2012年08月31日

覚醒の輪

昨日、スターピープルの最新号が送られてきました。


その中で、イギリスで「スピリチュアル心理学」という観点からセミナーを開いている溝口あゆかさんとの対談が載っています。

溝口さんは最近覚醒体験を迎えたそうで、出版社さんが「覚醒対談」なるものを企画してくれました。

翻訳家の山川紘矢さんからfacebookで、この対談記事がよかったと言ってもらえて、読みなおしてみたら、いくつか大切なポイントが語られていると思いました。

全部紹介したいのですが、まだ発売前ですので、後半の一部だけ転載させてもらいます。


「Star People」2012 Autumn Vol.42 「特集・予知能力を高める」







—— 阿部さんの読者やセミナーの参加者は、どれくらい意識が目覚めているのでしょうか。


阿部 わかってきた人は多いですよ。

これは確実に増えていくでしょうね。

さっきのガイアの話も面白かったですが、要は波動、地場が上がってきているんじゃないでしょうか。

あるいは愛のレベルに近づいているか。

僕は場の力のような、そういうものが影響しているような気がしてならないんです。


溝口 わたしたちのDNAも変化して、スペースが広がっているらしいです。

私の生徒さんたちにも、今年に入ってから急に、目覚めの話に興味をもつ人が増えています。


阿部 アメリカでは60年代から、ヒッピームーブメントなどの影響で精神世界に触れた人たちがたくさんいて、その歴史も古いし、精神世界を深めていった人たちの絶対数も、日本よりずっと多いと思います。

ただ、国民規模で平均的に理解のレベルが上がり、社会が変わって、それを世界に発信するようになって⋮⋮というのは、日本がやるんじゃないかなと思っています。

ちょうどいま、原発の問題がありますが、世界にとっては注目すべきことなんですよね。

超先進国の日本が、原発なしでどうやっていくのかということが。

電力をどう使うかという分配の話だけではなく、人間の幸せはいったい何なのか、という問いから始まって、社会全体が変わっていく、その最初の国になっていくんじゃないかと思うんです。


溝口 日本は私が住んでいるイギリスからみると、私欲が低い国に感じます。そういう意味で、いま阿部さんがおっしゃったことは、十分あり得ると思いますね。


阿部 DNAレベルのものもあるでしょうし、震災のような大きな出来事の影響もあるでしょうね。

僕はあらゆる出来事は、人の目覚めを促すために起きていると思っています。

宇宙の営みの目的は、そこにしかないと思うから。それを直接言うと誤解されるので、あまり言わないようにしているんですけどね。


溝口 残念なことに私たちは、人生が楽しいと、真実を知りたいって思わないんですよね。


阿部 そうです、その通り。


(以下続く)


・・・・・・・・・


そして僕たちの記事の次のページに、いつも博多いまここ塾や瞑想会に参加してくれる、森川さんが大きく紹介されていて、タイトルはなんと

「すべて完璧で、初めから人は救われている」


あはは、なんだか嬉しくなりました。


覚醒の輪は、確実に広がっていますね。








   


・・・・・・・・・・・


9月講演会の参加申し込みを開始します。

参加ご希望の方は、下記都市名をクリックしてください。


名古屋 9月23日(日)

東京  9月30日(日)

  


Posted by Toshiro Abe at 11:19Comments(72)

2012年08月30日

柿坂宮司 一口メモ

神社の周辺には、縁深い神々を祀った、小さな祠があります。

奉公を始めて、頻繁にお参りしたのが、神変大菩薩こと役行者(えんのぎょうじゃ)でした。


役行者は山岳信仰の開祖ですが、代々天河の宮司職を務める柿坂家は、役行者の弟子、「前鬼と後鬼」という夫婦の末裔と言われています。





それだけでも、なにやら怪しくも不思議な話で、実際に宮司の柿坂神酒之祐(かきさか・みきのすけ)さんは、言葉では表しきれない、とにかく変な人です(笑)

若いころは、かなりのヤンチャをしていて、家を継ぐ気もなかったようで、数々の伝説がありますが、ここには書かないでおきます。


神酒之祐というのは本名なので、生まれながらにして宮司の役目を担っているのでしょう。

ひとたび神事となると、神と地上をつなぐ役、まさに神主になりきって、その場に溶け込んでしまいます。

祝詞も風のように、人々の心に流れ込んできます。


その柿坂宮司、新しい社殿を建てるとき、予算を無視して最高の建材をふんだんに使いました。

御柱は樹齢400年の吉野ヒノキの中でも、最高のものを使っています。


「神様のお住まいは最高でなくてはいけない」

というのが口癖で、あるときは

「お金は人間界の仕組みに過ぎない。神様はそれを超えている」

あれ?僕も小規模ながら、同じ思いで活動していたなって思いました。


結局は無い袖は振れないわけで、債務超過となり平成4年に神社としては珍しく破産宣告を受けます。

でもそのおかげで、いまの本殿があり、この先数百年はこのまま建ち続けるのです。

基礎のコンクリートも、この神社のために竹中工務店が特別に開発した、寿命400年のコンクリートです。


こういう破天荒な宮司なのですが、多くの人から慕われています。

もしあなたが天河を訪れたとき、運が良ければ会うことができますから、その時は神社の歴史など、お話を伺ってみたら面白いでしょう。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:53Comments(44)

2012年08月29日

放浪記 20

僕は迷うことなく快諾しました。

というより、そうなることを望んでいた・・・そうなることを知っていたのです。





物語「かんながら」の中では、突然の申し出に仰天し、しばし考え込むシーンが出てきますが、あれはストーリーに信憑性を持たせるために書いたものです。

事実は小説より奇なりと言いますが、実際には宮司と会った瞬間から、天河神社と深くかかわることになるという直感がありました。

だから温泉に彼が現れたとき、彼が僕に何を話しに来たかも分かったのです。


何故そう思ったのかはわかりません。

僕には強い霊感もありませんし、こんな話をしていますが極めて普通の男です。

でも時々、先が見えたり、人の心が読めたり、導きの声が聞こえたりします。

あれ?これって霊感?



