2017年02月28日

前世の記憶

「個としての私」は幻想だと完全に解るのは稀で、たいていの場合は「個としての私」として、自分を感じています。


したがって「ワンネス」と口では言いながらも、実際には自分とワンネスを分けて感じているのです。



通常の観念から輪廻転生を考えれば、当然「個としての私」が転生していくという発想になります。


いまも、「個としての私」がいると信じているのですから、この先も分離した個という信念は残るのかもしれません。

この世で勘違いしたように、あの世でも勘違いしているようなものです。



さて今日も、「個=全体」という立場から輪廻転生を見てみたいと思います。

もし転生するのが「分離した個別魂」ではないとしたら、前世の記憶とは何なのでしょうか。


僕が思うに、思考とは物質に近いもので、しかし物質のように時空間に影響されることはなく、互いにキャッチボールしたり、同じ思考を共有したり、突然ある種の思考を引き寄せることもあります。


一昔前の具体的なエピソードを持つ思考をキャッチすれば、それが自分の過去生だと思う人もいるでしょう。



全ての魂は、あなたと同じ「私」を感じているので、すべての人はあなた自身です。

そのようにして考えれば、誰かの生まれ変わりだというのも誤りではないわけです。






あなたは、宇宙の中に存在しているのでしょうか。

それとも、宇宙があなたの中に存在しているのでしょうか。


この二つが同時に起きているのが存在の真実で、したがって何を語っても片手落ちになります。

まさに、死後の世界や輪廻転生は、そのような分野の話だと思います。




人それぞれに輪廻転生についての考えや実感があることでしょう。

しかも、それらがすべて真実だというのが、この宇宙の懐の深さですね。


人の数だけ信念があり、その信念に沿って、それぞれがそれぞれの現実を創りだしている。

しかもそれをやっている大元は「ひとつ」だと言うのだから、まったくもって神秘の世界です。








今日も来てくれてありがとうございました。


講演会場で

「毎日ポチってありがとう」

と言うと、みんながうつむくのは何故だろう(笑)


お兄さん、お姉さん、今日はよろしく頼んだよ。

幸運力も入れておくからね。



   
 




・・・・・・・・・・・・



【3月の講演会】


3月7日 沖縄 (残り席わずか)


3月20日 名古屋


3月26日 東京 (矢作直樹対談) 近日中にご案内します。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:34Comments(70)

2017年02月27日

もっと突っ込みたい「輪廻転生」

輪廻転生を探究するうえでの最初のポイントは、そのとき輪廻転生する「私」とは何かということ。


いったい何が転生しているのか。


たいていの輪廻転生説は、特定の魂が人それぞれに宿っていて、それが生まれ変わりながら魂を磨き、より高次な存在に進化していくという考えに立っています。

そこに必要なのは特定の魂です。



実際には、全体から分離した個別の魂など存在せず、全体だけが存在し、それが個々の肉体を通して表現されています。


こともあろうに、肉体と自己同化してしまった「全体」は、個別の肉体と精神を「私」だと思うようになります。

しかしその「私」という自覚は、そもそも全体に属しているものであって、個別のものではありません。



ですから、異国の見知らぬ人が感じている「私」と、いまあなたが感じている「私」はまったく同じものです。


同様に、100年後に暮らす人が感じる「私」も、いまあなたが感じているその「私」です。

したがってその人は、あなたの生まれ変わりだとも言えます。


これが、僕が考える輪廻転生です。



だからといって個別魂を前提にした輪廻転生説を否定しているわけではなく、どの次元にフォーカスするかだと思います。


「私」というものをいかに捉えるかによって、輪廻転生に対する考えも変わってきますが、共通しているのは、「人は死なない」ということ。



「私」は永遠。



これがどういうことなのか・・・





ま、のんびりいきましょう。













今日もありがとう。

幸運力は受け取ってもらえていますか。


う~ん!!!

そわか~~!!!



   
 



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【お知らせ】


輪廻転生については、いろんな分野の方々が発言していますが、その中に、東京大学病院の元救急医療部長、矢作直樹(現・東大名誉教授)さんもいます。


矢作さんは数年前に「人は死なない」という本を出していて、ご存知の方も多いでしょう。

彼が言う輪廻転生とは何なのか、そして死なないということへの理解はどこから来るのか、人生観を含めて、実際に対談してみたいと思います。


3月26日、東京で開催します。

準備ができましたらご案内します。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:44Comments(67)

2017年02月26日

無題

今日も一日、さまざまなことが目の前を過ぎていくでしょう。

そして自分の内側でも、無数の思考や感情が湧いては通り過ぎていきます。



でも通り過ぎないものがあります。


それらを経験していた、あなたの中にある実在です。



実在は、目の前に何が訪れようと、内側に何が湧き出そうと、ただそれを経験しています。


何が起きていても変わらず在り続けている実在。

それを見つけて、そこにセンタリングすることこそが、意識のシフトということです。



喜びのさなかに、ただそれを感じている。

悲しみのさなかに、ただそれを感じている。


訪れる感情は違っていても、「それ」は変わらない。


いまも「それ」を感じているでしょ。

わかりますか?



「それ」は消えたことがないので、確認しようとすると難しい。



僕たちはたいてい、起きている出来事や湧いてくる思考と同化していて、「それ」を認識することがありません。

映画の映像に夢中になって、それらを映し出していたスクリーンを忘れてしまうのです。



映画館にいきなり光明がやってきて、辺りを明るく照らしだせば、映像が消えてスクリーンを発見するのですが、それまでは難しい。

映画館で、上映中にスクリーンを見ようとするのと同じように難しい。



ストップ瞑想や、首なし人間は、それらを感じるためのメソッドです。


思い出した瞬間にやってみてください。



このことが定着してくると、人生が楽になっていきますよ。


これまでの人生、実際には何も手に入れていないし、したがって何も失うものもありません。

それを理解するまで、本当の安楽が訪れないのは皮肉ですね。



まっ、少しゆっくりするとしましょう。

たとえば日曜日の今日、何をするのにもいつもの倍以上の時間をかけてみる。


ゆっくり呼吸をし、ゆっくり歩く。

あらゆる動作をそんなふうにすると、また見えてくるものがありますよ。










いつもありがとう。

今日も強運力を念じ込めて

白蛇形パワー~~!!



