2017年02月21日

輪廻転生についての質問

一昨日頂いた地蔵さんからの質問。


>今日、大阪の講演会に参加した者です。

>会場で西○さんと輪廻転生について話していたときのことがよく聞き取れませんでした。

>「みんながみんなの生まれ変わりだ」と言う感じでしょうか?



そうですね。

その時の話を正確には再現できないけど、今日なりの言葉で綴ってみます。


「自分の内側も外側も一つになって、自分を含んだ全てが刻々と生きている」

よく訪れる感覚を言葉にすると、そんな感じです。


生きているのは、「いまという生物」ではないでしょうか。

そのいまが持っている存在感を、個々の人が「私」として認識している。


したがって、あなたがいま認識している「私」と、あらゆる人がそれぞれに認識している「私」は、全く同じもの。

人間だけではなく、あらゆる生き物が内側で感じている一つの存在。

それが、あなたが自分自身だと思っている「それ」です。



輪廻転生についての質問


いまという全体意識が常に在り続けているのだけれど、どういうわけか分離した個としての肉体に、全体意識が凝結してしまう。

その肉体が死んでも、また新たに生じた肉体に全体意識が凝結し、それをまた「私」だと思う。

あなたがどの肉体と同化したとしても、そこに感じる「私」という存在感は、いま感じているそれと同じ。


輪廻転生とは、そのことを言うのだと思います。


本当の私はいまも70億の肉体を通して同時存在し、多彩なドラマを紡ぎ出しているのです。



こんな事を、あの場で話していたと思います。

それにしても大阪の皆さんはよく笑う。

お話した内容はその瞬間の感応であり、持ち運ぶようなものじゃない。


だから笑いが一番だと思ってやってます( ´∀`)







いつもありがとう。

まずは上の白蛇形をポチっとして、行った先にある「かんながら」をクリックして戻ります。

次に下のボタンをクリックして、同じくそこにある「かんながら」をクリックして戻ります。

それで完了です。


輪廻転生についての質問
   
 



Posted by Toshiro Abe at 10:20│Comments(66)
この記事へのコメント
今日もありがとうございます。退院したばかりの病み上がりで、体調不安定で無理ができませんが、毎日、ブログから勇気をもらっております。感謝です。良い一日を。
Posted by 林ゆみ子 at 2017年02月21日 10:29
プラネタリウムが

ただ一つの光源から無数の星を生み出しているように

ただ一つの宇宙の根源の光が無数の生命を生み出しています。


プラネタリウムから生み出された無数の星は

中心にあるただ一つの光源で一つにつながっています。

宇宙の根源の光から生み出された無数の生命は

中心にあるただ一つの光源で一つにつながっています。


一にして多。

多にして一。


すべてはひとつ。


宇宙の根源的真実です。
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2017年02月21日 10:30
いままで聴いた般若心経談義で、阿部さんと三千院門跡様のお話が一番納得できました。
門跡様は長く比叡学院の院長をお務めになったインテリで、その方が阿部さんを師のようにお話しされている姿が印象的で、阿部さんとは一体何者なのかという興味がこのブログに導いてくれました。
またお二人の対談をお聴きしてみたいです。
今日も更新ありがとうございます。
Posted by 風花 at 2017年02月21日 10:41
阿部さん。おはようございます。>あなたがどの肉体と同化したとしても、そこに感じる「私」という存在感は、いま感じているそれと同じ。ここの所解りやすかったです。笑いは大切。良い一日を。
Posted by 永井新吾 at 2017年02月21日 10:46
ということは、全体意識があるだけなので、
個人は、肉体の消滅と共に、完全に無くなるということですか?

あの世という言葉で語られる死後の生についての仏教的な輪廻転生観とは、また違っているように感じます。

それに、個々の人生を相対的に見ると、そこには平等感を感じられません。

人生には自分では選択できない部分が数多く有り、
その点では、人生は不公平だと感じている人は多いと思います。

それ故、もう一度、もっと良い条件で生まれ変わりたいと思っている人もいるかもしれません。

その他にも、この世で善い行いをし、死んだら天国、或いは極楽浄土に行くと信じて、
それを楽しみにしている人もいることでしょう。

自分は存在していると思っている人にとっては、
死後自分が何処に行くかは、重要な問題です。

そういう人も、完全に無くなるので、天国にも極楽浄土にも行かず、
また、二度と人間としてこの地球に生まれてくることもない、ということなのでしょうか?

これは一般的な疑問です。
阿部さんのご意見への反論ではありません。

物質界という二元の世界でのエネルギー循環の法則からすると、
人間をエネルギーとして見ると、物理現象としての転生はあるでしょう。
 
そして、エネルギーは循環するという自然法則を踏まえて、
古代の人々の心の中に、人間の魂も輪廻転生するという死生観が生まれたと考えられます。

そう考えると、輪廻転生は、自然界の法則から導き出された
その当時としては客観的観察に基づく霊魂に関する人間の洞察と智慧の結晶なのかもしれませんね。
Posted by いのちの循環 at 2017年02月21日 11:42
いつもありがとうございます。
今日もクリクリ。
善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2017年02月21日 11:44
『いまという全体意識が常に在り続けているのだけれど、どういうわけか分離した個としての肉体に、全体意識が凝結してしまう。』

朝、目が完全に覚めるまえ、いまここの意識から肉体が覚める感じを受けたことがあります。(瞑想のおかげが大きいと思います)

眠っているときは、あちらの世界に里帰りしていると聞いたことがあってもっと遠くのことに思っていましたが、「いまここ」ってこれだわ。と思う経験でした。
他にも、本質を知るいろいろな経験の仕方があると思うので、決めつけないで柔軟でありたいです。


それにしても、

『「自分の内側も外側も一つになって、自分を含んだ全てが刻々と生きている」
よく訪れる感覚を言葉にすると、そんな感じです。』

って、すごいですね。こんな感覚がよく訪れたら、我々の本質はエネルギーなのがまるわかりな感じですね。

私自身、本質を知ることはとても関心のあることなので、マイペースながらどうぞよろしくお願いいたします。(^_^)
Posted by ようこ at 2017年02月21日 11:49
風花さん

三千院門跡は、建物の名称で、
ご門主の堀澤祖門さんですよ。^ ^
Posted by クリア at 2017年02月21日 12:12
あべさん
日々ありがとうございます。

> いまという全体意識が常に在り続けているのに、どういうわけか個としての肉体に分離している。

どういうわけなんでしょうねえ、本当に・・・


>> 本当の私はいまも70億の肉体を通して同時存在し、多彩なドラマを紡ぎ出しているのです。

なんて摩訶不思議な、この70億本立てのドラマ・・・
Posted by あん at 2017年02月21日 12:13
宇宙って

劇団四季ならぬ

劇団 色 ですね。

次の公演ツアーは

何でいくかな?

