2021年10月31日

幻が消える時

昔のノートに

「これからやりたい活動は、みんなが今までの人生を全肯定するサポートだ」

とありました。


なるほど、とてもいい視点だと思います。


多くの人の人生には後悔や罪悪感のようなものがあり、人との比較によって自分の人生を取るに足らないもののように感じていて、そこには嫉妬やあきらめが巣くっていたりします。

もし人が己の半生を全肯定できたとしたら、いまの存在が輝きだすことでしょう。



基本的にはいまも同じように考えています。

ではそのためにはどうしたらいいか。


そのひとつは、まさにいま、無上の喜びに包まれることです。

いまが幸せならば、いまに至るすべての流れを全肯定できます。

悲しかったことも苦しかったことも、その出来事のおかげでいまがあるからです。


一度でもそんな経験をすれば、その余韻が残り続け、自分のありかたに違いを作り出すことでしょう。

でもまた時間の問題で、元に戻ってしまうかもしれません。


なぜならそこには理解がないからです。


ひとたび深い理解が訪れれば、その瞬間に意識が変容し、それは永続していきます。


では、何を理解すればいいのか。


それは

人生という名の、各自の大河ドラマなど存在していないという理解です。


人生の物語は単なる思考であり、現れては消えている刹那的な現象です。

存在しているのは唯一、まさにいまここの「これ」だけです。





この気づきの一撃が、人生という幻を消し去り、同時に「私」という幻も消し去ります。

そのとき永続する安らぎと至福が香り出すのです。



人の苦しみの大きさは、その人の思い込みの強さに比例していると感じます。

毎回同じ着地点に帰結しますが、まずは、あるがままのいまに落ち着くことです。


あなたが存在の中心に帰っていったとき、実際には何も起きていなかったことを知ることでしょう。

そしていままでも、いまも、ずっと救われていたことを知るのです。


この真実は、誰にとっても福音になります。



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今夜も21時から瞑想会をします。

https://youtu.be/R18vEcmfX5g







  


Posted by Toshiro Abe at 12:40Comments(10)

2021年10月30日

眞子さんと圭さんのこと

昨夜の講演は、いま起きている社会現象について話させてもらいました。

久しぶりにアベッチ独演会といったところでしょうか(笑)


その中で眞子さんと小室圭さんとの話に触れました。

今まで質問されても答えない立場をとってきたのは、僕自身が本当の事実を知らないからです。

昨夜はそれをあえて話題にしてみました。



お二人の結婚問題は最初から異様な雰囲気がありましたね。

一般の人たちは二次情報や三次情報でしか事実を知る術がなく、実際に何が起きているのかは当事者にしかわからないのに、一億総裁判官のような雰囲気がありました。


昨夜の講演でのチャットでも

「実際に会ったことのない人のことを、よくここまでバッシングできるものだ」

と言う人がいましたが、僕も同感です。


事実は当事者にしかわからない。

いや当事者でさえわかっていないかもしれません。

なぜなら

事は起きているからです。



これは僕たちも同じで、自分の身に起きている事をいちいち説明して納得したつもりになっていますが、実際のところは、ただそのように事が起きたということでしかなく、どんな説明も一側面でしかありません。

このような一側面を積み重ねて持ち運んでいるものをストーリーと呼んでいます。

だから人生は思い込みに過ぎないと言うのです。



話を戻しますが多くの人が批判側に回った風潮を見ると、ただただ愛のなさを感じます。

これは社会全体に感じることです。


そして人間というものは簡単に人を見下す傾向があるとも思いました。

大方が所有するこの結婚問題の構図は、

高貴な世間知らずのお嬢様が悪い男に騙されているからこの流れを阻止しなければ

というようなものです。


僕自身はむしろ眞子さんという女性から、相当な知性と人間力を感じていたので、ここについても違和感を抱えていました。

圭さん個人についても、何が問題なのかいまだによくわからず、むしろこのような風潮の中で自分の道を進むことのできる胆力を感じます。

さすが眞子さんが惚れるだけのことがあるとさえ思ってしまうのです。


この結婚がうまくいくかどうかは誰にもわかりません。

もしみんなが憧れるような一途な愛を貫いたとしたら、いったい人はなにを望んでいるのかということになります。






さていろいろ言いましたが、これらも僕自身が解釈した一側面でしかありません。

先程言ったように、当事者本人たちも説明のつかない何かに突き動かされているかもしれないのだから。


今回も思うのは、批判が大好きという人間属の特性と、さらにその特性を煽ることでビジネスが成り立ってしまうメディアの危険性です。

誰が悪いと言うのではなく、これは社会の構造的問題だと思います。



改めて話をしてみて思うのは、やはりこの世で起きている事の解釈は間接的なものでしかなく、どのようにでもなってしまうということです。

そのことをよく知っていれば他者と意見が違うからといって、むやみに対立することもなくなりますね。


それよりは直接的な真実を大切にするほうが、ずっと的を射た生き方だと思います。

直接的な真実とは、いまも目の前にある「これ」だけです。


最後まで読んでくれてありがとうございました。



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11月のハートマントラ伝授の詳細はコチラです。






  


Posted by Toshiro Abe at 10:51Comments(21)

2021年10月29日

簡単なレッスン

実際には朝晩二回、瞑想の時間を持つことが一番ですが、それができない人に簡単なワークを考えてみました。

もちろん瞑想実践者にも効果的です。





まずは一人になれる場所を確保して、目を閉じて静かに座ってください。

深呼吸をして少し気持ちを落ち着けてみます。


するとあなた側から何かしなくても、あなたの内側にお馴染みの思考が物語の形で現れてくることでしょう。

あなた自身への評価や、あなた自身に関すること、終わってしまった何かのエピソードなど、あるときは感情を伴いながら、まるでその内容を追体験するかのような時もあるでしょう。


