2009年12月31日

躍動

僕もあなたも、肉体の中に閉じ込められた窮屈な存在ではありません。

肉体を、この世で生きるための乗り物として使ってはいますが、実際には根源的エネルギーが本当の姿であり、それは形を持たず、大きさもありません。

根源的エネルギーは、太陽を生み、地球を動かし、地上の緑や様々な命を育んでいます。

その力は壮大です。


そして、その同じ力が、あなたの中であなたを生かしています。

まったく同じ力がです。


本当の自分というものは、自分の想像をはるかに超えた、とてつもなく素晴らしい、価値ある存在なのです。


その力を使えば、不可能なことなどありません。

どうか、あなたの中にある無限の潜在力を信じてください。



僕はいつも「いまここ」を生きることを奨励してきました。

しかしだからと言って、じっと「いまここ」の中に佇んで、石のように在れと言っているのではありません。

「いまここ」は生きています。


この荒々しい波動の世界に身を置くことで、我々は多くの障害に出会い、軋轢を余儀なくされてきました。

わざとそのような状況に身を置いたのは、よりよくなろうとする意思を使って、自分も現実もさらに高まっていくことで、本来の無限の自分自身を再確認するためです。


それが根源的エネルギーの特性であり、それはいつも、より発展していこうとしています。

そんなエネルギーと調和しているときは、生き生きした感覚や、喜びや充実感を得ることができますが、反対にそことズレが生じると、イライラなどの不快感や、意気消沈した滞りを感じることになります。

したがって、自分を信じ、自分の心の声と調和することは、とても大切なことです。



来年は逆転の年です。

いままで控えめに生きていた者たちが、自分に目覚め、新しいやり方で地上に影響を与えていきます。

それは、頑張りや粘りといったエネルギーではなく、愛と創造性に満ちたエネルギーの躍動です。


このブログでは主に、散漫な思考が創り出す幻想からの目覚めを説いてきましたが、これからは機会を見て、自分が思考をコントロールし、その思考力と想像力を使うことで、自分の現実をさらに高いレベルに上げていく技術を学んでいきましょう。

「いまここ」とは、愛と創造性に満ちた無限のエネルギーなのですから。


ワクワクした気持ちを取り戻して、子供のような純真無垢な心で、人生を楽しんで生きたいですね。


僕自身がそこを生きることで、誰もが持っている可能性を実証していきたいと思っています。


そうすれば、多くの人たちへの力づけになれますよね。


いつも完全な力によって見守られていることを忘れないでください。

と同時に、自分の人生の作者は自分自身であり、どのようなストーリーも描けることも忘れないでください。




今年も一年お世話になりました。




よいお年をお迎えください。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:19Comments(85)

2009年12月30日

12月30日の日記

お元気ですか。
いよいよ今年も終わりですね。

こんなに年の瀬を感じたことはありません。

いつもなら、え?もう12月30日!?、早いなぁ、実感ないなぁ、で終わりなんだけどね。

だっていつも同じ「いま」があるだけで、年末だとか、新年だとか、そんなものは人間が作り出した暦に過ぎないわけで、「僕とは関係ない」って多少ひねくれた感覚を持って生きていたのが、今年はちょっと感傷的だったりします。

これって歳のせいでしょうか。

それとも性格が素直になったのかな。


なんとなく、今年と来年はすごく違うような気がするんですよ。

世の中全体も、そして自分自身も。


いままでの常識がますます通用しなくなって、変化が著しくて、目に見えていろんな仕組みが逆転していくんじゃないかって、そんなふうに思っています。

それは別に悪いことではなくて、むしろ僕のような考え方や生き方をしてきた人間には、やっと時代が来たと感じるような変化だと思います。


中にはいままでの価値観に頑ななまでにしがみついて、理不尽な思いや、苦しみを感じる人もいるかもしれませんが、それも一時のことで、やがてはそんな変化を受け入れて、新しい自分を生き出す事でしょう。

時代の変化とはそういうものです。



ひとつ確かなことは、来年もこのブログを書き続けるだろうということです。

その時その時の自分の考えが写されていて、心のコピーみたいな存在で、このブログへの愛しさは、まるで身近な人間に対するそれです。


人生自体が人ぞれぞれの作品だとしたら、まさにこのブログはそのミニチュアであり、自分を投影した作品そのものです。

これからもどれくらい正直に、自分の気持ちを表していけるかだと思います。



伝えたいことは山ほどあります。

でも伝えたいことは、たったひとつのことです。

それだけは、これからも変わらないことでしょう。


そんなメッセージをたくさんの人が支えてくれて、大変ありがたく思っています。





今日もここに来てくれてありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:15Comments(49)

2009年12月29日

本の話

今日は朝から、何書こうかなあなんて、パソコンの前にぼんやり座ってまどろんでいたら、黒斎クンから電話が入り、彼は今日のブログ記事が今年の記事納めとかで、僕と一緒に作った本の話題を書くと話してくれました。

振り返って見れば、今年一年、彼と共に活動して本当に有意義だったし、面白かったし、多くの成果も挙げることができたし、感謝、感謝です。



もう来年の話をしても鬼が笑わないだろうから、いくつかご報告します。

まず書籍ですが、来年は思いがけずに僕の本が次々と出版されます。



第一弾は、1月28日に「仮題・いまここ」(ダイヤモンド社)

次は、数ヵ月後に「仮題・いまここ塾」(サンマーク出版)

次は、「仮題・いまここ究極論」(某・大手出版社)

そして、「随(かんながら)神」(ナチュラルスピリット)


すべて上半期に出版される予定です。

もしかしたら一年間に5~6冊の本が書店に並ぶかもしれません。


急にえらいことになってきたな ( ̄Д ̄;;




( ̄▽ ̄) ジャン!


おお、雲子さん、お久です。



( ̄▽ ̄) 言ったとおりになったでしょ?


は?



( ̄▽ ̄) 8月にタイのサラー(お寺)で、ジャプー神からのお告げ通りになったでしょ?


ああ、そういえば・・・確かに・・・




ここで知らない人のために解説


今年の夏に訪れたタイで、ちょっと不思議な体験をして、チェンマイのお寺の女性マスターからお告げがあって(正確には彼女はチャネラー体質で、ジャプーという神様のお告げでした)、

「あなたは仏法を理解しています。来年、年明け早々に本を出版します。それが売れて活動がステージアップします」

と皆の前で言ったのです。

僕が日本で何をやっている人間かなんて何も知らないのに、そう言い切ったのです。


その時は出版社からのお話はまったくなかったのですが、その翌月になって事態が急展開し、あれよあれよの間に、多くの出版社の話が現実化していきました。



その経緯をお話します。


9月の東京いまここ塾で、山川紘矢さんの本を頂戴し、それを読んでみたら僕が感じていることと同じことを、同じ口調で述べられていたので、急に山川さんに会ってみたくなり、このブログにその旨を書きました。


すると何人かの人がすぐに山川さんのmixiに書き込んでくれて、ご本人もmixiで僕を紹介してくれました。

それを見た、彼の本の編集者の磯崎さん(女性)が、僕のブログと出会い、過去ログから読んでくれて「これは」ということになったそうです。

さてここには伏線があって、山川さんが自著のあとがきで、出版社が決まっていなかったのに、本を書こうという直感があって書き上げたら、その直後に磯崎さんから「本を出しませんか」という話が来て、その流れで出版することになったと書かれていたので、僕は興味を持って彼女をネットで検索していたのです。

