2021年10月16日

真理は言葉になりえない

昨夜は何をしゃべったかなァ。

覚えていることは、みんなで変なオジサンと変なおばさんになろうって・・・

それくらいかも(笑)


重要な内容が出てきたらブログでも報告しますなんて言っておいて、いざ書こうとすると、全部重要な気がしてピックアップできません。

やはりブログはブログのセンスで展開することにします。


このような情報を伝えていて思うのは、言葉自体は真理になりえないということ。

真理は完全に言葉を超えた世界であり、これは体感を伴う理解以外にありません。


言葉は情報(information)であり、真理は意識の変容(transformation)だというのはOSHO言葉。

情報と変容の違いは間接的か直接的かということ。

そして言葉は二元の世界の道具であり間接的で、真理は非二元という直接体験です。


だから老子も道徳経の導入として

「言葉で伝えられるものは道(TAO)ではない」

と言っているわけです。


にもかかわらず80章にも及ぶ文章を残しているのは、言葉しか伝達方法がないからです。


ところが人々は、道徳経や法華経などは真理そのものだと言い切ります。

真理なわけがない。

真理を指し示す方向指示器であり、月を指す指でしかないのです。



真理は言葉になりえない



このことを完全に把握していないと言葉に縛られることになって分かったつもりになってしまいます。


真理への一番の早道は、自分は何も知らないということを認めること。

本などで得た知識はinformationに過ぎず、マインドのコレクションでしかないことを認めることです。



人間の知性というものは、何事にも正しい答えがあるはずだと考えます。

理路整然と分かりやすく伝えてくれれば、理解できないことはないと信じています。

そしてなんでも知れるはずだと思っているのです。

だから新しいメッセンジャーが登場すると、今度こそこの人が私を救ってくれると期待するのです。



でも科学が行き着いた先が不可知なる世界であるように、不可知は不可知なのです。


目覚めも悟りも真理も不可知です。

あると言えばあるし、無いと言えばない。

言葉で表しようがありません。

せいぜい言葉を方便として使うしかないのです。



しかもどの方向から方便を使うかで、内容は矛盾することになります。

もし一貫していたら、それは直線的であり、マインドの編集が加わっているということです。


ところが人は、お前の話は矛盾していると指摘してきます(笑)

そう言われながらも5000以上の記事をここに書いてきました。

このブログに異論反論は無用だと言い続けてきたのもこのような理由です。


また傲慢かましてしまいましたが、今日はこんなところで。










Posted by Toshiro Abe at 08:45│Comments(19)
この記事へのコメント
深い眠りに入れば↓
意識がなくなって
頭の中の五感と想念という情報から解放されて↓
胸の中の光に深く入り↓
深い安らぎを感じます←(*´▽`*)→

深い集中に入れば↓
意識があるまま
頭の中の五感と想念という情報から解放されて↓
胸の中の光に深く入り↓
深い安らぎを感じます←(*´▽`*)→

深い瞑想に入れば↓
意識があるまま
頭の中の五感と想念という情報から解放されて↓
胸の中の光に深く入り↓
深い安らぎを感じます←(*´▽`*)→

サーべ サンカーラ アニッチャ
諸   行     無常
あらゆる現象は   常ではない

サーべ ダンマ アナッター
諸   法   無我
あらゆる想念は 自分ではない

ニッバーナム  サンタナム
涅槃      寂静(平安)
苦しみがないのは安らぎである   

無常の五感と想念という対象を超えて
永遠の光である自己に安らぐのが真理です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年10月16日 09:05
阿部さん 昨夜の講演 良かったです。

