2007年10月31日

やるときゃやろうぜ



僕は子供の頃から勉強が大嫌いだった。

好きなことは時間を忘れてとことん追及するけれど、興味のない事を強制的に学べと言われても、まったくやる気にならなかった。


学校の先生は常套句のように「やればできるのに」と言ってくれたが、無駄な知識をなぜ記憶しなければいけないのか、その理由がわからなかった。




ところが、そんな僕が人生の中でたった一度だけ猛勉強した時期がある。

中学3年生の秋から受験にかけての5ヶ月間だ。


それには理由があった。

あまりに勉強をしない僕を見て、母が涙を流したからだ。



当時我が家は母が飲食店をやっていて、酔客が夜遅くまで話す声が、奥の部屋まで聞こえてうるさかった。

とても勉強などする環境ではなかったので、そのことを話すと、母が長年保険の外交員をやっていて、そこを退職した時の退職金、なけなしの貯蓄をはたいて、静かな場所に僕の勉強部屋を作ってくれた。


そこまでしてくれたことが嬉しくて、苦労ばかりしていた母を喜ばせてあげたいと思ったし、僕が勉強することで喜んでくれるならと勉強を始めた。



高校受験は半年後に迫っていたが、ずっと勉強をしてこなかったので、中学一年の頃からさかのぼってやり直さなければならなかった。

したがって他の生徒の何倍もの努力が必要だった。



気がついたら、通学時間も休み時間も食事中も風呂やトイレの中までも、英単語帳や参考書を持ち込んで、ずっと勉強していた。



ある時担任の先生が「東京の子供達は凄い。毎日5時間しか眠らずに勉強している」って生徒を叱咤激励した。


それを聞いた僕は内心勝ったと思った。

僕は当時2~3時間しか眠らずに、それ以外の時間は全部勉強にあてていたからだ。




日々はまたたくまに過ぎ、正月を迎え受験日が近づいてきた。

約3ヶ月間の猛勉強の成果はどんなだろう。


昨年度の全国の高校入試問題集を買ってきてトライしてみた。

そして驚いた。


解けない問題が何もなかったからだ。



その後も気を緩めることなく、さらに勉強に打ち込んだ。

そして県下一と言われた最難関校を受験した。



受験が終わったその日に、合格を確信した。

全科目で100点を取れたと思ったからだ。


実際にトップクラスで合格した事を知らされるが、その合格通知が届いた時、母が大泣きに泣き崩れた。


その姿を見て、生まれてはじめての達成感を味わっていた。




今日、石嶺中学で講演会がある。

去年に引き続き、受験を控えた子供達に勇気を与えて欲しいと頼まれた。



やればできる。

やらなければできない。


人生で一度くらい本気の本気になって、何かに打ち込むことの大切さを伝えてこよう。


僕はあの半年間が、真剣に勉強をした唯一の期間だったが、そのときの体験が大きな自信になり、その後の人生に大いに役立ったのはまぎれもない事実なのだから。






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2007年10月30日

夢からのメッセージ



たった今まで夢を見ていた。



僕はプロダクションかレコード会社のプロデューサーで、その日はひとりの青年のオーディションだった。

はにかんだ感じの青年が、ずらりと並んだ審査員の前に立っていた。


目が印象的な、なかなかの二枚目だ。



その子の前で遠慮のないいろんな意見が飛び出した。


「ちょっとイメージが細いな」

「これといって特徴が無い」

「女の子とセットならいいかもしれない」

「難しいな」



どれもこれも否定的な意見ばかりだ。



僕は心の中で、彼の将来性というよりは、彼が今何を感じているのかそれが気になっていた。


大勢の前に立たされて、あれこれ評価を浴びせられている。

彼自身は希望を持ち、人生を懸けてこの仕事に取り組みたいと願っている。



次々と否定的な意見が飛び交った。

そのたびに彼の顔が赤らみ、なんともなさけない表情になっていった。


そして最終的に、自分は失格だとわかった瞬間、彼の目が悔しさでギラギラと燃えていた。

屈辱感と怒りのような表情だった。


僕にはその表情が、とても魅力的に見えた。

でも自分に何ができるわけでもなく、そのまま黙って彼を見つめていた。



その瞬間、あることに気づいた。


「今日、彼が落ちたのは、彼自身の価値がないからじゃない。ここにいる多くの審査員達に、彼を売り出すだけの能力もアイデアもないというだけだ」

