2015年05月31日

反応と物語

昨日は設問に答えてくれてありがとう。

みなさんの答えを読んでみて、どんなことを思いましたか?


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さて、人によって反応は全然違いますよね。

答えの内容が違うだけでなく、中には、何のためにこんなことを聞くのかと、出題者の意図を考える人もいれば、そんなことは、まったく気にならなかった人もいたことでしょう。

同じ現実に際しても、人によって反応がまったく違うというのは、分かっているようで見落としやすい点です。

このブログ記事の冒頭にある「クリック依頼」も、シツコイと言って感情を害する人もいるし、クリックしてくれと言われれば余計にしたくなくなる人もいれば、そんなことは何も考えずに、ただクリックしてくれる人もいます。

僕は最後のタイプが好きですが、こればかりはどうにもなりません(笑)


昨日のような状況でも、頭にくる人もいれば、そうでもない人もいたり、あるいはそんな相手を理解しようとさえする人もいます。

いいとか悪いとかではなく、ただ単に「違う」のです。


人は自分の感じ方や考え方を基準にして他者を見るので、そんなところからのすれ違いも、生活の中で起きやすいことです。

少なくとも、人によって感じ方が違うということをきちんと分かっていれば、避けられるトラブルもあります。

家族間でも、そうやって相手を認められないということが、ちょくちょく起きている気がします。


中には人の感じ方や考え方を変えようとする人もいます。

でも相手は、ただそのようにして在るのです。

なんども言うように、事は起きているのです。

起こしているのは彼方なる力です。

であれば、その人がその人である事を認める。

それを「聖なるあきらめ」と言います。


僕はこの言葉を知った時、とても楽になりました。

それまでは、相手を批判したり、心の中で罰したり、あるいは場合によっては、そんな相手を変えようとしたりもしました。

うまくいった試しがないのに、そうやって生きていたような気がします。

いまや完全に聖なるあきらめです(^ ^)


さて、もう一つお話ししたいことがあります。

昨日話した車の割り込みの件ですが、カッとする人は少なくなかったですね。

僕も同じです。

生きていれば、そのような感情が沸き起こる事は避けられません。


問題はその後です。

どれくらいそのことを引きずるのか。


カッとしたということは起きた事実ですが、その後で、


「なんでこんなことができるんだ。

こんな無神経な奴がいるなんて。

どんな教育を受けてきたんだ。

もし場所が場所だったら決して許さない。

相手に自分が悪かったことを思い知らせてやろう。

だいたい、こういう奴というのは・・・

いけない、また相手を責めている。

もっと大きな心を持たなければ。

なんでこんな自分なんだ

いったいいつになったら・・・」


などと後に続く思考が起きがちですが、その思考を「物語」と呼びます。

そして我々を苦しめるのは、起きた事実そのものではなく、このような物語なのです。


1日のうちでどれくらいこの「物語」を生きていることか。

人によっては、自分で気がつかないだけで、十数時間、ほとんど物語の世界を生きているなんて人もいますよ。

生活や仕事の中で起きたあれこれに関する物語が、人生の舞台になってしまっているのです。

しかもその間、ずっと気分は悪いままです。


少しは思い当たるという人もいることでしょう。

そんな人は「考えない練習」が役に立ちます。

物語を紡いでいると気がついたら、目の前にあるものに関心を向けてみるのです。

頭の中で何を考えていようが、目の前には、ただあるがままの現実があります。

風が吹き、木の葉が揺れ、遠くから子供の声が聞こえて・・・

ただ淡々と、起きることが起きています。


ストレスは物語が作り出しています。

考えない練習をして、考えない達人になりましょう。

人生の色彩が変わりますよ。

その気になれば誰にでもできます。


今日もここに来てくれてありがとう。

何かのヒントになってくれたら嬉しいです。

日日是好日



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何も考えずにクリッケロ(^o^)

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・・・・・・・・


大和田菜穂さんの夏のイベントの中に、石垣島リトリートがありましたが、期間は3泊4日、8月29日から9月1日までです。

予定では14時に集合して、最終日は昼頃に解散です。

航空チケットによっては、時間が多少ずれるかと思いますが、てーげー(沖縄の言葉で「だいたい」)で行きたいと思います。

空港までの送迎も含めて、近日中に詳細を報告します。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:34Comments(98)

2015年05月30日

設問

今日もクリッケロ、ありがとう(^◇^)

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さて、設問です。


高速道路の出口が渋滞で、じっと我慢して列の後ろについてノロノロ運転をしていました。

20分くらい時間が経過して、やっと料金所が見えてきたタイミングで、後ろから走って来た車が、前の車とのわずかな隙間に、無理矢理割り込んできました。


その時、あなたならどうなりますか?

どんな感情を持って、どんなことを考えますか?


あまり深く考えずに、もしそうだったらって思ってみてください。


いままでに、一度や二度、同じようなことがあったでしょ?。

その時の自分です。



えっ?もし僕なら?


「コラ!なにさらしとんねん!

後ろに並ばんかい!!

いてこましたろか!」


と、下手な関西弁で怒鳴り散らします(^^;)


そんでもって、


息を吸って私は静か

息を吐いて私は微笑む


そんな言葉を繰り返して、実に不自然な笑顔を浮かべることでしょう。


で、すぐに忘れます。

それだけが特技(笑)



今日も良い一日を。



最近クリックしていないアナタを、僕は許します(^^)

心が広いから

がはははははは


でも今日だけでもお願いします。

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Posted by Toshiro Abe at 10:46Comments(78)

2015年05月29日

大和田菜穂さんのこと

いまは岡山にいます。

秋田から始まった全国行脚も、佳境を迎えています。

実際にお会いできることの喜びを、毎日のように味わっています。


さて今日も、心を込めて記事を書こうと思います。

読む前に、いつもの応援クリックをよろしくお願いします。


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この一か月間、どこで講演をしても必ず出てくる質問は、大和田菜穂さんについでです。

彼女の言葉を聞いて、初めての感覚に触れた人や、根底から救われたという人もいれば、どうしていいか分からなくなってしまったとか、混乱したという人もいます。

いずれにせよ、彼女の出現は、一部の人にとってセンセーショナルだったようです。


かく言う僕もその一人で、頻繁に訪れる無我の感覚を彼女の言葉で説明してもらえた一方で、まだそれは「経験」にすぎないという、さらに次の状態があることの証拠を見せてもらった感じがあります。

そしてそのような最終的状態は、難しい何かではなく、誰もがすでにそうであるところの、存在基盤の発露です。

重要なのは、誰一人例外なくその状態を求めていて、ただそれを求めていることさえ知らずに、その代用品として、人との愛や、成功、豊かさ、成長、さらには、安心、安全、満足などを求めているということです。