そんな物語が出てくるたびに自分に言い聞かせます。

「これは私ではない」

それらの内容も、そこに登場していたあなたも何一つ真実ではありません。

酷い目にあった経験も、記憶という名の思考になっているだけで、自分がしがみ付いているだけであり、そのようなものといまのあなたとは何の関係もないのです。

例外は一つもないことを知ってください。



それではあなたは一体何でしょう。

あなたはそれらの物語を見届けている意識そのものです。

その意識がなければ何一つ現れ出ることができませんし、それらを認識することもできません。


そしてその意識は、現れてきた内容が何であれ一切影響されることはなく、まるでやってきたものをそのまま映し出す鏡のように、ここにあり続けています。

どんなに醜いものが映されようと、鏡自体は全く影響されていないのです。


あなたの存在軸が、物語の内容からその鏡にシフトした時、限りない開放感と喜びがあなたを取り巻くことになります。


これは練習すれば誰にでもできることです。

しかしあまりにも物語と同化してしまった人は、少し時間がかかるかもしれません。


「これは私ではない」


思い出したときにいつでもやってみて下さい。

きっと気持ちが落ち着くと思います。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:35Comments(12)

2021年10月28日

真実への道

いまさら誕生日でもないのですが、今年は思いがけず沢山の方達からお祝いしてもらい、生きていることを祝福してもらったような気がします。

ありがとうございました。

このことを力づけにして、流れのままに生きていきたいと思います。



さて今日は直球でいってみます。

イベントの紹介は遠慮がちになってしまうのですが、思いを残さないように書いてみます。


先日、奇跡のコースの香咲弥須子さんと会ってきました。

彼女が禅サンガをとても高く評価してくれていることが伝わり嬉しかったです。


奇跡のコースが教えようとしていることはただ一つ。

この世は幻想であり、人々の本質は愛そのものだということ。

これ以外にありません。


いまや我々は世界中の精神リーダーたちの本を読むことが可能ですが、その人たちの多くが奇跡のコースを学んでいたことを思うと、西洋人には分かりやすいということでしょう。

日本で流行らなかった理由はいくつか考えられますが、いまやっと時が来たと思っています。


愛(神)との最終的な合一は人間を超えた力によって起こります。

しかしその一歩手前までは、学ぶことと実践を通してたどり着けることは、すでに多くの人たちが実証済みです。


その一歩手前と言うのは、愛を生きることで物質的にも精神的にも充実し、思いのままの人生を繰り広げられるということです。

そのように言うと、いったいどこの誰がそうなっているのかと思うかもしれませんが、この阿部敏郎もその一人です。

ということは、偉人でなくても聖人でなくても、そのような生き方は誰にでも可能だということです。


自分にはそうなることが難しく思えるのは、たとえば奇跡のコースの内容に登場する「ホーリースピリット」とか、「ゆるし」とか、「神」などという言葉が、何を意味しているのか自分の中の実感と一致していないからです。

僕も最初はそうでした。


でも実感してみればとても当たり前のことで拍子抜けするくらいです。

そしてこの実感が、揺るぎない確信として真実が内側に定着するきっかけになりました。


ここまでは、きちんと学べば誰でもたどり着ける境地です。

どうしたらいいのかも、この数年間の試行錯誤によって明らかになってきました。


禅は奇跡のコースと全く同じ着地点を持っていますが、禅だけだと難しく感じてしまう人たちもいます。

何故なら禅は「いまここ」に徹していて、瞬時の悟り以外は相手にしないからです。

でもここに奇跡のコースという段階的カリキュラムが加わることで、多くの人に道を開示できると思っています。

そのためには、いますでに禅サンガで展開している奇跡のコースを、もっとわかりやすく、もっと日本人に合ったものに変えながら、最初の内は手取り足取り共に進んでいく姿勢が必要であり、いまサンガでも再構築しているところです。






さて前置きが長くなりましたが、コースに関心が持てない人も、禅と奇跡のコースの一致点を学ぶことは、真実への揺るぎない信頼になり、生きる方向が無駄なく統一されるようになると思います。

たぶん史上初になるであろう、禅僧と奇跡のコースのスペシャリストとの対談をいつまでも残る形でお届けしようと思います。

この二つの世界を繋げるには僕自身も必要だと考え、3人での講演を開催することにしました。

道を求めている人にとっては目からうろこの鼎談になると思います。


すでにご紹介していますが、開催日も近づいてきたので再度ご案内します。

詳細はコチラからご覧ください。


もちろん奇跡のコースも、真実に向かう道の一つに過ぎません。

原文タイトルが

A Course in Miracles

と言っていることからも明らかです。

他にもCourse in Miraclesはたくさんあることでしょう。

禅もノンデュアリティも仏教もスーフィズム(イスラム神秘主義)も道教もヒンズー教もタントラも行き着くところは同じです。


21世紀は宗教の枠を超えて、これらの内容がさらに洗練され、その人その人に合った形で提供されていけば、人類規模の意識変革に大きな貢献をもたらすと思います。

インターネットは使い方次第でその役目の一端を果たすと考えています。





  


Posted by Toshiro Abe at 15:14Comments(22)