最初に小さな気づきがあり、すぐさま現役活動を引退して悟りを追い求めたときから、何者かになりたいとか、成功を手にしたいとか、現世的な欲求は消えていました。

見性体験が起きた後は、残された母のために経済活動をすることが必要だったのでレコード制作に携わりましたが、そのときも心動かされるようなことは一つもなく、自分の内側で逆転してしまった価値観を抱えながら、周囲の人たちに合わせていただけでした。

そのあとに始めた七福神プロジェクトは、宇宙の真実を伝えたいという思いだけは満足できましたが、結局は内なる真理を密かに抱えながら仕事をするという意味では、それまでの仕事となんら変わりがありませんでした。


七福神プロジェクトは、最初にメインボーカルが抜けたときに止めるべきものを、その時のノリと勢いで進めてしまったことが最後まで影響しました。

商業的には失敗でしたが、レコード会社への一応の責任は果たしていたので、もういいだろうという思いがありました。

メンバー達も、良質のアルバムが残せたことを喜んでくれていたので、そろそろ潮時を感じていました。

いくつか依頼されていたCM音楽の仕事は残っていましたが、僕が辞めても、やりたい人はいくらでもいます。


富士山に暮らしたいという最初の思いに帰って、天河に暮らすのもまんざら捨てたもんじゃないと思いました。


神社への奉公は無報酬ですが、宿と食事は提供してくれます。

母への毎月の援助も、4か月間だったら手持ちのお金で何とかなります。


その後のことは、なんとかなればなるだろうし、ならなければならないなりに何とかしていけばいいと思いました。

そんなことより、娑婆(シャバ)から解放されて、当分の間、山あいの神聖な地で暮らせることに、心底ウキウキした気持ちでした。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:40Comments(44)放浪記

2012年08月28日

放浪記 19

二泊三日間の滞在中、ほとんど寝て過ごしました。

これがまた、よく眠れるのです。

天川村は標高600mにあるのですが、ちょうどその気圧は母親の胎内と同じなんだと、誰かが言っていたように記憶しています。


その数年前に僕に訪れた気づきの体験は、宇宙には自分の意識しか存在せず、あらゆるものはその意識によって生み出されているというもので、いまさら外側に神とか仏とか言われても、どこか子供じみて感じていました。

ですから神社そのものには、ことさら興味を持っていたわけではありません。

ただ、気持ちのいいところだなというのが、初めて訪れたときの感想でした。





帰る日の朝、一度くらいきちんとお参りしようと思い立ち、神社に向いました。

たかだか民宿から徒歩で一分くらいのところでしたが、ちゃんとお参りもしていなかったのです。


社務所のあたりで、先日会った神主が作業着で忙しそうに動き回っていました。

その彼に指示を出している太った神主、はは~ん、あれが噂の宮司だなとすぐに分かりました。

体格も顔つきも、なによりその全身から出ている雰囲気に凄味があります。


二人とも険しい顔つきで忙しそうだったので、そのまま立ち去ろうとしましたが、神主が僕に気づき、宮司に伝えました。

「あそこにいるのが、七福神のプロデューサーの阿部さんです」


すると宮司はピタリと立ち止まって、こちらを振り向くと、一瞬間をおいて急に明るい顔になり、

「そうですか、そうですか、七福神の・・・、そうですか、そうですか」

と言って握手を求めてきました。


そのとき直感したのは、七福神というのがまさかバンド名だとは思わず、自分が初めて七福神の祈祷をした直後に、「七福神のプロデューサー」(なんのこっちゃ)が現れたので、何かの巡り合わせを感じたのではなかろうかということです。


「よう来てくれなさった」


満面の笑顔で握手を求められたので、僕もいちいち説明する気になれずに

「はい、よろしくお願いします」

と言って手を差し出しました。


その日の午後、さていよいよ下山しようと、最後に村の温泉施設に行ったのですが、その湯船に浸かっていたら、いきなりあの宮司が現れたのです。


このあたりのことは「かんながら」に書きましたが、温泉の部分は事実そのままです。


4か月後に大きなお祭りがあって、その準備でとにかく忙しいので、このまま神社を手伝ってくれないかという申し出でした。

  


Posted by Toshiro Abe at 09:30Comments(25)放浪記

2012年08月27日

放浪記 18

タクシーに乗るたびに、運転手さんに聞いていたことがあります。

「その日に限って、ある特定の地域に何度も行くことはありますか。しかも普段は行くことのない地域です」

すると、実に多くの運転手さんが、思い当たると答えてくれました。


生活の中でも、なぜか同じ方面に何度も足を運ぶことがあります。

どうしてそのようなことが起こるのかわかりませんが、何かの意味があるような気がしてなりません。


僕は好奇心旺盛なので、偶然の一致が起きたときは、その意味を調べてみたくなります。

あの時も、そんな軽い気持ちでした。


天河神社は奈良県の奥吉野、周囲を山々に囲まれた静かな村の一角にあります。

東京から京都に出て、そこから近鉄特急で橿原神宮前、さらに鈍行に乗り換えて下市口で下車。

そこからバスで1時間半かけて天川村河合のバス停に到着。

さらにそこから徒歩30分ほどでやっと天河神社に着きました。


いまはトンネルができて、バスの所要時間も短縮されましたが、いずれにせよ簡単に行ける場所ではありません。


よし行こうと思い立ったとき、紹介してくれた友人の一人が、

「天河は、行ける人しか行けないんだ。どんなに行きたくても行けない人は突然行けなくなる」

と言っていたので、それがさらに僕の興味を掻き立てたのだと思います。


ちなみに村の名前は天川村、神社を表す時は天河神社と書きます。


平成元年当時、すでに一部のスピ系の人たちの間では、天河神社のパワーが評判になっていて、YMOの細野晴臣さんが「天河は霊能者の六本木だ」などと言っていたくらい、その種の人たちで賑わっていたようです。







