2017年10月17日

人生を超えて人生を生きる

自己を超えた次元に誘われたとき、人はそこで様々なことを感じます。

いままでの人生が夢のように消え失せ、代わりにいつも「いまここ」にあったにもかかわらず、すっかり忘れ去っていたリアリティーに目覚めます。

それを禅では見性といいます。


たとえば、先日頂いたカンナさんのコメント


悟りの瞬間、それら人生ストーリーが、自作自演だとわかって、大ゴケしました^_^

それがわかると、こんなすごいシナリオを書いていたのかと驚愕するし、共演者全てに感謝だし、ワクワクしたり、色んな心情を感じる個の自分が可愛くて愛しくてたまらないですね。


これは明らかに、自己を超えた境地からの声明です。

自作自演のストーリーを一生懸命に演じていた自分への可笑しさと憐みが湧いてきて、ずっと抱えてきた肩の荷を下ろすのです。


この経験を自らの手で作りだすことはできません。

忘れたころに突然起きるという人がほとんどです。

これはあなたからの作用ではなく、大いなるあなたからの作用なのですから。


このようなことを、ブログでは長年にわたってお伝えしてきました。

と同時に、より深く伝わるようにと「禅サンガ」を提供してきました。


禅サンガは20年前に向禅師と発足させた「禅スクール」のネット版です。

スタート時には、多くの試練と禊を経験しましたが、半年ごとに新規募集をして、今回で5期目になります。

いまは、このサンガを愛するスタッフのみで運営し、できるだけ参加しやすい条件で提供していますので、それぞれの人生の指針として役立ててもらえたらと思います。


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真実は極めてシンプルです。

シンプルすぎて見逃していると言ってもいいでしょう。

しかしこの真実だけが、人を根底から救うことが出来ます。

それが夢の終焉です。


人生で得たいものや、達成したいものが沢山あるかと思いますが、じつはあなたが最も望んでいるのは真実との出会いであり、苦しみや悩みからの解放なのです。







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【お知らせ】

※禅サンガを知っていただくために、10月20日からオープンキャンパスを公開する予定です。

新規入会お申し込みは10月23日から27日まで、オープンキャンパスの中で受付します。


ちなみに禅サンガが発足した2015年一月にも、天河神社でご報告の神事をさせてもらいましたが、あの時は玉串の奉納をする時だけ、しかも本殿の前だけに雪が降り注ぎ、とても不思議で美しい体験だったことを思い出しました。


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Posted by Toshiro Abe at 16:16│Comments(17)
この記事へのコメント

>真実は極めてシンプルです。
シンプルすぎて見逃していると言ってもいいでしょう

さぁ、お茶でも一杯

どうぞ〜

祝福☆祝福☆

おめでとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年10月17日 17:18

いまここという中心に安らぎ続けること

ハートに安らぎ続けること


これほど心が整い、安定し

自分も他人も安らがせることはありません。

これほどすべてを整えるものはありません。


ハートに安らぎ続けることは

最高の心の健康法であり

最高の体の健康法であり

最高の開運法です。


ハートに安らぎ続け

自分の心を平安にし続けることが

世界を平安にしていきます。
Posted by 大空 at 2017年10月17日 17:20

今日の記事に載せてある画像、いいですね♪
こんなところで、一日中ボーっと座っていられたら最高だなぁ
あんまり素敵なんで、デスクトップの背景にしてしまいました 笑
Posted by かみゆ at 2017年10月17日 17:32

自作自演だとわかって、大ゴケした「わたし」はない。
ただ、「それ」のあらわれ。
Posted by あき at 2017年10月17日 17:37

いつもありがとうございます。
記事はいつも楽しく興味深く読まさせていただいてます。
でも、やっぱりわかりません。なんとなくそうなんだろうなぁ、わかっちゃった人ははいいなぁと思って読んでます。
期待しないと思ってもどこかで期待してしまつているんでしょうねぇ。
瞑想毎日してます。終わった後はあくびの連続で気持ちいいです。これがあるから続いてます。
これからも、よろしくお願いし!ます。
Posted by miyaken at 2017年10月17日 17:45

様々な共演者がいるから色々な気持ちを感じられるんだと思うと、色んなことに感謝の念が湧いてきます

個人的には、安心感がほしくて、色んなものを欲していました。甘いものとか(笑) これらは私のストーリーでありますが?? 

安心感がほしくて甘いものを食べていた(と思われる)とか、そのまんまやん!とズッコケてやりたいものですが、やはり甘いもので安心していたように思います。甘いものがなくても安心してよかったのですね。 
Posted by 薄茶色 at 2017年10月17日 18:30

あべさん人間力素晴らしいです。
自分もその様になれたらと思います。
Posted by Mitaro at 2017年10月17日 20:09

いつもありがとうございます。
今日も素敵な一日になりますように。
Posted by ほったん at 2017年10月17日 21:21


最近、別のお世話になっているところと、
−−−−−
表現しにくいですが、『意識』って、
「名前・年齢・性別・仕事・趣味・性格・思考・感情・感覚」等、
『表現できるもの』ではないですよね?
たぶん、『表現されたもの』を知ってから、やっと
「あぁ、自分の意識がこれと引き寄せ合っているんだなぁ」と知ることができる、
それが『意識』なのかなぁ、と思いました。
−−−−−
とやりとりしたのですが、
上記を書いて思ったのですが、そう言えば、『意識』=『マインド』も『見えない』ですよね?
これ、『誤解』しやすそうだなぁ、と思いました。
『見える』のは『表現されるもの』だけで、『表現されるもの』を『見て』からやっと、
「『自分』がなにを思っているか、感じているか?」がわかるのですが、うっかりその
『表現されるもの』を『自分自身』と思い込んでしまう『罠』がありますよね。
たぶん、その『罠』に気付くのは、『マインド』でも誰でもできるだろうと思ってます。
思考とか感情とかが『自作自演』と気付いて好きに『演じる』くらいは、きっと誰でもできます。
うっかり『役』と『同化』しちゃってた『役者』が「あ、オレは『役者』だった」と気付いて、好きに『演じる』みたいな。
自分はたぶんそんな状態で、それだけでもけっこー楽になってきてますが、

