2017年10月07日

天河に呼ばれている

僕の周囲で何かが起き始めています。


みなさん、国常立尊(くにのとこたちのみこと)って知っていますか。

日本書紀に、日本が誕生した時の最初の神と記されている神様です。

名前の由来は、「日本国が永久に立ち続ける」というところから来ているそうです。


近年、天河神社が洪水に見舞われたとき、天河の禊殿(みそぎでん)から古文書が発見されました。

その古文書によって、禊殿のすぐ裏にある高倉山に国常立尊が祀られたまま忘れ去られていることが分かり、その復活のために最近になって宮司が禊殿に参ることがめっきり増えたと聞きました。


ちなみに天河は日本誕生に関わる神社で、伊勢神宮よりさらに歴史は古く、神武天皇が天河の磐座に額づいて祈りを捧げたとき

「ひのもと」

という言霊を得て、それが日本という国名になったと伝えられています。


僕は国常立尊の話を聞く前から、禊殿が気になってしかたありませんでした。

もともと霊能者タイプではありませんが、何の因果か天河と縁を持ち、特に禊殿は、天河に奉公しているころ、一人で掃除したり床を磨いていたりしたので、人一倍思いが強いのかもしれません。


まさにいま、この国際情勢の中で、天河から国常立尊にお出まし願う時だという気がして、宮司だけではなく多くの人の「気」を向けることが大切だと思っていました。


そんな折、今年の11月19日に、天河で特別神事が執り行なわれることになりました。

これも神縁なのでしょうか、僕が禊殿で大祓詞(祝詞)の歌を捧げます。

宮司はこの特別神事にエネルギーを傾けるとおっしゃっているそうです。


天河は呼ばれた人しか行けないと言われていますが、呼ばれるというのは、その情報に出会い、自らも行きたいという意志を持つということです。

その情報に触れる縁と、彼方から湧いてくる意志の両方が「呼ばれる」ということです。

その情報は夢として現れることもあれば、誰かから話を聞くということもあります。


ところが天河には古くから言い伝えがあって、行きたいと思っても呼ばれていない人は何かの事情で行けなくなるとのことです。

したがって、実際にその地に足を踏みいれた時点で呼ばれたということになります。

別に呼ばれなくてもどうってことないけど(笑)


禊殿に集まれる人数は最大300名なので、来週になったら有志を募集します。

とりあえずは、ご報告まで。


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正直言って、僕は神という存在が何なのかは分かりません。

ただ一つ言えるのは、少なくとも僕の人生は天河の流れの中で起きてきたということ。

天河に行ったタイミングと、そこで出会った人の縁によって、いまの人生があることは疑いようのないことです。


この世界の大元はたった一つであり、それは他でもないあなた自身なのですが、その根源エネルギーが様々な次元の作用としてこの世に現れ、森羅万象と共に、一人一人の人生が作られているのかもしれません。

僕たちは大きな仕組みの中で、それぞれがそれぞれの役目を担い、何一つ偶然も無駄もなく、今日もこうして命が営まれているのだと思います。



さて、いまから大阪に向かいます。

盟友の雲黒斎くんとのトークライブがあるからです。

今回のツアーでは、黒斎くんが雲さんとコンタクトを取る時なにが起きているのか、そしてひた隠しにしてきた雲さんという存在について披露してくれるそうです。

これは最近始めた二人の往復書簡によるブログの流れでそうなったことです。


何ごとも起きる時に起きることが起きる。


今日の大阪、明日の名古屋、まだお入りになれるので、このタイミングで急に来たくなった人はいらしてください。


それって、呼ばれた?(笑)

詳細はコチラから


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Posted by Toshiro Abe at 10:47│Comments(41)
この記事へのコメント