初めて鳥居をくぐった時、建て替え中の本殿からご神体を移した宝物殿が仮の本殿になっていて、開け放たれた神前で、一人の神主が祝詞をあげていました。

その時は参詣客が誰もいなかったので、僕は仮本殿の前で一人たたずんでいました。



祝詞を終えた神主が、ふと振り返り

「どなた様ですか?」


と尋ねるので、ここに来た経緯を簡単に話しますと、


「背後にとても美しい存在を感じていたので、どなたなのかと思いました」

と答えました。


その言葉にすっかり気をよくした僕は、社務所でお茶を飲みながら神主と話し込みました。



聞いてみれば、神主は僕と同じ35歳。


7年前にこの地を訪れ、すっかり魅せられて神社の手伝いをするうちに、いつの間にかこのような立場になっていたとのことでした。


彼は、この土地のパワーだけではなく、神社の宮司に特別な魅力を感じたようで、何度も宮司の話をしてくれました。


「その宮司さんは、いまどこにいるんですか?」


と聞きますと


「いま、七福神のご祈祷で四国に行っておられます」


と言います。


「え?七福神?」


「そうです。宮司が七福神全員のご祈祷をするのは初めてのことで、何かの始まりを感じているんです」


と言うので


「実は僕も、七福神というバンドのプロデュースをしていて、あはは、まあ大した話じゃないですけどね」


と答え、その話はそこで終わりました。



まさか七福神という名前が、その後の僕の人生に大きな影響を与えることになるとは思ってもみませんでした。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:43Comments(41)放浪記

2012年08月26日

沖縄の台風

いま東京講演会が終わりました。

暑い中をたくさんの方達が来てくれて、ほんと嬉しかったです。


ところで、いま沖縄は暴風雨でしょうか。

風速70mと聞いて心配しています。

くれぐれもご注意下さい。


  


Posted by Toshiro Abe at 19:06Comments(36)

2012年08月25日

竹島と尖閣の問題

わっこさん

>この間の博多のいまここ塾で、本当はいちばんに手をあげて、竹島や尖閣諸島の問題について、阿部さんがどのようにお考えなのか、また、日本人は今どのような態度をとるべきなのか、すごく質問したかったのですが、勇気と自信がなくて手をあげられずじまいでした(笑)


竹島や尖閣諸島の問題については、書きたいことは山ほどありますが、詳しくは講演会のような場に委ねたいと思います。

こういう所に書いてしまうと、文章を突っついたような反対意見が寄せられるので、実はこの手の話はブログに書くのは苦手です。

でもちょっとだけ書いてみます(^o^)


昨日、野田総理の会見がありましたが、僕の感想としては、とても立派な会見だったと思います。

国際社会に向けて踏み込んだ発言をする機会を与えてくれたということでは、韓国大統領や尖閣に上陸した運動家に感謝してもいいくらいです。

隣国を気遣って、あいまいな態度をとり続けざるを得なかった日本に、大義名分をくれたのですから。

雨降って地固まるといいますが、いまそれが起きていると思います。


これも歴史の必然なのでしょう。

韓国では大統領が退任すると、逮捕されるということが度々起きています。

起訴されて死刑判決を受けた元大統領もいます。

いまの大統領も、政権に固執する理由が、単に権力欲だけではなく、自分自身の身の安全がかかっているということを考えれば、あれほどの愚行を重ねてしまうのもわからないでもありません。

でもそれは、韓国にとって大きなダメージに繋がる結果となっていきます。

もしいま、日本からの経済援助ともいえる通貨スワップ協定や、韓国国債の購入などが白紙になったら、韓国にプラスなことは何もなく、おそらく彼らは、日本がここまで本気で怒るとは思っていなかったのでしょう。





さらに基本的なこととして、竹島が日本の領土であることに疑う余地はありません。

韓国が根拠とする古文書の解釈をかなり無理無理にしても、そこに書かれているのが竹島のことではないことは一目瞭然です。


立場的には日本のほうが優位なので、あまり感情的にならずに、粛々と大人としての対応をしていくのがいいと思いますし、この国のリーダーはそのようにしていくと思います。



尖閣の問題は、もっと明らかで、中国も歴史の中で尖閣諸島が日本の領土であることを認めてきています。

昨日、中国のツイッターで「尖閣はどう考えても日本の領土だ」と発言した人がいて、そこには同様な意見も寄せられ始め、中国政府にしてみれば、自分たちが問題を捏造して煽ってきただけに、このまま静かに収まってくれるのを望んでいることでしょう。


今回の出来事は、日本にとって日本の立場を明確にする千載一遇のチャンスだったと思います。




国境のない世界への理想を持ちながら、しっかりいまの世界情勢に目を向けて生きることは、精神世界の学びを携えながら、地に足をつけて生きる大切さと同じですね。


いずれにせよ、問題を作り出すのはその国の政府であり、国民は信じ込まされているだけということも忘れずにいたいものです。


人類みな兄弟!

これは綺麗ごとではなく、事実なのですから。








   


・・・・・・


東京いまここ塾は満席につき当日券はありません。

ご理解よろしくお願いします。


沖縄いまここ塾は8月28日です。

台風だけど、たぶんそれまでには帰れる・・・だはず。

  


Posted by Toshiro Abe at 14:57Comments(128)

2012年08月23日

脱原発のこと

原発ゼロの可能性が出てきました。

数年前にこのブログで原発反対を表明したら、たくさんの異論反論が寄せられましたが、いまは世論も大きく変わってきました。


選挙を前にして、各政党も脱原発の声を無視できなくなってきたようです。


今回の運動は、同じ土俵上の是非論ではなく、国民の価値観が大きく変わってきたことの象徴のように見えてなりません

原発ゼロを叫ぶ人たちの多くは、電気料金が上がっても、節電を強いられても、景気が悪化しても、国際競争力が落ちても、そんなことより「後世に残す世の中から原発を無くすんだ」という思いで行動しています。


一方、推進派の人たちには、脱原発の叫び声が、理想主義者の夢物語に聞こえています。


しかし推進派の皆さんの話は、わかりにくいところが多いですね。

今年の猛暑だって、なんとか乗り切れたのだから、これ以上の原発を再稼働しようとする理由を勘ぐられても仕方ありません。







さて、このまま脱原発が実現すれば、世界に大きなメッセージを送ることになります。

人間は何を優先すべきなのか、その一端を示すことができます。



日本が先駆けとなって、物質文明を超えた未来社会を作り出していきたいものです。



未来社会とは何か。

過去ログの「ゲイル星とシェイル星」に書いたので、時間がある人は再読してください。



いずれにせよ、今年は大きなターニングポイントの年になりそうですね。









   
  


Posted by Toshiro Abe at 13:35Comments(145)

