2007年08月31日

続・問題解決の基本




昔、知り合いでとても大きな問題を抱えた男がいた。


公益法人の理事をしていて、仕事も順風満帆に見えた彼には、人には言えない悩みがあった。



というのも奥さんが、とある宗教団体に入信してしまって、家を空ける事が多くなったのだという。

しかもそこは、世間からよく思われていない有名な団体で、こともあろうに小学生の娘も連れての入信だったらしい。



夜遅くまで勉強会と称する集まりに参加したり、遠方まで出かけていって各家庭に小冊子を配ったり、その行動は日に日にエスカレートするばかり。


いつか隣近所や仕事先に、自分の家族がその宗教団体の構成員だということがバレるんじゃないかという怖れや、さらには年端も行いかない子供までを洗脳するようなやり方に我慢ならず、毎日悶々とした気分で生活していた。



さてあなたがそんな問題を抱えたとしたらどうしますか。








もちろん彼も、そのまま指をくわえて見ていたわけじゃない。


何度も奥さんに、そこを脱会するように勧めた。

しかし、いっこうにらちがあかない。


それではと、その団体の教義を猛勉強して、いかにそれが誤った教えなのかを説得しようとしたが、彼女のほうがずっと長く勉強しているので、いつも言い負かされてしまう。


もうどうにでもなれという気持ちにもなったが、せめて子供だけは連れて行かないように食い下がった。

まだ何もわからない幼い子供に、教義を教え込んで信者にするのはフェアーじゃない。

彼は涙ながらに訴えた。


ところがそれも聞き入れてもらえない。

子供もママと一緒にいるほうがいいと言い張る。




彼は悩みに悩んで、ついに行動に出た。


その団体に出かけて行ったんだ。

そして、いま家庭が崩壊しつつあるこの現状を訴え、なんとか脱会させてもらえないか頼み込むつもりだった。


命がけだった。



ところが反対に、お父さんも一緒に学ぶのが家庭の幸せにとって一番だと言いくるめられてしまう。

しかも、勇んで行ったその宗教団体の雰囲気はことのほか明るく、しかもそこにいる人達は人の良さそうな人ばかりだった。


自分の妻も子も、他の会員達と打ち解け、楽しそうにしている。




彼は完全に打ちのめされた。


いずれ世間にも知られることになるだろう。

そのような事態になれば、自分達家族の評判もどうなるか目に見えている。



もう妻は仕方がない。

でも子供だけは救ってやりたい。



彼は悩みに悩み、そして自殺さえ考えるまで追い詰められた。

そのような結果を見れば、父親が命がけで家族を守ろうとしたことを分かってもらえると思ったからだ。



さて、この男性を仮にAさんと呼ぼう。

このAさんの場合、「問題」はどこにあるのだろう。


そしてその解決策には何があるんだろう。



あなたはどう思いますか。







この話は「いまここ塾」でもしたことがあるので、知っている人もいるかもしれないけれど、もしあなたがAさんだったらどうするのか考えてみてください。



そしてどのような問題も、このAさんのケースと同じ共通点があるのです。

それは何でしょうか。


なんだか謎懸けのようになってしまいましたが、今日のところは問題提起にしておきます。


この話の顚末と解説はまた明日。




  


Posted by Toshiro Abe at 10:02Comments(6)問題解決講座

2007年08月30日

問題解決の基本





最近、メールなどで悩みを相談してくれる人が増えてきました。

家族のこと、仕事のこと、健康のこと・・・

想像できないような状況にはまってしまった人もいます。


どのようにしてその悩み(問題)を解決するかは、その人にしかわかりません。

何度も言うように、起きている出来事は中立であり、その出来事を問題として見ているのはその人だからです。



今日はそんな話をさせてください。







分かりやすく説明するために極端な言い方をしますが、問題を作り出したのは自分自身なんです。

(その現実を作ったのがすべて自分のせいということではなく、その現実を問題として見ているのは自分だと言う意味です)


そして問題を作ったのと同時に、それを解決する答えも作り出しています。

実は、問題を作った人にしか、その問題の答えは分からないのです。



したがって第三者のアドバイスは必要ではなく、本当は自分でどうしたらいいか知っています。


ところが、恨みや、怒りや、怖れや、不安で混乱した心には、その答えが見えていないか、あるいは見ようとしていないのです。



だからまず最初にやるべきことは、混乱した心を整理してあげること。


そのために役に立つのは、あなたの話を、心を傾けて聞いてくれる人でしょう。


近くにいなければプロでも構いません。

ただしきちんとした資格(たとえば臨床心理士など)を持っている人がいいと思います。




先日、母家に臨床心理士さんたちが僕に会いに来てくれました。

クライアントから、僕の名前をよく聞くのだそうです。


そこでいろんなお話をさせてもらいましたが、やはり彼らはクライアントが抱える問題に具体的解決策を与えるのではなく(例外もあります)、その人が心のすべてを吐き出せる環境を作ってあげるということです。



もしあなたが誰かの悩みを聞いてあげる立場になったとしたら、その時の聞き方の基本があります。


ひとつは、自分の意見を言うのではなく、ただただその人の話を聞いてあげる役に徹するということ。

よくよく心を傾けて聞いてあげて、時たま相手が話したことを自分の中で整理して「あなたが言ったのはこういうことですね」って確認してあげます。

それを繰り返すことによって、相手はあなたが自分の話を理解してくれた事がわかり、安心してより深く話ができるようになります。


二つ目は、決して同情したり感情移入したり、いい悪いを判断したりしないことです。

そこに感情移入すると、相手の混乱を自分も抱えてしまうことになります。

ただたんに事実を引き出してあげることに徹します。


すると、相手の心の中にある答えが、するっと出てくることがあります。

それを捕まえてあげて励ましてあげるんです。


「問題」は、どこに問題があるかわかれば、すでに90%解決しています。


僕らにできるのは、その人の混乱を解いてあげることだけです。


また例を挙げて詳しくお話します。








今から、週末の「フォークソングナイト」の資料集めに行ってきます。

今回は僕の弾き語りです。

土曜日の8時から母屋でやりますから、みなさん来てください。

みんなで青春しましょう。



それじゃ、また(^o^)/
  


Posted by Toshiro Abe at 09:57Comments(1)問題解決講座

2007年08月29日

大空へ


もっと頑張んなきゃ。

もっと強くなんなきゃ。

人に甘えないようにしなくちゃ。

自分の力で人生を切り開かなきゃ。






おはようニコニコ


ご気分はいかが?