しかも、すでにそうであるにもかかわらずです。


僕にとって、すべての活動の終着地は、出発点だった「禅」に尽きます。

禅は無駄なものがなく、そして真実から一歩もズレていない世界ですが、惜しいことに伝統を重んじるあまり、難解な印象を与えてしまっています。

向老師と活動を始めた20年前、こんな僕の存在理由は、禅の精神を現代語で語ることができることだと自負していました。

それはいまも変わりません。

そしてここにきて、さらに鋭い切り口で、しかも現代の日本語で、その役目を担ってくれる人が出てきたと思っています。


向老師は彼女のメッセージを、臨済自身のメッセージと酷似していると言います。

多くの求道者は、臨済の言葉はうやうやしく崇め、若い日本女性の言葉は一笑に付してしまうかもしれませんが、僕から言わせれば、臨済の言葉は紙面の中にしかなく、彼女の言葉は生きています。

権威に惑わされずに真実を見抜く目を持った人には、とても有難い存在だと思います。


大和田さんはパリ在住で、いま欧州で大変な注目を集めています。

当地では、すでにノンデュアリティブームとも言えるような現象が起きていて、そのことを伝える多くのメッセンジャーがいますが、本物は一握りです。

中でも、彼女の評価は極めて高いものがあります。

毎週末、ヨーロッパ各国に招かれ講演されていますが、その最新の模様も、近いうちに日本に紹介してくれるようにお願いしています。


そして今年の夏に来日します。

百聞は一見にしかずで、とにかく間近に見て、聞いて、その存在に触れることだと思います。

自己が消滅する現象は、自己側にできることは何もないのですが、唯一、その状態になった人のそばにいることが、何らかの触発現象を起こす可能性となります。

だから、古から師のもとで、サットサン(真理探究者の集い)が繰り返されてきたのです。

僧院(サンガ)の出現も、このことに由来しています。


すでに欧州では、彼女に触発されて、新しい次元を垣間見る人たちが出てきています。

同じ民族の我々には、さらにチャンスが多いと感じています。


聞いてみたいこともたくさんあることでしょう。

今回お願いしているのは4種類のセッションです。


※宿泊リトリート

※講演会

※ワンデイセミナー・サットサン

※個人セッション


リトリートは沖縄石垣島が決定しています。

リゾート気分で楽しみながら時間を共にしましょう。

8月29日(土)~9月1日(火)までの4日間で、石垣リゾート・グランヴィリオホテルです。

毎日のサットサンの他に、竹富島観光や、BBQパーティーなどもあります。

なるべく参加しやすい料金を考えています。

早めならば、航空チケットも安く入手できるので、最初に募集します。

今夏最後の思い出になることでしょう。


講演会は、大和田さん単独で話す時間の他に、僕やゲストによって、それぞれの視点から対話をしようと思います。

会場は、東京と大阪の二か所です。

ゲストには、雲 黒斎君、さとうみつろう君、向令孝老師を予定しています。


ワンデイセミナー・サットサンは、東京、名古屋、大阪、博多で開催します。

その都度、各地での個人セッションもお願いしています。


金銭的に参加が難しい人には、何かの形で彼女の声を届けられたらと思います。



このワクワク感。

何十年もやってきた活動に、ひとつの節目がやってきたというのが率直な印象です。


一般社会の中で、彼女のメッセージを、いきなり理解できる人は稀でしょう。

でもここに集まる人たちは、すでにその素地があります。

このような展開は、ある種の必然だと感じています。


大いなる流れと、この時代に生を受けたことに感謝しています。



今日もここに来てくれてありがとうございました。

これからも応援よろしくお願いします。


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Posted by Toshiro Abe at 11:33Comments(55)

2015年05月28日

接心

いつもケロ( ´ ▽ ` )

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昨日初めて出雲大社に行きました。

夜は玉造温泉というところに泊まったのですが、出雲国風土記によると、当時は神の湯と呼ばれたのだそうです。

出雲国風土記には、この湯に一度入ると容姿端麗になり、もう一度入ると万病が治ってしまうと、大昔から言われていて、いままでにそうでなかったことは一度もないと書かれているとのことです。

この風土記自体が1300年前のもので、そこから大昔の話をしているわけで、人間が受け継いできた歴史の長さに圧倒されまし

さて、先般からご案内していた、接心のご案内です。

6月13日、14日

延暦寺会館・禅リトリート

詳細はコチラから


僕が最初に接心に参加したのは、いまから20年近く前です。

いま思えば贅沢なことですが、向老師に頼んで、向さんとマンツーマン、たった一人でやらせてもらいました。

あれこれ言わずに、ただ黙々といまここのことに関わっていく。

禅ってシンプルだなって思いました。


これはその気になれば、実際の生活でもできることです。

ただいまのことに、身も心も投入していく。

見張り人たるもう一人の自分を無視して、やっていることに成りきる。

それが三昧(サマーディ)ということですが、決して難しいからできないのではなく、むしろ単純すぎてできないのです。

我々のマインドが、いかに複雑に機能していることか。

そうやってエネルギーを浪費しているわけです。


シンプルに生きましょう。


以上!!!(^o^)




今日も読んでくれてありがとう。

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Posted by Toshiro Abe at 11:33Comments(17)

2015年05月27日

世界がぜんたい幸福に

この数日間、島根県にいるんだけど、感想は、日本全国どこにいっても、人の温かさに触れ、人情に触れ、ああ日本は良い国だなって思います。

今日もよろしくケロ( ´ ▽ ` )

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ノンデュアリティという言葉は最近知ったけれど、同じ意味の「一なるもの」については、昔からこの国でも大切なこととして扱われていました。

そして将来、人類がその方向に向かうことを予言した人も少なくありません。

宮沢賢治もその一人です。


今日は、彼の言葉をみんなで分かち合いたいと思います。


「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する

この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」



僕達はすでに道の上ですね。

賢治の志をしっかりと受け継いで、今日もこうして生きています。



いつも応援ありがとう。

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・・・・・・・


比叡山延暦寺会館での禅リトリートのお申し込みは、明日受付します。


  


Posted by Toshiro Abe at 11:37Comments(26)

2015年05月26日

直に自性を証ずれば

さっそくだけど、ケロ(^◇^)

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TKDさんのコメント


自我が消えるのではなく、

最初からないと、さっき初めて感じました。

「ないものは消せない」、楽し~!!