監督の 是 空也 は

前回の公演を教訓に

心機一転

次回公演の企画を

カフェで考えていた。

カフェの名は

サマディー
Posted by 神生粋流 at 2017年02月21日 12:25
いまという生物 とてもわかりやすい表現ありがとうございます。今日も絶好調ですね。
Posted by 尚 at 2017年02月21日 13:00
『いまという全体意識が常に在り続けているのだけれど、どういうわけか分離した個としての肉体に、全体意識が凝結してしまう。』

輪廻転生を考えたとき、この「どういうわけか」というところを知りたいですよね。

全体意識から派生したのに、全体意識へ還ることが目的なら、
そのための物語り(完全に思い出すという)が、70億通りに展開されていて、完全に思い出すまで、物語りは続くとか?


でも、全体意識へ還ることを目的にしていない場合もあるのかなあ。
ただ、人としての経験を遊びに来たような場合もあるのかなあ。
わかりません(^_^;)
Posted by ようこ at 2017年02月21日 13:10
いのちの循環さん

それぞれの人がどんな死生観を持とうがそれこそ自由です。
ですから、人は現世の行いに応じて死後に天国か地獄へと向かい、来世での人生に影響すると"いまこの瞬間"に思ったところで何の問題も生じません。
問題が生じるのは、その信念が原因となって、現世において苦として現れる時です。

例えば、

『目の前で、私が最も愛する人が他人に殺められようとしている。
愛する人を守るためにその他人を傷つければ守れるが私は地獄に落ちるかもしれない。
地獄に落ちたり来世での良い人生のためには、愛する人を守ることを今は諦めるべきかもしれない。』

この結果は、愛する人を守ろうが(=地獄行き)、守るまいが(愛する人を失う)、どちらにしても起こることは葛藤という苦しみです。
それこそが地獄だと私は思います。

この例における苦しみの真の原因は、『地獄や天国がある』、『輪廻転生があって現世が来世に影響する』という信念です。
愛する人を殺めようとする人が苦しみの全てであるように見えますが、それはあくまで苦しみを生み出す要素に過ぎず、苦しみの種(真の原因)は自分の抱える信念にあるのです。

天国や地獄があるや来世についての信念に囚われなければ、いまするべきことをする(この例では愛する人を守る)でしょうし、そうした行為の結果に苦しむことは無いのではないか?と思います。
(別の信念で苦しむことはあるでしょうけど)
Posted by 模察模察 at 2017年02月21日 13:19
阿部さん、いつもありがとうございます
Posted by ゆりん at 2017年02月21日 13:21
内も外も繋がると、深刻さが苦手になります。

それは 表面的な感覚であって、
実際は 深い愛や感謝ようなものが感じられるため。

笑いは ほんとーーに 心地よい。

ガハハと シンプルに いまを生きるって 心地よいです。

↑こういう 言葉も 持ち運ばない先にあるものが、
いま書いたこと。

という、パラドックス加減。

なんじゃいこの ややこしさ〜!

と 全体に悪態つく 無力なわたし です。 _(┐「ε:)_
Posted by 薄茶色 at 2017年02月21日 14:10
講演会では、その場で湧き起こるものが話されているのですね。
その瞬間、瞬間が生きているかのようです。

臨場感に溢れているけど、持ち運ぶものじゃないと、常に今に戻してくれるので、いつもハッと気づくことができます。
ありがとうございます。

禅サンガのweb講演会もいつもリアルタイムのお話なので、何度も確認することができてありがたいです。
Posted by 随神 at 2017年02月21日 14:55
模察 さん

模察さんのご意見、ありがとうございました。

人は、どんな死生観を持とうが、人生観もそれぞれなように、自由だと思います。

ところで、模察さんご自身は、どのような死生観をお持ちですか?

死後は、自分はどうなると思われていますか?

そのところがあまり理解できなかったので、良かったら、聞かせて下さい。

死後のことなど考えていない、というようなご意見でも構いません。

コメントを下さったので、お聞きします。

死の際には、自分が持っている死生観だけが、自分の行き先を決めるという考えもあります。

”いまここ”から観た人間の生と死をどのようにお考えですか?

人間は、死後も、”いまここ”に留まるとお考えですか?
そうではないなら、人間は死後、何処に行くのでしょうか?
(この場合は、霊魂として、という意味になりますが・・)

それとも、そんなことを死ぬ前から考えるな、というご意見でしょうか?

何でも結構ですので、何か書きたいことがありましたら、お願いいたします。

輪廻転生を否定されるのでしたら、それもそれで構いません。

できましたら、輪廻転生に関するご意見をお願いいたします。
Posted by いのちの循環 at 2017年02月21日 15:06
自分が存在していると思っている間は
幻であっても、私とあなたに分離するわけですよね

しかし、例えば

私は~であるというアイデンティティーを全て手放し
私はいない状態になってから

私は葉であると信じれば、葉そのものになり
私は大阪のみなさんであると信じれば、大阪のみなさんそのものになる…

そして
             
年末のテレビの外国人青年のように、大阪のみなさんの心が手に取るようにわかるようになると、

自分がいま認識している私と、
あらゆる人が認識している私は全く同じということに
うなずくことでありましょう(笑)

