2018年09月29日

台風の目

大型台風24号。

家の周囲の木々はなぎ倒されてしまいました。



いま沖縄は台風の目の中。

ベランダには穏やかな日が差し込んでいます。







瞑想を始めた人の中に

「まるで台風の目の中にいるみたい」

という感想を述べる人がいます。


周囲で何が起きていようと、自分は平静でいられるようになったという意味です。

僕も同じように感じています。




瞑想をすると良いことが起きだすのかという質問を受けますが、その答えは「Yes」であり「No」です。


そもそも何が良いことで何が悪いことなのか、そういう判断が無くなっていくということはあります。


だって起きることが起きるのであり、いま自分に都合の悪い出来事が、この先のどんな宝に繋がっているかもしれず、またその逆もあるわけです。



でも不思議なことに、そんな風に生きていると、確かに人生がスムーズになっていきます。

自分の日常を顧みてそう思います。




また風雨が強まってきました。

この台風は列島を縦断するそうなので十分にご注意ください。


僕はこの後も部屋で静かに過ごすことにします。



日日是好日



・・・・・・・・・・



【お知らせ】

10月11日から14日まで、天河で行われる瞑想リトリートに欠員が出ました。

参加ご希望の方はコチラからお入りください。






  


Posted by Toshiro Abe at 15:02Comments(33)

2018年09月27日

9月27日の日記

久しぶりの二日酔い。

どれくらい飲んだんだろう。


記憶にないくらい飲んだことは間違いない。



急にある男の子から電話があって、

「糸満の平和祈念堂で急に踊ることになって沖縄に来ました。会えませんか?」

って。


いつもならご遠慮するんだけど、今回は断れなかった。



というのも彼は、先日の「天空の祈り」のお手伝いチームに参加してくれていたり、そもそも第二回目の天河ワークの参加者で、年齢が息子と同じだったので印象に残っていた。


さらには、昔の黒斎くんと同じで、重度の鬱に悩まされた時期があったようで、やっと立ち直って、それでも生きる意欲が持てずに、黒斎くん経由で知った僕のブログに励まされて生きてきたのだという。

そして天河での「再誕と新生のワーク」を知ったとき、ここに最後の望みをかけようと思ったそうで、ワーク終了後に


「もしこのワークが誇大広告だったら、思い残すことはないから死のうと思った」

と話してくれた。



「ええっ!?

そんな覚悟で来たの?

この話、ワークが終わってから聞かせてもらえてよかった。

もし始まる前だったらプレッシャー大きすぎる」


と言って笑った。



そんな経緯もあり、もしここで僕が彼の誘いを断ると


「やっぱり大人は薄情だ。世の中はうわべだけだ」

とかなって、また短気を起こされたらどうしようって、それで出かけて行ったんだ。


昨夜そのことも正直に話すと、もうそんなことは絶対にないと言ってくれた。


ワークが終わってから、彼自身も周囲の人間関係も大きく変わって、いまは生まれ変わったようにイキイキと生きているとのこと。


あーよかった(^^)



二人でしこたま飲んでいると、彼は自分のブログの話を始めて、そこに同じ歳の女性が書き込みをしてくれているという話をしだした。

しかもその女性は第三回目の天河ワークにきているのだと言う。


そういえば確かに若い女性もいたなァ。


「あれ?もしかしたらその子、沖縄から来た子かも」


と思い出し、それならばと彼女に電話したらすごく喜んでくれた。


しかも那覇の中心街でBARをやっていると言うので、それじゃあということでその店に行くと、これがまた洒落た感じの落ち着いたBAR。


若い女性が二人で切り盛りしていて、二人とも僕のブログの読者で、東京の講演会に何度も顔を出しているとのこと。


なんでそうなったのか聞くと、横浜にいるママさんが、このブログを紹介したのだそうだ。


見えないいろんな縁によって事は起きているんだと改めて思った。



三回目に参加した彼女も、「再誕と新生」という言葉に惹かれて参加したそうで、文字通りその日から生まれ変わったと言ってくれた。


いままでは、来てくれた人と個人的に話す機会がなかったけれど、やはり生の声はいろいろ勉強になるし励みにもなると思った。






ワークのようなことをしていると、リードしている僕を凄い人だと勘違いする人も出てくる。


しかし、そうやって僕にファンタジーを持たれると、本能的にそれをぶち壊したくなる。



だから、いかに自分がとるに足らない人間かを誇張して話したりするんだ。

もちろん、僕は文字通り普通のオヤジにすぎないんだけど、昨日はやや言い過ぎたかな。



あのね、実はそこまでひどくないんだ。

そこんとこ、ヨロシク。




なんだか、いい夜だったな。



息子以外にも、息子世代の彼らに生きる力を与えることができたのなら、こんなに嬉しいことはない。







  


