2014年11月30日

かんながら

昨日のコメント、永久保存版だと思います(^^)

最近は面白いことが多すぎて時間が足りません。


今回の向さんと中さんと僕のトリオが始めたプロジェクトは、いろんなことがあったけれど、起きているのは一つだけの事実です。

その事実をどう受け止め、どう考えたかで、その人の現実が作られます。

それが、「思考が現実を作っている」という言葉の意味です。


昨日のコメント欄は、まさにそんなことを教えてくれる場でしたね。

僕までタダで見せてもらえるんだから、これこそが究極のセミナーかもしれません。


中でもお金に関することの反応が大きいのが特徴ですよね。

お金とは単なる外側の貨幣ではなく、人々の魂に食い込んでいる爪痕みたいなものです。

その人なりの、深いところからの反応が現れてきます。


中さんが作ってくれたサイトにについて、反感を持ったという意見が多いけれど、

一方でこんな意見も寄せられました。


受験生の母

同じやり方でも株やFXのサイトだと違和感がなくて、悟りのサイトだと違和感がある。

株、お金=汚いもの、悟り=高貴なもの

という観念が自分にあるのでしょうね。お金、大好きなのにね(*^_^*)

中さんもこんなに批判されると思ってなかったのではないかな。

自分はいいこと、と思っていても受け手がそう思うとは限らない、人それぞれですね。

今後、もっといいサイトになるように期待していますね(*^_^*)




あと、印象的だったのは、

「お金が払えない人は悟れないのか」

とか

「お金がないと価値あるものは手に入らないのか」

という発言。


これを見て、人というものは、無料のものは価値がなく、有料のものは価値があると感じてしまうんだなと思いました。

あの無料動画は、その先の有料動画と、なんら変わりはありません。

だいたい、この瞬間の真実を話しているのに、出し惜しみなど不可能です(笑)


お金がないと悟れないのかと言っている人は、お金があっても悟りは無理です。

そもそも人は悟れません。

悟りが人にやって来るだけです。


今回のサイトは、誤解を受けやすい作りであり、それをプロデュースしきれなかった反省は残りますが、その一方でたくさんの人に貢献できたと思っています。

でも有料のセミナーを紹介したとたん、感謝してもらえるどころか、反発されてしまうというのは、その作り方に、人心を操作しようという意図が見え隠れするからだと思います。

あらゆるCMは人心操作の性質を持っているので、結局はセンスということになるのでしょう。


コメントに、中さんを悪者のように書いていた人たちがいましたが、そのことは僕がここではっきりと「違う」と言っておきます。

禅のムードとは相いれない異質なタイプの商法を、むしろ面白がってくっつけたのは僕のほうです。

ちょっと遊びが過ぎたかもしれませんが、僕としては楽しい企画でした。

そこから生まれる相乗効果や、違和感が発する熱や、それら諸々が絡み合って、新しい何かが生まれると考えました。

ただ、僕が全体をコントロールできると過信した結果が、このような形になってしまいました。


今回のプロジェクトには功罪がありましたが、このプロジェクトがあったことで、10000人以上の人たちが僕たちの動画を見て、コメントを残してくれたのも事実です。

禅がこのような形で多くの人に正しく伝わったのは、極めて珍しいことだったと思います。

想像以上の反響でした。

だから人生は飽きないんだな。


無料ではありましたが、あの動画は、僕は沖縄から、向さんは浜松から、何回も通いつめて撮ったものです。

たくさんの情熱が入っていますし、何より僕たちが楽しく収録することが出来ました。

あの動画だけでも、真剣に向き合えば、人生観を大きく変えるヒントが詰まっていることがわかるでしょう。


The 禅アカデミーですが、中さんが関わってきた仕事の中で、今回が一番反響が大きく、常識では考えられない数になったそうです。

数字的には大成功でしたが、いったん白紙に戻すことにします。

そしてネットサンガが新しい衣に着替えて、再び動き出す日を待つことにします。


すべては、かんながら。

ここを通るから次のシーンが待っています。

公開動画は今日まで見れます。


「あーちゃん と むーちゃん」(12年前の呼び名)のコンビが、どこに流れていくのかは知らないけれど、このまま「かんながら」で行ってみます。

いままでも完璧だったし、いまも完璧なのが分かるから。



今日は東京講演会。

楽しいことばっかりさせてもらってスミマセン(笑)

前回の名古屋もそうだったけれど、なんか一皮むけた気がします。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:16Comments(321)

2014年11月28日

笑いについて

笑うことは、いまの時代にとても重要です。

その一番大きな効果は、深刻さを吹き飛ばすことにあります。


深刻さは視野を狭め、自分の見ている現実だけが現実であるという世界にハマりこんでいきます。

現実とは起きている状態そのものではなく、その状態を五感で把握し解釈したものに過ぎません。

厳密に言えば、現実は人の数だけ生じています。

だからぶつかり合うのです。


笑いは、目の前の現実と自分の意識の間にスペースを作り出します。

そのスペースに、自由自在に物事を見渡せる可能性が生まれてきます。


自由自在に物事を見渡せる能力・・・これがユーモアのセンスです。

ユーモアとは、冗談を言って笑わそうとすることではありません。

そのような態度も、時として深刻さから出ている場合があります。


ユーモアとは自由な視野のことなのです。


笑いは人間に与えられた大いなる力の一つです。

深刻になりそうになったら、とにかく嘘でもいいから大声で笑うことです。


本気でウソ笑いに挑めば、時間の問題でリアルな笑いが出てきますよ。


僕なんかいつでも、ガッハッハです。

だって人生そのものが冗談のようなものだからです(^o^)