でも見つけることはできませんでした。

だから本人から連絡があって、単刀直入に「いまここ塾を本にさせてください」と言われたときは驚きました。


そして時を同じくして、ある一人の男性が沖縄のいまここ塾に現れました。

東京から僕に会いに来てくれたのです。


話を聞いてみると、その彼も出版関係者でした。

彼は海外の書籍を日本に紹介するエージェントで、下野さんといいました。

どんな本を日本に持ち込んだかというと、「聖なる予言」や、最近話題になった「ザ・シークレット」や、そのほかにも僕が好きだった本が多く、そんな人がわざわざ沖縄まで訪ねてきてくれたことを嬉しく思いました。


結局、その下野さんの働きかけで、某大手出版社(年明けに発表できます)から「仮題・いまここ究極論」と、サンマーク出版から「仮題・いまここ塾」が発売されることになったのです。

この2冊は、何を隠そう黒斎クンが編集してくれたものです。

まさかこのような展開になるとは思いませんでしたが、先ほどの電話で、彼もとても喜んでくれました。

下野さんは、僕と共に黒斎クンのことも高く評価してくれていて、来年は「あの世に聞いたこの世の仕組み」も書籍化に向かっていくと思います。



さらにそれと同じころ、博多のいまここ塾に、足立さんという雑誌編集者が現れ、「随(かんながら)神」をナチュラルスピリットの今井社長に紹介したいと申し出があり、それがご縁で春先にも出版されることになりました。


実はいま紹介した、磯崎さん、下野さん、今井さんの全員が、それぞれに先日の黒斎クンとのコラボ講演会に来ていたのです。

何かが動き出したというのが、正直な感想です。




( ̄▽ ̄) ジャン!


おお、雲子さん、すっかり存在を忘れていました。



( ̄▽ ̄) いいのよ、また一緒に楽しもうね。あの編集は黒斎クンと一緒に、パパの雲さんも手伝ったのよ。パパもいい本ができたって喜んでいたよ。





はい、本当にみなさんにはお世話になりました。


そんなこんなで、また来年もよろしくお願いします。


ありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:38Comments(56)

2009年12月28日

悔い改め

クリスマスが終わると、急にクリスマスソングが、間が抜けて聞こえます。

でもクリスマスが終わっても、キリストのメッセージは永遠不滅に燃え続けています。

それは「いまここ」への強烈な一撃です。


今日は感じていることをそのまま文章にしてみますが、少し難解になるかもしれません。

「わからない」で放り出さずに、時間があるときにじっくり読んでみてください。



僕はクリスチャンでも仏教徒でもありませんが、キリストや釈迦の言葉に共感することが多々あります。

しかしキリストや釈迦に影響されたわけではありません。

彼らから学んだことで真理を得たわけでもありません。

生意気に聞こえるかもしれませんが、一人の個人として、自ら得た体験が彼らに共鳴するのです。

彼らだけではなく、有名無名の多くのブッダ達に共鳴しています。



先日のクリスマスの夜、ひとつの言葉がよみがえって来ました。

それは「悔い改める」という言葉です。


まさに僕の人生最大の瞬間に起きたことがそれだったからです。


「悔い改める」・・・これはキリスト教の真髄を貫く言葉ではないでしょうか。


この言葉だけで悟りを得ることが可能です。

と言うよりも、悟りとは悔い改める体験のことです。


しかし教会で使われてきたこの言葉の意味は、極めて表面的なものでした。

たとえば教会の懺悔室での罪の告白。


「私はこんな罪を犯しました」

「私はこんなルール違反を犯しました」

「私はこんな悪いことをしました」


このような告白によって、罪悪感が減って気が軽くなる人もいるのでしょうが、それは単に独りよがりのゲームの中で辻褄を合わせているだけです。

そもそもそのような告白の内容は、善悪の二元論から生まれていて、神が与えたという宗教的戒律に応えたかどうかの話であり、本来の「懺悔」「悔い改める」という意味からは逸脱しています。



それでは本当の「悔い改める」とは何でしょう。

それは、いままでの自分がぐっすり眠りこけて、夢の世界で生きていたということへの自覚です。

あらゆる誤った行為は、夢の中の一コマに過ぎず、眠りこそがあらゆる誤りの原因なのです。

自分が何をしているのか気づかずに、富を、成功を、名声を、幸せを、快楽を、安心を求めていたことへの深い気づきです。

その愚かさを、愚かさとして見る鋭い知性、それが「悔い改め」です。


悔い改めた瞬間、過去全体が浄化されます。

そして過去は、浄化と共に、煙のように消え失せます。

なぜなら、過去とは積み重ねた負の記憶の束であり、消化不良の束であり、未完了な行為の記憶の束だからです。


過去が消えた瞬間、未来も消え失せます。

未来とは、過去の反転・・・満たされなかった過去を満たしたいという欲求が未来です。

人によって過去という素材が違うので、描く未来も違います。



その両方が消えたとき、人は「いまここ」に投げ出されます。

真にリアルな世界に目覚めるのです。


それは「悔い改める」という現象と同時に起こります。

それこそが、まさにいま僕たちが迎えようとしている意識変革なのです。


緩慢(かんまん)な悟りもあるかもしれませんが、目覚めは強烈な体験です。


そこに向かう情熱を持てるかどうかです。

もし持てるとしたら、自分が夢を見ていることへの自覚が生まれ始めている証拠です。


夢の中で成功したとしても、それが何だと言うのでしょう。

それは単に、思考が作り出した世界の中での自己満足です。

本当のリアルさから見れば、まったく取るに足らない幻想に過ぎません。

失敗も、苦しみも、悲しみも同じ幻想です。

いい夢も悪夢も、目覚めてみればそれほどの違いはありません。

夢は夢だからです。



さあ、もう時間はありません。

目覚めの時です。

地球レベルで目覚めの連鎖が始まっています。


この波に乗り遅れないように!



え?どうしたらいいかって?

まずは、目覚めたいという気持ちを、人生の最優先に持ってこれるかどうかです。


それができる人は、どうしたらいいかなんて聞きませんよ。


そこまでの気持ちが持てないと言う人は、いまだ夢の中に暮らしていたい人たちです。

いつかその夢が、どうしようもない悪夢になって、にっちもさっちも行かなくなったとき、突然にして目覚めるという話は稀にあります。

が、何もそこまで待つ必要もありません。



目覚めて後悔する人は一人もいません。

それは圧倒的に違う、素晴らしい世界だからです。


夜見ていた夢と、朝起きたときの現実の世界が、存在の次元が全く違うのと同じことです。


夢は夢に過ぎず、そこに真理や意味を探しても無駄なことです。

夢の存在理由は、夢から覚めることにしかないのですから。




今日はちょっと難解で厳しい話だったかもしれませんね。




年末に、あなたへの直球プレゼントでした。

  


Posted by Toshiro Abe at 08:33Comments(82)

2009年12月27日

ご挨拶

年の瀬ですね。

みなさんも忙しくされているのではないでしょうか。

僕も今日は、やることが目白押しです。

そんなわけで、今日のブログはご挨拶だけと言うことで。


みなさん、今年も一年お世話になりました。

このブログのおかげで多くの人と出会い、素晴らしい一年でした。


来年もよろしくお願いします。




と言いつつ、また明日も明後日も書かせてもらいます(^o^)
  