素晴らしい(^ ^)

短い言葉で言い切ってますね。

ホント、その通りです。


昨日の米子講演会で、向さんが、白隠禅師坐禅和讃を読んでくれました。

聴くたびに新しい箇所に共鳴するのですが、昨日は、


いわんや自ら回向して

直に自性を証ずれば

自性すなわち無性にて

すでに戯論を離れたり



という箇所で、何とも悦びが溢れ出てきました。

意味は、この法を聴いて感動する人は、それだけで大きな福を得るけれど、ましてや実際に自分の中を覗いて、自分を探した結果、「私はいない」となった時、それまでのあれやこれやの議論が、すでに要らなくなっているというようなことです。


この坐禅和讃も、まさしくノンデュアリティの宣言です。

最初の一行目で

「衆生本来仏なり」

と言い切ります。


仏とは悟りの境地にある者のことで、ワンネスを体得した者のことです。

白隠は、誰もが例外なく、最初から体得していると説きます。

いいなあ、この経文。

日本語で書かれているので、あなたにもきっと意味が分かりますよ。

僕も大好きなお経です。


ネットで探したら、ありました。

しかも、飛び切り高いクオリティの読経が(^ ^)

そう、向老師が読んでます。


3年前に一緒に出した「みんながブッダ」という本のPRビデオで、ダイヤモンド社制作のものです。

一人になれる時に、聴いてみてください。


http://matome.naver.jp/odai/2143129816127718901/2143129905528993703

それではみなさん、御機嫌よう。



今日も応援クリックよろしくお願いします。

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Posted by Toshiro Abe at 12:38Comments(28)

2015年05月25日

仏法は無我にて候

また新しい一週間ですね。

同じことは二度と繰り返さない。

同じように見えても、まったく新しい「いま」が始まっています。


今日も読む前によろしくお願いします。


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昨日は沢山のメッセージ、ありがとうございました。

すべて読ませていただきました。


実は昨日は東京で、昼から瞑想セミナー、そしてソロ講演会、そしてTHE禅アカデミーのサットサンと、7時間ぶっ続けで講演をしていました。

それがまったく疲れない。

体力があるというよりは、なんの緊張もなく、力もほどほどに、完全マイペースでやらせてもらっているおかげだと思います。

それは来てくれる人たちから温かさのようなものが伝わってくるからで、本当に僕は来場者の皆さんに恵まれています。


向老師との話も面白かったです。

大和田菜穂さんの本を読んだ向さんが、「まさにこれは禅の、そして仏教の真髄だ」と言ってくれましたが、大和田さんご本人は禅のことも仏教のことも、ほとんど何も知りません。

そこまで知らないの?と驚くくらい、全く知らないのです。


でも行きついた境地(自己が不在なので行きついた人はいませんが)は、まさに仏法の真髄そのものである、「無我にて候」です。

そのあたりが、なんとも興味深いですね。

夏に再来日した時は、向老師との対談も実現することでしょう。


さて向さん、大和田菜穂さんの本のタイトルでもある、

「Already in Love」

という言葉を連発して


「僕たちはすでに愛の中におるんよ~♡」


と何度も言っていた姿が笑えました。

禅僧もここまで来ると、丸さを通り越して、無形なる凄みがあります。


「仏法は無我にて候」


やっぱりそうか。

釈迦の説法を一つにまとめるならば

「私はいない」

に行きつくのです。


でもこのことを潔く認めようというのは、とても勇気のある人だけであり、たいていはメッセンジャーの揚げ足を取ったり、論理で打ち負かそうとしたり、あるいは伝える人の人間的欠点を探して、いかにその人が信用できないかを証明しようとします。

しかし悪あがきも長くは続きません。

真実は変わらないからです。


じつはあなたもいないのです。

いまもね。


いま感じている命の存在感や、いまここのあるがままの現象が、存在しないんじゃないですよ。

実際にはそれだけが存在しています。

ただ、あなたという肉体の中に、「あなた」と呼べるような結晶(個の自分)は存在しないという意味です。


そこにすべての人が求めている、完全なる救済があります。



さて、今日は初めて米子市にお邪魔します。

そして禅アカのメンバー達と出雲大社にお参りして、玉造温泉泊まって、岡山、広島、博多とまわって、沖縄に帰ります。

向さんはこういう旅を「地方巡業」って呼びます。

なんかちょっと違うような(笑)


来月は、向老師と東京場所です(^^)

この講演でも、多くのことが明らかになると思います。


6月21日

向老師&阿部敏郎コラボ講演会

「禅とノンデュアリティ」


本日より受付開始します。

時間などの詳細はコチラから。



これからも道なき道を歩みたいと思っています。



いつも応援ありがとう(^^)


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Posted by Toshiro Abe at 10:22Comments(53)

2015年05月24日

こんな日は

ずっとPCの前にいたんだけど、何も出てこない(^^;)

こういう日もあるよね。


かと思うと、100年分くらい書きたいことが出てきて、猛スピードでキーボードをたたく時もある。

そうやって書き溜めた記事もあるのだけれど、なぜか載せる気にならない。

やっぱり、いまのこの感覚を伝えたいんだと思う。


で、いまは何も出てこない(笑)


どうしようか?



こんな日は、あなたが何か書いてくれますか?


たまには阿部宛てに何か書いてください。

寛やサダヲじゃなくて、敏郎です。


いいことも、いやなことも、なんでもいいから書いてみてください。

この機会に言ってやりたいこととか・・・やっぱりそういうのはまたの機会にお願いします(^^;)

できたら、豚が木に登りたくなるようなのがいいです。


あはは、こりゃいいや。

急に楽しくなってきた。


人生は楽しいほうがいいよね。


普段書かない人も、一言くれたら嬉しいです(^^)

要望でも、質問でも何でもいいですよ。



今日もここに来てくれてありがとう。



こうしていつも協力してくれるあなたの存在を感じています。


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Posted by Toshiro Abe at 09:45Comments(173)

2015年05月23日

自我の成り立ち

今日の記事はちょっと硬い表現で、やや難解めいて見えます。

時間がある時にゆっくり読んでみてください。

読む前に、今日もよろしくお願いします。


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僕たちの自我の存在理由は簡単です。

自我とは、あるがままの現実の中から、良いものは自分に引き寄せ、悪いものは遠ざけ、どうでもいいものは無視しようとする、無意識の選択システムです。

あるがままの現実を、あるがままに受け入れてはならないという、強迫観念にも似た連続衝動が、自我です。


なぜ「あるがまま」を受け取れないのかといえば、すでに自分自身をあるがままに見ていないからです。


それでは、あるがままの自分とはどんな自分でしょう。

ズバリ言えば、それはすでに「自分」とも呼べない、開かれた空間のようなもの。

いっさいのあるがままが刻々と展開している、いまここのエネルギーの戯れのようなものです。

自他の区別のない非二元性(ノンデュアリティ)・・・それがあるがままの自分です。


その非二元状態から、どのようにして精密な自我機構を作りだしたのかということを、仏教では五蘊(ごうん)という言葉で説明しています。


般若心経の冒頭に出てくる

照見 五蘊 皆空

の五蘊です。


いまからちょうど8年前のブログで、五蘊についての解説をしました。

このブログのカテゴリー欄に「五蘊」という項目があるので、興味がある人は読んでみてください。



今日はまた新たな気持ちで書いてみます。

8年前と何も変わっていませんが、時代が変わり、読んでくれる人たちが変わってきたので、きっと僕の表現も変わることでしょう。



最初の第一蘊を色蘊(しきうん)と言います。

色蘊とは、自他が分離しているという錯覚のことで、これが自我の誕生です。

本来の開かれた空間があまりにも広かったために、いったいどこからどこまでが自分なのかという興味が生まれ、猛スピードで意識が動きながら探り始めました。

その動きが早すぎるために、まるで一個の独立した(分離した)自分がいるように思ってしまったのです。


元々、その開かれた空間は、シャープな知性と喜びでできているのですが、自分という分離意識を作ってしまったことで、自分以外の空間も固定してしまい、本来の知性もマヒしてしまいました。