2012年08月22日

放浪記 17

目の前に、公園の芝生が広がっています。

見えている広々とした空間は、外側に広がっているのではありません。

その空間は僕の意識の中に存在しています。

というよりも、その空間を含めて、そこに見えるもの、聞こえる音、肌に触れる感触、それらすべてが僕の意識が振動することで現れています。


一羽の鳥が飛び立ちました。

その瞬間、僕は鳥になっています。

風が吹けば、その風は僕です。


すべては僕なのですが、それを認識する自分は消えています。

全体だけが存在し、切り離された自己は存在していません。


頻繁に訪れるそのような感覚は、我々が一から十まで自分本位の思考によって現実を決めつけていることを教えてくれます。



時間など存在していません。

過去も未来もなく、「あれが起きたから、いまこれが起きている」というようなストーリーも存在していません。

まさにいま、新しい何かが生まれ続けている、ただそれだけです。



そんな感覚を携えながら、現象界を生きることの難しさに戸惑い、それでもなんとか辻褄を合わせていくことができました。


このプロジェクトが、なぜスムーズに展開しなかったのか、答えは簡単です。

それが神の意志、全体の意志だからです。


大局から見れば、ただ起こることが起きていたということになります。

そこに期待をはさみ、あるべき姿に固執した分、それぞれの人たちが大変さを感じただけです。

このような解釈が、事態を悪化させていったという話をしましたが、同時にこのことは真実で、何事も成るようにしか成らないのです。



結局は二年くらいの日々を、七福神プロジェクトに費やすことになりました。

この二年間は、人生で最も困難な時期でしたが、困難が苦悩に変わるのではなく、ただ淡々としていられたのは、同時に違う次元を生きていたからだと思います。

もし20代の頃だったら、途方に暮れていたことでしょう。



さて多くのことを学んだプロジェクトでしたが、僕にはもうひとつ重要な学びが残されていました。

それは後になって分かったことですが、やはり必要なことが必要なタイミングで起きてきたと思います。







僕たちの人生がシフトするときは、とても分かりやすい方法で、何かに引き寄せられることがあります。

それが特定の場所だったり、人だったり、瞑想のようなメソッドだったり、自分の意志を超えて、いつのまにか出会っているのです。


この時の僕にも、そういうことが起きました。

一週間のうちに3人もの人が、とつぜん遠方にある神社の話をしてきたのです。


それも熱心に、その神社を訪ねるよう僕に勧めます。

それまで一度も耳にしたことがなかった場所を、短期間に複数の人から紹介されるというような、いわゆるシンクロニシティーが起きた時は、その背後に何らかの見えない意図が存在しています。


迷わずその神社を訪ねることにしました。

  


Posted by Toshiro Abe at 09:22Comments(58)放浪記

2012年08月21日

放浪記 16

ありとあらゆる喜びと、一切の疑問が消え去った瞬間の感覚は、まったく色褪せることがありません。

その体験は、とてつもなくリアルです。

いまこうして通常の世界を生きていることが、単なる「夢」「幻」であるかのようです。


何十年も経ったいまもなお、その感覚は色褪せることなく続いていて、もはや自分の一部となっています。



あの頃は、そんな感覚をどう生きたらいいのかわかりませんでした。

社内で楽曲のプロデュースをしていたころは、制作だけに精を出していればよくて、様々な責任が分散していたことで、その場しのぎに対応していればなんとかなりました。


しかし独立してお金が回り始めると、全責任が向かってきます。

けじめをつけたり、舵を取ったりが必要になるわけです。


にもかかわらず、現実に起きていることへの実感が、いまいち持てません。


「何が起きても、そうなるならなったでよし、たいしたことじゃない。

何かが起きたとき、その出来事をどう捉えるかはその人次第で、出来事自体にはいいも悪いもない。

したがってなんだって同じなんだ

おまかせだ。

どうなろうと、僕の知ったことじゃない」



だったら最初から何もしなければいいのですが、一時の熱情に駆られて、やりたいだけやっておいて、現実が混乱してくると、「知ったことじゃない」なのですから、関係者にしてみれば迷惑千万の話です。



「無為にして為す」

老子のこの言葉にどこか影響されていたのでしょうか。



なにかをしようとすると


「それは自我だろ?」

なんて声がするのです。


「覚者は何もしないんだよ、事は起きているんだから」

という声が、何かにつけて出てくるようになりました。



まるで自らの中にある、覚醒意識からのメッセージのようです。


でもこれこそが自我のトリック。


自我は何でも自分の一部にしてしまい、無自我を装うこともします。

自我を批判し、自我を超えようとさえします。

覚者にもなるし、聖者にもなります。


そして言うのです。

「私は悟っている」


色褪せない、宇宙的体験の印象が残っているので、この言葉が真実味を持ってしまうのです。



このころの経験があるので、精神世界を歩み始めた人への警鐘を、事あるごとに鳴らしてきました。


それは僕自身への戒めも含めて、これからも発し続けていきたいと思っています。








さて、だからといって、当時の自分が堕落していたかといえば、そうではありません。


メッセージを伝えたいという思いは、理屈抜きに湧き出し続けていました。


いま思うと、もしかして自分は試されたんじゃなかろうかという出来事があります。



七福神のことが重くなり始めたころ、僕の目の前に、目が覚めるようなバンドが現れたのです。


「絶対に売れる」と直感しました。

しかもそのバンドは、僕に身を預けたいと言っています。


ただし、そのためには、一から十まで商業主義の世界に浸からなければならないのと、スピ系メッセージも、しばらくは手放さなくてはいけません。


そのとき、迷うことなく彼らを手放し、七福神を続けました。

彼らとレコード会社との契約だけをまとめ、一切身を引きました。

この業界に生きる人から見れば、理解不能の行動だったと思います。


やがてそのバンドは様々な記録を塗り替える伝説バンドになっていきますが、最初からそうなる気配を持っていました。



人生に「もし」はありません。

でも「もし」あのときほかの選択をしていたら。


ひとつだけ思うのは、おそらくは、また違ったタイプの地獄を見ただろうという事です。

僕自身が精神的に巻き込まれなかったとしても、欲望渦巻く人たちの中で暮らすのは、容易なことではなかったでしょう。

それを選ばなかったのは、お金より、成功より、もっと違うものを追い求めていた自分が、確かに存在していたからだと思います。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:37Comments(45)放浪記