阿部さんこんにちは(^^)
興味深いお話をありがとうございます。

ブログを読んでいる途中で、

まったくの素人感覚で(国常立尊)の事をネットで調べてみましたら、これ又素人感覚で興味深い記事が載ってました。

再びブログを読み続け…、

阿部さんのお話とは又別の視点からの解説で、益々興味深々になったのです。

歴史が嫌いではなく、食わず嫌いな人生を送ってきた私ですが、国常立尊様 不思議と氣になるのです 

サイト貼りますが、阿部さん視点で捉えるものがあるならば、又ブログにて国常立尊様のお話をお待ちしております(*^^*)

不躾な投稿でしたらお許し下さいませ 

いつもありがとうございます ?♀?

http://rapt-neo.com/?p=28631







Posted by charlotto* at 2017年10月07日 11:41

いつもありがとうございます。
どうやら呼ばれていないようです(笑)
今日も善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2017年10月07日 11:45


今になって

>近年、天河神社が洪水に見舞われたとき、天河の禊殿(みそぎでん)から古文書が発見されました。
>その古文書によって、禊殿のすぐ裏にある高倉山に国常立尊が祀られたまま忘れ去られていることが分かり、その復活のために最近になって宮司が禊殿に参ることがめっきり増えたと聞きました。

が起きたということは、

今、国常立尊から『呼ばれている』ということでしょうか?

自分は呼ばれていなさそうですが、何が起こるのか、楽しみにさせて頂きます。
Posted by ただの「自分」 at 2017年10月07日 12:44

10月に入ってから、急に「氣」が変わったのを感じました。


天から地上に垂直に降りてくる光の力が強くなり

地に足がつく感覚が強くなって

天地との一体感が強くなっています。


日本では神々を一柱(ひとはしら)、二柱(ふたはしら)と数えます。

神々は天地をつなぐ光の柱です。

わたしたちは肉体を持ちながら天地をつなぐ光の柱です。


天地から光を受け取りながら光り輝き

天地に光を与える光の柱です。
Posted by 大空 at 2017年10月07日 14:42

あべさん

いつもありがとうございます

本文の文字を黒色にしていただくと 読みやすくなって助かります

今は色が薄いので。
Posted by あん at 2017年10月07日 14:50


ご無沙汰しております。

今日の大阪トークライブ、
呼ばれたようなので(笑)、急きょ向かっています。
20年ぶりに阿部さんにお会いできるのを楽しみにしております。
Posted by はらゆかり at 2017年10月07日 15:01

阿部さん今日も有り難いお話感謝しています。

私は数年前に友達と天河神社のある洞川温泉に旅行へ行きました。
そのことがあり、阿部さんの天河神社のお話に大変興味があり、勝手に深いご縁を感じております。

私は女性ですが、天河神社は今も女人禁制でしょうか?
私も参加したいのですが、無理でしたら今、鬱病で生きる意味を見出せないでいる主人に参加を薦めてみたいのですが‥。
これも、天河神社に呼ばれているかどうか、ですね。

どうかご縁がありますように‥。
Posted by ゆり at 2017年10月07日 15:31

阿部さん、天河で祝詞を捧げられることになったんですね。
すごーい♪
日本という名が付けられたこの地に、この地が誕生した頃の要所で
尽力された方々というか、その筋にご縁の深い方々が今またお役目なのか
自ずと呼び集められているのかなぁ...
なんだかとっても楽しみです?^^♪
Posted by プリン at 2017年10月07日 15:33

阿部さん、いつも楽しみに拝読しております。

私のストーリーも随神。。と共にあります。
是非天河に呼ばれたい。。そんな想いが現れて来ました。
来週のご案内楽しみにしております。
Posted by 白山子 at 2017年10月07日 15:42

> 天河は呼ばれた人しか行けないと言われていますが、

意志があっても縁(狭い意味の縁)がなければ出会えない。
(なんで意志だけがあるなんてことがあるのでしょうね)
それは天河に限らずある。天河を特別扱いする理由は、
その情報とやらがスペシャルなんでしょう。

