2019年03月31日

一休み(質疑応答)

読む前にクリックお願いします。





昨日のようなメッセージが一瞥に繋がる人もいれば、どこに救いを求めていいか分からなくなってしまう人もいたことでしょう。


人それぞれに必要な言葉があるので、自分に合わないときは無視してください。


無視しても何も失くしません。


でもタイミングが合う人にとっては根底からの救いになるはずです。




もしこれが対面セッションだったら、言葉以外の情報をやり取りでき、あなたの準備に応じた話が展開していきますが、ブログのような媒体は不特定多数の人が読むので、そうはいきません。


前にも言いましたが、このブログはいつも特定の人たち(その日によって変わる)に向けてメッセージを送っています。

誰に送るのかは、その日の直観であり、やはり起きることが起きているとしか言いようがありません。



今日も何人かの質問に答えてみます。



sさん

どうにかしたいその人はいったい何が足りないのでしょうか?


「信頼」です。

流れを信頼できないので、自分で何とかしようとします。

ところがそういう人は自分のことも信頼できないので、心休まることがありません。


忙しくしているうちはいいですが、ふとした時に底なしの不安に襲われたりするのです。


それはすべて勘違いですが、自力で頑張っているつもりの人には、このようなメッセージはむしろ害悪に見えます。



メッセージが伝わらないとしてもそれでいいのです。


その人の人生も完璧であり、後れているわけでも先に進んでいるわけでもありません。

ただ、いま、そのように起きているというだけのことです。





大森楊子さん

辛い、しんどい。

今まさにそういう状況なのですが、こういうときは瞑想をするも、瞑想に逃げている、現実逃避していような気持ちになり、瞑想そのものに罪悪感を覚えたりします。



完全に間違っています。

瞑想は現実逃避ではなく、いまここのあなたという現実に関わっていきます。


むしろ仕事やゲームに没頭するほうが、現実の自分を忘れることができるので、多くの人はそちらを選びます。

実際にはその人たちがほうが現実逃避しているのですが、彼らからは真逆に見えます。


瞑想は勇気ある者にしか実践できません。

チベットのグルたちは瞑想を、「勇者の道」と呼びます。




ケントさん

真言みたいに「自動操縦」を1万回唱えればいいんですかね?


瞑想したほうがいいと思います(笑)


さてこのブログは地上目線(二元)から話したり、宇宙目線(非二元)から話したりしているので、慣れていない人は戸惑うかもしれません。


たとえば自動操縦の話は、

「現実を作っているのはあなたではない」

という宇宙目線からの話ですが、


「すべての現実は自分が作り出しているという立場で生きよう」

という二元の生き方を伝えることもあります。


これは被害者意識にハマってしまいがちな人へのアドバイスです。

たとえば過去記事に「被害者と責任」というページがあります。


役に立つ人もいるでしょうから、こちらも読んでみてください。




さて問題は、宇宙目線の話を、多くの人は二元の思考で受け取ってしまうことです。


そこに誤解が生じます。



このブログを読むときは、そんなことも頭の片隅に置いてもらえたらと思います。


早い話が、自分に合わないときはスルーすればいいということです。




顔は見えないけれど、あなたという同胞を大切に思っています。



このブログを大切に思ってくれる人はクリックして教えてください。








  


Posted by Toshiro Abe at 09:07Comments(33)

2019年03月30日

自動操縦

来てくれてありがとう。







人生が自動操縦だとしたら、なにを心配することがあるだろう。

これからも何かが起きたときに、こうしようという思いが湧き、あなたはそうすることだろう。


その思いを湧かせているのはあなたじゃない。

次の瞬間どんな思考が湧くのかさえ、あなたにはわからない。



いままでもこのようにして人生が展開してきたし、それはこれからも同じだ。


もう一度言うよ。

人生は自動操縦だ。

なにも心配いらないし、心配するだけ無駄だ。



まだ心配が消えないと言うなら、いまもって心の中で「人生は自分が作り出している」と思っているからだよ。



今日はあんまり長く書くのを止めておきます。

それより、今日書いたことを深く感じてみてください。

気休めではなく、事実を伝えているのだから。



心配が消えると楽だよ(^^)






え?自動操縦が間違ったら危険だって?


そういう思考がいま湧いただけのこと。


それも含めて自動操縦。





よろしければクリックしてください。





・・・・・・・・・・


【お知らせ】

昨年の秋分の日に行われた「天空の祈り」

今日から動画配信が始まりました。

4月3日までは半額で入手できます。


3分半のサンプル動画と詳細はコチラから。



それと、アロマに興味がある人にお知らせです。

天河神社の谷島さんというスタッフは、アロマの専門家で、毎年少人数のクラスを受け持っています。

アドバイザー資格の取得講座で、天河で合宿して学びたい人は申し込んで下さい。

先着順とのことです。

コチラから





  


Posted by Toshiro Abe at 09:28Comments(24)

2019年03月29日

どっちよ

来てくれてありがとう。







自分を愛することが何より大切だと言う人がいます。


確かにそうかもしれない。



でも本当に自分を愛することなどできるのでしょうか。


私を愛する?


この「私」を?



私が間違いだらけなのはまだ許せる。


根っからの怠け者だというのも許せる。


意志が弱いのも仕方ない。


セックスの妄想にとりつかれるも人間らしくていいじゃないか。




でもね、やっぱり私が嫌だ。



それは確たる理由があるからではなく、私を感じようとした時に出てくるこの不快感に尽きる。


私とは「不快そのもの」だ。



不安も恐れも嫉妬も罪悪感も、全部私から生じている。


そんな私をどうやって愛するというのだろう。



愛せないなら捨ててしまいたい!!




そんな願いが叶ったのだろうか。

ある時、綺麗さっぱり捨て去ることに成功した。


捨てたというよりは、心を裸にして完全に開いたとき、最初から「私」なんていなかったことを知ったのだ。




ああ、なんという爽やかさ。


この開放感こそ、長い間ずっと探し回っていたものだった。



しかも何ということだろう。


「私」が消えて残ったものが、愛だけなんて。



いまなら私を愛することができそうだ。


でも皮肉なことに愛を受け取る「私」は、もういない。








自分を愛することが何より大切だという人がいます。


ここまで書いておいてなんですが・・・実はこの言葉に賛成です。



必要に応じて、同様のメッセージを伝えてきました。


それはあまりにも多くの人が、自分を責めたり罰したりしているから。



片側に振られた振り子は、反対側に戻すことが必要で、その両極の真ん中に答えがあります。

真ん中では「私」が存在できないからね。


えっ?それってどういうこと?


