2009年05月31日

豊かな人生

社会が常識のように信じている価値観を、もう一度見直すことができたら、救われる人がたくさんいるような気がします。


たとえば・・・



自己実現をして、創造性にあふれ、豊かな人生を送りなさい。

本を読み、多くの経験をして、豊かな人間性を作りなさい。




「自己実現」

「創造性」

「豊かな人生」

「豊かな人間性」



誰も否定できないこのような言葉のせいで、どれくらいの人が自信を失い、自分の人生を儚(はかな)んでいることでしょう。



僕は思います。

抜きんでた人になることなんかないって。

そういうゲームに参加したら最後、行き着くところはないですから。



人生で最も崇高な行為、それは、あるがままの自分を愛すること。

立ち止まって、リラックスして、自分を両手で抱きしめてあげて、「大変だったね、よく頑張ってきたね」って、心から伝えてあげる。

そして、そのままの自分をただ愛してあげる。


条件を出さないで、理想と比較しないで、ただあるがままを愛してあげる。


そうすれば、人を愛せるようになります。

そうすれば幸せになります。

そうすれば本当の豊かさを手に入れられます。


それは自己実現だとか、豊富な経験や知識とは関係ありません。


たとえ、終世病院のベッドで暮らす人生だとしても、本当の豊かさを生きることができるのです。



なぜか今日はそんなことを思いました。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:45Comments(51)

2009年05月30日

(続) あー、幸せだな

昨日、こう宣言しようって伝えましたよね。

「あー幸せだなぁ」


誰に伝えたかったんでしょう。

もちろん幸せじゃない人にです。



人は自分を幸せじゃないと思われるのを嫌います。

だから、どんな問題を抱えていようと、心の痛みを感じていようと、外側には幸せそうな顔をするのが普通です。

みんなが幸せの仮面をつけて生きています。

そんな世の中で生きているから、人はまるで自分だけが不幸のような気がしてしまうのです。


でも大丈夫。

誰も幸せじゃないですから(笑)


僕は、この世には2種類の人しかいないと見ています。

その2種類とは、「不幸な人」と「幸せな人」じゃありません。

「不幸な人」と、「不幸じゃない人」です。


それは、世界情勢とよく似ています。

世界は、「戦争の時」と「平和な時」があるのではありません

「戦争の時」と、「戦争をしていない時」があるだけです。


戦争をしていない時と平和は違います。

平和とは、あらゆる争いと武器を放棄し、共に協調している状態です。

人類はいまだに、平和を経験したことがありません。



同様に、人類はいまだに幸せを経験したことがありません。

そこにあるのは不幸と、不幸じゃない状態だけです。


不幸じゃない人と、幸せな人は違います。

不幸じゃない人は、単に不幸が休止中なだけです。

それは一時的に思考が穏やかになっているだけで、あいかわらず思考は存在しています。

それはまたちょっとしたことで荒れ狂う可能性があります。

たとえば、会社がつぶれそうになるとか、大衆の面前で侮辱されるとか、それくらいのことですぐに動揺し、不幸になります。


幸せな人とは、思考を超えた自己の本質を感じ続けている人です。

そこにしか幸せと呼べる状態はありません。

したがって、この世には不幸な人と、不幸じゃない人の2種類がいるのです。



「幸せだなぁ」って言い聞かし、実際にそう感じるためには、思考を超えること、考えをやめることです。

しかし、これが難しい。


考えないと言うと、どんな状態を思い浮かべますか。


まずは考える人を見てみましょう。




























うーん、なるほど・・・よく考えていますね(笑)

しかも、どう見ても幸せそうじゃない。




じゃ、考えない人は?
































あはは、確かに幸せそうです。




でも、考えないことと呆けているのとは違います。


そこには不断の自覚があります。

むしろ頭は冴えわたっています。



あえて言えば
































やっぱり、瞑想は大切ですね。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:50Comments(32)

2009年05月29日

あー、幸せだな

ブログに何か書くと、必ずと言っていいほど片手落ちになっていて、そこを埋めなきゃ誤解があると思っているそばから、敏感な読者がピンポイントでそこを突いてきます(笑)

もっと熟練した読者はそんな僕の限界までお見通しで、さりげなくコメントでフォローしてくれたり、やんわりと見過ごしてくれたりします。


こうやって毎日書いていると、「僕の言葉を鵜呑みにしないで」という思いと、「僕の話を鵜呑みにしたらいい」という思いと、両方あります。

前者は言葉という道具に惑わされないでほしいからで、後者は実際に体験しないとわからないことでも、もし100%信頼して丸のみできたら、それは体験したことと同じ結果をもたらすからです。

こんなことさえ、書きながら正確に伝わっているだろうかと迷いが出てきます。



さて、昨日のカキコに「幸せになるにはどうしたらいいですか」と一言ありました。

ものすごくダイレクトな質問ですよね。


だったら僕もダイレクトに答えましょう。

「幸せだと思えばいい」

それだけです。


今のままで幸せだと思えるくらいなら苦労はしないと思うかもしれませんが、苦労しなくていいんです。

ただ思おうとするだけです。


絶対できないと言い張る人は、心から完璧に思おうとするからです。

半信半疑でいいんですよ。


「あー幸せだな」



心は足りないものを探す名人なので、なぜ今幸せでないかを訴えます。

「お金がないじゃないか!」


だったらこう言うんです。

「あー、お金がなくて幸せだな」


そして、なぜお金がなくて幸せなのか、自分で考えてみてください(笑)


僕の観察では、お金持ちよりも貧乏人のほうが幸せなこともたくさんあります。

お金を稼いでいる人は、例外なく「もっと欲しい」と思っています。

欲しいという思いは心を貧しくし、稼げば稼ぐほど心が貧しくなっていきます。

あなたより貧しいお金持ちはたくさんいます。


お金がないって、さっぱりしていて気持ちがいいなーって思いませんか。

それに、自分に寄って来る人は、金目当てじゃないでしょ?

