2011年11月30日

妙縁

さてまた、自我伝の続きを書いてみます。


21歳のころにアイドルに書いた曲が評判になり、憧れの音楽事務所にスカウトされ、作詞作曲をメインに仕事を始めました。

その事務所には、第一線で活躍する人が多くいましたが、印象に残っている人が2人います。


一人は矢沢永吉さん。

事務所で顔を合わせるたびに、「いい歌、たくさん書いてくださいね」と言ってくれたことが、駆け出しだった僕に大きな勇気を与えてくれました。


もう一人は、4年間のアメリカ活動を終えて帰国したばかりの美人シンガー。

噂だけはいつも聞いていましたが、偶然、事務所のソファで隣に座った時、なぜこんなにドキドキするのかわからないくらい緊張したのを覚えています。

僕より一つ年上でしたが、大人のムードが漂う落ち着いた女性でした。

彼女はすでに既婚者で、僕の人生とはまったく関係ないはずなのに、あの時の高揚した感覚はいまでも忘れられません。

結局、事務所在籍中に会ったのは2回だけでした。

それから十数年後、芸能界を辞めて天河神社で奉公している時、もし今生で誰とでも結婚できるとしたら誰がいいだろうと妄想した時、世界中のスターを押しのけて浮かんだのが彼女でした。

ほとんど会ったこともなく、二人で会話したこともなかったのに、何故彼女が出てきたのかわかりませんでしたが、実はそれから2カ月後、僕と彼女はインド行の飛行機で再会し、その2年後に結婚します。


それが惣領智子さんです。

彼女との不思議な因縁はまたの機会に書くとして、やはり僕は、いつ誰と出会うかは全部決まっていると思います。

それだけではなく、何から何まで決まっていると思います。


全部決まっているのだから、肩の荷を下ろして気楽に生きていこうというのが、僕のベースに流れる人生観です。




今日は、これくらいにしておきます。








   
  


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2011年11月28日

あなたへ

今日は、一部の人へのメッセージです。

もしかしたら、あなた宛てかもしれません。



どんなに正しい生き方をしても、人からの批判は避けられません。

正しさは人の数だけあるから、全員から認めてもらう生き方なんてありません。

どんな生き方をしても、必ず誰かが反対意見を言います。

人間のマインドは批判することが仕事だからね。

だとしたら、そんなことに心を煩わせるのはやめませんか。


生きたいように生きたらいいじゃないですか。

あなたの人生は、あなたにしか生きられません。


秘訣は自分にリラックスすること。

誰かになろうとしないこと。

自分を受け入れてあげること。

自分の感性を信じること。


そうすれば、あなたの中の神さんが、あなたの代わりに働くことができます。



秘訣は、誰かになろうとしないで、いまの自分にリラックスすることです。

あらゆる緊張は、いまの自分以外の何かになろうとすることから起きています。




あなたへのメッセージでした。






   



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【お知らせ】


1月

8日 名古屋 向禅師新春コラボ講演会

9日 東京 向禅師新春コラボ講演会


そしてソロ講演会


15日 大阪いまここ塾

22日 東京いまここ塾

29日 札幌いまここ塾



近日中に受付を開始できると思います。
  


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2011年11月27日

ひとやすみ

やっぱり決まっているんだろうな、何もかも全部。

ほんの少し何かが違えば、いまの自分はいない。

あなただって、ほんの少し何かが違えば、こうして出会っていなかった。


何代も前の祖先が、ちょっと寄り道すれば、次の子供が生まれていなくて、誰かの何かがほんのちょっと違っていれば、世界全体が大きく変わっていく。

1mmの誤差もない、完全なタペストリー。

人間の自由意志さえもタペストリーの一部だ。



あなたがいなければ、宇宙全体が成り立たない。

そんなふうに自分を感じたことある?

これは比喩じゃなくて事実だよ。



僕が知っているのは、たったひとつのこと。

そしていつの日か、すべての人が気づくことになる。

自分自身の、とてつもない偉大さに。




その時、あなたはこう言うだろう。


おお神よ。

あなたが私だったなんて!!!





さて、そろそろ夢にも飽きたし、目を覚ますとするか。



お・か・え・り




ただ いま







   
  


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2011年11月26日

8時だよ!全員集合

なんとか早く成功して、親を安心させてあげたいという気持ちはあるのですが、現実はなかなかそうはいきません。

結局、僕がプロとしてデビューするのは、それから2年後のことです。

その2年間は、アルバイトしながら曲作りをするというものでした。

いまも昔もラブソングが主流で、特に当時は愛だの恋だのを唄うフォークが主流で、「人生なんてやってられるか」的なメッセージソングは日陰の身でした。


一番長くやったアルバイトは、青山のアンドラという名の会員制スナックでした。

銀座のクラブみたいな小さな店で、女の子は雇わずにママが一人で接客していました。

店のスタッフは、ママと僕と二人だけです。

雨が降って客が来ない日は、ママは困り顔で、僕は嬉し顔だったと思います。



一番の常連客は、「8時だよ!全員集合」の制作陣たちでした。

名物プロデューサーの居作さんを中心に、ディレクターやシナリオライターが全員集合でした。


テーブルを囲んでギャグを言い合って、みんなで腹を抱えて笑っています。

ああ、こうやって番組ができるのかと思いました。

作っている人たちが楽しんでいるから、番組も面白かったのでしょう。


出演者もよく現れました。

加藤茶さんは、僕が作った「うどん」を、いつもまずそうに食べていました。

だってまずかったのですからm(_ _)m


でも文句は一言も言いません。

もう少し僕にサービス精神があったらと悔やまれるところですが、あの頃は「バイトだから」という気が抜けず、店にもお客さんにも悪いことをしたと思います。若いころを思い出すと申し訳ないことがたくさんあります。