私はいないは私しかいない、ですね

もちろん、それは
私はいないというブッダさんが個として存在するという夢の中の
お話ですが…


夢☆夢☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年02月21日 15:36
いつも野良猫たちに出会うと、どうしても挨拶したくなってしまうのですが、ここ2年位は機会あれば立ち止まって、相手の目をジーっと見つめるようにしてるのですが、自分もあの子も感じているこの在るという感覚は同じだ。と感じたことが何回もありました。それからというもの、ものすごく猫の気持ちがわかるようになりました。猫友達がいっぱいです!猫なら簡単なのになー。人間だとどうして難しいんだろうね。マインドが邪魔をしているからかな。
Posted by ライラ at 2017年02月21日 15:49
輪廻転生の話は、何度聞いてもよく分からなくなってしまいます。阿部さんの本を読んで、肉体が死んでも私の存在は消えないというようなイメージで捉えています。それだけで今は十分だと思っています。
今日も更新ありがとうございました。
Posted by marimo at 2017年02月21日 16:11
阿部さんの話しは、イマイチ理解できませんわ〜(笑)
最近【瞑想】してませんしねぇ…そう言えば【般若心経】の最後のフレーズの〃ギャテイ〜ギャテイ〜は※瞑想入る為の呪文ですね。
最近は、人生【なすがままに】生きるしか無いように思いますがね〜(笑)ヤッパシ!
Posted by ブラフマン at 2017年02月21日 17:31
いのちの循環さん

私の死生観ですか?
何も無いです(笑)

私が知ってることは、模察のこの身体はいつかは朽ちることだけです。
地球からお借りしたものだから地球へお返しするだけのこと。
魂が身体に宿っているのならばそれもお返しするだけのこと。

私個人のものは何処にもありませんから、死後どうなるかをいま考えたところで無意味だと思ってますので、何も無いです。
Posted by 模察模察 at 2017年02月21日 17:56
>その肉体が死んでも、また新たに生じた肉体に全体意識が凝結し、それをまた「私」だと思う。

なるほど。よくわからない私にも、何となくわかりそうに思えるくらいの 名解説です。いつもながら感謝です。(^^)

薄茶色さん
最近の薄茶色さんのコメントが とてもツボに入っています、何故だか。ワクワク楽しくなってしまいます。あ、楽しいだけじゃなくて、何やら奥深そうなことを書かれているときも、ちゃんと読み入ってしまいますよ。(*゚∀゚)b
Posted by Ally at 2017年02月21日 19:33
日曜日の講演会ありがとうございました。
阿部さんのお話を聞くと、安心するし、お気楽になりますね。
時々皆さんと笑った、あの会場の雰囲気思い出していこうと思います。
難しいことわからなくてもいいし、
笑って気楽に過ごすのがいいなあ、と思うこの頃です。
Posted by おきらく at 2017年02月21日 19:46
模察 さん

個人的なご意見ありがとうございました。

3月末に発売されるスワミ・ラーマの「聖なる旅-目的をもって生き、恩寵を受けて逝く-」という本に、輪廻転生に関するこんな一文があります。

これもひとつの死生観ですが、これは、ウパニシャッドの伝統につながる多くの聖者たちの中心的な考えであり、
その昔、インド周辺で誕生し、発展した仏教やヒンドゥー教、ジャイナ教もこの考えを受け入れています。

ですから、これは、個人的な考えというより、昔から、知っている人だけが知っている生と死の奥義と言えるかと思います。

日本人には、ほとんど知られていない輪廻転生について詳しく書かれていますので、ご紹介させて頂きます。

(こういう考え方もあるというだけで、押し付けてはいませんので、誤解のないようにお願いします。)


『死のときに、魂は外側の装いである肉体を脱ぎ捨てます。
カタ・ウパニシャッドでは、死神ヤマはナチケータに肉体が死んで滅びた後、魂は存在し続けると語りました。
物質的な肉体、あるいは物質的な宇宙の現象の助けなしで、魂が残存する霊的な領域があります。
これらの領域は感覚器官には認識できず、霊的な直感を通してのみ知覚され得ます。

悟らなかった魂たちは、死後ある不特定な期間、死んだ魂の領域に残存します。
それらは、この次元で真の実在の真の性質を悟ることができなかったため、死の通常のプロセスを経験したのでした。
死に伴う恐れのほとんどは、死が苦しいかもしれないという恐れです。
死のプロセス自体は、苦しくはありません。
それは単に状態を変化させるだけです。
準備不足と執着は、死のときに経験される苦しみの原因です。
死は、準備がなされ、アートマン(真我)の叡智を獲得した人にとっては、けっして苦しいものではありません。
このような個人は、肉体や肉体的な感覚から離れ、肉体的な変化に影響されません。
魂が物質次元や、この世のものや個人に非常に執着しているときは、死は苦しみであり、悲惨な状態へと至るかもしれません。

生と死の間には、プラーナ(生命エネルギー)が機能を停止する中間(中有)の状態があります。
人はこの瞬間の準備をしていないと、精神的な責め苦を経験し、他人に何かを説明、表現することはできないでしょう。
実在を知っている人は、この悲惨な状態からは救われます。
死への移行において、外側の乗り物が完全に落とされる前に悟らなかった人々は、
喜びや苦しみのそれぞれのいろいろな一時的な段階、あるいは領域を経験しますが、
それは以前に成したポジティブまたはネガティブなカルマにかかっています。
例えば、ピトルローカ(祖先が住む世界)では、私たちは祖先や親しい人に逢い、
スワルガローカ(神々が住む天国)では、いろいろな楽しみを楽しみます。
チベット死者の書とヒンドゥー教のガルーダプラナは、肉体を捨てるプロセスで、人が通り過ぎる段階を広範囲にわたって説明しています。
物質的な肉体が落とされた後でさえ、残存する構成要素の純粋か不純かにより、
低い天国の領域と高い天国の領域という異なる天国の領域があります。
無知な者にとっては、死は、天国のような、あるいは地獄のような夢のような光景がところどころに入っている長くて深い眠りです。

