2018年07月31日

またほざかせてもらいます

世の中に対して、神経をすり減らして生きるだけの価値を感じません。

だって一事が万事、茶番だから。


各々のマインドに浮かんだことを素にして作られたイミテーションの世界。

お体裁が、さも重要に扱われる社会。

何の実体もありゃしない。



理想の自分だとか、理想の家族だとか、そんな姿を追いかけて、首尾よく他人にそう見てもらえたとして、いったい何になるのか。


理想を追う生き方が悪いとは言わないけれど、なんのリアリティもない。

思考が作り出した世界だからね。


世の中でまことしやかに信じられていることも、なにもかもは仮説にすぎない。

あと100年もしたら、科学だって根底からひっくり返ってしまうことだろう。



でもそんな中にあって、真実はある。


外側の世界や、あらゆる内側の感覚を認識している、「源」がそれだ。

自己の本質(源)だけが実在する全てだと知れば、その上に現れるものはなんだっていいという理解が生まれる。


そうなったら、何でもOKだと心底わかるだろうし、ストレスなど持ちようがない。



人は現れている幻影に巻き込まれ、人によっては自死を選ぶくらい深刻にはまり込み、四苦八苦して人生を送っていく。


それは真実を見抜くチャンスがなかったからだ。




あえてやりたいことを言えば、この世の苦しみから救ってあげたい。

言葉にすると気恥ずかしいけど、本当にそう思っている。






そして、


大丈夫だ


心配ない


って言い続けていく。




なんだか一本調子だなァ




そんなわけで


今日もほざかせてもらいました。




・・・・・・・・・・・・



【お知らせ】

今夏は久しぶりに札幌に伺います。


ハートマントラ伝授とレッスン

札幌 9月2日11時

詳細はコチラから


瞑想&トークライブ

札幌8月31日

詳細はコチラから



瞑想のワンデイワークショップ

東京 8月26日

近日中にご案内します








  


Posted by Toshiro Abe at 09:33Comments(55)

2018年07月30日

瞑想とテレビ

数か月前、とあるTV局から智子さんに出演依頼がありました。

とあるTV局だなんて遠回しな言い方をしなくても、TBSです。


「マツコの知らない世界」という番組で瞑想を取りあげたいというのです。

この数年、急にメディアが瞑想に注目するようになったのは、世の中の人の瞑想への関心が高まってきたか、あるいは瞑想への偏見が少なくなってきた証かと思いました。



瞑想=宗教

というイメージは、いまだに多くの人が持っています。


本来は宗教以前のもので、人間存在の基盤に触れる大切な時間であり、それを宗教が取り入れたにすぎないのです。

順序が逆です。



瞑想は心身の健康を促すとともに、自分が何者であるかという洞察を与えてくれます。

自己の本質という理解がなければ、人生で起きるすべては来ては通り過ぎていくだけの虚しいものになってしまいます。


それなのに人の多くは、きっと未来に安らぎと幸福があるはずだと信じて生きていく。

このような姿はとても奇妙ですが、みんなが同じ生き方をしているので誰も疑問に思いません。

そしてやがては疲弊していくのです。


そんな社会の共同幻想に一石を投じる。

そこまでのことはできないまでも、瞑想が日々のストレスを緩和し、健康に一役買っていることなどを知ってもらえたらと思いました。




何人かの出演候補がいたようですが、TV局のチーフプロデューサーが、ぜひ智子さんにということで、彼女は何度か打ち合わせに出かけていきました。


そこで智子さんが出した条件はひとつだけ。

それは、番組収録の前にマツコさんに家に来てもらって実際に伝授と指導を受けてほしいというもの。

前もって正しい瞑想をしてもらいたいというものでした。



ところが番組側は

マツコさんには事前に何の情報も与えず、番組内で初めて知った情報に対してその場で感想を言うというのが売りなので、それはできないとのこと。

20分くらいの時間の中で、すべてをやりたいというのです。


そして「テレビ向きに」という言葉が何度も出てきたそうです。

食べ物の紹介ならそれでいいですが、瞑想となるとそうはいきません。



智子さんが一歩も引かないのがわかると、結局は次の候補者に決まったようでした。

そしてその顛末は思った通り。


「よくわからない、わたしこういうのダメ!」

という彼女(?)の感想でオシマイだったと聞きました。



NHKでは「マインドフルネス」という名称で、坐禅の簡易版を紹介してくれたこともありますが、あれが瞑想だと思われても困ります。


2~3分呼吸を見つめて、番組の趣旨をくみ取った出演者が、

「なんだかスッキリした」

と言うのですが、本当はもっと深くからの作用を及します。



やはり瞑想はテレビ向きではないのでしょう。


急に広まるなどと考えずに、いままで通り地に足を付けて、コツコツと活動していくことなのだと思います。



とはいうものの、瞑想に対する社会の認識が少しずつ変わりつつあるというのも事実です。


少し前までは会場を借りるときも、使用目的を「瞑想」と言うと訝しがられたものですが、最近では普通に受け入れてもらえるようになりました。



ほんと、少しずつですね。





  


Posted by Toshiro Abe at 09:10Comments(47)

2018年07月29日

思考の内容と同化しないこと

時間がないので手短に・・・


こうして起きている現象は、ただ現れています。

我々はそれらの現れに気づく者です。


我々の気づきがなければ、何一つ存在できません。

存在に気づく者がいて初めて存在が存在として有らしめられます。



現れるものの中には思考もあるのですが、我々は思考の内容自体ではなく、思考に気づいている者だということを忘れてはいけません。


きわめて多くの人が思考の中身と同化しています。

思考で自分を○○な人と考えれば、自分は○○な人だというわけです。


実際にはそれらの思考に気づいているのが自分だというのに。



僕が何を言いたいのか理解できたら、あなたの人生はとてつもなく気楽になりますよ。



文章ではこれが限界ですが、これからもいろんな場を設けて同じ一点を伝え続けていきます。



今日は久しぶりに沖縄で瞑想伝授。


庭の草を少し刈ってきます(^^;)