金持ちは、自分に寄ってくる人間はみんな金目当てだと思うから、うがった見方でしか人を見れなくなります。

そんなふうに思わなくていいなんて、なんて幸せなんだろうって。


え?今月の電気代ですか?

自分が払おうと思えば払うでしょうし、払わなければそれなりに何とかなりますよ。


何ともならなければ、何ともならないなりに、何とかなりますよ。


大丈夫ですよ、どうせ死んでも死なないんだから(笑)


とにかく現状がどうであれ、「幸せだなぁ」って言ってみることです。

何度も言ってみましょう。


それに本当はね、僕たちはみんな心の底で、いつだって100%の至福を感じているんですよ。

それが僕たちの本性だからです。

だから無理やり思うのも、あながち嘘じゃないってことです。



僕の言葉を鵜呑みにできたらいいですね。



「あー、幸せだな」
  


Posted by Toshiro Abe at 08:34Comments(72)

2009年05月28日

死という幻想

まだ始めたばかりですが、那覇市「てぃるる」の和室で、水曜の会をやっています。

これは囲炉裏を囲んでお話しするような気持ちで、みなさんからの質問に答えたり、テーマをもらって話をしたりする目的で始めたものです。


昨夜は二つのテーマをいただきました。

ひとつは「死」について。

もうひとつは「時間」についてです。


このふたつには共通点があります。

それは、両方ともに幻想であること、そしてこのふたつの幻想がその他のあらゆる幻想の元になっているということです。


死を幻想だと見抜くには、生死を超えた意識を体験するしかありません。

いつも言うように、僕たちは体験したものしか知り得ないからです。

本で読んだり、人から聞いたりしても、それは単なる知識であり、自分にとって仮説の域を出ません。


生死を超えた意識の体験は、同時に時間を超えた意識の体験でもあるので、このふたつの質問は、同じひとつの体験によって答えを得ることができます。

その意識には、いまでこそ頻繁に出入りすることができるようになり、自分にとってあたりまえの次元になりつつありますが、最初にその体験が訪れた時は、そのあまりの美しさと圧倒的な喜びに言葉を失いました。

そして、それまで学んできた宇宙の真理が、真実であったことをありありと体験しました。


それはインドやチベットの覚者の言葉だったり、聖書や経文の言葉だったり、ありとあらゆる真理の言葉達が洪水のように襲いかかってきて、いましている体験がまぎれもなく宇宙真理そのものであることを証明してくれました。

「あなたが到達したとき、私は証人になろう」というキリストの言葉の意味が、まさにこのことだったと思いました。


と同時に、僕自身もキリストや仏陀の証人になりました。

彼らの存在が真実であること、そして僕たちの存在も、彼らと同じ次元に、いつも「いまここ」にあることを知りました。

生まれることも死ぬこともなく、永遠の命によって生かされていることを。



死がリアルなものに見えるのは、僕たちが肉体と自己同化してしまったからです。

自分が肉体をはるかに超えた存在だということを知れば、死への恐怖は消えてなくなります。

僕たちは死なないからです。


死こそが最大の幻想です。


僕たちは永遠に「いまここ」に存在しています。

というよりは、僕たちこそが「いまここ」なのです。




今日の最後に一休禅師の歌を紹介します。

自らの死についての歌です。



死にはせね どこにも行かぬ ここにいる

尋ねはするな ものは言わぬぞ




死という神秘を、言葉で説明しても、聞いた本人がその次元を体験するまでは意味のないことなので、どんな言葉も不要だということです。

そして彼は死んでも「いまここ」にいることを宣言したのです。


ソクラテスも同じような言葉を残していますが、それはまた別の機会に紹介します。




今日もここに来てくれて、ありがとうございました。



・・・・・・・



7月「大阪いまここ塾」の詳細です。

参加ご希望の方はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:12Comments(25)

2009年05月27日

生々流転

昨日ね、いまここ塾で思い切り宗教批判をやったんです。

タブーに鋭く斬り込むことができて、よし明日のブログはこの調子で勇気を持って全部書こうと思って、そのテンションが下がらないうちにって、夜中の3時ころまでかかって書いたんです。


これはちょっと過激すぎたかなとか、ここはしっかりと押さえておく必要があるとか、きっと信者さんから脅迫文が届くはずだとか、いつもの阿部さんらしくないなんて言われるかもとか、あーでもないこーでもないって・・・

それでね、今朝起きて読み直してみたら、どうでもいいことばっかりで(笑)


昨夜は、まるで正義の使者みたいになって頑張って書いていたけれど、何をそんなに気張っていたのか、朝になって読み返したら可笑しくてね。


昨夜の僕と、今朝の僕はまるで違う人なわけです。



やっぱり「自分」という存在は、その時々の刹那的な現象で、一貫して継続している「自分」なんかいなくて、僕らというのは固定された実体じゃなくて、その時その時を流れている川のような存在だと思いました。


ちょっとした感情やこだわりで、まったく違う考えや感情を持つし、それはこれからだってどう変化していくかわからないわけで、だからその瞬間の自分を捉まえて、「私はこういう人間です」なんて、何ひとつ言えないのだと思います。


「自分」なんていう実体は存在しないのです。

せいぜい、いまの自分はこうですとしか言えないわけです。


そう思うと気が楽ですよね。

僕は頑固でもあり柔軟でもあり、優しくもあり冷たくもあり、正直でもあり嘘つきでもあり、知的でもあり愚かしくもあるのです。


全部が自分だし、どれも自分じゃない。



さあ、今日もそんな予測不能の自分を生きるとしよう。



みなさんもいい一日をね(^o^)/
  


Posted by Toshiro Abe at 08:36Comments(48)