審査した人達は、自分の職権にあぐらをかいて、まるで自分のほうが立場が上だとばかり、横柄な態度を取り続けている。

自分の能力のなさを棚に上げて、目の前の彼には将来性がないと決め付けている。



この理不尽な現実に怒りを感じた瞬間に目が覚めた。


そしてすぐに文章にしなきゃって思った。

何か重要なメッセージのように感じたからだ。




その彼というのが、若い頃の自分自身の投影だったのか、それとも社会の評価に打ちのめされてしまった人達だったのか・・・




誰にでも唯一無二の個性がある。

その個性を花開かせるかどうかは、その人の価値というよりは、タイミングや縁といった外的要因と、情熱や意欲といった内的要因が大きいのではないか。

誰でも条件さえそろえば、その人の個性を活かして成功をおさめることができるのではないか。

だってその人は、世界にひとりしかいないのだから。



社会から認められずに、あるいは他者と比較する中で、自分を否定的に感じてしまったり、自信をなくしてしまったりした人は知って欲しい。

それは自分の価値とは何の関係もないということ。

内側の情熱さえ失わなければ、いつかめぐりめぐってチャンスがやってくるということ。



この世に価値のない人はいない。

個性の違いがあるだけだ。



無価値感・・・これこそが最大の幻想であり、自分の勇気をそこね、自分の人生を生きられなくなってしまう元凶だと思う。


生意気にも、世の中の人みんなに、そのことを伝えてあげたいと思った。




最後まで読んでくれてありがとう。





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2007年10月29日

2枚の扉



亀田家騒動もひとだんらく。

日本シリーズもワールドシリーズもいまいち興味がもてない。

細木○子さんを肴にするのも飽きたし。



今日は何を書こうかな。




そうだ、今日は月曜日だ。

また新しい一週間が始まった。


みんなを励まそう!


そう言う僕は、朝からゴチャゴチャ考え事して調子は今いちだけど、元気出していくぞ!



たとえカラ元気でも、元気は元気だ。

そのうち本当の元気が出てくるだろう。



人の心ってさ、放っておくと下に下に落ちていって、最後はドツボにはまるようにできているんじゃないかな。


少なくとも僕の心はそういう特性を持っているようだ。


ついうっかりすると、終わった事をクヨクヨ考えていたり、漠然と将来を不安に感じていたり・・・

どちらも今すぐにはどうすることもできないので、考えれば考えるほど結局はドツボにはまっていく。


だからこそ、自分の心が勝手に動かないように管理しなきゃならないんだ。



そのためには、2枚の扉が必要だ。


一枚は未来への扉。

その扉をガラガラガシャーンって閉じるんだよ。

一瞬でも先のことは頭の中からシャットアウトする。


次に過去への扉もガラガラガシャーン。

終わったことは頭の中から閉め出してしまう。


これでOK。


ところが、この2枚の扉、鉄製みたに重たいときている。

なかなか閉じないんだよね、これが。


やっと閉じたと思ったら、またいつの間にか開いていたりする。



「もううんざりだ」なんて言わないで、何度でも何度でもトライしてみる。

新しいクセをつけるくらいのつもりでね。

そうすれば、本来のイキイキとした心を取り戻すことができるよ。

元の気を取り戻せる。

それすなわち「元気」



このレッスンを今日一日やってみない?

気がついたら扉が開いているから、その度にまたガラガラガシャーンってね。



僕も一緒にやっているから、そのこと思い出してね。




それじゃ、ご一緒に。

ガラガラガシャーン



もうひとつの扉も

ガラガラガシャーン



はい、よくできました


それじゃ、元気で行ってらっしゃい。





多くの人の目に触れますように
よろしくお願いします
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2007年10月28日

Let it be



「右に流れても 左に流れても どっちだっていいよ Let it be」


このブログのサブタイトルに使っている言葉だ。


これはあのビートルズの名曲に勝手につけた日本語詞の出だしだが、本物のビートルズのCDの日本語訳は、作者に気を使ってか直訳になってしまっていて、本来の意味が伝わりにくい。


