2020年11月30日

小さな気づき

昨日話したように、仮面によって無意識の層に閉じ込められた怒りのエネルギーは、日常での我々の行動にも影響を与えています。


それが出やすいのは食事の時。


怒りを溜め込んだ人の食べ方は、食物を破壊するような噛み方になります。

バリバリと砕いてのみ込むのです。


まるで野生の動物が敵を攻撃する時みたいです。

我々は人に対して噛みつくことができないから、それを食べ物に対してやっていたりします。


そうやって食べた食べ物と、愛しんでいただく食べ物とでは、体内で消化されるときに違いが起きるのは言うまでもありません。

我々は物資を食べるというよりはエネルギーを頂いているのだから。





だから食べる時は、怒りから意識して離れることが大事なわけです。

怒りは意識すれば出てきません。

怒りは無意識の土壌でしか発揮できないから。


その証拠に、いますぐ怒れますか?

怒るフリはできても、本当には怒れないでしょ?

意識的には怒れないのです。


だから意識的に食べるということが大切になります。

食べる時は、他のことをゴチャゴチャ考えずに、いま食べようとしているものと完全に向き合っていただく。

簡単に言えば品よくいただくということ。


これは健康の土台だと思います。



当たり前の話でしたが、食べるたびにお互い思い出しましょうね。





  


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2020年11月29日

反逆のススメ

「彼は人格者だね」

この言葉は一昔前までは誉め言葉でした。

人間が社会を個人以上に重視し、社会のために生きるのが美徳だった時代です。


人格は社会秩序にとって不可欠です。

自律してくれるのだから、支配側にとってこんなに都合のいい話はありません。


でも人格を厚くするたびに、その人本来の顔は失われていきます。

これは社会的な生き物である人類の宿命かもしれません。


子供の頃から、自分でいることはたしなめられてきました。

TPOを徹底的に教育されたのです。


そこに順応した子は「良い子」であり、反抗すれば「悪い子」となります。

僕は悪い子のレッテルを張られたまま大人になりましたが、そのおかげで自分を見失わずに生きることができました。

そしてこれこそが幸せの何たるかだと思います。


人格者は社会的な評価は高いですが、その裏側で失っているものは膨大です。

まるで分厚い仮面を付けた役者のようなもので、その仮面を取ることは至難の業となり、おいそれとは自分自身でいることができません。



これは一人きりの時間も続いていきます。

もう彼らは自分の顔を忘れてしまったのです。


だから人格者たちはみんな同じように見えます。

あるべき形を生きていればそうなるのも当然です。



人格者は自我が少ないように見えますが、それは違います。

彼らは自我を押し殺しているだけで、誰よりもエゴイスティックです。

なぜなら人格とは、自我による作為的な結果だからです。



一方で自我が落ちてしまった人は極めて個性的です。

個性を止めるものがなくなるから。

だから大抵は変わり者に見えるはずです。



個性と人格は真逆です。


個性は自然が与えたものであり、人格は修練して作られたもの。

個性はそれぞれの本質が持つ真実であり、人格はイミテーション。

個性にはイキイキとした幸福感があり、人格は乾いて死んでいます。


幸せでありたければ、自我の計算を減らして個性的に生きること。

人まねではなく、社会に迎合するのではなく、自分を生きるのです。


これは誰にでもできることですが、誰にでもできることではなくなってしまいました。

これこそが教育の成果(?)と言えるでしょう。


これからは、人格ではなく個性を生きる時代です。

にも関わらず社会秩序が保たれるのは、正しさではなく、そこに愛があるからです。


そんな人が増えていくことが、新しい文明の礎になっていくのでしょう。


そのためには反逆的に生きる人が増えていくことです。


反逆という言葉はOSHOがよく使っていました。

最初は意味が分からなかったけれど、いまはこの言葉が愛と同義語だということがよく分かります。




今夜も21時から瞑想会を配信します。

アドレスは

https://youtu.be/YrLlrva-4vE

天河からのお届けです。



水曜日(12月2日)は沖縄からの配信です。

https://youtu.be/lPOM6QQqBEU





  


