2012年09月30日

永遠の風の中で

今日は東京講演会でした。

来てくれた皆さん、ありがとうございました。


「人は死なない」・・・昨日の窪田老師の論文を、僕なりの表現で話させてもらいましたが、これは仮説ではなく、存在への理解が深まったとき、誰もが実感できる事実です。

親しい人を亡くした人や、最期を看取る人は、死と直面した時に自分には何もできない無力感を持つかと思いますが、そんな時は思い出してください。

現象としての肉体は機能を停止しますが、その人を生かしていた命は永遠です。

宇宙大の意識の懐に帰っていくだけです。

死は旅立ちであり、決して忌まわしいものではありません。


命とは現象界での活動ではなく、森羅万象すべての基盤にある無尽蔵のエネルギーです。

命はあなたの所有物ではなく、あなたが命そのものなのです。

命は現象界においては、姿を現したり消えたりして見えますが、実際には現象を超えて在り続ける存在そのものです。


死への誤った観念が変われば、生き方も変わっていきます。

恐れからではなく、人生が創造の喜びに変わっていくのです。







講演会の後は、瞑想伝授した方たちへのアフターケアを兼ねて瞑想会をやっています。

今日も嵐の中を来場いただきありがとうございました。


天候が悪化する前に終了したので、やや短い時間となりましたが、とても素晴らしい時間を共有させてもらいました。

みなさんが、会うたびに輝きを増しているのが分かります。

永遠の風の中で、出会えたことに感謝しています。



いまとても爽やかな気持ちなので、こうして記事に書かせてもらいました。



明日沖縄に帰ります。


ありがとうございました。









   


・・・・・・・


10月2日(火) 沖縄いまここ塾

今回は20:30開演になりますので、ご注意ください。
  


Posted by Toshiro Abe at 18:40Comments(96)

2012年09月29日

人間は死なない!

今朝、堀澤大僧正からメールをいただきました。

その中に窪田慈雲老師の文章を添付して下さったので紹介します。

少し長いですが、お時間があるときに、ぜひお読みください。






「人間は死なない」―耕雲大老師の思い出ー   窪田慈雲老師 記


それは昭和三十三年(一九五八年)一月の第二か第四の日曜日のことであった。

鎌倉坐禅会の例会が、何時もの大塔宮からその日に限って北鎌倉の松ヶ岡文庫の茶室で行われた。

丁度昼食後の歓談の時間であった。


中央に安谷白雲老師が坐られ、その右隣に山田耕雲老師が坐り、私は安谷老師のやや左側の対面した位置に坐っていた。

その外何人かの道友も同席していたが、そのうちの一人が安谷老師に向かって、

「老師! 人間は死んだらどうなるのでしょうか。」と質問した。


すると山田耕雲老師が、まさに間髪を入れず、突然大きな声で

「人間は死なない! そうですよね老師! 」

と、安谷老師に向かって言われた。


安谷老師は、うなずきながら、

「うん、人間は死ぬときは只死ぬだけだよ。」と仰有った。

 暫時、静寂がその場を支配した。


すると耕雲老師は、今度は、静かな口調で、

「人間は絶対死ぬ事はないのです。だから恐れることはない。昔からよく言われますね。
  
世の中は今より外はなかりけり、

昨日は過ぎつ明日は来たらず。

世の中は此処より外はなかりけり、

脇に居られずよそに行かれず。」

と言われて、我々は即今只今の命しかない事実を示された。


このような断言は、まさに昭和二十八年十一月の耕雲老師の再見性(『禅の正門―付録二「再見性の大歓喜」』参照)の禅体験に裏付けられた自信によるものであって、それこそ他を寄せつけない絶対の権威があった。


私はその時、丁度二十六歳の正月で、前年の昭和三十二年八月埼玉県の真光寺接心で見性を許されて間もなくのことであったため、耕雲老師の「人間は死なない!」の一言に、まさに脳天を打ち砕かれる思いがし、それを今日でもありありと思い浮かべることができる。

それは何故かと言うと、私の参禅の契機が幼いとき二人の弟の死に遭遇した無常感と死ぬのが怖いという恐怖感が出発点であり、何とかして生死問題を解決したいという思いが基本であったことと、見性体験により、少しは解決できたかなどと思っていた矢先の自分が、耕雲老師のように「人間は絶対死なない!」とはとても断言できる自信が無いことを思い知らされたからである。


「人間は死ぬことは無い。」とは一体どういうことであろうか。

このようにはっきりと断言できる自信はどこから出てくるのであろうか。

それがはっきり言えない自分の見性体験など、まだまだ不徹底であり、不明瞭であるという反省心がむらむらと湧いてきて、一層の参禅弁道の意志を固めたのである。

まさに私は耕雲老師の一言に強く鞭打たれたと言って過言ではない。


それからは白雲室の室内での真剣な参禅に勤めたが、耕雲老大師の真意を理解するまでに更に十七年の歳月が必要であった。昭和五十年(一九七五年)二月ロンドンにおいて地下鉄の音で自己を忘じた再見性の体験により、始めて永遠のいのちに目覚めることができた。