  


Posted by Toshiro Abe at 08:31Comments(39)

2018年07月27日

宇宙的冗談

で、何が言いたいかと言えば、人が長年にわたり探求してきた真理は、驚くくらい単純で、いまもここに明白に現れているということ。


ところが人は、いろんな印象を刷り込まれていて、真理はすごく偉大で仰々しいものだと思わされてきた。


確かにこの存在を有らしめている力は、星々から細胞まで、マクロからミクロまで、寸分とたがわぬ正確さの中で事を起こしているのだから、偉大も偉大、超偉大だ。

しかしその力が、我々の外側に君臨しているのではなく、我々の大元であり、我々自身だというところが見失われてきてしまった。


いつの時代も、全体から切り離されたマインドたちが、その想像力を駆使して偉大なものを創り上げる。

そうやって創った偉大なるものにひれ伏して、宗教は存続してきた。

とんだペテン話だが、笑えないくらい多くの人がそれを支持してきたのだ。


真理は明白だ。


いまもこうしてあなたを取り巻いている。

そうやって取り巻いているもの自体に、気づきという要素が含まれているんだ。


ここは最も重要なポイントだけど、うまく伝わるだろうか。


あなたが認識している現象界は、現象自体に気づきが含まれていて、あなたが現象に気づいているのではない。

ところがその気づきを「自分の気づき」だと感じている。

そもそも「自分」自体が幻想なのに。



とにかく、みんなが夢を見ているだけで、真実は一瞬も消えたことがないし、たとえ真実を忘れていても真実が無くなることはないから、あらゆる人は最初から救われていて完全に大丈夫なのだ。


だから究極的にはなんの心配もいらない。


しかしマインドは、心配することしかできないから、そうやって「いつか、いつか、幸せになれる」という夢が続いていく。



この明白な真実がわかれば、執拗に自分を守ろうとすることもなくなり、他者を淘汰しようという欲求もなくなる。


そしてこの理解こそが、世の中に平和をもたらしていくのだ。


そんな世界の実現に必要なのは、ひとり一人の目ざめでしかない。







これは個人的な思想を述べているのではない。

普遍的な真理であるがゆえに、大昔から繰り返し伝えられ、これからも繰り返し伝えていくことになる。


しかし理解できる人は極めて少ない。


あまりに近いがゆえに

あまりに明らかであるがゆえに



人生はなんという皮肉だろう。


近すぎて見失っているなんて


そして難しい顔をして議論を重ねていく。



やはり宇宙的冗談だと思う。



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【お知らせ】

8月26日

13:00~17:00

東京両国で、瞑想のワンデイワークショップを行います。


お申込みフォームができましたらご紹介します。






  


Posted by Toshiro Abe at 14:23Comments(31)

2018年07月26日

ほざかせてもらいます

今朝起きてふと感じた事。


真理はこんなに単純明快なのに、いったい宗教は何をやってきたのだろう。


まるでこの世には偉大な覚者がいて、

深遠な教えが隠されていて、

我々は修行に修行を重ねて、信心に信心を重ねて、

やっと真理に近づけるみたいに見える。



そんな中にあって比較的、真理に誠実なのが仏教だと思う。


しかし結局は人の弱い心につけこんでしまっている。

大きな仏像をこしらえ、荘厳な寺院をこしらえ、位の高い僧侶をこしらえ、頭ごなしに釈迦を崇拝する点では、ほかの宗教と大差がない。


もちろん、キリスト教やイスラム教の対立から見れば、ずっとましではある。



いずれにせよ

宗教の時代は終わった。

これが結論だ。



僕のような一介の市民が声をあげても説得力を持たないが、そんな宗教界にあって、僕と同じ考えを持ち、応援してくれる宗教家もいる。


たとえば


向令孝禅師


柿坂神酒之祐宮司


堀澤祖門大僧正


好き好き好き好き、I love you!


他にもいるはずだが、僕はこの人たちと今生で深い縁を持った。



彼らは自らの宗教的背景より、真理そのものを大切にしている。


人は権威や外側の形に説得力を感じやすいので、彼らにはいまのまま宗教家としてのお役目を全うしてもらい、そのうえで真理を明らかにする活動を共に歩んでほしい。







この世に、あなた以上の真理はない。


あなた以上の権威もない。


しかしその「あなた」は、アイデンティティを持ったアナタではなく、純粋な「在る」という存在のことだ。


あなたというフィルターを通して、いまもこうして表現されている全て。


そもそも、それ以外は存在していない。




実力が伴わない大言壮語は重々承知している。


そのうえで


また明日、ほざかせてもらいます。




  


Posted by Toshiro Abe at 09:28Comments(58)