善い行いをして、正しくて利己的でない人生を送り、今生でいくつかの完成を手に入れた人々は、
最も高次な領域で、神聖なる自己のはっきりとしたヴィジョンを楽しむことができます。
しかしながら、最も高次への到達と自己の自覚はこの生だけで持つことができると賢者は言います。
ピトリローカとスワルガローカは最高の真理を表すことはできません。
自由は、この領域では達成されることはできず、天国のいろいろな楽しみは、魂がアートマンを悟ることを邪魔します。
自己認識は、死後ではなく、今生のここでのみ可能なのです。
死後の死んだ魂の領域で、真の自己を悟ることができると信じている人々は、悲しくも幻滅を感じるでしょう。
肉体の消滅の前に、アートマンの不滅の性質を悟らない人々は、人間の誕生を通してやって来る大いなる好機を失うでしょう。
ブラフマンの達成は、あの世ではなく、今生のここでのみ可能なのです。

仏教徒とヨーガ行者は、魂と心と体を信じ、その間を区別しています。
魂は、創造されたことはありません。
それは本質的には、意識であり完全です。
粗雑体の消滅の後、すべては潜在したままです。
魂は生き返ります。
私たちの魂は、死後も、完全であり、消滅せず、分解せず、破壊されません。もし魂が、真の実体であり存在であるなら、それを経験するいくつかの方法があるべきです。
適切な霊的な訓練を実行する誰もが、この経験を持つことができます。
生と死は、同じ事実にとっての異なる名前であるだけです。
それは、ひとつのコインの 2 つの面です。
このような区別を超えることができる人は、死を克服し、彼岸、すなわち、永遠の生命に到達することができます。
アートマンが不死であるという基本的な真理を理解する人は、死の神秘を解き明かすことができるのです。
サマディを達成した人々は、まさに今生のここで、死後の生を経験することができます。
自らの真の自己を悟った人は、不死なのです。』
Posted by いのちの循環 at 2017年02月21日 21:32
阿部さん、以前動物(猫だっけな?)を救う活動をしたいというようなことをブログか講演会でおっしゃってた気がします。
実現したらご協力したいです。
その際はこちらで報告くださいね!
期待しています(^-^*)
Posted by おはる at 2017年02月21日 23:15
Allyさん

ありがとうございます。
お陰様でわたしも 少しは力を抜けるようになってきたようです。
Allyさんのコメントを読んで、
これは 共鳴ってヤツじゃない!? ♪( ´θ`)ノビバ
なんて、思いました。

ツボってもらったり、目にとめてもらったり、
うれしいです!!
ありがとうございます \(^o^)/

愛を込めて♡ 失礼します (^^)
Posted by 薄茶色 at 2017年02月21日 23:21
菜穂さんも、昔、キャハハー、ケラケラと、よく笑っていましたね。(今もかな?)

「だって、本当は?同じ全体なのに、全体がその気になって(各々になって、忘れて)、真面目か顔で、話しているから・・キャハハー、ケラケラ・・)

こんな感じだったかな?(._.)

おー!今も目の前にサイン本が飾ってある!素晴らしい。
Posted by y-be at 2017年02月21日 23:27
「きょうはあれ書かなかったね」 (だれとは書かない)

「......... 」 (も 書かない)

「絶好のチャンスって!Aさんが絵にしてくれたのに」

「.. ううん ...」
「壁かもしれない 壁紙」

「あ、張ってるのかな ... あれ?私もわからなくなった」



「くっ! っていえば ... ちゃん♪」
「しっ! っていえば ... さん♪」   (お! テーマ曲?)
切り返しの早い、息の合ったふたりでした。
Posted by 日和る at 2017年02月21日 23:30
ライラさん

『猫友達』って 素敵ですね! (笑)
わたしも 猫には挨拶する方ですが、
まだ 猫友達は いません。。笑

動物は ほんとーーに ピュアですよね。
その シンプルさに びっくりします。

このような表現は、実に人間的になってしまいますが、
彼らからは、学びもあるように感じています (^^)
Posted by 薄茶色 at 2017年02月21日 23:41
いのちの循環さん

あなたのブログ、少し読ませて頂きました
そこで興味が湧いたのですけど、いのちの循環さんは、どのような経験でアートマンを識られたのですか?
内なる体験でもって識られたのだと思いますけれど、その時の印象を言葉で出来うる限りで結構ですので、説明してくださると嬉しいです
アートマンそのものは、言葉で説明することは不可能だと思いますが、識られた時の印象、あなたの内側に実際に起こった変化などは語ることが出来るのでは、と思いました

お時間のある時にでもよろしくお願いします
阿部さん、コメント欄お借りしますね ペコリ(o_ _)o))

あ、もしすでに書いていらっしゃるのであれば、URLを貼ってくださると助かります

PS.*あなたのグルであるナーナさんの体験ではありません
     あなた自身の内なる体験でお願いいたします
Posted by かみゆ at 2017年02月22日 00:26
いのちの循環さん、とても、理性的なエネルギーと、質問のされ方に、感銘を受けました。(私にはあんまり無いので)

あなたのおっしゃっていることは、おそらくは、起きてしまうことへの、永遠のテーマとされるものだと思います。

結局は、各々、自分のマインドが培ったものが、納得しないと、落ち着かないですものね。

あべさんに、答えて頂きたいのでしょうけど・・たぶん、あべさんは、UFOだって、近年信じ始めた?んですから、その分野の実体験は、無いかも知れません。

私も、模察さんの考察に同意できる理解を今の探求から、得ていますが、

「魂≒全体が生まれ変わるのではなく、思考や感情、または、信念が生まれ変わるのだ」と、随分前に言われた探究者がおられて、、今もその感覚が拭えません。

物質や、エネルギーは、変化するだけで、消失しないとか、死後の世界とや、来世のお話をされてましたので、(煙の無いところには、火が立たない)ではないですが・・

http://ameblo.jp/raasa-venus/entry-12242636205.html?frm_src=favoritemail

こちらの方の「七色のクリスタルと金色のアフロ」で、ご自身や、他の方々の体外離脱と、その世界・観、法則、探究をリアルタイムで、語られていますので、

あなたの疑問、多くの方の疑問の処方になられるやも知れません。

体外離脱と言っても、自分の感覚だと、肉体の五感の感覚を、あちらに移すだけだと言っておられますし、

あちらでは、意図すること、想像することが、そのモチベーションを持ち続けることが、とても大事だと申されてもいますし、うそは、つけない、意図しない人みたいですから、

共通の事実は、別にして、私はかなりあなたと同じテーマについて、こちらで、理解や、認識を得ています。(只今、どなたでも、参加できる《竜プロジェクト》は実証としては、必見です。