2021年10月27日

無題

村を見渡せる小さな庭の石に腰掛けて、秋が深まった畑や周囲の山々を見ていました。

最初のうちは気分が少し重たい感じがしました。

何かがあったわけではなく、お馴染みの薄暗い雲のような漠然とした思考の塊が、心の内側に巣食っているのがわかります。

それは不確実な明日への不安や、終わってしまったことへの後悔のような形をとって、何十年にもわたり自分の一部と化してきている存在です。


その存在を感じると、まずは目を閉じます。

そして暗雲の正体をゆっくり見渡してみるのです。


すると薄暗い漠然とした思考のストーリーたちが、何ひとつ現実ではないことが見えてきます。

それらは全て想像上のものだからです。


それに気づいた瞬間、身体の首から上が消えています。

頭がなくなった空間は、天地いっぱいに広がって明晰な気づきだけになり、そのまま周囲の景観と一つになります。


青い空

白い雲

頭上を旋回するトンビ

ひだまりの中でくつろぐ猫たち

風の冷たさ

座っている石の感触


全てのものが溶け合っていて、どこにも分離はありません。

それまで心を覆っていた雲のようなベールは、単に無意識の習慣として存在していただけで、何一つ実体ではありませんでした。


すべては来ては去っていく、思考が作り出した束の間の現象です。

それらが複雑に絡みあい、まるで実体のようにして心に影響を与えているのです。


これらの思考の世界は、自分が『個人的な過去を持つ一人の人間』という幻想を抱かせます。

分離感の始まりであり、それが全ての問題、全ての苦悩の原因となります。

やりたいことができなくなり、漠然とした不快感を持ちながら、「いつか」という日を待ち侘びるようになるのです。


だから思考を離れるレッスンは極めて重要です。

多くの人は思考の中に答えを見つけようとして奮闘していますが、このような情報に出会ったいま、的を射た方向に自分をリセットすることが可能になることでしょう。

そして本当の自分を知るのです。

本当の自分・・・それは常にいま流れている荘厳なエネルギーであり、形を持たない愛と創造性です。

その完全に自由な感覚の中に、初めて人は生きる意味と価値を見出すことができます。



冬の気配が漂い始めた天河の朝。

今朝も信条が消えた自由意識の中で過ごすことができました。



今日は誕生日。

初めてこの世の光を見た日です。

まだ思考のストーリーを持ち運ぶ前だったあの日も、きっと同じような感覚に包まれていたことでしょう。





そしていま、また同じ自由と喜びの中にいます。

しかも明晰な意識を伴って。


人生という夢が醸し出す絶妙な仕掛けに感嘆しながら、この世から苦しみや痛みが消えて無くなる日を祈っています。


2021年10月27日






  


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2021年10月24日

旅路より

奈良県は北部の平野部と南部の山間部に分かれます。

天川村はそんな山間部の中でももっとも標高が高い村です。


だからでしょうか、たまに下界に降りるといままで全く違う場所にいたことを再認識します。

天川村は空気の密度が濃い感じがするのです。


一般に天川と表記したときは村全体を、天河と表記したときは天河神社の周辺を指します。

特に天河は村の中でも一味違う波動を感じます。

もしかしたら本当にここには見えない龍神が住んでいるのではないかとさえ思います。


説明が難しいのですが、少なくとも一人の男がこの地を離れられなくなってしまったのは事実です。

合理的な説明はできませんが、30年数前からここに魅せられてしまいました。

その理由は死んだらわかるのかな、なんて思ったりもします。



今日は東京で講演イベントがあるので、いま電車に乗っています。

車窓から見える景色に、秋の訪れを感じます。

冬ももうすぐですね。





コロナ禍になってから、ほとんどのイベントは自宅からのオンラインでしたが、今日は同じオンラインでも圓融寺というリアルな場所からの配信になります。

住職の阿さんと、雲黒斎さんという、気心が知れた仲間達との鼎談はとても楽しみです。


あらゆる出来事は最初から決められていて、一瞬遅からず早からず、絶妙なタイミングで起きているような気がします。



11月3日の「禅と奇跡のコース」にも同じことを感じます。

すべてのことがとても自然に展開し、気が付いたら完全な配置でことが起きているからです。


「禅と奇跡のコース」は奇跡のコースを学ぶ世界中の人たちにとって画期的なコンテンツになると思うので、収録後に英語字幕を付けて、世界に配信しようと香咲弥須子さんから提案されました。

真実は一つですが無数のアプローチがあり、その中でも象徴的な二つの世界の出会いは大変興味深いです。


このようなコーディネイトをさせてもらえて光栄です。


この案内文に要点がまとめられています。

これを読んでくれた香咲さんも深く共感してくださったようでした。

案内文はコチラからご覧ください。



このイベントは、まだお申し込みの受付は始まっていません。

明日(25日)からとなります。

25日と26日は早期申込割引で25%オフとなるので、この期間をご利用ください。




いま近鉄から新幹線に乗り換えました。

京都の空は快晴。


このぶんだと富士山も綺麗に見えるかもしれません。



今日もいい日でありますように。


どちら様もご機嫌ようお過ごしください。








  


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2021年10月23日

小春日和

昨夜の阿純章さんの講演は珠玉の時間でした。

それは話の内容だけでなく、彼の人柄によるところも大きいと思いました。

禅サンガをやっていてよかったです。

このような素晴らしい人材が何の努力もなく集まってくれたことに、ただただ感謝です。


昨夜の講演の中に出てきた言葉。


「仏教版 新しい生活様式」

深きを極め

浅きに遊べ



いいタイトルだな。

明日の阿さんのお寺で開催するイベントで、テーマにしたかったのもまさにこれです。


タイトルを「真実の死生観」

にしたけれど

「仏教版 新しい生活様式」

のほうがイメージしやすい(^^;)


