2012年06月30日

お辞儀

「みんながブッダ」昨日収録が終わりました。


( ̄0 ̄)



(ゝ_ξ)


の会話から生まれたタイトルに沿って、普段着の会話が録れたと思います。


向さん、僕たちの宇宙的本質は空気みたいなものだと言ってました。

空気はいつもあって、人間はいつもその力に生かされているのに、いつもあるからゆえに気がつないと。


なるほどそうですね。



「みんながブッダ」


それは

「アンタがブッダ」


ということです。


日本古来の風習であるお辞儀は、相手の内なるブッダへの敬意をこめて頭を下げているという話を聞いたことがあります。。


社会的身分がどうだろうと、お互いにお辞儀をしあう。


何気ないところに、真実のエッセンスが伝えられてきているんですね。



今日もたくさんの人にお辞儀してきます。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 12:48Comments(53)

2012年06月28日

そら、ええわ

僕が昼寝をしていると、必ずと言っていいくらい電話をかけてくる人がいます。

向禅師です。

そんな時は、最初のうちほとんど意識がありません。

昨日も熟睡して、一番いいときに携帯が鳴り響きました。




( ̄0 ̄) もしもし、あっ、阿部ちゃん?



(ゝ_ξ) ・・・・う・・・ん・・・



( ̄0 ̄) あのな、いま磯崎さん(編集者)から電話もろうて、今度の阿部ちゃんとの本に付けるCDのな、二人の対話のタイトルを先に考えてくれ言うんや。

何かないやろか。



(ゝ_ξ) ・・・・う・・・ん・・・




( ̄0 ̄) スタジオ押さえるのに、最初に会社に提出せなあかんらしいんや。

タイトル何にしょ。




(ゝ_ξ) う・・・・う・・・ん・・・




( ̄0 ̄) そやっ!アセンションはどうやろ?

今年はアセンションの年って巷で言われとるしな。

アセンション、どうや?



(ゝ_ξ) あ?・・・あ~・・・




( ̄0 ̄) でも考えてみたら、アセンションって何やおかしいで。

宇宙船がどうやこうやら、危なっかし話もあるしな。

わし思うんやけど、この時代が人類の意識変革の時代になっとるのは間違いない。

そこだけはアセンションや思うんや。

阿部ちゃん、わしが好きなスペインのオルテガいう哲学者知っとるやろ。




(ゝ_ξ) あん?・・・ムニャニャ・・・




( ̄0 ̄) オルテガが言うとるで。

人類社会の変革は世代交代によって起こるって。

世代交代いうのは、新しい価値観を持った人間がぎょうさん出てくるってことや。

まさにいま、そういう時代に入っとる。

そう思わへん?



(ゝ_ξ) ・・・・・おもう。



( ̄0 ̄) この数百年間、科学至上主義によって、人間が霊性との接触を忘れてもうたわけや。

世界で起きてるあらゆる問題はそこから来とる。

もう一度やな、人類の霊性を復活せなならん。

中世への回顧やな。

中世だけやのうて、原始の時代から人間は霊性と共に生きておったんや。

そこにもう一度帰らならん。

そうやろ?



(ゝ_ξ) そ・・・そうやね(なぜか関西弁)



( ̄0 ̄) なんかええタイトルないやろか。

結局やな、西田幾多郎も言うとるが、いままでは外側の宗教的権威にひれ伏しておったが、これからは個々が自らの内側に絶対的価値を見出して、みんながブッダであることを自覚するわけや。

そもそも、元からしてみんながブッダやさかいにな。



(ゝ_ξ) うん



( ̄0 ̄) ほんまは最初(はな)から、みんながブッダなんや。

そのこと自覚した者たちがブッダズランドを作り出していくんがこれからの世の中ちゃう?



(ゝ_ξ) うん




( ̄0 ̄) ・・・・・・・




(ゝ_ξ) ・・・・・・・




( ̄0 ̄) ・・・・・・・




(ゝ_ξ) ・・・・・・・






( ̄0 ̄) そうや!!わかった!!




(ゝ_ξ) へ?




( ̄0 ̄) 「みんながブッダ」や。

このタイトルええなあ。

これでいこか。



(ゝ_ξ) うん



( ̄0 ̄) 「みんながブッダ」、ええやろ?



