2011年06月30日

いま思ったこと

人生は夢のようなもの。

いや、実に人生は夢そのものだ。


幸せそうな人生も、どん底の人生も、過ぎてしまえば単なる夢だ。

人々から尊敬を集める人生も、泥棒になって刑務所を往復する人生も、同じ夢にすぎない。

どうせ見るならいい夢のほうがいいけれど、目覚めてみればたいした違いはない。



でもひとつだけ言えることがある。


人生に目的があるとしたら、いかに夢から覚めるかということだろう。

夢の中で奮闘してきた時間を、夢から覚めるために使うこと。

そもそも時間はなんのためにあるかと言えば、時間を超えるためにある。

夢はなんのためにあるかと言えば、夢から覚めるためにある。



何万年も見続けてきた夢も、目覚めによって一瞬にして消え失せてしまう。

それが禅のアプローチだ。



目覚めた後はどんな生活が始まるのだろう。

これに関しても禅は見事に表現している。



「彼は目覚める前、木を切り水を運んでいた」


「彼は目覚めたいま、木を切り水を運んでいる」



傍目からは何も変わらないように見える。

でもその内側は完全に変容している。

彼はただ、いまを生きている。




自分がいま見ている世界が真実ではないことを忘れないこと。


心の内奥の核に意識を落とし、その静寂の中でくつろぐこと。


一日に何百回も、そのように心がけること。



そうすれば、目覚めた意識に触れるだろう。

それはいつも「いまここ」にある。




今日も思いつくまま、つらつらと書いてみました。




え?パンツ穿いてるかって?




これから穿きます。








     


Posted by Toshiro Abe at 09:49Comments(73)

2011年06月28日

たったひとつの目的

昨日の朝日カルチャーの横浜講演会、来てくれてありがとうございました。

初めて僕と会う人が多かったですね。

もし昨日の講演会がなければ、一生お目にかからない人もいたことでしょう。


元はと言えば昨年の暮れ、翻訳家の山川夫妻のパーティーに行ったことで今回の講演会開催につながったのですが、パーティー嫌いな僕があの場にいたのは他ならぬ山川夫妻の会だったからです。

もしあの時行かなかったら、昨日会った多くの人とも会えなかったわけで、人生には「もし・・・」はありません。


いま起きていることも、いまあなたを取り巻くあらゆる状況も必然であり、その背景には大きな理由があります。

あなたが大いなる存在とひとつになるために、最終的な一押しに繋がるために、いま必要なことが起きているのです。


たとえそれが満員電車に乗ることであれ、ルーチンワークをすることであれ、全部そこに向かっています。

そのシナリオは完璧です。

いつどのタイミングで誰と出会うのかもすべて決められていて、完璧です。



シナリオを描いたのは誰でしょう。

それは大いなる存在そのものですが、実は一番深い場所のあなた自身でもあるんです。


よく、自分の両親を自分で選んで生まれてくると言いますが、その際の自分というのは、いま感じている自己ではなく、大いなる自己のことです。


大いなる自己を「神」と呼びましょうか。

神の目的は一つで、神と分離した魂(実際には分離したと思い込んでいる魂)が、それぞれの機が熟した時に、もう一度内なる神に気づき、神とひとつになること、それだけです。


それが宇宙の仕組みです。

神だの宇宙だの、つい大げさな表現になってしまいますが、早い話が、魂が故郷に帰るという感じです。



で、何を言いたいのかというと、あなたの人生は、たとえいまどのように見えようともそれで完璧だということ。

悠久の宇宙的な時の流れから見れば、今生で不慮の死を迎えることさえ必要で起きているということです。


このシナリオには失敗はないんです。


だから安心して心のままに生きてください。





いま東京の部屋から書いています。

パンツを履きたいのに、新しいパンツがどこにあるのかわからないのも完璧に決められていたことです(涙)








   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:01Comments(140)

2011年06月27日

宝のありか

不思議だなあ。


なぜ僕たちは内なる宝を無視して、外側の世界を探し回るんだろう。

そのありかは、自分の中だというのに。


世界中のどんな神聖な場所にも無いし、どんな偉大な教師も与えてくれない。




ある男が、何十年間も家の外で探し物をしていた。

どうやら宝石を失くしたらしい。

庭の雑草をかきわけ、土を掘り起こし、時には隣の敷地にまで及んだ。



見かねた通行人が聞いた。


「いつまで探しているんですか。もしかしたら家の中にあるのでは?」


すると男は言った。

「そんなことは私も知っている。でもね、家の中は暗くて見えないから、明るい所を探しているんですよ」




家に戻っておいで。

どこにも行く必要は無い。


すでに宝は自分の家にある。

それは一度も失くしたたことがないし、これからもずっと自分の物だから。


ちょっと暗闇に目を慣らせばいい。

すると宝石は、そこにある。


外側に向いていた意識を、内側に向ける。

それが瞑想だ。


失くしたつもりになっているだけで、決して無くなりはしない。

このことは、あらゆる人にとっての最大の救いだ。


人生に失敗はない。

たとえ今日死んだとしても、内側の宝が消えることはないから。


その宝に比べたら、人生で得るものなど張子細工のようなもの。

僕たちはすでに持っている本物の宝を無視して、外側のイミテーションをかき集めているんだね。




さて、そろそろパンツでも穿くか。


これから飛行機に乗って東京に行くんだ。



今日もいい日でありますように。








   





