2019年03月26日

罪悪感

来てくれてありがとう。








精神世界や真理を学び続けて、人生の問題をいろいろ解決してきたとしても、まだ心の奥底に、決して姿を見せない罪悪感のようなものが潜んでいたりします。

あまりに心の奥のほうにあるので、普段は気がつきません。


気がつかなくても、罪悪感による影響は小さくありません。



たとえば漠然と


「私は幸せになる価値がない」


「私なんて・・・」


と信じたりします。




「もうそのような自分を手放した」


「私は罪悪感を捨て去った」


などと思ってはいけません。


罪悪感とは形を変えた分離感であり、「罪悪感を捨てた私」という「私」が残っていれば、罪悪感は消えていません。


だから、「もう捨てた」などと言わないで、まだ存在することを認めましょう。

「私」という幻想があるかぎり、罪悪感という幻想も存在するのです。




であれば、罪悪感とどう向き合っていけばいいのか。


優しく、よしよししてあげるのもいいでしょう。


分かるまで真実を言い聞かせてあげるとか。



「私は幸せになる価値がない」

という私を抱えながら

幸せになる価値のない私を幸せにしてあげるのです。



だって罪悪感とは、完全な「誤解」だから。


究極的にはあなたは何もしていないし、そもそも何かしでかしたあなたなど存在していません。


ただ、そのように事が起きたのです。



罪悪感



それともう一つ。

人に罪悪感を与えようとしないこと。


これは愛の真逆の行為であり、誰も幸せにしません。


相手に罪悪感を持たせてしまえば優位に立てることを知っているので、ついやりがちです。

これは家族間でもよく見られることで、相手に罪悪感を与えることで相手をコントロールしようとしているのです。





罪悪感と同じように、分離がもたらす誤解の中に劣等感があります。


罪悪感と劣等感という二つの隠れた感情が、この社会を裏から作り出しているような気がします。



これらは人を幸せにしない元凶なのに、決して表に出てくることがないので、いつまでも解決されないままです。



正直になって、みんなが心の奥にこれらの感情を抱えていることを認めあえば、何かが少し変わるかもしれません。



な~んだ、お前もかって(^^)



















Posted by Toshiro Abe at 09:33│Comments(31)
この記事へのコメント
生まれたばかり赤ん坊には罪悪感はありません。

罪悪感は成長しながら様々な体験をしていくことで発生する後天的な感覚です。

現代日本社会は複雑な体験・情報がたくさんあるので、複雑な罪悪感が発生しやすい社会です。

心が光り輝くことで発生する至福感は先天的な感覚です。

これまで体験してきた様々な体験に対する執着を手放して
心を光り輝かせるほど
後天的に発生した罪悪感が弱くなっていき
先天的に発生している至福感が強くなっていきます◎

生命の光は至福の光です◎

https://www.youtube.com/watch?v=-ny6kb12t6I

←(*´▽`*)→←(*´▽`*)→←(*´▽`*)→
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年03月26日 10:14
>「私」という幻想があるかぎり、罪悪感という幻想も存在するのです。

『罪悪感』=『私』だとしますと・・・・・

わざわざ、『子供』の『私』を育てているように見える『人類』・・・と言うか、
それが湧いている『全体』って・・・・・

いったい、なにやってんですか??

『ざい』
Posted by ただの「自分」 at 2019年03月26日 10:16
>「私」という幻想があるかぎり、罪悪感という幻想も存在するのです。

『私』=『罪悪感』だとしますと・・・・・

わざわざ、子供の『私』を育て続けている『人類』・・・と言うか、
それが湧いている『全体』って、

いったい、なにやってんですか??

『私』=『罪悪感』を育てずとも、子供が育つ方法に気付くためですか?
この記事を読んだ『育てる立場の大人』は、これから『子供』に対して、
どのように接していけばいいと思われますか?