(ゝ_ξ) うん




( ̄0 ̄) ほんま、ええタイトルや。

「みんながブッダ」

ほな、これでいこ。



(ゝ_ξ) うん



( ̄0 ̄) これええわ。ほんまええわ。阿部ちゃん、おおきに。




(ゝ_ξ) いえ・・・・・どういたしまして。





こうして、CDに収録する二人の対話のタイトルが決まったのであります。


めでたし、めでたし。








   


・・・・・・・


【お知らせ】

7月29日 東京いまここ塾(ソロ講演会)の申し込み受付けを開始します。

詳細はコチラから
  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(157)

2012年06月27日

食事の前に

何をやっていても同じことです。

やっている内容じゃありません。

大切なのは、どんな自分がそれをしているかです。


目の前の現実に対して、十分に心を込めること。

それが「いま」を生きるってことです。



今日のお昼ごはん、食べ物を口に運ぶ時に、食べるという行為に十分留意しながら、ゆっくり味わって食べてみませんか。

あれこれ何かを考えながらじゃなくて、食べることにだけ成りきるんです。


ご飯なら、苗が育って米になるまで、日光を浴び、雨に濡れ、土の養分をたくさん吸って育ったわけで、そこには天の力や地の力、いや宇宙の力が含まれています。

お米の中に宇宙があります。

あたりまえの中に宇宙を感じることができたら、それが生きる極意。

それすなわち「禅」です。



簡素の中にある美しさ。

わび、さび。


あー、日本っていいなあ。







   


・・・・・・・・


【お知らせ】

7月15日大阪講演会(ソロ講演会)は残り席僅かです。

雲 黒斎くんとのコラボ講演会、「阿雲の呼吸」は仙台が満席、京都と横浜は第一部が満席、第二部も残り僅かです。

7月7日京都

8月4日横浜

そのほかの開催は

7月22日札幌講演会(ソロ)

6月30日朝日カルチャー横浜講演会(ソロ)


詳細は上記都市名をクリックしてください。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:46Comments(119)

2012年06月25日

やるだけやったら

翻訳家の山川紘矢・亜希子夫妻のことを思い出しました。

お二人は、シャーリーマクレーンの「アウト・オン・ア・リム」を翻訳しましたが、発売した当初は、まったく売れなかったそうです。

もしそのまま、「なるようになる」と言っていたら、その後のお二人の活躍もなかったかもしれません。


そこでやれることを全部やろうと思い立ち、著名人たちにこの本を献本したのだそうです。

もちろん誰とも面識はありません。

住所を調べ、自分たちで梱包し、郵便局に大量に持ち込んだ話を伺いました。


その中の一人、瀬戸内寂聴さんが、新聞のコラムにこの本を紹介してくれたことで、一気に火がついたのだそうです。


でもいまになってみれば、あの本が世に出たことで、ご夫婦で翻訳した他の精神世界系の本が次々と刊行され、日本の精神文化に大きな影響を与えたわけですから、こうなることになっていたのかもしれません。


山川さんも同じように、起きることは決まっていると断言しています。

でも彼らが何もしなかったわけではありません。



「人事を尽くして天命を待つ」


現実世界と精神世界のバランスが取れた、いい言葉ですね。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 21:44Comments(150)

2012年06月24日

なんとかなるよ

いま東京講演会が終わりました。

初めてだという人たちもたくさんいて、とても有意義な時間でした。


なんだかみんな、家族みたいな気になります。


就職を控えた大学生君、その気になれば君にできないことなんて何もない。

その気になれなくても、とりあえず何かを始めたらいい。

やってみて、どうしても馴染まなかったら辞めればいいだけの話。

でももしかしたら、自分に合っているかもしれない。

やってみなきゃわからないよ。


思考は思考を呼ぶだけだ。

現実に違いを作るのは行動だよ。


おいちゃんが応援しているよ(^o^)




今日も一日お疲れ様でした。









   
  


Posted by Toshiro Abe at 19:12Comments(99)

2012年06月23日

ねっ(^o^)

