2007年10月19日

亀田さんと僕と反省と欺瞞




ひとつの出来事に対しても、いろんな意見があるね。

それは、価値観の違いや、判断基準の違いが作り出しているんだろう。


共通しているのは、人と意見が合わない場合は、相手が間違っていると考えがちな点だ。

そうやって正しい者同士が衝突し、争いに発展することもある。




「自我」という存在は、極めて精密な防御機構のようなものだ。

自分を脅かしそうな外側の脅威から、常に自分を守ろうと注意深く周囲を見張っている。

それは本能的に、自分は正しいという立場からものを考えようとして、状況が悪くなると、瞬時に自分を正当化し、相手の間違いを探し出す。



ちょっと極端な話になるが、殺人を犯した人たちを診察する精神科医の報告では、ほとんどの囚人が、殺人を犯したのは自分の責任ではないと考えるそうだ。

たとえば、泥棒に入ったら見つかったので仕方なく殺したとか、大声を出したから殺したとか、相手は殺されても仕方ない人間だったとか、仲間にそそのかされたとか、悪魔が乗り移ったとか、殺す気はなかったとか・・・


殺人者でさえも自分を正当化するのだから、普通に生きている僕たちや、僕たちの周りの人達が、たとえ目に余る行為があったとしても、心底から自分の間違いを認めるなんて、めったにないことだと思う。


そのような人間の質を知らずして、相手の間違いを指摘したり、反省させようとしたりするのは、ひとりよがりの無意味な行為なのかもしれない。




再び亀田さんの謝罪会見の話になるが、彼らは心から反省して会見に臨んだのだろうか。

いやいや、そうではなく、自分達が置かれた危機的状況を打破するには、あのような会見を開くしかなかったのだろう。

もともと社会をなめきって生きてきた人が、不祥事を指摘されたからといって、すぐに自分の非を認めて反省するだろうか。



おそらく心の中では、早くこの状況が過ぎ去って欲しい、なんとか切り抜けたい、お前達に俺の気持ちがわかってたまるかという気持ちがあるのではないか。


もし僕が彼だったら、間違いなくそのように考えると思う。

でも僕はもう少しずるいので、うまく演じきって周囲を納得させることだろう。




心底から反省したり、懺悔したりするのは、極めて高い人間力を要する。

深い知性と、謙虚な気持ちがなければ、本当の反省などできるものではない。


にもかかわらず、あのような謝罪会見に対して、「本心からの謝意が伝わらない」「反省が足りない」などと責め立てる人たちは、いったい何を期待しているのだろう。




人間が自我に支配された欺瞞の塊りである以上、社会はその集まりのようなもので、欺瞞と偽善に満ちた劇場のようなものではないだろうか。

もちろん僕たちはそんな社会にあって、すこしでも誠実に、少しでも人の役に立ちたいと思って生きているのも事実だ。

でもそんな自分の中には、今述べたような見たくない自分が生きているのではないか。



人を非難したり、心からの謝罪を求めたりすることで、自分の気持ちが少し楽になるのかもしれないが、そのような態度は現実的でないことも知らなければいけない。




僕はいつも思う。

この人生でやるべきもっとも大切なことは、人を責めることではなく、絶え間なく正当化している自分自身の欺瞞と向かいあって、とことん自分を見ていくことだと。



「愛」「癒し」「祈り」・・・

耳障りのいい言葉が氾濫している精神世界ブームの中で、もっとも基本的な自己観察をおろそかにしては、実際の成長は望めないと思う。




少なくとも僕は、そのように考えて生きている。





何かを感じてくれたら押してください。
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お知らせ

明後日の東京ライブは満席のため、当日券はありませんのでご注意ください。

沖縄でのバースデイライブは27日が満席、28日も残り少なくなってきています。

お問い合わせは098-866-5880(母家)までお願いします。

  