ただし、食わず嫌いをしたら、元の木阿弥・・・。
Posted by y-be at 2017年02月22日 00:33
本当の私はいまも70億の肉体を通して同時存在し、多彩なドラマを紡ぎ出しているのです。



こんな事を、あの場で話していたと思います。

それにしても大阪の皆さんはよく笑う。

お話した内容はその瞬間の感応であり、持ち運ぶようなものじゃない。


*****


これがわかる意識になれば

この世界のすべてが「わたし」であり「わたしの祝福」「わたしの見てる夢」だとわかる



すべては記憶

病気も記憶、感情も記憶、自分と呼べる感覚も記憶、

過去世も、未来世も、アカシックレコードだって

みんなあのヒトの記憶



この悲しみは記憶なんだ

こう捉えられるだけで、哀しい出来事に対する捉え方が一変する



わたしという記憶は、すべてあのヒトの夢

あのヒトの夢のワンピースが、あなたでありわたし

わたしもあのヒトなのに、あのヒトと呼べる奇跡



ああ。。。混沌なる現実世界の祝福よ

汚物のような記憶さへ。。。きらめく宇宙の真珠に見える

夜明けの晩も白み始めているようだ 神謝神旅
Posted by 吉野太玉 at 2017年02月22日 01:57
今回は輪廻転生は ある ということですね。

誰もが、私はイエスキリストの生まれ変わりです。というのも成立しますよね。(^_^)
Posted by ひよどり at 2017年02月22日 02:40
失礼致します<(_ _)>

誰だろう... お友達かな...??


そう思うのなら それでいいんぢゃない。 ?

あなたたち? は もう強固な 〜観を 持ってる。


これが 正しい なんて主張は なぜに ?

《考え 〜観 の押しつけ感を感じるので...。》

信じきれないの ? 認められたい ?

あなたが信じる考え 否定しないよ。?

自分が 〜観 を信じてる

それだけで 良くはないのかな。?

私はこう思う こういう考え方もある ならば、なるほど〜。ふむふむ。なのですが、

なんか 正しさ の圧を感じるので...。

圧 感は、やっぱり抵抗感がでます。

せっかくの すごい知識なのに...。

僕が言うのもなんなのですが、

正しさ の 押しつけは みっともないよ。

自分は信じる。それだけで よくない ?



これ 勘違いなら ごめんなさいね。

もしそうなら みっともないのは俺だΣ(・□・;) すこし的外れな気もするし...

阿部さん どうしよう... (笑)

勝手ながら そろそろ寝ます。

おやすみなさい(_ _).。o○
Posted by slow*boy at 2017年02月22日 02:59
いのちの循環さん

ずいぶんと長文のコメントを書かれていますが、他の方のコメントを読んでいくのに迷惑なので、控えて頂きたい。
長文の場合は、ご自分のブログ等で発信されたらいかがでしょう?

>2017年02月21日 21:32
>いのちの循環
Posted by ひよどり at 2017年02月22日 06:31
70億人が全員、普段の自分だったらを想像
んーやばいと思う(笑)
自分の不得意分野を担当する人が必要になってくる。(でも、今の自分だっら、助け合って生きてけそう安心感で)

70億人が全員、自分が何ものかに気づいたらを想像、んー何も浮かばない(笑)。

んー何も浮かばないけど、ワオッって感じ。次から次へと力が湧いて溢れ出て止まらない。全てがいい感じに循環してるイメージかな?愛で溢れかえって自然に自分の為てることが誰かの役にたってる。
一体感はあるよね、垣根がない。

反対に70億人全員がさまよってたら、争いは尽きないだろうね!

全部自分だったらと置き換えると他人事ではなくなってくる。

でもこれってただの思考の産物なんでしょ?

少女Aでいいなら、そこまで考えなくてもいいよね?
Posted by ふ at 2017年02月22日 06:35
夜中、ずーと、ウイアーザワールドって何回もわいてきて、目を覚まして、また、スマホで検索したら、マイケルジャクソンのヒールザワールドがあって、んでもって、マンインザミラーがあって、ブラックオアホワイトがあって、
あれ?阿部さんが輪廻転生について表現してたことと全然関連性はないものの。

自分が何ものか知ってしまったら、マイケルジャクソンみたいな思想?を持つのは不思議な事ではないなと思った。
マイケルジャクソンは歌と踊りで世界に気づきをもたらした。
でも、私は綺麗処が過ぎた、ただの少女A(中年)
金も財産もねぇ、ただのおばさんが出来る事?家族仲良く暮らす身近な事から始めるしかないよね。これが出来なくて苦しんでたからね。
自分に湧き上がってくる思いをただ、眺めてるだけでいいのか?起きることは起こる、さあ、それは、いつ、起こるか?
決心って必要なのかなあ。
モヤモヤサマーズです。
まず、自分から始めようということか?

余談(自慢話)( ̄∇ ̄)
ずっと昔、マイケルがステージから、私を一瞬凝視したので(イヤーあんたの勘違いしょのツッコミありがと)ノリが悪い客だって思った?ヘンな日本人だとおもった。ただの気のせいか?久しぶりにその事に思いをはせました。)ただの自慢話でスミマセン。(。>ω<。)
Posted by ふ at 2017年02月22日 06:37
70億人表現スタイルが違うだけで、最終的?に目指す方向?帰る方向?戻る方向はみんな同じと言う感じ?かな?
Posted by ふ at 2017年02月22日 07:05
阿部さんはお笑いで貢献してるんですね。
あっまた、失言を!
失礼いたしました!
愛を込めて込めてコメントしてます。
Posted by ふ at 2017年02月22日 07:10
いのちの循環さん、
参考になりました。
この記事がいつか、誰かの中に種をもたらし何かに繋がっていく機会をありがとうございます。
Posted by ふ at 2017年02月22日 08:37
いつもありがとうございます。