言葉には、それぞれの単語が持つ意味以上の、行間から汲み取る命がある。

それが詞というものだと思うので、自分なりの超訳をつけているわけだ。



ビートルズがこのような歌を書いた背景には、彼らがインドから大きな影響を受け、その思想に触れた経験があったと思う。


西洋は目的志向の強い国だから、その中にあって「Let it be」と唄うのは、革命的なことだったと思う。

日本も東洋とは言え西洋化しているので、この歌のインパクトは大きいと思っている。




人生に何が起きるかは誰にも分からない。

でも何が起きたとしても、それは起きるべくして起きていて、今回の人生には必要なことだったのだ。

そのように、起きる出来事を受け入れ、それを起こしている大いなる力を信頼すること。


それが「思し召すままに」という態度であり、「Let it be」という言葉だと思う。




もしそのように考えて生きられたとしたら、人生から受ける悩みや苦しみは半減してしまうことだろう。

なぜなら悩みや苦しみは、起きている現実自体が作り出しているというよりは、その出来事を拒否したり悔やんだり怖れたりする想いが作り出しているからだ。


自分の人生は、自分ひとりで作り出しているのではなく、大いなる力との共同作業によって作られていることを知ることは重要だ。

その存在を確信できれば、心の荷物はたちどころに消えてなくなるだろう。



キリストは言った。

「私のそばに来なさい。あなたの荷物を下ろしてあげよう」


僕は最初にこの言葉を聞いたとき、何か魔法めいた言葉に聞こえた。

でも今はその意味がよくわかる。



大いなる力は確かに存在する。

それはどんなときもあなたと一体で、あなたの幸せを祈り、あなたを見守ってくれている。

その例外はない。



僕たちがやることはただひとつ、「信頼」することだ。

それこそが21世紀の新しい文化の礎になっていくことだろう。




右に流れても 左に流れても どっちだっていいよ Let it be

どんな流れも いつかは海に帰る 心配ないよ Let it be

思し召すまま 流れのままに まかせてごらん Let it be





先日の東京ライブでも、昨日のライブでも、そして今夜も、僕が一番伝えたいメッセージがこの歌に凝縮されているように思う。






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2007年10月27日

人生は笑い



今朝起きて最初にやったこと。




笑ったニコニコ



人生の後半は笑って過ごそう。

何が起きても笑っていられるような自分でありたい。



笑うっていうのは、ちゃかしたり、ふざけたりするのとは違う。

現実を直視しないで、笑って逃げるのとも違う。


笑うというのは、起きている出来事の中にユーモアを見るということだ。



たとえば誰かが腹を立てている。

その波動が自分に向かってきたり、巻き込まれたりしたら、いつのまにか自分も腹を立てている事がある。

そこには現実に対する決めつけだけがあって、自由自在な観方が欠けている。

ユーモアのセンスが消えて、深刻さだけになっている。




ユーモアの感覚で人生を生きるにはいくつかポイントがあるように思う。


ひとつは、人生を義務と考えないことだ。

こう生きるべきだ、こうしてはならないなどの規則で自分をがんじがらめにしてしまうと、人生そのものが深刻なビジネスと化してしまう。

人間として成長するために、いつも自分に完璧さを強いていたら、それは単なる生真面目なロボットのようなものだ。

そこには流れるような色彩感が欠けている。




次のポイントは、起きている事をあまり大げさに捉えないことだ。

それがたとえ真理の探求にせよ、大きな商談にせよ、子育てにせよ、自分が何か重大なことに携わっていると考えないことだ。

もっと極端な言い方をすれば、この地上ではバクテリアのような無数な人間達が、争い、愛し合い、喜んだり泣いたりしているけれど、それらがすべて、些細な出来事に過ぎないということを理解することだ。

そのような現象を、さも重大な事が起きているような態度で、深刻に立ち回る人たちの喧騒の浅はかさに慈愛を持つことだ。

それがユーモアを育む土壌になっていく。


「これ」と「あれ」、「善」と「悪」といった、絶え間ない対立から自由になって、その両側を見て取れるだけの余裕があれば、自分が巻き込まれて大騒ぎすることはなくなる。


力を抜いて、優しい気持ちを取り戻すことができる。



今も、そしてこれからも、世の中はただあるがままにあるだろう。




今日は誕生日。

残された人生を、そんな感覚で生きていこうと思った。




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今日と明日は母家で誕生ライブ。

若干の空席が出ましたので、お問い合わせください(866-5880)
  