  


Posted by Toshiro Abe at 10:57Comments(35)

2014年11月27日

笑いは全てを超える



The 禅アカデミーの特別講師平野さん、通称乙様(左はし)

長年インドで修行された笑いヨガの先駆者です。

笑いは全てを超越する奇跡の力。

ヨガの呼吸法と笑いの融合のテクニックを、ほんの少し生活に取り入れるだけで、1日の質が大きく変わります。

人生を笑い飛ばしていきましょう(^O^)  


Posted by Toshiro Abe at 13:05Comments(39)

2014年11月26日

出会いの不思議

昨夜、向さんと、僕たちが出会うに至った経緯を、それぞれの立場から話し合いました。

向さんには向さんの必然があり、僕には僕の必然があり、それぞれが紙一重のタイミングの中で出会うことになるのです。

この世に「もしも」はないと言われますが、「もしも~だったら」何もかもが違う展開になり、当然僕たちが出会うことはありませんでした。

詳しいエピソードは別の機会に譲るとして、人間の出会いの不思議を感じた夜でした。


これは全ての人に言えることだと思います。

すぐそばにいる大切な人と出会うためには、いったい幾つの巡りあわせが必要だったのか。

そう思うと、その人は天が与えてくれた貴重な人ということになります。


自分にとって、好きな人も、嫌いな人も、優しい人も、意地悪な人も、自分の人生を豊かにしてくれるために、1億人を代表して登場してくれたんですね。


出会ってくれてありがとう。


・・・・・・・・・・

11月30日の東京講演会に空きが出ました。

参加ご希望の方はコチラから。

  


Posted by Toshiro Abe at 15:53Comments(42)

2014年11月25日

僕たちが伝えたいこと

今日は向老師の寺を訪ねて、禅プロジェクトに寄せられたメッセージへの応答を収録しました。

凄い時代ですね、もう公開できるんだから。

参加してない人にも見てもらいたいので、早速紹介しますね。

http://live-publishing.jp/click/thezen_comment3/  


Posted by Toshiro Abe at 18:40Comments(20)

2014年11月25日

60年の時

昨日は名古屋講演会に遠方からも駆けつけてくれてありがとうございました。

毎回たくさんの人の前で講演できる幸運を噛みしめています。

昨日の僕は神がかりみたいに調子よかったです(^^)


今日は浜松に来ています。

The 禅アカデミーの撮影です。


高層ホテルから一望する街の各所に、幼かった頃の自分が生きている気がします。

浜松城公園

昔はここに動物園があったんです。

僕は鍵っ子だったから、よく一人で遊びに来ました。

動物たちと話せるようになったのは、自分だけの秘密でした。


当時からなぜか東京に恋焦がれて、早くこの街を出ることばかり考えていましたが、そんな僕を育ててくれたこの浜松が、いまは愛おしく感じます。



話がポンポン変わるけど、昨日はyoutubeの歌を聴いてくれてありがとう。

ほとんどR50の世界でしたね(笑)


光陰矢の如し。


そう言えばあのころ、あるスタッフが

「20年後にトシローがタクシーに乗って運転手さんに、『この歌僕が作ったんですよ』って自慢してるかもな」

なんて言われて、「そんな時が来るもんか」って思ったのを覚えています。

自分が歳を取るなんて思わなかったから(笑)


20年どころか40年近く時が経って、人生が思ったよりも短くて驚いています。

生きていくのは大変で死んでしまいたい時もあったし、もう二度と生まれてきたくないって思うけど、もしかしたら死んだ後はまたこの世界を味わってみたくなるのかな。

ほんとに人間てドMだと思う。


結局、作曲家生活も2年で飽きてしまって、その後も仕事がくるくる変わっていきました。

思えば僕は何をやっても長続きせず中途半端でした。

でもその中途半端たちが、いまの活動に全部生きています。

だから人生無駄なしだなって思います。


とりとめのない文章になってしまったけれど、思いつくままを書きました。

そのままアップします。


意味のない独り言に付き合ってくれてありがとう。


今日もいい日でありますように(^^)
  


Posted by Toshiro Abe at 13:22Comments(43)

2014年11月24日

センチメンタルカーニバル

この3連休、ちょっと暗いテーマが続いたから、今日は気分転換。

先日さとうみつろう君と沖縄で開催したトーク&コンサートから一曲プレゼントします。

23歳の時の作品で、昭和歌謡全盛期のものです。


このコラボコンサート自体が、一か月前に企画したものなので、舞台装置も何もありません。

それに肝心の歌もイマイチです(^^;)


でも愛がいっぱい詰まっています。

だから、あなたにプレゼント♡


http://youtu.be/eZrRqdV2pS0


今日も良い一日を(^^)




  


Posted by Toshiro Abe at 11:07Comments(70)

2014年11月23日

祝福

すごい迫力でしたね。

みなさん、コメントありがとうございました。

一応言っておきますけど、ここに書きこんでくれた人たちは、このような暗い面も持っていますが、同時に人間として優れた面もたくさん持っている人たちです。


どうですか、書いてみて少しはスキっとしました?