2012年08月20日

先に行く人よ なぜ急ぐ

実はあの音源、放浪記があの歌を作った時代に差しかかってから、バンドのメンバーだったTAKEちゃんに連絡をとって送ってもらったんです。

聞いたのは、実に十数年ぶり。


久しぶりに歌詞を聞いて思ったのは、なんてストレートなんだっていうこと。

いまになって思えば、気恥ずかしいくらいです。


そもそも目的がメッセージを伝えること一点で、しかも誰も耳を傾けてくれないことに慣れていて、それならばという気持ちがあったのと、きっとどこかに同じことを感じている人がいるはずだという期待があったからです。


それにしてもあの頃は、たったひとりの解ってくれる人と出会っただけで嬉しかったのに、いまはこうしてたくさんの人が、何かを感じたと言ってくれる。

というより、解ってくれる人と、簡単に出会えるようになっている。



いつかそんな日が来るような気がしていたけれど、まさにいまそうなんですね。






昨日は博多講演会に来てくれてありがとうございました。


質問コーナーで、

「放浪記の続きはどう展開していくのですか?」

と聞いてくれた人がいて、その場の思いつきを話したけれど、たぶんそういう展開になると思います。


こんな話も、書いていて楽しいです。




起こるようにして、事は起きてきました。。



それでいいのだ(^_^)








   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(47)

2012年08月18日

あの曲をアップしました

昨日、ホテルの一室でyou tube用のファイルを作りました。

動画制作は不慣れなので、徹夜してしまいました(>_<)


いろいろなアクシデントの中での、青春の一曲です。


いまこうして、みなさんにお届けできることを嬉しく思っています。


細かな音が各所に散りばめてあるので、できたらヘッドフォンかオーディオスピーカーで聞いてもらえたらありがたいです。







1987年の作品です。

25年後のみなさんにお届けします(^o^)


七福神 「The magic carpet」



http://youtu.be/y0bD9zcFb34
















     


Posted by Toshiro Abe at 12:45Comments(70)

2012年08月17日

ひとり言

昨日紹介したバンドの音源を入手しました。

近日中に音をアップしますから、聞いてみてください。



さまざまなことが目の前を通り過ぎていったけれど、僕は何も変わることなく、いまもここにいます。

それはあなたも同じこと。


僕たちは、「いま」を生きているという視点から言えば、完全に対等で、平等です。

社会的地位も役割も、所有物も見てくれも、なにひとつ関係ありません。

どんな人にも、ただ、いまが与えられているだけなのですから。







放浪記はまだ続いていきます。

この体験談が、何かのヒントになってくれたら幸いです。



2012年8月17日 

那覇空港のロビーにて






   


・・・・・・・・・


8月26日 東京講演会は残り席が少なくなっています。

今回は会場と開催時間が変わりますのでご注意ください。


詳細はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:12Comments(52)

2012年08月16日

放浪記 15

ここからは、かなり子供じみた話になります。


まずはバンド作りから始めることにしました。

立場上、毎日のように新人バンドのデモテープやら資料やらが送られてきていたし、人脈も多かったので、メンバー探しには、そんなに時間がかかりませんでした。


見た瞬間のインパクトはとても重要です。

いままでになかった斬新なスタイルで、しかも美しく、躍動感にあふれていることを目指しました。

伝えるメッセージがスピリチャル1色だったので、パフォーマンスするアーティストは、娯楽性に富んでいることが必要だと思いました。

もちろんテクニシャンであることと、僕が伝えるメッセージに興味を示してくれることが大前提でした。



和太鼓とメインボーカルは民謡系女性アーティスト、ラテンパーカッションとサブボーカルも女性。

この二人がフロントで、派手なパフォーマンスを繰り広げます。

ダンスが得意な身長2mの黒人ベースと、シタールやタブラのスペシャリストがわきを固め、全体をサイケデリックなギターが包んで・・・

荒唐無稽な構成でしたが、納得できるメンバー7人を集めることができました。


無国籍で極端にばらばらなのに、一つにまとまっていることが売りです。

なぜこのメンバー達が調和しているのか、その違和感が、「人間はみな、ひとつの同じものだ」というインスピレーションを与えます。


もちろん一人一人が、その分野のスペシャリストでなければいけません。

でなければ、単に滑稽な作り物になってしまうからです。


バンド作りは大成功で、プレゼンテーションをしたら、多くのレコード会社からオファーがきました。

そこにいた洋楽系のプロデューサーが、いままで見た国内外のコンサートで最高だったと言ってくれたので、その時は人間離れしたオーラが出ていたのだと思います。



何の実績もない新人バンドに、破格な契約金が用意されました。

そのような条件を引き出せたのは、僕の力というよりは、僕の背後にいた有力者達のバックアップが物を言ったのでしょう。


しかし当時の僕には、そんな彼らへの感謝がまるでありませんでした。

人類にとって重要なメッセージを伝えるのだから、みんなが協力してあたりまえだみたいな気持でした。

もはやこれは、人間性の問題です(-_-;)