それを「無知」と呼びます。(この場合の無知の知は、根源知性の知です)



そして次の段階、受蘊(じゅうん)が始まります。

受蘊において外側が存在するという確かな感覚を得ようとします。

その結果、「外側の現実に対している自分」も確かなものだと思えるわけです。

作りだした自他の分離が、まるで最初からそうであったかのような錯覚に変わっていくのがこの段階です。

やがて、あるがままの現実を、引き寄せ、遠ざけ、無視するという3つの態度が現れてきます。

それはすでに、あるがままに対する挑戦であり、抵抗です。


あるがままに抵抗しない。

あるがままと仲直りする。

あるがままに降参する。


このような態度が、一気に自我の存在を稀薄にしていく道です。


あるがままを認めてしまうと、この現状を改善できないし、成長が止まってしまうという感覚が、それを邪魔しますが、その感覚も錯覚の上に生じた錯覚です。


あるがままの別名は「いまここ」です。

あるがままに寛いで初めて、「いまここ」にいることができます。

そうでなければ、相変わらず、よりよい明日への希望の中に暮らすことになることでしょう。

それが悪いのではないですが、本当に生きているとは言えず、夢の中でもがいているのと同じです。


夢(自分&人生という物語)から目覚める時が来ました。

8年前と同じように、夢の中でこの記事を読んでいる人もいることでしょう。

でも当時より、このような記事が理解されるようになってきたと感じています。

書いていて、そう思います。



(先ほどまでここに、夏のイベントの一部を掲載していたのですが、全部決まってから一気に公開します)



最後まで読んでくれてありがとう。

あなたのクリックが記事を書く力づけになっています。


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Posted by Toshiro Abe at 10:58Comments(55)

2015年05月22日

道の途中

今日は独り言みたいな記事になるかもしれません。

読む前にいつものコレ、よろしくお願いします。


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僕がこうしてブログを書くのは、あなたを物知りにするためではありません。

講演会を重ねてきたのも同様です。


ブログであれば言葉の行間に、講演会であれば共有する時空間に、普段の生活では見失いがちな、隠れた真実に触れるためです。


自分という存在、この苦しみの理由、人生とは何なのか、自分は誰なのか、そのような基本的な答えに触れるためです。


しかし、その答えは、「こうこうこうです」と言えるようなものではなく、言葉を超えたある種の感覚によって理解することです。

その閃きをいかに生じさせるか、それが目的です。


時折、言葉を超えた答えを詳しく描写することがあります。

たとえば、「僕らが人生と呼ぶものは幻想に過ぎない」とか。


これは真実ですが、その幻想と自己同化している身にとっては、そんなことを自分に言い聞かせても仕方ありません。

深いところで、そうとは感じない自分がいるからです。

そのような知識を優先させて、人生を傍若無人にふるまったとしたら、きっと困難に巻き込まれて苦しむことでしょう。

実はそのような苦しみも幻想なのですが、そう聞いてもなんの救いにもなりません。


だからと言って、せっかく真実に目が向き始めたものを、またその目をそらして、人生の絶え間ない繰り返しに埋没したとしたら、やはり同じように心の深いところで、そのような生き方に意味がないことを知っているので、自分を騙しながらやっと生きながらえることになってしまいます。


人のマインドは分裂しているので、どこに向かっても安定することがありません。

それもそのはずです。

真実はマインドを超えて初めて触れることができるのですから。


もしかしたら真実など、知らなければ知らないほうがよかったのかもしれません。

むしろシンプルに人生を歩めたかもしれません。


この道は、一度足を踏み出したら、決して後戻りはできません。

真実は真実であるがゆえに消えることはありませんし、一度その可能性を知ってしまったら、忘れることなどできないからです。


兎にも角にも、こうして踏み出した一歩です。

自分に真実を言い聞かせても気休めにならないのなら、やはり自分自身が真実に至るしか道はありません。

その結果はどんな推理小説もかなわない、痛快なまでの「どんでん返し」だと伝えておきます。


そう言うと、自我君は言います。

「知ってるよ。探していた本人が、探していた答えだったんだろ?」

「自分なんて、いなかったんだろ?」

って。


そうやって、まるで自分がすでに真実を生きているかのような顔をする時もありますが、やはり心の底で、どこにも至っていないことも知っています。

そんなことの繰り返しが、道を歩むということです。



この先、あなたを真実に導いてくれる覚者たちも増えてくると思います。

就職先と同じで、多くの中から選べるに越したことはありません(^^)


本物を見分けるひとつの基準は、その人はたとえどんな話をするにしても、決して、決して、あなたが不安を感じるようなことは言いません。

決してです。

言わないようにしているのではなく、真実を知れば、そのような言葉が出てくることは不可能だからです。

すでにあなたには、その人を見分ける力があるはずです。

僕の周囲にも、向さんや黒斎くんなど、素晴らしい人たちがいます。


この時代のうねりに乗って、多くの人が、いままでの時代には考えられなかったようなシフトを実現することでしょう。

すでにその潮流を感じています。


多種多様な導き手たちによって、多くの人たちが人生のシフトを迎えています。

歴史の必然とはいえ、我々は本当に稀有な時代に生かされていますね。



今日も話を聞いてくれてありがとう。

非力ながら、これからもこうして伝えさせてください。


青しまぞおり


あなたが以下のタイトルをクリックしてくれると、このブログにとっていいことが多いのですが、僕自身も、あなたが受け取ってくれた確かな証として、力をもらっています。


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Posted by Toshiro Abe at 12:27Comments(47)

2015年05月21日

正道

お金に対する考えは、大変参考になりました。

ありがとうございました。


今日も引き続きよろしくお願いします。

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つきよさんの質問


ずっと私のどこかで喉に骨が刺さったような感があったこと。

アベノミックスの一文です。

「精神霊的な向上と、経済的な成功は矛盾しません」

これがどうも腑に落ちないです。

経済的成功している人は、本当に精神霊的向上してるのですか?