自分に言い聞かせてきた「~~しなきゃ」って言葉に縛られていると、人生が重たくなっちゃうよ。



そんなことは忘れて、「今この時」に心を込めてみよう。



そうやって過去から自由になると、自分が立派じゃなくても、頑張らなくても、賢くなくても、周りから感心されなくても、それでいいんだってわかってくるよ。



今このとき以外の何が必要なんだろう。

全部ここにあるじゃない。

あなたはあなたでいいじゃない。


古い価値観に縛られるのはもうやめよう。


今日もイキイキとした気持ちで、人生を楽しもうね。






あの人からも この人からも

後ろ指さされないように

見えない鎖でがんじがらめにされて 飛べなくなった小鳥よ

自由な大空を思い出してごらん

君の翼は 君が言うほど色あせちゃいないさ


誰かのために 人のために生きてきた人生を

自分の腕に取り戻せ

そうさ、まだ何も終わっちゃいないさ

まだ何も始まっちゃいないさ


「大空へ」より





  


Posted by Toshiro Abe at 09:18Comments(3)日々のメッセージ

2007年08月28日

因果



昨日ラジオに質問が来ていたんだ。


読もうと思って横に置いておいたのが、時間がなくなってしまって読めなくなってしまった。

よく見かける名前だったし、きっとブログも読んでいると思うから、ここで僕の考えを言うね。



その人、今年に入ってから、左右両腕とも骨折しちゃったんだって。


こんなことが起きるのは、仏教で言う「因果応報」ですかって。

自分が過去や過去生で何かしたことの罰なのかって。



じゃ、今日はそんな話をしてみよう。







何故、あなたは両腕を骨折したのか。


答えは単に、「そのように起きた」ということ。

起きた出来事そのものの中には、嬉しい悲しいの感情も、いい悪いの判断も内在されていない。

それはただ「起きた」のだ。



でも僕たち人間は、あらゆることに意味をほしがる。

特に上手くいかなかったことや、不幸な出来事に対しては意味が必要になるんだ。


そして意味を作り出す。

「この出来事は自分に何を学べというのだろう」

「忙しすぎたから少し休めということかな」

「自分は運が悪いからこうなったんだ」

「これで厄払いが終わった」

とか、とか、とか・・・・


過去生の報いだとか、先祖の霊障だとか、霊能者が5人いれば、5通りの意味をくれるだろう。


そしてその言葉を信じれば、その人にとっての人生の一部になる。

そうやって人生が作られていく。



僕らの半生は、そんな意味づけの束のようなものじゃないかな。

出来事そのものは中立でも、そこにたくさんの意味や解釈をつけてきた。


同じ出来事や環境で生きたとしても、人によってまったく違うストーリーになる。



因果というのは、もともとは事象の相依性を表す仏教語で、「因縁果」と言って、すべての存在は単独で存在しているのではなく、さまざまな関係性の中で成り立っているという、諸法無我にも通じる存在理論なんだ。

またいつかゆっくり説明するけれど、とても奥が深い考えなんだよ。



それを俗説にしたのが「因果応報」というもの。

これは語るべき価値もない。

いつの時代も、深遠な教えを簡略化して、世間を惑わす人たちが後を絶たないんだね。



さて、腕を折ってしまったあなた。


どのように考えるのもあなた次第だよ。

どのように考えるかがあなたの人生を創り出していく。

だとしたらどんな人生にしたい?


1ついえるのは、感情も自分で選択していて、どんな感情を選ぶのかも自分次第。

いま人生で何が起きていようと、どんな自分でいるかは自分で選べるんだ。





そんな生意気なことを言っている僕。

おそらく僕なら、「ちぇっ」っと一言、捨て台詞を言って終わりかな(笑)



それとも天に向かって

「お前のせいだ!!」って怒るかもしれない。


え?そんなことしたら罰が当たるって?

そう考えるのもその人の考えで、そうやって人生が創られていくんだよ。




ま、じたばたしても同じ人生。

「気楽にいこうね」







今夜も「いまここ塾」やっています。

一週間の心の荷物をおろしに来てね。

20:00から、中城村、吉の浦会館です(895-6994)
  


Posted by Toshiro Abe at 10:15Comments(1)ラジオ

2007年08月27日

ブログコンサート



今日は特別企画

8月15日に行われた「くるくまの祈り~平和コンサート~」の模様を再現してみます。

今までブログには、なるべく自分の顔を出さないようにしてきたけど、たまにはいいかニコニコ




満員のお客さんと、星と、風と、聖地くるくまの神気に包まれた、とてもステキな夜でした。



それじゃ、始まり、始まり











今夜はようこそ。


ここ「くるくま」は、僕の聖域なんです。


星空に抱かれて、今夜は一緒に楽しみましょう。


僕たちはいつも根っこで1つに結ばれているんだよ。














毎朝ブログを書くのも楽しいけれど、たまにみんなの前に出て音楽やるのもすごく楽しい。

自分が幾つなのか忘れてしまうよ。


きっと僕らは、自分が歳をとったと思った分だけ、歳をとっているんだろう。

だって心は何も変わってない。





こうしていると時間がどこかに飛んでいってしまう。

歌の力って凄いよね。

一気にあの頃に戻してくれる。

もともと時間なんて存在していなくて、いつも「いま」なんだよね。










はるか長い道のりと思っていた人生の
背中が少し見えてきた

だけどまだ何も終わっちゃいないさ

まだ何も始まっちゃいないさ


藍よりも青い空 永遠の風の中で

再びめぐり合えた君と舞い上がれ大空へ













僕の奥さんです。

あっ、いや、表さんです。

愛妻の智子さんを紹介します。


ヒッピーだった僕を社会復帰させた力は凄い。

君がいなければ今頃、インドで野たれ死んでいたかも・・・




沖縄に来て、多くの女性達に後押しされて、今こうして歌が唄えて幸せです。

女性の眠っている力をよみがえらせましょう。

私達にできることはたくさんあります。

さあ、みんなで声を合わせて・・・






Shaining Sky 見上げれば未来

Shaining Sky 見つめれば自由

Shaining Sky 青い空の果て

Shaining Sky 翔たけ心よ

Shaining Sky















右に流れても左に流れても どっちだっていいよ 
Let it be

どんな流れもいつかは海に帰る 心配ないよ 
Let it be


思し召すまま流れのままに まかせてごらんよ 
Let it be

まかせてごらん天の力に ゆだねてごらんよ 
Let it be



大丈夫だよ。

本当に大丈夫だから。










さあ、みんなで

ぶち切れて

踊ろうぜ!