  


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2011年06月26日

風のたより

いま、向和尚と二人で本を書いています。

向さんは最近まで大本山の要職にありましたが、無位の一僧としてメッセージを伝えたいとの思いから、本山からの要請を辞退されて、自由な活動を始めました。

向さんは15年ほど前に、一緒に「いまここ塾」を立ち上げた仲間で、拙書「随(かんながら)神」にも登場する禅僧です。


今日は、そんな向さんの言葉に触れてみてください。

とても分かりやすく書いてくれています。


風のたより


もしお時間がありましたら、一言でもコメントを残してあげてください。

書き手にとっては、あなたのわずか一言でも嬉しいんです。






みなさんが心安らかでありますように。







     


Posted by Toshiro Abe at 09:28Comments(62)

2011年06月25日

がちょ~ん

「あなたはすでに『それ』だよ」

と言われても

「それじゃ、どうやって『それ』を知るのか」

となりますね。


その答えは

「あなたはすでに『それ』だよ」

です。


この堂々巡りから少しでも抜け出るために、何か書いてみますね。



「どうやって『それ』を知るのか」

と訊ねているのは誰ですか?

『それ』を知りたいと言っているのは誰なんでしょう。


「そうか、いったい誰なんだろう」

と考えたとしたら、それを考えているのは誰ですか?


あらゆる思考が生まれ出る源があります。

その源が『それ』です。


『それ』はいつも、かくれんぼをしています。

しかもその姿を隠していません。

隠していないのに、僕たちが違う方向ばかり探しているので、決して見つからないのです。

探しているものが、探していた張本人だったなんて、これは冗談中の冗談です。


だから見つけたときは大笑いします。

まさに「がちょ~~ん」です。

宇宙はなんて馬鹿げたゲームを仕掛けたのかと。



しかし見つけるまでは、この冗談はちっとも可笑しくないんですよ。

早く「がちょ~~ん」って笑えるといいね。



人生そのものが冗談です。

通常は、独りよがりの思考が織りなすシリアスドラマになっています。


ところが、『それ』に気づけば喜劇になります。

その時初めて、「なんでもOK」という言葉が理解できます。




ありゃ、時間がなくなっちゃった。

それじゃ、出かけてきます。





それではご一緒に









「がちょ~~ん」






   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:48Comments(68)

2011年06月24日

続・ホンダラッタホーイホイ 

『それ』は1mmほどの距離もなく、いつもあなたと共に在ります。

あまりにも近すぎて見失ってしまった真実。

いままでに一度も失われたことがないゆえに認識できなかった真実。

もしその真実を、人生の中でわずか一瞬でも垣間見ることができれば、あらゆる苦悩は跡形もなく消えてしまうことでしょう。


これは思想ではありません。

これは理想ではありません。


シンプルな事実です。


すると、ある人は言います。

どのようにしてその真実を獲得するのかと。


「どのようにして」

この言葉を発した瞬間、真実との距離が生まれ、取り逃がしてしまいます。

すでにあなたは『それ』なのです。


この真実をどう伝えるのかが、長年のテーマでした。

言葉は常に間接的であり、しかも聞き手の解釈に委ねなければなりません。


言葉で伝わらないことは百も承知です。

でも伝えることしかできないから伝え続けています。


安心してください。

『それ』は決してあなたから奪われることはありません。

あなたは決して『それ』を失いません。

『それ』こそが、あなた自身だからです。



一つ山越しゃホンダラッタホーイホイ

も一つ越してもホンダラッタホーイホイ

越しても越してもホンダラホダラカホーイホイ 


そのとおり、どこまで行っても、人生はホンダラッタホーイホイで、どこにも行き着きません。

最初の山を越える前のホンダラッタホーイホイと、無数の山を越えた後のホンダラッタホーイホイは、まったく同じホンダラッタホーイホイです。

それを見抜けば、山越えに費やしていたエネルギーが内側に向かっていきます。

内側の核が『それ』です。



『それ』に到達したあと、どのような人生が始まっていくのでしょう。

神と道連れのホンダラッタホーイホイが始まります。

圧倒的に気楽なホンダラッタホーイホイです。

全部彼(神)がやってくれるからです。



失敗の人生などありません。

生とは途方もなく美しいものだということを、誰もが必ず知ることになります。


誰もが祝福されています。






   



