2007年08月31日
続・問題解決の基本

昔、知り合いでとても大きな問題を抱えた男がいた。
公益法人の理事をしていて、仕事も順風満帆に見えた彼には、人には言えない悩みがあった。
というのも奥さんが、とある宗教団体に入信してしまって、家を空ける事が多くなったのだという。
しかもそこは、世間からよく思われていない有名な団体で、こともあろうに小学生の娘も連れての入信だったらしい。
夜遅くまで勉強会と称する集まりに参加したり、遠方まで出かけていって各家庭に小冊子を配ったり、その行動は日に日にエスカレートするばかり。
いつか隣近所や仕事先に、自分の家族がその宗教団体の構成員だということがバレるんじゃないかという怖れや、さらには年端も行いかない子供までを洗脳するようなやり方に我慢ならず、毎日悶々とした気分で生活していた。
さてあなたがそんな問題を抱えたとしたらどうしますか。
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2007年08月30日
問題解決の基本
最近、メールなどで悩みを相談してくれる人が増えてきました。
家族のこと、仕事のこと、健康のこと・・・
想像できないような状況にはまってしまった人もいます。
どのようにしてその悩み(問題)を解決するかは、その人にしかわかりません。
何度も言うように、起きている出来事は中立であり、その出来事を問題として見ているのはその人だからです。
今日はそんな話をさせてください。
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2007年08月29日
大空へ

もっと頑張んなきゃ。
もっと強くなんなきゃ。
人に甘えないようにしなくちゃ。
自分の力で人生を切り開かなきゃ。
おはよう

ご気分はいかが?
自分に言い聞かせてきた「~~しなきゃ」って言葉に縛られていると、人生が重たくなっちゃうよ。
そんなことは忘れて、「今この時」に心を込めてみよう。
そうやって過去から自由になると、自分が立派じゃなくても、頑張らなくても、賢くなくても、周りから感心されなくても、それでいいんだってわかってくるよ。
今このとき以外の何が必要なんだろう。
全部ここにあるじゃない。
あなたはあなたでいいじゃない。
古い価値観に縛られるのはもうやめよう。
今日もイキイキとした気持ちで、人生を楽しもうね。
♪
あの人からも この人からも
後ろ指さされないように
見えない鎖でがんじがらめにされて 飛べなくなった小鳥よ
自由な大空を思い出してごらん
君の翼は 君が言うほど色あせちゃいないさ
誰かのために 人のために生きてきた人生を
自分の腕に取り戻せ
そうさ、まだ何も終わっちゃいないさ
まだ何も始まっちゃいないさ
「大空へ」より
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2007年08月28日
因果

昨日ラジオに質問が来ていたんだ。
読もうと思って横に置いておいたのが、時間がなくなってしまって読めなくなってしまった。
よく見かける名前だったし、きっとブログも読んでいると思うから、ここで僕の考えを言うね。
その人、今年に入ってから、左右両腕とも骨折しちゃったんだって。
こんなことが起きるのは、仏教で言う「因果応報」ですかって。
自分が過去や過去生で何かしたことの罰なのかって。
じゃ、今日はそんな話をしてみよう。
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2007年08月27日
ブログコンサート

今日は特別企画
8月15日に行われた「くるくまの祈り~平和コンサート~」の模様を再現してみます。
今までブログには、なるべく自分の顔を出さないようにしてきたけど、たまにはいいか

満員のお客さんと、星と、風と、聖地くるくまの神気に包まれた、とてもステキな夜でした。
それじゃ、始まり、始まり
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2007年08月26日
自殺願望
自殺したいって思ったことある?