2018年07月24日

青春ど真ん中

最近、年上に会わなくなった。


昔はどこに行っても自分が一番年下だったのに・・・


あのころの人達はみんな何処に行ってしまったんだろう。

みんな死んじゃったわけでもなかろうに。


警察官が若く見えだしたら歳を取ったってことだって、昔誰かが言っていたが、

最近では警視総監が若く見える。



僕自身は何も変わらないので、昔と同じようにやりたい事をやっているけれど、時々周囲から


「歳を取っても頑張ってますね」

なんて声が聞こえてくる。


頑張っている気なんかない。

楽しいからやっているわけで。


むしろ若いころより「気」が充実しているし、余計なことは考えなくなったし、時間もお金も自由だし、いまが人生で一番幸せだ。



最近はまた大冒険をしたいと思っている。

18歳の時に、ギター片手に、誰も知らない東京に出てきたときと同じ心境だ。


危険を生きたほうが、生きている気がする。

安全無難にぬるま湯につかるのは、死んでからにしようと思う。


やりたいことやり切って生きるんだ。


やっぱり青春っていいなァ。

まさにいまが、青春ど真ん中。









さて先日、さとうみつろう君の北海道の応援団から

「札幌でトークと瞑想会やってくれますか?」

って言ってもらって、ちょうど行きたいと思っていたので


「いいですよ」

って。


そしたら会場探しから、楽器の手配から、申し込みフォーム作りから、何もかもやってくれて、それで今日になって

「ブログに紹介文を載せました」

って報告がきたから、覗いてみたら


「主催者、わかっ!!」


それでますますやる気が出てきた(笑)



たぶんこれからさらに若返ると思うので、みなさん、よろしく頼んますわ。



・・・・・・・・


【お知らせ】

札幌 8月31日

マントラ・トーク&ライブ


紹介はコチラのブログから。


人数制限ありなので、お早めに。






  


Posted by Toshiro Abe at 11:13Comments(33)

2018年07月23日

肉食と菜食

昨日は奥平亜美衣さんとの「奥義直伝」ライブ。

彼女との共通点はほとんどありませんが、ひとつだけあります。


それは「アミ 小さな宇宙人」という本を読んでから、肉を食べなくなったということ。

彼女の亜美衣という名前も、この「アミ」からきているそうです。



食べ物についての考えは人の数だけあるので、様々な異論があるでしょうけど、今日は僕自身がどう考えているかを書いてみます。

やや過激な表現になりますが、関心がある方は読んでみてください。



先に断っておきますが、阿部は完全な菜食家ではありません。


むしろ肉の味は好きです。

肉が入っていたほうが美味しい料理は沢山ある。

でも積極的に食べることもありません。


好きなのにどうして食べないのかと言えば、「食べるのがイヤだ」というのが一番近い答えです。


それでは、なぜ食べるのがイヤになったのかと言うと、「アミ 小さな宇宙人」を読んだのと、殺されていく実際の映像を見たからかもしれません。



だからと言って、動物を食べるなと言いたいのではありません。

我々は他の命を食して生きる定めにあり、何も食べないわけにはいかないからです。



今朝いただいたパンマンさんからのコメント。

「動物を殺して食べるのが嫌な人は、なんで植物を殺して食べることは平気なんでしょう?」


パンマンさんが本当にこのことに疑問を持っているのか、それとも肉を食べるなと言う人への抗議なのかは分かりませんが、僕ならこう聞き返します。


「動物を殺して食べるのが平気な人が、なんで人間を食べるのは嫌なのでしょう?」


なぜ人を食べないのかという問いに、論理的な答えはありません。


あえて言えば

「嫌だから食べない」

のではないでしょうか。


一昔前までは、この地上に食肉文化の人達も存在していました。

彼らは嫌ではなかったのでしょう。


そんな彼らに、人を食べるのはいけないことだと説得することはできません。

それは動物の肉を食べる人を説得できないのと同じことです。



「動物を殺して食べるのが嫌な人は、なんで植物を殺して食べることは平気なんでしょう?」


これは正しさの問題ではなく、どこで線引きするかの感性の問題だと思います。



僕はこう思います。

稲を刈ったり、植物を採取して食べ物にするプロセスを見せるのと同じように、動物を殺して食べ物にするプロセスを見せて、それでも食べたい人は感謝して食べればいいし、イヤな人は食べなければいい。

これは他の命をいただく我々の、他の命への最低限の礼のような気がします。



そういえば昔、ビートルズのポールマッカトニーが

「みんな屠殺現場を見るべきだ。そうすれば食べたい人は減るだろう」

と言っていました。


僕も同意見です。

いまは「屠殺」と検索すればすぐに動画が出てきます。



自分は肉を感謝して食べているという人は、ぜひ見て欲しいと思います。

きっと感謝の質が深まります。



そんな場面は見る必要がないという人もいるでしょう。


正しさを押し付ける気はありません。

ただ自分が何をしているのか、自覚を深めて生きるのは大切だと思います。



食べものの話は難しいですね。


西洋文明が入ってくる前の日本人が、動物に対してどんな感情を持っていたかを調べるのも面白いと思います。

家畜にも名前を付けていたあたりに、西洋との違いが見え隠れします。




話は変わりますが、明治以前の日本人の心をもう一度取り戻すことに強い関心があります。


神仏習合とはいったいなんなのか。


なんとなく自分は、そのことの役に立てる気がしています。



先日は天河で久しぶりに白衣を着て、気持ちよかったので写真を載せておきます。

なんだか嬉しそうでしょ?(笑)










  


Posted by Toshiro Abe at 10:20Comments(71)

2018年07月22日

遠い記憶

すでにこの世には、すべての人間が好きに暮らせるだけの富があるのに、「自分」という根本的な錯覚のせいで、世界のあちこちに極端な貧困を作り出している。

少数の強欲と、大勢の無力感が、そこに一役買っているように思う。


両方共に「自分が個として存在している」という錯覚が作り出している歪みだ。

もしみんなで目覚めたとしたら、この地球は一気にユートピアになるのにね。


そしたら次に救うのは虐げられてきた動物たちだ。

彼らも同じ命によって生かされている。


人間が持つ卓越した能力で、すべての命の幸せを作ることは可能だと思う。



そんな世界に、遠い遠い昔に住んでいたような気がする。


いつのことだったか・・・


本当に遠い記憶。



そんな記憶を携えているのは僕だけじゃない。


もしかして、あなたもじゃない?