> その情報に触れる縁と、彼方から湧いてくる意志の両方が「呼ばれる」ということです。

出会えても意思がないということはあるでしょうが、
縁があっても意思がないということはあるのかな?
(もしかしたら、ここでの「縁」は、出会いの縁という狭い意味なのかな)
わたしは、意志も天河以外のことも万事が縁だと思っている。(広い意味での縁)
必要なら起こるでしょう。そもそも物事、必要という判断もいらないのかも。
でも今のところ彼方から湧いてくる意思が湧いてこないので必要ないんでしょう。
「天河が呼ぶ」かぁ
わたしからすると不遜なものいいだなあと思う。
神様に対してなんてことを、つったって、
神様がそんな狭量だとは思わないし、私も神様だからね。
そんな私だから呼ばれないのかもしれないけど、
天河に呼ばれなかった、選ばれなかった、と考えるよりは、
必要なかった、と捉える方が不幸にならずに済むからねぇ
負け惜しみかねぇ
縁は円。全ては円くおさまる。お粗末。。
Posted by rakuni... at 2017年10月07日 16:33

天河のこと、大祓詞のこと。読んで、

とうとうこの時が来たと大粒の涙が出てきました。

「わたし」には意味不明な涙です。

天河が呼んでくださるのなら、同じ時を過ごしたいたいです。
Posted by n at 2017年10月07日 19:20

神とは、森羅万象を創り出す、莫大な創造エネルギーのことですが、
くにのとこたちのみこと、のような擬人化、擬神化?されている神様は、それとは違いますよね。

古事記は本来、宇宙を紐解く科学書なのに、
神を擬人化したりして、本当のことがわからないように編纂されている。

何でや?!
今段階の私にも、全然わからない。

ただ3次元の人生ストーリーを楽しみ、面白くする要素としては、絶大。

今日のブログ内容に、多くの方が心揺さぶられると思う。それを楽しめばいいと思う。

天河も、本質からすれば、あまのがわ、という音が相応しいけれど、てんかわにして、
何かを隠す意図が見える。

感じるのは、ゼロポイント、だけれど^_^


Posted by オリ姫 at 2017年10月07日 20:05

日本が平和でありますように

光☆光☆

おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年10月07日 20:58

河原に呼ばれている( ̄▽ ̄)?みそおでん 

300食限定だYO (*?-?* \(ロ皿口 )具ッ
Posted by シエル   at 2017年10月07日 20:59

今日もありがとうございます。良い宵を。
Posted by 林ゆみ子 at 2017年10月07日 21:14

最初、「天河」を「天国」と読み間違えてしまい、
エ?!!となりました(笑)

天河神社(の宮司さん)に、呼ばれたんですね。。(^^;

以前に聴いた阿部さんの祝詞、気が入っていて、素晴らしかったです♪ 

晴れの大舞台?楽しんで下さいね(^o^)
Posted by 真理世 at 2017年10月07日 22:21

彼方から目覚めがやってくるといわれますが、私が神ならば、こっちから仕込んだっていいじゃないか そうだそうだ
ヤッホーHi-C オレンジアップルトマトー サザエさん

天河神社で昔ながぶっちゃん祈りうたってたよなあ 
この島国から男がいなくなっちまった ピーピーピー

脳回路ー感覚器官で仮想自己ができて輪廻イマジンをガッチリ鎖でホールドしちまい凝縮イマジンになっていると仮定

思考で降伏、お手上げしても、ガッチリ鎖でホールドは解けない、びくともしない、
頑固な汚れにザブ または、ママレモン
そこで波動を利用してみる
ありがとう、すけこましッ!など言葉にも波動があることから、
「私はお手上げです」の言葉の波動を100%抽出して、脳回路に流し込んでロックする
お手上げの波動により、仮想自己が消え、ホールドが緩み、輪廻イマジンはたちまち雲散霧消
タマネギの皮を上から剥いていくというより、タマネギのシンに地雷を仕込んでみようというわけです。
今日一日お手上げをロックして、実験してみました、輪廻イマジンたちまち雲散霧消で生活しながら楽でした。
降参、お手上げのお話本買わないで申し訳ないですが聞いてみたいなあ。