なんとなく 阿部さんが 言葉で伝えられない真理について 
言いたいこと 分かるような気がします。

これからもよろしくお願いします。

いつもありがとうございます。
Posted by イラ at 2021年10月16日 09:11
昨夜の禅サンガでのお話も、とても良かったです。普段は忘れてしまっているのですが、阿部さんのお話を聞いているときだけは、大切なことをもう少しで思い出せそうな、喉まで出かかっているような感覚を感じることが、よく起こります。これからも繰り返し聞き続ければ、きっと思い出せそうな気がします。
Posted by みかん at 2021年10月16日 09:20
わたしが投影している言葉、情報、知性、矛盾、グル、悟りなどなど、すべての材料を使って奇跡を見せていただけることに心から感謝します。
Posted by チェリーボンボン at 2021年10月16日 09:47
ありがとうございます。
頭ではなく、お腹に収めるように、今日の記事も読みたいと思いました。
Posted by 福神漬 at 2021年10月16日 10:00
阿部さんが言わんとされていること、よくわかりますよ。

全くスピリチュアルな知識がない状態で、突然体験が起きてしまったので、それをストレートに人に伝えたところ、完全に頭がおかしくなったと思われ、周囲に混乱を招いてしまい、理解からは程遠い状況に追い込まれましたので、このことが、直接体験無しに、一般的に広く理解されることは不可能だと、嫌と言うほど痛感し、長い間、起きたことやそれから知り得たことを、口にすることはしませんでした。
メッセージを伝える相手が探求者ならば、拒否反応は起こらないでしょうが、それでも、体験が無い場合は、理解は限定的となることでしょう。

神は実在する。
それだけでなく、本当に実在するのは神だけ、だなんて、通常の常識からは考えられないことですから、聞いただけで、スンナリと理解が起きないのは、仕方ありませんね。

しかし、聖典などには、直接体験によって知り得たことが、確かに書いてありますし、真理についての言葉を遺している人々は、少数ではありますが、これまでもいました。
また、有名なメッセンジャー以外にも、真理の直接体験が起きた人は、これまでもいましたし、これからも現れることでしょう。

神は、人々が真理を完全に忘れ去らないようにと、時々、人に真理を垣間見させ、直接体験から知り得た智慧を、その時代の人々に伝えさせている、ということが起きているのかもしれません。

近年だけでも、人々に伝える役割を果たして下さった有名な方々の伝え方にも、いろいろあり、そこに個々人の個性が反映されているのは、この世の面白いところだと感じています。
阿部さんは、ラジニーシoshoに感銘を受けたようですが、私は、バクティとしてはラーマクリシュナ、ジニャーナとしては、ラマナ・マハリシに感銘を受けました。
彼らの遺された言葉に触れると、歓びが泉のように、ハートから湧き出て溢れて来ます♪

日常生活に流されてしまうような時があっても、彼らの言葉に触れることで、真理に触れ続けることができ、分離の中に埋没することは起きませんので、有り難いことです。
そういう意味では、彼らは既に亡くなっており、直接お会いしたことがある訳ではありませんが、目に見えないグル(導師)として、この世の中で機能して下さっていると感じています。

人生で起こること、この世で起こることはすべて、神の御意だと感じていますので、これまでもそうであったように、これからも最後まで、流れのままに生きて行こうと思います。

イエス・キリストの御言葉にもありますように、求めてれば、いつか必ず、与えられるものなのですね。。
また、ヴェーダでは、溺れている人は、必死に溺れまいともがきますが、探求者にも、そのような必死さが必要、と言っていますが、その必死さは、出そうと思って出て来る訳ではなく、溺れているというような切羽詰まった状況だからこそ出て来るものなので、人生で体験する苦しい状況は、そこから抜け出したいという必死さを生み出す因として起きている、と言えるかもしれませんね。

束縛から解放(moksha)へ。

最終的に起こるのは、自分からの解放ですが、それには、この世では、長い長い時間が必要なのでしょう。

人生を、自分の願望を実現するため、自己実現のために使う人もいますが、霊的な視点から見るならば、魂の源への帰還の旅と言えます。

誰もが、霊的な旅をしている旅人です。
この旅は長旅であり、途中、いろいろなことが起きますので、たとえ倒れても立ち上がり、時には、休みながら、時には、道連れと共に、旅で出逢う風景を楽しみ、旅そのものを楽しみながら、生命の源、存在の源(最終ゴール)へと、歓びと共に、還って行かれると良いですね♪
Posted by 聖なる旅 from M-online at 2021年10月16日 10:50
>このような情報を伝えていて思うのは、言葉自体は真理になりえないということ。