・・・・・・・・・



【お知らせ】

8月31日

札幌でトークライブと瞑想会をします。

時間
18:30~21:00

会場
豊平館(中島公園1-20)


詳細が決まったらお知らせします。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:30Comments(44)

2018年07月21日

喫茶去

いつだって全ては、ただあるがままにある。

こんな明白な真実が人間にかかると複雑になってしまいます。


問題を抱えている人は、その問題を考えている時間が長いはずです。

なぜそう言い切れるかと言えば、考え続けることで問題が問題になっているからです。


いくら考えても問題は解決しないということに気づくまで、その生き方は続いていくことでしょう。



まるで、考えることで願った現実に近づくと信じているかのようです。

その問題を忘れて、いま寛いでしまうよりは、頭の中で繰り返し考える方がいい結果につながると信じているのです。


でもそうじゃないことも、どこかで知っていますよね。

さんざんやってきたから。



問題というものは、さも本当に存在しているみたいな顔してやってきますが、そのような思考に取り込まれることなく、もしこの瞬間の単純さに目覚めることが出来れば、心をゆったりとさせるスペースが現われます。


そしてそのスペースの中で、問題などどこにもないことを知るのです。


いつだって、全てはあるがままにある

ただ、「これ」があるだけです。



問題というものが想像上のものであるのと同時に、それを抱えている自分も想像上のものです。


したがって誰のせいでもない。


すべての幻想さえもただ起きている。



かかんに取り組んで、この問題は幻想だ、この私も幻想だと言い聞かせることは、同じゲームを違う形でやっているだけです。




まずはくつろぐこと。


この単純な「いま」を感じてごらん。









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【お知らせ】

奥平亜美衣さんとのコラボトーク

「続・続・奥義直伝」

若干名のキャンセルが出ましたので、ご紹介します。


明日ですが、来られる方はどうぞいらして下さい。

詳細お申し込みはコチラから







  


Posted by Toshiro Abe at 10:18Comments(21)

2018年07月20日

天河神社 地護摩奉修

30年ぶりに神主の装束を身につけました。

柿坂宮司がこの日の為に新調してくれたものです。

30年前に中途で終えてしまった物語を完結させるとともに、新しい何かが始まる、そんな気持ちになりました。


今朝の天河神社

大勢の方達が神社の中庭を埋め出した頃、神事はいつ始まるともなくはじまりました。

宮司さんの神秘的な地護摩奉修が終わり、僕が祈りを捧げる番になりました。


話した内容は以下のとうりです。


・・・・・・・


宗教の権威やしきたりに、へりくだったり、恐れ入ったりする時代は終わったと思っています。

これからは我々一人一人が自分自身が神であることを発見し、そのことを宣言し、それを生きる時代に入ってきたと思います。


人間はどこまでいっても肉体とマインドを持つただあるがままの存在にすぎません。

聖者だとか覚者だとか、そういう言葉がありますが、そのような存在は伝記の中だけにあるのであって、実際には存在しません。

そのような人を目指して成れないからと言って自分を卑下する必要はありません。

人はどこまでいってもただの人であり、それでいいのです。


しかし人はその肉体とマインドの背後に、純粋な目覚めた意識のようなもの、純粋生命、神としか呼べないものを携えています。

これからの天河は、単に祈るだけではなく、自らの中に神を見出す場になっていくと思っています。


それは瞑想であり、静寂です。

そして自分の純粋生命を発見したとき、その生命は個人的なものではなく、ありとあらゆる生きとし生けるもの全てを生かしているものであり、その時初めてわれわれは、他のすべての命に対する限りない共感と慈みを覚えるのです。

そしてそのような人が一人ひとり増えたとき、この世に新しい文化、文明が訪れます。


それを作りだすのは、突出した指導者ではなく、力のある宗教家でもなく、まさに我々一人ひとりが目覚めることによって実現していくのです。


・・・・・・・


実はもっと話したいこともあったのですが、これでやめにしました。


猛暑が心配されましたが、1日前に比べればはるかにしのぎやすく、この日は素晴らしい天気になると予言した宮司さんの言葉通りとなりました。



思し召しまま

かんながら たまちはえませ
  


Posted by Toshiro Abe at 11:48Comments(45)

2018年07月19日

一つのストーリーが完結する日

いま天河にいます。

今日から何かが変わる、そんな気がしています。

僕の中のストーリーでは、30年前に中途半端に終わってしまったものが、今日完結する、そんな思いです。





今日は祈りを仰せ付かりましたが、僕自身はただの当たり前の人間に過ぎないので、その瞬間に感応したことを正直に分かち合わせてもらおうと思っています。

またご報告します。






  


Posted by Toshiro Abe at 08:36Comments(38)

2018年07月17日

めでたし、めでたし

本当はすでに帰国しているはずが、ちょっとしたアクシデントがあり、まだチェンマイです。

明朝帰国して、その足で天河に向かいます。

どうなることやら。



さて、昨日紹介した「随(かんながら)神」のプロローグですが、

「人生の展開は運命なのか、それとも自らの意思が作り出してきたものなのか」

とあります。


その答えは「随(かんながら)神」の物語の中でも触れていますが、

「自分の意思も含めて、大いなる仕組みの中で起きていることだ」となります。


そして最終的には、そもそも「自分」など存在せず、すべては大いなる一つのエネルギーの現れだと締めくくっています。



ということは、

もしあなたが、自分の人生の流れを変えるために何かの勉強会に参加したとして、その結果人生が変わり始めたら、それも決まっていたということになります。


だから、このことを知ろうと知るまいと、いままでと同じように、自分がいいと思ったことをやっていけばいいわけです。


( ̄д ̄) じゃ、最初から書くなよ!!