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2007年10月18日

亀田一家 3



昨日の謝罪会見は、けっこう刺激的だったね。


真剣に謝っていないって意見も多いみたいだけれど、それは彼らに期待しすぎているからだ。

このピンチをどう乗り切ったらいいかという冷静な判断力があるくらいなら、ここまで暴走することは無かったのだから。

これが彼らの知力の限界で、僕は今の時点ではこれで十分だと思った。

これ以上の期待は、逆イジメになってしまう。



一番印象的だったのは、亀2号君の憔悴しきった態度。

あの憔悴は、社会からのバッシングや、敗戦ショックだけが原因ではないだろう。

自分の人生哲学が根底から崩れ落ちていくことの虚無感ではないか。


彼の人生哲学は単純だったと思う。

それは

「オヤジの言うことを聞いていれば間違いない」


そのオヤジが社会の風圧の前に、もろくも敗れ去った。

子供として、弟子として、信者として、そのショックは相当なものだと思う。

僕も息子を持つひとりの親として、この点は痛々しかった。



一方で、オヤジさんの表情も印象的だった。

僕には彼の顔が、身体の大きな子供(キカン坊)に見えた。


悪い言い方になってしまうが、知性の無さが露呈してしまっていた。

ボキャブラリーの貧困さや、理解力の無さ、あのような会見の場はかなり苦手なはずだ。

だからこそ、昨日の謝罪会見はあれが精一杯だったと認めてあげたいのだ。



ところで、もし僕が亀2号君のプロデューサーだとしたら、今回の一連の騒動は小躍りするくらいに喜ぶだろう。

ここで彼が改心して、健気な少年として一心不乱に練習に打ち込み、日本タイトル、東洋タイトルという具合に、自分の実力にあったレベルの試合を重ねていけば、時間の問題でファンは戻ってくるだろう。


日本人は判官びいきなので、そんな姿勢は共感を生むことだろう。


しかも、いったん憎まれた人間が再び愛された時、その愛はとても深いものになる。


ただ愛されているだけでは、底が浅い愛でしかない。

なぜなら、愛の中には必ず憎しみという潜在的な可能性が眠っていて、それが無意識に心のブレーキをかけてしまうから、愛が表面的なものになってしまうのだ。

反対に、憎しみが最初に表に出てしまえば、その愛は計りしれない強さを持つことになる。




いろんな意味において、この逆境はすごい可能性を秘めた状況だと思う。



新しいニックネームは「ハンソク王子」はどうだろう。

いやこれはあまりいい名前じゃない。


もっとクリーンなイメージがいい。

髪型は7・3分けがいいかもしれない。


とにかく、今までとは180度違う好青年のイメージで再出発すれば、多くの国民の心をわしづかみにするだろう。



ま、そんなことはどうでもいいか。


それより、マスコミの皆さんにお願いしたいのは、日本社会特有の村八分を煽るような報道はやめてもらいたいということだ。


あまり正義漢ぶって、悪を断罪する姿もいただけない。

たしかに彼らは、品性や知性を著しく欠いているかもしれないが、社会の中で善人の仮面をつけて、権力や社会に迎合して生きている人達よりも、正直な面もある。


それにお金になれば何でもやる人達が、同じようにお金になればなんでもやってきた彼らを断罪する資格があるとも思えない。


同じ穴のムジナ。

僕はテレビを見るたびにそう思ってしまう。




亀田さん一家はいろんな話題を提供してくれたが、人間の様々な面をわかりやすく見せてくれて、たくさんのことを学ばせてくれたと思う。


「勝てばいい」

この時代遅れの美学に、多くの人達が背を向けたことは、日本もまだ捨てたもんじゃないってことを感じさせてくれた。

反面教師という点も含めて、この一連の騒動を、よい意味での教育に使っていけるような気がする。




最後まで読んでくれてありがとう。





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2007年10月17日

亀田一家 2



おはよう。

もう10月も半ばを過ぎてしまったね。

さすがの沖縄も、朝晩の犬の散歩が少し肌寒く感じるようになった。



そうそう犬の散歩といえば、あの亀田家の話。

家の前に集まったマスコミ陣を避けるように、一家は身を隠しているらしいけど、カラッポの家にはトイプードルとミニチュアダックスがいるんだってね。

家を警備するガードマンに家族から電話があって、犬の散歩を依頼してきたらしい。
(やたら詳しくてスマン)