2009年05月26日

からっぽ

ごめんなさい。


今朝は僕の頭がお休みみたいで・・・


こういうときに無理無理書いても、きっと満足がいく内容にはならないと思うので、今日は書かないでおきます。



また明日ね。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:42Comments(46)

2009年05月25日

ダメ押し

多くの人が精神世界や霊性を学び始めています。

物質的な充足が必ずしも人を幸せにする道ではないということに気づき始めたのです。

このように書くと、人類が進歩しているように見えるかもしれませんが、実際にはそうではありません。

あいかわらず人が、いま以外の何かを求めていることに変わりはないのです。



自我が一番好きなのは、霊性を高め、よりスピリチュアルな人間になっていくことです。

そうすれば、神に、目覚めに、悟りに近づいて行くのですから、そこんじょそこらの人とは訳が違います。

それは、他の人々よりも自分のほうが優れているという感覚を与えてくれます。

やっと自分のことも認めることができそうです。


自我は極めて狡猾です。

精神霊的な道でさえ、自らを飾る道具にしてしまうのですから。



人間には2つの状態しかありません。

目覚めているか、夢を見て眠っているかです。

十分に注意しなくてはならないのは、目覚めた夢を見ることが可能だという点です。

それは自分の霊性が徐々に上がっているという感覚を持たせてくれます。

しかしその感覚は、自分の特別さを増長させるだけで、真の決着にはなりません。


真の決着は、ズバリいまここで目覚めることです。


少しずつ成長して、いつか目覚めようなどと思わないことです。

それは相変わらず時間という幻想の中で見ている夢だからです。


そこにあるのは、自分は何かに成らなくてはいけない、いま以外の何かが必要だという考えです。

このような態度が、目覚めを永久的に先延ばししています。



「いま」がその時です。


唯一大切なのは、自分を高めることではなく、いまを生きることです。

どうやっていまを生きるのかなどと考えないでください。

意識の全てを、いまこの時に向けて生きるだけです。

考えないでやるのです。


いま以外の時間を想定し、段階的な成長をイメージしてはだめです。

自分が進歩しているなんて思わないことです。

僕たちはいつだって、いまあるがままの自分でしかないのですから。


あなたは、いまこの時に、たちどころに悟ることができます。

しかし、いまを逃せば、永遠に悟ることはないでしょう。



いますでに、あるがままの自分でゴールに辿り着いていることを知ること、それが悟るということです。


そのために一定の条件を満たしたり、自分をよりよくしたりする必要もありません。




目覚めるのはいまですよ。




・・・・・・・・・・・・・・


明日の「いまここ塾」は201回記念です(笑)

もうお花はいりませんからね。


明日と明後日は、那覇市の「てぃるる」(866-9090)の和室で19:30からの開演です。

一期一会。

最初で最後の201回目にようこそ。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:42Comments(51)

2009年05月24日

いまから

昨日のような話は、長くこのブログを読んできた人や、「いまここ」という意味をわかり始めた人以外には、まったくのナンセンスにしか聞こえないと思います。

あるいは、後ろ向きの、否定的な人生観に思えたかもしれません。


人は長い間、自分の希望を強めてくれる情報に引き寄せられてきました。

こうしたら幸せになれます的な情報です。

この先何かが手に入れば、いまよりはよくなるだろうと信じてきました。

いまもそれを信じている人が大半でしょう。


これは単なる考え方ではなくて、心の底に形成された観念の次元でのことです。

あらゆる思考は観念のワクのなかで引き起こるので、昨日のような記事をいくら考えても、納得することはできないと思います。

「いま」という意味を深く理解するしかありません。


それを理解したら、人生観が根底から変わります。

皮肉にも初めて、幸せとは何かという痕跡をつかむのです。



自分が個として分離している。

自分は未来に向かって生きている。



この二つが、あらゆる幻想を作り出している元です。


僕たちはひとつに繋がっていて、「自分」と呼べるような分離した存在はありません。

いままでも、そしてこれからも「いま」があるだけで、時間は流れていませんし、そもそも時間など存在していません。


これが真実です。


この真実を体感するまでは、何を得ようが、どのような立場になろうが、苦悩と不安の中で生き続けるしかないのです。


このことを25年間、一貫して話してきました。

誰も僕の話に関心を持ってくれなかった時代が長く続きました。



そんな傾向が変わり出したのは最近のことです。

時代と共に人の意識が変わり始めたことと、ネット環境の整備のおかげだと思います。



今日もこんな僕の話を聞きに、たくさんの人たちが大阪に集まってくれます。

実際に生で聞いてもらえたら、話が立体的に伝わると思います。

それは無数の人生を繰り返してきた魂の流れにとって、根底からの救いに通じる、最も大切な情報だと確信しています。



さわやかな朝です。

いまから準備して空港に向かいます。



今日も、優しく穏やかな気持ちでお過ごしください。


それでは行ってきます。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:50Comments(25)