Posted by かまぼこ少年 at 2017年10月07日 22:37


11月19日に天河で特別神事かぁ〜

はじめて神在月に出雲へ行きま〜す
神在祭が今年は11月28日かららしいので

その前の神事ですね〜
阿部さん、それは楽しみですねo(^-^)o

よく阿部さんやボブさんが天河のお話をブログなどでされていてお話は楽しいけれど、行きたい!とまでは全く思わずで‥

でも数年前に突然、

天河神社の五十鈴がなぜかすごく気になって行きましたよ〜♪

その前にも突然、伊勢神宮の五十鈴川も気になって行き‥不思議だったなぁ〜☆

今思えば阿部さんのブログ(五十鈴) を見て、引きこもり(岩戸)から抜け出せました!

阿部さん、ありがとう???


大空さん、確かに最近ぐっと軽くなった気が!

同じ景色でも前より写真に白い光がすごいかも!!
面白いですね〜


Posted by えんじぇる at 2017年10月07日 23:43

日本書紀&古事記って、本当に信じていらっしゃるのですか?
これこそよくわからない…。
わからないと言うのは、あまりにも話が俗というか、誰かの書いた小説というか、
ギリシャ伝説と変わらないように思うんですが。

古代の人は嘘ばっかり書いて、真実を書いていないから。
古代エジプトもそうでしたが、王=神で、話を盛る、盛る、てんこ盛り!

本当に日本書紀はわからない。
Posted by 遊 at 2017年10月08日 01:08

はじめまして、お便りさせていただきます。

天川村は、田舎で幼少時代すごさせて

戴いていた者です。暫く訪ねることがなかった

のですが、最近天川村の事を人伝えで、良く聴

くようになり、禊殿にも是非参加させて戴きた

いと思いました。不躾ですが、よろしくお願い

致します。
Posted by Tsutomu Yoji at 2017年10月08日 01:41

お休みなのに、
朝早くに目が覚めて、
頭の中で、天河。。天河。。
と、2回聞こえた。

阿部さんのブログをみたら、
そのお話でした
行った事がないので、一度は行ってみたいな
Posted by Pink at 2017年10月08日 01:43

> そんな折、今年の11月19日に、天河で特別神事が執り行なわれることになりました

もしや、この神事のこともあって、しんちゃんとなっちゃんの物語が書かれている??
Posted by rakuni... at 2017年10月08日 02:17

いつもありがとうございます。

………。
まだ呼ばれていませんね。
あくまで「今のところは」ですが。
すみませんがこの情報に触れても「行きたい」と思いません。
個人的にはいわゆる「神」とされる存在が「自分」の外に、いや「自分」とは別に存在しているとは思いません、思えませんし。
いつか何か内からこみあげてくるものがあれば、神事に関係なく万難廃して休みを取って行くでしょう。
昔、突然思い立って鞍馬山とか高野山とか吉野山とかに行った時のように。
とりあえず、まだ待ってみます。

ではこれからも書きたいことをお書きください。
Posted by TSY at 2017年10月08日 10:21

ほんとは、昨夜夜行バスに乗って、
今日のなごやに参加よていなのに、
なぜか行かない方向性になった。
なんでやねーん!
行けばよかった、行くつもりだったのに。
これが、呼ばれてないということか、なごやに(笑)

天河はまだ、よばれてへ〜ん!
意思もわいてきてへ〜ん!
で一分一秒前のことなんて、
だれにも、わからへ〜ん!
行こうとおもってたなごや、突然やめになったりみたく、
行かない行くわけないと思っとたのに、
なんでか、あれ、いつのに、ちゃっかり、参加しちゃったり
生きるって、ミラクルの連続じゃの!