文章にして書くという行為は、内側深くの混乱を整理してくれますよね。

状況は変わらなくても、気持ちはほんの少し変わる可能性があります。

誰に宛てるでもなく、怒りをぶちまけた文章を書くのは効果的です。



僕たちの中には言いたくても言えなかったことや、恨みつらみや、反感や、様々なエネルギーが渦巻くようにして眠っています。

それが何かの拍子に表面化し、あるいはそれらの思考に取り込まれ、そのたびに自分が嫌になったりして、苦しみを倍増させてしまいます。


でもそれらの思いは、あなたの本質ではありません。

それらは純粋な意識の上に溜まった実体のない思念たちです。


その思念がどれだけ長期にわたってあなたを支配したとしても、あなたの純粋性に影響を与えることはできません。

どす黒い雲に何年間覆われたとしても、大空が影響されないのと同じです。

あなたの人生に何が起こっていたとしても、あなたはいまも穢れなく純粋なままです。


でも、黒い雲は気持ちが晴れないし、つらく苦しいですね。

生きている限り、それらが完全になくなることはありませんが、何かの拍子で雲の切れ間から大空を垣間見て、自分自身に安心することもあります。

それが悟りの一瞥です。



人間関係や、病や、性の不満や、金銭的なことなど、この世は苦しみに満ちています。

たとえすぐには状況が改善されなくとも、すべては刻々と変化し続けています。

あらゆる出来事は体験した瞬間に、すでに後姿だということを忘れないでください。

すべては過ぎ去っていきます。


今は信じられないかもしれないけれど、あなたを運んでいる流れは完璧であり、あなた自身も、どのような状態になろうとも根本的に救われていますし、苦しんだ分だけ悦びと祝福を深く感じることになります。


一番の驚きは、深いところで僕たちが、もっと苦しみたいと思っていることです。

そのことが大きな幸福感に繋がっていることを本能的に知っているのかもしれません。

僕たちは苦しむために生まれてきたのです。



すべての人は祝福されています。

もう嫌だと思っている人もいると思いますし、その気持ちもよく分かります。

それでも、すべての人は祝福されています。

信じてもらえないと思いますが、僕にできることは、その真実を伝えることだけです。



このような場が、少しでも役に立つならば嬉しいです。



  


Posted by Toshiro Abe at 14:57Comments(79)

2014年11月22日

他では絶対に聞けない話

僕らの内側では、いろんな思いが混沌と渦巻いています。

そこには決して人には言えないようなこともあります。

みんなが正常な顔して歩いているから、自分以外の人はみんな純真に見えて、自分だけが汚れたマインドを持っているような気さえします。

昨日みたいに、ほんの少し僕の実態を披露しただけで、気持ちが楽になったっていうコメントもありました。


人間には慈愛にあふれた美しい面もあれば、隠しておきたいような恐ろしい面もあるのです。


どうですか、この三連休。

自分で決して認められない面や、とんでもない考えや衝動を、赤裸々に綴ってみませんか。


もちろん、いつもと違う名前、匿名で構いません。

表に出してしまえばスッキリするかもしれませんよ。


それに、読む側も、「な~んだ、自分だけじゃなかったのか」って安心するかも(^^)



ここに集まる人は、精神性が高まってきた人が多いと感じています。

にもかかわらず、こんな面もあるよって、そういう話を聞きたいものです。



おお、なんか怖いけど興味津々。


ドキドキ


僕も匿名で投稿したりして。

  


Posted by Toshiro Abe at 16:58Comments(717)

2014年11月21日

11月21日の記事

♪あの頃の未来に僕らは立っているのかなア

すべてが思うほど上手くはいかないみたいだ


スガシカオさんは、この詞を飛行機の中で30分間で書いてしまったと言う。

それならばといま、沖縄から名古屋に向かう機内でiPadを取り出し、歌でもひねり出そうと思ったけど、5分で挫折。

そうだ、ブログを書こうって方針転換です。


以前僕の知り合いが、自分の車を追い抜いていった礼儀知らずの若者に激しく腹を立て、そんな自分がまだいたことに失望したと言っていました。

彼は人間性を高めるための講座の教師であり、その道の第一人者です。

怒りについての本も出しています。

そんな彼が、無礼な若者に激怒したと言うのです。


僕は彼に言いました。

「失望することなんかない。僕なんかもっとひどくて、こうでああでこうでああで・・・」

すると彼も、

「実は僕も・・・」って、まるで非道さの自慢ごっこみたいになりました(笑)


べつに昔の話じゃありません。

今日だって飛行機に乗る前に、保安検査場の金属探知ゲートを通る時、バックルがピ〜っと鳴らないように、新しいベルトをして意気揚々と通ったら




ピ〜〜!!!


えっ?なに?


「腰のベルト外して、もう一度お願いします」


その瞬間、ベルトを売った店と、もう一度ゲートを通るように指示した若い女性係員の冷静な顔と、今度は大丈夫とタカを括っていた自分自身と、子供の頃におもちゃを買ってくれなかったオフクロと、無実の罪で僕を叱った小学校の担任と、僕の部屋にオシッコをしまくる猫たちと、なにもかも全部に腹が立って、生きているのが嫌になって、みんな死んでしまえって。

その間、約1秒。

短いけれど強烈な怒りでした。


何に対してかといえば、単に、


ピ〜〜!!!