Posted by Toshiro Abe at 10:51Comments(36)

2018年09月24日

神様ありがとう




宮司さんが新宿に来て、まことの祈りをささげる大勢の人が集まったら、新宿が天河になった。

人間が作り出す愛と祈りのパワーは凄い。


最後にサプライズで、会場のみんなが宮司さんにお礼の歌を歌ってくれたとき・・・宮司さんの感動した横顔を見ていたら胸が熱くなった。



会の成功は素晴らしいスタッフや神社関係者のお陰でもあるが、そんな彼らを動かす力も含めて、「お蔭さま」・・・見えない陰の力が事を起こしたとつくづく思う。


大抵はあれだけの規模のイベントを実施するには、企画を練り上げて、長い準備期間を要するだろうが、実はほとんど何もしていない。



すべて自然に運んでいった。


もしかしたら神様が、ああやって東京の真ん中で遊びたかったのかもしれない。




昨日は、


生きてる喜びをありがとう。


出会いの喜びをありがとう。



合掌





  


Posted by Toshiro Abe at 09:18Comments(82)

2018年09月22日

生きとし生けるものすべての命の尊厳が守られますように

明日は毎年恒例の秋分の日イベント。

今年は天河神社から宮司さんをはじめとするご一行をお招きし、新宿文化センターで本格的な神事を執り行います。



第一部では世界の波動が高まりますように、天河から運んだ神籬(ひもろぎ)に神様を降ろし、そこで皆で祈りを捧げます。


第二部はその神籬のもとでの瞑想です。

だいたい17時くらいから瞑想に入りますが、その少し前からユーストリームで実況します。


お時間がある方は、一緒に瞑想してください。

我々の意識は究極的には一つであり、きっといつもと違う瞑想パワーを感じられることと思います。






明日、時間になりましたら

http://www.ustream.tv/channel/rh5rrpCfAuq

にアクセスして下さい。



阿部敏郎






  


Posted by Toshiro Abe at 20:29Comments(41)

2018年09月21日

思考の話

普段の僕は思考のない状態にいると思っている人がいるようですが、そうではありません。


思考だらけ(笑)


この傾向は若いころからですが、昔といまはだいぶ違いがあります。


違いを端的に説明すれば、


思考を真剣に受け取らなくなったということ。

内容をほとんど信頼していません。


だって大抵は何かの批判だったり、この先の不安だったり、確証のないことを独断で決めつけているだけだから。



それに思考って、「このままじゃダメだ」みたいなのがあるでしょ。

自分を改善しなきゃいけないみたいなことを繰り返し言ってくる。

そんな思考に操作されて、一生を自己の改善に取り組む人もいるわけで。



他にも思考にはいくつもの得意技があって、その一つが「比較」です。

誰かは自分にないものを持っていて、もっと幸せに生きているみたいな。


あなたにもそういう傾向ないですか?

大抵の人にあるはずです。

だって思考の性質は同じようなものだから。


どんな状況に暮らしていようと、結局はいま何を考え、どんなエネルギーが表現されているかだけなのに、自分から見ると他の人はまるで、固定された状態を生きているみたいに感じるわけです。


何もなくても、いま穏やかな気持ちで、生きていることに感謝している人と

有り余る富に囲まれながら、深刻な顔してさらに多くを獲得しようとしている人と

どっちが豊かわからない。


それなのに思考は、いまのままじゃ十分じゃないからもっとああしろこうしろって。


だから真剣に受け取るのを止めたのです(笑)




こうやって記事を書いている時も、思考は瞬間的に頭の中を駆け巡ります。


こんな言い方したら誤解されるぞとか、もっと吟味して書いたほうがいいんじゃないかとか・・・







うるせえ!!


