2010年11月30日

伝えたいもう一つのこと

いまを生きるというのは、「いまここ」に心を込めるってこと。

いま目の前の現実に心をこめる・・・これが「禅」という言葉の意味であり、武士道、各武道、茶道、華道、みなこのことが基本にあり、これ以上の生き方はない。


しかし最初のうちそこにはまだ「いまを生きている自分」が存在している。

この道を突き詰めれば、「いま」だけが残って、それを生きている自分は消滅する。

そのとき初めて、究極の真実が現れ、それを極意と呼ぶ。



自己は存在していない。


このブログでは、生活レベルで役立つ話と、生活レベルを超えた真理の世界と、両者を交互に話してきたけど、今日伝えたいのは後者のほうだよ。

いずれにせよ言葉はすべて方便で、真理は決して語ることはできないのに、こうして書きたくなるのは、趣味というか、結局こういう話をするのが好きなんだと思う。


そんなわけで、マニア?の皆さんはお付き合いを(^o^)



まず理解すべき一つ目は、すべてのことは、何から何まで全部、各々(おのおの)の思考が作り出しているってこと。

あなたが認識していることのすべては思考の産物だ。


思考は言語化できるけれど、真理は思考を超えている。

だから言語化できないわけ。

それなのにこんなふうに文章にしているのは、真理を思考で翻訳しているからで、どんな言葉も(それはあらゆる聖者の言葉も含めて)真理そのものではないんだ。

せいぜい真理を指し示す方向指示器でしかありえない。

世界中の聖典も経典も、全部方向指示器だよ。



真理とは体験すること。


自分など存在していなかったという体験。


「いまここ」の体験。


「大いなるひとつ」の体験。


永遠に完璧だという体験。


体験者が消えて体験だけが残る体験。



それが真のリアリティー。

あとは全部、夢が見ている夢、幻想が作り出した幻想だ。

幾重にもわたる錯覚(それを五蘊と呼びます)が、自己という幻想を作り出し、その自己が世界という幻想を作り出す。

その想像力たるやすごいもので、見えない世界にまで及んでいる。

神だ、悪魔だ、霊だ、魂だ、天国だ、地獄だ・・・

こういう話は、その出所が恐れに根ざしていて、それが人々の恐れに訴えるから、いつまでたっても消えないけれど、情報の精度が低いから、何千年も同じレベルをぐるぐる回っているだけで、どこにも行き着かない。

それらが、精神世界がいまひとつ社会から認知されてこなかった原因にもなっている。



精神世界を学ぶ人には、「真実に対する誠実さ」が必要だと思う。




だめだ、こういう話をしだすと終わらなくなる。


反感を持つ人もいたかもしれないけれど、本意が伝われば幸いです。




マニアのみなさんと、マニア予備軍のみなさんは、このボタンを押してください。


   



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12月東京いまここ塾講演会は、受付を終了しました。

今回も、話したいことが泉のように湧き出てくると思います。



一期一会。

いつもありがとう。  


Posted by Toshiro Abe at 08:51Comments(77)

2010年11月29日

結局はそういうことです

昨日は久しぶりのライブで、十分に楽しませてもらいました。

ステージ上であんなに飲んだのに、家に着いたときはまったくのシラフ。

普通に店で飲めば、かなり酔っ払う酒量なのに、ステージ上だとその場で発散されちゃうのかな。

あっ、カラオケ屋みたいなもんかもしれない。

歌いながら飲むと、酔いかたが減りません?

あんな感じです。

とにかく一夜明けてすこぶる元気です。

みなさんありがとうございました。



最近はちょっと心境が変わり始めていてね。

存在の真実だとか、本当の自分だとか、神だとか、真理だとか、さとりだとか、そんなことはいちいち言葉にしなくても、あたりまえのことだって思うようになったんです。

あれが真理だ、いやこっちが本当だとか、そんな議論は問題外で、真実は真実、実際に体験すれば疑いようがなくて、しかも極めて当たり前のことです。

とにかくあなたという人は宇宙規模に素晴らしい存在で、たとえどんな境遇におかれていようと、実際には魂のレベルで最初から救われています。

人間に優劣はなく、みな同じ力によって生かされています。

僕たちは100%対等です。



さてそれがわかった上で、どう生きるのか。

そこが大切ですよね。

それを見失いそうになったら、「いま」を生きてください。


一番簡単で、一番理にかなった生き方です。


明日のために今日があるんじゃないんです。

今日は今日この日のためにあります。


いまを生きること。

いま目の前の現実に心をこめて生きること。

それ以上の生き方はありません。


それは誰にでも、いますぐに始められます。


今日という日を、未来の幸せのための手段にしないでください。

人はそのようにして「いま」を取り逃がしてきました。


「いま」がゴールです。

「いま」以外に時は存在していません。

いつだって「いま」があるだけです。



過去と未来を頭の中から締め出して、今日一日を生きてみましょう。

そうすれば、どんな困難だって乗り越えられるはずです。

今日一日の荷物のほかに、昨日や明日の分まで背負っていたら壊れてしまいます。

明日のことは明日のあなたが何とかしますよ。



   



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12月19日の東京講演会は残り席わずかです。

明日を締め出すと言っておいて何ですが、明日は久しぶりの沖縄いまここ塾です(笑)

中城の吉の浦会館。

こちらは予約なしで入れますから、お気軽にどうぞ。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:21Comments(71)