言葉を紡いでも発した瞬間に色褪せていくwまいいや


「私」という西洋文明(世界)を維持するには、本質は相対(縁)だから

対象が必要になる。だから神を作ったのかもね。

「私」という正当性の為に。

神が人間を創造したのではなく、人間の都合で神を作ったのだw
Posted by まっす~ at 2017年02月22日 09:15
クリアさんありがとうございました。
ご門主様のことでした。
Posted by 風花 at 2017年02月22日 09:21
こんにちは、阿部さんのやっている瞑想の詳細はどうすれば知ることができますか?窓口はどこか別にHPとか連絡先はありますか?教えてください宜しくお願いします。
Posted by 白猫 at 2017年02月22日 11:02
大阪講演会で、阿部さんの言葉に口をはさんだ者として一言。
意識は、この世に一つしかありません。
その同じ一つの意識が70億の人間の肉体に宿ってそれぞれの人生を一生懸命生きている。
まさにこれが神のリーラです。
Posted by 西〇 at 2017年02月22日 11:11
いのちの循環さん

もう少しで届く人々が増えているでしょ。

確認する必要ないですよ。

貴方様は優しくありすぎますよ。

人々故に人々故にです。
Posted by みちばた at 2017年02月22日 12:52
仕事で、ネットワークもクラウド上に仮想ルータを構成し、
一部が死んだり混雑しても、全体は支障無く運用できる
時代になっていくみたいな話をしていて、あー、こうして
いろんなものが『混ざって』いくのかなぁ・・・・・
と思いました。

「俺古い人だから、物理的に構成されてなければ安心できないのよ。
 WI-FIすら信用できない」

と言ってる人が居て、わかんなくもないなーと思いましたが。

でも、『この肉体』も、『生まれたままの頃の細胞』なんて、無いですもんね。

たぶん、『自分の』、『この思考』、『この感情』、『この感覚』
と思い込んでいる『これら』も・・・・・どこに分散化、冗長化されて
存在してるんだか・・・・・。
ずーーーーっっっっと、『ここ』=『この体』に居ると思い込んでるんじゃ、
わからない事なんでしょうけどね・・・・・
Posted by ただの『自分』 at 2017年02月22日 15:33
slow*boyさん、こちらでの趣旨を鑑みれば、最もな、言い分だと私も思います。

それはそうと、ちょっと見つめる方向をずらして、観察してもらいたいのですが、

ここは、ここで、ランキングを見ていただければ、だいたいお察し出来るかと思いますが・・

訪れる方々が大変多くなり、大所帯で、ちょっとした世間のように、大衆化しておりますよね。

ということは、ここでも、世間体や、ここならではの常識感・観、共通認識みたいな観念が構築され、浸透ている可能性も、あろうかと思います。

あなたのおっしゃっりようの元の不快感や、自由意志を妨げるような、プレッシャーは、私もリンクしているかも知れません。

たとえば、あなたの今お持ちの特性や感性が、今は、そのような状態にあるということだと、俯瞰(離れて)して観れますでしょうか?

嫌い(不快)なものがあり、好き(快い)なもがある、そのような感覚や、印象が出て来るという、そのあなたのマインド、捉え方、使っている判断基準、「乗り物」、「器」でもいいですが、

果たしてそれは、何処から見ても、平等で公平な観点だと、言えますでしょうか?

これは、私にも、誰にでも、言えることだと思いますので、

またまた、たとえば、

>> 「なんか 正しさ の圧を感じるので...。

圧 感は、やっぱり抵抗感がでます。

せっかくの すごい知識なのに...。

僕が言うのもなんなのですが、

正しさ の 押しつけは みっともないよ。

自分は信じる。それだけで よくない ?」<<

って、いうことが「正しくない?違うんじゃないの?」と、あなたは言いたいのだと思うのです。

しかし、これは、皆さんの自己主張や、持論の展開、訴え、シェア、思い思いのコメントなどの、それぞれの持ち得ています感性での印象の書き込みと、基本的には、変わりないですよね。

だからといって、あなたが間違っているわけではないのです。

あなたが使っている観念や認識、信念となったものと、同じようなものを持っている人たちには、いたって当たり前なことで、

“正論かつ正当”なことにしか、感じられないのですから、あがないようがありませんよね。

でも、あなたは、“間違ってたら”と、補足を入れてもいますよね。

皆さんが、言ってることは、その感覚・感性、そしてその認識を持ってる当事者にしか本当のところは、分かりません。

人の話を聴いているようでも、実は、自分の頭の仕様と、既にある認識の仕方で、人の話をわざわざ翻訳して、解釈する、認識するということが、絶えず行われているからです。

ちょっと脱線しましたが、あなたが観自在菩薩になれば、この世間的な話題や関心事に何でも肝要に成れますし、また同時に、無責任にも成れるということです。

分かりますかね。

あなたや私の言い分は、間違っていない!されど、間違ってもいる!ということでしょうか?

一個の感覚と、感性、肉体の特性や頭の働き?がある限り、その特性、感性に従い、それが正しいと認識し、リアルに感じるのは道理であり、意識の仕組みだと観察できます。

世の中に、その各々持ち得た感性・特性(個性)と、意識の仕組みを気にしない人たちには、溢れかえって、たくさんいるでしょう?

さて、それを知った上で、あなたは、どうしますか?

いえ、どうなりますか?かなあ?
Posted by y-be at 2017年02月22日 15:47
失礼致します。

感じれてないことも多く ご無礼あるかもしれませんが、
よろしくお願い致しますm(_ _)m

>あなたのおっしゃっりようの元の不快感や、自由意志を妨げるような、プレッシャーは、私もリンクしているかも知れません。

プレッシャー ないですよ...。

不快感? ん〜 あったかな... 忘れた。

あー 不快感 《嫌い》 か...。

うん 感じました。押しつけ感...?

>たとえば、あなたの今お持ちの特性や感性が、今は、そのような状態にあるということだと、俯瞰(離れて)して観れますでしょうか?

あー 多分...。

>嫌い(不快)なものがあり、好き(快い)なもがある、そのような感覚や、印象が出て来るという、そのあなたのマインド、捉え方、使っている判断基準、「乗り物」、「器」でもいいですが、

果たしてそれは、何処から見ても、平等で公平な観点だと、言えますでしょうか?

