2010年06月30日

続・北の国から

今日の記事も、なんのメッセージもないので、覚悟して読むか、スルーしてください。



それにしても、洞爺湖って凄い!!

この神秘的なたたずまいは只者ではない!!


な~んてミーハーに成りきって、久しぶりの休日を楽しんでいます。





湖畔の宿は、ひょんなことから昭和天皇が宿泊した部屋に通され、この部屋がまた凄い!!

ホント、人生にはいろんなサプライズが待っていますね。

起きる事が起きるということで、せっかくだから楽しませてもらいます。



いま、黒斎クン一家をご招待して、みんなで寛いでいます。


北海道で会う黒斎クンは、沖縄で会う具志堅用高さんのようです。




こんなお馬鹿な記事を読んでもらって恐縮です。



それではロイヤルファミリーの写真を特別公開。



















どうもスミマセンm(_ _)m





話は変わりますが、7月19日のワークショップは締め切り間近となりました。


詳細はコチラからお入りください。





休暇が終わったら、また通常のブログに戻ります。



もどれるかなぁガ-ン





これからも応援よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 17:24Comments(40)

2010年06月29日

北の国から(ワークショップのお知らせ)

あーあーあああああー

あーあーあああああー

(あのメロディーでお願いします)




いま函館から洞爺湖に向かう電車の中です。

1日足らずの函館観光で行った先は、五稜郭とトラピスチヌ修道院、そして100万ドルの夜景を一望できる函館山です。

夜景をブログに載せようと、携帯電話のカメラで撮ったのですが、いままで見てきた写真と代わり映えせず、手ブレだけがその違いで、ここにアップするまでもないのですが、せっかく撮ったので・・・







トラピスチヌ修道院は美しさにあふれていました。

奥までは入ることができませんでしたが、初めて方広寺を訪れたときと同じ厳粛なムードを感じました。

彼女たちがどのような心境で生活されているのかは分かりませんが、美しく生きようとしていることは、その場からも十分に伝わってきました。


いろんな人生がありますね。


僕たちも、娑婆(シャバ)の中ではあるけれど、少しでも清く美しく、そして大いなる御心を忘れずに生きたいものです。



そんなこんなで函館駅に向かう道すがら、ふと閃きました。

そうだ、ひさしぶりに「ユリイカ」やってみようって。

7月19日に予定していた「東京いまここ塾」の日に開催します。



ユリイカ(EUREKA)は、方広寺時代に開催していたワークショップです。

日常生活では忘れてしまいがちな、自分の本質や、自分の素晴らしさに気づいていく時間です。

そして、いまからどこに向かっていくのかという、ビジョンを明確にしていきます。

簡単な実習と、レクチャーと、瞑想によって形成されています。


普段の講演会とは一味違い、各々のエネルギーが広がって、とても楽しいですよ。

携帯電話からでも申し込めますので、まずはコチラからお入りください。


7月19日 13時~17時

ワークショップ・ユリイカ東京


身体が元気なうちに、みなさんの人生にわずかでも貢献できるよう精進していきます(^o^)/




北海道は広いなあ。

さっきから窓の外の景色が変わりません。



不思議だなあ。

生きているって不思議。


さっきから石狩挽歌を口ずさんでいる、染まりやすい僕です。




これからも応援よろしくお願いします。

   



・・・・・・・・・・・・


7月、8月、9月の前半まで、各地の「いまここ塾」はお休みになります。


7月はスペシャル講演会があります。

出版社(ナチュスピ)主催の7月9日「かんながら講演会」(東京)です。

当日券は4000円。

前売り予約は3000円です。


人を覚醒に導く7つの鍵の解説や、アセンションを彷彿とさせる古文書について、あるいは制作秘話など、かんながらの物語を中心にお話させもらいます。

詳しくはコチラからお入りください。
  


Posted by Toshiro Abe at 16:46Comments(27)

2010年06月28日

ご挨拶

名古屋、東京と、立て続けのいまここ塾でしたが、どちらも楽しくやらせてもらいました


で、今回発見したことですが、講演会に来てくれる人たちって、みんな優しい雰囲気。

このブログにも、そんな波動がたくさん訪れてくれるけれど、ああいう場も気持ちいいですね。


心から、ありがとうございました。



今日からお休みいただいて、黒斎クンのご家族と、北海道プチ旅行してきます。

明日から北海道レポでも書きますか。

仕事以外でいくの初めてだし。


そういえばこのブログ、メッセージばかり書いてきたから、たまには気を抜いてプライベートなネタでいってみましょうか。


「いまからこれ食べま~す」

なんてスナップを載せて、ほのぼのブログを目指してみます。


でも、きっとやらないな。

また気がついたら、ウンタラカンタラ述べていると思います。




週末は大阪でいまここ塾します。

よかったら来てくださいね。






で、お願いなんですが、このボタンクリックしてください。

     


Posted by Toshiro Abe at 09:48Comments(36)

2010年06月27日

待つわ

僕が人生で発見したこと、それは、生とは極めてシンプルなものだということです。

そのシンプルさの中に、本来携わっている美しさがあります。


ところが頭(思考)は、ことを複雑にします。

どんな物事にも飛び掛っていって、そこに問題を作ります。

しかもその問題を自らが解こうと言うのです。


ひとつの問題を解決しようとすれば、そこから無数の問題が生じます。

またそれらを解決しようとすれば、底なし沼にはまり込むだけです。


そうやって人は生を浪費していきます。

楽しめたはずの多くの瞬間を、みすみす深刻さに変えてしまうのです。


生は解決すべき問題集ではありません。

生は楽しむためのチャンスです。

思考を持ち込まなければ、判断を持ち込まなければ、人生は極めてシンプルであり、完璧に機能しています。



もしあなたの状況が混乱していたら、そこにはまりこんでジタバタしないことです。

なぜなら混乱しているのは状況ではなく、自分の心だからです。


そんなときは、問題の傍らに座り、ただじっと混乱が静まるのを待つのです。




(BGM)

♪ わたし待~つ~わ、いつまでも待~つ~わ


失礼しました。




その待つことが瞑想です。


野原を流れる清らかな小川を、ジープが横切って川の水が汚れてしまったとき、その汚れを綺麗にしようとして、川に入ってバシャバシャかき回せば、よけいに濁ってしまいます。