僕はあるよ。
最初は高2の時だった。
親元を離れた寮生活で、学校にも友達にも馴染めず、何ともいえない孤独感の中で、生きていても仕方ないって思ったっけ。
猛スピードで走り去るトラックに後ろから轢いてもらいたいと願って、歩道のない国道を車線ギリギリに歩いていた。
自殺じゃ親が哀れだけど、交通事故じゃ仕方ないと思ってくれるかなって、変な理屈を持っていた。
その重い倦怠感がスっと消えたのは、中学の頃の友人からの一通の年賀状だった。
僕を忘れずにいてくれた事がとにかく嬉しくてね。
たったそれだけのことで、あ~僕は一人じゃないって思えた。
年賀状を出した本人はそんなつもりじゃなかっただろうけど、今でもそこに書かれた絵柄をはっきりと覚えている。
ほんの小さなことで救われることってあるんだなって思った。
その後も死にたいと思ったことは数え切れないほどある。
でも本当には死ぬ勇気もなくて、「死にたい」と考えることで、その時の自分の悩みや苦しみを慰めていたのかもしれない。
だって、その気になれば死という手段があるって思えば、少し気が楽になるしね。
30歳になったばかりのころも、毎日のように死の誘惑の中で暮らしていた。
その時は仕事も人生も八方ふさがりで、この先どうなっていくのかすごく不安だった。
自分という存在が無くなってしまえば、どんなにか楽だろうって、そのためには死ぬしかないって思っていた。
そんな絶望的な毎日の中で、何の前触れもなく「真理」が僕を照らした。
それまでまったくの無神論者だった僕が、生まれて初めて魂や霊性に触れた瞬間だった。
いま思うのは、自殺しても「自分」は死ねないって事。
自殺は無知な手段だって事。
でもあの時は、「自分」が根底から死んだんだ。
生きながらにして、僕自身が完璧に消えた。
「僕」という幻想が、霧のように消えてしまった。
そこに想像を超える祝福が待っていたんだ。
僕たちがいつも限りない愛の中で守られ生かされている事を目の当たりにした。
僕は思う。
自殺したいくらいに人生に疲れ、悩み苦しんでいる人は、大きなチャンスの前にいるって。
それは人生にいいことが起きて、また希望が持てるとかいう話じゃなくて、根底から自分が変わり、永遠の救いに到達する、そんなチャンスを迎えていると思う。
毎年おびただしい数の自殺者がいるよね。
9年連続で、自殺者の数が3万人を超えたんだって。
この10年間だけでも30数万人の人間が自ら命を絶ったことになる。
救急車や病院で命が助かって、自殺未遂に終わった人はこの4倍。
自殺願望者にいたっては、この10倍以上の数にのぼるという。
その理由は様々だろうが、この中には、もし近くに真理に導いてくれる人がいれば、人生最大の好機を迎えていた人が数多く含まれていると思う。
そんなことを考えてラジオなどの活動をしているのは、僕自身が通った道だから。
ほんのわずかでも、力になれたらと思う今日この頃です。
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2007年08月25日
あなたのままでOK
いつもありのままでいたいね。
ありのままの自分はいつも移り変わっている。
好みも感情も、いろんな自分がひっきりなしに現れて、そして消えていく。
その時、たとえどんな自分だろうと、そのままの自分でいたいよね。
もちろんあなたも、そのままでいい。
気に入られようとして、自分を飾ることは必要ない。
僕は、いつだってあなたがありのままの自分でいられるように接してあげよう。
それが友達ってことだと思う。
僕はあなたと友達になりたい。
自分に素直に、自分に正直にいられるまでは、決して心の平安は訪れない。
いくらお金があっても、いくら多くの人から尊敬を集めても、自分のことは騙せないからね。
もし自分に正直になれないとしたら、そこにはたくさんの怖れが眠っている。
それは何だろう?
きっと何かを失うような気がするんだね。
でも、あなたは何も失くさないよ。
だって、あなたは最初から全部持っているんだから。
長年やってきた方広寺でのセミナーでは、そんなことを感じてもらうのが目的だった。
また始めてみようかな。
本当の自分を生きるのに、遅すぎるということはない。
いつだってそれは「いま」から始まっていくんだ。
♪
まだ何も終わっちゃいないさ
まだ何も始まっちゃいないさ
「大空へ」より
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2007年08月24日
あなたは贈り物
何度考えても、やっぱり一昨日の夜の出来事は不思議だ。
例の出来事から何日もたって、突然深夜に謝りに行ったら、たまたまその時間に相手もいた。
彼はその店の常連ではなく、あの日以来初めて店に謝罪に来ていたという。
しかも僕が井上さんに頼んだわけじゃないのに、何故か彼は僕の後を着いて来た。
いっしょに謝ってくれるつもりだったんだろう。
あの場に誰か援助してくれる人が必要だったとしたら、世界広しとはいえ、彼以外には考えられない絶妙なキャスティングだった。