いずれにせよ阿さんの話は、仏教に留まらない深みと説得力があります。


しかもイケメンだし。


顔写真が入った阿純章さんの紹介はコチラ





話は変わりますが、昨日の昼下がりのこと。

外に出て日向ぼっこをしていたら、餌付けをした4匹の黒猫が次々にやってきて、僕の周りでお腹を出して寝転がっていました。

隣の畑では蝶々が舞っていて、その時言い知れぬ幸福感がふつふつと湧いてきました。

ここが天国でなければ何だろう。


無条件に満たされている感覚。

所有物や社会的な成果とは関係なく、ただいるだけで湧いてくる幸福感。

これ以外に幸せはないと思いました。



そして幸せを感じない時間のことも想像してみました。

そのような時は、全体との分離を無意識に感じている時だと思います。

分離が持つ不快感が、いつか幸せになりたいという想いを作るのです。


そしてこう考えます。

借金を抱えていたなら、この借金が完済されれば幸せになれると。

借金がなくなっても貯えがなければ、せめて100万円あれば幸せになれると。

その金額が1000万円になっても、1億円になっても、もう少しあれば幸せになれると思うことでしょう。


あるいは、

この病が治れば幸せになれる。

母が心を変えてくれたら幸せになれる。

子供が学校に行ってくれたら幸せになれる。


幸せではない理由はいくらでも見つかります。

この理由こそがストーリーです。


理由を見つけているうちは、それを解決しなければ幸せになれないことでしょう。

しかし、もしストーリーを横に置き、全体と仲直りし、自分自身とも仲直りをしたとしたら、そこに湧いてくるのが幸福感です。

やはり幸福はそのような中にしかないと思います。


ストーリーを手放したとき、いまここの人生が始まっていきます。



明日24日は黒斎さんと、阿さんのお寺に行ってきます。

配信は15時からです。


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そんなわけで、明日の瞑想会は今夜に移動です。

土曜の夜の瞑想会もいいかも。

よかったら来てください。

https://youtu.be/5bXGrlaR_po



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最後になりましたが、先日行われた命のイベント「今、いのちがあなたを生きている」をyoutubeにアップしました。

見直してみましたが、この会は演出を超えたエネルギーに包まれていると思いました。

誰もがそれぞれに何かを感じてくれるのではと思います。

https://youtu.be/4oELDkhJbgU












  


Posted by Toshiro Abe at 08:20Comments(13)

2021年10月22日

コペルニクス的転回

今日は何を書こうかな。

とにかく書き始めてみます。



地球が中心にあって、全ての天体は地球を周回している。

歴史の中でこのような考えが長く信じられていました。


それもそのはずです。

もし我々が何の知識もなくただ空を眺めたとしたら、太陽が地球の周りを回っているように見えるからです。

このことは、あえて天動説を信じようという意図がなくても、あたりまえのこととして認識されていたことでしょう。


あるときコペルニクスが、地球の周りを太陽が回っているのではなく、地球が太陽の周りをまわっていると唱えましたが、その説を発表したのは彼が死んだ後だったそうです。

もし生前に発表していたら教会から異端児扱いされ、死刑を宣告されていたかもしれないからです。

それくらい逆転の発想を社会が受け入れるのは困難だということでしょう。






さて・・・

人生を生きている個人としての私が存在する。

その私は、考え、感じ、行動する。

その結果、私は私の人生を作り出している。


このことも、あえて信じようとしなくても、あたりまえのこととして認識されています。


思考や感情や行動を司っている私は存在しないという説も、コペルニクス的転回に匹敵します。

そんなことを真顔で言おうものなら、いまは死刑にならないまでも、頓珍漢なことを吹聴する危ない人間くらいには思われることでしょう。



天動説が地動説にとってかわった時、天体図はずいぶん整理されて合理的になったそうです。

同様に、自分が生きているのではなく、すべては全体の表現だということが分かれば、この人生の地図もずいぶん整理されて生きやすくなります。


私がやっていると思うから、後悔や罪悪感、そして不確かな未来に対する不安に襲われるのです。


いま起きている人類規模の意識変革は、個人の私という感覚から、全体意識へのシフトとして起きてきます。

私という個人は存在していなかった。

私はいないのです。


これは、存在がないと言っているのではありません。

私は存在するのですが、存在する私は個別の私ではなく全体としての私です。

主語を使わないと文章が成立しないので「私」という言葉を使いますが、これは私とあなたと言うときに使う「私」ではなく、存在自体のことです。


このことが解ろうと解るまいと、いままで同様にすべては展開していきますが、個別の私という幻想が抜け落ちれば、生きることが圧倒的に気楽になります。

なぜならあらゆる苦悩や精神の重荷は、私という幻想の主体が作り出しているからです。



あまりにもストレスまみれの社会を見るにつけ、この新しい発想(実はこれが真実ですが)を人々が受け入れた時、たちどころにこの地上に天の王国が出現するのにと思います。


何かを伝えたいとしたらこれしかありません。

まさに馬鹿の一つ覚えのように、これからもこの事だけを伝え続けていくことでしょう。



今日も何を書くのか決めずにただ書き始めましたが、また同じ内容になったようです(^^;)


最後まで読んでくれてありがとう。



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【お知らせ】

日曜日はイベント出演のために夜の瞑想会ができません。

そこで明日土曜日の21時から開催します。


また明日ご案内します。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(14)