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2020年11月28日

(続) おーい、お茶

人が少しでも気楽に生きられるきっかけになりたいと思っています。

昔からそういう動機に突き動かされてきました。


それではなぜ人は気楽でいられないのか。

活動を通して見えてきたことの一つは、いまのままでは何かがダメだという思いです。


何事も単に起きることが起きているだけなのですが、人はそこにあるべき姿を投影して、そうなっていないことに憤ったり不安がったりします。


それらの感情は起きていること自体が作り出しているのではなく、その出来事に対する自分の解釈が作っています。

「あるべき姿」という投影によって、「あるがままの姿」が否定されているのです。


これは出来事に対してだけでなく、自分自身に対しても頻繁にやっています。

自分には何かが足りないというわけです。


性格も、人間としても、社会的にも、まだ十分ではない。

ましてや悟りなど程遠く、もっと自分を正常にするためにあれこれ矯正しなければならない。

と本気で信じています。


このような態度の根本的な誤解は、物事を変えられる自分が存在していると思っていること。


でもことは起きているのであって、自分の感情や思考も含めて誰かがやっているのではありません。

あなたは現実をコントロールしている主体ではないのです。


それを徹底すれば、苦しみや深刻さはだいぶ軽減されます。


徹底できないからと言って自分に失望する必要もありません。

それもまた起きているのだから。


すぐに腹が立つことも、そんな自分に嫌気がさすことも、何から何まで起きていること。


だから「勝手にしろ!」でいいのです。


すると少し諦めが出てきて、その分だけ緊張が解けます。

すると怒りっぽさが少し減ってくる。

もちろんそれも起きれば起きることですけどね。


これが言葉の限界ですが、あなたが気楽になることを祈っています。

すると、何とかしなければと思っていた現実も変わってくる。



「全てが起きることなら、どうしようもないじゃないか!!」


まあまあそう言わずに

お茶でもいかが?


「おーい、お茶」













  


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2020年11月25日

おじぎ

昨日サンガでの講演で、他者の中に光を見ることの大切さの話になりました。

他者を光として見ることは、自らが光であることを認めることでもあります。


相手を光として見るというのは西洋的な表現ですが、日本人も知らずに生活習慣としてやっていますよね。


お辞儀がそれです。





お辞儀は、相手の中の仏性に対してやっています。

だから目上も目下もなく、みんな会えばお辞儀をします。


横綱と平幕力士の対戦も、対等なお辞儀から始まりますよね。



今日もあなたの中に鎮座するブッダに

ご挨拶。






今夜21時からの瞑想会は

https://youtu.be/CtfMt2IqjaU

です。



12月のハートマントラ伝授は残り枠が僅かです。

ご希望の方はコチラから。

https://imacoco.ti-da.net/e8556274.html





  


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2020年11月24日

おーい、お茶

いま何をしていてもいいから、5分間だけ時間をください。

それもできないくらい忙しい人は、時間ができてからでいいです。

でもたぶん時間はできないでしょう。



さて、この5分間に何をするのか。


まずは目を閉じて、頭の中にあなたの人生のすべてを入れ込みます。

あなたの家も、職場も、あらゆる人間関係や、いまやっていること、抱えている問題や心配、希望や野心、それらすべてをギュッと凝縮して頭の中に置きます。


そうしておいて、その凝縮した人生という箱庭から、あなたの意識を少しずつ上に昇らせてみます。

少し距離をとるのです。


そして数分間ゆったりとします。

周囲の音や空気感の中に佇むのです。


あなたはいま人生から離れてあります。

あなたの意識のすぐ下で、騒々しい人生が刻一刻と動いています。


そのまま放っておきましょう。

人生のことは人生に任せて、あなたは達観しています。



さっきまで大騒ぎしていたかもしれないけれど、実際には大したことではありません。

あなたの隣人の頭の中には、全く違う箱庭があり、そこにはあなたはいないかもしれません。

その隣人も違う理由で大騒ぎしています。


そうやって見てみると、人生とは冗談のようなものですね。

どうでもいいことに真剣になって、ある時は衝突さえするのだから。



おーい、お茶。






・・・・・・・・・・・


【お知らせ】

12月のハートマントラ瞑想オンライン伝授の日程が決まりました。

https://imacoco.ti-da.net/e8556274.html


すでにハートが終わっている人は、年内にルート。スロート、サードアイがあります。

https://imacoco.ti-da.net/e11606443.html




  