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2007年10月26日

祝福



みなさんからのコメントにレスしなきゃと思いながら、あっというまに一日が終わってしまって、あれ?もう10月も終わりかって、なんとも不思議な気分の僕です。


外に出て仕事の打ち合わせなんかすると、相手の人が思いがけずこのブログの読者だってこともしばしばで、その人は大抵の場合、僕よりも僕の事をよく知っていたりします。


あたらしいツールのおかげで、新しい関係が見えないところで始まっているんですね。


今日もここに来てくれてありがとう。




さて今日は、僕にとって一年の締めくくり。

明日から、また未体験ゾーンの年齢に突入する。



16歳の頃の日記には、「5年後、10年後の自分がどうなっているか知りたい」と書いてある。

学校をやめようと考え出した頃で、テレビに映る華やかな芸能界なる世界を目指そうって心に決めていた。

もしそんな世界に飛び込んだら、将来どんな生活が待っているのか、期待と不安が入り混じっていた。



その時描いた人生の想像図は、36歳の時点で終わっている。

そこで成功か失敗かの答えが出ることになっている。

おそらくその年齢で人生の結果が出ると思っていたようだ。



今の僕はそこからさらに十数年生きたことになる。

そしてまだ結果が出ていない。


というよりも結果など無いことに気づいた。


物事は絶えず変化し、いいこともあれば、悪いことも起きる。

幸せは見果てぬ地平線の彼方にあるのではなく、まさに「いまここ」のあたりまえの景色の中にあることもわかった。


あの頃は、40代、50代は、もう人生の黄昏時で、終焉を待つような年齢のように思っていた。


でもそんなことはない。

今が「青春ど真ん中」だから。



あのころの少年の僕に伝えてあげたい。

君の人生は80%くらい願いが叶ったよ。

でもそれは幸せとは無関係の出来事だった。



そんな夢を全て放り出して、ひとりのあたりまえの自分を受け容れた時、想像を超える祝福が訪れたよ。


それはいろんな経験をして初めてわかることなんだ。


だからね、歳をとるって、とても素晴らしいことだよ。




50代の初老の男から、16歳の少年へ。

「人生とは、想像を超えた素晴らしい旅だ。君は祝福されている」





僕たちは誰ひとり例外なく、最初から祝福されています。

それをいつ見抜くか、それが人生の目的なのかもしれません。




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2007年10月25日

素直さ



おはよう



僕らの幸せは人間関係で左右されることが多いよね。


だから僕らは、人に嫌われないように、人によく思われるようにして生きている。




にもかかわらず、知らずに人を傷つけてしまったり、怒らせてしまったりした時はどうしたらいいんだろう。



そういうことってあるよね。


そんなときに僕自身がやってきた事がある。


ちょっと勇気がいるけれど、やってみるとけっこう効果的だから紹介します。





続きの前にコレ押してね



  
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2007年10月24日

竜巻の中心



母と同居していたころ、その家の2Fの部屋で、よく瞑想したものだった。

「いまここ」という感覚を初めて知ったのもその部屋だった。



今回、久しぶりにそこで瞑想してみた。



全ては過ぎ去っていた。

当時付き合っていた人たちも、あの頃の喜びも、悲しみも、いまはどこにもない。


まるで夢のように消えてしまった。

みんな風のように、どこかに消えてしまった。


でも、僕自身は何も変わらず今も「いまここ」にある。




それは竜巻に似ている。


僕の周辺を、様々な出来事が吹き荒れて行く。

移りゆく景観、移りゆく色彩。


僕はいつもその中心にいて、何も影響されること無く、それを見続けている物見だ。



その中心こそが本当の自分だ。

それは産まれたときから、いつもいまここにあった。



増えることも減ることも無く、磨かれることも汚れることも無く、何が起ころうと全く影響されること無く、いつもここにあった。

あまりにもあたりまえに、常にここにあったので、僕らはそれを忘れてしまう。

そして竜巻の風と同化し、どこかに運ばれているような気がしてしまうのだ。



僕らはどこにも向かっていない。

僕らはいつも「いまここ」にいる。


ひとたびそのことを理解すると、人生観は180度変わってしまうだろう。

その時、初めて人生が祝福に変わる。


それが「いまここ」を生きるということだ。





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2007年10月22日

年齢

久しぶりに母に、昔の写真を見せてもらった。


かなりのショックだったよ。


僕が19歳の時の写真、隣りにはすっかり老け込んだお馴染みの父(故人)が写っているんだけど、それがなんと今の僕より歳が若いのだという。



なんてこった。



いつの間に




小学校の時の校長先生も、あんなにお爺ちゃんに見えたのに、こちらも僕より若そうだ。



ということは、今の僕は何者だろう。



昨日東京の皆さんに一週間早い誕生日を祝っていただいた。



それにしても気持ちは何も変わらないのに、なんで歳だけはとっていくのだろう。



昨日は二十数年ぶりに、友人が来てくれた。

とんぼちゃん(とんぼ)というフォークユニットのひとりで、名前はよんぼ。


お互い歳をとったよな。










パソコンで見ているあなたは、いつものアレ押しておいてください。

一足早い誕生日ご祝儀プッシュぶーん


















  

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2007年10月21日

童神

結婚式の中で感じたことは、親のありがたさ。

子供がここまで育つまでに、親がその人生を通して与えてくれたことは、どれだけあっただろう。


それは子供の記憶の中にあるものよりも、はるかに多いのではないか。


特に母親は、多くの無償の愛を与えてくれたのではないか。




おしめを変えてくれた。

ミルクを飲ませてくれた。

熱があるからと言って、寝ないで看病してくれた。

一緒に遊んでくれた。

泣いて帰ってきたときに優しく慰めてくれた。



式が終わった後、どうしても両家のお母さんに、歌をプレゼントしたくなった。

それで母家に招待したんだ。



そしたらね、偶然(?)、あの古謝美佐子さん夫婦が母家に食事に来てくれた。


古謝さんは、名曲「童神(わらびがみ)」の作者でもあり、本家本元だ。


お願いしたら、すぐに引き受けてくれた。



そしてお母さん達の前で、「童神」を唄ってくれたんだ。






まるで、天からのプレゼントみたいで、みんなが泣いていた。




そのあと、古謝なんの三線(さんしん)にあわせて、踊り出す人達がいて、会場は大盛り上がり。

平和と幸せに包まれた、ひと時でした。


みなさんにも、その波動だけおすそわけ。






お母さん達に、そして新郎新婦に最高のプレゼントができた。



古謝さん、ありがとう。





今日もいい一日でありますように。


僕も、幸せを届けに今から東京に行ってきます。





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2007年10月20日

ウェイトベアー



本当は今日から上京しようと思ったんだけど、一日延ばした。

というのも、ある日一通のメールが飛び込んだからだ。

差出人は、千葉県で警察官をしている沖縄青年だった。



以前、沖縄にいた頃に僕のラジオをよく聴いていて、もし将来誰かと結婚するとしたら、式の司会を頼みたいと思っていたという。


その文章がとても素直で好感が持て、お引き受けすることにした。



実は結婚式の司会は苦手で、今まではご辞退した事が多かった。

結婚が必ずしも人を幸せにしないと思っていて、なんとなく気乗りしなかったのもその理由のひとつだった。




それが今回はどうだ。

この若い二人を応援したいって、心から思っている僕がいる。



つい先日、式のために来沖した二人と、打ち合わせのために母家でお会いした。

とてもかわいらしいお嫁さんで、彼から僕の話を聞いた時はよくわからなかったが、ブログを読むようになって、今は彼以上にファンになったとのこと。

このブログもご縁に一役買ってくれたらしい。



彼女のお母さんにもお会いしたが、僕と同じくらいの年齢だった。

  