昨日はコメント欄についての要望を書きましたが、匿名とはいえ当人を辛い気持ちにさせてしまったのではないかと思っています。

ここは長年にわたり、みんなで作り出してきた場でもあるので、このような対応になりましたが、僕はあなたを責めているわけではありません。

というのも、僕だって違う状況下で、似たようなことをする可能性があるからです。

話は飛躍しますが、社会で起きる事件の報道を見るたびに、もし生活環境やマインドの状態が混乱していれば、自分だって同じことをしたかもしれない、その可能性はゼロとは言えないと思うのです。


ずいぶん前になりますが、やはりこのブログのコメント欄に、あきらかな敵意を持って罵詈雑言を繰り返した人がいました。

何度目かに、その人の不注意でしょうか、ご本人を特定できる情報が含まれていて、僕はどんな人なのかと思い、その方のブログを覗いてみました。

するとそこには、愛にあふれる文章が並んでいました。

とても美しい世界でした。

このような現実を目にすると、そこに描かれた愛の世界がみんな偽物に見えてくる人もいるかと思います。


でも僕はそうは思いません。

どちらもその人の一部なのです。

そしてそのような部分は、誰かにあって誰かにないのではなく、自分では気が付かないだけで、心のどこかに眠っているのではないでしょうか。


自作自演を繰り返した人も、その文章をつぶさに読んでみれば、そこには真実に触れたのであろう洞察が見受けられます。

悟りの境地を経験したかもしれません。

でもかたや、何かしらの満たされぬ思いや、歪んだ衝動が消えずに残っているのでしょう。


そこも僕と同じです。

人間はどこまでいっても光と闇を併せ持った存在です。

僕たちは光だけになった偉大な人物に憧れ、そのような人が世界のどこかにいるはずだと期待しますが、そのようなことは起きません。

光は闇があるからこその光なのです。


ただし、いわゆる悟後の修業が進み、人間として洗練されてくると、闇の面をほとんど発揮しなくなってきます。

それは不断の気づきが養われているからです。

闇は無意識の中でしか発揮されません。

十分な気づきを持ちながら、闇を生きるのは不可能です。

なぜなら気づきは光の一部だから。

それでも闇は光の背後に可能性としてあり続けます。



人間稼業は難易度が高いですね。




さて今日も闇を小脇に抱えて、愛を生きるとするか。



ねっ(^o^)









   
  


Posted by Toshiro Abe at 12:11Comments(175)

2012年06月22日

管理者からのご報告

引っ込み思案で、何をするにも一歩踏み出せず、どうしようかと迷っているうちに機会を失ってしまうAさんという人がいました。

そんなAさんにアドバイスしました。

「考えないで行動してごらん」


するとそれを聞いたCさんがこう言いました。

「え?このあいだBさんに、行動する前に考えろって言ってたのに!もう訳わかりません」

確かにこのあいだ、おっちょこちょいで思慮不足のBさんが失敗ばかりすると言うので、「行動する前に考えたほうがいいよ」と言いました。


行動レベルの話は、誰に向かって言ったのかで変わります。

講演会で同じ質問があっても、質問者によって答えが変わるのと同じです。


僕たちが共有する存在の真理については、普遍的なものなので、答えはほぼ一定です。

ほぼ一定と書いたのは、聞く側が理解できる言葉を使おうとするので、表面的には矛盾して見えることもあります。


したがって、言葉に惑わされてはいけません。

たとえそれが、歴史上の偉人の言葉でもです。


言葉はいったん持ち運ばれると、命を失います。

言葉は、それが放たれた瞬間にだけ生きているのです。


まして文字情報の場合は、自分が読みたいように読んでいることを忘れてはいけません。

これは僕も同じで、僕たちは自分の解釈の範囲でしか、物事を受け取れないのです。


ブログは、書いた記事が残るのでありがたいのですが、読む人が最初から全部読むわけではないので、こうして繰り返し伝えておきます。

言葉を固定して持ち運んではいけません。

言葉は方便に過ぎません。

状況は生きています。

その瞬間の感性は、仏典や聖書よりも大切です。

それが「自灯明」という言葉の意味です。

意味を知ったら「自灯明」という言葉も要りません。

あとは、いま起きていることに、いま対応していきましょう。



さて、このブログのコメント欄ですが、数か月前から少しずつ雰囲気が変わり始めましたね。

調べてみると、一人の人による自作自演のオンパレードで、時にはぶっきらぼうな言葉づかい、時には見識者のような言葉づかい、まったく違うキャラを使い分けながら、自分が書いたコメントを賞賛したり、他者のコメントを強く非難したり、そしてまたそのことを支持する第三者が登場したり、昨日は●●教の元信者を名乗り、このブログの閉鎖を求めてきました。