Posted by Toshiro Abe at 09:28Comments(42)

2009年12月26日

大変革

昨日久しぶりに映画を見てきました。

いま話題の「アバター」です。

すごいですね、3Dの映画があんなに素晴らしいとは思いませんでしたよ。


営利主義の地球人たちと、惑星を一つの有機体と考える異星人との話で、まるでこれから地球に起こる大変革を示唆しているようなストーリーでした。

監督は、日本の宮崎アニメに大きな影響を受けているらしく、ナウシカ、ラピュタ、トトロ、もののけ姫などのアイデアが、随所に使われています。

あの美しい映像は、もう一度見たくなるくらい感動的でした。

「来年のアカデミー賞は決まりね」、なんてオスギの声色で言ってみたくなる映画でした。




人間の意識が、「個」から「全体」にシフトしていっているのを感じます。

この数年間を振り返ってみても、それは確実に起きていると思います。

多くの人が霊性の存在に気づき始めました。

すくなくとも、人間が肉体だけの存在でないことを、みんなが認め始めたように思います

わずか20年前までは、このような話をしただけで、色メガネで見られたものです。



これからますます時代が大きく変わっていきます。

まずは個々のレベルで気づきが始まり、人生観や価値観が変わり、その結果、社会全体の仕組みを変えていくことでしょう。


その変化は、いまは想像もできないくらいに大きなものだと思います。

僕たちの目が開かれることで、いままで世の中を支配していた「権威」という幻想が崩れ、真の意味での民主主義が誕生することでしょう。

それは上下関係による秩序ではなく、横のつながりと信頼による秩序です。


こんなに面白い時代に生まれて本当にラッキーですね。

実は子供のころから、こうなることを知っていたような気がします。

もしかしたら僕たちは、この時代を選んで生まれてきたのかもしれませんね。


このブログで展開しているメッセージが、あたりまえのこととして受け入れられる日も近いと感じています。



今日もまたどこかで、新たな目覚めが生まれることでしょう。


そうやって、一人またひとり・・・

でもね、他のほとんどの流行と同じで、そうやってじわじわと広がった波が、ある臨界点を超えると急に全体に広がっていくんです。

目覚めの連鎖も同じだと思います。



その臨界点が3年後なのかな。



だといいねニコニコ




・・・・・・・・・・・




2月14日の「随(かんながら)神」講演会は、満席のため受付を終了しました。


2月13日の「いまここ塾2月東京」は、まだ席があります。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:00Comments(30)

2009年12月25日

12月25日の独り言

長い人生を振り返ってみると、うまくいくときもあれば、うまくいかないときもありました。

仕事が順調で次々と朗報が入ってくるときもあれば、八方塞のような状態になったこともありました。


このように書くと、幸せな時期と、不幸せな時期があったように見えますが、実際にはいつも同じようなものでした。

どちらも、幸せな気持ちと、不幸せな気持ちが、交互に入り混じっていただけの話です。

人生はどこまでいっても同じこと。

人生そのものは、何を得ようが、何を達成しようが、大した違いはありません。


ところが、そのことがわかりだしてからは、遠くのものを追いかけるのではなく、「いまここ」を生きるようになり、歩くときは歩き、食べるときは食べ、人生がとてもシンプルになりました。


雨降らばそれもよし、風吹かばそれもよし。


人生の状況はこれからもめまぐるしく変化していくことでしょう。

でも、平気です。


「いまここ」でできることは、いつも一つだけ。

目の前の現実に、心をこめて関わっていくことしかありません。

たとえそれが取るに足らない行為に見えようが、天から見れば同じこと。

大切なのは何をやるかではなく、どんな自分でやるかだからです。


いつも未来に向かっていた意識を、「いまここ」に連れ戻すのです。

これからも起きることが起きていきます。

でも、「いま」を生きれば同じことなのです。


そのように「いま」に意識を集中していれば、突然、爆発が起こります。

自分の中心が、自我から「大いなる意識」にシフトするのです。

自分がやっているのではなく、事は起きているという感覚になります。

それまでの自分が消え失せ、そこに展開する「場」のすべてが自分になるのです。


それが真実の姿、実相です。

僕たちは、純粋に目覚めた意識であり、それは常に「いまここ」にあります。

それ以外に真実はなく、あとのことは全て思考が作り出した妄想です。



もう大丈夫ですよ。

安心してください。

いま、あなたの人生に何が起きていようと、起きていまいと、これからもただ目の前の「いま」を生きることで、あなたの人生の流れは、必ず海にたどり着きます。

それはあなたが何をしたからというのではなく、あらゆる存在の宿命です。


だからお任せすればいいのです。


流れに逆らって泳ぐことも、流れを速めようとして泳ぐ必要もありません。

ただ力を抜いて、流れと一つになるだけです。


あなたと、あなたを生かしている力と、あなたの人生の流れを信頼してください。

誰一人例外はありません。

宇宙の目線から見たとき、すべてはうまくいっています。






メリークリスマス。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(41)

2009年12月24日

新しい世界

考えるのではなく、感じるということに重点を置くのです。

考える時間を減らし、感じる時間を増やすのです。


考えることと、感じることは同時にはできません。

思考から自由になるには、感じるということにシフトすればいいのです。


いまパソコンを見ている人は、マウスを持った手の感覚をもっと感じてみてください。

携帯電話の人も同様に、電話機の感触をよく感じてみます。

その感覚は少し前からあったのに、いまそこに意識を持っていったことで、より多くを感じ始めています。


次に耳を澄ましてみましょう。

思考の活動をストップさせて、聞こえてくる音を全部聞き取ってみましょう。

いままで聞き逃していた音が聞こえてくるはずです。

それは何かの機械のノイズかもしれませんし、町の騒音かもしれません。

その音もずっと鳴っていたのですが、考え事をしていたので、自分からシャットアウトしていたのです。


いまを生きるとはそういうことです。


それは、いまこの瞬間を逃すまいとして、瞬間瞬間に緊張することではなく、ゆったりと落ち着いて、まさに「いまここ」の現実に心を開くことなのです。


「いま」とは、過去から未来にかけての通過点ではありません。

「いま」とは、過去も未来もないとわかったときに訪れる永遠です。

それは静止しているのではなく、流れています。

「いま」とは、動きであり、命のそのものです。



その流れに身を任せて、リラックスすれば、いまを十分に感じることができます。


そう、「いま」とは感じるものなのです。

考えは、過去のことか、未来のことか、あるいは「いま」以外の妄想の世界です。


さあ、感じてください、「いま」を。



この「いま」は、一年前の「いま」と同じものです。

この「いま」は、いままでに存在したあらゆる「いま」と同じものなのです。


無数の「いま」が在る訳ではありません。

「いま」はひとつだけです。

ずっと「いま」なのですから。



言っていることわかりますか?