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2007年10月19日

亀田さんと僕と反省と欺瞞




ひとつの出来事に対しても、いろんな意見があるね。

それは、価値観の違いや、判断基準の違いが作り出しているんだろう。


共通しているのは、人と意見が合わない場合は、相手が間違っていると考えがちな点だ。

そうやって正しい者同士が衝突し、争いに発展することもある。




「自我」という存在は、極めて精密な防御機構のようなものだ。

自分を脅かしそうな外側の脅威から、常に自分を守ろうと注意深く周囲を見張っている。

それは本能的に、自分は正しいという立場からものを考えようとして、状況が悪くなると、瞬時に自分を正当化し、相手の間違いを探し出す。



ちょっと極端な話になるが、殺人を犯した人たちを診察する精神科医の報告では、ほとんどの囚人が、殺人を犯したのは自分の責任ではないと考えるそうだ。

たとえば、泥棒に入ったら見つかったので仕方なく殺したとか、大声を出したから殺したとか、相手は殺されても仕方ない人間だったとか、仲間にそそのかされたとか、悪魔が乗り移ったとか、殺す気はなかったとか・・・


殺人者でさえも自分を正当化するのだから、普通に生きている僕たちや、僕たちの周りの人達が、たとえ目に余る行為があったとしても、心底から自分の間違いを認めるなんて、めったにないことだと思う。


そのような人間の質を知らずして、相手の間違いを指摘したり、反省させようとしたりするのは、ひとりよがりの無意味な行為なのかもしれない。




再び亀田さんの謝罪会見の話になるが、彼らは心から反省して会見に臨んだのだろうか。

いやいや、そうではなく、自分達が置かれた危機的状況を打破するには、あのような会見を開くしかなかったのだろう。

もともと社会をなめきって生きてきた人が、不祥事を指摘されたからといって、すぐに自分の非を認めて反省するだろうか。



おそらく心の中では、早くこの状況が過ぎ去って欲しい、なんとか切り抜けたい、お前達に俺の気持ちがわかってたまるかという気持ちがあるのではないか。


もし僕が彼だったら、間違いなくそのように考えると思う。

でも僕はもう少しずるいので、うまく演じきって周囲を納得させることだろう。




心底から反省したり、懺悔したりするのは、極めて高い人間力を要する。

深い知性と、謙虚な気持ちがなければ、本当の反省などできるものではない。


にもかかわらず、あのような謝罪会見に対して、「本心からの謝意が伝わらない」「反省が足りない」などと責め立てる人たちは、いったい何を期待しているのだろう。




人間が自我に支配された欺瞞の塊りである以上、社会はその集まりのようなもので、欺瞞と偽善に満ちた劇場のようなものではないだろうか。

もちろん僕たちはそんな社会にあって、すこしでも誠実に、少しでも人の役に立ちたいと思って生きているのも事実だ。

でもそんな自分の中には、今述べたような見たくない自分が生きているのではないか。



人を非難したり、心からの謝罪を求めたりすることで、自分の気持ちが少し楽になるのかもしれないが、そのような態度は現実的でないことも知らなければいけない。




僕はいつも思う。

この人生でやるべきもっとも大切なことは、人を責めることではなく、絶え間なく正当化している自分自身の欺瞞と向かいあって、とことん自分を見ていくことだと。



「愛」「癒し」「祈り」・・・

耳障りのいい言葉が氾濫している精神世界ブームの中で、もっとも基本的な自己観察をおろそかにしては、実際の成長は望めないと思う。




少なくとも僕は、そのように考えて生きている。





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お知らせ

明後日の東京ライブは満席のため、当日券はありませんのでご注意ください。

沖縄でのバースデイライブは27日が満席、28日も残り少なくなってきています。

お問い合わせは098-866-5880(母家)までお願いします。

  