岸辺に座って、ただじっと待つこと。

そうすれば自然に泥は沈殿し、もとの澄んだ流れを取り戻すことができます。


多くの人の人生が、瞑想によって健全さを取り戻しているのは、当然の話です。

古今東西のブッダたちも、異口同音に瞑想の大切さを謳ってきました。



瞑想は無用の用です。

実利主義のマインドから見れば、まったく役立たずの非生産的な行為でしょうが、生をシンプルにするためには、最も大切な行為です。


それは行為ともいえません。

無行為なのです。


その無行為の先に祈りがあります。

それは、彼方なる静寂から湧き上がってくる大いなる歓喜です。

祈りとは、神(全体)との交感(コミュニオン)なのです。


交信(コミュニケーション)と交感(コミュニオン)の違いは何でしょう。


コミュニケーションは個と個の関わりですが、コミュニオンはひとつに溶け合っています。

そこに分離はありません。


神に祈るのが祈りではなく、神と溶け合う歓喜が本当の祈りです。

それは、瞑想がさらに深まった状態です。

その境地に達すれば、ことは自然に起き始め、すべてはうまく流れ出します。


生は極めてシンプルで、美しさにあふれていることを見出すことでしょう。




素敵な日曜日をお過ごし下さい。





この情報が多くの人の目に触れますように。

クリック協力をよろしくお願いします

     


Posted by Toshiro Abe at 09:30Comments(51)

2010年06月26日

役たたずの勧め

すずきさんのコメントです。



どうにもこうにも納得がいかない思いがあります。

生まれてもうすぐ37年、運命的な出会いもなく、ただ寝て起きて飯を食って働くだけ。

そこには運命の出会いとは程遠く、ただいたずらに毎日を送っています。

これも自分自身が生まれる前からそうなるように決めて出てきたというなら、あまりに酷な出来事のように思えてなりません。

これも事が起きているということなのでしょうか?

皆同じ一つなのだから人生の勝ち負けなんてあるわけないのは理解しています。

今すぐに選べるものなら選びたい。

『素敵な女性が現れ、俺の運命は劇的に変わる』と。

家から職場を徒歩でちょこちょこ往復するだけの人生にはもうこりごりです。

体があちこち痛いのです。
疲れているのです。
ずっとゆっくりしたいのです。
何にも縛られない時間が欲しいのです。

たぶんこれは自我なのでしょう。そうとられても構わない。

でも今確かに俺の思いはそうなのです。

どうにもならない自分が悔しくて仕方ありません。





このコメントには心の叫びがあります。



世の中は、あまりにも実利主義に陥り、役に立つことばかりを強いてきたように思います。

なにもしないでいると、「何をやっているんだ。時間を無駄にしてはいけない。仕事をしなさい。部屋を片付けなさい。少なくとも何か役に立つことをしなさい」


子供が遊んでいると、多くの親はこう言います。

「勉強しなさい。宿題は終わったの?」


学校を出たら働いて、いっぱしの人間になって、会社や社会の役に立って、人に恥じない生活を送る、それが人の生きる道だと、いい聞かされてきました。

ほかの人の生活と比べ、少しでも豊かであること、少しでもより幸せそうであることを目指してきました。

みんなが同じ道を歩いているので、誰もそのことを疑いません。

それが、常識です。



僕はみなさんに、非常識を勧めます。


役に立たない人でいましょう。

役に立たないことをしましょう。


どこかに向かうために歩くのではなく、ただ歩くのを楽しむために歩くのです。

誰かに見てもらうためではなく、ただ楽しむために絵を描くのです。

公園のベンチに座って、何もしないその時間を楽しむのです。


社会の人が来ていいます。

「馬鹿なことをするな。時は金なりだ。なぜ人生を無駄にするのだ」



このような人は、時間をお金に換えることが、価値のあることだと信じています。

そうやって口座の残金を増やし、そして死ぬときは、ただ通帳に数字が並んでいるだけです。

内面はカラッポ。

だって、楽しむことを後回しにして、自分を犠牲にして生きてきたからです。

遊ぶことさえも、また翌日に働くための、骨休めだったのですから。


そのような生き方を正しさとして強いてきたことで、多くのすずきさん現象を生み出してきたような気がします。

まじめであるがゆえに、生きる道を狭くしてきてしまったのではないでしょうか。



異性との出会いも、実際にはいろんな可能性があったかもしれません。

でももし誰かとめぐり合い、結婚したとしても、内側で同じような価値観を持っていたとしたら、やはり時間の問題で無意味感を抱え、仕事場との往復の日々が始まったことでしょう。

家族への責任が増えた分、いまよりもっと自分を追い込むかもしれません。



いまの世の中に自殺者が絶えないのも、偏った人生観が刷り込まれた結果のような気がします。

生きるということを、あまり実利的に捉えない事。

もっと遊び心を持って生きてみませんか。

 
なんだっていいじゃないですか。

全部捨て去って旅にでも出てみませんか。


「随(かんながら)神」の物語に書いたように、天河に旅をして、無報酬で神社に奉公したのは、鈴木さんと同じ年齢の頃でした。


無責任に聞こえるかもしれませんが、それでも人生は何とかなるんですよ。

なんともならなければ、なんともならないなりに、何とかなるんです。

すくなくとも、閉塞感の中で、たくさんの義務感に苛まれて生きるよりは、ずっとマシです。


安全なロボットになるより、冒険する人間でいたいと思います。




あっ、それから、最後にもう一言。

すずきさんは言います。

『素敵な女性が現れ、俺の運命は劇的に変わる』


でもね、そんことは起きないんですよ。

確かに、誰か素敵だと思う相手に出会うことはあるかもしれません。

でもそのことが幸せをくれるわけではありません。

一人でいるときに心に問題を持っていたら、二人になったら問題が二倍になるだけです。



とは言うものの女性とは出会いたいですよね。

いくらでも道はあると思うけどな。

そういうことなら、たくさんご指導できるかも(笑)



もっと人生を遊んでみませんか。

閉塞感をふきとばして、自由な空の下で羽ばたいてみませんか。

世界は色彩に満ちています。

世界全体を家にしてみませんか。

ヒッピーも捨てたもいんじゃないですよ(経験者は語る)