そうは言っていません。

経済的成功と精神霊的な成長は、関係がないと言っているのです。

真理に目覚めたり、存在への洞察が深まることと、その人が裕福になるか貧困で生きるかは、関係ないということです。

「悟ればこのような人になる」というイメージは、まったく当てになりません。

それなのに、間違った先入観を持ち運ぶ人のなんと多いことか。

そうなると、いまあるがままの自分と、理想の人間像とを比較してしまい、自分はまだ悟りに値しないなどと決めてしまうのです。


お金のことに限らず、性欲に関しても、あるべき姿のようなものを作りだしてしまうと、そこからまた自己否定が始まります。

どんなあなたでも、いまのありのままのあなたで問題ありません。

もちろん、社会は人間の集団であり生活の場ですから、どんな人格でも通用するというわけではありませんが、こと悟りについて言えば、どんな人格だろうと、どんな生活だろうと、完全に通用します(笑)


だからいつも、誰にでも、まさにいま、悟りからの招待状が届いていることを忘れないでください。




次は岳志さんのコメント


最近とても気になっていることをお聞きしたいです。

阿部さんや大和田さんも「覚醒体験をしても、感情は湧き上がる」とおっしゃっていますが

そういう体験をしたら、ムカついたり悲しんだりというような感情はほとんど減ってくるのではないかと思ってしまいます。

出来事に対しての自我の反応が薄まり、達観、諦観できるようになってくるのではないかと。

そのあたりのところをお聞きできれば嬉しいです。




この質問も、同じような性質を持っています。

「悟れば~~になる」

さらには、ムカついたり、悲しくなったりという感情は、無くすべきだと考えているようです。


そもそも感情にいいも悪いもありません。

絵の具に何十色もあるように、感情にも何十種類あります。


それらがあるから、毎日が多彩なのです。

しかも我々は、それらの感情を感じるのが嫌いではありません。

映画などを見て、ハラハラしたり、ムカついたり、悲しんだり、喜んだりするのが好きなのです。


大和田さんも言うように、自我から解放されても、感情はどこからともなく湧いてきます。

ただ、彼女の場合は、内側でそれを感じている人がいません。

本当は誰の中にもそんな人はいないのですが、人間だけが「自分がいる」と思ってしまうようにできているのです。


その錯覚が、真実への教えを生みだし、悟りという概念も作りだしました。


本当は「いない」ので、自我も悟りも存在していません。

でも自我に覆われた我々には、悟りは大きな目標になるのです。


したがって、悟るというのは、ある特定の人格者に生まれ変わることではなく、自分の中に自分など存在しないということを見抜き、あるがままを生きだすことを言います。

それは事実の発見であり、幻想からの目覚めです。

これが求めていることのすべてであり、仏教の真髄でもあります。

あらゆる人は意識的に無意識的に、この境地を求めています。

それを求めて人生のすべてがあるのですが、悲しいかな方向が間違っているので、決して到達しません。

いくら成功しても、いくらお金持ちになっても、決して満たされないがゆえに、人はますます貪欲になっていくのです。


この真実の実現こそが、人生で唯一大切なことであり、いままでは宗教などの重厚な分野が担ってきていました。

本物の師を求めて山河を駆け回り、それで一生涯を過ごすなんてことも起きてきました。

いまは一般の我々が、社会生活を営みながら、こうして共に学べる時代になったのです。


このような流れが主流になってくると、またいろいろなところから様々な情報が出てくると思いますが、このブログでは精査された本物だけを取り扱っていきたいと思っています。

それが時間の短縮になるからです。

この一連の活動に、ワクワクしています(^^)



今日もここに来てくれてありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

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・・・・・・・・・・・


6月13日14日に、比叡山延暦寺会館で、THE禅アカデミーの接心が行われます。

一般の方も参加できます。

出演は、向令孝老師、14日には堀澤祖門大僧正も登場します。

このお二人は、いまの仏教界にあって、誰もが認める正真正銘の真理伝承者です。

阿部が案内させてもらいます。

むき出しの真実を体験しに来てください。


一泊二日です。

近日中に詳細をお知らせします。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:45Comments(42)

2015年05月20日

お金 有料 無料 高額 低額

今日も来てくれてありがとう。

まずは今日もよろしくお願いします。


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今日はあなたに質問があります。

お金についてです。


僕の活動はブログを書くことと、講演会、書籍の執筆、瞑想伝授、THE禅アカデミー、そしてたまにライブコンサート。


ブログ以外は全部有料です。

ブログは趣味だし、多くの人に読んでもらいたいから無料でも十分にやりがいがあります。

ライブコンサートは、ライブハウスの場合、満員になっても赤字です(^^;)

好きだからやってます。


でもそれ以外の活動を、もし無料でというなら、やる気は出ないと思います。

ここは正直に言いますが、内容に対するやりがいはあっても、それだけで時間を使う気にはなりません。

そこにお金という分かりやすい報酬があるからやっていますし、やりがいは倍増します。

そして、そのお金で楽しく暮らしています。


さらにはそこに実際に参加した人が、それ相応の、あるいはそれ以上の価値を感じてくれてこそ、長く続けていけるものだと思っています。


これからも、こうして生きていくでしょう。

精神性を売り物にしていると言われても、「はい、そうです」としか答えようがありません。


なかには、「こういう分野を扱うならお金以上の使命感だけでやるべきだ」という意見もあるでしょうが、どんな意見があっても僕は僕でしかありません。



さて誰にとってもお金というのは大切なものです。


あなたはお金についてどんな考えを持っていますか?

なにかしらのこだわりや、罪悪感のようなものはありますか?

楽してお金を稼ぐ人をどう思いますか?


あなたのお金に関する考えを聞かせてください。

ただし、あんまり長くならないように(^^;)



今日もいい日ですね。

日々是好日





いつも応援ありがとう。


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Posted by Toshiro Abe at 10:06Comments(153)

2015年05月19日

閃き

ずっと前から、ある本の出版社さんから、「瞑想の本」の執筆を頼まれていて、それが本当に出す時期が迫っきて、さあどうしようと思っていたところ、昨日になって急に何を書いたらいいのかが浮かびました。

この本のタイトルは「はじめての瞑想」ですが、初心者も、そして熟練者も、どちらにも興味深く思ってもらえる面白い本が書けそうです。

こういう閃きがどこから飛んでくるのか知りませんが、でも次々に湧き上がる衝動やアイデアを、形にしていくのも楽しいことです。


実はそのアイデアは、昨日の段階で、今日アップする記事を書いておこうという思いから書き始めたものでした。

それが一行かいたころから、明らかに瞑想の本の執筆をしていることが分かりました。

そこで第一章は、昨日のうちに書き上げてしまいました。


もう方向性は分かったので、あとはのんびり書きます。


できあがりをお楽しみに。


今日はその報告だけです(^^)




いつもありがとう。

クリッケロ(^◇^)


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Posted by Toshiro Abe at 10:20Comments(41)

2015年05月18日

目覚めの一瞥

今日は目覚めの一瞥についての話です。

何かのヒントになってくれたらと思います。


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これは数年前から顕著になってきている傾向ですが、存在のシフトを経験する人の数が飛躍的に増えています。