ほとんどが男性調の文体ですが、書いたのは女性です。

それも含めて面白いと言えば面白いのですが、人を惑わしたり傷つけたりしてきているので、ここに事実を報告しておきます。

この場が特定の人の遊び場になってしまっていたのは残念なことです。


時期を見てコメント欄を承認制にするかもしれません。

ここは僕にとっても大切な場所なので、慎重に運営していきたいと考えています。


よろしくお願いします。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:47Comments(118)

2012年06月21日

序章

若いころから人との距離を感じていました。

みんなが面白がるものには興味が持てず、自分はみんなと違うという疎外感を持っていました。

人とどう接していいかわからず、懸命にこしらえた自分のキャラを、相手の顔色をうかがいながら演じていました。

社会全体が偽善に見えて、こんな偽物の社会で偽物の自分を生きるのが人生だとしたら、この世とはなんて悲しい世界だろうと感じていました。


あるとき、ふとこう思いました。

「だったら本音で生きてやろうじゃないか」

偽物たちに本物を見せてやれれば、それがせめてもの生きがいになるだろう。


それからというもの、言いにくいことをズバリと言い、周囲の雰囲気がどう壊れようと、誰かの心が暗くなろうと、そんなことにはお構いなく、ただ言いたいことを言って生きていきました。

「どうだ?俺ってすごいだろ?誰も指摘しないことをズバリ言えるんだから。正直で何が悪い」


人は僕を敬遠し始めましたが、そんなことは子供のころから慣れていました。

いまは自分から挑戦的な態度を作っている分だけ、あのころよりマシでした。


「俺は俺らしく生きる。人間は自分らしくあるべきだ」

そんな人生観になっていました。



しかしそこには根本的な間違いがありました。

「人間は自分らしくあるべきだ」と言うけれど、この場合の「自分」とは何でしょう。

社会への被害者意識と、周囲への敵対感、そして誰彼かまわず裁いていく独善的な態度、それが「自分」でしょうか。

当時はそれも自分だと思っていました。

要するに何の自己知もないときに、自分らしくあるべきだと考えていたのです。


そんなあるときに大きな気づきが訪れました。

本当の自分が誰であるかを知ったのです。


自分は誰でもない人でした。

ただの当たり前な人でした。

でも同時にあらゆるものへの愛と、命への慈しみを持った善なる存在でした。


自分を知った時、人のことも知りました。

すべての人は同じように、愛と慈しみと善の力によって生かされていると。

すべての人は同じように、幸せになりたいと願い、手探りしながらも一生懸命に生きていると。

敵対心と疎外感は一瞬にして消え、人に対する深い同胞意識を持ちました。




その後も、自分らしく生きようと努めてきました。

考えを率直に話し、思いを行動に移してきました。

決定的な違いは、その底辺に、温かみが流れ始めたことです。


もし温かみがあれば、思いやりがあれば、自分らしくあることには大きな価値があります。

なぜなら、それは自分の本質を生きているからです。


自分自身を知ることが、人生で最優先すべきテーマです。

そうすれば、人生は何をやっても上手くいきます。

内なる神が全部やってくれるのですから。



もし、本当の自分が分からないのであれば、嘘でもいいから、笑顔と思いやりを表現して生きようとすることです。

まるで一人の神になったようなつもりで、慈悲深く、温かみを持って生きてみるのです。

思考は否定的に捉えようとする性質があるので、あまり深く考えずに愚直な心でやってみることです。


そのような習慣は、人生を改善させる早道です。



こうして書いていると、まだまだ伝えたいことが山ほどあることに気づかされます。


タイミングによって、ここに書いた文章が、そのまま心に浸透する人と、そうではない人がいるでしょう。

それでも、僕が成功している要素を100%分かち合いたいと思います。



僕にできたことは、必ずあなたにもできます。

だって僕は、あなたなのだから。







   