あの強面の家族にしては、ずいぶん可愛いい犬を飼っていて似合わないって話があるけど、僕はもしかしたらあの子供達は心優しい子達なんじゃないかと思っている。


テレビの前であんなに強そうで恐い自分をアピールするってことは、実際には気弱ってことだから。

もし本当に猛々しい人間ならば、あえてそのことを強調しなくてもいいでしょ。


僕らは自分の中にない面を、外側に演出する傾向があるからね。




たとえば成金さんは、自分の本来の貧しさを隠すために、やたらと高級なものを身につけたがるでしょ。


本当に豊かな人はそんなことは気にも留めない。


根が甘えん坊の人は、強い自分を生きようとして、人に自分の弱さを見せなくなったりする。

亀田さんちの子供達も、本当は泣き虫で弱々しい性格なんじゃないかと思う。


だから、試合前に相手になめられないように、あそこまで自己演出する必要があったんじゃないか。

自信のなさを隠すためにね。



そんなやり方を関係者が面白がって、ヨイショして持ち上げるから、その気になってあそこまで暴走しちゃった。


文部科学大臣まで彼らを非難する声明を出したから、もう国中が敵になっちゃった感じだね。




こうなるとヘソ曲がりの僕としては、彼らをかばいたくなるわけよ。




人間は極端から極端に移行する生き物だから、さんざんヒーロー扱いしていた人達が、今度は一転してののしり始める。


真実はいつもその中間にあると思うわけだ。



相手が誰であれ、人を非難する時は気をつけよう。

僕らは相手の中に何か悪い面を見つけると、その人の全人格を否定してしまう傾向があるから。


誰だっていろんな面を持っているわけで、その人から学べることだってあるはずだ。



たとえば亀2号君も、世界タイトルマッチではまったく通用しなかったけど、わずかな期間でここまで成長したのは凄いことだと思う。

その裏には、想像を超えた練習量があったはずだ。



いい人は100%いい人で、悪い人は100%悪い人という、人間に対する単純な見方が、争いを生む元になっているようにも思うんだ。


ドラマなどでは悪役が徹底的に悪く描かれるから、僕らは本当にそんな人間がいるような気がしてしまう。



でも、思い出して欲しい。

本当はみんな自分だって事を。



相手を決め付けたり裁いたりしないで、中立的な目線で見たいものだね。



僕自身もよく人の事を決め付けてしまうけど、誰にだっていろんな面があって、状況次第でどんな人にでもなってしまうことを忘れないでいよう。




そんな見方が、優しさを持った見方だと思うよ。




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2007年10月16日

亀田一家




昨日下された亀田一家への処分内容。

甘すぎるという人、妥当だという人、それぞれだとは思いますが、彼らへの処分なんて自分の人生に直接関係ないんだから、そんなことに惑わされずに、いまここを生きようと言いながら、TBSやコミッション自体にも何らかの処分が必要だと考えているのは僕だけでしょうか。


「テレビも見ない」「新聞も読まない」と豪語しているわりには、ほとんどの番組のコメンテーターの一言一言までやたらと詳しいのは何故かという質問をはぐらかしている僕ですが、今日もよろしくお願いします。



諸悪の根源は父親だと言うけれど、ああいう毒素を振りまくことで低迷しているボクシング界を再興させようとした商売人たちがいたわけで、一家の品性の無さが商売人たちのコントロールを超えちゃったのが今回の事件です。


フグの毒も死にそうで死なないくらいが一番美味いと言いますが、調理が失敗して人が死んじゃったら、儲けようとした店の人や料理人が影に隠れてしまって、みんなしてフグが悪いって言い合っているのが、いまの現状だと思います。




個人的には世の中をナメきった悪役ヒーローは嫌いじゃないけれど、どうせあそこまでリアルにやるんなら、最後まで堂々と開き直って欲しかった。

自分たちの反則指示や行為に対する愚にもつかない言い訳には少々シラケました。




ま、いいや。



考えてみれば、ロープで四角く囲ったリングで、気絶するまで殴り合いをさせる行為を、スポーツだと言い切っているところが、何か変だと思わなきゃいけない。


見ている側は、自分の怒りやストレスを他人の格闘を通して解消しているわけで、そこにルールがあるからスポーツだって言い切る姿は、国際法を守れば戦争は合法だって言っているのと同じように見える。


自分が生まれる前からある競技だから、みんなすっかり洗脳されていて、そもそも殴り合いを面白がっていることの愚かさに気づかなくなっている。


しかもそれを見世物にしている野蛮人文化が、いまの人類の現状だよ、


罪のない動物を平気で殺して、皮を剥いで肉を食らっている姿と同じレベルだ。




暴力はいけないというなら、例外なく暴力はいけないのだ。




ここで僕からの提案がある。


この先ボクシングの試合は、殴り合いじゃなくて、リングの上での話し合いで決着をつけたらどうだろう。

話し合えばわかるんじゃないだろうか。


それを2時間生中継するくらいのTBSであってほしい。

低視聴率にもめげないその姿に、信頼回復は請け合いだ。





それから亀田一家の処分だけど、ライセンスの停止ということでは問題解決にならないよ。


そもそもあの親子の精神状態は歪んでしまっている。

精神の歪みの原因は、言うまでもなく愛の欠如だ。



したがって、一番的を射た処分は、

父親はヒーラーのもとに送って、インナーチャイルドが癒されて感動の涙を流すまで無期限強制ハグ。


子供達は「ありがとうございます」を連呼しながら、民家のトイレをピカピカに磨き、それらの行為がボクシングなしでも金運を引き寄せることを証明するまで帰れないという全国行脚の旅に出す。




ついでに、

高橋ジョージはリーゼントヘアーの1年間禁止処分。


エリカ様は「息を吸って私は静か」「息を吐いて私は微笑む」を1万回。





こんなんでどうでしょう?