まあ、ゆっくり考えてみてください。




愛するのでもなく、憎むのでもなく


ただあるがままに在る。



ほらね、いまもこうしてあるがままに在る。


何一つ努力しなくても、いつだってあるがままに在る。


必要なのは自分を愛することでも、自分を鍛えることでもなく、いまここにある完全性に目覚めること。


意味のあることに従事して、有意義に生きるべきだという幻想も消え去った。




オネーちゃん、アチキと遊ばない?




せっかくそんな心境になれても、もはや身体が言うことを聞かないぐすん


人生はこんなものだ。



それでいいじゃない、ね。














  


Posted by Toshiro Abe at 09:24Comments(28)

2019年03月28日

心のままに

来てくれてありがとう。







昨日の記事で紹介した、新しく生まれた4匹の猫は、その後、我が家の猫となり、その中の一匹は15年以上も母の相手をしてくれました。

猫だけではなく、少年時代に飼っていた犬についてもまことに不思議な話があるのですが、それはまたの機会にします。




さてここで基本に戻りますが、何度も話してきたように、自分の意思や言動も含めて、すべては自動操縦のようにただ起きていて、それを操縦している自分はいません。

「私」という感覚も思考の産物であり、それも含めてただ自動的に起きています。


それはあなただけでなく、すべての人に言えることであり、早い話がこの世には誰もいないのです。


言葉にすると突飛ですね(笑)

でも本当のことです。




それと共に理解を超えた偶然の一致や、たとえば昨日の猫の話のように不思議なことは沢山起きていますし、この世では何でも起こり得るのだと思います。


神の啓示のようなことも起きれば、この先に関する予感のようなものもあります。


僕自身いままで、そういう声に従って生きてきました。




いまも声がします。

その声は、社会全体が大きな変化を迎えていく中で、この人生がどのように展開していくかを示唆しています。



それによると、どうやら活動そのものが変わっていくようです。

いまのように現場で講演したりすることが減っていき、まったく違うレベルの活動が始まっていくとのことです。


上手くいっていることを手放すのは惜しい気もするのですが、たいていはそれまで以上のことに出会えてきているので、今回も楽観して手放せそうです。



いずれにせよ、ただ流れを信頼して生きていくだけ。


それはあなたも同じで、自分では自分が熟考して決めているつもりでいますが、その決定プロセスも含めて、すべてはただ起きているのです。


だからいつも言うように、気楽にいきましょう。





4月21日(日)、久しぶりに東京でソロ講演会を開きます。

10年間にわたり100回以上行ってきたKFCホールでの活動も、あと少しでオシマイです。


卒業という言葉がありますが、まさにそんな気分。



わたし、卒業します♡






僕たちは大きな変化を遂げていく稀有な時代の証人です。














・・・・・・・・・


【お知らせ】

東京講演会のお申し込みはコチラから。



瞑想はスムーズに生きるための優れたアイテムです。


4月の瞑想伝授は東京のみとなっています。

初めての方にはハートマントラがお勧めです。

詳細はコチラから。






  


Posted by Toshiro Abe at 10:29Comments(24)

2019年03月27日

猫の転生

来てくれてありがとう。







久しぶりに帰ったからだろうか。

猫がまとわりついて、なかなかパソコンのキーボードが打てません。

何か言いたいことがあるのかな。






僕が君に言いたいことは、すみやかに机の上から降りてもらいたいってこと。


降ろしても降ろしてもすぐに乗って来るから、もはやお手上げです。


すきを見ながら少しずつ打っている状態で・・・



今日は猫の話をしましょうか。


人間の輪廻転生はよくわからないけれど、猫には転生があると思っています(笑)


なぜかというと、そう思わざるを得ない事例があったから。


「あァ・・・・打ちにくい」



簡単に書くと、20代のころ引っ越した家が、偶然にも子供のころ毎年夏休みに訪れていた東京の親戚の家のすぐ近くでした。


その親せきの家ではいろんなエピソードがあったのですが、僕が小4の夏休み、その家のそばの廃屋で、生まれたばかりの4匹の子猫を見つけたのです。


まだ目も開かない子たち。


大人に言っても飼ってくれる可能性はゼロだったので、なんとかしようと思い、牛乳とスポイトを買ってきて、口に入れようとするのですがみんなこぼれてしまって飲んでくれません。


もっと良いやり方があったんだろうけど、当時の僕にはそれしか考えられず、毎日一種懸命に飲ませようと頑張りました。

それなのに、その子たちは徐々に衰弱していき、ついには1匹残らず死んでしまいました。

子供心にショックな出来事でした。



それから15年以上の時が経ち、偶然にもその家の近くに住み始めたわけです。



「やっと机からいなくなった。これで一気に書けます」



親戚はとうの昔に引っ越ししていたし、近くとはいえ町名が違っていたので、まさかこんなに近所だとは思いませんでした。



さてその家に住み始めて2年くらいたったころ、一匹の野良猫が出没するようになりました。

その猫は妊娠していたのですが、やがて我が家のガレージに4匹の子を産みました。



そんなある日、庭に入ってきた母猫が僕の顔をジッと見つめて、


「ニャー、ニヤー」と泣きました。


その時、僕はこの猫が何を言っているのかハッキリと分かったのです。

普段から動物と話ができるわけではないのですが、その時は疑いようもなく言葉が飛び込んできました。


「この子たちをよろしくお願いします」

確かにそう言ったのです。


そして同時に、この猫はもうすぐ死ぬということもわかりました。

なぜそう思ったのかも謎ですが、事実それっきり、母猫は4匹の子供を残したまま2度と姿を現しませんでした。



さて実は母猫からそう言われたとき、僕は妙に納得していました。


というのもその4匹の子猫の模様が、あの時亡くなった4匹の子猫とまったく同じだったからです。


一匹は純白

一匹は全身茶色

残りの二匹は白と黒のブチでした。


4匹が同じになる可能性は極めて低いですし、しかも産まれたのもすぐ近所です。



そこにもってきて母猫の遺言。


よろしく頼みますと聞こえたのです。



子供のころに赤ちゃん猫を見つけたときは、なんて無責任な親猫だろうと思っていましたが、もしかしたらその時も、産んですぐに死んでしまったのかもしれないと思いました。



完全に僕の思い込みで、勝手なストーリーかもしれませんが、僕の中では妙に確信めいたものがあり、いまでも不思議な出来事だったと思っています。



オシマイ。



最後まで読んでくれてありがとう。










・・・・・・・・・


【お知らせ】


新しい御代での天河リトリート。

宮司さんと天河神社の全面協力を得て、ご神事を含め厳かに執り行います。



日程は6月1日~5日。

詳細は近日中にご紹介します。






  