さて、わたいは天河に当日いてるか、いてないかは
わたしにもだれにもわからない。
彼方におまかせか〜〜い!。
でも、今回の天河だけは彼方頼りではなく、
あくまでフリー意思の様な感じ。(自らの意思!)かなたではなく!
でも、オイちゃん?どっちの人生をえらんでも、行く着く先は同じ、、、のはず!
でなかったっけ?
でも、本当にほんまは、彼方によっていかされてるんやろな。、、、。

なごやトークライブに生き霊でちゃっかり参加してるかも。
悪寒が走りサムくトークが滑ったなら、なごや参加できず
後悔の念を抱えたわたしのせいです。こわっ、ゾゾッ(◎-◎;)
雲さん、黒さん(助さん、角さん)がオイちゃんを
わたしの怨霊から守ってくれるさ!
なごやトーク楽しんで下ちゃい!

Posted by なごやによばれてない? at 2017年10月08日 12:39

わたしはお呼ばれされていないなぁ;;
Posted by neo at 2017年10月08日 12:50

月参りに多賀大社へ参拝に行って来ました。元気を頂きました。
天河神社も行ってみたいです。神社参拝は、呼ばれていく!て言われてますのでどうですかね?
Posted by らら at 2017年10月08日 13:27

トークライブの時間なのに、、、
こんな感覚も訪れるのか。
これも、彼方から設定されてきた感覚なのか。
なんてこったいの世界だ!
全て夢だらけなのに、一喜一憂できるって凄い。
感じられる感覚って凄い。
彼方はいったい、何をしたいのだ。?
おら、わからん。
ついてけん、、、。
かなたのバカヤロー!
Posted by くるだ at 2017年10月08日 14:33

8年前に4歳の息子と天河へ行きました。神社までは徒歩では遠く、川沿いの吊り橋渡ったりしながら、途中で息子も疲れてしまい行くのはやめようかなと戻りかけたところで偶然(今思うと必然?)に神社の人が車で通りかかり声をかけてくれ、車で神社まで乗せてってくれました。

呼ばれてたのか?
Posted by 村山 at 2017年10月08日 16:11

一瞬で空気の変わった神域、落ちてきた松の枝、宮司の勧める三角形の黄金色の鈴、お姉さまに奉納する自然の物で作られたいくつかの〇〇。昔の神殿の配置はもう思い出せません。3度目の訪問を楽しみにしています。
Posted by 伊勢の宮 at 2017年10月08日 18:33

たまたま今日のブログを拝見しました。
天河神社、昔伺ったことがあり、
目にとびこんできました。

ぜひ伺いたいです!
Posted by かか at 2017年10月08日 18:55

> で一分一秒前のことなんて、
> だれにも、わからへ〜ん!

せやな、え、ゃ、わかるやろ!!
Posted by rakuni... at 2017年10月08日 22:37

天河 てんかわと言い出したのはいつからでしょう
 もともと アマノカワでしたでしょう

日本語は 訓読みの言葉しかなかった
漢字が入ってきて 音読みの言葉が使われ
造語も増え 今となっています

クニトコタチ様のお宮が発見されたことに
驚いています
代々のクニトコタチ様たちは 天の川を通り
宇宙の中心からやってくる 御親の恩恵を
見ていました
結婚という形式がなかった時代のこと
結婚という形式ができて初めての繋がる天皇として
イサナキ タカヒコ様 イサナミ イサコ様からでした
ヤマトの御親とは 宇宙の中心 アモトとよばれ
人は 魂 タマと シイル(〜がしたいと強く思うこと)がくっついて たましい
として生まれてくる 身体は 大地からの借り物
死ぬと タマとなって アモト 宇宙の中心へ帰る

帰るためには 子供のような心 素直な心
まっすぐな心 思いやりの心がなければ戻れない
戻れなくさまよう魂が 多かった
そこで 仏教が伝わり すがったということのようです

熊野はイサナミ様のお宮が先だと思っていましたけど
クニトコタチ様が先だった?