2010年11月28日

きっとそうなる

うん、うん、そうそう、そうなんだよ。

ほお、な~るほど、そうだよなぁ。

へえ、そりゃ面白い、そういう言い方があったか。

すごいなこの人、僕だったらこんな応答はできない。



これ何かって言うと、最近のみなさんからいただいたコメントを読んだ感想。

ほんと、素晴らしい人たちがたくさん集まってくれてますね。


読んでいると、やっぱり僕らの根っこはひとつで、それぞれがその分霊で、いままでは相手との違いばかりにフォーカスを当てて、比べあったり競争しあったりしてきたけれど、これからは「同じひとつの命」を共感しながら、共に与え合って認め合って生きていくんだよなって思います。



この先の時代の変化はとても大きなものになるけれど、変化してみれば、特別な状態になるんじゃなくて、こうだったらいいのにっていう、当たり前の状態になっているんだと思う。

それは命の本質に根ざした文化で、愛と理解と豊かさに基づいた人間社会。


暴力の為の浪費や、防衛がいらなくなるから、ありあまる資源をみんなで楽しんで使えるようになる。

もうこの地上のハードウェアは完成されていて、あとはそれを運営する人間の意識がほんの少し進化すれば、たちどころに地上天国が出現する。


そのためには、各自が自分自身を認め、安心すること。

みんなが自分と同じ命によって生かされていることを実感すること。

この宇宙には無尽蔵の豊かさが備えられていて、「足りない」というのは間違った観念だと気づくこと。

足りないと思うから、自分の分を確保しなきゃって、奪い合いや争いが起きてきたんだと思う。

この地上には、100億人が豊かな生活をしても、まだありあまる富がある。

それに宇宙は(量子場)は、人間の必要に応じて、何でもいくらでも供給可能な魔法のランプのようなものだし。

(この話は大切なので、これからの講演会やブログでたびたび取り上げていきます)


あっそれと、動物たちをむやみに殺さないで、人間の叡智よってバランスの取れた生態系を維持する環境を作ること。


愛と、理解と、豊かさと、遊び心と、創造性と、それら全部が同時に機能しだして、人間や他の命ににとって幸せな世界が到来することを信じています。




   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:47Comments(52)

2010年11月26日

絶頂体験

いつだったかコメント欄に、

「目覚めの瞬間はS○Xの何万倍も気持ちがいいって聞いたが本当ですか」

という問い合わせがあったけれど、それは間違いです。


実際はS○X(ソックスじゃありません)の、数億倍気持ちがいい体験です。



S○X(ソックスじゃない)の場合は、一人の相手との一体感だけど、目覚めの瞬間は宇宙全体との一体感。

それまで人生で経験してきた快感や喜びが、まるでゴミに思えるくらい圧倒的な体験です。


快感だけじゃなくて、深い感謝、絶対的な安心感、言葉にできない至福感、そのほか味わいたい感情をマックスにして、シャワーのように浴びながら、ただただ「気持ちいい~!!!」って叫びたくなる瞬間です。



どう?興味持った?(笑)


いままでこのことに触れなかったのは、目覚めに対しておかしな先入観を与えてしまうと思ったから。

その絶頂感が目的になってしまうと本末転倒だから。


これらの注意については、まだまだ書かなければいけないことがたくさんあるけれど、今日はひとつだけ大切なことをお伝えしておきます。



すでにそのような経験をした人も、ここに多く集まっていることでしょう。

そのような人の中には、もう一度あの体験をしたいと、それだけを熱望して生きている人もいることでしょう。

でもね、同じ体験は二度と起こらないんですよ。

それは一度きり、また起きたとしてもそれは違う性質のものです。

なぜ一度しか起きないかと言えば、その時の圧倒的な開放感は、それまで自分を身体の中に閉じ込めていたのが、一気に宇宙規模に拡大した時のギャップがもたらしたものだから。

一度開いてしまえば、それは自分の一部となり、次からは同じように宇宙規模の自分を感じても、最初の感動的ショックはないのです。

むしろあたりまえの、淡々とした静けさの中でそれを味わうようになります。


実は僕自身、その体験の再来を熱望して、ずいぶん長いこと、考えられる限りのあらゆることを試してみた時期があります。

でも無駄でした。

しかもその体験以外に、この世に求めるべき宝はないと感じてしまったから始末に悪い。

根が快楽主義者だから、その体験は僕を虜にするに十分でした。

社会からドロップアウトした状態だったし、もう二度と社会復帰することはないと思っていました。


その状態こそが「精神の物質主義」と呼ばれるものだと知ったのは、ずいぶん後になってからのこと。

自分の体験をコレクションのように持ち運んでいたわけです。

でもそれは単に記憶の印象を持ち運んでいただけで、体験そのものじゃありません。

一種の魔境状態です。


いま思えば、そのことを指摘してくれたのは向禅師だったかな。

いやほんと、いろんな人のおかげさまで、いまはなんとかこうして地に足をつけて、社会人の体裁を保ちながら生かしてもらっているわけです。



あのころの僕と同じような状態にはまり込んでいる人へのアドバイスでした。




今日の記事はさらりと受け流してくださいね。

フグの毒のようなもので、おかしな先入観を与えかねない危険水域ぎりぎりの記事でした。

くれぐれも精神の物質主義に陥らぬよう。




いまから博多に行ってきます。

日曜日は久しぶりのライブコンサートをします。

急にギターの練習を再開したから指が痛い(笑)

お時間のある人は遊びに来てくださいね。





スピ係のブログランキングに参加しています。


   