会社を辞めることを奨励しているのではありません。

何をするにせよ、心の持ち方が大切だということです。




なんだかとりとめのない文章になってしまいましたが、すずきさんにメッセージを贈りたいと思いました。






今日もここに来てくれてありがとうございました。




このブログに何かを感じてくれたら、下のボタンを押してください。

   




・・・・・・・・・・・




いまここ塾東京は、満席のため受付を〆切ました。

次回は7月19日(海の日)です。

来週に入ったら受付を開始します。


なお、8月1日から9月中旬まで、集中瞑想に入るので、活動はお休みします。  


Posted by Toshiro Abe at 08:54Comments(95)

2010年06月25日

出会いは命

僕達を生かしている源は一つでも、その源が現象界に表現される時、何一つとして同じ形がなく、しかも一度たりとも繰り返さない、無限の変化を続けています。

それは、僕たちの想像をはるかに超えた神秘です。


今回のテーマは、そんな独自性を見るのに、とても適していたと思います。

一人ひとりに独自の考えがあり、そのどれもが真実を含んでいるからです。



人間関係は人生そのものです。

僕達が人生と呼んでいるストーリーの多くは、いつ誰と出会ったかということから生じています。

まさにこの世に生まれてきたのは、人間関係を通して、喜び、そして悩み苦しむためだと思います。

その結果、自らの本質を知り、愛(神)に至るのです。


昨日のみなさんのコメントを読んで思いました。

こんなに素晴らしいコメントをくれるブログを、他に知らないなと。

自慢、自慢( ̄▽ ̄)






さて、それでは、Saiさんの質問への答えです。

これが唯一の正解と言うのではなく、ひとつの考え方だと思って聞いてください。


僕はこう考えています。

やはりぜんぶ決まっているのではないかと。


出会いも、別れも、そのタイミングも、全ては人間の認識を超えた、大きな計らいの中での遊戯だと思います。


だからと言って、僕たちが単なる操り人形というわけではありまん。

その脚本家も、人形使いも、究極的には自分自身だからです。

僕たちは、いったん忘却した自分の本当の姿を再発見するために、完璧なシナリオを用意して、悠久の時の中を生かされているのです。



それでは、運命の人はいるのか。

もちろんです。

いまもすぐ近くにいます。

その人との間柄がどうであれ、その人が運命の人です。

この地上でのたった一つの使命(それは自分自身を知ること)を果たすため、様々な役割を演じることで、心を刺激してくれる、掛け替えのない存在です。



自分自身の究極の姿を知るにいたったとき、存在の真理に再び帰り着いたとき、人は自分の人生の精妙なる仕掛けに感嘆し、涙を流すことでしょう。

そして、人生で出会ってくれた、あらゆる人たちに感謝します。

感謝とは、そのとき自然に湧き上がって来る、高い意識の一側面です。


この世に何一つ偶然はなく、何一つ無駄もなく、すべては自己の目覚めのために天が用意した、大いなる計らいです。


そうなると僕たちにできるのは、いま目の前の人、何故か出会ったその人に、心を込めて接することだと思います。

たとえ毎日会っているその人にも、今日が最初で最後の如く、一期一会の精神で接していたいものです。


だって、すべての人は、自分に与えられたプレゼントなのですから。




今日もここにきてくれて、ありがとうございました。


そして、多くのコメントありがとうございました。





これからも応援よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 10:13Comments(52)

2010年06月24日

運命的出会いってホント?

今日もここに来てくれてありがとう。


この宇宙には、ひとつの存在しかなくて、それがあなたを通して、僕を通して、こうして物質界に現れている。

そのひとつなるものを「この人」と呼んでみました。

「この人」が、あらゆる現象を作り出している大元です。

つまるところ、この世には『大いなるひとつ』しか存在していません。



でもそうなるとなんかちょっと変。




Saiさんから、こんな質問が寄せられました。



「この人」しかいないのに、ひとりの異性に対しての、

「この人がいてくれないと、生きていけないっっ!」

という、圧倒的で絶対的なこの気持ちは一体…

なんでこういう気持ちが発生するの?






真実は一元的には言い切れなくて、常に多次元にわたる理解と回答があり得ます。


僕たちは、ひとつの大いなる魂の分霊なのに、縁や宿命的な出会いって、いったい何なのでしょうか。


あなたはどう考えますか。


それとも、そんな縁や宿命も、思考が作り出した幻想でしょうか。



今日もまた、みなさんの考えを聞かせてください。

正解の当てっこではなく、「自分はこう思う」という意見をお待ちしています。






ランキングに参加したおかげで、多くの人に出会うことができています。

今日もクリックよろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 08:50Comments(165)

2010年06月23日

時空を超えて

さて、それじゃあ昨日の続き。

あなたの中にいる「その人」と、僕の中にいる「この人」を、もう少し探ってみよう。


ヒントは時間の中にある。


あなたの一番遠い記憶はいつのもの?

幼稚園か、その前か。



僕が覚えている一番古い記憶は、おそらくは1歳か2歳の頃。

当時住んでいた家に、夜になって、浮浪者の男が入り込んできた。

父が彼を追い払う姿を、僕は叔母さんに抱かれて、じっと見ていた。


おそらく僕はまだ喋れなかったと思う。

でも、その男が可愛そうだと思った。

とてもクリアな意識で、それを見ていたのを覚えている。

それを見ていたのはいったい誰か。

「この人」だ。


「この人」はあの時も、いまも、何も変わらずに僕の中で僕を生きている。

体は成長し、変化してきたけれど、「この人」は歳をとっていない。

子供のころも、青年期も、そして壮年期も、いつも変わらず「この人」が僕の中から外を覗いていた。


たとえ、80歳になっても、90歳になっても、それは変わらずに在り続けることだろう。


老人に聞いてみればすぐにわかる。

自分は何も変わっていないと言うことだろう。


それは死ぬまで変わらない。

いや、実は死んでも変わらない。


「この人」は、生死を超えていて、生まれる前からここにいたし、死んでからもここにいる。

それはいつも、いまここで、純粋な意識としてあり続けている。


あなたの中で、僕の中で、あらゆる生き物の中で、あらゆる現象の中で生き続けているもの、それがあなたの中の「その人」であり、僕の中の「この人」だ。


そして肝心なポイントは、それこそが、本当の自分だということ。


それ以外の自分は、様々な印象を組み合わせて作った、幻想に過ぎない。

その幻想を脱ぎ捨てて、本当の自分を再発見したとき、僕たちは生死を超え、時間を超え、空間を超えることができる。



あらゆる時間に、あらゆる場所に、あなたは存在し続けている。

それが「いまここ」という言葉の、究極の意味です。




今日もここに来てくれてありがとう。


これからも、できる限りの表現を駆使して、あなたが何者なのかを伝え続けていきます。





この情報が多くの「この人」に届きますように。

ご協力よろしくお願いします。

   