人を育てた経験は無いですが、何故かこのように浮かんできたので、
この記事を読んだ『人の親』をされている方々の戸惑い等の気持ちが入ってきたものと思い、
投稿させて頂きます。
Posted by ただの「自分」 at 2019年03月26日 10:27
人に罪悪感を持たせたくなることって、言われてみると結構あります。

これがいけないと言われると、そう思った時に、自分に罪悪感がうまれるんだよなぁ、これが。

ただ湧いただけの思考とするのがいいんだろうな。

ま、誰もいないんだから、気楽にいきましょうか。
Posted by littlemy at 2019年03月26日 11:10
え~阿部さんどれだけのことを解ってるんだろうって、この記事ひとつで人生の問題が解決されるかもしれない。。

そんな気が私にはするだけなのですが、ちゃんと物事が解っているから今日のような記事が書けるんだと思うので、その解ってらっしゃる物事を私も解りたい。


罪悪感なんてシリウスなタイトルに始まって、罪悪感の存在を探りつつ読み、謎のシロクマ?に笑い、そしてまた考えさせられる内容。。


私たちの、胸の奥に巣くっているものの正体なんじゃないかと思います。。


なんか、読みなから旅をするような、旅をすることになるような、そんな気配を感じます(^_^)
Posted by ようこ at 2019年03月26日 11:27
阿部さん、いつもありがとうございます✨

ただの自分さん、ありがとうございます✨

まさに、毎日、こうしてこれらのことに触れながら、
我が子に対して、せっせと?信念を植え付けているのを感じ、戸惑いもあります。
Posted by サウナ at 2019年03月26日 11:46
先ほどのコメントで「シリアス」と表現したいところを、「シリウス」と書き込んでしまいました。

似てるけど、大きな違い(笑)

m(_ _)m
Posted by ようこ at 2019年03月26日 12:04
な~んだ、阿部さんもか~ホッ

私も在るO(≧∇≦)O

同じだね♪
Posted by ともこ at 2019年03月26日 12:21
今日のことばは特に響きまくりました。知らずにやってるな~
Posted by ハズキルーペ at 2019年03月26日 12:30
いつも気づきをもたらすメッセージをありがとうございます。

めったにコメントしないのですが、ずっと「罪悪感」は癒しても癒してもなくならないと感じていたので、今日のブログで納得し、お礼をお伝えしたくなりました。ただただ、泣けました。ありがとうございます‼️
Posted by 恵美子 at 2019年03月26日 12:30
模察と申します。

私(自分)の何らかの行いについて、内在する規範意識(正しいと認識されるルール)に反していると感じる所から罪悪感は生まれます。

つまり、
・私(自分)が、選択して(コントロールして)何らかの行動をしたという記憶(思い込み)
・私(自分)が、正しいと認識するルールが、絶対であるという記憶(思い込み)
この2つの記憶(思い込み)が、心の奥底に潜んでて、原因となって罪悪感が生じます。

罪悪感とは「苦しみ」ですが、苦しみから救うために罪悪感について阿部さんが触れられたのだと思います。

私(自分)が、選択して(コントロールして)行動したと思うことが悪いと言ってるのではなく、それが苦を生じる原因ですよ、ということです。
私(自分)が、正しいルールだと信じることが悪いと言っているのではなく、それが苦を生じる原因ですよ、ということです。

この2つの記憶は、心の奥底に潜んでいるので普段は気付くことができません。
ですから、自分では罪悪感の原因となる2つがまだ残っているのかどうかなんて決して分かりっこありません。
分からないくせに「私は罪悪感を捨て去った」と思うことは、自分で自分を騙していることになりますね。
そして、この2つの思い込みは「誤解(偏った思い込み)」ですから、生じる罪悪感も「誤解」となりますよね。

罪悪感を与えるとは、
・あなたが、選択して(コントロールして)何らかの行動をしたのだから、あなたに責任があるので責任を取れと迫る
・あなたは、(私が絶対的に)正しいと認識されるルールに反していると責める

こうして、お互いが罪悪感を与え合い、それぞれが罪悪感を感じながら人生を過ごしています。
これでは、人生とは苦であるとしか言いようがありませんよね。

自分で、自分の罪悪感の正体を見抜けば、罪悪感を与えることはしなくなります。
他人に責任を取れとか、間違っていることを認めろと要求するよりも先に、自分の心の奥底に潜んでいる罪悪感の原因を見つけ出して焼き尽くす努力を死ぬまで続けることが先決だと思います。