志村けんさんは、当時まだ付き人だったので、店には入れずに車の中で待機していました。

ときどきドア越しに店を覗いていたのを覚えています。


そうそう志村さんと言えば、僕が少しばかり有名になったころ、六本木の店で知り合いになり、ときどき僕に電話をくれて「また一緒に飲みませんか」なんて誘ってくれました。

息子が小学校低学年のころ「バカ殿」が大好きだったので、ある日、「このバカ殿は知り合いだったんだよ」と言うと、じっとこちらを見て「ウソばっか」と言い捨てられました(笑)



バイトをやっていたころから4年ほどして「8時だよ!全員集合」にゲスト出演することになりました。

もちろんコネではなく、当時の歌が面白がられて採用されたのです。


その時は、リハーサルで会場入りした僕を、「よっ、来たな!」と、スタッフ全員が並んで拍手して迎えてくれて感動しました。









   
  


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2011年11月25日

ジンクス

さて、それでは自我伝の続きです。

今日の話は、あんまり面白くないので、時間のある人だけ読んでみてください。


じゃ、書くなってか(笑)




上京した年に、ヤマハで、ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)と呼ばれるアマチュア大会があることを知りました。

まだ作曲を始めたばかりの頃でしたが、度胸試しとばかりに地元浜松で応募しました。


それがトントン拍子に地区大会を勝ち進み、東海大会に出場することになりました。


僕には、大した音楽の才能はありませんでしたが、何が審査員受けするのかを分析し、それを実際の形にすることには多少の自信がありました。

そうやって作った曲が何百曲もの中から選ばれたのですから、18歳の僕は得意満面だったと思います。



さて今日はひとつ、僕の秘密を披露します。

いままで誰にも言ってこなかったことです。


実は僕は子供のころから、ジンクスをかつぐ性質があります。

そのジンクスは特定のものではなく、その瞬間に閃くものです。


たとえばバスを待っている時に、バスより先にトラックが通過したらいいことがあるぞとか、右足から上り始めた階段で、最後の一歩が左足だったら今日の試験は合格だとか、そんなことです。

もしかして、僕と同じ人いません(笑)


それが、奇妙なほどに当たるのです。

100発100中と言ってもいいくらいです。

でもこれは、自分のことにしか使えません。

誰かの結果を占うことはできないのです。



ポプコンの東海大会の当日、停留所でバスを待っていたとき、遠くから3台のバスがこちらに向かって来るのがわかりました。

その時、ジンクスが閃きました。


「もし一番後ろのバスが前のバスを追い抜いて、先にここに到着し、しかもそれが僕が乗りたいバスならば、今日の大会は優勝だ」


東海大会に出場するだけでも幸運なのに、そこで優勝するなんて夢のまた夢で、目当てのバスが先に到着することはないと思いましたが、結果はそうなりました。

詳しく覚えていませんが、偶然が重なって、そのバスが先に到着したのです。

その時、「あっ、優勝する」と思いました。



東海大会は、満場一致で僕の優勝でした。


そして東海地区代表として全国大会に出場したことが、プロデビューのきっかけになっていきます。


その後、ポプコンという大会は、多くの才能を輩出しますが、僕は彼らのように順風満帆にデビューしたわけではなく、かなり険しい道のりを歩むことになります。


まさに雑草のごとくです。










   



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【お知らせ】


日曜日の名古屋いまここ塾に空席ができました。

参加ご希望の方はコチラからお入りください。


11月29日(火)は定例の沖縄いまここ塾です。

詳細はコチラから。


  


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2011年11月24日

スタートの夜

いつだって選択肢は無数にあります。

たとえば、たったいま考えていたことも、他のことを考えることもできました。


ウトウトしているとき、なんとなく夢のような感じで何かのストーリーを見ている時がありますが、夢から覚めるともう思い出せません。

しかし見ている間は、とても重要なことのような気がしています。


僕たちは頭の中で、無数の思考の中からひとつを選びます。

こだわりの強さによっては、その一つを繰り返し考えたりもします。

そうやって、自分の周囲に世界を作り出し、それを見ている時はとても重要なことのような気がするのです。

しかし、夢から覚めれば(覚醒すれば)、どれもこれもが単なる夢で、一瞬にして幻のように消え去ります。

とてつもなく重要な気がして、深刻に真剣に見ていた夢たちは、単なる幻だったと分かります。


いままで見てきた夢幻を繋ぎあわせて「人生」と呼んでいます。

なぜその夢を選んだのか、なぜそのようなドラマを演じたのか、きっとそうしたかったんでしょう。


そして、どんな人の夢もすべて、覚醒に向かっています。

僕たちは目覚めるために夢を見ているのです。

さとるために人生を送っているのです。




ギター片手に上京した時は、社会の裏側の隅々まで覗いてみたいという好奇心がありました。

華やかに暮らす人たち、社会の底辺に暮らす人たち、いろんな人たちに会ってみたいと思いました。

もし有名になってしまったら、それは難しくなるでしょう。

会うなら今のうちです。


何のコネもなく、大した実力もなく、希望を胸に上京する田舎の少年の一人に過ぎなかったのに、僕には何の不安もなく、自分が確実に階段を上っていくことを知っていました。

そうなることに決まっていたから知っていたのか、それとも強く思いこんでいたからそうなったのか、そのあたりが宇宙の不可思議です。



上京してすぐに、新宿のキャバレーにボーイとして入りました。

初めて見る、ちょっと危険な世界でした。


ホステスがマッチを擦ると、ボーイが駆け付け注文を聞きます。

煙草の煙がただよう店内は、薄暗いブルーライトに照らされて、なんとも淫靡な世界です。


そんなムードは、田舎の少年の好奇心を満たしてくれるには十分でしたが、すぐに飽きてしまいました。


店が終わるとマネージャーがこう言いました。

「女の子に手を出すのは一人までだ。二人目でクビだぞ」


その言葉を聞いて、大人の世界に一歩足を踏み入れた気がしました。


結局、店は一日で辞めてしまいました。








   
  