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12月東京講演会にもたくさんのお申込みありがとうございました。

今回も広めの会場なので、多くの人に聞いてもらえると思います。

おひとりでの参加の方が多いですから、気楽にいらしてください。

詳細はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:06Comments(69)

2010年11月25日

永遠の風の中で

今日は時間が無くなってしまって記事が書けません。

今日も一日、あなたが健やかに静かな幸せの中で過ごすことを祈っています。

外側の世界で何が起きたとしても、本当のあなたは何一つ影響されずに静寂の中にいることを忘れないでください。


向禅師との名古屋コラボ講演会のお申し込みは定員に達したために〆切となりました。

またキャンセルの方がいらしたら追加募集しますのでよろしくお願いします。


12月19日(日)東京講演会の申し込み受け付けを開始します。

詳細はコチラからお入りください。


ありがとうございました。



   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:09Comments(33)

2010年11月24日

笑い

笑うことは、愛することと同じくらい大切です。


心の底からの笑いは偉大なる一瞥に繋がることさえあります。

深刻モードは直線的になりがちですが、笑いはそこに空間を作り出します。

視点が変わり、柔軟な解釈が可能になります。

僕たちは真剣に生きようとするあまり、つい視野を狭めてしまいがちです。

笑いはそんなムードを吹き飛ばしてくれます。



最近腹の底から笑っていますか。

もしそれができにくくなっているとしたら、エネルギーが滞っています。

知らず知らずに溜め込んでしまった、悲しみや怒りが笑うことを妨げるのです。



僕は笑うブッダが好きです。

たとえば布袋さん。

あの人、持ち物全部を袋に詰めて、道端にしゃがんで、いつも道行く人を見て笑っていたそうです。


道行く人が、さも重大なことが起きているような顔して、さも自分が重要人物みたいな顔して歩いている姿を見て、腹を抱えて笑っていたとか。

これが後世の人の作り話だとしても、妙に納得できます。

僕たちが持つ深刻さは、まったく独りよがりの一人芝居なのに、そこに生真面目になって孤軍奮闘しているのですから。


それはちょうど、真っ暗闇の中で自分の足場から下に落ちないように、必死になって足場を拡張して、なんとかそこにしがみつこうとして、もがいている姿と似ています。

ところが自分がしがみついていた足場は、地面と同じ高さにあったんです。


あれれ???、な~んだ、そうだったのか。


そして大笑い。

必死になって悪戦苦闘していた自分の姿が、悲しくもおかしく、愛おしく見えてきます。


それが悟りの瞬間です。


その笑いの中には、大いなる慈悲と、理解と、感謝があふれています。


宇宙による壮大なトリック。

僕たちの意識を高みに上らせるために仕掛けられた、忘却のゲーム。



みんなでそのゲームの真っ最中です。

もう何万年くらい続けているのでしょうか。


そろそろ飽きてきませんか。

みんなでゲーム終了の予感がします。


そのとき、世界中が笑いであふれ、お互いの同朋意識の中で、共に幸せを与え合っていく文化が始まっていくことでしょう。


笑いは愛と同じくらい大切です。


これからも笑いを小脇に抱えて活動していこうと思っています。


   


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12月12日に名古屋で開催する向禅師とのコラボ講演会「さとりの授業」は、定員数まであとわずかです。

昔は、「あーちゃんとむーちゃんのお笑い禅問答」という名称でした。

中身はいまも、ガハハハハです(^o^)


詳細はコチラから。



12月19日は東京いまここ塾です。

詳細は近日中にブログでご紹介します。  


Posted by Toshiro Abe at 10:02Comments(53)

2010年11月23日

なんくるないさ~

どうってことない・・・

この言葉で肩の荷が下りた人もいたと思います。


その一方で、いま深刻な状態にいる人は、違和感を持ったり、抵抗を感じたりしたかもしれません。

僕も何度もそのような場面を生きてきたので、気持ちはよくわかります。

死にたいと思ったことも何度かありました。

今度の今度こそ、どうにもならないと思ったこともあります。


ところがある日、そのような暗闇を、突然の光がたちどころに消し去ってくれました。

どれだけ深く、どれだけ長く覆っていた闇も、一筋の光の前にはまったくの無力でした。



光とは気づき、理解のことです。

その気づきは無明を照らし、悩みの根っこを消し去ります。

すべてが自分の思い込みであったこと、最初から何の心配もいらなかったことを知ります。


それは過去や未来という時間の幻想から、「いまここ」に戻ってくることでもあります。


その気づきが光明と呼ばれるもので、最初の最初から僕たち全員の心の奥に備わっている智慧です。


そのとき、人は思います。


「な~んだ、そうだったのか。全部ひとりよがりのゲームだった」

そしてそれまでのあらゆる苦悩が、気づきの至福感を高めてくれます。



このような文章を暗闇の中で読んだとしても、あくまでも楽観的な仮説にしか聞こえないかもしれません。


それでも伝えます。



どってことないよ。

あなたはいまも、とてつもなく大きな愛の中にいるんだから。

そのことを知っていようといまいと、その事実は変わらない。

だからね、大丈夫だよ。



なんくるないさ~(沖縄の方言で、なんとかなるってこと)





     


Posted by Toshiro Abe at 09:09Comments(63)