でもこのことを所有しておけば、


あの時こうしておけば良かった・・・

どうしてあんなミスを・・・


という無駄な後悔がなくなります。


だって、そのようにしか起きなかったのだし、それ以外の可能性はゼロだったのだから。




ということは、僕が帰る日程を間違えてチケットを手配していて、それを知らずに空港のチェックインカウンターで初めてそのことを知らされて呆然としたことも、それ以外は起きなかった。


本当はアクシデントじゃなく、僕の人為的ミスという真相も、ただ単に起きることが起きたわけで、

やっぱりアクシデントだ。



めでたし、めでたし(^^)






  


Posted by Toshiro Abe at 12:51Comments(41)

2018年07月16日

南無の精神

風さんのコメント

>阿部さんの人生はやはり導かれていると思いました。


それはあなたも同じこと。


20年前に執筆し、10年前に刊行された、「随(かんながら)神」

そのプロローグに書いた文章があります。


・・・・・・・・・


この世に偶然はあるのだろうか。

人生の展開は運命なのか、それとも自らの意思が作り出してきたものなのか。

過ぎ去った日々を思う時、あらゆる出来事の絶妙なタイミングや、次々と出会う人たちとの不思議な縁に、人間を超えた何かとてつもなく大きな意志を感じずにはいられない。


ここに紹介する1人の男の運命が、もしあらかじめ定められたものであるならば、あなたの人生も全て計画されていたことになる。

なぜなら1つの部分が計画通りに進むためには、他のあらゆる要素も決定されていなければならないからだ。

この世は時間と言う縦糸と関係と言う横糸が織り成す巨大なタペストリー(織物)なのだから。


・・・・・・・・・・


これを書いた日から長い年月が経ちましたが、この感覚はさらに強まっています。


まさにこの瞬間、ありとあらゆる事象のバランスが取れているのはわかりますか?

それを横軸としてみます。


その時、同じようにあらゆる過去とあらゆる未来という縦軸も完璧な仕組みの中にあります。

これは思考で理解できる事ではなく、万物と一体としての宇宙意識の中で感得されるものです。


このことを、単なる運命論として捉えてはいけません。

運命論とは、時間という幻想の中での仮説だからです。

この話は数日前に紹介した、宇宙飛行士のラッセルシュワイカートさんの体験談に繋がるものです。


にわかには信じられないことですが、いま各々が迎えている人生の浮き沈みも、喜怒哀楽も、全ては完璧なタイミングで起きていて、人智を超えたものであり、

したがって


南無阿弥陀仏


南無妙法蓮華経


南無大日如来




南無だけが残るのです。





南無とは完全なる信頼。

100%のサレンダー。


自我は最後まで闘うことしかできないので、南無することはできません

完全なる南無は、無我と同義語なのですが、狡猾な自我は、自らが生き残るために南無を使うことさえします。



もし南無の境地に入ることができたら、人生の一幕目は終わりです。


次から始まる二幕目は、流れを信頼しているが故に、圧倒的に気楽なものになります。


思し召すまま 流れのままに






  


Posted by Toshiro Abe at 11:36Comments(30)

2018年07月15日

過去はいま作られていく

チェンマイ滞在中に一つだけやろうと思ったことがあります。

それは7月19日に行われる天河大祭での神事の際、宮司さんから僕独自の祈りを捧げて欲しいと依頼されていた内容についてです。


僕独自の祈り?

それは何ですかとお尋ねすると、あなたにお任せしますとのこと。


そこで考えてしまいました。

そして出た答えは、

祈りの歌です。


ならばその日のために歌を作ろう。

どうせなら新曲がいい。


とばかり、この滞在中に完成させるつもりでした。


でもそのうち、歌を捧げるというのも、単なる「形」に過ぎないんじゃないかと思うようになりました。

宮司さんは、奉納を頼んだのではなく、祈りを頼んだのです。


そんな時に、周囲からこんな声が聞こえてきました。

「あの宮司さんが 大切な場で、他人に祈りを頼むのは前代未聞だ」と。


ますます重圧がかかりました。

いっそのこと祝詞をあげようか。

全魂を投入して天河一帯に響くような声で祝詞をあげようか。



そんなある時、ふと思いました。


待てよ、こうしてブログに書く内容も、講演で話すことも、僕独自の祈りではないのか。

その祈りの全ては用意されたものではなく、その瞬間の感応だ。

自分に与えられた「言の葉」という力を、大祭の中で発揮すればいいのだ。


そう考えたら、すっと力が抜けました。

その場に任せようと思えたのです。






今回の大祭は、御遷宮30周年記念。

思えば御遷宮の年に初めて天河を訪れてそのまま数ヶ月間、大祭の手伝いをさせてもらいましたが、大祭そのものには出ていません。

前夜祭で自分の役目は終わったと直感し、大祭期間中はずっと遊んでいました。


それはいつもの直感であり、動かしようのないものです。

何一つ後悔もありませんでしたが、普通に考えれば不条理な話です。


それ以来、天河を訪れたのは数えるほどで、もちろん夏の大祭に出たこともありませんでした。

ただ奇妙なことに、いつも周囲には天河の情報があり、心も天河と共にありました。


それが去年になって急に行きたくなり、あれよあれよと大役を仰せつかることになったのです。


摩訶不思議。


すると、天河の仲間からメッセージがありました。

「あなたは平成の世が終わる節目の大祭で役目を果たすために、平成が始まる年に呼ばれたのではないでしょうか。

そのようにして、過去はいま作られていく」

と。


これまで起きた全てのことの意味は、いまの人生によって作られていく。

なんと素晴らしい言葉だろう。

いま次第で、未来だけではなく過去さえも変えていけるのだから。



7月19日はひとつの終わりであり、一つの始まりです。




かんながら たまちはえませ






  