リラックスして、安心して、立ち止まってみれば、わかってくると思います。



僕たちはどこにも行っていません。

僕たちは最初の最初から「いまここ」にいたし、これからも永遠に「いまここ」にいます。


「いまここ」こそが我が家であり、故郷であり、本当の自分自身です。

たとえ肉体が消滅しても、僕たちはずっと「いまここ」に存在します。

それがわかれば、人生観が180度変わってしまうことでしょう。

何かになろうとするのではなく、「いま」を生きることが大切になるのですから。





弟子たち、イエスに問う

「新しい世界はいつ来るのでしょうか」


イエス、弟子たちに言う

「あなたがたの期待するものはすでに来ている。

でもあなたがたはそれを知らない」




あれから2000年。


未来ばかりを見続けてきた人類が、いますでに天の王国がこの世に存在していることを見抜くときがやってきました。




メリークリスマス。







めいっぱいの愛を、あなたに。





・・・・・・・・・




今日紹介したイエスの言葉は、「随(かんながら)神」の「南朝の巻」の中にも登場します。

この物語は、春には書籍化され全国で発売される予定です。

2月14日には、主人公のAさんをお迎えして(?)、東京で「随(かんながら)神」講演会を開催します。

詳しくはコチラから。



その前日の13日は、「東京いまここ塾」(講演会)です。

今日から募集を開始しますので、コチラからお入りください。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(56)

2009年12月23日

徒然花

今日も何か書いてみます。



不思議だね、誰もが簡単に目覚めることができるというのに、目覚めに興味を持つ人は、まだほんの一握り。

自分本位の夢の中で生きていることを、疑いもしない人のほうがずっと多い。


夢というのは、制限された思考が作り出す世界のこと。

そこに固執してしまうのです。


どのように生きるべきなのか、どうやったら生き残れるか、どうしたら人生に価値を感じるか、何を成し遂げるべきか、何を獲得するべきか・・・これらが思考が作り出す夢の世界観です。


どのように生きるべきか、その答えは簡単です。

「いま」を生きることです。


何を成し遂げて、何を獲得すべきか。

実際には、最初から全てを獲得していて、足りないものはありません。

そこに気づくことが目覚めです。


未来への希望や期待や不安や心配でいっぱいになっていたマインドから、「いまここ」のリアリティーに戻ってくること。

「いまはまだ何かが足りない」という錯覚から解放されることです。



多くの人に好かれる必要もない。

多くの人に尊敬される必要もない。

誰も気がつかなくても、「本当の自分」は宇宙規模に偉大な存在なのだから。

そんな感覚になって自分自身にくつろぐことです。



なんてことを言い続けてきて最近思うのは、遅かれ早かれすべての人が目覚めることになっていて、それが人間の宿命で、意識の最終進化なのだから、じっくり見届けていようかなって。

それは土の中に眠る種たちが、春の訪れと共に否応なく芽を出すのと同じで、いまから土の中に手を入れて引き出そうとしても無理なわけで、ただ春の訪れを楽しめばいいんだなって、そんな風に思い始めています。




よかったね。

みんな本当によかったね。

人生は大変だったと思うけど、それが大変だった分、きっかりその分、大きな喜びと祝福に迎えられるのだから、本当に人間でよかったね。


あなたがあなたでよかったね。





今日はこんなところで。

またね(^o^)/
  


Posted by Toshiro Abe at 10:07Comments(44)

2009年12月22日

あたりまえの毎日

目覚めの体験があった後、人生や生活がどう変わったかについて述べてみます。


まず最初に言えることは、人生全体がとてもシンプルになったということ。

他人の目や、自分が持つ頑固な価値観などに振り回されることが少なくなります。

いま何をすべきかが整理されるので、必要なポイントだけを行動するようになります。



自我はあいかわらず存在します。

ただ昔との違いは、その自我の存在に気づけることです。

「いま自我を使っている」という自覚があると、自我の世界に引き込まれることがなくなります。

時々は、すっかり忘れこけてしまいますが、そのようになっても、やがては気づきが生まれ、そこから自力で出てくることが可能になります。

自我を使ったり、使わなかったりを、意識して使い分けることができるようになれば、もはや自我は悪役ではなく、この世を生きるための道具になります。



他の変化としては、おおむね優しくなると思います。

他者の自我の構造がよくわかるので、そこに腹を立てたり、責めたりということがなくなっていきます。


「すべてが自分」という感覚を、頻繁に感じるようになります。

そんな感覚に浸っていると、またもや自己が消えて、起きている現象だけが淡々と動き続けているという状態になります。


そのすべてが自分であり、逆の言い方をすれば自己が消えているのです。


自分がいようといまいと、世界は刻々と変化し続けている。

起こることが起きるし、それは全体の意思なのだから、お任せしていようという気になってきます。



何かになりたいとか、誰かになりたいとかいう欲求が消えます。

どうなっても同じだということが、よくわかるからです。

これからも「いま」があるだけで、その「いま」にどのような気持ちで取り組むかが人生なので、自分がこうならなくてはいけないという発想がなくなってくるのです。



数日前のコメ欄に、目覚めれば性欲がなくなるのかという質問がありました。

答えは「No」です。

性欲と目覚めとは、何の関係もありません。

人間はすでに性に対する観念を持っていて、その多くは否定的なので、自分が目覚めた暁には、そのような衝動がなくなっていてほしいのです。


目覚めとは、特別な人間に成ることではなく、自分の当たり前さにくつろぐことなのです。

聖者になんかなりません。

人間はどこまでいっても人間であり、それでいいのです。


世界のどこかに、すべてを超越した聖人が生きているはずだと思いたがる人がいます。

それこそが自我の欲求です。

自我は特別なものが大好きなのです。

修行を積んで、いつか自分もそんな特別な聖者になろうと言う人がいたとしたら、その人は最初の最初から、道を誤っていることになります。


本などに紹介される異国のブッダたちも、会ってみればみんな同じ人間です。

一緒に暮らせば、その人の当たり前さに驚くことでしょう。

そこで話される内容も、深遠な真理などではなく、ただありふれた世間話だったりします。



何度も声を大にして、繰り返し伝えます。


この世に、特別な人など存在していません。

あなたの存在こそが「それ」であり、「それ」しか存在していないのです。




これからも伝え続けていきます。




・・・・・・・・・



1月28日にダイヤモンド社から「いまここ塾」の本が発売されます。

昨日編集された原稿を読ませてもらいましたが、女性の編集ということもあり、とても柔らかで美しい仕上がりでした。

楽しみにしていてください。



それに先立って、「沖縄いまここ塾」の第一回から六回までの模様を収録した本を発売します。

雲 黒斎さんの編集で、これを読めば「いまここメッセージ」が深く理解できると思います。


いまなら送料無料でお届けします。

詳しくはコチラから。



今夜の「沖縄いまここ塾」でも販売します。

予約は要りませんので、お気軽にいらしてください。

詳しくはコチラから。

  


Posted by Toshiro Abe at 08:48Comments(51)

2009年12月20日

両国のホテルにて

昨日は東京いまここ塾に来てくれてありがとうございました。

昨日感じたことですが、すでに多くの人が真実を知っていて、もはや僕の役目は真実を説くことではなく、それを知った人間がどのように生きたらいいのか、それを身を持って示して行くことではないかと思いました。


その一つの答えがワクワクして生きること、「いま」を自由に展開させる創造性ではないかと思っています。



昨夜は黒斎君と打ち合わせと称する飲み会で、自由に意見を交換しました。

何だか息子と飲んでいるような気がしました。

不思議ですが本当にそう感じたのです。

いつまでも若ぶっていたい僕としては、いささか不本意ですが、そんな愛情を感じたひとときでした。



今更ですが、彼は本当にハートが綺麗な人です。

これから彼が益々有名になっていくように、微力ながら応援していきたいと思っています。



そういえば、先日紹介したQさんの本、Amazonの総合ランキングで一位になったそうですね。


彼もとても真っ直ぐな青年で、メッセージも的を射ていて、彼の活躍も本当に嬉しく思います。

時代がやって来たというのが実感です。


今日の黒斎君とのコラボ講演会、どうなりますか楽しみです。



東京は抜けるような青空が広がっています。


世界が平和でありますように。


みんなが幸せでありますように。




12月20日朝 両国のホテルにて
  


Posted by Toshiro Abe at 08:35Comments(75)

2009年12月19日

どっち?