Posted by Toshiro Abe at 10:09Comments(41)

2019年03月26日

罪悪感

来てくれてありがとう。








精神世界や真理を学び続けて、人生の問題をいろいろ解決してきたとしても、まだ心の奥底に、決して姿を見せない罪悪感のようなものが潜んでいたりします。

あまりに心の奥のほうにあるので、普段は気がつきません。


気がつかなくても、罪悪感による影響は小さくありません。



たとえば漠然と


「私は幸せになる価値がない」


「私なんて・・・」


と信じたりします。




「もうそのような自分を手放した」


「私は罪悪感を捨て去った」


などと思ってはいけません。


罪悪感とは形を変えた分離感であり、「罪悪感を捨てた私」という「私」が残っていれば、罪悪感は消えていません。


だから、「もう捨てた」などと言わないで、まだ存在することを認めましょう。

「私」という幻想があるかぎり、罪悪感という幻想も存在するのです。




であれば、罪悪感とどう向き合っていけばいいのか。


優しく、よしよししてあげるのもいいでしょう。


分かるまで真実を言い聞かせてあげるとか。



「私は幸せになる価値がない」

という私を抱えながら

幸せになる価値のない私を幸せにしてあげるのです。



だって罪悪感とは、完全な「誤解」だから。


究極的にはあなたは何もしていないし、そもそも何かしでかしたあなたなど存在していません。


ただ、そのように事が起きたのです。







それともう一つ。

人に罪悪感を与えようとしないこと。


これは愛の真逆の行為であり、誰も幸せにしません。


相手に罪悪感を持たせてしまえば優位に立てることを知っているので、ついやりがちです。

これは家族間でもよく見られることで、相手に罪悪感を与えることで相手をコントロールしようとしているのです。





罪悪感と同じように、分離がもたらす誤解の中に劣等感があります。


罪悪感と劣等感という二つの隠れた感情が、この社会を裏から作り出しているような気がします。



これらは人を幸せにしない元凶なのに、決して表に出てくることがないので、いつまでも解決されないままです。



正直になって、みんなが心の奥にこれらの感情を抱えていることを認めあえば、何かが少し変わるかもしれません。



な~んだ、お前もかって(^^)
















  


Posted by Toshiro Abe at 09:33Comments(31)

2019年03月25日

覚りの授業

来てくれてありがとう。








ここで話している内容は、あなたが生きてきた人生を根底からひっくり返す話です。


にもかかわらず、あなたがこのような話に関心を持ったとしたら、時が来たということ。


何事も時節が到来しなければ起きません。



夢や希望が、どこにも連れていかないこともわかってきました。


人生の不条理を見抜き始めたあなたは、本当の意味で苦しみを終わらせたいと願っていることでしょう。


その一方で、まだ人生には何かがあるという期待が完全に消えたわけではないので、しばらくはその両方が引っ張り合いをします。



たいていは元の習慣に戻ってしまうのですが、中には新しい在り方が定着してくる人もいます。


新しい在り方とは、いまここに対する気づきと安らぎです。



定着させるためには、このような情報に触れる機会を増やしていくことと、実際にそれを生きようとすることです。



たとえば、ある時不意に昔の自分を思い出しました。


周りから理解されずに、いつも傷ついていた自分です。


その時のエピソードと共に、胸のあたりにひび割れのような痛みが走りました。


その頃いったい何があったのか、どんな自分だったのか、本当はどうしたらよかったのか、そんな考えがとめどなく続いていきます。


そしていまの自分の中には、まだその頃と同じ質があることに落胆し、なんとか自分を変えたいと願います。


すると今度は、今日あるはずの就職の面接が頭をよぎりました。


おどおどして、暗い印象を持たれてしまうのではないか。


そう見られないためには・・・




これらすべてをストーリーと呼びます。

そして極めて多くの人達が、ストーリーの中を生きています。



ストーリーは身近なことから、遠く離れたこと、昔のことから未来のことまで多岐にわたっています。


それらはすべて思考が作っている世界であり、端的に言えば、人は一日中考え事の中で生きているのです。


そしてその考え事の世界が、リアルなものになってしまいました。




実際は、いつもここに、あるがままのいまがあるだけ。


ただこれだけです。



いまもね。



この態度が定着してくると、たとえば先ほどのように、昔の自分という思考が出てきたとしても、


その思考に参加するのではなく


「いま、そのような思考が湧いた」


として終えてしまうようになります。



思考の内容は過去や未来のことだとしても、その思考が湧いたのはいまです。


いつだってすべてのことは、いま起きているのだから。


今日から、どんな思考が湧いたとしても、


「いまそのような思考が湧いた」


というふうに、思考という現象を客観視して、それで終わりにしてみましょう。


そうやって新しい在り方をレッスンしていきます。



新しい在り方が定着してくると、どんどん気楽さが増してきます。


最初のうちは、現象を観察している自分が残っていますが、やがてそれも消え失せて、ただ「気づいている」という状態が訪れます。



その気づき(認識・意識)が本当のあなたであり、永遠不滅の宇宙なのです。



それはいまもあなたとして、すでにここに在り続けています。














  


Posted by Toshiro Abe at 09:24Comments(21)

2019年03月24日

こんな日もある

昨日から札幌にお邪魔して、懐かしい人たちと久しぶりに再会し、楽しい一夜を過ごしました。

札幌はビルに囲まれた普通の街なのに、どこまでも広がるこの開放感はなんだろう。


でね、今朝は書くことが何も浮かんでこない。

毎日このブログを読むのが楽しみだという人の話を昨日聞いたばかりなのに。


こんな日もあるよね。


そんなわけで、今日は失礼します。

どちら様もごきげんよう。






なむ びゃくだぎょう うがやじゃやぎゃらら。。。

いけない、舌かんじゃった。




よければこんな日もクリックして下さい。





  


Posted by Toshiro Abe at 09:48Comments(30)

2019年03月23日

3月23日の記事

来てくれてありがとう。








暑さ寒さも彼岸までと言うけれど、いまから向かう札幌の今日の最高気温は0度だって。

0度って何度くらいかわからないくらいピンとこない。



今日は一日、どんな光景が目の前に現れるんだろう。


その一瞬一瞬が初めてのものであり、2度と繰り返すことのない一期一会です。


そしてどんな出来事も、起きた瞬間に既に後姿。


何もかも去っていきます。




だから、自分にとっていやなことが起きている時は


「これもまた過ぎ去る」


と思ってあげると、少し気楽になります。



いいときはそんなことを思わなくていいですが、


どんなにいいときも、同じように過ぎ去っていくのがこの世の定めです。






もうひとつ言えることは



来るものも去るものも、自分側からの何の努力もなく起きつづけているということ。




すべては自動的に起きている。


この自分さえも自動運転。




というわけで、



行ってきます(^^)







よければクリックしてください









  


Posted by Toshiro Abe at 09:35Comments(33)

2019年03月22日

演劇に参加してはいるけれど

来てくれてありがとう。







神様大好きさんのコメント


阿部さんに質問させて頂きたいのですが、

「いまに在る」という言葉を念仏のように唱えていれば

「いまに在る」意識になりますでしょうか?