・・・・


7月の大阪と札幌の講演会、本日からお申し込みを開始します。


大阪 7月15日 

札幌 7月22日


詳細は上記都市名をクリックしてください。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:44Comments(222)

2012年06月20日

心機一転

昨日は夜10時に羽田に着く予定が、♪オイラはドラマー♪ の影響で、羽田上空を旋回すること1時間、結局は降りられずに関西空港に着陸しました。

そこで待つこと2時間、天候が持ち直したとのことで、再び羽田に向かい、午前3時に無事到着です。


長く飛行機に乗れて、同じ値段なので得しました(^o^)


さて、今日からまた書いていきたいのですが、書き手の気分としては、後方宙返りで、もとの足場に着地という感じです。

言葉で表せない次元を、あえて無数の文章で書き表そうとしてきた意図は、あなたにその体験がフイに訪れた時(それはいつもフイに訪れます)、その体験が真実であることを自らが知るうえで、少しでも役に立てばという思いからです。

言葉があなたを高い次元に誘うことはできませんが、言葉はあなたの体験を証明してくれます。

僭越ではありますが、その瞬間に、ここに書き記されてきた言葉たちが真実であることを知ってもらえることでしょう。

そしていつも言っているように、その体験があろうとなかろうと、あなた自身が究極真理であることに変わりはないので、安心して自分でいてください。


さて、そのうえで、どう生きるのかです。

このように生きなければならないという形はありませんが、僕の中でみなさんと分かち合いたいことがあります。


それは僕自身がうまくいっていることです。

文章表現の限界はありますが、僕が持っているすべてのコツを提供していきたいと思っています。


それから、男と女の話もしてみます。

このアプローチは、これからの時代の変革を推し進めるうえで役立つと思います。



なんだか取り留めのない文章になってしまいましたが、まだ飛行機の余韻が残っていて、脳が機能しきれていません。


これから眠ります。


いまの時刻は5時12分。


記事のアップを9時に予約しておきますね。


それじゃ、おやすみなさい。










   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:00Comments(113)

2012年06月19日

エライ!!

圧倒的にして想像を超えた素晴らしい瞬間が、あらゆる人を待ち受けていているとしたら・・・


実際、あらゆる人を待ち受けています。


だって宇宙的自己の発見は、誰一人例外なく訪れる、いわば宿命なのですから。



しかも、いつ目覚めるのか、あなたの気がすむまで待っていてくれるんです。


どれだけ神を待たせても、

神は一瞬もあなたのことを忘れることなく、

いつだってあなたのことを想い続け、

あなたが罪を犯そうと、

徳を積もうと、

そんなこととは関係なく、

有神論者だろうが、

無神論者だろうが、

そんなこととも関係なく、

ただあなたが「いま」目覚めることを

いまもこうして待ち続けているのだから


やっぱり神様ってエライ(笑)






どんだけ~~!!(微妙に古くてスマンです)






これから帰ります。

日本は台風?


多いんだよな、こういうこと。

でもほとんど紙一重でセーフだった。


もしかしてオレって、嵐を呼ぶ男かな。




オイラはドラマー

ヤクザなドラマー


(古すぎて言い訳もない)



あと4か月で59歳だもんな~。






壊れかけてきたので、今日はこの辺で。












   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:53Comments(187)

2012年06月18日

コップンカ!

昨日、「唯今」(ただいま)と書いたので、僕がもう日本に戻ったと思った人もいたみたいですね。

まぎらわしい書き方でしたm(_ _)m

実は今日もチェンマイからです。


今回同行された37名のいまここ仲間のみなさんは、昨夜の便で帰国されました。

異国の空気に包まれながら、色々な体験をされたかと思います。

素晴らしい方たちだと、ボブさんが何度も感心していました。


みんな普段着で、社会的な立場を離れ、ひとりの「誰でもない人」として過ごした時間は、それだけで貴重だったと思います。

形ではないもの、目には見えないもの、それらの中に最も価値ある宝が隠されています。

外側ばかりに向っている意識の方向を、内側に向けるのは大切なことです。

それが「回心」という言葉の本当の意味です。



僕はほとんど自室から出ないで、独自の時間を過ごしていたので、みなさんとは1,2度しか会えませんでしたが、とてもスムーズな流れを感じていました。

お疲れ様でした。

今日はゆっくり休んでください。




コップンカ!