昨日のコメ欄に来た質問です。



>あなたがいつ目覚めるかは決定されています。

というと、瞑想すれば目覚めるとか、そういう話ではないって事なんですか?




こういう質問好きです。

疑問に感じたことを、ただストレートに質問してくれているのが分かるからです。


実はこの質問は、僕が自分自身に対して繰り返してきたことなんです。

というのも、究極の次元の体験は、一瞬早からず遅からず、最初から決められていたタイミングで起きます。

それまでのありとあらゆる思考も、ありとあらゆる行動も、ありとあらゆる出来事も、すべてはその体験をするために必要で、何一つ無駄もなく、偶然もなかったことを知ります。

そこから見ると、この世のすべては最初から決まっていて、然るべき時に淡々と事が起きてきたことになります。


だとしたら、真実を人に説いて回りたいという自分は、いったい何のために、そんなことをしようと言うのか。

全ての人の目覚めのタイミングが決められているのなら、いったいこの自分は何をやっているのだろうと。


そして行き着いた結論がこれです。


「僕が真実を話すことも、それを聞く人も、全ては最初から決まっている」

というものです。

今日のこの記事の内容も、いまあなたがこれを見ていることも、全部決められているという訳です。

これを読んでいる人にとっては、このブログの情報は、自身の目覚めにとって、なくてはならない情報になります。

それは目覚めたとき、はっきりとわかることです。



>あなたがいつ目覚めるかは決定されています。

というと、瞑想すれば目覚めるとか、そういう話ではないって事なんですか?




瞑想が目覚めにとって、きわめて有効であることは言うまでもありません。


それを実践するかしないかは自分が選べます。

もし「目覚め」が、人生にとってもっとも大切な経験だと理解できた人には、瞑想の実践を強くお勧めします。

やらないより、やったほうがずっといいからです。


そして目覚めてみれば、自分が瞑想をやってきたことが、目覚めにとって不可欠の行為だったことを知ることでしょう。




人生の全ては、あらかじめ決まっているのか。

人生の全ては、個人の選択の結果作られていくものなのか。


真実はその両方です。

その両方が同時に起きています。


であれば、よりよき道を選択しながら、結果を宇宙にお任せするという生き方が、一番理にかなっているのではと思います。



これは、もっとも興味深く、もっとも神秘的なテーマです。


もし全てが決められているとしても、心の赴くままに、人生を面白おかしく冒険していきたいと思っている今日この頃です。



最近は、何でもできるような気がしています。





今から東京に向かいます。

とてもワクワクした気分です。


再来月はスペシャル企画を考えています。

通常の「いまここ塾」(2月13日予定)のほかに、「随(かんながら)神」講演会(2月14日)を開催します。

あの物語に秘められたメッセージと、その舞台裏など、いままで誰にもお話してこなかったエピソードの数々を、主人公の「A」さんをお招きして(?)、お届けします。

来週になったら詳細をお知らせします。



東京は寒いんだろうなあ。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:50Comments(60)

2009年12月18日

かんながら

昨日は目覚めについて話しましたね。

しかも大上段に、「あなたは眠りこけている」という観点から。


じゃ、どうしたら目覚められるのかっていう話ですが、誰にでも適用できる具体的方法はありません。

もしあれば、人類はとっくに目覚めていたでしょう。


目覚めはハプニングのようなものです。

実際、僕自身に起きたこともそうでしたし、経験者は異口同音にそう伝えることと思います。

因果の法則を超えているのです。

もし因果であれば、因を作り出せば、目覚めという結果につながるのですが、残念ながらそうはなりません。


因果は時間の中に存在します。

しかし目覚めは「いまここ」への気づきであり、時間を超越しています。

それは突然起こるのです。


あなたがいつ目覚めるかは決定されています。

なぜ断言できるかと言うと、自分がその体験をしたとき、「ああ、このタイミングは完全に計画されていた」と感じたからです。

そしてあらゆる魂たちは、遅かれ早かれ、必ず目覚めることになることも確信しました。

しかも、その計画は他ならぬ自分自身が立てたものなのです。


あなたのほかに、あなたの人生をコントロールしたり、支配している存在はいません。

すべては、あなたがやっていることです。


ということは、目覚めについてあれこれ考えるよりも、自分の心のままに生きることのほうが、ずっと大切だということになります。


自分の心のままに生きる。

自分の本当の声を聞く。


それがポイントです。



そういえば10年前に書いた「随(かんながら)神」の物語の最後に、彼方なる知性からのメッセージの中で、こういう箇所がありました。

この部分(7つの鍵の巻)を書いたのは僕ではありません。

何かの勢いによって言葉が押し出されてきて、一気に書き上げました。

今思えば、物語り全体がそんな感じで書かれたような気がします。



・・・・・・・



以前はごく一部の選ばれた魂だけが、「悟り」と一つになることができました

そして今多くの魂達が目覚めの季節を迎えています

それは連鎖反応のように次々と大地に花開き、やがては地球全体を覆いつくしていくでしょう

その時、無数に分裂していた意識の破片が、大いなるひとつに統合されていくのです

そんな予感をすでに多くの人達が持ち始めています


やり方は簡単です

この先に進むのは想像よりはるかに簡単なのです

怖れを捨てて自分の「本当の声」を生きて下さい

それを始めたとたん事態は一変します

もうあなたは一人ではありません

同じ理解を生きる仲間達と全ての必要を満たしあうことができます

あなたがありのままでいればいるほど、事はますます楽になっていきます

そして自然に事が起こり出すのです

それは「随(かんながら)神」の道です


すべての自由があなたに与えられています

悟りさえもあなたの選択であり、あなたの自由です

誰もそれを妨げていません

目を醒まして今すぐ夢から覚めるのもよし

今のまま夢を見続けるのもよしです


心配ご無用

どちらを選んでも、必ずいつかは大いなる一つと一体化するのですから

正確には、今までもそして今もずっと一体だった事を思い出すだけですが・・・





・・・・・・・・・



今日もここに来てくれてありがとうございました。

同じ理解を生きようとするあなたと出会えたことを、感謝します。

あの物語のとおりに現実が展開していることを実感している今日この頃です。



僕たちは時代の大変革を見届ける証人ですね。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:14Comments(41)

2009年12月17日

目覚めについて

今日は久しぶりに、直球を投げてみます。


このブログで、目覚めについて語り続けていますが、ということは今現在、我々は眠りこけているということが前提になっているのです。



誰が寝ているかといえば、他ならぬあなたです。



「え?自分が!?