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7月名古屋講演会は受付を終了しました。

お申し込みありがとうございました。




  


Posted by Toshiro Abe at 10:42Comments(99)

2011年06月23日

ホンダラッタホーイホイ

これからも人生には様々な問題が付きまとうことだろう。


目の前の問題が終われば、また次の問題が顔を出す。

それは決して終わることはない。




一つ山越しゃホンダラッタホーイホイ

も一つ越してもホンダラッタホーイホイ

越しても越してもホンダラホダラカホーイホイ 

どうせこの世はホンダラッタホーイホイ

だからみんなでホンダラッタホーイホイ


ホンダラ行進曲



すごいな、この曲は。

まさにこの世の真実だ。




でも、この世の真実を超えた真実もある。

それはあらゆる問題の根っこを断ち切る真実です。

明日はその話をしてみます。



とりあえず今日のところは、ホンダラッタホーイホイだ。



さ、それではみなさんご一緒に



ホンダラダ ホンダラダ ホンダラホダラダ ホ〜イホイ ♪

ホンダラホダラダ ホンダラホダラダ ホンダラホダラダ ホ〜イホイ ♪

ホンダララッタ ホンダララッタ ホンダラホダラダ ホ〜イホイ ♪








   



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【講演会のお知らせ】


名古屋 7月3日(残り席僅かです)

金沢  7月18日


詳細は上記都市名をクリックしてください。

7月東京、7月大阪は受付を終了しています。


6月27日の朝日カルチャーセンター横浜講演会は、電話予約ができます。

045-453-1122  


Posted by Toshiro Abe at 10:00Comments(50)

2011年06月22日

逃げるな!逃げろ!

昨日のいまここ塾の帰りに、一人の女性が話しかけてきた。

ずいぶんやせ細って、疲れきっているのがすぐに見て取れた。


会社でイジメにあっているのだそうだ。


いろいろ話を聞いてみると、職種自体がストレスに晒されるものだった。

おそらくは職場の仲間もみんな、大きなストレスを抱えているのだろう。

会社がその責任を取ることはない。

一番大変なことを使い捨ての社員に任せ、結果は自己責任というわけだ。


その社員のストレスのはけ口が、犠牲のヤギに集まってしまった。

彼女のとった行動がその原因だと言うが、それはただのイジメの口実だ。

イジメる対象が必要なだけだから。



彼女はどのような心の持ち方をすれば、この苦しみを乗り越えられるか聞きたがっていた。

どのように考え、どう行動したらいいかと。


僕は言った。


「辞めたら」



彼女はあっけにとられていた。

「は?そんな簡単でいいんですか?」



「僕なら辞めるよ、その会社」



「でも、自分に乗り越えられない試練はないって聞きました」



そのように言う彼女は、すでに精神も肉体も限界まで憔悴し切っていた。

病気になるのは目に見えている。


周囲や社会から教えられた「負けるな」という教えを信じ、苦しみの中に身を置いている人のなんと多い事か。

なぜ自分の直感を信じないのか。

すでに心身はSOSを出していると言うのに。



「まずは自分を大切にしてあげなさい。あとのことは何とかなるよ」


その言葉を聞くと急に彼女の顔に光がさして、涙が溢れ出した。


「とても楽になりました」




どんな真実の言葉も、たんなる言葉に過ぎない。

人並みに生きたいと思うあまり、教育によって身に付けたスローガンを大切にして、自分の心の声をおろそかにしている人がいる。

いろんなケースがあるので一概には言えないが、もっと心の声を信じて、自分を大切にしてあげたらいいと思う。




真実の言葉は無数にあり、それらは互いにあい矛盾する。

そのうちのひとつを後生大事にして生きるのは片手落ちだ。


「困難は自分を成長させるチャンスだから、投げ出さずに立ち向かうべきだ」


「自分を大切にして、困難は回避しよう」


「逃げてはいけない」


「逃げるが勝ちだ」




僕が大切にしているものは、自分の直感だ。

それは、社会通念と真逆な時も多い。

しかも、その時その時で、矛盾することもある。


でもこれからも、直感の赴くままにいきていくことだろう。




なんとかなるんだなあ、これが。





   


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今夜19時半から那覇で水曜の会あります。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:53Comments(114)

2011年06月21日

脱ごうよ

夏は好きだ。

裸でいられるから。

衣服を脱ぐとせいせいする。

裸で暮らせるものならそうしたいくらいだ。



人間だけが服を着る。

人間だけが自然との接触を断ち切るかのように。



寒いときは服が役に立つ。

でも暑い日にまで、なぜ服を着るのか。


きっと人は、服と共に社会全体を身にまとうのだろう。

服は社会そのものだ。



社会を脱ぎ捨てよう。


そして裸になって街に飛び出すんだ。



行き先は・・・




たぶん・・・




警察か病院になるだろう ( ̄  ̄;)