(「ありがとう」というタイ語、ちなみに女性が言う場合は、「コップンカー」と語尾を伸ばします)








   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:29Comments(43)

2012年06月17日

唯今

首から上がスコーンと無くなり、取り巻く空間全部が自分になる。

風が吹けば風になり、鳥が飛べば鳥になる。

時間が消えて、色が鮮やかに踊りだす。

何一つ偶然も無駄もなく、それらが超バランスのなかで起きていることには、驚嘆するばかりだ。



ぶっ飛んだ表現になってしまったけれど、全人類が一瞬でも、パッとこの意識を感じ取れば、この世の問題は消えてなくなるだろう。

目覚めは、一瞬で十分だ。


人類の叡智が、真理を社会に反映させる時代がきっと来る。

そんな予感を、多くの人が共有しだしていると思う。




今日は日曜日ですね。

傍にある一輪の花でも、木の小枝でも、何も思わずに、ただじっと見つめてみませんか。

いままで見えていなかったものが見えてきますよ。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 12:28Comments(50)

2012年06月16日

チェンマイから Ⅲ

長時間の瞑想も終わり、今日から少しずつ生活を戻していきます。

仏陀の言う「中道」という意味を直感しました。

中道とは本来、思考の性質を説いた言葉です。


思考は二つの極の間を行ったり来たりしますが、その真ん中にいることは困難です。

真ん中において、思考は存在できません。

なぜなら、思考とは動きのことだからです。

思考はちょうど時計の振り子のように、真ん中で止まります。


そこから「中道」の在り方が始まっていきます。

中道という自覚もありません。

それは「無思考」「なんでもない人」「判断が消えたあるがまま」の状態です。


誰もが簡単に達成できる状態ですが、誰もそれを達成できません。

達成という態度自体が、思考(自我)の現れだからです。

誰かが達成できるのではなく、「誰か」が消えたとき達成されています。


言葉にすると理屈になってしまいますが、その状態にいる時、求めていたすべての答えと高い価値が、無尽蔵に体の奥から湧き出してきます。

「すべてはOK」「すべては完璧」という感覚が、このとき生まれます。


思考の状態において「すべてはOK」と言ってはいけません。

それでは自分を欺くことになります。

思考は決してOKには行きつかないのですから。



な~んてね、早くもいつもの蘊蓄(うんちく)ブログです(^o^)




とりあえず、社会復帰したご報告でした。









   
  


Posted by Toshiro Abe at 12:06Comments(84)

2012年06月13日

5日目

数日間の沈黙は、ただあたりまえの地平に戻してくれました。


こんな人になりたいとか、あんな人になりたいとかいう気持ちはありません。

どんな人になろうと、なっている「その人」がいるかぎり、何も変わらないからです。

どんな衣装を着けようと、着る人がいれば、それが問題の始まりです。


いなくなること、カラッポになること、無我であること、これこそが健全でいる唯一の在り方でしょう。


自我とは記憶のすべて。

過去のすべてです。

過去は決して「いまここ」に在ることはできず、未来という幻想の中に転写されます。

そして過去と未来が実体のように見え始め、人は「いまここ」を見失います。


「いまここ」だけが実在です。


しかし、あなたが「いまここ」にいることはできません。

あなたとは過去のすべてであり、過去が投影された未来であり、それらは実在ではないがゆえに、実在と出会うことができないのです。


あなたが消えたとき、あなたという器(肉体)の中から、あなたという自意識(自我)が消えたとき、あるがままの剥き出しのリアリティーが現れます。


そこには自我が持っていた喧噪や混乱がなく、ただ静寂と、至福と、生き生きとしたエネルギーと、存在に対する深遠な理解があります。


僕たちが目指すべきは、特別な人ではなく、聖者でもなく、有徳者でもなく、ただあたりまえの、なんでもない人です。



それは無我を持って実現できます。



そしてそのあとも、事はただ起きていくのです。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:18Comments(191)

2012年06月10日

チェンマイより

昨日のトパーズさんの体験談と、そのことに対するみなさんのコメント、とても嬉しく拝見しました。

また、トパーズさんから届いた私信からも、とても伝わるものがありました。


チェンマイのこの場所は静かです。

いろんな種類の南国の鳥たちの声だけが聞こえます。



何も起きていなかったし

これからも何も起きないだろう


そんな心境です。









   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:33Comments(389)