>真理は完全に言葉を超えた世界であり、これは体感を伴う理解以外にありません。

そりゃそうですよね~。
『言葉』が『真理』なのではなく、
『真理』から『言葉』が起こっている訳ですから。

それでも、

>真理を指し示す方向指示器であり、月を指す指でしかないのです。

でしたら、当然、『言葉』という『道筋』を辿って、
『真理』を『直接体験』できることもある、と思いますし、
時々そんな気が勝手にしています(笑)

そういう意味で、

>人間の知性というものは、何事にも正しい答えがあるはずだと考えます。

それはあると、自分も思ってます。

>でも科学が行き着いた先が不可知なる世界であるように、不可知は不可知なのです。

ということなら、『科学』も既に『正しい答え』に到達しているということなので。

『言葉』や『科学』が『正しい』と思い込んだりすると、間違うことも多いけど、
『言葉』や『科学』を『通して』、『正しいこと』に気付くことはある、
そんな感じで自分は思ってます。

>しかもどの方向から方便を使うかで、内容は矛盾することになります。

ちょうど最近思ってきているのは、

「『気付き』って、きっと『対極』、『陰陽』とか関係なく、
 『すべて』を『分け隔てなく含む』ものなんだろなぁ~」

ってことです。
自分の場合、何かを読んで『異論』『反論』が起こった時、
『その異論や反論』から気付かされ、
結果的に、『逆に考えて』腑に落ちることも多いです。
『気付き』が『すべて』を『分け隔てなく含む』なら、それも当然だと腑に落ちました。
こうしてあーだこーだ書いてることも
『異論』『反論』のように『見える』ことも多いかと思いますが、
そういうことと思って頂けると助かります(笑)
Posted by ただの「自分」 at 2021年10月16日 10:53
おはようございます。昨晩は禅サンガ参加させていただき有難うございました。いつにもましてソリッドな表現が痛快でした。これからも阿部さんの多様な表現よろしくお願いします。
Posted by makotoazuma at 2021年10月16日 11:10
>昨夜は何をしゃべったかなァ。

升から、芳醇なお酒が尽きることなく湧いてきて、溢れ出てるような、、、、
温泉の源泉から、コンコンと湯が湧き上がっているような感じでした(^_^)
Posted by 寿々 at 2021年10月16日 11:15
朝から3回も繰り返し見てしまいました。
見るたびに新しい何かが内側で光ります。
阿部さんの言葉は音楽が流れるみたいで聞いていて気持ちがいいし、あそこまで正直に話してくれるとそれだけでも解放されます。
サンガに入って2年目になりますが生きることがこんなに楽になるなんて思いませんでした。
目白押しのイベントも楽しみにしています。
Posted by 紅葉 at 2021年10月16日 11:37
5000以上の!
実は同じ思いの記事
この才能に感謝

「マインドのコレクション」(笑)
もう入れきれなくてどんどん溢れて
日々捨ててます

全然OK

ふぅ~ いい感じ(^-^)
Posted by yaboi at 2021年10月16日 11:51
他の方もコメント欄で書いてらっしゃいますが、昨日の阿部さん、痛快で引き込まれました!
源泉から吹き出しててサイコーでした♪
Posted by はなこ at 2021年10月16日 13:25
『また傲慢かましてしまいましたが、今日はこんなところで。』


えへ(^_^;)

傲慢には幸い感じませんでしたけど(笑)、場合によったら、状態によったらそう感じてしまうこともあるのかもしれませんね。(^^)

それよりも~☆

ふ~ん、へぇ~、はぁ~ん、と、感嘆詞?が出ながら読ませていただきました(^^)

そうか~なるほど~そういうことか、どういうこと?みたいな(^^)