「いまに在る」ことにより、「大いなる存在」が「ほんとうの自分」であることを悟ることができますでしょうか?




「いまここに在る」という言葉を念仏のように唱えても、いまここにいない場合がありますし、


いまここにいる場合もあります。



早い話が、何をしているのかということと、いまここにいることとは関係ないということ。



いまこことは、いま起きていることと一つになっている状態。


私が世界を生きているのではなく、私と世界が一つになっています。



たとえば目の前の花を見た時、花に対する何の評価も挟まずに、ただ花と共に在る。


誰かと向き合えば、ただ誰かと向き合って、そこに何の先入観も投影しない。



ただあるがままのいまに在る。







いまここにいようとする計らいがなく、


状況に飛びかかっていって、何かを改善しようという攻撃性がありません。



いまここに在るというのは、とても寛いだ状態です。



すでに、挑戦者でも探究者でもない。


すでに誰でもない。



この自動操縦の演劇に参加してはいるけれど、登場人物に成りきってはいません。



ほんとうは誰もが客席なのですが、劇の中の誰かさんのつもりで生きています。




真理は笑っちゃうほど単純で、あまりにも当たり前すぎて見失っている何かです。



だから



「いまここ」だと言い聞かすのではなく、



ただ力を抜いて



寛いで



耳を澄まして



見るでもなくぼんやりと見てみる。




視覚も、聴覚も、感覚のすべても、自分の外側で生じているかのように、それらを風景のようにして観察してみるのです。



あなたはただそれらを見守るもの。


見守っている内容がどのように変わろうが、見守っているあなたは変わらずに「いまここ」に在ります。


その見守るあなたが無ければ、何が起きても何一つ存在でききません


もう一度言いますが、あなたは人生の登場人物ではなく、それらすべてに気づいている意識なのです。




登場人物としての「私」が消えた時、


分離という錯覚も消えていて、


あなたの意識は完全に「いまここ」にあります。





最後に一つ言えるのは、「いまここ」に在るためには、何の努力も要らないということ。


本当はすでに「いまここ」にいるのだから。



「いまここ」とは、本当のあなたの別名です。


それは努力して達成するようなものではありません。















  


Posted by Toshiro Abe at 09:51Comments(21)

2019年03月21日

春分の満月

来てくれてありがとう。







今朝はちょっと不思議な感覚があって、急に新しいことをしようという決意と、何をしたらいいかの具体的ビジョンが見えました。



はて今日はどんな日なのかと調べたら、「春分の日で満月」という、まことに珍しい日なのだそうです。


何かをスタートさせるのに、とてもいいのだとか。


それにあやかったわけではないのですが、期せずしてそうなりました。



宮下冨美夫さんって知っていますか?

ヒーリングミュージックの第一人者で、「ガイアシンフォニー」の音楽や、手塚治虫の映画「火の鳥」の音楽も担当しています。



宮下さんは曲ができると必ず天河神社に奉納していました。


というより、天河で音のイメージを受けて、それを裏天河である戸隠で制作し、完成したら天河にお返しするというスタイルでした。

戸隠に住むようになったのは、柿坂宮司のご指示だそうです。



僕も30年前に天河で何度もお会いしましたが、いまはもうお亡くなりになっています。


その宮下さんが、生前書き残した手書きの天河の地図があります。


いつも音楽のインスピレーションを受けていた場所も記されています。


ちなみにそこは、聖天さんの祠の先です。




その絵には、禊殿のご神体である高倉山も書かれていて、高倉山の上の部分は水晶でできていて、超古代から神聖な場所だったとのことです。

ちなみにあの高倉山は20数億年前に隆起した日本列島最古の地層です。



今朝のインスピレーションには、天河と宮下冨美夫さんが登場しました。


天河の地への、恋こがれるようなこの想いは何なのかと思います。


これも起きていることなのでしょう。









みなさんにも、素晴らしいインスピレーションが訪れますように。















  


Posted by Toshiro Abe at 09:05Comments(35)

2019年03月20日

信心

来てくれてありがとう。







生きたい方向も、活動も、思考の傾向も、そして社会自体も、いままでより早く変わっている気がします。



いままで好きだったものへの関心が薄れたり、


特定の情報に出会うようになったり、


人間関係が変わったり、


長年親しんだ環境を後にしたり。



もしかしたらこれを見ている人の中には、来年の今頃は全く違う環境で生きている人もいるかもしれません。


この僕がそうかもしれないし、誰一人、先のことはわかりません。






Kikさんのコメント


Ⅰ年前くらいから、この世の真理に気が付き始め、こちらを読み始めたものです。

1、2ヶ月前に、突然、私に起こってること全て偶然でなく、意味がある=大きな力/神が起こしてるとなぜか腑に落ちました。

鼻をかもうとしたらそこでティッシュがなくなったこと、あちらの部屋にいこうとしたら椅子にぶつかった、こととか、大きなイベントだけでなく、細部にいたるまですべて意味があって、起こってるとわかって、びっくりしました。




あなたがそのように分かったことが伝わってきます。

理屈で分かったのではなく、深く深く「そうだ」と思ったこともです。



そのときのあなたは、全体というパズルが解けた状態にあって、すべてが完璧だということを理解していたことでしょう。


その完璧さが、瞬間瞬間、形を変えながら生きている。



したがって偶然が起きる余地はなく、宇宙的マクロから細胞のミクロまで、すべてのことは大いなる意志のもとで寸分の狂いなく運ばれている。


机の上を掃除したことも、結婚相手を決めたことも、大きい小さいはなく、ただそのように起きて、そのようにしか起きなかったことを知るのです。



さて、そのような内なる確信から申し上げると、この先も粛々と大いなる計画通りにことは展開していきます。


しかも変化のスピードが速まっています。



ですから生きる態度としては、


何が起きても、それしか起きなかったとして、起きたことを受け止めていくこと。


たとえ人間目線でどのように見えたとしても、すべては神の計らいの中で起きていて、その最終地はとてつもなく素晴らしいということを知ること。


素晴らしいということを知ることが出来ないのなら、信じることです。



これは真実ですが、このように思えれば何が起きても向かっていけるはずです。


これが「信心」という言葉の意味するところであり、その力は強大です。






これからの変化を怖がらずに、ワクワクした気持ちで生きていきましょう。


先が分からないというのは不安でもありますが、ワクワク感もあります。



大いなる流れを信頼するというのは、自分の人生も、人の人生も、そのすべての流れを信頼するということ。



みんな大丈夫だから、心配いりません。

















  