あらゆるものは、この永遠のいのちにより生かされ、変化し、生滅し、出生する。だからと言って永遠のいのちという固定的なものがあるわけではない。

いのちである以上、色も形も高さも重さも一切無い。

一切無いがあらゆるものになりうる無限の性能を備えている。

これは事実であって観念によって作り上げたものではない。

ではどうしたらこの事実に気が付くことができるのであろうか。

この永遠のいのちは眼・耳・鼻・舌・身・意という我々の六根の対象として相対的に捉えることはできないのである。

しばらく六根の働きを止めて、坐禅によって完全に自己を忘じ、この永遠のいのちそのものと一体となった時に、この事実に気がつくことができる。

この永遠のいのちそのものになれば「人間は生きどおしの事実のみで絶対に死ぬことはない。」と明言することができるのである。


この永遠のいのちの中味をもう少し検討してみることにしよう。

我々はこの永遠のいのちに生かされているが、この事実を知るものは一人もいない。

我々が認識するのは、或る所で生まれ七十年乃至八十年生きてやがて死んでいく有限相対の自分とか他人とか言っている存在のみである。

現象の世界はこのとおりであって誰も疑いを抱かないが、この生まれて刻々と変化して成長し生き続けそして死んでいく自分の正体は一体なんであろうか。

普通の人はそんなことは考えても仕方がない。

太く短く細く長くかは知らないが楽しく人生を送ればよいという程度で生きていくのが通常である。


だが釈尊はこの生老病死を繰り返す人間の姿に深く無常を感じ、この自分の正体を明らかにしようと刻苦精励した。

そして二千五百年前の十二月八日明けの明星を一見されたとき、「我と一切衆生と同時に成道す」という大悟の体験をされた。

それは我(仏様)も一切衆生(我々一般人)も共に元々「無限のいのち」そのものであるという事実に気がつかれたのである。


この悟りの本質は何かというと、今まで自分自身と思っていた全自己(身も心も)はまったくカラッポ(空)であって、自分というカタマリは全く無かったという事実であります。

カラッポというと何も無いのかというと違います。

カラッポだからこそ何にでもなりうる無限の性能を備えている。これが我々のいのちの本質であるということなのです。


これを分かり易く譬えてみると、我々の右手と左手のようなものである。

右手が自分左手が他人と考えると、通常は右手と左手は相対立し、自分の親指は太いが小指は短い。

自分の中指は背が高いが他人の中指は不細工だと比較して、現象の世界しか見えないし、その上に立った競争や妥協に明け暮れている。

しかしよくよく見ると、それは一つの命を生きている右手と左手であって、通常その働きは空気と同じように意識しないが、一つの命が本当に働く時は右手で球を投げ左手で球を受けるというように絶妙な力を互いに発揮している。


そして一度この本当に生かされている命に気がつくと、右手と左手の相互関係が全く違った価値観で位置づけられ活用をはかることができるようになる。

しかもこの命は色も形もにおいも重さもない。

しかし何も無いのではなく右手も左手も自由に動かす無限絶妙な力を持っている。

この中味カラッポだが無限の能力を備えている命を観念や思想を媒介せずに掴まえるのが悟りであって、禅は決して奇妙不可解なことをいっているのではありません。

この関係は自分と宇宙万物との関係についてもいえるのであって、本来の自己と宇宙の真の事実は中味カラッポでしかも無限の性能を持つ内容において全く同一であります。


(「暁鐘」255号山田耕雲老師追想特集から抜粋)








   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:47Comments(75)

2012年09月28日

心境の変化

20代のころは、いつも何かを目指して、向上心もありましたが、30歳を過ぎたころから、そういう情熱や意欲がなくなっていきました。

昨日書いたような、経済的危機も迎えました。

なぜそうなったのか、僕の場合の答えは明白です。


皮肉にも、存在への気づき、目覚め体験があったからです。

その日を境に、お金、物、実績、評判、この世の何もかもに興味を無くしていきました。

気づきを伝えたいという思いはありましたが、それ以外にやりたいことも失せていました。


何がどうなろうと、宇宙は完璧で、自分自身も何か増えるわけでも減るわけでもなく、なんでもOKだという思いでした。


いまもよく覚えているのは、浜松の家で縁側に座り、庭をぼんやりと見ながら、「オレは隠居したんだよな」と感じていたことです。

男としては、一番血気盛んな年齢でしたが、心の中は老人のようでした。



何を得ても得なくても、何をしてもしなくても、実は同じこと。

やらなければいけないことも何一つないし、あるべき姿もないのだから気楽に過ごすとしよう。


欲しいものもないし、やりたいこともないし、流れのままに生きていこう。

贅沢がしたいわけでもないし、家族のニーズを満たしてあげられたら、それ以上は何も要らない。


沖縄に引っ越してからも、しばらくはそんな気持ちでした。


実はいまも、似たような感覚はあります。

ただ、少し変わり始めました。

それは、このブログを始めてからだと思います。


コメント欄で、ブログの内容が役に立ったとか、救われたとか書いてもらうと、人の役に立つことの喜びが理屈なしで湧いてきます。

好きなことをしているのに、こんなに喜んでもらえるのは、ありがたいし面白い。


それで調子に乗って、講演会を全国展開し始めたら、これもまた面白い。

なんだかワクワクする気持ちが蘇ってきたのです。


どちらにしても同じならば、次々とワクワクすることをやって、より楽しく、より快適に、あれやこれやを手に入れて、少しは贅沢も味わってみようという気になりました。

それが3年くらい前のことです。


それからは引き寄せの法則(?)が機能し始めて、いまに至ります。





生活は一変し、これはこれで楽しいし、イキイキしています。

音楽も再開しようと思っています。

捨て犬や捨て猫の救済活動も始めようと思っています。


いままでの生き方が間違っていたとは思わないけれど、いまの生き方も満更じゃありません。

もしかしたら目覚めた後は、目覚めの境地に安住してしまう時期があって、人によってはそのことも変化していくのかもしれません。



繰り返しますが、どちらにしても同じこと。


どうせ同じなら、もう一度夢でも見てみるか。

そんな心境の、初老の秋です(^o^)









   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:00Comments(102)