   
 
  


Posted by Toshiro Abe at 10:46Comments(44)

2017年02月25日

いまさらですが、自分を愛することの大切さ

ふと思いました。

この身体、ほんとよくやってくれているなって。


腕、指、肩、背中、お腹、足、胸、

不規則な生活の中でも、文句ひとつ言わずに、それぞれに粛々と役目をはたしてくれていました。

そう思うと、この身体はなんとも掛け替えのない大切なものだと感じます。


「おお、よしよし、いいこ、いいこ」



自分をどれだけ愛してあげているだろう。


もしいま自分の目の前に、自分自身がいたとしたらどうですか。


どんな目であなたを見ていますか。


あなたはどんな目で、目の前の自分を見ますか。


その人、どんな人ですか。


どんな生き方をしてきた人なんでしょう。



いったん目を閉じて、目の前の自分をよく感じてみます。


お体裁の笑顔もなく、ただありのままの普通の顔したあなたがいます。


何か言いたいことがあるのでしょうか。


だったらその内容を感じ取ってみます。


あなたのほうから何か伝えたいことはありますか。



生きているといろんなことがあるけれど、どんな時もあなたと共に喜び、悲しみ、思い悩みながらずっと一緒に生きてきた自分自身です。


うまくいかないこともあった、誰かを傷つけたこともあった。


でも一つだけ言えるのは、うまくいかなかったとしても、その時その時、自分が一番いいと思ったことをやってきたということ。


その時は、そのやり方しか思いつかなかったということ。



たまには目の前の自分を抱きしめてあげて、


「よく頑張ってきたね。ありがとう」


って言ってあげましょう。




その時のあなたは「存在としてのあなた」。


目の前のあなたは、社会を生きる「個としてのあなた」です。


この二人はいつも一緒。



もし摩擦を感じたら、仲直りしましょう。

自分と仲直りするのは、一番大切なことです。


そして瞑想は、自分にしてあげられる最高の贈り物だと思います。




そんな風にして、また力を取り戻したら、お互い心のままに生きるとしましょう。


何かにこだわって生きるのもいいですよね。

自分だけの密かな約束事です。



ただ、まったく無駄なこだわりもありますよね。


たとえば、こういう人。













いずれにせよ、お互いに与えられた無二の個性を生き切るとしましょう。

そして死ぬときは潔く死にましょう(^^)


深く理解すると、生きるも死ぬも同じことです。

だからすべてはお任せ。



な~む~あ~み~だ~ぶ~つ~!!

(私は宇宙を動かす大いなる力を信頼し、完全にお任せします)



お米の一粒一粒には書かないけれど、あらゆる瞬間にお任せの境地でいたいものです。







今日も来てくれてありがとう。

目の前の自分を抱きしめてあげてから生活に入っていきましょう。

今日もあなたにパワーを薫じておきます。

ひんでんうんそわか~~!!



   
 

  


Posted by Toshiro Abe at 10:14Comments(42)

2017年02月24日

お金の話

電車に乗ると、まったく見知らぬ人と近距離で出会います。

知らない顔ばかり。

今日まで一度も会わなかったし、明日からも二度と会わないであろう無数の人達。


共通しているのは、みんなあんまり幸せそうじゃないってこと。

頭の中で何かの問題を抱えているようで、ジッと考え込んで眉間にしわを寄せている。


それは人間関係か、健康問題か、あるいは何らかのお金に関することか。


もしこの瞬間に、お金に関するあらゆる問題がこの世から消え去ったとしたら、この人達はどんな顔するかなと思った。

仕事の悩みも、生活の悩みも消え去って、先の心配もいらなくなったら。



もしこの世からお金の問題が消え去ったら、どれくらいの人が心底ホッとするだろう。

だったら、なくなればいいのにね。



でももし、いまお金を廃止してしまったら、世界のあらゆる機能がストップして、大混乱になってしまう。

みんな好きにして全部タダだと言われたら、人はみんなどうするのだろう。

何を基準にして秩序を保つのか。

新しい問題が激増するだろう。






僕はいまの人類の意識レベルでは、お金制度があろうとなかろうと、どちらにせよ問題を作り出すと思います。


分離意識とか有限の命とかを信じている間は、制度がどう変わろうと、そこに現れるのは何かの形をした支配体制です。



新しい人類には「根本への気づき」が必要です。


全体を感応する力。

命への共感。

「私たち」という生き物であること。

全体が幸せであること。


もし人類にそのような気づきがあれば、そのときはお金などいらなくなるかもしれないし、お金があったとしても、もっと人を幸せにする方向で使っていくことでしょう。



すでにこの地上には、70億人を養って余りある冨があるのですが、分離意識が優先していると、軍事費に巨額な投資をすることになったり、一部の人が富を独占するようになってきます。

みんなが何かの恐怖の上に生きているようです。



もし人類に、セキリュティという発想もいらなくなれば、富の全ては人を豊かに幸せにする方向で分かち合うことが出来ます。

それはすでにいまもできるのですが、あいかわらず世界は分離意識から来る恐怖が作り出しています。



早くみんなで、「あーそうだったのか」って思えたらいいですね。


そのうえで、お互いに必要なことを補い合っていく。

人は人を幸せにすることで幸せを感じるようにできているので、新しい秩序が生まれ、いま以上に生産性は高くなっていくと思います。

それらを動かしているのは、怖れではなく、安心や喜びのエネルギーです。


こっちのほうが、ずっとよくね?(急に若者風)




それはいつも、「いま」起きるんですよ。

いまに帰って来れば、またひとり仲間が増える。








今日も来てくれてありがとう。

花粉症に手を焼きながらも何とか生きています。

今日も気合いを入れておくのでよろしくお願いします(^^)


   
 

  


Posted by Toshiro Abe at 10:30Comments(47)

2017年02月23日

目覚めの中で起きることと、目覚めの後に起きること

昨日の話はいわゆるストーリーですが、誰もの心の中に似たようなビジョンがありますね。


ビジョンの世界になっていくためには、一人一人が自分の本質(全体)を思い出すことですが、ここにちょっと不思議なことが起きます。


というのも、一人が全体に目覚めた時、そのとき全体も一緒に目覚めるのです。

個=全体

とはそういうことです。


これは普通に考えても分かりませんが、実際にはそのようにして起きます。


あなたが目覚めて救われたとき、世界全体が目覚めて救われます。

世界や宇宙とは、あなたの中にあるイマジネーションであり、あなたこそが全体なのです。



いったんはそのような理解を得ますが、その後も個としての分離が消えることはありません。

全体意識と個別意識が同居したような状態が続くことでしょう。


いままでの歴史は個別意識のみが作ってきましたが、そこに全体への感応が浸透すると、ずいぶん違った文化が花開いていくと思います。


だからと言ってすべての争いが消えてなくなるわけではありません。

個が存在する以上、なんらかの衝突は起きることでしょう。


でもその対立を殺し合って解決しようという発想はないと思います。

命への共感があればね。



数々の不条理によって作られている社会。

なんでこんな世の中に生まれて来てしまったのかと思うこともありました。


「なぜ」という問いへの答えはありませんが、あえて言えば、こういう冒険物語を生きてみたいという衝動が全体意識に芽生えたということでしょう。


素晴らしさを、より豊かに認識するための苦悩。


そのための強烈な分離幻想。




そんな中で、人類はよくここまで生き残ってきたものです。


いまは建直しの時代ですが、きっと乗り越えていくことでしょう。



お互い、その大変革を見届けるために、いまこの時代に、この国に生まれてきたと考えると、なんだかワクワクしますね。

しかも目覚め付き。


TSUTAYAで借りたDVDが、見てみたら一番面白いドラマだったみたいなラッキー感があります(^^)