Posted by Toshiro Abe at 08:09Comments(5)TrackBack(0)こう思うんだ

2007年10月18日

亀田一家 3



昨日の謝罪会見は、けっこう刺激的だったね。


真剣に謝っていないって意見も多いみたいだけれど、それは彼らに期待しすぎているからだ。

このピンチをどう乗り切ったらいいかという冷静な判断力があるくらいなら、ここまで暴走することは無かったのだから。

これが彼らの知力の限界で、僕は今の時点ではこれで十分だと思った。

これ以上の期待は、逆イジメになってしまう。



一番印象的だったのは、亀2号君の憔悴しきった態度。

あの憔悴は、社会からのバッシングや、敗戦ショックだけが原因ではないだろう。

自分の人生哲学が根底から崩れ落ちていくことの虚無感ではないか。


彼の人生哲学は単純だったと思う。

それは

「オヤジの言うことを聞いていれば間違いない」


そのオヤジが社会の風圧の前に、もろくも敗れ去った。

子供として、弟子として、信者として、そのショックは相当なものだと思う。

僕も息子を持つひとりの親として、この点は痛々しかった。



一方で、オヤジさんの表情も印象的だった。

僕には彼の顔が、身体の大きな子供(キカン坊)に見えた。


悪い言い方になってしまうが、知性の無さが露呈してしまっていた。

ボキャブラリーの貧困さや、理解力の無さ、あのような会見の場はかなり苦手なはずだ。

だからこそ、昨日の謝罪会見はあれが精一杯だったと認めてあげたいのだ。



ところで、もし僕が亀2号君のプロデューサーだとしたら、今回の一連の騒動は小躍りするくらいに喜ぶだろう。

ここで彼が改心して、健気な少年として一心不乱に練習に打ち込み、日本タイトル、東洋タイトルという具合に、自分の実力にあったレベルの試合を重ねていけば、時間の問題でファンは戻ってくるだろう。


日本人は判官びいきなので、そんな姿勢は共感を生むことだろう。


しかも、いったん憎まれた人間が再び愛された時、その愛はとても深いものになる。


ただ愛されているだけでは、底が浅い愛でしかない。

なぜなら、愛の中には必ず憎しみという潜在的な可能性が眠っていて、それが無意識に心のブレーキをかけてしまうから、愛が表面的なものになってしまうのだ。

反対に、憎しみが最初に表に出てしまえば、その愛は計りしれない強さを持つことになる。




いろんな意味において、この逆境はすごい可能性を秘めた状況だと思う。



新しいニックネームは「ハンソク王子」はどうだろう。

いやこれはあまりいい名前じゃない。


もっとクリーンなイメージがいい。

髪型は7・3分けがいいかもしれない。


とにかく、今までとは180度違う好青年のイメージで再出発すれば、多くの国民の心をわしづかみにするだろう。



ま、そんなことはどうでもいいか。


それより、マスコミの皆さんにお願いしたいのは、日本社会特有の村八分を煽るような報道はやめてもらいたいということだ。


あまり正義漢ぶって、悪を断罪する姿もいただけない。

たしかに彼らは、品性や知性を著しく欠いているかもしれないが、社会の中で善人の仮面をつけて、権力や社会に迎合して生きている人達よりも、正直な面もある。


それにお金になれば何でもやる人達が、同じようにお金になればなんでもやってきた彼らを断罪する資格があるとも思えない。


同じ穴のムジナ。

僕はテレビを見るたびにそう思ってしまう。




亀田さん一家はいろんな話題を提供してくれたが、人間の様々な面をわかりやすく見せてくれて、たくさんのことを学ばせてくれたと思う。


「勝てばいい」

この時代遅れの美学に、多くの人達が背を向けたことは、日本もまだ捨てたもんじゃないってことを感じさせてくれた。

反面教師という点も含めて、この一連の騒動を、よい意味での教育に使っていけるような気がする。




最後まで読んでくれてありがとう。





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Posted by Toshiro Abe at 11:10Comments(9)TrackBack(0)こう思うんだ

2007年10月17日

亀田一家 2



おはよう。

もう10月も半ばを過ぎてしまったね。

さすがの沖縄も、朝晩の犬の散歩が少し肌寒く感じるようになった。



そうそう犬の散歩といえば、あの亀田家の話。

家の前に集まったマスコミ陣を避けるように、一家は身を隠しているらしいけど、カラッポの家にはトイプードルとミニチュアダックスがいるんだってね。

家を警備するガードマンに家族から電話があって、犬の散歩を依頼してきたらしい。
(やたら詳しくてスマン)