馬鹿なことを。

私はこうしてしっかりと目を開けて起きているじゃないか」




いいえ、あなたは起きているつもりでいるだけで、どっぷりと夢の中で暮らしています。


「何を根拠にそんな言いがかりをつけるんだ」



それは目覚めたときにわかります。

まったく違う次元で真実を見たとき、それまでの自分や、それまでの自分の人生はすべて思い込みの束であり、自分が作り出した夢の中で、一人芝居をしていただけだったことを、とてもクリアな知性によって理解します。

そもそも自分など最初から存在していなかったし、存在していない自分が、存在していない世界の中で、きわめて深刻に、生真面目に生きていたことがわかります。

生真面目と言いましたが、それは正しく真面目にという意味ではありません。

たとえ不良だろうと、ヤクザだろうと、犯罪者だろうと、その役割を生真面目に演じているということです。


いま僕が語っている内容が、寸分のブレもなくはっきりと理解できれば、あなたは目覚めを経験したことがあります。

しかし、まったくチンプンカンプンだったり、あるいはなんとなくわかる程度であれば、あなたは一度も目覚めたことが無く、ずっと眠りの中で生きていることになります。


深い夢の中で、いま夢の中にいるということを知ることはありません。

そんなことは夢にも思わないのです。



夢から覚めない限り、本当の幸せ(至福)を知ることはありません。

いまどんな幸せな夢を見ていようと、その夢はいつか必ず悪夢に変わるのですから。


でも悪夢こそが夢から覚めるチャンスだったりします。

どうしようもないくらいの悪夢の中で、突如目が覚めるというのはよくある話です。



こんなことを言うと抵抗があるかもしれませんが、いま流行の「※※※※※」という言葉を、魔法の言葉などと称して推奨している人たちは、悪人ではありませんが、自分が何をやっているか気づいていない人たちです。

自分の夢の中で、人の夢をさらに強化しているだけなのです。

ぐっすりと心地いい眠りを分かちあっているだけです。


このような表明を否定したくなる人もいるでしょうね。

そんな訳のわからない世界が「目覚め」なら、自分はこのままで結構。目覚めたいとも思わないなどと言い出す人がいます。

ちょうど、濁った水しか飲んだことがない人が、透明の水を見て、気持ち悪いから飲めないと言っているのと同じです。

そんな人も一口飲めば、もう二度と元の濁り水を飲みたいとは言いません。



目覚めとはそういうものなのです。



ちょっとストレートすぎましたか。

え?そんなことないって?

時間もなくなってきたことだし、もっと強烈な目覚まし時計が必要かもしれませんね。



ま、僕もマイペースでイカせてもらいます。



今日もここに来てくれてありがとうございました。



・・・・・・・・・・・・



【お知らせ】


先日の大阪コラボ講演会では、思いがけずステージにピアノがあったので、ハプニングのようにメッセージソングをお届けしました。

来年の2月7日に、神戸の小さなコンサートホールで、そんな「いまここ塾」を開催します。

伝えたいメッセージの合間に、同じメッセージを持った楽曲を挟み込んで進行させていこうと思います。

音符とリズムと言葉のコラボレーションです。


今日から受付を開始しますので、お申し込みはコチラからお願いします。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:58Comments(79)

2009年12月16日

無断連載で恐縮です

こうやってパソコンの前に座って何かを書こうとする、この瞬間がたまらなく好きなんだ。

伝えたいことが無限にあって、それがまるでオーロラみたいにキラキラ輝きながら、揺らめきながら、言葉にしてくれるのを待っているみたいに感じる。

僕はそれを、どこから捕まえようかと狙いを定めて、「えいっ!」とばかり書き始めるのだけれど、そこからその日のブログが始まっていく。



まずは・・・今日も・・・



「えいっ!」








「こんなん出ましたけど~」(なつかしの白蛇占い風に)





( ̄▽ ̄) ジャン!



また出たの?



( ̄▽ ̄) 何でもお聞き。



女王様みたいになってきましたね。

ま、評判もそこそこだから、また質疑応答でいきますか。

今日は一発勝負で、質問します。



( ̄▽ ̄) いいわよ。



死んでも意識はありますか?



(  ̄Д ̄) ずいぶんクラシカルな質問できたね。

答えは・・・あるよ。だって、宇宙は意識だから。



そういうことじゃなく、もっとシンプルな質問なんですけど、「私」は続いていきますか?



(  ̄Д ̄) 「私」は続かないよ。生きている間だって続いてないし。



( ̄д ̄;) ええっ!!??



(  ̄Д ̄) あなた方が「私」って呼んでいる自分は、あなたがこさえた作品で、実際にはないのよ。あなたはいつだって純粋な目覚めた意識で、それ以外であったことはない。

だから死んだ後も、ないものはない。



それじゃ、死んだら「私」は無くなるんだ。



(  ̄Д ̄) しつこいね。最初から無いのよ。あなた方は自分が誰だかわからなくなっちゃったから、人が自分に対してきた態度や反応をかき集めて、自分ってどんな人なのかを想像してきたの。

だからあなたが思っている「私」っていう存在は、過去の記憶の束みたいなものね。



じゃ、死んだらみんな純粋意識に戻れるんですね。



(  ̄Д ̄) 死んでも夢が続く人がほとんどだよ。

夢から覚めるには「この世」が一番適している。

生きている間に目覚めるために、あなたはこうして生まれてきたんだから。

生まれてきた目的はそれしかないこと忘れないでね。



よく聞かれるんですけど、どうやったら目覚められます?



(  ̄Д ̄) あなたがいつも言っていることで正しいよ。

よりよい明日を目指すんじゃなくて、いまここを生きること。

過去と未来を断ち切って、時間の無い世界を生きるの。

それしかないよ。

その基本レッスンが瞑想。

完全に目覚めてしまえば、瞑想も必要ないけどね。

足を怪我したあとの、リハビリの松葉杖みたいなものだから。

偽の自分から、目覚めた純粋意識に帰るための松葉杖で、最初は必要なのよ。

すっかり忘れこけた本当の自分への一瞥を与えてくれるから。





今日も友情出演、ありがとうございました。

最近いろんな本とかで、「いまここ」のメッセージが主流になってきたみたいな感じがします。



今日の最後は、福岡の「いまここ塾」に何度か参加してくれた「宇宙となかよし」のQさんこと石田久二さんの紹介です。

実はね、Qさんの本が出版されるんです。


僕が感じる彼の印象は、まっすぐだということ。

真理一直線!


雲子さんが言うように、生まれてきた唯一の目的は真理への目覚めにあるのだとしたら、彼の生き方は、たいへん的を射ていると思います。

本の内容もかなり興味深いですよ。


詳しくはコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:13Comments(37)

2009年12月15日

無断出演

いつもここに来てくれてありがとうございます。

さて、今日は何をお話しましょうか。





( ̄▽ ̄)
 ジャン!


あれ、雲子さん!?また出てきたの?



( ̄▽ ̄) ニン!