今日も読んでくれてありがとう。

幸運力をあなたに。

そんなお礼の念を込めてバナーを置かせてもらっています。



   
 
  


Posted by Toshiro Abe at 10:20Comments(35)

2017年02月22日

あらゆる過去も未来も含んだ、いまここにあるすべての命たちへの連帯感

ライラさんのコメントです。


いつも野良猫たちに出会うと、どうしても挨拶したくなってしまうのですが、ここ2年位は機会あれば立ち止まって、相手の目をジーっと見つめるようにしてるのですが、自分もあの子も感じているこの在るという感覚は同じだ。と感じたことが何回もありました。

それからというもの、ものすごく猫の気持ちがわかるようになりました。

猫友達がいっぱいです!猫なら簡単なのになー。

人間だとどうして難しいんだろうね。マインドが邪魔をしているからかな。




こういう感覚を持つのはいいですね。

動物だけでなく植物にも試してごらんなさい。


たとえば道に立つ一本の街路樹。

ベランダの観葉植物。



思考を挟まずに、ただじっと見つめていると、存在を認められたその対象はイキイキしてきます。


そして、その中を生きる命が同じものだとわかると、とても深い連帯感が湧いてきます。


その連帯感が慈愛と呼ばれ、菩薩の特徴の一つになります。



反対に、この命を自分だけのものとして固執すると、他に対立していきます。

比較や競争を始めるのは、決まってこのタイプの人たちです。



この先に起きていくであろう人類規模での意識変革の方向は、個から全体へと進みます。


個別意識から全体意識へのシフト。


自分の中で生きる命が、自分固有のものでなく、全体を生かしている命と同じものだという発見。


その後にやって来る、すべての生命に対する連帯感と慈愛。

人類全体がそんな質のエネルギーに変われば、地上の問題は消滅します。





セミナーをやっていたころ、みなさんに夢の未来図を描いてもらうと、だいたい同じような絵になりました。

心のどこかでそうなることを知っているのではないでしょうか。


それは大いなる計画であり、すでにその計画は成就していて、あとはこの次元の宿命である「時間」という中で、それが現象化するのを待つばかりです。


ちょうど空き地に建つ建物の構造が、すでに細部まで決定されているのに、現象化するまでには完成するまでの工期が必要なのと同じです。



これは最初に時空間を超えた次元を垣間見たときに直感したビジョンです。

もうすでに決定されているということを、なんの疑いもなく認めることができました。



だからすこぶる楽観主義なのでしょう。


これは論理的に導かれた結論ではなく、有機的な直感です。



だから心配ない。


本当になんの心配もいりません。


これからも受け入れがたいことは起きるでしょうが、それも必要で起きることであり、結果良ければすべてよし。



そう言い切れるのは、運命のいたずらで一足早く結果を見せてもらったおかげ。


これが人生で得た一番の贈り物だったので、こういう場で分かち合っています。







今日も来てくれてありがとう。

白蛇形の幸運力があなたに流れますように。



   
 



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【お知らせ】


3月の瞑想伝授のスケジュールが決まりました。

初めてマントラ瞑想をする方にはハートマントラがお勧めです。


以下の日程です。


沖縄

3月12日13時



名古屋

3月18日12時

3月19日16時



東京

3月24日12時

3月25日16時


ハートマントラ瞑想に関する詳細・お申し込みはコチラから。




  


Posted by Toshiro Abe at 11:10Comments(52)

2017年02月21日

輪廻転生についての質問

一昨日頂いた地蔵さんからの質問。


>今日、大阪の講演会に参加した者です。

>会場で西○さんと輪廻転生について話していたときのことがよく聞き取れませんでした。

>「みんながみんなの生まれ変わりだ」と言う感じでしょうか?



そうですね。

その時の話を正確には再現できないけど、今日なりの言葉で綴ってみます。


「自分の内側も外側も一つになって、自分を含んだ全てが刻々と生きている」

よく訪れる感覚を言葉にすると、そんな感じです。


生きているのは、「いまという生物」ではないでしょうか。

そのいまが持っている存在感を、個々の人が「私」として認識している。


したがって、あなたがいま認識している「私」と、あらゆる人がそれぞれに認識している「私」は、全く同じもの。

人間だけではなく、あらゆる生き物が内側で感じている一つの存在。

それが、あなたが自分自身だと思っている「それ」です。






いまという全体意識が常に在り続けているのだけれど、どういうわけか分離した個としての肉体に、全体意識が凝結してしまう。

その肉体が死んでも、また新たに生じた肉体に全体意識が凝結し、それをまた「私」だと思う。

あなたがどの肉体と同化したとしても、そこに感じる「私」という存在感は、いま感じているそれと同じ。


輪廻転生とは、そのことを言うのだと思います。


本当の私はいまも70億の肉体を通して同時存在し、多彩なドラマを紡ぎ出しているのです。



こんな事を、あの場で話していたと思います。

それにしても大阪の皆さんはよく笑う。

お話した内容はその瞬間の感応であり、持ち運ぶようなものじゃない。


だから笑いが一番だと思ってやってます( ´∀`)







いつもありがとう。

まずは上の白蛇形をポチっとして、行った先にある「かんながら」をクリックして戻ります。

次に下のボタンをクリックして、同じくそこにある「かんながら」をクリックして戻ります。

それで完了です。



   
 
  


Posted by Toshiro Abe at 10:20Comments(66)