バカ言ってないで、いまここを生きることにしますガ-ン






とりあえず押しておいて下さい
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2007年07月17日

自分の道




最近ラジオへの投稿で、子育てに関する悩みが多い。

子供がクラブ活動に熱中して勉強しないとかね。



そういえば最近の世論調査で、子供達が一番就きたい職業は公務員だという。


市民の下僕になって自分の時間や能力を使いたいということなら見上げたものだが、それ以上の理由として公務員なら一生安泰だというような発想があるらしい。

おそらく親がそれを望んでいるんだろうな。


安全に無難に生きながらえる事が人生の成功であればそれでいいけど、この人生のチャンスはそんなことで浪費してはいけない。


公務員を目指すのは悪いことではないが、その動機が間違っていると思う。



続きの前に押してね



  
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2007年05月23日

死について



すっかり遅くなってしまった。


昨日、吉の浦会館(いまここ塾)に向かう途中でラジオをつけたんだ。

そしたらニュースをやっていて、その中に興味深い話があった。


それは和歌山の病院での出来事。

80歳を過ぎた人が脳溢血で脳死状態になり、人工呼吸器で生きながらえていた。


家族はお別れを済ませたから、直る見込みがないならこれ以上苦しませずに延命措置を止めて、このまま逝かせてあげて欲しいと懇願したそうだ。


医師は一旦は断ったものの、ついには家族の願いを聞き入れ人工呼吸器を外し、病人は亡くなったということだ。


結局その医師は、殺人罪で告発されたというようなニュースだった。


それを聞いた直後だったから、昨日の内容は「死」が主なテーマになったんだ。



僕達の人生で、この先何が起こるかは誰にもわからないし、何一つ決め付ける事はできないけれど、唯一確かな事がある。


それは、必ず死ぬということ。



したがって、「死」というテーマは誰ひとり部外者がいない話だ。

ところがあまり正面から話題になったり、議論したりすることは少ない。


そこには文明というものが「死」をどのように理解し扱ってきたかの片鱗が見えるような気がする。



死といってもいろいろある。

病死、事故死、自殺、死刑、戦争、殺人・・・



「死」という立場から見れば、どのような死に方をしても「死」は「死」だ。

水が蒸気になる時に、ガスの火でも、太陽熱でも、蒸気になるという作用は変わらない。


しかし「生」という立場から見た時は、その死に方にはそれぞれの意味と問題を含んでいると思う。



以前、ラジオ局に自殺予告が届いた事がある。

局の責任者はそれを黙殺して、もしものことが起こる事を恐れて、番組で取り上げる決断をした。


僕に白羽の矢が当たった。


僕自身は乗り気ではなかった。

いままでに自殺を公に予告して自殺した例はほとんどないと聞いていたし、生死に関わる問題を軽々しく扱いたくなかったからだ。


それが、あれこれとおだてられ、何度も懇願されて引き受けることになった。


正直言ってその手紙を送ってきた主には、それほどの感情を持たなかったが、その予告手紙を番組で読んだ後に、多くのメッセージが寄せられ、その中に我が子を自殺で亡くした母親達からのFAXが3通もあり、その一枚一枚に必死で自殺を止めようとする悲痛な想いが込められていて、それを読みながら涙がこみ上げてきて番組が続けられなくなった。


人は一人で生きてきたわけではない。


そこには多くの人の援助があり、生かされてきたのだ。

したがって、自分勝手に死ぬ事はできないと考えている。


それが自殺に対する今の僕の考えだ。


この話は長くなる。

夜も更けてきたので今日はこのへんにするね。


昨日と同じ話しをするつもりが、テーマは同じでも違う言い方になった。



寝る前に、ちょっと「死」について考えて見よう。

あなたも静かに考えてごらん。


「死」を考える事は「生」を考えることに繋がるから。



それじゃ、きょうはオヤスミ。



  