それまで心をがんじがらめにしていた見えない鎖からの解放です。

その鎖は、条件付けのようなものであり、生い立ちの中で無数に刷りこんできたものです。


よく罪悪感に苦しむ人がいますが、これなどは条件付けの影響の最たるものです。

「してはいけない」と思いこんでいることを、したり考えたりした場合に、罪悪感は生じます。

乱暴な言い方ですが、そもそも「してはいけない」と思っていなければ、罪悪感は出てこないのです。


これら条件付けによって、我々の人生は想像以上の影響を受けています。

中にはそのような性質を利用して、人心を支配しようとする人たちもいます。

たとえば一部の宗教に見られる「~をしなければ魂が堕落する」とか、「~をやったら不幸になる」とかいう刷り込みをして、そこから抜けられなくするというものです。

そもそもそのような教えに出会わなければ、なんの影響もないものを、いったん受け入れてしまえば、そこから抜けるのは困難です。


極端な例を言いましたが、宗教でなくても、普通の生活の中で、社会から、文化から、親から、周囲から、我々は無数の条件付けを刷り込まれて育ってきました。

普段は気づきませんが、その見えない力によって、日々の生き方を決定させていると言っても過言ではありません。


目覚めとは、条件付けからの目覚めという側面もあります。

いったんそれらがすべて外れて、元の自由で無限の意識を経験するのです。

無限であるがゆえに、自分と呼べるような分離は姿を消します。

それが非二元(ノンデュアリティ)、ワンネス、自他一如の世界です。


さてそのようなシフトが起きた時の経験は、言葉にできないくらい開放的で素晴らしいものです。

元々の状態に戻っただけなのですが、それまでの不自然さが長かっただけに、歓喜溢れる経験になります。


そこには自分が探し求めていた全てがあります。

たとえいま、どのような境遇で、どのような苦難を抱えていたとしても、それらが幻のごとく、たちどころに消えてしまいます。

まさに、一瞬で幸せになるのです。


しかしたいていの場合は、それは一瞥体験であり、大和田菜穂さんのような例外もありますが、また時間の経過と共に、元に戻ってしまいます。

元に戻ったとしても、その煌めきの印象は消えることはなく、生き方がより自由になっていく人がほとんどです。


昨日のコメント欄に報告をくれた、櫻井翔央さんもその一人だと思います。

ただ彼(?)の場合は、その瞬間の開放の甘美な側面に意識が向きすぎてしまったので、その後の収縮が、まるで谷底に落とされたように感じてしまうのです。

「やった、ついに達成したぞ」

という感覚が、また元の状態に戻って、何もかも失ったように感じてしまうのです。


しかし、その状態も長くは続かず、そのうちまた平常心に戻って、以前の自分とは明らかに違う平安を感じ、生きることが格段に容易くなっていることでしょう。

ですから生きている間に、あらゆる条件付けから自由になる経験をするのは、とても有意義なことです。


そうそう、櫻井さんや、櫻井さんと同じような経験をした人にアドバイスします。

訪れる開放感は、それまでの収縮とのギャップがもたらす恍惚感であり、たんなるムードに過ぎません。

その感覚に自己同化しないことです。

山の頂上に歓喜すると、谷底に失望することになります。

そのどちらとも離れていれば、次第に山は低くなり、谷も浅くなっていきます。

やがては起伏のない平坦な地平が現れ、それが中道を生きるという極意に繋がっていきます。


その中道とは、一般に言われる幸福感ではなく、至福と呼ばれる静かなる安らぎです。

幸せは不幸せとセットで、行ったり来たりを繰り返しますが(ほとんどの人の人生はこの繰り返しです)、至福はすでに行きついた境地であり、損なわれることはありません。

もちろん表面上は、様々な感情が去来するのですが、その奥にはこの至福感が淡々と流れている、これが非二元(ノンデュアリティ)の世界です。

この稀有なる時代に、多くの人がその境地に向かっていると感じています。



このブログが、ほんの僅かでも役に立ってくれているなら幸いです。

なぜか、このようなことを話すことしか、やりたいことが無くなってしまいました。

だからこそ、この時代の変化の潮流を、人一倍感じているのだと思います。



櫻井さんのように、最初は何の話か分からなくても、必ず理解できるときが来ます。

でなければ、このような文章を最後まで読むことはなかったことでしょう。


不肖阿部が、こうしてガイドの一人を務めさせてもらっています。


今日もここに来てくれてありがとうございました。



これからも応援よろしくお願いします。

あなたのクリックが、新しい人が、ここと出会うきっかけを作ってくれています。


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Posted by Toshiro Abe at 10:06Comments(62)

2015年05月17日

誰が描いたの?

どんな日曜日を過ごしていますか?

今日は軽いタッチで書いてみます。

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ヘンテコな2枚の絵があります。


客人が聞きました。

「これは誰が描いたんだい?」


主人は答えます

「売れない画家だよ」


客人は「ふふん」と笑って、絵から視線を外しました。



その客人がもう一枚の絵に向かって言いました。

「こっちは誰が描いたんだい?」


主人は答えます。

「ピカソだよ」


その客人はいつまでもその絵を眺めながら、ため息をつきました。

「さすがに、奥深い絵だ」


でも実際には、最初の絵がピカソで、もう一枚が名もなき画家のものでした。


こういうことはよく起きます。

作品自体より、誰が描いたかが価値なのです。



我々も無意識に同じようなことをしています。


ある日、ホームレスの男が言いました。


「私はいない。私はとうに消えてしまった。

あなたはいない。あなたの中の自分は幻想だ。」


何を言っているんだ。

馬鹿な話にもほどがある。

私はこうして「いる」じゃないか。

それに言っているお前だって「いる」じゃないか。

この低脳者が。



でもそれが、釈迦の言葉であれば別です。

釈迦はこう言います。


「私はいない。私はとうに消えてしまった。

そしてあなたの中に、あなたなどいない。そこにあるのは広大無辺なスペースだ。」


しかも釈迦の教えは、究極的にはこの「無自己」に尽きます。


それを聞いた人は、たとえ意味がわからなくても、ありがたい教えに触れたと思います。

何を聞いたかではなく、誰の話を聞いたかが重要なのです。



急に話の規模が小さくなりますが、僕がこのブログを始めた9年前にも同じようなことがありました。


「『いま』しか存在しない。そして我々は『いま』にしか存在できない」


すると、こんな書き込みがありました。


「誰の本を引用したんだ。お前が書いたにしては文章が良すぎる」

笑い話みたいですが本当の話です(笑)



このブログのコメント欄にも、素晴らしい文章を寄せてくれる人たちがいます。

先入観を持たずに、その内容を味わうと、思わぬ宝に出会ったりしますね。



真理はあまりにも単純です。

釈迦が言おうと、隣の兄ちゃんが言おうと、真理は真理ゆえに評価されるものだと思います。

もちろん、言葉の場合は、その一言だけでなく、話の前後や他の言葉との関連も重要です。



今日もここに来てくれてありがとう(^^)




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Posted by Toshiro Abe at 13:03Comments(46)

2015年05月16日

止念の練習

考えている間、僕たちは想像上の現実を生きています。

そして実際の人生は、まさに「いま」、目の前で起きています。


今日はそんな話です。

何かのヒントにしてくれたらと思います。


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さてそれでは、とっても簡単な実験をしてみましょう。

いろいろと考えなければいけないことがあるのかもしれませんが、今日だけ、今日だけはそのことをいったん横に置いてみませんか。

そして考えない時間をどれだけ持てるのか実験してみるんです。

秘訣は、いまに在ることです。



いまの音


いまの空気


いまの動き


いまの感触


いまの香り


それらを感じようとすればするほど、思考は姿を消していきます。

実は思考は「いま」が苦手なんです。


えっ?それどころじゃない?