ヒタチの国の海岸にお立ちになり 神籬を立てたのが
イサナキ様よりずっと前なのですから
クニトコタチ様の御陵があってもいいはずですよね

あー でも クニトコタチ様がお祭りした神様は
アメノミナカヌシノカミ タカミムスヒノカミ カミムスヒノカミ
という宇宙の中心からのエネルギーと思われます
クニトコタチ様とは 一人カミと呼ばれた 天皇家の御先祖様です
Posted by 無有 at 2017年10月09日 00:39

イサナキ様 は イサナミ様の死を受け入れることができなかったようです
止めるのも聞かずに 鳥葬にて送られるイサナミ様に会いに行かれ
無残なお姿に驚き 急ぎ帰り熱にうなされ 恐ろしい夢をみて
禊されました それが 禊殿
天河神社の奥宮は イサナミ様の喪上がりされたところです
決して ダキニ 市来島姫とも関係などないのです
古事記などの イサナミ様の扱いは ひどいとしか言いようがありません
イサナミ様が日本人の 母となる方なのです
その母を黄泉の国へ葬ったのが 古事記です
日本人の心に巣食う 空虚さは 母を失ったことに要るのです
長いときをかけ 古事記は日本人に刷り込んできた
天皇家の母 イサナミは 地下の支配者と
違うのです イサナミ様は
死産の上 出血が止まらずそのまま 亡くなったのです
古事記や日本書紀がいうところの 世界が違うように
書いてあることは 間違っています
時代の意図ある 創作小説だったのです
本来の天皇家の歴史を取り戻すことが
日本人の心を取り戻すことにもなるのです

思わず書いてしまいました 
公表はお任せします
Posted by 無有 at 2017年10月09日 01:09

先日の浜松コラボの時に歌っていた
あの歌を天河でも歌うのですか。
それとも、唱えるだけ?
あの時凄い迫力で圧倒されました。
究極の願い、祈り、言葉にすると軽いけど、全ての罪という罪への
祈り、罪といふ罪はあらじ!宇宙全体に響き渡るように叫んでいたようにも感じた。
そんな風にわたしには、伝わってきました。
伝わり方はひとそれぞれですが。
その歌を歌い終わった後のみつろうさんとの会話の中で
せおりなんちゃらが歌詞に出てくるって語っていましたが、
阿部さんが何気ないことを何気ないようにおっしゃってる時は
何気ないことじゃないのかなといまもたまに思い出す時が
あります。
でもなんのことかも、何を示しているかも、さっぱり今だにわからないし、
わかろうとも思いません。
おこることが、おこるようにしぜんとなっているのでしょう。
ゆめをみせられているように。
いつかはおわるゆめ、、いつかは目のさめるゆめ。
いまは、ゆめとしりながらゆめをいきてみます。。



Posted by おわるゆめ、さめるゆめ、 at 2017年10月09日 02:19

 縁について、そんなに難しく、または、“特別”に分析をしなくてもいいのではないですか?(人間やってるから、しちゃうのでしょうけど)

夢のない話かも知れませんが、興味がある人や、共感が起こる人は、その培った個性や、その情報に触れた時に、そのことに関心(感心)が湧く因子がすでに備わっていたということでしょ。

羽虫や、蛾がその特性や習性から、匂いや光に惹かれて、飛んで来るのと変わりはないですよ。

ただ、そこに執着したり、或いは耽溺してしまうという、関心度や、そうさせる状態、条件が起こる『程度の違い』が起こったりもするということでもあると思います。

そういうことが、好きか、嫌いか、とか、個心にあったり、そういう感覚がもたらされて、個心が改めて感心を持ったり、

周りで起こってることの情報に、自分(個心)の情報処理が興味を持つ反応を示すという、これも、『度合い』の違いや『嗜好性』の違いが表現されたということでもありましょうね。(リアルな想いが、白けてしまうかも知れませんが)