・・・・・・・・・・・・・・




今日は、いくつか業務連絡があります。


6月26日「名古屋いまここ塾」は満席のため、受付を終了しました。

6月27日「東京いまここ塾」は、残り席わずかです。



名古屋、東京、大阪、それぞれ「いまここ塾」の前後に、瞑想伝授経験者対象の瞑想会を開きます。

もしまだ連絡が来ていない人は、阿部宛にメールください。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:36Comments(37)

2010年06月22日

「その人」と「この人」

あなたの目の奥から外を覗いている「その人」ダレ?

僕の目の奥から外を覗いている「この人」ダレ?


「その人」と「この人」が、同じ人だって知ってた?



もう一度言うよ。

あなたの中からこのブログを見ている「その人」と、僕の中からこのブログを見ている「この人」は、一人の同じ人。


この宇宙には、その人しか存在していない。



いま僕のひざの上でゴロゴロ言っている、この猫の中で生きている人もいる。

残酷だけど、今日も食べられるために殺される牛や豚の中で生きている人もいる。

その人、みんな同じひとりの人。



その人ダレ?

その人は「あなた自身」であり、「僕自身」であり、命そのもの、たったひとつの大いなる命。



それが本当のあなた。


それが本当の僕。


それが全部の全部。















本当なんだ。

この宇宙には「あなた」しか存在していない。


そのことを解ってほしいだけ。

ただそれだけを伝えるために、生きてきた。



伝えたいのはそれだけだよ。



もう気がついてもいい頃だ。

僕たちが、ひとつの同じものだってこと。







このメセージが多くの人に届きますように。

   



・・・・・・・・





今日の記事は、わずか数分で書き終えてしまいました。

いつも、これくらい力を抜いて書けたらと思います。



さて、これからのスケジュールです。



6月26日 名古屋


6月27日 東京


7月4日  大阪



詳細は上記都市名をクリックしてください
  


Posted by Toshiro Abe at 08:27Comments(53)

2010年06月21日

サレンダー

黒斎クンとやっている阿雲の呼吸というブログで、「信頼」という言葉が出てきたので、今日はそのことについて書いてみます。



信頼・・・


僕らの多くは、物心ついてから今まで、誰に対しても100%信頼したという経験はないんじゃないでしょうか。

それが親兄弟だろうと、恋人だろうと、結婚相手だろうと、「お前は親友だ」なんて呼び合う間柄だろうと、本心から信頼したことなんかないわけで・・・

どんな親しい相手でも、薄皮一枚、何かが残っているんです。



「私は子供のころから、人を心から信頼したことはない!」

なんて宣言すると、変わり者みたいに見られるけど、真摯に自分を見つめてみれば、みんな思い当たることだと思います。

だって、もし100%の信頼という状態を知っていれば、それは「悟りの瞬間」だから。



僕たちはオギャーと生まれたとき、100%信頼の中にありました。

真っ裸で、両手を広げて、天に向かって無防備に、全部開けっぴろげて生まれてきたんです。

疑いを抱えて生まれてくる赤ん坊って見たことないでしょ。


信頼とは僕らの本質です。

人はみな、信頼とともに生まれてきたんです。


もう一度その状態に戻ること、本質に戻ること・・・それが悟りです。

悟りとは、何かに到達することじゃなくて、自分の元々の状態に戻ることです。



よく、秘教などのイニシエイションで、帰依とかサレンダーとか呼ばれるものがあるでしょ。

あれは、師に対して自分を100%委ねきることですが、もしそれができれば、その瞬間に弟子は悟るわけで、最初の一歩が最後の一歩なんです。

それが歴史の中で儀式化してしまい、形だけになってしまったんですね。


100%信頼しきって、100%全部投げ出してしまうことがサレンダーです。



そうなると、自分が100%信頼できるマスターと巡り合えるかどうかが鍵のように思うけれど、それは間違いです。


だって、そもそも誰に対してさえ100%信頼することなんてできないんですから。



実はね、極端な話、サレンダーする相手は誰でもいいんです。

誰を100%信頼したかではなく、100%信頼したという自分の状態こそがポイントだからです。

そこに大いなる祝福が訪れます。




この際、誰かにサレンダーしてみます?

ケチケチしないでね。

だってあなたが全部投げ出しても、師が何か得るわけじゃないですから。


投げ出すものはただひとつ、「自分」という幻想です。

幻想をもらっても、何も得ないでしょ。



師の役割は、単なる入り口です。

師が悟らせてくれるわけではありません。

そんなことは誰にもできません。




人がその入り口を通り抜けるときは、必ず「ひとりきり」です。


通り抜けてみれば、「ひとり」(alone)が、「ひとつ」(all one)になっています。




自分という幻想を投げ出したとき、僕たちは「ひとつの同じもの」になるのです。


このことについてはまた明日お話します。





このブログが、多くの人の目に触れますように、ご協力をお願いします。

   



・・・・・・・・・・



今夜18時から、那覇市ジュンク堂書店で、「随(かんながら)神」ミニ講演会があります。

参加無料です。


明日のいまここ塾・明後日の水曜の会は、那覇市「てぃるる」です。


どうぞお気軽にお越しください。



注)来週のいまここ塾・水曜の会はお休みです。  


Posted by Toshiro Abe at 08:47Comments(64)