僕の観点だと思います...。

>ちょっと脱線しましたが、あなたが観自在菩薩になれば、この世間的な話題や関心事に何でも肝要に成れますし、また同時に、無責任にも成れるということです。

観自在〜 漢字読めず...

>あなたや私の言い分は、間違っていない!されど、間違ってもいる!ということでしょうか?

そういうことでお願いしますd( ̄  ̄)

>世の中に、その各々持ち得た感性・特性(個性)と、意識の仕組みを気にしない人たちには、溢れかえって、たくさんいるでしょう?

さて、それを知った上で、あなたは、どうしますか?

いえ、どうなりますか?かなあ?

僕は僕のまま

起こるがままに 任せようかな〜。

かみあってんのかな...


ありがとうございましたm(_ _)m
Posted by slow*boy at 2017年02月22日 18:13
いのちの循環さん旋風が吹き荒れてますが、僕も物陰から失礼致します......I壁|≡ (*`▽´)ノ ヘロー♪
どなたかも言われてますが、僕もあまりの長文だと読まないたちで、一応自分のことは棚に上げときます(^m^)ゞ
でも興味ある文章だったので読ませて頂きました。

>自己認識は、死後ではなく、今生のここでのみ可能なのです。
>死後の死んだ魂の領域で、真の自己を悟ることができると信じている人々は、悲しくも幻滅を感じるでしょう。
>肉体の消滅の前に、アートマンの不滅の性質を悟らない人々は、
>人間の誕生を通してやって来る大いなる好機を失うでしょう。
>ブラフマンの達成は、あの世ではなく、今生のここでのみ可能なのです。
敢えて呆弁として駄弁らせて貰いたいと思いますが、ガッカリすることは有りません。
その人の言ってる事は正解かと思のですが、もしも次生が有るとすれば、その時にはそれもまた今生だと言えます。
我々は前生の記憶がない為に次生は無いのだと思ってしまいます。
けど、前生の記憶が蘇れば次生もまた在るのだと、必然的に理解出来るものと思う次第です。

続く。
Posted by It's a SONY ♪♪ at 2017年02月22日 20:10
続きです。

別に死ぬまでに悟りを得なくっても、来世に於いて前世を思い出せれば良いだけなのかも知れません。
「迷魂湯」の話を世に出した森田健という人は、前世記憶が悟りに関係あるのではないかと語ってます。
この時代に迷魂湯の情報が現れたのはその為じゃないかと・・・。
(僕も以前から疑問に思ってて、なぜ彼ら前世記憶者に悟りが訪れないのかと疑問に思ってた分けです)

多分ですが、前世を思い出した脳というのは、潜在意識(無意識全般・ある意味全我)に常時アクセスしてることになり、狭くて頑固で窮屈な顕在意識(自我)の囚われから解放された、広大で有りまた非常に覚めた状態だと言えるんではないかなと。
それは、この世の思考による浅知恵としての閃き感を超えた、あの世からの迷魂湯の束縛から逃れたより壮大な気づきの感覚であり、例えると記憶喪失者が自分の正体に漠然と気づいたような、そんな驚愕的な閃き電流(エネルギー・波長)が脳を走って、本当の自分の正体(波長)と共鳴するんではと思う次第です!?
それは又、自らには死はなく、他(次の肉体)となって輪廻を繰り返す現実に直面することにより、「わたしはあなたである」というふうに、わたしとは遍満する永遠(空)なるものであり、本当は「私」など何処にも居なくて単に「私」が現れるスペースなのであり、だからこのスペースにこの世の現象がただ在るのみと自覚するのかも知れません。

これを別角度から概念をもって例えるならば、この世の自我(低次元意識)を超えた、つまり広義の意味でのあの世の超自我(高次元意識)との出会いであり、正に悟りの体験と言えなくもないかなと、かような見解をする次第でもあります。
だからゆえ、魂を迷いに堕として記憶を奪い去る迷魂湯(潜在記憶を担っている潜在意識の働きを阻害する忘却のスープ)は、絶対に飲んではいけないと声を荒げて呆話る始末なのです。(爆)

つづく。
Posted by It's a SONY ♪♪ at 2017年02月22日 20:11
つづき(^ω^)ゞ

もう一度言わせて頂くなら、これを飲まなければ生れて十数年後かに前世を思い出すそうで、これは脳に記憶の配線が敷かれたが為に現れたのであれば、それは脳の構造が変容したのかもで、よってこれはもう一瞥どころか永瞥ではないかなと。
でも普通の人間は頭が醒めてもたぶん悟りには至らなくて、それに対する問題意識や関心が有ればこそ「解った」という感覚(悟り)に至り、それはまた問いの呪縛からの大いなる開放感(寛ぎ)なのかも知れません。
おそらくこの様な事情により、生まれ変わったと言う人達には元々悟りに関心が無くてどうでも良いことなら、悟りなる代物を得ることは無いのかも知れません。
けどここに居る我々には悟りに対する大いなる関心がある分けであり、なら今世がダメでも来世に任せれば良いのかも知れません。
だから悟ろうと必死にならなくっても、もっと気軽に捉えていいんじゃないかなと。
でもまぁ、それもまた充実感が有ってヨロシカトで、僕もまた今生に於いて目覚めたいんですけどね。(笑)
返米は無いかもで、また単に僕のひとり言なんで、面白かったならそれで幸いです・・・・・ではあしからず。
Posted by It's a SONY ♪♪ at 2017年02月22日 20:12
かみゆ さん

ご質問の件ですが、
最初の体験は、少しだけ簡単に、ここに感想として報告してあります。

http://ameblo.jp/oneness-113/entry-11694654591.html

ここには書いていませんが、
元に戻った後、起こったことを報告したら、
「そう、それが、本当のあなた」とにっこりと、はっきりと言われました。
(その後、継続して起きたことも幾つか、体験談として載せてもらっています)


(阿部さんのブログには、いつもお世話になっているのに、
時々、過激な発言で、いつもコメント欄を賑わせてしまうようなので、
阿部さんには、大変申し訳ないと思っています。
今回も、私信のように使わせて頂いてしまい、申し訳ありません!
以後は慎みます。
かみゆさん、申し訳ありませんが、通信欄のようにここを使われることは控えて頂けませんか?
かみゆさんが、他人の個人的な体験を気にされるのは、何故なのか?
(わたしは、かみゆさんの個人的な体験を気にしたことはありません)
今後は、こちらへのコメントは慎みますので、宜しくお願いいたします)
Posted by santanadharma at 2017年02月22日 23:47
santanadharmaさん