阿部さんが

>自作自演のストーリーを一生懸命に演じていた自分への可笑しさと憐みが湧いてきて、ずっと抱えてきた肩の荷を下ろすのです。
>この経験を自らの手で作りだすことはできません。

と書かれているのは、そういうことではないですよね?

例えると、「なんだ、『役者』ですらなかったわ、何必死に『演じてた』んだろ?」

て感じですよね?

このへん、けっこーわかりにくいと思うので、これからも度々補足をお願いします。
Posted by ただの「自分」 at 2017年10月17日 22:12

安部さんお疲れ様です。いつもありがとうございます。肉体 体は 細胞 血液 心臓 無意識に働いてくれる。肉体宇宙 悟ってるのかな。ただ 頭の中のは まだ求めてるのがある。求めては 苦労 考える あきらめも求めてるのかな。難しい、駄目だ。
Posted by シシリー☆ at 2017年10月17日 22:17

先のコメントを書いた後、疑問が起こってきて、例えば

『役』と『同化』していた『役者』が、
「あ、オレ『役者』だったわ」
と気付いて、好きに『役を演じる』事を目指すのが第一段階。

『好きに役を演じる』ためには、『同化』してしまっている『役』に
気付いては『脱ぐ』必要があるから、その作業が第二段階。
「あ、『刑事』の役やる前に、まずこの『木』を脱がないと」
みたいな(笑)

全ての『役』を『脱いだ』のが、いわゆる『一瞥』の第三段階。
「あ・・・オレ、『役者』ですらなかったわ・・・何必死に『演じてた』んだろ?」

という段階を仮定して、本当に好きに『役』を『演じる』選択をできるのは、
上記の第三段階、つまり『一瞥』の後でしょうか?
それとも、第二段階を続けていれば、そうなりますか?
このへんがあやふやなのに気付きました。

例えば、堀澤祖門さんは、阿部さんから見ても悟っているらしいのに、
「まだ一瞥が無い」のように仰ってるらしいですが、
上記の第二段階を続けていて、一瞥無しに『成った』方なのかもなぁ、と思ってます。
Posted by ただの「自分」 at 2017年10月17日 22:44

「人生を超えて人生を生きる」

このタイトル、何やら難しそうですね〜(笑)

人生を超えた生き方って、あるんでしょうか?
う〜ん、よくわかりません(笑)
(お釈迦様だって、イエス様だって、彼らのストーリーを生きただけ?とも言える訳で・・?)

と思いきや、動画の中で阿部さんの仰っていること、
こちらは、よ〜くわかりますよ(笑)

ヴェーダでは、阿部さんの仰っているその一瞬の状態を
「サット・チット・アーナンダ」(実在、智慧、至福)と言ったりしますが、
要するに、「それ」とか「永遠の実在」(神)と同義だと思います。

その一瞬の垣間見は、再生されることもあるようで、
その後も、至福状態になることは可能です。
(一度だけだなんてことはありません。)

瞑想状態になると、蘇ってきます。
(つまり、条件が揃えば、何度でもリピートできるということです)

これは、言葉で伝えることは不可能ですね。

この不可能を不可能と知りつつ、
いろいろな方便を使って(駆使して?笑)
何とか伝えようとしている阿部さんって、
本当にスゴイな、と感じています。
(私にはできないし、やる気も起きません、笑)

ある時は、天河神社のイベントのPR
ある時は、膳サンガのPRと
超多忙な阿部さん。

そのような、宗派を超えたスピリチュアルこそが、
本当のスピリチュアルなのかもしれませんね。

これからも、ますますお元気で活動されて下さいね。
Posted by 真理世 at 2017年10月17日 23:56

今日もありがとうございます。良い一日を。
Posted by 林ゆみ子 at 2017年10月18日 06:44

>本殿の前だけに雪が降り注ぎ、とても不思議で美しい体験だったことを思い出しました。


なんかいいですね。
言葉の入らない世界の天河からの挨拶のようで。
Posted by ゆき at 2017年10月18日 06:57

>じつはあなたが最も望んでいるのは真実との出会いであり、苦しみや悩みからの解放なのです。


それが、純粋意識からの究極の贈り物ですね。
感謝!
Posted by 卓人 at 2017年10月18日 07:20

強烈な見性は訪れませんでしたが、それが起こった数日間はうかれ気分で幸福でした。
幸福気分が薄れていく感覚はこわかった。
でも、阿部さんのブログが支えになり今があります。
ありがとうございました。
Posted by tasaki at 2017年10月18日 07:42

すみません。
見性と目覚めと混同してますが、違ったものですか?
間違っていたら、ごめんなさい。
何も起きてないという、完璧な見性の状態は体験した事はないです。
まだまだ、こらから先そんなことが起こる可能性があるかもしれないと思うと、これからも生きるのがたのしみです。
楽しみは1番最後にとっておきます。
その前に死ぬかもしれませんが。ワラ 
Posted by 見性? at 2017年10月18日 08:03
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