社会は裸を許さない。

神から与えられた身体は、汚らわしいから隠しておけと言わんばかりだ。




でもせめて、心は裸でいたいものだ。

悔やんだり、笑ったり、優しかったり、冷たかったり、包み隠さぬ自分でいよう。

臆病で、怠け者で、エッチで、傲慢で、ええかっこしいだけど、世界が平和であればいいと考えている。




僕たちはいつだって、あたりまえの人間だ。

あたりまえの自分にしかなれない。


いったい誰になるって言うんだ。


いいとこ半分、悪いとこ半分、どっちも半分、誰にでも半分。

どこまで行っても同じこと。


「聖者」とは、人のイマジネーションの産物で、会ってみれば普通のオッサン、オバハンだ。

伝説の中でのみ、聖者は存在することができる。



本物の聖者なら、正直にこう言うだろう。


「私は普通の人間です」ってね。





誰だ?そこで凄い人を演じているのは。


バレバレだよ、だってあなたは僕なんだから。









さてと、そろそろパンツでも穿くか。






   


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【お知らせ】


6月27日 朝日カルテャーセンター(横浜)

阿部敏郎講演会

詳細とネット申し込みはコチラから。

電話予約・お問い合わせは045-453-1122まで。

  


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2011年06月20日

生きるということ

昨日の東京講演会で質疑応答のとき、ふと心をよぎったことがあった。

「いまここ」や「目覚め」について、たくさん語ってきたけれど、もしこの人生で究極の気づきが必要なら、それは然るべき時に起きるだろうし、必要でなければ起きることはないだろう。



1年くらい前までこのブログにコメントを残してくれた、ターコイズブルーという沖縄女性。

まだ30代の彼女は、米軍基地内の洗濯屋で働いていた。

女手一つで2人の子供を育て、いつも明るくて魅力的な女性だった。

彼女は沖縄のいまここ塾やライブコンサートの常連で、いつも前のほうに座っていた。



彼女に癌が見つかったのが2年前。

本人は回復を信じて、抗がん剤でボロボロになった後も、幼い子供たちのために最後まで生きる望みを捨てなかった。


壮絶な闘いの後、最後に彼女が子供たちに言った言葉がある。

「お母さん頑張ったよ。お母さん頑張ったよ。私は頑張った!!」


それは悲痛な声ではなく、むしろ明るく力強い言葉だったそうだ。



彼女は生き抜いた。


存在の真理についても深い理解を持ち始めていた。

彼女に究極の気づきがあったかどうかは知らない。


でもそんなことは問題じゃない。

彼女は自分の人生を生き切ったのだから。



僕は、彼女は人生に成功したと思っている。

成功とは、長生きすることではなく、子育てすることでもなく、金を得ることでも、名声を手にすることでもない。

成功とは、自分らしさをイキイキと生き切ることだ。


そして状況がどうであろうと、そこに向かって前向きに生きることだ。

その姿勢こそが、人生の成功だと思う。



昨日の講演会の最中に、自分が発信するメッセージに対する洞察があった。

現象界を超えた、もう一つの現実がいつも「いまここ」にあることを伝える一方で、聞く耳を持ってくれた人たちの、人生の応援団長になりきろうと思った。



人はみな、独自の宿命を持って生まれてくる。

誰一人として同じ人生はないし、人と同じである必要はないし、人との比較など全く意味のないことだ。



僕には僕の人生がある。

人が自分自身を受け入れ、自分らしさをイキイキと生きられるような、そんなメッセージを伝えていこう。

あらゆる方便を駆使して、矛盾するあらゆる角度から、エールを送っていこう。


そして人生の最後に

「私は生き切った」

と笑顔で言えるように。




いまから沖縄に帰ります。

明日はターコイズブルーがいると思って、いつもの会場でいまここ塾を開催します。









     


Posted by Toshiro Abe at 10:03Comments(111)