です。


不機嫌な顔で、再度ゲートを通りながら、またやっちゃったってね(^^;)

多分いやな波動をぶつけたであろう若いスタッフに、お愛想笑いを浮かべながら、いそいそとベルトを締め直した僕でした。


本当はオフクロも、当時の担任も、そして猫たちも、長生きして欲しいと願っています(^o^)


いいよね、人間なんだから。

イライラ君とも、たぶん死ぬまで付き合うのだと思います。

順繰りに多彩な感情を味わえて、ほんと、人生は飽きないな。


この数日は夢のない話が続いていますね。

そろそろ中部国際空港に着陸です。

今日も良い日をお過ごしください。


・・・・・


名古屋講演会は数人分の空席ができました。

参加ご希望の方はコチラから
  


Posted by Toshiro Abe at 14:09Comments(83)

2014年11月20日

痛みと不幸を小脇に抱えて

数年前に似たようなことを書いたときは、ブログが荒れて大変でした。

今回そのようなコメントがなかったことと、コメントの内容が濃かったことが印象的でした。

わずか数年の間に、我々の意識は、我々の想像以上に変化しているのかもしれません。


「内なる痛みは消えることはない」

「人生は苦しみであり、幸せにはなれない」


このような言葉を理解できるようになるには、多くの経験と洞察が必要だったと思います。



もし我々が、常に去来する苦しみや胸の痛みを、自分の一部として認めてしまえば、完全に受け入れてしまえば・・・


あゝ、なんて爽やかな気持ちなんだろう。

いったい、何になろうとしていたんだろう。


私は私であり、これが私の人生です。

以上!!!



自分を認めるという感覚が、初めてわかってきた人もいましたね。

その調子です。

自分を認めるというのは、内なる混乱や、持続する痛みを、それが自分の一部だと認めることです。

あるがままを認めるとは、そういうことです。

「これではいけない。もっとほかの自分になるべきだ」と思ってしまう自分を休ませてあげましょう。


その上で、あなたが必要だと思うことをやっていけばいいのです。

その時その時、一番いいと思ったことをやっていくのは、いままでと同じです。


でも何かが違います。

それは一番いいと思ったことを選ぶ基準が、他人の目や正しさという基準から、自分の思いに変わっているということ。

結果がどうであれ、その結果とともに生きているということ。

そうなれば、余計な混乱はなくなります。

不幸が前提になっているから、不幸はもはや不幸ではなくなるのです。



生きる力が消耗してしまった人、

自信をなくした人、

もう生きるのが嫌だと思っている人、


そんなあなたが感じていることや、考えていることは、たいていは経験済みです。

これからも不幸と痛みを小脇に抱えて、一緒に生きていきましょう(^^)/
  


Posted by Toshiro Abe at 16:05Comments(100)

2014年11月19日

痛み 3

「内側で感じているのは、全員みんな、同じ感覚です」


この言葉をどのようにイメージしたかによって、解釈が違ったかもしれませんね。

なぜなら感覚は同じでも、人によって感じ方が違うからです。


たとえば外側からの刺激を、感情センターで処理しようとするタイプがいます。

そのようなタイプの人にとっては、苦しみだろうと感激だろうと、感じることが自分の存在証明なので、人より傷つきやすく、感じやすくなります。

「他者は私ほど深く感じていない」

と子供の頃から思っていたはずです。


一方で、外側からの刺激を、思考センターで処理しようとするタイプもいます。

そのような人は感じることより、知的に把握するほうが重要です。

ですから、いま自分が何を感じているのかの自覚も乏しくなります

このように人によって感じ方が違うので、みんなが同じ感覚と言われてもピンと来ません。



ちょっとこんな風にイメージしてみましょう。


まずはボーンと一個、宇宙大の意識が存在すると思ってください。

一個というのは「二個目が存在しない全て」のことであって、日本語では「不二」とか「一元」とか言いますし、ヒンズーでは「アドバイタ」(二ではない)と呼ばれます。

「ワンネス」とか「全体意識」とか「神」とかも同義語です。


さてその大いなる意識には、70億もの枠が張り付いています。

大いなる意識は、その枠を通して、枠の外側(自分にとっての世界)を認識しながら、枠としての自分を本当の自分だと考えます。

その枠そこが僕たちの誤解の源で、仏教ではこれを根源的無知と言います。

自己が全体から切り離され、単独として存在しているという錯覚です。


枠の中にある意識は一つしかなくて、全員がそれを共有しています。

しかし全員はそれぞれに、内側で感じている意識は「自分という枠」が持つ固有の意識だと思っています。

でも実際には同じものです。


最も重要なことは、その同じ大いなる意識は、まさにいま、あなたが感じている「それ」だということです。

あなたが「それ」を感じていない瞬間はありません。

でもすっかり忘れています。

あまりにも自分過ぎて、あらためて認識する機会がないのです。


それが何かの拍子にふと顔をのぞかせます。

それが悟りの一瞥となります。


さてここまでの話は、いままでにもくり返し伝えてきたことです。

実は今日伝えたいことは、このことではありません。

枠として存在している我々にとっての共通感覚、

「痛み」についてです。



まずは結論から書いておきます。

悲しいお知らせではありますが、今日も耳をかっぽじって聞いてください。



痛みは消えることはありません


心臓があるように、肝臓があるように、痛みはここに存在しています。

これは人間存在の一部なのです。

したがってあなたが生きている限り、この痛みとともにあります。


痛みは、苦しみ、悲しみ、嫉妬、罪悪感、無気力、怒り、貪欲、攻撃性、と様々な形で噴出しますが、これらを総じて「苦しみ」とするならば、人生は全面的に苦しみの中にあります。