ただの「自分」さんへの答えになるかどうか分かりませんが、
(無意識に)罪悪感を植えつけられた親が、(無意識に)子供に罪悪感を植えつけている。
これが世代に渡って繰り返されています(輪廻)
この悪循環から脱するために、兎にも角にも自分が罪悪感の正体を見破る。
見破れば輪廻は断ち切れます(解脱)
見破った後の子供たちとの接し方がどうなるかは分かりませんが、少なくとも罪悪感という苦しみを子供たちに与えなくなる可能性は膨らむと思います。
Posted by 模察模察 at 2019年03月26日 14:02
このイラストのくまちゃん、
私かな?と思っちゃいました。
この丸みといい、親近感ありすぎます。ズーーン…笑

分離感覚は、起きるけど、嘘なんですよね、
起きるけど、嘘…、

罪悪感や劣等感…上下関係、プライド、優位か劣位か、
人間関係を彷彿とさせますね。
ちょっとこういう付き合いが嫌になっちゃったら、あんまり人付き合いがなくなってしまいました。笑 (それがいいわけでもないですね、ただ起きた。笑)

罪悪感、劣等感、それらは起きてるけど、
そこがリアルじゃないといいですよね。
気楽な気持ちで笑いあえたらいいな〜って思う。
プハハハハハヾ(o´ヮ`)ノ
Posted by 薄茶色 at 2019年03月26日 14:37
罪悪感…

罪悪感を持って生きている日本人なんて少ないんじゃないの?

と思いましたが

私は10億円持つ価値がない…私なんて…

そういう人ならいる感じがしました

私は豊かさを享受する価値がある!

愛☆愛☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2019年03月26日 15:34
いつもありがとうございます

よく精神世界の本に「すべてを肯定しましょう」なんて載ってますが

これ簡単に出来るもんじゃないですよね

もし本当に出来たら自分というものは消滅しちゃいますよね

だってこれ「自然物」になってしまうわけだから、そこらへんの石ころと同じですよ

転がされても叩かれても、文句も言わずされるがまま

まぁ石は自分のこと「石」だとは思っちゃいないでしょうけど(笑)

評価評論せず、すべてを受け入れることあなたには出来ますか?
Posted by さんとる at 2019年03月26日 17:15
しずさん、気にかけてくれてありがとう。札幌のトークライブはそれはそれは楽しい時間でした。
阿部さんのユーモアたっぷりの話しと黒斎さんの切れのよさと、洞察力。
質疑応答の時間もひとりひとりに丁寧に答えてくださってあっという間の3時間でした。
瞑想会も参加させていただきましたが、いつも家で瞑想するより深い瞑想に入れたと思います。
阿部さんのサインももらったよ~
あらためて阿部さん、黒斎さん楽しい時間をありがとうございました。
Posted by キイロイトリ at 2019年03月26日 17:20
凄い納得したし何か気が楽になった。
いつも(人ω・*)ありがとうございます。
Posted by Nobu at 2019年03月26日 18:03
阿部さん、先日は札幌に来てくれてありがとうございました。

瞑想を習った頃は、とても悲しい亡くなり方で父を突然失い、本当にしんどくて藁をもすがるつもりで、伝授を受けました。

変に真面目なので、朝夕毎日30分ずっと続け、それは瞑想に期待をする瞑想だった故に、以前、阿部さんが禅の事などで、瞑想にあまり触れていなかったときに、少しすこし噛みついたコメントをしたことがあります。すると、「匿名さん、瞑想は半年後に準備して再開したいと思っています」と、あまりコメントに返事をされない阿部さんがピンポイントで返答してくれました。

その後もずっとweb瞑想のお知らせを頂き、ありがたいなと思いつつも、逆に私のほうが子育てなどで参加できず。
でも、今毎朝している瞑想は、本当に何も期待せずに、自然と座っている感じです。

長々となりましたが、お伝えしたいことは、「いろいろありましたが、私は大丈夫です、阿部さんありがとう!」です。

では、またです~♪
Posted by 繊細ないしだ at 2019年03月26日 19:45
阿部さんへ

奥様の智子様の悟りの体験などお聞かせいただければ幸いです。
Posted by 神様大好き at 2019年03月26日 19:53
良く解ります。
阿部さんの言われてるのは無意識下の罪悪感だと思います。
もしも意識上の罪悪感を捨て去っては大変な事に成り兼ねないのだと思います。