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2020年11月22日

初めての体験

昨日は人生で初めてというくらい酔っぱらいました。

武勇伝を言えばウィスキーボトルの一気飲みとか、テキーラーを一本空けての朝までライブとか色々あるのですが、昨夜はその半分くらいの量で、どうやって家まで帰ったのか記憶がありません。

タクシーに乗った覚えもなく、夜明け近くに大きな音で階段を上っていたという話をいま聞きました。


本当に初めてのことで、何が起きたのかわからない。



ついさきほど目が覚めて、本能的にパソコンを開いて、こうして何やら書いています。


お店の人にも迷惑をかけたでしょうし、生きているだけで多くの人の世話になっているのだと改めて思った次第です。


m(_ _)m


そんなわけでいまから瞑想して、今夜も瞑想会をします。

よかったら来てください。


21時からコチラです。

https://youtu.be/sVe6FOcDKHY



ここまで生きてきて初めての体験があるのだから、人生は面白いね。


この先なにがあるのだろう。


もしかしたら酒を飲まなくても記憶がなくなるのかもしれない(^^;)

いつも生意気なことをのたまっていますが、こんなこともある人間アベッチです。



おっ、なんだか気力が戻ってきた。


今日も生きるぞ!


みなさん、よい休日を。










  


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2020年11月21日

流行らないけど本当の話

人生にはなにかしらの問題が生じていて、誰一人として一切のわずらわしさから解放されている人はいません。

しかも心の内側ではどうしても埋まりようのない欠乏感が疼いています。


これらを解決するために、人は様々な計画を持つのですが、たとえその計画がうまくいっても、また違う形の不満が生じてくるのが人生です。

恒久的な幸せ、完全な満足といったものは、空想上の産物でしかないのです。


確かに環境は変わっていきます。

経済的に豊かになることもあれば、理想的なパートナーに巡り合うこともあれば、やりがいのある仕事に就くこともあるでしょう。


それによっていまの不満は解消されますが、時間の問題で新しい不満が出てきて、その不満の根本は変わりません。


真実を言えば

「人生はこれ以上良くならない」

のです。


この言葉は数十年前から繰り返し伝えてきましたが、どれくらいの人が理解してくれたでしょう。


そんなことはないと断言する人はそれでいいです。

あなたを説得しているわけではないからです。





さて、道は大きく分けて二つあります。


一つはいままでどおり、「いまよりもっといいいま」を求めて生きていく生き方。

もう一つは、いまの状況が何であれ、ただそれを生きていく生き方。


もちろん後者も、一番いいと思った選択をしていくので前者と同じですが、人生の基本スタンスが違います。

別の言い方をすれば、未来を生きるのか、いまを生きるのかという違いです。



近代史の中で最も財を築いた自動車王のフォードが、死の間際に言った言葉は

「More」

だそうです。


彼が特別に欲深いのではありません。

これが人間なのです。


「人生はこれ以上良くならない」ということを受け入れることができたら、それは自分自身への最高の贈り物になります。

皮肉なことに、はじめて満足を生きることができるでしょう。


ただ、いまを生きるのです。



ここまで読んでくれたあなたは変わり者です。

多くの人は自分の希望や夢をサポートしてくれる情報に惹かれ、それらを取り去るような情報には拒否反応を起こすからです。


でも変わり者こそが新しい時代を切り開くのであり、真の幸福を生きることができます。

そしてその延長線上に、時間という幻想、自分という幻想からの目覚めがあるのです。



このような話は社会にはほとんどないので、またすぐに共同幻想に飲み込まれてしまうことでしょう。



したがって

まずは瞑想習慣を持つこと。


そして新しい視点の情報に触れ続けること。



これがあなたの人生の大転換に繋がっていきます。





  