釈迦は、「人生は苦しみである」と言い切りました。

これは解釈を超えた、たんにあるがままの事実です。


でも人はその苦しみから逃れたくて、ありとあらゆる可能性を試します。

そこには希望があります。


問題は、常に存在する痛みや苦しみ自体ではありません。

問題は、それらの痛みがなくなれば、自分が幸せになれるという希望にあります。


これが、的外れな人生を歩ませます。

真実の人生を歩むには、真実の態度が必要なのにです。


真実の態度とは、痛みが消えるという期待(幸せへの憧れ)を生きることではなく、痛みは消えないという事実を認めた上で、そのあるがままにくつろぐ、この態度こそが「あるがまの自分を認める」ということです。

いまだにあるがままの自分を認められない人の心の根底には、いつかこの痛みは消えてなくなるはずなのに、いまはまだ自分の一部になっている、だから私は自分を認められないという思いがあります。

繰り返しますが、痛みは、苦しみ、悲しみ、怖れ、嫉妬、罪悪感、不安、無気力、怒り、貪欲、攻撃性などの形をとって顕れてきます。

そのような自分は認められないと思っていませんか。



さてそれでは、ダメ押しの悲しいお知らせです。


人生は苦しみである


我々は、決して幸せにはなれない



以上!!!



もしあなたがこの真実を心底から認めたら、あなたの人生は大きく変わります。

幻想から真実にシフトするのです。


でも人は相変わらず希望を持ち、また新しいやり方を探し出します。

世の中にこんなに沢山の「幸せになるアイテム」があるのは、人々が、痛みがなくなれば幸せになれるという幻想を持ち続けているからであり、提供する側も同じ錯覚の中にいます。

あるがままの事実に、あるがままの自分が関わっていく。

そこからしかリアルな成長はありません。


「あるがままを相手にしなければ、リアルな展開はない」 向禅師

まったく同感です。



このような希望を奪うアプローチはいつも否定されてきました。

そうやってまた新たな希望の情報が社会を覆うのです。

決してどこにも行き着かないことに、もうそろそろ気づくべきです。



安らぎは痛みや怖れを手放した結果ではなく、むしろ希望や期待を手放した時に訪れます。

その瞬間、抱えていた重荷が消え去り、このリアルな痛みの背後に、無条件の喜びと価値を見出すのです。


僕たちの本当の精神的成長は、幸福を追求することではなく、幸福への希望を捨てきった時に顕れるという、なんとも皮肉な話をさせてもらいました。



いろいろ言いましたが、



喫茶去

まっ、お茶でもいっぱい(^^)



・・・・・・・・・・


名古屋と東京の講演会は満席となりました。

たくさんのお申し込みありがとうございました。

お会いするのが楽しみです。
  


Posted by Toshiro Abe at 12:37Comments(199)

2014年11月18日

痛み 2

話についてきてくれてありがとう。

何人かの人が、その痛みは自分の中だけにあると思っていたと言っていましたね。

ここはとても興味深いポイントです。

こういうことは、あまり語られてこなかったので明確にしておきます。

実は我々が個別に抱えている内側の感覚は、ほとんど同じものです。

もちろん人それぞれに、人生で経験しているエピソードが違い、その内側の感覚を社会に向かって発揮しているやり方が違います。

表面的に個々の人間はあまりにも違うので、まるで内側も違うような気がしてしまったのですが、内側はみんな同じです。


いいですか、



耳かっぽじって聞いてください。




内側で感じているのは、全員みんな、同じ感覚です。




もちろんその感覚は、感情や体調などによって変化し続けています。

あなたが変化しているように。

みんなも、同じように変化しています。


社会的に恵まれている人も、留置場の中に長く暮らしている人も、そんなに変わりません。

何かのきっかけで天にも昇るような高揚感を持つこともあるでしょうし、人間が持つ様々な感情を順繰りに感じています。

その人の人間的成熟度によって、感じる感情にも差が出てきますが、持ち合わせている可能性と質はみんな同じです。


さて誰もが共有している、そんな内側に、初めから備わっている痛みがあります。

その痛みから逃れたくて、精神分析を試す人もいるでしょう。

幼少期のトラウマが癒されれば消えると思ったからです。

過去世にまで理由を求める人もいます。

エンカウンターグループなどで自分をさらけ出す人、あるいは宇宙とつながるワークショップに参加する人たちもいます。

仕事を成功させて何の心配もなくなったら、この痛みが消えると考えている人もいます。

問題が解決すれば、この痛みがなくなると思っている人もいます。

自分がもっと愛にあふれて、徳が高まれば、痛みのない恒久的な至福の中に入れると期待する人もいます。


みんな内心、この痛みから逃れたいと思っているのです。

しかも、この基本的な痛みの上に、さらなる痛みが、暮らしの中で生じ続けます。

人との関係、お金の不安、病のプレッシャー、介護や子育てや、あれや、これや・・・


まさに四苦八苦

やれやれ、人生は大変です。



今日のところは、

その内側の感覚は、あなただけのものではなく、すべての人に内在していることを知ってください。

それがどういうことなのか、よく感じてみてください。


あなたは、人と自分は別々の違うものだと信じてきました。

僕の本や講演で、人はみんな同じものだと聞いて、ああそうかと思ったとしても、実際には別々のものという感覚で暮らしてきました。

ですから、もういちど、静かに自分だけの時間を作って、内側が同じだって感じようとしてみてください。

その内側の感覚は、あなただけのものではなく、すべての人に内在していることを感じてください。



痛みについては次回、さらに踏み込んでお話させてもらいます。

このことは、一部の人の人生観を変えるかもしれません。


それでは今日もいい一日を(^^)