Posted by Toshiro Abe at 08:56Comments(16)

2018年07月12日

本当は知っている

よくこういう言い方をすることがあります。


誰もの中に自己の本質が隠されていて、それが宇宙意識であり、神であり、本当の自分だと。

しかし人はその本質を見失ってしまっているから、もう一度それを見出すことが大切だと。


まさにその通り。

この実感こそがいま求められていることであり、それ以外の教えは全部言葉の遊びみたいなものです。


したがってこのことは、これからも言い続けていくと思います。




ただし・・・



ジャジャジャ~ン!!


もう一つ忘れてはならない大切な事実があります。

ここを伝える人は少ないので、今日は声を大にして言っておきましょう。


実は、あなたはその本質を一瞬たりとも忘れたことがありません。

見失っているわけではないのです。


見失うことは不可能です。

だって、それがあなたの実在なのだから。


たとえ本質を忘れたとしても、忘れたと思っている自分がいるでしょ?

そこがヒントです。



実際には見失っているのではなく、その表面に漂っている想念や、観念や、信念が本質と混ざり合って、その混合体を自分だと思ってしまっただけです。


想念だけを自分と思っているのではく、誰もがその背後の本質も同時に感じています。


だから、あなたが純粋な本質(宇宙意識・神)を見た時・・・それは蜃気楼のような想念帯が消えた時に起きるのですが・・・あなたはこう言います。


「な~んだ、これ知っとったがね」(名古屋の人)






知るも知らないも、ずっと感じ続けていたものだから、なにも特別なものではありません。


だから悟った直後に、多くの人は笑い転げるのです。


いったい何を探していたのか。


あまりにも当たり前で見失っていたものを、命がけで探していたなんてと言って笑います。



だから大丈夫だと言うのです。


もし本当に失くしてしまったのなら、再び見つけられない人も出てきますが、一瞬も失くしていないものを探しているのだから、いつ見つかるかは時間の問題です。



だから安心してください。

焦ることもありません。



そもそも、いまだに見つからないのは、あなたが見つけたくないからです。


これは皮肉ではなく事実ですよ。



だから・・・好きにして下さい(^^)


と言いながら、気づきを促すアベッチだった。




~チェンマイより愛を込めて~






  


Posted by Toshiro Abe at 12:11Comments(69)

2018年07月11日

開設12周年

昨夜、ミステリーツアー参加者のみなさんがチェンマイに到着しました。

こういう場所だと、お一人お一人といつも以上に触れあうことができて新鮮です。


何人かの人が、このブログに助けられたと言ってくれました。

続けてきてよかったと思う瞬間です。


このブログを始めたのが、2006年の7月でしたから、12年間で干支が一周したことになります。

当時6歳の子が18歳になったわけで、自分の子供時代を考えてみれば、途方もなく長い時間が過ぎたことになります。





ブログのお陰で沢山の人と出会い、人生も一変し、多くのドラマがありました。


でもこうして静寂の中にいると、

同じようにあるがままのいまがあり、あるがままに自分がいて、実際には何も起きていないと感じます。

時間を超えたこの静寂からすれば、何も起きてこなかったし、これからも何も起きることはないのでしょう。


でも一つだけ言えることがあります。

たとえ経験のすべてが夢だとしても、その夢を見ている自分は確かに存在するということ。

夢の登場人物としての自分は幻想でも、その夢の自分を認識している自分はいつもここに「在る」ということ。


その認識が、宇宙意識と呼ばれる永遠不滅なるものなのでしょう。



こんな話を書いて、早12年。


先のことはわかりませんが、これからも毎日コツコツと記事を書き残していければと思っています。



これを読んでくれるあなたがいるからこそ書けるわけで、


本当におかげ様です。




いつもありがとうございます。


これからもよろしくお願いします。




~チェンマイより愛を込めて~








  


Posted by Toshiro Abe at 12:07Comments(41)

2018年07月10日

これでいい・・・でしょ?

ちょっと、ぴたりと止まってみようか。

それでも世界は動いているでしょ。


いまこの瞬間は、僕たちのどんな努力も必要なく、ただ起きている。

これってすごいことじゃないですか?


もしいまこの瞬間が、何の努力もなく起きているのだとしたら、これからもいまこの瞬間しか訪れないので、ただそのことにお任せしていればいいということ。

これってすごくないですか?


そうすると、ストーリーにどっぷりつかったマインドは言います。

「何を言っているんだ。頑張って働かなきゃ食っていけないじゃないか。あの問題はどうする?この問題は誰が解決してくれるっていうんだ?」


そして皆は、マインドの言うことを信じて、僕の話は人を小ばかにしたような話だとして忘れてしまいます。


でも僕が言っていることが真実です。


ことはただ起きているのです。


このことを知るには、いまというなかに完全に寛ぐことが必要です。

それは何もしないというわけではありません。


行動も、思考も、感情も、ただ起きていきます。


そう、それらは文字通り、起きていくのです。


いまあなたがこの記事を見ているのも、あなたの中にそのような衝動が生まれ、それがただ起きました。

その衝動を作りだした「あなた」が、本当に存在していると信じているのですか?