2010年06月20日

6月20日の日記

博多の朝が明け始めました。

ホテルの窓から中洲の川沿いの繁華街が見えます。


朝まで遊んでいたのでしょうか、数人の男女がまだ薄暗い路地を疲れた足取りで歩いています。

その後ろから、自転者に乗った中年男性が追い越していきました。

黙々とペダルをこいで、どこかに急いでいる様子です。



そんな光景を何気に眺めていたら、一人ひとりに人生があるんだよなあって、そんなあたり前のことを感じました。

幼少期があり、青年期があり、希望があり、笑いがあり、涙があり、みんなそれぞれに同じ重さの人生を生きているんですね。



さて、昨日のコメント欄に、こんな書き込みがありました。

日々さんです。




コンビニで態度の悪い店員だった

瞬間にムッと感情が、こみあげてきた

ひとこと、言おうと思った瞬間に、スコーンと異変が起きた

そこには場だけがあった

感情が入る余地がなく、事実だけが、ころがっていた

散らかった、レシート

宅急便の荷物の散乱

定員の疲れた手が打つ、バーコードのピッ、ピッという音

思わず、たいへんだなーと思った

「すいません!おつり!」威圧的な定員の声

ハッと我に返り、おつりを受け取った

不思議に怒りはなかった

30秒間の静寂と共感がそこにあった




何げない日常の一コマに、大いなる啓示の瞬間があります。

真実はいつも、余すところなくその姿を僕達に示しています。


何も隠されていません。

真実はいつも明白です。



人生で沢山の人に出会い、同じ時間を分かち合い、愛しあい、助けあい、傷つけあい、そして別れてきました。



みんな幸せに暮しているでしょうか。

時の流れは、あなたに優しいですか。




空はいつもと変わらず、ただ悠然と空をしています。


今日もまた一日が始まります。



素敵な日曜日をお過ごし下さい。




これからもお付き合い、よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(43)

2010年06月19日

♪夢の外へ行ってみたいと思いませんか

今日は書くことがないなあ。

ポリポリ(頭を掻く音)


あっ、そういえば昨日メールボックスに質問が来ていました。

コメ欄に質問したのに、答えがないから、ブログの場で答えてほしいと。



パンダニアンさんからです。


何で大いなる存在である私は一秒でも早くみんなを苦しみの世界から救ってあげないんですか?

現象界からみたら一秒でも早く悟りたいのに。

もし自分の悟りが来世で花開くよう大いなる存在が決めてるなら、今苦しみから開放させてあげればいいじゃないですか?大いなる存在は同じ私なんですから

大いなる存在である私が現象界にいる私を最終的には救うけど、今6月17日にみんな救えないのですか?

いくら夢でも悪夢は早く覚めたいものです





この質問は、現実的でない面を含んでいます。

だから答えるのが難しいのです。


おそらくこの方は、とても優しい心の持ち主なのだと思います。

でなければ、誰が人の苦しみを救いたいと熱望することでしょう。


しかしその一方で、この方は、「大いなる存在である私」と言いますが、本当にそのことを知っているのでしょうか。

このブログが言うからとか、何かの本で読んだとか、借り物の知識ではないでしょうか。

もし自己を超えた「大いなる私」を知っているのなら、このような質問は出てきません。

もし知らないで言っているなら、質問への答えは虚しいものになってしまいます。


なぜこのようなことを言うかと言えば、もし「大いなる私」を一瞬でも垣間見れば、現象界の苦しみ自体が夢であり、それは実在していないことを知るからです。


夢でうなされている人に、夢の中に入っていって、その人を救うことはできません。

その人が自ら目覚めるのを待つしかないのです。

その人が作り出した夢に関しては、その人が全権を持っています。

もちろんいつ目覚めるかに関しても、全権はその人にあります。


そして、どんな夢を見ていようと、夢は夢です。

それは現実ではないので、最初からその人は救われています。


昨日夢の中で、ライオンに食べられる夢を見た人も、実際にはずっと安全なベッドの中にいたのです。

同じことが、現象界と目醒めの次元の間にも起きています。

それが僕たちの救済です。

なんだかヘンテコリンな答えになってしまいましたね。



僕たちは人の目覚めに関心を持つ前に、自分自身の目覚めを促すべきなのでしょう。

なぜなら、自分自身が目覚めれば、すべての存在が目覚めるからです。

そのとき、自分の存在がすべてであることを、「大いなる存在である私」を知るのです。



今日は博多でいまここ塾です。

なんだか、楽しそうでワクワクします。



こうして僕と出会ってくれてありがとう。

やっとこのようなブログを見つけたと言ってくれる人がいますが、実は、僕のほうこそあなたを探していたんです。

僕の話を受け取ってくれるあなたをね。




このボタンも、探すためのツールです。

今日もご協力よろしくお願いします。


     


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(61)