2012年09月27日

今日の話は、現実路線

いま現在、経済的に大変な思いをしている人もいるかと思いますが、僕の経験談を書いてみます。


結婚し、子供が生まれ、扶養家族が4人、叔母をホームヘルパーとして家に迎え入れなければならなくなり、そして母への仕送り・・・

たくさんの負担が肩にのしかかっていました。

子供の紙おむつが買えない時期もあり、妻も大変だったと思います。





方広寺でセミナーを始めたものの、浜名湖の北にある山奥のお寺にまで足を運んでくれる人が、そうそういるわけではありません。

収入が底をつき、「こんどこそもうダメかも」と思ったことも何度かありました。


そんなころ、僕を救ってくれた考え方が幾つかありました。

このブログでも、何度も紹介してきました。

ここに綴ってきたアドバイスは、僕自身が経験として学んできたことです。



ひとつは、いつも「いま」なのだから、明日のことは心配せずに、目の前のことに取り組もうというもの。

人間ができるのは、一度にひとつだけで、それはどんな人も同じなのだから、とにかくひとつひとつできることからやっていこうと思いました。

なんであれ行動すると落ち込んでいる暇がなくなります。

反対に、長時間落ち込んでいる人というのは暇な人なのです。

そんな時は、身の回りの掃除でもいいから、何かすることをお勧めします。



もうひとつ役に立った考え方は、一休禅師が残した遺言書です。

寺の存続がどうにもならなくなった時に開封するように言い残して死んだ遺言書を、寺がどうにもならなくなった時に開けてみたら


「心配するな、なんとかなる」

と書かれていたそうです。

物事は必ず何とかなるし、ならなければならないなりに、そこからまたなんとかしていけばいいだけだと思いました。



そしてもうひとつが、人間万事塞翁が馬。

そのとき悪い出来事だと思ったことが、次の素晴らしい出来事のために不可欠だったりするので、流れを信頼してお任せしようと思いました。


それが、「南無」「思召すままに」の精神です。

何が起きても、それが神の意志ならば受け入れようという絶対的な信頼。

この気持ちがあったから、いま思えば首の皮一枚で大変な時も、どこか気楽に乗り切れたように思います。


いつか書きますが、方広寺での活動を支援してくれたのは、天河で偶然出会った人たちでした。

不思議な力に助けられてきたことは事実で、大きな力が後押ししてくれているという実感は増すばかりでした。

うまくいかなくなると、「今度はどんな形で助けてくれるんだろう」と思ったくらいです。


そして決定的だったのは、いついかなる時も、目覚めの感覚が底辺に流れていたことです。

もし気づきがないまま同じ状況に置かれたら、精神を病んでしまう人がいるかもしれない、それくらいの状況を生きてきたように思います。



若いころは大変な思いもたくさんしましたが、あのころといまと、決定的に違うことがあります。

それは、現実を自由に作り出していける能力が備わったことです。


特にボブさんと出会ってからは、願望が形になる時間が短縮されていきました。

「空」(くう)と頻繁に出会えるようになったことが大きかったと思います。




ひとつだけ言えることは、

「人生無駄なし」



出会うべき人とは必ず出会う。

しかも、一瞬早からず、遅からず。



したがって



南無



思召すままに




大丈夫ですよ(^o^)








   


・・・・・・・


10月2日(火) 沖縄いまここ塾

今回は会場の都合で8時半開演となります。

お気を付けください。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:05Comments(106)

2012年09月26日

それではご一緒に

昨日のみなさんの答えは想像以上でしたよ。

その気持ちがあるのなら、もう結果を得たも同じです。


彼(?)は皮肉なことに、あなたが忘れたころにやってきます。

あるいは、「なかなか来ないなぁ、もういいや」とあきらめたころに。


そのとき、いままで学んできた真理の言葉たちが、あなたの究極体験を承認してくれることでしょう。

頭で理解していた言葉たちが、イキイキと命を持って、より深い意味として全身を貫くのです。


いつ彼(?)がやって来るかは決まっていますが、いつなのかを僕は知っています。

あなたも知っていますよね。


そう、それは・・・いまです。


これだけは確かです。

目覚めが起こるのは、必ず「いま」だということ。


だって目覚めとは、時間という幻想からの目覚めなのだから。

永遠のいまへの帰還なのだから。


「おかえり」



「ただ・いま」




こうやって同じ話を言い続けるんだろうな。

だって、他にやりたいことないし。



お互い覚悟が決まったら、心のままにとことん生きましょう。

あなたが目覚めるのは確実だし、この世においてもあなたの願望はすべて叶うし、なんだって思い通りですよ。

だってあなたの中で生きているのは、招待している主人その人だから。


本当のあなたが、創造主その人です。




えっ?そうだったの!?




そうだったんです。


驚きましたね。



それでは、ご一緒に











がちょ~~ん♪










   


・・・・・・・・・・・


10月8日 仙台講演会は残り席わずかです。

詳細はコチラから。



雲 黒斎くんとのコラボ講演会「阿雲の呼吸」は以下のスケジュールです。


◎10月21日(日) 札幌
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◎11月3日(土) 松山
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◎11月4日(日) 福岡
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Posted by Toshiro Abe at 10:17Comments(95)

2012年09月25日

今夜あたりどうですか?