オレたちゃ、兄弟だ!








楽しかったね。

ホント言うと・・・あはは、かなり息が切れた。


さっきは歳なんか関係ないって言ったけど、やっぱり関係あるよ(笑)






僕が伝えたいことは、みんなこの本の中に入っている。

この本はね、ブログに書いてきた内容を抜粋したんだ。


浦添市の上洲書店さんでは、僕の本が400冊以上売れたって。

僕は最近、浦添の細○数子って呼ばれているんだよ(笑)




今夜は来てくれてありがとう。

また来年ここで会おう。




青い海も 空も 風も 大地も

みんなどこかで結ばれている

こうして何度も生まれ変わり

その度あなたとめぐりあう


For You

For You

あなたに幸あれと

For You

For You

くるくまの祈りです




・・・・・・・・・・・・・・・



ブログ版ライブはいかがでしたか。

音を聞いてもらえないのは残念だけど、きっと将来は音声付のブログが登場することでしょう。



ちょっと時間がかかったけど、今日も楽しくブログを作れました。




最後まで読んでくれてありがとう。





Photo by まねきねこ  


Posted by Toshiro Abe at 07:45Comments(2)ライブ

2007年08月26日

自殺願望




自殺したいって思ったことある?

僕はあるよ。


最初は高2の時だった。

親元を離れた寮生活で、学校にも友達にも馴染めず、何ともいえない孤独感の中で、生きていても仕方ないって思ったっけ。


猛スピードで走り去るトラックに後ろから轢いてもらいたいと願って、歩道のない国道を車線ギリギリに歩いていた。

自殺じゃ親が哀れだけど、交通事故じゃ仕方ないと思ってくれるかなって、変な理屈を持っていた。


その重い倦怠感がスっと消えたのは、中学の頃の友人からの一通の年賀状だった。



僕を忘れずにいてくれた事がとにかく嬉しくてね。


たったそれだけのことで、あ~僕は一人じゃないって思えた。

年賀状を出した本人はそんなつもりじゃなかっただろうけど、今でもそこに書かれた絵柄をはっきりと覚えている。


ほんの小さなことで救われることってあるんだなって思った。




その後も死にたいと思ったことは数え切れないほどある。

でも本当には死ぬ勇気もなくて、「死にたい」と考えることで、その時の自分の悩みや苦しみを慰めていたのかもしれない。

だって、その気になれば死という手段があるって思えば、少し気が楽になるしね。



30歳になったばかりのころも、毎日のように死の誘惑の中で暮らしていた。

その時は仕事も人生も八方ふさがりで、この先どうなっていくのかすごく不安だった。

自分という存在が無くなってしまえば、どんなにか楽だろうって、そのためには死ぬしかないって思っていた。



そんな絶望的な毎日の中で、何の前触れもなく「真理」が僕を照らした。

それまでまったくの無神論者だった僕が、生まれて初めて魂や霊性に触れた瞬間だった。



いま思うのは、自殺しても「自分」は死ねないって事。

自殺は無知な手段だって事。



でもあの時は、「自分」が根底から死んだんだ。

生きながらにして、僕自身が完璧に消えた。

「僕」という幻想が、霧のように消えてしまった。


そこに想像を超える祝福が待っていたんだ。

僕たちがいつも限りない愛の中で守られ生かされている事を目の当たりにした。




僕は思う。

自殺したいくらいに人生に疲れ、悩み苦しんでいる人は、大きなチャンスの前にいるって。

それは人生にいいことが起きて、また希望が持てるとかいう話じゃなくて、根底から自分が変わり、永遠の救いに到達する、そんなチャンスを迎えていると思う。



毎年おびただしい数の自殺者がいるよね。


9年連続で、自殺者の数が3万人を超えたんだって。

この10年間だけでも30数万人の人間が自ら命を絶ったことになる。


救急車や病院で命が助かって、自殺未遂に終わった人はこの4倍。

自殺願望者にいたっては、この10倍以上の数にのぼるという。


その理由は様々だろうが、この中には、もし近くに真理に導いてくれる人がいれば、人生最大の好機を迎えていた人が数多く含まれていると思う。




そんなことを考えてラジオなどの活動をしているのは、僕自身が通った道だから。



ほんのわずかでも、力になれたらと思う今日この頃です。




  


Posted by Toshiro Abe at 10:35Comments(5)独り言

2007年08月25日

あなたのままでOK



いつもありのままでいたいね。


ありのままの自分はいつも移り変わっている。

好みも感情も、いろんな自分がひっきりなしに現れて、そして消えていく。


その時、たとえどんな自分だろうと、そのままの自分でいたいよね。


もちろんあなたも、そのままでいい。

気に入られようとして、自分を飾ることは必要ない。


僕は、いつだってあなたがありのままの自分でいられるように接してあげよう。


それが友達ってことだと思う。

僕はあなたと友達になりたい。



自分に素直に、自分に正直にいられるまでは、決して心の平安は訪れない。

いくらお金があっても、いくら多くの人から尊敬を集めても、自分のことは騙せないからね。


もし自分に正直になれないとしたら、そこにはたくさんの怖れが眠っている。

それは何だろう?


きっと何かを失うような気がするんだね。


でも、あなたは何も失くさないよ。

だって、あなたは最初から全部持っているんだから。



長年やってきた方広寺でのセミナーでは、そんなことを感じてもらうのが目的だった。

また始めてみようかな。



本当の自分を生きるのに、遅すぎるということはない。

いつだってそれは「いま」から始まっていくんだ。





まだ何も終わっちゃいないさ

まだ何も始まっちゃいないさ


「大空へ」より




  


Posted by Toshiro Abe at 11:25Comments(4)心のメッセージ

2007年08月23日

告白 その後




昨夜、浜松から2人の友人が訪ねてきてくれて、深夜まで母家で盛り上がっていた。

そしたら智子さんが、先日店に入ってきた男との立ち回りの話をしだした。


友人の一人である井上さんは、若い頃は数百人の族(暴走族)を束ねる頭で、今は数百人の社員を抱える実業家だ。

その手の話は腹を抱えて笑ってくれる。

阿部さんもあいかわらず何も変わっていないって話の後で、智子さんが隣の店に謝りに行こうと言いだした。


というのも、店に入ってきた男を表に出した後、どうやら僕のブチ切れはかなりのものだったらしく、身の危険を感じたその男が隣の店に逃げ込んだのだ。


それを追いかけて行って、その店の中で再び無茶苦茶にやってしまったわけだが、その間中、店のご主人は「許してやってくださいよ」って何度も僕に言っていた。


考えてみればずいぶんご迷惑をかけたので、「じゃ、謝ってくるから」って母家を出たら、井上さん達が僕の後を付いて来た。



ちょっと気まずかったが、店に入ると、なんと!・・・・・カウンターにあの夜のあの男が!!!びっくり!