浜松からそのタイミングで僕に会いに来てくれたのかもしれない。
こういうことって、けっこう日常茶飯事に起きているのかな。
僕らが、「偶然」、「たまたま」って考えていることも、そこには長い流れの中での必然が起きているような気がする。
そして何かが少し違うだけで、人生そのものがまったく違う方向に流れることもある。
あらゆる出会い、あらゆる出来事は奇跡。
そうやって、今自分の近くにいる人達をじっくり眺めてみよう。
どのようにして出会ったのか。
その出会いが実現するためには、いったいいくつの出来事が必要だったか。
いくつの偶然が、いくつの奇跡が必要だったか。
もし最初からこの人生で出会うことになっていたとしたら、それは天からのプレゼントだね。
幸せな関係も、傷ついた関係も、自分に何かの影響を与えてくれた全ての人は、天からの贈り物なんだと思う。
だって数十億の中から選ばれた人たちだから。
今日もいい日でありますように。
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2007年08月23日
告白 その後
昨夜、浜松から2人の友人が訪ねてきてくれて、深夜まで母家で盛り上がっていた。
そしたら智子さんが、先日店に入ってきた男との立ち回りの話をしだした。
友人の一人である井上さんは、若い頃は数百人の族(暴走族)を束ねる頭で、今は数百人の社員を抱える実業家だ。
その手の話は腹を抱えて笑ってくれる。
阿部さんもあいかわらず何も変わっていないって話の後で、智子さんが隣の店に謝りに行こうと言いだした。
というのも、店に入ってきた男を表に出した後、どうやら僕のブチ切れはかなりのものだったらしく、身の危険を感じたその男が隣の店に逃げ込んだのだ。
それを追いかけて行って、その店の中で再び無茶苦茶にやってしまったわけだが、その間中、店のご主人は「許してやってくださいよ」って何度も僕に言っていた。
考えてみればずいぶんご迷惑をかけたので、「じゃ、謝ってくるから」って母家を出たら、井上さん達が僕の後を付いて来た。
ちょっと気まずかったが、店に入ると、なんと!・・・・・カウンターにあの夜のあの男が!!!

僕も身体は大柄だが、僕以上に恰幅のある体格で、目つきや風貌はや○ざのような男なので、一目で彼と分かった。
(実は最初は彼を本物のや○ざだと思っていた)
彼は僕たちを見て一瞬驚いたようだったが、すぐに鋭い目つきで睨み返してきた。
僕も、またよりによって何で?って思ったんだけど、すぐさま彼の隣に座って、
「あの時は申しわけありませんでした」
って謝ったんだ。
そしたら彼の鋭い目つきが急に優しい目つきに変わって、無言で手を差し出してきた。
そうやって握手した瞬間、ものすごく爽快な気分が身体全体を包んだ。
彼は彼で、あの日の事を店のご主人に謝ろうと来店していたらしい。
時間は夜中の12時過ぎ・・・こんなことってあるんだね。
起きる出来事のタイミングって凄い!
さて、同行してくれた井上さんが「ウチの兄貴はあいかわらずやんちゃで・・・」ってその男に話しかけ、実に気さくに場を笑いの渦に巻き込んでくれて、気まずいムードがいっぺんに明るくなった。
井上さんはいつも誰に対しても開けっぴろげな性格で、横で見ていてさすがだなって感心した。
その彼こそが何を隠そう「いまここ塾」の命名者で、向和尚と僕を引き立ててくれた浜松の経済人だ。
昨夜も彼がいてくれなかったら、あそこまで打ち解けたムードにはならなかっただろう。
いつもここ一番というときに助けてくれるんだ。
さてその男、いやその男性は、一足先に店を出て行ったのだが、帰りがけに独り言のように「あー、いい夜だった」と呟いていた。
なんだか嬉しくなってこうして記事に書いているんだけど、最近物事の展開がすごく速くなっているような気がする。
思い立ったらすぐ行動するのは、ちょっと勇気もいるけど大切な事だって改めて思った。
いい歳をしてブチ切れる自分の性格は、まさに人間的な未熟さの現れだけど、でも頭にきたときに怒らないで、いつ怒るんだって思っているのも事実だ。
偉そうにここで人の道を説いているが、僕が体感した存在の真実が、いまだ人格に反映していないことだけは事実だ。
ちょうど今朝、向和尚が<随(かんながら)神>に文章を寄稿してくれて、慈悲と利他を生きた祖師たちのことに触れていた。
まったくなんてタイミングだ。
修業が足りないなって心底思う、夏の日の朝です。
これからも見捨てないでお付き合いよろしくお願いします
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とにかく押してくれたら嬉しいです
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2007年08月22日
悟り
最近、世の中にストレスや心の苦しみが蔓延しているって思う。
これは時代の必然のような気がする。