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2011年11月23日

真理の記憶

人生を振り返って思うことは、仕事などの将来に不安を感じている時は、自分のことばかり考えている時であり、力強さを持つのは、人のために何かしたいと思った時です。

僕たちはいつも、安心や安定を求めていますが、実際には、何が起きても動じない心の強さを求めているのではないでしょうか。

その心の強さは、利他心、貢献、愛、といったものと一対だと思います。

自分の中の愛に繋がること、それが生きる極意だと知ったのは、ずいぶん後になってからです。




せっかく猛勉強して入った学校でしたが、もとより与えられる勉強には興味が持てず、読んでいたのは「禅とはなにか」とか「真理の探究」とかいう本ばかりでした。

内容は理解できないのですが、真理を知らなければ生きている意味がないという思いだけは消えませんでした。


社会の秩序は、薄っぺらな偽善に見えましたし、権威を振りかざす者たちには反感を持っていました。

そんな幻想に服従することなど考えらませんでした。



誰にでも「自分は特別だ」とか、「自分は人と違う」という感覚がありますが、僕は若いころから、そんな気持ちが人一倍強かったと思います。

特別意識というのは自我の一部で、それを考えれば自我が人一倍強かったということですが、同時に、どうしても人とは馴染めない自分がいたのも事実です。


人が面白がるものは、少しも面白くありません。

ずいぶん無理をして話を合わせました。



あのころ誰にも言えず、心の中に疼いていた思いがあります。

それは将来、この世にどんでん返しが起きて、何もかもが逆転してしまうというものです。

社会の仕組みや、価値観や、人の生き方や、何もかもが変わるという予感です。


当時から心の片隅に、真実の宇宙秩序(コスモス)や、根源意識の記憶が残っていたのだと思います。

時が来たとき、わずかながら自分なりの役目を担うことも感じていました。



それまでどう生きるか。

どうせ全部逆転してしまうのだから、社会の仕組みの中で生きる必要はありません。

面白おかしく、やりたいことをやって時を待とうと思いました。


そのころ、反戦フォークというジャンルで、自分の主張を歌詞にして、ギターを掻き鳴らして歌う人たちが現れ始めました。


僕はすぐに、これだ!と思いました。








   


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【お知らせ】


本日の「いまここ塾金沢」は、当日券がありませんからご注意ください。

「いまここ塾名古屋」、「12月阿雲の呼吸」、「12月いまここ塾東京」の受付は終了しています。

年内の募集は、12月10日「いまここ塾博多」のみとなっています。

  


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2011年11月21日






いま大阪から金沢に向かう列車の中です。

右手に琵琶湖が、左手には山々と田園風景が広がっています。


さきほど、斜め前方に巨大な虹が現れました。

いままでに見たこともない、太くてクッキリとした虹です。


同じ車両の年老いた女性が、「こんなん、初めて見たわ」

僕も初めてです。

虹はちょうど線路をまたぐようにアーチを作っていて、その両端を車両から見てとることができます。

列車は、まるでそのアーチをくぐるかのように、まっすぐ虹に向かって走っていきました。


あなたにもこの幸運をおすそ分け。




自我伝の青春期は、全部書いたら一か月くらいかかりそうなので、エピソードをかいつまんでみます。


ひとりひとりに同じ重さの人生があって、その全部が、宇宙が体験したかったことなんですね。

宇宙はあなたを通して、あなたにしか生きられない人生を味わっています。



凄いな。




今日は一日ゆっくり休みます。











   
  


Posted by Toshiro Abe at 13:46Comments(61)