・・・・・・・・・・


11月24日 名古屋講演会

11月30日 東京講演会


どちらも、残り席わずかです。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:32Comments(89)

2014年11月17日

痛み

僕らは何か神秘的なものや、深遠な教えを求めるけれど、そのようなものは外側の「対象」であって、唯一の真実の在り処である自分に行き着くことはありません。

あなたの、ものすごく身近なところに、天地を貫く真実が鎮座しています。


そこに至るアプローチですが、あるがままのリアリティーと関わっていくことしかありません。

リアリティーから始めないことには全部が夢物語になってしまいます。


ありのままはどこにあるでしょう。

それはあなたの内側に外側に、いつもいま存在しています。

探すまでもありません。

ところが我々は、目にフィルターをかけてしまっているので、両者のありのままが見えなくなっているのです。

そこには自分に対して、そして外側に対して、多くの期待や恐れがあります。


まずは判断せずに、自分自身をゆったりと感じてみましょう。

よく感じてください。

すると内側に、何らかの痛みを感じるはずです。


特に問題がない人も、この痛みはいつも持ち運んでいます。

その部分をしっかり感じることできますか?

そこには人に言えない様々な秘密や、自分でもうまく説明できない混沌とした感覚があります。

それらが基本的な痛みとして存在し続けるのです。


我々は、この痛みから逃れたくて、人生を様々に作り上げようとします。

やり方は違えど、人生のプランは苦痛からの逃避によってもたらされます。



この痛みの正体はなんなのか。

そのことを明かす前に、まずは自分の中のその部分を感じてみてください。

すべて書いてしまうと流されてしまうので、少しずついきましょう。


また書きます。


あなたと同じ時を生きる、あなたと同じ普通の人からのメッセージでした。

  


Posted by Toshiro Abe at 11:46Comments(82)

2014年11月16日

感ずれば動

今日は朝早くから禅プロジェクトに頂いた感想文を読んでいたんだけど、読み終わったころにはまたたくさんのコメントが届いていて、結局は丸一日、パソコンの前に張り付いていました。

すでに7000人以上の方が登録してくれました。


この数日間の予想を超えた盛り上がりに、向さんも僕も感動して、急遽、音声でいまの心境や感じたことを話させてもらいました。

のちほどあなたが登録してくれたメールに、話を聞くためのURLが届きます。

こういうやり取りが何とも嬉し楽しいです。

ラジオみたいです。

こんな感じでお付き合いください(^^)  


Posted by Toshiro Abe at 17:58Comments(33)

2014年11月15日

禅とは何か

禅というと、自己に深く入っていって、自己の中で完結していく孤独な世界と思うかもしれないけれど、そうではありません。

たしかに自分と向き合うことは基本ですが、その奥にあるものは自分を超えた意識、ワンネスです。


それはあらゆる命や自然と共に生きることです。

そこに本当の満足感と安らぎがあるのだと思います。

ですから禅とは何かと問われれば、

「共に生きること」

と答えます。


何気に始めたブログで、こうして意思の疎通ができることがわかったので、ネット上で学びながら生きる人を募って、共に生きる仲間、ネットサンガを作りたいと思いました。

一定期間、サンガに所属しているという自覚を持ち、それぞれの人生で、一日一日を生きていこうというものです。

時間に流されるのではなく、うまくいったこと、いかなかったことを振り返りながら、その瞬間の生き方に気づきを加えていくのです。

僕たちは社会の中で別々の役割を担って生きているけれど、自分の魂はここにある、誰もわかってくれなくても自分の居場所はここにある、と感じられるような生きた共同体(サンガ)があれば、一日一日が充実すると思うのです。


それがThe 禅プロジェクトですが、そのためにはまず禅に対して持っている偏ったイメージを払拭することだと思いました。

禅が何かがわかればわかるほど、それはまさに「いま」の教えであり、エックハルト・トールなどの現代のバイブルも、禅の教えが根底に流れていることが分かることでしょう。


今回、禅プロジェクトという機会があったことで、多くの人に動画を見てもらうことができて良かったと思います。

最終的にはサンガに入って一緒に学んでくれたら嬉しいですが、この5本の動画を見るだけでもたくさんのものを掴んでもらえると、そんな思いで真剣に作りました。

今回メルアド登録してくれた人には、僕と向さんからのラジオ放送も届きます。

腹を割って本当のところから付き合っていきたいですね。

赤ちゃんみたいに (^^)



いい時代に生まれたと思います。

幼少期を過ごした半世紀前からみたら、まさに宇宙家族みたいな生活をしています。

時間も場所の違いも超えて、あなたとこうして触れ合うことができています。


すでに人類は時空を超えているんですね。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:26Comments(39)

2014年11月14日

動画見てくれましたか?