わしゃ、このまま載せるのだ。





いまから23日のリハに行ってきます。

今回のサポートバンドは、元・七福神のメンバー達。


みんないまでも第一線で活躍していて、今日が30年ぶりの再会という人もいます。


七福神


32年前に作ったこの曲聴いてみて。

伝えたいメッセージはいまも何一つ変わっていない。



このバンドがあったから天河と出会い、そして長期のご奉公につながったわけで


ご縁はすべて摩訶不思議






  


Posted by Toshiro Abe at 09:40Comments(44)

2018年09月19日

光明

全体とあなたは分離していません。

実際にはいつもいま全体だけがあります。


しかし人は、全体から分離した「私という個人」がいると錯覚していて、「私という個人」が全体の中を生きているような気がしています。


なんとか全体をコントロールして生き残っていこうとするのですが、そんな思いも全体の中で起きていることに過ぎません。

すべては全体が見ている夢なのです。



「私」という錯覚は心の最も奥底にあるもので、仏教ではこれを根源的な無知、「無明」といいます。


無明から他のあらゆる幻想が湧きだし、それが人生という物語を作り出していく。


人生とは暗闇の中で見る幻影のようなものであり、光が当たれば幻影は消えます。

無明が光明に変わるのです。

それが解放の瞬間です。



そこには本当の愛や喜びが存在し、理由なく祝福されたエネルギーに満ちています。

これが私たちの本当の姿であり、誰もが必ず帰る場所です。



実はすでに帰っています。

帰るどころか、そこから一歩も動いていないのです。

ただ、全体から離れて一人で遠くまで歩んできたような気がしているだけです。



これが唯一の真実なのですが、このようなメッセージが人に届くのは稀です。


人は自分という幻想に多大な労力をつぎ込んできているので、自分を高め豊かにしてくれる情報をいつも探していて、その自分自体が幻想だったなんて話は、まるでナンセンスで頓珍漢であり、たいていはバカにして終わりです。




でも中には、このような話に耳を傾ける人が出てきます。


遠い宇宙の記憶がそうさせるのかもしれません。



そのような人は、こう思います。


「そうか、私という個人は錯覚だったのか」



そして次にこう続きます。


「すべては分離のない全体の現れだとしても、私はイマイチ実感できていない。いつそれを実感できるのだろう」


「すべてが夢のようなものだとしたら、この先、私はどうやって生きていけばいいのだろう」



結局は「私」を前提にして考えているわけです。


いまあなたがどう考えようと、どう感じようと、それも全体の現れであり、それでいいのです。



全体という境地を目指してほしくて同じ話を繰り返しているのではありません。

分離した状態の人生は苦難を極めるようにできているので、そんな時、少しでも安心して休息してくれたらいいなという思いで発信しています。



人生とはゴールにたどり着くためのものではなく、初めからゴールにいたことを思い出すための夢の旅です。


あなたはすでにたどり着いています。



だから何が起きていようと、いったん足を止めて、大空に向かって両手を広げ、ゆっくり深呼吸。






ああ、空は広いなァ








  


Posted by Toshiro Abe at 10:49Comments(66)

2018年09月17日

マトリックス

真実は明白です。


真実とは、

「存在するものだけが存在し、それ以外は存在しない」

という単純な事実の指摘に他なりません。



しかし人は真実よりも、真実だと考えている内容のほうに重きを置きます。

それは宗教だったり、哲学だったり、科学だったりするのですが、実際にはそれらの思考がいま湧いているというだけのことです。


「存在するものだけが存在し、それ以外は存在しない」

言っていることわかりますか?