2009年05月23日

梯子

世の中を見渡すと、誰もかれもが自分の梯子(ハシゴ)を登っているように見えます。

どこかに目的地があって、それを達成することが人生の意味だと本気で信じています。


みんなが信じているから真実に見えるのでしょうが、幻は一億個集めても幻です。


梯子登りの名人は、もう少しで頂上に着きそうな気がしていますが、その頂上はどこにもありません。

でも耳元では励ましの声が聞こえます。

「もう少しだ、頑張れ」


一方、うまく登れない人もいます。

最下段にしがみついて、果てしなく続く梯子を見上げたまま、茫然としています。

実際には梯子段は無限に続いているので、両者はどちらも同じ場所にいて、同じゲームをしているだけです。


なぜ人は梯子を登るのでしょうか。

それは、この「いま」以外に何か必要なものがあると感じているからです。

いまの自分には、何かが足りない、何かが欠けていると思っているからです。



梯子にはいろんな種類があります。

お金、財産、名声、出世、成功、愛、人格、悟り・・・


それらを手に入れれば、いまより幸せになって、満足すると信じているのです。


でも事実は違います。


このことは何度か伝えてきましたが、大切なことなので繰り返し伝えさせてください。


「あなたはいま以上には幸せになりませんし、人生はこれ以上よくなりません」


自我はそんなはずはないと抵抗しますが、これが事実です。

この一言を受け入れるのは、自分にとって最高のプレゼントになります。


これ以上優れた人になる必要もないし、高尚な人格に成長する必要もありません。

成長したつもりになるだけで、あなたはこれからも、いつだって、あるがままのあなたです。

外側に上品さを身に付け、気高く装ったとしても、あなたの内面は、あるがままにあるだけです。

そんなことに時間を費やして、深刻な顔をして生きるには人生は短かすぎます。



すべての悪あがきをやめて、いまここにサレンダー(降参)すれば、ずっと探し求めていたゴールがあります。

悟りは梯子の最上段にあるのではなく、梯子から地表に降りた時にあるのです。


いまここを完全に受け入れ、あるがままの自分を完全に受け入れ、自分も他人もみんなが幸せであることを心から願えば、それが幸せです。

人を利用したりコントロールしたりせずに、愛を持って誠実に関われば、それが幸せです。


自分のほうが優れているなどと少しでも思っていたら、愛を知ることはできません。

特別さを捨てて、ただのあたりまえな普通の人になるのです。




日々是好日ニコニコ
  


Posted by Toshiro Abe at 09:38Comments(35)

2009年05月22日

自受用三昧

さて、昨日の公案ですが、このまま何もなかったことにして次の話題に行ってしまうと消化不良を起こすという人もいるかもしれませんね(笑)

でもね、たとえ答えがあったとしても、ここに書いても意味無いんですよ。


公案はナゾナゾではなくて、「いまここに在る」ことを目指した歴(れっき)とした悟りへの道です。

一見人を馬鹿にしたような頓珍漢な問いでも、そこには実に神妙なる意味合いが隠されています。

しかし、だからと言ってその答えが難解なわけでもなく、むしろあるがままの地平に立った、あまりにもシンプルすぎて見落としてしまう何かかもしれません。


昨日はあえてこのブログに公案を書きましたが、実際には文字情報のやり取りでは本来の目的は果たせません。

禅師と面と向かって相対する中にこそ、公案の意味が生きてくるのです。


公案の答えの内容だけではなく、それを言う時のあなたがどのような状態であるかを禅師は一目で見抜きます。


どんな深遠そうに見える答えでも、それが思考から生じたものであれば問題外の外です。


したがって、哲学博士だろうと、宗教学者だろうと、考えて答えを出すことはできません。

むしろ、幼児のほうが正解を示すかもしれません。


「幼子のようにならなければ、天の王国には入れない」

そんなキリストの言葉とも通じるものがありそうです。



昨日は多くの解答をいただきありがとうございました。

じっくり時間をかけて読ませていただきました。

いつか向禅師に直接参禅して、真正面からぶつかってみたら面白そうな人が何人もいました。

きっとそこに、大きなヒントを見つけると思いますよ。



真理はすでに言い尽くされています。

後は、僕たちがその真理を生きるかどうかだと思います。

それはズバリ、身も心も「いまここに在る」ということです。


心を開いて、ただシンプルにあるのです。

それは、一切の計らいを捨てた、まさに地平に降り立ったあるがままの自分です。


師はその地平に立って弟子と向かい合います。

そして弟子もその地平に立って、ただあるがままに心を開いたとき、そこに訪れる境地があります。


それが悟りの伝授です。

しかしそれは、師から弟子に渡されたものではなく、余計なものを捨てきって互いに心を開きあった時、自らの内に起こることなのです。



自受用三昧(じじゅようざんまい)。


公案の極意もそこにあるのだと思います。



もうすでに手にしているのに、あたりまえすぎて見過ごしているもの、それが僕たちが目指す悟りです。

あー、なんて皮肉なことでしょう。


最初から全員、到達しているというのに。




・・・・・・・・・・



今日はお知らせがたくさんあります。


まずは、5月24日の「いまここ塾 大阪」に、若干の空席ができました。

受付は終了しました。ありがとうございました

参加ご希望の方はコチラから。



そして7月は、さながら東京月間です。


7月11日、第3回「いまここ塾 東京」を開催します。

受付は終了しました。ありがとうございました

詳細はコチラから。



7月19日、東京で、向禅師と阿部で講演会とZENワークショップを開きます。

受付は終了しました。ありがとうございました

詳細はコチラから。



7月25日、東京ライブコンサートです。

詳細はコチラから。


  


Posted by Toshiro Abe at 08:14Comments(28)

2009年05月21日

公案

このところ、僕にしては忙しい日々が続いていたのか、身体中に疲れが残っています。

今日はストレッチでもして、一日ゆっくり過ごします。


昨夜のZENワークショップで、向さんが出してくれた「禅の公案」は、たいへんに面白いものでした。


向さんが扇子を差し出して、「この扇子はあなたの内側にあるか、それとも外側にあるか」って。


それからしばらく坐禅した後に、何人かの人が答えてくれました。


その答えの内容がどうだったかというよりは、そのことを通して「禅の公案」というものが何を意味しているのか、少しだけ体験的にわかったのではないでしょうか。

それはまさに思考を超えていくという、21世紀の僕たち人類が目指している境地に誘うための、まことに優れた仕掛けだと思いました。








「この扇子はあなたの内側にあるか、それとも外側にあるか」

あなたはどう思います?
  