2011年11月20日

母のこと

僕は母親っ子でした。

先の事情から、いつも一緒にいられるわけではありませんでしたが、だからこそ、一緒にいる時間は掛け替えのないものでした。


母が僕に言い続けた言葉があります。


「あなたはとても頭がいい」

「あなたは世界一ハンサムだ」 

「あなたはとても優れている」

「あなたは凄い子だ」


そして深い愛情をかたむけてくれました。

このことは、惨めだった生活にも関わらず、僕にゆるぎない自信を与えてくれました。



7歳になったころ妹が生まれました。

母が臨月のころは、産院に遊びに行くのが好きでした。

そこで出されるご飯が美味しかったからです。


妹が生まれたのを機に、我が家は引っ越しをし、少しずつ経済状態も改善されていきました。

所得倍増計画のもとに高度経済成長の波に乗り、時代そのものが好景気に沸いていた頃です。

我が家には、比較的早くテレビが来て、冷蔵庫だとか洗濯機だとか、次々と電化製品が増えていきました。

妹は幼いころからピアノを買ってもらったりしていましたから、ずいぶん生活が変わっていったのだと思います。



学校の勉強にはまったく興味が持てませんでしたが、中二のときちょっとした事件がありました。

押し入れにしまってあった、母の古い日記を読んでしまったのです。


それは終戦のころに書かれたものでした。

結婚した母は満州に渡り、そこで2人の子供を授かります。

しかし敗戦が濃厚になったころ、ソ連が条約を破って満州に攻め入り、満州は日本人にとって地獄図のようなありさまになります。

いち早く情報を入手した日本軍(関東軍)は、住民を残したまま逃げてしまい、残された者たちは着の身着のままで、銃弾の中を逃げだすことになります。

発狂する者、餓死する者、わが子の首を絞めて殺す者、阿鼻叫喚の地獄図は多くの資料から知ることができます。


夫に先立たれ、3歳の女の子と、まだ赤ん坊だった男の子の二人を抱きかかえて、なんとか生き延びようとする母の姿が、その日記には記されていました。


「○○ちゃん、ごめんね。おかあさんはあなたの命を縮めてしまった」

栄養失調で瀕死の状態にあった我が子の、たったひとつの命綱だったブドウ糖。

わずかに残ったブドウ糖を、同じように死にかけた他の子に分けてしまったと書かれていました。


衰弱しながら死んでいく我が子への想いが、薄汚れた日記帳に書きつづられていました。

一番つらかったのは、死んだ我が子を葬ることもできず、駅のプラットホームに亡骸を並べたまま、ソ連兵の銃剣に追い立てられるようにして、その場を去らねばならなかったこと。

そんなくだりを読みながら、あまりの衝撃に、涙が止まりませんでした。


母からそのような話を聞かされたことはなく、まさかこの自分に兄姉がいたことなど知る由もありませんでした。

同じように満州で家族を亡くした者たちの交流会で父と出会い、そしていまの家庭があることを、ずっと後になって知りました。


その日記を読んだとき、自分が生まれてきたのは、この人(母)を幸せにするためであり、死んでいった子どもたちの代わりに母を守ることだと直感しました。

それはもうひとつの僕の人生観になりました。



日記を読んでしまったことは、母には内緒にしていました。



そんなことがあって、しばらくして母が涙ながらに訴えました。

「お願いだから勉強してほしい。あなたが優れた子だというのはお母さんが一番よく知っている。だから勉強してほしい」

遊んでばかりいる僕を見かねての言葉だったのでしょう。


考える余地はありませんでした。

母が頼むのだからそうしようと決めました。


まったく勉強してこなかった僕が、次の日から猛勉強を始めました。

朝も昼も夜も夜中も、ただ勉強するためだけに過ごしました。

母が喜ぶのなら一番になろうと思いました。

間もなく成績はトップクラスになりました。


通っていた中学はまずまずの偏差値でしたが、その中学からも数年間合格者が出ていない最難関校を受験しました。

合格通知が届いたとき、泣き崩れる母を見て、初めて親孝行をした気分になりました。


入学して知ったのですが、試験は全科目とも満点に近かったそうなので、よほど勉強したのだと思います。




これが僕の幼年期と少年期です。

このあと波乱万丈の人生が始まっていくのですが、もう一度やれと言われても無理です(笑)



人生は一度で十分です。








   
  


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2011年11月19日

幼いころ

どのあたりから書き始めようかと迷いましたが、人格の形成に最も大きな影響を与えたであろう幼少期を書かずしては、全体の輪郭がボケてしまうように思いました。

そこで断片的な記憶をもとに、久しぶりに自分の幼少期を思い出してみることにしました。


数時間かけて、じっくり振り返ってみて驚いたことがあります。

僕の幼少期には楽しい思い出がほとんどないのです。

場面の多くは無彩色で、そこに流れる感情は寂しさと、情けなさです。

きっと楽しかったこともあったのでしょうが、それ以外の場面が圧倒的に強くて、見えなくなってしまったのかもしれません。


最も古い記憶は、裸電球に照らされた小さな部屋で、数人の大人たちに抑えつけられ、身体に針を刺されている場面です。

ガラス製の太い注射器のようなものが吊るされていたのを覚えています。

周囲には親も身内もいません。

僕は体中の力を振り絞って泣き叫んでいます。

当時は浜松に住んでいましたが、東京の病院が安心だということで、そこに一人で入院することになったと後から教えられました。

肺炎だったようです。

完全看護という言葉で親は安心したようですが、実際にはこの言葉から連想されるような、つきっきりの看護体制が取られたわけではありません。

入院は数週間でしたが、幼心には永遠にも似た長さに感じました。

ある朝、目を覚ますと、数メートル先にぼんやりと人影が見えます。

そこには母が立っていました。

その時母が着ていた洋服を、しばらくしてから僕が言い当てたことで母が驚いていましたが、迎えに来てくれたことが相当に嬉しかったのでしょう。



【豆知識】
ちなみに、1950年に「看護を看護婦の手で」というスローガンで「完全看護制度」が発足しますが、その名称が、入院患者を看護婦が完全にケアするという誤解を与えてしまうということで、1958年に「基準看護制度」に改められます。
基準看護とは、何人の入院患者に、何人の看護婦があたるかを明確にしたものです。
いまでも「完全看護」という言葉を使う人がいるようですが、正確には8年間しか存在しなかった名称のようです。
僕は1953年の生まれで、入院したのが2歳か3歳のころなので、まさにこの言葉が生きていた時代でした。