 あれれ、難しく分析してるのは、私だったりして・・・

ま、関心を持つ事の、、関わる事の、、耽ってしまう事の、、こういう事の、違いでも、ありましょうね。。

Posted by y-be at 2017年10月09日 06:11

余談ですが、
禊殿から川の下流側に歩くと、禊殿の正面の方向に川が支流と合流するところがありますが、その
突き当たりにある五角形の磐座が大好きで、以前伺った時にはペタペタ触ったり抱きついてきました。禊殿はその磐座と正対して建てられているのでは?と勝手に思っています。

また、Google mapで天川村付近の地形図を眺めていると、天河辨財天や村の北北西にある山々の尾根が、桜の花びらの様に見えるところも不思議で好きです。

天河へ行きたいー
Posted by 五 at 2017年10月09日 10:47

すみません 訂正します

 イサナキ タカヒト様です

天皇 アマミキ アマカミとなられる方は
ヒトの名がつくのが 習わし
ウビチニ様にお子ができなったため
アマキミの御兄弟の子がそれぞれ
天皇 皇后となったのです
Posted by 無有 at 2017年10月09日 10:59

どうやらy-beさんのコメントは、私に向けて書かれているようですね。

> 縁について、そんなに難しく、または、“特別”に分析をしなくてもいいのではないですか?

あのコメントでは難しく考えてるように見えますが、実のところ、
縁については「起こることは全ては縁」と単純に考えています。
y-beさんの言われる「何に関心を持つか」も、関心を寄せるものとの縁と言えます。

難しくなってしまったのは、阿部さんの「縁と意思が必要」という言葉と
意思すら縁という私の縁の捉え方の違いについて分析し説明したからでしょう。
阿部さんも、意志に対して「彼方から湧いてくる」と修飾しているし、
その違いは、表現の違いなのですが、
私は、縁と意思という二つの観念を持ち込むよりも
縁の一言で済ましたい、よりシンプルに捉えたいのです。
「縁と意思があるかないか」より「縁があるかないか」の方が簡単でしょう。
と、ここまで書いて気が付いたのですが、
阿部さんの表現の方が能動的に行動できそうな気がしますね。
(だらだら駄文を書いて、ここに至ってようやく阿部さんの記事への感想が出てきました)
Posted by rakuni... at 2017年10月09日 11:37

> で一分一秒前のことなんて、
> だれにも、わからへ〜ん!

せやな、え、ゃ、わかるやろ!!


・・・・・・・・・・・・・・・・

......(笑)(´▽`)ノ

ハハッやっぱり?、だよね(-ω-;)!

いまここのせいだよ、前後左右の使い方が
昔から、不得手なのに、いまここのお陰で
さらに分からなくなってるかもね。


まいっか(´ー`)。

ありがと、。おわり(´ー`)


Posted by 一分一秒後! at 2017年10月09日 18:23

天河ってミステリーを抱えて何やら、余計にミステリーですね。
神社仏閣に全く馴染みのない私でも、親近感が湧いてきます。

天河に厳格じゃない雰囲気が現れるのは、阿部さんの表現手段が
そう感じさせるのかもと思いました。

他の方が天河を表現すると、また違ったものに変わるのでしょうね。

何方かのコメント欄に天皇家というワードがあり
何気に思いだしたこと。
民間からお妃になられた雅子さまと
間違われた事があります。
(初めて会うフィリピン人のお手伝い兼ベビーシッターさんに。)
でも当時のわたしの容姿はショートカット
CCB風のメガネにダサいジーパンセーター。
なぜ、雅子さまにまちがわれたのか
今だに一不思議。
雅子さまの御公務が滞ったことに批判も多いですが、
私は理解できる、そうずっと思ってきたひとりです。
Posted by マリヴィク at 2017年10月10日 03:01

先日のライブを聞き迷いもなく即行きたいと思いました。
又、高倉山…高倉というのは実家一体の地名であり、私が入学した小学校の名前でもありました(現在は合併した為名前はなくなりました)。とてもご縁を感じています。天河神社楽しみにしています。
Posted by りんご at 2017年10月10日 09:36
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