Posted by Toshiro Abe at 08:35Comments(96)

2009年05月20日

いまここ

昨夜は向さんと楽しい時間を過ごしました。

なんたって200回記念ですから、自分に対するお疲れ様の意味もあって、僕自身が楽しませてもらいました。


講演会の冒頭で、向師に「いまここってどういうことですか?」って質問したんです。

そしたら少し間をおいて、向さんはこう言いました。


「こんばんは!」




それだけです。



なるほど、これは凄い。

まさにいまここだと思いました。



そして昔聞いた話を思い出しました。


とある知識層の集まりがあって、その日、最も優れているという噂の禅師をお呼びして、講演会を開いたそうです。

その会が始まり、みんなが禅師の登場をワクワクしながら待っていました。


しばらく経って、やっと禅師が現れました。

みんな固唾をのんで禅師を見守っています。


今日はどんな深遠な話が聞けるのだろう、こんな選ばれた知識人たちの前でどんな真理を披露するのだろうと、期待に胸を膨らませていました。


しばらくの沈黙の後、やっと禅師は声を発しました。


「まさにいま・・・着てきた下着がチクチクする」


そして、その日に分かち合われた言葉はその一言だったそうです。



向さんの第一声もこれに近いインパクトがありました。

「いまこことは何ですか?」


「みなさん、こんばんは!」


ふふふ、これが禅僧なんですね。



楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいましたが、会場のみなさんもきっと満足してくれたのではないでしょうか。



あの透きとおった迫力ある読経は、これこそが音霊であると心底感銘しました。

まるで向さんが中空の竹になって、その中を彼方なる波動が大らかに流れているような、そんな時空間でした。


ありがとうございました。



今夜も引き続き向さんとのコンビで、体験的な「ZENワークショップ」を開きます。

そうそう、確認ですが、開始は19:00ですよ。

そして、もし座布団を持って来られる人は持参してください。

おかげ様で満員で当日券はありませんが、またぜひ来沖してもらおうと思います。



今後は東京、大阪をはじめ、各地で向禅師とのコラボ講演も可能な限り開催していきたいと考えています。


先日の「いまここ塾 東京」の中でも紹介しましたが、7月19日は東京で向さんとのコラボ講演とワークショップを予定しています。

22日(金)の朝に詳細を載せますので、参加ご希望の方はお見逃しなく。



そんなこんなで、今日は向さんの滞在しているホテルに機材を持ち込んで、あの読経をデジタル録音させてもらおうと、勝手に考えています。



今日も、良い日でありますように。



日々是好日
  


Posted by Toshiro Abe at 08:31Comments(19)

2009年05月19日

比較

今朝起きて、ふと思ったことを書きます。


「いかにして偽物を落として、本物を得るか」

これ、なんのことかと言えば、僕たち自身のことです。


何度となく使われる言葉に、「本当の自分」というものがありますが、僕たちはその存在をすっかり忘れてしまったのです。

でも「自分」というものがなければ、この世で生きていけません。

そこで、仮の自分、偽の自分を作ることにしました。

それは僕たちに、自分は誰なのかということを教えてくれます。

それが自我です。


でも偽物はしょせん偽物です。

実際には存在していないので、いつもそれを強化しておく必要があります。

そうせずにはいられないのです。

したがって自我は、常に自分を確かなものとして大きく感じていたいのです。


もしその人が銀行預金によって自我を維持していたら、常にそれをより多くすることが人生になります。

名声も同じで、自分が尊敬されているということが自我を高めていたら、その尊敬を維持しないと居心地が悪いですし、それどころか、常にいま以上の尊敬を求めだします。

世界中から勲章や大学の名誉博士号をもらいまくっても、まだまだ足りなくなるのです。

自我にはこれでいいということがありません。


どこまで満たしても、もともと自我には実体がないので、底なしのバケツに水を溜めているような状態になります。

それなのに、溜め続けなければ、どうにも居心地が悪くなるのですから、果てしなく走り続けるしかありません。


誰かが成功すれば、自分(自我)が小さく見えてきて、存在が脅かされます。

誰かが自分のないものを持っていると、嫉妬が起こります。

誰かが活躍していると、自分がつまらないものに見えてきます。

誰かが愛されていると、自分には価値がないような気になります。


実は、あらゆる比較は、この自我が、自分の存在を確かめるために仕掛けている、ワンパターンの策略なのです。

それによって人生の大半を無駄なことに使ってしまっている人が、あまりにも多いと思います。



偽物と本物の見分け方はこうです。


偽物はいつも支えていなければなりません。

いつも注目して、その存在を強化し維持しなければならないのです。


しかし本物は何もしなくても「いまここ」に在り続けます。

それは無条件に与えられた、僕たちの本質で、決して立ち去ることがありません。


もし僕たちが、何かを維持しようと頑張っていたら、それは実体のない幻想、偽物だということです。


あらゆる無駄なあがきをやめた時、そこに本当の安らぎと幸福があります。

そして僕たちはみんな、「それ」を求めているのです。


求めている方向が間違っていただけの話です。



ありもしないものを高めるために使っていたエネルギーを、本来の自分を見つけることに使うのです。

後のことは、成るようになり、それは決まって今までよりずっとスムーズな展開になっていきます。



いかにして偽物を落として、本物を得るか。

もっと正確に言えば、偽物を落とせば、そこに本物があるのです。



そんなわけで、今日のレッスン。


もし心に比較が生じたら、すぐに違う考えに変えるのです。

徹底的に比較を排除していきましょう。


たった一日、そのことをやってみませんか。




・・・・・・・・・・・・・・




今夜は「いまここ塾沖縄 200回記念」です。

ここまで支えて下さった皆さんに、心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:44Comments(49)

2009年05月18日

都会の朝

昨日はとても楽しくやらせてもらいました。
また六月に会いましょう。

僕は今日、子供の頃にお世話になった方の家に母と一緒に行って来ます。

都会の朝は新鮮です。通勤ラッシュの電車も久しぶりに体験しました。
今は東海道線の下りに乗って、ゆったりとこれを書いています。
今夜沖縄に帰ります。
明日は向和尚が沖縄に来てくれて、盛り沢山の一週間です。


それではご機嫌よう(^O^)/~~



  


Posted by Toshiro Abe at 09:06Comments(14)