僕も身体は大柄だが、僕以上に恰幅のある体格で、目つきや風貌はや○ざのような男なので、一目で彼と分かった。
(実は最初は彼を本物のや○ざだと思っていた)



彼は僕たちを見て一瞬驚いたようだったが、すぐに鋭い目つきで睨み返してきた。


僕も、またよりによって何で?って思ったんだけど、すぐさま彼の隣に座って、

「あの時は申しわけありませんでした」

って謝ったんだ。


そしたら彼の鋭い目つきが急に優しい目つきに変わって、無言で手を差し出してきた。

そうやって握手した瞬間、ものすごく爽快な気分が身体全体を包んだ。



彼は彼で、あの日の事を店のご主人に謝ろうと来店していたらしい。


時間は夜中の12時過ぎ・・・こんなことってあるんだね。

起きる出来事のタイミングって凄い!



さて、同行してくれた井上さんが「ウチの兄貴はあいかわらずやんちゃで・・・」ってその男に話しかけ、実に気さくに場を笑いの渦に巻き込んでくれて、気まずいムードがいっぺんに明るくなった。

井上さんはいつも誰に対しても開けっぴろげな性格で、横で見ていてさすがだなって感心した。


その彼こそが何を隠そう「いまここ塾」の命名者で、向和尚と僕を引き立ててくれた浜松の経済人だ。


昨夜も彼がいてくれなかったら、あそこまで打ち解けたムードにはならなかっただろう。

いつもここ一番というときに助けてくれるんだ。




さてその男、いやその男性は、一足先に店を出て行ったのだが、帰りがけに独り言のように「あー、いい夜だった」と呟いていた。



なんだか嬉しくなってこうして記事に書いているんだけど、最近物事の展開がすごく速くなっているような気がする。

思い立ったらすぐ行動するのは、ちょっと勇気もいるけど大切な事だって改めて思った。



いい歳をしてブチ切れる自分の性格は、まさに人間的な未熟さの現れだけど、でも頭にきたときに怒らないで、いつ怒るんだって思っているのも事実だ。


偉そうにここで人の道を説いているが、僕が体感した存在の真実が、いまだ人格に反映していないことだけは事実だ。



ちょうど今朝、向和尚が<随(かんながら)神>に文章を寄稿してくれて、慈悲と利他を生きた祖師たちのことに触れていた。

まったくなんてタイミングだ。



修業が足りないなって心底思う、夏の日の朝です。




  


Posted by Toshiro Abe at 10:17Comments(1)戯言(たわごと)

2007年08月22日

悟り



最近、世の中にストレスや心の苦しみが蔓延しているって思う。

これは時代の必然のような気がする。

衣食住が一通り満たされて、人間が次の段階に進むための、産みの苦しみのような気がするんだ。



ストレス緩和の方法は無数にあるだろう。

でもそれは病んだ木の、枝葉を修正しているだけで、根本的解決にはなっていない。


それじゃ、根本的解決はどうしたらいいのか。



それはずばり悟ること。



今のストレスや苦しみは、多くの人にとって悟るための準備のような気がしてならない。


だって苦しみが無ければ、誰も真理に興味なんか持たないから。

生きる方向転換をさせるための、神の計らいじゃないかって思っているわけで。



悟りというと、それは誰か特別な人に起こる事で、僕らのような一般の人間には縁遠い存在のように思いがちだけど、それは違う。

むしろ一番身近なことで、一番大切なことだと思う。



実に僕らの人生は、そのことを知るためにあると言ってもいいくらいだ。


今日はその話をさせてね。



僕みたいな人間が、悟りについて話すのはとてもいいことだと思っている。

そのほうが、身近なこととして伝わるだろうから。


これはあなた自身の話でもあるんだよ。








まず、理解すべき最初のこと。

それは、悟りとは達成されるべき何かではないということ。


悟りとは単に「いまここ」に生きている状態にすぎず、実際に我々はすでに「いまここ」に生きているんだ。

だから本当言うと、僕たちみんな最初から悟っている。


ところがマインド(頭や心)が入り込むことによって、「いまここ」を見失ってしまう。



なぜなら、マインドとは常に未来志向であり、目標志向だから。

「私はいつか○○になる」というのがマインドの基本姿勢だ。


したがって悟りについても「私はいつか悟りを達成する」とか言いだすことになる。


悟りとはマインドを使わない状態、ノーマインド、無心のことだよ。



マインドはマインド自体が存続するために、常に目標を作り出す。

「もっと、こうならなければ。もっと強く、もっと美しく、もっと金持ちに、もっと賢く、もっと・・・もっと・・・もっと・・・」



次々と、なるべき自分を思い描く。

それしかマインドが生き延びる手段が無いからね。



そしてこともあろうに、すべてのストレスや惨めさはこのマインドから生まれているんだ。


緊張させ、不安にさせ、劣等感や、闘争心や、苦しみに繋がるすべての感情を生み出し続ける。




マインドは言う。

「このままではいけない。明日に向かって走り続けろ。」


そして行き着くところはどこにもない。


だっていつも「いまここ」だから。




悟りとは「いまここ」にくつろぐこと。

それは、何かを達成することじゃない。

全ての人はすでにたどり着いているのだから。



その事実を認めること。

それが悟りだよ。



すると、またマインドが喋り出す。

「すでに達成されている?そんなはずがない。この苦しみ、この欲求不満、この惨めさがあるのに、達成されているわけがない」



その苦しみの原因はマインド自体なのに、マインドはまたしても次なる目標を与えてくれる。

「いつの日か、もっと幸せになるんだ」



でもいいかげんに認めたほうがいい。

僕らの人生は、これ以上よくならないってことを。


確かに外側の条件や環境は変わっていくかもしれない。


お金や財産も増えるかもしれない。

多くの気の合った仲間とめぐり合うかもしれない。


でもその時の自分も、今の自分と同じで、「いつか、いつか・・・明日になれば・・」って言っているよ。



明日に惑わされちゃダメだよ。

「明日」とは「マインド」の別名だから。

それは両方とも、実際には存在していない。


うーん、うまく言えたかな。



けっきょくは、いまがどんな自分であろうと、そのあるがままの自分を受け容れて、そこにくつろぐってこと。


あなたは、あなただし、それでいいじゃないニコニコ





  