2021年10月20日

思いの世界

人それぞれが、勝手に自分で作り出している思いの世界を信じていて、その世界は人によって全くと言っていいほど違います。

人間関係だけに限っても、あの人はこういう人だとか、こう考えているに違いないとか、そんなふうに人を決めつけているけど、多分それは間違っています。

そもそもその人がどういう人かとか、何を考えているのかさえも、その人の中でコロコロ変わっているわけで、何一つこうだと決めつけることはできません。

しかし思いの世界は決めつけでできています。


人々が作り出しているそれぞれの世界は、基本が疑いと不安でできているので、誰もが悩みや苦しみを抱えて生きることになります。

自分を傷つけたり人を傷つけたりするのも、その思いの世界が原因であり、思いの世界を後にしたとき初めて人は解放され、愛の可能性が芽生えてきます。

思いは愛を考えることはできても、愛することはできないのです。


キリストの言葉

「心貧しき者は幸いだ。天の王国は彼らのものだ」


「貧しい」という言葉を「少ない」とし、

「心」という言葉を「思いの世界」とすれば、


「思いの世界が少ない者は幸いだ。天の王国は彼らのものだ」


多分このように言いたかったのだと思います。


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24日の圓融寺からの配信イベント、「真実の死生観」の詳細はコチラです。






  


Posted by Toshiro Abe at 12:02Comments(11)

2021年10月19日

根本的な救済

大抵の場合、我々はこの世界から自分が切り離されていると信じています。

そしてたとえいまが順調にいっていても、この先何があるか分からないと感じています。

だから心休まる時がありません。


いつも頭は、何か最悪なことが起きたときの対策を考えていたり、そうならないようにいまの内に打てる手段を準備しておこうとしたり、心休まる時がありません。


上手くいっていようといまいと、いずれにせよ心も体も緊張したままです。


これはそもそもの、「自分は切り離されている」という誤解から生じているのですが、この分離感はかなり深い所に巣くっているので、おいそれとは消えてくれません。

何十年にもわたって間違った観念を固めてきたからです。

だから繰り返し真実を学ぶ必要があります。


ZENサンガも、この一点を東洋と西洋の教えを交えながら伝え続けています。

ノンデュアリティとかアドバイタとか呼ばれる非二元の教えを純化したものが、日本では禅という形で伝わってきているのですが、歴史の中でその大部分は形骸化してしまっています。

その真髄を取り出すことに成功した一つの例が、このサンガだと自負しています。

昨日紹介した阿(おか)さんも、このサンガについて、やっと自分の居場所を見つけたと言ってくれていますが、これからも創意工夫しながら、多くの人が分離という夢から覚めるお手伝いをしていきたいと考えています。







年齢と共に時間経過の加速度が増していきます。


不慮のアクシデントや、決定的な病、そして死という結末が否応なく迫ってきている中で、もう時間が少なくなってきたという焦りを感じている人もいることでしょう。

自分は人間としての「生老病死」という宿命から逃れられないと思っているかもしれません。


でも違うのです。

これらの不安は、不確実な人生の状況になんとか折り合いをつけて、自力で生き残っていかなければならないという妄信から来ています。



自分が世界から分離した個であるということを信じて疑わない状態から、それが本当に真実なのか改めて向き合おうとすることは、根本的な救済に一歩踏み出したことを意味しています。

今日の文章をここまで読んでくれた人は、すでにその道に踏み出しているのだと思います。

でなければ、途中で放り出してしまったでしょうから。


先ほどはZENサンガを自画自賛してしまいましたが、もちろん他にもあなたに合ったものが見つかるかもしれず、いまの情報化社会は危険な面も多々ありますが、使い方次第では有史以来の人類規模での飛翔に繋がると思っています。


このブログも、そんなお手伝いの一端を担えれば幸いです。






  


Posted by Toshiro Abe at 12:02Comments(15)

2021年10月18日

あなたはすでに目覚めています

真実を知るのは簡単です。

この世で最も簡単なことです。

だって、すでにあなたは「それ」だからです。


にも関わらず難しいことになってしまっているのは何故でしょう。

その訳は、我々が真実から背を向けて、幻想の世界にすっかりハマり込んでしまったからです。


幻想の世界で真実に戻ろうと努力すればするほど、かえって真実から遠く離れてしまいます。

ここがジレンマなのです。


この辺りを整理していくことは、大きな時間の短縮になります。

自分とは何なのか。

生きるとは何なのか。

ここから発する死生観を正しく知ることが、気楽な人生に繋がっていきます。


努力は要りません。

的を射た方向に意識を定着させるだけです。



10年ほど前に、僕の著書を読んでくれた比叡山の大僧正が僕を講師として比叡山に招いてくれたことがありました。

その場では僧侶の皆さんとあまり話が合わなかったのですが、ただ一人僕の話に理解を示してくれた青年僧と出会うことができました。

それが阿純章さんです。


5年前のZ E Nサンガ発足時から同志として共に歩んでもらっています。

10月24日に、阿(おか)さんが住職を務める圓融寺にお邪魔して、雲黒斎さんと3人で「真実の死生観」というテーマで講演会をすることになりました。

オンラインイベントなので、終からでもアーカイブでご覧いただけます。

今日からご案内を開始しましたので、コチラからご覧ください。





自分とは何なのか。

昨日の瞑想会のミニ講演でもお伝えしたように、あなたは目覚めそのものです。

悟りそのものと言ってもいいでしょう。

それが分からなくなってしまっているのは、自意識を持った個別の人間が自分だと感じてしまっているからです。

そうではないということは、仏教でも近代科学でも明らかにされているのに、個別の自己という観念はおいそれとは消えてくれません。


だから様々なアプローチからこのことを伝え続けてきました。

時間はかかりましたが、少しずつ何が本当なのかを理解する人が増えているのも事実です。

いままでも、そしてこれからも、ただただこのことをあなたに伝え続けていきます。



急に寒さが訪れましたが、どうぞお体を大切に、ご自愛ください。







  