そうやって信じてしまった「あなた」という幻想が大きければ大きいほど、不安が高まり、苦しみが湧いてきます。


もしこうしてただ起きているいまに、完全に寛いで一つになることができれば、それがずっと求めていた真の平安と幸福をもたらしてくれるのです。



そのように言うと「あなた」は、なんとかリラックスして、いまの中に平安を見つけようと試みます。


しかしそれほどの効果を見いだせないまま


「やっぱり自分には無理なんだ」

となります。


その自分が邪魔だという話です。



僕が話していることを実現するのに、何の努力もいりません。


だってすでにそうなのだから。




これが言葉の限界ですね。


これからもいろんな形で、この阿部という現象は、行動したり、話をしたりしながら活動していくことでしょう。

見かけ上、成功することもあれば、しないこともあるはずです。


でもどちらも僕がやったことではなく、ただ起きていること

それがわかれば人生が圧倒的に気楽になりますよ。



それは何もしないというわけじゃない。


はたから見れば努力しているように見える時もあると思います。


いまもこうしてPCに向かって文字を入力しているしね。


時には言葉が出てこないで

「う・・・ん」

と唸っていることもあります。


そう、みんなと何も変わらないんですよ。


瞬間的に腹が立つこともあれば、イライラだって訪れます。


聖人でも、霊能者でも、覚者でもなく、ただこうして生かされている。



これでいいのだ。

これ以外には成りようがないのだ。



~チェンマイより愛を込めて~




たったいまの自撮・自爆・笑



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【お知らせ】

「天空の祈り」は満席のためお申し込みは終了となりました。

遠く離れた場所にいながらも、多くの人達のエネルギーを感じました。


お申込みありがとうございました。

当日は来られないみなさんも、心を一つにして一緒にいてくださいね。


お申込みされたのに、自動返信メールが届かなかった人は

imadesk@nifty.com

までお問い合わせください。



7月は東京と沖縄で、初めての方用の瞑想伝授があります。

詳細はコチラから。





  


Posted by Toshiro Abe at 11:32Comments(30)

2018年07月09日

地球への連帯感

拙著「随(かんながら)神」の中に、天河神社で龍村仁監督から見せられた企画書の話が出てきます。

その後、多くの人が見ることになる映画「地球交響曲・ガイアシンフォニー」です。


その企画書の中で特に目を引いたのが、一人の宇宙飛行士の話でした。

まさにこの身に突然起きた、言葉を超えた体験がそこに記されていました。


以下は龍村さんの著書からの引用です。


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彼が月面着陸船のテストを兼ねて宇宙遊泳している時のことだった


彼の宇宙空間での仕事ぶりを宇宙船の中から撮影するはずだったカメラが突然故障し、動かなくなった


撮影担当のマックデビット飛行士は、シュワイカートにそのまま何もせずに5分間待つように言い残して宇宙船の中に消えた



シュワイカートにまったく予期しなかった静寂が訪れた


それまで秒刻みでこなしていた任務が一切なくなってしまったのだ


地上からの交信が途絶えた



真空の宇宙での完全な静寂


彼はゆっくりとあたりを見回した

眼下には真っ青に輝く美しい地球が広がっている


視界をさえぎるものは一切ない



突然シュワイカートの中に何か言葉では言い表すことのできない、熱く激しい奔流のようなものが一気に流れ込んできた


その瞬間、彼の心に、眼下に広がる地球の全ての生命、そして地球そのものへの言い知れぬほどの深い連帯感が生まれた


「いまここにいるのは、<私>であって<私>でなく、すべての生きとし生ける者としての<我々>なんだ

過去の命も未来の命も含んだ<我々>なんだ」



この<私>という個別意識から、<我々>という地球意識への脱皮は、今この地球に住むすべての人々に求められている


【地球(ガイア)のささやき】(創元社)  龍村仁



あらゆる命に対する言い知れぬ連帯感。

愛という言葉では足りないほどの深い愛。

過去も未来も、あらゆるものを含んだいまここへの洞察。


同時にそれは、各々が、自分は誰かという答えを知る瞬間です。


「いまここにいるのは、<私>であって<私>でなく、すべての生きとし生ける者としての<我々>なんだ

過去の命も未来の命も含んだ<我々>なんだ」



個別意識から地球意識へ

その時初めて、この地上から暴力の支配が消え、自然破壊が終わり、破滅から遠ざかっていくのだと思います。



先々月、一人で天河に長期滞在し、毎日のように宮司さんと朝から晩まで語り合いました。

その中で繰り返し出てきたのが、

動物も植物も含めた、生きとし生けるものへの共感

霊性の再発見

見えない世界をおろそかにしてきた近代文明の反省

その結末を見据えた先にある方向転換


たぶんその方向転換は、世界中の多くの人が心に描いているビジョンだと思います。


地球意識は、まさにいま、個別意識の中で目覚めようとしている。

そう予感してから30年が経ちました。


そして実際に目覚めの連鎖は始まっています。

30年前はほとんど誰も聞いてくれなかったこのような話に、耳を傾けてくれる人が増えてきました。

そして荒唐無稽だと笑っていた人達が、自分自身のリアリティとして理解し始めています。



誰が上でも下でもない。

すべての命は時空を超えて、一つに繋がっているのだから。


それが、あなたという存在です。




~チェンマイから愛を込めて~



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【お知らせ】


9月23日「天空の祈り」

現在キャンセル待ちのご登録rとなります。

コチラから。







  