僕たちは精神霊的な真実を学びたいと思っていますが、本当の真実は自己の不在性に気づくことでしかありません。

その気づきの体験が、「神」です。

その体験の中で初めて、いままでも、いまも、そしてこれからも永遠に完璧であることを知ります。


「自分」と「自分の人生」を握りしめている間は、取り巻く周囲の不完全さが目に映ります。

飢餓や紛争、そして身近な人間関係や、経済的な問題もあります。

これらの夢はリアルなので、幻想だなどと言われたら腹立たしくさえ思います。

量子の科学は、物質など存在しないことを突き止めましたが、そうは言われても鉄は固くて、頭をぶつければ痛いという感覚もあり、理論的に理解できても実感は伴いません。



それでも言います。


あなたは存在せず、神だけが存在します。

時間の中で起こるあらゆる出来事は幻想で、「いま」しか存在せず、実際には何も起きていません。


人生で抱えている問題は、次から次へと形を変えて出現し、決して無くなることはありませんが、「自分」と「自分の人生」が、大いなる気づきと共に消えうせたとき、一切の問題も霧のように消えていきます。

初めて味わう心からの安心感、幸福感、本物の愛。


後にまた、肉体感覚がよみがえり、前と同じように人生が続いていきますが、同じようでいて同じではありません。

理解の痕跡が、存在の一部として刻まれているからです。


いまや多くの人にこの理解の瞬間が訪れようとしています。

まさにいまが、その過渡期だと感じています。





僕たちは真実を知りたいのですが、本当は知りたくないんです。


数か月前に、みなさんにこんなことを聞きました。

もし神様が現れて

「はい、ここまでです。おつかれさまでした」

って言われたら、どうしますかと。


もちろん肉体の死のことではありません。

今まで人生だと信じていたストーリーや、それを生きてきた「自分」が、いまこの瞬間に消えてなくなるとしたらどうするかでした。

実際には消えてなくなるのではなく、最初からなかったものを「なかった」と見抜くだけですが。



あの日の質問に対して、

「いまは、やりかけのことがある。もう少し待って欲しい」

と言った人もいましたね。


それでは、

いまならどうですか。

少し待ちましたよ。


えっ?少しって数か月じゃなくて、数年のことだって?


数十年ですか?


いいでしょう。

それまで待ってもらいましょう。


でもその時になったら、きっとあなたはこう言うことでしょう。


「いまは、やりかけのことがある。もう少し待って欲しい」



これと同じような話が、聖書に出てきます。

神の使いと商人とのやり取りです。

そのままではありませんが、概要を書くと・・・


ある日のこと、神の使いは商人の家の門を叩いてこう言いました。

「主があなたを屋敷に招待したいと言っています」


すると商人はこう言います。

「いま大切な商談が始まっています。それが終わってから招待を受けさせてください」


数週間して再び神の使いがやってくると、今度は、「親戚の結婚式があるから」と言って、また延期を申し出ます。


そうやって人は何千年も先延ばししてきたという訓話です。


あれからさらに2000年が経ったけれど、まだ僕たちは先延ばししているのかもしれないですね(^o^)


どうですか、今夜あたり。









   

  


Posted by Toshiro Abe at 12:04Comments(188)

2012年09月24日

人生は選択の結果か、それとも運命か。

あなたはどちらだと思いますか。


僕は、人との出会いも別れも、そのタイミングさえも、全部決まっていると思います。


すべては縁の中で生じています。

そのような証拠をたくさん見せられてきたし、過去も未来も全部同時に「いま」の中にあることを感じた時など、全部あらかじめ決まっていたことを確信します。



その一方で、引き寄せの法則と言われる現象が実在するのも、自分の半生を振り返ってみて確かなことです。


はたして、物事は決定づけられているのか、それとも各自の選択によって展開しているのか、そんな質問を受けることもしばしばあります。


僕はこのように思います。

実は誰もが、あらかじめ自分の人生の展開を心のどこかで知っていて、それを知っているからこそ強く願うのではないかと。

願ったから叶ったのではなく、そうなること知っていたから願ったのだと。


もうひとつ違う角度から説明すると、やはり物事は決まっていて、その物事を自分が引き寄せたと言う人は、引き寄せようという思いさえも決まっていたということです。

引き寄せの法則を学び、それを実践して首尾よく願望が実現したという人は、引き寄せの法則の情報と出会うことも、それを実践することも決まっていたというわけです。

だったら多くの人に、願望が実現する秘訣を開示してみたいと、僕や、ボブ・フィックスさんや、黒斎くんは思っているのです。


結論を言えば、すべてが決まっているということは、個人の発想や意志や、それらのタイミングもすべて決まっているということです。


この先、右に曲がろうとして、でも運命を変えようと思い左に曲がったとしたら、運命を変えようという発想も左に曲ることも決まっていました。


この文章を読んで、「そんなことはない、決まってなんかいるものか。それじゃロボットじゃないか」という抵抗の思いも、あらかじめ決まっていたことです。


あはは、キリがないですね。

決まっていようといまいと、一瞬先のことは分からないのが人間稼業で、どうせ決まっているなら最高に楽しめる人生であってほしいという人は、最高に楽しめる人生を発想してその方向に行動していけば、引き寄せることができますよ。

それも決まっていたことですが(笑)







最後にとっておきの秘密。

決まっていると言うけれど、それを決めたのは「あなた」(宇宙的なあなた)です。


宇宙的なあなたは、今回そういう人生を経験してみたかったんです。

だからどのみち、願望は実現しているわけです。


いいも悪いもありません。

いろんな経験をしていろんな感情を味わってみたいというのが、宇宙的あなたの想いですから。



すべてはうまくいっています。

計画は完璧です。









   

  


Posted by Toshiro Abe at 10:42Comments(183)

2012年09月22日

時代の量子的ジャンプ

こうしてブログを始めて、はや6年余り。

どうせ書くなら、自分が一番伝えたいことにしようって思いました。

でも、本当に感じていることを書いたとしても、読む側に同じ体験がなければ、単なる言葉の遊びみたいに見えてしまうだろうと覚悟していました。

だからごくごく一部の、マニアックな皆さんに宛てて書いていたんです。


最初に、その種のメッセージを載せたときは恐る恐るでした(笑)