それぞれ、皆さんは、どう受け取りますでしょうか。。


真理は追い求めることではなく、すでにそうであることを知ること。


すでにそうであること。


すでにそうなのよ。


だから、あべにゃんの、「世界から手を引きましょう」という声かけが嬉しいときある(^^)

いってらっしゃいって言われてもあんまり嬉しいことないから、手を引いていたいのかもしれませんね(^^)(^_^;)


仕事とあべにゃんの間に手を引く時間、瞑想の時間って言ってもいいかな。

仕事と真理の探究というか、ん~仕事とあべにゃんのことというか、仕事の夢とあべにゃんの夢ね。

その間に瞑想の時間をとること。夢と夢の間に瞑想を挟むこと。

そう、そういえば、なぜ睡眠よりも瞑想の方が癒しが起きやすいのだろう?って、夕べちょっと考えました。

やっぱり目覚めて気付いていることが癒しには大切になってくるのでしょうか?

瞑想と睡眠の違いと言ったら、意識が覚めているか眠っているかだとすれば、意識が覚めていることが癒しには効果的なのかな。と考えたと思います。

瞑想は霊体の癒し、睡眠は肉体の癒し。とか?

もちろんどっちもどっちに作用は及ぼしているでしょうけど、(相互作用)

瞑想はこころ(霊体)のお掃除なのかな~☆魂って言ってもいいかもね☆


睡眠で肉体を回復させて、(主にね)
瞑想でこころを回復させましょう。とかだったら、瞑想が怪しくないというか、さらに受け入れやすくなりますかね(^_-)


すずめの夢、本日の夢でありました~(^^)

P.S.

新たな生活様式ではないですが、(コロナ後のね)

うん、でもコロナをきっかけに新たな生活様式として、瞑想を日常に取り入れた暮らし。これの個人レベルももちろんですが、全体レベルでも取り入れたいです(^^)

そのことを考えたくて、取り入れたくてのコメント内容になっていると想います(^^)
Posted by すずめ at 2021年10月16日 15:33
そうやそうやー。阿部さんのいう通りやー。
キラキラさんかて、ことばにならんもん。❇️
言っても、おかしなおばちゃんで、終わってるーありがとうございます。。
元気を、いただきました。☘️
Posted by ピナ at 2021年10月16日 17:59
>ところが人々は、道徳経や法華経などは真理そのものだと言い切ります。

>真理なわけがない。

>真理を指し示す方向指示器であり、月を指す指でしかないのです。

ブルース・リーの映画「燃えよドラゴン」の名セリフ

「考えるな、感じろ。それは月を指さすようなものだ。指を見ていては栄光は掴めない」

を思い出して鳥肌が立ちました。
ありがとうございます。
Posted by ナムジ at 2021年10月16日 21:58
老師もoshoも読んだけど
瞑想の動機づけにいまでもたまに読むけれど
馬鹿だったのでしょう
結局何も身につかなかったと思う
知らなければ社会的にはここまでどん底になってなかったかもしれない
欲望まみれのエゴイストの私には早すぎたかもしれない

でも、無の心地よさは瞑想を通じて体験出来た
それが死の恐怖を緩めてくれているのは事実
それだけで良かったといえます

ありがとうございます
Posted by 自分 at 2021年10月17日 05:09
サンガソロ講演楽しかった❗

目覚め一本❗️
その気持ちでいきます(^o^)

今夜の瞑想会も楽しみにしています(=゚ω゚=)
Posted by J at 2021年10月17日 07:46
この記事についてでなくて…
申し訳ないのですが、「スピタメ」で
「十牛図」を購入し何度も聴いています。
阿部さんが出された「究極の旅」の本が
欲しくて…探しているのですが、どこにも
見当たりません(;_;)。
阿部さんのお手元に残っていたりしますか?もし、あったら…お譲りしてほしいのです。
Posted by しずく at 2021年10月17日 19:31
宇宙の流れに身をまかせ

心の声に耳を澄まし

ただ、ただ、楽しく正しく生きる


ケセラセラ〜(笑)
Posted by 吉田 at 2021年10月23日 21:54
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