2010年11月22日

どってことないよ

昨日のいまここ塾も、簡単な瞑想から始まりました。

息を整えて、いまここを感じるというもの。

社会の役割をみんなはずして、ついさっきまでのことは脇に置いて、これから先のことを手放して、そしてまさにいま、椅子に座って息をしている自分を感じてもらいました。


そこに残るのは誰でもない人。

外側の現象に一切影響されずに在り続ける、純粋な意識。


それが本当の自分です。

毎日少しの時間でもその自分に帰ることができたら、ストレスは激減することでしょう。

なのに一瞬でさえもその静寂に至らず、外側の荒れ狂う波に翻弄されていたら、誰だって参ってしまいます。



そんなに真剣にならなくていいですよ。

いま大騒ぎしていることも、実際は大したことじゃないんですから。


それらはみんな過ぎ去っていきます。


100年もたてば、すべては夢物語です。

でもあなたは変わらずに存在します。

あなたは時間を超えて存在する永遠の純粋意識だからです。


その時あなたが新しい肉体を纏(まと)っているか否かに関係なく、あなたの存在はいまと同じように「いま」の中に在り続けています。

また新しい映画を見ているかもしれませんけどね。


そういう大きな視点から見れば、起きている現象(映画)は何の意味も持ちません。

実際の話、その映画が意味を持つのは、それを映画だと見抜いた時だけです。


だから、心のままに生きましょう。

もっと楽しんで、やりたいことやって、気楽にいこうじゃないですか。


どってことないですよ。





ブログランキングに参加しています。


   



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12月12日に名古屋で向禅師とコラボ講演会をします。

禅の世界は堅苦しく見えるかもしれないけれど、その本質は「どってことない」でできています。

そんな話を、僕だけでなく、啓発を得た本物の禅僧からも聞いてみたいと思いませんか。

「な~んだ、そうだったのか」って肩の力が抜けると思いますよ。


演題は「さとりの授業」


僕の同名著書に「あとがき」を贈ってくれた、向禅師のナマの姿を見に来てください。


詳細はコチラから。




そしていよいよ、今度の日曜日には福岡でライブコンサートをします。

2月に神戸でライブをして以来で、「いまここ塾」を音楽ライブにするとこうなるよって、そんな感じのライブです。

お勧めです。


詳細はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:01Comments(44)

2010年11月21日

晩秋の独り言

今日は日曜日か。

10時になったら20人くらいの人が我が家にやってくる。


彼らとの縁はどこで生じたのだろう。

ほんの少し前まで知らなかった人たち。

でもいまは彼らを近くで感じることができる。

きっと最初から出会うことに決まっていたのだろう。



最近の行動のほとんどは直観からのものだ。

何が正しいとか、何をするべきとかの考えはほとんどない。

自らの中に湧き起こる衝動が、事を展開させている。



事は起きている・・・この感覚がよくわかるようになってきた。

自分の意志さえも起こっていることで、選択している自己は存在していない。


これが「ダルマと生きる」ということなのだろう。

昔、本で読んで知っていたが、いつのまにかそんな生き方が始まっていた。

いまは完全に流れの中にいる。



これは誰にでもできることだが、それを教えることはできない。

やり方はなく、訓練の方法さえない。

あえて言えば、瞑想習慣をつけることくらいだろうか。

これは自分で達成するものではなく、彼方からの贈り物だ。



しかし一度始まってしまえば、人は驚くことだろう。

生きることがこんなに容易いことだったなんて。

そこには摩擦もストレスも存在しえない。

肯定する自己も、否定する自己も存在していない。



通常、マインドは分裂している。

こうするべきと考えれば、そうすることは危ないと言う。

右に行こうと言えば、左のほうがいいかもしれないと言う。

これが正しいと言えば、あちらのほうがより真実に近いと言う。


だから頭(マインド)で考えた道は、人を不安にさせるのだろう。



それをハートから選ぶ時が来る。

ハートと言っても、感情のことではなく、感覚のことでもなく、愛のことでもない。

それはハートの奥にある、知性のようなものだ。

宇宙の源泉、すべての流れを司っているもの・・・TAO。




僕の予想では、いまはまだ機が熟していないが、近い将来、多くの人がこの感覚を理解し、生き方をシフトするようになるだろう。


それは人の努力や学びの結果もたらされるのではなく、自然に起こることだ。

シフトは始まっている。




ここ東京での生活は快適で、とても気に入っている。

こんなに面白い街だとは知らなかった。

いや知ってはいたが、若い当時は心からそれを楽しめなかったのだと思う。



午後からは「いまここ塾」に出かけていく。

そこでまたたくさんの人たちと出会うことだろう。



流れのままに。



過去と未来とすべての存在に感謝します。





   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:53Comments(47)

2010年11月20日

Take it easy.

思考は生きる上でとても有用な道具ですが、その中に浸かっていると決して幸せな気持ちにはなれません。


思考はその本性からして、否定的で、懐疑的で、批判的です。

物事に対して否定的な見方をすることで、安全を確保しようとしています。

もし信頼して安心してしまったら、どんな落とし穴が待っているか分からないと思うからです。

思考はある種の防衛機構の役目を果たしているわけです。


通常僕たちは思考の中で暮らしています。

そしてそのことに気づいていません。

自分と思考が同化してしまっていることに慣れてしまっているのです。



この文章さえも思考が読んでいます。

内容が合っているか間違っているかを判断しようとします。

そこにはわずかながらも絶え間なく緊張が存在し、どこかの筋肉が収縮しています。

それがいわゆる普通の状態です。



そんな状態からシフトするにはリラックスすることです。

まずは無意識に力を入れている個所を見つけ出し、意識して力を抜くことから始めてください。

体の緊張を緩めていくのです。


もう一度言いますが、自分では力が入っているような気がしていません。

その状態が当たり前になってしまっているからです。


体の力を抜けば、心の力も抜けます。

その分、気持ちは優しくなります。


瞑想による空(くう)の体験は、究極のリラックスをもたらしてくれます。

そこには「判断」がありません。

あるがままの世界が淡々と流れていることがわかります。

いいとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、そうやって人や状況を判断し批判している傾向が少なくなれば、心は安らかになっていきます。