2010年06月18日

いまもここにあるもの

この記事を書くのは、いつも決まって、朝の瞑想を終えた直後です。

昼間せわしなく動き回る思考が静まり、静寂と無時間の中で、こうしてメッセージを送っています。


それぞれの人生は、それぞれの局面を向かえ、それぞれにそれぞれの体験をしているけれど、その動きの背後に、何も影響されていない平和が存在します。


あなたと、その平和を分かち合いたいと思います。


人生の問題をどう乗り超えるか、その方法は無数にあることでしょう。

その方法は互いに矛盾しあい、あちらを得ればこちらを失い、迷いと混乱の中で途方にくれてしまうこともしばしばです。



僕があなたに勧めたいのは、一気に平和な境地に向かう道です。

それは、いまの問題が消えたときに訪れるのではなく、いまがどうであれ、いますぐに到達できる境地です。


それはまさに、「いま」到達できるのであり、「いま」しか到達できません。



目を閉じて、体の力を抜いて、心の力を抜いて、呼吸を静かにゆったりとさせて、思考の動きを緩やかにしていきます。

はじめのうちは、心に溜め込んだ混乱と、緊張と、興奮と、怒りなどの様々な感情が、静かに坐ることを妨げることでしょう。

どこか人気のないところに行って、それらのガラクタを大声でわめき散らして出し切ってしまうのも、ひとつの方策です。


それらの内なる騒動を超えて、心の最奥の静寂に到る方法もありますが、残念ながらそれは言葉や文面で伝えることができません。

まずは自分なりに工夫して、静かに坐る習慣を持ってください。



誰かが問題を持っているとき、その問題への対処法に意識が向かうと、その問題がより確かなものになっていきます。

そもそも問題などは存在せず、単に心の混乱が起きているだけです。

その問題の背後にある完璧性こそ、僕たちが分かち合うべき真実です。



いまもあなたの中には、普段意識しているのとは全く別の、静かで平和な現実が淡々と存在しています。

それは、ただあるがままの現実であり、何の評価も判断も入る余地のないものです。

見える景色はまったく同じものですが、そこに騒動がありません。

それが無思考、無我の境地です。



そこにあるのは同じ現実なのに、ただひとつ無くなったものがあります。

「自分」です。


そのとき、初めて「神」を知ります。

神とは、自分の中にあるのではなく、自分という幻想が消えたときに生ずるリアリティーです。


あなたがいまどんな混乱の中にあったとしても、「それ」は決してあなたから離れていません。


あなたは、道に迷ったような気がしているだけで、実際にはどこにも行っていません。

いまも、「いまここ」にしかいないのですから。



その旅を終えたら、いつでも戻ってきてください。

本当のあなたに戻ってくるのです。



そのとき、こう言って迎えてあげます。


「お・か・え・り」




大丈夫ですよ、心配ありません。




あなたに気づきの祝福が訪れますように。






この情報が多くの人に届きますよう、ご協力よろしくお願いします。

   



・・・・・・・・・




明日の「博多いまここ塾」は満席のため受付を終了しました。

来週末の「名古屋いまここ塾」と「東京いまここ塾」は残り席わずかです。


詳細は、上記都市名をクリックしてください。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:13Comments(43)

2010年06月17日

言葉の危うさ

昨日、一人の人のプライベートな悩みに答えようとしたのですが、言葉の危うさだけが重くのしかかり、何も答えられませんでした。

その方の旦那さんは、僕のブログを読み、相手を傷つけることもいとわずに、自分勝手な生き方をしているとのことです。


このようなメッセージを発信している者の責任として、言葉というものの危うさを、何度も繰り返し指摘しておく必要があると感じました。


今日はそのことを書こうとして、その前に昨日のコメント欄を読み直してみたら、なんと素晴らしい人たちの多いことか。

おかげで僕が伝えたいことが、全部明らかになりました。


その中で、「ごちゃごちゃ言う人間28号」さんが、僕の過去ログを紹介してくれていました。

4年前の記事ですが、まさに今日伝えたい内容と同じなので、ここに再掲します。


みなさん、ありがとうございました。


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2006年10月6日



言葉は危険だ。

僕の言葉を信じてはいけない。

誰の言葉も鵜呑みにしてはいけない。

どんな権威ある言葉も・・・



言葉は真実の一端さえも表すことができない。

ただ真実の方向を指し示すことができるだけ。

月を指す矢印は、月そのものではありえない。

特に最近の精神世界ブームの中で、言葉が独り歩きしてしまうのは十二分に注意しなきゃね。


僕自身への警鐘も含め、誠実に、感じていることを書いておこう。




「全てはOK」


これは意識レベルが最高潮に達し、存在全体が祝福そのものとして実感された時の宣言だ。

今そのような実感に溢れていないとしたら、何かがOKではないわけで、大きな欺瞞にはまる危険性がある。

自分の現状を慰めたり、正当化したりするのにも都合よく使えてしまうので要注意。





「苦しみは不要。愛(光)の中で成長しよう」



残念ながら人は苦しみの中でしか自己を見つめ直し成長することはできない。

人生で遭遇する困難、失敗、絶望が土壌となり、真理への目覚めの種が花開く。

これは自然の摂理であり、今までにそれ以外の方法で覚者となった者はいない。

花を空中に咲かすことはできないのだ。


愛(光)を使えるレベルの人ならば、すでに花開いている。




「過去も未来もなく、今しかない」


我々は過去から己を反省し、未来への希望をエネルギーにして生きている。

過剰に過去や未来に縛られる必要はないが、現象界に暮らす以上、時間という感覚から逃れることはできない。

今しかないと自分に言い聞かすことで、反省しないまま自分をごまかす危険性がある。




「人生では何もする必要はない」


究極の宇宙体験の中でこの言葉を理解し、その体験が去った後、この言葉だけが記憶として残り、それをあらゆる現実にはめようとして、みすみす仕事を失敗させた男がいた。

僕だ。

人間は一人で生きているわけではないので、やるべきことをやる責任がある。




「出来事は中立。善悪は存在しない」


善悪は存在する。

それは誰かに教えてもらわなくても、あらゆる人の中に潜在的知性として備わっている。

健全な心の状態であれば、誰もがこれを知るに至るだろう。

人を殺してはいけない、むやみに生き物を殺してはいけない。

どんな理屈を言おうとダメなものはダメだ!



最後にこのことも言わせて下さい。

今、ここに挙げた5つのメッセージへの反論を書きましたが、同時にこれらのメッセージは全て真実です。

真実は「Yes」も「No」も両方を含んでいるのです。

だから本当のことを伝えようとすれば、徹底的に矛盾するしかありません。


これからも僕は、機会あるごとにメッセージを伝え続けていくと思います。

その瞬間に感じ取った真実を、一生懸命に伝えていきます。


でも、その言葉を鵜呑みにしてはいけないよ。

言葉の行間にある意図を汲み取ったら、後は忘れて自分の感性を信じ、一生懸命に今を生きることです。

それ以外、道はありません。



成長するというのはとても地味な作業です。

それは自己をありのままに見つめ、欺瞞の仮面を剥ぎ、誰の承認も得られないまま、一歩一歩進む孤独な道です。


それは屈辱的な体験でもあるのです。

僕はあなたと励ましあいながら、そんな真実の旅を続けていきたいと願っています。



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2000個もの過去ログを、全部読んでほしいとは言えません。

僕としては一度伝えたつもりのことでも、それを読んでいない人にとっては、その日によって様々な誤解が生じているかもしれません。


このような基本的な内容は、繰り返し伝えていく必要があると、改めて思いました。


みなさん、ありがとうございました。





このメッセージを多くの人に届けたいと思います。

協力してくれる人は下のボタンを押してください。


     


Posted by Toshiro Abe at 08:49Comments(88)