それがこの記事です。


・・・・・・・


朝から超ぶっ飛んだ話を一つ。


本当は時間なんて存在していなくて、いつも「今」なんだよ。

そしてもっと深く入っていくと・・・

本当は他人なんか存在していなくて、「全ては自分」なんだよ。


常にいまここで、自分という意識が夢を織りなして戯れている。

どんな成功体験も、どんな惨めな経験も、全ては夢。

その夢は、真の目覚めが訪れるまで続いていく。


でもしょせん夢は夢だから。

いい夢も悪夢も、目覚めてしまえば夢だから。


だから・・・気楽にいこうね。



・・・・・・・・


いまとなっては、何て当り前なメッセージだと思うくらい、ありふれた文章ですよね。

たった数年間に、このような情報や、それを受け取ってくれる人が飛躍的に増えてきたってことです。


これを読んでくれている人の中にも、6年前はチンプンカンプンだったけど、いまはよく分かるという人も多いんじゃないでしょうか。


6年間なんて、宇宙から見たら瞬(まばた)きみたいな時間。

そしてこの先も、ほんの僅かな時間で真実を知る人の数が急増して、僕たちは「個から全体意識」へとシフトしていくのでしょう。


今年はそのターニングポイントのような年だと感じています。





この先は、僕やあなたが想像している以上の大きな変化が起きますよ。

想像できる未来図は、しょせん過去の素材の組み合わせです。

未来は、未だ来たらぬものであり、存在全体の量子的ジャンプです。


世界全体がジャンプするのかって?


いいえ、「あなた」がジャンプするんです。


「あなた」がジャンプしたとき、世界がジャンプします。

だって「あなた」が世界なのですから。



さて、どんなでしょう。

ワクワクしますね。


凄い時代に生まれてきたものです。








   


・・・・・・・・・


【お知らせ】


年内に行われる雲 黒斎くんとのコラボ講演会「阿雲の呼吸」は以下のスケジュールです。
チケット購入希望の方は購入ページリンクをクリックしてください。


◎10月21日(日) 札幌
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◎11月3日(土) 松山
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◎11月4日(日) 福岡
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向禅師との共著、「みんながブッダ」の付録CDの収録模様が動画でアップされました。

スタジオ収録風景

   


Posted by Toshiro Abe at 16:02Comments(73)

2012年09月21日

ブタレンジャー

僕は来年の10月に還暦を迎えます。

パートナーの智子さんを見ていても、いまの時代の還暦は人生の折り返し地点のようなものだという気がします。


いずれは死んでいく身ですが、残された人生で、少しでも何かの役に立ちたいと思うのは、人間の本性に含まれた衝動だと思います。



講演会や瞑想の普及などの活動はライフワークとして続けていきますが、少し割合を減らして、もう一つ、前々からやりたかったことにも取り組んでいこうと思っています。


まずは、毎年20万匹もの犬猫が殺処分になっている現状を何とかしたいのです。


世の中には助けを求めている人たちも多くいて、なぜ動物なのかと思う人もいるかもしれません。

おそらく僕たちは、それぞれに関心を持つ場所があって、それによって多方面に救済が広がっていくのでしょう。


ゆくゆくは牛や豚や、食肉用として命の尊厳を無視され続けてきた動物たちにも、何かできないかと思っています。


しかし食習慣に関しては、人それぞれの嗜好や考え方もあり、ハードルは高いですね。

でも僕は僕なりに、活動を展開していこうと思います。


豚は汚く飼っていますが、じつはとても綺麗好きで、知能も高く、嬉しいときには犬と同じように尻尾を振ります。






今日はこの映像を見てくれますか。


川で溺れた子ヤギを助ける子ブタの映像です(笑)

動物は愛くるしいですね。


僕は天使だと思っています。


救命ブタレンジャー









   
  


Posted by Toshiro Abe at 12:55Comments(130)

2012年09月20日

チャンスの時代

れいさんからの質問

尖閣諸島の問題で日本と中国が戦争になるかもしれないという見方があります。
阿部さんはどう思われますか?