中国では今、ウイグル人を罪人に仕立て上げて彼らの臓器売買を行ってるそうです。
罪悪感など微塵も無いのでしょう。

彼の国は別として、そもそも人間に道徳心や他人に対する情けが有るなら罪悪感は付き物と思うのですが、けど犯した過ちが余りに醜ければ、罪悪感に苛まれてしまう恐れが有るかも知れません。
そんな時には、前日に阿部さんが語られてた「いまそのような思考が湧いている」、これを自らに語り掛けながら事に当たって行こうと思ってます。

しかし問題なのは、やはり無意識下の罪悪感なんだと思います。
無意識である以上は、自力(意識)ではどうにも成らないのだと思われます。
そこで思ったのですが、自分(エゴ)をとことんハグってみてはどうかなと。
幼い我が子を可愛がったようにトコトン自分に喜ぶというか (これはたぶん人は本能的に持ってるんだと思います、つまり自分だけは助かりたいという自己保存本能と良く似た性質のものかも)、そうすれば無意識的にも自分が大事だと感じる分けでしょう。

我々は人と比較して自分の現状や能力などに無意識的な劣等感も抱いている分けで、ほんとうはそんな無能力な自分を嫌いなのだと思います。
だからゆえ、そんな自分の幸せなどどうでもいいんだと思ってしまうのでしょうか。

けどもし自分に対し喜びを覚えて大切に思うなら、我が子が他人より劣っていても可愛いく大切な存在と感じるに似て、低能力だからといって、他人への嫉妬(劣等感)などは生じないと思うのですが如何なもんでしょう ??
Posted by 緑のタヌキ(三 ̄(ェ) ̄三) at 2019年03月26日 22:03
私は眼が覚めると常に不安感や自責の念でいっぱいになっています。
少なからずうなされて眼が覚める時もあります。夢の中までストーリーがしっかりと入り込んでいるのですね。
Posted by ガンサバイバー at 2019年03月26日 22:32
罪悪感や劣等感、今の社会構造のなかでこれを手放して生きるということは批判や分析することを避けて生きることということにもなるのかなぁ…と思ってしまいました。難しい…(*_*;
Posted by chandrika at 2019年03月26日 22:43
クリーック!!してから読んでます。
阿部さん、昔、『罪悪感やコンプレックスを刺激する情報からはすぐ離れろ』って、直球ど真ん中ストライクな文で書いてたときありましたよね。
私はそれ読んで「お金とって買う情報って、実はほとんどそれなんじゃないか?」って思ったの思い出しました。
「あなたは(まだ)足りない」
「あなたは(まだ)良くない」
わざわざそう教えてもらうことの好きな人が、いかに多いかということかな。
Posted by 南部鉄瓶 at 2019年03月26日 23:01
先のコメント、変な二重投稿になったようですみません・・・・・

サウナさん、ご苦労お察し致します。
と言っても、自分は『子供の立場』でしか・・・・・しかも、親と何一つ理解し合えた気がしない、
そんな立場からしか書けませんが・・・・・

結局、自分に湧いてくるものを解放し続けるしか無いのかな、て思いますし、
自身がそうできていれば、その分相手にも楽に接するようにできるだろうとは思いますが、
仮にそうできてなくても、子供は子供で勝手に育ちますから、大丈夫ですよ(笑)
親と何一つ理解し合えた気がしない自分だって、今こうしてのほほんと生きていられてますから。
気がついたら解放するだけで良くて、後は自己卑下せず、相手に必要以上に求めず、
気楽にやっとく、みたいな態度が一番なんだろうと思いますね。

模札さん
まー自分もこんな感じで思う訳ですが、自分が気になっているのは、
『私』=『罪悪感』=『幻想』を、阿部さんがどのように思われてるのか?なんですね。

やっぱり『この世の仕組み』として、とりあえず一度はそれにハマるのはしょーがない、て感じなのか?
そういうものが『最初から無い』世界になっていく、と思われているのか?
そんなの関係無く、ただ『現状』こうだから、こうする方が良くない?て感じで
書かれているだけなのか?

・・・・・なんとなく、最後のな気がしました(笑)常に『いまここ』って意味で。
Posted by ただの「自分」 at 2019年03月26日 23:29
自分を守るために人を捨てた、職を捨てた、親の代からの信仰を捨てた。

罪悪感を持たなくてよいですか?

自分を守るために選択したことをなにも恥じずに
よくやったね と 自分を褒めてやってもいいですか?