そのような状態で生きる為には、存在に対するゆるぎない信頼が必要になります。


分かりやすく言えば、思考は不信感の作用であり、無思考は信頼の作用です。


無思考と言うと呆けているみたいなイメージを持つ人もいるかもしれませんが、実際には感覚が研ぎ澄まされ、より正確に状況を見て取ることができます。

ストレスや摩擦が消えるので、健康にも大変いい状態です。




この情報を頭で理解するのではなく、実践していくことが大切です。

まずはリラックスすることです。



体の力を抜いて・・・


心の力を抜いて・・・




ほらね、どってことないでしょ。




Take it easy(^o^)



   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:10Comments(42)

2010年11月19日

自分?

昨日ある人から質問を受けました。

「この世に自分しか存在していないという体験をしたとしたら、寂しくないですか。知人が、それはとても孤独で恐ろしい体験だと言っていました」


もし少しでもこんなふうに思っている人がいたとしたら、それは間違いです。


孤独の寂しさとは何でしょう。

それは他者との関係の中で生じます。

しかし、その他者さえも自分であったということを知ったとき、寂しさが入り込む余地はありません。


寂しいどころか、生まれて初めて本当の安心感を得ることができます。

心の底の底からの安心感です。



すべてが自分だと感じる時の「自分」とは、通常意識しているパーソナリティーとしての自分ではありません。

その奥の、生きて在るベーシックな自分です。


全体と一体になったとき、自分が全体の中に消えてしまうと思うかもしれませんが、そうではありません。

全体が自分の中にドバッと入り込んできます。

自分という存在が宇宙の中に溶け去るのではなく、自分という存在が宇宙全体だったことを知るのです。



言葉が難しいのは、「自分」と言ったときに、それが何を指すのか明確に伝えられないことです。


でもあなたは、心の深いところでその自分を知っています。

それどころか、一瞬も忘れたことがありません。

一瞬も忘れたことがないからこそ、その存在を認識できないのです。

あまりにも身近すぎて、あまりにも当たり前すぎて、見逃し続けている何かです。



その自分のことを、禅の世界では「無為の真人」(むいのしんにん)と呼びます。

直接には何もしない、本当の自分のことです。

または「無位の真人」と書くこともあります。

何の位もないただの自分、世の中で生きる為のあらゆる役割を手放した時に残る本当の自分。

禅語にはとても深遠な響きがありますね。



向禅師は大本山の責任ある立場にいますが、本当は無位の真人に徹して、存在の真実を衆生に伝えたいという思いを持っています。

来年は僕とのコンビをもっと増やしたいと言ってくれているので、そうなっていくかもしれません。

それに先駆けて、12月12日に名古屋で向禅師とのコラボ講演会を開きます。

また来週になったら詳細をお知らせします。




「Who am I?」

まさにこの一点を知るために生きているといっても過言ではないと思います。



日々是好日



   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:43Comments(47)

2010年11月18日

出家

実際には僕たちはみんな対等です。


外側から見てどう見えようと、僕たちを生かしているエネルギーはひとつしかなく、通常それをあなたは自分だと思っています。

しかしそれは、僕が内側で感じている自分と、まったく同じものです。

人間だけでなく、動物たちも、木々も、草花も、みんな同じ内的感覚を持っています。

「すべてはあなただ」と言うのは、そういう意味です。



この世にはあなたしか存在していません。

あなたこそが宇宙の主です。



したがって僕たちはみんな対等です。

あなた以上の存在もなく、あなた以下の存在もありません。

僕はあなたより優れているわけでも、劣っているわけでもありません。

僕たちは文字通り兄弟姉妹なのです。



社会の中には優劣が存在します。

社会の中には階級が存在します。

しかし、僕たちの存在は社会以上のものです。



社会に埋没してはいけません。

社会に魂を譲り渡してはいけません。



会社も同じです。

会社に魂を譲り渡してはいけません。



しっかりと自分の価値を認識して、社会や会社の中で役割を演じてください。

それらは、あなたの表面しか必要としていません。

魂を削る必要はないのです。



僕たちが、徹底的に対等な存在であることを忘れないでください。




僕はずいぶん前に社会を離れました。

とはいうものの、市民として生活し、義務を果たし、権利も享受しています。

しかしそれらは表面的な部分に過ぎず、社会は僕に何の影響も与えることはできません。

僕がすでにそこにいないからです。


出家をして社会を離れても、宗教組織の中で階級に取り込まれてしまうのはよくある話です。

彼らはまだ社会とともにあります。

反対に、社会の中に生きながら、そこを超えて生きることは可能です。

出家とは、物理的な現象ではなく、心理的な達成なのです。



心のままに生き始めて長い時間がたちました。

これからも社会の中で生きながら、影響されずに生きていくと思います。



みんなが自分の価値に気が付きますように。


みんなが本物の自由を手にしますように。





   