今朝も早くから、みなさんが書いてくれたコメントを読んでいました。

一つ一つが胸に響きました。

文章って心まで伝わるんですね。


ひょんな縁と出会いから、長年眠っていた発想がポンと外に飛び出しました。

それはネットサンガ(魂の共同体・家族)です。


我々は、それぞれの人生を、それぞれの地域で、それぞれの条件のもとに生きています。

たぶんこの先、ほとんどの人とは一生顔を合わせることもないでしょう。


でも、まさにいまこうして生きていますし、いまあなたは僕の言葉を読んでくれています。

まぎれもなく、いまあなたは僕と出会っているのです。

もしあなたがコメントを送ってくれたら、そのとき僕もあなたに出会います。

いえ、そんなコメントがなくても、僕は毎日このブログを通してたくさんの人に出会っています。


それを実感できるのはネットのおかげであり、一昔前なら考えられなかったことです。

ということは、肉体は別々だとしても、いまや心と魂は共にあることを確認することが可能だということです。

人生の真理を学びながら、自分の確かな居場所を持ち、判断することなく、判断されることなく、まさに今日一日、共に学び、共に生きていく、そんな家族があったらという思いが、The 禅プロジェクトの原点です。


まず、禅とは多くの人がイメージするような、怖くて厳しいものではありません。

仏教の宗派の一つでもなく、それどころか宗教さえも超えた、天地に広がる普遍性のようなものです。

これだけだとわかりにくいかもしれないので、どうぞ公開されている動画を見てみてください。

僕と向禅師による対談ですが、販売用DVDと変わらない内容です。

全部で5時限分あります。

コチラから登録できます。


さらに見たあとで感想を寄せてくれたら、特典映像が手に入ります。

とまあ、そんなわけでたくさんのコメントを読ませてもらったわけです。

ぶっちゃけこんなにたくさんのコメントをもらえるのは特典映像があったからでしょうが、でも実際に感想を書いてみれば、自分の考えが整理できたり、二度学ぶことになってより理解が深まったり、いいこともあったことでしょう。

しかも僕も向さんもコメントの内容に共感し、また大いに励まされ、双方にとって、とてもいい結果が生まれています。


中には、特典を付けるというやり方がイヤで、なんとなく引いてしまったという人もいたかもしれません。

そもそもこのブロジェクトを紹介するページの香り自体に引いてしまった人もいたようです(笑)

このことはスタッフたちにも伝えておきますが、感心する部分も多いので、もう少しプロジェクトの考え方に任せてみます。


さて、またみなさんの感想文に戻りますが、Yさんからのコメントを読んで、さらなるやる気が出てきたので、ご紹介します。


いま現在、中東イスラム圏在住の私のところにこのプロジェクトがやってきたのは凄いタイミングだ!と感動しています。

自分はここで何ができるのか、自問の日々だったからです。

ちょうどこちらで茶道を習い始める予定で、老荘思想や禅についてまさに想念で本をよみ始めていました^^;

全てのお話がすーっと心に染み渡るように入ってきました。

想念を外し、目の前の人、もの、自然と生きる、それがどんなに素晴らしいことなのか、早く体験したい、これからの講義がとても楽しみです。

数日前たまたま観たNHKの番組で日本の高品質なサービスが世界に進出することの影響について伝えていたのですが、今日のお話とまさに重なっていて、とても胸が熱くなりました。

私個人の感想として、日本発信の素晴らしいサービスとは、実は「日本」という概念を取り払ってみてみると、人が根本から欲している、人の在り方、理想的な共生の姿、その要素が「日本のサービス」の中に、たまたまより多くあるから世界の人の心を掴むのだ、と思ったのです。

特にインパクトがあったのは、仏教の中に禅が属しているんだと理解していたので、そうではなかったのだ、ということに気付けたことです。

ものすごい発見です。思考のかたまりですね。

海外に居ながら参加できるこの素晴らしい機会をありがとうございます。




ありがとうございました。

中東の赤ちゃんたちによろしく(^^)/
  


Posted by Toshiro Abe at 12:10Comments(49)