2011年06月18日

先延ばししないで

昨日のみなさんのコメント、すごいなあって思いながら読ませてもらいました。

僕はこうしてブログを書いているけれど、ここに来てくれる人の中には、存在への深い理解に達している人が大勢いますね。

いつもありがとうございます。



さて今日は、また違った観点から書いてみます。

よく、「目覚める」って言いますが、何に目覚めるのかという話です。


このことについてはたくさんの表現が可能ですが、その一つは「過去から目覚める」ということです。


この場合、過去という言葉は、起きてきた客観的な出来事を指しているのではなく、自分という人間を決めてきた、数多くの印象のことです。

うまく伝わっていますか。


そもそも、自分だと思っている人物像は、過去の記憶の束の様なものです。

何をやってきたか、何を考えてきたか、あるいは周囲が自分をどう扱ってきたかという記憶です。


ところがそれらの記憶が、頭の中にあるだけの幻影に過ぎないと見抜いたとき、たちどころに、自分だと思っていた自己像が消えます。

そして誰でもない自分が現れます。


その誰でもない自分は、あるがままで完璧であり、神性を帯びていて、何一つ欠けていません。

その事実が、根底からの変容をもたらします。

それが目覚めと呼ばれる体験です。


ただ単に、事実を見るだけ。

その事実を見れば、もはや自分は過去ではなくなっています。



さて、それではいつ目覚めるのか。

もうわかってますよね。

いま以外の時間は存在していないことを。


一瞬たりとも先延ばしする必要はありません。

いまがその時です。



これからもあなたの心のドアをノックしていきます。

鍵を外しておいてくださいね(^o^)






   


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【お知らせ】


7月東京と大阪のいまここ塾(ソロ講演会)は、受付が終了しました。

名古屋と金沢は受付中です。

沖縄は6月21日(火)、中城村で開催します。


名古屋 7月3日(日)

金沢 7月18日(祝)


詳細は上記都市名をクリックしてください。



  


Posted by Toshiro Abe at 09:09Comments(93)

2011年06月17日

ケ・セラ・セラ

時々、ふと感じる。

荒唐無稽な発想だが、とてもリアルに感じるんだ。



言葉にすればこういうことだ。

「起こることは、あらかじめ全部決まっている」



46億年前、大量のガスを含んだ微惑星が衝突を繰り返し、原始地球を創りだしていったそのプロセスには、1mmの誤差もなかった。

ある大いなる目的のために、粛々と何かが起きてきたんだ。


当然、あらゆる人のあらゆる行為も、あらゆる思考も、あらゆる感情も、それら同士の関わりも、その結果も、全部決まっている。


それだけじゃない。

路傍に咲く花の本数も、枯葉が舞い落ちる場所も、何から何まで寸分の狂いなく決められている。


僕らは自由意志で生きているつもりでいるが、実際は配役が決められたロボットみたいなもので、宇宙遊戯の一端を担っているだけ・・・・・だとしたら嬉しい?悲しい?




ケ・セラ・セラ







     


Posted by Toshiro Abe at 09:49Comments(119)

2011年06月16日

実践

昨日、3月に行われた比叡山での講演がご縁になり、天台宗の出版物を扱う編集長さんが、はるばる我が家を訪ねてくれました。

本山が発行する小冊子の巻頭(正月号)に、僕のインタビューを載せてくださるとのことです。

その中で「人間関係の難しさから、多くの人がストレスにさらされている」というお話がありました。



最初に理解すべきは、各々が、マインドが創りだした世界の中で生きているということです。

マインドには多くの意見、信念、観念があります。


似たような世界を持つ人は仲間になり、違う世界を持つ人は敵になったり、訳のわからない人になったりします。

しかしそんなわけのわからない彼らも、同じようにこちらを見ています。

このことを徹底的に自覚すれば、他者の意見に過剰反応することはなくなり、自分の意見を納得させようとする衝動も消えていきます。


必要なことは人々の意見や信念を統一させることではなく、まずは自分自身が意見や信念の世界を超えることです。

マインドを超えるのです。


違う言い方をすれば、「考えない練習」であり、いまここに対する感受性の訓練です。

ここまで理解できたら、次は実践です。

マインドの世界は生活する上で必要なので、まったく使わないというわけにはいきません。

しかし問題となるのは、多くの人がマインドの世界に埋没していることです。



2~3時間くらいをひとつのめどにするといいでしょう。

そのたびに30秒間でもいいから、いまここに戻ってくることです。

やり方は何度か紹介したストップ瞑想がいいでしょう。


他のやり方としては、目の前の何かをじっと見つめて、判断せずにただその対象と共にあろうとすることです。

対象は何でも構いません。

観葉植物でも、机でもいいんです。

人間のマインド以外はすべていまここに在るので、探すのに苦労はしません。


プラス朝晩30分間、瞑想習慣を持つに越したことはありません。

それによって正気を保つことが可能になります。



マインドの世界は、分離、判断、正当化、攻撃、防御が主体となり、不安や恐れを作り出していきます。

神経症になるのは必至です。


相手を責めたり、自己反省したりする前に、それらの判断の基になっている根っこを超えるのです。



また忘れたら、このブログのどこかを読んでみてください。

そして力を抜いて、安心感を取り戻すのです。



すべての魂は、最初の最初から救われていて、これからも永遠に愛の懐の中に在ります。


だから今日も伝えておきますね。


「大丈夫だよ(^o^)」








   