昨日はもはや存在せず、明日はまだ存在していない。

このことは理解できますよね。


しかし理解はできても、過去の記憶や未来への想像をリアルなものとして生きているのではないでしょうか。






存在するのは今日だけです。

もっと正確に言えば、「いま」だけが存在しています。


いまあなたが見ているもの、聞いている音、感触、香り、味わい、さらにはいま湧いている思考と感情、それが存在するすべてです。



マインドは言います。


「いま目の前にはいないけれど、家には父も母も存在しているじゃないか」

しかし実際には、そのような思考がいま湧いたというだけです。



この単純な真実に気づけば、人生の重荷は消えてなくなります。

真実だけが人を自由にし、苦悩から救済するのです。



この真実に異を唱えることはできないのですが、思考はなんでも作りだし、あれやこれやと主張します。

単にそのような思考が湧いただけなのですが、その思考の中身に真実を見るのです。



「思考が湧く」と言いましたが、自分の中に湧いているのではないですよ。

全体の中に湧いています。


あはは、何が何だか分からなくなってしまいましたね。



分からなくても大丈夫。

全体(本当のあなた)は完璧だから。



「個人としての私」を信じていると、この私に足りないものを補うためにすべきことがあるという信念が生じます。


そうなると人生は遊びではなく、深刻な義務に変わってしまい、批判的になり、色彩が失われるのです。



やれやれ

また説教がましくなってしまった。



今日の記事は読まなくてもいいです。

って、ここまで読ませておいてよく言うよ(笑)



今日もいい日だなァ。



・・・・・・・・


【お知らせ】


今年になって天河ワークを3回やりました。

「再誕と新生のワーク」はとても有意義な日々でした。


今年の最後は、天河を瞑想の行場としてとらえ「祈りと瞑想」のワークをします。


募集と同時に多くの方が申し込んでくれて、残り数名となりました。

日常を横に置いて、神域での時間をご一緒しましょう。


10月11日~14日。

ご都合がつく方はいらしてください。

詳細はコチラから。








  


Posted by Toshiro Abe at 09:17Comments(37)

2018年09月15日

最初からひとつ、いまもひとつ

ずっと先だと思っていた秋分の日のイベントが迫ってきました。

天河神社を新宿にお招きするような気分で、いつも全力で歓待してくれる宮司さんたちご一行を、いかにお迎えするか。

そんな嬉しい緊張感が漂っています。


そして会場に来てくれた人達が何を感じるか。

こちらもすごく楽しみです。



全員が神との合一を果たす。


いえいえ、そんなことはできません。

なぜなら、最初から我々は神と一つだから。


すでにそうであるものに成ることはできません。

でも忘れてしまった「そのこと」を思い出すことならできます。


9月23日は、そんな日です。





こうしてイベントの中にいて思うのは、誰かが作り上げたものではないということ。

本当は誰もいないのです。


ただこのような流れが始まり、このような仕組みが表に出ようとしています。




川は流れてどこどこ行くの

人も流れてどこどこ行くの



流れを信頼して、共に今日を生きるとしましょう。


この先、何がどうなるかなんて誰にも分からない。

分からないけれど安心していられるのは


みんながすでに神と一つだから。

何がどうなっても、我々は現象を超えた存在であり、全体意識(神)そのものだから。


だから、せめて気楽に人生とやらを生きていこうと思うのです。




どちらさまもごきげんよう(^^)






  


Posted by Toshiro Abe at 09:16Comments(29)

2018年09月11日

神々の村

いい社会?


悪い社会?


本当に社会なんてあるんだろうか

僕は社会を見たことがない。

そこには一人一人の人間がいるだけだ。


でも社会的な正しさや常識は存在しています。

もちろん一人一人の心の中に。



その正しさが人を見張り、断罪し、自分が自分でいられなくなるような仕組みを作り出しました。

それによって多くの人が自分を見失い、外側の体裁と内側の混沌とに分裂してしまったのです。



僕自身がそうだったから、いまもその中にいる人達の役に立ちたいと思いました。


分裂したマインドを超えて、トータルな存在として生まれ変わること。

自分を抑圧するのではなく、自分を愛するようにサポートすること。


社会などという幻想に縛られるのではなく、自分を認め愛すること。


それが自分の本当の人生を生きるスタートだから。






今回も天河ワークに遠方から多くの人が集まってくれました。

宮司さん始め、神社の全面的な協力があって初めてできるワーク。

毎回心のこもった歓待をしてくれて、ただただ頭が下がります。



どうしてここまでしてくれるのかと尋ねたら

「何故はない」

と言って下さった。


僕にできることは、そのようなご厚意を、参加してくれた皆さんに向けること。


そして共に時間を過ごすこと。



3泊4日間、天河にいてどうでしたか?

下界に降りてみて初めて、自分がまったく違う世界にいたことが分かったのではないですか?