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2007年03月02日

過去は変えられる




今日は1日、これといって何も理由が無いのに幸せな気持ちがふつふつ湧いてきた。


今日の幸せのためには、今まであったこと全てが必要で、それらは素晴らしい出来事だったことになる。



反対に今が最悪だと、今までのすべては今日のことを引き起こすために起きていたことになり、忌まわしく見えてくる。



結局、全ては「今」しだいだってことだね。



そんなことを考えながらせっせと荷物を運んでいる僕でした。


  

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2007年02月20日

身障者と差別心



昨日、向和尚がカキコしてくれたので、むかし方広寺でやっていたワークショップでの、或る出来事を思い出した。


もう10年以上も前のことだ。



子供の頃に重度の小児麻痺にかかった男性が、奥さんの介護で車椅子に乗って参加してくれた事があった。
どちらかというと理論派・・・というより頭でっかちで、メッセージを伝えるたびに反論してきた。


僕の伝え方にも問題があったのだろうが、相手にも何かある。
そんな人が参加したときは、相手が誰だろうと本音でぶつかっていったのが若かりし頃の僕だった。


でも今回の相手は身体が不自由で言葉だってうまく話せない。


こちらが不用意なことを言って差別につながっちゃいけないと思って自制した。



一日二日と経って、彼から見えてくるものは単なるワガママ親父の姿。


奥さんが一生懸命介護しているのに気に入らないらしく、まるで帝王のように振舞う。

彼女を大勢の前で叱り飛ばし、理屈をこねて責め立てる。



こっそり奥さんに聞いたらいつもそうなんだって。

彼女、自分が至らないからだって泣いていた。




三日目、この数日間に彼から感じた、彼についての本当のことを言ってあげられる最後のチャンス。

あいかわらず彼は奥さんを奴隷のように扱っている。



でも彼の身体は不自由で、その苦しみは健常者の僕なんかにわかるはずがない。

このままそっとしておいてあげよう。



その時、心の中で何かに気づいた。


これこそが差別じゃないかって!!


身障者を執拗にかばおうとするのは、彼を一人の人間として認めていないからじゃないかって。



そうだ僕達は同じ人間で、おかしな事はおかしいいんだ!



次の瞬間、自分でも驚くような行為に打って出た。

「こら!!いい加減にしろ!!」と叫んで、車椅子を思い切り蹴飛ばし、転げ落ちた彼の胸ぐらをつかんで言った。


「お前だけが特別じゃない、みんな一生懸命生きてんだ!!」



僕は泣いていた。

気がついたら、まわりのみんなも泣いていた。



破壊的なことが起きたのに、次の瞬間不思議な事が起きていた。

いつの間にか会場全体が大きな癒しの波動に包まれていたのだ。


「癒し」とは心を裸にした時に、その場に訪れる微細なエネルギー。

理屈を超えて魂を揺さぶる彼方なる力。



初めて彼の心に触れた。

彼も初めて僕の心に触れた。



・・・・・・・・



最終日、帰るときの彼は別人のような顔をしていた。


にっこり笑ってこう言った。
「あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た」


目を見つめあい、固く長い握手をした。


彼と奥さんの後姿を見送りながら、また自然に涙がこぼれた。




それまで身障者を見るたびに気を使っていた自分の態度が、実は微妙な差別心に基づいていたことに気づいた記念すべき瞬間だった。




心のワークショップは10年以上にわたり開催され、多種多様な職業の、のべ数千人の方達のお相手をしたが、一番成長したのは、やらせてもらった僕自身だったと思う。






いつも応援してくれてありがとう

  

