なのだ。


そしてイヤな気分とは、後から人為的に作り出したものだ。


違う言い方をすれば、天国(良い気分)は最初から存在していて、地獄(苦悩・怒り・不安、嫉妬などのイヤな気分)は人間が作り出したものだということ。


人は自分の周囲に個人的な地獄を作り上げて、天国を見えなくしているのではないだろうか。


この地獄の素材が「自己」という幻想だ。

幻想は幻想しか作れないから、地獄(イヤな気分)も幻想ということになる。



なに言っているかわかる?

わからなくても続ける。



こうしてあるがままの命に落ち着いていると、すでにあらゆる存在が天国にいることが分かる。


当処すなわち蓮華国

この身すなわち仏なり



でも人は、こんな単純な事実を受け入れることができない。

なぜなら、この事実を受け入れるためには「自己」が消えなければならないから。


自己が消えることには強烈な恐れを感じてしまうことだろう。

それは死の恐怖と同じだ。


だからこそ、この段階においてガイド(師)が必要になるのだ。


寛げば自己は薄らいでいく。

自己という幻想は、緊張の産物だから。

自力で何とかしなければという幻想が、心を収縮させている。


心の収縮が地獄であり、開放が天国だ。


したがって師とは開放された存在、開いた人のことだ。

何かを指導したり教えたりする人ではない。


実際には、何かを得る必要も、捨てる必要も、変える必要もなく、ただいまここのあるがままに寛ぐだけだ。


収縮には力が必要だが、開放は何も必要としない。





最後に伝えたいことは、自己が消えたとしても何も消えないということ。

だって「自己」は、いままで一度も存在したことがないのだから。

あるような気がして、自己催眠をかけてきただけだ。

最初から無いものが消えても、何も消えようがない。



誰一人、いまも天国から離れている人はいない。

みんなその中に生きている。


それなのに自分が作った地獄に固執して、天国を見失ってしまった。


そして、「良い気分になれない!」と叫ぶのだ。



たとえば水の中にいて 渇を叫ぶがごとくなり



白隠の時代から真実は何も変わっていないし、それを受け入れない人間の質も何も変わっていない。


もう先延ばししなくていいんじゃない?



・・・・・・・


【お知らせ】

1月19日 東京

「ブディズムセミナー・21世紀型の行動する仏教」

残り席わずかです。

詳細はコチラ



1月13日 博多

「ワンデイセミナー・幸福な富者への道」

詳細はコチラ



博多・東京 1月の瞑想伝授

日程はコチラ
  


Posted by Toshiro Abe at 12:35Comments(32)

2020年01月08日

師と弟子

はなさん

>まことの関係とは真理に向かうための師と弟子の関係以外にないというところ、また記事に書いてほしいです。


確かにここは重要なポイントですね。


まず僕が言う師とは、何かを教える人の事ではありません。

真理を説くとか、無欲を説くとか、釈迦がこう言っただとか、そんなものは大したことではありません。


もし誰かが無欲を説いているとしたら、その人は説くことを通して何を欲しているのでしょう。

そして、それを学ぼうとする人は、無欲を身に付けてどうなろうと言うのでしょう。


究極の安楽でしょうか

悟りでしょうか

解脱でしょうか。


もしそういうことを求めているとしたら、この世で得られる金銭や名誉より、もっと素晴らしそうな絶対的な価値を求めていることになります。

これ以上の強欲があるでしょうか。

師とは、何かを教える人ではなく、特定の境地に誘う人でもなく、ましてや聖者とか覚者とかいう特別な人に仕立ててくれる人でもありません。



師とは、いまここで完全に開いている人のことです。

それは資格でもなければ、特定の人格でもなく、まさにいまどうかということに尽きます。


したがってあるときは弟子の役をやっていた人が師になったりします。

師をやっていた人が、弟子になることもあります。

早い話が師とは、完全に開いた場を作る人のことなのです。



竜馬と土方歳三


僕が知る限り多くの師は、師を演じています。

固定された自己など存在していないのに、なにかを達成したかのような特定のキャラを身にまとっているのです。


彼らは固定された自己が存在し、時間の中を生きていると信じています。

ならば、彼らが見出した真実とは一体何なのでしょうか。


このような場合、師も弟子も完全に夢の中にいます。

それはそれで良いでしょう。

所詮、人生自体が夢なのだから。



師と弟子によるまことの関係とは、完全に開ききった関係のことです。


そこには安心と喜びと信頼があり、その時、全く当たり前な偉大なる真理を共有することになります。


それを愛と呼ぶ人もいます。


  


Posted by Toshiro Abe at 10:55Comments(21)