2017年02月20日

観自在力

まずは、自分がどれだけ、あらゆることの印象を決めつけているかに気づくこと。


無数に解釈可能な中のたった一つを採用して、そうやって現実を作っていることに気づくことです。


たとえ自分の現実がどれほどスピリチュアルだろうと、そうでなかろうと、いずれにしても多くの決めつけをしながら生きていることを認めること。



実は、物事に対して一度決めつけた印象や意味は、なかなか変わりません。

それを現実だと決めていますし、決めつけているという自覚もない。



このことに気づくには、緊張していたら無理です。


自分の意見や姿勢を持っていると無理。


自分のどんな意見も姿勢も、自分の決めつけの結果できていることに気づかなければなりません。



そうやって気づいて、どんどん手放して、自分を空っぽにして、いままで決めつけていたことと違う見方ができるような余裕が生まれた時、緊張が解けてリラックスしています。



リラックスすると気づきが現われ、気づけばリラックスする。

これは同時に起きていること。



そうやって自由自在に物を見る目、その気づき、その知性、その柔らかさ、優しさ、温かさ、そのような質の象徴が、観自在菩薩です。


自在に観ることができるレベルの意識であり、とても柔らかいものであり、それはすべてに浸透しています。







観自在菩薩は、僕の中にも、あなたの中にもいます。

自由自在に観る(観自在)能力は極めて大切であり、その境地からの報告が「般若心経」。


この経文の最後にも、最強と言われる真言が記されていて、それが、


羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶




ぎゃーていぎゃーてい

羯諦羯諦



はーらーぎゃーてい
波羅羯諦



はらそうぎゃーてい

波羅僧羯諦



ぼーじーそわか

菩提薩婆訶





超えていけ、超えていけ、どこまでも超えて、さらにそれを超えていけ




超訳をすれば、



決めつけを捨てて、捨てて、どこまでも捨てて、すべての意味も捨て去って、あるがままに帰っておいで




観自在力は遠くまで深く見渡すことができる。


自由自在に観る能力は、あらゆる成功の基です。




そうだ!


みんなで禅サンガに入ろう!



どうせなら般若心経も覚えよう(^^)





さて、今日の話を具体的にすると、たとえば父親や母親に対して、私の親は「こういう人だ」と思って接しているでしょ。

きっと相手はこういうように感じていて、こう考えているだろうって。


親以外にも、夫婦や、家族や、会社の人に対してもみんな同じようにやっています。


それらが全部決めつけだと分かると、その人への接し方が変わってきます。


いま身近に起きてる事象に対しても、私がこうしたらきっと人はこう思うとか、このやり方しかないとか、そういうのも全部決めつけです。




そんな決めつけで作られた世界を、幻想の世界、「夢」と呼びます。


その決めつけを強く信じている分だけ、緊張が増え、苦しみが強くなっていきます。


当人にとってその決めつけた世界は、生々しい現実となっているのです。







今日の話を誰か人の話だと思ってはいけない。


あなた自身のことであり、僕たち全員が無意識にやっていることです。



まずはこのことを認めるのがスタートなんだけど、これがなかなか難しい。


決めつけへの自覚を持つのは、そう簡単なことではないのです。



ま、ゆっくりいきましょう。








今日も来てくれてありがとう。

阿部さんはただ喜ぶから、決めつけないでクリックしてあげようね。

南無白蛇形入りだし。



   
 

  


Posted by Toshiro Abe at 10:48Comments(72)

2017年02月19日

失敗を恐れずに思い切り生きる知恵

「どこまで行っても同じこと」

ということを、もっと突っ込んで言うと、


「どこにも行っていない」

となります。



自分がどこか遠くまで来たつもりになっているだけで、相変わらず目の前にはあるがままの「いま」があり、あるがままの自分がいる。

これは人生というゲームで知っておくべき重要なポイントです。


このことを知っておけば、自分は遅れをとっただとか、道を間違ったとか言わなくなります。

行くべきところがないのに、遅れるはずも、道に迷うはずもありません。


いままでの人生だって、ずいぶん遠くまできたつもりでいても、どこにも辿り着いていないでしょ?

これからだって同じこと。

どこにも辿り着かないし、違う言い方をすれば、人生はいつだってスタート地点。


だから、失敗を恐れずに思い切り生きたらいいと思うのです。

それは、一生懸命生きなければいけないという強迫観念のない、気楽な一生懸命です。






どの道同じだとしたら、どう生きたいかを自由に選べばいいし、選べなくてもそれでいいのだから、この洞察は心のプレッシャーを減らしてくれます。


足を止めれば、いつだってそこが本当の我が家。


現代は神経症のように前に前に突き動かされているから、バランスを取るためにもリラックスのアートが必要だと思っていて、僕にとっては、それが瞑想です。

昨日までの3日間、大阪で数十名の人たちが新しく瞑想に出会って、最初の1回目から、みなさん初めて深い休息を味わったと言ってくれました。

社会で生きるために自分に不自然さを強いているから、自然に帰るのが一番の安楽なのです。



もし何かに追い立てられているような気がしたら、大空に向かって両手を伸ばし、大きく深呼吸してみましょう。

空は広いよ。

それなのに、なんて小さなことに心を奪われていたことか。


さて今日も生きるとするか(^^)




今日も来てくれてありがとう。

自分の努力と関係なく、上手くいくときゃ上手くいく。

そんな思いを乗せて、今日も白蛇形パワーをあなたに。

ひんでんうんそわか〜!!


   
 
  


Posted by Toshiro Abe at 10:46Comments(43)

2017年02月18日

みもふたもない話

あーなれば幸せになれるのに、って感じで生きてきた時間が長かった。

で、いろんなことして、いろんなことがあって、でもって阿部さんからの最終的なお知らせです。


「どこまで行っても同じこと」


いい時も悪い時もあったけど、いつだって「いま」があるだけで何も変わらない。



あなたより活躍しているAさんは、あなたより満たされているかと言えば、そんなことはない。

Aさんは、自分よりもっと活躍しているBさんを見て、いつかああなりたいって思っている。


そのBさんは、もっと欲求不満を抱えているかもしれない。

だって少なくとも、どこまで行っても何もないことを知っているからね。


それでもこの先に何かあると感じているなら、それを追いかければいいし、何だっていいのは人生の良いところ。

チャレンジするのはイキイキするし、そんな生き方を否定しているわけじゃない。

ただ、どこまで行っても同じだよって話。


だから失敗を悔やむ必要もない。

「いま」に徹すれば、失敗も成功もありゃしない。


結局人生とは、各々の心の中で作り出していたものであって、客観的な事実じゃない。

だから自分が良いと思えばそれでいいんだ。

だって私しかいないんだから。


「私はいない」



「私しかいない」

は同じこと。


私しかいないことが分かった時、初めて人は自由になる。

自由はそこにしかない。


人生はどこまで行っても同じだけど、どこにも行かなくても、このことが分かればたちどころに満たされる。



で、追い打ちかけると、満たされたところで同じこと。

同じように起きることが起きて、目の前を何かが通り過ぎていく。

そこにはつまらない感情もあるし、喜びもあるし、結局何も変わらない。



と言うことは

ま、お茶でも一杯どうだい?