いいんですか、こんなに頻繁に出演されて。



(  ̄Д ̄) 何か聞きたいことがあるんじゃないかと思って。



そりゃ、あると言えばありますけど、本家に無断で登場してもらっているんだから、僕も少し気を使うというか・・・

まっ、いいですね。それじゃまずは、今日初めて見た人のために、あなたの説明しますね。

雲子さんは「あの世に聞いた この世の仕組み」のブログに登場する、雲(うん)さんというハイヤーセルフのお嬢さんで、そのまま「子」がついただけの分かりやすいお名前です。

年齢は4歳ですが、地球時間の400歳くらいだと思います。

だって何でもご存知なんですから。



(  ̄Д ̄) で、今日は何が聞きたい?



そうですね・・・聞きたいことといえば、死んだらどうなるかとか、宇宙の果てはどうなっているかだとか・・・



(  ̄Д ̄) 読者受け狙って言ってるだけでしょ。



はあ・・・(ドキ!お見通しだな)



(  ̄Д ̄) そうお見通し。もっと自分に正直になって、本当に聞きたいこと聞いたら?

たとえば、自分自身のこととか。



そうですね、もっと正直にならなきゃね。

おっしゃるとおり、結局僕も自分のことに一番関心があるんですよ。

たとえば、これからの運勢だとか・・・あはっ、ちょっと恥ずかしいな。



(  ̄Д ̄) みんなそうだから気にしない気にしない。

じゃ、教えてあげるわね。

あなたの運勢は・・・



( ̄д ̄;) ゴックン。僕の運勢は・・・?



(  ̄Д ̄) あなたの運勢は・・・・・・並



はあ?



(  ̄Д ̄) 並よ、普通ってこと。

あのね、神様はエコヒイキしないの。みんな運は同じだけ持っているのよ、だから並。

でもね、その並は、普通信じられているより、はるかに大きな力なの。

ちょっと考えてみて。

あなたの身体には60兆個の細胞があって、ひとつひとつが大切な役割をちゃんと果たして、しかも周りを邪魔しないで、今この瞬間も完璧な働きをしてるのよ。

そんな奇跡がいつも身体に作用してるんだから、人生全体が奇跡の力に支えられていることわかるでしょ。

超バランスが取れた細胞の働きから見れば、あなたの望みを叶えるくらい簡単なことよ。



あっ、それ、そう思います。

この身体の構造も、僕が努力して作り出したものじゃないし、毎瞬の働きも、ただお任せしているだけだし・・・



(  ̄Д ̄) そう、あなたはそこがわかっているから、いわゆる「運がいい」って見られるの。

あなたが健康なのはね、あなたが身体に干渉しないから。

そしてあなたの人生がスムーズなのは、あなたが人生に干渉しないからよ。

大いなる力は、常にベストな状態を作り出している最高の創造者なのだから、その力を
信頼して任せればいいわけ。

あなたがこのブログ書いている目的は、みんなにその力があって、だから安心して天の力に任せて生きなさいって、そのこと伝えたいんでしょ。



そう、そのとおりです。



(  ̄Д ̄) だからそれをやっているし、これからもやっていく。

それはとてもシンプルなこと。

たとえば、今いる仕事部屋から、1Fのリビングルームに行くとき、いちいちどちらの足から前に出して、何歩で着くかなんて考えないでしょ。

それと同じで、あそこに行こうって決めれば、あとは自然に事が成っていくの。

これが人生という創造の最大の秘密よ。



( ̄д ̄) 願いは叶う。誰でも叶う。叶って当たり前だから、運がよくて並なんだ。



(  ̄Д ̄) 願えば実現するというのが、本来の自然な状態なの。

それを妨げてしまうのが、さっき言った「自分」なのね。

具体的にアドバイスすると、「どうなるのか」という結果に執着しないことね。

結果への執着というのは、うまくいかないのではという用心深さの現れだし、猜疑心、不信感、そして怖れそのものだから。

その怖れが、自然の流れを妨げているのに、怖れがじたばた活動するから、どうにもならなくなっちゃう。

実はね、「怖れ」って「自分」なのよ。

「自分」と「怖れ」は、同じものにつけた別名だから。

どちらも幻想だけど。



なんだか、僕はこれからも願いが全部叶う気がしてきました。



(  ̄Д ̄) いままでもそうだったし、これからもそうよ。

そんな生き方を披露する事で、みんなに勇気を与えていってね。



はい、そうします。




今日も無断出演、ありがとうございました。



・・・・・・・・



さてお待たせしました。

本家の雲 黒斎さんと僕との「東京コラボ講演会」。

発売をしてすぐに満席となってしまいましたが、夜の部に空きができました。

なんと、30名近くお入りになれます。


ご希望の方は、コチラからお申し込みください。(受付は終了しました)


その前日に行われる「いまここ塾」の追加募集は締め切りとなりました。

ありがとうございました。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:30Comments(45)

2009年12月14日

はやっ!

今日は12月14日。

え?12月に入って、もう半分過ぎちゃったの?


すごいスピードで時間が過ぎ去っていくような気がしているのは、僕だけでしょうか。

もちろん時間そのものは概念のようなものであり、実体ではありませんが、それでも早いと感じるのだから早いのです。



18歳の息子に聞いて見たら、この3年間(高校生活)は一瞬だったそうです。

ということは年齢のせいばかりでもないのかもしれません。



楽しい時間はあっという間に過ぎるし、やりたくないことをやっている時間は永遠のように感じるということはあると思います。

くどいようですが、それにしても早く感じませんか?



一説には、現在の24時間は、一昔前の16時間に相当するのだそうです。

この調子で、この先ますます時間が短くなり、来年は8時間、再来年は4時間、そして2012年の12月22日にゼロポイントを迎えるのだとか。

あはは、何のことかよくわかりませんが、なんとなくわかる気がしてしまいますね(笑)



僕的には、そうなったらいいと思っています。


というのも、時間の幻想がなくなるということは、自我がなくなるということだからです。

そうなったら、みんなが「いま」を生き出して、あとはお互い仲良く与え合って生きるしかありません。


まさにジョンレノンがイマジンで歌っていたのがそれです。


imagine all the people
living for today...


そうなれば多くの宗教もいらなくなります。

だって多くの宗教は、明日の幸せや天国への約束を説いているからです。


もし人類が「今日一日」を生き出したら、欲張ることもなくなるし、思想の違いなども意味を持たなくなります。

敵も味方もありません。

明日からもずっと敵だと思うから、相手を攻撃したくなるのです。

もし「いま」しか存在しなかったら・・・



本当にアセンションって起こるのかな。

起きたらいいな。




・・・・・・・・



今年の「沖縄いまここ塾」も残り2回。

12月15日と22日です。

年明けは19日から始まります。

すべて中城村の吉の浦会館で20時からです。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:43Comments(60)