Posted by Toshiro Abe at 09:49Comments(30)

2019年03月19日

生きる極意

来てくれてありがとう。







人生をコントロールしている人はいない。

ことは、ただ起きている。



こんなことを散々聞かされた後で


富を引き寄せる方法

新しい流れに乗る生き方



なんて言われたら、戸惑ってしまいますね。




だって、何一つ変えられないのに、変え方を教えようというのだから。




こうして繰り返し伝えていることは、一見矛盾して見えます。


でも真実は、この両方が同時に起きているということです。




それではもう一度


人生をコントロールしている人はいない。


ということについて考えてみましょう。



我々は物心ついたころから、自分のやりかた次第で物事がうまくいったりいかなかったりするということを体験してきました。


私という主人公がこっちサイドにいて、私以外の客観世界があっちサイドにある。


私は、私以外の世界をコントロールして生きなければならない。


なぜなら油断すると何が起きるか分からないし、少しでも理想の人生にしたいから。




これらは私という主体が前提になっていますが、実際にはその主体は存在していません。



たとえば


私は公園に散歩に行こうと決めて、実際にいま公園に行ってきた。


と言う時、



「公園に散歩に行く」という思考が現れ、


そのとおりに身体が行動し、


と同時にそれを「やっている自分」という思考が生じ、


「私は公園に散歩に行こうと決めて、実際にいま公園に行ってきた」という経験が思考としていま起きたいうことです。




いまこのブログを見ていることも起きていることだし、


いまこの内容に触れたのも起きていることだし、


この内容に対してなにか考えたとしたら、それも起きています。



ほら、たったいまのその思考も感情も同じです。



このスタンスで、起きている全てをただ見抜いている時、そこに「私」はいません。


これが我々の本当の姿です。




このことが身抜かれ始めると、たちまちにして苦しみや悩みが消えていきます。


もちろん相変わらず様々な感情が生起しては滅していくのですが、それらは風景のように感じられるようになります。



このとき生きる苦しみと共に、より良くなるための探求も終わります。



これが、

人生をコントロールしている人はいない

という言葉の意味するところです。








これからも講演やブログで


富を引き寄せる方法

新しい流れに乗る生き方



みたいなことを語ったとしたら、それはそのように起きるのであり、その内容に興味を持つ人は持つし、持たない人は持たない。


興味を持って実践する人もいれば、実践しない人もいます。


本当は、そうしようと決めている個人はいないのですが、我々は自分の選択のように思っています。



であれば、どう起きてほしいかを作り出していく「つもり」で生きてみようというわけです。


起きることしか起きないのなら、どう起きてほしいかを自分がコントロールしているつもりで生きてみる。



本気で自分がコントロールしていると信じて疑わない人と、そのつもりで生きる人とは、生きる風味が違ってきます。



前者は緊張の中を生き

後者は寛ぎの中にいます。


真実が自由をもたらしているから。




大げさに言えば

これがアベノミックス流、


人生の極意です。




またいrつか同じことを語るかもしれません。





よければクリックしてください








  


Posted by Toshiro Abe at 10:09Comments(35)

2019年03月18日

質疑応答

来てくれてありがとう。







昨日は金運につながる真言を紹介しました。


やっしーさんからのコメントです

阿部さん!
早く言って下さいよ〜!

昔の記事をスマホにメモしてたのを先月何故か思い出して、ひんでんうんそわかで、今日やっと6000回に到達したんですよ(泣)


6000回?!

それだけの粘りと根性があれば、

どんな仕事でも成功するんじゃないでしょうか(^_-)


読み方が少し違っていたからご利益がないのではと言う話ですが、そんな事はありません。


例えば


南無阿弥陀仏





なーむあーみだー


とか


なーもあーみだーぶつー


とか


なんまいだー


と唱えても、気持ちが入っていれば同じことです。



やっしーさんも気持ちが入っていたでしょ?


たぶん


お金欲しい〜!


諭吉〜!


福沢〜!


てな感じだったと思いますが。。。








さて実は、一つ告白しなければいけないことがあります。


これ言おうかな


やっぱりやめとこうかな


これ言ったら絶対に怒られるよな




でも言ったほうがいい!


ずっと知らん顔してる方が罪深いし



よし、言おう!




あのね、



実はですね、



この真言を1万回唱えると貧が転じて福となると書かれてはいるんだけれど、


その前段に


3日間以内に言うように!


と書かれていたのです。













ああ、言っちゃった。


これも今回、改めて読み直してみて分かったこと。


したがって半年かけて1万回言ったという方には、まことにお気の毒というか・・・




シラーーーーーーー





3日以内か。


昨日のコメントによると、ともこさんは30分で350回唱えたとか。


1万回言うには単純計算で14時間以上かかるわけでしょ。

すごい覚悟が必要ですね。


保証はありませんが勇者は試してみてください。










話は変わってマリリンさんのコメント。

こちらは非二元についてのコメントです。


阿部さんはいつも、同じことを繰り返しブログに綴ります。

あっちの方向から、こっちの方向から。

伝えたいことはただ1つだとゆうことは承知いたしております。

つたわっております。

しかし、その体感がまだ私にはおとずれない。

寂しいなあ、体と心で体感したいです。



このコメントへの回答は、少し悲しいお知らせになります。

と言うのも、その体験は決してマリリンさんには起きないからです。


これは個人的な体験ではありません。


全体が現れる時、マリリンさんは消えています。


まだ体感が現れていないという事ですが、実はもうとっくに現れています。

それどころか、それを体験していない時は一瞬もありません。


あなたが「それ」です。



これからもしつこく書いていきますね。

繰り返し同じ話を聞くことで、少しずつ真実が現われてくることでしょう。





よければクリックして下さい。



・・・・・・・・・・・



【お知らせ】

長らくお休みしていたソロ講演会を開催します。

まずは3月23日の札幌

その前に札幌では黒斎くんとの「阿雲の呼吸」があります


東京は4月21日の予定です。

こちらは近日中にご案内します。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:10Comments(40)