衣食住が一通り満たされて、人間が次の段階に進むための、産みの苦しみのような気がするんだ。
ストレス緩和の方法は無数にあるだろう。
でもそれは病んだ木の、枝葉を修正しているだけで、根本的解決にはなっていない。
それじゃ、根本的解決はどうしたらいいのか。
それはずばり悟ること。
今のストレスや苦しみは、多くの人にとって悟るための準備のような気がしてならない。
だって苦しみが無ければ、誰も真理に興味なんか持たないから。
生きる方向転換をさせるための、神の計らいじゃないかって思っているわけで。
悟りというと、それは誰か特別な人に起こる事で、僕らのような一般の人間には縁遠い存在のように思いがちだけど、それは違う。
むしろ一番身近なことで、一番大切なことだと思う。
実に僕らの人生は、そのことを知るためにあると言ってもいいくらいだ。
今日はその話をさせてね。
僕みたいな人間が、悟りについて話すのはとてもいいことだと思っている。
そのほうが、身近なこととして伝わるだろうから。
これはあなた自身の話でもあるんだよ。
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2007年08月21日
大丈夫だよ
今朝は「新・願望実現」の続きを書こうと思っていたんだけど、昨日番組に寄せられた相談メールをふと思い出して、あの時はうまく言いきれなかったことをまとめてみようかと思う。
メールは、中3の娘さんと二人暮しの母親からのもので、娘が中2から不登校になってしまい、話しかけても話もできない状況が続いていて、心配で胸が押しつぶされそうで、どうしたらいいのかというものだった。
メールだけでは、そうなった原因も、娘さんの性格もなにもわからないし、こうしたらいいなんていう決まったやり方があるわけでもなく、解決方法は思いつかなかいけど、ただひとつ思ったのは、まずこの母である女性の苦しみを少しでも和らげてあげたいということだった。
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2007年08月20日
幸せ
ラジオ局からの帰り、自転車で走っていたら涼しい風が僕を包んで通り過ぎた。
そしたら、すごく幸せな気持ちが体の中から沸きあがってきた。
不思議だな。
何があったわけじゃないのに、こうして生かされていることの喜び、本当はいつも幸せだったんだ。
本当は全部与えてもらっていたんだね。
ありがとう。
こうしてあなたとめぐり合った奇跡を、誰に感謝したらいいんだろう。
そしたら、すごく幸せな気持ちが体の中から沸きあがってきた。
不思議だな。
何があったわけじゃないのに、こうして生かされていることの喜び、本当はいつも幸せだったんだ。
本当は全部与えてもらっていたんだね。
ありがとう。
こうしてあなたとめぐり合った奇跡を、誰に感謝したらいいんだろう。
2007年08月20日
もうひとつの随神(かんながら)
きのう、ふと自分の若い頃のことを思い出した。
思い出はたくさんあるけれど、どれも美化されたものばかりで、本当はみっともないことや、人に言えないようなことがたくさんあったと思うんだけど、そういうことって都合よく忘れていると思った。
毎日を生き残るのに懸命で、人に気に入られるような自分を演じ、損得ばかりを考え、心にもないことを言い、本当のところ他者に対する真心からの言動ではないから、時間の問題でメッキがはがれてしまったこともたくさんあったな。
うまく演じていたつもりだったけど、人はみんな見抜いていたんだろう。
ただ、いちいち僕に言わなかっただけの話だ。
そんな自分のことは忘却の彼方に押しやって、なんとかつじつまを合わせながら生きてきたと思う。
かんながらの物語だって、ああやって書けば主人公も心清き人物に描かれてしまうけど、その心の奥には、自分でも見たくない様々な想いが渦巻いていたように思う。
それは今も同じで、無意識に自分を正当化して生きてはいるが、まだまだ醜い面が心の底を去来していて、それを実際に見届けることさえしていないように思う。
ようするに自分を見たくないわけだ。
若い頃よりは幾分よくはなってきたが、このような傾向は一生続くんだろうか。
それとも芯の芯から潔く美しく生きられるような、そんな人格に成長できるんだろうか。
今の僕にはそのことがまだわからない。
自分の暗い面だけを浮き彫りにして、もうひとつの随神(かんながら)を書いてみたらどんなストーリーになるのかな。
よく自叙伝や人物伝のような書物があるけれど、そのような本にはどれくらい立体的な真実が描かれているんだろう。
なんだか今日は自虐的な文章になってしまったけれど、自分を見つめる難しさを感じたので書きました。
(文章は一見自虐的に見えるかもしれないけれど、実際にはかなり清々しい気分です。無意識に蓋をした世界を見つめる勇気を持ち始めたからだと思います)
少しでも心清らかに生きていきたいと願っている今朝の心境です。
さて犬の散歩でも行ってこようかな。