いま僕たちに必要なのは、自分が直接できる範囲を見極めることだと思います

必要もなく不快感を持ち続けないことです。


報道は、一つのことに関心を向けさせる傾向にあります。

いまの尖閣問題も然りです。

しかし国同士の付き合いは、多方面で様々なことが起きていて、僕たち個人が把握できるようなものではありません。

中国にも良識ある人たちがいますが、彼らの意見はあまり伝わってきません。

是非や善悪の二元論で考えるのは、あまりにも短絡的です。



無責任に聞こえるかもしれませんが、いまは自分自身の成長に専念する時だと思います。

現象に一喜一憂するのではなく、本当の自分への気づきを持つことです。


「本当の自分」というのは、本当の性格だとか、本当の能力とかいうことではありません。

表面的に把握している自分という印象の奥にある、「誰でもない自分」です。


本当の自分の発見は、存在次元を変えるだけの力があります。

「自分と外界」というそれまでの感覚から、「外界を含んだ自分」という感覚に変わるのです。



国際問題については、直接的に何もできませんが、自分自身のことは直接取り組むことができます。

外側の問題に取り組むのはそれからです。

内側が混乱した状態では、外側の問題がさらに混乱して見えてきます。

その挙句が、戦争という蛮行さえ支持してしまうのです。

エゴは批判や非難が大好きで、その内側には暴力性が潜んでいることを忘れてはいけません。



大震災が起きた翌日、このブログで

「思考や感情に巻き込まれることなく、落ち着いて『いまここ』を生きてください。

前後裁断して、目の前の現実に取り組んでください。」

と書きました。


すると、

「こんな状況になっても、まだ『いまここ』などと言うのか!見損なったぞ」

というようなコメントをもらいました。


あの時は、みんなが浮足立っているように見えました。

まずは落ち着いて冷静になることです。

それが人間力であり、的を射た解決につながる道だと思います。






さて、話は少し変わります。


僕たちは日本に住んでいるので日本の素晴らしさに無自覚ですが、ますます国土そのものの波動が上がってきているのを感じています。


人間は住んでいる「場」に影響されます。

場は波動であり、波動が上昇すれば、そこに住む人間の意識も変わってきます。


日本列島が世界に先駆けて、国規模の啓発を起こしていくような気がしてなりません。

経済システムの矛盾や、政治家の質や、大国のエゴや、まだまだ問題は山積ですが、個々の意識が上昇することで、いまは見えない方法によって、すべてが落ち着いていくと思っています。



宇宙を知ったあの日から、僕は徹底した楽観主義者です。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:56Comments(115)

2012年09月19日

書籍の事

昨日ダイヤモンド社さんから、向禅師との共著「みんながブッダ」のオンライン記事ができたから、みなさんに紹介してほしいってメール貰いました。

読んでみたら、CD対談からの抜粋で、面白かったので紹介します。


書籍オンライン 「みんながブッダ」



それと、「一瞬で幸せになる方法」の電子書籍版があるって、以前から存在は聞いていたんだけど、昨日のカキコの中に読んでくれた人の感想があって、僕も検索してみたら、これって便利ですね。

いまさらながら、電子書籍の可能性を感じました。

この本はサンマーク出版さんから発売されましたが、原書は自費出版の「いまここ塾」です。

どちらも読んだことがない人は、覗いて見てください。


「一瞬で幸せになる方法」

iphone・ ipad版


Pc版 1


Pc版 2



声優さんが読み上げてくれているオーディオブックもあります。

視聴もできました。

オーディオブック



現在、新刊企画が2冊同時進行しています。

国語の通信簿が「3」だった僕には、考えられないことです。

人の可能性は無限大ですね(^o^)












   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:42Comments(40)

2012年09月18日

放浪記 25

お金がない、

仕事がない、

何の策もない


それなのに、ほとんど不安や心配がありません。

どうやらこの数か月間で、神(?)を信頼すること、人生の流れを信頼することが身に付き始めたようでした。

すでに預けた命です。

投げやりではないのですが、どうにでもなれという気持ちでした。


その一方で、都合のいい願望もありました。

相手が神ならば、神業(かみわざ)で奇跡を起こして、僕が生活に困らない状態を作ってくれたらいいな・・・突然スポンサーが現れるとか・・・大金が転がり込むとか・・・







平成元年7月の末、東京に帰りました。


家に着いて早々、留守中に届いた手紙を整理していると、一通の支払調書を見つけました。

なんと当時のアイドルが、僕が10年以上前に作った歌をリバイバルしていて、その初回印税が振り込まれていたのです。

しかもウン百万円です。

まさしく、大金が転がり込んでいました。

僕が天河に行った3月に決定され、レコーディングもされ、6月末に発売になったと後で聞きました。

使用権は音楽出版社に委託しているので、僕の許可は要りません。

5小節目を間違えて3度高く歌っていますが、そんなことはどうでもいい。

買わなかった宝くじが当たったような気分でした。



おお、神よ、好き好き、大好き!!

神っていい奴じゃん。

そっちがその気なら、こっちだってあんたを信じて身を預けようじゃないの。

ま、仲よくやろうぜ。


不遜な言い方に聞こえるかもしれませんが、これは長年にわたって持ってきた、神への偽らざる気持ちです。


神も偉大ですが、僕もあなたも偉大です。

僕たちは神がいなければ存在できませんが、神も僕たちがいなければ自分を表現できないのです。

神という存在に謙虚になって、完全に自分を捨て切り、五体投地のような心境も目覚めに有効ですが、同時に自分という存在が神と対等で偉大なものであることも忘れてはいけません。

究極的には神も自分もひとつのものであり、この事実は神のほうがよく知っています。



「神との対話」という本がありますが、あの中で特筆すべきことは、作者と神が友情関係、すなわち対等な立場で関わっていることです。

神との友情・・・素晴らしい表現だと思います。



なにはともあれ、彼が僕を養ってくれていることがはっきりしました。

ますます神への信頼と、人生の流れへの信頼が高まっていきました。

これはただの偶然で、勝手な思い込みの可能性もあります。

でもその思い込みが、僕の人生を引き上げてくれたことだけは事実です。



自分にはいいことが起きていないという人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。

いま必要なことが起きているのです。

それを信頼したとき、ひとつの学びが終わり、次のステップでの展開が始まります。


信頼すればするほど、事はスムーズに流れだし、生きることが楽になっていきます。


このことを僕と黒斎くんは、「降参のススメ」と呼ぶこといしました。

  


Posted by Toshiro Abe at 10:21Comments(89)放浪記

2012年09月17日

ふと思ったこと

気楽に気楽にいきましょう。

口元に微笑みを浮かべて、優しいまなざしで世界を眺めてみましょう。


ほらね、なんてことないでしょ。

全てはただ、あるがままにあります。


今朝、瞑想していて思いました。

いま頭の中で考えていることが何であれ、それは数百万種類の思考の中の一つに過ぎないって。

無数の思考の中から、たった一つを選び出して、その考えを繰り返していたら、ストレスにもなるよって。


全部の思考をいったんチャラにして、ただあるがままの現実に対していきましょう。





最後にとっておきの秘密をお話しします。


人生は、いま以上には良くなりません。

どこまでいっても同じこと。



だったら、いま、どんな気分を選ぶのか、ただそれだけのことです。


人生は、いま以上には良くならない。

あはは、受け入れがたいでしょ。

思考は、「そんなことはない」って反論するでしょ。


でも真実は変わりません。

この真実を受け入れることができたら、生きるためのフォーカスが変わります。

明日のために今日を生きるのではなく、いまのために、いまを生き始めます。


それが生きるということです。


取りとめのない話になってしまいましたが、あなたに伝えたいと思いました。








   