次の記憶は、それから間もなくして、長い間親戚に預けられたことです。

貧しさからのことだったようですが、預けられた親戚も貧しく、その一家は牧場で住み込みをして、小さな家に暮らしていました。

僕と同じくらいの子が3人もいたのですから、僕を預かるのは大変だったと思います。

その家に入るには牛舎を通らねばならず、自分よりもずっと高い位置に大きな目をした牛が並んでいるのが怖くて、いつも走って家に入りました。

当時の写真が何枚か残されているのですが、笑顔の写真は一枚もなく、どれも寂しそうな顔をしているので、余計に当時が寂しく記憶されているのかもしれません。


いま3歳くらいの子を見ると、何も分からない幼子にしか見えませんが、当時僕は、大人が何を考えているのか、なぜそのように振舞うのか、全部わかっていたように思います。

わざととぼけた態度をとっていましたが、人の心が読める不思議な子でした。



その親戚からやっと引き取られ、3歳で浜松に帰った時、親は違う家に引っ越していました。

昭和32年くらいのことで、まだ戦後の貧しさが続いていましたが、その家は描写することができないくらい、あまりにも粗末な家でした。

それから2年後に起きる、有名な伊勢湾台風のときは、家の屋根が全部吹き飛ばされ、頭に座布団をかぶって、向かいにあった砂糖会社の事務室に避難しました。

事務室の机に顔を伏せて眠るとき、今日はこんなに綺麗なところで眠れると嬉しく思ったことを考えると、どんな家だったのか想像がつきます。

夫婦共働きで、当時子供は僕一人だったのに、なぜ家がそんなに貧しかったのかわかりませんが、一生懸命に働く母のことを、とても愛していました。



その家での思い出は、ここに書くのも憚れるくらい暗いものばかりです。

最初に書いたように、きっと楽しいこともあったのでしょうが、なぜかこのような思い出しかないのです。

当時の出来事は、その後の僕の人格形成や生き方に影響を与えましたが、貧しさや寂しさが子供にどのように影響するかは人それぞれで、その経験を受け取る側の資質や、それ以外の見えない要素がたくさんあるように思います。

僕自身にとっては、もし一言で言うとしたら、不屈の精神のようなものが育まれたと思います。

しかしその不屈さは、あまり健全なものではなく、社会での孤立感や、不信感、敵意のようなものを含んでいます。


まったく違う環境に育ったとしたら、どのような人間になっていたのか興味があるところですが、人生に偶然はなく、「もしも」はないことをいまは知っています。






つづく







   
  


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2011年11月18日

まえがき

事実とは何でしょう。

それは起きている出来事に対して、個々が解釈した一側面です。

個は部分ゆえに、全体を見ることはできません。


仏陀の説いた八正道に「正見」というものがあります。

ここでいう正しく見るとは、正確に見るとか、善い見方とかいう意味ではなく、あるがままをあるがままに見るということです。

それには全体的な視点が必要で、解釈や判断を用いずに、起きている出来事とひとつになっていなければなりません。

自他一如の境地であり、前後を際断し徹底的に「いまここ」に在る、超意識の状態です。

この境地で体験したことは、瞬間に完結していて、印象や思い出として持ち運ばれることはありません。

したがって正見とは、一般に思われているように悟りに至る道というよりは、正見が完成すれば、それ即ち悟りだと言えます。



僕たち凡夫は、現象を見たいように見て、感じたいように感じています。

その思い込みを束ねて「人生」と呼びます。

人生とは個々による、創作ストーリーなのです。

昨日、自叙伝は自我伝だと言ったのは、こういう意味です。

そもそも自我自体が創作物(思い込み)であり、その創作物が創作した物語ですから、そこには一片の真実もありません。


自他一如の境地においては、あらゆる過去も、あらゆる未来も、あらゆる他者も、自己も、世界も消え失せます。

あまりにもリアルなその体験のみが真実であり、そのほかはすべて夢のようなものだということを知ります。

人生など存在せずに、ただ刻々と起きることが起きている、無目的の宇宙的遊戯(リーラ)こそが存在の実相だと知ります。


ありゃ、なんだか小難しい話になってしまったね。

講演会ならば、このあたりで一発、笑いを取りたくなる場面だ。



そんなことを踏まえたうえで、阿部による阿部の自叙伝を書こうとしているわけで、これは単なるお遊びです。

でも誰かが書いてくれたように、そんな人間的視点からの分かち合いが、現象界(幻想界)を生きるヒントになるかもしれないしね。

特に、僕のみっともなさは、多くの人に自信を与えるかもしれない。


ま、そんなこんなで、どのあたりから書こうか考えています。




うん、けっこう楽しい(^o^)







   

  


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2011年11月17日

初老の秋

今朝、目が覚めて思ったこと。

「いつも素直な気持ちで、屈託なく生きていたい」

それが一番大切なことのように思いました。


このブログでは、つたない自分の人生をベースに、存在に対する洞察を書いていますが、同じくらいの割合で、いかに生きるかも書いたほうがいいのではと思いました。


存在の真実はひとつですが、生き方は人の数だけあります。

何が正しいかは別として、等身大の自分を書いてみます。


それは自叙伝のようなものでしょうか。

自叙伝は自我伝ですが、それもまたいいのかもしれません。



これからもよろしくお願いします。



2011年秋  大阪のホテルにて








   

  


Posted by Toshiro Abe at 12:02Comments(67)