2009年05月17日

日曜の朝に

昨日、

『弱さを選んで生きてきた人が、「あるがままでOK」と100万回繰り返してみても無理な話です』

と書いた時、たとえその人が現実を「あるがままでOK」と思えなかったとしても、そう思えないあるがままの自分でOKなんだよと書きたくて、でもそれを書いたらわけが分からなくなりそうでやめました(笑)


言葉で表現することの難しさをいつも抱えながらのブログ生活です。


真実は右であり左であり、YesでありNoであり、その両方を含んでいるので、ややこしいですね。

でももしあなたが、その日の文脈に流れる全体の意味を感じ取ってくれたとしたら、それ以上に嬉しいことはありません。

そんな感覚で昨日までの記事を読んでくれたらありがたいです。



さて今日は・・・うふふ・・・東京で「いまここ塾」です。

このワクワクする気持ちを、そのまま会場で分かち合えたらいいですね。

言葉ではない何かを感じあいたいです。

僕たちが「ひとつ」の同じものだということを。



東京の「いまここ塾」にはたくさんのお問い合わせをいただきありがとうございました。

残念ながら来月も満席ですが、7月は11日に開催することに決まりました。

後日また詳細をお知らせします。



いま大きく変わろうとしている時代の中で、最も大きな変化は、個々の僕たちの意識変革だと思っています。

それは単に考え方が変わるというようなものではなく、意識が根底からひっくり返るような劇的なものです。


いままで信じてきたものが全部霧のかなたに消え去って、いままでずっとあったにも関わらず見逃してきた真実に、皆が目覚め始めるのです。


そんなワクワクする時代を、まさに僕たちは生きているんですね。





それじゃ、行ってきますニコニコ

  


Posted by Toshiro Abe at 08:54Comments(28)

2009年05月16日

再びレス

希望を落とす…
何度も何度も繰り返し伝えてくださって、
何度も何度も繰り返し考えているのですが
世の中の「受験生」はどのようにあれば良いのでしょう。(´ω`)
出来るならば1つアドバイスをください。

自分は今年、美大を目指す受験生です。
「なるようになる」と信じているので、苦しみや不安はあまりありません。
ですが家に帰って一息付いたとき、勉強で行き詰まった時、ふと来年の事を妄想して元気になります。
それは希望です。

それでその後阿部さんのことを思い出してへこみます。(笑)
直した方が良いかと思いながら、対処に困っています。



Posted by JUCE




言葉を持ち運んじゃダメですよ。

希望を落とすという昨日の記事は、時間という幻想を説明するために用いただけですから。


受験生のJUCEさん。

君が希望を落としてどうするの?


こうだったらいいなって姿をたくさん描いて、まるで自分がそこに生きているかのように具体的に思い描いてごらんなさい。


そんな空想を楽しむのは、あなたの潜在意識にも影響を与えて、人生の展開の方向を決めてくれます。

そうやって自分の人生を好きなように作り出していくんです。



昨日のメッセージによって、肩から力が抜けて、それによってスムーズな流れに乗れる人たちもいます。

僕はそんな人たちに、後半のメッセージを書きました。



JUCEさん、「なるようにしかならない」なんて言ってちゃダメですよ。


君が「なるようにする」んです。

いつだって、そのための方法と可能性が君の中にあります。


「なるようにしかならない」というのは、やるだけやった人の言葉であって、やる前から失敗することを正当化するための言葉じゃありません。



自分がどれほどの力を持っているか、多くの人は忘れています。

自分の強さと繋がっていくことで、やがては命の源に触れることもできるんですよ。


被害者や犠牲者を演じるのはやめて、出し惜しみせずに、自分の強さと勇気を使って生きるのです。


そうすると、結果が思い通りにならなくても気にならなくなります。

何がどうなろうと、自分の力でどうにでもできることを知っているので、問題が気にならなくなるのです。


その強さがあるから、何が起ころうとOKだという気持ちになり、あるがままを受け入れることができるのです。


弱さを選んで生きてきた人が、「あるがままでOK」と100万回繰り返してみても無理な話です。



JUCEさん、あなたは自分の力で自由自在に生きていけるだけの力をすでに持っています。

実際にはあなただけでなく、全ての人がその力を持っています。

ただし、それを使っている人は少数です。



いまを生きるというのは、目標を持たないことではありません。

目標を明確にして、計画を立て、行動し、結果をチェックし、計画を練り直し、また行動し、またチェックし、それを繰り返すことで目標を達成するのです。

それをいつも「いま」やっていくだけです。


もうわかりましたね。

いつもいま、やるべきことをやるんです。



合格するように祈っているからね(^o^)/
  


Posted by Toshiro Abe at 10:45Comments(36)

2009年05月15日

2つのレス

昨日のテーマはこうでした。

「あなたはあなたのままで100%OKだし、無条件に愛されています」


そしたら、次のようなコメントが寄せられました。

はるさんという方が、素直な想いを書いてくれました。



疑問に思ったので質問させてくださいm(_ _)m

【それではいつまでたっても成長しないのでは?】と思ったのです(>_<)