・・・・・・・・・・・


【お知らせ】


9月23日 名古屋講演会に若干数のキャンセルが出ました。

30日の東京は満席です。

もし都合が悪くなられた方は、なるべく早くご連絡ください。


10月7日の仙台は申込受付中です。

10月14日の大阪は残り席僅かです。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:55Comments(81)

2012年09月15日

放浪記 24

プツン


僕の中で何かが切れた。

それと同時に、またあの声だ。


「もういいよ」


なんという解放感。

ただただ、この感覚を味わいたいがために頑張ってきたような気さえした。



その時、僕は遷宮祭イベントの舞台の上で、神主装束のまま踊っていました。

喜名昌吉さんのバンドが、ライトに照らされでキラキラ輝いていました。

本来なら神官として、舞台の下に鎮座して見守っている立場だったのですが、久しぶりに聞くロックの生演奏に、いてもたってもいられなくなって、そのままの格好で舞台に駆け上ったのです。


杉木立に囲まれた、ほんの小さな田舎の神社。

なぜ僕はここにいるのだろうと、踊りながら思いました。


それまでの記憶が消えて、急にここに出現したような感覚でした。


「もういいよ」


そっか、もういいんだ。


思えば無給でよく働いたものです。

35歳の働き盛りの男が、4か月もの間、自分を一番下に置いて、ただ、「はい」「わかりました」と言い続けました。

神社に上がる石段を、ぞうきん掛けしたこともありました。

参詣客が通るたびに、汚れた靴跡を一段ずつ拭きつづけました。

そんなことをしても、ほとんど意味は無かったのですが、その日は小さなお祭りで、みんなに気持ちよくお参りしてもらいたかったんだと思います


大祭はまだ5日間残っていたけれど、メインの遷宮式も終わり、これからは各分野の奉納が残るのみ。

それに、大祭のために、大勢のスタッフが応援に駆け付けてくれています。

僕のここでの役目は終わったと、心から思いました。

白装束は汗でビショビショになっていて、夜風がひんやりと肌を刺しましたが、この時の解放感は、筆舌に尽くしがたいものでした。





翌朝、まだ人のいない社殿の前で手を合わせました。

夏の日の夜明けの静けさが、真新しい吉野ヒノキの香りと共に、僕を包んでくれました。


御扉は、いつものように何事もなく佇んでいます。


「ありがとうございました。

とても素晴らしい日々でした。

今日でこの地を去ります。


僕にはもう、仕事もないし、お金もありません。

でも、何がどうなっても、天の御心を受け入れることができそうです。


世界が平和でありますように

地上に目覚めの連鎖が始まりますように


この命を自由にお使いください。

あなたの御心のままに流れていきます」



この最後の祈りが、次の人生の始まりとなりました。


ここから、まったく違う生き方の人生が始まっていくことになります。




か・ん・な・が・ら


  


Posted by Toshiro Abe at 09:25Comments(72)放浪記

2012年09月14日

息吹

僕らはみんな、同じ「ひとつのもの」だ。

その「ひとつ」が、人数分の人生を味わってみたくて、あなたがいて僕がいる。


あなたの中であなたを経験しているものも、僕の中で僕を経験しているものも、ありとあらゆる形象の中でその個性を経験しているものも、全部同じ「ひとつのもの」だ。


わお!全ての中に、自分と同じものが生きていたなんて。

こんなちっぽけな自分が、宇宙そのものだったなんて。


なんてこったい、Oh my buddha!





この二人のおじさんも、それぞれの中で生きているのは同じもの。

それはまさにいま、あなたの中で生きているのと同じもの。


この真実を実感すれば、分離の旅が終焉する。

大いなる自分を自覚しながら、新しい人生を生き始めるだろう。









   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:21Comments(94)

2012年09月13日

最終日


チェンマイにいると、それだけで完結してしまって、時間が飛んでしまいます。

みなさんのコメントを読んで、書きたいこともたくさんあったのに、その場で気持ちだけ対応して完結してしまいます。

ですから、気持ちだけ受け取ってください(^o^)


今夜の便で帰るので、また沖縄から書かせてもらいます。


いつもありがとうございます。


阿部敏郎  


Posted by Toshiro Abe at 13:11Comments(58)

2012年09月12日

くつろぐこと

チェンマイから今日も何か書いてみます。





この世で最も不要なもの・・・それは深刻さだと思います。

自分がいま深刻に思考を巡らせているのか、それとも「いま」にくつろいでいるのか、そこをチェックするのは大切です。


「人生はこうあるべきだ」とか、「自分はこうあるべきだ」とか、「べきだ」「ねばならない」を持てば持つだけ深刻になります。


ところが人は、自分が「べきだ」をいかにたくさん持っているかに無自覚です。

あたり前になってしまっていて、「べきだ」という正しさと同化しています。


たまに時間を見つけて、あたり前と思っている一番根底的な価値観から検証してみるといいでしょう。

「べきだ」の数だけ深刻さが生まれていたことに気づくでしょう。


そうやって生きることで、何を得ようとしていたのか、何を証明しようとしていたのでしょうか。



すでにいま、あなたは「成りたい自分そのもの」で、「すべてを手にしている」ということに気づけば、人生の質と意味が一変します。


何かを追い求める人生から、まさにいま、自分をどう経験するかということに関心が移ります。

自分という役割を担っている「誰でもない意識」になって、くつろいで現象と共にいられるようになります。


それがリラックスするということ。


それが「いまここ」ということです。








   