ずるい、弱い、根性がない、裏切りだ、嘘つきだ、
そんな心の中からの声に対して、

いい子だ いい子だ よく生きてきた と 肯定してやっていいですか?
Posted by はなみずき at 2019年03月27日 04:17
♪今まで聞いた知った事デタラメだったら面白い、、、


実感出来たら、。、パラダイス、、


なんだろうな〜〜^_^
Posted by 引っかき猫 at 2019年03月27日 04:38
キイロイトリさんありがとうございます!
札幌講演会情報をこちらで読むことができ超ウレシイです!
札幌講演会と阿部さんの今年初のソロトークと瞑想会はどんな雰囲気だったのかなあって、とても興味がありました。
阿部さんのお話しがユーモアたっぷりだったとのこと。
わたしもその場を体感したかったあ!
いつの日かお金持ちになれたら、阿部さんの講演会やイベント、瞑想リトリートの全追っかけ参加が夢なのでキイロイトリさんから情報提供頂けて幸せになれました。
また、何かありましたら阿部さん講演会の情報提供ヨロシクお願いいたしまあす(^^)/
お忙しいなか、要望にお応え頂きごめんなさい。
感謝です!ありがとうございました<m(__)m>
阿部さん、無理な要望のコメントを載せて頂きすみません。ありがとうございました。感謝<m(__)m>
Posted by しず at 2019年03月27日 07:31
もうひとつ追加ですみません。
阿部さんの全追っかけを許してくれて、
阿部さんの話題で盛り上がれるお金持ちのパートナーを見つけるのも夢のひとつです。
罪悪感はたっぷりあります。
そこが出てくるとすぐ、蓋をしてます。
今度からは優しく真理を教えてあげたいと思いました。
Posted by しず at 2019年03月27日 07:52
はなみずきさんへ

>自分を守るために選択したことをなにも恥じずに
よくやったね と 

褒めるというか、

『恥じていたんだね。』その思い(感情)が在る事わかったよ~
その思い(感情)にたいして寄り添う言葉をかけてあげます。
ずーっと無視してたなら、無視しててごめんね。その思いがあることちゃ~んと分かったよ


>ずるい、弱い、根性がない、裏切りだ、嘘つきだ、
そんな心の中からの声に対して、


肯定するというか、

ずるい、弱い、根性がない、裏切りだ、嘘つきだ。その思いが在る事がわかったよ~
ずっーと、そんな事を思っていたんだね~
とその思いたちに寄り添ってあげる感じです(^^)

その思いたちに、寄り添ってあげる。そして自分がかけてあげたい、かけられたい言葉をかけてあげるのが効果的かもしれません(^^)

寄り添ってあげてるうちに、自分の中から声が出てくるかもしれません(^^)


「ごめんなさい」だったり。。


私はそうやって寄り添っています(^^)
Posted by ともこ at 2019年03月27日 09:01
ただの「自分」さん

模察と申します。

>『私』=『罪悪感』=『幻想』を、阿部さんがどのように思われてるのか?なんですね。

阿部さんがどう思われらっしゃるかは分からないのですが....
でも、おそらく答えは、阿部さんは『私』=『罪悪感』=『幻想』=『分離』とおっしゃってることと、
ただの「自分」さんがよくコメントされているご自分が子供の頃に感じた「なぜ?」にあるような気がします。

人は、産まれる前は【非分離(非二元)】ですが、産まれた瞬間から【分離(二元)】です。
【非分離(非二元)】は、何も分かりません。
自分が産まれて【分離(二元)】すること自体が大きな謎です。

でも答えは意外と単純で、【非分離(非二元)】の本質を知るには、一旦分離してみないと本質は分からないからではないでしょうか。
例えば、私達は、地球が「球体で自転している」という本質を知っています。
ですが、それはあくまで教育による知識としてであって、実体験によって知ったものではありません。
地球の本質を本当の意味で経験的に知ったのは、地球から離れた経験のある宇宙飛行士達だけです。
宇宙飛行士達の経験的知識のお蔭で、私達は教育で習う地球の本質を真実だと認めることができます。