諦めや甘えに似ているような気がしてしまうのです…

人生一度きりなら
可能性を広げ、行動範囲を広げ、最大限自分を開拓したいものじゃないでしょうか…




そのとおりです。

だから、とことん生きてください。

自分の可能性を広げ、やりたいことは何でもやるのです。


恐れることはありません。

あなたがやりたいと思ったことは、必ずできます。

その可能性を知っているからやりたいのです。


あなたがここにいるのは、何もしないでじっとしているためではなく、自分を信じて行動し、自分の世界を、よりよく変えていくためなのです。

人生の全てを味わいつくして下さい。

内なる力を信じて、恐れを乗り越えていくこと、それが生きるということです。


そしていつも覚えていることです。

「あなたはあなたのままで、100%OKだということを」


あなたが有名になろうと、無名だろうと、何かを成し遂げようと、失敗しようと、いつだってあなたのままで100%OKなのです。


あなたの価値は外側の条件で決まるわけではありません。

あなたが、まさにあなたであるというそれだけで、あなたには何も足りないものがないし、愛される価値のある存在なのです。


これは、はるさんや、はるさんと同じように感じた人たちに向けて書きました。



・・・・・・・・・・・


そしてここからは、違う人たちに向けたメッセージです。

異なる観点からですが、自分にマッチしたほうを選んでくださいね。


・・・・・・・・・・・・



人生とは、その本質からして苦しみでできています。

そして誰もがそれを体験的に知っています。

誰もが十分すぎるくらいの苦しみの中で生きてきたからです。


それなのに人は歩み続けます。

何故前向きに生きられるのでしょうか。


それは「希望」があるからです。


希望は、苦しみの中で人を元気にしてくれます

希望は、苦しみを和らげてくれるマジックです。



いまの仕事は退屈だけど、いつかもっといい仕事が見つかれば楽しくなれる。

こんな自分はダメだけど、もっと頑張ればみんなから認めてもらえる。

いまのままじゃ生きてる価値がないけど、成功すれば人生の意味を見いだせる。

この結婚相手とは苦しみばかりだけど、もっといい人に巡り合えば幸せになれる。



明日になれば、希望が叶えば、いまよりもっとよくなるはずだ。


そして、明日は永遠に来ません。

しかも何を達成しようと、その時に手にするものは、待ち望んでいたものではないのです。


どこまで行っても同じこと。

それは、やりきった時に解ります。



ところが、みんな幸せそうなフリをします。

あいかわらず苦しみの中にいるのに、まるで幸せを手にしたかのような顔をするのです。

だから人は内心、自分だけが不幸を生きているような気がしてしまうのです。

そしてまた希望を持ちます。

何かを達成すれば、あの人のように幸せになれると。



もう一度言います。

希望は、苦しみを和らげてくれるマジックです。


それは心を騙しつづけ、あるはずもない明日に向けて嗾(けしか)け、やがては死が全てを奪い去っていくまで、あなたを幻想の世界に押しとどめます。



希望をすべて落とすのです。

希望を落とした時、絶望も一緒に消え、その両方がなくなったときが解脱です。

それは未来という幻想から、「いまここ」に戻ってくることです。


「いまここ」以外にリアリティーはありません。

そして、そのリアリティーの中にこそ、無条件に与えられた至福と愛が備わっているのです。




最後まで読んでくれてありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:13Comments(50)

2009年05月14日

愛の海の中で

リラックスして、自分がいつも無条件に愛され、受け入れられていることを感じてください。

あなたはあなたのままで、100%OKだということを感じてください。


考えちゃダメですよ。

考えは、「あるべき姿」を握りしめているので、今の自分では不十分だとしか思えないからです。


あなたは無条件に愛されています。

これは一瞬でも神を体験すればわかりますが、もしわからなければ自分に言い聞かせてください。


「私は、私であるというだけで、無条件に愛されている」


僕たちはその愛を自分の外側に探してしまうのですが、それは外側にはありません。

探す場所を間違えると、人生そのものが不自然になってしまいます。

外側に愛を求めると、愛されるための自分でいなければいけないと思ってしまうのです。

他人に愛されるためには、自分をどう見せたらいいだろうかって、そんなことが生活の基準になってしまうのです。

そのような生き方を続けても、決して満足することはできません。


いつの日か、自分を心から愛してくれる人が現れて、そこから本当の人生が始まるなんていう期待は、すぐに手放してください。

いまが本当の人生です。

そしてすでにいま、あなたは自分の想像をはるかに超えた大きな愛に包まれ、見守られているのですから。

しかもそれは漠然とした愛ではなく、あなたを愛そうとする確かな意思のもとで起きている愛です。

あなたは神から見た時、それくらい特別な人なのです。


もしその愛を全く感じないと言う人がいたとしたら、それはいつも無意識に、自分のことを批判したり責めたりしている人です。

今度ゆっくり観察してみてください。


取るに足らないことも含めて、一日の中でどれくらい自分を批判しているかに気づいてみてください。


たとえば、「もっとやせなきゃ」とか、自分の見てくれや容姿についてあれこれ言っていませんか。

それ以外にも、自分の持ち物、生活態度、しゃべり方、仕事の成果、時間の使い方など、あれやこれや無意識に批判していませんか。

そのような態度が、自分を愛から遠ざけています。


みんなから気に入られたい、みんなからいい人と思われたいという強迫観念が、あなたを本当の愛から遠ざけているのです。

皮肉なことに、愛されたいと願うあまり、愛から遠ざかっているわけです。

あなたが愛を引き寄せたり、愛を作り出したりする必要はないのです。


ただ、静かに落ち着いて、自分の心の奥深くに入っていけば、そこに愛があります。


それが「神」と呼ばれる、あなたを生かしている唯一の実体です。

というよりは、本当のあなたそのものです。



今日、もし時間があったら、自分がいつも自分の何を批判しているか具体的に書き出してみてください。

と同時に、他人があなたの何を批判していると思っているか、それも書いてみてください。


書き終えたらよく読んでみましょう。

そこにあるのは、あなたを本当の愛に気づかせないようにするためのエゴの策略です。

あなたがそこに気づいてしまうと、エゴが死んでしまうからです。



今日一日、もしまた自分を批判するようなことが少しでも頭に出てきたら、すぐさま他の考えに切り替えてください。

その気づきと共に過ごしてください。


それは、的を射た修行になります。



今日もいい日ですよ。

日日是好日
  


Posted by Toshiro Abe at 08:20Comments(60)

2009年05月13日

人生の目的地

いつも思っているのに、口に出して言えないことを書きます。

うまく言う自信がなくて、言っても反発されるだけだし、何より、真面目に生きている人からすると、僕が茶化しているみたいに思えるんじゃないかとか・・・あはは、なんだかんだ言いながら、結局いまからここに書こうというわけです。