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【お知らせ】


7月東京と大阪の講演会は、残り席が少なくなっています。

お申し込みは以下の都市名をクリックしてください。


名古屋 7月3日(日)

大阪 7月10日(日)

金沢 7月18日(祝)

東京 7月24日(日)
  


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2011年06月14日

忘却のゲームが終わるとき

毎度ワンパターンだけど、僕たちはすぐに忘れてしまうから、今日も繰り返し伝えておくね。

理解すべきポイントはひとつだ。


「あなたには、とてつもない価値がある。

あなたがいなければ、この宇宙さえ存在できない

だってあなたは宇宙そのものだから」



そんな価値ある僕たちが、「自信がない」なんてレベルまで自分を貶めてしまうのは驚きとしか言いようがない。

無限の宇宙である自分を、わずか百数十センチくらいの容器に押しこめて、その容器を自分だと思っているのだから、これまた驚きだ。



でもね、このような勘違いから解放されたときの喜びは、とてつもなく大きい。

それを知っているから、その喜びのために、わざと自分を騙して苦しんでいるというのは、当たらずとも遠からずだ。


本当は心の底で、だれもが宇宙の真実を知っている。

でもそれをいますぐ思い出してしまったら面白くない。

だからこうやって忘却のゲームを、苦しみながらプレイしているのかもしれない。




黒斎クンも言っていた、「人間はみんなマゾだ」って。




そうかも(´。` ) =3







ま、いいか


これからも繰り返し伝えていこう。

スピ界のワンパターンブログと言われるくらいに。


最後の決め台詞はこれだ。


「え~い、ひかえい、ひかえい。

本当のあなた様をどなたと心得る。

畏れ多くも、天下の大宇宙様におわせられるぞ。

え~い、頭が高い、ひかえおろう。」




現代語訳

「あなたには、とてつもない価値がある。

あなたがいなければ、この宇宙さえ存在できない

だってあなたは宇宙そのものだから」





今夜帰国します。


そろそろみんなで思い出すとするか。







   


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【講演会のお知らせ】


名古屋 7月3日(日)

大阪 7月10日(日)

金沢 7月18日(祝)

東京 7月24日(日)


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2011年06月13日

Oh My God!

昨日、突然のスコールの後、空に大きな虹がかかった。


虹は、祝福の印のようだ。

「覚えてた?祝福されてることを」みたいな。


本当は虹だけじゃなくて、水も、空気も、陽の光も、木々の緑も、ありとあらゆるものがその印として目の前にあるんだけど、いつもあるから当たり前になってしまって、天の恩寵を忘れてしまう。

そして、自分の力で生きているような気になってしまう。


本当は、僕らは生かされているんだ。

水も、空気も、陽の光も、必要なものはみんな与えられているのであって、獲得したものじゃない。


一瞬も欠かさずに、僕たちを生かしている力がある。

おそらくはその力を「神」と呼んだのだろう。




人は魂の成長と共に、信じる力を成長させていると思う。

何を信じる力かと言えば、


神(宇宙)が、自分の味方であること。

神(宇宙)が、いつも全力で自分を支えてくれていること。

完全に守られていること。

いままでもそうだったし、これからも永遠にそうだということ。

そして、神(宇宙)からの100%の恩寵を受け取る資格が、自分に100%あるということ。


特に最後の一行は重要で、結局人は、自分が許可した分だけしか受け取っていない。

もし、神が自分の味方で、自分に受け取る資格が100%あると知ったとしたら、その瞬間に人は神(宇宙)とひとつになる。

そして初めて安心するんだ。



いまあなたが、どんな苦境の中で、どんな不信感の中で生きていたとしても、あなたは限りない愛の中で生かされている。

それはいつだってあなたを援助しようとしている。

だから何の心配もいらない。

その根源の力を信頼して生きれば、人生はよりスムーズに展開していくことになる。



したがって、いま一番言いたいことは、



「アナタハ カミヲ シンジマスカ?」



なんだか牧師さんみたいになってきた。




「アナタハ カミヲ シンジマスカ?」


この言葉の重要性を、いまヒシヒシと感じている。



神(宇宙)を信頼することは、人間にとって最も偉大な力であり、それはなんと自分自身を信頼することだったんだ。


しかも、いま無条件に、誰もが自分を信頼していいときている。



なんてこった。(Oh My God!)