2011年11月16日

不増不減

長くブログを書き続けていますが、今日は最も伝えたいことを、般若心経の一語から説明してみます。

毎朝の瞑想で感じていることです。


不増不減

何一つ付け加えられることも、取り去られることもない存在。

これが僕たちの本当の姿です。

「大いなる自己」と呼んでもいいかもしれません。


しかし「大いなる自己」と呼ぶと、自分以外のどこかに「大いなる自己」が存在するような気がしてしまいます。

でも事実は「大いなる自己」しか存在していません。

それ以外の自分は、すべて幻想です。


幻想の自分を突き動かしているエネルギー源は欲望と怖れです。

欲望は何かを得ることで満たされたいという思いであり、怖れは何も失いたくないという思いです。


本当の自分である「大いなる自己」は、何を得ることも失うこともありません。

その存在は、いつも「いまここ」に、完全無欠な状態で存在しています。


欲望と恐れは、未来という時間の中に存在しています。

それは思考の産物です。

欲望、怖れ、時間、思考、偽の自己・・・これらは全部同じものの違う側面です。

これらは幻想であり、実際には存在していません。

思考を超えたところに、時間を超えたところに、「大いなる自己」は存在しています。

大いなる自己は、目覚めた純粋意識であり、空(くう)と称されます。


万物と全ての現象は空(くう)から生じています。

すなわち、「大いなるあなた」から生じているのです。


あなたや僕をとおして表現されている意識は、万物の中に存在し、全ての現象を創りだしている源です。

それは「ひとつ」です。


先日の東京講演会でも言いましたね。

あなたは椅子に座って僕を見ているのではなく、この場があなたそのものであると。

現象の中にあなたがいるのではなく、あなたの中に現象があるのです。



言葉で表そうとするとこれが限界ですが、僕たちの人生はまさにこの「大いなる自己」、本当の自分を発見するためにあります。

違う言い方をすれば、欲望と、怖れと、思考と、時間が作り出す幻想ドラマ(夢)から、目覚めるために生きています。


この一点を伝えたいがために、こんなにたくさんの記事が必要だったし、これからも語り続けると思います。



その日その日の記事が何を言っているのかわからなくても、ある日突然、すべてを理解する日が来ます。

これらの言葉たちは、その日のための種のようなものです。

わからなくても大丈夫。

あなたが「大いなる自己」であることに、変わりはないのですから。








   


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【お知らせ】

今月の講演会は、20日大阪、23日金沢、27日名古屋です。

大阪は受付を終了し、金沢名古屋は残り席わずかです。

参加ご希望の方は、都市名をクリックしてください。

  


Posted by Toshiro Abe at 08:30Comments(87)

2011年11月14日

これって宗教じゃない?

「これって宗教じゃない?」

この20数年間、僕が言われ続けた言葉です。


そのたびに心の中で思っていたことは

『そうだよ、宗教そのものさ。でも君たちが言う『宗教』じゃない』


人間から霊性や宗教性を取ってしまったら、人間は単に知能が発達した動物になってしまいます。

偶然生まれ落ち、自己の欲望を追求し、そして死んでいくだけの存在です。


宗教的理解は、人生の中に「意味」をもたらします。

しかもその「意味」は、人間が考え出した理屈ではなく、自己の本質に含まれた宇宙的意味です。



「これって宗教じゃない?」

そのとおり、僕がやってきたことは宗教以外の何ものでもありません。


その一方で、宗教の時代は終わろうとしていると宣言してきました。

ここで言う宗教とは、あらゆる伝統宗教、新興宗教の全てです。



本当の宗教性に目覚めれば、決して組織化することはありません。

宗教性とは徹頭徹尾「個人」の中に存在するものであり、徒党を組んで階級を設けるようなものではないからです。



組織化した宗教が持つ特徴はいくつかあります。

ひとつは

「私たちの教えが最も優れている。私たちの師が最も優れている」

というものです。

自分たちの組織が最も優れていなければ、その存在理由がなくなってしまうので、このような幼稚とも言える態度が必要になってくるわけです。


そして、拡大していこうという性質を持ちます。

したがって各宗教の教義には、世界平和や人類救済というスローガンが盛り込まれ、そのためにも、自分たちの教えを広めなければいけないという理論が展開されます。

特に新興宗教は、この特質が顕著に表れることになります。



先日、とある伝統宗教の指導的立場にある人から、質問を受けました・

「今後、我々伝統宗教は、どのように存続していったらいいと考えますか?」


僕は答えました。

「すでに役目は終わっています。これからはごく小規模なものに変わっていくでしょうし、そうならなければいけません」


その方は

「わかりました」

とお答えになりました。



そもそも宗教とは伝統ではありません。

宗教は、常に更新され、革命的であるべきです。

なぜなら真理は生き物であり、新しい人間や新しい時代のために常に新しく翻訳する必要があり、イデオロギーとして固定化するものではないからです。


伝統として教義や経典を頑なに守ろうとする者たちは、真理を自らが体現していないが故に、固定化した権威を必要とします。

神や仏と結びついた自我は、強烈な自我となり、相反する者を攻撃し、破壊することも厭いません。

そのようにして、何千年にもわたり愚かな戦いが繰り返されてきました。



さてそんな宗教の中にも、違った体質を持ってきた集団があります。

たとえばイスラム教のスーフィズム、あるいは日本の禅などです。

彼らは自らが真理を体得することに努め、師から弟子へと真理の灯を継承してきました。

もし彼らがいなかったら、この地上から生きた真理が消え失せ、真理についての形骸化した教えだけが残ったかもしれません。

そのような意味から言えば、人類にもたらした貢献は計り知れないと思います。


しかしそんな彼らの役目も終わろうとしています。

いまや時代そのものが目覚めの連鎖をつくりだし、何かの拍子に突然にして目覚めてしまう個人が増えているからです。

しかもその情報は瞬時に世界中を駆け巡り、組織化されない自由の中で、真理が分かち合われるようになりました。

いままさに、個人の個人による宗教が始まっているのです。


古きものを壊すことによってのみ、新しいものが生まれることが出来ます。

タブーに挑戦し、社会的な非難を浴びながらも独自の道を歩む、勇気ある者達が必要です。

いつだって新しい時代は、そんな彼らによって創られてきたのですから。


人間を、聖と俗、上と下、精神と物質、高次と低次というように分断するのではなく、すべてを統合し、生命を全体的に謳歌する新しい人類の夜明けが始まっています。

それは個々の宗教性の発見、個々の開花によってなされていくことでしょう。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:10Comments(125)