URLありがとうございます
後でゆっくり読ませて頂きますね
私はあなたの体験を「気にした」のではありません
ただ、どのように体感されたのか、その時どのようだったか
単純に興味が湧いただけで、他意はないですよ
あまり深刻に捉えなくて大丈夫です♪
Posted by かみゆ at 2017年02月23日 00:55
書き忘れましたが、
クンダリニーが目覚めたのは、かれこれ40年も前の話なので、そのことは、どこにも書いていません。 
その時があったからこそ、非常にスンナリと導かれたのだと思います。
また、彼女のクンダリニー覚醒を理解できるのは、多少なりとも、同じ体験をしたからだと思います。
Posted by santanadharma at 2017年02月23日 01:24
santanadharmaさん

あちらのブログの、あなたの感想文だけ順を追って読ませて頂きました
ナーナさんのセッションを受けられて体感されたんですね
存在との一体感、その時現れた至福が、その楽しさが、文章から感じられました
こちらも読んでいてとても楽しかったです♪
ありがとうございました

私のこれまでの対応が、あなたに対していらぬ緊張を与えてしまったのかもしれませんね
私の未熟さゆえに、本当に申し訳ないことをしました
ごめんなさい ペコリ(o_ _)o))
Posted by かみゆ at 2017年02月23日 01:52
ひよどりさん
ふさん
y-beさん
みちばたさん
It's a sony♪さん

コメント読みました。

長文のコメント、失礼しましたm(__)m
今後は慎みますので、今回はご容赦下さい。

輪廻転生、生と死についてもっと詳しく知りたい方は、
3月末に発売の「聖なる旅」(スワミ・ラーマ)を読むと、
ヒマラヤ聖者に伝わる私たちがあまりよく知らない生と死の秘密が書かれています。

また、アドヴァイタ(不二一元)は、理論ではないということがわかります。
Posted by santanadharma (いのちの循環) at 2017年02月23日 02:26
slow*boyさん、たぶん、かみ合ってないと、思いますよ。(^_^)

あなたが、わざわざ、わたしに合わせて下さってますよ。

先日のあなたの、その場限りのコメントに、私が過剰に反応し過ぎたみたいですね。(過剰って、分かりますよねー?)

つまらないことを論じてしまい、申し訳ありませんでした。

しかし、このようにコメントしなければ、あなたの人柄や気質や、あなたのコメントの本気度などが、分からなかったでしようから、良かったです。

⭐返答ありがとうございました。
Posted by y-be at 2017年02月23日 03:25
まだ起きてたりして 笑

santanadharmaさん

あ、出来ればそのクンダリニー覚醒がどのようだったか聞きたかったなぁ
ナーナさんや、他にもクンダリニー覚醒した方の、その時のことを書いたものを読んだことがありますけど、なんかとても興味深かったです
まぁ聞いたからとて、どうするわけでもなく、そこを目指すとかそんな気は毛頭ないですし、そうなる時は自然とそのような流れになるのだろうと、ただただ単純に感じています

単なる興味本位なので、気が向かれなければ書いて頂かなくても良いです
ありがとうございました~(*゚◡゚*)ノ
Posted by かみゆ at 2017年02月23日 04:21
かみゆ さん

クンダリニーが目覚める直前に
通常の常識では信じられないほどの不思議な現象を沢山経験しました。

試練がやって来て、神か自分かを選択することを迫られたとき、
私の選択は神でした。

すべてを捨てることを選んだ後、それは起こりました。

しかし、その体験が真実の姿を現すまでに、40年も必要でした。

その時の私の精神は若すぎて、それが何を表しているのか?を理解できなかったのです。

しかし、人生が確実に残り少なくなった私に対して、
神はその意味を明らかにして下さいました。

彼女という存在に出会ったことで、自分に起きたすべての謎が解けたのです。

かみゆさんの変容をこのコメント欄で拝見してきました。

最近のコメントで、かみゆさんに大きな変化があったことを知っています。

その人の意識が、理解できる世界を決定します。

私の体験談を読んで頂き、感想までお聞かせ下さり、ありがとうございます。

このコメントを最後にさせて頂きますね。

人はそれぞれに役割を持っています。

みなさん、それぞれに、それを果たしているだけだと思っています。
 
この世に、例外はないです。

ありがとうございました(^^)
Posted by santanadharma at 2017年02月23日 09:18
ポイントがたまっているので、その難しそうな本買ってあげるよ

オバサンは…その師を持ち上げ過ぎなのが?ですけどねぇ

本当はその師なんていなくて、愛だけがあるのだよ


愛☆愛☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年02月23日 11:24
santanadharmaさん

わざわざありがとうございます

そっかぁ、その時にはなにが起こったのか理解出来なかったんですねぇ
どんなだったか説明することの困難さが読み取れました
今は同じような体験をされている方の手記がたくさん見れて、もしそれが起こったのが今だったら、もっと理解は早かったかもしれませんね
私も、こんな風にいろんな方のブログを読む機会が無ければ、今の私はないと思います

本を出版されるんですねー
たくさんの人が興味を持って読んでくれるといいですね♪

ではまた~、、、(。・ω・。 )ノシ
Posted by かみゆ at 2017年02月23日 12:52
遠吠えが聞こえる(笑)
Posted by 気のせい? at 2017年02月25日 13:29
あのお二人は只じゃれ合って頂けだったのか(笑)
お邪魔しました♡
また、仲良くケンカして下さい♡
Posted by そうゆうことだったのか(笑) at 2017年03月31日 03:16
昔から、ケンカするほど仲が良いって言いますものね(笑)
Posted by この世は愉し♪ at 2017年03月31日 10:07
要するに生まれる人死ぬ人全員が自分で一人しか体験できない 自分は意識 宇宙そのもの
輪廻転生はあるといえばあるしないといえばない
Posted by なるほど at 2018年03月04日 16:05
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。