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2007年01月28日

一番伝えたいこと





書きたいことを書けばいいのに、こんなブログにさえ気を使ってしまう馬鹿な自分がいる。

本名を明かしているリスクも感じている。



でも・・・書きたい事を書けばいいよね。
こんな僕の話に興味を持ってくれる「あなた」に話せばいいんだから。


僕はもう誤解や批判を恐れないようにする。



多くの人に読まれようとするのではなく、「あなた」にだけ話をすることにする。






この世には2種類の人間しかいない。

目覚めている人といない人だ。


そしてそれは外側からはわからない。

自分だけが知っている。



理屈は何一ついらない。

必要なのは「目覚め」・・・それだけだから。





問題は、夢の中にいながら目覚めた夢を見る事ができる点だ。


そして夢を通して物事を解釈しているから、どんな真実もその人の解釈の中で夢の一部になってしまう。




何を見ても、何を聞いても、何に触れても、本来の意味がそのまま浸透する事はない。

すべては歪められてしまう。





中でも、このような文字情報は一番力を持たない。


飛ばして読んだり、上辺をなぞったり、読む側の態度で100%決まってしまうからだ。

それでもないよりましだ。

その人次第で何かが伝わる事もあるから。





次は講演。

これが少しマシなのは、場や音声には波動があり、その波動に影響された分だけ、普段の夢のフィルターが薄れる可能性が出てくることだ。


しかしこれも頑なに自分を握りしめていたら、何ひとつ可能性は生まれない。



そして多くの人は常に自分を握り締め、自分の知識や先入観から絶え間なく判断を下しながら話を聞く。


その人が聞いているのは、伝え手の心ではなく、自分の心だ。


だから講演も十分ではない。





それでは真実を受け取るために必要なことは何か。



それは「信頼」・・・サレンダー(帰依)と呼ばれる絶対的な信頼だ。

その態度の中に、わずかな希望が生まれてくる。



もし100%のサレンダーが起これば、その時すでに目覚めが起きている。
最初の一歩は最後の一歩となる。




なぜそれができないのか・・・

それはサレンダーが死の感覚に似ているから。

そして我々が常に、不信感の中で生きているから。





うん、少し言えたかな。


「あなた」が腑に落ちるまで、何度でも同じ話を違う言い方で伝え続けよう。



最後まで読んでくれてありがとう。






  

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2007年01月27日

一番伝えたいこと (序)



いま、息子と母家から帰る車の中で、真理に近づく為に必要な話をしていた。

やっと何かに気づき始めた彼は、まさに自分の力で卵の殻を破ろうとしている鳳凰のようだ。


そんな話をしてきたので、今夜は僕が理解してきたことの全てを伝えたい。

そこから見れば、他の話はどうでもいいことばかりだ。



人はまず物質的なものに関心を持つ。

それは自分と肉体を同一視しているからであり、五感で感じ取れるものだけを現実だと思い込んでいるからだ。

その人たちは富や名声を追い求める。

多くの人間がこのレベルに停滞する。


精神世界を学ぶ者たちは、このレベルを超えたつもりになっているが、その多くは高い精神性という新たな勲章を求めているだけで、そんな者達の姿を精神の物質主義と呼ぶ。


この世の名声に失敗した者達が、霊的な分野でそれを得ようとしているだけで、やっていることは何も変わらない。




次の段階は、純粋に悟りを求める段階で、そこに自分の全てを懸ける。

しかし、その人が全生涯をかけて探していた真理は、実は一度もなくしたことのないものなのだ。

だから達成した人は、必ず大笑いする。

すでに持っていたものを探していたなんて、あらゆる努力は不条理だった。


でもそれがわかるのは達成した人だけだ。


それはこの世でもっとも簡単なことだった。

しかしそれを知らない者たちにとっては、もっとも難しいことでもある。



なぜなら、すっかり忘れてしまったことを思い出すことだから。



このような話をするために2年間、毎週無料で「いまここ塾」を開いてきた。

それは自分のライフワークだと思う。







  

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2007年01月25日

夢って何?



久しぶりに9時間ほど熟睡。


変な夢をいっぱい見たけど、夢って不思議だな。
潜在意識の記憶や感情が、いろんな組み合わせで物語を作るんだろうか。



夢の中に出てくる場所や見知らぬ人。

その人に対する自分の感じ方とかリアクションとか、誰が決めているのかな。

夢の中で感じることや考える事はあんなにリアルなのに、なんで少し時間がたつと霧の中に消えていっちゃうのかな。



同じような感覚で、この人生そのものがなが~い夢だって感じた事がある。


まるでマトリックスの世界みたいに、リアルワールドで目が覚めた。
そのリアルワールドは映画とは違って、超素晴らしい世界だった。



夜見る夢と、人生の夢の違いは、夜の夢はその日その日で違うけど、人生のほうは一つの物語を毎日継続的に連続して見ていること。



でも朝起きた瞬間は思い出せないときもある。


あれ?自分って何歳で何やっている人だっけ???