2011年11月12日

特に九州地区のみなさんへ

|*゚Д゚|┛ 真我ちゃん、てえへんだ、てえへんだ!(早い口調で)


(⌒-⌒) おやまあ久しぶり・・・低我のアベッチじゃないかえ?(のんびり口調で)




|*゚Д゚|┛ それがどうもこうもありゃしねえ、あのおっちょこちょいがてえへんなんだ。


(⌒-⌒) だ~れ?




|*゚Д゚|┛ オレのおっちょこちょいが、12月の博多講演会の日時を間違ちまった!!


(⌒-⌒) そ~か~・・・(ここでゆっくりキセルに火をつける)・・・まちがえたんか~。




|*゚Д゚|┛ そんな悠長にタバコなんか吸ってる場合か!すぐに何とかしなくちゃなんねえ!


(ー。ー)y―~~ んだな~・・・スパ~




|*゚Д゚|┛ あーどうしよう!どうしよう!


(⌒-⌒) 起きることが起きる・・・・そうなっちまったもんは・・・仕方ねえ・・・べ?




|*゚Д゚|┛ そうはいかねえんだよ!いまさら日時を間違えましただなんて、どの面下げて言えるってんだ!




(⌒-⌒) だけどよ~・・・間違えたんだべ~?


|*゚Д゚|┛ ・・・




(⌒-⌒) れっと・いっと・・・び~~・・・だんべ?


|*゚Д゚|┛ ・・・




(⌒-⌒) いま・・・ここ・・・だんべ?


|*゚Д゚|┛ ・・・




(⌒-⌒) タタータ・・・だんべ?


|*゚Д゚|┛ ・・・




(⌒-⌒) 南無だんべ?




|*゚Д゚|┛ はい、恐れ入りました。

(やっと静まった低我のアベッチでした)





さて長いまえふりでしたが、この二人の会話は僕の心の中でのヒトコマです(笑)


早い話が、12月の博多講演会の日時を間違えたわけで、申し込んでくれた人たちには大変ご迷惑をおかけしました。


正しい日時は


12月10日(土)

16:30開場

17:00開演

19:30終演



会場

アクロス福岡608会議室


お申込みはコチラから。


すでにお申込みの皆さんには、個別にメール対応させていただきます。





さてと、もうひとつ事件?が。


昨日紹介した「阿雲の呼吸」DVD第二弾が、アマゾンのお笑いバラエティー部門で、堂々の一位に輝いています。

なんでお笑い部門に登録しているのか謎ですが、「さまぁ~ず」や「とんねるず」を抑えての快挙です(笑)


昨日商品が届いたので見てみましたが、やっぱり変な二人でした。

名前は忘れましたが、特に年上の中年男が変でした。


いまなら割引で特典付きです。


「阿雲の呼吸」~降参のススメ~







   


・・・・・・


【お知らせ】

12月3日・阿雲の呼吸・東京講演会は受付を終了しました。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:31Comments(54)

2011年11月11日

なんとなくめでたい日

11年11月11日だね。

ついでに言うと、今年はあなたの生まれた年の下二けたと、自分の年齢を足すと、111になります。

たとえば、1969年生まれなら今年は42歳になるはずで、69と42を足すと111。(11月中旬以降と12月生まれの人は誕生日が来てからの歳)


なにからなにまで111111111。


うん、なんとなくめでたい。


そこで今日の記事は11時11分にアップしました。


内容がありそうでない、なんとなくめでたい記事です。




「おめでとう!!」




何が?




おめでたければ、なんでもいいよね。









   


・・・・



【お知らせ】


阿雲の呼吸DVD第二弾が今月25日に発売になります。

今日からアマゾンで先行予約が始まりますが特典があります。


アマゾン


阿雲の呼吸新作DVD紹介youtube

ありゃ!オレって変な顔!!変な奴!!



以下は販売元のアウルズエージェンシーさんからのお知らせです。


商品に封入されている【視聴者ハガキ】のご意見欄に、
「『いまここ』を見た。」
または、
「『あの世に聞いた、この世の仕組み』を見た。」

とご記入くださった方の中から、
抽選で40名様に、
DVD『ウエイン・W・ダイアーとの対話 ~ザ・シフト~』をプレゼント。

DVD『ウエイン・W・ダイアーとの対話 ~ザ・シフト~』は、
12月22日に発売を予定している当社の新作DVDです。

「自分とは何者か?」「生きる目的とは?」という問い掛けからはじまる、
ウエイン・W・ダイアーのロング・インタビューを収めたアメリカ作品の日本版です。
映画『ザ・シフト』は、この対話を基に制作されました。

応募の締め切りは12月15日(木)消印有効とさせていただき、
当選者は発送をもって発表と代えさせていただきます。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:11Comments(96)

2011年11月10日

まさにいま

思えばずいぶん長く生きてきました。

いままでの人生を振り返ってみると、喜ぼうが悲しもうが、起きることが起きてきました。

これからも、喜ぼうが悲しもうが、起きる事が起きていくことでしょう。


その瞬間瞬間に何を選ぶか、どの道を進むかが人生だと思われがちですが、それは違います。


人生とは、その瞬間にどんな自分を選ぶかです。

何をするかではなく、どう在るかです。


人生とはまさにいま、どんな自分を創造するかです。

過去でも未来でもなく、まさにいまどんな自分でいるかです。


起きている現実ではなく、その現実にどんな自分で対しているのか、それが人生です。




長く生きてきて、そう思います。










   


・・・・・・・


【お知らせ】


12月の講演会です。

参加ご希望の方は、イベント名をクリックしてください。



12月3日  阿雲の呼吸 東京

12月4日  阿雲の呼吸 大阪

12月11日 いまここ塾 博多

12月18日 いまここ塾 東京
  


Posted by Toshiro Abe at 10:34Comments(84)

2011年11月09日

だから丁度良い

少し前に、良寛さんの「それはお前に丁度良い」って詩を載せたでしょ。


あれは、何が丁度良いんだと思う?