Posted by Toshiro Abe at 11:01Comments(10)

2021年10月17日

単純な明晰さ

なにもかもすべてが過ぎ去っていきます。

これは外側の出来事だけではありません。

内側の思考も感情も、来ては去っていきます


怒りや、嫉妬や、後悔や、不安や、欲深さや・・・


これらは流れる雲のように、やがて消えていきます。

それなのにどうしてその一つにしがみ付いて、物語を膨らませるのでしょう。

さらにはそんな感情を持った自分を責めたり、そんな自分を批判したりもします。


そもそも、それらの感情や思考に対して価値判断すること自体が間違っています。

それらはただ、あるがままにあるのだから。


ただ見届けることです。

これはいいとか悪いとか言わないこと。







私たちとブッダとの違いは、湧いてくる思考や感情の内容にあるのではありません。

それらをただ見届けているか、あるいは巻き込まれているかの違いだけです。


この見届けている能力を覚醒と言います。

そして巻き込まれている状態を夢見と言います。


夢を見ているか、目覚めているか。

違いはそれだけ。

すべてはシンプルです。



今夜も瞑想会をお届けします。

https://youtu.be/ZBwS9eyoUCw




先日の命のイベントの話もしましょう。


イベントはまだ始まったばかり。

ここからイベントを引き継ぐのは、廣瀬さんの命です。







  


Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(12)

2021年10月16日

真理は言葉になりえない

昨夜は何をしゃべったかなァ。

覚えていることは、みんなで変なオジサンと変なおばさんになろうって・・・

それくらいかも(笑)


重要な内容が出てきたらブログでも報告しますなんて言っておいて、いざ書こうとすると、全部重要な気がしてピックアップできません。

やはりブログはブログのセンスで展開することにします。


このような情報を伝えていて思うのは、言葉自体は真理になりえないということ。

真理は完全に言葉を超えた世界であり、これは体感を伴う理解以外にありません。


言葉は情報(information)であり、真理は意識の変容(transformation)だというのはOSHO言葉。

情報と変容の違いは間接的か直接的かということ。

そして言葉は二元の世界の道具であり間接的で、真理は非二元という直接体験です。


だから老子も道徳経の導入として

「言葉で伝えられるものは道(TAO)ではない」

と言っているわけです。


にもかかわらず80章にも及ぶ文章を残しているのは、言葉しか伝達方法がないからです。


ところが人々は、道徳経や法華経などは真理そのものだと言い切ります。

真理なわけがない。

真理を指し示す方向指示器であり、月を指す指でしかないのです。







このことを完全に把握していないと言葉に縛られることになって分かったつもりになってしまいます。


真理への一番の早道は、自分は何も知らないということを認めること。

本などで得た知識はinformationに過ぎず、マインドのコレクションでしかないことを認めることです。



人間の知性というものは、何事にも正しい答えがあるはずだと考えます。

理路整然と分かりやすく伝えてくれれば、理解できないことはないと信じています。

そしてなんでも知れるはずだと思っているのです。

だから新しいメッセンジャーが登場すると、今度こそこの人が私を救ってくれると期待するのです。



でも科学が行き着いた先が不可知なる世界であるように、不可知は不可知なのです。


目覚めも悟りも真理も不可知です。

あると言えばあるし、無いと言えばない。

言葉で表しようがありません。

せいぜい言葉を方便として使うしかないのです。



しかもどの方向から方便を使うかで、内容は矛盾することになります。

もし一貫していたら、それは直線的であり、マインドの編集が加わっているということです。


ところが人は、お前の話は矛盾していると指摘してきます(笑)

そう言われながらも5000以上の記事をここに書いてきました。

このブログに異論反論は無用だと言い続けてきたのもこのような理由です。


また傲慢かましてしまいましたが、今日はこんなところで。







  


Posted by Toshiro Abe at 08:45Comments(19)

2021年10月15日

命のイベント・アーカイブ配信のこと

愛とは何か。

それは自分にもあるのか。


そんな風に考えていた人の多くが、あの日、愛を確かな存在だと感じてくれたのではないでしょうか。


その瞬間は、外側だけでなくご自分の内側に愛が訪れていたということです。

これは誰かが作り出すものではなく、ただ起きることです。


メディアを通して愛を見る機会は少なく、たとえ見たとしても判断する自分がいることで、直接体験に至ることは稀です。

命のイベントにおいて多くの人が愛を認識したのは、その時間帯、自分自身が愛になっていたからです。


時空を超えた何かがそこにはありました。

何日も前からこの波動をキャッチしていたので、イベントの成功を確信していましたが、それがオンラインで可能だと再認識できたのは大きな収穫でした。

これから何をやっていけばいいのかが明確になったと思います。






さてこの日のアーカイブですが、有料配信にして、こちらも全額廣瀬さんの新しい人生の活動資金にしてもらう予定でした。

しかし昨日廣瀬さんから僕宛てに報告があり、いまもまだ善意が寄せられていることを聞き、廣瀬さんへのドネーションは皆さんにお任せすることにして、こちらは無料配信とさせてもらいます。