そんなこと言ったって、貧しいより豊かな方がいいというアナタ。

実は僕も同感です。

そんなアナタに最強真言を封じ込めておきます。

これくらいのお礼しかできないしね。


ひんでんうんそわか〜〜!!


   



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【お知らせ】

3月の講演会

お申し込みは下記日程をクリックして下さい。

3月7日 沖縄

3月20日 名古屋


沖縄での瞑想伝授は11日と12日。

名古屋は18日と19日です。

準備ができましたら、またご案内します。

  


Posted by Toshiro Abe at 11:07Comments(35)

2017年02月17日

二元と非二元

神様大好きさんからのコメントです。


阿部さんはある時は「私はいない」が真理だと言ったり、またある時は「私はある」が真理だと言ったり、明らかに矛盾することを言っています。

両方が同時に真理だとしたら、論理的に矛盾しない言い方でご説明頂けないでしょうか。

よろしくお願い致します。



はいガッテン承知です ♪( ´▽`)


「私は在る」と表現する時の「私」は、「存在としての私」のことです。

いまここにこうして存在していることは誰一人否定することはできません。


しかしこの「私」は全体から分離して存在しているわけではなく、俺だ、私だ、と主張するような「私」は幻想です。


これが、「私はいない」と「私は在る」ということの意味です。





(ある日の機上の一コマ)


さて、話は少し変わりますが、非二元(ワンネス)の世界を知ると、その手の本を読み漁ったり、動画を見たりして、より深く知ろうとします。

そしてそのメッセージに忠実であろうとするあまり、「私はいない」と言い聞かせたり、あらゆる判断をやめて、全てを受け入れようと頑張る人もいます。


しかし、非二元の真実の中には、ストーリーの中で個として存在しているという経験も含まれています。

だから「私」と「あなた」を識別することもできますし、未来を計画することもできるし、好き嫌いもあります。

危機が迫れば回避しようとしますし、攻撃されれば防御もします。


非二元に生きる人はなんでも受け入れて、起こるがままを生きるというのは、非二元を頭で理解する人の想像にすぎません。


「分離した私」は幻想だと解っても、誰もが二元の世界を生きることになります。

ただその世界の出来事に縛られたり混乱したりすることが無くなるだけです。


このあたりのバランスは重要なので、これからも時々話題にしていきます。


二元の世界にもミステリアスで興味深いストーリーがたくさんあって、たとえば輪廻転生だとか、引き寄せの法則だとか、未確認飛行物体とか、もっと突っ込んで究明してみたいと思う今日この頃。

でもあまりにも二元の世界に浸かってしまうと最後は苦しくなるだけなので、非二元の真実もたくさん紹介していきます。





今日も来てくれてありがとうございました。

白蛇形パワーが絶大だというコメントも寄せられていますが、僕もこれは本当にパワーがあると思っています。

だから今日も恥をかなぐり捨てて、いい大人が気合を入れさせていただきます。


ひんでうんんそわか〜〜!!!


   
 



  


Posted by Toshiro Abe at 11:41Comments(67)

2017年02月16日

リアリティ

ある人が賢者の村で尋ねました。

「この世に起きる悲惨な数々についてどう思うか」と。


3人の賢者が答えました。


賢者A

人の心に愛と調和をもたらすことが、解決につながっていく。



賢者B

当事者の悲しみに寄り添ってあげることしかできない。



賢者C

悲惨さも、幸運も、全ては神の思し召しだ。



少女A

あー喉が渇いた。



それを聞いていた賢者の中の賢者がこう言いました。


「少女が一番的を射ている。

◯◯についての考えは、いかにそれが真実そうに聞こえても、たんなる思考の産物だ。

あー、ワシも喉が渇いた。」






今日の話はこれでおしまい。


♪特別じゃない どこにもいるわ

わーたーしー少女A





今日も白蛇さんに貧転パワーを込めて

いまを生きよう。


   
   


Posted by Toshiro Abe at 10:42Comments(43)

2017年02月15日

元AK(アシスタント神主)の独り言

山を越えて、谷を越えて、やっとたどり着いた神社。

最後の石段を昇り、神殿の前に額づいて、顔を上げるとそこにはご神体があります。


ご神体は「鏡」


そこに映るのは、なんとびっくり自分自身。

神さまだと思って手を合わせたら、それは自分だった。



「神さま」

って呼び掛けたら



「それは、お前だよ」

って。



なんて素晴らしい知恵なのでしょう。



でも鏡はそのままじゃ神さまじゃない。

そこに我(が)があるから。


我とは、自分は全体から分離した単独の命だという錯覚のこと。

その錯覚を片時も疑うことなく、あっちこっちと道に迷い、なんとか生き残ろうと頑張っているけれど、我は勘違いであり、勘違いが大きくなればなるほど苦悩が大きくなるようにできています。


苦悩とは「そっちじゃないよ」っていう呼びかけのようなもの。


我が薄まれば、その分だけ安心できて、完全に我がなくなれば全体と一つになり、神という本来の姿に戻ります。


鏡に映る自分はそのままでは神ではない。


でも「かがみ」から、「が」を取れば「かみ」になるという、誰が言いだしたのか、これまた見事な話ですね。







我(が)はいつも動き回っていて、その周りは埃が立ち上っています。

だから我を持った普段の僕たちは、埃(ほこり)まみれになって生きているわけです。


そうやって積もってしまった埃を祓ってもらって、もとの純粋な全体意識に戻りましょうと。


祓えたまえ、清めたまえ



祓って、祓って、祓って、祓って、


祓いつくして残ったもの、

それはな~んだ?


神社は、魂の洗濯場みたいなところですね。





罪という罪はあらじと


祓えたまえ、清めたまうことを


天津神(あまつかみ)


国津神(くにつかみ)


八百万の神たち共に


聞し召せと申す





おーい、みんな、聞いているかァ?