2019年03月17日

誰もがお金持ちになるありがたい真言

来てくれてありがとう。







ヒロさんが書いてくれました。

>富の引き寄せには、以前阿部さんが教えて下さった宇賀神様のご真言の力が凄いと思っています。


宇賀神様のご真言とは、


南無白蛇形宇賀耶惹耶蘗陛施多摩尼貧転吽娑婆訶



漢字の並びを見ただけで頭が痛くなってしまいそうだけど、その気になって覚えようとすれば、そんなに難しいことではありません。


この真言が記された天河辨財天社の赤い巻物。


8年前の大洪水で、同じものはもう二度と見つからないと思っていたら、前回天河に行ったとき、すごい場所で発見されました。


なにがどう凄い場所なのかは公には書けないけれど、またいつかお話ししましょう。






実はこの漢字の読み方は30年前に記憶していて、数年前にネットで調べてみたら、わずかに読み方が数か所違っていました。


ネットによると


白蛇形

びゃくじゃぎょう


貧転

ひんでん



僕は


白蛇形

びゃくぎょう


貧転

びんでん


と読んでいたのです。




しかし、今回発見されたその巻物を読むと、僕の記憶のほうが正しかった。



曰く



なむびゃくだぎょう
南無白蛇形

うがやじゃやぎゃらべい
宇賀耶惹耶蘗陛

しんだまに
施多摩尼

びんでんうんそわか
貧転吽娑婆訶


となります。



この真言については、僕に起きた不思議ないきさつや使い方を含めて、2年前の記事に出てくるから読んでみてください。


ただしこの記事の中では、ネットで調べた読み仮名になっています。

自信なかったんだな(^^;)


今日のが正しい。


誰もがお金持ちになるありがたい話





今日はダメ押しに、金運アップの白蛇のバナーを張っておきます。








  


Posted by Toshiro Abe at 09:58Comments(40)

2019年03月16日

質疑応答

来てくれてありがとう。







kazuさん、yoさん

Web瞑想会でお話したのはウォレス・ワトルズという人の本です。

なんと100年以上前に書かれた願望実現の本。

たくさん出ていますが、どれも内容は同じようなものです。

使っている言葉は違いますが、僕が感じていたことがそのまま書かれていて驚きました。

明治時代にすでに!!!



マイケルさん

この世の全ては、あなたの意識で作られているので…

阿部さ〜ん、ここがわかりません!

阿部さんはいつも、あなたは何もやってない、自動的に起きている、と言ってるのに?

一体どっち?



「あなた」という言葉が紛らわしいのだと思います。

この場合の「あなた」は、ワンネス、全体、非二元、存在するすべて、創造主、宇宙意識などと呼ばれているものです。

万物は量子によって作られていることは科学でも明らかですが、量子は同じ一つのものです。

それは意識を持っているということも言われ始めましたが、それが完全に解明されたとき、時空間の中での宇宙論は終わると考えています。


「何もやっていないあなた」とは、「やっているつもりの自己」に対する言葉です。

やっているのは全体としてのあなたであり、分離した自己のあなたではありません。

伝わりましたか?


もっと上手く言える人は書いてください。



現代の物質文明では、人間が豊かになること=自然界(鉱物、植物、動物)を無闇に破壊し、殺すことだと、どうしてもそういう罪悪感が出てしまい、素直に豊かになりたいと思えないのです。

阿部さんはどうお考えでしょうか。



一見この言葉は真実のように見えますが、あなたの思考にすぎません。


だからと言ってそのようなことが起きていないと言っているのではないですよ。

人が豊かさを得ようとするとき、それを妨げようとする恐怖があり、その恐怖はいろんな形をとって現れてきます。


言うまでもなく、あなたが豊かになることと、自然破壊が進むことは別の話なのですが、豊かになることへの罪悪感があなたにはそのような形で表れているように見えます。


あなたが環境を守ることに使命を感じるなら、そのことに専念して豊かになる道もあります。

この先、進化した人間たちの英知が地球の調和を作り出していくと信じています。







ただの「自分」 さん


人間は何でも知ろうとしますが、実は何も知りません。

ただ物事に名前を付けて、法則を見つけ出して、わかったような気がしているだけです。

この花が何科で、何でできているかはわかっても、なぜ咲いているのかは誰にもわかりません。


そりゃそうです。

すべてはただそのようにあるのだから。



匿名さん

この手の話がいまの自分に合わないなら、無理しなくていいですよ。

自分の感性を信じて、自分なりに生きればいいだけです。

それで豊かにならなくても、そういう人生も味があっていいじゃないですか。


またあなたが聞いてみたい話になったら、一緒に楽しみましょう。



11921969さん

例えば1つしかない椅子に対し2人以上の人間が座ろうとした場合はどうなるのでしょうか?

運良く椅子に座れたら良いのですが、残念ながら椅子を逃したその他大勢にも何らかの方法で無限の豊かさからの供給や救済があるのでしょうか?



その椅子をあなたが創り出すことができるという話をしています。

富は奪うものではなく、創造するものです。


無限の富は人間という道具を通していまも増え続けています。

300年前の何倍になったことでしょう。




思いつくままお答えしました。

言葉足らずかもしれませんが、今日は名古屋で瞑想伝授があるので勘弁してください。



どちらさまもごきげんよう(^^)












  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(31)

2019年03月15日

お金儲けの話

来てくれてありがとう。







昨日は、「年収3000万円」というフレーズに反応した人が多かったですね。

伝えたかったポイントはそこではなく、瞑想的感覚の方だったのですが、これに対するレスポンスはゼロでした(笑)