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2020年11月18日

いい話も、ちゃんと聞かなきゃ分からない

昨日は雲黒斎君とのコラボ講演でした。

久しぶりに会ったんですが、彼とのコラボはいつも家族と話してるみたいな気になり、調子に乗り過ぎて時間を忘れてしまいます。


かなりノリノリで自分のエネルギー配分を忘れてのスタートダッシュ。

途中でさすがに疲れたのか、さっき動画を見直してみたら黒斎くんの話を聞いているのかいないのか分からないような状態の時がありました。

彼が凄くいい話をしたのに、僕の意識は半分飛んでいてちゃんとした反応ができていなかったり



例えば、途中で彼がこんな話をしたんです。

もし生まれた時から自分の家に大きな金庫があって、その金庫の中には金の延べ棒が保管されていると親から聞かされ警備員まで雇っている。

しかも毎日のように金の価格の変動を親が話題にしていたとしたら、本物の延べ棒を一度も見たことがなくても、絶対に金庫の中にあるはずだということを信じて疑わなくなると言うのです。


ところが実際にはそんな延べ棒は金庫の中にはない。

でも自分は、そんな可能性は夢にも思わず、人生をかけて守り続けるという話です。


もしかしたら僕たちが人生で大切にしている価値観は、みんなこれと同じようなことかもしれない。

本当に価値があるのかなどを考えることなく、みんなそうやって生きているからという理由で自分も鵜呑みにしてやっていることが多いのではないかという教えなのだと思います。

そうやってわかってみれば、いい話だなぁ。

これは動画を見直して分かったことで、その話を隣で聞いていたときは途中までは話について行ったのですが、途中から意識があの世に飛び始めていて自分がどこにいるのかよく分からなくなっていました。






そんなことが何回かあったみたいで、黒斎くんごめんごめん。

次回はペース配分考えるからね。


講演を配信すると、こうやって後になって見直すことができて、僕だけでなく見ていた皆さんも、その時はよくわからなかったけども後になって分かるなんてこともあるんじゃないでしょうか。

動画が残るのはいいと思いました。



さて今夜は恒例の水曜瞑想会。

いつもの智子さんのナチュラルな流れを邪魔しないように、おとなしく参加しようと自分に言い聞かせている私です。


今夜21時からのアドレスはこちら。

どなたでも自由に参加できます。


https://youtu.be/MDa3RBe_YBY




  


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2020年11月15日

幻想からの目覚め

人の心が完全に落ち着けないのは、そして安心の中にいられないのは、いまの生活状況のせいではありません。

もちろんコロナのせいでもありません。


それはただ一つのことに起因します。


時間という幻想です。



「いまここ」という言葉を何百回も聞いてきているのに、単なる言葉として処理してしまい、実際には何の役にも立っていないのです。


人は「物事に取り組んでいる私」という主体的な自己が存在すると信じて疑いません。

何度ノンデュアリティ(非二元)の真実を耳にしようが、人生をコントロールしている自分がいるという感覚から離れられないのです。


「私」とは何でしょう。


それは過去の記憶のすべてです。

あなたから過去を消してしまったら、あなたは誰ですか。

あなたという主体は消えて無くなります。


なぜなら、「自己」と「時間」は同じ幻想の違う側面だからです。






毎日ブログを書くということがなくなってきましたが、新しい情報を待つよりも、今日の記事を毎日読み続けたほうがいいと思います。


この一点を理解すれば、あなたの苦悩は消えて無くなるからです。


あらゆる不安や心配は、「過去であるあなた」が「未来という日々」を信じているからです。


将来どうなってしまうのか。


明日の生活が心配な人は、せめて一か月先が保証されたらどんなに楽かと考えます。

半年分の生活費を得ている人は、一生の保証が手に入ればどんなに楽かと考えます。

やがては子供の人生が心配になり、それはどこまでも続きます。


それらは全部、未来という時間の幻想がもたらすものであり、いまいくら持っているかではないのです。


そして人生とはいまを生きることであり、それは何をするかではなく、あなたの在り方によって決まります。



今夜も瞑想会に招待します。

https://youtu.be/W2wDGlZmsXA



阿雲の呼吸で12年間伝えてきたのも今日のような話です。

二人に共通しているのは時間からの目覚めです。

久しぶりのコラボ講演が、あなたへの目覚まし時計になりますように。

お申し込みは明日までです。

https://niketoko.ti-da.net/e11731834.html





  