Posted by Toshiro Abe at 08:41Comments(7)悟り

2007年08月21日

大丈夫だよ



今朝は「新・願望実現」の続きを書こうと思っていたんだけど、昨日番組に寄せられた相談メールをふと思い出して、あの時はうまく言いきれなかったことをまとめてみようかと思う。


メールは、中3の娘さんと二人暮しの母親からのもので、娘が中2から不登校になってしまい、話しかけても話もできない状況が続いていて、心配で胸が押しつぶされそうで、どうしたらいいのかというものだった。


メールだけでは、そうなった原因も、娘さんの性格もなにもわからないし、こうしたらいいなんていう決まったやり方があるわけでもなく、解決方法は思いつかなかいけど、ただひとつ思ったのは、まずこの母である女性の苦しみを少しでも和らげてあげたいということだった。





この女性を胸が押しつぶされそうなくらい不安な気持ちにさせている原因のなかには、中学や高校くらい出ていないと、この子の人生はどうなってしまうだろうということがあるだろう。

せめて人並みにある程度の教育を受けるのが子供の幸せに繋がると考えるからだ。


僕はそうは思わない。


最低限の読み書きと、買い物ができるくらいの計算能力があれば、社会生活は行えると思うからだ。


それにこの先は、社会や経済のシステムが大幅に変化すると思うので、今までの常識(高校くらい出ていなければ)がそのまま通用するとは限らない。


読み書きのほかに大切な要素があるとすれば、どんな社会の変化にも自分を見失わないで、自分の判断ができるように、自信を持たせてあげることだと思う。


だからたとえ中学にこのまま行かなくなってしまっても、この子が人生を生きる力を得ていく道はいくらでもある。



そして母親に対して言えば、目の前の子は自分の子供であるのと同時に、この先自分の人生を自分で作り出していく、独立した一人の人間だということだ。

人生とは、それぞれに与えられた環境や能力という条件を使いながら、道に迷ったり、過ちをおかしたりしながら、傷つき悩みながらも成長していく、先の見えない旅のようなものだと思う。

親心としては、わが子をできるだけ安全に無難に人生を歩ませてあげたいと願うだろうが、もし人生の目的が魂の成長にあるのなら、むしろ困難を多く生きたほうがずっと効果的だ。


幸せならそれもよし、困難ならそれもよしだ。


ここまではラジオでも話せたように思う。




話し足りなかったこととしては、もしかしたらこの女性は、片親であることをハンデと考え、自分が父親の役割もしなければと考えてきたのではないかということだ。


もしそうだとしたら、それは単に形式であって、イメージに過ぎない。


中途半端な父親なら、いないほうがずっとましなケースも多いのだから。


子供は、誰でもいいから自分を愛して受け容れてくれる人間が一人いれば、健全に育つ。

それは実の親である必要さえない。


とかく僕らは周囲と比べて、ある程度他人と同じ条件でないと幸せになれないように思うが、それは間違っている。

幸せの形は人の数だけあって、それはその人を取り巻く条件とは関係が無い。


心の持ち方だ。


今の苦しみにも意味があるとしたら、そんなことを学んで母娘共に自信を持って独自の道を歩む、そんな強さを学んでいるのかもしれない。


ちょうど子供から大人に変わっていく、多感な時期の娘さんなので、ある日突然気持ちが楽になって、学校に行き出したり、母親と話し出したりという可能性もあるかもしれない。


しかし、たとえこのまま学校に行かなくなっても、一般に思われているほど心配はいらないと思う。



誰がくれたメールかも分からないが、できることならその人のそばに行って、「大丈夫だから」って何度でも何度でもわかるまで言ってあげたい。



僕はそのように思っています。




  


Posted by Toshiro Abe at 08:04Comments(2)ラジオ

2007年08月20日

幸せ

ラジオ局からの帰り、自転車で走っていたら涼しい風が僕を包んで通り過ぎた。

そしたら、すごく幸せな気持ちが体の中から沸きあがってきた。


不思議だな。


何があったわけじゃないのに、こうして生かされていることの喜び、本当はいつも幸せだったんだ。


本当は全部与えてもらっていたんだね。


ありがとう。



こうしてあなたとめぐり合った奇跡を、誰に感謝したらいいんだろう。





  


Posted by Toshiro Abe at 20:22Comments(1)独り言

2007年08月20日

もうひとつの随神(かんながら)



きのう、ふと自分の若い頃のことを思い出した。

思い出はたくさんあるけれど、どれも美化されたものばかりで、本当はみっともないことや、人に言えないようなことがたくさんあったと思うんだけど、そういうことって都合よく忘れていると思った。


毎日を生き残るのに懸命で、人に気に入られるような自分を演じ、損得ばかりを考え、心にもないことを言い、本当のところ他者に対する真心からの言動ではないから、時間の問題でメッキがはがれてしまったこともたくさんあったな。

うまく演じていたつもりだったけど、人はみんな見抜いていたんだろう。

ただ、いちいち僕に言わなかっただけの話だ。


そんな自分のことは忘却の彼方に押しやって、なんとかつじつまを合わせながら生きてきたと思う。



かんながらの物語だって、ああやって書けば主人公も心清き人物に描かれてしまうけど、その心の奥には、自分でも見たくない様々な想いが渦巻いていたように思う。


それは今も同じで、無意識に自分を正当化して生きてはいるが、まだまだ醜い面が心の底を去来していて、それを実際に見届けることさえしていないように思う。

ようするに自分を見たくないわけだ。



若い頃よりは幾分よくはなってきたが、このような傾向は一生続くんだろうか。

それとも芯の芯から潔く美しく生きられるような、そんな人格に成長できるんだろうか。


今の僕にはそのことがまだわからない。



自分の暗い面だけを浮き彫りにして、もうひとつの随神(かんながら)を書いてみたらどんなストーリーになるのかな。

よく自叙伝や人物伝のような書物があるけれど、そのような本にはどれくらい立体的な真実が描かれているんだろう。



なんだか今日は自虐的な文章になってしまったけれど、自分を見つめる難しさを感じたので書きました。
(文章は一見自虐的に見えるかもしれないけれど、実際にはかなり清々しい気分です。無意識に蓋をした世界を見つめる勇気を持ち始めたからだと思います)