でも正直でよろしい。


しかと皆さんの心の声を受け止めました。



いっそのことこのブログのタイトルも

かんながら「富豪養成講座」

にしたら、もっと真剣に読んでもらえるかもしれません。



いずれにせよ、空(くう)を内側に保ちながら、色(しき)の世界でいかに活動していくかというのが伝えたいポイントです。


真実から言えばどんな生き方でもいいのですが、どうせ生きるなら自分も周囲も幸せにしながらイキイキと生きたいものです。



スピリチュアルの世界では、気持ちの持ち方次第で何でも手に入ると言います。


この世の全てはあなたの意識で作られているので、あなたが「本気で信じたこと」は実現していく定めにありますが、物事はそう簡単ではありません。


本気で信じていれば確かに考え方や行動が変わり、その願望を実現するために必要なことが起きていきます。


この「本気で信じる」ということですが、言葉で言うのは簡単でも、実際に何の疑いもなく信じるのは難しいのではないでしょうか。


以前にも話しましたが、マインドは疑いという素材でできているので、何かを100%信じることはできないのです。

この信の力はある種の瞑想(たとえばガネーシャ瞑想とか)によって養うことが可能ですが、それでも100%の信の力が発揮されるには、一朝一夕というわけにはいきません。








100%信じるというのは、対象と一つになったノーマインドの状態です。


サマーディ、あるいは三昧と呼ばれています。


禅も詰まるところ三昧の境地を目指していて、ゆるぎない信念を禅で養いながら、大成功した人たちも少なくありません。

Macintoshのスティーブ・ジョブズや松下幸之助などがよく知られています。


彼らはまさに三昧の境地にいたと思いますし、だからこそ大きなスケールで物事を成し遂げるための考え方ややり方が自ずと湧いてきていたのだと思います。



我々凡人がそこまで徹底できるのは稀で、であれば凡人用のノウハウがあってしかるべきと考えています。


凡人の凡人による非凡な教え。

おほほ、こりゃいいや。


まずは自分を凡人と認め、謙虚な気持ちで共に歩んでいきましょう。




それでは、まずはこの言葉。


この世には無限の富の蓄えがあり、あなたはそこから好きなだけ引き出すことができます。

あなたが豊かになることは、誰かが貧しくなることではありません。

ひとつのパイを、みんなで取り合っているのではなく、パイは無限に供給されているのです。

お金を稼ぐことに後ろめたさは要りません。



このような話は、どこかで聞いたことがあるかもしれません。

これはまぎれもない真実で、この言葉を深く理解することはとても大切です。


表面的に頭で理解するだけでなく、細胞レベルで理解すること。

それだけで、あなたはすでに豊かさに向かって大きく踏み出しています。


分かったつもりにならないで、このことにブレーキをかけていないか、何度も何度も自分に問いかけでみましょう。



きわめて多くの人が、このような言葉を

「そんなの知っている」

として片づけています。


でも実際には、この言葉が持つ影響は計り知れません。



学びたいと言いながら、表面的な知識で終わってしまう人のなんと多いことか。


お金というのは単なる道具ではなく、人間の心に深く刷り込まれた観念であり、あらゆる人の生き方に大きな影響を与えているのです。




昔、とある成功哲学の日本人作家が言いました。


「特に日本では、ビジネスの分野でスピリチュアルな話をすると、人は離れていく。

反対に、スピリチュアルの分野でお金儲けの話をすると、やはり人は離れていく」


それを聞いたとき、なるほどと思いました。



でも不肖アベッチは、わが道を行くことにします。





よければ力づけのクリックをください。










  


Posted by Toshiro Abe at 10:15Comments(40)

2019年03月14日

成功の基本

来てくれてありがとう。







昨日の記事の最後に、

「瞑想的感覚をベースにして、好きなように生きて、人生を花開かせていく」

と書きました。


この瞑想的感覚については、多くの成功哲学が見落としている点であり、頑張って財を成したとしても、それで約束された幸福になれるわけではないということを知っておく必要があります。


どこまでたどり着いてもこれでいいという事はなく、外側のもので内側にポッカリ空いた穴が埋まるわけではないのです。



多くの成功者の中で、この事実を告白する人は稀です。


なぜならここまで成功したというのに何も得ていないという事実は、自分の人生を根底から否定することになるからです。


目標が達成されない場合は、達成さえすれば幸せになれるという希望がありますが、達成されたあとの欲求不満は、希望を持つことさえできません。

したがって、さらなる欲求を埋めるために、また前に踏み出していくしかないのです。



これが、

「成功こそが最大の失敗である」

という言葉の意味です。



だからといって、お金や豊かさに意味がないわけではありません。

やはりこの世を生きるためにはお金は必要であり、できるだけ快適に不自由なく生きたいのは誰もが同じです。



物質的な豊かさは、考え方と、的を射た行動によって達成可能ですが、この「考え方」というのがミソで、まずは無意識に抱えているお金に対する観念を書き換えることが必要です。

それには合宿セミナーが早道ですが、参加できない人のためにも、このブログで要点を伝えていこうと思います。


それによって、たとえば年収3000万円以上の人を何人排出できるかとか、具体的目標を僕自身が持つことで、成果が明確になっていくと考えています。


なんだか少しうさん臭くなってしまいましたね(笑)

僕は真剣ですが、まあ、話半分でスルーしてください。






と同時に、ほんとうの幸福への道である、存在の真理についても分かち合ってきます。

それが「瞑想的感覚」という言葉で表したことです。


この言葉を知ったところで、何かが解決されるわけではないのですが、人によっては瞑想的感覚が大切だという情報を聞いただけで、なんだかわかった気になってしまいます。

これは実践することであり、頭で理解することではありません。



そこで今日は、その実践法を書いてみたいと思います。



まずは深呼吸して十分に落ち着いてください。


そしていまあるがままの自分を感じてみます。


身体のどこに力が入っているのか


緊張している部分、居心地の悪い部分を見つけていきます。


これは身体だけではなく、精神的な部分も同じです。


実は身体と精神は、「心身」という一つのものです。

身体の奥にある非物質の柔らかい面が精神で、精神の外側に固まった物質面が身体です。


心身の両面に気づき、居心地の悪いところを受け入れ、ただそのままにしておきます。


そして、思考が語っている自分のストーリーに気づいてください。


力を抜いて、ただありのままを見るのです。


そのストーリーや、思考、感情、感覚は、時間をかけて少しずつ変化しながら去っていきます。


いつもはそれらの内容に自己同化していますが、来ては去っていくようなものは本当のあなたではありません。



あなたはそれらを見守る気づきであり、いつもいまここにいます。



その気づきのあなたになった時、その時のあなたは、自分が誰であるかのアイデンティティを必要としません。


ストーリーも必要ありません。


特別な人であるための条件もいらず、ただ、いまに存在する気づきになりきっています。



これが、瞑想的感覚であり、ここに本当の安らぎと満足と幸福があります。


この感覚をベースにして、欲しいものを得ていくための正しい思考と行動を生み出していくのです。



まずはここまでを実践してみてください。





禅サンガでも繰り返し言ってきましたが、


「あなたの人生を応援しています」





こういう話に関心がある方はクリックして教えてください。






・・・・・・・・・・・・


【お知らせ】


3月23日に札幌で、雲 黒斎君との「阿雲の呼吸」講演会があります。

二度と聞けないレアな話。

詳細・お申し込みはコチラから


講演終了後、同じ施設内で阿部のソロトークと瞑想会を開きます。

こちらだけでもお入りになれます。

参加費2000円

お申し込みはコチラから






  


Posted by Toshiro Abe at 10:35Comments(27)