2010年06月16日

あなたへ

こうして毎朝PCに向かい、見えないあなたにメッセージを綴っています。

このような内容のメッセージに、多くのアクセスがあることは驚きです。

本来、一般受けする内容ではないからです。


もしかしたら、このブログは、世の中の変わり者(?)をたくさん集めているのかもしれません。

でもこれからは、そんな変わり者が増えだして、世の中をリードしていくような予感を持っています。


いつの日か、その数が過半数に達したとき、もはや変わり者は変わり者ではなくなります。

変わり者とは、単に小数派につけられた名称だからです。



このブログが少数派へのメッセージだとしたら、多数派のメッセージとは、どのようなものでしょう。


多数派メセージ、それは自我に訴えるメセージです。

世の中の大多数が自我を生きているために、そのような内容は大いに支持されることになります。


たとえば、

「自分の努力しだいで、人生はいかようにも作っていける」

「あなたが苦しいのは意志が弱いからだ。強い意志を持って人生を克服しよう」


などと言うのです。

これなどは大衆受けして、講演の場でも喜ばれるメッセージです。


しかし、このブログで伝えているのは正反対です。

ここでは、人生と闘うのではなく降伏(サレンダー)することを奨励しています。

人生の流れは、大いなる意志によって刻々と運営されているのであり、苦しいのは意志が弱いからではなく、あなたの意志そのものが苦しみの原因だと伝えています。

これでは自我が活躍できる場がありません。

したがって、反感を持った者たちからは、攻撃対象にされることさえあります。



自分の可能性を信じて、前に向かって懸命に生きろと言います。

困難に打ち勝って、己を磨き、少しでも多くの幸せを手に入れるのが人生の成功だと。



しかし、そこで打ち勝つのは、磨かれるのは、幸せを手に入れるのは誰でしょう。

自我です。

そのような生き方は自我を強化することにしかならず、自我を強化すればするほど、苦しみは増していきます。

そして、幸せになれないのは自分の頑張りが足りないからだと思い、さらに意志を強めて、現実をコントロールしようと努めます。


でも最後には、必ず敗北することになります。

部分が全体と闘っても勝ち目はありません。



全体と闘う必要などありません。

全体を信頼し、すべてを委ね、流れとともに漂うのです。

自己を克服するのではなく、あるがままを認め、そこにくつろぐのです。


偉人にも聖者にもならなくていいのです。

そもそも、それらの存在は、人間のイメージが作り出した産物です。

自我はそのような存在が大好きです。


実際にはいつも、あるがままの自分が、まさに「いまここ」に存在しているだけです。

いままでもそうだったように、これからもずっとそうです。


その真実に早く気がつくこと。

それが、新しい生き方の始まりになります。




あなたに、気づきの祝福が訪れますように。





このメッセージを必要としている人が必ずいます。

下のボタンを押して協力してください。

   



・・・・・・・・・・・・・・



6月19日の「博多いまここ塾」は、残り席わずかです。

詳細はコチラからお入りください。



7月9日19時から、新宿文化センター小ホールで、「随(かんながら)神」講演会を行います。

詳しくはコチラから。




  


Posted by Toshiro Abe at 08:47Comments(105)

2010年06月15日

平等

人は表面的には不平等ですが、その内なる価値においては平等です。


誰もみな、信頼しただけ受け取ることができます。

あなたも僕も、いままで信頼した分だけ、きっかりと受け取ってきました。


それは個別の対象に対する信頼ではなく、存在全体に対する信頼です。

そして受け取ってきた価値、それを言葉にすれば「愛」というものです。


自覚していようといまいと、人は「愛」に最高の価値を見出しています。

なぜなら、愛とは魂の食べ物だからです。



もうひとつ平等なこと。

それは、世界とは単に、自分を映し出す鏡に過ぎないことです。


もし自分を肉体と同化していれば、そこに見えるのは、物や事象ばかりです。

そこには神聖なものが何一つありません。

お金や名誉や、一時的な現象だけが確かなものに見えてきます。


反対に、ますます意識的になり、自分の存在は純粋な意識そのものだとわかれば、世界全体を意識として感じ出します。

それが神という体験です。


世界とは鏡のようなものです。

単に、自分がどのような存在なのかを映し出してくれています。


だから、世界を通して得られるものは、いつだってその人にふさわしいものなのです。

人は表面的には不平等ですが、その内なる価値においては平等だというのは、そういう意味です。


現象や物に惑わされることなく、心穏やかに暮らしましょう。、

秘訣はリラックスすることです。



体の力を抜いて、心の力を抜いて・・・・


ほらね、優しい気持ちになったでしょ。



そして意識的になるのです。

意識的になればなるほど、意識は高まっていきます。



そこには、「レベル」と言うべき段階があります。

その意識のレベルが、最高潮にまで上がったとき、世界全体が神として現れます。



意識的であること、瞑想的であること、それが神に近づく唯一の道です。




毎朝、この時間に感じたことを、ただこうして言語化しています。

日によって、様々な意識に届いていると感じています。


この言葉たちが、あなたの道しるべになれますように。




今日もここに来てくれてありがとございました。




多くの人に出会っていけますよう、ご協力よろしくお願いします。

   



・・・・・・・・・




東京と沖縄のお知らせです。


来週の月曜日(21日)18時から、那覇市のジュンク堂書店で、「随(かんながら)神」発売記念講演会&サイン会が開かれます。

現在書店にて整理券を配布しています。



東京では、7月9日19時から、新宿文化センター小ホールで、「随(かんながら)神」講演会を行います。

詳しくはコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:48Comments(43)

2010年06月14日

自分との距離

すべてに浸透する、絶対的存在

大いなるひとつ

宇宙意識

真理



Something Great(名付けることもできない偉大な存在)




いろんな名前で呼ばれるその存在を、今日はズバリ「神」と表記します。


ひとつ言えるのは、神とは概念ではなく、完璧さの認識であり、内なる体験です。

神とは、対象ではなく、体験そのものなのです。



神を知りたければ、自分を知ることです。

自分に近づけば、それだけ神に近づきます。

逆の言い方をすれば、自分との距離が大きいほど、神とも大きく離れています。



自分との距離って何でしょう。

なんとなく感覚的に分かりますか?