流れのままに。




か・ん・な・が・ら






   


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【お知らせ】


6月27日 朝日カルテャーセンター(横浜)

阿部敏郎講演会

詳細とネット申し込みはコチラから。

電話予約・お問い合わせは045-453-1122まで。



7月各地の講演会は以下の通りです。

明日からお申し込みを開始します。


名古屋 7月3日(日)

大阪 7月10日(日)

金沢 7月18日(祝)

東京 7月24日(日)

  


Posted by Toshiro Abe at 08:46Comments(68)

2011年06月11日

突然変異

本当は、ただ刻々と命が営まれていて、それが超奇跡的バランスの中で全てが同時に存在している。

その事実以外は、想念が創り出した独自の世界を個々が持ち、その中を生きているつもりになっているだけだ。



もし人類から、「所有」という観念が消えて、すべてはみんなのもので、お互い支えあいながら生きられるということを知れば、世界は大きく変わるだろう。


「所有」

この観念が世界を醜くしてきた。

地面に線を引いて、ここは誰のもの、ここは誰のものと決めてきた。

その始まりは、最初に線を引いたとか、暴力で手に入れたとか、そんなところだ。

何ひとつ誰のものでもないことくらい、ちょっと考えればわかることだが、それがわかってしまうと全部ひっくり返っちゃうから、みんなで黙りあっている。



所有という幻想の後ろには、足りないという幻想がある。

足りないから自分の分を確保しなければというわけだ。


実際にこの現代においては、生産力も、情報伝達力も、すでに何もかも整っていて、その気になれば地球上のすべての人が、バランスよく、みんなが豊かで、何不自由なく暮らすことは可能なことだ。

それ以上の何を望むだろう。

そんな世界をどれだけ夢見てきたことか。


そのような世界は、いまの世界の延長線上にあるのではない。

意識レベルの突然変異が必要だ。





大いなる気づきの連鎖が、わずかの間にひき起こることを信じています。





   


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6月27日(月)18:45~20:30

横浜の朝日カルテャーセンターで阿部敏郎講演会があります。

お申込み方法は後日お知らせします。  


Posted by Toshiro Abe at 08:50Comments(72)

2011年06月10日

無題

つい先ほどまで集中瞑想。

時間にして約30時間。

こうして書くとすごく大変みたいだけど、その間に自然と眠っているし、散歩したり、まどろんだりしているうちに、あっというまに過ぎてしまう。



パソコンの文字を打とうとすると、思考を使わざるを得ない。

思考は思考で役に立つ。

思考は道具としては素晴らしい。

しかし道具に使われてしまったら本末転倒だ。


モニター画面から視線を外すと、すぐに空(くう)が戻ってくる。



蝉が鳴きだした。


閑かさや 岩にしみいる 蝉の声


芭蕉が空(くう)の世界から俳句を詠んでいたのがわかる。

わび、さび・・・日本文化は素晴らしい。



今日はこれが限界。



また書きます。






   
  


Posted by Toshiro Abe at 13:36Comments(35)

2011年06月09日

チェンマイより愛をこめて

チェンマイでレクチャーするボブさんは、まるで水を得た魚のようです。

とても深くて気持ちいい話が、よどみなく美しく流れていきます。


瞑想にきたというのに、僕は眠ってばかりいます。

日本での活動は、ちょっと忙しすぎたかもしれません。

いい休暇になっています。




さて昨日の話。

コメント欄を読んで、みなさんの知性に感銘しました。

数年前に同じことを書いたら、もっとコメント欄は混乱したことでしょう。

罪がなければ、罰がなければ、そしてこの世に悪がないと言うなら、戦争や犯罪も許されるのかというレベルの話が多く出たと思います。

このような問いに対する答えは、過去ログに何度も書いているので割愛します。



それにしても、「そんなことをしたら許されない」という中身を、男女問題として捉えた人が多かったですね。

なぜこんなにも男女問題(恋愛や不倫)が多いのかと言えば、性というものが存在の根幹にあるので、誰にとっても切実な問題だからだと思います。

さらには、社会の仕組みや倫理が不自然な生き方を強要するので、偽善と欺瞞の中でしか生きられずに、それが多くの人の罪悪感に繋がっているのでしょう。



しかし昨日言いたかったのは男女問題だけではなく、その他にも無数に心のブレーキを持っていることについてです。

自分では当たり前になっていて、気が付かないだけです。


「そんなことをしたら許されない」という思いは、無意識の中で常に働いています。

僕たちの日常行動のすべては、自分が許可した範囲内でのことです。

自分が許可した分しか行動していません。

ルール違反さえ、自分の許可範囲で行われます。


このことは、無意識の世界のことなので、すぐにはピンと来ないかもしれません。

その許可範囲を広げることで(なぜその範囲を作ったかを理解することで)、違った人生が始まっていきます。

だからといって、犯罪を奨励するわけではありませんよ(笑)

ここで言っているのは、自分観、人生観の再検証です。



僕たちは、自分で人生のルールをこしらえ、自分でそのチェックをし、自分で賞罰を与え生きています。

何から何まで全部自分が作り出していることを、どれだけ自覚しているでしょうか。



究極的には、この世には「あなた」しか存在していません。


全部、一人で見ている夢なのです。





   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:50Comments(64)