いまの現実が惨めなものだったとしても、こんな自分には丁度良いのだろうか?


確かにそうかもしれないけれど、それじゃ何故こんな自分に丁度良いんだろう。

この答えを知るには、基本に戻らなければいけない。

すべての現実は何のために存在しているのかっていう基本にね。



この世に起きることのすべては、あなたがより高い意識に上って、究極的には神なる自分を見出すためにある。

あなたが聖なる真実に気づくために、すべての現実は用意されている。

その用意をしたのは、神・仏・宇宙と呼ばれる大いなる存在で、その存在には決して失敗はない。

宇宙はあなたのために、常に完ぺきな筋書きを用意している。



御仏と二人連れのこの人生が丁度良くないはずが無い


だからと言って、違和感のある現実に対して何もしなくていいわけじゃない。

違和感は埋めたらいい。

心のままに、直感に従って、思い切り生きるのがいい。


そして、その結果はいつも、あなたに丁度良い。

あなたがより高みに上るために、完ぺきな結果がいつも用意されているのだから。



何を恐がることがあるものか。

何がどうなろうと丁度良いんだから、心のままに生きてみよう。

すべての責任は、道連れの神(仏)に取らせればいい。



御仏と二人連れのこの人生が丁度良くないはずが無い








   


・・・・・・・


12月講演会の申し込みは、明日からの開始になります。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:38Comments(94)

2011年11月08日

自分観のシフト

ボブさんが帰って、いつもの日常が始まった。

窓からこぼれる秋の日差しが心地いい。



僕たちが持っている自己認識が、世界観や自分の行動を決めている。

自分は卑しく劣った存在だと思えば、そのエネルギーが見た目の世界を歪曲させ、行動は制限されて不自由になる。

もし自分を無限の知性と愛に満ちた存在だと感じれば、何物にも制限されない自由な生き方が始まっていく。


前者は自我の無明であり、後者は真我の光明だ。

誰もが両方の可能性を持っている。

例外なく誰もが。


もし自我を超えた本当の自分の姿を、たった一瞬でも垣間見ることができれば、自分観と世界観は根底から覆るだろう。

それは考えてわかることではなく、絶え間ない思考を静めた結果もたらされるものだ。


誰にでもその能力が与えられていることが、人類にもたらされた最大の恩恵だろう。









   
  


Posted by Toshiro Abe at 12:48Comments(49)

2011年11月07日

ああ、びっくらこいた!

昨日のみなさんのコメントを見て、「オオ、アメイジング!!」と叫びました。

これはボブさんとの生活の後遺症ですが、驚きは本物です。


こんなにたくさんの人が、究極のブッ飛び呼びかけに応えてくれて、しかもその背後には「理解」があります。

まさかこんな時代が訪れようとは・・・


「オオ、アメイジング!!」



さて、昨日のコメント欄の最後のほうに、聖子さんのカキコがあります。

この文章も、来るべき時代における存在感覚を象徴しているので、こちらに載せさせてもらいます。




何者でもなかった自分

「わたし」という幻想は元々、存在していなかった。

「わたし」という自我は

死ぬことも、生きることも、とてつもなく恐れていました。


恐れて恐れて恐れまくっているうちに、じゃあ今ここに恐れている自分を見ている「わたし」は誰だ?

ということに気づきました。

死ぬことも、生きることも幻想だとわかりました。

苦しみは皆無となりました。

苦しみ抜いたあげくのはてに、自由という空間、自由な居場所にいる自分と出会いました。

ありがとうございます。阿部さん。

もう全然だいじょうぶです。

死ぬことも、生きることも怖がっていない、新しい自分が今ここにいます。

死ぬことも、生きることも、まったく関係のない自分が、今ここにいます。




まさにそのとおり。

それが本当のあなたであり、僕たちの本来の姿です。


さらに付け加えれば、その段階における我々の存在は「大いなるひとつ」であり、永遠無限に祝福されています。

僕はあなたであり、あなたは全ての存在そのものなのです。


人類は、このようなワンネス感覚と、肉体が持つ個別感覚の両方を持つ段階に入ろうとしています。

そして、いずれはその段階も卒業し、肉体を持たない純粋意識としての生命活動に移行します。

ボブさんはその中間期間を、約2000年と言っています。



いずれにせよ僕たちの中で、本当の自分を思い出すという目覚めの連鎖が急速に起きていることだけは確かです。


聖子さんが何気に書いた文章は仏教の真髄であり、すでに我々民間において、仏の教えはあたりまえのことになりつつあります。





「オオ、アメイジング!!」


「ああ、びっくらこいた!!」







   


・・・・・・・


12月の講演会イベントは次の通りです。


12月3日  阿雲の呼吸 東京

12月4日  阿雲の呼吸 大阪

12月11日 いまここ塾 博多

12月18日 いまここ塾 東京



お申込み受付は、明日か明後日に開始します。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:31Comments(64)