この子の世話をしている自分、家族の幸せを考えている自分、少しでも人の役に立ちたいと思っている自分には嘘がないのだから、そんなところも見てあげながら、今日も一日僕自身を生きようかと思うわけです。
今日もいい一日でありますように。
これからもよろしくお願いします
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2007年08月19日
随(かんながら)神
今朝は7時に起きて、いつものようにパソコンの前に座った。
向和尚から新しいメッセージが届いていたので、それをアップしようと<随(かんながら)神>を開いた。
この物語を書いたのは1999年の暮れ。
国語だけはいつも「3」だった僕が(面目ない)、小説もどきを執筆するなど考えもしないことだったが、当時はいまのようにブログがあるわけでもなく、自分の体験やメッセージを伝える術も無く、そんな中で思いついたのが物語の執筆だった。
メッセージをそのまま書いたら、堅苦しくて誰も興味を持ってくれないだろう。
冒険小説風ならばというのが、その発想の原点だった。
朝から晩までパソコンの前に座って、書き始めたのはいいものの、こんな荒唐無稽な物語、どう収集がつくのだろうなんて思っていたが、不思議と手が休まることも無く、2週間ほどで一気に書き上げた。
ちょっとカッコウをつけた言い方をすれば、半分は僕が書いたのではないと感じている。
特に最後の弁才天による「7つの鍵」の解説は、ほとんど書き直すこともなく、僅かの時間で書き上げてしまった。
その後、沖縄に暮らすようになり、物語の随所に加筆し、最後のエピローグの章を付け足した。
新しくブログを立ち上げ、物語を連載すると、多くの人たちから励ましや感想文が届くようになった。
全国各地はもちろんのこと、ヨーロッパやアメリカ、インド、東南アジア、南米など、世界各地に暮らす日本の同胞たちからも共感のメールを頂き、ネットが世界規模の存在だということを改めて感じる事ができた。
さて今朝は久しぶりに、この物語を最初から最後まで読み直してみた。
僕の文章能力の問題で、まちがっても小説などとは呼べない代物だが、全体としてはよくできた物語だと思った。
僕の伝えたいことが、おおまかこの物語に言い表されているからだ。
最近では向和尚から直接寄稿してもらって、それをそのまま<随(かんながら)神>に載せているが、考えてみれば本当にありがたいことだ。
お時間のある時に、一度お読みください。
物語はここから始まります
プロローグ
こちらのブログ「いまここから・・・」にも、多くの人が見に来てくれて、感謝、感謝です。
これからもみなさんの期待に応えられるよう、気持ちを込めて書き続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。
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2007年08月18日
心の穴
僕らは心の中に、ポッカリと空いた穴を持っている。
その穴を埋めるために、一生懸命いろんな活動をしているんだと思う。
愛する人を見つけ、この人と一緒なら穴が埋まるような気がする。
たくさんのお金や財産を手に入れたら埋まるような気がする。
仕事が成功して、多くの賞賛や注目を集めたら埋まるような気がする。
完璧な人になって、みんなから尊敬されたら埋まるような気がする。
僕らはそうやって生きてきた。
少なくとも僕はそうやって生きてきた。
だけど・・・埋まらない。
どこまでいっても、いつも何かが足りない。
それは外側のものじゃ埋まらなかったんだ。
その答えは内側にあった。
多くの人がそのことに気づき始めている。
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2007年08月17日
過去は運命、未来は選択
全ての出来事が天の計らいだとしたら、僕らの運命は全部決まっているんだろうか。
それともそれは僕らの意思や生きかた次第で変えていけるんだろうか。
それはどちらも真実だと思う。
この2つの矛盾する真実の彼方に、言葉を超えた宇宙の神秘があるのだろう。
僕はこの2つを使い分けて生きている。
終わってしまったことは全部運命だったのだから、じたばたしても仕方ない。
でもこれから先のことは、自分次第でどのようにも創りだしていける。
そんな考え方で生きているよ。
それを逆にしちゃうとあんばいが悪くなる。
終わったことは自分次第でどうにでもできたのに、なんでこんなふうにしちゃったんだ。
自分のせいだ。
これから先のことは全部決められているから、努力したって同じこと。
どうせ自分にはどうすることもできないんだから。
これは救えない考え方だよね。
うっかりすると、この世界に入り込んじゃうから気をつけよう。
どちらの真実を生きるのか、それによって生きるスタンスが大きく違ってくると思う。
「過去は運命だったんだから受け容れる」
「未来は自分の選択しだいだから創造的に生きる」
ね、このほうがいいでしょ?