始まってすぐに、リードボーカルの民謡系アーティストに恋人ができて、辞めると言い出しました。

バンドの命はボーカルで、野球で言えばピッチャーのようなものです。

彼女はコンセプトの要だったので、途方に暮れてしまいました。

すでにスタートしてしまったものを、放り出すわけにもいかず、新たなボーカルを探しましたが、結局は納得がいかないまま、プロジェクトは進んでいきました。


バンドメンバーは、才能にあふれていましたが、チャンスに恵まれずに埋もれていたミュージシャンたちです。

そんな彼らに、最高の環境で音楽をやらせてあげたかったので、すぐ全員に生活費を支給しました。

そして全員で1カ月間渡米し、NYの一流スタジオでレコーディングしていたら、あっという間にお金を使い果たしてしまいました。


こうやって書いていても、まるで非常識な愚行です。


お金は人間社会のもの、神さんのメッセージはそんなところに属していないのだから、最高の環境で最高のモノづくりをして何が悪い。


やれやれ、こんな僕に大金を預けた人たちに、いまさらながらお詫び申し上げます。



もうお金はありません。


次にスポンサーを探しました。

当時はバブルの真っ最中で、投資先を探していた企業が多かったので、すぐに見つかりました。


また数千万円の投資をしてもらいましたが、それもあっという間に使い果たしました。

でもまだ、満足いく音が録れていません。


おかしいなあ、神さんが応援しているはずなのに、なんでこんなに苦労しなきゃなんないんだ。


スポンサーというものは、お金を出す時は「儲けは考えていない。夢に投資するんだ」と言ってくれるのですが、上手くいかなくなるとあれこれ口を出してきます。

それは当然の話なのですが、当時の僕はあいかわらず、「神さんの仕事だから」の一点張りで、どこ吹く風でした。



背中あたりまで伸びた髪を一つに束ね、マキシ風のデニムのコートを着込んだ姿は、それだけでまっとうな社会人じゃありません。

いったい幾らお金を使ったのか、どれくらいの人に迷惑をかけたのか、当時はそんなことさえ考えませんでした。



心のどこかに「なるようになるさ」的な思いがあり、それがさらに事態を悪化させていきました。


「起きることが起きる、それ以外は決して起きない」というスタンスは、時として無責任な行動を生じさせます。

現実世界の中にスピ系の理解を持ち込むことの危うさを、当時の僕は十分に理解できていませんでした。


困難な状況だったのにも関わらず、それを苦悩に感じなかったのは、思考に振り回されなくなっていたことのおかげだったと思いますが、それも事態に歯止めをかけようとしない一因だったように思います。


こうなってしまうことの原因が自分自身にあることを、うすうす感じ始めたのは、1年以上経ったころのことでした。

  


Posted by Toshiro Abe at 11:32Comments(48)放浪記

2012年08月15日

性の話

昨日のミルキー☆さんのコメントに

黒斎さんとの『降参(サレンダー)のすすめ』を小6の甥っ子に読ませてあげたかったのですが、一部過激な部分があり断念(笑)

とあるのを見て、「そうか」って思いました。


本のよさは、買った人が周囲の人に貸すことで、読む人が増える可能性があることですが、過激な単語が一つあるだけで、貸しにくくなってしまうのは残念ですよね。



あの箇所をあえて冒頭に書いた理由は、性についての先入観と罪悪感が、自己否定につながっている場合が多いからです。

性への衝動を克服することが、意識を高みに上らせる条件でもあるかのように思っている人もいます。

でも自然の力は強大で、そのような試みに勝ち目はなく、衝動への抑圧が不自然な人格を作り出したり、一時は克服できたような気になっても、何年もした後にまたひょっこり顔をだし、途方に暮れるという人もいます。







そもそも性欲は克服対象ではありません。


なぜこのような誤解が蔓延してしまったのでしょうか。

理由のひとつは、性の乱れが多くの社会問題を引き起こすので、様々な意識レベルが混在する社会では、一定の教えが必要になり、そのことが「性欲=悪」のようなイメージを抱えることになったのだと思います。


宗教的な理由もあります。

ひとつの欲望や衝動を抑圧し続けることで、ある種の霊的インスピレーションを得ることが可能で、それがBrahmacarya(ブラフマチャリア・禁欲の修行)として定着した歴史があります。

伝統によっては、のどの渇き、食欲、睡眠などを抑圧するものもあり、それなりの成果を上げていたようです。

しかし、霊的なインスピレーションを得た後も、自然の力(性欲・食欲など)は残り続けます。

このあたりの混同が、精神霊的な道を歩む者は性を克服するべきだという観念に繋がっていったのだと思います。


性に対する罪悪感は、すでに多くの人の中にあるので、自らのそのような面を見せないことが支持につながると考えるカリスマも少なくありません。

性欲は生命の根本的衝動なので、人が一度抱えてしまった観念を書き換えるのは極めて難しく、この分野に踏み込む人は代償を覚悟しなければなりません。

でもそろそろ、タブーをタブーとしたままにせずに、みんなが正直になるときが来ている気がします。



さて、話を戻しますが、こうしてブログに書かせてもらったことで、修正すべき点がわかりました。


なにも、オ○ニー(いまさら伏字ですか?)なんて書かなくても、性欲と書けば真意は伝わりますよね。

向さんとのやりとりは、あの言葉使いが事実ですが、少し手を加えてみれば、


「禅僧も悟った後、性欲はあるの?」


「そりゃあ、あるら」


になります。



こっちのほうが、他人に本を貸す時の抵抗が減りますね(^o^)

再度、検討してみます。


ご協力ありがとうございました。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:46Comments(81)

2012年08月14日

アンタもブッダ

向禅師との共著、「いまここ禅問答」を、もう一度読み直して見ましたが、とても面白かったです。

発売はダイヤモンド社から、10月ころの予定です。


出だしは、かなり過激で、


「禅僧も悟った後、オナニーするの?」

「そりゃあ、するら」


でも伝えているメッセージは、真実一直線。


お楽しみに( ´ ▽ ` )ノ











   
  


Posted by Toshiro Abe at 12:46Comments(42)

2012年08月13日

放浪記 14

あの頃、なぜ頑ななまでに、自分が体験したことを人に伝えようとしたのか。

自分が触れた真実を、なぜ語りたかったのか。


それは、人が高い次元に目を開いたとき、初めて根本的な救済があり、人生を生きるということが義務ではなく歓びに転じるからです。

そのような人が増えたとき、この地上に楽園が訪れると確信したからです。





地上の楽園は、物質的な豊かさや、科学の進歩だけでは実現しません。

ある程度の豊かさは歓迎ですが、最も大切なのは、その地上を生きる一人一人の意識です。


意識が自我と同化しているのか、それとも本質を生きているのか。

社会全体が、法律や規制によって秩序を保っているのか、それとも個々に内在する根源的知性によって、調和が保たれているのか。


根源的知性とは、「愛」のことです。

愛があれば、法律も道徳も不要です。


僕たち人間は、すっかり社会に取り込まれてしまいました。

子供のころから、どのように生きるべきかという観念を植え付けられてきました。

やがてお互いを見張りあい、形式を重んじ、表面上の見せかけを繕うことにエネルギーを消耗し、心の底から躍動するような生気を失ってしまいました。


そんな人たちに真実の自己を呼びかけることで、目覚めのきっかけになれたらと、真剣に思ったのです。


それはいまも変わりませんが、あのときはそれを音楽でやろうとしました。

それしか他に方法を見つけられませんでした。



しかし、もと芸能人崩れの男が、表だって何かをやろうとすれば、また有名になりたくて何かの活動を始めたくらいにしか思ってもらえません。

何をしても売名行為のように見られてしまいます。


そこで、裏方に徹することで、必要なメッセージを世に出していこうと考えました。

自分の代わりにメッセージを発信してくれるパフォーマーが必要だと思いました。


いま振り返ってみると、伝えたいという気持ちが前のめりになっていて、十分な視野を持ち合わせていませんでした。

メッセージを伝えることは自分に与えられた役目だという思いが強すぎて、完全に前のめりになっていたと思います。


それくらい、目覚めの体験は衝撃的だったのでしょう。

自分の残された人生は、このことを伝えていくためにあると強く思ったのです。


まるで未開の地に赴く宣教師のような心境だったと思います。

そのために自分がどうなろうと悔いはありませんでした。


たとえ人から石を投げられ、社会を追われたとしても、着の身着のままになって、そのとき残された方法で、最後の瞬間まで真実を伝えていたいと思っていました。


決してヒロイズムではなく、純粋にそう思っていたのです。



いまさら書くのは気恥ずかしいですが、書かせてもらうことで、再確認できることが多いです。

このような場を、ありがたく思っています。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:31Comments(66)放浪記