2009年12月13日

博多のホテルにて

昨日は博多いまここ塾にお出かけくださり、ありがとうございました。

会場のムードが居心地よすぎて、終わりたくなくなってしまいました。

これは博多だからということではなく、集まってくれる人たちが、同じ何かを感じ始めていて、そこに無言の共感が漂っているからだと思います。


人生は夢のようなもの、その夢から目覚めることが大切、などというメッセージに興味を持つ人はまだ全体の一部です。

そのような人たちは、自分が自覚している以上に目覚めのすぐ手前にいます。


あとほんの一押しでジャンプする人たちです。

このブログの読者層は、そんな人たちだと感じています。

全体から見れば、まだほんの小数ですが、そんな少数が一同に集うことで、会場に特殊なムードが生まれ、そのムードが僕にとって、とても居心地がいいのだと思います。



昨日も興味深い質問が多く寄せられました。

その中にこんな質問がありました。


「阿部さんがブログを書いているのは何かの意図があってのことですか。たとえば新しい世界を作りたいとか、みんなを目覚めさせたいとか・・・」



こうして聞いてもらえると、自分自身を改めて見直すことができて、ありがたいです。


その答えですが、

決められた意図はありません。


そもそもこのブログが始まったこと自体がハプニングでした。

ハプニングというのは、自分の意思を超えた出来事であり、僕の人生はハプニングの連続と言ってもいいと思います。


ハプニングを起こしている者は誰か、それを追求するのが神への探求ということにつながっていきます。

その存在をなんと呼ぼうが、その存在を全面的に信頼して共に生きていこうと思っています。


「おまかせ」です。


だからと言って、何もしないということではありません。

そのときそのとき、一番いいと思ったことをやっていくことに変わりはありません。

それがいつの間にか、全国で講演会をするということや、本の出版に繋がっていきました。

しかしそのような状況をあらかじめ目標とし、計画を立てて、少しずつヒットしてきたわけではありません。



「阿部さんがブログを書いているのは何かの意図があってのことですか。たとえば新しい世界を作りたいとか、みんなを目覚めさせたいとか・・・」


新しい世界や、多くの人の目覚めを望んでいるということはあると思います。

でも、そのためにブログをやっているのではありません。

もちろんこのブログがきっかけになって、たった一人でも目覚めの体験に繋がってくれたら、それはブロガー冥利につきますが、それが目的で書き続けているのかと言えば、そうではありません。



では何のために書いているのか。


答えになっていないかもしれませんが、書きたいから書いているというのが、正直な気持ちです。

そして多くの人に読んでもらいたいと思っています。

このようなメッセージに共感してくれる仲間と出会っていけるのも喜びです。


ブログという存在が何かということもわからずに始めましたが、少しやってすぐにその面白さにはまっていきました。

書いた記事がいつまでも残っていくというところに、一番惹かれました。


毎日少しずつでも、自分の頭の中を書き移していくことで、いつの間にかネット上に、もう一人の自分が生まれているのではないかと思ったのです。

果たして、結果はそのとおりになりました。



ここにはすでに、僕が人生で理解してきたことの多くが語られています。

そしてこれからも、さらに多くのことが語られていくと思います。



今日もここに来てくれてありがとうございました。

みなさんに出会えて大変嬉しく思っています。



これから大阪に向かいます。  


Posted by Toshiro Abe at 08:52Comments(38)

2009年12月12日

足を止めたら

歳をとって良かったことは、たくさんの真実に触れることができたことです。

そして人生は、真実に触れるたびに、楽になっていきます。



僕たちの苦しみやイライラは、現実が自分の望みどおりにならないところから生まれています。

多くの場合、人生全体が、現実を自分の望みに近づけることだったり、足りないものを得ようとすることだったりします。

それは欲求の旅です。


その旅には終わりがありません。

どこまで行っても何か足りず、どこまで行っても望みどおりにならないことが残ります。

それは常に欲求不満をもたらします。

したがって通常言われる人生とは、欲求不満の果てしない旅なのです。



あるとき気づきました。

たとえいま目の前の現実がどのように見えようと、現実はいつもあるがままにあるだけだと。

現実が自分の望みどおりにならないのなら、自分が現実に合わせようと。


その気づきは、無欲というものが何かという洞察を与えてくれました。

それは「いまここ」に在るということに結びついていきました。

お金を追いかけることも、神を追いかけることも、悟りを求めることも、みんな同じゲームに過ぎません。

それは「いまここ」では飽き足らず、いまにはない何か他のものが必要だという態度を表しています。


道は二つあります。


自分の願望を実現させようと、終わりなき旅を続けるか。

それとも、一切をあきらめて手放すかです。


このような表現に、違和感を持ったり、反発したくなる人もいることでしょう。

でもここに真実への扉があります。


いわゆる人生の旅が、不毛で無意味だということを、いつ見抜くかです。

そこから真実が始まります。



そして真実に触れるたびに、人生は快適にスムーズに展開していくのです。

それは自分がやっているのではなく、起きていることなのです。


手放すこと、サレンダーすること、信頼すること、自分をあきらめること、これが大いなるキーワードです。


絶え間ない欲求の先には何も無いことを知ることです。

そして足を止めてみましょう。

いままで辿り着かなかったのは、歩く速度が遅かったのではなく、同じコースをぐるぐる回っているだけだったからです。


そのコースの巡回を、輪廻(サンサーラ)と言います。

この欲求に満ちたレースからリタイヤすること、それが解脱(モクシャ)です。

その時、人は初めてくつろぎます。


それは常に「いまここ」にあったのです。




今日は息子の誕生日です。

18歳になりました。


でもあなどるなかれ、この18年間で彼は、いま述べたようなことに気づきつつあります。

僕はずいぶん年老いてから気づきました。

でも彼は「ここ」から始めることができます。

人類の進化は、世代交代と共に起きていくのでしょう。





今日もここに来てくれてありがとうございました。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・




いまから博多に向かいます。

そして明日は大阪です。


2月7日には初めて神戸でやらせてもらいます。

神戸ではコンサートホールをお借りして、音楽とメッセージの融和をお届けしようと思います。

来週になったら詳細をご紹介します。  


Posted by Toshiro Abe at 10:34Comments(55)

2009年12月11日

あはは(^o^)

朝、目がさめた瞬間、すぐに思考がやってきました。

晴れ渡った空に、急に暗雲が立ち込めるような感じでした。

普段は、それさえも気づかずに、無意識に考え事の世界に浸っているのかもしれません。


どうも僕たちは、まじめに生きようとするあまり、何事も深刻に考えてしまう傾向があるように思います。



昨日の、もこさんが紹介してくれた95歳の人の詩、よかったですね。



私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?

自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり・・・・

もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。

人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。





そうですよね、もっとリラックスしましょう。


力を抜けば、その分だけ優しくなれます。

自分にも、まわりにも優しくなれます。


優しいの好きです。

恐い顔は苦手。



僕たちはもっと楽しんでいいんですよ。

人生は押し付けられた義務ではなく、与えられた創造(遊び)のチャンスなのだから。



何とかなりますよ。

ならなきゃならないでいいじゃないですか。

いずれにせよ誰の人生も、悠久の時の中で、一番必要なことが刻々と起きていきます。



究極の体験も、然るべき時が来れば、もたらされます。

そのタイミングは完璧です。


早いも遅いもありません。

だっていつも「いま」なのですから。



その時、あなたは言います。



な~んだ、そうだったのか。


すべては宇宙規模の冗談みたいなものだったんだ。



あはは、あはは、あはははは・・・・




   o(*^▽^*)o

  アーッハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \




・・・・・・・・・・・



来週19日(土)の、「東京いまここ塾」講演会は、会場が椅子を増設して下さり、もう少しお入りいただけるようになりました。

参加ご希望の方はコチラから。



また20日(日)の雲 黒斎さんとのコラボ講演会は、夜の部に若干のキャンセルが出ています。

来週になったら募集をさせていただきます。

  


Posted by Toshiro Abe at 09:54Comments(65)