そんな考え方を持って、胸を張って生きていこう。
友よ、未来は明るい!!
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追伸
今日も向和尚から素晴らしいメッセージをもらいました。
これからの我々人類に必要なことです。
ぜひ読んでみてください。
随(かんながら)神
2007年08月16日
流れのままに
昨日のコンサートでは、大きな幸せを受け取りました。
来てくれた人の顔がみんな輝いて見えました。
舞台の上で感じました。
ここにいる人だけでなく、全ての人はみんな祝福されているって。
僕たちは自分の身に起きた不幸な出来事や失敗を悔やんだりしますが、大きな観点から見たときは、それも含めて全部必要で、起きるべくして起きてきたのです。
釈迦の言葉に「タタータ」というのがあります。
起きる事が起きる。
それ以外は決して起きない。
こうなればよかった、こうならなければよかったと思ってはいけない。
それ以外は決して起きなかったのだから。
今日はそんな話をさせてください。
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2007年08月15日
祈り
生まれる前に戦争があった。
映画や話でしか知らないけれど、それは想像を絶する悲惨な現実だった。
国や子孫のために死んでいった無数の名もなき若者達。
巻き込まれて犠牲になった無数の罪無き人々。
その中には幼子のまま亡くなった、僕の姉や兄もいる。
この世の出来事に何一つ無駄が無いとしたら、僕らはその現実とどう向かい合えばいいのだろう。
二度と過ちを犯さないように、僕はこの人生でやれることをやっていこうと決めた。
それにはイデオロギーやカリスマ指導者を待つのではなく、僕たち一人一人の意識が成長することだと思った。
先の大戦でお亡くなりになったすべての魂のご冥福をお祈りします。
今日は祈りの日。
今夜は愛と平和のコンサートだ。
久高(神の島)を望む丘の上から
「世界が平和でありますように」
(新曲・くるくまの祈りより)
せめて今日一日は、戦争を思い出し、戦没者への祈りを捧げて過ごしましょう。
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2007年08月14日
かんながら

昨日フィリピン沖に台風8号が発生したと聞いて、「またかよ!」って思って、よし今年も何があっても決行するぞって覚悟決めたんだけど、どうやら台風は大陸の方向に抜けて大丈夫みたい。
それどころか明日は、沖縄では久しぶりの晴天に恵まれるってYahooの天気予報に書いてある。
そしてそのあとは週末にかけてまたお天気が崩れるそうで・・・
何故か毎年、「ツイてる、ツイてる」のくるくま野外コンサートだ。
もしかしたらペルセウス座流星群のおこぼれにもあやかれるかもしれず、ライトを消しての天体ショーも演出で考えている。
僕は霊感が強いほうではないけれど、くるくまの森でははっきりと神を感じたことがある。
それはとてつもなく優しい波動で、僕たち人間の愚かさの全てを受け入れ許してくれているようだった。
詳しくは<かんながら月光編>を読んでね。
同じような波動は奈良県の天河神社でも、インドのプーナでも感じた。
細かな水の粒子が当たり一面を覆って、あれがマイナスイオンなのかな、呼吸がとても深くなる。
そんな神気があふれる場所を、人は昔から聖地として崇めてきたんだろう。
そうなるとこの「くるくまの森」も、将来そんな役目を担っていくのかもしれない。
この世の出来事に偶然が無いことは、人生で何度も確認している。
起きる事が絶妙のタイミングで起きていて、それは人との出会いも同じだ。
やはり僕たちは大いなる存在の懐の中で生かされているんだと思う。
それを思うと、想像を超えた大きな力と、大きな意思と、大きな愛に、感謝せずに入られない。
それが何だかは分からないが、そして感謝という言葉がふさわしいかも分からないが、とてつもないスケールの前にただただ感無量。
そんな気持ちで生きられたとしたら、日々の出来事や問題も、なんて小さなことなんだろうって思えるよね。
僕もあなたも神の子であることだけは間違いない。
僕らが神を想うその数万倍の想いで、神はいつも僕らを見守り愛してくれている。
なんだか宗教家のような表現だけど、それが事実だということは経験的に知っている。
だから結局伝えたいのは
「大丈夫だから」
この一言に行き着くんだ。
とりとめのない文章になっちゃったけど、最後まで読んでくれてありがとう。
そして僕と出会ってくれてありがとう。
感謝。
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