だってここは、こんな話を理解してくれる宇宙人の皆さんの溜まり場だし、それに、とても大切な話なんです。



・・・・・・・・・・・・・・



僕たちは、いったいどこからやって来たと思いますか。


その答えは・・・どこからもやって来ませんでした。

だて、ずっと「ここ」にいたのですから。


そしてどこにも行きません。

これからもずっと「ここ」にいます。


いままでの人生で、ずいぶん遠くまで歩いてきたような気がしていますが、実際にはどこにも行っていませんし、これからもどこにも行きません。

いつも「いまここ」で、命を表現し続けるだけです。


向かうべき目的地もなければ、そこに向かう自分もいません。

ただ「いま」というエネルギーが、個々に分離した夢を見ながら戯れているだけです。



人生に目的地を持つと、「こう生きるべきだ」という生きる姿勢が生まれます。


真面目に、善良に、責任感を持って、崇高に、気高く、懸命に生きれば、きっと後で褒めてもらえるし、天国に行ける。

それが人間として目指すべき道だ。


そうじゃない生き方は罪深く、この先悪いことが起きて不幸になるし、地獄に落ちる。


なんてことを、本気で信じてしまうのが目的地志向の生き方です。

これは長年、宗教が僕たちを搾取してきた基本的トリックです。

それはいつも未来に依存しています。


未来志向になれば「いま」を忘れます。

そして目的地に着くように、失敗しないようにと、深刻さが生まれ、緊張が生まれ、怖れが生まれます。

自分はうまくいっていないのではないか、自分の人生は間違っているのではないか、隣の人に比べて劣っているのではないかと、比較が生まれ、嫉妬が生まれ、競争が始まります。


そもそも、そんな目的地などどこにもありません。

人生は目的を達するための手段ではなく、生きるということ自体が目的なのです。



だから取り逃がしようがないし、失敗もあり得ません。

失敗の人生も、成功の人生もないのです。

いまの自分の人生がどのように見えたとしても、それでいいのです。


いままでもずっと完璧だったし、これからもずっと完璧です。

これは思考では納得できません。

思考は、あるべき姿を手放すことができないのですから。


このことを頭ではなく、体で見抜けば、人生観が根底から変わります。



そして、天に観念してこう言うだけです。

「降参します。あなたの思し召すままに」


それが救済の瞬間です。



深刻にそして必死で生きていた昔の自分を思い出すと、愛しいほどに哀れです。

何を達成しようとしていたのでしょう。

誰になろうとしていたのでしょう。

人生に克服すべき課題なんて何もないのに。


人生は試練の場なんかじゃない。

人生は学校なんかじゃない。


人生はディズニーランドのパスポート券です。



さあ、みんなで一緒に遊びましょう。


しょせんこの世は、大いなるジョークなんだから。




注)この記事は、宇宙人のみなさんに書いたものなので、真面目な地球の皆様の異論反論はご遠慮します。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:03Comments(85)

2009年05月12日

一番伝えたい話

今日は、昨日までの現実路線を離れて、一番伝えたいことを書きます。

読み方によっては、少し危ない内容になるかもしれませんが、誤解されるのを恐れずに、真実を書くことにします。



僕の日々の生活の中には、最も素晴らしい時間帯があります。

それは朝夕の静寂の時間です。


それは自分の存在基盤に触れながら、そこにある平和と静けさと、それでいて生き生きとした幸福感を、ただ観察している状態です。

評価せず、判断せず、ただの物見になりきって、そんな自分の心の最奥を見つめています。

時間が消え、思考が消え、暗闇なのに暗くない、そんな摩訶不思議な世界の中にただ在るのです。


いつも終えるのが名残惜しいのですが、大抵は1~2時間くらいで戻ってきます。


瞑想には様々な効果があります。

その時間は、肉体に対しても最良のことをしています。

血圧が下がり、緊張が消え、病気への抵抗力が増し、若返ります。

瞑想習慣が身に付いている人は、実年齢よりも5~10歳程度は若く見え、病気にかかることも極めて少ないと思います。

生活面でも、家庭の幸せが増し、努力しなくても仕事の成果が向上します。

ちょっと思いついただけでも、これだけたくさんのプラスがあります。


でも、瞑想の本当の素晴らしさはもっと高い所にあります。


それは、全ての生命体を生かしている根源意識(神)とひとつになることです。

僕たちは、個人としても、宇宙としても、その両方を同時に在らしめている純粋な意識そのものです。

すべてのものと繋がった、ひとつなる命が本当の自分です。

瞑想の本当の目的は、まさにその体験にあります。


そんな体験が、簡単に誰にでもできると言ったら信じてくれますか。

それとも、そのような境地は、困難な修行を何年間もやり遂げた、特別な人にしか到達できないと思いますか。


実際には、一度も瞑想したことがない人でも、正しい方法を用いれば、最初から同じ境地に入れます。

僕はその方法を知っています。

もしあなたがそのことに強い関心と興味を持ったとしたら、時間の問題であなたもその体験をすることになるでしょう。

然るべき時が来れば、然るべきことが起きます。

いまあなたがこの情報と出会っていること自体が、もうすでに事が起き始めているということです。



あなたの現実は、あなたの想いが作り出しています。

そこには様々なイメージや先入観があり、それが自らの限界を作っています。


いいですか、あなたはすでに悟っています。


悟りとか、目覚めとか呼ばれる現象は、すでにあなたの中に備わっている能力であり、あなたの権利です。


そしてあなたの人生は、まさにそのことを思い出すための機会なのです。



ゴールの足音が聞こえますか。


あなたが思っているほど、遠い未来の話ではありませんよ。


すでに夜は明けているのですから。

  


Posted by Toshiro Abe at 08:15Comments(69)