【非分離(非二元)】の知識も大切ですが、実践して経験的に確認することも同じく大切です。


さて、子供は「なぜ?」を連発するのでしょう。
【非分離(非二元)】の本質は静寂、安心、平和ですが、それを子供は言葉で概念的に知らなくても皆この本質を知っています。
しかし、【分離(二元)】が分からないから、分かろうとして「なぜ?」と発します。

「なぜルールを守らなければならないの?」は、「ルールを守れないと罪悪感(苦)を感じて本質が消えるでしょ?」という疑問です。
「なぜ良い成績を取らなければならないの?」は、「良い成績を取れないと劣等感(苦)を感じて本質が消えるでしょ?」という疑問です。
言葉では上手く説明できなくとも、【非分離(非二元)】の本質を知っているから、【分離(二元)】が謎です。


大人になるというのは、【非分離(非二元)】の本質を忘れつつ、【分離(二元)】の二元的世界観で分かることを増やすことではないでしょうか。
分かっていることが多く、他の何かと違いを生み出すことにこそ価値がある という二元的観念を信奉する。
やがて、子供の頃に抱いた【分離(二元)】の謎の答えを知ろうとすることすら忘れてしまいます。

地球の本質を経験的知るためには、宇宙飛行士は地球を離れるしかなかった。
【非分離(非二元)】の本質を知るために、個の私として分離するしかなかった。


>ただ『現状』こうだから、こうする方が良くない?て感じで書かれているだけなのか?

二元的観念を信奉して苦しんでいるのが『現状』であるならば、
全ての人が【非分離(非二元)】の本質を知っているから、思い出せば良くない?
という感じかもしれませんね。

またもや長文の書き込みを多謝
Posted by 模察模察 at 2019年03月27日 10:52
模察さん

書かれていること、自分も、そうだろうと思います。
ですが、やっぱ、そんな感じなんですかねぇ~?という疑問も、正直あります。

>でも答えは意外と単純で、【非分離(非二元)】の本質を知るには、一旦分離してみないと本質は分からないからではないでしょうか。

このへんとか、実際『宇宙』に行かなくても、『地球が「球体で自転している」という本質』を
学べるように学べるんじゃないか?て思うんです。

というのは・・・なんとなくの直感ですが・・・・・これから、もはや『二元』とか『境界』、『区別』を
ハッキリさせることに無理が起きてくる時代になっていく気がしているんです。
ぱっと思い付くだけでも、国際間・人種間のダイバーシティ、LGBTに対する配慮とか、
『普通に』会社で研修する時代ですし、インターネットなんて
『表現』が既に時空間を超えてますしね。
『非二元』のメッセージも、こうしてネット経由で時空間関係無く伝わる時代ですし、
段々と、そっちの方が『当たり前』になってくのかも・・・て気がしているんです。

阿部さんの記事も、そんな風になっていくことを見越して書かれているのかなぁ、
と思ったので、先の質問になりました。
Posted by ただの「自分」 at 2019年03月27日 14:13
はなみずきさん、もし何でしたらトシローが代わってお相手しても宜しいでしょうか?
差し出がましくも、足りないオツムで考えてみた次第です。

恥ても褒めても別にいいんじゃないでしょうか。
勝手ながら阿部さんの言葉をお借りするなら、「そのように恥じたり褒めたりしてるのは一体誰なのか?」と言われるやも知れません・・・あくまでも僕の主観です (^^;
つまり、恥じていても構わないのだと思います。
そのように現状に“干渉”しないのが“観照”でしょうか (*^ε^;)d

ところで自愛についてですが、実はハグしている方よりも、ハグされている方の感覚が重要なのではないかなと。
子供(言わばインナーチャイルド・エゴ)がハグされている時の気持ちと同じく、自分が幼い子供の頃に親に抱かれていた時の、あの時のような安心感に浸っている感じではないかなと。
それはまた、羊水のなかで全体と繋がってた感じなんでしょうかね、良く知りませんけど^^;

だから自分が何を考えていようとも、そのような安心感とか充足感に包まれながら生きて行くことが肝要なのであり、そうすればエゴも寛いで昇華して行く(無意識下の緊張がほぐれる)のかも知れません。
なので、「いい子だ いい子だ よく生きてきた と 肯定してやる」のは、その為の方便に過ぎないのではないかなと、このようなアイディアが湧いて来た次第なんです。

単なる自説なれば、返答はよろしいのであしからず。
Posted by トシロー at 2019年03月27日 21:22
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