Posted by Toshiro Abe at 08:20Comments(42)

2018年07月08日

祈りの力

いまからチェンマイに行ってきます。

スピリチャルミステリーツアーです。

今回は翻訳家の山川紘矢・亜希子夫妻が真っ先に申し込んでくれました。

また現地からご報告します。



チェンマイから帰ったらすぐに天河に向かいます。

ご遷宮30周年記念大祭の中日、宮司さんの護摩焚き神事を支える役を仰せつかりました。

関係者からは、このようなことは異例だとお聞きし、宮司さんがそのように思ってくれたことが嬉しいです。


いつも言うように、柿坂神酒之佑宮司のご神事は、どこまでが現象界で、どこからが神界なのか分からなくなります。

本来それらは表裏一体で一つのものですが、それが目に見える形で一つになるから分からなくなるのだと思います。



僕と一緒に天河で瞑想をしてくれる300人の有志の皆さんを募集しました。

平日にもかかわらず、全国から集まっていただけるのは本当にありがたいことです。


他にも来たいと言って下さる方たちがいて、

当日はたくさんのエネルギーを、

天河の地から、

天津神、国津神、そして八百万の神々に向けることが出来そうです。



草も木も動物たちも、みな同じ命によって生かされています。


すべての生きとし生けるものたちの、命の尊厳が守られますように。


すべてが一つに繋がっていることが明らかになりますように。


それが祈りの力だと思います。







昨日もお話したように、今年の秋分の日は、東京に柿坂宮司をお招きして、宇宙神への祈りを皆さんとご一緒したいと思います。

当日は大倉流の大倉正之助さんをはじめとする5人の能楽鼓(つづみ)奏者が、柿坂宮司の祈りに呼応して、場のエネルギーを高めていきます。



ありえないことが、いとも簡単に起きていく。


きっとそれは、この先も同じこと。



かんながら たまちはえませ




(クリックして拡大)



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【お知らせ】

9月23日のお申込みは、明朝9日9時から開始します。

最初のうちは、アクセスが集中して繋がりにくいかもしれませんが、また時間を開けて試してみてください。

今回は1800人まで入れます.


お申し込みはコチラから




  


Posted by Toshiro Abe at 08:08Comments(25)

2018年07月07日

天空の祈り

今日はこの秋に行われるイベントを紹介します。


その前に・・・


宇宙って何でしょう。



僕はこう感じています。


「宇宙とは意識なり」


宇宙とは、広さとか大きさではなく意識なのではないか。


実際に宇宙意識体験というものは存在していて、自己という幻想が消えた時、そこに残るものが全体意識・・・すなわち宇宙です。


宇宙とは客観的科学で解明するものではなく、内なる体験によって見出すものだと思います。


そのようにして見てみると、人間とは、宇宙が宇宙自身を再認識するための装置なのではないでしょうか。

そうやって「宇宙である自分」を認識した分だけ、宇宙が豊かになっていくのだと思うのです。


その宇宙意識が神であり、本当のあなたです。


我々一人一人も、同じ宇宙意識を持っているのですが、人間の場合は肉体という重い着ぐるみと同化してしまい、本来の神なる意識を忘れてしまいました。

しかも本当の自分(神)を忘れた者同士が関わることで、そこに無数の問題が発生し、苦しみの人生を送ることになります。



そうやって苦しんだ分だけ、本当の自分を見出した時の喜びは深くなる。

人生とは、そんな仕掛けなのではと思っています。






さて常々僕は、神社とは神様を崇め奉る場所ではなく、神(宇宙)としての本当の自分を思い出す場所なのではないかと思ってきました。


最初にそんな直感を得たのは、天河神社のお手伝いをしていた頃です。


宮司さんからもらった小冊子の冒頭に


「ワレ弁財天は、陰陽分かつ前の根源なり」

と書かれていたのを見た時です。


その瞬間、数年前に我が身に起きた宇宙的体験がよみがえりました。

まさにこれだ! と思いました。



宮司さんは神事の中で神を降臨させているけれど、それはその場に宇宙意識を顕わにさせているのではないか。


そして人が一心に祈ることで、その宇宙意識(神)との融合の時間を過ごす。

それが本来の神事(かみごと)ではないかと。



人が多く集まって祈りや瞑想を同時にすると、そこに特殊なエネルギーフィールドがうまれるのはよく知られています。


もしそれを千人規模でやったらどういうことになるだろう。


志を持った者だけが集まり、共に祈りのパワーを出し合い、そこに実際に宇宙意識を顕現させられる祈りのリーダー(神官)がいたとしたら、どういうことになるか。


目覚めの連鎖が起きるかもしれないし、少なくとも目覚めの種は植えることができるのでは。



いつかそのような祈りのイベントをやってみたいと思っていましたが、本物の祈りのリーダーになれる人はそうざらにはいません。

僕のなかでは、天河宮司、柿坂神酒之佑さんしか思い当たりません。


人が一番集まれやすい東京で、全国から人が集まり、そこに宮司さんをお呼びして、宇宙神を降ろしていただく。

そしてその同じ空間の中で、全員で祈りのエネルギーを作り出し、それぞれがそのエネルギーのシャワーを浴びていく。



そんな荒唐無稽なことを思いついたのが数か月前です。


そして素直に願って行動した結果・・・



え?ほんと?


何と柿坂宮司さんが


「わかりました。天河から大きな榊を東京に運んで、そこに宇宙神を降ろしましょう」


と言ってくださったのです。




何かが動き出した。


そう感じています。




(クリックで拡大)


お申し込みはコチラから




  


Posted by Toshiro Abe at 08:08Comments(38)