2012年06月08日

無題

すべての個々は「ひとつなるもの」を内在し、

「ひとつなるもの」の中にすべての個々が内在されている。


このような途方もない宇宙の真の姿を垣間見たとき、自分のあまりの偉大さに驚くのです。




もしもし・・・

あなた自身のことですよ。




今日からタイに行ってきます。

しばらく瞑想させてもらいます。


また時間を見つけて、ブログにやって来ますね。



変化の風が、優しく穏やかでありますように。

世界中の街角で、子供たちの笑い声が聞こえますように。




それじゃ、行ってきます(^o^)/








   


・・・・・・・


【お知らせ】


帰国後、

6月24日 東京講演会 満員御礼

6月30日 朝日カルチャ横浜講演会

があります。 


7月の予定

1日 黒斎コラボ・仙台 満員御礼

3日 沖縄講演会

7日 黒斎コラボ・京都

15日 大阪講演会(近日中にお申し込み開始します)

22日 札幌講演会(近日中にお申し込み開始します)

29日 東京講演会(月末にお申し込み開始します)
  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(147)

2012年06月07日

目覚め

「はい、これで終了です。ご苦労様でした」

という神の言葉を、死の宣告だと思った人もいたみたいですね。

これは肉体の死ではなく、「人生」という名の夢の終焉、目覚めのことです。


でもある意味、目覚めは、肉体の死よりももっと完全な「死」とも言えます。

なぜなら、肉体が死んでも夢は続いていきますが、目覚めれば夢は終わってしまうからです。

それは個別意識という夢の終焉、人生という名の夢の終焉、無数の繰り返し(輪廻)の終焉です。


夢の中にいるときは、この現実が夢に過ぎないなんてことは認められないし、認めたくありません。

ところが目覚めてみれば、なんであんな苦しみの世界に固執していたのか不思議になります。



以前、実際にこんな夢を見たことがあります。


僕が遠方にいる友人宛に大切なメッセージを預かっていて、彼の居所を探しているんです。

山を越え、谷を越え、町から町へと訪ね歩いて、やっと見つけたと思うと、寸でのところで行き違いになってしまいます。


義務感とあせりの気持ちで、少しうなされ気味だったかと思いますが、そんな時、天上から声がしました。

「これは夢だ。覚めてしまえばすべては終わる。抱えた責任も消えてしまうから、もうそろそろ起きなさい」

その瞬間、僕も心のどこかで、これらすべてが夢であることを直感しました。


でも同時に、

「だからと言って責任を放棄するわけにはいかない。まずは彼を探し出すことだ。そうしたら夢から覚めるとしよう」

と思い、また果てしない探索の旅に出かけました。


それからどのくらい時間が経ったのかわかりませんが、再び真実を思い出しました。

「そうだ、これは夢だ。本当に必要なのは夢から覚めることだけだ」


しかし、まだ彼を探し出していません。

彼を見つけなければという思いは消えませんでした。

ここまで探すのにどれだけ大変な思いをしたか、せっかくここまできたのだから、きちんと結果をつかみたいという思いが、真実を消し去っていました。


何度かそんなことを繰り返して、フラストレーションが溜りにたまり、

「もういやだ、もうたくさんだ。そうだこれは夢だ。だったら覚めてしまえ」

とばかりに、夢からさめようとしました。

でも抵抗する気持ちも相当に強く、何度か引っ張り合いを繰り返したのですが、あるタイミングで「えい」とばかり無理やり目を開けると、あら不思議、


「な~んだ、夢か」

やれやれ大変だった。

まったく、何していたんだろう。



これは夜の睡眠中に見た夢ですが、僕たちが現実だと思っているこの人生にも、まったく同じことが言えます。

どこかで夢だと感じ始めたのに、やめるわけにはいかないのです。

だって責任があるから。

それに目覚めた後、どんな悪いことが待っているかわかったもんじゃありません。


いまの人生は大変だけど、たまに楽しいこともある。

この大変さには慣れてきたし、なんとか耐えられそうだ。


もう少し、そっとしておいてほしい。

いつかそのうち目覚めるから。



そんな人が目覚めたとき、きっとこう言うことでしょう。


「な~んだ、夢か」

やれやれ大変だった。

まったく、何していたんだろう。



僕たちには、好きなだけ夢を見る自由が与えられています。

いいも悪いもなく、全部自分が決めています。

たまにこのような目覚めのメセージに出会うのですが、そのメッセージさえも夢の中で消化して、これからも夢の続きを見ていくのでしょう。



「もう少し、そっとしておいてほしい。

いつかそのうち目覚めるから」



はいはい、わかりました。



それとも、いっそいま目覚めてみますか?