少しでも心清らかに生きていきたいと願っている今朝の心境です。




さて犬の散歩でも行ってこようかな。

この子の世話をしている自分、家族の幸せを考えている自分、少しでも人の役に立ちたいと思っている自分には嘘がないのだから、そんなところも見てあげながら、今日も一日僕自身を生きようかと思うわけです。



今日もいい一日でありますように。




  


Posted by Toshiro Abe at 07:50Comments(0)独り言

2007年08月19日

随(かんながら)神




今朝は7時に起きて、いつものようにパソコンの前に座った。


向和尚から新しいメッセージが届いていたので、それをアップしようと<随(かんながら)神>を開いた。



この物語を書いたのは1999年の暮れ。

国語だけはいつも「3」だった僕が(面目ない)、小説もどきを執筆するなど考えもしないことだったが、当時はいまのようにブログがあるわけでもなく、自分の体験やメッセージを伝える術も無く、そんな中で思いついたのが物語の執筆だった。


メッセージをそのまま書いたら、堅苦しくて誰も興味を持ってくれないだろう。

冒険小説風ならばというのが、その発想の原点だった。



朝から晩までパソコンの前に座って、書き始めたのはいいものの、こんな荒唐無稽な物語、どう収集がつくのだろうなんて思っていたが、不思議と手が休まることも無く、2週間ほどで一気に書き上げた。

ちょっとカッコウをつけた言い方をすれば、半分は僕が書いたのではないと感じている。


特に最後の弁才天による「7つの鍵」の解説は、ほとんど書き直すこともなく、僅かの時間で書き上げてしまった。




その後、沖縄に暮らすようになり、物語の随所に加筆し、最後のエピローグの章を付け足した。



新しくブログを立ち上げ、物語を連載すると、多くの人たちから励ましや感想文が届くようになった。


全国各地はもちろんのこと、ヨーロッパやアメリカ、インド、東南アジア、南米など、世界各地に暮らす日本の同胞たちからも共感のメールを頂き、ネットが世界規模の存在だということを改めて感じる事ができた。



さて今朝は久しぶりに、この物語を最初から最後まで読み直してみた。

僕の文章能力の問題で、まちがっても小説などとは呼べない代物だが、全体としてはよくできた物語だと思った。

僕の伝えたいことが、おおまかこの物語に言い表されているからだ。



最近では向和尚から直接寄稿してもらって、それをそのまま<随(かんながら)神>に載せているが、考えてみれば本当にありがたいことだ。




お時間のある時に、一度お読みください。

物語はここから始まります
プロローグ





こちらのブログ「いまここから・・・」にも、多くの人が見に来てくれて、感謝、感謝です。




  


Posted by Toshiro Abe at 10:17Comments(0)

2007年08月18日

心の穴



僕らは心の中に、ポッカリと空いた穴を持っている。

その穴を埋めるために、一生懸命いろんな活動をしているんだと思う。



愛する人を見つけ、この人と一緒なら穴が埋まるような気がする。

たくさんのお金や財産を手に入れたら埋まるような気がする。

仕事が成功して、多くの賞賛や注目を集めたら埋まるような気がする。

完璧な人になって、みんなから尊敬されたら埋まるような気がする。



僕らはそうやって生きてきた。

少なくとも僕はそうやって生きてきた。



だけど・・・埋まらない。

どこまでいっても、いつも何かが足りない。

それは外側のものじゃ埋まらなかったんだ。



その答えは内側にあった。

多くの人がそのことに気づき始めている。







心のどこかで、探しものは心の中にある事を知っているのに、何故僕らは外側ばかり探しているのか。


そんな姿を表した小話が、イスラム教神秘主義のスーフィズムに伝わっている。

スーフィズムは禅に通じるところがあり、教義経典を学ぶことよりも、ダイレクトに真理を体得することを目的にした宗派だ。

この短い話の中にも、僕らの現状がうまく言い表されている




ある男が、自分の家の中で、宝箱を開ける鍵をしまい忘れちゃったんだ。

それは確かに家の中で失くしたのに、その男は外ばかり捜している。


自分の家の周りにないとわかると、こんどは遠く離れた隣町まで出かけていった。

そこにもないとわかると、男はさらに遠い町を探して歩いた。


そんな姿を見かねた賢者が、男に尋ねた。

「家の中で失ったものを、何故外で探すんだね」


するとその男は言った。

「だって家の中は暗いんですよ。外のほうが明るいから」




これが僕らの姿だ。


自分の幸せを外に求めても、そこにはないことがわかっているのに、それでもまだ外側を探すのにエネルギーを費やしている。


自分の内側は混沌としていて暗いような気がするから、しっかり向き合いたくないのだろうか。

それとも外側は自分を満たしてくれそうな魅力に溢れているからだろうか。



でも答えは内側にある。

いままでに世界中を探し回って、絶対的幸せ(神)を見つけた人は一人もいなかった。

いままでに内側深く入っていって、絶対的幸せ(神)を見つけられなかった人も一人もいなかった。



そのための方法は感謝と瞑想。

内なる神に感謝を捧げ、瞑想により内なる神に近づいていくんだ。

そして最後は、僕らが地球そのもので、ひとつの命だってことに行き着く。


そこにおいて心に空いた穴が埋まるんだ。




そろそろ方向転換してみようよ。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:53Comments(4)心のメッセージ

2007年08月17日

過去は運命、未来は選択



全ての出来事が天の計らいだとしたら、僕らの運命は全部決まっているんだろうか。

それともそれは僕らの意思や生きかた次第で変えていけるんだろうか。



それはどちらも真実だと思う。

この2つの矛盾する真実の彼方に、言葉を超えた宇宙の神秘があるのだろう。



僕はこの2つを使い分けて生きている。




終わってしまったことは全部運命だったのだから、じたばたしても仕方ない。

でもこれから先のことは、自分次第でどのようにも創りだしていける。


そんな考え方で生きているよ。




それを逆にしちゃうとあんばいが悪くなる。


終わったことは自分次第でどうにでもできたのに、なんでこんなふうにしちゃったんだ。

自分のせいだ。


これから先のことは全部決められているから、努力したって同じこと。

どうせ自分にはどうすることもできないんだから。



これは救えない考え方だよね。

うっかりすると、この世界に入り込んじゃうから気をつけよう。



どちらの真実を生きるのか、それによって生きるスタンスが大きく違ってくると思う。




「過去は運命だったんだから受け容れる」

「未来は自分の選択しだいだから創造的に生きる」

ね、このほうがいいでしょ?