2012年08月12日

オリンピックと、精神世界と、これからの時代

オリンピックも閉幕だね。

普段あまりTVを見ない僕も、スポーツの国際試合だけは見逃さない。


特に女子バレーボールは、選手の年齢も出身校も言えてしまうくらいの隠れオタク。

だから昨日は金沢のホテルで、館内に響き渡るくらいの声を上げて応援していた。

実は、僕より智子さんのほうがもっと声が大きくて、しかも発言が過激だ。

日本選手がミスをすると「何やってるの!お母さんが泣いてるわよ!!」なんて叫んだりする。

普段の慈母観音菩薩とのギャップがたまらない。



先日の講演会で、質問をくれた女性がいた。

「テレビの座談会で、マラソンの有森選手が、『日本選手はもっと欲を持たなければいけない』というような発言をしていたけれど、有森さんは間違っていますか。欲は持たないほうがいいわけだから」


有森選手と聞いて、ガブちゃんを思い出したが、そんなことはどうでもいい。


こういう質問が出ること自体が面白い。

精神世界に触れると、誰もが一度は嵌る罠だから。



暴力はいけないからと言って、ボクシングの試合前にリングに上って行って、闘志満々の選手に向って


「暴力はダメだ。話し合えばわかるはずだ」


あはは、ここまでする人はいないね。



いつも言うように、教えの言葉というものは、その文脈の中で初めて意味を持つものであって、一言を抜き出して持ち運んだら、全くのナンセンスだ。

スポーツ選手から欲や闘志を取ってしまったら、サイダーから泡を取ってしまうよりもっと味気ない。

勝とうとして意欲を発揮し、切磋琢磨する中で道を究めていくのがスポーツだし、その姿は理屈抜きで美しい。


有森さんの話は完全に的を射ているし、その道を究めた人の素直な発言だと思う。

彼女の偉業は、もっと高く評価されていいと思っている。



ただし例外もある。

武道を究めた人たちは、試合の中で、勝ちたいという欲を捨てることが勝利につながると説く。

もちろん彼らも、勝つための最大限の努力をしてきている。

それが試合に臨んだとき、無欲に徹し自然体であることで、己の中にTAOのエネルギーが流れ、戦わずして勝つという極意を体得したわけだ。

前に紹介した、極真空手世界チャンプの田中健太郎君も、同じことを言っていた。


最初から欲を否定してしまっては、何も始まらない。

僕たちのような普通の生活をする者も、まずは欲を生き切って、それを超えた境地を知るに至るのだと思う。


精神霊的な成長をするためには、「こうあるべきだ」という先入観は、時として遠回りになることを覚えておいたほうがいいだろう。


悟った人や目覚めた人はこういう人だという勘違いも蔓延していて、それがいまの自分自身を受け入れる障害になっていたりもする。

まだ自分には、こんな面が残っているから悟りにはほど遠いというわけだ。


悟った人たちは、感情が平坦になり、いつも口元に微笑みを浮かべて、静かに暮らしているなんて、それはマンガみたいな話だ。

彼らはただ、自分自身になったのであって、こういう形という枠にはハマらない。


欲を否定してはいけない。

まずは、こうあるべきだという観念を捨てて、いまあるがままの自分を生き切ること。

自分の考え方や生き方に対して、執拗なジャッジをしないで、それも自分(人間)の一部として認めること。


もっと普通に生きたらいいと思う。






それにしても昨日の女子バレーボールは燃えたね。

韓国選手もかっこよかったし、やっぱりスポーツ選手は美しい。


コートの中での彼女たちの美しさは、どんな女優もかなわない。

あれは、自分という意識を無くして、やっていることに成りきっているからこそだと思う。


「テレビカメラが私を撮っている、いま全国のファンたちが、私の雄姿を見ている」なんて考えて、カメラ目線かなんか送っていたら、あの美しさは出ないだろう。



今回のオリンピックで目立ったのは、日本女性たちの活躍。

なんだか、これからの時代を象徴するような出来事だったと思う。


これからの世の中が、男性を淘汰して、女性の時代になるというのではなく、女性が、男性社会の中で封印させてしまった野生のエネルギーと、野性的直観に対する誇りを取り戻して、社会を変えていく原動力になるというもの。


原発、環境破壊、戦争などの、地球規模の問題はすべて、男性中心の社会が作り出してきたもので、その解決は男性ではなく、この先の女性の力に依るところが大きいと感じている。


その動きは、日本から始まるような気がしてならない。








   

  


Posted by Toshiro Abe at 08:24Comments(97)