幼いころは、その距離はなかったんです。

だからみんな童神(わらびがみ)でした。


ところが、何かのきっかけで自分が自分のままでいられなくなっちゃったんです。


たとえば親から「もっといい子でいなさい」とか「もっとしっかりしなさい」とか言われて、自分のままじゃいけないような気がしてしまった。

その瞬間、自分のセンターから離れてしまったんです。


善悪の判断を持った事で、本当の自分(神)と分離してしまいました。

いわゆる、エデンの園からの追放です。

で、自分じゃない何かを生き始めたんです。


自分との距離が離れていればいるほど、自分が嫌いになります。

あまり離れすぎると、嫌いを通り越して、自分を破壊しだします。

自ら肉体を傷つける行為は、そんな心理の表れです。



自分を好きになりたければ、センターに戻ってくることです。

100%自分自身に戻ってきたら、そのとき、あなたは神と同一化しています。

「我即神なり」と宣言することでしょう。


それは幼なかったころの無垢な状態に戻ることです。

こだわりのない素直な気持ちになって、あれこれ思考で判断せずに、ただあるがままにあるのです。



キリストは言いました。

「幼子のようにならなければ、決して天の王国には入れない」



それは、自分に戻ってくることです。

判断せずに、ただ「いまここ」の、あるがままの自分に戻ることです。

それは「いまここ」にあります。

深く理解すれば、「神」と「いまここ」は同義語だということがわかることでしょう。




どこを探しているのですか? 私は『いまここ』です。


随(かんながら)神」の中に出てくる、神からのメッセージの最後の1行です。


実は、あの物語は、ここで終わっていたんです。

この一言で、すべてを言い表したと思ったから。



耳を傾けて、もう一度聞いてください。


どこを探しているのですか? 私は『いまここ』です。




あなたが自分に帰ることができるように、何度でも何度でも繰り返し伝えましょう。

あなたが自分のことを内心どのように感じていたとしても、あるがままのあなたで100%OKです。


まさにいまあるがままのあなたでOKなのです。



伝えたいことはそれだけです。

神や真理に関する情報を伝えるよりも、あなたが無条件に自分を認め、あなた自身に帰り着けるように、あなたに関する真実を伝えます。


あなたは最初の最初から100%OKです。


もう時間延ばしは要りません。



どこを探しているのですか?


本当のあなたは「いまここ」です。






これからの時代に、この情報を必要としている人たちがいます。

共感してくれる人は、下のボタンを押して下さい。

それによって、新しい縁が生じ安くなります。

よろしくお願いします。

   




・・・・・・・・・・・・




明日の「沖縄いまここ塾講演会」は、那覇市てぃるるで19:30開演です。

どなたでも自由に入れます。

  


Posted by Toshiro Abe at 08:49Comments(89)

2010年06月13日

開くということ

昨日は名古屋コラボ講演会に来てくれてありがとうございました。

いつものことながら、とても楽しくやらせてもらいました。


伝えたいことの本質は、すでにブログでも伝え切っていて、あとはどのような言い方で説明するかだと思います。

さらには、その説明さえもサブ的要素に過ぎず、その場に流れる波動の共有と一体感こそが、講演会の醍醐味だと思います。


黒斎クンは、会を重ねるごとにどんどん成長して行っているのを感じます。

この場合成長というのは、多くの人の前に立ち、どれだけ自然体の自分自身でいられるかということです。


それは自分を開くことです。


もし師と弟子の関係というものがあるとしたら、師の役目とは、弟子に何かを教えることではなく、弟子より先に心を開いていることです。

そこにおいて、大切な何かが受け渡されるスペースが起こります。

精神世界系の講演会も同じで、前に立つ者の役目は、まっ先に自分を開くことです。

そこから場が作られていくのです。


すると、夜の部の最後の質問コーナーで、一人の女性が質問にたちました。


「会が始まってからずっと気になっていたんですが、黒斎さんは、いつも開いているのですか?」


なかなか厳しい質問です。

もちろんそうありたいとは思っていますが、いついかなる時も自分を開いているのは至難の技です。


黒斎「いや、いつもというわけでは・・・」


女性「でもいまは開いてますよね」


黒斎「え?まあ・・・たぶん・・・」


女性「いま開いてますよ」


黒斎「え?」


女性「開いてますよ、前のチャック」





ガチョ〜ン!!




彼のスリムなスーツのズボンのチャックが・・・・(; ̄O ̄)



次の瞬間、会場は大爆笑。
l
まさに会場全体に悟りが訪れた瞬間でした。


いやあ、さすが黒斎クン。

最後の最期に奥の手を、しかも身体を張って創り出してくれました。


あの時、まったく動揺せずに、自然体のままチャックを閉めた彼の態度に、さらに一皮むけて成長した黒斎クンの姿を確認したのでした。



今日もいい日でありますように。




これからも応援よろしくお願いします(*^o^*)

     


Posted by Toshiro Abe at 10:19Comments(39)

2010年06月12日

受け取り

昨日は休ませてもらってありがとう。

みなさんのコメント読んで、いろんな気づきを頂きました。


毎朝何か書かなきゃって、すっかり義務化していました。

そうなると遊び心が消えて、楽しくなくなってしまってしまうんですよ。

人にはアドバイスできるのに、結構自分の事になると、知らず知らずのうちにハマっていたりします。

おかげさまです、ありがとう。


たくさんの激励も嬉しかったなあ。

なんだか生きるパワーのようなものを貰いました。


愛を与えることはもちろん素晴らしいことですが、受け取ることも大切ですよね。

昔は受け取るのが苦手で・・・


こんな自分に本気で言ってくれているんだろうかとか、自分に受け取る価値があるんだろうかとか、なんだかんだ言って、逃げていたような気がします。


でも昨日はしっかり受け取りましたよ。



どんな真実の言葉よりも、愛の温かみのほうが大切だと思いました。

この場所が、みんなで与え合って、素直に受け取れる様な、そんな場になれたらいいですね。

もう、なっているかなって、最近のコメント欄を見て思います。


本当にありがとう\(^o^)/


これからもよろしくお願いします。   




みんなに届け、愛パワー!

     


Posted by Toshiro Abe at 09:32Comments(58)

2010年06月11日

小休止

いつも励ましてくれるあなたに感謝します。

実は、このようなメッセージをブログで発信するのは、少々骨が折れます。


それでも伝えているのは、これらの言葉を必要としている人たちがいると信じるからです。


いつもここに来てくれてありがとうございます。

あなたの存在に、ほんの少しでも貢献できたとしたら、本望です。


あなたに、祝福の気づきが訪れますように。



そして、これらのメッセージが、必要としている多くの人に届きますように。


感謝。




     


Posted by Toshiro Abe at 10:09Comments(116)