・・・・・・・・・



急に音楽ライブをすることになりました。

これも流れの中で起きていることです。


11月28日に福岡で歌います。

久しぶりにギターをかき鳴らしながら、祝詞を唱えてみましょうか。

いまここ塾のメッセージを理解してくれる人にとっては、言葉以上の情報が降り注ぐライブになると思います。

パートナーの智子さんも、去年のタイでの長期瞑想中に真理を体感したので、彼女の音楽キャリアがどう表現されるのかも楽しみです。

また新しい何かが始まる予感がする2010年の秋です。


詳細はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:31Comments(54)

2010年11月17日

さとりの瞬間

さとりの瞬間は様々な形で訪れます。

たとえば何気なく道を歩いていて、街路樹の葉がヒラヒラと落ちる様を見ているときに突然さとったとか、絶望の淵で無力感に襲われている最中に閃きが訪れたりとか、極度の緊張感がほぐれた時にそれがあったりとか・・・

その体験は時間を超えていて、因果関係はなく、何か特定の行為の結果ではありません。

もしそれが特定の行為の結果であれば、さとり方というものが形成されて、人類の目覚めはもっと早く起きていたと思います。

それは「すること」ではなく、「起こること」「ハプニング」なのです。


例外として、イスラム神秘主義のスーフィズムや、日本の禅のように、人を悟りに導くためのシステムが体系化している伝統もあります。

しかしそれも、カリキュラムをこなした結果達成されるのではなく、ハプニングが起きやすい環境を作り出すことでしかありません。


たとえば禅であれば、「いまここ」を生きるという生活習慣を徹底させたうえで、努力の限界まで自己を追い込み、結果的に自己(思考による自己規定)を落とすという、まことに厳しい道です。

向禅師のように命がけで修行に臨んだ人にはその可能性が開けますが、それさえも確実ではありません。


ではどうしたらいいのでしょう。

残念ながら自分にはどうすることもできないのです。


さとろうとすれば、さとろうとしている自分が邪魔になります。

その自分がなくなったときにさとりがあります。


その一方でさとろうとする意志がなければ何も始まりません。

このジレンマがさとりを困難にしています。


しかし、その体験をしてみれば、「な~んだ、こんなことだったのか。これはあらゆる出来事の中で最も簡単で、ありふれたことじゃないか!!!」と感じることでしょう。

歴代の禅のマスターたちが、悟りの瞬間に大笑いをしたというのはそんな理由です。

探していたものは、探そうとしていた自分そのものだったという、なんともお粗末などんでん返しが滑稽に見えるのです。



「さとり」というと大げさに聞こえますが、それはこの世で最も当たり前の体験であり、どこかの偉い人にだけに与えられた高い境地でもなく、僕たちのような一介の市民にも十分にさとる資格がすでに備わっています。

いまあるがままのあなたで、いままさにこの瞬間にさとることが可能です。

というよりも、いまこの瞬間にしか、さとることはできません。


僕たちがなかなかさとれないのは、いまの自分にはまだふさわしくない、いまの自分を改善すればいつかさとれるかもしれないという思いです。

なんでも先延ばししてしまう思考の傾向が、「いま」という唯一の入り口を閉ざしてしまいます。


さとる前は、悟りに対して様々な先入観があるために、「さとった」などと公言する人間を軽蔑したくなります。

その人の中に人間的な弱点を見つけ出し、「ほらみろ、あいつもただの人間じゃないか」と決めつけて安心しようとさえします。

さとりが、ただの人間になることなどとは夢にも思えないからです。


さとりに関するどのようなイメージも、さとりそのものではありません。

それは知識ではなく体験だからです。



いま目覚めの時代(さとりの時代)が始まったと言われています。

さとりのハプニングが人類規模で訪れようとしています。

この波が来るのは有史以来初めてのことで、そのような意味からも僕たちはまことに興味深い時代を生きています。


先ごろ発売された「さとりの授業」が、3刷になったと連絡をいただきました。

特に書店での売り上げが好調とのことです。

いままでなら見向きもされなかったような内容に、多くの人の関心が向けられだしたのも、この大変革の時代の現れのような気がします。


僕のような人間が大上段からさとりを語るのはいささか気が引けますが、むしろこの程度の人間だからこそ、身近に感じてもらえるのではないかという自負も持っています。

厚顔無恥な言動と知りつつ、これからも真正面から伝え続けていきたいと考えています。




   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:47Comments(73)

2010年11月16日

今日一日だけ

昨日から東京の新しい住まいに来ています。

この街は、古きよき時代の香りと、最先端のファッションが混在していて楽しいです。

道を尋ねたり、何かを買い求めたり、そんなときにふと触れる人たちの笑顔に、都会も田舎も変わらない人情を感じます。


やっぱり笑顔はいいですね。

そこに心がこもっていたらなおさら素晴らしい。


今日は一日、出会う人みんなに愛を与えてみませんか。



「今日一日」というところがミソです。

これからずっとやろうと思うと自信が持てないけれど、今日一日だったら何とかできそうです。



相手の職業や、立場や、振る舞いに関係なく、優しさと温かみを持って接してみましょう。

いままでの自分らしくないなんて言わないで、いまこの瞬間から変えてみましょう。



特に自分に対して意地悪な波動で接してくる人がいたら、次のことを思い出してください。

その人は、何かに緊張していて疲れています。

心の中に負担を抱え、幸せな気持ちを見失っています。 


そんな人にこそ、温かさを持って接する事ができたら、愛は深く強いものになっていきます。

最高のレッスンを与えてくれる、最高の教師ですね。



もし、できなかったとしても、自分を卑下する必要はありません。

いまの自分には少し難易度が高かっただけで、また再チャレンジすればいいのです。

自分にも優しい気持ちでいましょう。



温かい言葉と、温かい態度で接してもらえたら、誰だって嬉しいですよね。

人が自分を愛してくれるかではなく、自分が人を愛していけるかが人生の基本です。

そしてなんと驚くことに、そのことを通じて、何倍もの愛が自分に帰ってくるんです。



与えるものが受け取るもの。


これが宇宙の摂理ですね。




せめて、今日一日だけ、今日だけそれをやってみませんか。


今朝目が覚めて、そんなことを思いました。




   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:50Comments(59)