僕は多くの人に「再誕と新生のワーク in天河」に参加してほしいと思っています。(今年はこれで終了なので、また来年)



今回参加してくれた皆さんに、自分の率直な感想をコメントで寄せて欲しいと頼みました。

僕があれこれ言うより、実際に体験した人の意見が一番だから。


そう言ったこと覚えてますか?(笑)

もちろん時間がある時でかまいません。


いいことを書かなくていいから、本当に感じたことだけ書いてくれたら嬉しいです。

あなたが感じたこと、体験したこと、気づいたことなどです。




さて、今日から僕は9月23日のイベントの準備をします。


そこでは一人一人の本質が、外側には宇宙神として、内側には静寂として現れてくるはずです。


誰もやらなかった新しいイベントの形をご提供したいと考えています。



一人一人の真の偉大さを顕現するために。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:10Comments(54)

2018年09月08日

天空の祈り

いま天河に来ています。

第3回目となる再誕と新生のワークです。

ワークを終えた後、毎晩本殿に集まってみんなでする瞑想はまた格別です


さて9月23日には、天河神社の柿坂宮司や神主さん、お神楽、巫女さん達、総勢10名様に東京まで来ていただき、祈りと瞑想の会を執り行いますが、当日の会場に若干数の空席ができましたので、最後にご案内します。




この日は、天河からお運びした大きな神籬(榊の木)に神様を降ろすところから始まります。

祈りのシーンの全貌は以下の通りです。


天空の祈り『式次第』

一、修祓の儀(しゅばつのぎ)
皆さまのお祓い、お清めの儀。

一、降神の儀(こうしんのぎ)
神籬(ひもろぎ)を立てたところに、宇宙神と八百万の神に降りていただく儀。

一、献饌の儀(けんせんのぎ)
降りていただいた神々に御供えを献げる儀

一、祝詞奏上

一、神楽奉奏「浦安の舞」(かぐらほうそう うらやすのまい)
平らけく安らけく、皆様のご多幸をお祈りします。

一、大鼓奉奏(おおつづみほうそう)

一、磐笛奉奏(いわぶえほうそう)

一、斎主玉串奉奠(さいしゅたまぐしほうてん)

一、主催者玉串奉奠(しゅさいしゃたまぐしほうてん)

そして第2部の瞑想、第3部のライブコンサートの最後に、神様にお帰りいただく

一、昇神の儀(しょうしんのぎ)

これで終演です。


もし覚えていたら9月23日秋分の日午後4時、気持ちを鎮めて祈りのパワーを感じてみてください。





  


Posted by Toshiro Abe at 08:59Comments(26)

2018年09月06日

宇宙的ジョーク

腹を抱えて笑った日。


それは言葉によるジョークなどではなく、


生きてきたことの何から何までが可笑しくて、


自分を後生大事にしていたことが可笑しくて、


まるで自分という亡霊に乗っ取られたかのように、


幻想に操られ、


客が誰もいない舞台に立って、


間違わないように笑われないように、


しかも極めて生真面目に、


必死で演じ続けていた数十年間。



無知がしでかす愚かな毎日の


そのすべてが可笑しくて、


愛らしくて、哀しくて、


人生の全てが宇宙的な冗談だと知ったとき


本当の自由が訪れた。



自分が自由になったんじゃない。


自分という亡霊から自由になったんだ。



それにしても、この完全なる催眠術はどうだ。


しかも世界中の人が同時に「自分」という夢を見ている。



このからくりの神秘、


奥深さ、


とても言葉では表すことができない完ぺきにして見事な「騙し」



意味もなく行われている宇宙規模の遊戯



この仕掛けを司る深遠な知性を神と呼んできたのか。








Oh my God!!





  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(52)