でも次の瞬間、自分の立場や役割を思い出して、また一日が始まるんだ。

僕なんか自分の歳を思い出した瞬間は「うひゃ」って思うし、しばらく受け入れが難しい時もある。



さて今日も一日、夢の続きを生きるとしよう。






  

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2007年01月24日

回り道



おはよう。

暖かいのか寒いのかわからない朝だ。

なぜかって、毛布一枚で暖房もかけずに寝てしまったみたいなのにシャツに汗をかいていて、冷たいから着替えようとしたら寒かった



そんな朝にピンときたこと・・・


人生の道のりで、最短距離を選んで素早く結果を得ていく人がいるかと思うと、回り道ばかりでなかなか前に進まずに、同じところをグルグル回って生きている人もいるよね。

人生いろいろ。




僕らが生まれたのは大量生産時代で、そこに求められるのは無駄のなさや効率のよさだから、早く進む人のほうが優れているって思う傾向にあるよね。


でも本当?



実際は早かろうが遅かろうが、そのプロセスにおいてどんな自分でいるのかってことが大切なんじゃないかと思う。

端的に言えば、幸せを感じているのかそうでないのか。



だから、もしあえて周りと比較するのであれば、何を得たかとか何処まで来たかではなく、まさに今どんな気持ちで生きているのか、その一点だと思うよ。


逆を言えば、今の自分の環境や現状を人と比較するのは的を射ていないってこと。

それは単なる現実に過ぎなくて、そこにいいも悪いもない。



でも自分が感じている感情や考え方は、そのまま自分の経験を作っているので大切な要素だと思う。

しかもそれはその気になれば自分次第で変えられるし、選べるんだ。



その意味において、人生は全部自分しだい!!!

ねっ、ちょっと気が楽になるでしょ。




だから今日も前向きな気持ちで、自分の置かれている現実をしっかりと受けとめて、心を込めてやれるだけやってみよう。





今日もここに来てくれてありがとう。







ついでにこれもよろしく。

  

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2007年01月22日

深夜の独り言



今日はいろんなニュースがあったね。

そのまんま知事の誕生や前知事の再逮捕・・・

無責任な外野から見れば、こういうコントラストは凄く面白い。


僕は政治家を政治屋と呼ぶようにしている。
この国を政党傘下の政治屋や宗教団体にまかせているうちは良くなるわけが無い。


そこに民意が存在感を示したという点において歓迎したい結果だ。


でもこれから東さんは大変だろうな。

利権を代表する県議会の反撃や、古い体質に染まりきった県職員との対立は目に見えているもの。


そこに飛び込んだんだから凄いエネルギーだ。


きっと己を捨てていたからできたんだろうな。

その気持ちを4年間維持してね。





それからテレビのヤラセ問題。

僕はよくブログでもテレビ批判をするけど、それには訳がある。



20代の頃、「ぎんざNOW!」という若者向け番組をやっていて、今の「笑っていいとも」のはしりみたいな視聴者参加番組だったんだけど、そこでヤラセ現場は日常的に見ていたよ。

その経験からテレビを信じなくなった。


今回のことは氷山の一角。


さらに深刻なのは、番組によってはその背景にワイロが横行していること。

20年以上前からそうだったんだから、今のテレビ界の腐敗は僕らの想像を超えているかもしれない。


我々視聴者が番組を鵜呑みにして踊らされない事が大切なのかもね。




テレビに踊らされないようにしようって思った人は押してね





今夜はありきたりのことしか書けなかったけど、また次回に御期待を。  

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2007年01月20日

朝から哲学



子供の頃からいつも考えてきた。
「人は何故生まれて、何故死んでいくのか」と・・・


そして今思う。

そこに答えなんてない、ただあるがままにあるだけだと。


そんなふうに考えるようになってから、大きく変わった事があるんだ。



それまでは、何をするか、何になるかが人生の焦点だった。

今は、どんな自分でいるかが焦点になっている。




事が起きた時、それに対してどんな自分でいられるか・・・

特にそれが大変なことだったりトラブルだったりするとわかりやすい。


何が起きてもそのことが自分の内側に影響することはなく、単に外側で起きているドラマに過ぎないと考えるようになったんだ。


自分は自分。

それはこれからも変わらずにあり続けると思う。


朝から妙に哲学チックな阿部さんでした。





村はずれの哲学者に一票を

  

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2007年01月19日

振り子




子供の頃、大人は自由だから早く大人になりたいって思った。

大人になってからは、子供時代は苦労がなくてよかったなって思った。


シングルは結婚生活に憧れて、

結婚している人は独身に憧れて、


今ではないあちら側がよさそうに見えたりするよね。


今のままでは幸せは得られないと考えている。


今は手にしていない何か別なものが必要だと考えている。




でも幸せとは、自分が必要なものとは何の関係もないんだよ。


今、自分がどんな存在なのか、それが幸せを決めているから。





幸せとは、今すでに自分の中にあるものだよ。



えへへ、何も変わった事が起きたわけじゃないのに、今日はやけに幸せな気持ちの僕でした。




この気分をおすそわけハート






(今夜も9時半からRBCラジオで生放送です)