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2020年11月11日

諸行無常

子供の頃は新しいことを始めても3日と持たなかったのが、大人になってからは逆に、一度始めるとそれがいつまでも続くようになりました。

たとえばこのブログも15年になります。

瞑想の普及を始めたのが30年前。

当初は「リーラ・メディテーション」と名乗っていました。


向禅師とコンビを組んで25年。

オンライン化したZENサンガは6年。


みつろう君とのユニットは7年。

そして雲黒斎君との阿雲の呼吸は12年。


たぶんいま挙げた活動は生涯続いていくものと思われます。

90歳になっても、もし息をしていたら、何かやっていることでしょう。


引退だとか卒業だとか、この活動に関しては考えられません。

だって生きることそのものだから。


そして最後が来たら

じゃ、お先に(^^)/

ってお別れします。

いままでに死ぬことに失敗した人はいないので、自分もうまくいくと信じています。





昨日ご紹介した阿雲の呼吸

「目覚めの時代」 ~あの世に聞いた これからの仕組み~

一晩で500件ものお申し込みを頂きました。


二人ともがぜんやる気満々で、どんな話が飛び出すかは未知でも、これからの大変動の時代を安心して生きていけるような勇気を与えられると思います。


この数10年で世の中はめまぐるしく変わったけれど、何も変わらないのは伝えたいメッセージです。

真実は時の初めからあり続けていて変わりようがなく、真実以外はすべて変わり続けていくのだと思います。


そして最も大切なことは、

この不変の真実こそがあなただということ。


伝えたいのはそれだけです。



愛をこめて





  


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2020年11月10日

「瞑想の時代」 ~あの世に聞いた これからの仕組み~

「瞑想の時代」と聞くと、みんなが瞑想をしだす時代のことかと思うかもしれません。

もちろんそうなれば多くの問題が解決するでしょうし、とても素晴らしいことですが、ここで伝えたい「瞑想の時代」とは、もっと大きな意味です。


人類そのものが、そして文明そのものが瞑想的になっていくということ。

今日はこのことをかいつまんで説明します。


産業革命以来、人間はよりよい社会の実現を求めて、前に前に向かって生きてきました。

これは個人レベルから国家レベルまで同じです。


その結果、科学技術が向上し、経済が発展し、生活の利便性も快適さも飛躍的に進歩しました。

それもこれも、よりよい生活になれば、より幸福になると信じたからです。


しかしその一方で、環境破壊などの地球規模の問題を作り出し、個人レベルではストレスや苦悩を抱え、富める者の中にさえ幸せな人を見つけるのは困難になっています。


何かがうまくいっていないわけですが、その過渡期がまさに現代であり、これらの問題を解決するために否応なく世界に急激な変化が訪れ、その結果、人類に大いなる気づき(目覚め)が訪れるというのが、長年にわたる僕の主張です。


いまはまだ気づきの連鎖が始まったばかりですが、これから変化の波はますます激しくなっていくと思います。


でも心配しないこと。

すべては素晴らしくなっていくためのプロセスだからです。


その根拠を示すことは困難ですが、ミクロからマクロまで、驚異的な生命の仕組みを作り出した宇宙の叡智を信頼することはできるはずです。

すべては大いなる計画通りに進んでいるとしか言えません。

大いなる計画などという言い方は、いかにもスピ的で好きではありませんが、内的確信を言葉にするのはこれが限界です。





さて僕と同じようなことを違うタイミングで感じていたのが雲黒斎君です。

彼とは、このことについて10年以上にわたり、「阿雲の呼吸」という名で情報を発信してきました。


そしていま大いなる視点から、さらには個人生活の視点から、いま起きていることと、これから向かう先を解説したいと思います。

スムーズにこの時代を生きていくためのヒントにしてください。


12年前に阿雲で初めてやった講演が沖縄でした。

そして時代が一回りしたいま、初心に戻って再び沖縄から二人で配信します。



2020年11月17日

阿雲の呼吸 

「瞑想の時代」 ~あの世に聞いた これからの仕組み~



詳細はコチラです。





  