2010年11月15日

小鳥の歌

どんなに言葉を重ねても、届かない悲しみがある。

そんなあなたへ何ができるだろう。



きょうもまた日が昇り、そして一日が始まります。



すべての魂が祝福されていることを、あなたに告げましょう。


あなたの心に深い安らぎが訪れますように。



思し召すまま、流れのままに。




2010年 秋  大阪のホテルにて




   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:28Comments(42)

2010年11月14日

阿雲の呼吸

昨日は黒斎くんとの東京コラボ講演会でした。   

回を重ねるごとにやっている側がどんどん楽しくなるのは、二人ともまったく同じ理解を共有している事がわかるからです。

そこさえ一致していれば、表現方法が矛盾したとしても一瞬でわかりあえることができます。

他の違いは誤差のようなもので、それがお互いに好き勝手に話せる自由空間を作っているのだと思います。


昨日のコメントを読んでみたら、「A]さんもいたんですね。


僕と握手した????

もしかしてあの人だったのかななんて、勝手に想像しています。



今日は大阪コラボ講演会です。



今日もいい日でありますように。



     


Posted by Toshiro Abe at 08:28Comments(61)

2010年11月13日

空港から

いま那覇空港です。

羽田空港まで2時間あまり、時間距離として考えてみれば、大阪から東京に行くようなものです。


数年前までは活動のほとんどが沖縄県内で、まさかこんな生活が待ち受けているとは夢にも思いませんでした。

いや、夢には思ったかもしれません(笑)


心の奥底ではこうなることを知っていて、それが現実化したような気もします。

どこまでが運命で、どこからが自由意志なのか、そんなことを思いながらのフライトです。


今日は気のきいたことが何も書けませんが、それでも何か一言でもと思いながら、空港内に設置されたパソコンから書き込んでいます。



すでに、ブログが人生の一部になっています。

読んでくれるみなさんのおかげです。




今日もいい日でありますように。


   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:14Comments(31)

2010年11月12日

光の中の独り言

沖縄はこのところ毎日よいお天気が続いていて、こうしていまも半袖姿でパソコンに向かっています。

ここは神の島と言われていますが、多くの観光客が複数回訪れたくなるのは、単に自然の美しさや人の温かさだけではなく、自分自身では気がついていなくても、この土地から何か心がほっとするようなエネルギーを感じるからだと思います。

また行ってみたい・・・沖縄を訪れた多くの人がそう思います。


僕は幸運にも沖縄に暮らすことができ、来年の1月で10年目を迎えます。

来たときには小4だった息子も大学生になりました。

一緒に近くを散歩していたとき、彼が海の彼方を見つめながら、「パパ、僕たち長い旅に出たんだね」と言った言葉が忘れられません。

引越し、転校は、当時の彼にどんな影響を与えたのでしょうか。


生まれたときの予言では、精神霊的な理解を深め、親と同じことをしていくことになると言われていたのですが、幼少の頃のことがことごとく当たっているので、もしかしたらそうなのかもと思ったりします。


でもそうなるまでには、人間界の苦悩を一通り経験しなければなりません。


深く傷ついて初めて人の痛みがわかります。

孤独に恐れおののいて初めて人の寂しさがわかります。


間違いを犯すことも大切です。

それをしなくて、どうして正しさを知ることができるでしょう。


最初から与えられた正しさには、強さがありません。

それを一旦失くしてみて、たくさんの過ちを犯し、再び正しさに辿り着いたとき、その正しさには深みが生まれます。


あらゆる聖人たちの過去は罪人であり、あらゆる罪人たちの未来は聖人です。

そのようにして魂が磨かれていくのだと思います。



いま、悩み苦しんでいる人に伝えたいのは、人生で起こることには何一つ無駄はなく、完璧なシナリオの中で物事が進んでいるということです。

たとえいま、自分を卑下したくなったとしても、それは本当の偉大さに向かうための準備に過ぎません。


僕もたくさんの悲しみを経験してきました。

人を恨み、自分を呪い、世界全体が敵に見えたこともありました。

何度も死ぬことを考え、ぼろきれの様な心を内側に隠しながら、かろうじて笑顔を作って生きてきました。



あらゆる出来事は過ぎ去っていきます。

いまの悲しみも、苦しみも、喜びも、みんな過ぎ去って生きます。

その中にあって決して変わらないもの、それが僕たちの本質にかね備わっている至福です。

それは現象界の幸不幸を超えた絶対的な次元に存在しています。


それはいまも、あなたの中に、本当のあなたとして存在しています。




窓辺に差し込む柔らかな光の中で、つらつらと思いを書き綴ってみました。



人生に起きたあらゆる出来事に、ありがとう。



   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:11Comments(99)

2010年11月10日

メッセージ

な~んだ、そうだったのか!!!