そうそう、大切なことを忘れていました。


夢から覚めても、まだ夢は続いていきます。

個の夢が終わっても、人類という集合意識が見ている夢があるからです。


でも今度の夢は、圧倒的に楽チンです。

だって、夢を夢だと知っているし、強度な義務感もなく、ただ楽しむだけだからです。




先日、別れ際にボブさんが言った言葉。

「この世はマーヤ(幻想)だ。だからマーヤをエンジョイしている。see you my friend.」








   

  


Posted by Toshiro Abe at 10:49Comments(198)

2012年06月05日

お知らせと問いかけ

何度か朝日カルチャーセンターで講演をさせてもらいましたが、カルチャーという名称だからでしょうか、なんとなく参加者の顔がカルチャーに見えます。

意味不明(^^;)


さて、6月30日(土)に横浜の朝日カルチャーセンターで僕の講演があります。

今回はテーマを決めさせてもらいました。

「2012年、男の生き方、女の生き方」


この先、世の中が大きく変わっていきますが、健全な社会の基本は、男と女の真のパートナーシップがあってこそなので、相互理解が深まるように、そしてそれぞれが自分たちと相手の良さを認めることができるように、サポートできたらと思います。


詳しくはコチラから。



雲 黒斎くんとのコラボ講演会、「阿雲の呼吸」の申し込みも始まっています。

7月1日(日) 仙台

7月7日(土) 京都

8月4日(土) 横浜

詳しくはコチラから。



もし、いまこの瞬間、神様が現れて

「はい、これで終了です。ご苦労様でした」

と言って彼方なる次元に連れて行ってくれると言ったら、すぐに行きますか。


それとも

「ちょっとだけ待ってください。やりかけていることがあるので、それが終わったらにしてください」

と答えますか。



まさに、いま現れたとしたら・・・







   

  


Posted by Toshiro Abe at 09:08Comments(441)

2012年06月04日

いちゃりばちょーでー

名古屋講演会も終わり、今日は沖縄に帰ります。

質問コーナーになると、出てくる質問は、目覚めだとか悟りだとかの話題ではなく、「仕事の悩み」「人間関係」「子育て」「夫婦関係」といった、身近なものが多くなります。


このような質問は、面と向かって出会うことで初めて的を射た答えを提供することができます。

究極真理は普遍的であり、誰もが共有していますが、個別の問題はそれぞれの個性によって問題の本質が変わるからです。

ですから同じ質問でも、誰が質問したかによって答えが変わるのです。

講演会の場はリアルなやりとりができるから好きです。



僕たちの根っこは同じひとつのものですが、現れ出た葉っぱの一枚一枚は、どれ一つとして同じものがありません。

みなさんと会うたびにそのことを思います。



今日は、このブログの最初の記事を、もう一度紹介します。


2006年7月19日







   

  


Posted by Toshiro Abe at 08:45Comments(134)

2012年06月02日

じゃあね

そうだね、今日は難しいこと抜きにして気楽にいこう。

誰だって恐い顔よりニッコリ笑顔が好きだから。


いまの状況が何であれ、その同じ状況をまったく違う感情で経験することも可能だ。

どの道、起きることが起きていくだけだから。


いまも刻々と事が起き続けている。

凄いなあ。

誰が起こしているのか知らないけれど、ま、勝手にやってください。


その演劇に参加しながらも、自分はただの物見であり続けている。

そしてすべて、来ては、また去っていく。


何もかも、目にしたものはすべて去っていく。

あらゆる現象は後姿だ。




じゃあね


バイバイ(^o^)/







   


・・・・・・・・・・・


6月の東京講演会は受付を終了しました。

お会いするのを楽しみにしています。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:18Comments(114)