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Posted by Toshiro Abe at 17:55Comments(5)TrackBack(0)こう思うんだ

2007年01月18日

本名と匿名




歳をとっても心の中の感覚は何も変わらないけど、スピード感のようなものは明かに違ってきている。

新しい情報に対する興味や、それを自分のものにするテンポが思い切り遅くなっていると思う。



ブログという言葉をはじめて聞いたのは2年前だけど、まったく興味が湧かずに、結局やりだしたのは半年前。
それも人に強く勧めてもらってのことだった。

勝手もわからず、デザインも人任せで、始めてみてやっとその面白さがわかってきたといった具合。


ブログランキングに参加してみたら、ほとんどのブロガーは匿名で、顔も身元もわからない。

本名を名乗っている人は極めて稀なんだよね。


むしろ堂々と顔や名前を出していると、自己顕示欲が強く見られて、第一印象で引いてしまう人も少なくないみたいだ。


変な世界ではある。



僕はネット上も名前を出すべきだと思うときがある。

だってすでに社会と同じなんだし、街を歩いている人がみんな覆面していたら気持ち悪いもの。


確かに本名だと思い切った発言はしにくくなる。
そして作り話やごまかしも一切できない。

でもそのほうが責任が取れていいじゃん。



そんなことを言っているのは、やっぱり時代遅れかも。



「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでございます」
ってセリフを知っている人は、かなり古い奴だろうな。






そんな古い奴に愛の手を

  

Posted by Toshiro Abe at 22:44Comments(4)TrackBack(0)こう思うんだ

2006年12月30日

神様




初詣でのことを話したけど、神様がいないって言っているんじゃないよ。


でもいるとも言えない。


いるって言えばいるし、いないって言えばいない。



食事をしたり歩いたりするのと同じリアルさでそのことを実感するまでは、安易な結論を持たないほうがいいよね。



その実感がなければ、有神論者は迷信に惑わされている。

その実感がなければ、無神論者も迷信に惑わされている。



迷信とは何を信じているかではなく、信じている事がリアルな経験に基づいていないことを言うんだよ。





きっと僕たちはその答えを知るために生きているんだろうな。  

Posted by Toshiro Abe at 23:21Comments(6)TrackBack(0)こう思うんだ

2006年12月30日

初詣




昔はよく行ったよな、明治神宮とか川崎大師とか。

大晦日の夜中に家を出て、寒くて凍えそうな手に白い息を吐きかけて、行列に並んで・・・

おお・・さぶ~


考えただけで寒くなる。


今年(あれ?来年か)初詣に行こうと計画している人には水をさすようだけど、あれはやめといたほうがいいよ。

混むから。


どうしても行きたいなら、空いている時にしたら。

1月も10日過ぎれば、どこもガラガラだし。



だいたい初詣って言うのは、年中お参りする人がその年最初に詣でることで、別に正月じゃなくてもいいんだから。


僕は新連載の随(かんながら)神 のなかで神社に奉公していた時のこと書いているから、きっと阿部さんは今でも足げく神社詣でしてるって思うかもしれないけど、僕の今年の初詣は12月だよ(笑)

すぐ近くの神社に行った。



すぐ近くなのに、引越しして5年目にして初めて行った。

それでもこの5年間、いいことがたくさん起きた。

うっかり詣でたら神様のおかげにされるところだった。





それにね、初詣に行く理由のほとんどは「金運」「恋愛運」「合格祈願」「健康」「仕事運」・・・・結局は自分の願い事だろ?


そんなあなたの都合なんか神様は聞いてる暇ないよ。

みんなから物乞いされて神様も大変だっつうの。



そんな時間があったら、家で静かに目を閉じて、世界の平和や、人々の幸せを祈っていたほうがよっぽど運が向いてくるよ。


それで神社にお賽銭するはずだった余ったお金で、僕のライブに来たら、来年がいい年になる事は間違いなし。



1月16日
20:00開演

国際通り牧志郵便局向かい D-SET CAFÉ
またバンドスタイルではじけようぜ!!


お申し込みは098-866-5880(母家)まで




そのほうが楽しいよ。

僕も嬉しいしニコニコ







これを押せば阿部大明神のご利益がありますゾ

  

Posted by Toshiro Abe at 19:57Comments(4)TrackBack(0)こう思うんだ