そんな考え方を持って、胸を張って生きていこう。

友よ、未来は明るい!!







追伸

今日も向和尚から素晴らしいメッセージをもらいました。
これからの我々人類に必要なことです。

ぜひ読んでみてください。

随(かんながら)神  


Posted by Toshiro Abe at 08:41Comments(1)日々のメッセージ

2007年08月16日

流れのままに




昨日のコンサートでは、大きな幸せを受け取りました。

来てくれた人の顔がみんな輝いて見えました。


舞台の上で感じました。

ここにいる人だけでなく、全ての人はみんな祝福されているって。



僕たちは自分の身に起きた不幸な出来事や失敗を悔やんだりしますが、大きな観点から見たときは、それも含めて全部必要で、起きるべくして起きてきたのです。




釈迦の言葉に「タタータ」というのがあります。


起きる事が起きる。

それ以外は決して起きない。

こうなればよかった、こうならなければよかったと思ってはいけない。

それ以外は決して起きなかったのだから。





今日はそんな話をさせてください。




僕たちが喜ぼうが悲しもうが、事は起きてきました。

これからも同じこと。

僕たちが喜ぼうが悲しもうが、事は起きていきます。



それは全体(神)の意思です。

部分(自分)が全体に戦いを挑んでも負けは見えています。

人生をすべて自分の思い通りに征服しようとしても、最後は必ず敗北で終焉します。




戦うことなく流れに身をまかせて、流れと共に生きること。

それが生きる極意だと仏陀は言います。




それは何もするなということではありません。

いつも今、目の前の現実に心を込めて最善を尽くす。


でもその結果、事がどのように展開しようが、それは天の仕業だから受け容れなさいということです。




人生の流れは、時として思わぬ方向に流れたりします。

岩だらけの渓谷や、急流にのまれたりもします。


その流れはそれぞれの人生に与えられた定め。

最後の祝福にたどり着くための、避けては通れない道のりなのです。



そしてどんな流れも必ず海にたどり着きます。

僕たちは最後に大いなる愛とひとつになるために、何度も何度も生まれ変わりながら、それぞれの旅を続けているのです。




<右に流れても 左に流れても どっちだっていいよ Let it be>

この言葉はブログのサブテーマにしているもので、「Let it be」の自作の日本語詩です。



今日はその全文を紹介します。



右に流れても 左に流れても どっちだっていいよ Let it be

どんな流れも いつかは海に帰る 心配ないよ Let it be


思し召すまま 流れのままに まかせてごらんよ Let it be



楽しかったことも 悔しくて泣いたことも みんなありがとう Let it be

恨んだあの人を 許してあげた時 奇跡が起こるのさ Let it be


まかせてごらん 天の力に ゆだねてごらんよ Let it be

思し召すまま 流れのままに まかせてごらんよ Let it be

Let it be  Let it be  Let it be  Let it be どってことないよ Let it be





起きる事が起きる。

それ以外は決して起きない。

こうなればよかった、こうならなければよかったと思ってはいけない。

それ以外は決して起きなかったのだから。




今がどのように見えたとしても、誰もの人生は完璧なのです。


思し召すまま・・・・








昨日コンサートに来てくれたみなさん、コンサートを支えてくれたみなさん、そして遠方からパワーを送ってくれたみなさん、ありがとうございました。


僕はおめでたいのかもしれないけど、いつも今回のライブが最高だったと思います。


星、風、光、音楽、愛、祈り、一体感、平和、想い、涙、笑い・・・

人間っていいな、生きてるっていいなって思えた夜でした。


感謝。






追伸

裏ブログ<随(かんながら)神>にも、毎日新しいメッセージを載せています。
  


Posted by Toshiro Abe at 07:24Comments(3)究極メッセージ

2007年08月15日

祈り




生まれる前に戦争があった。

映画や話でしか知らないけれど、それは想像を絶する悲惨な現実だった。



国や子孫のために死んでいった無数の名もなき若者達。

巻き込まれて犠牲になった無数の罪無き人々。

その中には幼子のまま亡くなった、僕の姉や兄もいる。


この世の出来事に何一つ無駄が無いとしたら、僕らはその現実とどう向かい合えばいいのだろう。



二度と過ちを犯さないように、僕はこの人生でやれることをやっていこうと決めた。


それにはイデオロギーやカリスマ指導者を待つのではなく、僕たち一人一人の意識が成長することだと思った。




先の大戦でお亡くなりになったすべての魂のご冥福をお祈りします。




今日は祈りの日。

今夜は愛と平和のコンサートだ。



久高(神の島)を望む丘の上から
「世界が平和でありますように」


(新曲・くるくまの祈りより)



せめて今日一日は、戦争を思い出し、戦没者への祈りを捧げて過ごしましょう。




  


Posted by Toshiro Abe at 08:52Comments(0)その他

2007年08月14日

かんながら



昨日フィリピン沖に台風8号が発生したと聞いて、「またかよ!」って思って、よし今年も何があっても決行するぞって覚悟決めたんだけど、どうやら台風は大陸の方向に抜けて大丈夫みたい。