「お前だよ~」






かんながら







今日は天河宇賀神弁財天

白蛇形パワーの大盤振る舞いだ。


なむびゃくじゃぎょ~~

ひんてんうんそわか~~


     


Posted by Toshiro Abe at 11:20Comments(37)

2017年02月14日

悟りの瞬間

今日は久しぶりに、全体意識からの話をしてみます。

すごく大切な話だと思うので、実感に結びつくまでじっくりと読んでみてください。

もしこのことが感覚的に理解できたら、すべての問題は終焉します。



「自分は周囲から分離した個だ」という幻想が消えた時、全体意識(宇宙意識・神)が現れる。

このことを「悟り」と呼んだりもします。


もしあなたにある瞬間、不意にこの経験が訪れたとしたら・・・

突然、自己としてのあなたが消えて、全体意識だけになったとしたら。


そのとき、どんな感覚に乗っ取られるのでしょう。



多くの人は、いままでにない神秘的で衝撃的な経験になると考えています。


でも違うんです。

その経験は未知のものではありません。


それどころか、いつもここにあったのに、いちいち認識しなかっただけの、ものすごく当たり前な感覚です。


もし衝撃があるとしたら、全体と一つになる経験が、それまでの予想に反して、あまりにも当たり前な感覚だということに対してでしょう。



全体意識がどこかに隠れていたわけではなく、我々が全体意識を自己意識と混同していただけです。


もっと簡潔に言えば、全体意識を「単独の自分」だと思っていたということ。

それを持っているのは自分だけだと思っていた。

全体意識の感覚を、自分という個性が持つ独自の感覚だと思い、これを「私」だと信じていたのです。



だから機会あるごとに


「すべての人はすでに悟っている。

ただそれを認めないだけだ」


と言い続けてきました。



今日、あえてこのことを書いたのは、多くの人が、まだ見ぬ衝撃的で神秘的な経験が、いつ訪れるのだろうと期待しているからです。

何かがあなたに訪れるのではなく、もともとそうだったものを再認識するだけです。






あなたがいまも感じている、「私は存在している」という感覚。

これはまぎれもない事実であり、誰一人否定することはできません。


いいですか、最も重要なポイントは


「私は存在している」というその存在感覚は、宇宙全体の存在感覚と同じものだということ。


この宇宙には「それ」しか存在していません。

だから当然、あなたも「それ」を感じています。

繰り返しますが「それ」を、自分という単独の存在だと勘違いしているだけなのです。


あなたは全体そのものです。

したがって、その身が朽ちても、なにがどうなっても、あなたは影響されることはありません。

いまも感じているその存在感覚は、永遠にあなたとして在り続けるのですから。


しかも個という幻想が消えた後の純粋な全体意識は、あらゆる祝福と喜びに満ち溢れていて、どんな言葉でも表すことができません。



ああ、なんて素晴らしいんでしょう。

忌まわしいと感じていた人生が、こんなに多くの祝福によって支えられていたなんて。



ビバ!人生!!


ビバ!神さま!!


ビバ!自分!!



ビバビバビバビバ!ビバドンドン!!!




今日はこれくらいにしておきます(^^)








いつも応援ありがとうございます。

そんなあなたに送る白蛇形パワー!

今日もありったけの思いを込めておきます。


貧転うんそわか~~!



   
 
  


Posted by Toshiro Abe at 10:55Comments(77)

2017年02月13日

決定論と自由意志

まだ小学校に上がる前、いま思えば子供らしからぬことを密かに感じていました。


それは、

「この人生の間に全てがひっくり返るから、それを見に生まれてきた」というものです。

全てというのは、人間の考え方を含んだ大人たちの社会の全てです。


どうせ全部ひっくり返るんだから、勉強なんてしなくていいというふうに都合よく使ってもいました。


なぜそう思っていたのかはわかりません。

思っていたというより、最初から何かを知っていたように思います。



結局、最初にひっくり返ったのは自分のほうで、あらゆる価値観が逆転してしまうような気づきが突然起きることになります。

でもその時、「これはこの先、多くの人に起きていく」と直感し、それはまさに子供のころから信じ続けてきたことの始まりだと思いました。

もちろんいまもそのように考えています。



あなたの中に、何かをあらかじめ知っているという感覚はありませんか?

運命の出会いなんて言葉がありますが、その人との出会いも予め知っていたのではないでしょうか。


「あっ、この人とは長い付き合いになる」って感じた経験は、一度や二度ではありませんし、実際そのようになってきました。

僕たちは予言者ではないけれど、そんな能力を日常で無意識に使っているのかもしれません。



それではなぜ知っているのか。

すでに経験済みなのでしょうか。

それとも未来にアクセスする能力を持っているのか。






信念の願望は叶うことになっていると昨日書きましたが、もしかしたら信念の願望とは、この先そのようになっていくと無意識に知っていることを、着実に実現しようとする衝動なのかもしれません。


そうなっていくという揺るぎない確信が、信念の願望として現れてくる。

そんな気がします。


ここにおいて、

「すべては決まっている」

という真実と、


「深く信じたことは実現する」

という2つの矛盾する真実が統合されます。


人は人生の設計図を予め携えて生まれてくるのかもしれません。

したがって疑いのない信念は、持とうと思って持てるものではないという、まことに残念なお知らせになってしまいますm(_ _)m



ここで興味深いのは、少なくとも我々は、自由意思を行使して人生を変えていけるような気がしているということ。


結局はその自由意志さえも計画通りに発露しているわけですが、少なくとも自分は自由になんでも選んでいけるという生き方をしていけばいいのだと思います。

いつも言うように、どうせ決まっているのなら、どのように決まっていて欲しいかを生きるのです。



僕は最近、ひたむきに生きる生き方が気に入っています。

その一方で、ダラダラ生きるのも好きです。


どちらが現れてきても勝手にしろという感じで、今日も生きています。






最後まで読んでくれてありがとうございました。

あなたにご利益がありますように。

いや、ご利益が決まっていますように。


ひんでんうんそわか~!!



   
 




・・・・・・・・・・・



【お知らせ】


講演会


大阪 2月19日


東京 2月26日


名古屋 3月20日


博多 4月30日


参加ご希望の方は、各地名をクリックしてください。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:20Comments(55)

2017年02月12日

願望実現とその仕組み

ここのコメント欄にも時折、まったく違う世界にいた頃の僕を知る人からのコメントがあり、そのたびに淡いノスタルジーがやってきます。

青春時代の思い出は、春の木漏れ日みたいにキラキラ輝いているけれど、あの頃はあの頃で、大変なこともたくさんあったことでしょう。





人生を振り返ってみて、ひとつだけ確信していることがあります。

それは、強い願望は必ず実現するというもの。


常々、起きることしか起きないし、すべては決まっていると伝えていますが、その一方で、心の深いレベルで願った物事は実現するというのも、経験を通して確信しています。


両者は矛盾するように見えますが、矛盾しようとしまいと、両方とも真実だから仕方ありません。

だからこそ、非二元の世界を語りながらも、いわゆる引き寄せの世界も捨てきれないのです。

いまここにある唯一のリアリティから見れば、単なるストーリーの一つですが、これは語る価値のあることだと思います。



たいした才能もない男が、夢を抱えて上京し、次々と夢を叶えていったのは、強い信念を持っていたこと以外に考えられません。

その信念とは、願望という域を超えていて、成功することをすでに知っているような感覚です。



その結果、死ぬほど憧れた仕事に次々と抜擢されます。

願ったことは全て叶ってしまいました。

それがどれくらいの確率なのか分かりにくいでしょうが、内情を知る者としては、ほとんど奇跡のようなことが重なって起きていくのです。



なぜそのようなことが起きるのか。

全体から見れば「幻想である自分」が、なぜ不可能に近い願望を実現させることができるのか。


それは、幻想の自分が、同時に全体そのものだからです。



仏教の唯識論(ゆいしきろん)に出てくる阿頼耶識(あらやしき)で信じたことは、時間の問題で現象化すると伝えられています。

そのためには、顕在意識や潜在意識さえ超えた、全体意識に願望を届けることが必要です。

それくらい深く確信したことは、結果として現れるということです。



人間(個)には神(全体)と同じ創造力が与えられている。

信じる者は山をも動かす。


「あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。

そうすれば、そのとおりになるであろう」(マルコ11章24節)