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2020年11月08日

人生の意味

若いころは、将来ふんだんにお金を持って仕事をリタイヤし、悠々自適の人生を送れたらそれが成功だと思っていた。

でもそうなったとき人は思う。

こんなことをしていて何になるんだ、ただ死を待つだけじゃないかと。


生活のためにあくせく働いていたころに描いた理想は、その時の苦労から逃れたかっただけで、それが叶ってみればまた違う虚しさが残ることになる。

人間性を高め、人からの羨望を集め、地位も財産も獲得したからと言って、最後は死が全てを奪っていき、全ては煙のごとく後には何も残らない。



西洋の墓には名前の下にこう書かれる。


「19602040」


数字の間の「」が人生だ。


そこに意味はない。


それではあんまりだから、人はそこに思い思いの意味をつける。

しかしその意味の虚しさも心のどこかで感じているのだ。



最近は「何のための人生か」という類の本が流行っているらしい。

多くの人たちが、ただ前を向いて走り続けた結果、人生の先が見えてきたことで、この疑問が鮮やかになってきたのだろう。


きっといろんな答えが与えられるのだろうが、もしそれが「何のために生きるのか」の直接的な答えなら、どれも哲学や思想の域を出ないだろう。

たとえそれがどんなに深遠な真実に聞こえたとしても、しょせんは子供をあやすための玩具のようなものだ。

それでも人はそこにすがりつきたくなってしまう。



不詳阿部は、この問題の答えを数十年前に知った。

でもその答えを聞く準備ができている人は極めて少なかった。

最初の10年間は相手にさえされず、裏で笑われるのがオチだった。

だから口を閉ざした。

それよりも、この困難な人生をどう生きるのかという人々のニーズに応える活動を選んだのだ。


「何のための人生か」

その答えを言葉にするのは難しいが、もし端的に言うとしたら


人生は、人生を超越するためにある。


ということになる。


このことの説明とガイドが、唯一の役割だと思っている。

そしてこのことが、あらゆる人にとっての唯一の救いだ。


今日は浜松に来ている。

向禅師と久しぶりの対面だ。



そして今夜は瞑想会

配信環境が不安定かもしれなので、もし上手くできなかったらゴメン。


21時からアドレスはこちらです。

https://youtu.be/FdVuTV156Zc





  


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2020年11月07日

老後の話

幾つくらいから老後なんだろう。

年齢じゃなくて、リタイヤすれば老後だろうか。

90歳でいまだ現役の人は、たぶん老後という認識はないだろう。


僕が忘れられないのは、当時100歳を迎えた双子の金さんと銀さん。

市から二人にお祝い金が出て、インタビュアーが金さんに


「お祝い金は何に使うのですか?」


と聞いたら、金さんが


「老後の貯え」


と答えた。


その時思った。

すでに老後の人が、老後の貯えをするってどういうこと?って。

やっぱり老後というのは、イメージの中だけにあって、実際には存在しないんじゃないだろうかって。



結局人は「いま」を生きているわけで、それぞれの条件下で

やりたいこと

やれること

やるべきこと

を淡々とやっていくだけではないだろうか。


何も変わらない気がする。


老後の心配をする人は100歳になっても老後の心配をしていることだろう。



この先、どんなスジガキが上映されていくのか。

以外にあっさりとEndingかもしれないし、まだ中盤に差し掛かったところかもしれない。


♪人はなぜ生まれて 生きていくの?


子供の頃に抱いた疑問の答えは、答えなどないということだった。


明日はそのことを書いてみます。









  