それどころか明日は、沖縄では久しぶりの晴天に恵まれるってYahooの天気予報に書いてある。

そしてそのあとは週末にかけてまたお天気が崩れるそうで・・・



何故か毎年、「ツイてる、ツイてる」のくるくま野外コンサートだ。


もしかしたらペルセウス座流星群のおこぼれにもあやかれるかもしれず、ライトを消しての天体ショーも演出で考えている。



僕は霊感が強いほうではないけれど、くるくまの森でははっきりと神を感じたことがある。

それはとてつもなく優しい波動で、僕たち人間の愚かさの全てを受け入れ許してくれているようだった。

詳しくは<かんながら月光編>を読んでね。



同じような波動は奈良県の天河神社でも、インドのプーナでも感じた。

細かな水の粒子が当たり一面を覆って、あれがマイナスイオンなのかな、呼吸がとても深くなる。

そんな神気があふれる場所を、人は昔から聖地として崇めてきたんだろう。


そうなるとこの「くるくまの森」も、将来そんな役目を担っていくのかもしれない。



この世の出来事に偶然が無いことは、人生で何度も確認している。

起きる事が絶妙のタイミングで起きていて、それは人との出会いも同じだ。



やはり僕たちは大いなる存在の懐の中で生かされているんだと思う。

それを思うと、想像を超えた大きな力と、大きな意思と、大きな愛に、感謝せずに入られない。


それが何だかは分からないが、そして感謝という言葉がふさわしいかも分からないが、とてつもないスケールの前にただただ感無量。


そんな気持ちで生きられたとしたら、日々の出来事や問題も、なんて小さなことなんだろうって思えるよね。




僕もあなたも神の子であることだけは間違いない。


僕らが神を想うその数万倍の想いで、神はいつも僕らを見守り愛してくれている。


なんだか宗教家のような表現だけど、それが事実だということは経験的に知っている。



だから結局伝えたいのは

「大丈夫だから」

この一言に行き着くんだ。




とりとめのない文章になっちゃったけど、最後まで読んでくれてありがとう。

そして僕と出会ってくれてありがとう。


感謝。





  


Posted by Toshiro Abe at 07:55Comments(4)随(かんながら)神

2007年08月13日

ストレスの原因



最近ますます社会にストレスが蔓延しているって誰かが言っていた。


ストレスは心の病に繋がったり、最悪の場合は不治の病を引き起こしたりもするからあなどれないよね。

だからかな、ヒーリングやリラクゼーションが大流行。


心や身体を癒したり、なるべくストレスの原因を自分から遠ざけたりするんだけど、これって効果もあるけれど、ちょっと的外れだと思う。



今日はそんな話をしてみるね。



僕の場合、一番ストレスを感じやすいのは交通渋滞かもしれない。


僕はすごくせっかちな人間で、なんでも早く済ませてしまわないと気がすまない。

だから渋滞になると、すぐにイライラが始まってしまうんだ。



渋滞に巻き込まれるとお約束のように、頭の中で独り言が始まる。


「違う道にすればよかった」

「もっと早く家を出ればよかった」

これって、起きていないことを引き合いに出して、自分を責めているんだよね。


そのうち

「なんで今日に限って」

「この季節は工事ばかりだ。予算を使い切る気だな」

なんて、自分勝手な文句が始まる。


さらには

「遅れたらどうしよう」

「いい加減な人間に思われちゃう」


そんな会話が頭の中で堂々巡り。

これが僕のパターンだ。



それがどうだ。

最近は

「息を吸って私は静か」

「息を吐いて私は微笑む」

のおかげもあるのか、むしろそれまでのスピード感を緩めてリラックスできるようになった。

今や渋滞はゆったりとした気持ちになるチャンスだ。


同じ現実でも、考え方や心のあり方でまったく違うものになってしまう。


ストレスを生んでいたのは渋滞そのものじゃなくて、それに対する僕の心のあり方だったわけだ。



これはほとんどのことに言えると思う。


現実そのものが直接心に影響を与えているんじゃなくて、その現実の見方、認識の仕方が影響を決めている。


だから外側の原因を減らそうとしたり、溜まったストレスを緩和させようとする前に、現実を離れて見れるような、余裕のある自分を作り出す事が大切だと思う。


僕にとってその一番の方法が


「息を吸って私は静か」

「息を吐いて私は微笑む」


だよ。



とはいうものの、先日のぶち切れ事件みたいに、息を吸っているヒマがないようなことも起きるけどね(笑)



そんなわけで今日もご一緒に

「息を吸って私は静か」

「息を吐いて私は微笑む」




最後まで読んでくれてありがとう。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:18Comments(4)日々のメッセージ

2007年08月12日

心の奥の会話



あー気持ちがよかった。

今朝は6時に目が覚めて、犬の散歩に行こうかと思ったら外は雨。


それじゃ、小降りになるまで瞑想しようって思って、軽い体操してから静寂の世界に入っていった。


そしたら・・・2時間半も経っていた。



さすがに半跏趺坐(片方の足を反対側の腿の上に乗せる坐禅)を組んだ足は感覚を無くしていたけど、意識はすこぶるクリアー。

まるで心の鏡をピカピカに磨いたみたいだ。


いつもこんな僕でいられたら凄いだろうな。



そんな自分になってみると、普段の浮ついた自分が客観的に見えてくる。



たとえば昨日の記事を書いたとき、それをアップしようかどうか迷っていた。

なぜなら、こんなことを書いたら、みんなに嫌われるんじゃないかって心配したからだ。



その手の会話は、いつも絶え間なく心の中を去来している。


「これはうまくいったぞ。きっとみんなに気に入ってもらえるだろう」

「違うやり方のほうが得かもしれない」

「一言、お礼を言っておいたほうがいいかも」

「わざたらしくならないようにしなくちゃ」



こういう心の会話は、他者が自分をどう思うか、どう振舞ったら無難か、あれこれ想像して自分を守ろうとしているわけだ。


さらには


「こんな恵まれた状態が、いつまでも続くわけがない」

「このやりかたでうまくいくのだろうか」

「お金が足りなくなったらどうしよう」


という先のことへの心配に繋がっていく。




これらは全部「怖れの声」。


いかに普段自分が怖れの中で生活しているのかがよくわかるが、いつもは自動的に考えているので、そのことに気づくことさえない。



幸せや満足を外側の世界に求めても、そこには確かなものや永続するものはないので、結局は心配や不安の渦に巻き込まれることになる。



わかっちゃいるんだけど、習慣でやっちゃうんだよね。



将来悪い事が起きて、今の幸せがなくなっちゃうんじゃないかって漠然と心配して、その結果幸せな気持ちを失くしてしまう。

なんだか心の作用って皮肉だよね。




今朝はそのことに気づけたから、正直に素直な自分を生きてみたいと思います。


あなたもいい日曜日を過ごしてください。








PS

今日は西原自動車販売ショールームでのライブ講演会です。

今日で一年目ですが、次回からは有料になります。


最後の無料コンサート。

今日の僕はとても調子がいいので、話を聞きに来て下さい。

サンエー西原シティー前で、6時半開場です。


お問い合わせ
098-945-4737(西原自動車販売)
  


Posted by Toshiro Abe at 09:21Comments(1)独り言