2018年09月04日

ブッダズランド

全ての人は仏性を携えていて、すでにブッダそのものです。


にも関わらず、「あなたは生まれながらのブッダだ」と言い続けるのは、人がこの事実をすっかり忘れてしまっているから。

したがって言い続けることは必要だと思っています。



あらゆる人がブッダであるなどとは、到底思えない人もいるでしょう。


自分勝手な生き方をしている人。


他人の迷惑も考えないような人。


攻撃的な人。


これらのどこに仏性があると言うのでしょう。



それでも彼らは、本当の自分との接点を見失ってしまったブッダ達です。



彼らが内なる仏性を思い出す方法は、何かを訓練することではありません。


優れた人になろうとすることでもない。


むしろ、誰かになろうとしないで、元々の自分に寛ぐこと。


考えない練習をすること。


力を入れない練習をすることです。


これは上流に向かって泳ぐことではなく、下流に向かって泳ぐことでもなく、ただ力を抜いて流れに身を任せながら、やがては海にたどり着こうというものです。




瞑想とよく似ています。


なぜなら瞑想も「やり方」ではないからです。


むしろ、「やらない方法」が瞑想法です。


力の入れ方なら学べますが、力の抜き方は学べません。

力を抜くというのは、力を入れないことに過ぎないからです。


それは本来の状態に帰るということ。

教わることではなく、実践することです。



瞑想も本来は教えられるものではありませんが、それでも教えは必要です。

人は、何もしないということができなくなってしまったから。




これからの時代は、活動ではなく非活動のアートを学ぶことが重視されると思っています。


いずれほとんどの生産やサービスはAIやロボットがやることになるでしょう。


次に人がやることは何か。


それは本当の意味での幸福の追求です。


その時、精神や意識へのより深い洞察が、人類規模で起きてくるのだと思います。


そしてみんなで、自分がブッダであることを思い出すのです。






「ブッダズランド」


これは20数年前に向老師と立ち上げた禅サンガのスローガンです。


歩みののろい二人ですが、なんとかここまでやってきました。


ライフワークが持てたことの幸運に感謝します。






・・・・・・・・・・・・



【お知らせ】

初めてマントラ瞑想を実践する人のためのクラスです。

次回名古屋での日程が決まりました。


名古屋ハートマントラ伝授

10月20日11時

詳細はコチラから








  


Posted by Toshiro Abe at 12:52Comments(29)

2018年09月03日

愛の力

霊的な成長というのは、高い境地にたどり着いたり、超越した能力を得たりすることではありません。

むしろ最も明らかなもの、あまりにも近すぎて見落としていたものを明らかにすることです。


人はいつの日か自分が悟りを得れば、もっと偉大な存在になると考えています。

まるで成長の段階に悟りの一線のようなものがあって、その一線を超えたとき自分が新しく生まれ変わり、
問題も、執着も、怒りもない、完成された人間になるのではという想像を持っています。


しかしそれらは完全な幻想であり、多くの人がイメージしているような聖者も覚者も存在していません。

せいぜい伝記の中に存在するだけです。

いつもいま、当たり前であるがままの自分がいるだけで、特別な事は何もないのです。


すでに全ての人は、その内側に最高の宝を携えています。

それは努力して獲得するようなものではなく、最初から無条件に与えられているものです。


それとともに誰もが心の中に闇を抱えています。

光と闇はセットなのでどちらか一方だけにすることはできません。





我々が最初にすべき事は、あるがままの自分にくつろぎ、自分と仲直りすることです。

その時、本来の優しさが心の内からにじみ出してきて、その力が新しい文明の礎となっていきます。


その力を愛と呼びましょう。


言葉にしてしまうと陳腐ですが、必要なのは愛だけです。

どんな正しさより、どんな優秀さより、愛に勝るものはありません。

それこそが、あらゆる人に無条件に与えられている宝なのです。


特別な人になろうとするのではなく、当たり前の自分にくつろいでいきましょう。







  


Posted by Toshiro Abe at 09:20Comments(28)

2018年09月02日

ほんとはボツにするはずだった記事

今朝起きてすぐに、とある一枚の写真を思い出して

「そうだ、今日は何か書こう」

とばかり、携帯片手に音声入力で思いつくままを話をした。

そしてブログの記事にしようと転載して読み直したら、なんとなく載せる気が失せた。


こういうことってよくあることで、いままでにもボツ記事は100を数えることだろう。


そしてつい今しがた、それでも読みたい人がいるかもしれないという内なる声がして、それではということでアップします(^^)

あはは、前置きが長い。


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幕末の頃を撮った写真があって、どこかの西洋人が日本の田舎を旅する中で、とらえた風景だと思います。