廣瀬さんからはまた追ってみなさんにご報告があると思います。

もう彼は生きるしかなくなってしまいましたね(笑)


今夜はZENサンガのソロ配信ですが、もし重要な内容が出てきたらまたブログでご紹介します。



あらためて、参加してくれた皆さんに心からありがとうございました。










  


Posted by Toshiro Abe at 09:53Comments(19)

2021年10月13日

私信 後記

何日も前から温かい波動が内側から湧き出してきていて、この感覚は昨夜のイベントの準備なのだと思っていました。

人生に時折訪れるこの感覚は、この世のすべてが愛によって生成されていることを感じさせてくれます。


昨夜はそんな波動にすっぽりと包まれ、まるで愛のシャワーの中にいたような気がしました。

言葉ではなく、見えないエネルギーの分かち合い。


このことは予感できていたので、そんなスーパー宇宙温泉に一人でも多くの人を誘おうと、自分としては珍しいくらい告知を重ねました。

直前のさとうみつろう君の計らいもあって、結果的には15000人以上が参加してくれました。

ありがとうございました。


昨夜お互いに癒された分だけ地球が軽くなったのを感じます。

この体験はいつまでもあなたの人生の奥から、あなたがどこに向かえばいいかを教えてくれると思います。




またこうして新しい朝がやってきました。

すべては打ち上げ花火のように束の間の閃光のように消えていきます。


喜びも悲しみもすべては来ては過ぎ去る束の間の出来事。

そんな世の中にあって変わらないものは何なのか。

それを探す旅をしているのだと思います。


たどり着いてみたら、それは「いまここ」だった。

そして到着地の別名は「愛」。


イベント終了後に、廣瀬洋二郎さんが電話で言っていました。

こんなに廣瀬と言う名前を呼んでもらって注目されたのは生まれて初めてだったと。

癌になって良かったとまで言っていました。



愛は目に見えないけれど、確かなものとしての臨在を感じさせてもらいました。


いまも僕たちは「それ」です。






  


Posted by Toshiro Abe at 09:23Comments(44)

2021年10月12日

私信

不思議なんですが、この数日間とてつもなくエネルギッシュです。

ただ与えるつもりで行動に移した今夜のイベント配信。

一番受け取っているのは僕かもしれません。


あらゆるエネルギーは双方向。

与えたものを受け取ることになっているんだなと、あらためて実感しています。


そんな僕が言うのも変ですが、今夜の時間は掛け替えのないものになると思います。

何をするからではなく、共に集まった者たちみんなが高い波動に包まれると感じるのです。

それは一人一人が持つ波動であると同時に、みんなで共有している天からの贈り物でもあります。


「命のイベント」

多くの人に祝福が訪れますように。


これからでも参加できる方はコチラからご登録ください。









  


Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(24)

2021年10月11日

恐れから愛へ

みなさんから寄せられた廣瀬洋二郎さんへのメッセージ。

生きることの苦しさや、それぞれの困難が伝わってくるメッセージも多く、きっと廣瀬さんというシンボルを通して、12日は一人一人が癒される日になるのでしょう。


善意だけが集まった時、どんなエネルギーに包まれるのか。

この流れは、時折見せてくれる神からの贈り物のような気がします。


生きる上で希望を持つことも大切でしょう。

でも同時に、希望は単なる時間延ばしであり、どこにも連れて行ってくれないことも見抜く時です。

いまこそ、すべてをあきらめて、明日に向かうエネルギーをいまここにシフトし、想像を超える偉大なエネルギーによって生かされていることを見抜くのです。





恐れの世界から愛の世界へ

この内なる変化が、いま起き始めた大変革の本丸です。


この変化は、恐れの世界が少しずつ修正されて愛の世界に変わっていくのではありません。

古いものの延長戦上に作られるのではないのです。


水平線が垂直線にシフトするのと同じで、全く違う存在形態に変わります。

過去や未来という時間の幻想が作る物語の世界から、いまここにあるリアリティとダイレクトに関わる世界へ。

恐れや罪悪感や疑いや防御や攻撃性などでできた世界から、愛と安心の世界にシフトするのです。

愛は真実だから。


廣瀬さんに電話で伝え続けてきたのもこのことです。

よくある励ましなどとは違う話をしてきました。

12日は励ましや希望も必要でしょうが、その前に、死に直面したからこそ覚悟を決められるこの機会を逃すことなく、人生をリセットして生き直せる会になればと思っています。


参加費はご本人への現実的な支援になりますが、いま経済的に大変だと言う人も、どうぞできる範囲でいらしてください。


詳細はこちら









  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(16)

2021年10月10日

阿部君は阿部君のままだけど

自分が暮らしている日常の感覚は当たり前になっているのでいちいち人と分かち合うことがありませんが、あえてそれを言葉にしてみれば、誰かの役に立つこともあるかもしれません。