この言葉から、波動の共振という説明もできます。

すでにそれが実現しているように感じる時の波動は、引き寄せたい対象の波動と近くなっている。

その波動が一致した時、実際の現象としてこの次元に現れるのでしょう。



完全なメカニズムの解明は難しいとしても、強く信じた願望が実現するのは経験的な事実であり、証拠はそれだけで十分だと思っています。


現実的な言い方に変えると、願望を実現したいのであれば、まずは目的を明確にし、その達成のために燃えるような情熱を持つこと。

ナポレオンヒルが説く成功哲学も、強い願望が前提なわけで、どの道、強く願うというのが実現の基本なのでしょう。



自我は疑うことが仕事です。

したがって疑いがまったく消えた信念というものは、自我の奥にある全体意識のものなのかもしれません。



それならば、疑いのない信念はどうしたら持てるのでしょう。

このことについても、僕なりの考えがあるので、続きはまた明日書くことにします。







今日も本気で念じておきます。

クリックと同時にあなたに白蛇形パワーが流れますように。


ひんでんうんそわか~~


   
 
  


Posted by Toshiro Abe at 11:27Comments(43)

2017年02月11日

一休みすることの大切さ

いま我が家では、瞑想教師を目指す人達のための教師トレーニングの真っ最中で、一週間前から泊まり込みの集中瞑想が続いています。

4人の女性が最初のメンバーとして参加しているのですが、一週間もすると顔つきが変わってきます。


外界に向いていた意識が内側に向かうことで、社会用の顔がいらなくなってくるのです。

人から好かれるために付けていた仮面が外れるということです。

その時に現れてくる顔は、いままでよりずっと魅力的で、やはり人は作られたものよりも、ナチュラルなものに美しさを見るのだと思いました。



瞑想は力を抜くことで起きてきます。

瞑想とは行為ではなく、無行為による自然回帰のようなもの。


社会用に訓練してきたやり方をいったん脇において、誰でもない一つの存在として寛ぐことです。


人は生きるために、無意識にいろいろなところを緊張させています。

心の緊張は、身体の緊張となり、硬くなった臓器が機能不全を起こすのが病気の原因のひとつと考えています。


いままで、生きるための努力は沢山してきました。

これからは、何もしないことを学んでいくことで、全体のバランスが取れてくると考えています。


しかもこともあろうに、頑張ることで達成しようとしていた幸福感が、すでにいまここに用意されているのです。


そんな安らぎをベースにして、それでも欲しいと思うものは手に入れていったらいいのです。


ピタリといまに留まること。

もし時間があったら、昨日書いた記事をもう一度読んで、「いま」という言葉の意味を再確認してみてください。


そして社会をいったん脇において、心の底から寛いでみるのです。


自分の本当の顔を取り戻してみましょう。

どんな幼児の顔も魅力的なように、僕たちも本来の顔が一番美しいようです。






何もせず、ただいまあるこの存在に寛いでみてください。

やらねばならないことが強迫観念のように襲ってくるかもしれませんが、それは単なる習慣です。


一日わずか10分でもいいから、静かに佇んで、一切のストーリーを忘れて、ただあるがままのいまに寛いでみましょう。


そのとき、エネルギーの漏れが止まります。

この状態を無漏路(むろじ)と言います。

反対に、社会の中で緊張し、エネルギーを漏らし続ける状態を有漏路(うろじ)と言います。



有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る 一休み


雨降らば降れ 風吹かば吹け




これは、破天荒な禅僧として知られる一休さんの歌です。

彼の名前の由来にもなったというこの歌に、生きるうえでの大きな知恵が隠されています。



雨降らば降れ 風吹かば吹け


人生は好むと好まざるとに関わらず、これからも起きることが起きていきます。

であれば一休みすることにしましょう。







今日も読んでくれてありがとうございました。

白蛇形のご利益がもっと増えることを祈願して、バナーを作ってみました。

クリックしてケロ~ヽ(^o^)丿


ひんでんうんそわか~~!!



   
  
  


Posted by Toshiro Abe at 12:02Comments(38)

2017年02月10日

進化した意識とは

今日の話は分かりにくいかもしれません。

分かろうとすればよけいに分からなくなるので、なるべく解釈を持ち込まずに、そのまま読んでみてください。



昨日、未来社会について話しましたが、それは「発達したテクノロジー」を「進化した意識」が暮らす社会です。


「そのために、自分ができることは何だろう」

と考えがちですが、そのようにして人は、自らの意識の進化を妨げてしまいます。



「進化した意識」と書きましたが、それは目覚めた意識のことで、目覚めるのはすでにいまここにある「あるがままのこれ」であり、何か新しいものを達成することではありません。