あの強面の家族にしては、ずいぶん可愛いい犬を飼っていて似合わないって話があるけど、僕はもしかしたらあの子供達は心優しい子達なんじゃないかと思っている。


テレビの前であんなに強そうで恐い自分をアピールするってことは、実際には気弱ってことだから。

もし本当に猛々しい人間ならば、あえてそのことを強調しなくてもいいでしょ。


僕らは自分の中にない面を、外側に演出する傾向があるからね。




たとえば成金さんは、自分の本来の貧しさを隠すために、やたらと高級なものを身につけたがるでしょ。


本当に豊かな人はそんなことは気にも留めない。


根が甘えん坊の人は、強い自分を生きようとして、人に自分の弱さを見せなくなったりする。

亀田さんちの子供達も、本当は泣き虫で弱々しい性格なんじゃないかと思う。


だから、試合前に相手になめられないように、あそこまで自己演出する必要があったんじゃないか。

自信のなさを隠すためにね。



そんなやり方を関係者が面白がって、ヨイショして持ち上げるから、その気になってあそこまで暴走しちゃった。


文部科学大臣まで彼らを非難する声明を出したから、もう国中が敵になっちゃった感じだね。




こうなるとヘソ曲がりの僕としては、彼らをかばいたくなるわけよ。




人間は極端から極端に移行する生き物だから、さんざんヒーロー扱いしていた人達が、今度は一転してののしり始める。


真実はいつもその中間にあると思うわけだ。



相手が誰であれ、人を非難する時は気をつけよう。

僕らは相手の中に何か悪い面を見つけると、その人の全人格を否定してしまう傾向があるから。


誰だっていろんな面を持っているわけで、その人から学べることだってあるはずだ。



たとえば亀2号君も、世界タイトルマッチではまったく通用しなかったけど、わずかな期間でここまで成長したのは凄いことだと思う。

その裏には、想像を超えた練習量があったはずだ。



いい人は100%いい人で、悪い人は100%悪い人という、人間に対する単純な見方が、争いを生む元になっているようにも思うんだ。


ドラマなどでは悪役が徹底的に悪く描かれるから、僕らは本当にそんな人間がいるような気がしてしまう。



でも、思い出して欲しい。

本当はみんな自分だって事を。



相手を決め付けたり裁いたりしないで、中立的な目線で見たいものだね。



僕自身もよく人の事を決め付けてしまうけど、誰にだっていろんな面があって、状況次第でどんな人にでもなってしまうことを忘れないでいよう。




そんな見方が、優しさを持った見方だと思うよ。




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2007年10月16日

亀田一家




昨日下された亀田一家への処分内容。

甘すぎるという人、妥当だという人、それぞれだとは思いますが、彼らへの処分なんて自分の人生に直接関係ないんだから、そんなことに惑わされずに、いまここを生きようと言いながら、TBSやコミッション自体にも何らかの処分が必要だと考えているのは僕だけでしょうか。


「テレビも見ない」「新聞も読まない」と豪語しているわりには、ほとんどの番組のコメンテーターの一言一言までやたらと詳しいのは何故かという質問をはぐらかしている僕ですが、今日もよろしくお願いします。



諸悪の根源は父親だと言うけれど、ああいう毒素を振りまくことで低迷しているボクシング界を再興させようとした商売人たちがいたわけで、一家の品性の無さが商売人たちのコントロールを超えちゃったのが今回の事件です。


フグの毒も死にそうで死なないくらいが一番美味いと言いますが、調理が失敗して人が死んじゃったら、儲けようとした店の人や料理人が影に隠れてしまって、みんなしてフグが悪いって言い合っているのが、いまの現状だと思います。




個人的には世の中をナメきった悪役ヒーローは嫌いじゃないけれど、どうせあそこまでリアルにやるんなら、最後まで堂々と開き直って欲しかった。

自分たちの反則指示や行為に対する愚にもつかない言い訳には少々シラケました。




ま、いいや。



考えてみれば、ロープで四角く囲ったリングで、気絶するまで殴り合いをさせる行為を、スポーツだと言い切っているところが、何か変だと思わなきゃいけない。


見ている側は、自分の怒りやストレスを他人の格闘を通して解消しているわけで、そこにルールがあるからスポーツだって言い切る姿は、国際法を守れば戦争は合法だって言っているのと同じように見える。


自分が生まれる前からある競技だから、みんなすっかり洗脳されていて、そもそも殴り合いを面白がっていることの愚かさに気づかなくなっている。


しかもそれを見世物にしている野蛮人文化が、いまの人類の現状だよ、


罪のない動物を平気で殺して、皮を剥いで肉を食らっている姿と同じレベルだ。




暴力はいけないというなら、例外なく暴力はいけないのだ。




ここで僕からの提案がある。


この先ボクシングの試合は、殴り合いじゃなくて、リングの上での話し合いで決着をつけたらどうだろう。

話し合えばわかるんじゃないだろうか。


それを2時間生中継するくらいのTBSであってほしい。

低視聴率にもめげないその姿に、信頼回復は請け合いだ。





それから亀田一家の処分だけど、ライセンスの停止ということでは問題解決にならないよ。


そもそもあの親子の精神状態は歪んでしまっている。

精神の歪みの原因は、言うまでもなく愛の欠如だ。



したがって、一番的を射た処分は、

父親はヒーラーのもとに送って、インナーチャイルドが癒されて感動の涙を流すまで無期限強制ハグ。


子供達は「ありがとうございます」を連呼しながら、民家のトイレをピカピカに磨き、それらの行為がボクシングなしでも金運を引き寄せることを証明するまで帰れないという全国行脚の旅に出す。




ついでに、

高橋ジョージはリーゼントヘアーの1年間禁止処分。


エリカ様は「息を吸って私は静か」「息を吐いて私は微笑む」を1万回。





こんなんでどうでしょう?