計画しなければいけないことや、解決しなきゃいけない問題があるから、考えを止めるわけにはいかないって?


そうですか。

だったらせめて今日一日の半分だけ、そのことを横に置いてみませんか。

たぶんあなたは、昨日もそのことを考えていたでしょうから、今日の半分くらいはいいじゃないですか。


それにね、この先の計画や、問題解決のためのアイデアは、考えた時間の長さとは関係ありません。

それらは彼方からやってくる閃きであり、むしろ「いま」の中にいたほうが湧きやすくなります。


本当ですよ。

現に僕はそうやって生きています。



しかも、もしあなたが完全に「いま」に入ったら、そこにはあなたが探し求めていた全てがあります。

今日だけ、ちょっと試してみませんか?

こんなに練習し甲斐のあるものは、他にありません。




話を聞いてくれてありがとう。

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雲 黒斎君との「阿雲の呼吸」動画の第三弾は、ただいま公開中です。

いままでのスピリチャルの総仕上げのような内容になっています。

また、父子の会話によるスピ談義「居酒屋阿部家」も第三話になりました。


どちらも、大きな反響を頂いています。

一部の方に起きていた、「うまくアクセスできない」、「会員登録ができない」などの問題は解決しました。

こちらからお入りください。


スピリチュアル・エンタテイメント



5月24日の東京講演会は、満席のため、お申し込みは終了しました。

たくさんのお申込みありがとうございました。

  


Posted by Toshiro Abe at 11:40Comments(32)

2015年05月15日

な~んだ、なんだってよかったんだ

今日も来てくれてありがとう。

このクリック、いつも見ているのに「そんなの関係ね~」と思っているアナタ!

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何度も訪れる大笑い。

そういうときは、笑うしかないから笑ってます(^o^)

だからといって、何かを茶化しているわけではなく、ただただ可笑しいのです。


理由はありません。

でもあえて見つければ、理由らしきものはいくらでも出てきます。


こうして書いていて、たったいまふっと頭をよぎったこと。

この世には、あんな人もこんな人もいやしないのに、実際には、あんな人やこんな人みたいな人たちがたくさん生きている。


あははは、書いていたら笑えてきた。

ねっ?可笑しくない?


え?可笑しくないって?

おかしいなあ、こんなに可笑しいのに。



もしあなたの周りに、「この人は○○な人だ」と思う人がいたら、その人が頑張って特定のイメージを保っているか、あるいは見ているあなたが特定のメガネで見ているかです。


あんな人も、こんな人もいないのだから(笑)



臨済禅師のこととして伝わる、この話は、僕がとても好きな話。


当時の中国で突出した禅僧として知られ、みんなの尊敬を集めていた臨済は、毎朝毎晩、腹を抱えて大笑いしていたって。


朝は

「やれやれ今日も、ワシのことを聖者か仏のごとく思って、うやうやしく訪ねてくる連中の相手をせねばならん。それを思うと可笑しくて可笑しくて・・・がっはっはっはっは」


夜は

「今日も上手いこと演じきったぞ。皆の期待に応えてやったわい・・・がっはっはっは」


禅にはこんな話がたくさん伝わっていて、どれもこれも見失った真実を突いたものばかりです。

人間社会に洗脳されてしまったマインドには、最初は違和感があるけれど、ひとたび理解すれば(思い出せば)、体中から力が抜けて、大笑いするしかない。


「な~んだ、なんだってよかったんだ」ってね。





今日も読んでくれてありがとう。

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さて、今月末は禅の精神を引っ提げて、僕と向老師が山陰山陽と博多にお邪魔します。

まるで宣伝みたいだけど、僕たちの話は面白いよ。(あきらかな宣伝だ)

目からウロコの約2時間です。


地方にはなかなか出て行けないから、この機会に来てくださいね。

正真正銘の真実をお届けします。


米子市は残り席僅かです。


5月25日 19時  米子市


5月28日 18時半 岡山市


5月30日 14時半 広島市


5月31日 15時半 福岡市


お申し込みは上記都市名をクリックしてください。

  


Posted by Toshiro Abe at 12:34Comments(25)

2015年05月14日

日々是好日

「あー今日もいい日だなァ」

今日はそんなことをテーマに、感じるままを綴ってみます。

その前に応援クリックをよろしくお願いします。


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「自分なんかいなかった」という一瞥をしたときが、人生の分かれ目でした。

あのころは深刻になろうと思えばいくらでもなれた状況だったので、もしあのタイミングに、あのような気づきが訪れなければ、かなり苦しい日々が続いたと思います。


お金も底をついて、仕事もなく、一人で部屋の真ん中に大の字になって、それでも湧き上がってくる感情は、人生の滑稽さと、それまでの自分が必死に幸せを得ようとしていたことの可笑しさ。

だから笑いがこみあげてきて、あははは、と一人で大笑いしていました。

一緒に暮らしていた母は、ついに息子は気が触れたと思ったかもしれません。


それからは口癖になりました。

「あー、今日もいい日だなァ」


あれから30年。

人生で、たぶん人が欲しがるであろう多くのものを手に入れてきたけれど、結局はあの時の気づき以上のものはありません。

あれがなければ、何もないのと同じです。


だからもしあなたが、無自己の真実を解く教え(非二元)に関心を持ちだしたとしたら、この上もなく幸運なことです。

僕のブログなどは取るに足らないものですが、いまや素晴らしい表現で真実の情報が出てきています。

先日紹介した大和田菜穂さんもその一人です。


気づきは、何かをした結果得られるというようなものではなく、ある時突然、何の脈絡もなく訪れるのですが、それでも、真実の情報に接し続けるのは、無意味どころか、大いに意味があることです。

人生で唯一大切なことであり、唯一の根本的救済なので、どうぞその関心を持ち続けてください。

そこに、あなたが求めている全てがあるのですから。


さて、ノンデュアリティ(非二元)は、欧米では大ブームの様相を呈していますが、メッセンジャーたちが学んできたものの中に、たいていは禅の教えが入っています。

いまは仏教そのものが形骸化してしまった感があり、その中から本物を見つけるのは大変ですが、この点も僕は幸運なことに、最高の師を天からプレゼントされました。


向老師との活動は、まぎれもなく僕のライフワークです。

古めかしい表現を捨てて、同じ真実をいかにいまの言葉で伝えるか、そこに阿部の存在理由があると思っています。

そして向老師には、伝統を担う安定感と安心感があります。

この凸凹コンビで、これからも真理を説いていこうと思っています。


どうぞみなさん、今日も良い一日を。


良い一日とは、都合のいいことが起きる一日のことではありません。

いつだって、起きることがただ起きる。

それに対して


「あー、今日もいい日だなァ」

という態度が、いい一日なのです。


それを禅語で

「日々是好日」

と言います。



「あー、今日もいい日だなァ」




最後まで読んでくれてありがとうございました。

いい日ついでにポチっとお願いします(^^)


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Posted by Toshiro Abe at 10:12Comments(41)

2015年05月13日

質疑応答

今日はいただいた質問に答えてみます。

その前にいつものこれお願いします。

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ひよどりさんの質問


母にも瞑想の良さを知って欲しいし、瞑想によって痴呆症が少しでも寛解すれば、と思うのですが、私と一緒に座っても,10分も保たないのです。

日によっては、2、3分でそわそわしています。

どのように母に瞑想の習慣を持たせたらよろしいでしょうか?