2011年06月08日

ホントは自由

ここは時間が止まっています。

ジャングルのような緑と、さわやかな風と、鳥や虫たちの声が、別世界を作り出しています。



何かやりたいことがあるのにできない原因の中に、そんなことをしたら許されないという思いがあります。


そのような思いが観念と呼ばれるもので、僕たちは無意識にその観念を基準にして、考えや行動を決めています。

観念が理由でやらなかったことは、小さなことから大きなことまで山のようにあるでしょう。


「そんなことをしたら許されない」という思いが、ふと心をよぎるのです。



許されないというのは、誰に許されないのでしょうか。


世間でしょうか。

社会でしょうか。

それとも、悪いことをしたら懲らしめ、いいことをしたら褒美をくれるという、神でしょうか。



悪いことをすると、神が許さない。

お天道様はちゃんとご存じだ。



おお、こわっ!



実際には、神はすべてを許しています。

許す以前に、誰も罪など犯していないことをよく知っています。

そもそも、罪など存在しないことも。



神が許しているというのに、いったい何を恐れているのでしょう。

やはり心の底で、神が許さないと信じているのかもしれません。

そこから罪悪感が生まれます。




神は終わったことに興味がありません。

いまからしか見ていません。

だって、それだけがリアルなことだからです。



いま自分がどうあるのか、そしてどうするのか。

終わったことで自分を決めないで、いま、まっさらな自分として生きたいですね、



その気になれば、僕たちはどんな生き方だってできるのだから。







   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:50Comments(71)

2011年06月07日

タイの朝

昨日の晩過ぎにチェンマイに到着。

亜熱帯植物に囲まれたホテルの一室で、このブログを書いています。


朝起きて、昨日のみなさんのコメントを読ませてもらいました。

質問があったので、答えたいと思います。



>弥生さん

>明らかに人目につく肉体的病の為に積極的に生きてこられませんでした。この体の意味は何だろう?自分の体を受け入れるにはどうしたらいいのか?



本来、どのような現実にもあらかじめ内在している意味はありません。

その意味は自分が創り出します。


人生での出来事や環境は、自分の考えや感じ方をクローズアップする機会です。

と同時に、どのように感じたいのか、どのような自分でいたいのか、それを創り出す機会でもあります。


僕はこう思っています。

誰もが最終的には、自分が何者であったのかを思い出すことになると。

それをどのようなプロセスで思い出すのか、その旅に予め仕込まれた条件や要素が人によって違うので、旅の内容も違ってきます。


でもたどり着いてみれば、みんな同じ。


ハンデや苦しみの大きさは、きっかりと清算されます。

ハンデや苦しみの分だけ、喜びや豊かさが大きくなるからです。


そこにおいて、人はみな平等だと分かります。

この平等性は、旅の条件やプロセスにあるのではなく、大いなる気づき(自分が何者だったのか気づき)の中にあります。

僕は自分の経験から、そのように感じています。




>田島さん

>この間、ブログで一日の半分くらい阿部さんは空の時間があると書いてありましたが。

一日の半分を瞑想しているということなのでしょうか?

それとも、日常生活中(普通に生活していて)、雑念が入らなくなっているということなのでしょうか?




ずっと瞑想している日もあれば、日常生活の中で雑念想念を超えた状態を保っていることもあります。

一日のうちどれくらいその境地にいるかと言えば、日によっては四分の一、八分の一、ひょっとしたら百分の一、あるいは5秒くらいの日も。

ブログはその時感じたことを書いているので、きっと調子のいい日の記事だったのでしょう(笑)


自分で書いておいて何ですが、大切なポイントはどれくらいの割合でそこにいるかではなく、まさに「いま」そうであるかどうかです。

そのこと以外は、どうでもいいことだと思います。

まさに「いま」、思考が創り出した世界に住んでいるのか、目覚めて「いまここ」に在るのか。

他人がどうかではなく、自分がどうかです。




さてタイの集中瞑想、いつもながらハプニングからのスタートです。


前回は搭乗日前日に、沖縄にパスポートを忘れたことが発覚。

今回はツアコンまがいの役を仰せつかり、想定外の出来事の連続。


集中瞑想の始まりは、なぜかその人のマインドが拡大されるようなことが起きます。

マインドの拡大というのは宇宙大になるという意味ではなく、いつもフォーカスしている面や、こだわりや、独自の考えかた、やり方、感じ方が拡大してくるという意味です。

それがカルマの解放に繋がっていきます。


僕などはこのブログで立派なことを言っていますが、まだこんなのが残っていたという発見の連続です。

またここで、少し軽くなって帰れそうです。



明日もチェンマイから報告します。






   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:40Comments(43)