2014年11月13日

「それ」を伝えたい

僕がこうしてブログを書いている目的は、伝えたいことがあるからです。

伝えたい内容は人生で最も大切なことなのですが、そのことが一番大切だとわからない人に、なぜ一番大切なのかを説くところから始めてきました。

誰もが求めている、幸福、安心、自信などの高い質も、僕が伝えたいことの中にしかないということも話してきました。


伝えたいことは単に知識や情報ではなく、誰もの中にある真理の発見であり、そこに至る道です。

必要なのは

外側からのインフォメーション(知識)ではなく

内側からのトランスフォーメーション(変容)です。

意識の変容によって「それ」が伝わるのです。


「それ」とは何か。

今日ご紹介する「The 禅プロジェクト」の挨拶文の中で、向禅師は「それ」について、次のように話しています。


(禅の修行を通して)特別何も得たものも教わったこともありません。

得たものは失うかもしれないし、教わったことは忘れるかもしれません。

これと言って、失いようのない、教わりようのない人生最高の価値に、参禅によって気づくことができたのです。



失いようがないもの、教わりようがないものが「それ」です。

「それ」は、最初の最初からあなたの中に備わっていて、あなたが気づいてくれるのを、信じられないくらいの忍耐力と愛の力で待っています。


禅は「それ」に向かうダイレクトな道であり、向禅師は「それ」の体現者です。


いままでも多くの人に向さんの話を聞かせたいと思い、そのときに出きる形で実現してきました。

沖縄に移住してからは何度も来沖してもらい、一緒にステージに立ってもらいました。

そして僕の講演活動が始まってからは、コラボ講演会という形で全国を回ってもらいました。


いまネットを通して、向さんと一緒に「それ」をお伝えできることを嬉しく思います。

僕たちが長年に渡って伝え続けてきたことが、この動画に収められています。

期間限定で、5時限分の動画をすべて無料で見ることができます。

講演会と比べてもまったく遜色ない内容ですので、この機会にどうぞ。

特に遠方の方や、忙しくて出かけられない方には喜んでもらえると思います。


コチラからお入りください。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:27Comments(37)

2014年11月12日

一瞬早からず遅からず

最近はテレビをめっきり見なくなりました。

新聞も読みません。

こうしてネットを開いているのが趣味のようになっていますが、おかげで必要な情報は寸時に手に入ります。


去年、体力作りにと数十年ぶりにゴルフを始めたのだけれど、練習法を探したら、ネットでたくさんの情報を得ることができました。

本当に便利な時代です。

その中から有効そうなゴルフレッスンDVDを見つけ購入しました。

届いてみると内容も素晴らしく、大変気に入りました。


買った後、僕はなぜこのDVDを買う気になったのだろうと振り返りました。

あまり衝動買いするタイプではないからです。

きっとそれは紹介の仕方が丁寧だったりして、どこかで信頼したからでしょう。

ネット上で何かを紹介する力は、これからの時代ますます重要になるはずで、このゴルフレッスンのDVDも、どういう人たちが企画したのか、どんなチームなのか、もっと詳しく知りたいと思いました。


そのわずか数日後です。

知井道通くんというユニークなメッセンジャーが、僕に会いたいと言って沖縄まで来てくれました。

そのとき一緒に来たスタッフがいて、誰かと思ったら、あのゴルフDVDを企画販売した会社の一員だったのです。


最近、思ったことがすぐに実現してしまうのですが、この時も流石に驚きました。


そしてこれは天の導きだと思いました。

というのもこの数日は、禅を主体にしたネットサンガ(魂の共同体)の可能性を見つめ、実際にどのように展開したらいいのか、必要なサービスをネット上で展開するにはどうしたらいいかなど、あれこれ考えていたからです。

向禅師との間では、すでに15年以上も前から構想していたネットサンガです。

まだインターネットも十分に整備されていませんでしたが、いつかこんな時代が来ることは予見していました。


その辺りのことを詳らかに話すと、それは自分たちの専門分野なので協力させてくださいという話になりました。

そして誕生したのが「THE 禅プロジェクト」です。


明日またこのブログで正式に紹介しますが、共に生きる魂の共同体としてのサンガを、ネット上に展開させたいという思いです。

それに先立って、まずはみなさんに禅をわかりやすく、そしてより深く知ってもらうための動画を作りました。

向禅師と僕の二人が、禅の奥義に立ち入って話をしていますが、誰にでもわかりやすく真実を言い表せたと思っています。

あなたの人生に役立つことができれば幸いです。

DVD化しても遜色のない内容なので、ぜひこの機会に見ておいてください。

期間限定ですが登録すれば無料で見ることができます。

また明日紹介します。



何事も成就する「時」というものがあります。

それは人との出会いによってもたらされます。


僕は、すべて天の采配だと思っています。

人との出会いはもちろん、すべての事象は天による緻密な計画の表れだと思います。



人間、出会うべく人には必ず出会う

しかも一瞬早からず遅からず。

ただし内に求むる心無くば、縁は生ぜず




僕たちのために、「THE 禅プロジェクト」のロゴマークを作ってくれた山添さんも、ご縁によって出会えた一人です。

禅のメッセージが、国境の壁を越えて広がっていくことを示唆してくれたような気がします。





感謝




  


Posted by Toshiro Abe at 12:37Comments(47)

2014年11月11日

気持ちいいことが好き

もし自分を全部さらけ出せたら気持ちいいだろうね。

心の中の混乱や、痛みや、悩みをぜんぶ吐き出せたとしたら、どんなに気持ちがいいだろう。


それを妨げている要素は幾つかあるけれど、その中の一つに、そのような狂気を発散すると愛してもらえないという誤解があります。

自分はちゃんとしているから人に認めてもらえている、という感覚です。


でもそうじゃない。


むしろ粗野で未熟な面を仲間の前でさらけ出せたとしたら、そこに大きな共感が生まれ、本当の愛を感じることになります。


それは仲間からの愛というよりは、自分が開いた分だけ、存在全体からつねに注がれていた愛を感じ、受け取ることができるのです。

僕たちはいつだって、信頼した分だけ、開いた分だけ受け取っています。



おとといの沖縄ライブの一コマ。

いつか僕の隣で、みつろう君がギター弾いているかも(笑)

リハを見ている彼の目を見て、そう思いました。




人生は天から与えられた義務ではなく、使命でもなく、道楽だと思う。

ライブも気持いいから好き。

みんなで一緒にさらけ出せたら、もっと気持ちいいね。  


Posted by Toshiro Abe at 11:23Comments(41)