自分がより高まることで、抱えているわずらわしい問題が消滅し、何事も受け入れられるような大きな自分になることでもありません。


何かになろうとしたり、何かを変えなければいけないと感じる、この執拗な衝動が治まることです。



それは同時に、自分とはいったい何なのかということの答えでもあります。

その答えを言葉にするとしたら、個としての自分は幻想であり、真実は全体のみが存在しているということになります。


全体は、あなたという個性を通していまも表現されていて、それは僕という個性を通して表現されているものと、まったく同じものです。

ひとつのもの(全体)が、二つとして同じではない個性を通して、刻一刻と森羅万象を現しているのです。


このことが完全に解ったとき、自分は海を漂う波ではなく、海そのものだと知ったとき、苦しみは終わります。

そして、いつかひとかどの人物になって、すべてを理解し、世界を救済し、できたら悟りを得たいと考えている自分という分離した幻想が消えます。


そんな全体感覚が、自己という分離感覚と同居している状態。

それが「進化した意識」という言葉が意味することです。



発達したテクノロジー自体が、人に幸せをもたらすわけではありません。

そのことは、100年前の未発達な社会より、いまのほうが幸せになったわけではないことを見れば明らかです。



それでは、「進化した意識」になるためにはどうしたらいいのか、日々のわずらわしさから解放されて、苦しみを終わらせるにはどうしたらいいのかという問題が残ります。


実は、そのために「自分」にできることは何もありません。


あえて言えば、何とかしたいと考える自分が薄まったとき、「これ」があります。


「これ」とは、いままでに一度も失ったことがなかったにもかかわらず、一度も認識されてこなかった、まさにいま目の前にある、あるがままの「これ」です。

人生物語の一部としてのいまではなく、ただ存在している「いま」です。






この記事を読んだ後に、わずかな時間を作って、パソコンやスマホから目を離し、何をすることもなく「いま」を感じてみてください。


隣室から聞こえる生活の音


通りを行きかう車の音


電車の中の誰でもない人達


部屋に漂う空気感


降り積もる雪の気配


ただあるがままにあるものを、一切の判断を捨てて、ただ見るとはなしに見て、聞くとはなしに聞いています。



思考が湧いてきたら、思考を脇に置いたまま、何かを排除しようとするのではなく、ただ起きている「単純ないま」に佇んでみます。

何かを達成しようとしたり、深い理解を得ようするのではなく、ただあるがままを在らしめています。



そんなあるがままのいまと、判断し解釈しながら生きているいまの違いは分かりますか。

この気づきが、進化した意識への入り口になります。



僕が本当に伝えたいのは、このことに尽きます。

同じことを30年間話し続けてきました。


聞く耳を持ってもらうために、さまざまな方便を使い、あるときは多様な物語をつづり、そして一つのことを伝えてきました。

あなたも、様々な真実を探し、人生の本当の意味を探り、今日まで生きてきたと思います。


これらの流れは、あなたや僕がやっているのではなく、全体の流れとして「起きている」ことです。

したがって、何かを心配する必要もなく、全体の流れにお任せして生きていきましょう。



だからと言って何もしないのではありません。

何かをしようという意図も、行動も、結果も、すべて全体の流れの中で起きていることだからです。



流れを信頼すること。

全体を信頼すること。


昔風に言えば、神を信頼すること。


根底にそんな安心感を持ちながら、あなたの旅の流れを楽しんでください。


そして時々、今日伝えたことを思い出し、「あるがままのいま」に帰ってきてください。




合掌









あなたにたくさんの祝福が訪れますように。

今日も白蛇形パワーを念じておきます。


「ワレ弁財天は、陰陽別るる前の根源ナリ」


   



・・・・・・・・・・・・・・・



向令孝禅師(臨済宗方広寺派元教学部長)が、3月3日~5日まで大本山方広寺にて、接心を開かれます。

僕も20年ほど前にマンツーマンの接心をしていただいたことがあります。

向禅師は数千に及ぶ公案をすべて突破し、伝統の中で大悟を印可されているにもかかわらず、禅という枠さえも超えた本当の禅僧です。

天河神社から下界に降りる時に、唯一お願いした「禅僧の中の禅僧に会わせてほしい」という願が成就したと思っています。


興味がある方はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 12:08Comments(46)

2017年02月09日

未来社会

先日、縄文に帰るというような話をしましたが、それを聞いて、まさか竪穴式住居に暮らすのかと思った人はいませんよね。


我々は1万年前どころか、わずか50年前の生活に戻ることさえ難しいと思います。

科学技術の発展は留まるところを知らず、この先さらにハイテク化され、我々の暮らしは想像を超えるくらい便利に快適になっていくことでしょう。


その恩恵を享受しつつ、ハイテク社会を生きる人々の精神が、


調和


女性性


アニミズム(精霊との共生)


ノンデュアリティ(非二元・ワンネス)


といった太古の価値観よって支えられている、これが未来社会だと想像しています。



あまりにも楽観的ですか?

少なくともここにひとり、心底そんな未来を確信している男がいます。


そして、完全リサイクル社会だった明治以前の日本のように、自然との共生があたりまえになっています。

科学技術が戦争のために使われるのではなく、地球生命の調和のために使われていくことでしょう。

単に人間だけではなく、そこに生きる動物たちの命の尊厳も大切にされていきます。






日本人も、自分たちが本来どんな民族だったのかを思い出し、それを生きています。


幕末に日本に訪れた西洋人達が、異口同音にこの国の素晴らしさを日記にしたためていますが、その中でもハリスの通訳で同行した、オランダ人通訳のヒュースケンの言葉は象徴的です。

彼は、この国の貧民層である庶民たちが、ボロをまとい、粗末な食べ物を口にしているにもかかわらず、どこにも憂鬱さや深刻さを見つけることができなかったと言っています。


日記にはこう記されています。


「この国の人々の飾り気のなさを賛美する。

いたるところに満ちている子供たちの笑い声を聞き、どこにも悲惨なものを見出すことはなかった。

西洋の人々が、西洋の重大な悪徳を日本に持ち込もうとしているように思われる。」




また工業学者のデクソンは


「老人から赤子まで、にこやかに笑いこけている。

彼らは世の中の苦労をあまり気にかけていない。

西洋人に見られる心労に打ちひしがれた顔つきなど、全く見当たらない。」


ヒュースケンの予想通り、この国は西洋文明の恩恵と共に、とても大切な何かを見失ってしまったように見えます。



西洋がなければ、いまの経済発展も科学技術もなく、そのような意味から言えば、これまでの時代を先行してきた役目が彼らにあったと思います。

しかしその一方で、すべてを淘汰しようという攻撃的な精神と、自己の利益を極限まで追求しようとする生き方は、多くの人達の犠牲の上に成り立ってきました。



この先は、そんな現代社会からまったく新しいシステムに移行していくと考えていますが、それは革命によって起きるわけではなく、一人一人の心の変化によって自然に生み出されていくのだと思います。

世界革命が先にあるのではなく、人類の心の変化がそれを作り出していくのです。


そのためには、地球意識(全体意識)がほんの少し活発になって、人々の心に現れ出ることです。


ある朝突然、全員が自分の本当の姿を思い出すのです。



そして言います。




「な~んだ、そうだったのか」








読んでくれてありがとうございました。

今日も白蛇形パワーで、良きことをたくさん引き寄せましょう。


ひんでんうんそわか~~!!(やってて少し恥ずかしい)


   



・・・・・・・・・・・・



【2月のお知らせ」


講演会


2月14日 沖縄 (受付は終了しました)


2月19日 大阪


2月26日 東京






  


Posted by Toshiro Abe at 11:20Comments(44)