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2020年11月06日

なんだそうだったのか

僕が何か新しい活動をしたいと思ったとき、その分野の専門家の力が必要になることがあります。

SNSやサンガ内でそのことを呼びかけると、毎回期待以上のスペシャリストが名乗りを上げてくれます。


今回は同時通訳者でした。


いまサンガの中で、奇跡のコースを僕の言葉に置き換える作業をしていますが、そのメッセージの中に禅との共通点を見つけることが多々あります。

あるとき、NYで奇跡のコースを教えている香咲弥須子さんと向禅師を掛け合わせると、どんな化学反応が起きるのか興味を持ちました。


それも含めて、いずれZENサンガを海外に発信するときは、僕の同時通訳をしてくれる人が必要だと考えたのです。

サンガの講演の中で「誰かいませんか」と声をかけると、すぐに反応がありました。


その人は国連会議やNYの金融界で要人の同時通訳をしている女性で、しかも僕のメッセージを理解し関心を持ってくれているので、即お願いすることにしました。


その彼女が今日までの4日間、天河を訪れてくれたので何度か話をする機会が持てました。

東大で社会科学を学んだあと、コロンビア大の大学院でマスコミの研究をしたとのことで、僕の好奇心は刺激されっぱなしでした。


マスコミの偏向報道には何かの勢力が影響していると常々考えてきましたが、彼女の答えは意外なものでした。


確かに様々な理由はあるけれど、国内外のマスコミに共通するのは、彼らがたいして深く考えていないことだと言うのです。

たとえば、人は現実を見たいように見て、自分本位の解釈の中で生きているという、精神世界を学ぶ我々にとって当たり前のことも、理解している人は極めて少ないそうです。

五感からの情報の危うさや、それを解釈するマインドを疑うことさえしないのです。

ましてやこの世界が夢のようなものなどとは考えたこともないのでしょう。


しかしこれはマスコミだけでなく、この社会全体、そして世界全体を覆っているムードでもあります。

マスコミはただ、そのような意識レベルのニーズに応えているだけなのかもしれません。


まだまだ道遠しという感じを受けながらも、この先、多くの人に真実への目覚めが訪れ、やがては愛に基づいた新しい文明が花開いていくという直感は揺らぐことがありません。


さあ、これからもやりたいことをやって生きるぞと、気持ちを新たにした2020年の秋です。








  


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2020年11月05日

もう一つの奇跡のコース

昨日に引き続き、気楽に生きる秘訣を分かち合いましょう。


人は実際に起きていることだけではなく、そのことに対する自分の解釈や判断の世界に生きています。

早い話が頭の中の世界を生きているのです。


頭の中の世界はたいてい混乱していて、悩みや苦しみが日常のムードとなります。

そこにあるのは深刻さであり、気楽さの真逆です。


今日は結論からいきましょう。

解決策はズバリ、考えないことです。


あなたの考えは単なる思考ではなく、あなたの世界そのものだから。

考えないというのは、その世界の住人をやめるということです。


思考の世界から離れてみると、どんなに重要に見えたことも単なる現象のひとつになります。

そしていかに自分が頭の中を生きていたかに気づくことでしょう。




今日は思考から離れる練習をしてみます。

やりかたは文章で伝えるのは難しいのでサンガなどの配信で一緒に練習したいと思いますが、ここにもできるだけ書いてみます。


まずは世界全体を頭の中に閉じ込めたイメージを持ってみます。

いままで自分の外側に広がっていた世界が頭の中にあるような感じです。

世界を箱庭のようにして、その中に自分を含めた無数の小人たちが住んでいます。


次に、頭の中に縮小した世界を少し離れた場所から眺めます。

判断せずにただ眺めるのです。


その世界ではいままでと同じ現実が繰り広げられていますが、あなたはもうそこの住人ではありません。

まるで神の視点から宇宙全体を俯瞰しているような感じです。


これを30分おきに最低でも10秒以上ずつ繰り返します。


すると、いかにいままで自分が頭の中の世界に生きていたかが分かってきます。


本当は大騒ぎするようなことなどありません。

究極的には何も起きていないのだから。


このことが深く理解できた時、人生の重荷はきれいさっぱり消えてなくなります。

そして気楽さがやってきます。


これが「あるがままの命に落ち着く」ということです。



でもバランスをとるために言っておきます。

気楽さをベースにするというのは、何もしないということではありません。


暴漢が現れれば身をかわしますし、ことによったら攻撃に出るかもしれません。

でもその嵐が収まれば、また静かなムードの中に暮らし始めることでしょう。


もっともナンセンスな生き方は、何か手を打つべき事態が発生した時、「所詮何も起きていない」と言い聞かすことです。


それこそが頭がやっていることであり、この手の間違いを犯す人もいるので念のため押さえておきます。






  