・・・・・・・・・・・


10月講演会のお申込を開始します。

詳細は各都市名をクリックしてください

仙台 10月8日(祝)

大阪 10月14日(日)


札幌 10月21日(日) 

阿雲の呼吸 「雲黒斎&阿部敏郎コラボ講演会」

PCサイト

携帯サイト
  


Posted by Toshiro Abe at 09:50Comments(96)

2012年09月10日

脱困窮 2

昨日の、みなさんのコメントを読ませてもらって、本当に良かったと思います。

たくさんの人に生きる力を与えてくれたように思います。

まだ読んでいない方は、どうぞ「脱困窮」のコメント欄をお読みください。







人生から離れる日、それまでの一連の出来事が、夢のように遠のいて消えていきます。


「な~んだ、全部夢だったのか」


そう思う時が来ます。



でもどんな夢も、僕たちを目覚めに誘うために必要だから起きています。


何が起きても、自分は根本的に救われていることを忘れずに、天を信頼して生きていきましょう。


このことは、一番伝えておきたいことです。










   
  


Posted by Toshiro Abe at 12:44Comments(83)

2012年09月09日

脱困窮

放浪記も23まできましたが、このころの僕は一文無しになっていました。


僕は人生で、「今度こそ、もうダメかも」と思ったことが何度かあります。

皆さんの中にも、経済的に困ったことがある人は、いるのではないでしょうか。

そんなとき、どうやってその状況を抜けたでしょうか。

人それぞれだと思いますが、まさにいま困っている人の力づけになるかもしれないので、
よかったら教えてください。





昨夜、チェンマイに到着しました。

海のリゾートから一転、ここは僕にとって、とても神聖な場所です。

週末までここに滞在し、ボブと会ったり、瞑想したりして過ごします。



10月の講演会は、


10月8日 仙台

10月14日 大阪

10月21日 札幌

10月28日 東京


に伺います。










   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:56Comments(140)

2012年09月08日

放浪記 23

天河では、神前の音以外にも、不思議なことがたくさんありました。

それが何だったのかは、わかりません。

人間はなんでも解明しようとするし、適当な答えを見つけて納得しようとするけれど、わからないことは、わからないままでいいと思います。

実際の話、人間は何もわかっていないのですから。


ある日の夕方、大阪在住の女性医師が、来迎院の住職から僕を紹介されたと言って訪ねてきました。

50歳くらいの方でしたが、当時の僕からは母親くらいに見えました。


仕事の悩みを抱えていらしたので、僕なりのアドバイスをさせてもらいましたが、気分転換に少し離れた場所にある禊殿(みそぎでん)を案内することにしました。

禊殿は、古くなった元の本殿を解体して移した建物で、とても魅かれるものがあり、大好きな場所でした。


日も暮れて、あたりは真っ暗です。

禊殿の裏を流れる天川のほとりで、2人で石に腰かけて、川のせせらぎを聞いていました。


すると対岸の山道を、自転車のライトが降りてきました。

橋を渡ってくるかと思ったら、橋のたもとに止まったまま、こちらをじっと眺めている様子でした。


「アレ?自転車のライトだったら、止まれば消えるんじゃなかろうか」


もしかしたら、隣にいるご婦人と僕が、遠目にカップルに見えて、懐中電灯で冷かしているのかと思いました。


するとその光は、橋ではない場所を渡ってきます。


ゾっとしましたが、すぐに答えを探しました。


そうか、季節外れの蛍だ。

そうだ、そうに違いない。


光は一瞬消えたかと思うと、次の瞬間にはこちら岸に移動してきていました。

瞬間移動というものを初めて見ました。



明らかな意思を持って、こちらを見ているのがわかります。

そのうち、光が大きくなっていきました。






漆黒の闇が、光の周囲だけ照らされていきますが、光の元はあまりにも眩しすぎて確認できません。


隣のご婦人も凍りついたように固まっています。


何か、見てはいけないものを見てしまった、出会ってはいけないものと出会ってしまったと感じました。


未確認飛行物体という名称がありますが、まさしく未確認の飛行物体であり、光です。


何かを知らせようとしていたのかもしれません。

もしかしたら、コンタクトしようとしていたのかもしれません。

それは今になって思うことで、その時は余裕がありませんでした。

きっと僕にはまだ準備ができていなかったのでしょう。


徐々に大きくなる光を前にして、とっさにその場を離れようと思いました。



「帰りましょう」


「はい」


僕たちは駆け足でその場を逃げ去りました。



あの光が何だったのかはわかりません。

きっと唯物科学では、それなりの答えを与えてくれることでしょう。

あるいはサイキックな人が、別の答えをくれるのかもしれません。


でも僕は、わからないままでいいと思っています。

一つだけ言えるのは、経験者として、あれはこの世のものではないということです。



このエピソードは、「かんながら」の中で、少し形を変えて書き表しました。



4か月間の滞在中に起きた一コマです。



追記

いま目の前に広がる海を見ていました。

頭の上には、無限のかなたに続く空が広がっています。

宇宙空間に地球が浮かび、地上ではこうして水と空気で生かされている。


こうして生かされている不思議から見れば、どんなに不思議な現象も、取るに足らないお遊びごとですね。

この不思議さを「感謝」と呼ぶことにします。

  


Posted by Toshiro Abe at 11:09Comments(30)放浪記