ご教示頂けますか?



瞑想は、やる気がない人は決してやりません。

そういう意味では、あなたのお母さんは、あなたに言われたからだとしても、ちゃんと付き合ってくれるのだから凄いですね。

きっとあなたとの絆が深いのでしょう。


瞑想によって痴呆症が改善されるとは言い切れませんが、お母さんにとって、とてもいいことです。

たとえわずか2,3分でザワザワしてきてもいいんです。

そのような思考の落ち着きのなさを開放している時間だからです。

どういう状態が良い瞑想かという先入観を持たずに、ただ静かに目を閉じて座る・・・これだけで心身にプラスの影響がでてきます。

たとえ自己流でも、やらないよりやったほうがずっといいので、懲りずに付き合ってあげてくださいね。


こんなイメージを持ってみてください。

埃のような細かな粒子がコップの水に混ざっていて、そのコップがいつも揺れ動いているので、細かな粒子も水の中で動き回って、水は濁っています。

それが我々の普段の状態であり、混乱した心です。

瞑想は、そのコップをピタリと静止させるということです。

すると動き回っていた粒子が、少しずつ沈殿してきます。

そして上澄みができます。

その上の部分の澄んだ水が、本当のあなたであり、本当のお母さんです。

そんなイメージで瞑想するように伝えてあげてください。



エコルさんの質問


幻想の自己と、幻想の人生物語ってなんですの?

いま隣の人がこの記事を見ています。

私も見ています。さまざまなコメントを書いている人たちがいます。悩んでいたり、目覚めたと言ったり、阿部さんに感謝したり、この現象をどう説明するの?

同じいまここに、隣の人が私と同じ記事を見ている?

なのに幻想の物語って可笑しくない?

同時に同じ幻想を見ているのって?

ここに書き込んでいるあちら側のみなさんも幻想??



すべてが幻想とはどういうことか・・・少し説明してみます。


すべては「あるがままにあります」

幻想と言っても何もないのではなく、ただあるがままにあるのです。

ところが我々は、そのあるがままの上に、独自の判断や解釈をつけ、自分なりの現実として所有します。

その判断や解釈が幻想だと言うのです。


あなたが自分だと思っている自己イメージも、様々な判断や解釈によって作られています。

本当のあなたは、何一つ決めようがない、ただいまここにある純粋意識なのです。

それは瞬間瞬間新しく生まれ変わっていて、何一つ継続していません。

いつだってフレッシュです。


ところが人は、その純粋意識の上に、過去の記憶を重ね合わせ、自分を固定化して決めてしまいます。

そもそも、その記憶自体が判断と解釈によって作られたものなので、自分という存在は判断の産物だとも言えます。

だから幻想だと言うのです。


ただ、いま、あるがままに、起こることだけが起きている。


いまもただ、あるがまま。

そこに徹底すれば、何一つ欠けたものが無いことが見えてきます。

それが「いまここ」という言葉の意味であり、唯一の救済です。


こうして何かを読んでいるときは、たいていの場合は判断と解釈の世界に入っています。

だから本当は、本もブログも読まないほうがいいのですが、このことは秘密にしておきます。

だって、またここに来てほしいから(笑)



今日の沖縄は清々しい青空が広がっています。

一昨日仙台空港から一緒だった東北の修学旅行生たち。

こんな沖縄を見せてあげられて良かったなって、オイちゃんは喜んでいます(^^)




今日もありがとうございました。

クリッケロ、よろしくお願いします。


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・・・・・・・・・・



東京の講演会は残り席僅かとなっています。

詳細はコチラから
  


Posted by Toshiro Abe at 12:23Comments(47)

2015年05月12日

安心していいよ

一句詠んでみます。

「クリッケロ ケロケロキョウカ クリッケロ」


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たくさん講演したし、ブログにもたくさんの記事を書きました。

何かを教えたいわけじゃありません。

持論を展開しているつもりもありません。


ずっとやり続けているのは、すでに事実であるにも関わらず見逃しているものを思い出すためのサポートです。

ですから、このブログには異論も反論も無用だと言ってきました。


あなたはすでに到達しています。

あなたが探しているものは、最初の最初からあなたとして在ったものです。

一度も離れたこともなく、もちろん失くすことなど不可能で、まさにいまもあなたとして存在している「これ」です。


あなたがどんな人生を生きてきたかは全く関係なく、この先どんな生き方をしていくかも関係ありません。

んなこた、好きにやってください(笑)


人はあなたを、見たいように見て、言いたいように言いますが、そんなことに心を煩わせるのは無意味です。

無意味だけど、心を煩わせたければやってください。

それも含めて、なんだっていいんですから。

どのみち、あなたの意識の根底には、出来事にまったく影響されない宇宙大の静寂が横たわっています。

それが「あなた」です。


静寂が自分だと言うと、なんだかつまらなく感じてしまうのは誤解です。

その安らぎは、あらゆる人が探し求めている至福だからです。

しかも、いまあなたが自覚している自分より、もっと自分を感じます。

何も失いません。

失うのは、幻想の自己と、幻想の人生物語だけです。

幻想は最初から存在していなかったので、無くなっても失ったことにはならないのです。


これからも、この一点を伝え続けていきます。

他のあらゆる情報は、戯論(けろん)に過ぎません。


そんなことを23歳の息子と酒を飲みながら質疑応答する「居酒屋阿部家」

スピとはまったく関係ない若者が、今日の話のような内容に、鋭く切り込んできます。

大好評の中、第3話目がアップされました。


雲 黒斎くんとのコラボ講演会「阿雲の呼吸」の最新版も、大きな反響を頂いています。

すごいアクセス数で、黒斎君ともども感激しています。

mp3で音声ダウンロードもして頂けます。


動画・音声配信はコチラから

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カスタマーサポート

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までお問い合わせください。





あなたの応援がエネルギーになっています。

いつもありがとう。


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Posted by Toshiro Abe at 09:37Comments(57)