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2020年11月04日

肩の荷を下ろすために

昨日の昼に急に思い立ってサンガのメンバーにZoomで雑談しようって呼びかけました。

予告なしの呼びかけにもかかわらず集まってくれた皆さん、ありがとうございました。


目的もなく始めたのですが、いくつか質問をもらって、同じような疑問を持っている人も少なくないと思うので、そのことをお話しします。


その一つは「タタータ」について。

和訳すると「如」という言葉になるようですが、要は

「起きることが起きる。それ以外は決して起きない」

というもの。


当たり前と言えば当たり前ですが、これは基本的な真実です。


人は、すでに終わってしまったことや、いま起きていることに対して、もっと他の選択があったし、他の展開もあったはずだという思いを持ちがちです。


しかし「起きることしか起きない」し、「起きることが起きる」だけなのです。

これ以外の可能性は「ゼロ」だということ。


この当たり前のことを受け入れるだけで、ずいぶん気楽になる人もいるはずです。

なぜなら自分がその瞬間に考えたことも、したことも、そのようにしか起きなかったことであり、すべては自分を超えた現象だからです。

実はあなたには何の責任もないのです。

というよりも、「決定している自分」は想像の産物であり、実際には存在していません。


このことは繰り返し伝えてきましたが、あまりにも長きにわたって「自分」を生きてきているし、自分を前提としてすべての現実を把握しているので、おいそれとは分かりません。

分かったとしても、それも起きることですが・・・



さて昨日の質問は次の通りです。


「もし起きることしか起きないのなら、引き寄せの法則や、ポジティブ思考をいくらやっても、結果には影響しないのではないか」

というものです。

同じように感じたことがある人もいるのではないでしょうか。


でも答えは簡単です。


あなたが、引き寄せの法則やポジティブ思考というアイデアに出会ったことも、それを採用してみようと思ったことも、実際に試したことも、その結果訪れた現実も、すべては起きることだけが起きたということです。


起きることだけが起きるという中には、自分が決めたと思っている選択も含まれています。

選択も「起きている」のです。


そう考えると、人生は徹頭徹尾「自動運転」だということになります。

そのことを認めようと認めまいと事実は変わりません。



このようなメッセージは不快だと言う人もいるでしょう。

その一方で、根本から救われた思いを持つ人もいるでしょう。


いずれにせよ人は自分の思いで人生を作っているのですから、どちらでもいいのです。


僕が言いたいのは、気楽が一番ということ。

いまここに寛ぐこと以上に大切なことはないからです。

それが至福というものです。



え?それも決まっているんだろうって?


その通りです。



でも先ほども言ったように、人生はそれぞれの思いが作り出しています。


であればこの真実の使い方として一番いいのは


起きてしまったことに対しては「タタータ」の立場をとる。

そしてこれからのことに対しては自分の選択だという立場をとる。



阿部という現象は、長きにわたってこの立場で生きてきました。

それがとても楽なので、こうして何度も分かち合っているのです。



・・・・・・・・・・・



雲 黒斎さんとの「阿雲の呼吸」

11月17日19時スタートです。

「あの世に聞いたこの世の仕組み」は生きるためのヒントが満載です。

動画も残りますので楽しみにしていてください。

近日中に募集します。



今夜も瞑想会にご招待します。

https://youtu.be/j62pPw2ndXc






  


Posted by Toshiro Abe at 10:42Comments(0)

2020年11月01日

ここに在る

祈ること、奉仕すること、与えること、学ぶこと、

いろんな美徳があるけれど、

美徳は人間社会のものであって、真実とは関係ない。


真実は何をするかではないから。


何を考えるかでもなく

自分の正義を振りかざすことでもない。


真実は「どう在るか」の中にある。


それが唯一の真実であり、たとえ真理に対する討論会だろうと、そんなものは単なる夢のやり取りにすぎない。


いまあるがままの命に寛ぐこと。

それ以外に何があるというのだろう。







また一週間の始まりですね。

これからもあなたは「いまここ」にいて

いろんな思いが来ては去っていく


ただそれだけのこと


いままでもそうだったでしょ。

これからも同じです。



・・・・・・・・・



メールが届かない人がいるようなので、ここに残しておきます。


今週の瞑想会

いま配信トラブル発生

https://youtu.be/YA1aHkEY2lY

このアドレスになりました。




11/4(水)

https://youtu.be/j62pPw2ndXc
  


Posted by Toshiro Abe at 10:58Comments(0)