若いころといまとは、何も変わらない面があるのと同時に、まったく違う質が定着しています。

それは何かというと、世界から手を引いている時間が長くなっているということ。


一か月くらい前の瞑想会レクチャーで、思考の渦から離れるという解説をしましたが、あんな感じが一日の半分近くを占めています。

誰とも会わない時間が多いのでできることかもしれませんが、人と会っていてもこの感覚に包まれることがあります。


この感覚を言葉にすれば、「何も起きていない」となります。

世の中は表面的にはいろいろなことが起きているように見えますが、私という存在は全く影響されずに静寂と共にあります。


活動に慣れ切った人は、何も起きていない時間がつまらなく感じるかもしれませんが、愛と安堵に包まれていると、つまらないとか面白いとかいうことがどうでもよくなります。


一つ断定的に言えるのは、この感覚は例外なく誰もが持っているということ。

持っているというよりは、誰もがそれそのものだということです。


だからこうしてメッセージを送ることが一番やりたいことなのでしょう。






さて自分に気合を入れて(笑)、この現象界に参加し始めると、そこで再同化する自分は若いころと変わらず、まったくもってしょうもない人間です。

静寂の時間帯が長ければ、自我もそこに影響されて静まってもよさそうなものですが、阿部君は阿部君のままです。

そしてまた体力切れが起きるのか、ドラマから完全に手を引くことになります。


これは年齢の影響なのか、意識が変容してきたからかは分かりません。

自然にそうなりました。


最初のうちは、完全に自分と同一化していたので、世界の現象から手を引くのは瞑想の時間だけでした。

そこには微妙な努力があったような気がします。

いまはむしろ、この世界に戻って来るのに気合が必要な時があります。


僕の話を理解できている人は、遅かれ早かれ生活自体が同じような感じになりますよ。

すると、やることが減るのに生産性は高まるという不思議なことが起きてきます。


努力していた頃よりずっとスムーズに事が展開するのです。

だれもがこの方向に変化し始めているように見えます。



そうしたらこの世はパラダイス。

余計なことはしなくなります。

余計なこととは、人の目を気にしたり、自分や他人を正しさで縛り付けたりすることです。


もっと正直で開かれた関わりが始まっていくことでしょう。

そうしたら本当にやりたいことを援助しあえますね。



今夜は日曜瞑想会です。


みんなで世の中から手を引きましょう(^^)


お時間がある方はライブでご参加ください。

https://youtu.be/B9n9sCqbbqw







  


Posted by Toshiro Abe at 09:35Comments(14)

2021年10月09日

すべては束の間

数日前に見た夢を思い出せないように、我々が大騒ぎして過ごすこの人生も、わずかな時間に全て忘れ去られ、後には何も残らないことでしょう。

そう、文字通りなにも残らないのです。

それなのに、どうして小さいことを気にして、人の目や評価を気にして生きていくのか。


全ては束の間です。

とどまるものは何もありません。

あらゆるものは来ては過ぎていきます。

あらゆる想いも来ては過ぎていきます。


しかもただ過ぎるだけではなく、対極に変わっていきます。

喜びは悲しみに

充足は不足に

愛は憎しみに

栄華は凋落に

そしてまた反転し始めるのです。


これがわかれば、執着するものは何もありません。

全体が動くままに任せるだけです。

そもそもやっているのは自分ではない。

ことはただ起きているのだから。


自分のスタイルを持つ必要もなく、流儀に縛られる必要もない。

人の期待に応える必要もなく、いつもいまの感応を生きればいいだけです。


いちいち起こることに対して、

これは違う

これはこうあるべきだ

などと言う必要もありません。

だってそのように起きているのだから。


このことを理解した時、人は起きることに対して自分を主張しなくなります。

ただ信頼し、全体とともに流れ出します。


これがサレンダー。

繰り返し伝えてきた「降参のススメ」です。





この先何が起きるかは誰にもわかりません。

そんな不確実な未来に対して気楽に生きる方法があるとしたら、特定の目的地を持たないということ。

ひとたびそれを持てば、起きることを自分の目的に合った形に修正したいと思うことでしょう。

でも目的地を持たなければ、この旅全体が気楽なものに変わります。


全体を自分に合わせようとせずに、自分が全体に合わせていくのです。


さらに理解が進めば、合わせることさえ不要になります。

なぜなら全体と自分は一つだから。






  


Posted by Toshiro Abe at 08:04Comments(14)

2021年10月07日

僧侶じゃない2人の僧侶と、僧侶をしている僧侶

一昨日のサンガは、雲黒斎さんの「ONE OF ZEN」

老子のTAOシリーズを取り上げた第7弾。

いつもの切れ味で本題を扱ったところで質疑応答。


「私は自分の考えが分からない」

というコメントに対して

「そもそも自分の考えなんてありません」

って。


ご名答。

思わず腹を抱えて笑ってしまいました。



老子は何も特別なことは言っていなくて、ごくごくシンプルな真実を説いています。

真実を頭で理解している人が多いけれど、その人がどの程度の理解を生きているかは、どれくらい気楽に生きているかでわかります。

ただ起きることが起きる。

そしてそれを起こしている人はいません。

このことを当たり前の真実として生き始めた時、本当の気楽さが現れてきます。



さて黒斎くんも僕も仏教やTAOの専門家ではないけれど、それらについて語ることが多くあります。

勉強したから語るのではなく、内なる体験からくる理解が仏教やTAOと酷似しているから語っている点も同じです。


そんな僕たち(阿雲の呼吸)が、10月24日に目黒の圓融寺を尋ねて、住職の阿純章さんと仏教談義をかわします。

阿さんは中国政府の奨学金留学生として、北京大学で仏教思想史の博士課程を終えた仏教学者さん。

ZENサンガでも活躍してくれていますが、どんな鼎談になるのか楽しみにしていてください。

阿さんもすごくエキサイトしてくれています。





オンライン講演になるので、また詳しくご紹介します。

24日の14時半スタート予定です。


今年はあと幾つくらいイベントができるかな。

一緒に楽しめて、新しい気づきがあることをやっていきます。



昨日ご紹介した命のイベント。

たくさんのご参加をありがとうございます。

アリーナ席さんが言うように、久しぶりの本気モードでお届けします(^^)







  


Posted by Toshiro Abe at 09:40Comments(4)