それが同じような場所で数十年後にも写真を撮っています。

撮影者は違うのでしょうが、アングルも被写体も同じように見えます。

その被写体は日本人の農夫で、田んぼの水路に置かれた水車のような足で回す車に乗って、田んぼに水を送っています。


やっていることも同じなら、着ているものもほとんど同じで、その周辺にあるわずかな民家の佇まいも同じです。

数十年たってもほとんど何も変わっていません。

多分代々にわたって親は子に同じことを教え、その親と同じような生き方を疑いもなく受け入れそれを生きたのでしょう。


それに比べて、現代における数十年の違いはなんでしょう。

人の価値観も含めて、何もかもが変わっています。

近年に起きたこの変化は、人類史上、前例のないものかもしれません。

そしてこの先、さらに大きな変化が訪れるのだと思います。





最近スポーツ界でのパワハラが問題になっています。

報道を見ていても、僕らの時代なら当たり前だったことが、社会的に許されないことになっています。

そもそもパワハラなどという言葉もありませんでしたし、たとえ理不尽なことがあっても、世の中とはこういうものだという思いで処理していたように思います。


これはスポーツ界に限ったことではなく、あらゆる組織や団体に見られることなので、戦々恐々としている人たちもいるのではないでしょうか。


権威や権力といった目に見えない圧力によって虐げられてきた者たちが、その呪縛から解かれようとしています。


このような流れは、この先の社会構造の変化を感じさせてくれます。

一言で言えば、縦社会から横社会への変化です。


そして最終的には、支配層と非支配層という関係ではなく、自立した個人たちによる協力と調和に基づいた社会に変化していくのでしょう。


僕は人類の未来を完全に信頼していますし、楽観しています。


こうして時代の変化の真っ只中に生まれたことを感謝しています。





  


Posted by Toshiro Abe at 10:43Comments(32)

2018年09月01日

瞑想賛歌

昨日は札幌での瞑想イベント。


いつか幸せになるために、あれやこれや条件を満たし、たくさんのものを手に入れてきたけれど、結局は何も変わっていない。

どこまで行っても同じこと。

幸せはいつだって蜃気楼のようなもので、たどり着けば同じ砂漠が広がっているだけだ。


そんな夢のない話を、真剣に聞いてくれてありがとう(笑)



そしてそのまま全員で瞑想へ。

判断するマインドを横に置いて、ただ「いま」の静寂に寛いでいく。



あー、気持ちがいい。



「あー、幸せだなァ」



えっ?!


「あー、幸せだなァ」



ついいましがた、幸せなんかどこにもないって話をしたばかりなのに、この幸せ感は何だ!!




マインドは、うまくいっていないことや、足りないものにフォーカスする性質があるから、どんなに成功してもこのマインドがある限り、やがては不満が募ってくる。


するとマインドはこう言う。


「お前が不満なのは、まだ努力が足りないからだ。

あれを手に入れてごらん、こんどこそ幸せになれるから」


このまやかしに散々振り回されてきたけれど、もうはっきりわかった。

マインドはどこにも導いてくれない。

むしろ幸せではない気持ちを作りだすだけだ。



欲しいものがあるなら、それを手に入れようとすればいい。


問題だと思うことがあるなら、それを解決しようとすればいい。


たぶんそれが生きるということなのだろう。



でもその世界だけに暮らしていると、思い通りにならないことも多く、いずれは消耗してしまう。

だからこそ、そんな世界から離れて休息することが大切なんだと思う。


休息とは、休日を過ごすことじゃない。

なにかを変えようとする衝動から離れて、いまここに寛ぐことだ。



何もしないで、心の奥の静寂に沈殿していくこと。



「こんなに問題だらけなのに、それを放っておけと言うのか!!」


そう、放っておけと言うのです。


いままでの習慣が強すぎて、何もしないというのは最初は難しいことでしょう。


だからこそ、そんなあなたの役に立ちたいと思うわけです。

問題に見える事象は、己の心が整うと自然に解消されていくということを経験的に知ってもらいたい。






それにしても、昨日の札幌イベントは幸せだったな。

手伝ってくれた人達へのお礼を兼ねて打ち上げに行って、久しぶりに若い人達と沢山話をしたけれど、

時代は変わった

というのが実感。


少しずつだから気が付かないけれど、時代は急速に変化していっている。



全体はどこに向かおうとしているのだろう。



全体のことは全体に任せて、今日も生きるとしよう。




どちら様も、ごきげんよう(^^)




  


Posted by Toshiro Abe at 09:15Comments(37)