2019年03月13日

ひょいひょい

来てくれてありがとう。







ノンデュアリティ(非二元)の真実をベースにすることで、ずいぶん気が楽になったと言ってくれる人がいます。


だって、いままでの人生を自分自身が作り出してきたと思えば、「あのときこうすればよかった」的な後悔から逃れられず、失敗の記憶を引きずってしまいますが、

それらを選択したのは自分ではなく、すべては全体の現れとして起きてきたと思えば、

人生の過度な重圧から解放されます。


同時に、これからどうなるのかという心配や不安からも解放されます。




でも非二元の言葉を表面的に受け取ろうとすれば混乱します。


何一つ修正できないなら自分はまったくの無力であり、これからもいまの現実に甘んじなければいけないのか。

そんなのはゴメンだと思う人もいることでしょう。


いかんせん「自分はいない」という言葉を自分が解釈するのですから、ナンセンスな知識が一つ増えたみたいなものです。


そういう人は、このようなメッセージをスルーするか否定して終わらせてしまうことでしょう。


ノンデュアリティは、社会や人生を超えた宇宙的真実であり、それを地上感覚で理解することはできないのです。




その一方で、考え方とやり方次第では富豪にもなれるし、理想の人生を作り出していけるのも事実です。


業績が落ち込んだ会社がV字回復したり、努力が花開いて成功したり、そこには大きな決意と、的を射た行動があったことでしょう。


もちろんそれらも非二元から見れば「起きたこと」に過ぎませんが、どうしたら成功できるかというセオリーも確かに存在します。



ですからいまの時点で理想的なのは、

自分次第で人生を作り出していけるという態度で生きながら、起きたことに対しては、これしか起きなかったと思って受け止めること。


そうやって結果に対する責任を過剰に持たないようにしながら、自分がいいと思ったことをこれまで通りにやっていくことだと思います。



空(くう)を知りつつ、色(しき)を生きる。


無を知りつつ、現象界を生きる。 

結局、ここに戻ってきます。



本来は空(くう)なのだと知って生きるのと、現象界が全てだと信じて生きるのとでは、天と地の違いがあります。


精神疾患の人が多いのは、マインドが作り出した世界を真実だと思い込んで、狭い現実認識の中で右往左往するところに原因があると思います。






非二元を知識としてだけではなく、深く体現していく。


このような情報に触れ続けることで、少しずつ変化していく人もいます。


そうなれば、この世の人生をゲーム感覚で生きることができることでしょう。



人生という現象は天からプレゼントされた遊戯であり、そこに深刻さや過剰な責任感は不要です。


何がどうなっても失敗ではないと思えれば冒険も可能です。



阿部はそのように生きてきて、欲しいものはすべて手に入れましたし、いまもこれ以上ないような生活を送らせてもらっています。


もともと学歴も財産も社会的地位も定職もなく、極端に怠惰な人間にできたことが、あなたにできないわけがありません。




空即是色


空を知って色を生きる。



瞑想的感覚をベースにして、好きなように生きて、人生を花開かせていく。



これが一番分かち合いたいことであり、これこそがAIやロボットが活躍していくこれからの時代の生き方だと思っています。






そんなノウハウをもっと学んでみたい人はクリックしてください。








  


Posted by Toshiro Abe at 09:19Comments(25)

2019年03月12日

質疑応答

来てくれてありがとう。








miyaさんの質問


>今ここで瞬時にそれは起きるとおっしゃいますがそれは本当でしょうか。

>本当に今ここでそれが可能ならどうしてこんなに多くの人ができないのですか。




目覚めは、いまここで瞬時に起きる。

この言葉は本当です。


いまここで起きるか、永遠に取り逃がすか、どちらかです。


ただし、人は「いまここで瞬時に」という言葉を聞いたとき、「瞬時」というのは限りなく短い時間だと想像します。


この世では何をするにも時間がかかるので、そのように考えてしまうのです。



それでは瞬時とは、どれくらいの時間でしょうか。


0,01秒ですか?


0,00000000001秒ですか?


どんなにゼロが並んでも、それは時間の長さを表しています。



瞬時というのは時間の長さではなく、まさに「いま」ということ。

間隔は0秒です。



ということは、いますでに目覚めているということです。


すべての存在は、すでに目覚めているのです。



ただ自分が、このことを認めないだけ。


認めない理由の中には、


「まだいまの自分では目覚めにふさわしくない」


という思いもあります。



もっと目覚めにふさわしい人間になったら、その時は目覚めようというわけです。


そうやって夢が続いていきます。




「目覚めは、いまここで瞬時に起きる」


と言うとき、その実際の意味は、


「あなたはすでにブッダ(目覚めた人)だ」


ということです。



インドの覚者、ラマナ・マハルシが


「人の悟りを妨げているのは、自分はまだ悟っていないという思いだけだ」


と言いましたが、まさにその通りです。


人は自分の思いの世界に埋没して、あるがままのいまを見失っているのです。


実際には、すでにあなたはゴールにいます。








兼田さんの質問


>私は多重人格者です。

>こんな私がひとつに統合されるにはやっぱり瞑想ですか。



あなただけでなく、人はみんな多重人格者です。

自分というものを持てば、それはそうであるしかありません。


マインドというのは群衆のようなもの。

たくさんの人格が出たり入ったりしているのです。



それではいったいどれが本当の自分でしょう。


どれもあなたではありません。

本当のあなたは、そこに出入りしている様々な人格を「観ている者」です。



>こんな私がひとつに統合されるにはやっぱり瞑想ですか。


その通りですが、厳密に言うとそうではありません。


瞑想とは、多重人格のあなたがひとつになるのではなく、あなた自体が消え去るのです。


そして、ただ「在る」という状態が訪れます。


あらゆるものに気づいている目覚めた純粋意識。


それが瞑想であり、本当のあなたです。



miyaさんの質問にも書きましたが、本来はすべての人が目覚めています。


でもまだ自分は目覚めていないと感じてしまうのは、すべてに気づいている自分ではなく、入れ代わり立ち代わり訪れる様々な自分や、ストーリーの内容に魅せられてしまっているからです。



目覚めるための資格などありません。


あなたが自分をどんな自分として感じていようが、あなたはそのようなあなたではなく、それらすべてを見届けている意識なのです。




言葉はもどかしい。


真理の言葉は真理そのものにはなりえないからね。



ただ、「在る」ことを通して、深い洞察が訪れる。


禅と瞑想が、最も直接的なアプローチだと思っています。












・・・・・・・・・・



【お知らせ】


3月23日、雲 黒斎くんと札幌で講演をしますが、その日の夕方から、ソロトークと瞑想会を開きます。

詳細は近日中にご紹介できると思います。


北海道の皆さんとお会いするのを楽しみにしています。







  


Posted by Toshiro Abe at 10:55Comments(25)