2012年08月11日

放浪記 13

就職してからの2年間は、ただ生きていたわけじゃありません。

なにしろ自分の中には、それまでの自分とは全く違う何かが芽生えていたからです。


この現象界は色鮮やかに迫ってくるけれど、本当は何ひとつ起きちゃいない。

本当の自分は、違う次元に、この現象の奥の奥に鎮座している。


いつもそんな感覚を持っていました。

それはいまも変わらずありますが、当時は、そんな感覚を持ちながら生きるということに、あまりにも未熟だったように思います。

未熟というよりは、生きることをおろそかにしていたということでしょうか。



超リアリティの次元を一旦味わってしまうと、起きていることにあまり興味が持てず、何がどうなっても同じことという感覚になります。

同じことだから、どうにでもなれという、危なっかしい考えにさえなります。



運よく快適な仕事に恵まれ、実績もほどほどに付いてきましたが、自分の力の半分も使っていませんでした。

心ここに在らずとはよく言ったもので、表面では人に合わせながら、その実、まったく違う次元を生きていることに重きを置いていました。


良いも悪いもなく、上も下もない。

みんなが大騒ぎしていることは取るに足らないことばかりで、結局は移り変わっていくものばかり。

いまはお金が必要だから、そういう勘違いに付き合ってあげるけど、みんなが追いかけている先には何もないんだよ。


僕の話を聞いてみないか。

根本的な幸せにつながる道を教えてあげるから。







新曲の打ち合わせだろうが、レコーディングだろうが、伝えたいことを伝える隙を、いつもうかがっていました。


最初のころは乱暴で、

「いい?よく聞いてよ。実はね、僕はあんたなんだよ」


これはいけません。

ただの変な奴です。



それがだんだんと、こなれてきて、

「みんな人の目を気にしているけど、人は思っているほどこちらのことなんか関心ないんだよね。みんな自分の事に一番関心があるんだから」

とか

「人は誰でも、自分が正しいと思っているから、反対意見をぶつけても不毛だよね」


そんなきっかけから始めると、話に興味を持ってくれる人が現れます。


そうやって、何人かの仕事相手が、僕の話を聞いてくれるようになっていきました。



徳間の荒巻くん。

レコーディングが終わって深夜、よく僕の家に来て、そのまま明け方まで話を聞いてくれたよね。

あるとき君が

「天国って自分と似た人がたくさんいる場所で、地獄は全然違う人ばっかりだそうですよ」

って言った言葉、そのとおりだと思ったよ。



キティの及川くん

長年インドに暮らした経験があった君は、一緒にいていちばん楽だった。

「僕は60歳になったらロックバンドをやるんだ」

って言っていたね。

その時はバカバカしい話に聞こえたけど、僕もその年齢に近づいてきて、君が言っていたことがわかるようになってきた。

もしかしたら、僕がそれをやるかもしれないよ。



コロンビアの内田くん。

僕の話に興味を持ってくれて、霊能者の女子中学生をデビューさせようって誘ってくれて、彼女の家に行ったよね。

僕は霊能者とか超能力者とか、あんまり興味がなかったんだけど、一緒にやりたいって言ってくれて嬉しかったよ。

同じ少女でも後藤久美子のレコーディングはハラハラものだったね。

考えてみればあのころ彼女まだ12歳でしょ。

それが50がらみの所属事務所の専務に

「唄うの嫌いだって言ってんだろ!」

って、持っていたカバンで専務の頭をバ~ンって(笑)

いま思えば、大人たちが金儲けのために自分をいいようにしているのが許せなかったんだろうね。



東芝の田中さん。

あなたが一番熱心な聴衆だったよ。

「なるほど、なるほど」って、聞き上手だったね。

僕は聞いてくれるのが嬉しくて、いつまでも喋っていた。

あなたが、「そろそろ帰る」って言うと寂しくて、

「ちょっと待って、これからがいい話だから」って、ずいぶん引き留めたよね。

田中さんはヒットメーカーで、僕もいろいろ勉強になったよ。



みんな元気かなぁ?

僕は相変わらず、同じ話をしている。

でも聞いてくれる人がたくさん増えたよ。

また会いたいね。




いい2年間でしたが、その仕事を辞める決心をしたのも、起きたことだと思っています。


「起きることが起きる」


この言葉は、自分の意思や選択も含めてのことなのですから。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(38)放浪記

2012年08月10日

放浪記 12

日を追うごとに、仕事の立場がますますよくなっていき、レコード関係者らが日参してくるようになりました。

気づき体験がなかったら、完全に勘違いして有頂天になっていたかもしれません。


一方で、上司に媚びを売っている人たちが、陰に回ればその人の悪口や、見下したような態度をとっている現場を四六時中見てきました。

もちろん僕に対してだって同じことをやっているのは見え見えです。


「みんながブッダなんだけどな」


やっぱり娑婆(シャバ)は疲れると思うようになるのに、時間はかかりませんでした。

あのころボブさんの瞑想を知っていれば、どんなに救われたかと思います。



そんな生活を2年くらい続けたある朝、突然、耳元で声(?)がしました。


「もういいよ。『七』」


たった一言だったのですが、それまでも、ここぞという時に聞こえてくる声だったので、僕を突き動かすには十分でした。


前半の意味はすぐにわかりました。

たいていの場合は、その短い言葉の背後に、立体的に意味が説明されています。

この時は、もういまの仕事は辞めて、本来の役目に進んでいいよというメッセージでした。


しかし後半の『七』の意味がわかりません。

「かんながら」に記すことになる「七つの鍵」の事だったかもしれないし、あるいはいつも気になっていたオリオン星座の星の数か、それとも「七福神?」


とにかく、もう辞めていいという許可をもらった気がして、晴れ晴れとした気持ちになりました。







さて、何をしたらいいんだろう。

人の目覚めにつながる活動って何だろう。


そうだ、富士山で喜多朗のコンサートをやってみよう。

そしてヘリコプターを飛ばして、上空から大麻のジョイントをばらまいたらどうなるだろう。

きっと価値観が変わる者たちが出てくるはずだ。


そのあとはどうなるだろう。

きっと僕が捕まるだろう。


そうなったら裁判の中で、いまの世の中が狂っていることを訴えて、本来の人間としての在り方や、新しい文明が到来することを宣言しよう。


いやいや、そんなことをしても無視されて、単なる狂人か犯罪者扱いだろう。

やっぱり駄目だ。



いままでも新興宗教の教祖や霊能者の本を読み漁ってきたけれど、どれも子供だましだった。

でもこの広い日本のどこかには、僕と同じ体験をしている人が必ずいるはずだ。



そうだ!こちらから旗を振ってみよう。


バンドをこしらえて、彼らに真理そのものの歌詞を歌ってもらおうか。

音楽は多くの人に届く可能性を持っている。

その中には、「おっ、同じこと感じている」っていう仲間が出てくるかもしれない。


まずはそこから始めてみようか。



実はこのときの思いつき(?)は、とんでもない困難に向かう入り口でした。



でも人生無駄なし。


灼熱地獄に焼かれたおかげで、多少は人間としての磨きがかかったように思います。


なにより、精神世界と現象界のバランスを持って生きることを学べた期間になりました。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:14Comments(71)放浪記