本当の自分は、一度も生まれたことはなく、一度も死んだこともなかった。

常に「いまここ」に在り続ける永遠不滅のエネルギーだ。



そもそも、自分と呼べるような個別の魂など存在していない。

いままで自分だと思っていたのは、単なる記憶と思い込みの束だった。

心の中に架空の中心を持ち、それを自己だと思っていた。

その自己を外界から守るために、注意深く周囲をうかがい、間違いがないように生きてきた。



ところがどうだ。

守るべき自己もなければ、守らなければいけない外側の脅威もない。

どちらも、ひとつなるエネルギーの戯れだった。

全部大いなる自分が創り出していた夢だった。



何も心配することはない。

たとえどんな人生(夢)を送っても、本体はいささかも影響されていなくて、みんな最初の最初から救われているのだから、何が起きても究極は大丈夫なんだ。




そうだ、このことをみんなに伝えていこう。

たとえ誤解されても、わかってもらえなくても、死ぬまでこのことを伝えていこう。


「みんな大丈夫だよ」って。


「本当だよ、本当だよ、本当に本当だから安心してね」って。





あれから25年。

ただそのことを伝えてきました。




みんなが幸せでありますように。

みんなが安心を取り戻しますように。


世界の街角に子供たちの笑い声があふれますように。

みんなが、みんなが幸せでありますように。





   




・・・・・・・・・・・・・




週末は黒斎くんとのコラボ講演会です。

真実を伝えようとしている仲間に出会うのは嬉しいことです。


若干名のキャンセルが出ましたので、参加ご希望のかたはコチラからどうぞ。

(東京は〆きりました)  


Posted by Toshiro Abe at 10:07Comments(82)

2010年11月09日

チャネリング

僕はチャネリングというものに懐疑的でした。

人間の中に高次の魂が入り込んで、それが彼方なるメッセージを喋りだす。

まるで「西洋風いたこ」のような印象に戸惑っていました。

今回、ボブさんとコラボ講演会をさせてもらうことで、そのことへの答えが得られるのではと期待していました。



もし高次の意識体が自分の中に入り込むとすれば、それは依然として「我と汝」という二元性の中での出来事になってしまいます。

しかし宇宙の叡智は、僕たちが共有する「ひとつ」なるところのものです。

したがって究極的真理は、外側からではなく内側からもたらされます。



そのあたりの疑問を、直接ボブさんにぶつけてみました。



彼がチャネラーとして活躍していた80年代、雨後のたけのこのようにチャネラーと称する人たちが出現したそうです。

その中には、僕が疑問に感じているような形態のチャネリングも多かったようです。

有名無名に関わらず、彼の目から見て、その多くが偽モノに見えたとの事です。



本当のチャネリングとは、チャネラーがまず、空(くう)なる次元に入りこみます。

その次元においては「すべてはひとつ」であり、分離感や個別性格(個性)は失われます。

僕がよく、僕はあなたであり、あなたは僕だと言うのは、この次元の話です。


その「ひとつなるもの」が、ひとつとして同じではないフィルターを通して表現されているのが、我々が暮らす世界です。

そのフィルターが、地上における僕でありあなたです。


フィルターは本当の自分(ひとつなる次元)を表現する道具なのですが、僕たちはそのフィルターと自己同化してしまいます。

それが自我と呼ばれるものです。


一旦空(くう)に入った意識が3次元に戻ってくるときに、いままで使っていた「自分」というフィルターではなく、違うフィルターを使うことができるのがチャネラーなのだそうです。

彼方なる智慧をいつでも表現できる、高度なフィルターが存在します。

そのフィルターを通ることで、それまで自分がキャッチしていた知識以外のものを表現することが可能になるそうです。



このような説明は、僕をいくばくか納得させることができました。

少なくとも「西洋風いたこ」より、遥かにマシです。


そしてボブさんの隣に座り、彼のチャネリングを見ていました。

正直言って、いまでも全面的に信じているわけではありません。

一度入り込んでしまった印象は、そう簡単に消えるものではないからです。



ただ、僕の身体には不思議な現象が訪れたのも事実です。

彼のチャネリングでマーリンが登場すると、背骨が痙攣するんです(笑)

とても心地いい振動で、心も至福に近い状態でした。


人前でそんな状態になるのも、まるでカルト集団のデモンストレーションみたいなので、けっこうこらえていたのですが、それも疲れるので、途中からはもうお任せ状態でした。

その場にいた人の中にも身体的変化を感じた人がいたようですが、こればかりは理屈を超えていて、不思議な現象だと思いました。



結果的に得た結論はこうです。

それがチャネリングであれ何であれ、そこに出てくるメッセージの深さと正当性において評価されるべきだということです。

その点から言えば、文句なく素晴らしいセッションだったと思います。

彼が別の感覚のメッセージを伝えるために、自分以外のフィルターを使うことがチャネリングだとしたら、それもありかなというのがいまの僕の感想です。



もうひとつ、ボブさんと会ってから認識が変わり始めたものの中に「過去生」があります。

認識が変わったといっても、究極的な理解は変わっていません。

過去生というアプローチをしたほうがわかりやすい現象もあり、あまり頑なにそれらを否定し続けるのもいかがなものかと感じ始めています。

その話は次の機会に委ねます。




最後まで読んでくれてありがとうございました。





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Posted by Toshiro Abe at 11:47Comments(80)