バカ言ってないで、いまここを生きることにしますガ-ン






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Posted by Toshiro Abe at 07:57Comments(13)TrackBack(0)こう思うんだ

2007年10月15日

映画とスクリーン



おはよう。


また、月曜日の朝だね。

どうせ同じ一日を生きるんだったら、元気出していこう。





目の前で何が起きていようと変わらないものがある。

自分の内側には、外の出来事に何も影響されていない、ピュアな存在が必ずいる。



僕らはついうっかり、外側の出来事に全身で巻き込まれてしまうんだ。



たとえば、誰かが自分を見下したとか。

何かの責任を取らなきゃいけないとか。

どうしても嫌いな人と会わなきゃいけないとか。



日常の世界には、そんな出来事がオンパレードだけど、それは映画みたいなもので、いずれ場面は移り変わっていくし、そんな出来事に心まで削るのは間違っている。


何が起きても、実際にはあなた自身は何も影響されず、何も傷ついていないし、何も汚されていないんだから。




あなたの本質は、映画のスクリーンのようなもの。

出来事は映っている映像だ。


どんな映画が上映されても、スクリーンは無傷のままでしょ?



生活の中でストレスを避ける秘訣は、自分はスクリーンで、目の前の出来事は単なる映像だって事を見極めること。

映像が自分に求めるニーズには、きっちりと応えながらも、そこに何も影響されずに存在する・・・それが人生の極意だと思う。


そんなふうに不断の気づきを持って自己を確立することは、シャバで生きる我々にとって最高の修業じゃないだろうか。




さ、今日も修業に行ってらっしゃい。

そうやって胆力を養っておいでよ。



僕も、もっか修行中。

この修業、タダだからありがたいね。



修業のポイントは、何度も「スクリーンの自分」を思い出すこと。



映画にどっぷり浸かっちゃダメだよニコニコ





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お知らせ


今夜は9時からROKで僕の生放送。

明日の火曜日は、「いまここ塾」があります。  

Posted by Toshiro Abe at 07:21Comments(6)TrackBack(0)日々のメッセージ

2007年10月14日

どうでもいいや




ただいま。

すごく楽しい2日間でした。


帰りはずっとデッキの上から海を眺めていました。



海はいいね。

僕たちが日々の出来事に大騒ぎしていることが、ほんとうに小さなことに思えてくる。




実はこの数日間、また頭の中で怒っていたんだ。



あのボクシングの亀田とかいう青年のこと。

そしてあのふてぶてしい態度のオヤジ。



子供達への影響を考えたら、あんな下品な人間達をヒーロー扱いしている放送局の良識や、辛口で正義感ぶっているくせに、しょせんは日和見主義の「和田アキ○」や「みのも○た」のコメントなど、あれもこれも、まったくどいつもこいつも・・・



いつからこんななさけない国に成り下がったんだって、ぶつぶつ思っていたことも、なーんだ、別にどってことないかって思えてきた。


あと10年もすればみんな忘れてしまって、またそのときの出来事に一喜一憂しているおバカな自分自身のことをもっと考えたほうがいいよなって。


あはは、ほんとに僕っておバカだベー



よく考えてみたら、テレビが大騒ぎしているほとんどの事は、どうだっていいことばかりなんだよね。




そんなわけで、海のおかげでまたリフレッシュして絶好調の僕です。




さあ今日もみんなで心をでっかく持って生きよう。








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Posted by Toshiro Abe at 13:03Comments(9)TrackBack(0)

2007年10月13日

10月13日の日記



それにしてもここは別天地だ。

時間がゆったりと流れ、後ろの林では10月だというのに蝉が鳴いている。


さっきまでシュノーケルを付けて、沖まで泳いできた。

遠浅のサンゴ礁の海が終わると急に深くなり、谷底を見下ろしながら、まるで空を飛んでいる気分だった。

たくさんの魚達をかき分けて、貴婦人のような魚の群れが、音も無く通り過ぎていった。

海中で写真が撮れないのが残念だ。


一緒に連れて来た息子も大喜びで、今日のことはお互いいつまでも忘れないと思う。


この写真は今しがた撮った目の前の海。

久しぶりに日記の投稿でした。



感謝。
  

Posted by Toshiro Abe at 16:04Comments(5)TrackBack(0)

2007年10月13日

祈りの歌



この世に偶然はないというけれど・・・

実は今日、渡嘉敷島の隣り座間味村のお祭りがあって、ゲストとして呼ばれたので今から行ってきます。



なぜ僕を選んでくれたのか・・・これもきっと何かの力だね。

心を込めて祈りの歌を捧げてきます。




座間味諸島の海は、世界でも1、2を争うほど透明度が高く、海に潜れば色鮮やかなさんご礁とトロピカルフィッシュの群れに、目を奪われてしまいます。



日中はシュノーケリングを楽しんできます。


夏にも行ってきたんだけど、それはそれは綺麗な海でした。



また報告しますね。




それでは行ってきます。





私も行きたいと思った人は、せめてこのボタンでも押してみてください。
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Posted by Toshiro Abe at 08:10Comments(7)TrackBack(0)

2007年10月12日

一なる自己

おはよう。

今朝はいきなり究極的な話をするね。


僕たちを生かしている、大いなる力のこと。


それを人は「神」「仏」「宇宙」「真理」「一なる自己」「真我」などと様々な名前で呼ぶけれど、いったいそれはどこにあるのだろう。




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Posted by Toshiro Abe at 10:25Comments(5)TrackBack(0)